Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖伝のミサ(トリエント・ミサ、ラテン語ミサ)のご案内 聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Traditional Latin Mass

2024年05月05日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(これは「トリエント・ミサ」「ラテン語ミサ」とも言われています)にご招待します。

【東京】 住所: さいたま市大宮区東町2ー256ー8 林ビル2F

Google マップ: <https://goo.gl/maps/3AiQkmFkdGYtVC2B6>
※ JR 大宮駅から北東方向に1キロメートルほど歩いたところにある、ベージュ色の3階建のビル、林ビルの2階です。

大宮駅まで: JR 大宮駅へは、JR 宇都宮線・高崎線で東京駅から 31 分、上野駅から 25 分です。
大宮駅から: JR 大宮駅東口から、北東方向に歩いて約 14 分です。(ファイル New Chapel in Omiya-20231009.pdf をご覧ください) 大宮駅から新しい聖堂へ歩いての行き方ファイル:Walking from Omiya Station to the New Chapel

主日ミサは2回捧げられます。(8時30分と10時半です)
ミサの前後で告解の秘蹟を受けることができます。ミサの間にも告解をすることができるように告解のために司祭は待機しております。
08:30 ミサ聖祭 読誦ミサ
10:30 ミサ聖祭 歌ミサ(YouTube でライブ中継

平日の火曜日、水曜日、木曜日は毎朝7時00分から聖伝のミサが捧げられます。金曜日は午後6時(18:00)から、土曜日は午前11時から聖伝のミサが捧げられます。

聖ピオ十世会では、毎月一回、「亡くなった会員と恩人の方々のため」の意向でミサ(Monthly Requiem Mass for the members and benefactors)」を捧げています。

ミサの詳しい予定表はここをクリックしてください。

【「暁の星の聖母」修道院】
住所:埼玉県さいたま市見沼区大和田町2丁目820番地3
日本聖ピオ十世会:「暁の星の聖母」修道院
T 337-0053

【大阪】「聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂」 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG新御堂4階 〒532-0002 (アクセス)JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分(地図

【大阪 Osaka】【特別の事情により変更される可能性もあります】
4月 21日 SUN ミサ聖祭 18:00
4月 22日 MON ミサ聖祭 6:30
4月 26日 FRI ミサはありません。 <= !!
4月 27日 SAT ミサはありません。 <= !!
4月 28日 SUN ミサ聖祭 18:00 <= !!
5月 5日 SUN ミサ聖祭 18:00
5月 6日 MON ミサ聖祭 6:30
5月 12日 SUN ミサ聖祭 18:00
5月 13日 MON ミサ聖祭 6:30
5月 19日 SUN ミサ聖祭 18:00
5月 20日 MON ミサ聖祭 6:30
5月 24日 FRI ミサ聖祭 18:30
5月 25日 SAT ミサ聖祭 10:30
5月 26日 SUN ミサ聖祭 10:30
5月 31日 FRI ミサ聖祭 18:30
6月 1日 SAT ミサ聖祭 10:30
6月 2日 SUN ミサ聖祭 10:30

【名古屋】名古屋においても毎月最終主日に、聖伝のミサが捧げられます。愛する兄弟姉妹の皆様を全てご招待いたします。予約不要です。

場所:愛知県名古屋市中村区名駅南1-3-14 石原ビル6階
日時:4月29日(月) 09:50 ロザリオ及び告解  10:30(午前10時30分) ミサ聖祭
日時:5月26日(主日) 15:20 ロザリオ及び告解  16:00(午後04時00分) ミサ聖祭
場所は松屋の入っているビルの6階です。以下は予定です。
05月26日(主日) 15:20 ロザリオ及び告解  16:00(午後04時00分) ミサ聖祭
06月30日(主日) 15:20 ロザリオ及び告解  16:00(午後04時00分) ミサ聖祭
07月28日(主日) 15:20 ロザリオ及び告解  16:00(午後04時00分) ミサ聖祭
08月25日(主日) 15:20 ロザリオ及び告解  16:00(午後04時00分) ミサ聖祭
09月29日(主日) 15:20 ロザリオ及び告解  16:00(午後04時00分) ミサ聖祭
10月27日(主日) 15:20 ロザリオ及び告解  16:00(午後04時00分) ミサ聖祭
11月24日(主日) 15:20 ロザリオ及び告解  16:00(午後04時00分) ミサ聖祭
12月29日(主日) 15:20 ロザリオ及び告解  16:00(午後04時00分) ミサ聖祭
 
【札幌】「北海道青少年会館 Compass 」にて:聖伝のミサが捧げられます。愛する兄弟姉妹の皆様を全てご招待いたします。予約不要です。
2024年6月1日(主日)午後6時
2024年6月2日(月)午前9時
 
Ave Maria Immaculata!

My dearest Brethren!

*****Mass times in Tokyo:*****
On all Sundays in October there will be two (2) Masses.
08:30 - Low mass :
10:30 - Sung mass : YouTube live

Mass location: Address: Hayashi Building 2F, 2-256-8, Azuma-chô, Ômiya-ku, Saitama City
Google Map link: <https://goo.gl/maps/3AiQkmFkdGYtVC2B6>
* The chapel is on the 2nd floor of Hayashi Building, a beige-colored 3-story building, located approx. 1 km north-east of JR Ômiya Station.
To Ômiya Station: JR Ômiya Station is a 31-minute train ride (on JR Utsunomiya Line or JR Takasaki Line) away from JR Tôkyô Station, or a 25-minute ride from JR Ueno Station.

From Ômiya Station: From the East Exit of JR Ômiya Station, walk approximately 14 minutes in the north-eastern direction to reach the chapel. (Please see the file New Chapel in Omiya-20231009.pdf.)

File : Walking instruction from Omiya station to the New Chapel

For the detailed schedule of the Traditional Latin Mass in Omiya, please click here. Thank you.

*****Mass schedule in OSAKA:*****

2024/04/07 Mass 10:30
2024/04/08 Mass 6:30
2024/04/14 Mass 18:00
2024/04/15 Mass 6:30
2024/04/21 Mass 18:00
2024/04/22 Mass 6:30
2024/04/28 Mass 18:00
2024/05/05 Mass 18:00
2024/05/06 Mass 6:30
2024/05/12 Mass 18:00
2024/05/13 Mass 6:30
2024/05/19 Mass 18:00
2024/05/20 Mass 6:30
2024/05/24 Mass 18:30
2024/05/25 Mass 10:30
2024/05/26 Mass 10:30
2024/05/31 Mass 18:30
2024/06/1 Mass 10:30
2024/06/2 Mass 10:30
2024/06/9 Mass 18:00
2024/06/10 Mass 6:30
2024/06/16 Mass 18:00
2024/06/17 Mass 6:30
2024/06/23 Mass 18:00
2024/06/24 Mass 6:30

 *****Stella Matutina Priory*****
Society of Saint Pius X Japan
Stella Matutina Priory
Owada-cho 2-820-3, Minuma-ku, Saitama-City, Saitama,
Japan T 337-0053

*****Mass schedule in NAGOYA: [Last Sunday of the month at 4 PM (16:00) ] *****

[Mass Location] 6F Ishihara Bldg. 1-3-14 Meieki-Minami, Nakamura-ku, Nagoya-shi, Aichi
April 29, 2024 (Mon) 10:30 AM Holy Mass
May 26, 2024 (Sun) 4:00 P.M. Holy Mas

【聖ピオ十世会とは】

聖ピオ十世会、SSPX (the Society of Saint Pius X)とは、1970年11月1日にスイスのフリブール教区においてローマ・カトリック教会の教会法に従って創立されたカトリック教会の修道会の一つです。創立以来、カトリック信者の要請に応える形で、全世界での使徒活動をますます拡大しています。

* 教皇フランシスコは聖ピオ十世会の司祭たちに適法に使徒職を果たす権能をお与えになっています。教皇は書簡「ミゼリコルディア・エト・ミゼラ」で、聖ピオ十世会の司祭たちが世界中ですべての信者のために告白の秘蹟を行う権限を持つと宣言されました。

https://www.vatican.va/content/francesco/en/apost_letters/documents/papa-francesco-lettera-ap_20161120_misericordia-et-misera.html

さらに教皇は聖ピオ十世会の婚姻の秘蹟が有効に執行するように全世界の司教たちに彼らの協力をお求めになられました。

https://www.vatican.va/roman_curia/pontifical_commissions/ecclsdei/documents/rc_com_ecclsdei_doc_20170327_lettera-presuli_en.html

聖ピオ十世会の司祭は、ラテン語でカトリック聖伝のミサ(Traditional Latin Mass)を捧げています。ミサの典文(Canon)の中では、教皇フランシスコの名前と当地の教区長の名前(浦和司教区でミサを捧げる時はマリオ山野内司教、東京大司教区ではタルチシオ菊地大司教、大阪大司教区ではトマス・アクィナス前田枢機卿、名古屋司教区ではミカエル松浦司教など)を唱えます。教皇ベネディクト十六世は自発教書「スンモールム・ポンティフィクム」の中で、全てのカトリック司祭は聖伝のミサを捧げる権利を有していると宣言されました。何故なら、聖伝のミサは一度も廃止されたことがないからです。

「過去の人々にとって神聖だったものは、わたしたちにとっても神聖であり、偉大なものであり続けます。それが突然すべて禁じられることも、さらには有害なものと考えられることもありえません。わたしたちは皆、教会の信仰と祈りの中で成長してきた富を守り、それにふさわしい場を与えなければなりません。」(ベネディクト十六世)

聖ピオ十世会の司祭たちは、伝えられたままの純粋なカトリック教えをそのまま伝えようと全力を尽くしています。カトリック教会が、信じてきた全てのカトリックのドグマと信教(Credo)をそのまま変えずに信じ、信仰宣言しています。また同時にカトリック教会によって排斥された全ての異端に対して反対しています。過去から変わることなく伝えられた正統信仰こそ真理における一致を促進し、分裂を避けさせるものです。

聖ピオ十世会の司祭たちは、カトリック教会がそう信じ続けてきた同じカトリック信仰を信じています。特に御聖体における私たちの主イエズス・キリストの現存を深く信じています。また、カトリック教会以外には霊魂の救いがないと信じます。

教皇庁教理省は「同会の聖職者は、教会法上の制裁から解放されている」(いかなる制裁も受けていない)と認めています。

聖ピオ十世会の司祭は、必要の状況に置かれた信徒たちのために、教会法によって補足された法的身分(裁治権)を有しています。しかし領域的な(司教区)の法的身分(裁治権)も属人的裁治権も有しておりません。ところで、私たちの主イエズス・キリストは霊魂の救いと聖化のためにの通常で主要な手段として秘蹟を制定されました。カトリック教会は、必要とする人々が秘蹟(特に改悛の秘蹟)をいつでも受けることができることを欲しています。何故なら教会の最高の法は霊魂の救い(教会法1752条)だからです。

カトリック教会は、教会法の規定(144条)によって、組織上の当局を通さずに法的身分(裁治権)を補足します。カトリック信者は、いつでも告解を必要とするとき、その判断と助言を信頼することができると思う司祭から改悛の秘蹟を受けることができます。しかもその司祭が通常のやり方で法的身分(裁治権)を有していなくてもそれができます。さらには、しかも教会法(1335条)の言葉によると「いかなる正当な理由でも」信徒がこれを求めるのであれば、聖職停止あるいは破門された司祭であってもこれができます。

【お知らせ】

一般社団法人日本聖ピオ十世会の銀行口座が開設されました。
御寄附や四旬節の献金、また教会維持費などのためにお使いくだされば幸いです。
愛する兄弟姉妹の皆様の暖かいご支援を感謝申し上げます。

銀行名:住信SBIネット銀行
金融機関コード(銀行コード):0038
支店名:法人第一支店
支店コード106
支店番号-口座番号:106-1951537
漢字氏名:一般社団法人日本聖ピオ十世会
カナ氏名:シヤ)ニホンセイピオジツセイカイ


洗礼は、新しい命の始まり、永遠の命への始まり:キリストが贖った命、堅振によって固められ、キリストの御体によって養われる命、悔悛の秘跡によって回復し、終油の秘跡によって準備される至福直感の命

2024年04月24日 | お説教・霊的講話

2024年4月7日 白衣の主日 大阪にて

レネ神父

親愛なる兄弟の皆さん、

この主日は「白衣(びゃくえ)の主日、ドミニカ・イン・アルビス(dominica in albis)」と呼ばれていますが、それは、復活祭に新たに洗礼を受けた人々が、洗礼のときに受けた罪のなさの象徴である白衣を身に着けていたからです。洗礼は、新しい命の始まり、つまり永遠の命へと花開くための始まりなのです。

「あなたは天主の教会に何を求めますか? 信仰を! 信仰はあなたに何を与えますか? 永遠の命を!」。これは聖伝の洗礼式の最初の言葉です。さて、洗礼を受けるためにやって来た洗礼志願者は、すでに信仰を学んでいます。正確に言えば、「信仰がなければ天主に嘉されることはできない」(ヘブライ11章6節)ことを学んでいます。また、洗礼志願者は、私たちの主がこう言われるのを聞きました。「信じて洗礼を受ける者は救われ、信じない者は滅ぼされる」(マルコ16章16節)。洗礼を受ける前に、洗礼志願者は助力の恩寵による信仰の行いをすることはできますが、永遠の命を得るためには、成聖の恩寵による信仰の徳が必要です。

死は罪の結果です。天主はアダムにこう言われました。「善悪を知る木から、食べてはならぬ。それを食べたら、必ず死なねばならぬからである」(創世記2章17節)。アダムは食べて死にました。悪魔は嘘をついて、「女に言った。いや、そんなことで死にはしない」(創世記3章4節)。アダムとエワは天主ではなく悪魔を信じたのであり、それは非常に重大な罪でした。

しかし、死が罪の結果であるように、キリストが復活祭に死に対して勝利されたのは、御父の命令への完全な従順によって、聖金曜日に罪に対して勝利された結果です。私たちの主が、「(私の命は)私から奪い取るものではなく、私がそれを与える。私にはそれを与える権威があり、また取り戻す権威もある。それは私が父から受けた命令である」(ヨハネ10章18節)と言われたからです。

私たちの主イエズス・キリストの肉体の復活は、将来の私たちの肉体の復活の代表的な原因です。聖パウロが、主は「私たちの卑しい体を、ご自分の栄光の体のかたどりに変えられるであろう」(フィリッピ3章21節)と教えているからです。

しかし、私たちには、肉体の命と霊魂の命という、二つの命があります。私たちの肉体が生きているのは、その肉体が私たちの霊魂と一致しているときであり、私たちの霊魂が生きているのは、その霊魂が私たちの主イエズス・キリストと愛徳によって一致しているときです。聖パウロはコロサイ人に対して、キリストは私たちの命である(コロサイ3章4節)と言っています。さらに彼は、「愛は完徳のかなめである」(コロサイ3章14節)とも言っています。ですから、肉体の命と霊魂の命という、二つの命があるのです。自然な肉体の誕生と、洗礼による新しい誕生という、二つの誕生があります。霊魂が離れるときの肉体の死と、私たちを天主から引き離す大罪による霊魂の死という、二つの死があります。誰もが知っている肉体の食べ物と、天主のみ言葉とご聖体という霊魂の食べ物があります。肉体のための治療法と、霊魂のための治療法、特に悔悛の秘跡という治療法があります。

聖書には、この二つの命を示す箇所がたくさんありますが、ここでは一つだけ紹介しておきましょう。「まことにまことに私は言う。死者が天主の子のみ声を聞くときが来る、いやすでに来ている。そのみ声を聞く人は生きる。父が命を左右されるように、子にもそれを左右させ、こうして、父は子を最高の審判者と定められた、彼は人の子だからである。こう聞いて驚いてはならぬ。墓にいる人々がみな、天主の子のみ声を聞くときが来る。善を行った人は命の復活のために、悪を行った人は審判の復活のために現れる」(ヨハネ5章25-29節)。

ですから、ここには二つの時があり、第一の時は今、第二の時は世の終わり(肉体の復活)です。第一の時には、天主の御子のみ声を聞く人、つまり生ける信仰によって信じる人は生きますが、それは「すべての人」ではありません。第二の時には、墓にいるすべての人が墓から出て来ます。第一の時には、結果は一つしかありませんが、すべての人がみ声を聞くわけではありません。第二の時には、すべての人がみ声を聞きますが、二つの結果、すなわち、命の復活と審判の復活があります。もう一つ、注意していただきたいのは、第一の時には、主は「死者」について語っておられますが、第二の時には「墓にいる人」について語っておられることです。

この二つの時は、二つの復活です。霊魂の復活が第一の時であり、肉体の復活が第二の時です。霊魂の命は肉体の命よりもはるかに重要ですから、霊魂の命を失った人は本当に「死者」であり、肉体の命を失った人は「墓にいる人」です。霊的に死んだ人は、生ける信仰により「天主の子のみ声を聞く」ことによって霊魂の命に戻るのであり、彼らは生きる、すなわち真の命に戻ります。肉体の死者はすべてよみがえりますが、義人だけが「命の復活のために」、栄光の命のためによみがえります。最後まで悪い生活を送り、大罪の状態で死んだ人は、最後の審判の終わりに、私たちの主が言われるように「審判の復活のために」、すなわち「永遠の苦しみ」の宣告を受けるために、墓から出て来るのです。そのような苦しみは、「命」と呼ぶにはふさわしくありません。

二つの命があることを理解すれば、重要な方は霊魂の命であることを理解するのは簡単です。これこそ、私たちが大切にし、失わないように細心の注意を払うべきものなのです。私たちの主イエズス・キリストは、何よりもまず、私たちに霊魂の命を与えるために来られました。「私は羊たちに命を、豊かな命を与えるために来た」(ヨハネ10章10節)。私たちの主ご自身こそが命です。「私は道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14章6節)。主は、決してその霊的な命を失うことはおできになりませんでした。このため主は、霊魂と死ぬことのできる肉体を持たれたのです。主の肉体の復活によって、主が保証してくださったのは、天主が私たちの肉体をよみがえらせることがおできになることだけではなく、私たちの霊魂をよみがえらせることもおできになることです。復活祭のときの主の新しい命は、私たちの新しい霊的な命の原型です。そしてその新しい命、私たちはそれを決して失ってはなりません。「死者からよみがえられたキリストは、もう死ぬことがない。キリストに対して、もはや死は何の力も持っていない」(ローマ6章9節)。

私たちの弱さに注意してください。私たちはそれを失うことがあり得ますが、決して失ってはなりません! 洗礼のときに受けた、あるいは悔悛の秘跡で回復した、その新しい命を守り続けることは、私たちの主イエズス・キリストの恩寵によって可能なのです。多くの聖人たちは、小罪をすべて避けたわけではありませんが、大罪をすべて避けて、洗礼の罪のなさを守りました。このことは聖母の特権であり、このことは聖母の汚れなき御心であり、聖母の無原罪の御宿りの継続なのです。初期のキリスト教徒は、洗礼の恩寵をもっと注意深く守っていたため、今よりも熱心でした。私たちは、自分の洗礼の恩寵を十分に理解しているでしょうか?

聖ペトロはこう言っています。「(キリスト)によって、私たちに尊い偉大な約束が与えられた。それは、欲情が世の中に生んだ腐敗からあなたたちを救い上げ、天主の本性にあずからせるためであった」(ペトロ後書1章4節)。教会は、成聖の恩寵によるこの霊的な命とは、天主ご自身の命に真にあずかることである、と教えています! イエズスは、御父と聖霊とともに、私たちのうちに住んでおられます。「私の掟を保ち、それを守る者こそ、私を愛する者である。私を愛する者は父にも愛され、私もその人を愛して自分を現す。…私を愛する者は私の言葉を守る。また父もその者を愛される。そして私たちは、その人のところに行って、そこに住む」(ヨハネ14章21、23節)。聖パウロは、聖霊についてこう言っています。「あなたたちが天主の聖所であり、天主の霊はあなたたちの中に住み給うことを知らないのか」(コリント前書3章16節)。聖霊は愛の霊であり、天主を愛する人の中に住み給うのです。

天主の命とは何でしょうか? 永遠の真理を知り、永遠の善への愛を知るという、観想生活のことです。これこそが実際、最も実り豊かな生活です。天主の御子は知性によって御父から発出し、聖霊は愛によって御父と御子から発出します。これこそが、天主ご自身の永遠の命であり、最高の幸福です。また、聖人たちは、至福直観によってそれにあずかります。そして、この地上での霊的な生活は、信仰と愛徳による永遠の命の始まりなのです! このため、すべての善きカトリック信者の霊的な生活は、祈りという観想的な次元を持つべきなのです。祈りは、声を出す祈りから始まるでしょうが、どんどん観想的な次元を持つようになり、私たちがキリストによって満たされるようになるために、天主のみ声に耳を傾けて永遠の真理を黙想・観想するという沈黙へと至るのです。

これこそ信仰の生活です。聖パウロは三回、「義人は信仰によって生きる」(ローマ1章17節)と言い、預言者ハバクク(2章4節)の言葉を引用しています。信仰は、私たちを啓示された真理に従わせるだけでなく、すべての超自然の徳に動機を与えます。実際、成聖の恩寵によって、私たちには、この注入された超自然の徳の全体が与えられます。それは、馬力のあるポルシェのハンドルを握っているようなものです。このエンジンには馬力がありますが、その恩恵を受けるためには、正しいギアを入れる必要があります。信仰の動機を与えることによって、私たちはこれらの徳のギアを入れるのです。例えば、貧しい人が食べ物を乞い願っているのを見たら、キリストがこう言われるのを聞きましょう。「私が飢えていたときにあなたたちは食べさせてくれた…、まことに私は言う。あなたたちが私の兄弟であるこれらの小さな人々の一人にしたことは、つまり私にしてくれたことである」(マテオ25章35、40節)。そのとき、私たちにはその人を助ける勇気があります。あるいは、何か悪いことをしようという誘惑に駆られたとしても、罪のせいで多くの苦しみを受けて十字架につけられたイエズスを目の前にすれば、私たちは誘惑を退けます。主の御苦しみをさらに増やすことが、どうして私たちにできるでしょうか? 信仰の動機は、天主の法を実践し、忠実であり続け、「善を行う」(ティト3章14節)ために、私たちを力づけるのものなのです。

これこそ、キリストが私たちのために買い取ってくださった命、洗礼のときに私たちに与えてくださった命です。これこそ、堅振によって固められた命です。これこそ、私たちの主イエズス・キリストの御体と御血そのものによって養われる命です。それこそ、悔悛の秘跡によって回復し、癒やされる命です。それこそ、終油の秘跡によって、最終的には至福直観のために準備される命です。それこそ、司祭が皆さんに与える命であり、皆さんが司祭を神父と呼ぶ理由です。司祭はその命の源ではなく、天主だけが命の源です。しかし、司祭は、その命を皆さんに伝達しました。それは、皆さんの肉体上の父親が、皆さんの肉体の命を無から作り出したのではなく、ただ自分自身が受けた肉体の命を伝達したように、です。結婚は第一に、肉体の命を伝達するために行われるものですが、子どもたちが天国に住むことができるように、子どもたちに洗礼を受けさせ、善きカトリック教育を受けさせることは、両親の重大な義務です!

私たちの霊魂の命は、その中に住んでおられるイエズスですから、私たちにイエズスを与えてくださったお方、童貞聖マリアは、まさに私たちの母です。洗礼によって、私たちは天主の子、マリアの子となりました。そしてマリアは、すべての母の中の最高の母として、私たちの世話をしてくださいます。イエズスがマリアを愛されたように、私たちも、マリアに対して子どものような優しい愛を持つべきなのですから、私たちは「キリスト・イエズスの心を心とす」べきであり、その結果、イエズスの御母マリアに対する同じ愛を持つべきなのです。

復活された私たちの主が、永遠の命に至るまで、私たちの霊魂のうちに、より一層住んでくださいますように。そして、その途上で、童貞聖マリアが私たちを助けてくださいますように!

アーメン。


全ての歴史的な出来事はイエズス・キリストがほんとうに復活したことを示している:キリストの復活の事実から論理的に導き出される結論とは?

2024年04月23日 | お説教・霊的講話

2024年3月31日 東京 10時30分ミサ 説教

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は主の御復活の主日です。イエズス・キリストはまことによみがえられました。私たちの主の御復活の喜びを申し上げます。

【1:復活は現実に起こった】
主は、ご自分が死者の中から復活することを何度も予告して、約束しておられました。実際その通り、約束の通り、本当に今日よみがえられました。つまり、御自分の天主の力で、肉体を伴って、死からよみがえりました。
主の御死去と御復活、これは、確実で客観的な歴史的な事実です。これは盲目的なものでも感傷的な思いこみでもありません。私たちがもし主が復活したと断言するのは、これには、極めて高い信憑性があるからです。全ての歴史的な出来事、これは、主がほんとうに復活したということを指し示しています。もしもイエズス様が復活したのでなければ、歴史の中では、説明できないことだらけになってしまいます。

まず、ユダヤ当局の要請によって、ローマ総督ポンシオ・ピラトはローマ兵らを送って、主の墓の警備をさせました。しかもユダヤ人たちはファリザイ人たちは、墓の入り口の岩に封印をするほど警戒していました。使徒たちといえば、逃亡し、隠れていました。主の復活など頭にもありませんでした。敬虔な婦人たちは、死後三日目の今日、朝まだきに、主の葬りの続きをするつもりで墓に行きます。しかし、婦人たちが発見したのは、空になった主の墓だけでした。マリア様をのぞいて、誰一人、主の復活のことは想定もしていませんでした。

しかし、そのような婦人たちに、またマリア・マグダレナに、イエズス様はお現れになります。昨日、復活の徹夜祭で読んだマテオの福音には、主が復活して墓を出た時には、墓の入り口を封印していた巨大な岩は動いていなかった、ということを知らせています。少し引用します。
「安息日を終えて、週のはじめの日の夜明けごろ、マグダラのマリアと他のマリアとが、墓をおとずれて来た。すると大地震が起こり、主の天使が天からくだって石をわきにころばし、その上に座った。その姿はいなずまのように輝き、その服は雪のように白かった。番兵たちはおそれおののいて死人のようになった。そのとき、天使は婦人たちに向かって、「おそれることはない。私は、あなたたちが、十字架につけられたイエズスをさがしているのを知っている。しかし、かれはもうここにおいでにはならない。おことばのとおり、復活された。」」(マテオ28:1~)

使徒たちは、マグダレナのマリアからこのことを聞いて非常に驚きますが、たわごとだと思っていました。しかしそのなかでもペトロとヨハネの二人は確認をしに行きます。墓に行ってみると、たしかに墓は空です。残っていたのは、主の御体を包んでいた布だけでした。それを見てようやく、使徒聖ヨハネは、主の御復活を信じるに至ります。

【2:復活の現実を前にした弟子たち】
では、復活の現実を目の当たりにした使徒たちは、どのような態度を取ったでしょうか。イエズス・キリストは、旧約の全ての預言と全ての前兆を一つ一つすべて成就させました。それだけではありません。主は、多くの奇跡をなさりました。特に御復活によって、御自分が約束された救い主であって、人間となったまことの天主であるということを証明しました。さらに、ご昇天までの40日間、主は、使徒たちに何度も現れてご自分の傷痕を示したり「共に語ったり、共に食し」(ルカ 24:39-43)たりして、御自分が本当に肉体をもって復活したことを証明します。

信じようとはしなかった弟子たちは、ついには、キリストの復活が現実である、疑うことができない、否定することができない、と結論づけざるをえませんでした。あまりにも確実な証拠を目の前に突きつけられていたからです。「これこそ事実だ。これこそ現実だ。本当だ。イエズスは本当にキリストだ。イエズス・キリストこそ約束された救い主だ」と。この復活の現実を受けて、御受難の時には、恐怖の余り、恐れおののいて怯えて隠れていた臆病な弟子たちは、態度を突然がらりと変えます。イエズス・キリストの御復活を力強く宣教しだします。その結果なにがあったかというと、予想されていた通り、迫害と困難とそして殉教の生活でした。

もしも、もしも万が一、イエズス様の復活が、弟子たちによる詐欺だったとしたら、命がけの詐欺だったとしたら、それが弟子たちにとっていったい何の利益があったでしょうか?もしもキリストが復活していなかったと知っていたならば、つまりキリストは弟子たちを欺いた、約束を果たしていなかったということになるので、キリストは天主でもないし何でもなかった、と知るに至ります。そうなったら、いったい何のための宣教だったのでしょうか?偽りの復活の宣教、これでいったい彼らは何を儲けることができたでしょうか?迫害、苦労、そして良心の呵責。それよりも、キリストの復活を何も言わないほうが、どれほどかれらにとって、利益になったでしょうか。もしも、大司祭のもとに行って、「ああ、キリストに騙されたよ」といえば、多額の報酬が入ったに違いありません。ですから、聖アウグスチヌスの言う通りです。聖アウグスチヌスはこう言っています。もしもキリストの復活が事実でなかったならば、数人のガレリアの漁師が全世界をキリストに信仰に回心させたということであり、これは、キリストの復活よりももっと大きな奇跡だ。あり得ない。

【3:復活の現実を前にする私たち】
では、復活の現実を直前に、わたしたちはいったい何を考えるべきでしょうか。わたしたちは特に恵まれています。なぜかというと、たとえイエズス・キリストのその御復活を目の当たりに見なかったとしても、トリノの聖骸布というようなキリストの御受難とそして復活の科学的な証拠さえも持っているからです。この秘密は21世紀に生きる私たちのために、特別に隠されて取っておかれました。すべては、イエズス・キリストが本当にまことに復活された、ご自分は天主である、ということを、証ししています。

【信仰】
これは、私たちにとっていったい何を意味しているでしょうか。キリストの復活の事実からいったい論理的にどんな結論が導き出されるでしょうか。わたしは三つあると思っています。それは、ひとつは、イエズス・キリストこそが、そしてイエズス・キリストだけが、まことの天主にしてまことの救い主であるという真理です。もしもキリストがまことの天主であれば、わたしたちを騙しもしませんし、間違いもありません。イエズス・キリストのおっしゃることすべて、真理です。つまり、イエズス・キリストが聖ペトロの上に立てた教会、つまりカトリック教会こそが、唯一の本当の宗教であるという真理です。
真理はいつでもどこでも同じで変わることがありません。イエズス・キリストは昨日も今日もいつまでも同じ天主であり救い主であります。つまり、カトリック教会が2000年間の間、信じ、愛し、行い続けてきたこの聖伝の信仰と教え、聖伝の秘跡、これは間違うことがないということです。キリストの真の教会がそれを確証しているということです。つまり、わたしたちの宗教は本物であるということです。これが、イエズス・キリストが復活したということから導き出される第一の結論です。

【希望】
第二は、イエズス・キリストが墓からお一人で復活したように、私たちも最後の日にイエズス・キリストの力によって復活します。イエズス・キリストのご復活は私たちの復活の保証です。主は、私たちの信仰を完成させたのみならず、希望の土台となりました。イエズス・キリストの御受難・御死去また御復活は、すべて私たちのためだったのです。茨の冠は、栄光の冠に変わります。わたしたちの涙も至福の喜びに変わります。これが、イエズス・キリストが復活したということの第二の論理的な結論です。

【愛徳】
第三は何でしょうか。イエズス・キリストの御復活は、私たちの霊的な復活の模範であり、お恵みの源です。主は、私たちの罪のために死を受けました。そして私たちが聖となるために、永遠の命のために、復活されました。ですから私たちも、もはや、霊的に墓から復活しなければなりません。これはどういうことかというと、罪の機会から抜け出し、冷淡や無関心の状態から抜け出して、イエズス・キリストの愛に燃えて、新しい生活を生きるということです。主はもはや死も苦しみもなく新しい命に生きておられるからです。私たちの生活ももはや罪を避け、罪を忌み憎み、イエズス・キリストへの愛のために燃える生活とならなければならない、復活の生活を生きる、これがわたしたちに示されているということです。主がまことに復活したということは、わたしたちにこれをも、示しています。キリストへの愛による生活です。

【4:遷善の決心】
では最後に選善の決心を立てましょう。ユダヤ人たちによって、キリストの墓は厳重に封印されました。それにもかかわらず、キリストは復活しました。そしてこの信仰のために、初代の弟子たちは命をかけました。ローマ帝国をはじめとする世界各地でのおそろしい暴力とそして迫害、また何世紀にもわたる異端や誤謬などが広がったにしても、まことの信仰は勝利をおさめました。今でも、この信仰のために世界中に生きている多くの人々がいます。何億という人々がいます。

現代世界も、ファリザイ人と同じようなやり方で、イエズス・キリストを墓に封じ込めようと試みているかもしれません。イエズス・キリストがなさったこと、教えた信仰、秘跡、ミサ聖祭を全て取り消そうとしたり、あるいは使徒継承の聖伝の真理を墓に閉じ込めようと、封印しようと、そしてこの墓に番兵さえも立てようとするかもしれません。そのキリストの信仰に反対するために、科学技術やあるいはいろいろなイデオロギーが作り出されるかもしれません。民主主義、共産主義、人権宣言、環境主義、エキュメニズム、キリストのないような自由・平等・博愛、などなど。しかし、イエズス・キリストが、かつてそれらに打ち勝ったように、いつでもキリストは勝利をおさめます。なぜかと言うと、イエズス・キリストは全世界の創造主であって、まことの天主であるからです。カトリックの信仰は、昨日も今日も変わらず真理です。私たちにご自分の復活の命を与えるために、主は今日復活されました。

復活祭の今日、マリア様に主への信仰と、復活への希望、またイエズス・キリストの愛を、ますます燃え立たせてくださるように、そしてこれをいつも保ち続けることができるようにお祈りいたしましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


2024年2月12日 ファイファー神父様のお言葉:ドモルネ神父様のための謝恩会にて

2024年04月23日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

2024年2月12日 ドモルネ神父様のための謝恩会でのファイファー神父様のお言葉

今回、アジア管区長の命令で私は日本に聖母の騎士のミッションのために来ましたが、明日、同じ命令で韓国に行きます。日本には今回初めて来ました。韓国にも初めて行きます。
私は、今、フィリピンのダヴァオというところで働いています。その前はインドで働いていました。その前はアメリカで働いていました。

とにかく司祭は行って、また出かけなくてはなりません。しかし、新しいところに来るときには、いつも楽しいことがあります。なぜかというと、新しい人と出会ったり、新しいことを学んだり、これから何が起こるかということで、興味がたくさんあるからです。特にエチエンヌ神父様のように頭のよい素敵な方であれば、そうに違いありません。

わたしたちは、天主様への愛のために一生懸命働いて、私たちに任された人々を愛し、そして愛するので、自然と、自然の法則に従ってその人々を愛して愛されて、そして愛着がわいてしまいます。
それでも司祭は、来て、また行かなければなりません。なぜかというと、私たちがここに来るのは、誰かによって任命を受けたからです。“日本に行きたいんだ~”と言って来るのはボランティアで、そうでない限り任命を受けてきます。誰かに任命をされて、ある時“さあ出発の時が来た”という日が来ます。

司祭は、従順によって、それに従います。神父様は、日本を去って、そして新しくマニラに行かなければなりません。マニラは、日本とは本当に違うところです。

私は、フィリピンにもう何年もいて、フィリピンのことを愛しています。フィリピンが大好きですが、日本には初めて来ました。日本については映画でしか見たことしかありませんでした。

日本は、神父様にとってとてもぴったりしたところだと思います。なぜかというと、日本の人々は非常に知的で神父様に似て、そしてすべてが神父様のように整理整頓されていて、とても清潔なことが好きなところなので、まさに神父様にぴったりです。ですから、そのようなところで子供たちは、知的に学びすべてを整理整頓してそれをきれいにするのを学ばなければなりません。わたしは日本に来て“ほかに車も誰もいないにもかかわらず信号が赤なのでずっと待っている”というのを日本で見ました。初めて見ました。でも、マニラに行かれると、日本とはまったく違います。

日本のところがこうだというのかとかはわたしのこんな感じかたですけれども、フィリピンにはちょっとまた別の秩序があります。でも、神父様は、天主がそれをお望みなので、すべてを捨てて、すべてをそのまま残して、その命令に従おうとされています。とても良い模範を示されています。

誰もが、ここに来て、そして出ていかなければなりません。その例外はありません。
ドモルネ神父様は日本に来られて、また日本を出て行く。ファイファー神父も日本に来て、また日本から出て行きます。小野田神父も日本に来ていて、また日本から出て行く時が来ます。
司祭は、天主のためにすべてを棄て、ここを出て行きます。ドモルネ神父様は、天主様のためにすべてをやって、ここを出て行きます。小野田神父も同じです。

誰もが、この世界にやって来て、そしてこの世界を出て行かなければなりません。そのときに、わたしたちは天主の御前にいったい何を報告するでしょうか。“私は主のためにすべてをしました”と言うことができるでしょうか。でも、この世の人々は、天主のために何もせずに生きて、この世を出て行きます。まったくゼロです。この世に住んでいる皆さん、お父さんお母さんそして子どもたちは、すべてを天主様のためにやらなければなりません。司祭がやって来て、出てきて、みんなやって来て出て行って、その次はだれがこの仕事を天主様の仕事をするのでしょうか。若い人々は、このことをよく考えてください。そしてわたしたちは、この世から出て行ったときに、主に、この世でのことを報告しなければなりません。“主のためにこうしました。”と。

神父様はときどき私にEメールを送ってくださって、このEメールの交換をするときに、「日本語の勉強どうですか?」と尋ねると、こう答えがありました。
「はい、一生懸命やっています。何時間も何時間も勉強しています。今日本語の勉強をこんなにもしていました。」
それにもかかわらず
「さあ日本を離れて別なところに行きなさい。」・・・・・・

でも、神父様はそれをすべてそのまま残して、主の命令に、み旨に従って、日本を発ちます。
なぜかというと、神父様には離脱の心がある。被造物に愛着していません。そこで、これが天主様に奉仕するために必要なことで、どうして主のために仕事をする人、奉仕する人がこんなに少ないかというと、離脱の心を持っている人がいないからです。ほんとに少ないからです。日本の人はとても携帯で何時間も画面を見ているということで有名です。任天堂も有名です。

それでも、もしも主が、「おまえ、わたしのために仕えないか。」「仕えて欲しい。」と言ったときに、それらをすべて離脱して、すぐに、「ハイ!主よ、私はすぐにそうします!」と、神父様にならって仕えることができるでしょうか。

皆さんは、もしかしたらマリア様の御像の前で跪いてお祈りしたかもしれません。いったいどんなお祈りをしますか。
「マリア様、試験に合格しますように!」とお祈りするでしょうか。
「マリア様、デザートにシュークリームが食べられますように!」とお祈りするでしょうか。
それとも、みなさんは、
「マリア様、マリア様はわたしが何をすることがお望みですか?」
「マリア様、わたしはマリア様のために何をすることができるでしょうか?」
とお祈りすることがあるでしょうか。

もしも、そういうお祈りをするとしたら、それらは全く別なことです。もしも、主のみ旨がわかったら、「ハイ!そうします!」と言ってください。なぜかというと、それが離脱だからです。
そうしなければ、日本に司祭がいなくなってしまいます。
日本には、日本人のために働く司祭が必要です。修道者の召命がたくさん必要です。離脱の心を持つ若い人たちがたくさん必要です。

ご清聴ありがとうございました。


ローレンス・ノヴァク神父にインタビュー:主のぶどう園で奉仕した30年を祝う!

2024年04月20日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

主のぶどう園で奉仕した30年を祝う!
ローレンス・ジェラード・ノヴァク神父に編集部がインタビュー


“Apostle” SSPX ASIA DISTRICT NEWSLETTER, SPRING 2024, ISSUE NO 61
Celebrating 30 Years of Serving the Lord in His Vineyard!
An editorial interview with Rev. Fr. Lawrence Gerard Novak.

問1 神父様の家庭環境について簡単に教えてください。

私の家族は、私の人生における安定と熱意の最大の源泉です。私の家族の最大の特質は、何かをするという目的を持ち、それを成し遂げることだと、私は言いたいと思います。私の父は勤勉な歯科医でしたし、母はカトリック信者であり続けようと、そして同じ信念を持つ家族を育てようと決意した人です。

私には兄弟姉妹が7人います。私たちは8人です。男が4人、女が4人です。私は最後から2番目です。一番上の兄は聖ピオ十世会の司祭です。名前はケネス・ノヴァク神父です。姉妹の一人は聖伝のドミニコ会のシスターで、シスター・マリー・マルティン・デ・ポレスです。

私たちの家族の歴史を三つの部分に分けることができると思います。最初は、多くの家族の絆です。何年も前、私たちはシカゴ郊外に家を構えたほか、数時間離れたミシガン州にも農場を持っていました。その10年弱の間に私たちが持っていた緊密な家族の精神は、かけがえのないものになるのです。次の段階は、聖ピオ十世会との生活の始まりです。80年代の大半の間、聖ピオ十世会がシカゴにやって来て、そこでミッションを始めるのを、私たちは一致して援助していました。そして最後の段階は、私たちが教育の中で与えられたものを継続するために、それぞれの道を歩むようになった時です。私たちのほとんどは、両親から教えられたことに忠実であり続けました。

問2 最初に司祭になりたいと思われたのはいつですか?

私が3歳のとき、頭の病気が奇跡的に治りました。数カ月の間、気を失って床に倒れ込むほどのめまいの発作が続きました。医師は両親に、おそらく脳腫瘍か、頭に何か問題があるのだろうから、早く病院に連れて行くようにと言いました。その途中で母は、まずシカゴのダウンタウンにいるレオ・マクナマラ神父に見てもらいに行ったらどうかと言いました。マクナマラ神父は神秘家で、ピオ神父の同時代人でした。二人は直接会ったことはなかったものの、超自然的にお互いを知っていたのです。神父のアパートの教会には、ローマの殉教者、聖マクシミナの全身の聖遺物がありました。両親の話によると、私が聖遺物の前でしばらく過ごした後、神父は私の頭に手を置きながら、両親と話していたそうです。そして最後に、神父は、私たちに病院に行きなさい、しかし、すべての検査は陰性だろう、と言いましたが、これはまさに起きたことであり、もう二度とめまいの発作は起こりませんでした! それから数年後(1972年ごろ)、私が5歳くらいのとき、私たち家族は聖伝のミサにあずかっていました。現代のミサに行く必要はありませんでした。その司祭は、そのときでも聖伝のミサだけを捧げる60代の所属先のない司祭でした。そのころ、私はなぜか司祭になりたいと言い始めました。普通なら、そんな気持ちになる理由はありませんが、私はそうだったのです。マクナマラ神父と聖マクシミナが何か関係しているのだと、私は確信しています。

私が14歳のとき、聖ピオ十世会がシカゴにやって来て、ミサを捧げるようになりました。私は60歳より若い聖伝の司祭を見たことがありませんでした。いつもスータンを着ている聖伝の司祭も見たことがありませんでした。できるだけ多くの場所で聖伝のミサを捧げるために国中を飛び回って信仰を広めようとしている聖伝の司祭も見たことはありませんでした。私はこれら三つのことすべてに心を動かされ、天主がこのような形で私を司祭職に召されたのだと確信しました。私に同じことをするよう天主が望んでおられると確信したのです。当時、私は近代主義の高校に通っていました。私はその場所でつまずいていました。聖ピオ十世会の司祭たちは、とても新鮮な空気を吸ったようなものでした! 私は彼らと一緒にいることでとても安心していました。この時点で、自分の将来が私の前に開かれていくのを見たのです。

問3 神学校に入学するという決断を、ご家族は支持してくださいましたか?

家族は私の召命にとても協力的でした。実際、あまりに協力的だったので、時には、私が天主からの個人的な召命に応えているのか、それともただ「家族に従っている」だけなのか、見分けるのが難しいこともありました。お分かりのように、私の家族は、ミサを捧げるためにシカゴにやって来る聖ピオ十世会に深く関わっていました。父はミッションの信徒会長でしたし、母はミサを行うホテルの部屋ですべてを準備する中心的な世話役でした。自画自賛で申し訳ありませんが、私たちは素晴らしい仕事をしました。私たち、つまり母も兄弟姉妹も私も、そうするのが大好きでした。いずれにせよ、神学校に入学して数年を過ごすころには、私の未熟さが表れ始めました。私が神学校に行ったときは、高校を出たばかりの18歳にすぎませんでした。大学には行きませんでした。学位も取りませんでした。司祭以外の職業に興味を持ったこともありませんでした。私の目に星くずがついているようなものでした。するとその後、神学校に行ったのはただ「家族のため」だったのではないかと思い始めました。本当に解決困難な問題(頭のおかしくなった者)だったのです。

神学校の校長だったウィリアムソン司教様は、私がこのことで悩んでいるのを見て、神学校を去るように言うのではなく、向こうで私に任されるかもしれないどんな事務的責任も果たすことができるよう、聖マリア校で1年か2年過ごして「成長しなさい」と言われました。私は素直にそれを受け入れました。私はカテキズム教師とハウスファーザー(寮の管理人)になりました。ラモン・アングレス神父様が、聖マリア校の新しい校長として着任し、私にとても親切にしてくださいました。多くの時間を私と過ごし、いろいろな意味で私に自信を与えてくださり、私の疑問点の多くがいかにナンセンスなものであるかを教えてくださいました。そこで2年間を過ごして少し成長したあとで、天主が実際に私を呼んでおられること、そしてこれは単に家族を喜ばせたり、流れに身を任せたりする問題ではないことを、私は確信しました。

問4 神学生として最も大切にしておられる特別な時間や出来事はありますか?

神学生として最も大切にしている特別な時間を挙げるのは難しいですが、神学生としての2年目全体が本当に好きだったと言うことはできます。最初の1年間で、私は神学校の規律に慣れました。沈黙、黙想、大斎、そして家を恋しく思うことです。とはいえ、チャペルでのすべての時間や、聖体訪問は本当に大切なものでした。主日の晩歌、特に「巡礼者の旋法」(Tonus Peregrinus)の第5詩篇が大好きでした。ですから、私の背景にはそれがあったのです。そして2年目になると、若いころに一番好きだったことが大人になっても繰り返されるようになりました。神学校に行く前に、無私の心で私に教えてくださった男性、故ジョージ・ハンナ氏のおかげで、私はラテン語をかなり学んでいました。そのため、ラテン語の上級レベルにいたため、簡単だったのです。私は歌うのが好きでしたから、「聖歌隊」(Schola Cantorum)に入れられました。それも楽しかったのです。ウィリアムソン神父様(彼はまだ司教ではありませんでした)が哲学入門の授業と聖書の授業をしてくださいました。

どちらの授業も素晴らしいものでした。サッカーは間違いなく「神学校のスポーツ」でした。私は数時間プレーできました。仲間意識は最高でした。自分と同じように考え、自分と同じような人生の目的を持っている人たちとこれほど一緒にいたことはありませんでした。神学校は本当に居心地がよかったのです。ですから、神学校での訓練で最も大切にしたい時間があるとすれば、それは神学校の第二学年全体になるでしょう。

問5 叙階式の日に、どのようにお感じになりましたか?

感謝です! まず、それは私たちの誰もがこれまで決して受けることのできなかった恩寵だからです。でも同時に、安心したからでもあります。もし自分が司祭でなかったとすればどのような人生になるのか、という多くの考えが終わったのです。そのことは、もはや選択肢ではなくなりました。数回前のご質問で、聖マリア校での生活を終えた後、天主が私を召されていると確信していると申し上げたばかりですが、どういうわけか、悪魔はまだ私にそれができないと思わせることで、私を悩ませたかったのだと思います。ですから、叙階されるためについにその祭服を身に着けたとき、私はついにこの道に進むのだと安心し、もう後戻りはないのだと思いました。塹壕を抜け出し、前線を越える時が来たのです。「やるぞ!」と。

問6 さらに多くの熱意と信者への愛情をもって司祭職を続けるために、各国で神父様の心に触れ、神父様に影響を与えた最も忘れがたい経験をいくつか教えていただけますか。

私の赴任期間は、3年半のものが一つありましたが、他はすべて5、6年です。叙階された最初は、テキサス州エルパソに任命されました。それは幸運だったと思います。テックス・メックス(Tex-Mex)の米国人、つまり米国とメキシコの国境に住む、両文化を持つ人々と接することができたからです。米国人として、私はメキシコの人々の素朴さが大好きでした。彼らは、教会に行き、童貞聖マリアへの信心を示し、告解に行き、行列を行うときに、とてもエネルギッシュです。カトリックの信仰を公に表明することに関係することなら、何でもします。彼らはとてもいい影響を与えてくれます。司祭が午後のミサのために扉から入ってくるやいなや、告解のために長い列を作っていたのには感動しました。また、彼らはそれに真剣でした。告解がなければ聖体拝領もありません! ミサが終わると、子どもたちは皆、特別な祝福を受けるために、聖体拝領台のところまでやって来ます。

テキサスでの任務の一環として、私は米国のためのブラザーの修練院も担当していました。当時はまだそれほど大きくはありませんでした。召命はそれほど多くはありませんでしたが、私たちが得た召命は思い出深いものでした。特に覚えているのは二人の若者、現在のブラザー・グレゴリーとブラザー・アルフォンサスです。彼らの家庭の事情は全く異なっていましたが、ブラザーになることについてはとても真剣でした。私はよくこう思ったものです。「彼らはこれらの授業(神学校入学当初の私たちの授業と同じようなもの)を受けている。彼らはこんな訓練ばかり受けている。彼らは決して司祭にはなれないし、そのことを知っている。それでも、彼らは精いっぱい天主にお仕えしたいと思っている」。そのことが私の心を動かしました。このような謙虚さと、自分たちの人生は天主にとって意味のあるものだというこのような天主への信頼があり、何があってもその信頼を天主に捧げようとしていたのです。

私は、コンセプシオン・エルナンデス夫人という高齢の未亡人に定期的に病気見舞いをする機会に恵まれました。彼女は列聖されたメキシコの殉教者、ペドロ・マルドナド神父の姪でした。この神父はクリステロ戦争から10年後の1937年2月11日に、政府に殺されました。彼は、「この教会はメキシコ政府の所有物である」と記された紙に決して署名しませんでした。真剣でした。そこで彼らは神父を連れ出したのです! それは残忍な撲殺でした。行ったのは警察自体です。その日は一年の中で神父のお気に入りの日、ルルドの聖母の御出現の日の2月11日でした。彼女は、私に勇敢な叔父の話をするのが好きでした。それは私の心をとても揺り動かしました。

1999年の秋、私は慰めに満ちた出会いをしました。シカゴ地区で、心臓を患い、病院で死期を迎えていた高齢の司祭がいました。偶然にも彼は、1967年から1971年にかけて、マロン典礼で私たちのためにミサを捧げてくれた司祭であり、別の司祭が別の礼拝堂でラテン語のミサを始めるまで続きました。彼は何カ月もひどい体調でしたが、死にませんでした。その理由は、彼に聖伝の方法で最後の秘跡を授けることのできる人が誰もいなかったからであり、彼の小教区の司祭ですら近代主義の傾向のせいで授けることができなかったからです。私はたまたま2、3日家にいたため、病院に見舞いに行きました。私は彼に終油と使徒的祝福を授けました。彼はとても喜んで、私が帰る前に立ち上がってお礼を言いました。その2日後、彼は亡くなりました。彼はそれだけを待っていたのです。天主は祝されますように! それは慰めでした。私は、生まれたばかりの子どものころから3歳になるまで、彼のミサにあずかりました。彼と他の多くの人たちのおかげで、私はカトリックの信仰を持つことができました。そして、天主の御摂理の特別な恩恵によって、ついには、私は聖伝の方法で彼に最後の儀式を授ける司祭となったのです。

この後、オレゴン州での大きな任務がありました。それが5年ほど続き、その後は、米国外での任務を与えられました。これまでのところ、国外での任務は常に恩寵だと思ってきました。なぜなら、信者の群れに対する愛着は、自然のものよりも超自然のものに頼らなければならないからです。オレゴンの後、当時の総長だったフェレ―司教様は、私をメキシコ北部のゴメス・パラシオという町の小教区に推薦してくださいました。

そのような任務に私を考えてくださったことをとても光栄に思いました! しかし、正直なところ、言葉をもっと学ぶまで、そして文化を学ぶまでは、しばらくの間、現地で居場所を失った人のように感じました。そしてこのことが、これまでの司祭職における私のもう一つの大きな慰めなのです。約2年そこで過ごした後、私は米国で感じていたのと同じくらい居心地がよく、幸せだと感じました。それこそが、皆さんにとっての超自然の生活であり、それこそが司祭職なのです。それらは普遍的なものなのです。

そこでの忘れられない経験の中には、水曜日の午後のカテキズムの授業がありました。通常、人々は主日の一日にすべての宗教の務めを果たそうとします。しかし、ここは都市のコミュニティーではありませんでしたから、人々は教会からほぼ徒歩圏内に住んでいました。そのため、子どもたちは水曜日の放課後、自分でカテキズムの授業に出かけることができました。私がそこにいた間、子どもたちに多くの教育と養成を行いました。もう一つ、5月の毎日、修道院の外の中庭で、聖母への信心が行われました。一連が終わるたびに花を捧げるロザリオがありました。ロザリオが終わると、子どもたちは忠実だったことに対してチョコレートやキャンディーをもらいました。楽しいものでした!

この任務中に、コンセプシオン・エルナンデスの息子とその家族に会いました。コンセプシオンのことは、テキサスでの任務の前にも触れました。この家族は、メキシコのチワワに住んでおり、そこは私たちの修道院から北に6時間、テキサスから南に6時間のところでした。これは実は、マルドナド神父が1937年に殉教した場所にさらに近いところでした。このエルナンデス家は、私たちの教会で非常に活発に活動していました。私たちは非常に奇妙な状況にありました。私たちの教会に来ていたのは、マルドナド神父の親族の子孫だけでなく、神父の迫害者たち、つまり神父を残酷に殺した人々の子孫も、ちょうど通路を挟んだ向かい側にあるこの教会のミサに来ていたのです! 彼が死ぬ間際に迫害者たちのために祈ったことは、とても効果があったように思えます! 彼らはついには、神父の甥たちや姪たちと一緒に、聖伝のミサにあずかることになったのですから。

次の任地はベラクルス州のオリサバでした。ここはメキシコの南東部にあります。そこでの私の最大の楽しみの一つに、ドス・リオスというプエブロにある修道院付属のミッション教会の世話をすることがありました。そこは大人に対する子どもの比率が高いところでした。なぜなら、彼らはほとんどが農家で、親たちは子どもたちの手を必要としていたからです。私はその教会で、これまでで最も愛すべき教区民たちに出会いました。想像してみてください。土曜日の夕方のミサ(義務のミサではない)を終えて、その後、誰かの家に食事に行ったときのことを。その家は質素でした。土間。家の少女たちによって丸太の火(フエゴ・デ・レーニャ)で焼かれるトルティーヤ。そこにいたのは、とても聖化された素晴らしい教区民たちで、彼らはこのような状況の中で生活していました。それは私にとって大きな教訓でした。

それから3年半後、私は別の国、グアテマラに移りました。メキシコの南東に位置し、北米が終わって中米が始まる国です。この任地で最も印象に残っていることは、移動の多さです。パナマを除くほとんどの中米諸国に行かなければなりませんでした。ニカラグアは、共産党政権のあるカトリックの国です。共産主義者の盗賊が別の教会を襲撃し、さらに彫像や祭壇などを汚し、破壊したというニュースを定期的に目にします。でも私たちはそこに行きました。このような不幸な人々の中にあっても、私たちがそこで見た大きな信仰には驚きました。どんな迫害でもそうですが、残された人たちの信仰をさらに強める傾向があります。それは間違いなくそのケースであり、私には深く感動しました。

そしてついにシンガポールに赴任することになりました。とてもエキゾチックで、とても世界的に有名で、とても整って清潔でした。ラテンアメリカのさまざまな場所にいた私には、まるで地球ではない宇宙空間のように思えました。シンガポールの教会で印象に残っていることが二つあります。まず一つ目は、平日の毎日のミサに来ることをとても大切にしていることです。他の任地では、1週間のうち朝のミサに来るのは5人以下でした。また、夕方のミサには10人から20人が集まります。ここシンガポールでは、車を持っている人はほとんどいないにもかかわらず、朝のミサには30人、夕方のミサには別の30人が集まります。そんな様子は見たことがありません! 何かがこの人たちを動かしているのです。彼らは、平日に天主にカトリックの礼拝を捧げる必要があることを確信しているのです。おそらくそれは、異教に囲まれている彼らが自分の宗教を当たり前のものだと思っていないからであり、また、そもそも彼らの多くが異教を離れてカトリック信者にならなければならなかったからでしょう。もう一つ、この小教区について印象的なことは、さまざまなボランティアがこの教会で、いかに真剣に責任を果たしているかということです。ここに来る前は、人々が司祭を助けてくれることに少し慣れてはいましたが、これほど献身的に、特に無償でということはありませんでした。「あなたの宝のあるところには、あなたの心もある」(マテオ6章21節)。

おそらく、これらが壮大な経験のすべてではないでしょうが、彼らは、私の司祭としての務めを、もっと熱意と信者に対する愛情をもって続けていくために、私に感動と刺激を与えてくれたことは確かです。天主は祝されますように!

問7 司祭や修道者の召命を考えている人に何かおっしゃっていただけますか。

第一に、皆さんが天主を選ぶのではありません。天主が皆さんを選んでおられるのです。私たちは、「私は神学校に行くと決めました」「ずっと修道院に行きたかったから行きました」と話していますね。しかし、それは私たちの話し方に過ぎません。実は、呼んでおられるのは天主です。それが、(ラテン語のvocare=呼ぶ)に由来する「召命」(vocation)という言葉です。そうである以上、皆さんに「いいえ」と言う権利はありません。また、その次にあるのは、天主は、第一選択を受けるにふさわしいということです。「司祭や修道女になりたい」ということに確信がないとしましょう。大学に行って学位を取りたいと思うかもしれません。しかし、天主は私たちの第一選択を受けるにふさわしい方です。まず神学校や修道院を試してみて、うまくいかなかったら、次に、世俗的なキャリアを試してください。もしも、世俗的なキャリアから始めるなら、神学校に行くチャンスがなくなってしまうかもしれません。召命があったかもしれないのに、世俗的なものの追求に召命が邪魔されてしまったという可能性もあります。計算してみてください。1950年代には、何千人もの召命があり、司祭や修道者の居場所は常にありました。司祭の仕事には事欠きませんでした。しかし今、それに比べて司祭や修道女になる人の数は、かつての数パーセントにすぎません。あれだけの召命はどうなったのでしょうか? 天主が突然、人々を呼ばれなくなったのでしょうか? いいえ、男も女もそれに応えることにケチになってしまったのです。天主からの召命よりも、この世的な追求を優先してしまったのです。単純な数学がその疑問に答えてくれます。

この30年間の司祭職について、天主がたたえられますように! 確かに私はその日々に感謝しています。皆さんとこのことについてお話しできることをうれしく思います。私たちの祝された聖母なしにはこれは不可能でした。聖母は私たちの霊魂に、特に司祭の霊魂に御子を形作ってくださるお方です。こうして主の御国は広がっていくのです。聖母がこの召命のために私を用いてくださったのなら、聖母は多くの人々を用いてくださることでしょう。

皆さんに天主の祝福がありますように!


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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