Travel for Fishing and Music

徒然なるままの雑記集+

気分は楽な方向へ(2)

2013-06-24 15:19:04 | 日常
標準治療から外れましたので、貴方に提供出来る治療はありません。
とは、お世話になる某国立専門病院からは、時勢柄言われませんでした。
医師としては、年間何百人という患者の一人に過ぎない自分へのアプローチが明らかに変わった、わけではないのですが、
まぁ、他にも患者さんは居るし、役割分担はして行きましょう的なことは提案されました。

緊急時対応の地域の対応病院の設定、そこから先のケアの問題など、
まぁこの病気では普通に会話される内容なのでしょう、いろいろと道筋はつけて行くことにはなります。

それはまぁ良しとして、某国立にお願いすることは定期検査と多少テクニカルな処置、
それと現在検討している治験の相談などにとどまります。

それ以外のことは地元の病院でも対応可能なことはする、だけども積極治療はありませんので、
自分の病気の対応準備だけすれば、正直やることはありません。

ここでいろいろな考えがあるのですが、良く判らない代替治療やら、サプリメントやらは
興味も湧きませんので除外ですが、他にも多々ある治療も正直、面倒だなぁ、身体は大切にしながらいかないと
いざという時に動けんのじゃないだろうか、というシンプルな考えでいたほうが自分には良さそうだと、
「何もしない」を選択しています。

もちろん、痛みに対する痛み止め、症状緩和に対する投薬などは除きますが、
リスクを取ってまでする治療や薬というのが、結局無いんじゃないかと思ったので、
まずは健康な身体を維持する事(現状維持+)だけを心がけております。

「何もしない」は不安にならないか?ということも聞かれますが、
ちゃんとすることが出来たら、それはちゃんとしていこうと思いますが
進行がんであっても、いまの自分は「何もしない」。
積極的にするのは、「入れる(食べる・吸う)」「出す(便・吐く)」「動く(運動)」「寝る」こと。
当たり前ですが、基本が出来ていないと何も出来ませんからね。

あとは出来る限り、遊ぶことだろうな…。
酒の席も無くなったのはちと辛いが、まだ出来る遊びは結構あるし。


気分は楽な方向へ(1)

2013-06-24 14:51:15 | 日常
6月は思わず、ほぼ全休となりそうだ。
転移再発からこっち、肝臓機能の低下は見られるのだが、
胆管を塞ぐようになり、胆管炎の症状がちらほらあった。

で、念のための入院が一旦空振りし(笑)、
会社に一日出勤した際に熱が出て来てあえなく入院となりやした。

現在は退院しましたが、PTCD(経皮的胆管ドレナージ)でちょい人造人間。
まぁ、当初はドレナージも2箇所、3箇所と脅されていたので、いまの状態はまともなキャシャーン状態。

それはまぁ何とかなるとして、肝機能の低下により疲れやすく、戻りも遅いというまぁそこそこ辛い感はあります。
勤めも正直フルタイムは無理で、在宅や時差出勤にて対応していくようになるかと思われます。
微妙な痛み(疼痛か)はロキソで押さえられている状態です。


で、いろいろ考えておりますが、抗がん剤の始め時、止め時なんてのも
がん治療者にはあるのですが、始め時は何も判りませんので、こちらは医師主導ですが、
止め時は、自分の場合単純に「効かない」というどうにも粘りようの無い理由で止めています。
正直、最後のS-1は今も時折顔を出すくらい、怠さが酷い後遺症となっています。

一般的に抗がん剤の奏功率は10~20%程度と言われていますが、
その中でも自分の抱える原発癌は選択肢が無いので、ワン&オンリーで、さよなら抗がん剤!です。
フルドープになったらどうしようか、等と考えていた自分が馬鹿馬鹿しい程です。

そうなると標準治療からは外れましたので、
昔でいうと「癌難民」としてのデビューですが、
自分的には、むしろ気持ち的に楽になってきました。

発病してよ~く判ったのですが、この病気はまだまだ解決には程遠い病気です。
それは医師や研究者が直そうと思う気持ちとは裏腹に、病気のキャラクタ依存が大きく、
「誰にでも効く治療・薬」の出現にはまだしばらく時間が掛かるという事です。

もちろん抗がん剤で効く人もいらっしゃいますし、
代替治療で成果を上げている方もいらっしゃいます。
それでも、標準値の幅が異常に狭く、当てはまる方の割合は抗がん剤の奏功率程度かと思われます。

理想は風邪薬のような副作用も殆どない薬の開発みたいなものかな、と思いますが、
まだ科学や技術はそこまで達していないというのが現実ですね。(まぁ、製薬会社のあり方なども問題あるのかもしれませんが)


そうなると単純な自分のような人間は、早々に切り替えてより楽な方法で日々を生き抜く方法を取ります。
それは…「ほぼ何もしない」。

身も蓋もないので、続きます。




CT110雑記

2013-05-10 21:38:48 | 完全雑記
病気になってから、というわけではないが、
急にバイクに乗りたくなってきた。

昔はまぁ、若気の至り的な感じでバイクは乗っていたんだけど、
結婚してからこっち、バイクどころか愛しい車も手放してしまった。

まぁそういう時期もあるわな、と思っていたが、
取引先の担当者が、所謂ミニ4stに凝っており、それがとても楽しそうだった。

しばらく、その方から色々な話はきいていたが、
自分的にはそんなに弄ることはしないかなぁ、ということと、
乗るならミニ4stでもフルサイズが欲しかった。

そこで白羽の矢を得たのが、現在の愛車のCT110。
まだ慣らしも終わっていない。(泣)
現在までのところ、12Vだけは済んでいるが、快適装備や
走りに関する改造点がない。

極端な話、街中で走る分には今のままでも良いのだが、
せっかく原付2種なのに、ハイギアードスペック(なんせAUSの牧場バイクだから)
ドリブンスプロケが45Tだと、原付50と変わらずの走行レーンを走らざるを得ない。

だもんで、これは直近で交換する予定。
ついでに、ラバーステップも、と思っているが、今のステップのスタイルが好きなので、
セキュリティ装備(!)に金を使わんとイカンね。
なんせ、ハンドルロックも、タンクキャップも鍵ないからね!
盗んでください!って言っているようなもんだ。
いまはワイヤーロックをグルグル巻いているが、タンクは幾らでもガソリン取り放題です。

というわけで、外観に関してはなるべくノーマルをキープするのがコンセプトで、
無意味にどデカいブレーキランプ等は、逆に使い続けたいパーツであろう。

まだ身体も慣れていないので、長距離も難しいが、
ご近所の小物釣りに活躍してくれる、そんな予感がしております。



体調その他

2013-05-06 18:22:40 | 日常
すでに5月。
GWの最終日となった。

前半に高熱を若干ながら食らったが、
薬の影響がありありで、2日ほど早めに休薬とした。
その影響もあってか、体調はかなり良く、身体の動きが1.5倍速くなり、
いろいろな面で助かったかな。

ただし、肝臓への負担が大きく、
疲れやすさは相変わらずで、多少基礎体力が上がった分だけまともな感じ。
仕事で夕方くらいがマックスで、脳にエネルギーを持っていかれる感じが良く判る。
とにかく甘いもので血糖を少し上げて、塩分(ポカリ程度のミネラル)も加えて、
ようやく動けるようになる。
人間の身体とは結構シンプルなんだな、と実感する。

やはり薬の影響は大きく、蓄積してきているなぁ、という判断がつくように。
まぁ、効きもしない薬を続けるよりはマシなんだろうが、
フルドープに近いところまでやれるか、まだ様子見しながらだろうな。

ただ、投薬中でも気の持ちようでQOLは上げられるし、
仕事も自宅勤務(自宅防衛隊じゃ)日も設けるなどして、少し余裕は出てきた。
投薬2W/休薬1Wというペース、身体的には合っている。
効いているかどうかは、今月のCT待ちかな。


休み中は子供とよく遊べたし、日常運動も良く出来た。
ただ、本格的な釣り復帰にはまだ体力が続かんし、こちらは無理せぬように。
現場で熱位ならまだ良いが、何かあるとさすがに自由な活動も取り上げられかねない。
酒も飲めんし、釣りも出来んが、レコード聴いたり、バイク乗ったり(あくまで近所だが)で
気分転換し、免疫力は上げていかんけんね。

出来ること

2013-03-11 21:00:16 | 日常
今年は東北に遊びに行く。
出来る事はやらにゃ。

今の自分は考え様により、日々余生。
だから出来る事をする。
無理な事はしません。

秋の東北なんて魅力的。
この季節に行った事無いし。
美味いものを喰らうぞ。

ちくまに世話になる

2013-01-18 22:24:26 | 完全雑記
去年、最初の入院からまぁ良く本を読みました。
普段から興味のある物を片っ端から読む乱読ですが、
読み返しも含め、70冊位は読んだ計算。
まぁ時間はあったからね。

中でもちくま文庫には世話になった。
読み切りの良いエッセイやら紀行文が充実して
いるし、普段読まない文学書も結構楽しめた。

一番の収穫は高田渡の「バーボンストリートブルース」かな。
2年前ほどから高田渡が、マイブームになっていたのは、
ちょうど氏が亡くなった後に、吉祥寺のいせやで飲んだ事で、
あぁもう高田渡は居ないんだ、などと思って、
ちょっとしみじみ吉祥寺で飲んだ。
非常にシンプルな酔っ払いとして尊敬していたんだけどね。

著書にはそんな酔っ払いらしいエピソードや、
逆に真面目な氏の考え方が綴られております。快著。
同じちくま文庫に酒とつまみ編の「酔客万来」
にも高田渡との座の様子が有ります。
こちらも当然面白い。


その昔から、ちくま文庫には酒飲みが必ず読む
所謂「呑み読み」系の文庫が多数ある。
そんな本を読みながら、リハビリし、仕事し、治療しております(笑)。

はやるきもちと現実

2013-01-06 21:48:22 | 日常
この正月は良く休んだ。
というより、退院後の休養を含めると実に一月の休暇。
それが明日から出勤です…。
社会復帰、イマイチ乗り気じゃないぜ。

この間にやっていたことと言えば、もちろん休養とリハビリ。
ほぼ毎日3km弱を歩いておりました。
およそ一月前まで入院していた身で、結構な切り傷もいただいていたので、
腹回りが言う事聞かないことったら、なかったなぁ。
常に筋肉痛のような感じで、同じ姿勢でいるといまでも固まってきます。
そんな弱々しい感じで、町内を腰を曲げて歩いておりました。
奥さんや娘が同行してくれたりで、それは助かりましたけどね。


ただ、今回の病気は完治しませんので、
うま~く付き合っていかなきゃいけないのだけど、
その最たる心がけが、運動なんだと思っております。
食事もかなり替えておりますが、そこだけに正解は無いんじゃないか、と
直感で感じているので、この休養期間はそんなこともあり、それなりに頑張ってみた次第。

2月からは復帰に向けての本格的トレーニング開始が、
主治医に許可されているので、その辺は前向きな気持ち。
が、3日後からは化療が始まるので、この辺の状況次第でまた食事なども変わってきそうです。
まぁ、気持ちが萎えるといけませんので、運動だけは死守したいと思います。
仕事は、まぁ暫くは様子見で…。

年の瀬となり

2012-12-31 16:03:42 | 日常
2012年12月31日にもなって、
しばらくイジっていなかったブログを更新してみる。

今年はいろいろ有りすぎた。
病気を患い、入院~手術。
仕事でボロボロだったかもな~、というところで、
タイミング良く身体が悲鳴を上げた。
後治療も続いている。

仕事中心の生活ではあったが、段々歳を取っていたんだと思うが、
蓄積したものが病気になるということが、良く判ったというか思い知らされた1年。
まぁ、これからは必然的にペースダウンを余儀なくすることになります。


今年前半は新幹線に乗って景色をみていたようなものなので、
実はあんまり記憶に残っていないのだけど、福島へ用事で出かけたり、
東北方面に2度ほど行く事が出来たことが印象に残る。
まだ何も進んじゃいません。解決なんてしていません。
もう少し何かが進んでいるかと、無責任にも思っていたんですけどね。
まだまだ自分達で出来る事があれば、支援しなきゃいけませんよ。本当。
この点では、来年は東北旅行をしようと思っております。
うまいものたくさん食って、お金使います!

後半はほぼ入院と療養だったので、つい最近のこと。
仕事も有給をフル取得だし、初めて休職もしてみました。
そんで気づいたことは、「自分なんかいなくても会社は回る」、
そして「自分の仕事は同僚や部下に回せばいい」、
最後に「同僚や部下は積極的に休ませる」。
このことに気付いただけの価値はあったかな。

日頃のルーチンの枠の中で考えてたんでしょうけど、
少し(というかかなり)引いたところで考えれば、
当たり前のことばかりなんですけど、凡人ですからね。
状況を離れてみないと判らなかったんですね。すまん、同僚・部下…。

同時に、いかに仕事しないとか、他の価値ある仕事をするかとか、
仕事をしない間に良く考えました。
絵に描いた餅になる可能性はありますが、限りある時間なので、
実行していくかなぁと年末に凡人が考えております。



イノベーティヴで有り続けること: スティーブ・ジョブス逝去に寄せて(1)

2011-10-10 10:06:20 | 訃報
先週、アップルのスティーブ・ジョブスが亡くなった。
アップル歴約20年の私だが、近年は何かと生活に忙しく、
最新のアップルに触れる機会もなく、何と無く周回遅れのアップルユーザーとして
日々を過ごしていた。


遡ること、四半世紀。
時はまだプラザ合意、バブル前夜の頃だと記憶しているが、
同級生が持っていたアップルⅡのコンパチで当時恐ろしく最新鋭のゲームが
彼の自宅のモニターで展開されていた。(その彼はマニアだったな)
私は彼のそのマシンが欲しかったが、コンパチと言えどもまだパソコンなどは
中学生には高嶺の花、私のような貧乏な家では所詮無理な話だった。

当時、パソコンというよりは、マイコンと呼ばれていたコンピュータは、
「マイクロコンピュータ」という本来の意味に営業的な意味を付帯した、
「マイ・コンピュータ(個人のコンピュータ)」という日本語的な意味を持っていた。

当時日本のPCの王者はNEC。
その頃を過ごし、仕事に遊びにNECのコンピュータを使ったユーザーは
とにかく大メジャーなNECを使用していたと思う。
まだOSに名前など無い時代に、アップルは「マッキントッシュ」をリリースした。
(スーパーボールでのCMは「1984」だったが、当時衛星中継はCMは流さなかったはず)

私が未だに忘れられないのが、マックのOSはその時既に「表情」を持っていたことだ。
より人間らしい表現である「Hello」は当時としては考えられないというか、
私の知る限りのSFの世界のことだった。

まだ私が関数電卓でさえ手にする前のことだ。
ほぼ全ての機能がマウス一つで行えるなんて、あり得ないことだった。
二人のスティーブの本当の凄さは、インターフェースへの異常なまでの拘りに尽きる。

私は、友人のコンパチでも十分だったと思ったが、
こんな世界があることに興奮したし、身の回りの日本製のPCがまだ創世記の中で
あったにも関わらず、こんなマシンが出たら誰もNECのPC-XXXXなんて買わなくなる、
そう確信もした。(そうなるまでに物凄い時間が必要だったが)


私とマックはその出会いはリアルタイムであったが、
まだインターネット等もない時代に、情報はあまりにも少なく、
当時のマックが100万円以上もする高級なコンピュータであったこともあり、
手に触れたのは、キャノンのショールームで本当に少し「触れた」だけであった。
高校生の私はとにかく音楽や他のことに夢中だったので、コンピュータなんて役にも立たない
ものは頭の片隅に追いやられていた。

しかし、日本の地味なメーカーの甲斐甲斐しい努力は、
「パソコン通信」というネットワークを生みだした。
アナログの電話回線と、当時アメリカでIBMのOSとしてほぼデフォルトとなっていた
「DOS」を持ってサーバーへアクセスし、メッセージを残し、それらにコメントが追加
されるという、掲示板システム(大きく捉えればSNSの走り)と同じような仕組みの
ネットワーク・コミュニケーションが趣味性の高い人々のツールとしてちゃんと機能していた。

そこにはマックは入る隙間も無かった。
あまりにも高すぎる価格で、その使用用途はかなり限られていた。
インターフェースが恐ろしく素晴らしいのに、実用的なアプリケーションはまだなく、
しばらくするとスプレッドシートが秀逸だったマイクロソフトが、
「ウィンドウズ」というOSで世界を席巻することで、景色がガラリと変わった。

当時、記憶が確かならマックOSはバージョンが6になったばかりの頃。
優れたインターフェースはまだDOSには無かったから、高嶺の花とは言え、
まだ私の中のPCと言えば、マックであったし、初めて見たウィンドウズのインターフェイス
を見た時、「やはり優れたものはすぐに真似されるなぁ」と子供ながらに思っていたものだ。
この頃、ジョブスは自分の連れてきた「経営者」のスカリーにアップルから追放されていた。


私の大きな転換点は、1999年の秋にやってきた。
その年、私の好きなThe Rolling Stonesが久々に活動を開始し、ツアーを行うとのことで、
私は当時、日本に入れそうにもなかったバンドを見るため、アメリカへ渡った。

初めてのアメリカはとても興奮した。
Stonesのライブチケットの何もなかったが、無事に2回見ることが出来た。
この時偶然お世話になった方(チケットを譲ってくれた方)が、
コンプマートというPCを含む電気屋さんのチェーン店で働いており、
後日、食事をしようということでこの店に出向いたのだが、
そこにはたくさんのPCコンパチ機があの「旗」をなびかせる画面を映し出していた。
アメリカでは、時代はウィンドウズのものだった。
とにかく安く、必要な装備を備え、ビジネスにも使える(中間管理職となった現在でも
エクセルだけは、代替えが利かない感がある)マシンが時代を席巻していたのだ。

その店の片隅には、あのベージュ色の筐体のリンゴマークのマシンがあったが、
当時のアップルは「ニーズ」を追える程垢ぬけていなかったし、
革新性を売りに出す程、自身も革新している状態ではなかった。
製品のデザインもいかにもプロダクト・アウト的な状態だった。
唯一、マシンが追い付いていなかったが、QuickTimeだけが輝いていたように思う。

この頃、オフィスでは一人一台のPCを持って仕事をする時代に入っていたし、
汎用機の処理をPCが行えるようになったり、制御系のプログラムのDOSベースから
ウィンドウズへ変換していた時期で、この後生産機械を扱う仕事をするように
なってからは、随分と世話になった。

そして、何より時代はこの後ネット時代に突入することになり、
自宅にPCがあることが当たり前のこととなる。
その前に、個人的にはUNIXとの出会いがあったが…。



この夏を過ごして

2011-09-02 20:25:43 | 日常
うむ、まだ台風は抜けきらず、
関東でも蒸し暑い感じがありますな。
蝉は完全に初秋の感じにはなったけど。

いや、しかし。
この夏の節電、本当に効果あったのか?
自動車業界、本当に節電したの?というような疑問が満点なんですが、
一応、自称「公式発表」では、「達成した感じ?」みたいなことらしいです。

実は平均で15%は楽にクリアしているのは、
民間人で、モラーな私でもわかるのですが、
「ピーク時の電力は本当のところどうなのか?」というところは、
東電、東北電力という節電地域は、やはりアウトだったという結論です。

これは東北電力がかなりのウェイトを占めますが、
それをリカバリー出来なかった東電地域(我々、関東域)の
節電の結果がやはり駄目だったというしかないと思います。(あくまでもピーク時)

でもね、これだって、およそ数百キロワットの差か、誤差の範囲かもしれないんですけど、
そんなの東電が大っぴらに宣伝する訳にもいかず、かなり無駄な努力だったな、という
感が残って仕方がありません。
だって、東電にしてみりゃ節電したって、節電しなくたって
いまさら企業的には関係ないし、モラルハザート的にポーズは必要ね、みたいな…。
儲からないし、儲けようとしても批判されるし、どっちにしても関係ないという不条理。

我々、日本人って損なだなぁと思うのは、
日本人としての権利も、地方自治体に属する権利も、
結構なところで蔑ろにされているわけで、そこに絡む利権団体やら、個人やらに
左右されて、こんな事態でも相変わらず変わらずに、ノホホーンとしていられる。
日本人ってここまで緩いんだなぁ、と日本人当人の私が思うくらい、
嫌な幸せを感じます。


来年以降、私も考えていこうかな、と
計画と勝手な妄想と実現する手だてをシミレーションしてみるか、と
正直、正直思わずにはいられない初秋であります。
あっ、今年の暮れ辺りから本格的に英語のレッスンを再開する予定です。



夏は夏らしく、今年はシイラを楽しめました。
友人は持病で手術をしましたが、昔に比べればやはりカテーテル治療や、
内視鏡の技術が普及しているようで、無事で良かった、負荷が少なくて良かった、と
思った次第。
子供もこの春から砂場遊びなどは控えておりましたが、
夏に避暑かね、出かけたキャンプで成長したようで何より。
子供が凄いところは、「来年はどうしようか?」と
前向きな計画を考えられる点につきます。
良い付き合いの出来る、子供の友達家族の存在は大きいです。

さて、台風も無事去ったら、
秋のシーズンを始めましょうかね。