ときぶーの時間

募金の受付先 東邦銀行 安積支店 普通0644994 名義がんばる福島
みなさんご支援宜しくお願いいたします。

3月の終わりに

2024-03-31 11:20:26 | 日記

みなさん、こんにちは。

今日で3月も終わりですね。

NPOがんばる福島では、新しく軽トラックを買うことを決めましたが、2月から探していてようやく3月4日に購入することができました。

 

松ちゃんちでは、キツネが出没し何やら合鴨を狙って来ているようでした。

松ちゃんの話では付近にはキツネが4~5匹くらいいるらしく、ある日の夜中に鴨たちの鳴き声がおかしいと急いで懐中電灯を手にし、駆けつけると尻尾の立派なキツネがさっと逃げて行ったので、金網で柵を覆い保護することになりました。

「あのキツネはこの辺の主だと思うな。あんな立派な尻尾見たことない」と松ちゃんは言ってました。

体格もキツネとしては優秀ないでたちなんだとか。

 

餌や水を与えるときに留め金を外し、上に持ち上げて終わったら戻して留める簡易タイプです。

 

これで安心したのか?雌の6羽が卵を産みだし、鶏舎は今、卵だらけになってます。(笑)

 

今回は28日から30日にかけて泊りがけで決算のことなど話をしてきたわけですが、29日は、前日の夜から台風のような強風と大雨の天気で午後2時まで作業ができない分、きっちりと話せたことは良かったかな。

大雨で滝ノ沢橋からすぐ入った場所の餌やり場が使えなくなってました。

まるで沼のようでしたね。

 

なので一番奥の水没していない、ぬかるみの少ない餌場に大量の餌を置きました。

午前の部の餌と午後の部を合わせると結構な量になります。

 

餌やりを終えて午後3時に保険屋さんとの契約、その後に東邦銀行と郵便局に回って、最後は叔母さんの家に顔出し。

 

僕もこのお二人には、本当に良くしていただいています。

おばさんが差し出してくれる総菜やごはんは本当に美味しくて毎回、感謝しかありません。

もうね、絶品の域なんですよ。

漬物はさすがに商売でやっていたので文句なし。煮物、炊き込みごはん、何でもおいしいんですよ。

この日も、いろいろといただいて帰ってきました。おじさん、おばさん、ありがとうございました。

その後は松ちゃんと別行動。

彼は夕暮れまで畑作業をやって帰ってきました。

この日は午後からの活動でしたので予定が目白押しになり、午後からハードな1日でした。

 

夕飯の写真です。

 

明日から4月。年度変わりですね。

皆さんには良い新年度を迎えられますよう祈って本日のブログとさせていただきます。

本日も、お付き合いくださりありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

回想の続き

2024-03-14 05:06:45 | 日記

みなさん、おはようございます。

今日は松ちゃんが2014年3月に招待されてフランス、ドイツに渡欧した時のことを書きます。

まず最初にこのイベントは松ちゃんの友人、フランスのフォトジャーナリストのアントニオ・パニオッタさんが数か月かけてスケジュール等を組んでくれたのです。

ラジオ番組に出演 2014年3月 アントニオさん撮影

 

TV出演前のメイク中 2014年3月 アントニオさん撮影

 

スタジオ入りする前の松ちゃん 2014年3月 アントニオさん撮影

 

福島原発の事故後のヨーロッパでは、日本が起こした原発事故のことを大きなニュースとして取り上げていました。

旧ソビエト連邦(現ロシア)が起こしたチェルノブイリ原発事故は日本でも大きなニュースになりましたが、広大な国土を持つ大国ロシアと違って小さな国同士が隣接しあっているEUの国々にとって、そして自国で原発を有している国にとって日本の福島原発事故は他人事でないニュースだったと思います。

 

講演会  2014年3月 アントニオさん撮影

当時、ドイツのメルケル首相が福島原発事故後、2011年7月にドイツ国内の原発撤廃を決定しましたから、福島原発の事故はドイツで大きな波紋を広げていたようです。

ドイツのメルケル首相は自国の原子力発電所が陸続きのヨーロッパで事故を起こしたら、国が亡びるような大惨事になると考えたようで英断を下した。

その後、メルケル首相が日本に来日した時、当時の安倍総理に「日本は福島原発事故を起こしたのに何故、原発を撤廃しないのか?」と詰め寄った話は有名です。

 

 緑の党の議員さんとの記念写真 2014年3月 アントニオさん撮影

 

帰国後松ちゃんに、そのドイツの状況を聞いてメルケル首相がその決断をしたことに納得しました。

隣接するフランスの近くに流れるライン川のそばに原発があり、福島のような事故を起こせば隣国のフランスに損害賠償をしなければならない。

原発の近くにはフランスが誇る見渡す限り広大なブドウ畑があったと松ちゃんから聞いた。

事故を起こせばワインの名産地の賠償だけでもとんでもない金額を保障せざるを得ない。

 

核最終処分場前でのデモ行進に参加  2014年3月 アントニオさん撮影

 

打ち上げでしょうか? 2014年3月 アントニオさん撮影

 

ワインの知識を持ち合わせていない僕でも1本何百万円もするワインがあるのは聞いたことがある。

それはビンテージ物だと思うけど、何千円~何万円のワインでも大変だろう。

原発事故を起こしたら放射能汚染で生産地は何十年も生産できなくなるだろうから、その賠償額はとてつもない金額になる。

国の存続が危ぶまれるって、そりゃそうなるよなって思った。

日本は周辺を海に囲まれているから隣国と陸つづきのドイツとは大きく違うけど、日本も原発でなく海外で評価されている新型の高性能火力発電所に変えてもらいたい。

この新型の火力発電は大気汚染物質の90%を除去し、水を使わない排煙脱硫装置を導入し、SOx、NOxの排出量は主要先進国と比較しても、一桁低い極めて小さい値となっていて確か、以前の発電よりパワーアップしていてしかも省エネで世界トップクラスの石炭発電なのだと聞いた。

 

ドイツの首相が原発廃止に舵を切ったので、隣国フランスで反原発を訴えているフランスの政党 緑の党の方々が福島原発事故被災地で活動している松ちゃんを今回、反原発の騎士として招待してくれたのです。

このようなミニ集いの写真たくさんた~くさんありました。2014年3月 アントニオさん撮影

 

どこに行ってもマイクをもたされてますね。2014年 アントニオさん撮影

 

移動に次ぐ移動で電車に何回も乗ったと聞きました。2014年 アントニオさん撮影

 

松ちゃんは帰国後、分単位のスケジュールで滅茶苦茶ハードな遠征だったと言っていました。

その期間は約3週間でした。

アントニオさんの写真には現地の農家さんや蓄主さんとの交流、ワイナリーの当主さんとか、他にもたくさんの人たちとの交流写真がありました。

TV出演やラジオ番組収録、新聞の取材、数々の講演会と各地を回り、様々なスケジュールをこなしてきたのです。

EU連合会議にも出席したようなことも言っていましたから相当なものです。

 

2014年3月 アントニオさん撮影

唯一、観光した時間じゃなかったのかな?フランス パリの大聖堂に行った時の写真。

 

2014年3月 アントニオさん撮影

松ちゃんは「あれはものすごい時間をかけて建てられた建造物だった」って感心していました。

フランスにはいくつもの大聖堂があるんですね。パリの大聖堂しか知りませんでしたので勉強になりました。

 

松ちゃんは、新聞の一面に大きく報道されたり、TV放映されてから反響があって毎日、毎日、その地元の人たちが会いに来てくれたと喜んでいました。

アントニオさんが撮ったたくさんの写真を見て今回は、本当にハードなスケジュールだったと思います。

これだけ大掛かりなスケジュールを組むのに大変だったと思います。アントニオさんには本当に感謝したいです。

アントニオさん、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

2013年5月 アントニオさん撮影

松ちゃんが帰国してから被災地では灰色の町と変貌した生活が始まりました。

黒い袋の中身は放射能汚染物です。

 

2013年5月 アントニオさん撮影

2013年に除染作業が始まり、2014年以降は郡内以外でも本格的に除染作業が行われていた。

福島県内なら中通りの地区までは除染作業がなされていたと思います。

僕たちの双葉郡は国が除染、その他は各市町村が実施。

2013年5月 アントニオさん撮影

福島県内でなら、どこに行っても見られた黒い汚染物袋置き場

富岡の海岸でも、道路わきでも、兎に角どこにでもあり見慣れた光景でした。

あまり見慣れたくなかったですけどね。

しかし、本格的に除染されたので2024年の富岡町では、今も除染作業中の帰還困難区域以外に汚染物用袋の山があるところは見なくなりました。

未だに完全には除染が終わってないんです。

2013年5月 アントニオさん撮影

松ちゃんに保護されて落ち着いてきたのか、安心したのか?この年、初めて卵を産んだモモとさくら。

僕も興奮しました。

灰色の町の中でも、こんな嬉しいニュースに巡り合える。

 

2013年5月 アントニオさん撮影

保健所行きの一歩手前で松ちゃんに保護された2匹のうちの1匹 名前はシロ

来た時は目に病気があって汚い顔してたっけ。(笑)

 

2013年5月 アントニオさん撮影

人懐こくて可愛かったシロ。

お客さんが来ると必ず膝の上に乗って、お客さんが帰るに帰れないようにしてた。

人間大好きで愛嬌がメチャクチャありましたよ。

 

2013年5月 アントニオさん撮影

のちにシロさびとまつちゃんという写真集が出版されたのだけど、松ちゃんと散歩する2匹は本当に可愛かった。

ダチョウのモモ、シロとさび、ポニーのヤマ、みんな本当にアイドル的存在だった。

僕も動物たちに癒されて、この十数年生きてきたんだなと、ふと思う。

動物たちに感謝です。

 

2013年5月 アントニオさん撮影

軽いものでも200~300kgのわら餌をこのように体全体を使って運んでいたのだから、ついに松ちゃんの膝が悲鳴を上げたようです。

今、膝の具合が悪い。それも相当悪いようだ。

膝に力が入らず、階段や坂を上るときに辛いらしい。

 

去年あたりから二人でじじい談義をしている。

やれ、ここが痛いとか、まず体や健康のことばかり話すようになった。汗

まだまだ続くNPOがんばる福島の活動、これからも健康に留意して活動していきたいと思います。

今回、震災直後から2014年までの3年を、アントニオさんが撮った写真を見ながら振り返って書いてみました。

この辺で回想は閉じて、これからは2024年の今を書いていきます。

みなさん、今日も長々とお付き合いくださいましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

回想の続き

2024-03-13 05:06:22 | 日記

みなさん、おはようございます。

今日は、動物の保護以外に松ちゃんが活動して来たことを書きます。

それは原発事故被災地の現状を伝える広報活動でした。

彼は毎日、海外メディアのスタッフさんに追いかけられるほど、当時は時の人だった。

それは一つの会見から更に顕著になった。

2012年2月28日 アントニオさん撮影

彼は強制避難区域の現状を話すということで東京丸の内にある日本外国特派員協会にて会見が開かれた。

彼はここで福島原発事故で強制避難区域となった現状を全世界へ発信した。

そしてこの時、各国の記者からいろいろな質問を受けた。

外国人記者からすれば彼の一挙手一投足 話したことは当時、値千金の情報だったと思う。

理由は日本のマスコミが強制避難区域の現状を一切報道しなかったため、動物を保護するためたった一人でそこに住む彼の貴重な生の声が聞けたからだ。

松ちゃんはこの頃、日本のマスコミが政府と東電に忖度して福島原発事故被災地のニュースを一切報道しないことに苛立ちを感じていたから、世界のメディアが頼みの綱だったかも知れない。

だからこのあと日本では無名だったが海外では有名になった。

海外のイメージは福島=放射能=墓場くらいに思っていたのかも。

それほど醜悪なイメージ(放射能=死)を持たれていたのも日本のメディアが鉄のカーテンをして報道しなかったからだと思う。

 

2012年2月28日 アントニオさん撮影

松ちゃんは会見中、かなり緊張していていたが多くの質問に答えた。

記者たちもノートを取りペンを走らせていた。

 

会見をすべて終えたとき、さすがの松ちゃんも「いやぁ~緊張して何言ったか覚えてねぇ~」って言ったから、変なこと言ってなかったよとフォローした。

しかし、この会見がきっかけで海外メディアの取材が殺到することになった。

それは本当に凄かったです。

ここの会見場には60人はいたと思う。記者がパソコンで松ちゃんの通訳が話したことを即母国に内容を発信していた人もいた。

福島第一原発は4基爆発したのだから、チェルノブイリ原発事故より大きな事故とみられていたのだろうと思った。

 

2012年2月12日 アントニオさん撮影

会見時間が終了しても彼の所には多くの外国人記者が寄ってきて、時間内に聞けなかったことについて聞いていた。

当然、青い目の方が多かったのだが日本人?と思っていたら、中国、韓国など隣国の方もいて、福島原発事故について真剣に聞き出していた。

 

話を変えて国内でもいい出会いがありました。

僕が何度目かの避難先でブログを通して「どうしても松村さんに会いたい。もしくは応援させてほしい」との連絡を受け、僕はその人に会った。

彼女は被災地の動物を救助するだけのためにハイエースみたいな大きなワゴン車を買い、ご主人と何度も原発事故被災地に入り僕らのふるさとの犬たちを保護してくれた人だった。

話をしてみると原発事故現場に近いところまで行って犬を10匹保護してきたとか、トヨタのあるところの前でとか聞いて、場所も僕が知っているところであり、本当にやってくれている人だとを確信しました。

50匹くらい保護して知り合いの動物ボランティア団体に、その子たちを預け面倒見ていただいた。

彼女の家に招かれたときにビックリしました。家の中に13匹の犬が居たんだ。僕は老犬の里親になって1匹だけで悲鳴を上げているのに、ほんとうに凄い人だと思った。

それで、それが縁で彼女Yさんが入っているNPO団体の協力を得て福島の今を知ってもらう活動と、被災地の動物のための募金活動をすることができた。

2012年2月12日 アントニオさん撮影

横須賀中央駅前広場にて写真展と募金活動

1年で3回行われているイベントに何度も参加させていただきました。

応援してくださった横須賀市民の皆様、イベント運営関係者の皆様に感謝しています。

本当にありがとうございました。

2012年2月12日 アントニオさん撮影

イベント最終日の松ちゃん。

このイベントを皮切りに静岡の知人からも応援していただき、画廊のオーナーさんが1週間無料で画廊を貸し出してくださり、ここでも何度も広報活動と募金活動を開催させていただきました。

ありがったです。

ラジオ番組の出演をさせられた記憶があるな。

本当に松ちゃんは人に恵まれていると思います。

画廊のオーナー様、本当にありがとうございました。

紹介してくれた知人にも感謝しています。本当にありがとうございました。

 

この後も名古屋でのイベントとかいろいろありましたが、NPOがんばる福島と代表の松村直登を応援していただいたことに感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。

次回は松ちゃんがフランスとドイツにへ行った時のことを書きます。

今日もお付き合いくださりありがとうございました。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

回想 

2024-03-12 05:14:14 | 日記

皆さん、こんにちは。

今日は前回の続きで牛の殺処分を止めた後のことを書きます。

国の指示で殺処分を行っている人の邪魔をしたということで大問題になり、この時、松ちゃんの強制避難区域での動物の保護活動に必要な入行許可証が取り上げられてしまったのです。

県や国の機関にまで話が行ってしまい、それはそれは本当に大きな問題に発展してしまった。

許可証がなければ強制避難区域に入れず、保護している動物たちの世話ができず死なせてしまう。なので、僕はブログで全国の皆さんに助けてくださいとSOSを発信した。

松ちゃんが保護した2羽(2頭)のダチョウ 2012年 アントニオさん撮影

 

あの頃、松ちゃんはまだ町に残っていた犬や猫たち、その他イノシシやダチョウも保護していたから、許可証がなければ間違いなくみんな死んでいたと思う。

前年度より全国の皆さんから支援金をいただいての活動だったから、許可証の取り上げだけは何としてもやめてもらいたかった。

これが本だった音です。

 

2012年 アントニオさん撮影

背の高いほうがモモコ。呼び名はモモ。とても人懐こくて誰にでも羽を広げて歓迎のあいさつをしてくれる本当に可愛いダチョウでした。突っついたり絶対しないので応援に駆けつけてくれたボランティアのみんなにも愛されたダチョウです。小さいほうはサクラ。少し神経質で気が弱い。それでもおとなしくて、この子も人間に危害を与えるような子じゃなかった。

 

話しを元に戻して殺処分を止めたことで国の省庁、環境省と農水省、県の官庁まで話が行ってしまったから大問題になって焦った。

あの時、横須賀のY先生を始め、SNSで拡散をしてくださった動物ボランティアのみなさん、そして全国の皆さんと海外から応援してくれたみなさんの協力で、各省庁、官庁、富岡町役場に電話とメールとFAXが入り続け、富岡町役場では3日間業務ができずにパンク。

この事態を重く見たのか、収拾を図るためなのか?松ちゃんの許可証が無事に戻され活動を再開することができた。

あの時に電話とメールとFAXで応援してくれた数万人の全国のみなさんと海外のみなさまに改めて感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。

後に当時の遠藤町長が松ちゃんに、山のように積まれたFAX用紙を見せて「これ、みんな松村君のだ」と笑って言われたと言ってました。

あの時は役場の皆さんには本当に迷惑をかけたと思っています。あの時の役場職員のみなさま、本当に申し訳ありませんでした。

 

それからいくつかの段階を踏んで本格的に柵を作り、離れ牛を餌で誘導し簡易であるけれども牧場を作って牛たちの飼養を始めた。

 

帰還困難区域の牧場 アントニオさん撮影

ここの牧場の牛たちは脱走したり、喧嘩して相手を傷つけたりと問題児が多かったと思う。

病気になった牛や怪我をした牛、それに子牛もいた。

 

元気のない子牛。 アントニオさん撮影

松ちゃんは、医者に診てもらうために子牛を軽トラで自宅に運び、僕の義父から譲ってもらった軽バンに乗せ換え獣医の元へ

 

雨が降って来たこの日、ぐったりとした子牛を毛布に包んで搬送 (アントニオさん撮影)

子牛は眠ったままの状態

 

獣医師さんの所で注射と点滴で少し元気になった子牛

帰還困難区域の中では、こんなことが日常茶飯事にあった。

だから本当に大変だったと思います。

 

牛を保護する松ちゃんには、何が起こっても受け止めることしかなかった。

もちろん牛たちにだって、震災が起こったことでのいきなりの環境変化だったから、体の大きな牛にだっていろいろとダメージがあったと思う。

餌だって自分で探さなきゃならなくなったわけだから。

 

病気の牛や怪我した牛ために治療を施すために、この牧場に来てくださった獣医さんにも感謝です。

放射線量の高い危険なこの牧場に来てくださったことに感謝いたします。

獣医さん、本当にありがとうございました。

 

2012年アントニオさん撮影

 

後に強制避難区域から名称が帰還困難区域になった牧場の空間線量7.34μシーベルと高い線量でした。

柵作りのための支援金を出してくださった横須賀の社長さん、ありがとうございました。

柵作りの応援に全国から駆けつけてくれたボランティアのみなさん、本当にありがとうございました。

おかげで帰還困難区域と松ちゃんちの家の下にある田んぼの2つの牧場を作れたことに感謝申し上げます。

松ちゃんの家の下の牧場 2012年 アントニオさん撮影

 

家の下の牧場の牛は老齢の牛が多く、畜主さんに「俺も歳で動けねぇ。頼むから俺の代わりに助けてやってくれ」と依頼された牛の半分以上が15歳を超えていたと、松ちゃんは言いました。

この牛の畜主さんは僕の義父の友達で、普通の畜主さんは10歳過ぎる前に廃牛として処分してしまうのだけど、彼は「牛にこれまでおまんま(ご飯の意)食べさせてもらったんだから死ぬまで面倒をみるのが当たり前だべ」と、絶対に牛たちを見捨てなかった畜主さんだった。

この話を聞いて僕は、さすが義父の友達だなぁって思いました。

廃牛としてハムやソーセージの材料や動物園の肉食獣の餌にされることを絶対にしなかったから、畜主仲間からは変人って思われていたことだろう。

でも僕はこんなじっちゃんが好きだ。

 

栄養のある配合飼料を与える松ちゃん 2012年 アントニオさん撮影

2012年から2013年は特に牛を助けるということで、松ちゃんは怒涛の日々を過ごしていたと思います。

頭数も多かったし餌の供給も苦労していたから、希望の牧場の方々やウィズキャトルの皆さんの協力を得てやってこれたことに本当に感謝です。

 

松ちゃんちの入り口に山積みされたロールわら餌。凄い数の餌でした。2013年 アントニオさん撮影

餌の手配に力を貸していただいたウィズキャトルの皆様には本当に感謝しています。

本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

そして全国の皆様のご支援で、今も餌を買うことができています。

支援してくださいました皆様、本当にありがとうございました。

 

畜主の経験もなく牛の飼養をする松ちゃんのでかさにいつも度肝を抜かされていた僕だけど、この頃の僕は不安ばっかりで心の中はいつもアップアップしていました。

犬や猫の保護と全く別世界でしたから。

それでも牛の目を見るときれいな目で牛に癒されている自分を素直に喜んでいましたね。

こうして松ちゃんは町に残された犬や猫、その他の動物たちの保護と牛の飼養をやることになった。

体力的にも牛の飼養は結構、重労働な時があったけど、何食わぬ顔してやっていた。

それだけでなく、この頃は反原発運動というか世界各国のメディアの取材がやたらと多く、1日で5件も取材を受けたりとか毎日取材詰めで大忙しの松ちゃんだった。

本当にタフな男です。

動物の保護以外に彼がやってきたことを次回、書きたいと思います。

みなさん、本日もお付き合いありがとうございました。

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

13年目を迎えて 1

2024-03-11 05:50:03 | 日記

みなさん、おはようございます。

東日本大震災の日からまる12年が経ち、今日、13年目のスタートを切りました。

代表の松村が被災地に残された動物の保護を始めてから皆さんの温かいご支援により、今日まで無事に活動して来れましたこと心から感謝申し上げます。

みなさま、本当にありがとうございました。どうぞこれからも応援よろしくお願いいたします。

現在、震災から13年経って富岡町の人口は約2100人です。震災前は約16000人でしたので、原発で成り立っていた町の復興はとても厳しいものになっています。

今日はこれまでの13年を振り返って更新させていただきます。

写真は松ちゃんの親友?と思うほど仲の良い、フランスのフォトジャーナリスト アントニオ・パ二オッタさんです。今日は彼の写真を紹介しブログを更新させていただきます。

 

アントニオさんは2011年富岡町が強制避難区域に指定され住民が居住地域への立ち入りを禁止されてから、人のいなくなった富岡町でたった一人で残された犬や猫の救援活動をしていた松ちゃんと出会いました。

それから今も付き合いがあり何度も来日しては松ちゃんに会いに来てくれ親交を深めている松ちゃんの友人です。

 

2011年津波後の富岡の海岸 (アントニオさん撮影)

僕の町は海岸から200mくらい離れた場所に駅があり、駅前通りは瓦礫によって本当にひどい状態でした。

店も家屋も瓦礫とともにめちゃくちゃでしたね。家の中に軽トラックが入っていたり、家屋がそのまま流されて駅前に佇んでいたりと、想像のはるか上を行っていました。

2011年津波後の富岡の海岸 (アントニオさん撮影)

海岸に行ったときは拾得物を身内の方に届けられるように、ボランティア活動をしていた松ちゃんです。

 

震災直後、地震と津波と原発事故で壊滅的な町の惨状を憂いている場合でなかった松ちゃんは、日々、家に残された犬や猫たちの餌やりをし、朝から晩まで動いていました。

特に震災直後は、餌を確保するのが本当に大変だったと言っていた。

店がいわき市まで行かないと無い。富岡町から40km以上離れたいわきのホームセンターで餌を購入するも、次に餌を買いに行ったら棚が空っぽで入荷していないとか、こんなことが当たり前にあって本当に苦労したようです。

この頃は、放射能を恐れて社員の健康被害を考え配達を拒否していた配送会社がたくさんあり、商品の欠品が多かったです。ガソリンもいわき市まで出ないと購入できなかったから、それだけでも大変だったろうし、餌の確保に苦労したのです。

2011年残された家のペットたちの餌やりに同行したアントニオさんの写真 

2011年5月頃、松ちゃんは東京に出て来て青山にある動物愛護協会の理事長に直談判して、犬、猫、鳥用の餌を大量に用意してもらった。

あれがなければどうしようもない状況だったから本当に助かりました。あの時の若い理事長さんに僕は今も心から感謝しています。

2011年 アントニオさん撮影

彼はその餌で町に溢れた動物たちに餌を与えることができた。

それはイノブタやダチョウや、その他の動物たちを救った。

町の中を徘徊していたダチョウに餌を与える松ちゃん 2011年 (アントニオさん撮影)

ダチョウも15羽(15頭)くらいは檻から逃げ出して郡内の町を徘徊していました。

僕も目の前でダチョウを見たときは怖かったです。2m以上の高さで威圧感が凄かったし、本当に別世界いる感じ。

サファリに来たような異様な感覚を覚えましたね。

 

自分で買ってきた配合飼料で餌付けする松ちゃん。2011年 (アントニオさん撮影)

松ちゃんは犬や猫の世話は毎日続けた。真夏の餌やりは朝から始め正午くらいには暑さのせいで頭がボーとして体が動かなくなると、富岡川にすっぽんぽんで川に入り、30分くらい入って体が冷えてきたら活動開始。午後も暑さでやられそうになったら又、川に入って体を冷やしてから夕方暗くなるまでやっていました。

町には誰もいなかったから、すっぽんぽんでも問題なかった。

みなさんは、電気のない生活を想像できますか?一度、電気製品を使わない生活をしてみるとわかります。電気のありがたさが。

電気がなければご飯を炊くこともできないし、ましてや真冬は買って来たご飯を温めたくてもレンジが使えなくて冷えたままのガリガリご飯しか食べられない。

真夏は冷蔵庫が使えないから保存が利かない食べ物は買えないし冷たいものが飲めない。洗濯機も動かないから手で洗うしかない。お風呂も沸かせないから入れない。掃除機も使えない。照明もTVも何も使えないんです。

不便極まりない生活です。そんな生活を彼はしていた。

2011年 (アントニオさん撮影)

明かりはろうそくを使っていました。水は山の湧き水を使っていました。トイレは自然公園(林とか山の中)です。(笑)

冬は湧き水が凍って溶けるまで何もできなかった。

ダチョウは砕いた氷を与えると、そのまま口に入れて飲み込んでたけど、犬たちは溶けるまで待っていました。

兎に角、究極の生活でしたね。僕は呆然としました。僕にはできないと。。。。

離れ牛を撫でる松ちゃん 2011年 (アントニオさん撮影)

何月頃だったか国から要請があったのか、動物愛護協会が被災地のペットを救出した団体及び個人ボランティアに支援金を出すと発表し、全国からいろいろな動物ボランティアが入り、犬や猫の数が減って犬や猫の世話が楽になっていた。

この頃は、町に牛や豚、イノシシなどの動物が縦横無尽のように出没してました。住宅街に似つかぬ動物たちが徘徊していてカオスな状態。

上の写真の牛は畜主さんが餓死させたくないからやむなく放った牛なので、人なれしていて従順な牛が多かったと思います。

 

それに引き換え繋ぎっぱなしで避難した人もいた。

 

惨かった。許せなかった。  3枚とも2011年 (アントニオさん撮影)

酷すぎる 松ちゃんは原発事故の証人としてこの状況をカメラに収めた。

この牛舎には100体以上の亡骸があった。

この写真を見たとき、僕はこれが21世紀の日本にある光景なのか?と愕然とした。

 

松ちゃんは犬猫の世話で走り回っているときに、モ~モ~と元気よく牛の鳴き声が聞こえていたので、牛は元気にしてるんだなんて思っていたそうです。

犬猫の世話で1日が終わる余裕のない毎日を過ごす中で、ふと、あれっ牛の声が聞こえないよなと牛舎を見に行った時に、この状況と遭遇したのです。

松ちゃんは振り返り、犬と猫の世話だけでいっぱいいっぱいだった。一人では助けたくても体力的にも、とても牛のことまで手が回らなかったんだ。。。。と。

牛を飼ったことなんて無いずぶの素人だから、餌はどこから買えばいいのかも、何もわかっていなかったとも言っていた。

松ちゃんちの使ってない納屋に入り込んでいた牛 2011年 (アントニオさん撮影)

 

保護したダチョウの柵の餌を見て納屋から出てきた牛 2011年 (アントニオさん撮影)

 

肘を付けてダチョウの餌を食べる牛 2011年 (アントニオさん撮影)

夏場は、どこもかしこも草が生えていて牛の餌は潤沢にあったから、国道に出てきて車と衝突する事故だけ目立っていたが、秋から冬にかけて食べる餌がなくなり、民家の納屋にある味噌樽とか農家の米ぬかとかを狙って家々を壊して、さらに糞尿をまき散らしていたから役場への苦情が多かった。

僕の家の庭にも牛の糞があったことがあったので、自宅の柿を食べに来ていたんだとすぐにわかった。

当時、双葉郡内には1000頭を超える離れ牛がいた。

国は早い段階から全頭殺処分を決めていたが、ついに松ちゃんが殺処分現場を目の当たりにしてしまったのです。

 

帰還困難区域の松村牧場  母親と子牛の写真 2012年 (アントニオさん撮影)

上の写真ではないが、松ちゃんは牛の親子の殺処分現場を見て怒りを爆発させた。

前足と後ろ足の4本のうち3本を縛られ、立っているだけでやっとの親牛に筋弛緩剤注射を打って母牛が倒れて死んだ。子牛は母親が死んだことも知らずにおっぱいが欲しくて横たわる母牛の乳首を懸命に吸っていた。

その子牛の姿を見て、松ちゃんは我慢できなかった。

その子牛にも筋弛緩剤注射を打とうとしていたらしい。

そこで「お前らやめろ!」と筋弛緩剤で牛を殺している人間に「それをよこせ!」と殺処分を止めてしまったのだ。

松ちゃんは「それ1本をよこせ!お前に打ってやる。そしてもう1本は俺が打つ!だから早くよこせ」と、それは鬼気迫る本気の松ちゃんだった。そんな彼の顔を見れば誰でも怖いと思う。

職員さんとの押し問答で「じゃぁ、あんたが離れ牛の面倒を見るのか?責任とれるのか?」って言われて、売り言葉に買い言葉で「あ~、俺の町にいる牛は俺が面倒を見る」って言っちゃったんだ。

これが牛を保護することになった大きな要因です。

この行動はダメだと言われるかもしれませんが「牛たちは何も悪いことしていない。なんで罪のない牛が殺されなくちゃいけねぇんだ。全部人間が悪いんだ。この事故だって東電が起こしたんだから、東電が被災地の動物たちが死ぬまで面倒をみるのが筋だべ。」が彼の持論だったし、人間の都合で殺される動物たちを哀れに思う松ちゃんのことを僕は理解できた。

しかし国の指示通り殺処分を遂行する職員の仕事を止めたということで大きな問題になった。

これが本当に大問題に。。。。。

この後のことを次回、書かせていただきます。

今日は東日本大震災でお亡くなりになった方々へ哀悼の意を捧げたいと思います。

みなさん、本日は長々とお付き合いくださいましてありがとうございました。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みぃーとトラ。

2024-02-20 13:54:25 | 日記

みなさん、こんにちは。

昨日、富岡から帰ってきました。

このところ富岡に行ったときは、松ちゃんちに泊まるようになりました。

朝起きてすぐコーヒーを一緒に飲んで今の問題や決算に関することの話し合い。

 

日帰りがきつくなってきたのもありますが、いろいろと決算前の打ち合わせとか仕事もあり会う時間をできるだけ多く取りたいと思ったからです。

 

一昨日は取材で来られた方たちとの夕方の食事会に参加させていただき楽しいひと時を過ごせて満足の1日でした。

松ちゃん掃除するの巻 

僕も泊まったら必ず1日3回は掃除をさせられます。

これは松ちゃんが里親になった猫たちのせいなのです。汗

 

名前はみぃ~。人懐こくて可愛いのだけど爪で引っ搔くやんちゃ坊主。

笑える話なんですが、松ちゃんは今回メス2匹を引き取ったのだけど、大きくなってあるものがはっきりと表れてきてびビックリ。小さいときは目立たずてっきりメスだと思っていた松ちゃんでしたが、小さなタマタマちゃんの出現に「俺も騙されたよ」と苦笑い。

 

こちらがトラ。

人見知りで臆病。運動神経も少しとろい。

爪で引っ搔くことも無くて断然、可愛い。

 

しかし2匹は家中を走り回って疲れを知らない。あちこちの部屋で爪とぎをするものだから、リビングから寝室までガリガリやって壁紙はズタボロ。

抜け毛でカーペットは毛だらけ。なので1日3回は僕も掃除させられています。

今の松ちゃんは2匹の猫のせいで慢性寝不足だそうです。

彼ら2匹は松ちゃんの布団の上で寝る。寒くなったら布団に忍び込んで熱くなったらまた布団の上に出て寝るから、上にのしかかれて重くて苦しく寝た気がしない。しかも出たり入ったりで起こされるのだからたまったもんじゃない。(笑)

一昨日は富岡町の松ちゃんが所属する漁協の鮭の孵化場を見せていただいた。

総工費7億円かかった孵化場です。

 

稚魚がたくさん入ってました。

いくつかの槽は、もうすでに空になっていて放流されたのだと教えてくれた。

松ちゃんは「鮭の放流もいいけどメダカの養殖の方が良かったと思う」と言いメダカ談義を始めた。

僕もネットで見たことがあるのですが1匹数千円とか数万円するメダカもいて、その養殖をした方が税収を納めることできるし、町おこしの一翼を狙えることができたよなって話で終わった。

 

次に川沿いに設置されたミツバチの巣の管理に行った。

今年は温かい冬なのでミツバチたちの動きも活発でここまでは無事に越冬できたようで一安心した松ちゃんでした。

 

午前中の餌やり。

午後には取材が入っているので、午後の部の餌もこの後運ぶことになった。

 

一旦戻って合鴨の管理。

飲み水を与えて、それからごはんタイム。

 

みんなで仲良く食べる合鴨が可愛い。

 

今月は3回、富岡に行ったのですが、なかなか更新できなくてすみませんでした。

来月、決算がありすぐに行ってきますのでまた更新させていただきます。

今日はこの辺で失礼します。

それではみなさん、またお会いしましょう。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっちまったな。

2024-01-23 10:11:11 | 日記

みなさん、こんにちは。

一昨日、富岡に行ってきましたが、今回は散々な目に遭いました。

21日、朝から大雨注意報が出されていて行くのを躊躇していたのですが、行くと決めて昼過ぎに出発。

松ちゃんはいわきにいて僕はこの日、松ちゃんの家に泊まりました。

兎に角、21日は台風の時のような強い雨で家に入るまでにびっしょりになり、この雨では餌やりも出来ず、ストーブを付けて温まり一夜を過ごしたのですが、ショックなことは翌日に起きました。

今、思い出すだけでもダメージが大きいです。

 

朝、7時半から牛たちの朝ご飯を食べさせるため松ちゃんの軽トラックを借りて餌を積んで牧場に向かいました。

朝一番は貴重な出会いに感謝して気分が良かったのです。

農道を走り1羽のとんびが農道の真ん中にいてじっとしている。5mほど近寄ってみても逃げない。

「えっ」と固まりそのまま見ていたのですが、2分くらいかな?単管パイプの柵にぴょんと飛び移った。

目の前の野鳥に興奮してじっと僕は車の中で見つめていました。

 

しばらくして写真に収めようと車中から撮ったのですが、何で逃げないのか?ひょっとして病気か?昨日の雨で体力がないのか?など心配していたのですが、軽トラを見て歩き出した牛たちに窓を開けて「ごはんもってきたぞ!」と声を発したところで野鳥は飛び立っていきました。

初めての出会いに本当に今日はいい日だななんて。。。。

前日の大雨で牧場の中は水浸し。

牛たちは、いつもいる少し高い場所で竹林のところにいました。

 

牛たちはトラックの餌を見て餌場にいつもより速足でやってきた。

とてもお腹が空いていたみたい。

餌やりは午前の部は完了して午後の部の餌を準備しようとトラックを走らせたのですが。。。。

 

農道の幅の半分くらいまで伸びて、走るたびに当たる林側から出ている枝を10cmくらい避けて走ったら、昨日の大雨でぬかるんでいた農道の端に左前後のタイヤが取られ「あっ」という間に引き込まれてしまった。

一瞬「やっちまった」って、なんとも言えない嫌な思いが脳裏を走った。

ガガガガって音を立てながら車は斜めに止まった。あ~、なんでこんなことに。。。。。。

車に当たる枝なんて気にしないで走っていれば良かったと本当に後悔しました。

 

それから木の板を用意しようと松ちゃんの家まで戻って板を担ぎタイヤ下にはめ込んで脱出を試みるもダメ。

また家まで戻り角材を運んでやってみてもダメ。これは一人ではどうにもならないと。。。

それで松ちゃんの友人で顔の広い元県議の坂本さんに電話して車屋さんを紹介していただき来てもらってやったのだけど、足場が悪すぎて車屋さんの車も道幅ギリギリで落ちそうになり「これではできないからJAFさん呼んでやってもらったほうがいい」と。

車屋さんの「パイプ柵がなければ、この体勢では軽トラは横転していたよ」にぞっとしました。

 

前輪は30cmくらい落ちていたからロープで引き出すにも無理があったのだと思う。

それからJAFに電話して来てもらうことになったのですが12時過ぎに到着して何とか軽トラを農道に出せた。

この時はJAFの担当の方に感謝しましたね。

出せなかったらどうしよう?って、小心者の僕はいてもたってもいられなかったから。

 

この写真ではきれいにみえるけど軽トラは左バックミラーが破損。

窓ガラスを固定しているピラーはへこみと亀裂で修理に相当な金額がかかるらしく「修理するなら新しく買ったほうがいい」と言われました。

左ドアにもへこみとたくさんの傷付けてしまったし、落ち込みます。

松ちゃんに電話で話したら「しゃ~ね~べ」と言ってくれたけど。。。。はぁ~

現場に駆けつけてくれた坂本さんに「こんなところではまっちゃう奴、見たことない」って言われて恥ずかしかった。

たった10cm木の枝を避けただけなのに。。。。

 

雨が降る中、傷心した気持ちで午後の部の餌やりをしました。

整備不良の車で公道を走るの違反なのは知っているけど、冷たい雨がそれをさせたんだと。。。。。。

いやいや言い訳です。

取り合えずガラスが割れなかったことだけでも運が良かったと思いたい。

ミラーが届くのが今週の水曜日なので、木曜日に行って修理してもらいます。

それまでは軽トラを借りるようにします。

みなさん、今日は僕のやっちまった話でした。

今日はこの辺で失礼します。

またお会いしましょう。

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新年の御挨拶

2024-01-01 05:27:12 | 日記

新年あけましておめでとうございます

新春のお慶びを謹んで申し上げます
 
昨年は温かいご支援をいただき心から感謝いたします
 

みなさまに改めて感謝申し上げます。

ご支援くださいました皆様、本当にありがとうございました。

23年12月27日撮影 朝食を食べ終えて日向ぼっこ。午前中は風もなく本当に暖かな日でした。
 
一昨年は代表松村が怪我して冷や汗をかきましたが、昨年は僕にアクシデントがあり活動できませんでした。
 
昨年は痛い思いをし健康でいられるのが一番だと思いました。
僕も四捨五入すると70代の仲間に入るので、娘には立派なじじいと認定されていますが、今年は娘に呆れられないよう頑張りまたいと思います。汗
 
満腹でいつもなら「ニンジン持ってきたか?あるなら、そっちに行くぞ」という彼も温かい日差しを浴びて休息中。
 
時期的に取材や撮影以外に今が代表の松ちゃんにとっても時間が取れる時期です。
 
冬の間は、春先の野鳥の保護や管理の準備で巣箱を作ったり、ミツバチの巣板を作ったり、補修したりとやることが結構あって忙しいのですが、今年も松ちゃんには牛や犬、猫、合鴨たちのために怪我しないでほしいと願っています。
 
毎日、軽トラにわら餌を手積みで牧場の牛たちのところへ
 
 
合鴨たちも元気です。
 
本日、新年を迎え、代表とともに気持ちをあらたに今年も活動して行きますので、みなさん、NPO法人がんばる福島と代表松村直登の応援を、どうぞよろしくお願いします。

みなさまには今年がより良い1年になりますようお祈り申し上げ新年のご挨拶とさせていただきます。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年もありがとうございました

2023-12-29 17:00:00 | 日記

みなさん、こんばんは。

今日は今年1年の感謝と松ちゃんの近況をお知らせいたします。

みなさま、今年も残すところあとわずかですが、この1年、NPO法人がんばる福島をご支援くださいまして本当にありがとうございました。

みなさまのご支援、ご協力により、今年も無事に活動できました。

代表の松村に代わり心から感謝いたし厚く御礼を申し上げます。

12月27日いわき市から帰ってきたばかりの松ちゃん。

 

この日、松ちゃんは知人の息子さんを朝一で、いわきの大きな病院へ連れて行った。

息子さんの母親の話を聞いて絶対におかしいと直感。「それはおかしい。大きな病院で一度診てもらった方がいい!」って、息子さんを連れて設備の整った大病院へ。

大きな病院に着いて、すぐに診察してもらったら「1日遅かったら大変なことになっていた」と言われたらしく、緊急手術で即入院。

1日遅れたらアウト。機転を利かせて動いた松ちゃんは、息子さんの一大事を止めて親御さんから感謝されたことは言うまでもない。

なので僕はこの日、帰ってくる9時30分まで会えなかった。

しかも、この日の午後2時から取材と撮影が入っていて、どんだけ~って感じ。。。。

取材と撮影は27日から翌年の1月3日くらいまであると言ってました。

にぎやかな年末年始を過ごせるのだから良かったと思います。

 

その他で彼の生活が変わったことは、可愛い子猫を2匹飼っていました。

俗に云う多頭飼育による被害を受けていた子猫。

ある地区で猫を10匹を飼っている人が、毎年、親猫が子供を産むと親猫には餌を与えるのだが、子猫たちに餌を与えないらしい。

だからその子猫たちが毎年、野良猫になって悪さするものだから、ご近所さんたちが毎年困っているらしく、今回、松ちゃんに助けてほしいとSOS。なので、4匹を預かってきて2匹は松ちゃんの知り合いが里親に、残りの2匹は松ちゃんが里親になりました。

その2匹の子猫が以前、松ちゃんが飼っていた愛猫のシロとさびと、色、形は違うけど性格がそっくりでびっくりした。

多分、シロとさびの生まれ変わりだと思う。

シロのように初対面でも人間を恐れず、甘えて可愛さ爆発の猫ちゃんと、警戒心MAXでにらみを利かせ近寄れば即

退避。慣れるまで時間が掛かりそうな猫ちゃんの2匹。

水を飲んでいる猫はシロの生まれ変わり。僕と遊び疲れて水補給中。奥のにらみを利かせているのはさびの生まれ変わりm。近寄ると速攻逃げる。(笑)現在2か月くらいだそうです。

犬も猫もほんとに可愛い。

しかし多頭飼育の現場って、どこにもあるんですね。

多頭飼育している人に文句言いたい。親猫が産んだ子猫の面倒まで見ろよ!子猫の命を何だと思ってんだよ!って言いたいです。

ほんと、こういう人たちはいなくなってほしいですね。

 

最後に今年は自分が全く動けなかったから、ほんと反省してます。

来年は個人的にも良い年にしたいです。

 

全国の皆様には来年も良い年になりますようにお祈りいたします。

風邪などひかれないようご注意ください。

帰省中の事故や怪我などにも気を付けて良い新年をお迎えください。

みなさま、2023年本当にありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願い致します。

NPO法人 がんばる福島 社員一同

 

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なかなか行けませんでした。

2023-11-12 10:23:55 | 日記

みなさん、こんにちは。

お久しぶりになりますが、7~10月は本当に時間が作れず富岡に行けませんでした。

昨日、やっと松ちゃんに会ってきました。

今年収穫したもち米を干した場所に案内し「今年はこれ突いて餅食うべな」と松ちゃん。

昨日、彼の家に行ったら、やたらと酒瓶が多いので不思議に思っていたら「無農薬米を精米してご近所に配ったら酒持ってくるんでたくさんになった」と笑っていた松ちゃんでした。

 

彼が著しく忙しいので待ち時間に代わりに合鴨の世話をした。

水桶に水をやり餌を与えると我先にと集まり仲良く啄む鴨さんでした。

 

彼の方は、お客様の来訪が続き忙しかったそうです。

何でも彼がまたフランスのTV放送でアニメ漫画で放送されるらしく、その監督、プロデューサー、ディレクターさんや作者さんとか5人で来られ数日滞在され、打ち合わせをされたとのこと。

撮影のために日本の某TV局のスタッフさんたちと撮影現場に向かう松ちゃん。

 

またフリーでライターをされてるイタリア人のアントニオさんをはじめ、震災後からお付き合いのあるライターさんが交互に数日泊まりに来られ対応し、その間にも某TV局の撮影や取材があり「ようやく落ち着いてたところだ」と言ってました。

11日の昨日も東京の支援者の方との約束があり、僕も行った訳ですが本当に良い1日を過ごせました。

 

松ちゃんと僕は食事をごちそうになり、牛たちの餌としてニンジンをいただき、その足で牧場へ。

 

支援者の方々とはまだ4年くらいのお付き合いだと思っていたら、早6年半にもなっていたことを知らされ、時が経つのは本当に早いなと感じました。

今では老人クラブからお誘いを受ける年齢だから、ボケもはいっているだろうしホント年齢を感じずにはいられません。

 

さて昨日の富岡町は13年ぶりに地元の中央商店通りで秋の祭り10日市(えびす講市)が開催され、規模は震災以前よりずっと小さな祭りだったけど、結構な人が集まって復興の兆しを少し感じることができて嬉しかった。

楢葉町など近隣の町民の方なども来てくれたのかな。それはそれで嬉しい。

今回は、なかなか行けませんでしたが、来月また行ってきますのでよろしくお願いします。

それでは今日はこの辺で失礼します。

またお会いしましょう。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今月2回目

2023-06-13 13:01:07 | 日記

みなさん、こんにちは。

昨日、富岡に行ってきましたが、6月1日に東京で松ちゃんと会っていたので今月は2回目になります。

6月1日はパレスホテル東京でソルトン・セサミのファイナルパーティーにご招待いただきましたので、松ちゃんと参加させていただきました。

(左から歌手で女優の中尾ミエさん、株式会社 イッセイ ミヤケ 元副社長 小室知子さん、ショービジネス界 トップコーディネーター 加藤タキさん、広告代理店敏腕PRプロデューサー 飯野晴子さん)

 

第7回のチャリティーイベントでは、NPO法人 がんばる福島の代表 松村直登を応援をしていただきました。このことには本当に感謝しています。

今回、活動停止のお知らせをお聞きしました。

ソルトン・セサミのみなさまには、2008年から第一線を走り続けながら、これまで長く活動されていたこと心から御礼を申し上げます。

ソルトン・セサミのみなさま、お疲れさまでした。そして本当にありがとうございました。これからの皆様の健康を心からお祈りいたします。

 

昨日の松ちゃん。

 

今年、僕の愛犬が病気を立て続けに発症し病院巡りでバタバタしています。

今年の8月で15歳になるメスのチワワですが、左目に角膜炎を発症し治すのに何度も病院に通い3ヶ月かかってようやく治ってきたと思ったら、今度は乳腺腫瘍で癌???って慌てて病院に駆け込み細胞摂取して検査。

1週間後に良性と判断され摘出手術は現在、様子見です。

老犬なので全身麻酔は良くないと里親になるときに動物ボランティアの方からなるべくしないでと言われて手術を見合わせてる状況です。

昨日の小次郎(甲斐犬)近寄ったら腹を見せてマッサージを要請。さすってあげたらご満悦の表情。

 

昨日、富岡から帰ってきて愛犬の体をよく見ていたら、今度は部分的に毛が取れて丸いハゲができていて朝いちで病院に行ってきました。

もう、本当になんなんだろう?今までじん帯が切れて後ろ足2本を手術しましたが、今年は次から次へと病気を発症しているので凹んでます。

 

次は俺の番だよ!早くやってとリキ君

若いから毛並みはいいし、この子たち性格もいいから和むわ~。

 

さて昨日の松ちゃんは午前中に某TV局のディレクターさんと打ち合わせして、午後から撮影のスケジュールが入ってました。

富岡町や双葉郡の良いところを紹介をしている松ちゃんには、やっぱ頭が上がらない。ありがたいよ。

昨日、町の中を車で走らせてびっくりしたのは、至る所に太陽光発電の基地というか設置された場所が増えていて自然が破壊されている現状を見てガッカリ。

全国各地で太陽光発電の設置場所に関することやパネル問題が起きているのに、行政はいったい何を考えているのだろうか?と思った。

松ちゃんも太陽光発電のパネルの寿命が来た時のことを危惧していた。処分するときに大問題になると。

 

彼が「これからはエコだ」って石油をやめて薪ストーブにするって言ってたけど、重量120kgのストーブが届いていた。

男4人くらいいないと運べない代物。

それを一人で家の中に入れた松ちゃん。(笑)

 

松ちゃんは9万坪の山を持っていて、樹木もたくさんあるから「薪ストーブにする」って。

石油ファンヒーターと違って部屋の暖房は別格の暖かさだし、300Lのお湯を作れてお風呂や台所に、ストーブの上では料理もできて一石三鳥。

中のオーブン機能を使えば焼き魚の嫌な臭いも煙突を通って外に出るから、室内は快適なんだ。

しかも燃料代は0円。山の木でこれだけのことができるのだから、断然エコだよね!

松ちゃんが斧を担いで山に入り、木を切って薪を括って帰ってくる姿を見られると思うと楽しみだ。足柄山の金太郎をイメージ(笑)

昨日の合鴨君たち。

合鴨たちは病気をしないから楽です。

そういえば鴨の卵の孵化機買って用意したと言ってた。

来年は雛鳥を購入しなくて済むので良かったです。

今のところ変わったこともなく平穏無事に活動させていただいております。

ご支援くださる皆さんに感謝し、今日はこの辺で失礼します。

それではみなさん、またお会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今回も感動しました~!!!!

2023-04-26 17:00:03 | 日記

みなさん、こんばんは。

一昨日、富岡の松ちゃんの所に行ってきました。

その日の朝、僕は午前7時前に松ちゃんの所に着いた。

そしてその日の福島の朝は寒かったです。

 

まずは朝食を摂ってエネルギーチャージ。

朝1番の仕事が野鳥保護の管理作業だったから。

 

いくつか見てからある巣の前で松ちゃんは笑顔で「この巣に雛が入ってるんだ」と。

そして前回、見せてもらった親鳥が卵を温めていた巣の雛は、もう巣立ちしていると話してくれた。

 

蓋を開けて、そーっと閉じて松ちゃんが小さな声で一言。

「見てみっか?」に、僕は声を出さずにうんうんってゼスチャーして音をたてないようにすり足忍び足で近寄った。

 

わぁ-----------------!!赤ちゃんが産まれてる-----------------ー!!!!

まだ体毛が生えてない生まれたばかりの赤ちゃんだ~!!!!

初めて見たから感動してしまい、もう嬉しいのなんのって。。。。。

声を出せずにいたけれど、小学生かって突っ込まれてもおかしくないくらい僕は興奮してしまいました。汗

 

写真を撮ってから降りた僕に松ちゃんは「でも雛たちは生まれてからが大変なんだよ。生まれても半分生きられるかどうかなんだ」と。

僕はそのことを詳しく聞いた。

ある程度、覚悟していたけど、やはり他の動物に食べられてしまうとのこと。死因の70%は蛇に丸のみにされてしまうそうだ。

「どうやってこの高さまで蛇が来るのか本当にわからねぇ~んだけど、蛇に狙われたら殆ど逃げられねぇ~な」「その他はイタチやハクビシンなどの肉食小動物にやられる」と。

これを聞いて感動しまくりだった僕は意気消沈。。。。。

この時は、なんか聞かない方が良かったとつくずく思いました。

 

今回は前回、巣箱の手入れや修理をしたところを集中的に回った。

その道中、松ちゃんの鳥たちとの付き合いの話を聞いた。

社会人になり初めての給料で孔雀を買ったときから、鳩50羽、チャボ、そういえばダチョウもいたな。その他の鳥を含めると今までに300羽ぐらいになると教えてくれた。

 

孔雀の話だけど、横浜の店で買ったのだが店員さんに「福島までは絶対に無理ですよ」と言われたらしいが、無理を言って買って来た。案の定、福島に着いたときに孔雀は車に酔ってぐったりし横たわって今にも死にそうな状態で立てなかったそうです。

でも親切な店員さんは、事前にそうなることを察し「具合が悪くなったらこれを飲ませてください」と酔い止めの薬を渡してくれたそうで、その薬を飲ませて孔雀は翌々日に無事に立ち上がり歩き出したそうです。

「孔雀は人に懐く。俺が仕事に行っているときに親父が面倒を見てたんだけど、いつも親父の後をついて回ってたよ。

薬を飲ませてくれ虫を見つけて来ては食べさせてくれたから、親父のことを自分の親だと思ってたんじゃねぇーか。だけど親父が畑に野菜苗を植えていくんだけど、そのあとを孔雀がついて行ってその苗を全部食べちゃうんだよ、親父は毎回やられるから懲りて孔雀の部屋作り、畑に行くときは出さないようにしてたんだ」って笑っていた。

 

ここは足場が悪くて危険なところだった。

脚立の足が土の中にずぶずぶって入っていくし、向こうが小さな崖みたいになっている場所だった。

ここにも雛が生まれてるからと写真を撮れってサインをもらって脚立に足を掛けたけどほんと怖かった。

 

僕が脚立に足を掛けると松ちゃんが、その脚立に手を掛け抑えていてくれた。

松ちゃん、ありがとう。

 

お~~~~!!!!!

毛が生えていてさっきの子たちよりはお兄さんお姉さんの雛ちゃんを見られてやっぱ嬉しかった。

横浜出身の僕には初めて見る光景なので、こんな体験できるなんて本当にご褒美ものですよ。

いや~感動しまくりました。

親鳥はこの子のために虫を取ってきては1羽、1羽ごとに食べさせて大きくさせる。

親鳥は本当に大変だと思った。

巣を選ぶにも餌が豊富な場所なのか?とか、外敵はどのくらいいるのか?とか、いろいろ見てから巣を選ぶわけだし、鳥たちの本能には関心しましたね。

この日、僕は2か所の雛鳥の写真を撮って、撮影をやめた。

雛のいる巣箱に人間のにおいが残っていたら、親鳥がストレスを感じて子育てをするっていうことを知り、かわいそうなのと申し訳なさを感じて松ちゃんに言った。

 

僕が雛の写真を撮りたいと言ったのに、松ちゃんに言われてそうしたかった。

それで一緒に家に戻り、松ちゃんは合鴨の水やりや餌やりをした。

この合鴨たちは今、人間を怖がらず僕がそばを歩いても逃げなくなった。

去年は僕がそばを歩くと小屋の奥に身を隠し出てこなかったのに。。。。

顔を覚えてくれたからなのだろうか?とかいいように思っている。

 

最後にみなさん、もうすぐゴールデンウィークですね。

帰省したり、旅行に出かけたりすると思いますが、怪我、事故に特に気を付けてご家族の皆さんとともに楽しんでください。

僕にはGWなんてないですけど、皆さんが良いGWをお過ごしできることをお祈りしています。

それではみなさん、今日はこの辺で失礼します。

また、お会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絶対にいい奴!!!

2023-04-05 14:10:00 | 日記

みなさん、こんにちは。

昨日、松ちゃんと会ってきました。

前日に松ちゃんから「明日、何時ごろに来る?」と聞かれ「いつもの時間で」と言うと「じゃぁ、朝のうちに鳥の巣箱の管理してるから着いたら電話して」と言われた。

何でそんなに早く作業するの?と聞いたら、少しずつやっているけど、もう卵を5個も産んでる巣箱があるから急いでいるんだと。

それを聞いて僕も一緒にやろうってなって昨日は朝一番に山の中に入った。

天気は良かったのですが、朝のうちは肌寒く感じ薄手のジャンパーではダメだった。

 

兎に角、松ちゃん号は奥へ奥へと進む。

数年前、がんばる福島の事業計画の中にあった野鳥の生態調査への参加が終わってから、彼はずっと一人で野鳥の巣箱の管理をやってきた。

 

この先で軽トラを止めた松ちゃん。

松ちゃんに何故やり続けるのか聞いたら「富岡の町には野鳥が巣を作る場所が少ない。それじゃぁ、鳥は増えねぇ~し、作ったとしてもろくな巣しか作れねぇべ。それじゃぁ~蛇や食肉性の小動物などにやられてまともな子育てなんかできねぇ~よ。鳥たちが可哀そうだろ」と。

そんな野鳥のために修理部材も燃料代も自腹で管理作業に係る時間も奉仕。

そして今も富岡町から浪江町に設置した100個の巣箱の管理を続けている。

これ絶対にいい奴でしょ!!!

 

何箱かの管理を終えて次の場所に移動したら巣箱が地面に落ちてた。

昨日、回った所で巣箱が落ちていた場所は3か所あった。

まともな状態の巣箱は、どのくらいあっただろうか?

結構、傷んでいたものが多かった。

 

巣箱の中を清掃し新しいワイヤー入りの紐で巣箱を取り付ける松ちゃん。

巣箱を一つづつ外して中の掃除をして再度取り付ける。

これが結構大変で、上ったり下りたり結構ハードでした。

 

去年、彼は巣箱の管理の最中に脚立がぐらついて落ちて肋骨3~4本にヒビが入り苦悶の表情で生活していたんだけど、愛そのもので野鳥の保護をやり続ける彼にぐっと来た。

牛たちの餌やりをし、ミツバチの管理をして尚且つ一人で100個の巣箱の管理をしてたなんて、兎に角、巣箱の管理は時間が掛かる作業ばかりなのを知った。

松ちゃん、本当にありがとう。

 

紐が切れてぶら下がったままの巣箱が多かったなぁ。

雨や風など影響で木の巣箱は痛みがひどかった。

巣箱も5年目になるから取り換えの時期なのだ。

それでも補修したり清掃をしたりすると、1時間もたたないうちに野鳥が来て巣作りを始めることがあるのだと言います。

だから今なんです。今が鳥たちの繁殖期なんです。

 

新しいワイヤー入りの紐に取り換えるも紐を通す穴が裂けて割れている物も多かったし、蓋が破損していたり底板が割れてたりしているものが多かった。

なので、その都度補修してやり続けた。

巣箱100箱、気の遠くなる作業に思えました。

 

この巣箱は僕に感動をくれた巣箱だった。

松ちゃんが「入ってる。入ってるぞ。見てみっか」と。

 

喜んで脚立に乗り巣箱を覗いてみたら野鳥の卵があって、初めて見た僕はもう嬉しくて嬉しくて、いやぁ~山歩きで登ったり下ったりして感じていた疲れが吹っ飛びましたね。

なんか感動しまくりでした。

実際、小さな卵なんだけど命の営みみたいなものを感じてジーンときました。

 

作業しながら移動していた時に、数年前に熊が出て大騒ぎした富岡町でしたが、その場所に松ちゃんは僕を連れて行ってくれた。

僕はあの時、まさか熊が出るなんて思いもしなかったから、誰かがイノシシと熊を見間違えたんだろうって全く信じなかった。

でも今回、樹木に付いた熊の爪痕を見せられて、あれは本当のことだったんだって知って驚いた。

松ちゃんは、その場所を指してそこで熊の足跡も確認したって言った。

でもその木に巣箱を設置してあったからドン引きした僕でした。(笑)

 

こんな場所もあり、雨が降った後の作業は危ないところも多かった。

 

底板の破損で椹木を作る松ちゃん。

こういう作業が1番時間が掛かる。

 

材料はコンパネの薄い板を使ってました。

 

ここも感動を与えてくれた巣箱です。

 

「そっと来いよ」と松ちゃんに言われてそっと脚立を上って蓋を開けてもらった。

キターーーーーー初!野鳥の卵温め-見た----------------

ヤマガラだって教えてもらった。嬉しかった!!!!!

 

この巣箱はトリプルで背面版と側面の板と蓋の修繕が必要で、めちゃくちゃ時間が掛かった。

背面版は雨がしみ込んで湾曲してるし、紐穴は欠落していてボロボロでした。

そうした活動を3時間もやってた時に、またまたハッピーなことが。

 

シジュウカラのお母さん。

この鳥は少し気が強いらしく「威嚇されるかもしんねぇから注意してな」と松ちゃん。

案の定「ギィー!ギィー!」って声を出して威嚇されました。

それでも懸命に卵を温めるお母さんシジュウカラに感動しまくりでした。

 

これがヤマネの足跡です。

山のネズミでヤマネらしいです。

厳寒の冬は巣箱に枯れ葉を溜めて暖かくして冬を凌ぎ、春には巣を離れ野鳥に巣を戻してくれる。

その他にもカメムシが卵を産んで冬眠してるという巣箱もありました。

 

二人で巣箱30個くらいの管理ができましたが、昨日は改めて動物に対する松ちゃんのハートに触れて気持ちが震えた。

午前中いっぱいやって12時の鐘がなって戻ってきてから牛たちの餌やりに行きましたが、午後には彼がTV局の方との打ち合わせがあるとのことで1時過ぎまでの付き合いでしたが、色々と野鳥のことも勉強できたし、充実し感動した良い日になりました。

また行ったときに近況をご報告いたしますね。

それではみなさん、またお会いしましょう。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12回目の朝を迎えて

2023-03-11 06:25:01 | 日記

みなさん、おはようございます。

2011年3月11日の東日本大震災の日から12回目の朝を迎えました。

今日までNPO法人がんばる福島と代表の松村直登をご支援くださいました皆様には心から感謝申し上げます。

個人的には、今までの12年の歳月がとても長かったように感じますが、特に大きな事故もなく今日まで活動して来れたことに感謝しかありません。皆さん本当にありがとうございました。

どうぞこれからも応援よろしくお願い致します。

今日、残念に思うこと。

今では原発事故のことが風化してしまったが、12年も経っているのにまだそんな状態なのかとがっかりしたことを書きます。

地震だけだったなら町民は町に戻り普通に復興したでしょうね。

原発事故が残したのものは大きなものだった。

今も帰還出来ず避難している人がたくさんいますし、復興とはあまりにもかけ離れた町になった。

 

今、現在、これから除染が始まる地域があるんですよ。あの日から12年が過ぎたというのに。。。。

帰還困難区域では今、長い間、手入れもできずに住めなくなった家やその他の建物の解体が行われている状況です。

そして家や建物の解体後、そのまま放置された土地が草ぼうぼうの荒れた姿を見せています。

住宅地はどんどん解体され寂しい街並みに(夜ノ森駅前の住宅地の写真 令和5年2月16日撮影)

原発事故の傷跡は大きい。

あまりにも大きすぎる。

 

松ちゃんがいつも気に掛けていることがあるのですが、強制避難区域の解除が始まり数年が経つのに、唯一の国道である6号線沿いの大型店や専門店などが震災直後のまま放置されていることに「復興、復興って、これが復興なのか?これ見て誰が復興してるって思うんだ」と声を荒げます。

 

震災直後のままの店舗  (令和5年2月16日撮影)

12年も経つのに今もこのような状態です。

 

「国道は車の往来が特に多いから、こういうところを早く無くさなきゃなんねぇ~べ!いつまでもこのままにしてたら復興したなんて誰も思わねぇだろ」と。。。。

松ちゃんは12年も経つ今、このような店舗や家を見たくないし見られたくないんです。

郷土愛の塊の松ちゃんには、このような事実があるということが看過できないのです。

国道6号線は原発事故被災地のメインストリートですから、そこにこんな姿の店舗が12年も経つのに今もあることに憤っている。

確かに避難指示準備区域と居住制限区域の地区は規模は小さいですが復興を感じられる町並みにはなったけれど、帰還困難区域の整備はこれから。

 

(令和5年2月16日撮影)

2年前にNHK Eチャンネルで放送された福島モノローグの中で、茨城県から原発作業員として仕事に来た若者が「言い方悪いと思うんですけど、復興、復興って言いますけど全然復興してないですよね?もう、町が死んじゃってますよね!」って、あれが本当なのだと思う。

 

僕は小さいながらも新しい店や病院などがオープンしただけでも喜んでいたのですが、被災地に初めて来た人は死んでる町にしか見えないのだと思う。

こんな姿の店舗が今でもあるのだから。

(令和5年2月16日撮影)

国道6号線沿いには大型家電量販店、ホームセンターやスーパー、トヨタや日産、ホンダなどのショールームやTVのCMでおなじみの紳士服店、衣料品店、ファミリーレストランなどが店舗を構えてました。

自分も松ちゃんと帰還困難区域の通行制限の解除後、久しぶりに足を踏み込んでこの状態を見て「まだこのままなのかよ~」とガッカリしました。

 

富岡から北に大熊町、双葉町、浪江町にも同じような姿を見せる店舗が残されているのだろうなぁ~と思うと、げんなりしてしまいます。

帰還困難区域だったところの整備は居住制限区域と避難指示準備区域と同じようにはいかないだろうから、復興はまだまだ先の話!

 

兎に角、今は帰還困難区域の整備がもっと早く進み、震災直後のこのような姿を見ることが無くなることを強く願う。

これが12回目の朝を迎えた感想です。

 

最後に今回で6回目の放送になるのですが、本日、松ちゃんのドキュメンタリーが放送されます。

午後0:00~午後1:50 BS1スペシャル「福島モノローグ 完全版」

本当に良い作品になってますので、まだご覧になっていない方はぜひ見てください。

僕は録画して保存をお勧めいたします。あとで何度も見れますから。

またご覧になられました方にはぜひシェアをお願いいたします。

どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

汚い奴ら!

2023-02-18 19:11:50 | 日記

みなさん、こんばんは。

一昨日、富岡の松ちゃんに会ってきました。

一昨日の富岡の朝の気温はマイナス6度で寒いのなんのって、松ちゃんが「今日は寒いぞな!」って言って迎えてくれたほど。

常磐自動車道の茨城県内を走っていた時に車の温度表示計がマイナス5度だったから本当に寒かったです。

今回、ちょっと頭にくることがあったので、それを最初に書きます。

それはまたしても松ちゃんが盗難の被害に遭ったことです。

 

 

無農薬米作りに今年もチャレンジする松ちゃんは知人からトラクターを借りたのですが、そのトラクターを盗まれてしまった。

今回は松ちゃんが牛の餌やりをしている時に盗まれたとあって、本人もかなり憤慨してました。

奴らのやり方が汚い。

最初に金になりそうな農機具等を見たら「不要になった農機具ありませんか?」とセールスを仕掛けてくる。

売らないと言ったら、頃合いを見て盗むやり方だ。

目を付けたら何が何でも盗むって、どんだけだよ。本当に汚い奴らだ。

 

松ちゃんが牛たちの餌やりに家を出たら1時間くらい帰って来ないのを奴らはリサーチしていて、今回は彼が作業している合間に農機具を盗んでいったらしい。

トラクターなら20~30分もあれば盗むことができるらしいです。

聞いていて僕は頭に血が上った。

「いい加減にしろよ!おまえら!汚い奴らめ!」と怒り心頭でした。。。本当に頭に来ました。

借りたトラクターを洗車して返す手はずを整えていたところだったと松ちゃんは言った。

今回の被害で4回目だ。

震災から12年も経つのに未だにこれだ。震災前はこんなことなかった。

前回、重機とトラック計3台盗まれたときには寝ているときに盗まれ、家から出ているときにも盗まれるんじゃやってらんねぇと松っちゃん。

だから今も松ちゃんは重機も農機具も買えないでいます。

とは言え弁償すると言っても同じ年式の物はないし、新品で返すには高額。さらに返還先に盗まれたことをまだ言えてない状況にいる松ちゃんに僕は心から同情した。

 

今回、彼は警察に被害届けを出さなかったと言った。

何で?と聞いたら「被害届出してもトラクターは帰って来ねぇし、今、警察に行ったら怒鳴っちまうべ」と。

彼はまっすぐな人間だから、昨年の12月8日の新聞やTVニュースでも報道された富岡の警察署の警官が起こした不祥事のことで怒っていたんです。

市民の財産と命を守るべき警察官が破廉恥極まる事件を起こし、一般人がやったら年齢、どこの誰で、住所も何もかも報道されるのに、警察官は名前も住所も何も報道されない。これマスコミが警察に忖度してるってことだよなって怒っていました。

一人の警察官のおかげで同じ警察署で真面目に職務を遂行している警察官の方々の忸怩たる思いを僕は痛いほどわかる。

同じ署の同僚を犯人として逮捕するときは怒り心頭だったろうな。

たった一人の愚行で署の全員が悪く言われるだろうからたまったもんじゃない。。。。。

僕もこのことを知ったときカチンと来たけど、この先、こんなことが2度とないように願っています。

 

牧場の方では昨年ポニーのヤマが亡くなってから老牛が立て続けに亡くなり、今は震災後に生まれた子の3頭だけになりました。

ここ2~3年で十数頭の老牛たちが静かに逝った。

 

震災後すぐに半谷じっちゃんから30頭くらい託されたときに13歳から15歳になる牛が多かったのですが、みんなここまで良く長生きをしてくれたと思います。

殺処分命令が出てからから12年、多くの牛があの時に命を奪われたけど、みんな松ちゃんの所で長く生きられてよかったね。

思い起こせばいろいろあったけど、よく頑張った老牛さんたちにありがとうと言いたい。

今はゆっくりと休んでください。

また次の世で会おうね。

今まで付き合ってくれた数十頭のみんなに心を込めて

合掌。

 

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

YouTube