味スタ満員化計画

FC東京ービッグクラブへの道

沢登降臨

2009年06月15日 | これは言っておきたいこと。
「駒沢」「ナビスコ」「清水戦」とくれば、
どうしても思い出してしまうのが
2002年4月27日の試合です。
宮沢の「直接コーナーキック」で始まり、
沢登のPK「やっぱりノボリ」失敗で終わったこの試合は、
東京の石川デビュー戦でもあり、忘れられない試合のひとつです。

昨日も、3対0とリードして、蒸し暑さで朦朧としている僕の頭は、
ここで清水にPKを与え、それを外して…などと
相手に対する敬意のカケラも感じられない事を考えていました。
実際に終盤、PKを献上、権田のビッグセーブで事なきを得たときには
サワノボリ様の駒沢降臨を想いましたが、
問題はその前の1失点です。
これから決勝トーナメントに入り、いつも通りのレギュレーション、
アウェーゴールルールが適用されれば、3点リードで1点入れられると
それまであった余裕も楽勝ムードも吹き飛びます。
悪い流れになり焦って連係ミスが出て、終盤に連続失点なんてケースも
十分考えられます。ですから、本来ですと楽勝ムードで1点くらいいいや、
なんて弛緩しきった考えは、絶対に持ってはいけないはずなんです。
でも、相手は10人、3点リード…、
僕も含めて昨日の東京は、緩んでいたと言われても仕方ない。
実際にPKを与えてしまったんですから。

その後の権田のビッグセーブ、
本当は沢登が降臨したんでもなんでもなく、
赤嶺のおかげだと思っています。
1失点後、猛烈な勢いでゴールライン際までルーズボールを追いかけた赤嶺。
惜しくも間に合いませんでしたが、
弛緩していた東京に、再び喝が入りました。
それがあのセーブを呼び込んだのだと思います。
もし、あのスイッチが切れたままだったら…
終盤、10人の相手に追いつかれる、
なんて展開も十分あったのではないでしょうか。

その意味で、昨日のMVPは、赤嶺だったと思っています。

今こそ言いたいこと。ずっと言えなかったこと。

2009年05月26日 | これは言っておきたいこと。
本当にもう、ずっと言いたいと思っていた。でも言えないでいた。それは…

「石川を日本代表に」
「石川をワールドカップに出してやりたい」
「石川を南アフリカへ連れていきたい」

FC東京の歴史の中で、引退した選手、移籍した選手も含め、
誰よりいちばん、日本代表のユニフォームが似合うのは石川だと思う。

僕もすっかり日本代表の試合を見なくなったし、
天秤にかければ、確実に東京のが重い。
岡田さんが、どんなサッカーを指向してるのかも知らない、
どんな選手が好きかも知らない。
東京の選手が代表に呼ばれ、疲弊して帰って来るのは本当に許せない。
でも。それでも石川を南アフリカへ連れて行きたい。

出来れば背番号は「7」。
代表でのレギュラーポジションを確実に持ち、
右サイドを駆け抜け、ワールドカップでゴールを決めて欲しい。
(アジア予選は出なくて構わない)

そのためには、東京でこのまま好調を維持し、
いや、さらに結果を出し続け、来年の今頃までゴールを量産、
そのお陰で東京も順位を上げ、日本中にあらたな「石川旋風」を巻き起こし、
日本中、そこらのおばちゃんまでもが石川を知っている、
そんな状態にならないといけないだろうと思う。

だから。無理を承知で言うけれど、
東京のサッカーも、石川を代表に選出するためのサッカーをしていいと思う。
徹底的に石川の上がりをサポート、ボールも石川に集め、
ゴール量産体制を築く。そのまま今シーズン、
終わってみれば20ゴールの得点王。
新たな女性ファンまでも量産し、味スタは「ナオフィーバー(もはや死語)」。
気づけば、いつの間にか味スタ満員。
なんてことにもならないとは限らない。

石川自身も、代表に選ばれること、ワールドカップに出ることを、
最近はあまり言わないけれど、望んでいると思う。
以前、「忙しくなることが目標」と語っていた石川は、
過密スケジュールに負けてコンディションを落とすことはない。はずだ。
誰よりも、代表に選ばれ、試合に出て、結果を出すことが
東京のサッカーにもいい影響をもたらす選手だと思う。

だから、石川を日本代表に。
僕は、本気で願っている。

明日はクラシコ

2009年05月24日 | これは言っておきたいこと。
なんだかとても楽しみです。ちょっと前まで川崎戦、不安のほうが大きかった気がするんだけど、やはり北斗の一撃で、東京周辺の風向きが変わったかな。
明日は平山もスタメンっぽいですね。川崎サポーターの知人に聞いたことですが、3年前の味スタ、劇的な大逆転で東京が勝利した試合直後、平山のコメント「審判のせいにしてたら、優勝なんて出来ないでしょ」みたいなのが、ひっじょーに川崎サポーターの反感を買ったらしく、いまだに根に持ってる、と(笑)。ならばスタメンから平山を使ったほうが、川崎側を挑発する意味でも有効ではないか?とは一昨年から思っていました。3年前の等々力、平山を使えばいいのに、と雨中に思っていたらば5対2…。とにかく、試合アタマから使ってみてくれー!と言うのが、ひそかな僕の願いであり、それが叶いそうなだけで、明日はとても楽しみです。ぜひ、森あたりにつっかけて欲しいものです。

2005年5月8日の呪縛

2009年05月02日 | これは言っておきたいこと。
「ゴールデンウィーク」「大宮戦」「味スタ」と3つ重なれば、すぐさま思い出される試合がある。今から4年前、前年初タイトルを獲り、「優勝宣言」までしたのに怒涛の連敗地獄にはまった東京。この大宮戦までに連なった黒星は実に6つ。とりわけ、「楽しい大型連休」がはじまるはずの4月28日に喫した「3連敗目」の柏戦、仕事が終わって真夜中にビデオで見て、暗澹たる気持ちでゴールデンウィークに突入した。こんな暗い気持ちで過ごしたゴールデンウィークは記憶にない。連休中も、ふたつ黒星を増やし、迎えた大宮戦、選手は連名の決意書を出し、サポーターはキックオフ30分前から声を出し、飛び跳ね、応援した。試合前のアップ時に、全選手とスタッフが円陣を組んだ光景は、今でも昨日のことのように鮮やかに思い出される。

この日の先制点も石川だった。

ゴールを決めた直後、気合の乗った表情で、力いっぱい胸のエンブレムを手のひらで叩く姿に涙が出そうになっていた。だが、ロスタイムに悲劇が待っていた。引いて守りきるのか、追加点を狙いに行くのか、ほんの少し迷いが感じられた東京は、ロスタイムに同点とされてしまった。あと少しで手にすることが出来た白星は、するりと落ちてしまった。

昨年は「1点病」に苦しんだ。6月15日のFCソウル戦から、実に14試合、2点以上得点出来ない試合が続いた。この時も、呪いから解き放ったのは石川だったと思う。激しくボールを追い、体ごと相手ゴールに転がりこんだ石川は次に、猛スピードでフリーランニング、相手ボールを奪取すると、遠かったはずの「2点目」のお膳立てとなった。この日の、石川の気迫が、1点病克服に繋がったと思うし、次節あの多摩川クラシコ、10人での勝利に結びついていたと思う。昨年の東京、終盤の快進撃は、この大宮戦、もっと言えば、石川の気迫から始まったのだ。

今年の東京、苦しかった1点病は、前節克服はした。だが勝てなかった。

歴史は繰り返される。また大宮戦か。予感は的中したようだ。石川のハットトリック。そして、苦しみながらも、見事に試合をクローズしてみせた東京は、あの日ロスタイムに追いつかれた東京とは違う。ロスタイム5分は、昨年の等々力を思わせる苦しい時間だったけれど、それでもなんとかしのいでくれた。

勝ち点3以上の勝利。ここからまた、昨年の終盤戦を思わせる快進撃をして欲しい。今年の1点病は、たったの10試合で終わった。まだまだシーズンは長い。これからの、東京の戦いに期待しています。

小平へ行こう♪

2009年03月19日 | これは言っておきたいこと。
ざっと現時点での星取表を見てみると、
東京の順位だとか黒い丸がふたつ並んでるのとかは置いておいて、
開幕2連勝したチームはふたつしかないのですね。
同じように、開幕2連敗したチームもふたつしかない。
(このうちのひとつが東京だと言うことは、さらっと無視)
このことは、まだまだ今年もJリーグは、
群雄割拠の戦国リーグだと言うことがわかります。
絶対的に王者として君臨するチームがない。
今年も去年のように、ダンゴ状態でリーグは進むのかもしれません。

ここ2試合の東京を見ていて、
なんとなく覇気がないと感じてるのは僕だけではないでしょう。
昨年いい順位だったからと言って、戦国Jリーグ、そう甘くはありません、
下位のチームも、虎視眈々と下克上を狙っているし、
どこが上位に来てもおかしくない。
いつなんどき、暗闇から斬りつけられるのかわからないのです。
スキを見せたらその時点で負け、戦なら死を意味します。

次の山形戦、なんとしてでも勝ちたい。
東京サポーターのほとんどが、同じように思っていると思います。
そんな気持ちを持って、試合前日、小平練習グラウンドに来ませんか?
練習を見てるだけでもいいですし、ファンサービスエリアで選手と握手、
ほんのちょっとの「がんばってください!」の一言だけでも、
味スタで敗戦後のブーイングより選手に響くと思います。
味スタは大きなスタジアムですから、サポーターの顔はよく見えません。
小平グラウンドなら、選手と近いですから、熱を伝えやすい、
そして、「がんばって!」の一言を言った人の顔、脳裏に焼きつけやすい。
あと50センチダッシュしてボールを奪う、カラダを寄せる、
その踏ん張りを後押しするのは、
そのとき選手の頭に浮かぶサポーターひとりひとりの
顔と言葉ではないでしょうか。

さいわい、今度の金曜日はお休みです♪
天気予報はかんばしくありませんが、
ここはいっちょ、東京のために早起きして、小平グラウンドへGO!
ここのところ毎日練習見学してますが、
試合前の練習がいちばん面白いですよ~、本当にオススメです。
行ったことない人も、躊躇してる人も、予定がないなら金曜日は小平へ!!

別に、小平観光協会からお金をもらってるわけではありませんが(笑)
山形戦はもうはじまってる!そう思います。
選手に元気を注入しに行きましょう!

ここが最初の山だと思います。

佐原が最終ラインに戻ってきた!

2009年03月19日 | これは言っておきたいこと。
開幕から2試合で失点7と、考えたくないけど
「守備崩壊…?」と思ってしまう東京の最終ラインに、
出遅れていた佐原が戻って来ました!
本日、小平で行われた練習試合で、先発組でモニとコンビを組んでいたのは
平松ではなく佐原でした。平松をもっと見たかった気もしますが…
それでも頼れる兄貴が帰ってきたことはやはり嬉しい。
トーチュウに出ていた「青空ミーティング」も、佐原がはじめたようだし、
これまで外で見ていたからこそ、東京DFの現況を誰よりわかってるのも
佐原なのかもしれません。

今オフ、その類稀なる作詞センスで、塩田をいじったのは記憶に新しい。
塩田が味スタに戻って来たら、盛大にゴール裏から
その歌を唄って迎えてやりたいと思っていたのだけれど、
その前に、もしこのまま順調に山形戦に佐原が先発するようなら、
塩田より先に盛大に唄って迎えることは出来ないだろうかー。

「東京の3番は、おーおーサラサラさ・は・ら!」

いや、「イケメンさはら」でもいいんだけど(笑)。
今日の練習試合では、ヘッドで競り合う際、相手選手にのしかかり
2回もファールをもらっていた佐原ですが、
「東京の空で好き勝手させん!」と言う強烈なメッセージと受け止めました。
アグレッシブにガツガツ行く。絶対に東京のゴールは割らせない。
山形戦は、そんな東京最終ラインが見たいです。

ちいさなゆめ

2009年02月20日 | TOKYO DREAM 2011
あんまり思い出したくないのですが、昨年のリーグ最終節千葉戦。
フクダ電子「カレースタジアム」アリーナのカレーは、僕はもう今後一切食べることはないでしょう(←執念深い)。
後ろからチクチク攻撃されてまで寒空に行列したくはないし、
そもそも、あの程度のカレーなら、
ちょいと自転車で走ればクサルほどあるのが東京なのだよ。
だからもう、ぜーったい、頼まれたって食べないもんねーだ、いーっ(子供か)。

ですが、転んでもただでは起きない性格、収穫はありました。
「名物」ウィンナーを買うために並んでいる人たちはみな、
自前のタッパーウェアを持参するのが習わしなのですねぇ。
「常識」らしいです。
このタッパーウェア、商品化出来ませんか?

味スタでの試合の日には、タンブラーと共に必ず持参、
フードコートの食べ物やスタジアム内売店の食べ物をタッパーに入れてもらうと、
50円の割引。(100円でもいいか)
試合日に大量消費される容器の節約、ならびにゴミ削減が出来ます。
学校や会社に持って行くお弁当を入れる容器として使ってもいいです。
そしたら、東京サポーターだって普段からアピールも出来ちゃう。
ここで肝心なのは、子供が東京サポーターだからって学校で馬鹿にされないよう、
「アジアの絶対王者」くらいの成績にはなって欲しいものですね~。
そしたら、クラスの過半数くらいの子供たちが
この青赤弁当箱を持参している教室の光景が見えます。いいでしょう?

ついでなので、所謂エコロジー的な商品をシリーズ化してもいいのではないかな?
題して「リアル・グリーン・プロジェクト」。
某ミドリチームの「グリーン」ではなく、本当の緑を取り戻せ!
そういうプロジェクトです。

例えば…

■FC東京エコバッグ
普段のお買い物はロゴ入りの袋でレジ袋を断る。
■FC東京青赤お箸
昨年のありました。かっと箸みたいな良いネーミングはないかな?
■FC東京風呂敷
ちょっと大きめの荷物も、青赤風呂敷をさらっと出して小粋に持っちゃう。
ドロンパが首に巻いて「スーパードロンパマン」ごっことか。
(当然ドロンパは、正義の味方に変身したりするんですよね?)

などなど、考えるとキリがありません。
いっそのこと、味スタ界隈に畑作っちゃって、有機野菜を栽培、販売する。
オーガニック素材の手織り風東京マフラーやストールなんてのも、
あったら欲しいな~と思います。

そういうラインを作ることで、
世間に東京を知ってもらうキッカケにはなると思う。
意外と知れ渡ってないんですよね、タンブラーを使って、
どれだけ1試合でゴミを減らせているのか、とか。

チームをアピールする点でも、
このエコロジーラインの商品化は有効だと思います。


ちゅうくらいのゆめ

2009年02月18日 | TOKYO DREAM 2011
「世界一になりたい」と大風呂敷をひろげてしまったので、
中休み的にちゅうくらいの夢を。

先日、宮崎入りした東京ですが、どうやら揃いのスーツではないようですね~。
村林さんが、サプライヤー契約してくれるメーカーを探してるような記事が出てた気がするのですが、現在までに見つかってはいない、と言うことでしょうか。
今シーズンには間に合わなかった、と言うのなら、
せっかくなので時間をかけて検討し、
他所がやってないような移動用ファッションに出来ないものでしょうか。

ざっと記憶をたどってみると、他のチームも代表も、
判で押したようにスーツですけれど、
東京はブレザーにして欲しいんですよね。

胸に燦然と輝く東京エンブレムをつけ、
金ボタンにフランネル素材の、トラディショナルなブレザー。
一昨年くらいから、ブリティッシュスタイルが流行してるわけですけど、
それを受けて、クラシカルなブレザーを作ってはいかがでしょうか。

本来、ブレザーはスポーツアイテムです。
どうもブレザーと言うと、七五三かお坊ちゃまなイメージですが、
スポーツを愛する大学生や選手が
フィールドを離れたときに着用するジャケットです。
以前、ラグビーのオールブラックスが
揃いのブレザーを着ているCMがあったと記憶しているのですが、
とても格好良かった。
これを日本では、東京が出来ないだろうか、と思います。

昔々、東京ラブストーリーが流行った時代に、
「紺ブレ」というのも同時に流行しました。
確かに、なんとなくブレザーではありましたが、
エンブレムが付いたタイプはあまり売れなかった。
トラディショナルスタイルを愛する僕としては、
この紺ブレが気持ち悪くてしょうがなかった。
それから約20年の時を経て、今度は正統派ブレザーが女子の間で流行しているのは
歓迎すべきことなのです。とは言え、あんまり見かけませんねぇ。

もしブレザーを作ったら、僕はほぼ間違いなく買います。
教科書通り、レジメンタルのネクタイをして、きちんと着るのもいいですが、
あえてジーンズを合わせ、気崩しプレッピーを気取るのもいいでしょう。
子供の授業参観日に、スーツをビシっと着るのはどうかと思いますから、
ネクタイなしでブレザーなら、
適度にだらしなくない程度のお父さんスタイルの出来上がり♪です。
使い勝手は、かなりいいと思います。

そのかわり、エンブレムは新しくデザインし直して欲しいところです。
出来れば金ボタンも、東京オリジナルが欲しいですねー。
セットで青赤のスクールマフラーも作れば、
スタジアムへ行く日だけでなく、普段から東京サポーターであることを
アピール出来ます。普段から青赤、これは僕の、ちょっとした夢でもあります。

さぁ!どうでしょう!?
東京オリジナルブレザー、どこか作ってくれねーか?

TOKYO DREAM 2011~世界一になりたいⅡ

2009年02月13日 | TOKYO DREAM 2011
ワールドカップ予選があった翌日に、こんな記事を更新するのは
ややためらわれますが、それでも夢を語りたいと思います。
前回は「世界一になりたい」と書きましたが、
今回は「世界一を2回連続で獲りたい」です。
もし、CWCのタイトルを、2年連続でJリーグのチームが獲ったら・・・
(そのチームは願わくばFC東京であって欲しいのは言わずもがな)

そのときはまず、FIFA(国際サッカー連盟)が黙っていません。
欧州・南米の参加クラブも、まず黙っていないでしょう。
なんらかの手立てで、大会方式を変えてくるはずです。
日本の、アジアのチーム(なんか)が、世界一になっていいわけがない、
何かが間違ってる、そう主張してくるでしょう。
日本のチームが善戦したとして、その善戦には拍手を送るでしょう。
でも、世界一のタイトルを、日本のチームが獲ったとしたら、
歴史の浅いCWCの大会運営にケチをつけ、方式を変えてくるのではないだろうか?
と予想します。

一見「卑怯」なようでもありますが、
手段を選ばない「本気」にさせた、とも言えます。
そもそも、3ツ勝てば世界一と言う大会方式は、どうせアジアのサル共は、
こんなやり方でも勝てないんだろ?参加させてやるだけでも満足しろ、
せいぜいスーパースター様のプレーに金と場所を提供しやがれ、的な
上から目線を感じています。
これは、かなり悔しい。
だから僕は、欧州のビッグクラブには、到底敵わない、とは
口が裂けても言わないんです。
そもそも、レアル・マドリーなどのビッグクラブが、
2002年以降アジアツアーをするようになったのは、飽和した欧州サッカー市場で
金の奪い合いをするならば、まだ手付かずのアジアマーケットから
金を巻き上げればいいと言う、植民地政策の匂いがする。
21世紀になった今も、まだ大航海時代みたいな発想を持ってる、
それがヨーロッパの人たち、と言っては言いすぎでしょうか。
ですから、CWCにしても、アジアやアフリカなどは「参加させてやってる」
そういう発想なのじゃないか?と想像するのです。

そう思うと、本当に悔しい。
だから僕は、世界一になりたいんです。
CWCが、今と同じ大会形式のうちに、3つ勝って世界一に。
そして、それがフロックだと思ってる間に、もう一度世界一に。
大会形式がどう変更されるかわかりません。
ホームアンドアウェーにするとして、
チャンピンズリーグや各国リーグとの兼ね合いがありますから、
スケジュール調整が難しい。それでも変えてくるでしょうね。
FIFAもUEFAも黙ってはいないでしょう。

まずは、彼らの重い腰をあげさせること、
そうなってはじめて、CWCが真に世界一を決める大会として、
成熟していくでしょう。

TOKYO DREAM 2011~世界一になりたい①

2009年02月09日 | TOKYO DREAM 2011
「夢」を語るんだ~!と風呂敷を広げたのにもかかわらず、
小平で練習ははじまるし、小平で初練習試合はあるし、
小平で小平で・・・とにかくアタマもカラダも忙しい!嬉しい悲鳴♪かな。

最初の夢は、やっぱりいちばん大きな風呂敷を広げてしまいます。
「世界一になりたい」
この年齢で、恥ずかしげもなく「世界一」と言う言葉を出せるのは
しあわせだと思います。普通は言えない。
でも、サッカーを通してなら、その実現は困難でも、不可能ではない。
そう思います。

クラブワールドカップで優勝したいんです。
日本代表がワールドカップで優勝することより、現実的に近道だと思います。
まず、アジア王者として、CWCに出場、
アジア代表として3つ勝ち続ければ世界一。
簡単ではないけれど、不可能ではありません。

準優勝ではダメです、1位と2位、または3位との間には
幾多の強豪クラブが潜在的に隠れています。
ですから、1位にならないと、世界を驚かすことにはなりません。

昨年、一昨年と、日本のクラブがアジア代表としてCWCに出場、
世界3位と言う記録を残しました。立派なことです。
ですが歯がゆかったのは、ACミランと、マンチェスターユナイテッドと、
タイトルをかけて真剣勝負が出来た、
それだけで満足してるきらいがあることです。
よく見かける新聞の見出し「本気にさせた!」は、
そもそも日本のクラブを馬鹿にしています。
そして、多くの観客、視聴者は、「レベルが違う」そう考えているのも歯がゆい。

以前、海外のクラブがオフシーズンに日本を訪れ、
プレシーズンマッチをするのが流行しました。
2002年以降の日本人は、「スーパースター」に飢えていましたから、
シーズン前のコンディションがどうであれ、日本で見られるだけで満足、
そんな観客が多かったように思います。ですが日本人も馬鹿ではありません。
「真剣」でないサッカーが、ワールドカップほど面白くないことに気付くのには
さほど時間を必要とはしなかった、たったの3年くらいでした。
だからこそ、タイトルマッチの「真剣さ」を求めるようになったのは、
これは成長です。
外タレが日本でライヴをする、その演奏が真剣でなかったら文句を言える、
どれだけビッグネームでもトップコンディションじゃなかったら満足しない、
日本の観客はそこまでにはなったのだろうと思います。

ですが、実はまだまだ余力を残してるのではないかと思っています。
それは、対戦する日本のチームも、スタジアムを埋める日本人も、
本気で寝首をかいてやろうとは思っていない、だから本気の本気ではないんです。
ヨーロッパチャンピオンズリーグの名勝負、そんな風に言われるような試合、
どちらが勝ってもおかしくない試合だからこそ、全力を出せるのです。
はじめから、優勝と言う言葉を出すことにためらいがあるようなら、
いつまでたっても相手は真剣を抜いてこないでしょう。

2003年、FC東京がレアル・マドリーと対戦したとき、
東京サポーターの多くが、本気で勝とうと国立に集まりました。
多くの東京サポーターの頭の中には
具体的にどう戦うかもイメージされていたと思います。
ただ残念なのは、それが1万人強しかいなかったことです。
もしあのとき、そんなサポーターが5万人、7万人でマドリーを囲んでいたら、
少なくともベッカムの1点目はなかったのではないかと思っています。
観客のほとんどが、ベッカムのゴールを期待していたのですから。

日本のクラブが、2年連続でアジア王者になり、2年連続でCWCに出場した、
この事実は、日本人の意識が変わったことの証です。
短い期間で、これほどまでに急成長していることは、誇るべきことです。
ですから、本気で世界一を目指す、
そのようになることも時間の問題だろうとも思っています。

そのときのクラブは、FC東京であってほしいものです。
可能性はおおいにあります。

【つづく】