風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

ふむ

2020年03月18日 | 雑感

昨日不安を煽ったばかりなのですが、今時点で思ことを書いてみます。
昨日僕がいった彼らの計画は尻りすぼみになりそうだと。

なんだか、世界中の人たちが冷静なのです。
かの勢力が得意とする手段は人々の不安と恐怖を煽ることなのです。
でも、今のところの状況を見る限りでは、世界中のどこでもそれが有効に作用していないように思えます。
どこの国もパニックを起こさず、冷静沈着に対処しているように思われます。
かの勢力の大本は、人々の恐れ、憎しみ、不信をエネルギー源としています。
その怒り、憎しみ、不信のエネルギーがどこからも溢れ出ていません。

かの勢力が仕組んだことというのは一切の証拠はないと言え、いつだってそうしてきました。
それについての真偽というのは、それはそれで興味深いことではあるのですが、
それよりも現時点で興味深いのは、彼らのシナリオ通りに人々が動くなくなっているということなのです。

大衆を誘導する方法というのは、その気になればいくらでも文献があります。
嘘が大きければ大きいほど、人はその嘘を疑わないだとか、メディアこそ洗脳機関なのだとか、
まぁ、いろいろあります。

そんなことより、メディアを使おうが何しようが、人々が扇動に乗らなくなっているのではないかというのが、今日の時点で僕が感じていることです。

このコロナウイルスはアメリカが持ち込んだんだという中国の言及に対して、アメリカが反発しているそうですが、そのニュースさえ盛り上がりません。火種を落として、息を吹きかけても燃えがらない状況が続いています。

なにかが以前とは違ってきています。

もちろん今回の一連の動きは続行中ですし、その経済的打撃は計り知れません。
でも、人々は冷静なのです。いまのところ。
この冷静さが叡智にまで昇華すれば、と思うのですが。


新型コロナウイルス

2020年03月17日 | 雑感

 中国・武漢を発症源とするコロナウイルスの行方を注視してきた。エイズ、エボラ、SARS、MERS等、近年世界を騒がしたウイルス禍のほとんどが人工的ウイルスの散布の結果だと疑っているが、このCOVID19と名付けられた新型ウイルスもまさしく生物兵器としてのウイルスだと思っていた。致死率は低いが、感染力が強く、発症していなくても感染を広げていくという実にいやらしいウイルスだ。ただ、その目的がよくわからない。何故今そして中国武漢なのか。そして、アジアで発生したウイルス禍で収まらず、その兵器の兵器たる所以の感染力で、瞬く間に全世界にその被害は広がり、つい数週間まではだれも予想だにしなかったイタリアやスペインが今や最も強力な感染源となってしまっている。これはなにか怪しい。今までのような、生物兵器としての効力や感染力を試すような実験的なウイルス散布ではなく、なにかより大きな目的を持った作戦としてのウイルス投下だったのではないか。もちろん、そんな情報はどこを探しても転がっているはずもない。
 で、昨日、youtubeである動画を見つけた。2010年に出された動画で、この状況をまさしく言い当てていた。アメリカ人のジャーナリスト(?)の動画で、彼に情報を提供したのはイギリスの元軍人。2005年、ロンドンのシティでのある結社の上層部の会議になにかの手違いでその元軍人が参加した時に見聞した情報だ。
 その結社は、要するに地球上に増えすぎた人類の人口を削減することをもくろんでいる。その作戦を話し合う会議だったのだ。その計画は以下のようになる。

 ・イスラエルがイランを攻撃
 ・中国に生物兵器を使用。それが西洋まで広がる
 ・イランか中国がイスラエルを攻撃(小規模)→停戦

 ここまでが第一段階だ。その目的は、世界全体を不安と混乱に陥れ、各国家が社会統制、軍事統制を強めることだとする。そして、本番の第二段階として緊張を高めた国家間で本格的な核戦争が開始され、全人口の50パーセントが削減されるというものだ。
 上記の第一段階の計画について現実にどうなっているかを記す。

 ・アメリカ軍がイランNO2の指導者、ソレイマニ司令官を殺害→アメリカ軍とイラン革命防衛隊と小競り合いが続く
 ・中国にコロナウイルス発生→西洋に拡大中
 ・中国、このウイルスはアメリカが中国に持ち込んだものだと中国報道官が声明

 計画ではイスラエルとなっているが、アメリカがイスラエルの代理で動いていると考えて差し支えないと思う。これが今現在の状況だ。まさしく15年前に立てられた計画通りだ。
 世界の目がどこまで拡大し、いつ終わるとも知れぬウイルス禍に目が眩んでいるうちに、アメリカ株は暴落し続けている。今日のニューヨーク市場は下げ幅史上最大の2997ドル安で終えた。この先、次々と国境封鎖が続き、物流も人の交流も遮断すれば、世界的に経済の落ち込みは避けられない。しかも、その落ち込み方は全世界的な規模であるために、深刻な様相を呈するであろう。こうして、世界中の人々の心理を緊張と不安に陥れることこそが、作戦の第一段階の目的そのものなのだ。

 厳しい経済統制でイランは先の大戦前のABCD包囲網で追い込まれた日本のような状況だ。世界的に不安と緊張を強いて、イランを追い込むだけ追い込んで暴発するのを待っている状況だ。あるいは、二面作戦でアメリカは中国に厳しいプレッシャーをかけていくのかもしれない。ロシアが沈黙しているのが不気味だ。

 危機感を煽ろうと書いているのではありません。そういう趣味はありません。目を覚ます時が来たというか、最後の目を覚ますチャンスなのだと思います。ただ、こういう前提がないとなにから目を覚ますということがわかないのです。最悪の状況を「ぐれんとひっくり返す」(日月神示)にはどうしたらいいかを考えていきたいと思います。

 


電子書籍を出版しました

2019年06月03日 | 雑感
気がつけば、ブログを始めて15年ほども経っていました。始めたころは、自分の言葉で拙いなりにも何かを世の中に発信できるということがとても新鮮でした。その後SNSの発達により、個的な事柄を気軽に世界の電波に乗せることが当たり前になりました。恐ろしいほどの速度でコミュニケートの手段が高速化、簡便化されました。既存のマスメディアがその流れについて行けず、相も変わらない旧態依然とした勘違いの体制のままです。いずれ近いうちに淘汰されるのでしょう。
 
そういう流れの中で、だれでも小説さえ出版できるようになりました。ぼくもその流れに便乗しました。このブログで創作めいた文章を書きなぐってきましたが、その文章を手直しして、電子書籍という形で出版してみました。
 
もちろん出せば誰かの目に触れるというわけでもありません。どういう風にプロモートすればいいのか、見当がつきません。でも、自分の本を出すという第一歩は踏み出しました。このブログに目が触れ、ご興味ある方はご一読ください。
 
https://www.amazon.co.jp/dp/B07R81LRKC

令和

2019年05月03日 | 雑感
令和の世となりました。
謹んでお喜び申し上げます。
いつの時代でも先のことなど読めません。
どこに向かっているのかという傾向はありますが、それすらなにかの出来事で一変します。

人は先のことを知りたがります。
自分の不安の回答を未来に見たがります。
そんなものはないと思い知ったときに、たぶん本当の未来が切り開かれます。
未来というのは、今何をするかに依ります。
今日、今、深酒をすれば明日は台無しです。
今日、今、やることをやれば、明日は充実し、さらにやることをやっていきます。
それだけのことです。
 
令和という語感が、ぼくは好きです。
浮ついたた感じがしません。
新しい時代は、自分の人生を自分の手の中に取り戻す。
それがテーマのような気がします。
 

冷たい雨の降る日に

2019年03月06日 | 雑感

一日中冷たい雨が音もなく降っていました。
空は暗く、春が近づいてきているという感じはしません。
どこかに行くあても、誰かに会う予定もありません。
本を読む気にもなれず、布団に寝転び天井を眺めます。

ぼくが中学生のころです。
父親が倒産して、家でゴロゴロしている時期がありました。
学校から帰ると、父親がコタツに入って庭をボーっと眺めていました。
ただいま、お帰りの会話もありません。
そんな父親の姿を見るのがたまらなく嫌でした。
そのころから父親と会話することがめっきりなくなりました。

今のぼくはそのころの父親より遥かに年上になりました。
布団に寝転び天井を眺めています。
幸いなことに、今年中学生になる娘にはこの姿を見られていません。
無為、無気力になった親の姿を見るというのは、子供にとってはとてもショックなことです。
がんばろうとする気力が根こそぎ虚無の闇に吸い取られるような感覚です。
なにか見てはいけないものを見てしまったというような、トラウマめいたものが心にずっと残ります。

梅はその盛りを過ぎ、数週間もすれば桜が咲きます。
そして新緑が萌え、梅雨に入り、蝉が鳴きます。
若いときは無限に続くかと思われたその繰り返しも、年をとればあと何回の繰り返しなのかと感慨深くなるものです。
明治や大正時代辺りまでは、年をとったら、とっただけの感じ方や考え方というものがあったように思うのですが、
平成の時代に無駄に年をとったぼくはそういう考え方や感じ方というのをとうとう学び損ねました。
感じ方や考え方など、中学のころから何一つ変わっていませんし、成長していません。
感じたこと考えたことを、そのまま出さない小狡さは覚えましたが。

いくらこちらが小ずるくなろうとも、自然は正直に移ろいます。
せめて季節をふと感じた折くらいには、こずるさを捨てて、自然の移ろいに身を任せたいものです。
このところ、隠居さんというのに憧れます。
昔なら隠居さんになってもいい年です。
そうはいかないので、なにやらかにやらウロウロします。

 

 

 

 

 


ふとした仕草

2018年12月19日 | 雑感

ふとした仕草にすべては宿ります。
ややこしい思いをこめた行いや言葉は虚空の風に吹かれて消えます。

思おうとした思いはキザなのです。
思わずに宿った思いは神の息吹です。

やろうとしてやった行いは遅すぎるのです。
気付いたらしていた行動は神の手足です。

赤ん坊は思いと行いが分離しません。
思いすなわち行いです。

苦しければ泣き、
嬉しければ笑います。

思いと行いとを冷徹に分離するなのが賢いのだとぼくらは教わりました。
したいことをそのままするのは馬鹿だと教わりました。

したいことより、すべきことを優先しました。
さらには、すべきことより、己に得なことを優先しました。

あらゆる行為からふとした仕草が締め出されました。
計算づくの言動が大手を振るいました。

その結果残ったものは哀しみです。
どこにも行けない、なにも生み出さない哀しみです。

ふとした仕草にすべては宿ります。
あなたの眉が少しだけ動いたときにあなたの人生のすべてが宿ります。

 

 

 

 


阿佐ヶ谷

2018年05月12日 | 雑感

東京の各町を紹介する番組で、今週は阿佐ヶ谷でした。
40年前ほどに住んでいた街です。
嫌な思い出がひとつもありません。
安い定食屋があり、飲み屋街がありました。
商店街や飲み屋街を一歩外れると閑静な住宅街が広がっていました。

隣町の高円寺や荻窪とはそこはかとなく雰囲気が違いました。
高円寺はミュージシャンが好みそうな尖り具合があり、荻窪はぼくにはピンと来ない町でした。
かぐや姫の「荻窪二丁目」という歌は好きでしたが。

朝方までやっている飲み屋がけっこうありました。
新宿で朝方まで飲んで、始電で帰って、へべれけの状態でそういった店で潰れるまで飲みました。
文句を言われたことは記憶にありません。
そういう店だったのです。

隣の隣の西荻の骨董屋で谷川俊太郎を見かけたことがあります。
そのころ彼は阿佐ヶ谷に住んでいたはずです。
詩集でそのご尊顔は拝見したことがあります。
ぼくが店でなにかを物色していると、背後のドアのベルが鳴り、振り返ると彼が居ました。
その独特な雰囲気で、彼だとわかりました。
小柄で、鋼鉄のようなオーラを身にまとっていました。
言葉というものを毎日毎日研ぎ澄まし続けていくと、こういうオーラを纏うようになるのだなと感心した覚えがあります。

その後、当時付き合っていた彼女が高円寺に住んでいたこともあり、高円寺に引っ越したこともあります。
学生にとっては、高円寺は気楽で住みやすい街でした。
でも、彼女と別れてからは、また阿佐ヶ谷に引っ越しました。

引っ越したアパートは、ヴィオロンという喫茶店のまん前でした。
大型の真空管のアンプでクラッシックを流すおしゃれな店でした。
マスターは、小柄な無口な30代くらいの男の人でした。
苦いコーヒーを出す店でした。
その当時のぼくは、クラシックを聞くという趣味はありませんでした。
でも、コーヒーを飲みたくなれば、その店に入るわけです。
文庫本を持ち込んで読もうとしますが、何せ店内が薄暗すぎて読んでいると目が拒否反応を示し始めます。
仕方がないので、タバコを何本か吸って、なんだかわからないクラシック音楽を聴き捨てて店を出る羽目になります。

その店の隣にはかなりのお年を召したご婦人がスナックをしていました。
何度か足を運びました。
何せ、自分の住むアパートの真向かえです。
いろいろ話を伺いました。
大陸からの引揚者だったみたいです。
その大陸に沈む夕陽の大きさが忘れられないと話していました。
若造のぼくは、なんと返答していいか分からず、水割りをひたすらお代わりしていました。

その後、何年ぶりかにそのアパートを懐かしさのあまり訪れたことがあります。
アパートは取り壊され、新しいコーポになっていました。
ヴィオロンは健在で、その隣がタイ料理屋になっていました。
さすがにスナックはなくなっていました。
そのタイ料理屋に入ってみますと、タイ人の感じのいい女性が切り盛りしている傍らに、
あの小柄で無口な男性が水を出したり、皿を下げたりしていました。

 


文学

2017年12月11日 | 雑感

芥川は芥川でいるかぎり死に至る。
太宰は太宰でいるかぎり死に至る。
三島は三島でいるかぎり死に至る。
そしてヘミングウェイもヘミングウェイであるかぎり死に至る。

漱石は漱石でいるかぎり胃を壊す。
鴎外は鴎外であるかぎり孤に陥る。
村上は村上であるかぎり脱に拘る。
そしてドストエフスキーはドストエフスキーであるかぎり現実と空想の間を逡巡する。

そしてタカハシトオルはタカハシトオルであるかぎり全てを逸脱する。
かぎりのない虚無に向かって。
タカハシトオルとは虚無の海に浮かんだ虚無の船。
どんなに実のある荷を積んだとしても、虚無の海の底に沈める虚無の船。

虚無は虚無、なにもかもが無意味な地獄のマグマ。
無とは無だからこそ全ての可能性が開ける、全てがそこから産まれいずる豊穣の海。
それでも、豊穣の海は地獄のマグマの熱量を吸収する。
そうして、ありとあらゆる熱帯魚が南の海で乱舞する。

無の豊穣は豊穣であるがゆえに、秩序とともに混沌も同時に産み出す。
秩序と混沌のせめぎあいこそ豊穣なのだ。
是非が螺旋状に渦巻くのが地表での出来事だ。
タカハシトオルは声を失う。

おれは何に参加したいいのだとタカハシトオルは言う。
したいようにどうぞと風は答える。
タカハシトオルはうなだれる。
騙されるものかと思う。

でも、誰も騙してはいない。
優しかろうが、ズルかろうが、われ関せずであろうが、人はそれぞれの縁起にしたがってあるようにある。
それだけのことだ。
ただ、タカハシトオルには、それだけの縁起の自覚がない。

「いま、ここ、じぶん」の自覚が薄い。
厄介だ。
答えをわかりつつも、そう生きられないどこまでも小賢しい阿呆。
そうして本来尊い時間というシステムを空費していく。

面倒くさいです。もうすべてと直結したいです。

 

 

 

 

 

 

 

 


青い鳥

2017年12月02日 | 雑感

メーテルリンクの有名な童話「幸せの青い鳥」は、ぼくも読んだことがあります。
おそらく小学校低学年のころだったと思います。
今考えると、すごい話です。
それにすべてが尽きているというような話です。

「いま、ここ」の外に幸せの答えを探しても、決して見つからない。
外の世界は常になにかありそうなそぶりを見せ続けるけれども、夢の如くこの手に掴めるものは何もない。
「いま、ここ」から逸脱すれば、過去・未来に、あるいはここではない架空の場所に答えを捜し求めることになる。
まさに禅が厳しく戒める逸脱です。
そして、今でも多くの人が逸脱し続けているありようでもあります。

「いま、ここ」が掴めれば、人は安心します。
逆に言えば、それが掴めなければ、どんな境遇にいようとも、人の心は安んじることができません。
「いま、ここ」を掴むためにはどうしたらいいのか。
その、どうしたらいいのかという「計らい」を捨てきることなんだと思います。

「計らい」は自らの計らい通りになるように、自分と周囲の行動を自らの想定通りに流動することを「期待」します。
誰が期待するのかといえば、期待するすなわち計らう当人「だけ」です。
周囲の人や環境が、一個人のきわめて恣意的な計らいに一々考慮しながら流動するはずもないのです。
ところが、「計らう」人は、自分の計らい通りになった、ならないと一喜一憂して日々を過ごします。

「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候 是はこれ 災難をのがるゝ妙法にて候」
これまた有名な良寛さんの残した一切の「計らい」を捨てきった尊い言葉です。
一見、常識的な見方からすれば、この言葉は非情で無責任な言葉に思えるのかもしれません。
昨今の震災で亡くなった人たちに、この言葉を誰かが紹介したらその誰かは間違いなく袋叩きに遭います。

「妙法」という言葉の重厚さを分かれというほうが無理があるのかもしれません。
「計らい」を捨てるという意味も、おそらくすこぶる分かりづらいです。
「計らい」ばかりで現実の経済活動も、婚姻生活も、教育システムも、なにもかもが成り立っているわけですから。

「計らう」前から、幸福はそこにあった。
それに気がつくというのがメーテルリンクのお話でした。
お話としては誰もが分かります。
でも、自分自身のリアリティとして、この世の幾人かがそれを実感して生きているでしょうか?
それは自分自身が生きるという唯一無二の物語の中で、各々が感得していくしかないでしょう。

こうなればいいなぁ、ああなれたらいいなぁという夢想に「いま、ここ」はありません。
ああすればよかった、こうすればよかったという後悔にも「いま、ここ」はありません。

「いま、ここ」はどこにあるのか?
その質問自体が砕け散る必要があるのでしょう。

 


ネズミの話

2017年11月30日 | 

「あのね」と少女が言う
「なんだい?」と訊くと少女はくすくす笑う
ぼくもつられてくすくす笑う
彼女の目はぼんやりと天井に向けられている
「あのね」と少女が今度は真顔で言う
「なんだい?」とぼくも真顔で答える

「ネズミのお話」
「ネズミのお話?」
少女はまたくすくす笑いながら頷く
「ネズミがどうしたの?」
「コロンでけがしたの」
彼女の目はまた天井に向けられる

「どうしてネズミは転んだの?」
「あなたが悪いの」
ぼくが悪い
「どうして?」
「あなたがきらったから」
ぼくが嫌った?

「ネズミはね」
彼女の顔を見た
「なかよくしようとしてたの」
「誰と?」
ぼくは訊いてみた
「あなたのしらない世界と」

ぼくの知らない世界
「そうなんだ」
彼女は頷いた
「あなたなんか知らないところよ」
「なんかネズミにぼくは悪いことしたのかな?」
「そうよ」と彼女はぼくを正面から見た

ぼくは戸惑って彼女の目線をそらした
「あなたはいつもそう」
いつもそう
「そうなのかな?」
「そうよ」
少女はぼくから目をそらさない

「で、ネズミはどうしたかったの?」
ぼくは訊いてみた
「あなたに動いてほしかったの、いっしょに」
動いてほしかった
「何を、どんな風に?」
彼女はまたくすくす笑った

「あなたにはわからないの」
ぼくには分からない
「ネズミの気持ちが?」
彼女は心底さめたような目つきでぼくを見た
「ネズミはコロンでけがしてる」
ぼくはうな垂れてぼくの知らない世界のことを考えた

 

 

 

 

 

 


カラスがなく

2017年11月17日 | 

苦しいときには苦しさを考え
哀しいときには哀しいことを考え
怒りに震えるときには怒りについて考えた

そうして思った
喜びにみちあふれるときはなにも考えることがないことを
喜びは喜びで踊っていた

人は腑に落ちないときには考える
腑に落ちたときは考える隙がない
なにもかもが地平線

喜ぶまもなく波は押し寄せる
たゆたうのもよろしかろ
押しのけ飛びあがるのもよろしかろ

ゆあーんゆあーーんと押し寄せる
その時に、なにを見る?
見せかけだけの波が押し寄せる
波にのまれてしまえばいい
沈んでしまえばいい
その時に思う
おれはなんだったのか
波に巻き込まれながら息もできなくなりながらそう思う
おれはなんだったのか

答えなどない
なにかに巻き込まれ、なにかを巻き込んでいく
そうやって、人はそれぞれの思いで夕日を見つめる
その上を、感傷のまもなくカラスが巣に帰る
すべてはでたらめだ
だからこそ
この世はとうといのだ、とカラスがないている

 


カエルの歌

2017年11月16日 | 

いつだって耳を凝らしていた
なにひとつ聞き漏らしてはいけないと思っていた
だけどその音はいつもひどく、くぐもっていた
ぼころぼころと、その音はなっていた
泥の中でカエルが歌っているのだろう

ときおり、そうやって耳を凝らしているのが馬鹿らしくなった
カエルの歌などどうでもいい
耳を凝らすのをやめた
恋人と、カレーライスの辛さついて語った
友人と、村落からの人口の流出について語った

それでも、だれとも喋らず沈黙が訪れる時がくる
カエルが鳴きはじめる
耳をふさいでもカエルの声は脳の奥までリズムを刻む
すっかり降参して、カエルの声に耳を澄ます
ぼころぼころとカエルは歌い続ける


あるアル中の一日

2017年08月11日 | 雑感

なにもかもが嫌になったら、嫌になることさえ嫌になる
時は止まり、目前に灰色の風景が広がり、誰かのくぐもった声が断続的に周囲に沸き起こる
それでも二度か三度の食べ物を食らい、排泄もする
それを虚しいとも思わない
虚しいとすら思わない自分がゾンビのようにノロノロギクシャクと動き回る

これはひとつのパターンなんだとは自覚する
虚無主義のパターン
ダサい
ひとつのパターンに沿って生きるほど安易なものはない
しかもきわめて精度の低い、性格の悪い頭脳が作り出すパターンだ

そう思いながらも、昼から酒を飲み始める
飲めば飲むほど、灰色の風景は闇の中に沈んでいき、周囲の声も聞き取れなくなっていく
酩酊にずぶりと沈む自分を感じながら、なにかを思い起こそうとする
なにか強烈な、なにかを思い起こそうとする
それを思い起こしさえすれば、すべてが救われるかのように

そんな奇跡は起きはしない
思いは混濁していく
ふと外を見てみると残酷なまでに照り輝く西日
混濁は渦を巻いて黒さを増していく
奇跡を待ち望む気持ちも消えかける

アル中はしつこい
消えかけると急にそれが惜しくなる
奇跡を待ち望むべく明日から酒を断ちますなんぞと虚空に向かって嘘を吐く
なんぼ嘘を吐こうがしだいに目の前は暗くなっていく
かすかに明日こそはという思いをちら入りと思いながらも、赤黒の闇に飲み込まれていく

 


信仰心

2017年04月27日 | 雑感

なにかを思うということは、想念というエネルギーをなにかに集中させることです。
その集中先は、恋人であったり、お金であったり、冒険であったり、あるいは憎しみであったり、怒りであったり、人様々です。

一方、禅では極力、想念というエネルギーを使うことを排していきます。
これがなにを意味するかというと、なりたい状態や欲しい物や人に執着するなということなのだと思います。
執着という強力なエネルギーを手放すとなにが起きるのか。

おそらく、ただ無条件の祝福があります。
自分が存在すること。
ありとあらゆるものが存在すること。
「在る」ということが祝福であること。
それを思い知るのだと思います。

赤ん坊は泣きます。
おそらく、身体的に未成熟なゆえの不快感がひっきりなしに赤ん坊を襲っています。
それでも、雲の切れ間に陽が射すように、赤ん坊は時折顔一杯の笑顔を浮かべます。
「在る」という瞬間を実感している笑顔です。

この世は想念の強靭さを求められ、思考の中断を馬鹿にされる仕組みになっています。
宮沢賢治はデクノボーと呼ばれることを望みました。
残念なことに、ぼくにその覚悟はまだありません。
まだまだ信仰心が足りません。


ノスタルジー

2017年04月26日 | 雑感

晩年の父親は童謡大全集みたいなLPを大音量で聴いていました。
「赤とんぼ」とか「雨降りお月さん」とか「ずいずいずっころばし」とか。
戦前からある歌なので、おそらく自分の幼少期に思いをはせていたのだと思います。
ぼくも童謡は好きなので苦にはならなかったが、近所の人たちは苦痛に感じていたのかもしれません。

タルコフスキーの「ノスタルジア」という映画がありました。
きわめて個人的なそしてヨーロッパ的な、もの哀しい映画でした。
そのもの哀しさ具合が、日本とは違いました。
日本的なもの哀しさはカラスの七つの子に対する哀れみであり、赤い靴を履いた女の子に対する哀れみでした。
それに対して、ヨーロッパの人たちの哀れみというのは、没落していく貴族階級の哀れみだあったり、
自分のルーツが消えていく運命の哀しみでした。

ぼくは辛うじて父おそらく父親が持っていただろうノスタルジーを共有できると思っています。
裏山でむやみに歩き回るとか、川で手づかみでオイカワを捕るとか、夏の夕暮れ時に意味もなく哀しくなるとか。

「菊の香や 明治は遠く なりにけり」

という句がありました。
名句です。
昭和を懐かしむにはどういう句がふさわしいのでしょうか。

ちょっと考えて見ます。

思い出と ともに舞い散る 桜かな 

失礼しました。