文才がないので定期的に何か文章を書いていくというのは、やはり苦しいです。なかなか書くことが思い浮かばない。
今晩は教会の聖歌隊の指導に行くので今夕飯用のカレーを仕込中。夫は日本のカレーが好きなのだ。娘のために私の好きな辛口でなくて、ずっと甘口カレーにしてます。
モーダル歌唱法という言葉が私の師であるレベッカ先生より考えられ出され、カペラの花井ご夫妻により日本でも広められていることと思う。今回のオルガヌム講座の募集をいろんな人にかけたけれども、その中でモーダルという言葉に敏感になって、
古楽というのはモーダルだけでなく早ければデュファイの頃からすでにトーナル(調性)の性格が強まっている、古楽をいわゆるモーダルで片付けてしまうのは危険だとか長いメールを書いてくる人がいた。ハーグ音楽院で対位法を教えている若い人だ。もちろん彼の言いたいことはわかる。でもこのモーダル歌唱法っていうのはそういう理論上の旋法や調性についてではないのです。作品をある特定の歌唱法で歌うのではなくて、神からの人へのギフトである声を駆使した結果の音楽、そしてその作曲技法の発展を感じ取っていくことがモーダルなのです。
調性が悪いとは思いません。なぜ旋法から調性へと変化せざるをえなかったのか。その前になぜ単旋律から副旋律の音楽へと発展しなくてはいけなかったのか。
これは声だけでなく歴史、政治、哲学、神学すべてを背景に見ていかなくてはいけないけれど、これを神を称えるためだからで解決(簡単にいえばそうなんでしょうけど)して納得してはいけないです。
声という神からの贈り物が私達の体を通して創造を遂げていく。凄いことじゃないですか。そう思いませんか。