●5月初旬
5月開幕からコロナ後遺症のような症状で欠勤スタート。
微熱と味覚消失が始まり、数日苦悶。5日間ほどでほぼ収まったが、あれはなんだったのか。
直前まで無理して辛い物に挑戦していたが関係あるのだろうか。去年のコロナ罹患の時も同様。
やはり卵や乳製品を備えてても、獄激辛〇ヤングやブ〇ダックなどに挑戦し続けてはいけないのかもしれない。
●6月
田舎の叔父から祖母の容体が悪く入院、さらに酸素マスクで一命をとりとめているという急な連絡があり、急遽母と田舎へ出向。
会社にはメールで連絡を行い、有給を取らせてもらった。
入院先に到着時、辛うじて開眼出来てはいたが会話出来ず。何かを言いたそうにしていたが、アイコンタクトを数秒取ったのみで、その後閉眼して呼吸に専念された。
その翌日、病院から呼び出しがあり、もう恐らく本日中であると。
もう酸素マスクありでも酸素飽和度が80%台で、脈拍も60~40台と風前の灯火。
母・叔父・自分という順で最後の顔合わせを行う。
そしていよいよ心臓が止まるその時まで家族全員で見守った。
そこからというもの、喪主である叔父は葬儀関係・行政関係が非常に疎く、母と自分がサポートしないと動けなかった
とはいえ、葬式・火葬の参加は自分は初経験。悲しみよりも手順や流れを掴むのに必死だった。
田舎に5泊して、まっすぐ家に帰ってきた。
そこからというもの、今後の生き方についてすごく考えるようになってしまった
身内の死で影響を受ける事は普通なんですかね?
自分の淡い目標の一つに、己の体を劇的に変えて、祖母に大会の様子を見せてあげたいというものがあった
何を頑張っても純粋に褒めてくれるから、一種の甘えだったんだろうなあ
でも、もう一生叶わないので、これ筋トレする意味あるのか、やめてもいいか、とすら思い始めている
そもそもジム通いは運動目的から入っているので、目標がズレているといえばそれまでだが
ちょっと考え込んでしまう
色々生き方含めて、自由とは何かとか、今後どこに住むべきかとか
ちと疲れたな。。。