平滑筋肉腫(がん)に勝ってやる!!

闘病生活の中で思った事、感じた事を、文字で刻んでいこうと思っています。

生きてますよ(コメント返すのがしんどいので、コメント不要)

2013年09月08日 06時08分11秒 | 日記
みんさま

お久しぶりです。

まだしぶとく生きてますよ。

だいぶつらい日々があったりして、書くのが嫌になり、投稿していませんでした。

病人には、つまらない日々を、同じ風景、体調が悪い日々、ベッドから起きることもなく、外出と言えば通院。日記は毎日同じ事しかないから、特別お知らせするネタがない。ネタと言えば悪くなることくらい。

わざわざ書くこともないし、つまらない毎日の再認識するだけ。

ひどいときは、鬱々しているから書いて心を落ち着かせているのに、いただくコメントで鬱スイッチをいれられる。
鬱の時は、応援コメントは絶対にダメ。頑張れ、頑張ろう、これがスイッチを入れる。応援してるからねもダメかな。
まぁだいたいツライ時期に入ると家族に当たるしか無いから家族とうまく行かなくなる。そうすると、家族はそんな風には思ってないよとか、家族も一生懸命やってくれてるよとか、応援してくれてるよとか書き込みが有るんだけど、これもスイッチオンの原因になる。
よかれと思って書いてくれているのは分かっているし、わざわざ言ってもらわなくても家族のことは分かっている。
スイッチをオンされるくらいなら、書かない方が良いし、書かなければコメントも頂くこと無いし。

もう、しんどいと、嫌な奴にどんどんなって行くし、それを再認識して、また落ち込んでってなるし。

ブログも元気だったら良いと思うけど、体調が悪いと凄くしんどい。
書かなければ、書くことを促されて、半ば強制的にツラいのに書いている。

もう、脱退しようと思ったりする事もある。

このまま書かなければ楽だなぁって。

ブログ、Twitter、Facebook、一度書くと書かないと心配されるので、体調が悪いと、本当にツライものだ。

近況は、どこまで書いたか不明なので重複していたらごめんなさい。
去年の12月足の筋肉を手術。
今年の1月パゾパニブが保険適応になり、二年ぶりの抗がん剤開始。お腹がおかしいと言い続けたのに血液検査の数値が大丈夫と言われ画像を撮らずに継続。やっと3月にラジオ波をやっている病院に行かせてもらいましたが、既に肝臓が手遅れ。いっぱい有りすぎて全部やると機能不全が起きるし、手術も不適応。何も出来ずに東京にわざわざ行ったのにとんぼ返り。それでも4月までパゾパニブ続行。4月からアドリアマイシン(体調が悪くなり1回だけ)ダガルバジン、エンドキサン二日連続でする点滴で3週間に一回を開始。7月で肝臓が腫れて効いていないので中止。体調もパターンとして最初の一週間は副作用で劇悪。二週間目は徐々に回復。三週間目はそこそこ体調が維持できるようになって次の抗ガン剤のために整えるという感じだったのですが、もう最後辺りは回復せずつらい上に更に抗がん剤を重ねていました。ニオイが良いニオイも、悪いニオイも嘔吐反射が出てオエオエするので、入院も通院も地獄で。次に出来る抗がん剤が入院しないと出来ないと言うことだったのでお断りし、今後どうするかまず一ヶ月待ってもらい、体調が回復せず、パゾパニブの濃度をMAXにする提案をしてもらったのですが、効かなかった抗がん剤をする事に抵抗があるし体調悪いしで更に決断に一ヶ月ほど待っていただき、結局体調が回復するどころか悪化して家族に当たり散らす毎日。体がどんどん言うことを聞かなくなり、二階からの移動がつらい、ニオイが何でもクサイ、お風呂にはいるのがいろいろな意味で大変、掃除が出来なくなった、少し動けば激痛発生。39度前後の熱が毎日必ずでる。体がだるい。肝臓が圧迫してご飯を食べるのに1時間かかる。もう我慢の限界がきて。効かない抗がん剤はただの毒。鬱っていたので抗がん剤の副作用ですぐ死ねるならやろうと思ったり。
最終決断は、抗がん剤をしないになりました。
昨日から訪問医療が始まりました。
ブログしか読んでいない人には、諦めた印象しかないと思います。

私の中では
抗がん剤をする。=生きることを目標とする。
抗がん剤をしない。=副作用の時間を減らし、死ぬまでの間の調子の良い時間に思い出を作る。

世間一般の方は、テレビのドラマでしかガン患者の日常を見ていないので、抗ガン剤をしなければすぐに死んじゃう。抗ガン剤をしないと言うことは生きるのを諦めた。そんな感じでしょうか。ガンの種類によって、弱り方も違うし、そう簡単には感謝しています神様は死にたくても死なせてくれません。それに、抗がん剤をするのは半分ドクター任せの生きる責任も半分他人任せで、効く抗ガン剤があれば抗ガン剤をする選択の方が楽です。抗ガン剤をしない選択は100%自分の種類責任。いい時を過ごすか、過ごさないかも自分の責任。ゴールは死ぬことだから精神的にも強くないと自殺してしまう。

抗ガン剤は、効けば、副作用があっても生きる希望がもてる薬。私のようにどの薬をやっても効かなければ、副作用がしんどいただの毒。抗がん剤を一度始めると、止めるとどうしても細胞が活性化するので、私にとっては、しんどいだけで、結果は反対に体力を落とすだけで、肉腫を活性化させてしまう。私にとっては、恐らく、しない方が延命出来る。

ということで、抗がん剤をしないで、最後まで頑張る選択をしました。

もちろん、不快症状は改善したいので、緩和ケア、訪問医療、訪問看護にお願いをします。

緩和ケア、ホスピスは以前から見学には行ってます。
入院をして、不快症状を調節してくれます。
ツラいとき、両親が面倒をみれないときは、あきがれば重篤な人からいれてくれます。

訪問医療は昨日から開始。
ホームドクターがたまたまやっていたので、ラッキーなことに訪問医療をしてくれる事になり、最初から経過も知っているので楽チンです。
もう、通院がしんどくて、用意しているだけで疲れ果てキャンセルする事があったので。
通常の診察と、たくさん話をしたので、不安が少しずつ無くなってきました。

訪問看護はまだ未定。
40才までまだまだで、介護保険が使えないので、お風呂の介助をしてくれるので、考え中。お風呂がお風呂場に行くまでに疲れているのですが、そこから脱衣して、シャワーして、体を拭いて、服を着る作業がしんどい。他人に裸を見られる恥ずかしさより、助けてもらいたい。

こんな感じで、イロイロけつだんしたり、考えたり、壁にぶつかったり。

安易な気持ちで決断した訳では無いので、私のことを知らないとか、たまに思い出すとか、深い仲でも無いのに、批判や説教やよく考えないでコメントするのは止めて下さい。

そのコメントを読んで、鬱スイッチオンになるのも嫌っだし、私は性格的にコメントをまじめに読んで精神的には繊細なのでショックを受けます。

だったら書かなければいいやんって言われたらその通り!
だから書いていなかった。

書き込みしないと心配すると言われたので、少し療養の仕方が変わったので、書き込みました。

コメント不要です。

なかなか見ないので、お返事が書けません。

このまま消えていく可能性あり。

良くなる事のない病気なので、心配してもきりがないので、心配しないで下さい。

リアル友達の場合は、緊急であれば、メールをいただければ、調子が良いときに返信します。


みなさま、お久しぶりです

2013年02月16日 18時17分12秒 | 日記
みなさま、お久しぶりです。
いつからブログを書いていないのだろうと思うほど離れていましたね( ̄▽ ̄;)
前回、いつ書いたのか不明なので、久しぶりに9月位からの経過をご報告します。

9月15日 腸重責と腸閉塞の発作で、近所のクリニックから救急車で搬送されてK大病院でその日のうちに緊急手術になりました

10月26日、30日、5回目、6回目のラジオ波をK中央病院で受けました。

11月7日 小腸の腫瘍を数か所切除、胆管・膵管・小腸吻合部再発をしたので再建。(死ぬかと思うぐらい術後しんどかった(T_T))

12月24日 2012年最後の10回目の手術。左足再発。内側広筋一部切除。

2013年 1月30日よりヴォトリエント(パゾパニブ)の服用のため入院。

2月14日 ヴォトリエント(パゾパニブ)600㎎で副作用なしのため退院。

という風に、9月からいろんな事が起きました。

やっと約2年ぶりに3種類目の抗がん剤をする事が出来ました。

これで、安定して、お腹の中が悪さをしなければ現状維持で、不自由ながらももう少し生きれるかな。

心配されていた、肝臓の数値は上がらずに済みました。心臓も異常が出ませんでした。

血圧も上がる方が多いと言われたのですが、元々低いので、上がっても普通の方より低いくらいで( ̄▽ ̄;)

初めは吐き気が出ましたが、今は大丈夫で、抗がん剤以外は服用無し。

背中の触れる肉腫は、硬くなったので、何か反応があるようです。

3日ほど前に、去年の2月に受けた右肩の傷口が虫さされのように腫れたのですが、それも治まりました。

骨髄抑制は多少あるようですが、抗がん剤を点滴で受けれいる時よりはましなので、大丈夫です。

口内炎が出来たりすると言われますが、私はまだできていません。

脱毛はまだありませんが、いつもよりは抜け毛が多いかもという感じで、普通です。

髪の毛の変色もまだありませんが、私は伸びるのが遅いので、いつになるか不明。

今一番の困りごとは、お風呂に入ると、歩けなくなるほどの倦怠感。

お風呂だけで、少し寝転んで休めば戻りますが、気分が悪くなるので嫌かな。

でも、大したことは無いので、日々の生活は乱れることなく順調です。

効いてるのか不明ですが、このぐらいで済むなら楽かも。

副作用は人によって全く違うので、症状が重い仲間もいます。

まだまだ頑張れそうです。

兵庫県たつの市御津町にある、御津自然観察公園 世界の梅公園に行きたい!!

実は父が作る時に手伝った公園で、若い時に行ったのですが、息子をまだ連れて行ってないので、父、母が元気な間に、息子と共に行きたい!!

しかし、山なんだよね(T_T)

車いすにしても、押す父が過酷かも(T_T)

でも行きたい、今の目標。

車を運転して行かないといけないので、私が往復運転。

う~~ん、それくらい出来たんだけど、今の体で出来るかなぁ・・・。

ということで、まだまだ沈没しませんよ!!

踏ん張って、こらえて、息子の卒業式と、入学式もいかないとね!!

人間の力は無限!!未知の力がまだまだある!!

癌を作れば、癌をやっつける奴もいる!!

やっつける力を、どうにか引き出したい!!

気力、体力、精神力、笑って泣いてストレス発散!!

元には戻れない。それは受け入れて、今の自分を受け入れて、楽しい事をすれば良い(*^^)v

病気の不幸より、小さな幸せの発見をたくさんすれば、生きている楽しみが出来る。

まだまだ、楽しいことするぞ!!


【リストバンド募金のお願いです!!】

2012年12月04日 17時57分36秒 | 日記
【急募:リストバンド募金】

10万人に1人しかいない平滑筋肉腫。

希少稀で忘れられたガンと呼ばれています。

研究をして頂ける機関が非常に少ないのが現状です。

そんな厳しい状況の中、大阪府立成人病センターでは平滑筋肉腫の薬の研究をしてくださっています。

しかし、研究費の方が底をつき、患者の会だけで寄付金を集めていますが、人数が少ないので多額の寄付をしても足りない状況です。

12月末までに患者と患者の家族だけで、1カ月で1000万円を集めようとしていますが、なかなか難しい状況なんです。

そして、年間では1800万円ほど研究費がかかるそうなんです。

一般には寄付金を募集していないのですが、リストバンドを購入して頂く事で、一般の方も研究をしてくださっている成人病センターに寄付をすることが出来ます。

そこで、読んでくださっている皆様にお願いがあります。

私たちの生きる希望の薬の開発研究のために、助けて頂きたいのです。

より多くの方にリストバンド募金にご協力を頂ければ、大きな力になります。

皆様、平滑筋肉腫患者、そしてほかの種類の肉腫患者のために、どうか、リストバンド募金にご協力をよろしくお願いいたしますm(__)m


~肉腫患者の会の組織の説明~

・肉腫の標的遺伝子療法を推進する会「キュアサルコーマ」
 キュアサルコーマが本部です。サルコーマとは肉腫の意味です。
・G.net→平滑筋肉腫の中のGIST(ジスト)患者さんの会です。
・S.net→GIST以外の平滑筋肉腫患者さんと、その他の種類の肉腫患者さんの会です。


~リストバンドの購入はこちらからお願いします~

※ カード決済での、リストバンド募金に協力して頂ける方はこちら
    ↓↓↓
http://www.gisters.info/
(銀行振込みは殺到しておりますので、出来るだけカード決済の方でお願いいたします)

※ 銀行振り込みでの、リストバンド募金に協力して頂ける方はこちらから
    ↓↓↓
http://www.curesarcoma.jp/wristband.html
(カード決済が出来ない方のみ、こちらからお願いいたします)


~注意~

お申し込みをされた後に受注確認メールが発信されます。
その時に、メールの受信設定がブロックされる設定になっていますと、受注確認メールが届けられない状況になります。
お申し込みをされた後、必ずメールの受信設定の確認をよろしくお願いいたします。


~ご理解いただきたい事がございます~

リストバンド募金の運営は業者が行っているわけではなく、患者の会の患者とその家族が受注から発送までされています。
銀行振り込みの場合、御一人で受注から発送までされております。
お仕事をされているので、お仕事から帰って来てからの作業となります。
なので、メールを送ったのにすぐに返信が来ない場合がございますが、ご容赦ください。
ただいま、銀行振り込みの方も体制を整え直しております。
患者さんや患者さんの家族で体制を整えます。
仕事、治療、副作用などがありますので、業者さんのように早い対応は出来ないと思いますが、皆様の温かいお心で見守っていただき、少しお待ち頂きたいです。
ご理解のほどよろしくお願いいたしますm(__)m


11月7日に手術しました

2012年11月12日 02時59分35秒 | 日記
手術は小腸7個所+小さいのが無数、大腸1個所、前回の手術のつなぎ目何カ所か取ったようです。
膵臓は残念ながら癒着が酷いので触れず。
手術時間は6時間でした。
7日 手術
8日 病棟へ移動
9日 離床開始。歩きました。
11日 尿の管を抜きました。
12日 背中の麻酔の管を抜きました。
13日 流動食開始。
14日 3分がゆ開始。ダグラスかの管が抜けた。
15日 5分がゆ開始。
16日 全がゆ開始。
17日 常食開始。上部空腸吻合部の管が抜けた。
19日 診察で退院が決定する予定。
20日 退院予定

久しぶりのブログです

2012年11月04日 17時44分52秒 | 日記
前回はどこまで書いたのだろうと想いながら、確かめずに書き始めちゃいました。

今は病院のベッドの上。

10月25日から関東中央病院に入院し、26日にラジオ波7カ所、30日にラジオ波1カ所し、11月2日に退院しました。

あれ?!って思うでしょう。

それなのになぜ、病院のベッドの上?

そう、11月2日から渕野辺総合病院に転院したのです(^0^;)

一回、大阪に帰ってから、出直すのが筋ですが、体力的に往復がキツいので。

東京の世田谷からタクシーで神奈川県の淵野辺までやってきました。

渕野辺総合病院では、初め、肺の手術とお腹の手術をする予定でした。

しかし、術後にパゾパニブという抗がん剤を望んでいるので、体力消費は最小限に留める作戦に変更しました。

膵臓の再発増大や、下大静脈の転移などなど、数え切れないほどの転移を取り除きたい所ですが、ここはぐっとこらえて体力温存する事に決定。

転院してから、重責発作の初期症状が出始め、7日に手術が決定しグッドタイミングでいけそうです。

あとは、薬が効くように、自分の体力を取り戻し、大きくならないうちに薬が出来るとベストかな。

副作用に耐えれなきゃ意味のない物になるし、体力がなきゃ肉腫の増大を防げない。

と言うことで、1年半ぶりに、抗がん剤をする方向に向かっております。

出来る出来ないは、抗がん剤が出来る体力や、傷が癒えたときに、どれだけ今現在ある腫瘍が大きくなっていないかがポイント。

どうしても、手術をすると、傷を治そうとする力に乗っかって、肉腫もその勢いで大きくなる。

どうか、大きくならないで!!と祈るばかり。

とにかく、無事に手術を終了し、抗がん剤が出来るように頑張ります!