透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

100円と20円の普通切手

2024-04-19 | D 切手



 既に複数回書いたが、国の文化審議会は辰野町小野下町の火の見櫓を国登録有形文化財にするよう文部科学大臣に答申した。これは3月15日のことだった。このことについて複数の新聞社から取材を受けた。その内の1社、たつの新聞社から掲載紙(3月16日付)が2部郵送されてきていた。

帯封に貼られていた140円分の切手、内訳は100円切手1枚と20円切手2枚だった。どちらも普通切手だが、目にする機会は少ない。100円切手の図柄はサクラソウ、20円切手はニホンジカ。サクラソウは実際の切手の色より、紫がかって写っている。背景は実際にはもっと濃いピンク色だ。私はこの写真の色の方が好きだ。


 


春うらら

2024-04-18 | A 火の見櫓のある風景を描く

560
春うららな雰囲気が表現できたから良しとしておこう。

なんとも描きにくい風景・・・。スケッチだから時間をかけない。線描は現場で30分、着色は自宅で45分。

新緑の5月になったら描こう。


 


花のイラストの切手

2024-04-18 | D 切手



 知人から送られてきたポスト カードに貼られていた63円切手。

あれ? 消印が切手の下に押されている・・・。よく見ると切手のところに2本の波線がある。こんな消印もあるんだ・・・。消印を注意して見ることはないので今まで気がつかなかった。この波線にも名前があるんだろうな。

これは何の切手? 

ネットで調べてグリーティング切手「ライフ・花」で、発行日は2023年9月27日だと分かった。シンプルな花のイラストだが、これでバラの花(ですよね)だと分かるのだから人間の認知能力ってすごい。 

**違う場所、違う時間を生きてきた3人の女が、「女とは?!」をテーマに3人展を開催します。** 

送られてきたのは松本市内のギャラリーで開催される作品展の案内カードだった。最終日に行くことができるかもしれない・・・。


 


「カワセミ都市トーキョー」を読む

2024-04-18 | A 読書日記


朝カフェ読書@スタバ 2024.04.15

『カワセミ都市トーキョー』柳瀬博一(平凡社新書2024年)を読んだ。

「カワセミを知れば、東京の地理と歴史が見える」は本書の第3章の副題。東京に暮らすカワセミたちの観察から見えてくる東京という都市の姿。そう、本書は東京の姿を論じた都市論。

著者の柳瀬さんは**人間、意識していないものは、目に前にいてもまったく見えない。**(94頁)と書いているが、私も同じことを拙著の「はじめに」で次のように書いた。**知識がないとものは見えないのです。火の見櫓に興味を持ち始めて知識を得るようになって、風景の中に立っている火の見櫓に気がつくようになりました。**

柳瀬さんは**観察を続けるうちに、見え方が変わる。つまり「他人事」じゃなくなる。観察対象が三人称ではなく、二人称になる。「お前」や「君」になる。**(295頁)と書いている。

なるほど。柳瀬さんは個体識別したカワセミ夫婦、親子の観察記を例えば次のように書いている。

**「ほら、まだ躊躇がある! だから狩りに失敗するんだ!」
「はいっ」
「じゃ、もう一度」
「だめだめ、フォームがなってない。もっと、こう流線形に」
「はいっ」
「じゃ、もう一度」
指導に飽きたのか、父さんはさらに上流に飛び去った。
残された2羽は素直に練習を繰り返す。**(155頁)

こんな風にカワセミたちの言葉を解するように観察すれば、いろんなことが分かってくるだろうな。

本書の副題は「「幻」の鳥はなぜ高級住宅街で暮らすのか」。

答えは東京に数多く存在する、湧水がつくり出した小流域源流の谷地形が人もカワセミも好きだから。なんだか、「チコちゃんに叱られる!」の答えのようにあっさりしているが、番組と同様に、本書には詳細な解説が書かれている。本稿ではその内容の紹介は省略するが、簡潔に記された箇所だけ引用する。**小流域は、生き物としての人間がサバイバルするために必要不可欠なものがまとめてパッケージされている地形だからである。**(234頁)人間に限らず、動物、もちろん鳥とっても。

そして**東京の地形は、小さな流域 = 小流域がフラクタルに並んだ流域地形の集合体である。**(25頁)と柳瀬さんは指摘する。このことを示す、国土地理院のウェブサイトから引用したカラーの図が掲載されている。

都内各地(例えば皇居、赤坂御所、白金自然教育園)にカワセミがもともと生息していた、あまり人の手の入っていない「古い野生」が残っている。「古い野生」と「新しい野生」である都市河川とが接続して、カワセミたちが次第に「新しい野生」に適応して生息するようになっていった、という流れ。

河川の汚染でいったん奥多摩辺りまで生息域を後退させていたカワセミが河川の浄化が進んだ都内に戻ってきて、東京の「新しい野生」にも適応した。そこでのカワセミの餌は外来生物と汽水魚、巣は河川のコンクリート護岸の水抜き穴。


本書で環世界という言葉、概念を知った。意味内容を本書から引く。**あらゆる生物に客観的世界は存在しない。それぞれの生物固有のセンサー  =  感覚器がとらえる空間と時間のみが、それぞれの生物の主観的な世界である。ユクスキュルはそう定義した(*1)。そんな個々の生物の主観的な世界を「環世界」と名づけた。**(263頁)

私たちも、個々人が後天的に獲得した言語と知識と経験と好みがつくりだす文化的な環世界にいる。同じ時間に同じ空間にいても見えているものはそれぞれ違う。別の世界にいる、ということを私も経験的に知っている。他者とは違う自分だけの環世界

柳瀬さんはコロナ禍で行動が制限されていた期間に偶々近所の川でカワセミに出会ったとのこと。それからカワセミの観察を続けて本書の出版につなげた。すばらしい。 漫然とカワセミを観察していたのであれば、カワセミは柳瀬さんの環世界には入り込まず、その生態は明らかにはならなかっただろう。

やはり何事にも一所懸命取り組まなくては・・・。


*1 『生物から見た世界』ユクスキュル/クリサート(岩波文庫)を読んでみたい。



花すだれ

2024-04-17 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)東筑摩郡朝日村 2024.04.17

桜花 すだれのごとし


 


ブログ記念日

2024-04-16 | A あれこれ

 今日、4月16日は私のブログ記念日です。

2006年4月16日、この日にブログを始めました(過去ログ)。時の経つのは早いもので、ブログ開始から18年経過しました。

以下、2022年の記事に手を加えて再掲します。

外界からの刺激に反応するということが生きていることの証です。低次の刺激への反応は例えば日射しがまぶしくて手をかざす、騒音に耳をふさぐというようなことが例示できます。瞳孔は光に反応して大きさを変化させますが、これは最も低次な刺激にたいする生体反応ですよね。

高次の刺激(情報)、例えば音楽や絵画、映画、メディアが伝えるニュースなどから私たちは様々な刺激を受け、音楽のリズムに合わせて体を動かしたり、映画を観て涙したり、ニュースに驚いたり、怒ったり、悲しんだり、と様々な反応をします。そしてこのような反応を「ねえ、聞いて、聞いて」「これ見て」と、家族や友人に伝えたいという欲求は程度の差こそあれ、誰にもあるでしょう。ブログによる情報発信もこのような欲求によるものですよね。書き手が受けた様々な刺激・情報に対する反応・応答を発信する行為と捉えることができるでしょう。ブログを閲覧していただく多数の方々の存在が、情報発信することを意義付けています。

ブログはすっかり日常生活の一部となりました。18年も続けているのですから。

拙ブログを閲覧していただいている皆さん、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。


 


28会の花見

2024-04-16 | A あれこれ

 退職すると人とのつながりが薄れ、「孤独」を味わうことになりかねない、とよく言われる。「孤独」を感じることで、心だけでなく体の健康も損なうリスクがあるという。嬉しいことに友人に恵まれ、28会(同い年の幼なじみ)、33会(中学の同級生)、24会(高校の同期生)、それぞれの仲間との楽しい交流が長年続いている。

昨日(15日)は二八会(28会)の花見だった。何年か前までは桜の木の下でやっていたが、今年は多々美屋が会場だった。花よりだんご、だんごより酒。とはいえ桜も飾って、カンパ~イ!


参加者は7人 TD君とKB君は今回欠席 
3脚を使い、セルフタイマーで撮ったので7人全員写っている。

  


山梨の酒「くず星」を飲む 


FM君はそば打ち名人 のし棒14本!


締めは名人のそば 実に美味い 

乾杯から2時間半経過。全員でさっと片付けて、お開き。また次回。


 


桜花爛漫 火の見櫓と桜 in 塩尻市片丘

2024-04-15 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)塩尻市片丘南熊井 3柱66型トラス脚 2024.04.15

期間限定 火の見櫓と桜




 


桜花爛漫 火の見櫓と桜 in 松本市寿南

2024-04-15 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)松本市寿南(寿小池公民館)2024.04.15








 


春のフォトアルバム in 松本

2024-04-14 | A あれこれ

                    

 

13日 春爛漫の松本 街なかを歩いた。歩数はおよそ9,200歩。


「カーブの向う・ユープケッチャ」を読む

2024-04-14 | A 読書日記

360
 安部公房の『カーブの向う・ユープケッチャ』(新潮文庫1988年12月5日発行、1993年2月15日4刷)を読んだ。

収録作品の『カーブの向う』は『燃えつきた地図』の原型、『ユープケッチャ』は『方舟さくら丸』の原型、『チチンデラ  ヤパナ』は『砂の女』の原型となった短編。このように収録されている9編中3編が安部公房の代表作の原型作品であるのにもかかわらず、この文庫は現在絶版。なんとも残念。

『砂の女』の原型となった短編のタイトルのチチンデラ  ヤパナって一体何? ネットで調べるとニワハンミョウという昆虫のことで、体長10~13mm。河川敷や海岸、畑地などの砂地に生息しているということが分かった。なるほど砂地か・・・。

『砂の女』には火の見櫓が出てくる。『チチンデラ  ヤパナ』にも出てくるかもしれないな、と思いながら読み始めた。**とつぜん視界が開いて、小さな集落があらわれた。高い火の見櫓を中心に、小石でおさえた板ぶきの屋根が不規則にかたまった、貧しいありふれた村落である。**(126頁)やはり出てきた。

『手段』は駅の改札口の近くに設置されている「簡易交通障害保険自動販売機」にまつわる物語。主人公の男がこの自販機が扱う保険に詳しいという老人に声をかけられる。で、男は娘の修学旅行の費用が必要だと、老人に話すことに。保険の約款には怪我の部位、程度によって支払われる保険金が異なること、そして、それぞれの保険金額が示されている。

駅のホームに電車が進入してきて、男は・・・。星 新一も扱いそうなテーマだけど、だいぶテイストが違う。

『完全映画』この作品が「SFマガジン」に発表載されたのは1960年(昭和35年)のこと。予見的な作品。

『子供部屋』 **壁のコンクリートに這わせてあった水道管から、水もれがしはじめたんですよ。しだいに地下室が水びたしになりはじめる。やむなく、子供たちを隅の箱にかくして、水道屋を呼ばざるを得ませんでした。ところが子供たちが、箱の隙間から、工事人夫が作業をしている所を見てしまったんですね。**(212頁)

なんだか、『箱男』を思わせるこの描写。この作品が「新潮」に発表されたのは1968年(昭和43年)のことだった。で、『箱男』の発表が1973年(昭和48年)。この頃から『箱男』をイメージしていたのかもしれない・・・。

密度の高い作品集。繰り返す、絶版は残念。


手元にある安部公房の作品リスト(新潮文庫22冊 文庫発行順 戯曲作品は手元にない。2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する。*印は絶版と思われる作品)

年内に読み終える、という計画でスタートした安部公房作品再読。4月14日現在6冊読了。残りは16冊。3月に出た『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』(新潮文庫)を加えたとして17冊。5月から12月まで、8カ月。2冊/月でほぼ読了できる。少しペースダウンして他の作家の作品も読もう。


『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月*

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月


 


桜花爛漫 

2024-04-13 | A あれこれ

花咲か爺さん全国縦断ツアー2024


(再)松本市神林 2024.04.13



国宝松本城



常念には桜がよく似合う



桜の花を銜えるスズメ


 


「けものたちは故郷をめざす」を読む

2024-04-10 | A 読書日記



■ 安部公房の『けものたちは故郷をめざす』(新潮文庫1970年5月25日発行、2021年5月10日26刷)を読んだ。3月から始めた安部公房作品再読の5作品目。

ドナルド・キーンは、安部公房の代表作『砂の女』(新潮文庫)の解説文の書き出しで前衛作家、安部公房という紹介をしている。そう、安部公房は前衛的な作風で知られている、シュールレアリスムの作家。それで、「え、これ安部公房?」、『けものたちは故郷をめざす』を読み始めると、まずこんな感想を抱く。リアルな描写で読みやすい。

主人公の少年・久木久三の父親は久三が生まれた直後に死に、母親は戦争の犠牲になった。先の大戦、敗戦前夜、天涯孤独の身となった彼は極寒の中国大陸を南進する、帰国を目指して。同行の男は正体不明、国籍さえ定かではない。

極寒の荒野を飢えと疲労の身を引きずるように彷徨うふたり。心理描写と身体感覚の描写は読む者を一緒に彷徨うような気持ちにする。私は暗い気持ちで読み進んだ。

この小説を読んでいてやはり日本への引き揚げの様子を描いた藤原ていの『流れる星は生きている』(過去ログ)を思い出した。

中国国内の地名が出てくるとネット上の地図でその場所を確認してもみた。まだ、こんな所か。生きて故郷日本にたどり着くことができるのだろうか・・・。

先が気になって、昨日(9日)はおよそ300頁の本作の後半、半分を一気に読んだ。『砂の女』もそんな読み方をしたことがあったかと思うが、安部公房の作品では珍しいことだ。

この長編小説の最後、久三は日本船の中の狭い間隙に監禁されてしまうという絶望的な状況に陥る。なんという悲劇。

最終場面の描写を引用する。**・・・・・ちくしょう、まるで同じところを、ぐるぐるまわっているみたいだな・・・・・いくら行っても、一歩も荒野から抜け出せない・・・・・もしかすると、日本なんて、どこにもないのかもしれないな・・・・・(後略)**(302頁)

そして最後の一文。**だが突然、彼はこぶしを振りかざし、そのベンガラ色の鉄肌を打ちはじめる・・・・・けものになって、吠えながら、手の皮がむけて血がにじむのもかまわずに、根かぎり打ちすえる。**(303頁)

この一文をどう解するか。絶望的な状況の更なる強調か。絶望的な状況を打破しようという久三の強い意志の表現か・・・。私は後者だと解したい。

*****

「喪失」あるいは本人の意思による「消去」は安部公房の作品を読み解くキーワードだ。このことは次のように例示できる。『夢の逃亡』は名前の喪失、『他人の顔』は顔の喪失、『砂の女』『箱男』は存在・帰属の消去。異論もあろう。言うまでもなく、これは私見。

そして『けものたちは故郷をめざす』は故郷の喪失。故郷とは何か、そしてその喪失とは・・・。安部公房は自身の戦争体験をベースに書いたと言われるこの作品で、読者に何を訴えたのか。

根なし草の寂しさか。否、久三の最後の窮地を日本の敗戦直後の状況の暗喩的な表現だと捉えて、上掲した最後の場面もやはり暗喩的な表現と捉えれば、その答えを知ることができるだろう。


手元にある安部公房の作品リスト(新潮文庫22冊 文庫発行順 戯曲作品は手元にない 2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する。*印は絶版と思われる作品)

『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月*

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月

次にどの作品を読もうかな、と迷ったが『カーブの向う・ユープケッチャ』を読むことにした。


 


「源氏愛憎」を読む

2024-04-09 | A 読書日記

360
『源氏愛憎 源氏物語論アンソロジー』編・解説 田村 隆(角川ソフィア文庫2023年)を読んだ。

古典や近現代作家他の源氏評の一部を抜粋して集めた評論集。しばらく前、松本駅近くの丸善で偶々この本を目にして迷うことなく買い求めた。『源氏物語』関連本は出来るだけ読もうと思っているので、やぐらセンサー、もとい源氏センサーが作動したのかもしれない。1000年も前、平安時代に書かれた『源氏物語』は名作という評価ばかりではない。様々な評価があることも名作の証なのかもしれない。

本書はⅠの古典篇とⅡの近代篇から成り、古典篇には現代語訳はないものの、解説文があるので分かりやすい。

平安末期に編まれたという「宝物(ほうぶつ)集」は仏教説話集。本書に次のようなことが掲載されている。
**ちかくは、紫式部が虚言(そらごと)をもつて源氏物語をつくりたる罪によりて、地獄におちて苦患(くげん)しのびがたきよし、人の夢にみえたりけりとて(後略)**(35頁) 紫式部が地獄に落ちた、なんて! ひえ~、びっくり。

『源氏物語』を三度現代語訳した谷崎潤一郎は次のように光源氏を評している。
**源氏物語の作者は光源氏をこの上もなく贔屓にして、理想的の男性に仕立て上げているつもりらしいが、どうも源氏という男にはこういう変に如才のないところのあるのが私には気に喰わない。**(143頁)

まあ、一部を切り取るだけではいけないので、他の人の評論の部分的な引用は控えよう。

近現代篇には15人の源氏評が収録されている。その中では円地文子の「源氏物語の構造」と題した評がもっとも教科書的というか、読んで納得できるものだった。

*****

「源氏物語」は通俗的でドロドロな恋愛小説ではないか、などという評がもしあるとすれば、それはこの物語の表面的な部分しか、読んでいない、とぼくは分かったような指摘をしておきたい。そんな小説であれば1000年も読み継がれるはずがない。

円地文子は「宇治十帖」を**たいへんよくできた中篇小説で、構成としては正篇よりもまとまっているだろうと思います。**(171頁)と評している。しかしその直後に**正篇がなかったならば、宇治十帖の光彩というものは、極端に薄れるでしょう。**(172頁)と指摘している。

NHKの100分de名著「源氏物語」4回分の再放送(4月7日午前0時40分~)を録画で見た。国文学者で平安文学、中でも「源氏物語」と「枕草子」が専門だという三田村雅子さんが解説していた。三田村さんは物語最後のヒロイン浮舟が好きだと言っていた。浮舟には紫式部が投影されているとも。

『源氏物語』(もちろん現代語訳)をもう一度読む気力は無い。だが、「宇治十帖」は再読してもいいかなと思い始めている。


 


封書に貼られていた5種類の切手

2024-04-08 | D 切手


 先日届いた封書には5種類の切手が貼られていた。合計金額は84円。 差出人は松本市内在住のKさん。

貼られていた切手について調べてみた。

60円切手:近代洋風建築シリーズ第7集「桜宮公会堂玄関」1983年(昭和58年)発行
     桜宮公会堂は国指定重要文化財 明治天皇記念館 大阪市北区 

15円切手:第25回国民体育大会記念「馬術競技」1970年(昭和45年)発行

  5円切手:お年玉年賀切手 「鯛えびす」1959年(昭和34年)発行 

  3円切手:「ホトトギス」NIPPONの表記が無いもの、書体の違うものもある。
     これは1971年(昭和46年)に発行されたものと思われる。

 1円切手:お馴染みの「前島 密」。あまり見かけないが・・・。
     これは現在使われているデザイン。発行年は分からない。
     前島 密の1円切手が最初に発行されたのは1947年(昭和22年)。
     NIPPONの表記が無いものやNIPPONと1が左右逆のものなど5種類あるようだ。
     知らなかった。この切手はずっと同じデザインだと思っていた。     


5円切手は1959年(昭和34年)に発行されたもの。今から65年も前の切手。 切手裏面の糊で貼ることはできたんだろうか・・・。ぼくは以前、切手の糊がダメになっていて、チューブ入りの糊を使ったことがある。

追記(04.09):やはり糊を使って貼ったとのこと。