無意識日記
宇多田光 word:i_
 



『Electricity』、不憫コースに乗ってない? 大丈夫?

『何色でもない花』のスマッシュヒットぶりを全く予測できなかった私が今更何を言っても説得力がないのだけど、『Electricity』って、少なくとも『One Last Kiss』と同じくらいはヒットしてないとマズくない? めっちゃ凄い曲じゃね?

前も書いたけどその時と変わりなく、アテクシ『SCIENCE FICTION』を気に入り過ぎてしまって未だに『Electricity』をヘビロテしていない。てかまだ『SCIENCE FICTION』をシャッフルで聴いたことがなく、ひたすら中毒からマルセイユまで曲順通りにリピートし続けている。いつまで経っても、だから、『Electricity』は“アルバム曲”のままだ。

が、そんな風に全く特別扱いしていないにも関わらず、SFを一通り聴いた後圧倒的に印象に残っているのが『Electricity』なのだ。そりゃラス前だから記憶も新しいだろうと言われたらそれまでなんだけど、毎日朝起きて夜寝るまでの間、どこかで脳が休もうとすると途端に「エ・エ・エ・エ・レ・エ・エ・エク」という声が脳内にこだまする。完全に中毒じゃん!って思ってるうちにまたSFをリピートしてElectricityに辿り着きマルセイユを経由して『Addicted To You (Re-Recording)』、中毒に戻ってくるのだからよく出来てるなぁと他人事のように感心してしまう。そしてまたまたリピートが繰り返される。嗚呼、これもワームホールみたいなもんなのね。宇宙のトポロジーですね。(なんのこっちゃ)

この、気に入ってるか入ってないか以前に脳内にこびりついて離れない感覚、大ヒット曲の特徴でしょーに!? でも、『Electricity』、最新曲の割には影が薄いよね。伊藤忠が綾鷹ほど出張ってないからなのだけど。あとMVないからね。これもなんだかんだで痛い。なのでついつい不遇とか不憫とか考えてしまう。ほんに、勿体無いなぁ。

でも、(SFでは)お隣のマルセイユだって粘りに粘った感あるよね。最初にリリースされたの22年1月だもんね。そこから八景島でビデオ作ってSpotifyで流してYouTubeで流して今回エディット作ってビデオも再編集して…それでようやっと今月ラジオのチャートなんかにも入ってきて。粘ってみるもんなのよ。

なので、『Electricity』はここから思いっ切り粘って欲しい。ヒットポテンシャルは過去最大…というのは、「日本語圏以外も考えた時」の話でさ。『Come Back To Me』以来のヒットになると思うけどねぇ。まぁツアーがアジアに留まったから、もっと長期に考えなくちゃいけないやつかもしれんけど。英語バージョン作ったり、エクステンデッド・ミックス作ったりアナログ出したり、そして勿論ミュージック・ビデオも作ったり…頑張りようは幾らでもある。

今回、綾鷹トラベに全部持ってかれたからなぁ。YouTubeみてみると、綾鷹トラベの再生回数が234万回で、『Electricity』のオーディオ・トラックが33万回か…まぁその数字は比較できるもんじゃないけど、それにしても、ねぇ?

こんな変わった“自滅”も珍しいんじゃない? 余りにもいろいろ充実し過ぎていて、最新曲に向けられるべき関心が分散されてしまってるって。あたし自身がそうなっているのだから言えた義理は微塵もないのだけどね。なのでここは頭を切り替えて、『Electricity』には長期戦を睨んでツアーを迎えて欲しいと、思ってます。ももももちろん、ステージで歌ってくれるのよね?? U-NEXTでの配信が決まったから、チケット落選しても観れるぞ! ちょっと一安心ですね。

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そういやこの度「NHK MUSIC SPECIAL」にて、ヒカルの『光』がテレビ初披露だったわけだけど、これNHKだったからできたということなのかな。なぜって歌詞に

『テレビ消して
 私の事だけを見ていてよ』

って出てくるんだもんねぇ。テレビ放送でテレビを消せと?? いや、日本のテレビ放送を代表するNHKだからこそ寧ろ気にしないといけないのか?? 他のこういう歌詞の歌はどうしてんだろね。そんなものがあるのかは知らないが。

逆に『Kiss & Cry』はNHKでは歌わないだろう…『今日は日清カップヌードル』って歌うからな。スポンサー色が強過ぎる。まぁそれを言うなら同曲はライブ・バージョンでは一旦不適切だとボツにした

『娘さんのリストカット』

をしっかりと歌ってるね。これはラジオで流すのすら憚られたってことでしょうか。

優しく思いやりのある人柄として認識されている宇多田ヒカルさんだが、だからといって別に品行方正な方でもなくて。『BADモード』では

『Hope I don't fuck it up
Hope I don't fuck it up again』

と歌った為Apple Music Radioではバッチリ消されて放送されていた。今回のSFでもこの曲のクレジットにはバッチリ[E]の字が刻印されている。この[E]はexplicit lyricsのことで、意味は

「《音楽》エクスプリシット・リリックス◆性的または暴力的な表現などが含まれているポピュラー・ソングの歌詞。」
https://eow.alc.co.jp/search?q=explicit+lyric

ということだそうで。一言で言えば「R指定な歌詞」って事ですね。


という風に結構危なっかしい歌詞がある宇多田ヒカルさんですが、最新曲である『Electricity』の

『そんな人類みんなに
 アインシュタインが娘に宛てた手紙
 読んでほしい』

という歌詞もまた、将来的にヤバい可能性がある。まだ現代では議論の俎上に乗っていないが、今後「電子情報に於けるフェイクニュースの拡散」に法的措置が取られる可能性があるからだ。「歌詞やん?」と誰しも思うところだが、いつの時代も規制派は政治的な存在なので、現実と虚構の区別とか実際に被害に遭ってる人の救済とかは興味がない。歌の歌詞だろうと対象になる可能性は十分にある。なので、まぁここの読者さんには馬の耳に念仏かもですが、こういう将来的に危なっかしい歌詞の歌はサブスクで済ませずにCDを購入しておきましょうねということでひとつ。って、通常盤でも4500円、ダウンロード購入でも3000円近くするのか…なかなかに悩ましいお値段ですねぇ。「タワレコ撮影させてもろたからご祝儀がわりに一枚追加。」とかやってる私は、自分の異常性に自覚的であるべきですね…。(話のまとめ方がおかしい(笑))

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ヒカルさんの顔面というのは相当に不思議だ。今までの拙い私の人生経験から導き出してみるに、人の顔面てのは、年月を経るに従い大体一定の方向に少しずつ変化するものなのだ。まぁ大人になるとか老けるとかいろいろあるんだけど、何かひとつ大きな出来事があってそれ以降顔つきが変わるとか、そういうのは一生に一度とか二度とか、とにかくレアなもの…なのだと思っていたのだが。

宇多田ヒカルの顔面は、そんなこちらの“常識観”などどこ吹く風、遠慮なくごく短期間でコロコロ変わる。更に、変わり方の振り幅が尋常じゃない。前に「創作時の狐顔と人と会い始めた時の狸顔」なんて話もしたっけね。曲を作ってる時は怒りっぱなしで、人と会う時は笑顔を心がけているから、それぞれ吊り目と垂れ目になる。その振幅だけでも稀有なのに、時期によって最早違う人かというらいに作る表情が違う。というか性格からして違う。Music Talks '98の時のクソ生意気なバイリンギャルガキンチョムーブと、2003年の新婚ホヤホヤのえびす顔の間、僅か5年である。あんなん完全に別人やん。しかもその間にメイクを変えたり体重の増減やら髪型の変化やらまで加わって惑わせてくれるものだから本当に始末に負えない。

それが25年続いてきた。途中5年半ほど欠けているけど、どちらにせよその時々で顔面がバラバラなのであんまり関係がない。なかなかないそういう機会もないが、たとえ見たことのないヒカルの写真を今目の前に提示されたとしても、何歳頃のヒカルなのかわかる可能性が結構高い。加齢による漸進的な変化ではなく、その時々に独立に独特なのだ。

なので、ヒカルは基本的に、その時々にしかみられない表情を刹那々々に示してきていて、もうその頃の顔面には戻らないのだと思っていた。独立に独特な上に、どこかの時点に舞い戻るということもまたなかったからだ。

が、今回『SCIENCE FICTION』を制作しそれに関連する取材を受けたり番組に出たりする中で、ヒカルが過去の自分を振り返る機会を得た。これが結構レアで…ってそうなのよね、「初のベスト・アルバム発売」と銘打ってるんだもんね、そう、今までにないことだったのだ過去の自分を振り返るって。なので殆ど初めて聴いた&観たのですよ、「今のヒカルが昔のヒカルを真似をする」という行為を!

まずはラジオで、2000年頃の喋りを再現してみせていた。うわ、結構あの頃に似てる! 次にテレビでもあの頃の喋りを再現してみせた。うわ、びっくり! その頃の表情、今でも出来るんじゃん!

そうなのだ、顔つきが、表情筋のつき方が変わっても、ちゃんと昔の「表情の作り方」を身体が覚えているというか。まんまちゃんとなれるんだな、別の年齢のヒカルに。今41歳のヒカルが。そう、『Passion』発売時のインタビューに準えるなら、

「41歳の宇多田ヒカルの中には、31歳の宇多田ヒカルも、21歳の宇多田ヒカルも、ここに居る。」

ということなのだ。それをこうして視覚的に確認できたのが無性に嬉しくってね。人としての成長と変化、立場の変遷によって、昔のような無邪気だったり幸せいっぱいだったりという幼気な表情にはもうならないのかなと思ってたけど、今でもそういう感情と表情筋の神経はヒカルの中でしっかり健在なのだった。うむ、ぶっちゃけ、常に次の新曲が待ち遠しい我が身にとって、今回の「過去を振り返る雰囲気」を味わう中で、最も嬉しい出来事…確認作業だったかもしれない。そっか、41歳の宇多田ヒカルの中には40歳のヒカルも39歳のヒカルも38歳のヒカルも37歳のヒカルも36歳のヒカルも35歳のヒカルも34歳のヒカルも33歳のヒカルも32歳のヒカルも31歳のヒカルも30歳のヒカルも29歳のヒカルも28歳のヒカルも27歳のヒカルも26歳のヒカルも25歳のヒカルも24歳のヒカルも23歳のヒカルも22歳のヒカルも21歳のヒカルも20歳のヒカルも19歳のヒカルも18歳のヒカルも17歳のヒカルも16歳のヒカルも15歳のヒカルも14歳のヒカルも13歳のヒカルも12歳のヒカルも11歳のヒカルも10歳のヒカルも9歳のヒカルも8歳のヒカルも7歳のヒカルも6歳のヒカルも5歳のヒカルも4歳のヒカルも3歳のヒカルも2歳のヒカルも1歳のヒカルも0歳のヒカルも生まれる前のヒカルも、みんなみんなみんなみんな、ちゃんとそこに居るんだね。あー嬉しい。そして42歳以上のヒカルもまたそこに居るのだから、頼もしいなぁもう。



追伸:書きながら各年齢のヒカルがフラッシュバックしてきていちいちじぃんとしてしまった。3歳のヒカルとか、知らないけどね。

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今回明らかになった事実の中で殊更強力だったのが、「ダヌくんは、ママの離婚歴が2回あるのを知らなかった」話ではなかろうか。

どうやら、ヒカルママの口ぶりからするに、ダヌくんの「どうしてうちはママとパパが別々に暮らしているのか」という素朴な疑問に対して、かなりシリアスに返答している模様。何歳くらいの幼さで初めて話したかはわからないが、結婚と離婚という概念から諭さないといけないとすると、慎重になるのも無理からざるところ。まぁそこまではいいとして。

ところが、どうやらかなり呆気なくヒカルママは自身の離婚遍歴をポロリと溢してしまったようで。恐らくダヌくんも時折会うパパとの関係性から離婚というものを実感に落とし込んでいただろうところ、いきなり見知らぬおっさんご登場である。ちょっと恐怖に似た感情も生まれたかもしれない。何しろその1回目の結婚と離婚の事実自体を知らなかったのだからその瞬間には「もしかしたら生き別れの兄姉がいる…?」とか想像をはたらかせてても何ら不思議ではない。小さい子でも童話やアニメでそういうのは学習してたりするからね。いやはや、なかなかにショッキングではあるまいか。

そこからのヒカルママによるダヌくんへのメンタルケアは大変な苦労があったのではないかと推察される。ヒカル自身は「身から出た錆」と思ってたかもしれんがね。やれやれ、その次にキコパパと会った時にダヌくん、どんな顔をしていたのやら。

そんな家庭の事情に踏み込むつもりはもちろんなくて(既に大概話題にしとるがな)。遠くから眺めてるリスナーとして私たちがここで認識しておきたいのはつまり、

「ダヌくんはまだネットでママの事を詳細に調べた事がない」

という事実である。まぁ、日本のWikipediaみてもサラッと流されてるし、英語版に至っては離婚の話出てない?くらいなので、かなり詳細に調べないとわからない事実ではあるのだが。少なくとも、「ママのファンだからなんでも知りたい!」的なテンションではなさそうだ。

となると、うちらが彼のことを親しみを込めてダヌパと呼んでるのも知らないかもしれないのか。それも時間の問題だろうけど、ひとまず現時点では、ね。ただ、既に『パクチーの唄』『BADモード』『気分じゃないの(Not In The Mood)』といった楽曲には参加してるので、いつ反応が気になってエゴサーチするか、もうしてるかは、わからない。いずれにせよ、将来、彼に検索された時に読まれても構わないトーンで、ダヌパの名前を出してあげておくのが、ファン&リスナーとしてのマナーなのかしらね、と思うのでありましたとさ。

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発売されて全編を聴いて以来、『SCIENCE FICTION』を“ベスト・アルバム”と呼ぶ気がすっかり失せてしまったという話は既にしてきているが、じゃあ代わりに何て呼べばいいかというのは結構頭を悩ませている。

(ここでかなり古い例を挙げるが私の原体験の一つなので少々ご勘弁を)

その昔、1989年(あらもう35年も前ですか)にTM NETWORKが「DRESS」というアルバムを発表しまして。今思えばデビュー5年目オリジナル・アルバム6枚でこれをリリースしてたって結構とんでもない事なんだけど、当時はただひたすらカッコいいアルバムだと何度も聴き返していたのです。

その中身はというと、過去の5枚のアルバムから人気曲を「プロデュースし直して」収録した彼ら(というか小室哲哉)曰く“リプロダクション・アルバム”と呼ぶものだった。単なるリミックスに留まらない、数々のプロデューサーを招聘して楽曲を再構成して貰うという、当時中学生だった私にとっては斬新極まりない発想を詰め込んだ一枚だった。今思えば、この後90年代に「プロデューサー・ブーム」を巻き起こす小室哲哉は、逸早くプロデュースの重要さを見抜いていたともいえる。まぁソロアルバムを自分で歌っちゃう脇の甘さも見せてたけども。

そういう作品を幼い頃に通過している為、『SCIENCE FICTION』もそれに近いコンセプトかなと当初は解釈しようとしたが、根っこの思想がまるで異なる事に気がついて辞めた。「DRESS」も、発想の斬新さと技術の興味深さが漲っているとはいえ、結局は「昔の曲を聴こう」というスタンスなのは変わらず、つまり、変則的とはいえそれはベスト・アルバムの一種であると言って良かった。実際自分は「Gift For Fanks」(1987年に発表された至って普通のTM NETWORK初期ベスト・アルバム。ただ、“Get Wild”がアルバム初収録作品なので必携だった)より先にこの「DRESS」を聴いていた為、彼らの過去の曲を覚えたのはこちらだったので、よりこの作品をベスト・アルバムだと認識する気持ちが強い。

しかし『SCIENCE FICTION』は、前にこの作品のタイトルは「SCIENCE FICTION 2024」の方が良かったんじゃないかと主張した通り、「現在」に主軸がある一枚だ。「過去の偉業を振り返ってみよう」という態度は、少なくとも作り手側には希薄だったと言える(聴き手側は好きに捉えたらいいもんね)。そうね、描写するなら

「様々な段階の“途中まで作ってある曲”を取り上げて、今の感性で完成までもっていってみたアルバム」

という風に、なるかなぁ?

つまりこうだ。普通のオリジナル・アルバムは、総ての曲を、何もない状態から、作詞作曲から始める。そうしてそこから、編曲して歌唱して演奏して、それらを録音してミックスしてマスタリングして、完成だ(大雑把にいえばね)。だが『SCIENCE FICTION』では、この各段階が予め何ステップか終わってる素材を使って新作を作った、という言い方をするべきではないかなと。即ち、

・作詞作曲すら始まってなかったのが新曲。
・作詞作曲まではあり物の素材を使ったのがRe-Recording曲。
・作詞作曲編曲実演録音まではあり物を使ったのが2024 Mix曲
・作詞作曲編曲実演録音ミックスまではあり物を使ったのがリマスター曲。

という具合。今まで散々この日記で繰り返してきた話ではあるけれど、その見方を完全に「現在」からの視点からに座標変換して読み換える事が肝要だ。それによって得られるのは、詰まる所リスナーが、

「2024年の宇多田ヒカルの作詞作曲」
「2024年の宇多田ヒカルの編曲と歌唱」
「2024年の宇多田ヒカルのミックス」
「2024年の宇多田ヒカルのマスタリング」

をそれぞれ「分けて」認識出来るという点。これに尽きると思われる。

普通の新作、オリジナル・ニュー・アルバムだと、このように分解して分析するのは時に難しい。何しろ、作曲も編曲も歌唱も全部その時の最新なので、それらの特徴や特性はまとめていっぺんに提示されるからだ。

しかし『SCIENCE FICTION』では、過去の音源と比較する事で、それぞれの各段階を分けて認識して分析する事が可能となった。これは地味だが物凄く斬新かもしれない。

というのは、宇多田ヒカルの音楽的才能の多彩さを、今までは一括して受け取っていたのが、今やこの作品によって

「作詞作曲家宇多田ヒカル」
「編曲家宇多田ヒカル」
「歌手宇多田ヒカル」
「ミックスアドバイザー宇多田ヒカル」(技術的な事はしないそうなので、助言者ですね)
「マスタリングアドバイザー宇多田ヒカル」

といったそれぞれの仕事の特色として浮き彫りにする事が可能になったからだ。

ここに関しては難しく考える事はない。リレコーディング曲を聴いて「昔より爽やかになった!」と思えばそれは「2024年の編曲家宇多田ヒカルと歌手宇多田ヒカルは昔より爽やかになってる」という意味だし、リミックスを聴いて「昔よりもバックコーラスがよく聞こえる!」と思ったならば「2024年のリミックス・アドバイザー(要はプロデューサーだね)宇多田ヒカルは昔よりバックコーラスを重視している」という意味になる。それだけの事だ。

今迄は「音楽家宇多田ヒカルの現在の傾向」としておおまかに捉えていたものがより精細に各役割の特色として認識出来るようになる、それが『SCIENCE FICTION』というアルバムの勘所だとすると、じゃあこのアルバムはベスト・アルバムでなくて何と呼ぼうかとなったときにふと「着せ替えアルバム」という呼称に思い至り。“Dressed-Up Album"ですね。…あ。結局TM NETWORK の「DRESS」に近い呼び方になっちゃったw

これは単に服を着せ替えるだけに留まらず、誰に着せるかから自由自在な…と書く私に思い浮かぶのは、22年前のロング・インタビューの一節。

「そう、だから『ナイスバディだよね』っていうバービーちゃんの人形がそういう基準としてあって、そこにどんだけ格好いい服を自分が作って着せられるかっていうことではなくなってしまったの、もう。『そもそもどんな女の子に服を着せたいの?』っていうところから始まって。それまで誰にも『リカちゃんじゃなきゃダメだよ』って言われてたわけじゃないのに、『あ、勝手に自分でスタート地点を勘違いしてたのかな』って思うぐらい、今まで作業を始めるっていう気持ちだったところが、『それレースの途中じゃねえかよ!』っていう感じで、もう1回スタート地点を発見してしまって」
https://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/utadahikaru/gallery/backnumber/interview2002/p10.htm

詳しくはリンク先を前後も含めて読んでうただきたいが、ここでヒカルが言う「スタート地点」を自由自在に取ったのが、『SCIENCE FICTION』なのだろうなと、今回はそう結論づけておきたい、とそういう話なのでありましたとさ。嗚呼、なんて自己満足オンリーな日記なの!

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ヒカルさんが「EIGHT-JAM」「with MUSIC」で「地雷が増えた」という話をしていて、そうだよねぇ、人の心や発言で踏めるところ少なくなったよねぇと共感すると共に、「その比喩はありなのか?」とも私は思った。

少し話が逸れるが、前に「水曜日のダウンタウン」で、ゆっくりお喋りでお馴染みの戦場カメラマン渡部陽一氏をゲストで迎えた際、彼の仕掛けたドッキリに対して「渡部さんはどこで怒るかわからない。地雷が分からない。」というコメントが為された。それを聴いた松本人志がすかさず「渡部さんを例える時に“地雷”はやめた方が」とツッコんで笑いを巻き起こしていたのだが、このタイミングでこの切り返しが出来る頭の回転の速さと、笑いに持っていく為の声のトーンや切り出し方の微調整、つくづく笑いの天才衰えとらんなと痛感した。って、あたしもヒカルが「EIGHT-JAM」を観た時同様、切り出し動画を後から観ただけなんだけどもw

で、逸れた話を戻すと、そうなのよね、人によっては「地雷」という喩えも洒落にならんのだよな。戦場カメラマンなら本物の地雷を避けて、或いは被害を目の当たりにして生きてきてるのだろうし、人類の歴史上でもかなりのシリアスな被害を振り撒いてきた装置のようなので(それもまだまだ現在進行形で)、これを笑いにもっていくのは結構時と場合によるかもしれない。日常生活に地雷のない人にとっては作劇やゲームの中の存在でしかなく、踏み抜いたらゲームオーバーくらいのものでしかなくもあり。言葉の意味する所は、その放たれる場所次第という事だわな。

唐突に言葉狩りをしたいわけではないのだけど、戦争のニュースがトップに来る事がかなり多い今のご時世だと、地雷という言葉がそれこそ地雷として気をつけるべきワードになるのかならないなか、という判断の中で、ヒカルは今はOKを出したのだな、そして番組スタッフもこれがマズいという受け取り方をしてないのだな、という現況把握はできた気がする。

私はこういう「言葉のあや」に敏感な方だと思う。なぜなら人より遥かに失言が多いタイプだから。気にせざるを得ないのだ。つまり、根が鈍感だから敏感になるように自分を仕向けてるだけで、本質的には全くそういうことに疎い人間だったりする。だからこそ、たとえば誰一人噛み付いていない「地球を回す力」という表現が気になったりもする。今回の"地雷"もまたそういう「鈍いヤツの行き過ぎた気にしぃ」でしかないのだけど、果たしてヒカルさんは、地雷という言葉を使った時にそれが踏んだ人の足を吹っ飛ばす兵器の事だと自覚してたのかどうか。それはちょっと、気になったかな。

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「EIGHT-JAM」に於いて、『traveling (Re-Recording)』を共同プロデュースしたTakuさんが、「"お祝い(Celebratory)"だというからハッピーなトラベのデモを送ったら解釈違いだった(苦笑)」というエピソードを披露していた。いやはや、同情しちゃったな。

あたしも同じような解釈違いをしていたので。

世代が違う人はわからんかもしれんが、たとえばクール&ザ・ギャングの「セレブレーション」(1980年の全米1位曲)。ありゃ「パーティだ、みんなではしゃごう!」って歌詞でな。あれを「お祝い」って日本語にすると「何のお祝い?」って訊かれちゃうよね。もちろん何かを祝っててもいいんだけど、どちらかというと「この楽しい時間に乾杯!」みたいな意味での“お祝い”でしょ。

もういっこ、PFMの「Celebration」はどうだ?(イタリアのプログレ) あの曲はイタリア語版だと“La Festa"、「お祭り」なのよね。つまり、「お祭り騒ぎ」「祝祭ムード」のことなのよセレブレーション。

って、読者に通じそうにない例を2つもあげてしまったけど、要するに少なくとも年寄りな音楽リスナーにCelebration, Celebratoryって言葉を与えたらそういうハッピーな馬鹿騒ぎみたいなイメージが最初にくるのよ。だからTaku さんがそういう解釈するのもしゃーなしだったかなと。

何よりそもそも、貴女自身が『Celebrate』っていうアゲアゲな曲を作ってるからさ。これって何かをお祝いするってより、イビザのイメージで朝まで騒ごうみたいな、そういう曲調と歌詞だよね? Takuさんもこの曲が念頭にあって『traveling』の“Celebratory"をそう解釈したと思うんだけども。そこの梯子を外しちゃうのは可哀想だったような。

で、私の話。前に『Electricity』のラストの歌詞『I just wanna celebrate with you』を「これ自動詞だから“ただただみんなでコンサートで盛り上がりたい”って意味だろう」みたいな事書いたんだけど、ヒカルは、有働さんとのインタビューでも言ってた通り「25周年を一緒にお祝いしようね」という意図で付け足してたのね。あーTakuさんと同じような解釈違いであったか、とそういうことだったのでした。

まぁでも、どっちでも大して変わんないといえば変わんないかも。ライブ会場で祝うんなら燥ぐもんね。時間の限り集まっては馬鹿騒ぎして25周年を祝いたい、ってところです。んでTakuさんのそのハッピーなトラベのボツテイク、いつかどこかで聴けないかしらねぇ?

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そういえば私も週末に品川渋谷新宿とプロモーション稼働をみてきましたよ。発売後1週間以上経ってるというのにまぁ広告の分厚いこと。品川で山手線に乗ろうとしたらでっかい綾鷹の宙吊り広告がどーん! 電車に乗ったら乗ったで車内画面では綾鷹トラベCMが矢継ぎ早。音が無くてもアガるもんだね。そして渋谷駅に降り立ったらハチ公口をぐるりと囲むようにまた綾鷹Hikkiがどーん!どーん!どーん! いや凄いね。タワレコ渋谷もまだ一階中央占拠してたしなぁ。新宿なんかデジタルサイネージで今度は『SCIENCE FICTION』の広告が打たれてる。タワレコ新宿のフロア以外でもSFが来るのでいやこれは街を歩いてたら宇多田ヒカルがベスト盤出したってイヤでもわからせられるわね。都会の広告事情、恐るべし。

だけど伊藤忠はみなかったなぁ。どっかにあったのかもしれないが、どちらにせよ綾鷹に圧倒される形ですわね。うむ、となると『Electricity』の露出が減るのでそこが残念!

日曜日のJ-Wave TOKIO HOT 100では5曲ほど同時ランクインしてたけど、いや凄い陣容だよね。オートマ、トラベ、マルセイユがそれぞれリミックス/リレコーディング/ニューエディット、だもんね。今回の物量には驚かされっぱなしですわ。あれだけお金のあった2000年前後でもここまでのプロモーションはなかったな。だからこそ、その『Electricity』への注目度が相対的に低いのが勿体無いのよね。

まぁ改めて言うまでもなく、ヒカルの場合アルバム曲をいつもone of themとして消費する事になっちゃってて、嗚呼シングル曲以外も素晴らしいのにって毎度忸怩たる思いに囚われるのが通例(『嫉妬されるべき人生』みたいな後追いタイアップとかもあるけどね)なんだけど、『Electricity』は「2024年の宇多田ヒカル」を最も表現してる楽曲なのだし、だからこそ、アルバムでは過去の曲を散々並べた最後に配されているんだから。幾つものワームホールを通ってのタイムトラベリングの旅から現代に帰ってきましたよの曲順になっとる(マルセイユはボーナストラック扱いとしてね)。まさにこのアルバムの主役。水戸黄門でいえば8時42分に出てくる印籠だ(あれがなければ御老公はただのじいさんだから印籠こそが主役よね)。それが折角タイアップをとったのに「オートマとかトラベとか懐かしいね」とか「First Loveをテレビで歌ってる〜!」とかの声に埋もれてるのは、これ誤算なのか何なのか。

でもま、今回のインタビューで最後の『I just wanna celebrate with you』の一節が、最後の最後に付け足された事が判明したので、やっぱりきっとここは「ツアーで会いましょう」のサインなのだと受け止めておきましょう。ベストアルバムを本編全編聴き切った人に対してのメッセージ・アピール。25周年をリスナーの皆と一緒に祝いたいと。アルバム制作がやっと終わろうとしていて、次のスケジュールが頭を掠めた。それがツアーリハーサルだったんでないかな? だから、最後にツアーを視野に入れた歌詞を入れてみたと。もしそうだとしたら、ますます『Electricity』は「2024年の今」たくさん触れ合うのがいい。てことで、テレビを見ない私が言うのは的外れ極まりないのだけど、伊藤忠さん、もっとプロモーション頑張ってね⭐︎

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今週も毎日ほど予定が埋まってますねぇ。あれ、昨日の分の「?」はなんだったの? 毎度カレンダーを更新してアピールして欲しいところ。

この週末は、土曜日に「with MUSIC」の追加インタビュー、日曜日に「EIGHT-JAM」で本人インタビュー含む特集とまたも盛り沢山でして。後のぶり返しが今から怖いけどツアーが終わるまでまだ半年近くあるから今は考えない。

そんな中でヒカルが積極的にInstagramとTwitterに投稿を続けてるのは、なんだか凄い。普段何週間かに一回の1行にむしゃぶりついてるのと落差が凄くて目眩がしそう。中でも、ARくまちゃんに対する積極性はもうネジが一本外れてるんでないかというほど。元々くまちゃんのことになるとリミッター解除しちゃうんだけど、今回は「タガが外れてる」と言いたくなるほど前のめりだわよね。

自分もちらっとだけ試してみたけど、なんて豊富なイラストの数々。どれも愛情深く描いてあって微笑ましい。もっと上手く描けるんだろうけど持ち味はそこじゃなしな。これだけの物量を新たに創作して投入するとは、半分は綾鷹の宣伝の為だけどもう半分は「趣味に走った」と言っちゃって、いい? ハッシュタグを押して各地に出没するくまちゃんの画像と動画を眺めてにんまりしてんだろうなヒカルさん。その様子を妄想するだけで幸せな気分になるわ。

その上まだこのあと「ご当地くまちゃん」が控えてるんですって? 仮にツアーを睨んでということになると、まず思い出すのが『Utada In The Flesh 2010』でのご当地サインボールだ。ホノルルの時点では無かったのだけれど、以降ご当地のくまちゃん…ニューヨークだと自由の女神、ロンドンだと衛兵さん、とかだっけ? よく覚えてないけど、それぞれの土地の名物に扮したくまちゃんをアーティストサインと共に記した野球のサインボールを会場で投げてた?配ってた?のよね。当時のメッセにたっぷり載ってますけれども。

あれを見て羨んでたけれど、今回はARとはいえ、あれに近い事を企んでくれてるんじゃないかと楽しみだわね。香港や台湾のご当地くまちゃんも登場するのかしら。ARアプリは基本、期間限定なので楽しむのなら今のうちだわ。期間限定でなくても、あれだけヒカルがノリノリなのだからリアルタイムで反応を返せた方がまぁ楽しいけどね。

どうにも作品の強度が普通のベストアルバムはおろか、オリジナル・アルバムにひけをとらないものになっている上、連日のテレビ出演で感動過多になってるところに、こうやってARくまちゃんという和みと安らぎと癒しを与えてくれるコンテンツを挟み込んでくれたのは、なんとも有り難い。こういうのもオアシスというのだろうか。違う気がするけど、皆さんもプロモ攻勢に疲れを感じたらARくまちゃんで和んでみてくれれば。でも色々とみてるうちに「思ったように出現してくれない!」ってなってムキになって余計に疲れる人も出るかもしれませんが…ってそれ昨日の私でしたね、ハイ(笑)。

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4月8日(月) 19:00~ 21:00 TBS系列「CDTV LIVE LIVE」出演『First Love』pt.1 pt.2 pt.3 4月22日(月)18:59 終了予定
      21:00~ Youtube 4K『First Love』プレミア公開

4月9日(火) ベストCD『SCIENCE FICTION』店頭陳列日
      12:00~ 『SCIENCE FICTION TOUR 2024』ベスト盤購入者対象チケット受付開始 (お知らせ)
      21:00~ Youtube ムービー『綾鷹 meets 宇多田ヒカル ‘traveling’』公開
      23:59 配信版『SCIENCE FICTION』プレオーダー〆切

4月10日(水) ベストアルバム『SCIENCE FICTION』発売日
      4:00 Youtube インタビュー12分42秒公開 
      10:00 25周年くまちゃんARサイトオープン 
      11:00~ 20:00 原宿ポップアップストア
      18:00~ 20:00 FM802トレビアン・ボヘミアン・スペシャル 2024 放送 18時台 19時台
      19:00~ 21:00 NorthWave トレビアン・ボヘミアン・スペシャル 2024 放送
      21:00~ 23:00 CrossFM トレビアン・ボヘミアン・スペシャル 2024 放送
      21:00~ 23:00 Zip-FM トレビアン・ボヘミアン・スペシャル 2024 放送
      21:00~ Stationhead 『SCIENCE FICTION』オンライン・リスニング・パーティ 要アプリ:Apple StoreGoogle Store
      26:30~ 29:00 MBS「Mラジ Music Treasures」コメント出演 (1) (2) (3)

4月11日(木) 11:00~ 20:00 原宿ポップアップストア

4月12日(金) 11:00~ 20:00 原宿ポップアップストア

4月13日(土) 00:00~ Spotify トレビアン・ボヘミアン・スペシャル 2024 完全版配信開始
      11:00~ 20:00 原宿ポップアップストア 体験動画
      13:00~ TOKYOFM(JFN系列各局)「JA全農COUNTDOWN JAPAN」出演
      19:56~ 日テレ系「with MUSIC」出演『二時間だけのバカンス feat.椎名林檎』『One Last Kiss』 4月20日(土)18:59 配信終了
      21:00~ Youtubeプレミア公開 『SCIENCE FICTION』オンライン・リスニング・パーティ

4月14日(日) 17:30~ 21: 00 MTV Japan 「宇多田ヒカル MUSIC VIDEO HISTORY」初回放送
       21:00~ AWAラウンジ『SCIENCE FICTION』オンライン・リスニング・パーティ

4月15日(月) コカ・コーラ「綾鷹」リニューアル
       22:00~ 24:00 J-Waveトレビアン・ボヘミアン・スペシャル 2024 放送

4月16日(火) 出演TVCM『新・綾鷹出会う』篇 放映開始 15秒CM インタビュー
       22:00~ 24:00 SSTV『宇多田ヒカル リクエストランキング

4月17日(水)

4月18日(木) 21:30~ 25:00 MTV Japan 「宇多田ヒカル MUSIC VIDEO HISTORY」リピート放送
       22:00~ 22:45 NHK MUSIC SPECIAL 宇多田ヒカル ~教えて!ヒカルさん~ 本放送
       NHK+ 配信期限 :4/25(木) 午後10:44 まで

4月19日(金) 10:25~13:55 TBS系「ひるおび」エンタメFun 宇多田ヒカル特集 tw

4月20日(土) 19:00~20:54 日テレ系「wiith MUSIC 2時間SP」インタビュー完結編 (28:17~ ) 4月27日(土)19:55 配信終了予定

4月21日(日) 23:00~23:55 テレ朝系「EIGHT JAM」宇多田ヒカル特集・インタビュー

4月22日(月) 23:50~ 24:35 NHK MUSIC SPECIAL 宇多田ヒカル ~教えて!ヒカルさん~ 再放送

4月23日(火) 「  ?  」
       22:00~ 23:00 SSTV 「宇多田ヒカル 『SCIENCE FICTION』SPECIAL

4月25日(木) SFマガジン 2024年6月号発売 「 宇多田ヒカル x 小川哲 特別対談」

4月26日(金) NYLON JAPAN 2024年6月号発売 44ページ大特集
      21:00~ 22:00 MTV Japan「宇多田ヒカル Top10」初回放送

4月28日(日) 23:00~ 23:55 テレ朝系「EIGHT JAM」宇多田ヒカル特集・完結編 HP< New !

4月30日(火) 19:30~ 23:00 MTV Japan「宇多田ヒカル MUSIC VIDEO HISTORY」リピート放送
      23:59 『SCIENCE FICTION TOUR 2024』ベスト盤購入者対象チケット受付終了

5月14日(火) 13:00 『SCIENCE FICTION TOUR 2024』ベスト盤購入者対象チケット抽選結果発表



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香港公演の日程が発表になった。先日発表された台湾公演が8月10日11日、そして香港公演が8月17日18日。これで空いていた8月の土日のうち残るのは8月24日25日だね。同日に設定されているサマソニバンコクが来るのだろうか? サマソニ東京大阪は17日18日で、こちらは香港で埋まってしまったからね。16日17日に北海道で開催されるライジングサンも無理になった。『SCIENCE FICTION TOUR 2024』の全貌が、徐々に明らかになりつつある。

台湾公演の競争率も相当のものだったようで。これは初めての公演地なら仕方のない部分がある。ペイできる最低限の公演規模と日数からまずやってみるだろうし。次はもっと盛大にしてくるだろう。とはいえ、また6年も経てばわからなくなるか。


ヒカルさんはコンサートツアーへ向けての心境を、ラジオ(4/13全農Countdown Japan)で次のように語った。

『怖い。久しぶりだし、普段日常的に、ねぇ?やってることじゃないから。』

…だってさ。ヒカルさん、あのねそこで「ねぇ?」するのは無理がある。ミュージシャンてのはツアーが日常って人も結構いるし、なんだったらその番組に出てる人達はそっちが多数派かもしれない。一年のうち200日以上がライブ予定で埋まってる人も居る。もちろん、スタジオ作業がメインの人も沢山居て「人それぞれ」なのは間違いないんだけど、貴女だって望めば「ライブに費やす時間の方が多い」音楽家人生を送る事だって、可能なのよ? だからライブが非日常なのは貴女の選択であって、当然の前提じゃ、ないのよ?

ま、それはそれ。理屈の上の話でしかなく。現実のヒカルさんはご覧の通りライブを「非日常」のものとして捉えている。これは悪いことじゃない。確かに観たいと切望している人達が次々に鬼籍に入っていくようなペースを維持して25年だが、まずその分創造性が桁違いだ。今回の2枚組『SCIENCE FICTION』を聴いてると、「1人でザ・ビートルズ以上の質と量を誇る楽曲を書いてきたんだなぁ」と慄然としたわ。あり得ないことですよこんなん。これが可能になっているのも、この奇跡より遥かに稀な才能が、ライブを滅多にせず創作に打ち込んできたからに他ならない。その恩恵をSFを通じてたった今受けている身としては、ツアーが非日常になるのも必然と受け容れる気にもなる。

もうひとつ、ライブを演る方も非日常の感覚があることで、うちら観客の気持ちに近いというのがある。ともすれば、「観る方にとっては一生に一度の体験だけど、演る方にとっては何百何千と過ごしたいつもの夜でしかない。」という意識の齟齬がステージの上と下で生じるものだが、ヒカルさんの場合はそれがとても小さい。全く同じというわけではないだろうけど、「次またいつここで歌えるかなんてわからない」という特別に神妙な気持ちで歌う姿勢はそれはそれは特別な夜をもたらすだろうからね。ここは、“チケットが手に入った人であれば”とても嬉しい気持ちのシンクロとなるだろう。お互いにとって特別な夜。いいよねぇ。

そして、喉が元気というのもデカい。この間「with MUSIC」で椎名林檎と共演したが、林檎嬢の歌声が随分と使い込まれたものだったのに対してヒカルの歌声のフレッシュなことといったら。脳は回数を覚える。何度繰り返したかが大事なのだが、ヒカルはまだまだ回数を歌っていないのだなと痛感させられる対比だった。まだまだ喉が衰える事はないだろう(林檎嬢の喉が衰えてるわけではない/最適化が彼女の方が進んでるという話)。ヒカルさんは普段から体を鍛えてるみたいだしな。

なのでつくづく、今回の『SCIENCE FICTION TOUR 2024』、「観たい」と言うしかない。ここの読者の中にはお家で聴くのが好きで公演にまでは興味がないという人も在るかもしれない。ヒカルさん自身がそうなのだからリスナーがそうなるのも自然な事だ。しかしまさかロンドンに住みながらライブハウスに通ってなかったとはな…! カマシ・ワシントン観に行ったのとか、レアだったんだねぇ。っとと、話が逸れた。ライブが日常の人も非日常の人もどちらも居るように、ライブを観たいかどうかもまた人それぞれだ。だから敢えて強調する。観たいなぁ。どれだけの感動を与えてくれるやら、ここまで来ちゃうと最早想像がつかないもの。とんでもないステージを魅せてくれる予感が、とてもとてもしているよ。

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昨夜の「NHK MUSIC SPECIAL」45分、勿論CM無しでその上オープニングエンディングもなしな上途中VTRを挟む事もなくひたすら問答と歌を交互に繰り出すだけのシェイプアップされた構成だった。何を見せればいいのか、限られた時間で最大限の満足感をどう与えられるか、制作陣はよくよく知ってるわね。総合テレビでの放送だったけど、どちらかといえばETVっぽい演出手法だったかも。

と細かい差異を指摘するよりも何よりも、この全体を覆う「NHK伝統の演出」の数々にちょっと怖くなってたというのがメインの本音でね。物心ついた頃から、教育テレビをずっと眺めていた幼稚園児の頃にみたものから全く変わっていないカメラアングル、編集点の取り方、笑いや拍手の入れ方、人の配置、アナウンサーの役割、何もかもがNHK的で、ザッピングの中で通り過ぎるだけの一瞬でもそれとわかるの、なんだろうな、今は編集デジタルだろうに、アナログにテープ切り貼りしてた頃と変わらないの不気味で仕方ない。流石に40年前と同じプロデューサーが未だに現役ってこたないよな? それだと更に怖いけど。

だなんて引きの悪い話から始めているのは他でもない、そのNHKの演出手法の根幹である「真実すら虚構にして放送する」という“信念”があまりに宇多田ヒカルのもつ「いつでも本気」のポリシーと相反しているからだ。人が本音を話す時ですら台本や脚本に沿わせて、意のままに画面に映す。まるで人間一人々々が白黒のチェスボードの上の駒みたい。

そんな中でもその演出に飲み込まれない宇多田ヒカルは流石だった。これが言いたかった。

当たり前だが、半世紀どころでない歴史を誇るNHKの呪いに一般人などなす術もない。私もあの場にいれば駒にされていただろうな。だが、ヒカルの「自分のリズムでいこう。」は崩されなかった。どれだけ寄りの絵を取られようが、自在な編集点に切り取られようが、ヒカルの「今」は崩さない、崩れない。そのリアリティはあたかも小津作品でひとりだけ生身の人間として異彩を放つ杉村春子のようだったわ。完璧な操り人形と化す笠智衆もまた素晴らしいのだけれども。

嗚呼、ついでだから補完しとくと。ヒカルが「幸せとは?」という質問に対して答えた「今」というのは、別に「41歳の自分」とか「こどもと過ごしている2024年現在の生活」とか「NHKの番組収録に参加してるこの状況」とかの意味ではなく、「今を感じているこの瞬間」のことを指していた、筈だ。未来への希望や展望や絶望だけでも、過去への憧憬や懐古や後悔だけでもない、それら総てを包含するたった今という瞬間を味わえてる事自体を感謝する、という感覚のことを指しているのだと思った。かなり抽象的な回答であった。

そうなのだ、ヒカルは、「これから撮れ高を切り貼りされて言ってないことを言ってるかのように編集される」テレビ番組の収録という人工的な時間の流れの中にあってすら「今」を見失わなかったのだ。『True Secret Story 』とか『今の私』とか『SONGS』とか『仕事の流儀』とかで大変お世話になっている局なのだが、一方で看板の紅白歌合戦には一度しか出演していなかったりで、正直距離感の取り方が難しい場所だと先だっては思っていたのだが、全く全然大丈夫だったね。ヒカルはヒカル。どこにいたって私は私なんだから─と、本日発売24周年を迎えた、発売と同時にミリオンセラーという記録を作りながら『SCIENCE FICTION』に収録されなかった名曲『Wait & See 〜リスク〜』の一節を引用して、視聴後の感想の総括に変えましょうかね。歌も問答も、素晴らしかったですよ。

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ディテールの話は後回し、と思ってたけど今日もまた新情報満載で煽られたので前言撤回。歌詞の文の細かい話をするよ。


4月25日発売のSFマガジンにヒカル登場とな!

となると、『Electricity』の歌詞が話題になってるだろうかな。なんつったって、

『あなたはどの銀河系出身ですか?』

だもんね。まるっきりSFだよね。ここで、2番Bメロ終わりに至る迄に1番Aメロで『違う惑星みたい』とか2番Bメロ頭で『美しい鉱物』とかのワードを前もって鏤めておくことでこの突拍子も無い一節の唐突感を薄めているのが、巧みだわよね。ビックリはするけど流れとして不自然じゃない絶妙なバランス。お笑いや作劇の教科書にも書けそうなお手本のような伏線の張り巡らし方だわさ。

さてそんな『Electricity』で更にSFっぽいのが、Dメロと言われそうな

『私たちの細部に刻まれた物語
 この星から文字が
 消えても終わんない』

のパートだよね。最後の『終わんない』がまた『何にも信じらんない』を彷彿とさせるのでやっぱり『何色でもない花』と『Electricity』は姉妹曲だよね名高い学者はアインシュタインだよねとなるのだけど今回はそれはさておき、この『Electricity』の、英語のリフレインを除いた日本語歌詞としては最後のパートでは一体何を言っているのだろうか?

『この星から文字が消えても』というのは何となく意味はわかるけどという感じなので思い切ってこの『文字』を「文明」と読み換えてみよう。

「この星から文明が消えても終わんない」

…のが「私たちの細部に刻まれた物語」、なのだ。

ふむ、ここで、1週間後にSFマガジンが発売になるということで更に大胆に発想を飛躍させてみるか。SF的発想をとるなら、この『細部に刻まれた物語』というのは「遺伝子」と解釈できそうなのだ。つまり、『文字』を「文明」と読み換えたように、『細部』も「細胞」と読み換えてみる。すると

「私たちの細胞に刻まれた物語
 この星から文明が
 消えても終わんない」

てな風になる。『物語』というのは具体的な遺伝子の構造のこととかになるだろうか。数多の試練を乗り越えて、一代も途切れることなく受け渡され洗練され続けてきた遺伝子の辿った軌跡を物語と言わずして何とする、というか。ちょっと強引だけど、まとめると、このDメロパートの含意は

「たとえひとつの文明が滅んでも、生命の営みの連鎖は途切れない。」

てな感じになるかな。恐らくSFマガジン的には、こんな風な解釈を返すのが順当なんじゃないか。仮にこの解釈を振られたとして、ヒカルが更にどう返すか、に注目したい。

ヒカルはヒカルで、「遺伝子(gene)」という単語を歌詞に登場させた事がある。『This Is Love』の『鳴り止まない遺伝子』と『Let Me Give You My Love』の『start mixing gene pools』だね。どっちもエロい意味だったが、今回は歌の主人公が宇宙人なだけに生殖観が地球人と同じなのか、そもそも生殖観なんてあるのか、そこらへんをヒカルがどう設定してたかによるよな。あたしとしては、「地球人を滅ぼす気になったこの歌の主人公が実はその地球人の1人と交配してしまい…」みたいなストーリーを想像してるのだけど、はてさて、どんなインタビューになっているのやら? 1週間後の発売を待ちましょうかね。



追伸:歌の最後のリフレイン『I just wanna celebrate with you』は自動詞なので、訳は「あなたと祝いたいだけ」ってより、「あたしゃあんたとバカ騒ぎしたいだけなのよ?」みたいな風になる。これ結構この歌を理解する上で大事なフレーズかもね。

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えぇっと、今日からの4日間のうち3日テレビ出演!? ここに至ればなるほど、『デビュー以来こんなにテレビに出たことあったか私😂』と呟いたのも納得よね。CM2つと絡むとなるとやはり過去最高の月間出演時間になるのかもしれない。

こちらとしては、勿論トークも楽しみだが、テレビ向けとして新しくパフォーマンスが得られるのが得難い。今夜は『Electricity』『光(Re-Recording)』『traveling (Re-Recording)』の3曲。何れもテレビ初披露、パフォーマンス初お目見えとなる。

それどころか、『光』も『traveling』も、2001〜2002年当時地上波テレビ出演はなかったのだ。特に『光』は「HEY!HEY!HEY!」などで“皿洗えてないPV”が話題になっていたから錯覚しかけるが、あれはその後、『SAKURAドロップス』で出演した回のトークだった。そこで『光』の別テイクが生まれたわけではないのだ。『traveling』に関しては、FOMAのTVCMが沢山打たれていたからテレビから歌が流れる機会は多かったがこれもテレビでのパフォーマンスはなかった。米国同時多発テロの影響もあったのかもしれないが、初めてコ・プロデューサーとしてアルバム制作の真っ只中だった為スタジオを離れられなかったというのが真相か。『SAKURAドロップス』と『Letters』は、アルバム制作終了後でのテレビ出演収録だった。

そんな二十数年前を思い起しても、今回の歌は本当に貴重だ。テレビしか観ない人にとっても、欠かさずヒカルのテレビ出演を観てる人にとっても新鮮な体験となるだろう。

そして、『Electricity』初披露よな。NHKだから歌詞の字幕は出るのだろうか。あの特徴的なフレーズの数々はかなりのインパクトをお茶の間に与えるだろう。2002年の年間トップ10ヒット曲2曲と並べて歌っても全く遜色ないどころか、今の宇多田ヒカルの充実ぶりを広く知らしめる絶好の機会となるわよね。正直、これ以上コンサートチケットの競争率が上がるのはやめてほしいんだけど(笑)、今夜のパフォーマンスをみてCDを買ってでも生で観たいという視聴者が一定度出てくるんじゃないかな。

そして、NHKだから一切おくびにも出さないだろうが、これは「伊藤忠と綾鷹どっちが目立つか」という好奇的な目線でもみることもできるだろうね。広告代理店の皆さん血まなこ(笑)。

しかし、ここで『Automatic (2024 Mix)』や『First Love (2022 Mix)』ではない『光(Re-Recording)』という選曲をしてくるって、日テレの『with MUSIC』に引き続き、NHKにも宇多田ガチ勢が紛れ込んでいるのは最早疑いがないところでしょうね。仕事の流儀やSONGSでわかってたことだけどもな! はい、今夜は本当に楽しみですね!

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『SCIENCE FICTION』が「ライブ予告盤」であると私が主張するのは、例えば全体的に曲の終わり方がカットアウト気味になっている傾向にある事からもわかる。私としては小さい頃から「フェイドアウト警察」をしている身…というのは嘘だけれど、小さい頃からフェイドアウトに出会う度に「マイナス1点」するこどもだったからわかるのだが、ライブコンサートを重視する人ほどスタジオ・バージョンでフェイドアウトをしない。これは当たり前の話で、リアルな演奏でフェイドアウトなんて出来ないからだ。コンソールに頼んで各楽器の音量を下げていってステージ上でもフェイドアウトをしてみる人がいるけれど、まぁしまらない。拍手するタイミングを見失うからね、観客が。ライブ慣れした演者は曲の終わり方に拘る。拍手したり歓声をあげたりするのはここのポイントですよと明示してくれるのだ。フェイドアウトにはこれが全く無い。例えば今回、特にキャンシーの終わり方なんかがいいよね。これライブでやったら爆発的な賞賛を浴びるんでないか?

そうなのよ、曲の終わり方ってホント大事なの。6年前の『Laughter In The Dark Tour 2018』ではその『Can You Keep A Secret?』をフィーチャーした『Kiss & Cry』が大喝采を浴びていたけれど、あれも同曲の終わり方がとてもライブコンサート向きだったからだと思うんだ。最後ヒカルの短い独唱で高い歌唱力を示して終わるあの構成こそが“ライブ向きのアレンジ”の典型例。そしてキャンシーに限らず、『SCIENCE FICTION』の楽曲は全体的にその傾向が強いように思われるですよ。再録/リミックス/リマスターによらず、ね。


もうひとつ挙げたい「SFがライブを意識して作られている」と思わせるポイントがスネアサウンドだ。スネアというのは一言で言えば音楽の「ノリ」そのもので、0歳児の赤ん坊から死ぬ間際のお年寄りまで「音楽のリズムにノる」というのは「スネアに合わせて体のどこかを動かす」事と大体同義だ。なのでヒカルはこのスネアの音作りに拘るのだが(たぶん一番好きなのはクラップ(手拍子)音だと思うけども)、今回ここのミックス&リマスターにも拘っているように思う。

最も顕著だなと思わされたのが『Flavor Of Life -Ballad Version-』だ。今回のSFでは、2007年に発表されたトラックに較べて随分スネアサウンドがクリアに強調されている。なのでこの2024 Mixは、テンポ(BPM)を変えていない/上げていないのにも関わらずまるで『Flavor Of Life』のようにすら聞こえる。そう、『Don't Be Afraid/You'll Be OK』のコーラスが入っているオリジナル・バージョンの方のようにね。これも、ライブ映えを考えてのことのように私の目には映った。いや、耳に聞こえたというべきかここは。もし『SCIENCE FICTION TOUR 2024』で『Flavor Of Life -Ballad Version-』が歌われたら、「これはただのラブバラードじゃないぞ? すごく気分が高揚してくる!」とアップテンポ・ナンバーみたいに思わせる事になるんじゃないかな。


そんな感じで、ニューアルバム『SCIENCE FICTION』は、サウンドの端々節々からもライブを意識している事が窺えるので、聴いているとどうしてもライブへの期待感が高まってきてしまう。ほんに、全員当選したらいいのにねぇ。再三再四言ってきてるけど、どっかフェス出てくれんかね? 香港の日程次第で、どこのフェスに出れるかが決まるので、海外までは行くつもりのない方々も、要チェックでございますわよ?

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