無意識日記
宇多田光 word:i_
 



ここ最近の情報の洪水の中では最早小ネタ扱いになるのかもしれないが、椎名林檎の新譜「放生会」(“ほうじょうや”と読むそうな…覚えれる気がしない…)に「浪漫と算盤 TYO album ver.」が収録されるそうな。

2019年にリリースされたゆみちんのベスト盤「ニュートンの林檎」の一曲目に収録された「浪漫と算盤 LDN Ver.」のアザーバージョンとして後日配信リリースされた「浪漫と算盤 TYO ver.」の、これはアルバムバージョンになる、のか。ややこしいな。という訳で、別ミックスではあるものの既発曲のリリースなので、そこまでビッグニュースではない…と言えちゃうのは、私の感覚が麻痺してんだろうなきっと。


で。それに寄せたゆみちんのセルフライナーノーツがこちらになる。

「ベスト盤(『ニュートンの林檎』)の時は、どうして『浪漫と算盤』のような曲を(宇多田)ヒカルちゃんに書いたのかご理解いただきづらかったんじゃないかと気になっていました。彼女の透明さ、無欲さ、お若い頃から達観していらした、あの空気や水のような存在感がないと説得力が生まれないものを書いてみたくて。つまり、派手なフックがないものを残したかった。今回『放生会』の真ん中の曲としてなら意義を感じ取っていただけるのかも」
https://sp.universal-music.co.jp/ringo/houjoya/linernotes/

興味深い。ミュージシャンとして宇多田ヒカルに接していると、どうしたってあの圧倒的な歌唱力・作詞力・作曲力に目と耳と心を奪われるかと思うんだけど、こうやってしっかりと人としての宇多田ヒカルの魅力の核となる「あの空気や水のような存在感」に辿り着いてくれてるのは、シンプルにゆみちんが天才だからなのか、それともうちらみたいに音楽を離れてもただただヒカルちんが好きなのか。…嗚呼、両方か。

しかし、そうなのね。5年前にこの曲を聴いた時にはとてもそんな意図を読み取る事はできなかったわ。「考え過ぎやなぁ」というのが素直な感想でしたよ。歌詞もメロディも滅茶苦茶凝ってて面白いのに、何が言いたかったのかよくわからない曲だなと。なるほどね、「あの空気や水のような存在感」を必須ピースにするような形状の音楽を書きたかったのか。うむ、その点に関しては、後日アルバムの中の一曲として聴いてみて確認してみるわね。


しかし、これは中々に荒野に踏み出しているというか、宛て処ない旅に出たなというのがこれまた率直な感想で。聴く前の心境としては、難しいだろうねと言わざるを得ず。

ヒカルのあの「あの空気や水のような存在感」を音楽に結びつける時に最も効果があるのは「無音」なのだ。何の音を鳴らさないか、今鳴らしていないのか。そこで鳴っていない音(もしかしたら永遠に奏でられない音)を伝えられなければ多分表現としては成立しない。

その試みが最も核心に迫ったのが『Sanctuary』/『Passion』だ。音楽にするならああいう風にするのがひとつの理想だ。こいつらを“掴む”のが如何に難しいかは、ジャム&ルイスfeaturing ピーボ・ブライソンというどっからどうみても一流の布陣がまるで間違ったアプローチでカバーしたことからもわかる。また少々間違ってもそこそこ聴けてしまうから始末が悪い。そこで開き直ったオーケストラバージョンは素晴らしかったけれども。シングルバージョンにちょっと近いアプローチだったね。それはさておき。

こいつらは、歌いながら歌い手が無にならないといけない。まるで何もそこにないかのような歌を聴かせないといけない。なので、宇多田ヒカルのようなフック満載の歌声はそもそも合わないのだ。それでも当時のヒカルはよくアプローチしたと思うが、もしかしたら今の発声の方がよりよく表現できるかもしれないね。シングル・バージョンを歌うとなったら結局ヒカル以上の適任は最初から居ないのだけども。

…という知見に基づいた見地に立つと、ゆみちんによる「浪漫と算盤」は「悪戦苦闘の痕」という以上の感想は今の所はないのだけど(なのでアルバムの中の一曲として聴くのが楽しみね)、これに懲りずに今後更にヒカルの為の曲を作っていってくれたら、ある地点でゆみちんはヒカルちんを超えるというか、ヒカルちんでも表現できなかったレベルで「あの空気や水のような存在感」を音楽に託し尽くしてくれる可能性が出てくるので、非常に、非常に期待したくなったというのが、本日の私のメインの「伝えたいこと」だったのでした。意志の力は何より強い。ゆみちんに能力がない訳では断じて無い。椎名林檎ですら悪戦苦闘するほどこのテーマが難しいというだけだ。でもまさか、こんな近くにそう思ってくれてる人が居ただなんてね。全然気づかなくてすみませんでしたm(_ _)m

最近はA.G.Cookももしかししたらヒカルの「あの空気や水のような存在感」に気づきつつあるのかもしれない気がし始めていたのだが、もっと旧知の仲からこのアプローチがやってくるとは思ってもみなかった。人生本当にわからない。椎名林檎のオリジナル・アルバムに歌手・宇多田ヒカルが登場するのはこれが初めてになるのかな、だとしたら是非これを「1回目」と呼ばれるようにして欲しい。そしていつか、宇多田ヒカルのオリジナル・アルバムに楽曲を提供してくれたら。「お歌:宇多田ヒカル/作詞作曲:椎名林檎」というクレジットを、いつの日にか見られたら嬉しいぜ。

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さて今日10時から綾鷹コラボ第2フェーズ。新録トラベによる『SCIENCE FOCTION』アルバムとのコラボレーションの第1フェーズから、『SCIENCE FICTION TOUR 2024』ツアーとのコラボレーションに入る。差し当たって、総合計1500名様をコンサートに招待するキャンペーンがこのあと10時から始まる。

ベテランのファン/リスナーの皆様は「またお茶か」という顔をする。1999年8月24日に開催された「爽健美茶ナチュラル・ブリーズ・コンサート」にヒカルも参加していて、そのコンサート・チケットを手に入れる為に爽健美茶を飲みまくったからだ。あれから25年、今度は綾鷹を飲みまくる事になった。17本で1枠なので、かなり常飲しないと難しいわね。でもまぁ、炭酸飲料でなくてよかったかな。いざとなったらご飯炊いたり煮物に入れたりとお料理にも使えるしね緑茶は。箱で買ってもなんとかなるだろ。

何しろ既にツアー最終日から数えても100日を切っているのでこれから慌ただしい。初日からだと7週間もないというね。ただ、だからといって公式からの音源的な供給が途切れるかといったら大間違い、というのは先週SACRéのリリースで実証されたばかり。

実際、全国ツアーとなると直前に音源のリリースが為されることが多い。

2000年の『Bohemian Summer 2000』は7月1日のスタートだったが、直前の6月30日に『For You / タイム・リミット』の両A面シングルCDが発売された。当然と言うべきか?両曲のプロモーションの為にテレビ出演も複数回あった。

2006年の『UTADA UNITED 2006』もまた7月1日のスタートだったが、そもそも直前の6月19日にオリジナル・アルバム『ULTRA BLUE』がリリースされている。あんまりにもガッツリな新音源リリースであった。なおこの時は実質初めての“アルバム先行シングル曲配信限定リリース”として『This Is Love』がお披露目され、同曲でのテレビ出演も果たしている。

2018年の『Laughter In The Dark Tour 2018』ではツアー初日に『Too Proud (L1REMIX)』を電撃発表&即リリース。テレビ出演は特になかったが、この頃はシングル曲は配信のみが当たり前となっていたので、こういったサプライズも可能となっていた。

この今までの流れからすると、今年7月13日から始まる『SCIENCE FICTION TOUR 2024』でも、ツアー開始直前直後になんらかの新音源がリリースされる可能性を考えておかないといけないだろうね。毎回行きたくても行けない「ツアー難民」を大量に生み出すのが宇多田ヒカルなので、せめてものというと押し付けがましいかもしれないが、少しでもリアルタイムで楽しめるコンテンツを提供しようというレコード会社/レーベルの努力の顕われであろうかな。なので、今日からプロモーションがアルバムからツアーへと完全に軸足を移す事にはなるだろうからツアーに行けない/行かない人にとってはどうしたって疎外感は拭えないかもしれないけれど、変わらず公式からのお知らせには目を通しておいて欲しいところ。期待されていた綾鷹枠はこうやってしっかりあったので、生配信やシアタービューなど、まだまだどんな展開が待っているかわからない。ヒカルさんは、この夏もしこたま頑張るよ♪

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当然、SACRéをライブで観たい聴きたいという願望は湧いてきている。が、冷静に現実的に考え始めてみるとこれは結構色々と難しそうだ。

何よりも魅力なのはそのバックコーラスの分厚さなわけだが、これをライブでどう再現するか。ヒカルのライブといえば極一部の例外を除き生身のバックコーラス隊を起用しないことで知られている。照實さんによれば、どうやら日本語と英語の両方できるシンガーを人数揃えて数ヶ月のツアーに帯同させるのが難しいとのこと(この発言のソースが思い出せない私である)。確かに、宇多田ヒカルのバックコーラスを担おうとすると日本語英語が出来るのみならず、その歌唱力も相当高くないといけないわけで、そうそうそんな人材が何人も見つかるとは思えない。前回のツアーのアンコール曲『俺の彼女』なんて歌おうもんならフランス語まで出来ないといけない。ミュージシャンというのは得てして耳が良く意味がわからない音節の羅列でも耳コピできてしまうものだけど、やはりそこは意味をよくわかった上で歌える方がよりよいだろう。

逆に言えば、英語か日本語かを限定してしまえば、少しは現実味が出てくるということだろうか? 前回のツアーでも弦楽隊の皆さんは特定の曲でのご登場だったし、コーラス隊や聖歌隊を特定の楽曲で起用するというのはそれはそれで理に適っている。例えば、『Goodbye Happiness』のバックコーラスなら日本語ができなくてもいいわけだし、SACRéやら『Sanctuary』やら『Face My Fears』やらの幾つかの曲と共にSYNERGY CHORUSの皆さんをゲストに迎えて特別コーナーを設けて(UTADA UNITED 2006のUTADAパートみたいにね)そこで分厚い生コーラスを聴かせてくれる、なんて趣向もアリではあるだろう。悪くない。

まぁそれなら有り得なくはないのだけど、でも、そもそもそういうのってオーディエンスからのニーズは高いのだろうか?という根本的な疑問は結構あってだな。多くの人たちが「宇多田ヒカルの歌を聴きに来て」いるのだ。ぶっちゃけ、バックコーラスがどうなってようが興味がない、という人は多いんじゃなかろうか。というかそれが最大多数派な気がしなくもない。

結局のところ、それが理由で過去のライブではバックコーラス人員を起用してこなかった気もするんだなー。それを求めるのはショウの完成度に拘る、他のコンサートも観て聴いて目が肥えた人たちであって、常に半分以上が「宇多田ヒカルを初めて観る」人たちで構成されていて、なんだったら「コンサートというもの自体が生まれて初めて」という層も一定数以上存在する公演で、「後ろにたくさんいる人達」が何をしてようがそこまで関心は寄せられないんじゃなかろうか。もちろん、演奏というのは明によりも暗によって全体の評価に結びつくものなので手抜きができるはずもないのだが(弦楽隊を重用しているのはそういうことでもあるのだろう)、こと「歌」に関することになると、「宇多田ヒカルの歌声をたくさん聴いていたい」という声がやっぱり大きいんじゃなかろうか。

でも、それで言うなら、今回光ReかSACRéをライブでやろう!という機運が高まることで、今後「宇多田ヒカルのコンサートは本人の歌唱力はもとより、バックコーラスも素晴らしい。」という定評が生まれていく流れになっていってしまえば、思うより先にコーラス隊/聖歌隊の存在が定着していく気がする。なんつったって初期から三宅さんに精神が壊れるほど「もう1回」攻撃(※ 同じバックコーラスをもうワンテイク録りたいから歌ってくれ、の意)を幼い頃から受けてきた宇多田ヒカルである、コーラス隊を活かせる楽曲は、この25年の中に山程存在しているのだ。今までのライブではヒカルの声の録音物を同期再生することで済ませてきたが、またどこかで潮目が変わることもあるかもしれない。


まーこの話に関しては毎度のことながら私個人の願望が8割5分くらい入ってるので、話半分どころか話一割五分程度のつもりで、聞き流しておいてくれるとありがたいですね。でもね、人の声が集まるってのは、それはそれは神々しいものなんですよ…。

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SACRéの最終局で唐突に挿入される『真夜中に』について。とっとと触れとこ。

それまでずっと英語で歌われていたのにここだけ日本語。英語歌詞でいうと『It's hard to let it go』にあたる。これを歌うのではまずかったのか? うん、多分支障は無い。なので、わざわざ日本語にした理由は、今のところわからない。

ただし、『光(Re-Recording)』のそれとは挿入されるタイミングが異なる点はまず指摘されておくべきだわね。『光(Re-Recording)』とSACRéはどちらも再生時間が4分36秒で曲構成も(と言うか、コード進行もと言う方がより適切か。アレンジは違うからね。)同じなのだが、『真夜中に』が唐突に挿入されるタイミングは、『光(Re-Recording)』では4:27、SACRéでは4:05と、後サビ1パート分だけズレた場所であって、また歌唱内容もそれぞれ別テイクとなっている。日本語歌唱からコピペしてきたんじゃなくてSACRéの一部分としてしっかりあらためて歌われてるってことね。

さっきから「唐突に挿入」と言ってみてはいるものの、実際には後サビのコード進行とバックコーラスが、歌詞のあるメインヴォーカル群を抜いてもう一度展開された挙句のタイミングで歌われているので「然るべき位置」にあることは間違いない。では何故『光(Re-Recording)』とSACRéでその位置を1パート分ずらしたのか。

恐らくだが、楽曲の始まり方がひとつ、影響しているように思われる。『光(Re-Recording)』は『どんな時だって』から始まる。最初っから音程が跳ね上がるこの歌い出しはインパクト抜群なのだが、SACRéの方は『When you walk away ...』と低音から少しずつせり上がるように歌われる。つまり、『光(Re-Recording)』はパンッと始まるからパンッと終わらせたくて『真夜中に』を最後の最後に持ってきている。一方、SACRéは少しじんわり始まるから終わり方も少しずつカームダウンしていくような、そんなまとめ方をしたかったのかもしれない。事実、そうやって作られたラストの27秒は、様々な点で互いに異なり合う『光(Re-Recording)』とSACRéの間でも、特に違いの際立つパートとなっているように思われる。場合によっては、この曲のクライマックスはこのヒカルによる「歌詞のない歌のパート」だと見做すことすら出来そうだ。ここの余韻を生むための『真夜中に』の移動なら、説得力がある。それに、前も書いた通り、現時点では『光(Re-Recording)』とSACRéのどちらを先に制作していたかわかんないしな。


まだまだ意図としては謎の多い『真夜中に』なのでもっとよく見極めてから語りたかったが、こういうのが「腑に落ちる」のは20年後とかになるのがザラなの、この25年でよくよくわかってきたので、わからないならわからないなりにその時点で触れておくのも大事だなと思い直してこうやって日記に記してみた。これについては、まだまだこれからも考えていきますかね。

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前回「『Simple And Clean (Re-Recording)』(以降、頭文字を取って"SACRé"と略します)の包容力や暖かさがLive2023に通じる」という話をした。では具体的にどこらへんでそれを強く感じるか。「全体的な印象としてそうなってる」というのが正解なのだろうけど、自分は特に2番出だしにある

『The daily things』
『That keep us all』

の部分の低音ヴォーカルのメロディラインを挙げたい。ここのヒカルの歌い方が、後ろから暖かく見守って包み込んでくれてる感がよく出てて何とも言えず感動的なのだ。

ここの部分は、『光(Re-Recording)』でいえば

『うるさい通りに入って運命の仮面をとれ』

にあたるので、少しばかり聴き比べてみるといい。この光の方もこちらはこちらでかなり素敵なんだけども!(どうなってんだ今回のSFセッションに於けるRe-Recordingの充実振りは!)

そうなのだ、後ろのハモりが、ただ三度下五度下をなぞるだけに留まらないのよね今回の再録バージョンの、特にSACRéのバックコーラス・パートに関しては。そこだけ取り出してもそれぞれが独自にメロディをなぞっていて、ひとつの声部を追うだけでも本当に涙が出てきかねない程に感動する。そりゃあそれらを全部併せたら…(T△T) ←こうなるわよねぇ。


今回のSACRéリリースにあたってのヒカルのコメントはこうだった。

『長年支持されてきた曲の再録という大きなチャレンジに、友人でコラボレーターであるA. G. Cookの力を貸してもらいました。「光」/”Simple and Clean”の新しいバージョンは、私が22年前に書いた曲ではあるけど、違う場所、違う視点から発せられています。黙想的で思慮深く、もっと優しい。人生に勝ち負けはなく、あるのは経験から得るもの。世界中の多くの人がキングダム ハーツを通して受け取ったものに思いを馳せつつ、ここからまた始まることを楽しみにしてます。』
https://www.utadahikaru.jp/news/msnhsxijl/

この、違う視点を以て「黙想的で思慮深く、もっと優しい」人が歌うのが、SACRéで左右に割り振られている低音部のメロディなんだと思う箇所が、結構多いのよね。だからかなり意図的にそう歌ってる気がしている私。それと対比して、オリジナルの『Simple And Clean』よりさらに増強されている最高音部のハーモニーは、若い頃になりたかった今頃の自分、理想の未来の自分を表現しているかのようでねぇ。

つまり、SACRéのコーラスハーモニーは、今のヒカルが昔の自分を眺めて見守り慈しんでるのと共に、昔の自分がなりたかった大人に今自分はなれてるのかな、そうだったらいいなという理想と願いをも共に描いた、そういう様々な(実際の、或いはあったかもしれない)時間、世界線の数々を悉く包括したものになっているのではなかろうか。なので、それが描くのは、まさにヒカルが言うところの、総ての時間で満ちている空間─「聖域」になるのかもしれない。だとしたら、『Simple And Clean 』の続編がその名もズバリ『Sancuary』なのも、素直に頷けるような気がする。…20年越しくらいでやっと素直になれるのも気が長い話だけど、ヒカルに言わせれば「宇宙の時間に比べたら大したことない」んかなやっぱな!


追伸:なぜ『Simple And Clean (Re-Recording)』の略称がそのままの“SACRe”なのではなく“SACRé”なのかというと、フランス語で"sacré"が「神聖な」という意味の形容詞だと知ったから、なのでした。こんなにこの曲にピッタリの意味になるとは驚いたですよ、えぇ! そんなわけでeをéに変えたのでしたとさ。まる。

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『Simple And Clean (Re-Recording)』の最大の魅力は、いうまでもなく25年(CubicUから数えると27年?いやU3から数えると3以下略)に亘る宇多田ヒカルの歴史上過去最大密度と言いたくなるバックコーラス・ハーモニーの完成度だろう。これの出来栄えが私たちの得る感動を更なる未知の領域にまで導いてくれた事実に揺るぎはないと思われるが、ではこの分厚いスタジオワークがこのトラックの総てなのかというと、それについてはまず否を唱えておきたい。

コーラスワークの豪華さに耳を奪われるトラックに遭遇した際、メインのヴォーカルラインだけを取り出すと意外に質素でそんなに凄いわけでもないのだなと気付かされるケースがある。裏を返せば、声の重なりを活かすためにひとつひとつの音の運びはシンプルにして和声自体の魅力を中心に据えようという作曲思考だとも言える。それはそれでとても素晴らしいのだが、『Simple And Clean (Re-Recording)』についてはそのタイプではないという話。

リリースして2日でいきなり「じゃあこのトラックのバックコーラスを取り除いたバージョンを想像してみて」と問うのも無粋な気がするのでちょっと違う例を挙げてみると、2023年リリースのライブEP『40代はいろいろ -Live From Metropolis Studios- 』がちょうどいいのではないかな。

というのも、ここでの『First Love (Live2023)』のアレンジが、オリジナルの『Simple And Clean』を『Simple And Clean (Re-Recording)』に進化させる為にとったそれとよく似たコンセプトの元に施されているからだ。

『40代はいろいろ -Live From Metropolis Studios- 』は、ジャケットの写真にある通り、最小人数編成でのアレンジを求められたスタジオ・ライブだった。歌に関してもヒカルのヴォーカル一本である。しかし、初めてこれを聴いた時にオリジナルの『First Love』と比較して、柔らかく暖かく包容力に満ち溢れた感覚を、聴いていて覚えたことかと思われる。15歳の時に作った曲を40歳になった今の感覚で再構成して歌うとなるとこうなるのか、と。

その時の感覚を思い出すと、『SCIENCE FICTION』に収録された『光(Re-Recording)』や、今回リリースになった『Simple And Clean (Re-Recording)』とかなり近いものを感じると思うんだが如何かな。あの時はバンド編成で少し素朴な感じがあり、今回はみっちりスタジオワークで音を重ねてるが故の豊かさのようなものが上乗せされてはいるが、最終的に届く暖かさや包容力には似通ったものがあると感じられるのではないだろうか。

2023年初頭のリリースと2024年春リリースのものを「同時期のもの」と言っていいかどうかは今後の歴史の推移を待たねばならないが、少なくとも1999年や2002年の頃の音源と比較して語るなら「大体同時期」と言って差し支えないと思われる。思いたい。

なので、この絶品至高のトラックであらせられる『Simple And Clean (Re-Recording)』を語る時には、結果として積み上がったスタジオワークの結晶としての音、というところをしっかりと受け取りながらも「2024年の今だからこその宇多田ヒカルの感性」を核にしているというポイントは、逃さずに踏まえておきたい。そこを意識しながら今回リリースされた『Simple And Clean (Re-Recording)』と、昨年リリースされた『40代はいろいろ -Live From Metropolis Studios- 』を並べて聴いてみるのも、いいものなのではないでしょうかね。

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私も油断してたな昨日は。余りにも慌ただしく翌日配信の報が届いたのでその含意を吟味できなかった。「そっか、新しくキンハで『光(Re-Recording)』が起用されるんなら『Simple And Clean』も新しいのが要るか。」くらいまでしか考えてなくて。「バックトラックはそのまま『光(Re-Recording)』のを流用するのかな、いやでもこのままだとメロディの流れに合わないとこも出て来そうだけども…あーくまちゃん手ぬぐいかわいいな?」みたいな感じでね。

なので、全然聴く準備が、心構えとして出来てなくて。「取り換えずトレイラーのプレミア公開は日本語版の方を観て、『Simple And Clean(Re-Recording)』は音源のみの状態でしっかり聴こう」ということにし。「直前に(トレイラーとはいえ)『光(Re-Recording)』を聴くことで差異があれば気づくだろう」と軽く考えて。

そして聴いてみたら、もう全く別のトラックになっていて吃驚したと、こういうわけなのですよ。いや、基本的なコンセプトは共通してるからそれだと言い過ぎかな、「これはこれで独立したトラックになっていた」とでも言った方が実感に近いか。「『光(Re-Recording)』のヴォーカル・ラインを英語の歌詞とメロディに差し替えたもの」ではなく、純粋に「『Simple And Clean』をリ・レコーディングしたもの」として作られている。コンセプトは共通してても、流用が極めて少ない。『光(Re-Recording)』を通過せずに作られた、ということなのかもしれない。

そもそもの成り立ちまで振り返れば、『Simple And Clean』の方がオリジナルなのだ。「『Simple And Clean』が『光』の英語バージョン」というよりは「『光』が『Simple And Clean』の日本語バージョン」なのである。

当時のメッセで当人はこんな風に語っている。

【2002.08.24
あなたに「素朴で清潔」な自分を感じさせてくれるものは、なんですか?】
『そして皆様にちょっとした手土産、「光」の英語バージョン、"Simple And Clean"です!最後の最後で私を悩ませたこの難関。ここで流せてるのは前半だけだけど、聴いてくださいましたでしょうか??コーラス部分のメロディー、「光」と違うの気になった?実はこっちがオリジナルで、英語の歌詞がどうしても「光」のメロディーに合わないから、戻したんだ。』
https://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/utadahikaru/from-hikki/index_86.html

そう、このように本人自ら『Simple And Clean』のことを『「光」の英語バージョン』と呼んでいるのでそれはそれで問題ない。こう呼ぶことになったのは、作った順番ではなく、世に出た順番が『光』の方が先だからだね。でも、『実はこっち(『Simple And Clean』のサビメロ)がオリジナル』とちゃんと付け加えてる。

この「制作の経緯・順序」を考えると、もしかしたら今回のリレコーディングも『Simple And Clean』が先だった可能性もあるのだが、そこらへんのことも考慮に入れつつ、次回以降この至高のサウンドについてみっちり語っていきますかね。…また寝て起きたら気が変わってるかもしれないけどな!

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今回の宇多田陣営は、とんでもない間違いを犯してくれたもんだ!

『Simple And Clean (Re-Recording)』を!

なぜに!

『SCIENCE FICTION』本編に入れなかったのだ!?

不意打ちにとんでもないトラックを用意しといてくれてたぜ全く。このインパクトを考えれば確かに、2枚組アルバムの中の何十分の一として聴かされるよりこうやって単独で触れれたのは、そりゃ我々は幸運で幸福だけれども! これからの未来のリスナーたちはまたもアルバム未収録曲となったこのトラックに容易に辿り着けなくなったではないか! 「とんでもない間違い」とはそこなんですよ。

オリジナルの『Simple And Clean』も結構不遇の時代が長かった。最初に収録された2003年1月発売のシングル盤『COLORS』は年間3位の特大ヒットだったからかなり多くの人々の手に渡ったとは思うが、シングル買った人がカップリングをそこまで気にかけてくれるとは思わない。『Can You Keep A Secret?』は2001年々間第1位の特大ヒット曲だけど、カップリング曲が何だったかすぐ言える?(ちなみに『蹴っ飛ばせ』です)

最終的には、というか今だと「一旦は」になるのか、2009年5月発売の『This Is The One』に漸くボーナストラックとしてではあるがアルバム収録されて『Simple And Clean』は落ち着く場所を得た。現在日本の配信ではアルバム『DEEP RIVER』のボーナストラックで聴けるようだが。そこに落ち着くまでに6年以上の歳月を費やしたわけだ。

このたびの『Simple And Clean (Re-Recording )』』も同じように“アルバム迷子”になりやしないかともう心配になっちゃっててね。リリースして1時間でそんな心配の方に気が向くほど、トラックの中身は文句無し過ぎてな。絶賛するしかないのなら、是非1人でも多くの未来の宇多田リスナーたちに滞りなく触れて貰って欲しいと、思っちゃいましたよ。

なので、出来ればとっととこのトラックは次のオリジナル・アルバムに収録して欲しいと願わずにいられない。なんならもうオープニング・トラックでもいいくらい。そう、この『Simple And Clean (Re-Recording)』は、アルバム『SCIENCE FICTION』に続く次のオリジナル・アルバムの超々先行シングル曲なのでありました! …って、流石にそれは妄想が過ぎるけど、SFツアーチケットの綾鷹枠発表に沸き立つ中で「既存曲のリミックスか。日本語バージョンはもう聴いてるんだしあとで聴けばいいかな。」とか油断するリスナーが出て来てる恐れがあるので(ほんとさっきから要らん心配ばっかやな…ちょっとは目下大変極まりないイランの心配もしたれや…(それもどうなんだ))、なんとか継続的にアピールを続けて欲しいところ。

海外については心配要らないだろうね。『Simple And Clean』は『Come Back To Me』と並んで英語圏ではいちばんの人気曲だしな。キングダムハーツ様々ですわ。

というわけで、万が一まだ聴いてないという方がいらっしゃったら、取り敢えず今週は綾鷹そっちのけでこっちだから! これを聴かずにSFツアーは始まりませんよ、えぇ。

これ、もしかしたら日本のライブでは『光(Re-Recording)』を歌って台北香港2公演ではこの『Simple And Clean (Re-Recording)』を歌うのかもしれないね。となると、映像商品の円盤限定特典ボーナストラックは台北香港でのこの曲のパフォーマンスで決まりだな! 、、、と、どこまでも四方八方に妄想が膨らんでいくほどにこのトラックはイマジネーションを刺激する力を持ってるのですよ…ホント、うん、まずは一回聴いてみてね⭐︎

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だから新情報をいっぺんに幾つも投入されたらいろいろわかんなくなるんだってば…てことで自分用に整理しましょ。

いちばん大雑把にまとめると本日の新情報は2つ。


・キンハ
・綾鷹


…これだけなら簡単なんだけどねぇ。それぞれ項目が細分化されるんだ。


・キンハ(キングダムハーツ)
『Simple And Clean (Re-Recording)』リリース決定!

① 5/22水0:00(5/21火深夜24:00)から同曲配信開始!
② YouTubeで同曲起用のキンハトレイラープレミア公開!(5/22水0:00~)
③ ダウンロードキャンペーン! 曲をダウンロードしてTシャツが当たる!(~6/20木)
④ 楽曲シェアキャンペーン! 再生画面を投稿してTシャツが当たる!(~6/20木)
⑤ Stationheadでリスニング・パーティ!(5/22水21:00~)


・綾鷹

⑥コンサートチケット1300枚が当たるキャンペーンがスタート!(5/27~7/16)
⑦ Hikki画伯・筆の「くまちゃん手ぬぐい」プレゼント!(多分これも5/27月~)
⑧ 綾鷹、新CM放送開始!(5/27月~)
⑨ くまちゃんAR第2弾スタート予定!


という風に、ちゃんと項目分けするとなんと9項目がたった1日で発表されてるのよね。こんなに沢山いっぺんに把握できますかいな。しかも、当然ながらここからそれぞれのキャンペーンの応募規約を読まないといけないわけでね。特にコンサートチケット応募の規約とQ&Aのボリュームには思わず笑ってしまったよ。両方合わせて20800字超だってさ。無意識日記2週間分くらいか? ・・・うーん、微妙な比較対象だった…(苦笑)

ともあれ、今日の情報量は1日で整理しようというのが無理な話なので、いろいろ始まる5月27日月曜日10時までに大体のことを把握するくらいのペースで参りましょう。そう、ここでも、「自分のリズムでいこう」だよねっ。

あぁでもすぐ『Simple And Clean (Re-Recording)』がリリースされるのかっ! 寝たい人は朝起きてからでいいと思うぞっ。

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(前回からほんのり続き)ではヒカルさんのステージでの「カッコよさ」は、どう出せばいいのか。これは「ステージでのカッコよさ」の本来に立ち戻って考えないといけない。

そこにある聴衆のニーズ。早い話が「キャー!」と言いたいのだ。コンサート会場という非日常空間で、憧れのスーパースターを目撃する為にわざわざ足を運ぶのであって。その際に、ステージに上がる主役たちはちゃんとスーパースターとしての役割を演じ切らないといけない。皆の夢を醒まさせてはいけないのだ。

が、ヒカルさんは、そもそも素の状態こそが最も「夢のような」或いは「夢や想像を遙かに超える」存在なので、何かを演じる必要はない。寧ろ、既存の役割を演じる方が陳腐化する。通常であれば舞台上でキラキラしてる王子様をみて「キャー!」となるのだが、ヒカルさんの場合は身近なところをみせればみせるほど感動される。「あんな歌を歌える人がこんなに身近に感じられるなんて」というギャップがよいのだ。なので、ヒカルさんは素でよい。いや、素がよい。最近は本人も自覚が出てきているので、例えばNYLONのインタビューでも

『極力素でいることが、やっぱり自分にとっても人にとってもハッピーなことだなって思います。』

という風にかなり言い切っている。宇都宮隆の集中力を研ぎ澄まさせたパフォーマンスの結晶とあのダルダルなMCを同等に扱うのはなんとなく申し訳ない気もするけれど、それが宇多田ヒカルの実際なのでね。凄過ぎるからこそ、「宇多田ヒカルって、居たんだ!/実在したのね!」と言われてしまう存在だからこそのこういうやり方による「カッコよさ」「カッコのつけ方」なのだった。


まぁそれはそれでいいとして。そういう、「歌ってる時のキリッとした姿」と「喋ってる時のぐだぐだっぷり」のギャップが魅力、というのはわかるのだけれど、「ギャップがある“から”魅力的」とまで言われると、私の心は離れるわね。こちらとしては、ただ単に生歌が凄まじいだけでも魅力的だし、あのドジドジあたふたっぷり自体も大変愛らしく愛おしい。別にそこに落差とか比較とかあんまり必要ない。あの歌を披露したままノーMCで舞台を去って行っても目はハートマークだし、さだまさしよろしく2時間あのグダグダな喋りを聞かされてもやはり目はハートマークのままだ(まぁインスタライブでちょっと近い事は実践しているか)。ギャップがある“のも”魅力のうちだが、なくたってやっぱり宇多田ヒカルは宇多田ヒカルだろう。

ここらへんで多分、それぞれに趣味嗜好が分かれるだろうな。そして、ずっと残るのはそういう私みたいな「ハートマークを取り下げない」人種だったりします。いつも言ってるように、音楽性に惹かれてる人は、時期によって離れたり戻ってきたりだからね。いつも違う曲調を世に問うてるから。

となると、仮に(思考実験として)宇多田ヒカルのファンクラブを作る事を考えるなら、その活動内容がアイドル化してしまうのが自然な流れで、そうなるとかなり音楽性のファンの皆様から白い目で見られる事が請け合いなのだ。ブロマイド購入で一喜一憂してたり、写真日記(今だとInstagramかな)の更新でキャーキャー言ったりという“ノリ”に、きっと眉を顰められるだろう。

毎度ツアーのチケットの販売について、ファンクラブ作ればいいのにと言われてしまうけれど、仮に作ったとしたらそういうノリなんだぞ? コンサートチケットを是が非でもという人たち、文句ひとつ言わずに付き合ってくれるのかなぁ? もしかしたら音楽的なファンクラブ活動はひとつもないかもしれないよ。固定層ニーズが、だってそっち(アイドル化)なんだもの。ここのギャップは、ギャップ萌えのもつ落差よりもっと大きな隔たりになるだろうね。真面目に音楽を聴きたい人の方が、ファンクラブに向いてないというね。気に入った時期だけ加入してそうでなくなったら抜けてを繰り返すならいいけど、それでファンクラブ優先チケットを売れって言うんならプレミアムチケットを高値で売り出すのと実質変わりなくなるからファンクラブ運営なんて不要、最早蛇足なのよね。

というわけで、こういう思考実験をしてみても、宇多田ヒカルとファンクラブは極めて相性が悪いという結果となりそうだ。コンサートに拘る音楽ファンと、アイドル化して目をハートマークにしっぱなしな層とのギャップを埋めるファンクラブ運営方法を見出すのが至難の業という意味においてね(え、話の進め方が穴だらけ? そだね(笑))。やっぱり、個々が好きなように推したり応援したり萌えたり騒いだり祈ったり願ったりしてる今の状況の方が、モアベターなのかもしれません。今のヒカルがどう思ってるかは、わかんないけど。

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『SCIENCE FICTION TOUR 2024』横浜Kアリーナのプレミアム席(¥27500)に当選するつもりでいた所当たった席がA席(¥16500)だったので、その差額¥11000を使って下見がてらKアリーナに行けるコンサートはないかということで、昨日TM NETWORK 40周年記念ツアー最終日のライブを観に行ってきましたよ。

色々と心揺さぶられたが、結局のところフロントマンの宇都宮隆の凄さが最高だったというのが、言葉を絞った時の感想になるだろかうな。他にこのスタイルのヴォーカリストが居ないので比較は難しいけれど、今年の誕生日を迎えると67歳になる人があれだけのパフォーマンスを見せてくれるとなると、そうですよ、『SCIENCE FICTION TOUR 2024』でのヒカルのパフォーマンスに対する評価軸を、ますます手厳しいものにできるやり方を見出せるってもんなんですよ。

ヒカルのステージ上での歌唱力に関しては、全くといっていいほど不安はない。18年前の『UTADA UNITED 2006』では公演ごとにバラツキがありかなり不安定だったのだが、前回6年前の『Laughter In The Dark Tour 2018』では、録音録画がOKということで各地の歌唱を聴くことが出来、それから推し量れる限り、どの公演どの土地でもかなりのハイクォリティな歌唱を安定して披露できていたように思われる。昔に比べて経験も積んだ上かなり日頃からシェイプしているので普通に体力も上がっているのだろう。

なので、今回もヒカルの歌唱自体には不安を抱く必要はなく、素晴らしいものを聴かせてくれそうだ。しかし、昨日見た宇都宮隆は、ただCD以上の艶のある歌声を披露していただけではなく、ステージ上での中心人物として、ステージ全体を引き受けるパフォーマンスの切れ味が素晴らしかった。あんなの初めてみたかも。

とにかく生の宇都宮隆はカッコよかった。ネットでは最近の彼の老け具合がわかる写真も見れるだろうけど忘れていい。ステージでの見栄えこそ本分ですから。そのカッコよさといったら…「カッコいい」という言葉の定義の仕方は幾つもあるけれど、ここでは「総ての責任を引き受ける覚悟の強さと潔さ」をその定義としたい。彼の場合そこに「甘さと優しさ」が加わる。そりゃ黄色い悲鳴が上がるよね…。

ある時、小室哲哉のキーボードソロの音がリズムを外した。まぁ生演奏だからそういうこともある。寧ろちゃんと当て振りじゃなくてリアルタイムで演奏してんだなと好感を持ったくらいなのだが、ああ音外したなとは思ったですよ。しかし次の瞬間、切り込んできた宇都宮隆のボーカルラインはその小室哲哉の外したリズムをほんの僅かになぞってみせたのだ。

些細な違いだったし、恐らく本人も無意識のことだろう。しかし聴いてたこっちは「あ、じゃあさっきの小室哲哉も、音を外したんじゃなくてああいうライブアレンジだったのかな」と思わされた。これが、「ステージ上での格好をつける」ことなのだと思った。ミスをミスのまま放置して聴衆のテンションを下げることをせず、しっかりと集中させ、夢の続きを醒めさせることなく見せ続ける。これがフレディ・マーキュリーが死を覚悟しても歌った“Show Must Go On"の極意かもしれないと本気で思った。

宇都宮隆本人に聞いても「単にミスにつられただけだよ(笑)」と笑い飛ばすだけだろうけどね。でも、他の局面でも咄嗟にみせる彼の歌の機微はそのどれもが物凄い包容力を感じさせた。ステージ上の友人たちも目の前のオーディエンスも総て包み込んで連れて行く。本編最後の“Electric Prophet (電気じかけの預言者)”の「何もかも頼っておくれ」という歌詞は、ステージから聴衆に対して歌った時にこんなに説得力が込められるものなのだなとライブの醍醐味を堪能させて貰いましたよ。

つまり、何が言いたかったかというと、今度のツアーではヒカルさんも、ただ歌が上手いだけではなく、それによってバンドメンバーやオーディエンスを包み込んだり引っ張ったり、或いは手を携えたり、場合によっては助けて貰ったり、何でもいいのだけれど、「人との繋がりの中での宇多田ヒカルの役割」を意識したパフォーマンスを見せてほしい、ということなのだ。“The Show Must Go On"の精神を体現して欲しい。何も宇都宮隆と同じカッコよさを出せということでもないし、フレディ・マーキュリーのようなカリズマティックなパフォーマンスを見せてくれともいわない。宇多田ヒカルらしさを前面に、いやさ全面に出して、全体をその優しさと思い遣りで満たしてみて欲しい。歌の良さを、どうステージ全体、公演全体の中心として機能させればよいか。それを新しい評価軸として、ツアーのパフォーマンスを楽しませて貰おうかなと思っていますので、どうか覚悟しててくださいねヒカルパイセン♡

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TM NETWORK のツアー最終日を観てきたんだけど今回はそれはさておいて会場について走り書きを少々。私の席は、直前に買っただけあって最上階の一番左端の席でした。多分、SF観れるのもA席なので似たようなものになるでしょう。


音。とても残酷そう。ステージでの出音がそのまま聞こえてくる感じ。なので、いい音はいい音で、そうでもない音はそうでもない音で聞こえそう。天井や両壁からの反響は皆無。無さすぎて音像的には壁がそこにないみたいだった。それもあって、左右の位相差は増幅されないのでステレオ感はステージからの距離(のたぶん二乗)に反比例して減る。宇多田さんは歌が聴ければいいという人が多かろうから、メリットは大きそう。逆説的だけど、ステージから遠い方が歌が聞こえやすい場合もあり得る。

ただ、そのコンセプトが冷徹なので、感受性の高いヒカルパイセンはあまり好きにならないかも。NHKのスタジオみたいな感じだよ、といえば伝わるかも。(…誰に?)

僕ら聴衆には関係ない話だけど、会場の音響はアリーナというよりドーム球場に近い。なので、音響スタッフやバンドメンバーがドームでの音作りに長けているチームかどうかが問われるかな? 実際ドラムサウンドは古き良き80年代スタジアム仕様だったから送り手側もわかってるんだろうけど、まだ完全には対応しきれてなかった模様。慣れたらもっといい音出せそう。

眺め。とてもいい。更に最上階には中央にスクリーンが吊るされててすぐそこでステージの様子が観れるので結構美味しい。あたしゃ端っこだったので見えなかったけど(泣)。ぱっと見だけだけど、LEVEL3やLEVEL5も同じ傾斜っぽかった。なので上階の席でみづらいというのは前の席に大谷翔平くらいデカいやつが来なければなさそう。ただ、アリーナは緩やかそうだったなぁ。それはそちらで見た人の感想を頼ってね。

注目の動線。SFツアーではKアリーナは開演90分前開場なので入場についてはさほど問題は無し。だが退場は規制退場でひとつだけ定められた道路に沿って向かって全員が動くので、大変時間が掛かる。席を立ってから横浜駅に着くまで寄り道無しで30分以上掛かった。土日の公演だけど日帰りの人は余裕を持ってスケジュール組んで。まぁ、当初は2時間掛かったという話だったのでかなり改善されたんだろうね。今後はもっと改善されるか。

なお、まるで埋立地みたいな立地なので周りにお店は殆どない。あたしらは開演前にパシフィコ側に歩いて5分くらいのところにあるコンビニ隣のカフェで落ち着いてたけど、開演前は会場近辺より横浜駅近辺でたむろしてた方がいいかもね。ただ、会場前は色々とだだっ広いので、暑さや天気にめげないという人は階段にでも座ってれば時間は潰せるか。

ただ、終演後に席の離れた誰かと合流するのは至難の業なので予め動線外の集合場所を決めておいた方がよさそう。階下のローソンとか…いやあそこも混んでたな。ここらへんは引き続き要検討かもね。

まとまりないけど、今宵はこれくらいで。

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でツアーが始まったらアテにしたいのがその「聴衆による撮影と録音」なんだけど、前回の『Laughter In The Dark Tour 2018』では、ツアー開始当初は撮影録音(とその公開・投稿)がOKなのかどうかまともにコンセンサスが取れてなくて途中から大丈夫なのねとなっていってたので、今回はOKか NGか早めにというかツアーが始まる前に告知して欲しいとこっすね。

で、当選したあたしがこれに悩むのは石を投げられるおそれがあるのだけど、実際に公演観るまでに7月13日の福岡初日から投稿される(と予想される)動画の数々をシャットダウンするか否かね。チケットの無い人はネタバレも何もないのでどんどん流れてくる動画を堪能してやるモードになりそうだけど、チケットのある人がネタバレ無しで本公演に臨みたい場合、ネット遮断…まではいかなくてもタグミュートくらいはしないといけなくって。まぁ不自由よね。贅沢極まる悩みだが。そりゃ石投げるよね。

あたしなんか観るのが晦日だから49日、7週間ネタバレ防止しないといけなくてこれはかなりの長丁場。だったら開き直ってもうネタバレ全開でセットリスト暗記するまでネットサーフィンに繰り出してやんよ!という態度もありっちゃあり。

そうする事で、途中の音漏れ公演とかにも馳せ参じられるのよねぇ。初日から最終日まで50日間だからね、ネタバレ許した方が色々と楽しめるのかもしれない。悩ましい。まだ結論は出てないです。


でもなー、ツアー期間中の共和国アカウントに期待されるのってツアー動画のリポストになるんでない?そんなことない? チケットを手に入れられなかった人たちとツアーの雰囲気を共有していくことが、オンライン上の存在でしかないアカウントの意義だとも思うしね。…当たってる私がそう言うと欺瞞みが免れないな!? でも、そう考えると日々ネタバレを浴びながらツアーの推移をみていくのも悪くないなと思えてきて。

無意識日記もねぇ、どんな更新スタイルにするか決めかねてるのですよ。本来この日記は「今日は誰とも宇多田について話さなかったな」と思った時に見に来て「こいつまた宇多田の話してるよ(笑)」って笑って貰う為に存在してるのであって、その目的で日々記事が投稿されてるんですよ。書くまでは私が読みたいからなんだけど、投稿されるのは読む人が1人以上いるからなのよね。それを考えると、ネタバレ側につくか否かって、まぁ判断が難しい。自分が公演に行くまでセットリストとか知りたくない!という人がその間ここが読めないのをどう捉えるかだなー。

さっき「チケットない人はネタバレ気にしなくていい」的に書いたけど、U-NEXTの配信まで断食という硬派浪漫路線もありえる?? うーむ、バリエーション豊富だぜ。こればっかりは、いろんな人の意見を聞いてみたいとこかもしれない。

6年前はね、あたしツアー全体の2日目公演に当選したから、ネット断食1日だけでよかったのよね。そしてそこから1ヶ月、約40回近く?擬似ライブレポもどき(※重複表現)を連載していたのでこの時は「ネタバレあり側」として日々更新してたんだな。今回は真逆に、ツアー全体の最後から2日目の公演に当選したから(ほんにありがたいことです)、前回の経験が全く活かせない全く異なったケースに放り込まれる見込み。今後はもうチケットゲットの為のアクションする気無いしな。リセールのリセールやキャンセル分が直前に放出されて余ってたりといった非常事態ならわかんないけど、ひとまず8月31日1日のみを想定してます個人として観るのは。


…てなことを延々考え始めてしまったので、ここから少なくともツアーの始まる2ヶ月後までやや情緒不安定な面も見せていくかと思いますがどうかご容赦くださいな。気の済むまで石は投げてくれていいので…(なんとかよけます…)。

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今朝は何故か早起きして既に一編投稿してたり。らじばんだりあせばんだり。まだそこまで暑くなってないけど今日はこちらは夏日になる模様。

そうなのよねツアーは夏になるのよね。それを見越して予定を立てた方がいいな…と呟いてこれから心配になるのは、「当選組と落選組」みたいな分断の仕方なのですよ。

まー楽しめないよね。2月応募分で最多当選組み合わせが「2人」だった事から考えても、コンサートは誰かと行くもの、と考えてる層が一大勢力なのは間違いないところ。かく言う私も、当選したのはたまたま1人チケットだったけど、落選したものの中には「2人〜4人」のものも含まれていてね。そりゃ当たったら誰かを誘いたかったですわよ。1人で行くのも慣れてるのでそれはそれで全力で楽しめるけど、当たってたら誘ってたような人が「落選組」とか言ってカテゴライズされるのは流石に凹む。

せめて、話題にだけはついていける程度のシェアは必要、ということでライブ生配信やシアタービューイングが提案されている。発表はまだかまだかとやきもきしてる人も多かろうが、映画館でのライブ・ビューイングに関して言えば、14年前の2010年『WILD LIFE』の時に正式に開催が発表になったのは2010年11月17日、つまりライブ当日から数えて3週間前のことだったのだ。映画館のスケジュール発表ってそれくらいに直前なのよね。今で言えば、たとえばSFツアー最終日にライブ・ビューイングがあるなら2024年8月11日日曜日に発表があるかもしれないってこと。なので、お盆前位までは希望を持って過ごそう…というか、その時期になるまでわからないので今やきもきしても発表はないかもしれませんよという事で。まだまだ自分のリズムで参りましょうぞ。


U-NEXTにも期待してたけどね、ステートメントによっては

「公演の模様をライブ配信することが決定いたしました」

と書いた後に薄めた文字色で

「※対象となる公演を収録し後日ライブ配信する予定です。」

って姑息に補足してあったりね。この態度から見ても、あんまり期待できないなぁと思っちゃうわねぇ。
https://help.unext.jp/info/info347a
もしかしたら収録が福岡初日なら、「ツアー中の“後日配信”」もあるんだろうけど、この感じだとそれだとしたら最初っから大々的にアピールしてきそうなので、やはり最終横浜公演を収録しての後日配信かなぁ。ううむ、チケット運営もそうだけど、あんまり消費者をミスリードしてばっかだとそのうち消費者庁に目ぇつけられないか?大丈夫?


てことで、となるといちばん期待できるのは「ファンによる撮影と録音」になりそうなんだけど…という話からまた次回、かな? 夜になったらまた気が変わってるかもだけど。

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先日書いたこのエントリ

【晴れても当たっても尚憂鬱な朝】
https://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary/e/ae05af7e8f520696386170cac81a9a4b

の中の

「10万円の席と学割の併用とかできたらよかった」

の部分の記述にツッコミが入った。嬉しいねぇ。実をいうとこのエントリ、あんまりにもチケット販売についての論点が多過ぎるもんで、様々な要点だけ抽出して書き並べただけのものだったので、個々の詳述については後回しにしていたのだ。こうやって言ってもらえると、書き下すタイミングが出来て非常に助かる。有難うございます。

ツッコミの要旨というのは、「10万円の席」も「学割」も、特定の層に対する優遇であって「ファンクラブを設けない平等の精神」に反する、ということでいいのかな。これについては、2つの論点がある。

ひとつめ。もともと、『UTADA UNITED 2006』でてるざねさんが「最前列と最後列や見切り席で同じ料金というのはいかがなものか」という問題意識を提起してS席とA席が設けられたのが事の発端。つまり、なにをもってして公平(fair)或いは平等(Equal)と呼ぶのかの認識については議論の幅があるということ。一律料金にして運任せにするのが平等だし公平だと捉える人も居れば、払ったお金の分だけの利得を得るのがフェアだと言う人もいる。前者は機会の平等(購入前の利得の期待値が全員同じ)、後者は商取引の結果に対する合意度、納得度だね。ここでは購入後の利得に対する公平感と言い換えておけばいいか。

これについては、この日記ではずっと「全席フルオークションが望ましい」という原理主義的なことを書いてきている。一席ごとに競売すれば、S席A席みたいな「大雑把な」括りが生む不平等感…アリーナ最後列より2階最前列の方が距離はそんなに変わらないのに見晴らしがよくて嬉しい、みたいな事態にも極力対応できるからね。勿論、局所的な不相応な価格の高騰も見込まれるので完璧な方法ではないのは百も承知ではあるけれど。そしてそれ(フルオークション)ですら、全然実現されていないので理想論でしかない。

だけど、そういう理想論についてであってもなお、「お金がすべてなの?」という立場もあるだろう。親が資産家で大金を苦も無く捻出できる人と庶民とで、同じ金額が同じ価値をもつわけでもない。とはいえ、そこは社会人として現実を受け容れよう、という言い方もできはする。

だが未成年については、どうにも言い訳がたちづらいのではないか、というのがひとつめの論点なんですよ。そもそも未成年は、成年、大人によって労働に制限がかけられている。かなり国際的に児童労働というのは問題なので、それに伴って彼らは一律に、自由に収入を得ることができない。「親の脛をかじるのが正当化されてラッキー」と思う人もいるだろうけど、一方で「既に市場で価値のあるものを提供できるのに今すぐ稼げないのは嬉しくない」と思う子たちもあるだろう。

そういう状況において、そうね、今回のSFツアーのチケット代、16500~27500円というのは、彼らにとってえらい大金じゃない? それは彼らが怠惰だからとかそういう理由で出しづらい金額なのではなく、そもそもまともに働かせて貰える立場にないから高額なのであって、それを考慮すると大人と同じ料金で観ろっていって売り出すのってめっちゃ不公平じゃないか?というのがひとつあるんですよ。個人的な見解として。

だったらどうするか。学生証提示などを条件にして割安なチケットを彼らに売ろう、というのはひとつの(ある程度妥協的な)対案にはなるのではないかと。でもじゃあその分の損失をどうするのか。本来得るべき収益の分、今さっき「めっちゃ不公平じゃないか?」って疑義を呈した大人たちに払ってもらうのが筋ってもんだろ、という意味で「10万円のチケット」というアイデアを出すわけですここで私は。学割分、有志の大人に負担してもらえばいいんじゃない?と。

これがもし大方のコンセンサスのとれてるアイデアであれば、成年向けの(一般の)チケット全体に満遍なく学割分の補填額を割り振ればいいんだけど、恐らく現状から察するに「いや、学生だろうと同じ料金を払って観ろよ。というか大人になってから楽しめ。」と主張する人もかなりの数にのぼると思うので、「全員に割り振り」というのは異議が唱えられると予想される。だからこその10万円。まぁわかると思うけど、この金額は象徴的なものであって具体的に計算して出した額じゃあない。

まぁ、10万とか出すんならせっかくなので、抽選無し即当選するとか、最前列付近を買えるとか、スペシャルなお土産がもらえるとか、ミート&グリート参加券も付与するとか、いろんなおまけをつけて見栄えを整える、ってのもひとつの手だろうし、「学割を負担した大人として誇れる」というのをタテにして他の標準額のチケットと同じ扱いにしてもいいけれど。或いは、10万円のチケットの枚数上限を柔軟に設定して、その分学割の枚数も変動させるとか、いろんな手があるだろうね。そこはそのときのデザイン次第。

ということで、何が言いたかったかというと、「何がフェアなのかのコンセンサスがとれてない中で、私は"労働制限されてる未成年に成年と同じ額を払わせるのはフェアではないから成年側がある程度負担した方がいい”」という立場をとるので、この「10万円と学割の併用」っていうアイデアを出そうとしていた、っていうこと。反対の極端として、「総ての席を総ての人に大して一律料金で売る」という方法も存在して、それは確かに機会の平等という意味では一理あるけれど、宇多田ヒカルに関しては、てるざねさんが推し進めてきたように(そして他のアーティストも同時代的にそうしてきたように)、席によって料金を変えるのがフェアだろうという思想で今までツアーをしてきてるので、私はそれをさらに推し進めて拡大した考え方でアイデアを提案してきてるとこなわけです。


で。ふたつめ。ここが結構大事で、更に踏み込んで言うと、私は「優れたコンサートは若いうちにこそ観て欲しい」という願望が、あるんですよ。こちらは、ファンクラブがどうのとかフェアとかイコールとか公平とか平等の話では、ないのですわ。若いうちに観た方が、主観的体験としては圧倒的に価値が高い、というか影響力がある、という想定。実際、25年もやってきてると、宇多田ヒカルに感動してこの仕事に就きましたという人がもう実際にヒカルと同じ職場に現れてきてる、っていう事態が実例としてあるわけでね。つまり、まわりまわってヒカル本人に好影響を与える可能性が増大するんですよ、誰かが若い頃にヒカルに感動してくれると。それは音源やらメッセージやらでもいいけど、やっぱライブ・コンサートで実際に観て感動してくれるってのは大きいだろうな、と。なので、それもあって「10万円と学割」みたいなアイデアを採用して、若い人たちに沢山みてほしいなという願望が強い。でもま、これに関してはやっぱり疑義も多いだろうな。「苦労して大人になって自分で稼いでやっと観れる、という方が望ましい」というのもわかるしなぁ。働くのに身が入るもんね、好きなアーティストの生歌唱、大人になったらいっぱい堪能したいから、今のうちに沢山勉強や努力をするんだ!って意気込むのもまた若い頃のモチベーションだもんね。


ということで、結局、「何をフェア/イコールだと感じるか」について、そこまで大きなコンセンサスがとれてない領域だから様々なアイデアを出す余地がある、というのがチケット販売に関する現状なのだと、i_さんは思うのでした。重ね重ね、問題提起に加担してうただき、感謝の念にたえません。ありがとうございました。

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