変奇館日常

草心庵というホームページのブログです。
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ひどい話し。 人体実験を優先する政府

2011年09月06日 20時53分02秒 | Weblog
南相馬市から新潟県三条市へ集団避難した人たちの現地報告として以下のような話しがブログに載っていました。

○ 福島県は6月24日、15歳未満の子供と妊婦に線量計を配布した県内の市町村に対し、購入費を全額補助すると発表した。
放射能の影響を心配する県民の強い要望を受けた措置で、対象者は子供約28万人、妊婦約2万人の計約30万人。当面は1年程度、継続的に測定してデータを蓄積し、今後の対策に役立てる。
線量計は、目視で表示が確認できない「ガラスバッジ」と呼ばれるタイプで、定期的に回収して線量を調べる。

この報告を読んで想い出した。 これに先行する政策決定がありましたね。
福島県は、4月だか5月に、福島全県民200万人の健康調査をすると発表した。
取り敢えず、6月下旬から、先行して計画的非難地域に住んでいた人々2万8千人に対して問診を開始した。
そして、8月から順次問診票を送付して、その結果を踏まえ、具体的に医師による検診スケジュールを決定するそうだ。

 まったくヒドイ話しですね。 
チェルノブイリの被曝調査に、世界の放射能関係者が長年熱心に取り組んできたのは、放射能の人体への影響を調査できる希有の機会だからです。

 福島の原発事故については、予防疫学や放射線防護を研究している医師は今後長きにわたって調査研究をするだろうけれど、軍関係者だって、こういう機会は逃したくない。 
不謹慎な表現で恐縮だけど、福島を中心とした100mSv以下の汚染地域は,絶好の人体実験のチャンス。低線量の放射線が人体に与える影響調査の宝庫となっている。
200万人も被爆者固まっているのが連中にとって嬉しい限り。(チェルノブイリより人口が多い)

どうやら政府は、この面でアメリカの欲求を完全に満たしてあげるつもりのようだ。 フランスだって是非追跡調査をしたいだろう。
だから、まず全福島県民の身体検査の実施を早々と決定した。 
避難地域の拡大、ホットスポットの特定、除染など、緊急の対策がなかなか煮え切らないのに、身体検査については、実に素早く大規模なスケールで決定しましたね。

まず身体検査。  ここがスタート地点。 ここから人々の健康がどう変化してゆくかが興味の中心。
次にガラス線量計の配布。危険回避行動のためなら自分で数値を読めなければ意味がない。でもそれではデータが当局に集まらない。
だから回収可能な線量計にした。本人が数値を確認出来なくたっていい。被曝防御行動を助ける為ではないからね。

意図は一目瞭然。 県民の被曝回避より、低線量の被曝影響を時系列で大規模に調査をすること。 

 一方で、御用学者を動員して、放射能汚染の矮小化に政府、官庁は熱心に取り組んでいる。
まったく、ひどい話しです。 


掲示板の故障

2011年04月09日 17時17分37秒 | Weblog

 掲示板が8日から閲覧できなくなりました。

 「1日で直します」と掲示板レンタル会社からメールが来たけど、9日になっても直らない。


 訪問して下さったかた、もうちょっとご辛抱下さい。



臨時に下記のURLから掲示板を見ることができます。

http://www2.rocketbbs.net/11/bbs.cgi?id=sohsinan



 (結構仮面) 

小泉と小沢あるいは生計の建て方

2007年11月08日 00時10分43秒 | Weblog
小泉主相は郵政民営化に反対した仲間の自民党議員に対し、選挙で対立候補を立てる(刺客を送る)というパフォーマンスを演じて勝った。

 自民党は長らく政権党であってそれゆえ各議員はなんらかのセクターの利益擁護者という役割を演じて票と政治資金を賄ってきた。農業、道路、郵政などである。これが自民党政治家の生活様式だった。

 自民党代議士の間ではそれぞれのお家の事情に対して極めて現実的な相互理解があった。もちろん国家予算は無尽蔵ではないし、外交上の配慮も必要だから、特に米国の希望に対する応答は無視できないので、各議員が背負う利益集団の利害調整あるいは優先順序決定を派閥の親分を通して行ってきた。

 今度はどの族議員に予算を与えるかといういわば談合でやってきた。郵政民営化反対議員は当然郵政族であるから、彼らが反対するのもヤムを得ないという冷静な理解があった。そういう価値観の自民党において、小泉主相はかってない過激な報復をおこなった。それで世論が沸騰し選挙に勝てるという自分の政治的嗅覚に賭けた。そして勝った。

 選挙に圧勝して一段落着いた時点で、造反議員の復党を許すか許さないかは実際どっちでもよい問題だった。許す場合も許さない場合も一定の手順と演出さえしっかりすれば大きな騒ぎになるような問題ではなかった。しかし跡目を継いだ安倍主相は残念ながらそれだけのリーダシップと演出力がなかった故にこの問題をこじらせてしまった。

 小沢一郎の民主党党首辞任発言も似たような問題だろう。参議院選挙で民主党が圧勝した原動力は明らかに小沢一郎の政治家としての力量だったと思われる。「過半数を取れなかったら政治家を辞める」とおおみえを切って、世論を動かした。本気で政権を取ると発言した。これは小沢一郎の政治家としての賭けだった。そして勝った。

 それが、党首会談で大連立の話をその場で断らず党に持ち帰ると言っただけで党内から批判の声が上がったことに当然ながら我慢がならなかった。誰のお陰で大連立もあるかもしれない、決して自民党も無視できないリアリティーのある構想であるという状況が生まれたんだ、総て参議院で過半数をとったればこそではないか、これが小沢党首の気持ちだろう。そこで彼は再度賭けに踏み切った。俺を無視できるのか、俺を切ってやってゆけるのか、と。絶対留意を求めることで党の意見はまとまらざるを得ないと読んでそれに賭けた。

 人間は保守的で臆病だ。サラリーマンは会社を辞めても又サラリーマンとして生きる道を探そうとするし、ラーメン屋で失敗した人間は又何か商売をして立ち直ろうとする。政治家も同じで、万年野党の政治家で食べてきた人間は野党として飯を食うスタイルが基本になる。政権党からの国会対策費やその他政権党からのおこぼれで資金を得て、選挙は野党というポーズで乗り切ることが習い性となる。

 一方政権を握った経験のある人間はどうしても政権を握った形での資金と票が忘れられない。どうしても政権を取りたいと本気で思う。民主党には自民党経験者もそこそこ居るけれど多数は野党という生活習慣が身に染みついている。

 小沢氏の強権的な党運営が気に入らないという声もあるけれど、本質的な部分は万年野党で生きるという生活スタイルの議員と政権のうま味を忘れられない生活スタイルの議員(小沢氏)の間の衝突ではないかと思う。政治家は政権を取ってなんぼなんだ、あるいはせめて政権に潜り込みたい。そこから総てが始まるんだ、そのためには政治理念なんか後からでいいという小沢氏の思いだろう。万年野党の生活感情は政治理念である。なんたってこれが飯のタネだったんだから。実現の可能性はどうでもいいんであります。政治理念の首尾一貫が野党の票と資金の源泉なんだから。

 現実に国政を運営すれば、政治理念に固執することのリスクや不都合にいやでも気がつく。現実の世の中は様々な利害や価値観が渦巻いて動いているのだから。

 万年野党で安住している政治家の政治理念がどんなに立派でも僕は全然認めない。政治理念や政策はそれこそ実現して初めて価値があるんだから、政治家はまず政権を取らなければならない。そのためにはどんな妥協をしてもいいと思う。そして政権を握った暁にまさに国家と国民のためになる政策を断行する。これが大人の世界であります。

 僕がかって学生運動を嫌っていた理由も万年野党を嫌う理由も同じです。本気で革命を達成する気が無い。本気で政権を握る気が無い。

 

  

 

東証のお粗末

2007年07月07日 01時29分47秒 | Weblog
 ブルドッグソースは悪名高いスティールパートナーズに敵対的TOBをかけられていますが、経営側は、買収防衛策として、スティールパートナーズ以外の一般株主に新株を1対3の割合で交付することとしました。この防衛策を簡単に説明すると、1株保有している人に3株を無償で交付するというものであります。従って、1000株保有していた人はタダで3000株もらえて、合計4000株の株主になる。持株が4倍になる。従って発行済み株式も4倍になるので、スティールパートナーズが集めた株の比率も四分の一になってしまい、買収が困難になるというものであります。

 で、この新株は7月4日(水)現在の株主に交付されることになっていますから、権利付き最終日は7月4日です。そしてこの日のブルドッグの終値は1479円だった。

 ここから話がメンドーになりますが、ブルドッグに1700円で敵対的TOBをかけているスティールパートナーズは、当然のことながらこの新株発行の差し止めを高等裁判所に提訴している。差し止めが認められれば当然この新株は株主に交付されない。
 そこでブルドッグソース社も株主へのお知らせにおいて、1株に対して3株の無償割当は7月4日の株主に割り当るという手続で進めますが、その後裁判で新株発行が否定されれば、実行されませんと説明している。
 
 このような状況下で、株を買っても新株をもらう権利がない、権利落ち日である7月5日(木)を迎えたわけです。株数が4倍になるのだから、理論株価は当然四分の一になる。であるから、1479÷4=370で、370円が権利落ち日の妥当株価になるわけです。
 1400円台の株の値幅制限は、前日の終値の上下200円ですから、このままですと、1679円~1279円になります。それでは理論株価の370円にはならないので、こういう場合は、370円を基準にして、この水準の株価の値幅制限が上下80円ですから、権利落ち日の値幅制限は290円~450円とします。

 ところが実際問題として判決が出ていないのだから、発行済み株式数が4倍になるかどうか分からない。だから権利落ちするかどうかも分からない。困った状況であります。
 東証はどうしたか。どうなるか分からないので、発行が認められた場合も認められなかった場合にも両方含んだ値幅制限にしてしまったんであります。すなわち、290円~1679円。通常では絶対あり得ないすごい広い値幅での売買を許してしまった。後は投資家の思惑で、自己責任で、勝手に売買しなさいねという態度であります。

 その結果は、ご存知の通りで、500円で寄り付いた後、いきなり買い気配で1370円まで棒上げして、1365円で引けた。大変な乱高下になってしまった。

 そして今日6日は通常の値幅制限に戻して、1365円に上下200円の1165円~1565円にした。ったくなんてお馬鹿なことをやってんでしょうね東証は。

 そもそも値幅制限という東証ルールは、1日の値動きの限度を上下一定の枠に制限して、一方的な需給関係で株価が乱高下しないために、投資家を守るために定めたルールです。
 株価が1000円から1500円の範囲にある銘柄は、一日の値幅変動は200円までと決めてあるのに、それを290円~1679円としてしまったんですから、値幅制限というより、制限を取っ払ったと同じであります。

 どうすれば良かったか? 新株が発行されることが確定されていないのだから、当然通常どおりの、前日の引け値に上下200円というこの株価水準の規定通りの値幅制限でよかったんであります。そして裁判で発行が認められた日に、権利落対応として理論株価の水準の値幅制限にすればよかった。

 東証とは長い付き合いで、ここの職員や幹部が株式市場に関する見識が全く欠落しているのは知っていたけど、今回もその通りだった。がっくし。世界第二位の巨大証券取引所を運営しているのに、自分達では何も考えずニューヨク証券取引所やロンドン証券取引所の後追いばっかしている。

 こんど自分自身(東証)を上場させようと一生懸命だけど、やめた方がいいと思う。毎年情報開示違反やコーポレイトガバナンス違反で自分自身を罰しなければならなくなっちゃうんじゃないかな。

(実際のブルドッグの買収防衛策は、スティールにも一旦新株予約権を与え、それを23億円で買い戻し、一般株主に与えた予約権は普通株と交換するという形になっていますが、話を分かりやすくするために、そこまで書きませんでした)

中村天風師のこと

2007年06月21日 23時05分53秒 | Weblog
 中村天風という人物を知っている人は今となっては非常に少ないと思う。若い人はもちろんであるが、50代、60代の人達も知らない人が多い。
 そこで私が紹介の文章を書いてみようと思い立ったわけであるが、その理由は
(1)日本の偉人ベストファイブを選定するならば、中村天風師は必ず入るべき人物。
(2)天風哲学は総ての宗教哲学の根幹を想起させる。
(3)神を想定しない、実践哲学として最高のものの一つ。
と考えているからです。
 また紹介の内容は
(1)中村天風師という人物の略歴
(2)天風哲学に関する若干の個人的感想
の2点に限ろうと思います。本来、思想家・哲学者を紹介するならば、まずその思想についての概略を紹介することが妥当でありましょう。読む人もとりあえずどのようなことを考え主張した人物かを知らなければ、略歴なんぞを見ても興味が湧かない。そのポイントである思想を省いた上で、大人物であるから紹介したいというのはどういう意図であるのか?と疑問に感じられると思います。それについては後に述べますので、とりあえずお読みいただきたい。

Ⅰ.略歴
1876年(明治9年)生れ、1968(年昭和43年)没という人物です。まず若い方々はほとんど知らないと思う。書斎派の哲学者ではなく、実践家としての活動でありましたし、宗教ではないため宗教史に取り上げられることもなく、知る人ぞ知るという状況で今日に至っているようです。
天風師の生涯を簡略にまとめると以下の通りになります。
<概略年譜>
 1876年(明治 9年) 大蔵省初代抄紙局長中村祐興の息子として出生。
 1892年(明治25年)16歳にして軍事探偵として満州へ。
 1894年~1895年 日清戦争
 1904年~1905年 日露戦争
 1906年(明治39年)30歳。奔馬性結核発病。不治の宣告を医師より受ける。
 1909年(明治42年)33歳。病気の治療および精神的煩悶を解決したく渡米。
 1911年(大正 1年)35歳。夢かなわず失意の内、ヨーロッパを経て帰国途中カイロにてヨガの聖者カリアッパ師
と邂逅。そのままインドへ行きヨガの修行に入る。
 1913年(大正 1年)37歳。病癒えて、日本に帰る途中上海で孫文の顧問となり第二次辛亥革命に参加。革命
は失敗するも巨万の富を得る。
 1919年(大正 8年)43歳。統一哲医学会を創設。天風哲学の普及活動開始
 1941年~1945年 第二次世界大戦(太平洋戦争)
 1962年(昭和37年)86歳。財団法人天風会となる。
 1968年(昭和43年)92歳。没。

 若い頃の稀有の活躍は今の言葉で言えば、日清戦争、日露戦争を背景とした満州での破壊工作活動であるから、日本の軍国主義時代の歴史における興味深い裏面であるが、今の歴史の教科書で語られることは無い。
 天風師の人生は二つの部分に截然と二つの部分に分かれています。それを分ける分岐点は、日露戦争を経て帰国し、病を得た事、そしてインドでのヨガ修行です。
それ以前は人切り天風と異名を取った中国大陸での血腥い戦いの日々であり、それ以降は人間の安心立命を得るための自ら創始した心身統一法の普及活動と、全く異なる人生を形成しました。
 天風哲学の普及活動を開始したのは1919年(大正8年)からですが、当初はいわゆる皇族、高級官僚、実業家など社会の上層部を中心としていました。社会のリーダーに認知されることが、天風哲学の日本全体への速やかな普及にとって効率的であると考えたかららしい。
 戦後、まさに民衆に対して本格的啓蒙に乗り出しましたが、広く支持を得始めたのは既に1960年代であって、日本も戦後の混乱を脱して、まさに高度成長への助走の時代となっていました。
太平洋戦争勃発までの22年間と終戦後民主主義の時代になってからの23年間、合計45年間にわたり精力的に天風哲学啓蒙活動を行って、1968年(昭和43年)に92歳で没しました。

 <主な著書>
 「成功の実現」 「盛大な人生」「心に成功の炎を」
 上記3冊が主要な著書となります。タイトルを見てどのような印象を受けるだろうか。教養の有る人ほど皮肉な笑いを浮かべて、“読む気はないな”と言いそうな気がします。その上1冊1万円という高価なものですから、ちょっとした好奇心で買う人はほとんどいないでしょう。
 私は、この文章で天風哲学自体を紹介しようとは考えていないと申し上げましたが、それは天風哲学に触れるには上記の内、1冊でも読んでみること以外には不可能だと確信しているからであります。


Ⅱ.天風哲学に対する若干の個人的感想
 これについては二つあります。
1.コアの認識
「心はあなた自身ではない。心も、手や足と同じで、あなたがこの世で存在し生きてゆくための道具の一つに過ぎない」という天風哲学の認識があります。この認識に私はしびれてしまいました。私にとっての天風哲学のコアはこの一言であります。
人が宗教に救いを求めるのは、多くの場合心の苦痛が原因でしょう。嘆き、嫉妬、憎しみ、怨嗟、懊悩、厭世、恐怖、絶望、このような感情の苦しみに耐え切れず、なんとか心の平安を確保したいと願い人は宗教に入ります。
心というのは人間にとってある意味総てでありながら自分で統御できないものでもあります。この心に対して、天風師は神を持ち出すことなく、難解な哲学論を用いることもなく、正面から迫った。彼の「心はあなた自身ではない」という認識はカリアッパ師の教えであるとともに、厳しいインドでの修業の中で、天風師自身がまさに実感できた真相だと思われます。

2.修行不要の自己変革
二つ目はインドでの修行です。この部分は3冊の本のどれにも書かれていますが、さらっと書かれていて、読む人をして、美しい自然の中で、カリアッパ師と牧歌的な座禅修行をして最終的に悟りの境地に達したような印象を読む人に与えます。
しかし近い弟子に、インド修行について語り、それをもとに弟子が書いた本があります。
これを読むと当然のことながら、命懸けの厳しい修行であったことが察せられます。インド密林の奥深く、トラ、毒蛇、疫病の渦巻く過酷な土地で、たった一人での修行ですから、過去何人もの修行者が戻ってこれず、密林の土に還っていったらしい。
 天風師のユニークなところは、このような厳しい修行なんか積まなくても、人間とは何か、ということに対して正しい理解をもてば、一般の誰もが自分のような安心立命の境地に達することができるはずだ、いやそうでなければおかしい、と思い切ったところにあると思います。彼の語り口(上記本を読めば実感できます)およびその他総ての工夫(天風会での行事)はそれを実現するための創意工夫です。過酷な修行無しに多くの人を自分と同じ境地に導きたいという彼の情熱と確信には心を打たれます。
 しかし、私はこのインドでの修行の実態についてもっと詳しく知りたいと思いました。また修行の各ステージでどのような思いや実感を抱いたかも知りたいと思いました。色々探しましたがありませんでした。しかし今となってはもう誰にもわからない事柄です。天風師がインドで修行を開始した時、カリアッパ師はすでに100歳を超えておられた。“私はおまえと違って「気」で生きている”と言ったカリアッパ師もさすがに存命ではないでしょうから。

 以上が私の書きたかったことです。中途半端でよく分からないかもしれません。しかし、これを機に天風師の本を1冊読んでみたらいかがでしょうか。

皇室について考える(2)

2007年01月13日 00時27分00秒 | Weblog
5.私にとって皇室は日本人の原風景に繋がっている
 日本は、今でこそ工業国家の看板を掲げていますが、長きにわたって農業国家としてその根幹を築いてきました。また、手工業や商業も含め、日本の文化は閉鎖系の中で熟成されてきました。国際的民族闘争から隔離された単一民族国家ゆえのゆったりとした流れです。これが明治以前までの日本文化の特色でしょう。もちろん隣国中国や朝鮮半島の国々との交流はあり、それが良い刺激となってきましたが、相対的には閉鎖系の中で形成された文化といっても差し支えないと思います。
 明治維新以来、恐ろしいスピードで西欧文化が流入し、物質的な生活環境や諸制度は大きな変化を遂げ、その結果として現在の日本があります。しかし私達の価値観は、現在においても、基本は農業文化に立脚していることが感じられます。国政や地方自治体そして企業などの合意の形成、行動原理、基本的価値観などを率直に見ますと、それらは村落共同体の価値観であり倫理観であることが痛感されます。さらに言えば、武士の価値観と村落共同体の価値観が一体となったつまり“藩”の文化であります。ハードウエアは工業でもソフトウエアは農業文化の産物のままなのです。
 こう理解してみると、日本は奈良時代から何も変わっていない一貫した文化を維持していると思えます。そして、この一貫性こそが日本の本質であると私は考えています。
皇室は日本の代表的一族であり、天皇家は日本を代表する家庭であり、天皇はその家庭の長(おさ)であるといえます。天皇の執り行う行事(秘儀)は総て稲作農業に関わりを持っているようです。農作物の豊作を祈念する行事であります。
日本のどこかで国家安泰と農業の豊穣を祈り続けている家族がいる。それを家訓として1500年も守り伝えている家族が存続しているという事実に触れると、実にしみじみとした安心感と国民としての一体感が心にわいてきます。
自分達は農耕民族だった。今ある総てはそこに根をもちそこから生まれてきている。その農業共同体の長(おさ)が代を重ねながら今日まで絶えることなく連綿と続いている。この歴史的事実は個人の意識に表れなくとも、国民の心や行動に何かしら良い影響を与えてきたように思えてなりません。
 現在のような豊かな生活(多くの消費財に囲まれ、飢えることなく自由な市民生活を送れること。たかだか、戦後の60年間の生活)をしている大多数の日本人はこの原点を忘れがちになります。(しかし、人は大きな困難に直面した時、生きるか死ぬかというような状況に遭遇した時、耐えがたい肉体的苦痛に苛まれた時、人は忘れていた原点に回帰します。)
 天皇が日本国の象徴であるのは戦後皇室典範に定められたからではありません。ずっと以前から象徴でありつづけていたのではないでしょうか。これこそが日本の強さの根源だと思われます。 

6.日本人を束ねるもの
逆に言えば、民族国家を象徴するファミリーを失ってしまえば、日本は単なる極東の島国の烏合の衆になってしまうのではないかという恐怖心が私にはあります。日本の国家としての芯に何も特別なものはありません。建国の理念も外的から身を守りつづけた戦争の歴史も無い。あるのは農業国家として、ずっと同じ人達がこの列島の中で暮らしてきたという事実だけであります。その中で形成された素朴な価値観(世界観、倫理観、美意識)だけであります。外部から見ても日本の大きな特色は皇室が現在に至るまで維持されてきたという一貫性でしょう。
特に明確な意識があったと思えませんが、有為変転の歴史の中で皇室は損われることなく維持されてきました。1500年代末の戦国時代あるいは太平洋戦争の敗北の時、皇室が廃されても客観的には不思議はありませんでしたが、日本人はそうしなかった。皇室を憎むことも侮ることもなく、敬愛の念をもって守りとおしました。
それは皇室が日本人そのものだという認識が日本人の根底にあったからではないかと思われます。皇室は日本の家庭の代表であるという意識。日本人の家族の象徴であるという、誰が意図したのでもないのに自然と形成されてきた、一種のナショナルコンセンサスがあるのではないでしょうか。しかもそれは何ら哲学的な理論に裏打ちされたものではなく、実に素朴な感情です。
日本人とは実体的にはまさに現存する我々とその文化であり歴史であります。象徴的にはまさに皇統をつないできた皇室であります。皇室への敬愛とは、本質的には太古から現在まで日本に暮らしてきた日本人への愛情であり、誇りではないでしょうか。この意識以外に日本人を束ねるものは何もないと私は思います。
 
7.今そこにある危機と皇室
 日本という国家は今国際的生存競争において危機に直面していると思っています。私には国家と日本の文化を守らなければならないという気持ちがあります。
今後アジアにおいて加速するであろう国家間、民族間の利害衝突が日本を、文化的存在としても国家としての存在としても脅かす可能性が高いという懸念がどうしても払拭できません。
 求心力を失った人間集団(家庭、企業、国家)の惨めさは歴史が証明しています。また人間集団の求心力を長期にわたって維持することの難しさも又、歴史が示しています。
かって“日本人は水と安全はタダだと思っている”という警鐘的な論がなされました。イザヤ・ベンダサンというユダヤ人(ナチスにより600万人をガス室で抹殺されたユダヤ人というイメージ)が書いた(実は山本七平氏がユダヤ人の筆名で書いた)ことになっていましたが、国家の求心力を考える時、私はこの話を思い出します。
島国育ちの日本人にとって“国家的求心力”は水や空気と同じで、当然存在し続けるものと思っています。日本人というアイデンティティーは無くならないと思っている。しかし私は今まではそうであったかも知れないけれど、今後ともそうであるとは思えないのです。
日本を取巻く政治環境は中国、ソ連、北朝鮮という3大専制国家の動きに合わせて今大きく変化しつつあります。ソ連はもう冷戦下で押さえつけられていたソ連ではありませんし、中国もまた毛沢東政権下の鎖国状態の中国ではありません。北朝鮮は独裁国家の末期を瀬戸際外交で打破すべく、とてつもない冒険主義に打って出ています。そして何より米国が変化しています。かってのパクスアメリカーナ時代の、豊かな中産階級に支えられた自由な国家ではなくなりつつあるようです。米国の世界への関わり方が変化すれば当然日本の安全保障体制も変化せざるを得ないでしょう。
ともあれ、日本人の運命は、今後日本に降りかかる様々な困難に対し、国民がどれだけ一丸となって、国を守ろうという気持ちで頑張れるかにかかっています。日本人としてのアイデンティテーがどれほど強いかにかかっています。

7.終わりに
私は最初に「皇室は日本人にとってかけがえの無いものである」という結論的な認識があると述べましたが、そのような認識が一体何に由来するのか、自問自答を繰り返し考えてみました。第三者に対して、その思いの根拠を説明しようとするならばある程度論理的な筋道をつけて話す必要があるからです。論のための論ではない論理性を求めて、自分の気持ちを反芻し実に様々な副次的テーマに逢着いたしましたが、不要と思える部分を省いた筋道が以上であります。
そして最後の結論は「皇室を守り維持できない日本人には日本そのものを守ることができないと思える」ということになりました。

皇室について考える(1)

2007年01月13日 00時24分14秒 | Weblog
 女系天皇を認めるか否かという「皇室典範」改定問題も、紀子妃御懐妊の報とそれに続く男子誕生ですっかり静かになりました。
 そもそも皇位継承における“男系男子(現在の規則)”と“女系(女系天皇容認)”の違いも多くの国民は正確に知らなかったと思います。当時、新聞社による世論調査で女性天皇もOKという声が国民の過半数を超えているという発表もありました。
現在世界で皇室の存在する国は28ヶ国ですが、日本人に一番よく知られている皇室はもちろん英国皇室でありますし、女王陛下の英国というイメージが定着していますから、日本の皇室も天皇は男子に限るなんていわず女性天皇も認めていいじゃないか、そんな世論であったかと思います。
 私は、皇室は日本にとってかけがえのないものであると直感的に思ってきた人間ですが、この問題を機に、自分自身の漠然とした皇室への敬愛の気持ちの根源が何であるか、できるだけ明確にしようと考えてみました。以下はその思考を整理したメモランダムです。

1.男系男子の意味
 ①天皇の男の子が次の天皇になること。ただし1代限りであれば、女性でも天皇になれる。しかしその次の天皇はこの女性天皇の子供ではいけない。例え男の子でもいけない。つまり一代限りの女性天皇は男系女性天皇ということである。したがって女性天皇の継承者はそれ以前の天皇の次男あるいは従兄弟などともかく天皇家の男系男子に皇位を継がせなければならない。これが男系男子の意味です。
②男系男子が持つ遺伝学的意味
 遺伝学的に男性の性染色体は(X,Y),女性は(X,X)。これが減数分裂によって、精子(XもしくはY)と卵子(Xのみ)になり、この二つが一緒になって子供が生まれる。したがって子供の染色体は当然(X,Y)か(X,X)のどちらかになる。Yを持った子供は必ず男性となる。したがって、直系男子で系譜を構築すれば、最初のYが連綿と引き継がれてゆくことになります。
③Yを伝え続ける意義とは
 では遺伝子レベルでYを伝え続けることにより、人間としてその性格や形質に何が維持されるのか、と問われれば誰もわからない問題となります。
そもそも平安時代はもとより江戸時代でもこのような遺伝学的知識はなかったはずですから、男系男子維持に固執した理由は単に家は長男が継ぐものであるという男性中心の価値観によるのだろう、という意見もありますが、一方、「いや古代の人も、経験的に男性だけでしか伝わらないサムシングがあるということを直感的に認識していたが故に、男系男子の維持にこだわったに違いない」という見方もあります。しかしその辺は今となっては分かりません。
2.女系天皇容認問題の前に
 日本人のなかにも、天皇家の存在は不要であると考えている人達がいます。彼らから見れば、男系も女系も関係ありません。
つまり男系か女系かの問題は、皇室の存在を認めその永続性を願う人々の間でのみ成立する議論でしょう。従って、男系か女系かの議論の前に“日本にとって皇室の存在は必要か”というより根源的な問いかけが必要だったわけですが、皇統問題関連で、マスコミでこの問題が取上げられることはありませんでした。天皇制は日本の政治・国家の枠組みとして非常に大切なものなのにも関わらず、戦後、あからさまに議論してはいけない問題、アンタッチャブルな問題として扱われ続けてきています。
誠に不思議であります。しかし一方、日本人の心情としては分かるような気もします。天皇制の存在の可否を理詰めで議論してゆくと、皇室否定論に辿りつくのではあるまいか、あるいは少なくともお神楽のような伝統芸能保存のような問題に矮小化されるのではないかという恐れが、日本人の心にあるからではないでしょうか。さらに言えば、日本人にとって皇室問題には一種の恥部のような感覚があって、議論をすることを避けたいという感情が働いている一面もあると思えます。
 男系維持か女系容認かという問題について私自身の立場を言えば、男系男子で1500年も続いた伝統ですから、可能な限りそれを維持すべきだと思っています。宮家の数を今以上に認め、男系皇族を、言葉はあれですが、キープするなどしていけば、今後とも男系男子で皇統を繋いでゆくことは十分できると思えます。

3.皇室の存在意義について議論すること
「この問題は何も厳密に議論しなくてもいいじゃないか、たいていの日本人は心の中で皇室を敬愛しているし、かけがえのないものと思っている。理論的にそれを言おうとすると難しいし、返って無駄な低俗な議論に陥り、日本人の率直な心情をゆがめてしまうことになる」という意見があります。
私も賛成ですが、今回のように、国民がほとんど知らない間に、女系天皇のための法律改正の準備が整ってしまったり、雅子妃の海外静養の費用が高額すぎるというような見当はずれの報道(皇位継承者である皇族の人達に強いられている生活環境を想像してみてください)が繰り返しなされる風潮を見ると、やはり漠然とした国民の心情を信じていれば皇室は安泰であると安心してはいられない気持ちになります。
 
4.皇室の存在と自分の存在
天皇制は日本にとって必要か否かを自問自答してゆくと、結局自分にとって日本とは何かという問題に行き着くようです。自分が生まれた時に既に存在し、遡れば縄文時代まで続く日本という国家の構造とは何か。また自分を形成した日本という国とその文化は自分にとって何なのか、と問うことになります。
結局、自分のアイデンティティーを個別の文化を超えた人類という人間の大本に置くのか、あるいはあくまでその中の一種である日本人の文化に置くのかという価値観の確認を迫られることになるようです。
「自分はたまたま日本に生まれ、その文化に馴染んで成長したに過ぎない。人間にとって国家や文化はその程度のものであり、自己のアイデンティテーの根幹に触れるような問題としては考えていない」。こんな風に考えるボヘミアン気質の人もおられるでしょうし、これとは逆に、私とはすなわち日本文化の所産である。これが失われることは私自身が失われることに等しい、と考える人もいるでしょう。
前者にとって皇室問題とは、しょせんたまたま自分が所属する文化の特色の一つにすぎません。その程度の重みの中で、必要か不必要を考慮することになるでしょう。一方、後者にとってはまさに自己の存在基盤である日本文化に関わる重要な問題でありさらには、その文化を育んだ日本という国のあり方となります。ですから、私は自分の全存在の問題として、皇室無き日本と、皇室のある日本の違いを考えることになります。


無責任な平和愛好家達

2006年10月08日 04時31分43秒 | Weblog
 爆笑問題の大田光の本、「憲法第9条を世界遺産にしよう」というタイトルを見て、思わず本屋の店頭で拍手しそうになった。上手い!!
 ほんと、これまでの人類の歴史に例を見ない戦争放棄の憲法ですから、まさに世界遺産に相応しい。

 第9条をテーマにして「戦争は絶対に嫌だ。第9条を堅持すべきだ」とか「憲法を改正して国民を戦争に駆り立てようとしている」さらには「軍備を持つべきではない」なんて意見まである。開いた口がふさがらない。でも開けたままだと虫やゴミが飛び込んでくるので一応閉じて、この文章を書くことにした。

 軍隊を持っていると、つい他国に侵略戦争をしてしまいそうだから、軍備を放棄しよう。それでもまだ心配だから憲法で禁止してしまおう、ってことらしい。
オイオイ、なんて主体性のない、自らを信じられない国民なのだろう。そんなだらしのない連中の言うことを世界中の誰も信じないよ。
僕も戦争なんて絶対にイヤだけど、ヤダヤダヤダと言っていれば戦争をしなくて済むんだったら、こんな楽なことはありません。
 人類は常に戦争をしてきた。これは武器を持っているからではない。人間は武器がなければ拳の殴り合いででも、他国を侵略し権益を得ようとする。こういう愚かな性を持っている。この人間の本性から眼をそむけてはいけません。

 では世界平和の大切さを連呼してヘイワヘイワで明け暮れている立派な日本人としてはどうすればよいか?本気ならばこうするしかありません。
 単なる武装放棄は他国の侵略意欲を刺激するだけですから、世界最強の軍備を保有する。そして常に武器の高度化と訓練に勤めて、世界最高水準の戦闘能力を維持しておく。それだけの強さを持ちながら自国の利益のために他国に圧力を加えたり、いわんや侵略戦争を起こすことは絶対にしない。
 その上、もし自国の権益の拡大のために、他国に軍事的行動を取る国が現れたら、その国に「そんなことしちゃイカンよ」と叱る。それでも止めなかったら、武力をもって断固阻止する。これを日本が100年200年とキチンと続けていれば、地球上に無体な軍事行動をとろうとする国は無くなってきます。このような長い実績が続けば、それが人類の道徳になります。

 世界の警察になるほどの器量が無いというのなら、せめて軍備をしっかり持って、かつ他国の侵略はしないというくらいの国家を目指すべきでしょう。

 日本人というのは本当にナイーブで世間知らずの民族であります。ヨーロッパや中近東なんて、紀元前から異民族と侵略戦争をしてきた。占領したりされたり、条約を結んだり破ったり、そんな事を繰り返して、いわばスレッカラシの国家ばかりであります。

 明治の開国まで、島国の中で閉じこもっていた日本人が世界と交わり、切り取り強盗の欧米の真似をして、世間知らずの無鉄砲で世界を相手に大戦争をして、大敗北を喫して大いに反省をしているわけです。しかし現在の平和論の馬鹿馬鹿しさはなんとかならないものでしょうか。

靖国神社参拝問題 (2)国際問題として

2006年09月07日 23時07分28秒 | Weblog
 【ケースB】(国際問題としての靖国神社)

 中国と韓国が首相の靖国神社参拝を非難している。その非難は正当なものなのか、それとも不当な言いがかりなのか。また日本はそれにどう対処すべきなのか。

 非難の理由は下記3点が主なものであろう。
①侵略戦争であった太平洋戦争を日本が国家として全く反省していない
②軍国主義を放棄するどころか、その精神を今もなお堅持している
③戦争犯罪者に敬意を払うこと自体、被害国の国民の感情を踏みにじっている

 この3つの理由を眺めてみると総て感情的なものである。反省しているのかいないのか、また軍国主義の精神を持っているのかいないのか、客観的には証明不可能な類のものである。
 太平洋戦争への反省は、国内問題としては連綿と続くとしても、対外問題としては明確に処理が終わっている。軍事裁判による戦犯の起訴と懲役刑および死刑の執行があり、賠償金の支払いがあり、各国と国交回復条約の締結が終わっている。又賠償金およびその延長としての経済援助も大量にかつ長期間にわたって実施されている。
 にもかかわらず中国と韓国が、神社参拝という行為に対して、その象徴性をもって外交的非難を始めたのである。
 日本は戦後中国とも韓国とも国交を回復し、正式に戦後処理は終結している。そして半世紀が経過している。感情的な思い、様々な記憶は残っても、手打ちは終わっているのである。終わっていればこそ、日本は韓国の産業復興に手を貸し、韓国もそれを受け入れ、援助を基礎として工業国家への離陸が成功した。中国も全く同様な状況にある。
 にもかかわらず、今になって感情的な非難行動を展開するのは、韓国の場合は単純に民族としてのレベルの低さが原因である。中国は本音をいえば、全く気にしていないだろう。しかし日本人の反応を見て、これが政治的に活用できると分かったがゆえに、外交カードとして活用しているに過ぎない。

 繰り返しになるが、アジア諸国との終戦処理は完全に終わっているのである。また賠償についても、経済支援の名目の部分も含めれば、日本の賠償金ほど莫大な資金が支払われたことは恐らく歴史上ないのではないだろうか。
 また、半世紀を経た現在、例えば、日本が右傾化の傾向を強め、軍国主義的論調が政界に出てきたとしても、それを持って中国や韓国から非難されるゆわれは無い。国家において時間とともに、その政策が変化するのは極めて自然のことだから。それに対して、良い悪いというのは内政干渉以外のなにものでもない。
では、日本は中国と韓国の非難行動に対してどのように対処すべきであろうか。

 これも幾つかの選択肢が想定される。もちろん参拝の意図は「軍国主義復活の意図はなく、純粋に戦没者への哀悼の念を表し、不幸な戦争に思いをいたし、今後の平和への決意を新たにするものである」である。この説明で納得しない状況下でどうするかという問題である。

(1)靖国神社参拝を継続する。
(2)A級戦犯とされて刑死した人々を別の場所に移し、靖国神社参拝を行う。
(3)戦犯とされなかった、多くの戦没者のための慰霊碑を新たに建設しそこに参拝する。
(4)靖国神社参拝を止める。

 一切を黙殺するというのが正しい選択である。靖国参拝は国内問題ではありえても対外問題としては存在し得ないのだから。
 もし、(3)または(4)の選択をすれば、さすがの両国も、その参拝を非難する論理的根拠を失うであろう。一方、彼らは日本の軍国主義復活機運を潰した、あるいは侵略戦争の反省を日本に対して認めさせたとそれぞれの国内で喧伝し、自らの政治的功績として誇り反日宣伝として活用することは十分予想される。
 韓国では例えA級戦犯を分祀しても靖国参拝は許さないという議論が出ているから、ともかく非難の合唱を止めさせるためには、(3)または(4)の選択しかない。
 しかし外国からの非難を理由にこのような譲歩を行うことが長い目で見て日本の国益に適うのであろうか。靖国参拝反対の要求が有効である認めることは、終戦処理が未だ完結していないということを認めることに等しい。すなわち賠償も謝罪もどちらも終わっていないという意味である。

 これは日本の戦後の外交努力、およびアジア政策(対外援助も含む)総てを否定することになり、国家としての尊厳を放棄することであると思う。弱腰外交を超えて、負け犬外交となる。筋の通らない要求に唯々として屈することは、300万人の戦没者に対する裏切りであるとともに、1億3千万人の日本国民を将来の対外リスクにさらすことになるだろう。

靖国神社参拝問題 (1)国内問題として

2006年09月07日 00時00分13秒 | Weblog
中国と韓国が小泉首相の靖国神社参拝を非難している。政界でも議論が起こり、マスコミでも様々な意見が報道されている。一般市民も、さてこれはどうあるべきなのだろう、と考えている人が多いのではないだろうか。

そもそも靖国批判とは何なのだろうか? 靖国参拝が不愉快であると言っていることは分かるが、それは一般的に他国を批判するにふさわしい内容なのであろうか?
過去の日本の戦争について現在なお批判を行おうとするものなのか。それとも1政治家の行為のみを批判するものなのか、はたまた日本人全体への批判なのだろうか。

論点を明確にするために、ケースAとケースBに分けて考えてみた。

【ケースA】(中国や韓国から非難されていないと仮定して、純粋に国内問題である場合)
靖国神社に首相はじめ政府高官は参拝すべきではないと主張する日本人は以前から存在した。そしてその理由としては、下記の3点が主なものである。
①国家は特定の宗教を支援すべきではないから
②靖国神社は軍国主義の象徴であるから
③靖国神社にはA級戦犯が祀られているから

 靖国神社は戦没者を祀る神社であり、その戦没者の大半は太平洋戦争の犠牲者である。異論もあるだろうが、太平洋戦争イコール侵略戦争、正義のない戦争、日本の歴史の汚点となる戦争という意識が日本人の心の底に漠然とある。
また、この戦争で300万人を越える国民が犠牲となった。幸運にも生き残った人々はもとより戦没者の家族にとってもこの犠牲は痛恨の思いであろう。この意識と思いが靖国神社を特別なものにしている。

 終戦後、日本人自身の手で戦争責任を追求すべきであるという意見があった。戦争責任を裁く新たな法律を制定し、結果として、300万人の尊い生命を散らした戦争に国民を導いた政府首脳、軍首脳等を日本人自身の手で糾弾し、その罪を告発し、相当の刑を科すべきである。それによって国民として太平洋戦争にケジメをつける、という考えである。
 しかし、敗戦とともに戦勝国側によって運営された、いわゆる東京裁判で、戦犯が特定され、刑が執行された。そして日本人は敗戦国家の国民として率直にそれを受け入れたのである。
 東京裁判、これはまさに古来からの戦争につきものの“勝者の権利”の行使であるに過ぎない。勝った側が負けた側の命を請求する権利であって、法的根拠は全くない。A級戦犯という言葉は、戦勝国の概念であって日本国民とは全く関係ないのである。

もし東京裁判が、人類の名において、その戦争犯罪を裁く法廷であったというのなら、広島と長崎に原子爆弾を投下し、数十万の一般市民を殺戮した行為も裁かれなければならないだろう。その投下を決定した人間は、人類の名において有罪であることは論を俟たない。

靖国参拝問題が日本人自身に提示している問題とは、表面的には上に掲げた①~③の問題であるが、それらを問題にする心情の根底には、太平洋戦争を日本人自身の手で、公の形で総括し、その戦争犯罪を裁くことをなさなかった事がもたらした、怨念と不完全燃焼へのわだかまりがあると思われる。

もし自らの手で戦争裁判を実施していれば、その過程で当然、戦争にいたるまでの経緯、軍事行動を拡大させた人々、またそれを阻止できなかった行政、あるいは政府の過失や制度上の欠陥などが明らかになったであろう。そしてそれを国民全体が認知して、自らその事実を噛み締めて、国民の歴史的行為として受け入れ消化し今日に至ったであろう。

そうであったならば、言うまでもなく、戦没者の大部分は鎮魂されてしかるべき人々であるから、たぶん、国民の判断によって戦争犯罪者とみなされた人々を分祀し、靖国神社は尊い犠牲者達を祀る神社として存在したであろう。そして政府高官はもとより、来日した各国首脳をはじめ、多くの国民が参拝し、戦没者を鎮魂するとともに不戦の誓いを新たにする社となっていたと思われる。

靖国参拝反対者は“今更戦争裁判をやれとは言わぬ、しかし総理総裁が、単に過去の不幸な出来事でなくなった人に哀悼の意を表するというという簡単な気持ちで参拝することは止せ。そんな単純な思いでは困る”という心情ではないだろうか。
そこには太平洋戦争とその戦争責任に対する国民としての複雑な思いがある。靖国参拝に明確に反対する国民は少数派であろうが、反対をしないまでも、靖国神社に対して漠然としたわだかまりを持った国民はけっこう多数ではないだろうか。しかしこの問題は選挙の争点になることもなく、静かな目立たない議論として戦後ずっと継続して存在してきた。

従ってこの問題については参拝する人は参拝し、従来どおり毎年、議論を続けていけばよいと思う。太平洋戦争についてその善悪、理非、そこで何がなされたか、何故そのようになったか、を議論し続けることは日本人にとって決して無駄な行為ではないだろう。

生きて終戦を迎えた日本人全員が、300万人の戦没者に対して民族としての原罪を負っている。また戦後の日本の発展は、まさにこの300万人の悲惨な犠牲の上にもたらされてものである。現在の日本人もまた、彼らを鎮魂し、哀悼の意を表する義務があろう。靖国という器に釈然としない人は、当日思い思いの場所で黙祷を捧げればよいだろう。
これでは中国、韓国から非難される前の状態と同じであるが、現在となってはこれでよいと思う。
ただ現在の靖国神社の管理運営には疑問もある。「遊就館」の程度の低い右翼的な展示は誠に残念である。祀られている人々にとっても多分不本意な劣悪なコンセプトであろう。

“社”は政治的主義主張を行う場所ではない。あくまで鎮魂の場である。靖国神社がこのような一部の偏狭な連中によって勝手に運営されている現状が改善されないのも、全国民から、太平洋戦争で亡くなった人々を祀る場所として、すっきりと認知されていないことが原因であるような気がする。厳粛かつ朗々とした、政治色のない神社に改善されることを期待したい。