性転換手術‐美容外科医のBlog

日本で唯一、開業医として永く本格的なMTFSRSに携わってきた医師が、GID(性同一性障害)治療について語ります。

先日のこと(3)

2006-07-18 | Weblog
さらに最悪なことに今回は新たに重大な余病も抱えていました。しかし死ぬ前に何とか望みを叶えたいという本人の強い気持ちはわかります。正直困ったことになったと思いましたが、2003年から私の性転換手術は発展しながらも入院期間は最短2日にまで短縮できるように進化していました。だから2日の入院で済めば退院後すぐに透析に直行すれば、腎不全対策は取れます。あとは腎不全の患者さんに多い慢性貧血や高血圧の問題です。しかし貧血は現実にやはり通常の性転換手術はかなり危険があり、場合によっては輸血も必要なくらいに深刻な状態でした。色々と相談し、出血を最小限にしなければ安全に手術はできません、だからいちばん出血をする造膣術は一応タイ並み(10cm程度)は保証しますが、それ以上は無理かもしれませんと念を押し、さらに新しく抱えこんだ病気の担当医の助言も得て、ついに患者さんの長い念願だった性転換手術を引き受けることになったのです。我ながら呆れます。しかし私もスタッフも不安は消えません。やっと医療事故の刑事事件が解決したばかりなのに、もしまた事故でも起こったら大変なことになるし、重大な病気を抱えている患者に性転換手術を行うとは!気違い医者だと世間になじられるかもしれません。そこまでして金儲けしたいのかと悪口を言う輩もいるでしょう。じつは、この患者さんの場合は手術費用もかなり下げているのです。定職がないこと、当院の標準手術ができる保証がないことなどが定額の料金を請求しにくかった理由なのですが、本来私独自のガイドラインでは、無職で自立できない(しようと努力してない)人の性転換手術には応じない方針です。この人の場合は病気の問題を抱えていて働きたくても限界があること、無事に手術さえ終えればあとは今までどおりの生活を十分続けられること、そして何より人生死ぬ前の最後の望みを叶えてあげたいという私の気持ちが優先して、危険も覚悟で例外的に応じることにしたのです。実際、手術時は緊張し続けてました。血圧は高く軽く200を越えてるし、でも出血は最小限にしなければいけないし、しかしやる以上は最良の結果を残したいし、私だけでなくスタッフもたいへんだったと思います。幸い手術はさほどの出血もなく、造膣も標準程度(14~5cm)にまででき、確かに術後には色々と特異的な異常があり苦慮させられましたが、何とか無事に2日の入院で、透析病院に送り届けることができました。神様に感謝です。

先日のこと(2)

2006-07-18 | Weblog
そんなことまでしているといつか事故や事件が起こって大変なことになるよと医者仲間には言われますが、これが私の医者としての性分なのですから仕方ありません。保身だけを考えるならはじめから性転換手術などに手をつけていません。美容外科医のくせに変な奴だと言われるのもしょうがないことですね。そういうわけで十分注意しながら豊胸手術を7年前に行ったのですが、幸い何とか無事に終わり、結果も良好な状態に仕上がってくれたというわけなのです。言っておきますが、世間の美容外科医には豊胸手術なんて剥離して入れるだけだろ、簡単じゃんと言われるかもしれませんが、豊胸手術、特に大胸筋下の豊胸手術で簡単なのは個人差もありますが、せいぜい180ccまでであり、ニューハーフのような男性がもともと貧乳のくせに巨乳を望む場合、筋肉の剥離の難しさもあって、出血も多量になることがしばしばあり、それほど簡単じゃないのです。ましては重大な余病を抱えているわけですから、手術も術後も私としてはかなり緊張し、びくびくなわけです。でも幸いなことに事なきを得て何とか無事に終わったということなのです。それから何年も立ち、しばらくその患者さんとも会う事はなかったわけなんですが、2ヶ月くらい前にある懇意の先生から性転換手術をしてあげてくれないかと紹介があり、2つ返事で引き受け、私の所に相談に訪れることになりました。今回は設備を利用させてもらっている東京のクリニックで話をすることになりました。しかし名前を聞くと、聞き覚えがあり、あっ!何年も前に豊胸手術をしたあの患者さんだとわかり、困ったことになったとすぐに気づきました。元々私の患者さんなのですから、別にほかの先生の紹介がなくても直接私に相談を申し込めます。患者さんがそうしなかったのは、何年も前に私に性転換手術は無理だと断られたこと、そしてそれならばほとんど入院も要らない造膣なしの《ぶつ切り手術》ならばできるのではないかと、ある先生に相談に行かれたという次第なのです。しかし、その先生が色々な事情から私を紹介したので、再び私のところに来ることになったわけです。私もあれから何年も経っているし、体の状態も今はどうなっているのか、直接会って確かめたかったので、性転換手術の再相談に応じることにしたのです。もともと普通に健康だったら手術に何ら支障はないケースですから、話は現在の健康状のことが中心になりました。しかし病状はやはり深刻な状態でした。

先日のこと(1)

2006-07-16 | Weblog
前回、私のMtF性転換手術の変遷のことについて言及したのは別に自慢話をしたいためではなく、じつは先日東京で行った性転換手術の患者さんのことを考え、感慨深く思うところがあったからなんです。できるだけ個人情報の漏洩にならない形で今回その話をします。その患者さんのことはもう7年も前から知っています。長い間、普通に男性として社会生活を送ってきていたのですが、ある時からもう耐えきれなくなり、女装を始め、それから数年がたった時、外科治療を求めて私のもとにやってきました。美人というわけではないですが顔も女顔で、普段の会話の声も高めで女性的で、ふつうに女性として見ても、少し太めのおばちゃんのような感じで、不自然さはほとんどなく、本人の性転換したいという気持ちも素直に理解できました。当時は下町のゲイバーに少し勤めていて、限界はある中でも、男だった昔と比べればずっと自分らしく自然に生活している様子でした。それで、男として生まれた体をできるだけ女らしくしたいという本人の望みも可能な限り受け入れて叶えてあげたかったのですが、残念ながら重度の腎不全があり、週に3回人工透析に通わなければいけない障害を持っていました。それで相談の結果、手術については除睾術と豊胸手術までにしておくしかないという結論になり、もちろん慢性的な貧血のある体では豊胸手術もかなり危険なのですが、色々と安全対策を整えて実施すれば何とかやれるのではないかと計画し、大阪の私のクリニックに来ていただいて1日入院して、大胸筋下の人工乳線埋入手術を実施したのでした。当時は、私の標準的なMtF性転換手術をするには最低でも4、5日の入院が必要であり、人工透析を受けている人は他に身体的には何の問題がなくても透析設備のある病院でなければ不可能だったのです。もちろん何らかの身体的問題があれば、緊急性がないと思われる美容整形のような手術は一切行うべきでないという考え方も当然あるかと思いますが、差し迫った必要性がないと判断できるのはそう考える人が当事者でないからであり、患者本人にとっては美容手術だろうと性転換手術であろうと十分に重大な必要のある問題なわけです。その気持ちがわかるからこそ、一歩間違えば事故が起こり、場合によっては刑事事件になるかもしれないとわかっていても、私としてはただ自分の保身だけを考えたくなくて、患者本人の立場や気持ちを考慮して、ケースバイケースで、今まで応じてきたわけです。

MtF性転換手術の変遷

2006-07-16 | Weblog
1993年に発表されたスウェーデンのDr.ELDSの原法をベースに1994年に始めた性転換手術の6例めが、私の1996年1月の開業後の第1例めになりますが、手術のやり方はどんどん原法から変化して行きました。原法では小陰唇の形成については記載がないのですが、クリトリスとして用いる亀頭部にさらに亀頭包皮をつけ、これを左右に2分割して小さめの小陰唇を作るという非常に細かなことを96年末までやり続けたのですが、成功率が半分程度で分が悪く、97年からは膣前庭部を構成する陰茎皮弁から直接作るという現在のやり方に変わりました。ただ縫着の方法はたびたび改良され、最も成績がよくなった現行法は2005年7月からのバージョンです。亀頭の一部をクリトリスにする方法は当初は原法通りでしたが、形が大きくなり過ぎるため、採取のデザインを変え、次に採取部位を変え、さらには縫いつけ方も変え、採取した亀頭の周辺部を皮下に隠して大きく見せないように工夫しました。一時はよりリアルな形をめざして陰核包皮の形成も試みてましたが、かなり陰茎皮膚に余裕がないとうまくいかないため、現在はあまりやっていません。陰裂がうまく作られるように陰茎皮弁の根元を恥骨に縫着したり、膣前庭(陰茎皮弁)の中心の一部を縦に縫縮したりするようになったのは97年からです。膣口部がいちばん緊張がかかるため治りが遅いのですが、少しでも膣口部分の皮膚に余裕を持たせようと陰嚢皮弁の基部に小三角弁を付設するようになったのは98年頃からです。尿道口の設置部位も残部尿道海綿体の勃起による隆起を目立たなくさせるため、年々深めに作られるようになり、2003年12月には造膣皮弁の一つに尿道海綿体を完全利用する大改良を行ったため、膣と尿道口は合理的に隣り合う関係に進展しました。また造膣皮弁の主体となる陰嚢皮弁の欠点と言われていた術後発毛も99年頃からは事前のレーザー脱毛の実施で、効率的に抑制できるようになりました。麻酔も手術時間の短縮により、97年末から腰部硬膜外麻酔だけになり、2002年の事故の後、性転換手術を2003年に東京の関連施設で再開するときは術後管理の安全対策を工夫することで、世界一複雑な手法の手術であるのに入院期間を2~3日にまで短縮化しました。相変わらず患者さんは紹介やツテでしか受けつけてませんが、表舞台での活動を始めたことで、紹介(意外に手術の判断が難しい‥)は増えてくるのかもしれません。

FtM乳腺切除術の始まり

2006-07-13 | Weblog
私のMtF性転換手術のきっかけは本業だった美容整形で、ニューハーフさんの手術をしていて、その延長で性転換の相談を受けたことが始まりでしたが、手術をしたいという動機もごく自然に理解でき、《障害の治療》という認識はありませんでした。大阪の勤務先だった梅田第3ビルの(今はもうない)Sクリニックで、ホルモン治療も行っていて、ニューハーフさんが毎日出入りするようになり、その伝でいわゆるおナベさんもちらほら来るようになって、始めの頃はおカマさんがいるならおナベさんもいて当たり前だろう、てほどにしか認識してなかったところ、昼間は普通にOLをしているが会社の外では男装しているというFtMの人が乳房を取りたいという相談で来られました。この事がきっかけで性自認障害という理解の仕方を真剣にするようになりました。今でこそ400例以上の乳腺切除術の経験がありますが、このときは正常な乳房を除去することには積極的になれず、まず脂肪吸引という方法で小さくしてみたらどうかと提案しました。男性ホルモン未治療だったし、たいして大きくない乳房だったので、それで何とかなるかと判断したのです。しかし脂肪吸引で確かに全体的には小さくはなったのですが、乳輪部分の膨らみは残ったままでした。患者さんにこれがいちばん気になるんだと言われ、その気持ちはよく理解できましたので、結局乳輪部切開による乳腺切除手術を行うことになりました。できるだけ傷跡が残らないようにと乳輪部切開だけでやるようにしたわけですが、実際やってみるとただ取りさえすればいいというような単純な手術ではないことがわかりました。小さな切開から裏の広い乳腺切除範囲の出血をいかに少なくし、止血するか、また乳腺を失うことで血流不足になり壊死する可能性のある乳頭をいかに守りつつ、縮小も同時に行うか、など解決しなければいけない問題は難解でした。また大きな乳房の場合は皮膚切除もして皮膚の弛みも処理しなければいけませんが、巨大乳房で悩む女性の手術と違い、小さくするのではなく、真っ平らにしなければならないので乳輪の縮小と移植をどう行うかなど新しく工夫しなければいけない問題がたくさんありました。この手術も、性転換手術と同じようにもう12年余りの経験を積み今までに色々な改良をしてきましたが、まだ完全に問題は解決されていません。そしてこの手術に関わることで、GIDの問題が意外に実数の多い深刻な問題であることにも気づかされました。

ようやく再開します(2)

2006-07-12 | Weblog
患者さんとの間接的なつながりで、出席される先生方の名前はすでによく知っていましたが、みな初対面です。この機会に何か発表を、と頼まれてましたので、手術説明用のスライドを2種類用意して行きました。出席されていた医療関係者は精神科が多く、外科系の先生はほとんどいなくて、あとは一般の参加者でしたので、発表は私が現在行っているMtF-SRS手術の解説用の簡略的なスライドの方だけを用いて、少し話をしました。また大阪医大の掘先生や関西医大の織田先生の各大学でのGID医療の取り組みの現況についての発表は色んな意味で考えさせられる興味深いものでした。私は精神科の先生方にとってはGIDの問題は鬱病や統失のように精神科的な治療手段がないし、厄介なだけで本心ではあまり興味を持っていないのではないかと思っていたのですが、少なくとも関西地区の先生方は非常に熱心に取り組んでおられ、敬服しました。本当に過激なくらい真剣で、びっくりしました。次々とガイドラインが改訂されていく事情もわかりました。関西では近畿大学では2001年から、大阪医大と関西医大では2003年からジェンダークリニックがスタートしているのですが、GID医療が遅々として進展しないのは他科、とりわけ外科系の体制がうまく整っていないことにあると痛感しました。逆に言うと、外科の対応がうまくいくようになれば、飛躍的に進展する可能性が大きいとも言えます。精神科の先生方はいつでもそれに協力的に対応できる準備ができそうです。たしかにそれにはまだ何にしても数年はかかると思いますが、少なくとも希望の見える状況なわけです。精神科の先生方から大歓迎を受け、また打ち上げ会でGID問題についてより突っ込んだ話もすることもでき、私としては大変良い機会を持てました。必ずあと数年で関西はGID医療の日本の中心になると断言できます。その動きを後押しする力の一つに私もようやくなれそうで、今まであえて孤立して頑張ってきたこともけっして無駄ではなかったと感慨深いものがありました。私は自分をガイドラインでは解決できないGID問題の現実の負の部分に関わっていく役目と考えていて、このように先走る医者が表の動きに関わるのはハタ迷惑なのではないかと思って遠慮していたのですが、実際にGID医療の現場に携わっている先生方はすでにこの問題の本質的な重要部分にも気づかれていて、話が通じあえて大変良かったです。見通しは意外に悪くないですよ。

ようやく再開します(1)

2006-07-11 | Weblog
ひさしぶりです。ログインパスワードも忘れてしまい、何度も追い出されてしまったのですが、やっと思い出して、自分のブログに入れました。今回はFtMの乳腺切除手術を始めたいきさつについて書こうと思ったのですが、それはまた後にして、最近の話題にします。先日大阪で、関西GIDネットワーク第1回会合が開かれ、大阪医大の庚教授に参加を促されましたので、私もやっと重い腰を上げてパネラーとして末席を汚させていただくことになりました。もともとMtF-SRSの手術症例が200例を越えた頃から、何らかの機会があれば、そろそろGIDの治療に関わる医療関係者との横の繋がりを作っていきたいと考えていたのですが、その後不幸なことに医療事故が起こり、業務上過失致死という刑事事件の容疑にかけられたことにより、体外的な発言を一切自粛せざるをえなくなりました。今年3月にようやく大阪地検の起訴猶予の判断を受け(この《起訴猶予》というのにも私としては承服しかねるものがありますが、その詳細はいずれまたお話します)長い呪縛から一歩歩みだすことができるようになりました。この間に形成外科学の会長からも人を介して私の性転換手術についての発表のお誘いなどもありましたが、刑事事件の嫌疑がかかっていることを理由にお断りしていました。個人的に大阪医大のジェンダークリニックの手術部門担当の先生にはずっと協力をさせていただきましたが、それ以外は完全にダークサイドに埋もれ続けておりました。今年3月に九州で第3版ガイドラインを出した第3回GID研究会が開かれましたが、刑事事件の解決が間に合えば、何とか出席しようと考えていたのですが、結局間に合いませんでした。私は外科医ですが、かねてよりGIDの問題を扱っている精神科の先生方との接点を持ちたいと思っていました。私の受け持つ患者層が多様化し、治療方針の判断に自分一人では決められないケースが増えてきてましたし、平成16年の戸籍特例法の施行で他の先生方との連携が必要になってきていたからです。関東はSRSに取り組む大学は埼玉医大だけですが、関西近辺には近畿大、大阪医大、関西医大、岡山大と、GID医療に特に熱心な精神科の先生方がたくさんいらっしゃいます。これで外科の民間病院(日本の大学は腰が重くて期待できません)での治療体制が整えば、関西ではSRSの医療が飛躍的に発展するはずです。そういうことで私も以前から関西の動向には注目をしていたのです。

閑話休題

2006-06-12 | Weblog
5月26日に最終更新をして2週間以上がたちました。急に忙しくなってブログを書く時間もなくなりました。別にまた医療事故が起こったわけではありませんので、安心してください。もともとこのブログは、できれば来年にホームページを作るため、そのコンテンツの一つとして書きためているもので、実際にホームページに使用するときは編集することになると思いますが、現在もなぜか数百人の方がたまたま見つけて読んでくれているようです。今のところ、コメントは受けつけてないですが、これは私のクリニックが一貫して広告をしていないことから、このブログも集客のためではないこと、またコメントを受けつければ、それに対し回答もしなければならないのかな、と思うと今とてもそんな時間的余裕がとれない状況にあるということなのです。私にはパソコンを開く時間が月に1~2回しかありません。患者さんから依頼された診療証明書を何人分かまとめて書くときだけです。ですから賢明な方はすでにおわかりだと思いますが、このブログはPCではなく携帯電話(PCビューアー機能のある機種)で、横になって休憩しているときにちょこちょこと書き込んでいるのです。今はそれすら忙しくなってできないような状況なのです。多分6月下旬になれば復活できるかと思います。これまでにだいたい平成9年頃までの話をかいつまんで書いてきましたが、実はそれまでにもたくさんの書き込めてない面白い話がいっぱいあります。今は平成18年ですから、まだまだ話は延々と続きます。まだ全体の2割も書けてない感じがします。画像も差し障りのないものは入れたいのですが、パソコンでないこと、携帯でのやり方がわからないことから無味乾燥な文字だけの見づらいブログになっているのは申しわけないと思っています。それにいろんな関係者がどうしても登場するので、肝心の自分が匿名(バレバレですが)なので、ほかの登場人物を実名にするか、イニシャルにするか、結構気を使って書いています。全部がイニシャルだと文章が読みづらくなりますから、絶対に迷惑がかかりそうにない場合は実名を使わせてもらって、話にリアリティをもたせ、読みやすくなるように工夫してあります。また私の携帯のPCビューアー機能では一回に約1000文字までしか書き込めません。それで、できるだけ一話1000文字で終わるようにしてありますが、どうしても続編を書かなければ話が終わらないことが多々あるのは仕方ないことですね。

性転換美容整形へ全力投球(2)

2006-05-26 | Weblog
何もしようとしない正統派の形成外科医達を見限り、私は所詮、異端無名である気安さから、たとえ捕まろうが脅されようが、医師としてやって正しいと思うことは徹底してやるぞという確信犯的信念で走り出しました。まもなく新聞やテレビで、埼玉医大の原科先生が性同一性障害に対する性別再適合手術としての性転換手術を実施できるよう大学に倫理委員会の設置を申請し、この障害に対する治療の必要性を問題提起していることが報道されました。治療の対象となる患者さんの層がやや異なるとはいえ、正統的な性転換治療の流れがこの日本でやっと始まることになり、自分の方向も間違っていないことに確信を持ち、少し安心できました。やがて私に対する脅迫電話は一切かからなくなりました。新しい治療が始まるには、実態としての現場の動きと建て前としての制度や仕組みの確立が共に必要だと思います。この埼玉医大の流れは私を助け、役立ちました。先ほどは性同治療に対する大学の取り組みがあまりに遅すぎると私は批判しましたが、こうした表向きの動きは遅くはなりがちですが、やはり必要であり、重要な意味があります。すでに私も始めていたFtMのホルモン治療や乳腺切除術を通じて、一般人として生活している性同一性障害の人達のイメージも理解できていたので、大学と私はそれぞれ違うタイプの人達を治療対象にしていくのだろうと思っていたら、平成9年春に京都のK先生から、学校で先生をしているという京大出のMtFの患者さんを紹介され、それまでニューハーフ中心だったMtFの性転換治療が幅広いものに進展する契機になりました。私は1からまた性自認障害、ことにMtFの場合について真剣に勉強していくようになりました。この頃からインターネットで直接色々な情報が得られるようになり、目を通した方がいい書物や文献、ビデオなども検索しやすくなっていましたし、TSやTV、ゲイの人のホームページも激増してきていました。平成9年末から当院のGIDの職業分類は多岐にわたるようになり、また個々人のパーソナリティの違いも様々であることが現実に痛感され、オカマでも何種類もあるのに、GIDも一筋縄で行くわけなく、患者さん一人一人を短時間で理解することがいかに難しい作業であるか思い知らされました。ただそういうことは実際に患者さんに直接接してわかるようになることですから、患者層が多様化したことは自分の経験値を高め、理解力を増すことに大いに役に立ちました。

性転換美容整形へ全力投球(1)

2006-05-26 | Weblog
ニューハーフを中心に口コミだけの連鎖で始まった私の性転換・美容整形ですが、本格的スタートをきった平成8年中にMtF-SRSはすでに数十例に達し、手術水準は急速に進歩しました。噂はしだいに広まり、特に平成8年はまだ性同一性障害という症病概念、それに対する性別再適合手術という治療の観念は一般的ではなかったので、昔の違法手術扱いの見方から、怪しげな連中による私への金目当ての脅迫、恐喝が絶えませんでした。私が今日まで性転換手術について公言せず、沈黙を守り、医師や当院患者からの紹介がなければ受けつけないという姿勢を貫いてきた理由には色々とありますが、余計な人達からの下品な干渉介入から患者と治療環境を守りたいというのも一つの理由です。医療は誰のためのものでしょうか?極論を言えば、私は患者一人一人の苦しみからの救済、手助けのためにあるのであって、国や法律や宗教などは一切関係ないと思っています。たとえ違法だろうが、患者は苦しみから救われる権利を人として当然有しており、誰かに不当な迷惑をかけるわけでもない限り、医師は患者に救いの手を差し伸べるべきだと思います。法律や社会が許さないといっても、そんなものは無視してよい・たとえ罰せられても医師として覚悟の上だ・国や法律ができる前から医療は存在してるんだというのが私の信念です。どうもこの過激な医療観が私を医者らしくない医者にしたみたいです。たとえ病気でなくても医者が救える苦しみなら手を差し伸べるべきだという考え方が私を形成外科、美容外科、そして性転換手術へと向かわせたようです。最近は形成外科や美容外科が医学生に人気なようですが、いったい何を考えてんでしょうか。正統派の多くの医師達は性転換手術を無視し、性同一性障害を30年間も見捨て続け、やっと10年前に始まった大学の精神科・外科の性同治療もこの10年間で、目の前にいる患者たちにどれだけのことをしてくれたでしょうか。何一つ評価しないと言うつもりはありません。しかし10年も経っているのにまだこれだけなのかという患者たちの悲鳴、初診まで半年~1年、手術まで3~5年という非効率な診療実態はいったい誰に責任があるのでしょうか。治療が治療の体をなしてないのに定められたガイドラインにどれだけの重要性があるでしょうか。すべて医者が医者の義務を果たさず、特に外科医が性同を理解できず、トラブルを恐れ、手術に対し消極的なままやってきたことが諸悪の根元なのです。