「いつも心に太陽を」
こんにちは、皆さん
『鳥羽寮』の案内人「xx448」こと、上條です。
さて、今日は、とうとう鳥羽寮の卒寮日となりました。
このブログも長いもので、
始まったのは、2004/10/7(木)で
今日は、2009/6/7(日)ですので
4年と8ヶ月となりました。
この
ブログを始めた理由は
私自身が記憶の減退を感じ、毎日の事柄を記録するために始めました。
しかし、途中からは、
地元、全国、時には中国の友達に、私が日々何を思い、どのように行動しているかをメール代わりに伝える為のツールと変わりました。
思った以上に皆さん喜んでくださり、本当に嬉しかったです。
さて、最後なんで鳥羽寮の日々の
アクセス数なんかも発表したいと思います。
毎日どれ程の訪問者が来ていたかといいますと
記事を書かない日は、約40人
記事を書く日は、約80人 でした。
毎日記事を書くわけではないので、一週間では、約400人程の訪問者でした。
自分で言うのもなんですが、内容がそんなにあるブログでもないのに、結構な訪問者数ですよね
長い間の謎です
さて、このブログを閉じる理由ですが
その前に、この記事をご覧ください
2008/6/7 『ある土曜日』
あれから一年が経ちました
時の流れは、早いものですね
皆さんにとっては、どのような一年だったでしょうか
私にとっては、意義ある一年でした
さて一年前の約束の答えですが
この一年の間に私が描いていた、今日という私の望んだ姿は
『支えられる人間になりたい』
でした。
何が人生を変えるほど人の心を動かすかは、誰にも解りません。
きっと、それに出会うまで、それは本人にすら解らない事なんでしょう。
早いにしろ、遅いにしろ
その出来事が小さいにしろ、大きいにしろ、それは、皆にもあるはずです。
わたしは、運良くそれに出会うことが出来ました。
そして、それに向き合い成長するには、今以上に己を律する事が何より重要だということが解りました。
鳥羽寮は、長い時間を経て、普段会えない方とのツールとなってはいましたが
わたしにとって『記憶の保管庫』である事に間違いはありません
いつの間にか、私は、『記憶の保管庫』に普段の事柄を記憶することを頼りすぎていました。
記憶の減退を感じたなら、もっと普段から自分を強化する事に、記憶をうすれさせない努力をすべきでした。
私は、いつの間にか、現実世界で甘えが出、鳥羽寮のように後で見ればいいや的な感じで、後で聞けばいいやとばかりに肝心な事を人に話し、あろう事か、その時の出来事を忘れる始末となっていました。
これでは、いけない
ここらで歯止めをかけなければっ!、
『支える人間』には、まだ程遠いわたしですが、先に続く私の課題が見えました
これです
『他人の記憶には、頼らない』
です
これの訓練には、やはり鳥羽寮の卒寮しかありません。
これが、鳥羽寮の卒寮の理由です
皆さん、今まで本当に『ありがとうございました』
次に会う時は、ネット上ではなく、現実であいましょう!
向かい合って、しゃべって、笑って、叫んで、泣いて、時にいがみ合って、それでも、又、笑って
私達は、そうして出会ったのですから
北海道のみんな
九州で出会ったみんな
兵庫、大阪のみんな
中国のみんな
齋藤君
三重県の皆さん
たけちゃん
ゆーきゃん
AGE
そして、見ていてくれた名を知ることもできなかった多くの皆様
長い間、鳥羽寮を愛してくださり
心から、
『ありがとうございました。』
又、いつか会いましょう