そらはなないろ

俳句にしか語れないことがあるはずだ。

アメリカ!

2010-03-01 12:42:57 | Weblog
学会(Lunar and Planetary Science Conferenceみたいな名前の)のため、テキサスのヒューストンに来ています!今度こそNASAに行くぞ!

日曜日には日本に帰ります。

何か御用のある方は、ケータイのアドレスには通じないので、パソコンのアドレスまでお願いします!

ちょっとにちょっと、にあれこれ、にちょっとずつ

2010-02-03 21:34:12 | Weblog
豈ウィークリーに「鶏頭論争もちょっと、にちょっと」(http://haiku-space-ani.blogspot.com/2010/01/blog-post_3050.html)を書かせていただきました。いわゆる、「ゆうむくんのあれ」(http://twitter.com/mone424/status/8563655115)と称されているやつです。

ありたがいことに、思いのほかいろいろな方からご反応をいただきまして、その多くは、拙論がいかに的外れかを指摘してくださっている。これが議論として盛り上がっているものなのか、それとも不毛な論争になっているのか、僕にはよく分からないが、せっかくいろいろな方に書いていただいたので、それらに対する雑感を述べておきたい。

・たじま屋のブログ http://moon.ap.teacup.com/tajima/996.html

たじまさんの言いたいポイントはいったいなんだろうか。たとえば以下に3つのポイントになりそうな段落を抜いてきてみる。

太平洋戦争中に不幸な時代状況のなかで特攻隊として犠牲になった若者たちと、現代社会でうつ病になるまで働いて自殺してしまうサラリーマンのあいだに、「たまたま不幸な時代だったから」という回答しか与えられないとしたら、それはただの想像力の欠如に過ぎないのでは?

「ひとりの人間に起こる出来事は、いつの時代も過不足なく起こる」からこそ、それを請け負うのは「自分」でしかない。

鶏頭論争の中心課題は、この山口氏が「自分たちの言葉」と呼ぶような領域が実は存在せず、それを請け負う「主体」と呼ぶべきものが作品を後から追ってくる、という点にあるのではないかしらん。

たじまさんが並べるこれらの言説の間にいかなる論理的な関連があるのか、それ以前にこれらの言説がそれぞれ何を言わんとしているのか、僕の頭ではよく分からない。「回答」とはどのような問いに対する回答のことなのだろうか?中心課題って、何に対する課題のこと?

そもそも、「ひとりの人間に起こる出来事は、いつの時代も過不足なく起こる」って本当なのだろうか?ここで言う過不足とは相対的なものか、絶対的なものか…とか言い出したら、結局不毛な議論になりそうな気がしてきた。どういう意味であれ、これを否定することは「想像力の欠如」、ということになるのだろうか。

すみません、本当によく分からないのだけれど、

おい、おい。それは「状況」がふざけているわけではないんじゃないかな?

という指摘に関しては、確かに。「ふざけた状況」と書いたのは適切な言葉遣いではなかった。「不幸が無いのが不幸」というのがふざけた言説だ、というニュアンスで書きたかったのが、言葉が足りなかったです。

・俳句的日常 http://tenki00.exblog.jp/10728023/

「物語を欲しがる君たちへ」というタイトルがついているけれども、これは僕に言っているのだろうか。

いや、別に、物語がほしいわけではないです(きっぱり)。

天気さんはさらに聞いてくる。

「平和な日常を甘受」すること、どこにでもいる人間であること。それでなにか問題があります?

いや、全然問題ないです。

確かに天気さんの引用した部分における僕の記述の仕方は、時代というものに対して不満たらたら、な書き方をしたけれども、それは結論ではない。そもそも、僕が「虚構」などという言葉を使ったからいけなかったのだろうか。別に僕は物語がほしくて虚構を立ち上げるなどと言ったわけではない。過去の俳人の少なくとも一部は物語の中にいることがその面白さの一部を構成していると僕には感じられるわけで、そのような過去の俳人と同様の物語を自分たちは手にしてはいない、ということが僕の主旨である。自分を取り巻く「貧弱」な「物語」から脱却したいと、他の同世代の人たちが考えているかは本当はよく分からないけれども、少なくとも僕自身は思っていて、それは「不遜」と言われるかもしれないけれど、実感なのだから仕方がない。

それがドラマチックであれ、平平凡凡たるものであれ、物語というものから抜け出し、十七字が十七字のままで受け取られる状況を「虚構」と呼んだのだけれど…確かに、うまく伝わらないかもしれない言い方ではありました。最終的には天気さんの言う「俳句の十七音を誠実に読むこと」とそんなに違うことを言ったつもりはないのだけれど。作者名を入れて読んだときに面白い俳句が過去にはあった(もちろん、そうではない俳句もあった)。今は、作者名を入れなくても面白い俳句を作ってゆかざるを得ないのではないか(これは僕の実感に過ぎないので、そうではない方向性もあるかもしれないけれど)。その違いは、時代状況によるのではないか。まとめるとそういうことになる。

だから、別に物語はなくてもいいのですよ。

・青山茂根さんのコメント 

「実験してみたら?というのが私からの提案です。」

という主旨のコメントでしたが、どこからどうして、作者名を消したときにどこまでやれるか、という話になったのか、よく分かりませんでした。たぶん、いろいろな人に自分の意図とは違ったふうにうけとられているということ自体、僕の書き方がとてもまずかったということなのでしょう。

僕の名前がついていようがいまいが、それによって僕の句は影響を受けないと僕は考えています。もし影響を受けるかどうか実験してみたら、という主旨の発言だったとしても、「評価」に影響を与えるかどうかではなく「読まれ方」に影響を与えるかどうかを見なければならないのではないでしょうか。現状でだって、「御若いのに御上手ねえ」という評価をいただく以外では僕の句が読まれるときに僕の人生が引き合いに出されることなんかほとんどありません。つまり、わざわざ作者名を消して実験するようなことは何もない、ということです。

もしも実験することがあるとしたら、逆に、僕の名前が僕の句についているときにどのような読まれ方があり得るか、ということを見るべきであって、それこそが新撰21の100句だった、とも言えるでしょう。やはり、今のところでは、名前がついててもついてなくても、読まれ方そのものには変わりはなかったように僕には思えますが。

新撰21と言えば、やや話はそれるけれども茂根さんはツイッター(http://twitter.com/mone424)上でそろり亭さんのブログ記事「週刊俳句145号(http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010/01/145.html)」中の「ちょっと、『新撰21』で、盛り上がりすぎじゃないですか?」という発言にも反応されています。そろり亭さんとはやや違うニュアンスかもしれないけれど、僕もずいぶん盛り上がっているなあ、と思っていたところだったのですが、茂根さんはそうは思われなかったようで、どうやら否定的です。僕が気になったのは、

だいたい、「決定打!」って発想もしくは語彙がどこから出てくるんだろう。ハウツー本の読みすぎでは。文学にも芸術にも人生にも俳句にも正解は無い。

と、茂根さんが言っているところ(http://twitter.com/mone424/status/8585210943)。これは、そろり亭さんの

『新撰21』が、決定打!になっては、いけないのです。決定打!なんて、この手の企画で出て良いのかどうかもよくわかりませんが、ともかく、褒めすぎは禁物。

という発言に反応されてのこと。「褒めすぎは禁物。」というのは、確かに茂根さんの「誰もほめたおす会企画してません。」という反論(http://twitter.com/mone424/status/8545856264)も首肯できるのです(ここでいう「褒めすぎ」は、毀誉褒貶含めてそもそも「話題に上らせること」全般を言っているように僕には思えましたが、まあ、そう取られるとも限らないでしょう)。けれども、決定打!になってはいけない、とそろり亭さんは言っているのに(つまり新撰21が若手アンソロジーの決定打になるかもしれない怖れを何かの理由でそろり亭さんは感じ取り、それを忌避すべきだと言っているのに)、なぜ「決定打!って発想」云々の話になるのだろう。人がそれを否定しようとして持ち出してきた語彙を批判する。受験対策の用語(http://twitter.com/mone424/status/8589139948)?そんなこと考えるの、不毛じゃないですか?

茂根さんには、ぜひ、ツイッター中の発言、「これが俳句甲子園出身者の思考なんだと思われてしまうだろうに(http://twitter.com/mone424/status/8563655115)」のところを、詳しく聞きたいと思いました。

・小川春休さんのコメント

書くべき境涯や背景がない、というのも、これまでの世代では有り得なかった特殊な状況なわけで…。

と、小川さんはコメントなさっています。本当にそうなのかどうか、というところが、目下、僕の一番知りたいところです。実感としてはそんなような気もするし、実はもうずっとそういう話になっているような気もするし。

芭蕉や子規、波郷などの境涯や背景とは比較にはならない平々凡々たる我が生活ですが、開き直って「そこ」を描いて、平々凡々の先に何かを見出すという行き方もあるのかな、と。

確かに、そういう「戦略」もあるのだろうな、と思います。僕はまた、違うことを詠んでいきそうです。

ブログを更新している場合じゃない

2009-12-29 22:12:50 | Weblog
惑星科学を研究しております、山口優夢です。お久しぶりです。週刊俳句に書いたり、銀化に書いたり、たまーに豈ウィークリーに書いたり、なんだか他のメディアに書かせていただく機会が多くて、ついついこちらは御留守になっていました。正直、このままうっちゃっておいてもいいかというくらいでしたが、非常に、きわめて個人的な、どうでもいいことをどうしても書いておきたくなってしまって、開きました。

(1)角川「俳句」1月号について

鼎談で、僕の作品について触れていただきました。ありがとうございました。それ自体は大変うれしいのですが、一応、訂正しておきたいことが。僕のことを岸本尚毅さんが説明してくださっているくだり。

岸本 開成高校から「俳句甲子園」に出た人で、東大大学院で宇宙物理をやっている。昭和六十年生まれですね。

「火星の研究をやっています」と言うと、だいたい「ほー、天文学ですか」と言われますが、違います。天文学とか宇宙物理とかは、ブラックホールとか恒星とか銀河とか、下手したら全宇宙の構造みたいなことを研究する分野で、僕がやっているのは、どちらかと言うと、地球科学をベースにした研究になるわけで。

地球と他の惑星を比較つつ、自分たちの生きているこの大地の成り立ちを知りたい、そういう学問です。まあ、天文学ということにしておいてもいいのですが、最近あまりにも間違えられることが多いので、一応。天文学とかやるほど数学できないっす。。

(2)「俳句e船団ホームページ 日刊この一句 2009年12月29日分」について

以前はネンテン氏が日替わりで古今東西の俳句を紹介していたこのコーナー、現在は船団の塩見恵介氏が担当している。

2009年12月29日分では、船団会員の藤田亜未の句を引き、彼女のことを「大阪在住、20代の気鋭。」と紹介して、次のように述べている。

今年の「俳句年鑑」や近刊の「新撰21」などの若手には、関西のいい若人たちはほとんど顔を見せていない。例えば、(以下、中略)などとは、遜色ない良い作家が沢山いるのになあ。もったいない。

こうして引用すると誤解されるかもしれないが、上記、「(以下、中略)」とは僕が入れたものではない。もともとの文章に、このように書いてあったのだ。

俳句年鑑はよくわからないが、新撰21に関しては、確かに人選についてあれこれと異論が上がっているのは聞いている。特定の結社、同人誌に人が偏っているという指摘は林誠司氏から出ていたものの、それは今週号の豈ウィークリーのあとがきで、高山れおな氏が反論し、なおかつ林氏自身、誤りを認めている。ただし、東京近辺の人に偏っていて、関西方面の若手が入っていないという事実は確かにあるかもしれない。

しかし、塩見氏のこの指摘はどうだろうか。「(以下、中略)など」だなんておどけてみせて批判の対象をぼかしているこの書き方、僕にはどうしても気持ち悪くて宜えない。誰のことを言いたいのか、なぜ隠す?と言うよりも、隠すくらいなら言わなければいい。

前述の、今週号の豈ウィークリーの高山れおな氏のあとがきは、林氏に対して相当手厳しい批評を加えている。れおな氏一流の厭味たっぷりの言い回しで、こんな攻撃をうけた林氏に同情してしまうくらいだ(とは言え、れおな氏の言っていることはまっとうだ)。しかし、塩見氏の指摘に比べたら、全く気持ち悪さがない。それは、自分自身をその言説に賭けていることが伝わるからだろう。

塩見氏にはお世話になったことがあるだけに、この記事については残念に思った。僕自身、関西にいい若手がいることを知っているだけに、余計に。

今度はアメリカ

2009-03-22 08:02:32 | Weblog
週刊俳句「ロシアに2泊3日で行ってきました日記」

一日目「抱きしめたい」http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/03/blog-post.html
二日目「帽子に目がくらんで」http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/03/blog-post_3117.html
三日目「箱庭の外で犬が鳴く」http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/03/blog-post_4040.html

週俳に連載させてただいていたロシア旅行記が3回で完結しました。ロシアに行ったことがある!という人は少ないでしょうから、ロシアがどんなところか興味ある方は一度ご覧になっていただけると嬉しいです。

その週俳は、今週号で100号を迎えました。いやー、めでたい。

春めくと枝にあたつてから気づく 鴇田智哉

他、20名が5句づつ出されています。中嶋憲武さんのエッセーの遊びっぷりと、神野紗希さんが1句無季を出しているのが、おおっと思った。

ところで、ロシアに行ってきたばかりですが、今度はアメリカに行ってきます。いつから行くかと言うと、実は今日から。22日15時に成田を出て、現地時間22日14時過ぎにヒューストンに着くようです。時間を遡っていて、なんか変な気分。29日の夕刻に帰ってきます。

ロシアのときと同様、電話は通じますが、べらぼうに電話代がかかるようなので、緊急の場合のみでお願いします。

ロシアは遊びの観光旅行でしたが、今度は学会。LPSC(Lunar and Planetary Science Conference)という、惑星科学関係では一番ってくらい大きな学会です。緊張します。英語しゃべれないし。

もしも僕の研究に興味のある人が居れば(いるのか?)、以下のアドレスから、研究内容を見ることができます。pdf形式です。

http://www.lpi.usra.edu/meetings/lpsc2009/pdf/1630.pdf

英語が沢山書いてあってすごい、と思うかもしれませんが、ほとんど先生に直されたものです。。もっと勉強しなければ。

そんなこんなで行ってきます!

シベリア鉄道

2009-02-19 22:52:16 | Weblog
伝えておくれ
十二月の旅人よ
いついついつまでも待っていると(『さらばシベリア鉄道』唄・太田裕美)

・・・いや、僕が行くのは十二月ではなく二月ですが。

明日からロシアに行ってきます。シベリア鉄道の三人旅。なんと二泊三日。ハバロフスクーウラジオストック間、12時間かけて走ってきます。シベリア鉄道全体で見たらごく一部分ですが、今からわくわくしています。

モノポリーは買ったけど、乗車後はやっぱり俳句を作っているような気がします。句会できればしたいけど、まあ、そういうテンションにはならないだろうな。シベリア鉄道で句会した人なんていないだろうから、面白い気もするんですが。

現在はもちろん春ですが、ロシアはマイナス20度の世界なので、持って行くのは冬の歳時記になるかと思います。

ドコモで海外でも使えるケータイを借りました。現在使っている番号で通じるのですが、日本から着信するとべらぼうな電話代がかかるようなので、よほど緊急の用事でなければご遠慮願いたく。

メールもできるみたいですから、メールはじゃんじゃん送ってください。あんまりじゃんじゃんでも、困りますが。

この線路の向うには何があるの?
雪に迷うトナカイの哀しい瞳
答えを出さない人に
ついてゆくのに疲れて
行き先さえ無い明日に飛び乗ったの

トナカイ!・・・本当にいるんでしょうか?僕の場合、シベリア鉄道への憧れの半分以上は、この歌を聴いたことによります。いい歌です。太田裕美の声が澄んでいて。『木綿のハンカチーフ』より好きです。作詞・松本隆、作曲・大瀧詠一ですからね。ですからね、って言っても、大瀧詠一の歌、そんなに知りませんが。

それ以外に僕が持っているロシアに関する知識は、『チャイルド44』を読んだこと、タルコフスキーの『僕の村は戦場だった』『惑星ソラリス』を観たこと、それから大学でロシア語をとって勉強したこと、くらいです。

ロシア語・・・。正直、あんまりしゃべれる気がしないです。てゆうか、まあ、無理です。しかし、三人の中でまがりなりにもロシア語を知っているのは僕だけ。うーん、心細い。

ロシアから新潟に飛行機で無事帰ってきたら、温泉に浸かってから東京へ戻ってきます。佐渡ヶ島で温泉に入ってくるのです。シベリアに佐渡ヶ島って、流刑地めぐりですか。

忘れられない旅になることでしょう。

わくわく

・・・ロシア土産って、思いつかないので、土産より土産話を期待していてください。

銀に化けました

2008-12-24 23:07:06 | Weblog
お久しぶりの更新です。

最近はもっぱらブログ以外のものに文章やら俳句やら書いていました、ってわけで、その一覧を出しておきます。宣伝です。

・週刊俳句84号 http://weekly-haiku.blogspot.com/2008/11/blog-post_30.html

第一句集を読む、のコーナーで「「僕」の鎮魂 『まぼろしの鱶』を読む」を書きました。『まぼろしの鱶』の作者は三橋敏雄。彼の句の中では、今のところ

僕の忌の畳を立ちて皆帰る

が一番好きです。その辺について語っちゃってます。

・ー俳句空間ー豈weekly17号 http://haiku-space-ani.blogspot.com/2008/12/47.html

依頼されたわけでもないのに、持ちこみ原稿で「豈47号を読む 特集『青年の主張』編」を書きました。あーだこーだと文句をつけてしまいましたが、もちろん、それは、特集を楽しませてもらったという前提があるからで。相子さんの記事に考えさせられるところが一番多く、さいばら氏の記事に新しい視点を提示していただきました。

・ー俳句空間ー豈weekly18号 http://haiku-space-ani.blogspot.com/2008/12/4713.html

こちらも持ち込み原稿で「豈47号を読む 特集『安井浩司の13冊の句集』編」を書きました。これもさんざん文句を垂れてます。もう少しやわらかい書き方ができれば良かったのですけれど。安井浩司の句では

喰いかけの蟹の裏面林に落ち

という句がグロテスクで素敵ですね。神野氏の記事が読み応えがありました。

・角川俳句1月号 若手新春競詠

「遠近」というタイトルで8句出しています。短いエッセイも載っています。若干、肩に力の入りすぎた文章になっていますが。

近影はシャーペンを持って写っています。そして必要以上に笑顔です。これはなぜかと言うと、「凛然たる青春」に載っている高柳克弘氏の格好を真似てシャーペンを持ち、斜めの角度から写してもらおうとしたのだけれどもなんだかおかしくてふき出してしまったところをばっちり撮られているから、です。

×××

これらの記事を、いくつかのブログで紹介していただいています。感謝しつつ、ご紹介しておきます。

・たじま屋のぶろぐ http://moon.ap.teacup.com/tajima/625.html

12月10日の「訪れる謎=リアル ~相対性俳句論(断片)」で、「豈47号を読む 特集『青年の主張』編」に触れてもらっています。相子氏の記事や、それに触れた僕の記事中の一つのキーワードになっている「リアル」というのが、単なる日常性のことを言っているに過ぎないのではないか、リアルというのは、そうではなくて日常性を打ち壊す「現実」である、という指摘、興味深く拝見しました。

そのような形で俳句の外部からやってくるリアル(謎、とも言い換えられています)とは何か、はっきりとは分かりませんが、そのようなリアルが決して能動的ではなく受動的に得られるものだという捉え方に惹かれました。ということは、俳句の中にあるリアルは、俳句だけでは十全に示されていなくて、それを可視化するために俳句批評というのはあるかもしれないですね。

・和人のお仕事&俳句日記 http://d.hatena.ne.jp/kazuto0328/20081210

12月10日のエントリで同じく「豈47号を読む 特集『青年の主張』編」を紹介していただいています。ありがたいことです。

・鯨と海星 http://saki5864.blog.drecom.jp/archive/322

12月14日の「週刊俳句」というタイトルのエントリで「豈47号を読む 特集『安井浩司の13冊の句集』編」に触れてもらっています。特集『安井浩司の13冊の句集』中の神野氏の記事についての僕の指摘の中で、やや甘いところを指摘し返されています。まだまだ修行不足です。

・高柳克弘のページ http://sun.ap.teacup.com/katsuhiro/

12月16日の「カエル」というタイトルのエントリで「豈47号を読む 特集『安井浩司の13冊の句集』編」に触れていただいています。頭の下がる思いです。勝手に写真のポーズを真似しようとしてすみませんでした。

×××

さて、急に話は飛びますが、あれやこれやすったもんだの挙句、わたくし山口優夢は結社に入ることになりました。このエントリのタイトル通り、銀に化けたところです。ギンギラギンにさりげなく。

結社というものがどういうところなのか、よくよく見ておきたいと思っています。一人でいるだけじゃ見えてこないこともあるでしょうし、ね。

『荒東雜詩』を読む

2008-10-24 03:11:00 | Weblog
麿、変?

 その句集を手に取ったとき、僕は懐かしい景色を手にしていた。これは、詩的な比喩や感傷的な錯誤ではない。また、句集を手にした誰でもが僕と同じように懐かしい気分に襲われるという意味ですらない。実に個人的な感慨に過ぎない。その表紙および裏表紙いっぱいに写された町の風景は、正に僕の生まれ育った町・西葛西だったのである。

 西葛西の駅から北へ歩き、マツモトキヨシの角を左に曲がって少し歩くと、ジャスコ西葛西店がある。裏表紙の写真の公園の奥の方に小さく映っているピンクの看板が、それだ。この公園はジャスコからさらに北へ少し行ったところに広がる行船公園だろう。ここに映っている子供たち同様に、僕もまた、そこで遊んで育った。表紙は、その同じ敷地内にある小さな動物園。

 なぜ、表紙が西葛西なのか。もちろん、作者が住んでいる町なのだ。そしてこの句集全体を通しておそらくもっとも使用頻度の高い言葉は「西葛西」という地名であろう。しかし、奇妙なことに、「西葛西」という言葉は、句集に収められた俳句の中では一度も使われてはいない。これはいったいどういうことか?答えは、前書き、である。

 この句集において、誰もが認めるところであろう最も大きな特徴は、すべての句に前書きが附されていることだ。前書きというのは、普通、俳句の詠まれた文脈を特定するために句の前に書かれる言葉や文である。場所や時間、その時の状況など、五七五の中に盛り切れなかった立ち位置の設定として使われる。

 たとえば、試みに手許の「セレクション俳人 小澤實集」を繙くと、次のような例がある。前書きに「武者小路実篤展」とあり、
西瓜より大きく描きぬ西瓜の絵
と、俳句が続く。つまり、この句では、西瓜より大きな絵を描いたのは、その辺の画家や元気いっぱいの子供などではなく、武者小路実篤であると読ませたいのだ。確かに、彼の描いた絵はその小説作品同様におおらかで、西瓜よりも大きな西瓜の絵もあるのかもしれないと思える(そして、実際にあるのだろう)。西瓜の絵の大らかさは、武者小路によってその絵が描かれたという背景の設定によって、より明快に読者に伝わる。同時に、小澤が書きたいのは西瓜の絵を通して見えてくる武者小路なのであり、その点で、この前書きは作者にとっては必須なのだ。

 芥川龍之介のつける前書きは、単なる舞台設定を越えて味わい深いものが多い。かの有名な
水洟や鼻の先だけ暮れのこる
の句の前書きはただ一言、「自嘲」である。どうにもできない生理的現象がこんなにもさびしいものだったとは、僕はこの句をもって初めて知ったのだった。

 立ち返って、この句集における前書きはどういうものか。たとえば、以下のようなものである。

 聖なる大老って誰さ。
聖大老を馘れば噴く春光よ
 麿ですよ。
たんぽぽのたんのあたりが麿ですよ

 二句並べて抜き出した。一段下がっているところが前書きである。自分で自分の句にツッコミを入れる。そして、それを次の句まで引っ張り、先人の句を使っておどけて見せる(「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」坪内稔典)。前書きによって二句は強引につなげられ、一句が独立してひとつの世界を作るという前提はあえなく崩壊する。首を切られた聖大老はたんぽぽの「たん」のあたりにちょこんと坐り、俳句を書いている「麿」に変身する。いや、あるいは、聖大老とはネンテンのことだったか。

 また、

 ゲイで女優で占ひ師の彼は鎌倉には行けないと言ふが、
 霊感なき俳諧師にはもちろん何の問題もない。
あじさゐの声か梁塵秘抄とは

 このように奇妙なかたちで人物を登場させてみる。ちなみに、鎌倉には紫陽花寺と呼ばれる紫陽花の名所がある。そこで作られた句なのだろう。普通の俳句作者ならば

 鎌倉
あじさゐの声か梁塵秘抄とは

 とでもするところだが、そして、それでも十分鎌倉の歴史の深さを感じることはできるが、「ゲイで女優で占い師の彼」が結局は鎌倉に来なかったのであろうということを介して、鎌倉という歴史、鎌倉という土地の一種異様な恐ろしさ、神聖さが強調される。

 〈ヘンリーⅤ世とかけて機関車トーマスと解く、そのこころ豊旗雲は〉
人面機関車水漬く草むす夏のひばり

 前書きとして短歌や俳句をつけているものも多い。しかも、この句は機関車トーマスがモチーフとしていること自体が常識を逸脱しているが、それをわざわざ「人面機関車」と呼びならわすことでアニメを現実世界に継ぎはぎしたような気持ち悪さを端的に言いとめているところが面白い。中七以降はそれを狙い過ぎな感じもなくはないが。

 しかし、ここまでで紹介した句は、この句集の前書きとしては大変わかり易い部類のものだ。そうではないものとして、たとえば以下のようなものを挙げられる。

 〈西瓜割る麿の怖さにちびるなよ〉
西日の渋谷で生まれたやうな気がするの

 ペア・クラーセン氏にインタヴューする。
 〈黒い森〉からやつて来た老デザイナー。
 ―立方体の哲学、17の神秘、木登り、ゲーテ、母の思ひ出
春の夜のタクシーが来る母のやうに

 〈庭燎の庭をめぐれる妻はそのむかし夢に犯せし女ならずや〉
一卓の雲丹づくしなる攘夷論

 これらの前書きは、本来的な意味での前書きとして読まれることを期待しているとは思えない。

 「西日」の句は、句と前書きをセットにして見ると、二人の人物の対話のように見える。しかも、全くかみ合わない会話。そのすれ違い方が、お互いを目の前に置きながら自分しか見ていない(それぞれ話しているのは自分のことなのだ、しかも、どこかに自己陶酔の匂いがする)うすら寒いやり取りを思わせる。「タクシー」の句は、インタヴュー帰りに老デザイナーをタクシーに乗せたのだろう、と思わせる。つまり、前書きが、舞台設定という従来通りの働きをなしているかのようにみえる。しかし、「母のやうに」という措辞は、実際のタクシーのやってくる情景を思わせるのではなく、前書き中の「立方体の哲学、17の神秘、木登り、ゲーテ、母の思ひ出」とシンクロするように書かれている。前書きが舞台設定なのではなく、前書きの言葉が俳句を引き出しているのだ。「攘夷論」の句になるとさらに状況は混沌とする。妻についての妄想と攘夷論は常識的範囲ではいささかも交わらない。逆に言うと、それを交わらせることそのものが、この句の眼目なのではないか。つまり、前書きと句、なのではなくて、これは二行詩なのである。暴力的な男たちへの挽歌、といったところか。

 このような前書きの中で、唯一シリーズとしてたびたび出てくるのが「西葛西地誌」である。

 西葛西地誌 その五 子供の広場
 〈コンクリートの恐竜ぐわばと口あけて空の深さを讃へてゐるか〉
一本の椎の若葉が数へきれぬ

 西葛西地誌 その二十四 ドン・キホーテ本社
能面をつけて集まる秋の暮

 西葛西地誌 その二十六 ジャスコ葛西店
うどん屋が古きナイルの波止場なり

 「椎の若葉」の句は、まだ分かる。広場に椎があるのだろう。その明るさまで見えてくる。しかし、「能面」と「うどん屋」の句になると、その前書きとの関係は完全に意味不明のものと化す。西葛西という土地にこだわって、句集中に二十以上も「西葛西」が前書きに入る句があるのに、彼は少なくとも俳句においては「西葛西」という土地をほとんど描写しようとしない(ように見える)。西葛西は、それ自体が単なる句集の素材なのだ。それも、描かれる対象ではなく、一句に対してとり合わせられる対象としての素材。

 しかし、なぜ、もうその一句だけで完結している俳句に、わざわざ西葛西がとり合わせられなければならないのか?彼にとっての西葛西とは何なのか、それを探ることが、彼にとっての前書きとは何なのか、を探ることにつながってゆくのではないかと、僕には思える。

 彼にとっての西葛西、それは分からないが、西葛西という土地が与える印象を、実際にそこに住んでいる僕は語ることができる。それは、平板な土地である。故郷と呼ぶにはあまりにつまらない土地である。マンションや団地の並ぶ住宅地。ほとんど何の歴史も、固有性も感じられない埋立地。僕は長い間、山にあこがれていた。山の見える景色の中での生活は、僕には新鮮なものだった。この土地には、坂ひとつありはしなかったからだ。駅前と幹線道路の周りは栄えているが、そこを離れるとあとはただの住宅地が、どこまでも広がっている。なんというつまらない、匿名性の高い土地なのだろう。住むということで消費されるしか能のない街。

 彼が西葛西にこだわったのは、この匿名性のためではないのだろうか?地元民の直感として、僕にはそう感じられる。彼がもしも田園調布や下北沢、高円寺、神楽坂のような、地名を聞いただけで何らかのイメージの浮かぶような土地に住んでいたとしたら、「○○地誌」というような体裁の前書きは、はたして作られていただろうか?

 匿名性は、言いかえれば日常性である。今日が明日であっても同じ世界。しかし、その中で生きていかなければならない現代の我々。その代表としての西葛西なのではないだろうか。僕はたまたま知っていたが、そもそも、ふつうの人は西葛西という土地をほとんど知らない。具体的なイメージも持っていないに違いない。その西葛西を前書きで具体化していくことによって、彼はまさに自分のいまいる日常を強調する。

 西葛西地誌 その三 ampm中葛西店1丁目店
 二十世紀の空はもう見えない。
 すごい付け爪の少女が、お茶と新聞を売ってくれる。
 泰山の私有へのあふれの午後。
貝寄風に目のあけられぬ蒙塵や

 だからこそ、こんな前書きが登場する。しかし、日常だけが前書きではない。日常はあくまでベースである。前書きの本当の意味は、もう少し俳句そのものを見てみないと分からない。

 この句集におさめられた句は、上手な句が多い。ためしに、目についたものを句だけピックアップしてみる。

初夢の志士きりもなし鳥の貌
雛の闇みんな煙になつてゐる
あかあかと艦の往きたる寝釈迦かな
七夕や若く愚かに嗅ぎあへる
くだら野に緋の一騎など見えないよ
布団いま剥げば無数の我ならむ

 「ならむ」のような文語も「見えないよ」という口語も使いこなせる多様な文体、「若く愚かに」や「緋の一騎」のような印象鮮明な語の選択、俳句全体から立ち上がってくるイメージの生々しさ…。特に、「七夕」の句は素晴らしい。この一句だけで十分視覚的にも触覚としてもイメージが立ちあがってくるのに、なぜこの句に短歌の前書きをつける必要があるのだろう。

 〈その中ゆいとど亢ぶる鳴ひとつ、昧爽の蝉ぞ秋へ入りゆく〉
七夕や若く愚かに嗅ぎあへる

 前書きなしで並べたら印象鮮明な句たちも、前書きを附すことで、むしろ、僕には混沌の中へほうり込まれるような印象がある。どう読めばいいのか困ってしまうのだ。もちろん、前書きが附されることによって新たな読みが展開することはするのだ。七夕の句だけでは立ちあがってこなかった蝉の声が、前書きによって附されるのだ。しかし、それがなくても句は楽しめる。なのに、彼はせっせせっせと前書きを付け続ける。なぜ?どうして、一句だけでは足りないのか?

 彼にとっての前書きは、おそらく、彼の中の俳句以外の彼、なのではないだろうか。それは日常をベースに立ちあがる。そして、時に詩的な世界を作り出し、時に文芸に対するメタ的な疑問を呈する。彼のすべてから俳句そのものを引いたもの、それが前書きではないのだろうか。この句集は、彼に見えている彼そのものを体現する本なのだ。彼の混沌を表現するために、彼の印象鮮明な俳句はすべて彼自身によって曖昧な自己の内部へ放り込まれ、再読され、読者に提出されている(前書きにも俳句があるじゃないかとは言わないでほしい。それも演出のひとつなのだろう)。

 いつか女も木になる、男も木になる。
手のばせば腋かがやきぬ鳥の恋

 詩的発想で語られた前書き、俳句的発想で語られた俳句。そのすべてが、彼の見た世界であった。それらがまじりあうとき、この句集は生まれた。

 ここで、最後の疑問。なぜ、彼は彼のすべてを語るために俳句のみを弁別する必要があったのか?ここで、冒頭の句に戻る。自由律である。

麿、変?

 おかしな句だ。この句を面白がるだけなら、前書きなしでもいい。しかし、前書きをつけ、句集の中にこの句を置くと、たちどころにその意味は変化する。

 西葛西地誌 その二十五 主婦たち
 筑波嶺の峰から落ちるみなの川のやうに流れ流れて(日常の細部を失なつて)、珈琲がぶ飲みしながら対象を欠いた言葉の戯れに耽つたために暗黒の淵(直径五m)みたく淀んでしまつたことであるよ。
麿、変?

 はっきり言って集中でも随一の意味不明な前書きなのだが、それは麿が変だから、なのである。そしてこの前書きの一番のポイントは、「西葛西地誌」のうちの「主婦たち」という項にあるということだ。主婦たちは、住宅街である西葛西に普通に歩いている。日常の一つの景色として作者は主婦たちをとらえる。そして、主婦たちに向かって、言うのだ。「麿、変?」と。疑問ではない。確認である。

 前書きと俳句の度重なる違和、混沌。これらは、作者が俳句を作るから生じるのだ。日常をベースに作られた作者の世界に俳句が忍び込む。作者は俳句に取り込まれる。日常を裏切り、「変」な方向に走ってゆく。いつまで経っても前書きは俳句と折り合いをつけられない。

 うれしそうにつぶやく「麿、変?」の言葉は、実は、「私は俳人である」という言葉と同義なのだ。なんてことはない、何も難しいことなどなかった。この句集は、彼が、彼の内面世界の全部を振り絞って「私は俳人である」と言いたかっただけだったのだ。

作者は高山れおな(1968-)

ちぐはぐ☆30

2008-09-18 23:53:02 | Weblog
蜘蛛を喰む愛犬ダックスフントかな 高崎壮太
公園に鳥居冷たくなってゐる 上田拓史
してもらうつもりの顎や蛇苺 森川大和

 俳句甲子園出身の三人が、毎月30句ずつアップし、その新作を世に問うHP「ちぐはぐ☆30」が先日開設した。

ちぐはぐ☆30 http://a.locoboard.net/?chiguhagu30

 三人の俳句は、それぞれ方向性がばらばら。その自由闊達さがいい。高崎氏は、目に見えないものをどうにか追い回して言葉に固定しようとする。上田氏は、自らの感傷を大事に育てる詩人気質。森川氏は、自在な季語使いと口語と文語の混在によって存在感のある句づくりを実践している。

 蜘蛛を食べている犬、というのもすごいが、このタイミングで「愛犬」という語をさしはさむ絶妙さ。公園なのに鳥居がある、というちぐはぐな事実の発見、そして、意味性を剥奪された鳥居の冷え。何をしてもらうつもりかは分からないが、「してもらうつもりの顎」と言われると、勝気に上を向く若い女性のするりとした口元が見えてくる。この季語の「蛇苺」はどこか暗喩的に使われていると読むことができよう。「苺」では可愛すぎるが、「蛇」の一字が、「こいつは○○してもらうつもりなんだろう」という作者の予想(期待?)を裏切る可能性を秘めていて面白い。

 ただし、各々難点はある。高崎氏は言葉の飛躍を回収しきれない憾みのある句が散見される。上田氏の句は、若干インパクトに欠けるか。森川氏は、句法上のさまざまな技術におぼれがちではある。これらの点が今は僕の眼には難点と映るが、極めればまた違うかもしれない。今後、どう変わってゆくか注目したい。

 コメントすると、他の人にもコメントが公開されるのでこちらの鑑賞眼も試されるというこの企画。まだ始まったばかりだが、初回から各人それぞれなかなか飛ばしており、楽しませてくれそうだ。

白い足

2008-09-15 23:51:23 | Weblog
土曜日

 渋谷でモツ鍋を食べる。

 隣のカップルの男の腕が太かった。だいぶ酔っている様子で、僕らの斜め後ろに座っているカップルを指さして、「あれは絶対に同伴だよ」とか言っている。言われた女は「同伴」の意味が分からなかったらしく、男がなぜか自慢げに「同伴」の意味を語り始める。

 そっと振り返って「同伴」カップルを見てみると、女の白い両肩が見えていて、確かにそのセクシャルさにはキャバ嬢と見られても仕方のない雰囲気が漂っていた。しかし、男の方はまだ若いようで、僕には、同伴でキャバクラに行くというよりは、キャバ嬢とその情夫のように見えた。

 隣の男は、マクドナルドは関西ではマクドと省略されることについて、またもや自慢げに語っている。「マックじゃ、マッキントッシュと区別つかないじゃん!」と、これまでに百万遍も語られたようなセリフをさも自分の発見ででもあるかのように得意げに話している。

 一緒にモツ鍋を食べていた華子氏によれば、「同伴」カップルはずいぶんすごい量の鍋を食べていたらしい。そういえば、好奇心にかられて振り向く度に、彼らの鍋には入れたてと思われる野菜が山盛りになっていた。

日曜日

 神楽坂での飲み会の前に紀の善でも行こうかと早めに飯田橋へ行ったら、夕暮の前にもう閉まってしまうようで、あてがはずれた。華子氏が不機嫌になる。

 飲み会は、俳句関係者やら現代詩関係者やらが集まるもの。ブログ見てるよ、などと声をかけられてどぎまぎする。

 白ワインの入ったグラスが、自分の不注意で肘にあたり、倒れそうになったが、なんとか寸前ではっしと掴み、倒さずに済んだものの、グラスの中の液体は慣性の法則に従って宙を流れてゆき、目の前に座っていたあみさんにかかった。慌てふためく。両隣からおしぼりや拭くものがわあっと集まってきて、僕はポケットからティッシュを出したが、申し訳程度に机を拭いたくらいで、あとは右往左往した。

 さきさんから「優夢のばかー!」と声が上がって、ほっとする。

 二次会のバーでは二階の窓際から見える神楽坂の風景を横目に、議論を聞いたり質問したりする。夜の神楽坂を、人が通り抜ける気配がする。僕はいつでもぼーっとしている。オリーブとともにマティーニを飲みほした。

 帰ろうとしているみんなを、「まだ帰りたくない!」と、「合コンの女の子のように」呼び止め(うん、確かに、あのときそういうふうにさきさんに突っ込まれた気がする)、マックで少しだけ話してから帰る。やっぱり僕はぼおっとしている。それで楽しいのだから、なおいけない。

月曜日

 華子氏と散歩をする。住宅街をふらふらと歩いていると、ミニスカートの女子高生が目の前に現れて、その足に見入る。ふくらみ方と締まり方に、あ、足だな、と思わせる何かがあった。

 どこへ向かうということもなくふらふらと歩くと、いつの間にかミニスカートを追いかける形になっている。ミニスカ、ずっと前にいるよね。そう言うと、華子氏は、うん、だって追いかけてるもん。こともなげに言う。そっか、そうだよな、と納得して、ぼんやりと追いかけることにするが、こちらは二人、相手は一人、必然的に動きの軽い相手がずんずん歩いていって、そのうちに見失ってしまった。

 偶然見つけた図書館に入り、それぞれ俳句の本をめくる。彼女は僕からレポート用紙を借りると、気に行った本のタイトルのメモをとっている。この図書館で本を借りる気はないらしい。僕は、本を開きながら、少し寝た。

 そろそろ日も暮れかけて、散歩も仕舞いになる。

 帰ってきて、彼女がメモしたレポート用紙を僕のカバンに入れていたことを思い出し、メモがなければ困るだろうと思ってメールしようと思ったら、レポート用紙からはきちんと彼女のメモしたページだけが切り取られていた。

 だから、結局、メールはしていない。

『森林』を読む

2008-09-13 11:21:44 | Weblog
谷底に日ざしもどらぬきりぎりす

 彼の俳句には声高なところがない。苦悩や歓喜は語られない。主体性はもとより感じさせない。大方は情景描写にとどまる。

 俳句という詩形は、ときにそのような静かな世界を描くことがある(一般的には客観写生と言うのだろうか)から、そのこと自体は彼の独自性を表しはしない。この句集の特徴は、題名通りに「森林」をほぼその主要な舞台としていること、そしてその森林やあるいは山間の村のさまざまな風景が、「みずみずしい詩情をもって」、「五感をいっぱいに使って」、「繊細にあるいは大胆に」描かれているということだろうか。

雪催松の生傷匂ふなり
いちまいの鋸置けば雪がふる
風ゆるむ雪の文目の見ゆるほど
至近より雪の降りくる夕まぐれ
日照のかぎりもの干す斑雪村
トラックが婆拾ひ去る雪間かな
風花や石の小臼を束子置

 試みに、心惹かれた雪の句を引いてみた。雪が降りそうな天気に「松の生傷」を配することでその匂いを立ち込めさせる手腕。「鋸置けば」で軽く一拍置き、「雪がふる」で林の底から空を見上げる視点の鮮やかな切り替え。「雪の文目」という美しい言葉を使い、風のゆるみを触覚ではなく視覚で立ち上がらせる感覚。「夕まぐれ」の設定によって、ふつうはあり得ない「至近から雪の降りくる」の措辞を納得させる言葉の芸の冴え。見たそのままを言いとめているのだが「日照のかぎり」の「かぎり」で明暗の対比をある悠然とした時間性の中に現出させる技。トラックが過ぎた後には婆もいなくなり、「雪間」のみが残る、という一瞬の何気ないさびしい変化を表す季語の選択の確かさ。「風花」の季語に絶妙に呼応する、「石の小臼を」の「を」という助詞の使い方の繊細さ。(ちなみに「束子」は「たわし」と読む)

 実に芸が冴えていると思う。目をつむれば雪のちらつきが眼前にあり、それが凍るような肌寒さを引きだしてくる。つまり、このような山間の村を自分が追体験し得てしまうほどの、言葉の巧みさ。

 しかし、僕は今回の原稿を書くのに大いに苦労している。僕は「鑑賞者」という立場を持ってしてこの「句集を読む」というシリーズに臨んでいるつもりなので、できるだけレトリックの話は持ち出さないことを自分に課してきた。「この作者は上手だ」とレトリックの妙を書いてゆくことで句集の分析や批評を行うことはできると思うし、そのようなアプローチは同じ実作者の立場で言うととても有用だとも思うのだが、僕がここで試みているのはあくまでも鑑賞であり、鑑賞という以上は、句集を通して見えてくる作者の息遣いやその一句に込められた情感、美しさを引き出し、語ってゆくことで作者の独自性を何かしら表すことはできないだろうか、というスタンスで臨んでいる(だからと言ってもちろんまるでレトリックの話をしないというわけではない。レトリックの使い方やその巧拙をもって句集あるいは作者を規定し、描くことを避けてきた、ということだ)。

 その句集に見え隠れする作者の態度や心の在りようを見ようと思ってきたのだ。しかし、この句集について言えば、どうやら僕の力量では彼の心の全貌にまで肉薄することが非常に難しい。そのことがこの句集の独自性、と言えるかもしれない(若干、逃げっぽい言い方だとは思う)。

 「みずみずしい詩情をもって」、「五感をいっぱいに使って」、「繊細にあるいは大胆に」。これらの措辞に全部かぎ括弧を施したのも故のないことではない。全部、手垢にまみれた惹句であることは承知の上なのだ。しかし、なかなかそこから先に踏み込めない。彼が踏み込ませてくれないのである。

みづうみに辺境ありて鴨の陣
後の月養鶏千羽めつむるも
眼力をゆるめてはちす漂はす
水に声あり青胡桃くぐるとき
冬に入る糸引雲の切れて峡
雁ゆきてしばらく山河ただよふも
紅梅や谷隣より雲が来て

 しかし、そのことと彼の句のそれぞれに心惹かれることとは、正直、あまり関係がない。一句一句が素晴らしい山の情景を展開し、正にこういう俳句こそ、僕の思うところの「俳句の王道」ではないかとすら思えてくるのだ。彼の句に通う情感は淡い。彼自身の個性は、彼自身の言葉の中にくるみとられて、どこかに消えかかっている印象がある。だからこそ、我々は彼の俳句を読んで、容易にその情景を「追体験」することができる。言葉の美しさが、追体験する我々の心持を「陶酔」させてくれる。それは、あるいは決して彼を裏切ることのない季語の力によるところが大きいのだろう。つまり、「季語との親和」が、並の俳人に比べてとても高いようだ。
 
「季語との親和」によって「追体験」を可能にし、それが読者をして「陶酔」の境地に呼び込むという「俳句の王道」を進む。個性が希薄であることは咎だとは思わない。淡くても情感は確かに感じられる。もちろん、「みづうみに辺境」を感じる心持は、どこかに寂しさを漂わせるし、「水に声」を感じる心持は、どこかに心の弾みを感じさせる。それが全体と通してひとつの言葉にまとめられないからと言って、それが何だと言うのであろう。

 目をつむって、「ああ、いいなあ」と思うだけで事足りる俳句。人間が描かれることが少ないため、どこか人を避けてひたすら自然と向き合っているような印象もあるが、そこにはさびしさも喜びもいろんな感情が通い得ている。人に向き合うときの生の感情に比べると、それらは淡く思えるのだ。

黒姫に黒の図体のどやかに

 僕も黒姫山に行ったことはあるが、なかなかこうは詠めなかったなあ、と思う。「黒の図体」を目を細めて見ている彼の姿は、人間社会で日々を送るわれわれの目からすると、どこかふわりと浮世離れしているようだ。

 冒頭に挙げた句は、それらの俳句とはまた少し異質のようにも思う。「谷底に日ざしもどらぬ」というのが、まず意味としてつかみづらい。そして、「日ざし」と言っているにも関わらず季語は「きりぎりす」だ。この句に一瞬戸惑ったのち、どうやらこの「もどらぬ」という言い切りは、実景ではなくて、彼の心の襞の暗さをはからずも映し出してしまったものではないかと思われてくる。

 谷底、日暮、暗がり。そこに早々と鳴くきりぎりす。他の句に対するよりもどこか濃い情感として、彼の寂しさが身にしみる思いがした。

 作者は上田五千石(1933―1997)