山崎元の「会社と社会の歩き方」

獨協大学経済学部特任教授の山崎元です。このブログは私が担当する「会社と社会の歩き方」の資料と補足を提供します。

【春学期 2回目】企業の将来性をどう考えるか(3)

2011-04-27 19:24:01 | 講義資料
 こちらは、売り上げ上位企業の変遷。

【春学期 2回目】企業の将来性をどう考えるか(2)

2011-04-27 19:22:36 | 講義資料
 時価総額上位企業の変遷です。

【春学期 2回目】企業の将来性をどう考えるか

2011-04-27 18:58:05 | 講義資料
 今回は、「企業の将来性を評価する」ことについて考えてみたいと思います。

 先ず、このエントリーの図で皆さんのご関心が高いであろう就職ランキングの変遷を見てみて下さい。どのようなことをお感じになるでしょうか?

 学生の就職人気ランキングに関してよくある大人の感想は、
「企業の盛衰は長い間には随分変わるものだ」(← 本当にそう思う?)、
「学生の人気は当てにならない」(← 案外そうでもない、とは言えないか?)、 
「人気企業に入ったからといって幸せになるとは限らない」(←負け惜しみじゃないか?)、
といったものですが、先入観を捨てて、何が言えそうか、しばし考えてみて下さい。

 ご参考用に、企業の売上高ランキングと時価総額ランキングの変遷も別のエントリーの図表として載せておきます。

 また、昨年の秋学期の授業で使ったデータですが、このエントリーの図よりもさらに長期にわたる人気ランキングの変遷を以下に再掲載しておきます。

★1965年
1 東洋レーヨン
2 大正海上火災保険
3 丸紅飯田
4 伊藤忠商事
5 東京海上火災保険
6 三菱商事
7 旭化成工業
8 松下電器産業
9 住友商事
10 三和銀行

★1970年
1 日本航空
2 日本アイ・ビー・エム
3 丸紅飯田
4 東京海上火災保険
5 伊藤忠商事
6 三井物産
7 三菱商事
8 松下電器産業
9 住友商事
10 電通

★1975年
1 日本航空
2 伊藤忠商事
3 三井物産
4 朝日新聞社
5 三菱商事
6 丸紅
7 東京海上火災保険
8 日本放送協会
9 日本交通公社
10 電通

★1980年
1 東京海上火災保険
2 三井物産
3 三菱商事
4 日本航空
5 日本放送協会
6 サントリー
7 三和銀行
8 安田火災海上保険
9 日本生命保険
10 住友商事

★1985年
1 サントリー
2 東京海上火災保険
3 三菱商事
4 住友銀行
5 日本電気
6 富士銀行
7 三井物産
8 日本アイ・ビー・エム
9 松下電器産業
10 日本生命保険

★1990年
1 日本電信電話
2 ソニー
3 三井物産
4 三菱銀行
5 東京海上火災保険
6 三和銀行
7 東海旅客鉄道
8 住友銀行
8 日本航空
10 全日本空輸

★1995年
1 日本電信電話
2 東京海上火災保険
3 三菱銀行
4 三井物産
5 伊藤忠商事
6 東海旅客鉄道
7 三和銀行
8 三菱商事
9 第一勧業銀行
10 富士銀行

★2000年
1 ソニー
2 日本電信電話
3 日本放送協会
4 NTT移動通信網
5 サントリー
6 JTB
7 電通
8 博報堂
9 本田技研工業
10 資生堂

★2005年
1 トヨタ自動車
2 電通
3 ジェイティービー
4 サントリー
5 日本航空
6 全日本空輸
7 東海旅客鉄道
8 日産自動車
9 博報堂
10 本田技研工業

【出典元】
データはリクルートワークス研究所による。1995年卒分までは「大学生男子の人気企業調査」、2000年卒分は「大学生の企業イメージ調査」、2005 年卒分は「採用ブランド調査」より。1965年卒~1995年卒分は男子学生のみ・文系のランキング、2000年卒、2005年卒については「男女計」の 全体のランキング。表記している社名は、ランキング発表時のもの(http://job.rikunabi.com/2011/media/sj /student/ranking/ranking_vol02.html)

【春学期 1回目】ガイダンス

2011-04-20 19:08:51 | 講義資料
 2011年春学期の「会社と社会の歩き方」を開講します。

 1回目の今回はガイダンスです。
 「会社と社会の歩き方」は、キャリア・プランニングの考え方を中心に、将来ビジネス・パーソンとなった場合に知っておきたい物の考え方やノウハウを受講生にお伝えすることを目的とします。
 テーマは、その都度変更することがあり得ますが、キャリア・プランニングの考え方と転職のあれこれについては必ず取り上げる予定です。
 学生諸君は、おそらく就職の問題で頭が一杯でしょうが、職業人生は新卒の就職の後(通常は)40年近く続く長いプロセスであり、就職決定だけで決着がつくものではありません。「就職の後に何を考えたらいいか?」について、イメージだけでも持っておく方がいい。
 転職は、「しなければならない」というものではありませんが、誰でも「必要になる」場合がありますし、「転職もある」と考えることによって、キャリア・プランニングの幅が大きく拡がります。就職する前の皆さんに転職の仕方を教えるのはいかがなものかと思わなくもありませんが、「知っておいて損はない」と思うので、敢えてご説明しようと思っています。
 講義の予定は以下の通りです。「会社と社会の歩き方」の過去のブログ、及び、インターネットで無料で閲読できる拙稿があるものについて、関連するテーマの原稿のURLを載せて置きます。予習・独習をされたい向きは、ご参考にされて下さい。

第一回:ガイダンス+山崎元の転職(12回)遍歴自己紹介

 就活の先にある「キャリア・プランニング」の重要性について語り、授業の方向付けをすると共に、今後の授業予定のガイダンスを行う。
 併せて、「山崎元の転職小史」的な自己紹介を行う。私の職歴を表にまとめてみた。参照されたい。

第二回:会社の将来性を評価することが可能か

 「成長性のある業種・企業を選びましょう」とはよく言われることだが、学生、あるいはビジネスパーソンは、会社の将来性をどの程度判断することが出来るだろうか。
 結論を言えば、業種や会社の長期的将来性など分かりはしない。会社を評価するに際して「ある程度の常識」は存在するし、「会社の調べ方」も知っておく必要があるが、キャリア・プランニングにあたっては、「将来の見通しは難しい」「見通しが外れることがある」ということを前提条件として織り込む必要がある。

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/2e561567667f296a1efddf62343596f1)

第三回:仕事のやり甲斐を決めるものは何か

 仕事は「やり甲斐」が大切だと言われる。これはその通りだ。人生の、そして一日の重要な時間を仕事に注ぎ込むのであり、やり甲斐の無い仕事は続けることが苦痛だ。
 では、仕事のやり甲斐を決める要素は何か、「価値観」と仕事との関係をどう考えたらいいか、等について私の考えを述べる。

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/ec2d0cffdb37fbcda24f971e0caac46e

第四回:人材選考のポイントと戦略 (面接の“本当の”達人、とは?)

 人材を選ぶ側は何を考えているのだろうか? 特に、「面接」にあっては何が重要で、どのような準備が必要なのか。面接対策として万能の方法は無いが、改善の手掛かりはあるし、基本的に準備すべきことは、そう多いわけではない。
 学生を見、就活関係の報道を見ると、有効でない自己アピールや自分探しに嵌って、無駄な努力をしている学生が多いように思う。面接の極意は、自分をアピールすることではなく、「相手の気持ちを理解した」という共感の気配を相手に効果的に伝えることだ。

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/4b1ea8f3dd7078dffec06ef8ece9e5ac
 http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/fb0302445c7ce5995edb16f2b44dc2f5)

第五回:職業人生設計の基本(「28歳」と「35歳」)

 本講義の中核となるパートだ。
 一つの目処だが、キャリア・プランニングにあっては、「28歳」と「35歳」という二つの年齢が重要だ。28歳までに、自分が時間と努力を投資する「自分の職」を決め、35歳までに「自分の人材価値」を確立することを実現したい。もちろん、それぞれに、理由がある。
 職の選択にあたっては、機会費用やチャンスのオプション価値を意識する必要があるし、人材価値と年齢の関係も経済原則として理解しておきたい。

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/c949465747bde9f8323a24e196b20978)


第六回:女性、或いは外資のキャリアプランニング

 現実問題として、キャリア・プランニングには男女差がある。女性の場合、決定的に問題なのは、結婚と出産、特に出産とキャリア・プランニングの関係だ。
 たとえば、子供を早めに産むことと、遅めに産むこととの間には、どのような損得の差があるか。人生は計画通りにはいかないが、それでも、選択の損得とその発生要因を理解しておくことは有用だ。
 併せて、外資という選択肢のキャリア・プランニングについても考えてみる。

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/d49af5523b2a345675d5e331754c3e80)

第七回:「稼ぎの差」ができる原因

 同じ大学を同じくらいの成績で同じ時期に出ても、何年かたつうちに、卒業生の間で、経済的には大きな差が生じる。端的に言って、稼げる職業と稼ぎにならない職業があるが、この差をもたらすものは何だろうか?
 経済学的にも興味深い奥の深いテーマだが、考えてみる価値がある。

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/a95510bbf022e4c4e905c800eaf23f3b)


第八回:成果主義といかに付き合うか

 近年、「成果主義」が普及してきたことは間違いないが、成果主義と呼ばれるものには、日本の大企業で多く採用されている「陰気な成果主義」と、外資系に多い「陽気な成果主義」がある。前者には深刻な欠点があり、後者にも弱点がある。
 二つのシステムは、全く異質なものであり、両者をゲームのルールとして考えると、そこでのプレーヤーの行動スタイルも違っていなければならない。両方のルールを深く理解することは、現代のビジネスマンにとって必要であり、有効だ。

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/1d1f4f9d85a75e516e3a232416ba0970)

第九回:組織内の「人間関係」と「出世」について

 組織で仕事をする上で、人間関係はきわめて重要だ。人間関係について、どのような原則を持っていたらよいか、なるべくシンプルで応用範囲の広い原則を考えたい。
 また、「出世」は昔も今もビジネスマンの大きな関心事だ。出世するタイプの人間像の特徴は何か、出世にこつはあるか?(→ある!)

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/38bb3fcad3630d36e23bd1ffb8b4fc32
 http://www.r-agent.co.jp/guide/yamazaki/20110120.html)

第十回:転職の理由と目的について

 前述のように、企業の先行きは見通せないものだし、企業と社員との相性も変化する。将来「転職」と絶対無縁であると言えるビジネスマンはごく少数だし、転職を選択肢に加えることによって、職業人生の可能性はかなり拡大することが出来る。
 転職の理由や目的について整理して理解し、どのような場合に転職を考えるべきかについて、将来考える手掛かりを持っておきたい。

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/96e8d1b209b9cc5afb72373292dd8e7f)

第十一回:転職の具体的な手順と注意点

 転職にも、手順と方法、実行に当たっての注意点があるが、これを体系的に教わる機会は少ない。世にある多くの転職指南書は、採用内定を貰うところまでに話題が集中して、会社の辞め方や、新しい職場で注意すべきことなど、現実には重要な注意事項が漏れている場合が多いように思う。
 私の失敗談の教訓も含めて、将来役に立つ(かも知れない)実践的な転職ノウハウを伝えたい。

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/0e415d949fb7915ae23642c8d9186b10)

第十二回:ビジネスパーソンの情報収集と勉強法

 多くの職種で、働きながら勉強を続けて自分をバージョン・アップし続けることが重要だ。また、ビジネスマンとして、日々の情報収集をどうやったらいいか、についても知っておきたい。
 私は、勉強マニアでも情報整理マニアでもない、どちらかといえば億劫がりのビジネスマンだが、私なりの勉強の方法論をお伝えしたい。

(http://www.r-agent.co.jp/guide/yamazaki/20101216.html)

第十三回:内部告発で組織人の倫理を考える

 正義について、会社(官公庁でも)と社会で大きなギャップが生じて、会社員が悩んだり、困ったりする場合は少なくない。近年、内部告発が増えているが、内部告発者には大きな悩みがある。
 具体的な例について考えてみると共に、私が当事者になった例についても語ってみたい。

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/701b8a9fa3d41e869e7705c1daa076a1)

第十四回:「副業」あるいは「複業」のすすめ

 就職前の学生に、早くも副業を勧める、というのは、些か気が早いようにも思うが、現代のビジネスマンの仕事は一つでなくともいいし、現実に副業をしなくても、「別の仕事」の現実的可能性を確保しておく方が、より安全だ。
 副業に関するメリット、デメリット、一般的な注意事項などについて伝えると共に、私が経験した「評論家」を例にとって、副業の始め方、育て方などについてお話しする。

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/1c58e472035f683dd5038e9f132638b7)

第十五回:まとめ ~これから世に出る君たちに~

 最終回は、試験の予告と解説が中心になるが、併せて、私が授業を通じて言いたかったことの補足を行う。
 「会社と社会の歩き方」全体を通じた私の主張を総括すると共に、こらから働く若者に対して、(なるべく明るい!)メッセージを伝えたい。

【秋学期 14回目】最終回

2011-01-12 22:43:43 | 講義資料
 最終回は、秋学期の授業全体でお話ししたかったことのまとめと、翌週の試験に関する説明をします。試験については、基本的にその場で考えて書いて頂く形式を採りますが(記述式。600字程度)、出題のテーマと狙いについては、この最終回の授業で詳しくご説明します。

【秋学期 13回目】ビジネスパーソンの人間関係など

2010-12-22 17:20:11 | 講義資料
 12月23日の授業は、当日が祝日(天皇誕生日)でもあり、少しのんびりと話をしようと思っている。テーマは、ビジネスパーソンの「人間関係」のあれこれだ。

 人間関係に対する考え方は人それぞれだし、その人の個性や環境によって多様であり得るが、人間関係に関わる方法論は自分では気づきにくい場合が少なくない。ご参考になる話が、できれば幸いだ。

 以下の諸点についてお話しする予定だ。

<主に社内の人間関係について>
(1) 入社(転職での入社も含む)して最初にやるべきことは何か?
(2) 「自己紹介」の注意点
(3) 21世紀における先輩・後輩関係
(4) 「同期」の効用
(5) 社内派閥をどう扱うか
(6) 社内恋愛について(自分の場合、他人の場合)
(7) 「飲み」について
(8) 転職と人間関係

<主に社外の人間関係について>
(1) 同業他社との付き合い
(2) 異業種交流会・勉強会のコツ
(3) 人脈の作り方(どうやって役に立つ人間関係を結ぶか)
(4) 人脈の価値とその維持について

(※)23日に出席できない学生へ。
 内容について、ブログにUPできるかどうかは、私(山崎)の年末のスケジュールなどによるが、今回の話は、試験には出題しない。なお、試験については、1月13日の授業で詳しく説明する予定だ。

【秋学期 12回目】「副業」あるいは「複業」について

2010-12-15 23:46:28 | 講義資料
 今回は、「副業」あるいは「複業」がテーマだ。就職前のみなさんには、具体的なイメージが湧かないことが多いだろうし、就職直後の数年は副業・複業の余裕がないかも知れないが、将来の選択肢として複数の仕事を持つことについては是非頭に入れておいていただきたいし、多くの人が可能ならやってみてもいいのではないかと思う。
 以下の文章は、リクルート・エージェント社のサイトの「ビジネス羅針盤」という連載コラムに「副業または複業のすすめ」と題して寄稿したものだが、複数の仕事に関わることのメリット・デメリットについて考えてみて欲しい。
(http://www.r-agent.co.jp/guide/yamazaki/bn.html)
 尚、授業では、「評論家」「著述家」を題材に、私が現在の仕事を副業を通じて育ててきた過程についてもお話ししてみたい。基本的に「副業としての評論家のすすめ」を述べてみたい。「評論家」は、多くの人が副業ないし本業にできる稼ぎのスタイルだと思う。



『副業あるいは複業のすすめ』

★副業は趣味よりも面白い

 本稿では、ビジネスパーソンの皆様に副業をお勧めしたい。現在ただちに始めなくとも、将来副業を持つことを意識した方がいいという意味では、読者の大半に当てはまる話だ。現在、高収入な人でも、低収入な人でも、あるいは、何らかの特別なスキルを持っていてもいなくても、副業は考えてみる価値がある。

 筆者が現在「経済評論家」を名乗ってやっている原稿書きやテレビ出演、講演などは、かつて筆者にとっては副業だった。

 現在、会社員としての仕事の時間や収入よりも、経済評論家方面の仕事のウェイトが高くなったので、これを副業と呼ぶのは不適当かも知れないが、始めたプロセスは完全に「副業として」であった。少し気取って言い換えると現在、複数の仕事があるという意味で「複業」の状況になった。

 あなたの場合は独立する勇気がなかっただけだろう、と言われたら。「はい」とお答えしよう。いきなりの独立にはかなりのリスクがあるが、副業なら、リスクの程度をある程度自分でコントロールできる。完全独立も一つの選択肢だが、複業も悪くない。

★副業を持つことをお勧めしたい理由は大きく言って二つある。

 一つは、副業は張り合いがあって面白いからだ。敢えていえば、同じ事を趣味としてやるよりも、仕事としてやる方が、張り合いがあって面白い場合が多い。全てがそうだ、と言い切る自信はないが、多くの場合にそうだろう。

 たとえば、経済や政治あるいは社会問題、文化などについて考えたり発言したりすることに興味がある場合、現代であればブログなどを立ち上げて自分の意見を多くの人に発信することは難しくない。もちろん、それも悪くないのだが、出版社などの依頼者から依頼を受け、これに応えて、お金を貰う「仕事」として意見発信を行う方が、ずっと張り合いがある。

 もちろん、仕事として依頼を引き受けると責任も伴う。しかし、ある程度の責任や成否が問われるような負荷がないと、物事を達成した時に張り合いを感じないのも事実だ。こちらの仕事をビジネスとして評価してくれる依頼者からの手応えがあることは好ましいし、仕事ベースのアウトプットの方が、情報の受け手の受け止め方も真剣な場合が多い。

 原稿書きや講演のような、自分が知っていることを他人と共有する活動の多くは、これを仕事の状況に置くことで、充実感が増す場合が多い。また、料理でも、外国語でも、着物の着付けでも、他人にものを教えることが出来るスキルを持っている場合、趣味として同好者を募るだけでなく、お金を取って人に教えるというレベルまで持っていくと、単なる趣味とは別の張り合いが生じる。

 副業を持つことをお勧めする第二の理由は、少額ではあっても会社に頼らない稼ぎの道を持つことで、経済的な安心感や自信が増すことだ。

 勤め先の会社と個人の関係は、時間とともに変化する。現在、会社の業績が順調で、個人として快適に働いているとしても、会社の業況の変化、人事異動、家族や健康も含めた個人の事情の変化、心境の変化など、将来、会社と個人の相性がピッタリとは言えない場合が現れることは少なくない。こうした時に、会社以外の収入手段を持っていることは現実的なサポートになる場合があるし、それ以前に、自分の自信になる。勤めている会社以外の場所から、自分の仕事に対する対価を受け取るのは、なかなか気分のいいものだ。
本業と副業

 率直に言って、現在の企業の殆どは、社員の人生の終わりまで社員の生活の面倒を見る実力と意思があるわけではない。会社とは、案外頼りないものだ。

 しかし、多くの会社で、就業規則には「副業は(原則)禁止だ」という内容の規則が載っている。これは、「会社ごとき」の横暴だと筆者は思っているが、本業(副業を始める時点では勤務先の会社の仕事)と副業の関係をどう整理したらいいのだろうか。

 法律論は筆者の専門ではないが、副業それ自体は原則として会社が禁止できるものではないということについては判例が確定している。少なくとも、本業に支障を生じるような副業であるとされない限り、副業自体は自由だ。ある程度以上の大きさの企業の人事部は、この判例を知っているはずだ。

 しかし、現実に、面と向かって「副業をしたいのですが、いいですか」と問い合わせると、「ウチは原則禁止だ」「一体何をやるつもりなのか、詳しく説明するとともに、許可を申請しなさい」といった、不当に偉そうな答えが返ってくるはずだ。

 さて、どうすべきか。この種の問題には常に100%それでOKという回答がないことが多いが、この問題もそうだ。

 結論をいうと、本業の出退勤さえきちんとしていれば、目立たないように、断り無しに副業を始めても問題のないケースが多い。どうしても難しそうな会社に勤めている場合、会社の許可が必要だったり、当面諦めておくしかない場合があるが、諦める場合でも、将来、会社の延長以外に、自分で何が出来るかを考え、準備をしておく方がいい。ただ、多くの場合は、本業との衝突がない限り、見つかっても、黙認されることが多いだろう。また、ペンネームで直接仕事と関係のない本を書いたり、ネットを使った相談や物販などの副業を行っていたり、という程度のことなら、問題にならないことも多い。

 もちろん、本業に支障を来さないこと、本業の営業の秘密などを使った副業ではないことなどには注意がいる。しかし、本来、副業は個人の自由なのだということは知っておきたい。

★副業はためになる

 実際に可能な副業は、人により様々だが、たくさんある。

 いくつか列挙すると、先ず、趣味の延長線上にあるサービスの仕事があるだろう。スポーツにしても、将棋や囲碁、麻雀のようなゲームにしても、あるいは茶道、華道、楽器のような芸事にしても、高いレベルの能力と経験があれば、他人に教えることを仕事に出来る場合が多いし、その場所を提供したり、用具などの販売を行ったりといった副業につながる可能性が大きい。いきなり独立するのは難しくても、副業の形でなら、自分も楽しみながら安全にビジネスを立ち上げることが出来る場合が多い。

 もちろん、飲食業などのアルバイト、介護などのサービスのように、主に時間と体力を使う副業もある。副収入の道としては、手っ取り早いことが多いだろう。また、自分が興味のある商品の物販や、何らかの相談に応じるコンサルティング、自分のブログなどを使ったアフィリエイトビジネスなど、近年であればインターネットを使って顧客にアクセスするビジネスで副業が立ち上がる場合も多い。他人よりも詳しくて、毎日語っても話題が尽きないくらいの興味があるテーマがあれば、何らかの副業に利用できる場合が多い。兼業禁止が厳しい会社に勤めている場合でも、別名を使ってビジネスが出来る場合が多い。

 ただし、こうした場合は、将来ビジネスが軌道に乗った場合に、ブランドに連続性を持たせられるように、一定した名前を使う(原稿書きなら、同じペンネームを使う)ようにするべきだ。筆者は、数年間、多数のペンネームを使って雑誌の原稿を書いたことがあるのだが、こうした仕事は、全くとは言わないが、将来の役には立たなかった。

 趣味の延長でも、自分の得意分野の仕事でも、副業としてビジネスの形で行うことで、また、自分のアウトプットに責任が生じることで、自分の知識やビジネス・センスのレベルアップにつながることが多い。一つの会社の中だけで仕事をして、もっぱらその会社を通じて人間関係を形成していると、どうしても視野が狭くなりがちだ。

 「会社なんて、どこでも似たようなものだ」と言うのは、転職の経験がなく一つしか会社を知らない人か、そうでなければ、異なる組織や仕事の違いに鈍感な感性の鈍い人だろう。副業の形で、勤務先の会社以外の世間と、ビジネスとしての真剣な関わりを持つと、転職をしなくても、ビジネスパーソンとしての視野を広げるチャンスを持つことが出来る。

★もちろん、将来のために!

 筆者が副業を育てることに力を入れ始めたのは、40歳台前半の頃からだった。率直に言って、その頃は、収入の高い会社への転職を目指す方が、より多く稼ぐことが出来たように思う。

 しかし、一つには自分の意見を発信するような機会を増やしたかったからだが、もう一つには、会社の定年に関係なく将来も自分のペースで続けることが出来る仕事の基盤を作りたかったからだ。

 勤めている会社の定年が何歳であるにせよ、その後にも働くことが出来る期間は長いし、何らかの形で働いている方が張り合いがある場合が多い。

 もちろん、定年の前にも様々な経済的なリスクはある。手間が掛かるのは事実だし、いつも上手く行くとは限らないが、副業はビジネスパーソンにとって有力な手段だ。何が出来るか、考えてみることは無駄ではないし、小さなリスクで試してみることができるのが副業のいいところだ。
 
 以上

【秋学期 11回目】 「内部告発」で組織人の倫理を考える

2010-12-08 19:41:49 | 講義資料
 世間ではウィキリークスが話題になっていることでもあり、今回は、「内部告発」の問題を取り上げて、組織人(会社員・公務員等)にとっての倫理の問題を考えてみたい。
(1)リーク報道についてどう考えるか、
(2)個人の正義感と組織人としての立場をどう整理するか、
(3)自分が当事者になった場合どう判断すればいいか、
の三つの問題意識を持って考えてみて欲しい。
 実は、私も、ウィキリークスのような大きな問題には発展しなかったが、内部告発に関わったことがあるので、授業ではその際の話もする予定だ。

 以下は、内部告発について考えるための参考素材だ。何れも、私が「ダイヤモンド・オンライン」(私の連載のバックナンバーは、http://diamond.jp/category/s-yamazaki)に書いた原稿だ。

 ●

★『リーク報道は新しいジャーナリズムなのか?』』

<面白い情報はリークから>

 ここのところ、興味深い報道の多くが何らかの「リーク」によるものだ。
 もちろん、その筆頭は連日のように新たな重要事実が報道されるウィキリークスだ。米軍ヘリからの民間人への銃撃映像は衝撃的だった。各国首脳への赤裸々な酷評も、報道価値に多少の疑問があるとしても、外交の現実を垣間見させてくれる面白さがあった。決して、報道価値ゼロの内容ではない。
 アフガン政府に対するアメリカのクラスター爆弾使用要求や、情報機関に対してアメリカ政府が国連職員や海外外交官に関する個人情報収集を指示したといった、政府の逸脱的行為に対する報道は、権力のチェックを行うべきジャーナリズムのアウトプットとして本来高く評価できるものだ。
 ウィキリークスによる秘密文書大量公表を「情報版の911テロ」とテロになぞらえる向きがあるが、政府の非合法行為に関わる情報公開の本質はむしろウォーターゲート事件に近い。ウィキリークスが情報の門を開けたという意味も込めて「ウィキ・ゲート事件」とでも名付けたらいいのではないか。
 我が国でも、公安警察の人権侵害的とも思える活動が情報流出の形で明らかになった。また、その行動に対して賛否両論があるとしても、尖閣諸島沖での中国漁船と我が国巡視船の衝突の映像は一海上保安官の動画ネット投稿によって、多くの国民の目に触れることになった。
 日頃はインターネット嫌いで、ネットの情報には責任を伴った信憑性が乏しいなどと述べることの多いテレビ局が、「sengoku38」の投稿による映像を繰り返し長時間放映する様子は、報道における主役の交代を象徴しているようにさえ思われた。
 アメリカでさえニューヨーク・タイムスといった主要メディアがウィキリークス発の情報を無視できないし、他人の情報を報じることを割合恥じない日本のメディアは、連日ウィキリークス関連の情報を報じている。
 一方、日本の新聞、テレビは、よく見るほどに相変わらず記者クラブ経由の官製情報が中心だし、与野党共に緊張感を欠く、政治家の「いかにもありそうなこぼれ話」的な観測記事などを読んでもさっぱり面白くない。リーク情報と既存メディアを、善悪は別として、コンテンツとしての魅力で評価すると、話にならにくらいの大差で前者の勝ちだ。

<リークの善悪に揺れる世論>

 一方、リーク情報に関する善悪の判断については、我が国でも、外国でも、人々の間に迷いがある。
 尖閣沖の動画を投稿した海上保安官に関しては、彼の行動こそ愛国的だと賛美する声もあれば、一定の武力をも持つ海上保安庁の公務員が職場のルールを逸脱していることを戦前の軍部の暴走になぞらえて危険視し、これを厳しく処断すべきだという議論もある。
 ウィキリークスに関して、アメリカ国民は、今のところかなり批判的だ。民間調査会社ゾグビーが行った調査によると「ウィキリークスは安全保障上の脅威だと思うか」という質問に対して77%が肯定的に答えている。
 米政府としては、「海外で働く米兵の安全」を脅かす可能性があることを強調して、反ウィキリークスの世論を喚起したいはずだ。世論が十分に批判に傾いていない段階でジュリアン・アサンジ氏の逮捕等の表だって強権的なウィキリークス潰しに出ると、追加でさらに致命的な情報が流出する可能性もあり、政権に批判の矛先が向かう可能性がある。
 クリントン国務長官は、「ウィキリークスの情報公開には偏向が含まれている可能性もあるので注意すべきだ」という微妙な言い回しでウィキリークスを牽制している。これは、「権力のチェック」がジャーナリズムの重要な機能の一つであることを踏まえた、慎重な物言いだ。単に「違法行為だ」と批判の声を上げた、我が国の前原外務大臣と比較すると、思慮と悩みの深さには大人と子供くらいの差がありそうだ。

<大事な論点は複数ある>

 ことを善悪の判断に限っても、リーク情報問題には、複数の論点がある。「ウィキリークスは、いいのか悪いのか?」といった大雑把な問題だけを立てると、肝心な問題を幾つも見落とすことになる。
 肝心な問題とは何か。
 ウィキリークスの問題でいうと、ウィキリークスが外交機密に当たる情報を公開していることよりも、そもそも情報が漏れるような体制であった米政府の情報管理責任の方が遙かに大きな問題だ。機密情報に関して、こんなに間抜けな管理がまともなはずがない。
 米政府はウィキリークスに対する圧迫を強めるだろうし、今後、アサンジ代表が逮捕・訴追される可能性もある。情報提供者に対して違法行為を教唆しているという点での非倫理性が、確かにウィキリークスにはある。しかし、そうした情報収集行為はそもそも既存のジャーナリズムが行ってきたことでもある。その正否を、目的の善し悪しを含めて、社会的に判断してきたのが、アメリカの伝統だった。
 圧倒的に非があるのは、国務省をはじめとするアメリカ政府だ。アメリカの国益が損なわれ、海外の米兵が危険に晒されたのだとすれば、その第一の責任は、ウィキリークスよりも、アメリカ政府にある。本件に関しては、クリントン国務長官が引責辞任して当然だと筆者は思うのだが、さて、今後の推移はどうなるのだろうか。
 我が国の公安警察の情報流出も大問題だ。当局は、流出した情報が自らのものであることについて曖昧にしたまま、自らを被害者として、情報漏洩のルートに関して捜査を開始した。
 捜査すること自体は良かろう。しかし、真の被害者は、個人情報を不当に晒された人達なのだ。警察当局は先ず自分たちの非を認めて、被害者の救済に全力を挙げるべきだ。もちろん、情報の管理責任も問われるべきだし、過去及び現在の公安情報収集活動自体の適切性も検証されるべきだ。
 もちろん、情報漏洩者の法律上の問題は別個に存在する。これは、否定できないし、無視すべきではない。但し、社会の倫理の問題としては、彼らの行為が正しいのか否かについて、情報の内容、告発の目的などの点も含めて総合的に評価すべきだろう。
 いかにも野暮だが、あえて箇条書きにまとめると、
① リークの対象になった政府その他の行動の正否、
② 上記を公開し晒す行為の公益性、
③ 情報の取得と公開にあたってルールを逸脱することの罪の軽重、
④ リークがなかった場合の既存メディアの行動、
といった複数の論点があり、全てが個々に重要だ。
 日本の既存メディアは、行為の主体(「sengoku38」にしても「ホリエモン」にしても「小泉純一郎」にしても)の善悪を一方に決めつけて、全て「善い」か「悪い」の文脈で物事を伝えようとする傾向があるが、こうした短時間のテレビ番組的な決めつけでは、問題を的確にとらえることができない。
 尖閣沖の問題で考えると、以下のような整理になろう。
① そもそも事実はどうで、何が問題だったのか。特に、独自のルートで中国と裏交渉したといわれる日本政府の行動は適切だったのか。
② 衝突のビデオを国民一般に知らせることに公益性はあるか。
③ 情報を流した海上保安官の行為をどの程度悪い逸脱行為だと見るか。
④ 海上保安官が情報を公開しなかった場合に代替的な事実を知るための手段があったか(論理的には、「一般国民に事実を知らせる必要はない」という議論もあり得る)。
 情報を流出した海上保安官への社会的評価は、②、③、④を総合的に評価することによって決まるものだろう。②や④だけを評価するのはアンバランスだし、少なくとも海上保安官は身分的に自由意志が認められていない奴隷のような存在ではないのだから③だけで総合的に「悪い」と決めつけるわけにはいかない。当たり前の話だ。

<日・米メディアのちがい>

 リーク問題の推移を見ると、我が国の既存大手メディア、端的にいって記者クラブ所属のメディアのあり方について考えざるを得ない。
 記者クラブに所属し、政府や自治体から、便宜を受けると共に情報の提供も受ける我が国のメディアについて考えると、そもそも「ジャーナリズムとしての権力のチェック」を期待することが非現実的だ。
 彼らは、一つには記事を広く且つ高く売りたいビジネスの従事者だし、社内で評価を受け出世するにはどうしたらいいかと悩む一サラリーマンにすぎない。この点を踏まえると、彼らにとっては、取材源である政府その他と対立しない方が、仕事もやりやすいし、社内で出世もしやすい場合が多かろう。記事のジャーナリズム的価値よりも、社内出世や年金、退職金などを重視して入手した事実の報道に自主規制が掛かる記者個人は、特にメディアでも長期雇用が前提で、給与水準も(年金も)悪くない我が国では「普通」だろう。彼らに、純粋なジャーナリズム的価値観を期待するのは愚かだ。
 メディアの人々がネットの情報との対比でよく問題にする、会社や媒体の信用や、ひいては記者の信用と生活を掛けた記事の信憑性は、記者クラブがはびこる我が国の場合、むしろジャーナリストが権力のチェックを行えないことの理由になっている。
 そして、近年、主にネットの普及によって、大手メディアから情報を発信できる人でなくとも、重要情報を持った個人は、その情報を広く一般に周知する手段を持つようになった。
 この際重要なことは、職業ジャーナリストだけが特権階級として、情報を公開し世に問う権利を持っているのではないということだ。
 新聞記者などの取材にも、公務員に対して情報の漏洩を教唆する行為が含まれる。しかし、その行為に対する最終的な評価は公益性等の報道の目的を含めて総合的に評価される。ウィキリークスであっても、sengoku38であっても、ごく一般の一個人であるとしても、最終的な善悪が問われるのは、こうした文脈においてであるべきだ。もちろん、情報発信先の範囲が広いことに対しては、相応に大きな責任が伴うことも、大手メディアの記者と全く一緒だ。
 残念ながら、日本にはまだウィキリークスのような情報発信者は存在しないが、ジャーナリズムは一部の既存メディアの独占物ではない。
 それにしても、多くの優秀な人材を擁し(←皮肉も少しありますが)、多大なコストを掛けながら、記者クラブに依存したメディアの流す情報の何とツマラナイことだろうか。このツマラナさは、現実に対して大きな影響力を持っている。

 ●

 以下も、「ダイヤモンド・オンライン」に向けて私(山崎元)が書いた原稿だ。会社の中で社内のルールに基づいた内部告発を行い、その結果、不適切に扱われている社員の問題を取り上げている。(http://diamond.jp/articles/-/1497)
 皆さんが、この社員の立場だったら、どうするだろうか?考えてみて欲しい。

<先ず、会社の不正行為を知った時点で>
① 内部告発はしない
② この社員と同じような内部告発をする
③ 別の方法で内部告発を行う

<会社に不当に扱われた時点で>
① 会社とは争わない
② この社員と同様に会社と法的に争う
③ 別の手段を採る

★『オリンパスのケースに見る内部告発者の悲惨な現状』

 経済、政治に大きなニュースはあるのだが、今回は、別の問題を取り上げる。2月27日の各紙で報道された、内部告発の問題だ。

一番詳しく報じていた読売新聞(27日朝刊)の記事に基づいて内容をざっと伝えると、東証1部上場の精密機器メーカー「オリンパス」の男性社員が、社内のコンプライアンス通報窓口に上司に関する告発をした結果、配置転換などの制裁を受けたとして、近く東京弁護士会に人権救済を申し立てるという。

告発の内容は、浜田正晴さん(48歳。申し立てを行っているとして既に実名報道されている)が大手鉄鋼メーカー向けに精密検査システムの販売を担当していた2007年4月、取引先から機密情報を知る社員を引き抜こうとする社内の動きを知った。浜田さんは不正競争防止法違反(営業秘密の侵害)の可能性があると判断し、当初は上司に懸念を伝えたが、聞き入れられなかったため、この件を、同年6月にオリンパス社内に設置されている「コンプライアンスヘルプライン室」に通報したという。

 記事によると、オリンパスは、浜田さんの告発を受けて、相手側の取引先に謝罪したという。謝ったということは、浜田さんが告発した内容そのものについては「不正競争防止法違反」の可能性があると判断し、悪いことだと認めたということだろう。

 しかし、告発した浜田さんのその後のが、何ともやり切れない。読売新聞の記事によると、オリンパスのコンプライアンス窓口の責任者は、浜田さんとのメールを、不正の当該部署の上司と人事部にも送信した(先ずは、ここがまずい)。約2か月後、浜田さんは、なんとその上司の管轄する別セクションに異動を言い渡された。配属先は畑違いの技術系の職場で、現在まで約1年半、部署外の人間と許可なく連絡を取ることを禁じられ、資料整理しか仕事が与えられない状況に置かれているという。人事評価も、長期病欠者並の低評価だという。

浜田さんは昨年2月、オリンパスと上司に対し異動の取り消しなどを求め東京地裁に提訴し、係争中だ。窓口の責任者が「機密保持の約束を守らずに、メールを配信してしまいました」と浜田さんに謝罪するメールも証拠として提出されたというが、オリンパス広報IR室は「本人の了解を得て上司などにメールした。異動は本人の適性を考えたもので、評価は通報への報復ではない」とコメントしている。

 常識的に判断するかぎり、コンプライアンス窓口に通報する社員が、相手に対して自分が通報者だと通知することを了解するとは考えにくい。これは、オリンパスの説明のほうに無理があるのではないか。

 2006年4月に施行された「公益通報者保護法」に関する内閣府の運用指針には、通報者の秘密保持の徹底のほか、仮に通報者が特定されるようなことがあっても、通報者が解雇されたり、不当な扱いを受けたりすることがないようにと明記されている。また、読売新聞によると、オリンパスの社内規則でも、通報者が特定される情報開示を窓口担当者に禁じているという。記事を読む限り、オリンパスは、内閣府の運用指針も自社の社内規則も尊重していない。

 オリンパスにとって、この内部告発は会社の利益になったと考えられる。取引先から機密情報を知る社員を本当に引き抜き、後々明るみに出たら、不正競争防止法違反になって、もっと大きな問題となったかもしれない。そう思ったからこそ、オリンパスは“引き抜き”を止めたのだろうし、後々問題化すると困るから相手側に謝罪したのだろう(ところで、本筋には関係ないが、この「引き抜かれなかった社員」のその後も気になる)。それなのに、浜田さんに対するこの扱いは釈然としない

 このオリンパスのケースに限らず、企業社会の現実として、内部告発者が不当に扱われることは十分にあり得る話だ。たとえば、ある上司をセクハラで訴えたら、その上司が会社で重宝されている人だったために、訴えたほうが最終的には会社にいられなくなるように追い込まれたといった、とんでもない話を聞いたこともある。

 読者への率直な忠告としては、まず会社のコンプライアンス窓口やいわゆる目安箱的制度を簡単に信用してはいけない、と申し上げておこう。

 問題を起こしている当事者や責任者が、会社の中で有力者だった場合、通報窓口が裏切る可能性を覚悟しておくべきだ(いかにいけないことだとしても、現実に起こりうる)。その際に、どうするかも考えてから告発を行うべきだ。

 徹底的に不正を止めるつもりなら、メディアに告発するなど、次の手段も検討しておきたい。ただ、そこまでやる場合には、自分の職業人生をどうするかも考えておく必要がある。転職などの「退路」を準備しなければならない場合もあるだろう。

 会社のコンプライアンス窓口に自ら名乗り出る以外の告発の手段も検討しておこう。コンプライアンスの窓口なり社長室なりに対して匿名で、あるいは外部者を装って告発をして、様子を見る手もある。また、一般論として、そういう不正のケースがあるということを、マスコミに書かせる選択肢もある。上手く行くと、問題の人物や組織が悪事を止めるように促すことができる。

 そもそもコンプライアンス窓口のレポートラインに問題があるケースもある。理想論を言うと、コンプライアンス部署は、オペレーションのラインとは別のラインで株主に対して直結しているべきで、社長に対しても牽制が聞くようでなければならない。しかし、実際には、社長であったり、管理担当の役員であったり、オペレーションラインの実質的な影響下にあるケースが少なくない。

 また、告発を行う場合には、どのような告発内容を伝えたのか、その時に相手が何を言ったのか、記録をきちんと取っておくことが重要だ。オリンパスのケースでは、メールの転送については本人の了承を得たと会社側が言っているが、事実が凝れと異なる場合、そうした言い訳をさせないためにも、絶対に社内に漏らさないと確認した上で、どういうやり取りがあったのか記録をしておきたい。付け加えると、告発内容そのものに関しても、いつ何があったのか記録を持っていることが大事だ(ノートや日記、手帳へのメモでもいい)。最終的に何か争いになったときには、自分を守るために記録が役立つことがあるし、また、きちんと記録しておけば、相手に対して、適度なプレッシャーをかけることにもなる。

(中見出し)内部告発者のための制度的整備が必要

 それにしても、今回のオリンパスのケースを見ると、内部通報者の立場があまりに可哀そうだ。告発をして、告発が正しいものとして扱われ、かつ告発された側が眼を覚まして、目的が達成されたとしても、何ら本人のメリットにはならない。

 もちろん個人的なメリットのために告発を行うのではいけないが、告発者の側が、自分で悪いことをしたわけでもないのに、自分が告発したことを誰かに知られるのではないかと、びくびくしながら、毎日を過ごさなければならないのでは割りに合わない。不正に手を染めずに済んだとか、不正を見過ごさずに済んだという社会人としての正しい満足感はあろうが、少なくともサラリーマンとしては、リスクとデメリットばかりが目に付く。

 せいぜいうまくいっても何もなしで、何かまずいことがあると逆恨みされ、人事上不利益となる。むろん、内部告発者を解雇してはいけない、不当に扱ってはいけないことは前述のとおり公益通報者保護法で明記されているから、企業側と争い裁判で勝って不当な人事を撤回させることは可能だろう。だが、そこまですると、会社での“居づらさ”は増すだろうし、事実上居られなくなることもあるだろう。

 制度にも問題があるのではないだろうか。内部告発の扱いに関して不正が明らかになった場合の企業への罰則規定は最低限必要だ。また、企業が内部告発者を不当に扱ったことによって、内部告発者に不利益があった場合、その不利益と精神的苦痛を十分に補うだけの補償がなされるように規定を整備すべきだ(仮に判例が出来てもそれだけでは不十分であり、明文化された規定があることが望ましい)。

 ここ数年間いろいろな企業不祥事が出てくるようになったが、不祥事は急に増えたのではなく、昔からあったのだろう。それが多数表面化し出したのは、内部告発が多少なりとも機能するようになったからだろうし、これ自体は世の中にとって良いことだ。

 率直に言って、申し立てを行う立場にまで追い込まれたオリンパスの浜田さんの、今後のサラリーマン人生は大変だろうと思う。筆者は、原稿で応援することぐらいしかできないが、会社のためにも社会のためにもなる正しいことをしたのだと胸を張って、負けずに頑張ってほしい。

 以上

【秋学期 10回目】 ビジネスパーソンの「勉強法」

2010-12-02 00:26:51 | 講義資料
 ホワイトカラーのビジネスパーソン(大まかには「事務職」全般)は職業人生の期間中、ずっと何らかの勉強をしていかないと、人材価値が維持できない。研究職(研究所や調査部など)や教師はもちろんだが、たとえば、金融業にあっては、「勉強することが苦にならない」ということを職業適性の一つに加えてもいいのではないか、というのが、金融・証券関係の会社を転職して歩いた筆者の実感だ。金融の世界では、新しい金融市場や経済の動向を常に把握し続ける必要があるし、融資などで関わる産業や取引の事情を勉強する必要がある。
 金融業はその典型だが、ホワイトカラーの中でも、特に競争が激しい職種では、勉強で遅れを取るとビジネスの競争で直ちに不利になるし、効果的な勉強で「プラスα」のもとになる知識やスキルを手に入れて「僅かに作った差」が、ライバルに対する差別化の原動力になる。勉強の習慣を持つこと、勉強の効率を上げる工夫をすることの二つは、ビジネスパーソンの人材価値に直結する。

 今回は、ビジネスパーソンの勉強法、情報処理の方法についてお話ししてみたい。
 お伝えしたいのは、主に以下の内容だ。

(1)ビジネスパーソンにとっての勉強の意味

(2)ビジネスマンの勉強時間

(3)仕事の専門知識の勉強方法
 ・新しい分野をどうやって勉強するか
 ・新しい分野の全体像を早く知るにはどうするか
 ・入門書、教科書、専門論文の使い分け
 ・新しい研究のフォローの方法

(4)日々の情報処理
 ・新聞との付き合い方
 ・「日本経済新聞」は読むべきか?
 ・ニュースのスクラップの方法

 授業に出席できなかった学生は、春学期にブログにUPした記事や、リクルート・エージェント社のサイトの私(山崎)の連載(「ビジネス羅針盤」:http://www.r-agent.co.jp/guide/yamazaki/)の関連記事などをご参照いただきたい。特に、上記(1)(2)(3)については、12月中に掲載予定の原稿に概要を書いておいた。

 以上

【秋学期 9回目】 転職の方法

2010-11-24 20:29:00 | 講義資料
 希望して入社した会社でも、職場の様子が期待とちがっていたり、不本意な仕事に配属されたりすことがあるし、時間が経過すると、会社も自分も変化することがある。「私には、転職は不要だ」と就職する前から言い切れるケースは殆ど無い。
 特に、30代前半くらいになると、ビジネスパーソンとしての骨格が固まってくるが、これが勤務先の会社と合わない場合が生じてくる。たとえば、自分のスケールと会社・職場のスケールが合わないケースにあっては、積極的に転職をお勧めしたい。

 そこで、転職はどうやってするのか、ということが問題になる。

 以下の文章は、リクルート・エージェント社のホームページに「転職原論」と題して私(山崎元)が書いた数編の文章から抜粋したもので、転職手順のあれこれについて述べている。
(リクルート・エージェント社のサイト:http://www.r-agent.co.jp/guide/genron/)


(1)自分でアプローチするのが基本

 現在の職場に不満を持ち、転職したいと思った場合に、転職先をどう探せばいいのだろうか。

 入社したいと思う会社が最初からある場合は、きっかけを作るべく、自分でアプローチするのが基本だ。仕事で付き合った相手を辿る、学生時代などの友人・知人に仲介を頼む、会社のホームページの人材募集を見て問い合わせてみる、といった個人的な努力を先ずは考えよう。自分が働きたいと思う部署のマネージャーに会うことが出来れば理想的だ。

 当面の求人がなくても、将来の候補としてマネージャーの記憶に残ることがあるし、どんな条件の人材が欲しいかについても教えてくれるだろう。優秀なマネージャーは、自分の部下になりうる候補者に常に関心があるのが普通だ。それに、自分の会社や仕事に対して真面目な関心を持ってくれる人に対して悪い印象は持たない。

 もちろん、目標とする会社がライバル会社だったり、取引先だったりする場合には、ビジネス上の配慮が必要だ。特に、自社の情報を漏らしたり、悪口を言い過ぎるのは良くない。しかし、相手の会社で働くことに関して積極的な関心を示すことは構わない。
紹介会社を通じて「マーケット」を知る

 日頃から、いわゆる「横のつながり」(同業他社の人との付き合い)を心掛けていると、転職先へのアプローチは、案外、自分でも出来ることが多い。

 しかし、そもそも自分の適職が自分でよく分からない場合や、転職したいと思っている業界の求人状況や求人の条件など、転職マーケットの状況が分からない場合は、人材紹介会社が持っている情報を利用しよう。

 近年は、求人についてネットだけでもかなりの情報が手に入るようになったが、それでも、直接コンタクトしてきた相手にしか開示されない情報も多いから、ネット経由で、あるいは直接、人材紹介会社のコンサルタントと相談してみるといいだろう。

 どんな職種に求人があるか。採用側が求める候補者の条件は何か、そのためにはどのような準備が有効か。求人のある職種はどんな経済的条件か。どこの会社の調子がいいか。こういった基本的な事柄について、プロである紹介会社のコンサルタントから出来るだけ多くの情報を引き出そう。

(2)ヘッドハンターとの付き合い方

 人材紹介会社ないしは、そこで働いている人のことを、俗に「ヘッドハンター」と呼ぶ。特に、「エグゼクティブ・サーチ」と言われるような、企業側の依頼に基づいて、特定のポジションに採用する人を探す職業がこう呼ばれることが多い。アメリカのビジネス界では、医者と弁護士とヘッドハンターにそれぞれいい友人を持て、といわれるくらい、ヘッドハンターは、ビジネスパーソンにとって身近な存在だ。これら三つの職種は、特に自分がピンチの時に役に立つ点が共通だ。

 ヘッドハンターにも種類がある。転職しようとする側で厳密に区別する必要はないことが多いが、(1)特定のポジションの候補者を探すエグゼクティブ・サーチなのか、一般的な人材紹介会社なのか、(2)依頼先から報酬の一部ないし全部を前金(リテイナー・フィー)で受け取っている会社なのか、そうではないのか、(3)仕事の内容が候補者探しなのか、社員を別の会社に転職させることを請け負う「アウトプレイスメント」なのか、が主な区別だ。

 エグゼクティブ・サーチの会社で特に前金で報酬を受け取るような会社からコンタクトがあった場合は、どこかの会社が、自分に興味を持ってアプローチしてきた場合が多い。基本的に話を聞いてみていいだろう。また、特定の求人が背後に無い場合にもアプローチがあるケースがあるが、こうした時にも、情報収集を兼ねて会ってみることは悪くない。

 ヘッドハンターからのアプローチがあった場合に注意すべきケースが二つある。一つにには、現在の職場の様子や心境について根掘り葉掘り訊いてくるケースで、これは、ヘッドハンターを使った情報収集やアウトプレイスメントでのアプローチの場合がある。

 もう一つは、履歴書を手に入れて、これをばら撒いて、成約できれば儲けものといった乱暴な仕事をするヘッドハンターだ。通常この種の履歴書は社名と氏名を匿名にして流通させるが、転職のアプローチは、ヘッドハンターを通さない方がいい場合もあるし、ライバル会社や取引先などに自分が職探しをしているという情報が漏れて不都合な場合がある。初対面の相手に直ぐに履歴書を渡さないことと、履歴書を渡す場合は、匿名であっても企業に履歴書を回付する場合は一件一件相手先毎に必ず自分に確認を取ることを条件とすることが大切だ。この条件を守らないヘッドハンターとは一切付き合わない方がいい。

 アメリカ人を真似るわけではないが、ヘッドハンターと個人的に付き合うのはいいことだ。筆者も、ヘッドハンターに転職戦略を相談して進路を決めたことがある。ヘッドハンターとの付き合いでは、先方からは主に転職市場の情報を得るわけだが、反対にこちらからは候補者となる人の紹介と自分の業務の専門知識の提供(仕事に関わる技術や制度の説明やトレンドの解説など)が程よい「ギブ・アンド・テイク」となる。

(3)面接は積極的に受ける

 どんな求人情報があるのかを具体的に調べてみると、必ずしも第一志望ではないが、興味はあるという程度の求人が見つかることがある。こうした場合、「第一志望ではないから」、「まだ転職すると決めたわけではないから」といった理由で面接に行くことを躊躇する人が居るが、これは勿体ない。

 先ず、採用されれば入社すると決めていなくても、興味のある会社なら、面接を受けに行くことは失礼ではない。それに、実際に相手の会社の誰かに会ってみなければ、会社の実情も、職場の雰囲気も分からないことが多い。情報収集の観点からも、面接の機会は大いに利用すべきだ。

 副産物として、面接の練習という意味がある。はっきり言って、第一志望の会社との面接が初回の場合、いきなり自分のベストの面接が出来る人は少ない。面接を受ける際に何が自分の課題なのかを見極めるためにも、興味のある会社・職種の募集があれば、面接に行ってみることをお勧めする。

 相手企業に対するアプローチにせよ、求人に応募して面接に出向くことにせよ、結果的に採用に直結しなくとも、情報収集や経験として十分に元が取れる場合が多い。人生全般に通じる傾向だが、恥ずかしがらずに自分から積極的にアプローチしてみる方が何かと実りが多いものだ。

(4)応募書類は相手の立場に立って書く

 転職に自分から応募するとき、面接抜きに、書類選考だけで採用が決まることは、ほぼ無い。転職しようとする場合、最初に目指すのは、面接まで辿り着くことだ。通常は、履歴書と職務経歴書を送って、面接の可否の連絡を待つことになる。面接のアポイントメントが取れたら、履歴書・職務経歴書は役割を果たしたと考えていいだろう。基本的には、面接が勝負だ。

 上手い履歴書、あるいは職務経歴書の書き方として、特別なノウハウがあるわけではないが、基本的に考えるべきことは「読み手の立場に立って書く」ことで、これに尽きる。初歩的には読みやすく正確に書くということが大事だし、もう一歩先のレベルでは、先方が応募者の何を知りたいと思っているのかを推測して書くことが重要だ。自分を表現したりアピールしたりするのではなく、自分に関する「情報」を相手に適切に伝えるのだ、という気持ちで書くといい。

 仕事に無関係な趣味の資格などを書いても仕方がないし、応募職種にもよるが、外資系の会社に応募するのに「英検二級」なら書かない方がまだいい(どのみち面接でテストされるだろうが「英検一級」なら履歴書に書いた方がいい)。一方、募集している仕事に関係のある経験やスキルを持っている場合はそれが伝わるように職務経歴書を書こう。
面接の前に準備しておくこと

 面接で採用側が知りたいことは、重要な順に、
(A)募集職種に於ける候補者の能力と経験(この人にこの仕事を任せて大丈夫だろうか?)、
(B)候補者の人柄(一緒に仕事をして楽しい人だろうか?)、
(C)どれくらい入社したい気持ちがあるのか(本当に来てくれるのだろうか?)、
(D)将来も働いてくれるだろうか(近い将来、辞めてしまう心配はないか?)、
といったことだ。

 新卒学生の面接なら、「学校で勉強したことを簡単に説明して下さい」、「どうして当社に入社したいのですか」、「当社に入ったら何をしたいと思いますか」という三つくらいの質問をすることで、(A)~(C)くらいまでは短時間で分かる。たとえば、学校の専門について訊くと、どの程度まじめに勉強したか、それを他人に過不足無く分かりやすく説明できるか(素人に専門内容を説明できる人は「頭がいい」)、といったことが相当程度分かる。

 学生なら、上記の三つの質問に関して答えを自分のものにしておけば大丈夫だが、転職の面接の場合、もう一つ準備が必要だ。それは「(以前の、あるいは、今の)会社を辞めた理由は何ですか?」という質問に対する回答だ。仕事の能力に問題がない場合、採用する側が一番聞きたいのはこの質問に対する答えだ。

 この質問で問われるのは、過去の経緯と仕事に対する考え方とと共にビジネス的なコミュニケーション能力だ。嘘を答えてはいけないし、露骨な答えや、投げやりな答えはビジネスのやりとりとして不適切だ。

 しかし、会社を辞める事に関しては、何となく疾しい感じがして必要以上に言い訳口調になったり、過去の経緯があると感情が高ぶったりすることがある。この質問を上手くこなせない場合、面接全体の出来にも影響するので、過去の転職について「辞めた理由」、これからについて「辞めてもいいと思っている理由」の二点は、あらかじめ答えを紙に書いて、自分で吟味してみるくらいの周到な準備が必要だ。

(5)いきなりお金の話はしない

 面接は、基本的に、(1)採用側から見て候補者が仕事とに合っているか、(2)候補者側から見て会社と仕事に関して疑問はないか、そして(1)、(2)について問題がないことが確認されたら、(3)経済的な条件を含めて条件面で合意できるか、という流れで進むと考えておこう。「仕事」が第一に重要で、給料を含めて「条件」はその次の話題、というのが尊重すべき建前だ。

 最初に質問するのは採用側だし、その後に「何か質問はありませんか?」と訊かれても、「要はいくら貰えるのですか?」といった質問をするのは印象が悪い。ドライだと言われる外資系の会社でも、これは、そうだ。

 お金が重要でないとは言わない。しかし、仕事が何で、どのように進める必要があるのかということは、転職後の居心地と共に将来の自分の人材価値にも関わることなので、非常に重要なのだし、面接中は「仕事の内容の方がお金よりも大切だ」と思っている方が結果がいい場合が多い。

(6)面接は自分という商品を売る「商談」

 面接の服装だとか、応募書類の作り方だとか、あるいは話の仕方にしても、基本的には「面接は自分(の仕事)という商品を売るための商談なのだ」と理解しておけば良く、殆どのことはその延長線上で適切に判断できるはずだ。

 商談だから、時間も服装も相手に合わせる(相手に対する敬意が伝わるようにする)ことが大事だし、話の呼吸も、交渉の詰めが肝心でリスクや曖昧さを取り除かなければならないことも、転職面接の基本的な考え方は全て商談と一緒だ。

 尚、さまざまな調査で面接は、最初の1分くらいの印象で決めた結果と長時間やりとりして決めた結果とに殆ど差がないことと、誰かが好印象を持つ相手は、他の面接者が見ても好印象を持つらしいことが報告されている。最初の印象で決まるのは事実だろうが、最初が良ければ後で失敗してもいいということではないし、後の準備に自信がなければ最初に好印象を与えることも難しい。

 一つの心構えに集中するとすれば「これからお互いにとって良いビジネスを作るのだ」という「緊張感のある楽しみな感じ」を自分に言い聞かせることだろう。

 もう一言付け加えておこう。書類選考も、面接も、相手の都合で決まることだから、落選することがある。筆者も、過去の転職活動で何度も不採用を経験してきた。不採用の通告は、人間としての自分が否定されるか嫌われるかするような情けない気分になりやすいものだが、これも「あくまでも『商談』の不成立であり、自分の全人格ではなく、自分の仕事という「商品」が今回は売れなかっただけなのだと割り切って気分を切り替えよう。

(7)転職の基本は「猿の枝渡り」

 転職するか・しないか、最後の決断は誰にとっても悩ましい。決断のポイントの前に転職の基本を説明しておくと「次の入社が確実に決まるまで、現在の会社を辞めるアクションを一切起こしてはいけない」ということを肝に銘じて欲しい。

 仕事と生活のリスク管理上当然のことなのだが、この基本が守れない人が少なくない。自分は今勤めている会社を辞めるかも知れないと臭わせたり、実際に我慢しきれずに辞めてしまったりするのだ。前者は全く余計な行動だし、自分に関心を惹こうとしているようで大人として見苦しい。後者は、後のことを考えるといかにも不利だ。

 会社を辞めてしまうと、仕事のキャリアに空白が出来て人材価値が下がる、次の入社の際の給与交渉で無収入状態は不利だし、無業状態が続くと焦りが出て転職活動に悪影響を与える、といった不利がある。

 また、「辞めたい」あるいは「辞めるかも知れない」と一度口にした人は、組織の中で信用を失い、価値が下がる。使う側は、辞めるかも知れない社員に重要な仕事を任せないだろうし、仕事上の重要な情報を伝えるのも躊躇するようになる。

 筆者はよく「転職の基本は猿の枝渡りだ」と説明する。猿は次の枝を握ってから、現在掴んでいる枝から手を離すというのが主な理由だが、ついでに地上に落ちた猿は弱いということも併せてイメージしておこう。

(8)リスクとリターンで判断する

 転職の決断には、必ず何らかの不確実性が伴う。しかし、転職に限らず「現在よりも『絶対に』良くなるのでなければ○○しない」といっていると、人生で重要なことは何も決められない。転職は、大まかでも確率を一緒に考えて、投資の世界でリスクとリターンを考えるように決めなければならない。

 転職先の職場のことが完全に分かることはあり得ないし、転職後の自分の気分にも不確実性がある。しかし、現在の職場についても、将来の会社の盛衰、自分や上司の人事異動など、不確実なことは山ほどあることも考えなければならない。一般に、後者を軽視しがちな傾向があるし、自分が決めたことで後悔したくないという心理が働くので、現状維持に過大なウェイトが掛かりがちになることが多いかも知れない。

 また、逆に、今の職場が嫌だと思っていると、次の職場を過度に美化して、早く転職を決めたいという心理になることもある。現在の自分が、どちらの偏りを持っているのかを考えて、意識的に気持ちをリセットしよう。

 二つの職場をできるだけ公平に較べることが大事だし、完全にはそれが出来なくても、そうしようと努めたことが転職してもしなくても、自分の決定に対する納得の源になる。

 考慮すべき要素は人それぞれだが、一般的には、
(1)その転職がもたらす自分の人材価値への影響はどうか、
(2)二つの仕事はどちらが自分の価値観に合っているか、
(3)働くための組織の環境はどちらがいいか、
(4)経済的にはどちらが勝るか、といった点がポイントだ。

 大雑把な質問で言い換えると、
「仕事のスキルはどっちの会社にいる方がアップするか?」、
「どっちの会社の仕事が誇らしいと思うか?」、
「どっちの会社の方が自分をフェアに評価してくれそうか?」、
「損得を年収換算するとどれくらいか?」、といったところか。
若い読者に対して、敢えて一点だけに絞るなら、(1)だけを集中的に考えるのがいい場合が多いと言っておこう。自分の仕事のレベルを上げることが出来れば、それを後からお金や時間や自由に換えることが可能だ。

(9)転職の相談相手

 転職は基本的に自分で決めるものだが、自分の頭の整理のためにも相談相手が欲しい場合がある。こうした場合、どうすればいいか。

 理想的な相談相手は「同業他社の優れた先輩」といったところだろうか。

 絶対にやってはいけないのは、自分の会社の同僚や上司に相談することだ。情報が漏れる危険があるからということもあるが、相手が秘密を守ってくれるとしても、相談された側は、友人の秘密を守るべきか、それとも会社の為に友人の状況を然るべき相手に報告すべきかという問いに晒される。人間として、相手を「試す」ようなことはすべきでない。

 妻や夫といった家族も、生活上の利害が絡むし、相談者と距離が近すぎて、あまり適当な相談相手でないことが多い。

 尚、採用の面接をしていて好感触を伝えると、「それでは家に帰って妻(夫)とよく相談して、お返事します」と答えられて脱力することがある。妻や夫の賛否で自分の仕事を決めるという説明はいささか恥ずかしい。

(10)転職の失敗は後からリカバーできる

 今の会社か、転職先か、どちらかの方が「良さそうだ」という暫定的な結論が出ても、踏ん切りが付かないことがある。特に、一回目の転職については、転職自体の経験がないので、「良いだろう」と思っても決めきれない人が時々いる。

 こうした人には、転職の失敗(転職しないことの失敗も含めて)は、後から十分取り返しが利くということを言っておきたい。転職に失敗した場合、人生の中の 1、2年の貴重な時間をある意味で無駄にすることは事実だが、その後にまた転職することは十分出来る。

 仕事の内容さえ十分確認して転職していれば、それほど人材価値を落とさずに再び転職が可能な場合が多い。

 人生の時間は貴重だが、チャンスは何度か自分で作ることが出来る場合が多い。

(補足)「やる気」と「健康」があれば大丈夫!

 実は、若い頃の筆者は、当時、転職が一般的でなかったこともあって、最初の転職にあたっては大いに悩んだ。その時に、自分なりに考えに考えて得た結論は「もし、この転職で失敗しても、健康で働く気さえあれば、元より得ではなくとも、人生は何とかなるのではないか」という大雑把な割り切りだった。

 転職するにしても、しないにしても、自分で決定することを恐れていてはつまらない。

  以上