更新できずに6月になってしまいました。その後,進展は微々たるものですが,ないわけでありません。
林先生の講義には欠かさず出席しています。以前,講義内容をレポートすると約しましたが,それをblogにアップすることはできないことになりました。というのも,先生に,講義には様々な資料にあたりつつ現在進行中のストーリーであって裏付けが済んでいない意見も含まれているので,講義で話したことを他所で公言するのは今は控えて欲しいと言われたからです。この講義の内容はいずれ本になるそうですから,公式ルートとしては,そちらをお願いします。林先生のHPからもいろいろと知ることができます。
最近,読んでおもしろかった論文は
J. L. Bell, "From absolute to local mathematics", Synthese 69 (1986) 409-426.
です。圏論とトポスについての話ですが,ポイントは次のようなことです:
ZF集合論で,選択公理(AC)や連続体仮設(CH)の独立性が証明されていることは知っていると思います。これは,選択公理や連続体仮設などの無限に対する主張を公理として要請しない数学もあり得るということです。無矛盾性こそが実在の要件であるというHilbertの思想によってこれを数学基礎論的に押し進めることができます。そのための概念装置が圏論・トポスです。
そこで明らかになることは,数学的概念には一義的な絶対的意味はなく,意味も真理(値)もその数学が世界のどの側面(aspect)を写しているかによって,locallyにもしくはrelativeに決まるのだということです。この論文ではそれをEinsteinの相対性理論に対比させてあります。
技術的には,従来の集合論を圏論によって再構築してみると,それまではconstantと見なされていた概念がvariableと見なせるということがわかることです。この弁証法的な過程 "negating constancy" は,model theoryや圏論の発展によって明確になってきた方法論です。
さてそのようにして,数学のframeworkを圏論的な対象であるトポスによって定式化していくと,その上で選択公理や連続体仮設が独立であるような,つまり,AC(CH)を追加しても,AC(CH)の否定を追加しても矛盾しないようなframeworkが定式化できます。おもしろいのは,様々なlocal frameworkの基体となっているこのframeworkにおいて自然に成立しているlogicは直観主義の論理であるということです。なんとこのframeworkにおいてはACと排中律が同値なのです。local mathematicsという捉え方をしたときに,様々なlocal frameworkに対して普遍的な位置に立つものは,直観主義の論理,もう少し正確には constructive reasoning であるというのは私には感動的ですらあります。
この論文の最後の段落は次のようになっています:
So the local interpretation of mathematics implicit in category theory accords closely with the unspoken belief of many mathematicians that their science is ultimately concerned, not with abstract sets, but with the structure of the real world.
Bellによって一番最後に力強く述べられている "the real world" に対して,数学の危機以前のそれと現代のそれとの本質的差異を見極めようとして,方法論的にいったん失った共感を今一度取り戻すことと,見極めた差異を自分の言葉で表現することが私の課題です。
上記の論文について興味を持たれた方は,
BellのHPで手に入ります。