オモシロキ コトモナキ世ヲ オモシロク

「広い世界を見るのだ」走る、もがく、こける。どこまでいけるかやってみるそんな東大生の日記。

拝啓 高杉晋作様

2007-05-22 00:09:23 | ぼやき
お久しぶりです。放置絶好調の日記でしたが、「中途半端や」というツッコミを受けたのでご挨拶を兼ねて最後のコメントを。

今でもちょくちょく読んでくださる人がいるし、初めて会った人に「日記みたよ」といわれ嬉しはずかしだったりするのですが、これで最後のエントリーにしようと思いまっす。なんか似たようなことを書いたり気分によってコンセプトを変えたりばっかりした日記ですがなんとか1年ちょい続いたかなと。

日記を書き始めた理由でもあるけれども、自分の嗜好いや思考の発露のつもりで最初はかきはじめていたのだけれど、日記上、リアルでそのテーマについて話してくださる方などもいて、やはり自分の思考をまとめるいい道具になったかなーと思います。それもこれも読んでくださったりコメントをくださったりネタを提供してくださった皆様のおかげです。
日記だけでなく、自分を色んな角度から支えてくれた皆様に感謝します。

最後に近況報告を兼ねて一言。
当初のエントリーでも書いてあるのですが、現在無事卒業できて(報告遅れてごめんなさいーーー)コンサルタントとしてプロフェッショナルの(気持ちは)一歩を歩んでおります。いつもとおりマイペースで(笑)毎日楽しく生きています。

学生のとき思っていた以上に社会人になって思ったこと。
それは「自分の道はやはり自分で決めるということ。」
そしてそこには最後は自分という厳しさと、それをやり遂げる充実感、そして結局誰かに支えてもらっているという優しさがあるんだなーと痛感しております。
そしてどんなに小さな仕事であっても大きな仕事であっても、楽しくするのは自分次第だし、誰にserveしているのかという感覚を自分で持つのが大事なのだと思うようになってきた。

僕たちはえてして、「世界を変えてやるんだ」とか「どうせ意味ないんだし」とかって大言壮語や苦言の間を行ってきたりするけれど(もちろん世界を変えてらっしゃる方もいますよ)自分がかえることができることなのはこの世の何万分の1とかしかないのです。もっと少ないのかもしれない。

でも世の中の1人の気持ちでも変えることができれば素敵じゃない。そしてそれが何か目に見えるものをかえれたら・・
すべては自分の意識の違いでなんぼでも面白く世の中はなるんじゃないかしらと考える今日この頃です。

1度しかない人生。
どうせ生きるならどんなに小さくてもなんと人に言われても
あなたなりの人生を。

皆様が歩めることを祈って最後にします。
というかこの世はめちゃめちゃおもしろいんじゃないかとかって思っているので。
高杉晋作の句は上の句で完結しているのではないかと思ったりして。
今はどうも色んな理由でblogなど続けられそうな感じではないのですが、またお会いできる日を楽しみに。リアルでお知り合いの人は酒でも飲みにいきませう。

オモシロキ コトモナキ世ヲ オモシロク

yasu 

人の何倍も努力すること

2007-01-06 19:42:12 | ぼやき
最近家にいることが多いせいかきばらしによく更新します。
そういや大前研一の『サラリーマンサバイバル』を読んだ。
ただ中身の話ではなく少し感じたこと。
あれだけえらそうに見える大前さん(失礼)の根源が見えたような気がした。中身は啓発本チックなので思考ではなく姿勢的な本なのだけれど、僕が一番今回考えたのは彼の自信の裏には努力があるのだなということ。
自分がもらっているフィーに見合うだけの仕事をしないと帰らないなんていうくだりもぼく的にはヒットだったのだけれど。

当たり前のことなのだろうけれど、
彼は自分で何百ものケースを社内のイントラから読んで勉強したりしていたらしい。また1年に1つテーマを決めて勉強したりしている。そういえばLVJ社長の藤井さんも同じようなことを書いていた。そして松本大さんもマネログに似たようなことが書いてあった。

単純だけれど成功する人は目に見えないところで数倍いや数十倍もの努力をしている。どうにも僕らは目に見えるところにとらわれて色んなことを議論しがちだ。もちろん努力だけではなく才能(定義は難しい)もあれば、努力することが「才能」であったりもする。

卑近な例でもうしわけないが、僕は高校のとき同じようなことを書いていた。高校3年の前まで部活をしていたのだが、人が勉強しているよりも前の段階や人が勉強しない時間にこそがんばり時だと思って勉強していた。剣道で「自分がつらいときは相手もつらいのだからそこが勝負」という考え方がしみついていたのかもしれない。
すべてとはいえないがすべからく色んなことはそこが勝負なのかもしれない。

そこんとこの粘りもっともっと粘って生きたい。

【えーが】『サイレントヒル』

2007-01-06 01:18:48 | れびゅー
『サイレントヒル』を食事中に見た。
いかんせんホラーは苦手だ。『ハンニバル』だとかは話の道があったから楽しめたのだけれど。個人的には最後のオチがよくわかんなかった。
また個人的暴走に走るけれど、

究極的に怖いのは人間の妄信だ

という話。

しかし妄信こそが恐怖を生み世論を生みそしてスキームを生みそれが現実的な苦痛を生み出すという構造の怖さはどうだろう?
中世の魔女狩りよろしくの構造的問題はあらゆるところに潜んでいる。「妄信」の定義・レベル感は違うのかもしれないけれど世の中にいろんな「妄信」があふれていてそれが仕組みを作り出していることもあるのかもしれない。
その「妄想」は新しいイノベーションを生み出すこともあるし、構造的ゆがみを生み出すこともある。
個人レベルで行くと「いじめ問題」もそうなのかもしれないし、最近起きている悲痛な事件もそうなのだろう。
さらにいえば国家という枠組みを無視した某国での死刑執行なんかもしれない。

一番怖いのは人間の妄信なのかもしれない。
それが世界を形作っているのもまた一理かも。
この世に「真実」はあるのだろうか?

それにしても映画はよい。

好きな剣道の先輩とビジネスマンの言葉

2007-01-05 17:39:07 | ぼやき
最近学生シンポであった友達が言っていた言葉を聞いて思い出したから書いてみる。
彼が言っていたのは
warm heart & cool head(つづりあってる?)
だった。
この言葉何回か聞いたことがあった。

剣道の大すきな先輩が
「お前は熱くなりすぎる。熱くなる前に冷静な頭で相手を見て分析するんだ。熱い自分と冷たい自分を両方もってだな・・うんぬん」

就職活動でであったビジネスマンやベンチャーの社長も同じような
「ロジックは道具」だとか「熱いだけでは駄目。一瞬身をひいた冷静かつ論理的な・・」

そういやある人がもっとロジカルシンキングがんばります!とかって言っていた。
以前も書いたかもしれないけれど僕らは右脳派左脳派に自分をカテゴライズしがちだ。けれども最近思うのはその両方とも全然まだまだなのだなと思うようになっている。

「自分が何がしたいのか?」人に伝えて人を動かすレベルまで落とし込んで動ける能力だってまだまだだし、論理的なんんてかけらもあるかわかんなけれど巷で言われている論理思考レベルというのは俄然使い物にならないレベルだと思う。

熱い心と冷めた頭

単純だけれど奥が深い言葉だと思う。基本的なマインドセットこそ磨くのは難しい。

「なしたいこと」と「なりたいもの」

2007-01-04 02:59:40 | ぼやき
「なしたいこと」と「なりたいもの」は全く持って異なる。と僕は考えている。
まず言葉が違うよいってしまえばそこで試合終了なのだがそこで話を止めずに突き進むと、そこんとこを混同して使ってしまいがちなのだと思う。
たとえばよく就職活動生に

「将来何になりたいとか?」ってあるんですか?

と聞かれる。

ここで曖昧に言葉を濁して、「PEファンドに行きたいなー」とか適当なことを言うと大抵の人は満足そうな顔をする。
そういうときぼくはかなり罰の悪そうな感じがする。
もちろんPEファンドなどの仕事も非常にエキサイティングだろうし、やってみたいことには近いと思う(現状の自己分析では)
同じレベルで「企業家になりたい」なんていうのも安心するのかもしれない。

でも僕は正直よくわからない。
現状での仮説レベルでの5年後10年後のキャリアプランというのは当然あるが、それは仮説としての仮説だし。たぶんその仮説は外れるだろうという仮説をもっている(今までの経験則的に)
「なしたいこと」と「なりたいこと」はたぶん違うのだ。
いつものように誤解のないように保留をつけると環境誘引も非常に強いことも当然に考慮して考えるけれど。
「なりたいこと」を考える前に「なしたい」ことを考えるべきだ。と思う。
僕は親の教育からかすごい人を見ても「こんな人になりたい」とは心からは思わない。それは同じライフラインを描いていたら一生その人を超えることはできないと考えているから。
それでもそういう質問を自分も含め聞いてしまうのは
ようは何かのメルクマールを探しているのだ。

こういうキャリアプランがあると思えば俄然リスクは下がる。

「プロ論」「革命者たち」「ガイアの夜明け」「外資系・・」がはやる理由はそこにあるのかもしれない。(購買層が若い人に限って言えば)

でもそういう生き方から脱却しないとあなたはメルクマールになることはできない。リーディングケースでなくサンプルにしかならない。

今日ある人たちとメールして考えたこと。


あけましておめでとう

2007-01-03 02:18:10 | ぼやき
あけましておめでとうございます。
このblogもずいぶん放置気味になってしまいましたが、なんと一周年を迎えました。
というわけで06年を振り返ってみて07年の目標を定めようと思います。
【06年】
「区切りの年」:区切りなんて書くとそこで何かが終わりまた何か新しいことがはじめるのだというニュアンスだが、たぶん違うということを学んだのが去年一番の収穫。
確かに何かが終わりそして何かが始まる。
ただその中には目に見えるもの目に見えないものあわせてすべてのことが僕を形作っており、すべての意思決定に結びついているのだと思っている。そしてその目に見えないきづき・つながりこそがぼくの財産なのだと知った1年だった。

ただいくつか活動をカテゴライズして来年の打ち手とともに書いていこうと思う。

・就職活動もとい人生
就職活動という区切りが嫌なのであまり好きではないが、大学生活を通じて自分のなかで模索していた課題に対し、はじめの一歩としての解を決めた。去年のblogを見ていると暗中模索感まるだしで自分でも素敵だと思う。
そして自分の中で「計画された偶然」という自分に合ったキャリア観を発見したことも自分にとってのプラスになったと思う。
それにしても多くのことを学んだ。むしろ内定してからのほうが色々勉強して世界が広がりつつあるような気がする。1年かけて消化作業をしてきたつもり。

⇒目の前の仕事をとりあえずがむしゃらにやる。
一度頭を空にしてすべてを叩き込むとともに自分なりのバリューが出せるための素地を作りたい。そしてできれば自分ならではを確立する。
正しい表現かわからないけれどプロフェッショナルとしての意識を確立する。
頭からプロ意識を自分に徹底させる。自分を甘やかさない。

・剣道など趣味
以前のentryでも書いた関東大会で無事(?)ベスト8を果たし、結果なぞどうでもいいがチーム全員で勝ちにこだわりチーム全員で勝ちに行くという剣道ができ、そこにコミットができたことを非常に自分のいい思い出だと思う。
たぶんこの経験は一生忘れない。
みんなで笑いみんなで泣きみんなを信頼する。
10年間続けたけれど神様からごほうびをもらえた気分。

⇒デスクワークが多そうなので運動をするようにする。というか全体的に今年は運動不足。運動だけではなく趣味の面があまり広がらなかったことも課題としてあげられる。散漫にならない程度でストレスマネージメントの一環として何か新しい趣味を見つけ出したい。
さらに剣道は社会人剣道会を作る話が止まっているので是非実現したい。

・勉強

藤原帰一先生の下で国際政治を勉強できたのは個人的には非常に勉強になった。まだ未完だけれども論文を書くことで仮説検証を学問の中で味わえたことも自分の中では喜びである。さらに必然性に迫られてかなり法律も勉強した(涙)情報処理能力がかなり改善したような気がする。
英語の勉強は始めたばかりだし、自分の予定とおりではあるがやはりもうひとふんばりが必要だと思われる。経営などに関しては予定とおり皆無。
ただ国際学生シンポや年後半のMtgやシンポ・英語講習などを通じて「自分の意見を伝える」ということがきちんとしてきた気がする。でも努力を続けるべき。

⇒教養部分を含めたぶん本を200冊くらいしか読めなかった。予定の半分以下。
またトピックを絞って勉強する癖をつけないといけないし、その本から自分が何を考えるのか?を導き出す訓練をしないとdebateやdiscussionでは通じない。
英語に関しては指標問わず07年成熟したい。
ニュースなどから自分の意見を導き出す訓練をより日常的におこなっていくことも課題。とともに仕事に関して人よりバカなので一層努力していきたい。

・旅
北海道旅行
屋久島旅行
インド旅行
京都旅行
新潟旅行
台湾旅行
などもっと見聞を広めたい。エジプト・アンコールワット・フランス・イタリア・カンボジア・タイ・・・・行きたい国は山ほどある。卒業前に行きたい。

・学生団体・経営
同じカテゴリーに入れていいのかわかんないけれど、人を見る訓練などとして入れておく。ぶっちゃけ経営の勉強は皆無。07年のお楽しみ。
2つのことを学んだ。
■アントレプレナーシップ
東大アントレプレナー道場の参加・初級・中級・上級などを通じてビジネスの枠組み以上にアントレプレナーシップの重要性を学んだ。以前まではかなり批判だったがアントレプレナーシップというのをかなり広義にとらえなおし、自分の問題意識に対して動ける能力というのはどのような局面においても重要だと痛感した。
自分が正しいと思うこと・自分がオモシロいと思うこと。
それに対して「自分で」文字とおり動いていくそれが重要。
■学生団体のマネージング
普段学生団体の活動を批判するようなこともあるかもだけれども多くのことを学んだ。お金などの対価のない組織によっていかに人をつなぎとめていくのか?ということ。そして折りしもこの1年で組織の立ち上げ・組織の引継ぎ・組織の廃業すべてを体験させてもらったの。
そこには小難しい組織論ではなくて以下にみんなと向かいあっていくのか?いかに自分がコミットメントしていくのか?こそがやはりとても重要なのだと思うようになってきた。
⇒これは生かすのみ。

・その他
その他mindsetとして「自分」で何かをやっていくのだということを学んだ。
06年実は数多くのことで失敗した。ビジネスコンテストで予選敗退したこともあったし、企画もいくつもつぶしたし、人にも良く怒られた。でももっとそういうのを多く経験したい。
失敗することよりも何もしないことの方が自分にとって損だ。
と心から思うようになった。
人間レベルでも
嫌われるよりその他一般になる方が自分にとって損だ。
と思う。

結構長くなってしまったけれど、こんな感じで07年がんばっていこうと思うので宜しくお願いします。
目の前のことをがむしゃらにやります!

07年元旦+1日

【ぼやき】自分の意見を言うこと

2006-12-13 19:58:41 | しゅうしょくかつどー
今回も当たり前のことを再認識したので書く。
最近会社の英語研修に行っているのだが、英語以上に学ぶことが多い。
思った以上に英語は論理的な言語である。
日本人は思った以上に論理的に自分の意見を伝えるということが苦手なのだと思う。
英語というストラクチャーが逆の言語を使うとそれがすごく分かる。
言語を構造化して瞬時に話すということにあまり慣れていない。

それ以上に違うと思うのは「姿勢」なのだと思う。

自分から意見をがんがん言う。
発言しないと何も伝わらない。
意見を言わないものは価値がない。

最後まで言うとかなり押し付けがましく、「っぽい」全開だけれど
こういう環境と授業をただ聞く一方という環境で育つのは全然違うのだと思う。

たぶん日本で言えば僕は自分の意見を言う方だろう(shyだけれど笑)

会話という競争の中で瞬時に思考を構造化すること
これが今の課題の1つ。

【本】「売れすぎごめんヒットの仕掛け人」

2006-12-07 02:10:58 | れびゅー
古本屋で鬼ほど買った本の中に
売れすぎ御免! ヒットの仕掛け人」なる本があり読む。

こういう本やTV番組は好きだけれども、どうにも本にして読むと飽きるところがある。「仕掛け人」としてどちらかといえば裏舞台で商品開発に関わった人たちを描き出しているんだけれども、もう少し深く読みたいやら、数が多いとぼけるやら。
とか言いながら買ってしまうんだけれども。

少し本からずれて
昨日書いたこととも近いけれども、ヒットでなくても何かを生み出せる人というのに共通した特性ってあるような気はでもする。
それってなんともいえないパワーなんだよね。とかって言うと元も子もないけれど、昨日の話しにかこつけていうと、頭か足で言うと絶妙なタイミングで足がパンと出る人。一種「ビジネス瞬発力」ともいえる感じ。
ずーっと書いているけれども僕はできる人できない人を分けるのが嫌いだしできないと思っている(時や条件などの制約条件をしぼればできるけれど)
むしろそこは瞬発力みたいなとこだったり、この人とだったら・・みたいなところなのかもしれない。

先日行ったアントレプレナー道場の「web2.0を考えるセミナー」でシリウステクノロジーの宮沢さんが、「この人と働きたい」とかって思わせるのがいいITベンチャーの条件だみたいなことを言ってたっけ。

昔の考えとかだと「思い」と「論理」を2項対立的に書いていたけれども、最近「論理」は「思い」を加速する道具なんじゃないかとかって思ってきた。逆はないんだけれども。

死ぬほど仕事がしたい!
最近かっけー人を何人か見たせいか自分もがむしゃらになりたいというか自分が情けなくなってきた。
死ぬときにあー仕事したって思って死にたいですな。

【ぼやき】新規事業・論理的に「ニーズ」があること

2006-12-06 00:53:50 | ぼやき
こんな卒業間際だというのにまた新規事業の提案をしてきた。
新規事業というほどのものじゃないけれど。一応いきなりだけれど社長プレゼンまで話を通すことに成功。

新しいことをするのが単純に好きだ。
一番最初におかしいことをすることはそれだけで価値があると考えている。
人と同じことをするのが嫌なだけなのかもしれない。

まあ僕に関してはおいておいて、少し感覚的な話になるけれど。

論理的に「ニーズ」があることと、実際に物が売れること、モデルが動くことは違うといつも思う。頭の中や企画書や仲間内で何度も何度も色んな角度からシュミレーションして、仮説検証して。「それって面白い」とか「それってイケルんじゃない?」という展開になってから話を詰める段階で何度も襲ってくる本当に「ニーズ」があるのかな?っていうドキドキ感はたまらない。

そういうところが実際にビジネスをしている人・意思決定をしている人のドキドキなのかもなとか思いながら。そこは論理+αなんだろうな。
この思いがさらに形になったときのドキドキがやめられない。

そういう感覚を来年から社会人になっても大事にしたいな。

【ぼやき】課題発見能力

2006-12-03 19:07:37 | ぼやき
本は読んでいるけれどレビューなんてする気になれないので、ぼやき。
本屋に行くと課題・問題解決力の本がすごいでている。
僕はこの手の本を批判したりしがちだが(以前までのentrを見るとその気配がある)それでも一つの思考の道具としてはかなりよいと思っているし、実は好きだったりもする。

最近人の会議なんかをよくみるが(就職活動含め)
問題解決能力よりも、問題発見能力の方が何倍も重要なんじゃないかなと思う。
なんか話の回し方だけやたらとうまくなって、「問題ってそもそもなんだっけ」みたいなケースって結構多いんじゃないかしら。

そして大事なことは「解ける問題」と「解けない問題」を上手に峻別してあげることじゃないだろうかと思う。
こういうことを言うとはー?って言われるかもしれないが、ぼくらは意外とこの2つを混同しがちだ。それはそもそもかもしれないし、はたまたレベル感や制約条件の問題かもしれない。理由はいくらかあるかもしれないけれど「解けない問題」を「解ける問題」に落とす力こそ問題解決力の一歩なんじゃないかなとか思ってみた。
当たり前んことだけれど、意外と難しい。