スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

9月のノルウェー農業視察(その2)

2014-10-30 23:13:15 | コラム
今年9月上旬にノルウェーを訪ね、1986年のチェルノブイリ原発事故で高い濃度の放射性物質が降下した2つの地域を訪ねた。

【前回の記事】
2014-10-24: 9月のノルウェー農業視察(その1)

これらの地域は丘陵・山岳地帯であり、土地が非常に痩せているので、有効な活用の仕方として歴史的に牛・羊・ヤギ・トナカイの放牧が行われてきた地域である。チェルノブイリ原発事故にともない土壌や牧草が放射性セシウムで汚染されたため、1986年はこの地域で生産されたほとんどの畜産・酪農品(牛肉、牛乳、羊肉、ヤギ乳、トナカイ肉)が廃棄処分になった。その後、様々な対策が試行錯誤の中で実行され、効果が上がったものはその後も続け、また、その効果を最大にするための実験が行われていった。

ノルウェーで実際に取られた主な対策は以下のようにまとめられる。(スウェーデンにおけるチェルノブイリ事故後の反省・経験をまとめた報告書を、2012年1月に『スウェーデンは放射能汚染からどう社会をまもっているのか』として翻訳出版したが、そこで紹介されている対策とよく似ている)

○ 飼料や岩塩へのプルシアンブルーの添加
・牛、羊、ヤギの飼育において

○ プルシアンブルーを含む胃タブレットの投与
・牛、羊、ヤギの第二胃に投与。放牧期間中の数ヶ月間、効果が持続(しない場合もあり、いかに効果を放牧期の終わりまで持続させるかが課題)。

○ 牧草栽培地での耕起とカリウム肥料の撒布
・秋から春にかけて家畜に食べさせるための牧草の栽培における対策。

○ 生体検査
・羊とトナカイを前に生きた状態でセンサーを当て、肉のセシウム濃度を測定。流通基準値を下回ったもののみを。

○ クリーンフィード
・生体検査で基準値を上回ったものは、その後、汚染の少ない飼料を一定期間、与えることで肉のセシウム濃度を減らした上でする。物理学的半減期と比べて、生物学的半減期はずっと短いことを利用している。

○ トナカイのの時期を冬から秋にずらす
・トナカイは放牧飼育であり、通常は冬になってからし、肉として販売するものの、秋に放牧地に生えてくる大量のキノコをトナカイが食べてしまい、セシウム濃度が秋の間に上昇するので、キノコのシーズンが始まる前にする。ただ、そうするとトナカイに肉がまだ付ききっていない状態でのとなるので、経済的価値は減少してしまう。

◯ 農家に対する経済的補償
以上の様々な対策には費用が掛かるが、農家がその経済的な負担を負うことが無いように追加費用はすべて国が肩代わりする。トナカイにしても、クリーンフィードの費用はもちろんのこと、秋ののために肉の量が少なく、そのために発生する経済的損失については国が補填している。ただし、これはあくまで経済面での負担であり、対策のために費やす追加的な時間や労力についてまでは補償されない。また、補償されるのは、国が認めた流通基準値を超えないようにするための対策に対してであって、それよりもさらにセシウム値を下げようと農家が自主的に講じる対策に対しては基本的に補償されない。


羊の生体検査


プルシアンブルーが既に添加された配合飼料(黄色の袋に入ったもの。その外側にあるのは通常の配合飼料。プルシアンブルー入りは若干、灰色)


プルシアンブルーが添加された岩塩(家畜のナトリウム補給に。通常は白色)


※ ※ ※ ※ ※


ノルウェーはスウェーデンに同様、少ない人口の割に国土は広大な国であり、今回の視察でも丘陵地や高原地帯を毎日、車で長時間移動。日によっては、要所々々で視察をしながら一日500km移動したこともあった。しかも、移動手段は運転手付きの貸切バスでも貸切タクシーでもなく、ノルウェー放射線防護庁の職員二人が2台のレンタカーを借り、自ら運転するという節約ぶり(笑)。

訪問先ではいろいろな農家(トナカイ、羊、ヤギ、牛)の人から説明を聞き、移動中は2台それぞれの車の中で、ノルウェー放射線防護庁の職員(兼 運転手)と福島の農家や住民が盛んに議論。

いろいろな議論をしたが、日本の行政による対応とノルウェーのそれとを比較する上で、重要な点は次の2点だと感じた。


○ 意味のない基準

ノルウェーの畜産・酪農の現場で行われた対策は上に挙げた通りだが、これらの対策は、最終製品におけるセシウム濃度を流通基準値以内に抑えることを目的としている。流通基準値を満たしているかどうかの検査も、最終製品だけを対象としている(すでに説明したように、羊・トナカイに関しては前の段階で生体検査を行ってチェックすることで、せっかくしても基準値超えで廃棄処分にせざるをえないような状況を防いでいる)。

これに対し、日本では本来は最終製品に対して決められた流通基準(1kgあたり100Bq)が、家畜に与える牧草にも適用されているし、牧草地に散布する家畜の糞尿(堆肥)にも適用されているという。つまり、100Bq/kgを超える堆肥は肥料として使えないし、100Bq/kgを超える牧草は家畜に与えてはいけない、ということになっているのである。

もし、
糞尿(堆肥)→ 土壌 → 牧草 → 家畜 → 最終製品(肉・乳)

というプロセスのそれぞれのステップにおいて移行係数がすべて1であるのであれば、最終製品に対する基準と同じ基準を、それぞれのステップにおいて適用するのは意味があるかもしれないが、実際にはそのようなことはない。

農地の耕起の仕方土壌のカリウム濃度によって、土壌 → 牧草 への移行は大きく異なるし、牧草 → 家畜 →最終製品 への移行も、家畜や製品の種類によって異なるし、飼料にプルシアンブルーを添加することで大幅に減少させることも可能である。

つまり、農地に撒布する糞尿のセシウム濃度が基準値をはるかに超えていても、それよりも汚染の少ない牧草を栽培することは可能だし、仮に、この牧草のセシウム濃度も基準値を大きく超えていたとしても、最終製品ではセシウム濃度を基準値以下に抑えることは十分に可能である。

しかし、日本では糞尿や牧草にまで、最終製品と同じ基準値を適用しているばかりに、本来なら十分に堆肥として使える糞尿や、飼料として使える牧草が、廃棄物として処分されているのである。これほど非科学的で馬鹿げたことはない、というのはノルウェー放射線防護庁の人の率直な感想であるし、私もそのとおりだと思う。

「ノルウェーでは、放射性セシウムが降下した地域の牧場で出た糞尿はどこで処分したのか?」という質問は、私が2012年にノルウェーを視察した後に日本の方から頂いたが、「ノルウェーではそのまま農地に戻す」というのがその問に対する答えである。通常通り、肥料として使うが、その際に農地をしっかりと耕して、セシウムが土中の粘土鉱物に吸着しやすくしたり、カリウム肥料を散布することでセシウムが植物に移行するのを抑えている。既に触れたとおり、家畜には牧草と一緒にプルシアンブルー入りの配合飼料を与えることで体内でのセシウム吸収を妨げている。

もちろん、糞尿のセシウム濃度が極度に高く、どんな対策を講じても最終製品が基準値をオーバーしてしまうような場合には、糞尿にも何らかの基準値を設けることには正当性があるかもしれない。しかし、この場合も、糞尿から牧草、牧草から最終製品への移行係数をきちんと計測した上で、最も合理的な糞尿基準値を設けるべきであろう。すべて単一基準なんてありえない。


○ 行政と生産者の継続的な人間関係

日本の行政システムでは担当者が3年毎にかわってしまうが、これが様々な弊害を生んでいると思う。

・生産者との長期的な信頼関係を築けない。
・行政の担当者が、その分野のことをやっと理解できるようになった頃に異動がある。
・そのため、その分野の業務に取り組む際の意欲が低くなる。特に、結果が出るまでに長時間かかり、その頃には自分はもう異動しているようなプロジェクトに対するイニシアティブが低くなる。
・そもそも、その分野の専門性を持たないので、自分で判断できず、すべて「持ち帰って検討」となる。
・その結果、農家の人たちと向き合うというよりも、上司と向き合って、むしろ彼らの目を気にしながら業務をせざるを得ない。
・しかも、決定権を握っているその上司も3年毎に異動する人。自分がそのポストに就いている3年間に実績を残さなければ、次の移動でどこに飛ばされるかわからないから、業務において自分の「足跡」を残そうとする。前任者と同じことをしていては自分がリーダーシップを発揮したことにはならない。だから、思いつきで、それまでとは大きく異なる決定を下したりする。その結果、部下は現場への説明に追われるし、一番困るのはそれまでのやり方が突如として変えざるを得ない現場の生産者である。

(これは、あくまでStylizedした記述であり、これに当てはまらないケースももちろんあるが、大きな傾向は掴めていると思う)

2012年秋のノルウェー訪問でも、今回の視察でも、ノルウェー放射線防護庁の職員とこの問題点について長時間にわたって議論した。ノルウェーの行政職員の働き方はまさに「適材適所」である(同じことはスウェーデンにも当てはまる)。行政業務の専門性ごとに求人が出され、そのポジションには大学で関連分野を学んだ人材が応募してくる。そして、そのポジションがなくなるか、本人が自分から辞めたり、他の仕事をするために別のポジションに応募したり、転職しない限り、そのポジションで同じ分野の仕事に従事し続けられる。定期的な配置換えはないから仕事への取り組み方が違う。専門性に基づきながら、現場の農家の人と協議しながら「今、何が必要か」を自分で判断して、イニシアティブを発揮し、新たなプロジェクトを始めやすい。

実際のところ、2012年の視察では私たちをトナカイ・羊農家に案内してくれたノルウェー放射線防護庁の職員が、視察の後にその農家と雑談しながら、最近の世間話や牧場の家畜の様子について話をしていたが、その中で放射能汚染対策についての面白いアイデアが出てきて、農家の人と互いに意気投合しながら、今日は時間がないから、詳しい話は今度しようと約束して、その牧場を後にした光景を目撃した。この職員は大学でもその分野のことを学んでいるし、その分野の行政にも長年携わってきたので、今、何が必要かが判断できるし、自分の組織に持ち返ってからも周りの同僚や上司を説得しやすいだろうし、そもそも現場を回る職員にかなり多くの決定権が下りているケースも多い。もし、この職員が放射線防護とはほとんど関係のない、例えば、法学部卒の人間だったら、そのような判断ができただろうか?

放射線防護をめぐる行政活動には、もちろん、放射線防護の知識だけではなく、社会への影響や社会経済学的な分析をする能力、もしくは、心理やリスクコミュニケーションについての専門性、あるいは、トナカイ放牧をするサーミ人の文化継承についての理解、といった幅広い専門性が要求されから、「日本のようなジェネラリストを育てる制度のほうがよいのでは」という人がいるかもしれないが、いや違う。それぞれの専門性ごとに人を雇えば良いのである。大学でそのような専門分野を学んだ人はいるだろうに、実際の行政にはそれとは関係ない専門性を持つ職員(そもそも大学でちゃんと学んでいればの話だが)がそのポストに就いている、という「不適材不適所」が日本において様々な問題をもたらしているように思う。

9月のノルウェー農業視察(その1)

2014-10-24 20:42:27 | コラム
9月7日から11日にかけて、ノルウェーへ視察に行ってきた。ノルウェーは1986年のチェルノブイリ事故によって、スウェーデン同様、局所的に高い濃度の放射性セシウムが降下し、その後の対応に追われた。セシウムが降下した地域は畜産・酪農の盛んな地域であったため、農産品の汚染を減らすための様々な対策が試行錯誤の中で考案され、その結果や経験は時間とともに蓄積されていった。その経験や知識をぜひ福島の復興に生かしてほしいということで、ノルウェー政府ノルウェー放射線防護庁は、福島とノルウェーの住民・農業生産者同士の交流を進めており、その一環の視察だった。

私は、通訳のサポートして同行。ノルウェー語の通訳は別にいるものの、視察が大人数のため2つの車に分かれて移動することも多く、もう一人通訳がいたほうがよいことで加えてもらった。私は2年前の2012年にもノルウェー放射線防護庁の人と一緒に、ノルウェーの被災地域の農家を訪ねたことがあったので、チェルノブイリ事故後のノルウェーの状況や、畜産・酪農における対策についてはある程度、把握しているつもりで、今回の視察では通訳以外のサポートとしても同行した。

スウェーデン語ノルウェー語は言語的に近いため、基本的な違いを把握しておけば、ノルウェー人は私にノルウェー語でしゃべり、私は彼らにスウェーデン語でしゃべることで会話が成り立つ。ただし、放射線防護庁の職員などオスロの標準語をしゃべるノルウェー人は分かりやすいが、今回の視察はNynorskの地域が多く、地元の農家の人がしゃべる独特の訛りと語彙には少し苦労した。

ちなみに、ノルウェーには原発はなく、電力は97%以上を水力に頼っている。だから、ノルウェーの放射線防護庁は「原子力ムラ」の一部ではないし、今回の視察も原子力・放射線の安全性を強調したい勢力が背後にあるわけではないことは、強調しておきたい。

※ ※ ※ ※ ※

チェルノブイリ事故直後、ノルウェーで高い濃度の放射性セシウムが降下した地域は、主に下の地図で赤丸で囲んだ2地域。スウェーデンでは、イェーヴレ(Gävle)からスンスヴァル(Sundsvall)にかけて放射性物質を含む雨が降り、比較的高い汚染をこれらの地域にもたらしたが、同じ雲はそのまま西に流れ、ノルウェーでも赤丸で囲んだ地域に雨を降らしたのである。2012年に私がノルウェーを訪れた時は、ヴァルドレス地方のみの訪問だったが、今回の視察ではこの両方の地域へ足を運ぶことができた。



詳しい話は次回書くとして、今回は視察中に撮った写真と動画をいくつか紹介したい。


ヴァルドレス地方。人気のハイキング・登山コースの入り口にある山荘で宿泊。


同上。船が写っているが海ではなく湖。標高が高いところにある。


乳牛を飼うヨールンさん。


広大な高原でヤギを放牧。写真の中ほどから、山羊の群れが一列になってこちらに向かってきているのが分かるだろうか?


ヤギの搾乳小屋。ヤギの乳はそのまま飲むのではなく、人気のある山羊チーズに加工して販売。



羊農家。農家の人の笛に合わせて、犬が走り回り、羊の群れを柵の中に追い込む様子はとてもおもしろい。



夏の間、高原に放していたトナカイの群れ(3500頭)をヘリコプターと馬・犬を使って一箇所に集めます。集められたトナカイは台風か洗濯機のようにクルクル回っています。その中から40匹のサンプルを選び、前の生体検査を行います。生きたままの状態で肉のセシウム濃度を測り、基準値を下回ったものだけをするのですが、今年はキノコが豊富だったので予想以上にセシウム濃度が高く、翌日に群れを半分にわけて、片方の群れを全数検査し、基準値以下のものだけをしました。トナカイの生体検査は10秒です。テキパキと効率的に作業が続きますが、トナカイが暴れるので大変です。おそらくトナカイ所有者の家族だろうと思われる若者たちも格闘しています。


詳細は次回。


いまだにバンダジェフスキーとは・・・(トホホ)

2014-10-23 14:54:56 | コラム
昨日、ストックホルムにて、東京大学の教授とヨーテボリ大学・シャルマシュ大学の教授の講演があった。

東京大学の中西友子教授は、様々な核種の放射性同位体を用いて植物の水分や栄養の吸収を画像化する技術の説明や、福島における水田除染や農業復興の取り組みを紹介しておられ、非常に興味深かった。また、ヨーテボリの教授は、これまでの様々な検査・測定結果から判断するに、福島での原発事故の結果として健康被害が出るとは考えにくいこと、そして、むしろ社会的な側面での問題が大きいことを説明しておられ、全くその通りだと感じた。

その後の質疑応答では、聴衆の中にいた日本人の一人が「健康被害は出ている。バンダジェフスキーも心臓の専門家で警鐘を鳴らしている」などと発言しており、この期に及んでバンダジェフスキーの名前を耳にし、正直なところ呆れてしまった。他の研究やチェルノブイリ事故後のスウェーデンの経験と照らしあわせても全く整合性がない彼の主張を持ちだしたこの方は、当然ながらあっさりと否定されていた。

もし彼の説が正しければ、スウェーデンでどのような状況になっていたか考えて見れば良いだろう。また、甲状腺検査の結果も、そこで見つかった「ガン」とされるものが何なのか、日本の他の地域との比較はどうか、事故直後の放射性ヨウ素による被曝量(推計)がどれだけでそれがチェルノブイリ事故の際に甲状腺がんを発症した人たちの被曝量と比較した場合にどうなのかを考えてみれば、福島において異常が多発しているとはいえないし、その可能性が考えにくいことは明らかであろう。

震災から3年半。しかし、震災直後に得た情報の呪縛にしばられたまま、そこから全く前に進めない人もいる。当事者なら仕方がないかもしれないが、遠く離れたスウェーデンにいながら全く学ぼうとしないのは大変に残念である。

列車の到着にあわせて動く広告

2014-10-09 20:02:08 | コラム
思わず「あっ」と声を上げ、その後、そのアイデアにとても感動してしまった動画。

ストックホルムの地下鉄駅では、今年の春、ホームに入ってくる列車に合わせて動く広告塔が登場し、話題を呼んだ。

最近、それを真似た新たな広告が登場したのだが・・・。今回は何かが違うのである。




あっ、と驚くおじさんの表情が印象的。

学生に剽窃・コピペをさせないための武器 「Urkund」

2014-04-10 13:15:49 | コラム
小保方氏の件について、問題の発端となったSTAP細胞のことについては色々と議論が続いているが、私は詳しく追っていないので置いておくとして、英語で書かれた博士論文のかなりの部分が実は英語のホームページからの剽窃(コピー&ペースト)だということが発覚した件については色々と考えさせられる。

印刷された博士論文をわざわざ国立国会図書館まで出向いて入手し、それをスキャンしてOCRにかけてデジタル化し、ネット上の情報と照らし合わせる人が現れるなど、本人は考えてもいなかっただろう。ただ、小保方氏の件は氷山のほんの一角に過ぎず、大学生のレポート・論文におけるコピー&ペーストはもっと高頻度に行われているのではないかと思う。今回の事件を受けて、自分の博士論文も同じようにも検査されでもしたら大変だ、と冷や汗をかいている研究者や教授は少なからずいるのではないだろうか?

現在、日本の大学では、学部教育から修士課程、博士課程における研究不正に関する教育が不十分だったとして、レポートや論文の書き方を指導したり、不正を行わないように注意したりする教育を学部の時から行うなどの対策が打ち出されているようだ。それ自体は必要なことだとは思うが、いくら「剽窃・コピー&ペーストはしてはダメですよ ♡」と学生の倫理に訴えたところで、その不正が発覚する確率が低ければ、不正をする学生はし続けるだろう。そういう学生がいて、インチキをしながら要領よく好成績を収め、進級・進学や就職を有利に進めていくならば、他の学生も真面目に自分でレポートや論文を書くのがバカバカしくなり、自らもインチキに手を出してしまうかもしれない。そうすると、大学全体、いや国全体の教育や研究の質を低下させてしまう

剽窃・コピー&ペーストをやめさせる上でもっと効果的なのは、剽窃がいかに簡単に見つかってしまうかを学生に知らしめて、悪い出来心を起こさせないようにすることだと思う。ただし、そのためには実際に剽窃を簡単に見破るための装置をきちんと導入する必要がある。

私がスウェーデンの大学で学部生の教育に携わるようになったのは博士課程の3年目くらいから。最初はティーチング・アシスタントとして、そして次第に科目そのものの責任者をしたり、学部論文の指導もするようになった。今ではスウェーデンのほとんどの大学は、学生が提出するレポート・課題・論文に剽窃がないかをきちんとチェックする強力な武器を使っている。Urkundと名づけられたシステムだ。(余談だが、Urkundとはスウェーデン語で「証書・文書」を意味し、犯罪の一つとしてのUrkundsförfalskning(文書偽造)という単語をニュースなどにおいて耳にすることも多い)

このUrkundというシステムでは、学生が教員にレポート・課題・論文を提出する際に、紙にプリントアウトして提出する、ということはもはやしない。すべてMS WordかPDF形式にしてメールに添付し、デジタル的に提出するのである。

ただ、学生は私に直接メールを送るわけではない。学生はUrkundシステムに設けられた私宛の特殊なメールアドレスにレポートなどの文書を送るのである。Urkundはその文書を受け取ると、(1)ネット上の文字列・PDF文書、(2)書籍などの印刷物、(3)Urkundシステムを通じて過去に提出された文書、と照らしあわせて一致度を検証する。そして、学生の文書とともにその検証結果が教員である私のもとに届けられるのである。学生がUrkundシステムに文書を提出してから、私がその文書と検証結果を受け取るまでの時間は2時間から半日だ。


このUrkundシステムが比較対象としている情報だが、まず、上記の(1)については、Web上の様々なサイトを定期的にチェックし、保存しており、その数は100億サイトに上る。Web上に掲載されたPDFもオープンアクセスのものなら、ちゃんと保存し、学生の提出した文書の剽窃検証に使っている。アクセスが限定された有料学術誌は比較対象になっているのか気になるところだが、JstorやScience Directなど大手とはどうやら提携しているようで、試しにこれらの大手出版社のジャーナルに掲載された論文の一部をコピペして、このUrkundに送ってみたところ、いくつかはヒットした。そもそも、経済学の分野ではPeer-review付きの学術誌に掲載する前に、オープンアクセスのWorking PaperとしてWeb掲載することが多いので、そのようなWorking Paperとの比較で剽窃が分かる。

次に、(2)については、Urkundを運営している企業によると、大手の出版社などと提携して学術・非学術雑誌の記事、日刊紙の記事、百科事典、各種書籍、データベースをシステムに取り込んでいるらしい。ただし、その程度はよくわからない。

(3)については、2012年11月時点で650万にのぼる学生のレポートや論文などが蓄積されているという。この素晴らしいところは、例えば、ある科目で私が昨年と同じ課題を生徒に与えたとして、ある学生が昨年受講した学生のレポートの一部をコピーして私に提出した場合でも、ちゃんと見破れる点である。しかし、それだけでない。スウェーデンの多くの大学が同じUrkundシステムを利用しているため、たとえば、ウプサラ大学で提出された学士論文をヨーテボリ大学の学生が入手して、そのまま、もしくは一部を剽窃して提出したとしても見破れるのである。

このUrkundシステムは、もともとスウェーデンのウプサラ大学教育学部と、電子データベースなどを専門とするスウェーデン企業との提携で開発され、2000年秋に実用化した。いまほどインターネットが発達していなかったにしろ、ウプサラ大学も既に90年代終わりから剽窃・コピペの問題に頭を悩ませており、ITを駆使してうまく対抗できないかと考えていたようだ。2000年秋からウプサラ大学で運用が始まってしばらくすると、その有効性が評価され、スウェーデン国内の大学が次々と同じシステムを利用するようになった。最近では、高校でも利用されるようになっているという。剽窃は大学よりも以前の段階から問題となっているのである。

その利便性は国際的にも評価され、その結果、現在ではフィンランドやデンマークの大学のほか、トルコの大学も加わっているようだし、フランス、スペイン、オランダ、ベルギー、ドイツ、ポーランドにも支社があるところを見ると、これらの国々の大学でも利用されているようである。

まさに、必要性が元となり、合理的思考とIT活用とがうまく結びついて完成した新しいビジネスといっても良いかもしれない。

また、このUrkundシステムの便利なところは、学生にしても教員にしても、何か特別なプログラムやアプリをインストールする必要が全くなく、普段から使っているメールプログラム(WebメールでもOK)とブラウザだけで全ての機能を活用できる点である。

さらに嬉しい機能としては、学生が過去に同じメールアドレスから送ったレポートとは比較しない、という点だ。例えば、レポートに多数の不備があり、再提出を要求したとする。再提出されたレポートは1度目に提出されたレポートと大部分が同じであるため、この機能がなければUrkundシステムは「ほぼ一致」と判定してしまう。しかし、この機能のお陰でこの学生が同じアドレスから再提出をしていれば、その問題がなくなるのである。


Urkundから私のもとに送られてくる、検証結果はこんな感じである。


これは提出されたレポート・課題の一覧。一致度の高さが色で表されている。あるレポートの上にカーソルを置くと、「この文書の43%が他の72の文書・文献に使われている文言と酷似している。一致度が高い箇所のうち、もっとも長いものは467語であり、この箇所は他の文書・文献と100%一致している」と表示される。 (レポートの総ページ数が5ページとなっているが、これは概算らしく、間違っている)

そして、個別のレポート・課題についての検証結果を開いてみると、このようになっている。


一致度が高い箇所には、その程度に応じて色が付けられている。そして、そのうちの一つをクリックしてみると、


なるほど、この箇所の52%が、スウェーデンの環境保護庁のサイト(www.swedishepa.se)に掲載された文章に似ていることが分かる。

どのようなアルゴリズムを使っているのか分からないが、感度は抜群だ。ただ、実際それが剽窃・コピペに分類されるのかはケース・バイ・ケースで、個別に判断していかなければならない。例えば、一致度が100%でも、引用という形を取っていればOKである可能性が高い。



Urkundの案内パンフレットより(和訳は私が加えた)

ヨーテボリ大学がこのUrkundシステムを利用していることは、新入生向けのオリエンテーションで学生に告知されるし、私も自分の講義の中で改めて学生に伝える。「剽窃しても見破るのは非常に簡単だから、剽窃しようなんて考えないほうが良いよ」と釘を差しておく。それが抑止力となり、私の経験の範囲内で言えば、実際のレポート提出では剽窃のケースはほとんどない。

ほとんどない、とは言っても実はこれまで2、3件あった。もっとも深刻なケースは、他の学生が前学期に提出したレポートを入手し、ところどころ言葉を入れ替えただけで提出した学生だった。Urkundから私のところに送られてきた検証結果は「98%一致」。レポートの中身を吟味した上で「丸写し」と判断。その学生は経済学部の学生部長を経て、大学の規律委員会に送られ、数ヶ月の停学となった。


では、このUrkundシステムが利用されるようになったことで、スウェーデンにおける剽窃・コピペの件数は減ったのだろうか? 興味があったので、統計を掘り起こしてみた。統計といっても、剽窃・コピペの全件数を数え上げた統計があるわけではない。この件数はunobservableだ。存在するのは、発覚した件数の統計だけだ。考えてみればすぐに分かることだと思うが、発覚した件数からUrkundの効果を推し量るのは難しい。Urkundは抑止力によって剽窃・コピペの件数を減らすかもしれないが、一方、Urkundの活用が進めば剽窃・コピペを見破るのが容易になるから、発覚する件数は増えるからだ。

いずれにしろ、参考までに、スウェーデンの行政庁の一つである大学庁のまとめによる剽窃・コピペの発覚件数(各大学の規律委員会への報告件数)と停学処分の件数をグラフにしてみた。


(注:2004年からは国立ではなく財団立である3校、つまり、ストックホルム商科大学、ヨンショーピン大学、シャルマシュ工科大学が統計に加えられた)

これを見ると、過去10年ほどで増加傾向にあることが分かる。スウェーデンの大学が次々とこのシステムを活用するようになったのは2000年代半ばから後半にかけてなので、不正を見破るのが容易になったことを反映しているかもしれない。Urkundは今では大学教育の重要な根幹をなすようになり、学生にも十分、そのシステムの存在が認識されるようになってきたから、そろそろ抑止力が有意に現れ始めて、学生がそもそも剽窃・コピペをしなくなっていき、発覚する件数も減少していく頃だろうか・・・? グラフから分かるように2012年は前年よりも減少しているが、これが一時的なものなのか、それとも長期的なトレンドとなるのかは、今後の統計を見なければわからない。乞うご期待!

P.S. 実は過去にも似たような記事を書いていた。
2010-04-06:学生の盗用・コピーをチェックするための画期的な方法
2010-04-25:レポート盗用の摘発

更新が滞っているわけ

2012-05-25 00:12:16 | コラム
最近、更新が滞っているが、一つの理由は学部生向けの「基礎統計学」の科目責任者になったため、雑務や講義の準備で時間的余裕が無いためだ。

統計学は私たちが日々の生活で常に接するものであり、統計の使い方次第では容易に嘘をついたり、真実とは異なる方向に人々の感情を突き動かすことが可能だ。

昨日もツイッターで話題になったのは『福島県の子供の病死者数が増えている』というものだったが、その根拠となっていたのは以下のようなグラフだった。



なるほど、2011年の子供の病死者数が2010年と比べて増えている、と思われるかもしれないが、Y軸をみれば分かるように、各月の事例数がわずか一ケタ台、数か月分を積算しても20前後にしかならない。このようなわずかなサンプル数では、2010年と2011年の間に有意な差があるかどうかを言うことはできないだろう(つまり、偶然性を排除できない)。しかも「累計」を折れ線で示す必要性が理解できない。その上、そもそもこのような文脈で意味を持つのは「病死者数」ではなく、母集団に対するその割合であろうから、むしろそれを示すべきだろう。

この「デマ」に対する検証については、詳しくはPKAnzug氏による検証 『福島県の子供の病死者数が増えている』?を参照のこと。

このようなおかしな情報を、安易に拡散する人たちがおり、一人歩きしていくという現象がネット上では度々見られる。元の情報の著者本人は、これだけでは有意な差があるとは言い切れない、という旨を書いていたものの、それを拡散する人たちの中には、そのことを無視して「福島の子供たちがすでに影響を受けている事が解ります。事態を楽観してはいけない、このままでは悪くなる一方です」などと誇大に解釈して拡散する人もいる。

統計学の基礎的な知識がもっと一般に広まっていれば、このような不確かな情報を安易に拡散する前に立ち止まって自分の頭で考える人が増えるだろう。そうすれば、デマの拡散を抑えることができる。

私が担当しているのは、経済学部や経営学部で学ぶエコノミスト養成課程の学生だが、基礎レベルの統計学くらいは理系や社会科学だけでなく、人文系の学生や一般の人々も知っておくべきだと思う。

私が京都大学で統計学を学んだときの大学教授(一般教養科目だった)は酷かった。具体的事例を示さずに、公式や定理の話ばかりをするので、それが現実にどのように適用できるのか全く分からずじまいだった。結局、スウェーデンに来てから、統計学と計量経済学は一から学び直すことになった。

だから、この春、ずっと悩んできたのはどうやったら分かりやすく統計学の初歩を教えることができるか? どのような切り口で? そして、興味を引かせるための具体的事例として何を扱うべきか?などだ。そのようなことを考えながら、スウェーデン語で講義する(1年生・2年生向けの講義であるためスウェーデン語)。

何事も経験だ。あと1週間で試験になり、この仕事も一段落つく。

スウェーデン環境党の女性党首、晴れて博士号取得

2012-04-22 02:01:45 | コラム
先ほど、Twitterに連投したことをここにまとめておきます。後ほど、もう少し中身を増やすかも。

スウェーデン環境党(緑の党)の女性党首 Asa Romson(オーサ・ロムソン)は40歳(環境党は二人党首制でもう一人は男性)。2000年代半ばからストックホルム大学法学部の博士課程に在籍し、昨年党首に就任(2002-10年はストックホルム市議会議員、それ以降国会議員)。一昨日、論文ディフェンスを行い、博士号取得。

博士論文のタイトルは”Environmental Policy Space and International Investment Law”。環境保全と天然資源の持続可能な活用のために、多国間投資を規定する国際法が個別の国家にどのような可能性や余地を与えているかを分析。

スウェーデンでは地方議会はほとんどが兼職議員なので、博士課程の研究生が議員、というパターンも珍しくない。さすがに国会議員になると兼職は難しいので、彼女は論文の目処をつけて10年総選挙で国会議員、そして、その翌年に党首に。アカデミックな知識と思考を持つ党首に期待。

博士号を持つ国会議員は珍しくはないだろうが党首となると例が少ない。例えば、国際貿易論の比較優位・国際分業で知られるヘクシャーとオリーンは、それぞれ保守党と自由党の党首だった。また、ユーロ懐疑派の経済学者は2004年に小政党の党首。欧州議会で議席獲得するが国政選挙は失敗。


女性党首オーサ・ロムソン
(ディフェンスの写真ではなくて国会での論戦の時の写真。彼女は「ディフェンス」よりも現政権をずばずばと追い込む「オフェンス」が似合っている)

ノルウェーのテロ事件の裁判についてのメモ

2012-04-16 23:01:16 | コラム
ノルウェーのオスロ官庁街とウトヤ島で昨年7月に起きたテロ事件の裁判が始まった。ノルウェーの史上、最大となる裁判だ。世界中からメディアが駆けつけ、日本でも伝えられていると思うので詳しい話は書かない。

主にラジオで中継や報道を聞きながら、メモしておきたいと思ったことだけ書く。

負傷者・生存者のほとんどは10・20代の若者。中には裁判を傍聴している人もいるが、世界中から駆けつけた多数のメディアが彼らを待ち構え、彼らにコメントを求めようとすることは容易に想像できる。生存者や遺族にとって非常に辛いことだろう。だから、裁判所はインタビューに応じたくない人に「No interviews, please」と書かれたバッジを胸に付けてもらい、メディア関係者にはその意思を尊重するように呼びかけているという。



・長期にわたるこの裁判を傍聴する生存者や遺族のために、彼らの心理的・精神的サポートを目的としたカウンセラーが裁判所に多数配置されている。

・この裁判のニュースは本国ノルウェーでは当然ながらトップニュースとして扱われ、詳細な報道がなされているが、事件から今日までの9ヶ月間にメディアが何度も伝えてきた話題であるから、もう聞きたくないという人もいるだろう。特に、遺族や生存者の中には裁判のニュースを一切見聞きしたくない、という人もいると思われる。そんな人のために、ある新聞社は自社のウェブ上のニュース・サイトのはじめに「7月22日事件の関連ニュースは表示しない」というアイコンを設けている。このアイコンを押せば、それ以外のニュースだけが表示されるようになる。実際に試してみると、トップニュースが「アメリカとメキシコ国境の密輸」に関するルポタージュに変わったという。新聞社は「読者に自由選択の権利があるから」と説明する。

・裁判は各国のメディアが詰めかけ、世界中に大々的に報道されている。まるでサーカスか劇場のようだ。こうして、世界中の注目の的になることは、むしろテロを通じて自身の政治的イデオロギーを世間に発信したかった容疑者の思う壺ではないか、という批判もある。ある遺族もそれは望ましくない、と口にしていた。これは私もそう思う。密室で行うのではなく、メディアを交えた公開の場で行うことの意味はあると思うが、撮影の制限などはもっとあっても良いのではないかと感じる。難しいところだ。

・一方、印象的だったのはスウェーデンの公共テレビが「法廷ではこれから数日にわたって容疑者が自ら発言する機会を与えられ、注目も浴びるだろうが、どう思うか?」と尋ねたときの答えだ。質問を受けたのはある父親で、二人の子どものうち一人を失い、もう一人が負傷したが「それは嫌なことだけど、民主主義の基本だから仕方がない」と答えていたことだ。容疑者であっても発言の機会が与えられるのは当然のことなのだけど、民主主義、という言葉が改めて身に染みた。

動画:傍聴する生存者のインタビュー(英語):画像をクリックして再生

「(ノルウェー史上稀で多数の犠牲者を生んだ事件だが)この裁判はできる限り通常の手続きに則って行われるべきだ。私たちの社会の基礎をなす法治国家の原則をこの裁判でも貫くべきだと思う。」

昨年7月のノルウェー無差別テロのルポタージュ: 人生を大きく変えたあの瞬間

2012-04-15 01:15:15 | コラム
ノルウェーのオスロ官庁街とウトヤ島で昨年7月に起きた無差別テロの裁判が月曜日から始まるのを前に、今日(土曜日)のスウェーデンの日刊紙は大きなルポタージュを掲載している。オスロの官庁街に仕掛けられた爆弾の爆発直後に撮られた写真が、事件の生々しさを伝えている。



写真に映っているのは、男性を抱えながら携帯を手にする女性。二人は実は夫婦だ。

事件の当日は、この夫婦は息子の家で一緒に夕食を食べる予定だった。夫は自宅を出て、法務省に勤務する妻を迎えに車で官庁街へやって来た。金曜日だったので、妻は早めに職場を後にするつもりで、夕方3時半に落ち合う約束をしていた。少し早く着いたので、しばらく官庁街の付近を車で走って時間つぶしをした後、官庁街のいつもの場所に車を止めて、外に出た。爆発が起きたのは、その数秒後だった。爆風でなぎ倒された。「建物全体が大きく浮き上がったようだった。地上に倒れ伏したとき、とっさに頭をよぎったのは妻のことだった。ああ、巻き込まれてしまったかもしれない。妻を失ってしまったかもしれない、と思った」

一方、妻はこの日、法務省の地階にある書庫で書類を探していた。しかし、いつまで経っても見つからない。仕方なしに、建物の12階にある自分のオフィスに戻って、再び検索を行っていた。そのとき、大きな爆発音とともに建物が揺れた。地階の書庫は大破し、あのままあの場所にいたら生きていなかっただろう。「爆発の後、とっさに考えたのは夫のことだった。建物の外で私を待ってくれているはずだったが、大丈夫だろうか」

彼女が一階に降り、建物から飛び出すと、夫は血を流しながら法務省の入口下の階段で横になっていた。爆風で倒された場所から、肘を付いて這ってきたようだった。付近にいた警官が既に応急処置を施していた。この警官はベルゲンの警官だったが、休暇中でたまたまオスロにおり、官庁街にいたときに事件に遭遇した。妻は「夫が一命を取りとめたのは、この警官のおかげだったと思う」と語る。妻は負傷した夫を抱きかかえ、救急車が来るまでの間、必死に励まし続けた。

その間、自分たちの写真を撮るカメラマンがいることに気づいた。夫は、その時は良い気分がしなかった、と振り返る。しかし、時間が経つにつれ、あの時の状況を記録に収める人がいてくれたのは良かったと思うようになった、と語る。

夫は爆発で飛んできた4cmの金属片が鼻から目の近くまで深く突き刺さり、脳まであと数mmの所に達していた。顔全体が打撲し、胸に突き刺さった金属片は心臓まであと僅かの所で止まっていた。右足は数度にわたる手術の甲斐なく義足になった。現在は理学療法士の下でリハビリを続けている。車を再び運転できるようになるのが目標だという。同じリハビリセンターでは、彼と同じようにあの日、負傷しながら幸いにも一命を取りとめた人達がリハビリを行ってきた。

写真:Dagens Nyheter

ストックホルムでも広域処理(でも、イタリア・ナポリのゴミの受け入れ)

2012-04-07 19:27:10 | コラム
先日、帰宅途中にラジオでニュースを聞いていたら、ゴミの広域処理の話をしていたので、「うん? 日本のことか?」と思ったら、イタリアで処理に困っている大量のゴミをストックホルムの電力・エネルギー会社が引き受ける、というニュースだった。

イタリアのナポリでは、マフィア・カモッラが金儲けのためにゴミ処理事業に関与し、それがうまく行かなくなり大量のゴミがナポリの路上に放置されるという大問題が近年発生した。現在は行政が動き出し、ゴミ処理がうまく行われるように努力しているところだというが、貯まりに貯まったゴミの処分を行おうにも、埋立て処分場が一杯で引き受けてもらえるあてがない。このままでは、いい加減な形で処理されてしまう恐れもある。


そんな問題に目をつけたのが、ストックホルムゴミ焼却によるコジェネ発電施設を持つフォートゥム(フィンランド系電力・エネルギー会社)だ。この会社が持つゴミ焼却施設は、スウェーデンにある他の大多数のゴミ焼却施設と同じように、まず発電を行い、残る排熱を利用して温水を作り、オフィスや家庭に配給している。オフィスや家庭では、この温水を使って、暖房や台所、浴室の温水に活用する。

さて、このフォートゥムという企業だが、ナポリから6000トンのゴミを輸入し、自分達の施設で処理することを発表した。「イタリアで、きちんと処理が行われるのかが保障できず、環境汚染への懸念があるのであれば、きちんと管理された我が社の施設で焼却処分したい」というのが、理由の一つだ。

しかし、それ以上の狙いは、おそらく貴重な熱源を安価に確保することではないかと思う。スウェーデンでは特に冬場に暖房のための熱需要が大きく、ゴミ焼却によるコジェネ発電施設では「燃やすためのゴミ不足」が生じているところもある。一方、基本的に焼却できるのは分別済みのゴミなので、「ゴミ不足」だからと言ってリサイクルに回せる資源ゴミまで焼却炉に放り込むわけには行かない。その結果として、国全体で年間、実に80万トンものゴミを他国から輸入している。だから、今回の6000トンという量はその1%にも満たない。

ゴミにどんなものが含まれているのかを、きちんと把握した上で引き受けるつもりなのか?という公共ラジオ局の質問に対し、フォートゥムの担当者は「安全な可燃物であるかどうかは、イタリアの現地でも確認するし、受け入れ後にストックホルムでも確認する。中身の管理が不十分だということが明らかになれば、契約を打ち切るつもりだ」と答えている。

今ホットな職業訓練: 風力発電のメンテナンス技術者養成コース

2012-04-01 15:01:48 | コラム
以前に職業訓練の一つの例として、携帯やパソコン、Ipadなどのアプリを作るプログラマーを養成する職業訓練があり、大成功しているという話を紹介したことがある。

<過去の記事>
2011-02-18:企業・市場の要望に柔軟に対応する職業訓練プログラム

これと同じくらい、スウェーデンで今熱い職業訓練は風力発電のメンテナンス技術者養成コースだ。

スウェーデンの風力発電の発電所の数、および発電量をみると、ここ3年の間に指数関数的に急上昇していることが分かる。2008年2.0TWhであった年間発電量は2009年2.5TWh2010年3.5TWh、そして2011年には6.1TWhへと上昇。10年から11年にかけての上昇率は75%にもなる。

この背景には、クローナ高や技術進歩による部品の価格低下、長い手続きの末に建設認可を得た発電所が次々と完成し稼動開始していること、消費者や電力会社の風力発電に対する高まる関心などがあげられる。また、国の再エネ電力に対する経済的支援の効果も大きい(発電量1kWhあたり約2円強)。

現在、建設中のプロジェクトに目を向けると、スウェーデン北部の森林地帯ではヨーロッパ最大の風力発電所が建設中だ。1100基の風車を2020年までに建設するという10年がかりのプロジェクトであり、投資額は総額約8400億円。設置出力の合計は4GW(400万kW)。完成すると年間12TWhの発電を行う予定だという(つまり、2011年の風力発電量の2倍。ちなみに、平均的な原発(100万kW)の1基あたりの発電量は約7-8TWhほど)。


この地図は東西(左右)が45km。点の一つひとつが風車。


しかし、風力発電所の数の急激な伸びに対して、必要とされる労働力が追いついていない。新規発電所の建設に必要な技術者もさることながら、稼動後の保守やメンテナンスを行う技術者の数が足りないために、風車が故障しても修理までに待たされるという事態も実際に発生している。

だから、風力発電を推進する自治体や、風力発電所を実際に所有していたり域内に持つ自治体の中には、国の定める職業大学の制度を使って、風力発電のメンテナンス技術者の養成に取り組むところが増えている。失業者のみを対象とした短期の職業訓練(いわゆる積極的労働市場政策)ではなく、2年間の勉学を必要とする教育課程だ。終了後は就職がほぼ保証されているため人気が非常に高く、ある自治体の養成コースには35人の定員に対し200人ほどが応募するなど、競争率がかなり高い。学生の中には、高校からそのまま進学する人もいるし、別の仕事に就いていたものの将来性のある風力発電業界への転職を考える人や、失業を契機にこの道に進もうとする人もいる。


20代から30代後半までいろいろ。女性の姿もある。
出典:スウェーデン・ラジオ

大規模な風力発電所はスウェーデン北部の過疎地域に集中しているため、地元自治体としては風力発電所の建設とその後のメンテナンスで雇用の機会を確保したい。しかし、現状では労働需給のミスマッチが生じている。だから、必要とされる技術者の養成にも躍起になっている。風力発電業界の予測によると2020年までに国内で12000-14000人の風力関連の雇用(メンテナンス技術者を含む)が生まれるだろうという。この半分以上はおそらくスウェーデン北部での雇用となるだろう。

学ぶ学生の側も地元の人が多い。安定した職につながるという期待だけでなく、身につけた技術を使って国外で働く可能性も開けてくるためだ。教育では、陸上風力とともに洋上風力の発電所についても学ぶ。2年間の教育課程のうち、3割近くは実際の企業による実地研修だという。ここで、企業・業界との接点が生まれ、コース終了前から就職が決まる人がほとんどのようだ。

風力発電のメンテナンス技術者を養成する最初の職業訓練が2006年に始まって以来、今では国内10数か所で同様の教育が行われている。また、職業大学(2年課程)だけでなく、一般大学でもよりレベルの高い風力発電技術者の養成が行われている(例えば、風力技術の修士課程など)。

「NIMBY」を逆手に取った電力会社の広告

2012-03-23 20:31:26 | コラム
NIMBYという言葉がある。
「Not in my back yard」つまり「私の庭にはイヤよ」ということだ。

環境運動でよく引き合いに出されるジレンマは、自然エネルギーの普及のために風力発電所をもっと作りたい一方で、自然景観の保全を考えると風力発電所は望ましくない、というものだ。そんな「一般的な話として風力発電はとても良いと思うけれど、でも、うちの近くには作って欲しくない」という声を皮肉な形で表現したものがNIMBYというわけだ。

(ただし、いくら自分の家に近くても、その建設を自分が主体的に選択したものか、その建設によってマイナス面だけでなくプラス面も自分が享受できるか、などの要因によって受け止め方も異なってくるだろう。放射能リスクの認識の仕方と共通する面もある。例えば、自分が風力発電所の共同所有者となったり株主となって配当を得るという形であれば、反発の度合いも変わってくる。だから、NIMBYは実際にはもっと複雑な事柄をあまりに単純化した表現だ、と批判する声もある)

そんなNIMBYを逆手に取った広告をヨーテボリの電力会社が展開している(ヨーテボリはスウェーデン第2の町)。

首都ストックホルムの日刊紙の第3面を丸々使った大きな広告だ。



「ストックホルムの自然環境(景観)を守りたい? それならばヨーテボリで作られた再生可能エネルギーを買ってよ!」

写真で描かれているのは、ストックホルム市庁舎と並んで立つ数基の風力発電所。もちろんモンタージュ。市庁舎はストックホルムのシンボル的な存在であるから、こんなところに風力発電所を建てられたらストックホルムの住民は黙っていないだろう。それだったら、ストックホルムから遠く離れたヨーテボリの風力発電所で作られた電気を買ってちょうだい! というのが、この広告のポイントだ。
「環境にとって一番良いのは再生可能エネルギーで作られた電力だってことはみんな知っている。でも、おかしなことにできれば自分たちの近くで発電するのは勘弁して、と考えがち。そんなあなたにお勧めなのは、ヨーテボリ・エネルギー(ヨーテボリ市公営電力会社)の電力。私たちが一般家庭の消費者に販売している電力はすべて再生可能エネルギーによる電力だし、今なら価格もとってもお手頃。詳しいことは、わが社のホームページにアクセスして、環境に優しいキャンペーンのコーナーをのぞいてみてね。」

こんなキャンペーンができるのも、電力市場が自由化されており、スウェーデンのどこに住んでいようが、120近くある電力小売会社の中から選んで契約を結ぶことができるから。だから、この広告のように、首都ストックホルムの住民がスウェーデン第二の町ヨーテボリの電力会社から電気を買うことができる。そして、そんな電力会社をヨーテボリ市のように自治体経営でやっているところもたくさんある。

(少し細かい話をすれば、「ヨーテボリ・エネルギー」は市が株式100%を所有する発電会社(地域暖房などその他のエネルギーも扱う)。それに対し、この広告主は「ヨーテボリ・エネルギー」の100%子会社である「Din EL」という電力小売会社。ヨーテボリの風力発電といっても、市内ではなく郊外に建っている。一部では住民の反発があるのはここでも同じ。現在は沿岸部の工業地帯やその沖合いに大規模な風力発電所の建設を進めている)

言ってみれば、橋下市長が「大阪電力」を立ち上げて、東京の住民に「うちの電気を買ってよ。今なら、安くしときます」と宣伝しているようなもの。

初めて見た! ロック・ポップス音楽の手話通訳

2012-03-20 01:18:15 | コラム
手話通訳って何度か見たことあるけれど、音楽番組の手話通訳はかなり珍しいのではないか?

下の映像は、一年で最も視聴者率の高い番組の一つ、スウェーデン音楽コンテスト(Melodifestivalen)の決勝。(← EUROVISION国内予選になっている。素人の「アイドル」番組ではない。)

手話通訳は生放送では付いていなかったけれど、公共テレビのHPを数日後に見たら「見逃し番組」のところで手話通訳つきが選べぶことができた。 (普通の放送を選べば、もちろん左上の映像しか流れない)




決勝では10曲が登場したが、その中で3曲だけピックアップした。3曲目は優勝曲。5月にアゼルバイジャンの首都バクーEUROVISION大会が開催される。

おじさんノリノリ、表情も凄い。1曲目なんか、頭を抱えて苦悩に苛まれているような感じ。彼の動きのうち、歌詞の純粋な通訳は1割くらい、残りの9割は彼自身の解釈による音楽の体現といったほうがよいだろう。もし、この映像をYoutubeで初めて見たとしたら、絶対にコメディー番組と勘違いしたかもしれない。しかし、これは公共放送がやっている、真面目な手話通訳!



スウェーデン・ラジオの被災地ルポタージュ(名取市・大槌町・山田町)

2012-03-13 00:46:44 | コラム
震災から1年が経った3月11日には、スウェーデンのメディアでも大きな特集記事が掲載されたり、特集番組が放送された。中でも公共放送のスウェーデン・ラジオはアジア担当の特派員を3月初めから日本へ送り込んで、3月11日まで毎日のように復興の様子や被災者の状況、原発の状況、放射能汚染などを伝えてくれた。

この特派員はニルス・ホーネルというベテラン記者で、震災が起こった直後もそれまで取材していたクウェートから直ちに日本入りし、被災地を駆け回っていた。その際のいろんな裏話(断水でシャワーができないためペットボトルのお茶で体を洗ったり、ホテルがどこも満室だったために仕方なくラブホテルに泊まったり)は、ブログでも紹介した。

<以前の記事>
2011-04-21:日本での取材中に宿泊先に困ったら・・・(取材中の裏話・その1)
2011-04-23:日本での取材中の裏話(その2)


私はこの記者の行動力にいつも感心し、彼の報道も特に気に入っている(彼は震災の直前にあったエジプトの革命でも、タヒリール広場から中継していた)。今回の震災1周年の報道でも興味深いものがいくつかあったが、その中でも特に印象に残っているルポタージュを紹介します。ちょっと長めのルポです。


※ ※ ※ ※ ※


3月11日はハマダ・ユウジ君の誕生日だ。ちょうど一年前、彼の母と妹は15歳の誕生日を祝うためにケーキを買おうと車で出かけていた。しかし、彼らがケーキを持って帰宅することはなかった。車が途中で津波に流されてしまったのだ。

「3月11日は母と妹を失った日でもあるのだけど、僕の誕生日でもある。でも、祝っていいのか、どうなのかっていう日で・・・ちょっと複雑な日です。」

彼自身もまるで黒い壁のような津波が閖上(ゆりあげ・名取市)に迫るのを自宅から目にした。次の瞬間、彼も冷たい水に飲み込まれたものの、倒木を見つけしがみつくことができ、1日ほど水面に漂っていた。

「最初は外が明るかったんだけど、流されていくうちに夜になりどんどん暗くなって真っ暗になった。閖上の町は家々が流され、あちこちが燃えており、全く姿かたちを変えていた。とても怖かった」

翌日、気づいたときには彼は病院にいた。奇跡的に助けられたのだった。ユウジ君は今では笑顔を見せ、悲劇から立ち直ったように見える。しかし、悲しみは今でも大きい。母や妹のことを思い出すという。

「妹とはよくテレビゲームの取り合いで喧嘩をしたんだけど、そんな喧嘩も今ではできなくなってしまった・・・」

ユウジ君は、片親もしくは両親をなくした1500人の子どもの一人だ。今は祖母と暮らす。将来は自動車整備士になりたいと夢を語る。



さらに北に位置する山田町(岩手県)では、60歳になるササキ・エツコさんに出会った。33歳だった娘は、隣町の大槌町の職場に車で向う途中に津波に飲まれた。一人の息子を持つシングルマザーだった。

エツコさん夫婦は、7歳になる孫のソラ君を育てている。あれから一年が経つが娘を失った悲しみは今でも生々しく感じられる毎日だという。インタビューの間も、常に涙を押さえている。

「耐え難いことだけれど、耐えていかなければならない」

携帯電話の請求書から後で分かったことだが、地震の後、娘は母親のエツコさんに電話を掛けたらしい。エツコさんが電話に出ると、受話器の向こうは沈黙していた。津波が沿岸部を直撃したその時だったようだ。

孫のためにも夫婦二人で頑張らなければいけないと彼女は語る。ただ、孫が立派に成長するまでに自分たちの健康が持つかどうか、そればかりが気掛かりだという。

「小学校に通うようになって、孫は少しずつ元気になっているように感じる。でも、夜になってお布団に入るとなかなか眠れないようだ」

ソラ君は母親の帰りを何か月も待っていたという。ある晩、彼がエツコさんの布団のなかで背を向けて寝付こうとしていたとき、エツコさんは話をした。「ママはもう戻ってこないよ」と。ソラ君は何も言わなかったが、身を硬くしたことにエツコさんはちゃんと気づいていた。

彼が母の死をはっきりと理解したのは、遺骨が家に送られてきた時だった。「これがママだよ、と御骨を見せたんです」とエツコさんは語る。ソラ君はエツコさんと一緒に骨に手を触れ、「ママが帰ってきてくれたね。見つかってよかったね。ママ、おかえり」とつぶやいたのだった。



大槌町(岩手県)は津波による被害が激しかった地域の一つで、住民の10人に1人が命を失った。その町の中心部で80代の男性が自宅のあった辺りを指差している。自宅は祖父が建てたものだったという。

このあたりの被害はとても甚大で、原爆投下直後の広島の廃墟を写した写真を思い出してしまう。

そんな思いに耽っていると、突然向こうのほうからカトリック教の修道女が二人、路上の障害物を避けながら歩いてくるのを目にした。厳粛な黒い服と柔らかな笑顔が対照的だ。彼女らは、被災者への救援物資を入れた袋を手にしていた。その一人、77歳のヤマシタ・レイコさんに話を聞いているうちに、彼女は広島で生まれたことが明らかになった。

「あのときは6年生だったから、13歳かな」

第二次世界大戦のとき彼女は小学生で、8月のその日は空襲警報が解除され、一度避難した防空壕から外に出てもよいと言われたばかりだった。時刻は7時31分だった。みんなで防空壕から外に出て新鮮な空気に触れたその時、激しい突風が襲ってきた。空を見上げると原爆の巨大な雲がそこにはあった。

「ちょうどそのときに、ピカドン、っていう大きな爆風が来た。そして、東の空を見ると・・・」

彼女の姉は広島の中央駅で働いており、レイコさんよりも爆心に近い場所にいた。しかし、二人とも被曝症を患うことはなかった。ただ、不安は常につきまとっていた。そんな彼女は、福島第一原発の事故のために人生で再び放射能の心配をせざるを得なくなったことに深く心を痛めている。




大槌町の中心部には10件ほどの建物が半ば壊れながらも残っている。その一つの一階部分には数十年間続いてきた喫茶店があった。建物は傷だらけだが、二階部分では喫茶店のマスターであるアカサキ・ジュンさんが店を再開していた。その名も「カフェ・ムーミン」。

店内の一角にはギターが置かれ、ステレオからはダイアー・ストレイツのCDが流れている。マスターは音楽好きだ。町の人の中には、大槌町の復興計画が決まってもいないのに店を再開したいなんてダメだ、と言う人もいたという。でも、大部分の人が彼の希望を支援してくれた。

「・・・そういう人もいたけれど、逆によくやってくれたと励まされたことのほうが多かったです」

この喫茶店は廃墟の中のオアシスのようだ。大工やボランティアが数か月にわたって作業を続けた結果、再開にこぎつけた。そのためにマスターが負担したのは約600万円だった。

「仮設住宅で毎日座って、何もしないという生活が嫌になったんだ。今までの生活を取り戻す努力をしたほうがいいんだ。少しでもここに来て、喫茶店を営業しながらいろんな人と話をしたい」

津波から数週間後、彼は瓦礫や泥の中から、あるコーヒーカップを見つけた。常連客の女性が愛用していたカップだ。

「今でも毎朝このコップにコーヒーを注いで『おはよう』と、今は亡き彼女に語りかけ、祈ったりなんかしているんだ」

マスターは母親の手を借りながら、まるで骨董品のような器具を使って丹念にコーヒーを沸かしている。ピザサンドイッチもこの店の目玉だ。

大槌町の中心部で商売を再開したのはこの喫茶店だけだ。だから「カフェ・ムーミン」は町の人たちの重要な憩いの場になっている。仮設住宅で暮らすこの町の被災者も喫茶店までやって来て、震災以前の日常のひとときを満喫する。運が良ければ、マスターのギター演奏も聞ける。

マスターはこの町が好きだから町に残ったと語る。でも、彼の喫茶店の周りを見渡しても何もない廃墟のみが広がる。なるほど、彼が愛している町とは、建物の町並みのことではない。日本のこの僻地に根づく人情溢れる人々のことなのだ。あの震災がもし東京で起きていればどうだったろう。長年同じ建物に住んでいても隣人の名前すら知らないような社会において、この東北地方で何度も耳にしたような「混乱の中の秩序」のエピソードや、住民がお互いに助け合ったという話を聞くことができたであろうか。




大震災の直後、私は取材のために車でこの大槌町を訪れたことがある。どこまでも続く瓦礫の中でキミエさんという女性を見かけた。彼女は大きなお腹を抱えながら、犬を連れて歩いていた。その光景はあまりにも現実離れしていたから、思わず私は車を止めて、彼女に声を掛けてみた。その時のインタビューは、昨年の4月にラジオで放送されている。

その当時のキミエさんは、津波のショックから立ち直っておらず、食べ物が十分に無いためにお腹の子の成長が心配だと話してくれた。だから、私たち(記者とアシスタント)は持っていたマグロの缶詰や他の食料を彼女に渡したのだった。あれからどうなったのだろうと、ずっと気になっていた。

彼女の行方を突き止めることができた。現在は大槌町の中心部から5キロほど離れた小さな仮設住宅で、あの後に生まれた息子のトウキ君と暮らしていた。生活は少しずつ日常へと戻りつつあるように感じられた。彼女も大槌町に戻りたいという。この町の人々が好きだからだ。この町では皆が助け合っている、と彼女は説明する。

「周りの人たちが優しいから・・・」

大槌町の復興について、彼女は明確な願望を持っている。「津波に耐えられる町にして欲しい。学校や住宅はすべて安全な高台に建てて欲しい」



大槌町での取材を終えて町を離れる前に、もう一度「カフェ・ムーミン」に足を運んでみた。辛い記憶に包まれた廃墟の中にありながら、この喫茶店は温かい人情で満ち溢れている。町の人たちが絶え間なく訪れては、また去っていく。町の外からやって来た人が、こんな廃墟の中で喫茶店がオープンしていることに驚いて店内に入ってくることもある。

マスターのアカサキさんに尋ねてみる。どうしてもっと大きく目立つ看板にしないのかと。点滅するネオンつきの看板にして「喫茶店」とか「営業中」と大きく書けば、もっと多くの人がやってくるのではないか。

でも、彼は「そうはしたくないんだよ」と説明する。「この町では自分の店を失った自営業者の人がたくさんいるんだ。そんな中で幸運にも店を再開できた自分が、他の人たちに見せつけるようなことはしたくないんだ」

コーヒーの湯気が店内を満たすなか、マスターはギターを取り出して演奏を始める。その音楽は、津波の被害に見舞われたこの地域の復興の希望を象徴しているように感じられる。(ルポタージュの最後の部分は、彼の演奏で終わる。)

※ ※ ※ ※ ※


「カフェ・ムーミン」が気になったので検索してみると、簡単に見つかりました。
へぇ、cafe夢宇民、と書くのか!