イジメの視点でみる義経と頼朝

 イジメの視点でみる義経と頼朝の関係 イジメの視点で、義経と頼朝の関係を考えると別のものが見えてくるかもしれない。言ってみれば、義経は平泉からの転校生である。しかもである。その転校生は、取り巻きのぴかぴかの騎馬軍を100名も随えて、現代のベンツとも言える奥州馬に金ぴかの鞍を付け鼻息あらくやってきた。苦労の挙げ句、やっと関東の粗野な言葉にも慣れた、関東のガキ大将頼朝は、日頃の転校生義経の豪奢な生 . . . 本文を読む
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平泉の弁慶の心境」という権力者の弁に一言

「平泉の弁慶の心境」という権力者の弁に一言 義経・弁慶の話というものには、とかく判官贔屓が付きもので、力の弱い者が、情や忠義というものを背負って権力に立ち向かうような話が多い。ところが、何を勘違いしたのか、06年11月25日、自民党の中川幹事長は、昨年の郵政民営化法案一本で争われた衆議院選挙で、党を離れた12名の復党問題に絡み、自らの心境を「平泉の弁慶の心境」とコメントしたものだから、日本中が . . . 本文を読む
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書評 「源義経」 角川源義、高田実著 講談社学術文庫

この本は簡単に言えば、巷で「義経博士」と呼ばれたい人のトラの巻のような本ということになろうか。 この本は当初、1966年に角川新書として刊行されたものだ。その後絶版となっていたが、2005年講談社学術文庫として再刊されたものである。著者である角川源義氏の語り口や視点がユニークで少しも古さを感じさせない。さすが角川氏は、日本民俗学のふたりの祖である柳田国男や折口信夫の薫陶(くんとう)を受けた人物で . . . 本文を読む
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藤沢の伝源義経公首洗い井戸

源義経公首洗い井戸(06年9月21日 佐藤撮影) 2006年初秋の頃、藤沢にある伝源義経公首洗い井戸に向かった。白旗神社で神となった義経公の御霊に手を合わせると、周辺は思いの外、整備されていた。まず首洗い井戸の前には、昔風の交番が出来ていて、義経公の身の回りを守っていてくれている雰囲気がした。井戸の周囲には竹垣が廻らされ、秋の陽射しによく映えていた。ところ構わず侵入しがちな俗なる景色を払う強 . . . 本文を読む
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源義経終焉の地 高館

源義経終焉の地 高館を望む(06年4月22日 佐藤撮影) 源義経の命日(4月30日)を前に、平泉に向かった。柳の御所に立つ一本の桜を観るためだ。二年前瀕死の状態だったが、人々の努力によって、甦りつつあることが確認された。 昨年花は咲かなかったが、秋口若葉が芽吹いたためだ。そこで今年は花が咲くと期待されていた。しかし残念ながら、4月22日木を見ると花芽はまったく見られない。 残念だが . . . 本文を読む
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