隗より始めよ・三浦淳のブログ

「新潟大学・三浦淳研究室」の後続ブログです。2018年3月末をもって当ブログ制作者は新潟大学を定年退職いたしました。2019年2月より週休2日制(日・水は原則更新休止)。旧「新潟大学・三浦淳研究室」は以下のURLからごらんいただけます。http://miura.k-server.org/Default.htm 本職はドイツ文学者。最新刊は日本文学と学歴についての著書『「学歴」で読む日本近代文学』(幻冬舎)。そのほか、ドイツ文学の女性像について分かりやすく書いた『夢のようにはかない女の肖像 ――ドイツ文学の中の女たち――』(同学社)、ナチ時代の著名指揮者とノーベル賞作家との対立を論じた訳書『フルトヴェングラーとトーマス・マン ナチズムと芸術家』(アルテスパブリッシング)が発売中。 なお、当ブログへのご意見・ご感想は、メールで以下のアドレスにお願いいたします。 miura(アット)human.niigata-u.ac.jp

読書と映画については★で評価をしています。☆は★の半分。
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翌31日も、日曜日ですので更新休止となります。
よって次回更新は4月1日(月)の予定です。

 毎日新聞の吉井理記記者のコラムについては以前にも批判したことがあるけれど、先日のコラムを読んでいてまた首をかしげた。
  
  https://mainichi.jp/articles/20240327/dde/012/070/004000c
 【今日も惑いて日が暮れる】 デマにあらがう = 吉井理記(東京学芸部)
 2024/3/27 毎日新聞東京夕刊 (新潟統合版では3月28日掲載)

  (中略)

 以前本欄でも少し触れたが、昨年から、埼玉の在日クルド人について、「犯罪者」「治安を悪化させている」といった大量の中傷が飛び交う事態になっている。

 (中略)

 日本人も外国人も人間である。時に罪を犯す人も出てくる。埼玉県警によると、2022年の刑法犯検挙者9573人のうち、外国人は611人だという。つまり、ほとんどの犯罪は日本人が起こしている。それなのに、外国人を攻撃するのは、ただの差別であり、いじめである。

 あえて付言すれば、クルド人が集住する埼玉県川口市の外国人は、04年の1万4679人から昨年は3万9553人と2倍以上に増えたが、刑法犯認知件数は1万6314件から4437件と大きく減っている。データ上は、治安は改善したのだ。

 (中略)

 統計の数字が並んだが、デマや中傷にあらがうには、メディアが地道に、冷静に事実を伝える作業が必要だと思う。

                                  

  「メディアが地道に、冷静に事実を伝える作業が必要だと思う」という結びの文句はまったくそのとおりだと言うしかない。

 では、吉井記者のこの記事はそうなっているだろうか? 全然なっていないどころか、トホホと言うしかないのである。

 途中の数字が並んでいる部分をよく読んでみよう。

  【埼玉県警によると、2022年の刑法犯検挙者9573人のうち、外国人は611人だという。つまり、ほとんどの犯罪は日本人が起こしている。】

 この文章がおかしいのは、中学生でも、いや、小学生でも分かるだろう。検挙された9573人のうち外国人は611人・・・だから、犯罪人は日本人が圧倒的に多い・・・と言えるわけがない。母数、つまり埼玉県の人口における日本人と外国人の差を考慮していないからだ。

 例えば極端な話、埼玉県の人口約730万人のうち、外国人は10人だけだったと仮定しよう。そして犯罪の数において、日本人の犯罪は1万件、外国人の犯罪は10件だったとしよう。「1万件と10件という大きな差がついているのだから、外国人の犯罪は圧倒的に少ない」という奴はバカである。埼玉県に日本人は約730万人住んでいて犯罪は1万件、外国人は10人住んでいて犯罪は10件・・・だったら外国人による犯罪率は圧倒的に高い、という結論しか出てこない。

 さて、吉井氏の挙げている数字を検証してみよう
 ネットで調べると、埼玉県に暮らす外国人の数もすぐに分かる。。

 https://www.pref.saitama.lg.jp/a0816/gaikokujin/toukei-r4.html
 【埼玉県に暮らす外国人(在留外国人数)は年々増加しています。2022年〈令和4年〉12月末時点で、21万2,624人と過去最高の数となっており、人口に占める在留外国人の割合は、2.9%となっています。】

 つまり、2022年末の段階で、埼玉県に住む人間のうち外国人は2.9%である。
 そして吉井記者が挙げているように、2022年の埼玉県の刑法犯検挙者は9573人、そのうち外国人は611人である。すなわち、埼玉県における刑法犯検挙者に占める外国人の比率は6.38%である。
 埼玉県では、人口の2.9%を占める外国人が、刑法に触れる犯罪行為のうち6.38%を行っているわけだ。つまり、犯罪比率で言えば日本人の2倍以上、という結論になるしかないのである。

 ・・・これは別段高等数学でも何でもない。統計をもとに何かを言うなら、きわめて基本的かつ常識的な操作である。それが吉井記者にはできていない。こういう人間が全国紙の記者として通用している現状が私には恐ろしい。

 ついでにそのあとに出てくる数値も検討しておこう。
 
 【クルド人が集住する埼玉県川口市の外国人は、04年の1万4679人から昨年は3万9553人と2倍以上に増えたが、刑法犯認知件数は1万6314件から4437件と大きく減っている。データ上は、治安は改善したのだ。】

 川口市の治安が改善していることは川口市当局も強調しており、上の数値もネットで調べると出てくる(↓)。

    https://www.city.kawaguchi.lg.jp/material/files/group/3/202310-04.pdf
    https://www.city.kawaguchi.lg.jp/material/files/group/15/sinaihannzaikennsuu12.pdf

 しかし、上記のURLで見ると、昨年(2023年)の4437件という数値は、実はその前年より622件多いのである。2022年の川口市の刑法犯認知件数は3815件だったからだ。つまり、2023年の川口市では2022年に比べて犯罪が15%以上増加していたのである。

 でも、20年近く前に比べれば減少という傾向には変わりない、と吉井氏は言うかもしれない。
 では、全国と比較して川口市は治安がいいと言えるのだろうか。
 ネットで調べると分かるが(↓)、2022年の日本全国の犯罪数は60万1331件である。同年の日本の総人口は約1億2494万7千人。川口市の2022年の犯罪数は上述のように3815件、この年の人口は60万5千5百人である。
     https://www.npa.go.jp/publications/statistics/crime/r4_report.pdf
 
 比率計算をすると、以下のようになる。
 全国の犯罪率  0.48%
 川口市の犯罪率  0.63%

 残念ながら、治安が大幅に改善されたはずの2022年においても川口市の犯罪率は全国平均より3割強も高いのである。

 吉井記者には算数の勉強のやり直しと、冷静に事実を伝える姿勢とを望みたい。

640[1]
今年映画館で見た33本目の映画
鑑賞日 3月25日
イオンシネマ新潟南
評価 ★★☆

 山田智和監督作品、山田智和・木戸雄一郎・川村元気脚本、川村元気の原作小説は未読。108分。

 精神科医の藤代(佐藤健)と獣医の弥生(長澤まさみ)は同棲しており結婚を目前にしていたが、或る日弥生が失踪してしまう。
 たまたまその少し前、藤代のところに学生時代の恋人であった春(森七菜)から手紙が届いていた。学生時代に同じ写真部に所属したことで二人は親しくなり、一緒に海外に写真を撮りにいく計画を練った。しかし或る事情から二人は別れることになり、その計画は果たせないままになっていた。春はあれから十年ほどをへた今になって一人でかつての計画を実行に移していると報告してきたのだ。
 そして・・・

 春が写真撮影旅行に行く先の風景(ボリビア、チェコ、アイスランド)は美しいが、人間ドラマとしては稀薄で、説得性もなく、出来は芳しくない。

 失踪した弥生の心のあり方が問題なのだが、最後のあたりになっても彼女の行動や心理には納得がいかない。10年もたってから元カレに手紙と写真を送りつけてくる春の心理は、彼女なりに或る事情があったということが分かるようになっているのでまだしもだが、逆に言うと学生時代に藤代と別れなければならなくなった後で彼女がそのことにどうケリを付けたのかがよく分からない。

 原作のせいかどうかは不明だが、要するに登場人物の設定や心理状態の変化をいい加減に済ませているから、映画全体として稀薄な印象しか残らないのだろう。残念な出来と言うしかない。

 新潟市では全国と同じく3月22日の封切で、イオン西を除くシネコン3館で公開中、県内他地域ではTジョイ長岡でも上映している。
 私が足を運んだ第一週月曜夕刻の回(1日5回上映の4回目)は、20名以上入っていた。

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評価 ★★★★☆

 (第1回に続き、本書の内容を紹介します。)

 第3章は「人種」である。
 最初に、1963年8月に米国でキング牧師が行った有名な演説の一節が引かれている。「いつか、肌の色ではなく人格により判断される国で」暮らせるような未来を夢みている、と。この言葉を信条として多くの努力が重ねられてきたのに、現在は人種にこだわる社会になってしまった、と著者は慨嘆する。

 すなわち、1960年代以降の米国の大学では「ゲイ研究」「女性研究」などと並んで「黒人研究」が誕生し浸透していった。これにより歴史・政治・文化・文学を特定の(「黒人研究」なら黒人のみの)視点で扱うようになり、挙げ句の果てに白人への攻撃を行うようになってしまった。フェミニズムが男性への攻撃につながったように、と著者は述べている。
 その結果、「白人研究」という学問分野まで生まれ、米国だけでなく英国やオーストラリアなど他の英語圏の大学にも浸透してきている。この分野では、白人は自分でも気づかないまま人種差別をしているという認識を前提としており、したがって白人学生はまず他の人種の声に耳をかたむけることから始めなくてはならないとする。著者は、これは学問ではなく政治的な運動だと批判している。

 著者はまた、「白人研究」はもともとは人種差別の激しい米国で生まれたのに、人種をめぐる状況は世界のどこでも同じだという前提で分析や主張を進めているとも指摘する。(私は、白人に限らず米国人にはそういう「普遍主義」的な偏見があると考えているが、「白人研究」はその種の米国人の欠陥をそのまま受け継いでいるらしい。)

 このあと、米国のエバーグリーン州立大やイェール大で起こった学生争乱への言及がある。いずれも、「アイデンティティ政治」に染まった学生たちが、常識的な発言をした大学教員を非難して、結果として職を奪うことにつながったという例である。学長や他の教員は学内の言論の自由を守ろうとせず、こうした過激学生に迎合するだけだった。これらの事例は第1回で触れた『傷つきやすいアメリカの大学生たち』の紹介でも取り上げているので、ここでは省略する。 

 ともかく、こうした思想の流通によって、例えば白人男性の俳優が長い下積み生活の後で映画の主演を勝ち取って成功を収めると「白人男性優位の社会だからだ」という声が上がったり、白人の十代の少年が十数人死亡するというバス事故が起こって死者を悼む声が上がると、「犠牲者が白人男性だからだ」とツイートする自称活動家女性が現れるなどの、言うならば「バカの一つ覚え」的な傾向が強まってきている。

 また、映画や演劇の配役で、マイノリティ(黒人やアジア系)の役に白人が選ばれると非難の声が上がるなどの現象も目立つ。著者はこう反論している。演劇やオペラで、本来白人の役を黒人が演じることは珍しくなくなっているし、誰もそれを非難しない。なのに、マイノリティと見られる民族・人種の役を白人が得ると非難囂々となる。要するにダブルスタンダードなのだ。
 (私も、2006年に東京の新国立劇場でロッシーニのオペラ『セヴィリアの理髪師』を見たけれど、本来は男女とも主役は白人の役どころだが、男性主役は黒人テノール歌手だった。2019年春に女房とパリ旅行をしてパリ・オペラ座でドニゼッティ『ドン・パスクワーレ』を鑑賞したときも、ヒロインは本来は白人だが、黒人ソプラノ歌手が担当していた。そういう時代になっているのだ。)

 スポーツでも同様の事例がある。全米女子テニスでセリーナ・ウィリアムズが主審の指示に従わなかったためペナルティを科せられた。すると、主審が性差別的・人種差別的だからだという声が大きく上がった。いったい、黒人女性なら何をしても赦されるのだろうか?

 ポストコロニアリズムが世界的に浸透していて、欧米の植民地主義が批判されるようになっている(そのこと自体は結構なことだと私も思う)が、そのために米国では「文化の盗用」という考え方が幅を利かせるようになっている。白人が有色人種の文化に染まったりそれを利用することは赦されない、なぜならその文化は当該の有色人種にしか理解できないものだからだ、というのである。
 そのため、例えば米国で白人女性が「植民地のサフラン」という名の(植民地料理を提供する)レストランを開いたところ、白人には植民地の料理を作る権利などないといった非難が多数寄せられるという事態が起こっている。

 こうした「文化の盗用」概念を批判したライオネル・シュライヴァー(『少年は残酷な弓を射る』〔邦訳あり〕などの作品がある著名小説家)は、そのために大きな非難を浴びた。またシュライヴァーは、クオーター制(作家の人種別・性別を考慮して出版物を決定する方式)を採用している出版社に公然と反対する作家だが、こういう作家は少数派だという(273ページ)。

 「黒人」という概念はまた、「ゲイ」がそうだったように、政治的方向性と結びついている。黒人の有名ラッパーであるカニエ・ウェストが、保守派の黒人女性評論家キャンディス・オーウェンズ(その著書は当ブログでも紹介されている)を称賛したり、トランプ大統領を支持したりといった行動に出ると、黒人文筆家のタナハシ・コーツは「ウェストの望む自由は白人の自由だ」と批判した。黒人なら民主党支持が当然であり、保守派であってはならない、というわけだ。
          
 保守派の経済学者トーマス・ソウェルの書物『知識人と社会』を、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの書評サイトが取り上げたことがあった。書評担当者は別の大学の上級講師であるエイダン・バーンだった。バーンはソウェルの書物をこき下ろして、「裕福な白人男性が言いそうなこと」と断言した。しかし、その後この文章は書評サイトから謝罪とともに削除された。なぜならソウェルは黒人だったからである。それも知名度はそれなりにある人物だった。バーンはろくに調べもせず、書物の内容だけで「白人が書いた」と判断したわけだ。(279~281ページ)

 他方で、上でも触れたタナハシ・コーツは、白人は白人であるというだけで罪を背負っているという論調の自伝を二冊書き、大ヒットした。内容が内容なのに、批判もろくになかったらしい。批判があっても、(黒人作家の)ボールドウィンは権力者に批判を投げかけることができたが、コーツは黒人大統領への批判を避けている、という程度のものだった。これを真似て英国でも黒人ジャーナリストのレニ・エド=ロッジが自伝を出したが、自分自身では差別された体験があまりなかったので、英国の過去の歴史から例をいくつも持ってきて本を書いたという。(295~302ページ)

 ここで私(当サイト制作者)から、別の視点によるコメントを付しておく。以上で紹介されている本のうち、ナタハシ・コーツの2冊は邦訳が出ている。いずれも慶應義塾大学出版会からである。だが、トーマス・ソウェル(トマス・ソーウェルという標記もある)の本については、現在の日本では2冊しか邦訳が出ておらず、上記の『知識人と社会』には、そして彼には『知識人と人種』という著書もあるのだが、いずれも邦訳がない。誰か訳してくれないだろうか? まさか保守派だから訳されないというわけではあるまい。上に紹介したように、黒人女性の保守派評論家キャンディス・オーウェンズの本だって訳されているのだから。

 ちょっとした言葉遣いだけで白人(男性)が非難を浴びる例として、英国俳優ベネディクト・カンバーバッチが挙げられている(日本でも洋画ファンにはおなじみであろう)。彼はあるとき、人種的マイノリティである同業者の友人から、米国より英国でのほうが仕事が見つけにくいと訴えられて、こういう状況を改善すべきだと発言した。ところがそのとき、有色人種俳優を「カラード・アクター」と表現した。これは英国では特段の問題もない表現であり、米国でも少し前までは同じだった。ところがちょっと前から米国では「ピープル・オブ・カラー」と呼ぶのが政治的に正しいとされるようになっていた。そのためカンバーバッチは非難を浴びて、謝罪へと追い込まれたのである。

 問題は、ソーシャル・ネットワークで発言する(しばしば偏向した)無名の人間の、有名人に対する攻撃を、有力メディアがそのまま記事にして流通させてしまうことである。そのために何が起こるかというと、有色人種に関する発言は避けるのが安全、という暗黙の了解だ。カンバーバッチは明らかに有色人種のために発言したのに、そういう基本を無視して些細な言葉遣いだけで発言を全否定しようとする。これでは誰も差別を是正せよとは言わなくなるだろう。

 これとは逆の例も本書では紹介されている。

 NYタイムズ紙は、2018年8月にサラ・チョンという韓国系アメリカ女性のテクノロジー系ライターを編集委員に任命した。こういうポストに就く人間については、必ずその人物が過去に行ったネット上の発言の掘り起こしが行われる。その結果、チョンは過去に白人に関する暴言を何度もツイートしていたことが明らかになった。「白人の男は下らない」「白人は失せろ」「文化の盗用意外に何が白人にできるか? たぶん何もない」「男を皆殺しにしろ」といった発言を繰り返していたのである。

 それでどうなったか? NYタイムズ紙は彼女を解雇しなかった。「彼女はその記事の内容や、若いアジア人女性だという事実により、インターネット上でしばしば嫌がらせを受けていた。そのため一時期は、嫌がらせの加害者が使う表現をまねて、その嫌がらせに対抗していた。だが今では、そのようなアプローチをとってもソーシャルメディア上でよく見かける辛辣な皮肉を増やすだけだと気づき、過去の発言を後悔している。本紙もそれを容認するつもりはない」という声明を出すにとどまった。

 それだけではない。サラ・チョンを擁護する人物まで現れた。
  「インターネット上には、人種差別反対主義者やマイノリティが『白人』について語る際に使う豊かな表現を、人種に根ざした憎悪と誤解している人が多い。」(ザック・ボーシャン)
 「人種差別的なオルタナ右翼の輩が卑怯にも当人のかつてのツイートを武器にして、アジア人女性を追放しようとする策動だ」(エズラ・クライン)
 ……アメリカ左派がどれほど党派的であり、どれほど言葉をねじ曲げて受け取ることを当然視しているかが分かるエピソードだろう。

 カンバーバッチとサラ・チョンの例を比べれば、その差は歴然としている。前者は善意で発言し、わずかに語彙の使い方を誤っただけだ。後者は明らかに悪意をもって白人男性への誹謗を行った。しかるにその後、前者は謝罪に追い込まれたが、後者はそういうことはなかった。なぜか? 要するに現代のマスコミや識者と称される人間は、発言の内容を見ていないのだ。彼らは発言者が誰であるか、白人か非白人か、男性か女性か、そこをしか見ていない。

 人種問題がなくなったわけではない。それでも過去に比べれば改善されてきてはいる。だが、現代の人種をめぐる状況がとてつもなくひどいという過激な表現をする人間のほうがマスコミから注目される。上でも名が出てきたタナハシ・コーツがそのいい例である。
 彼は最初の自伝を出して、その中に、アリーナで白人の姿を見て「白人を汚らしいと思った。それをきっかけに人種差別主義者になり、それを誇りに思った」と記した。教師に叱責されて教師の顔をぐちゃぐちゃにしたり、白人少年に人種差別的な攻撃も行ったりもした。その筆致には良心の呵責はいささかも感じられない。
 こういう回想録がアメリカでは高く評価される。そしてコーツは財団から助成金を受けて自伝第二作を出版した。そこにはNYで2001年9月に起こった同時テロのことも記されている。崩壊したビルから人々を救助しようとしている消防隊員を見たコーツは、以前同級生が警官から不当に殺された事件があったことを想起して、次のように書く。「あの消防隊員とて、同級生を殺害した警官と何の違いがあろう。ぼくから見れば彼らは人間ではない。黒人であれ白人であれ、人種に関係なく、彼らは生まれながらの脅威であり、彼らこそがあの炎なのである。」

 こういう内容の自伝を、黒人初のノーベル文学賞作家トニ・モリソンは推薦したという。ただし、同じ黒人でも政治思想家のコーネル・ウェスト博士はボールドウィンと比較して批判した。
 著者マレーは書いている。ボールドウィンはまだまだ黒人の声が一般に届かない時代に生きていたが、黒人差別の実態をどちらかというと控え目に語っていた。少なくとも人種の分断を意図的に拡大するような書き方はしなかった。これに対してコーツは分断を拡大することで出世してきたのだ、と。

 大学入試のアファーマティヴ・アクションにも言及がある。(306ページ以下)ハーヴァード大がアジア系に対して不当な入学制限を行っていたとして、2014年に訴訟が起こされたのである。ハーヴァード大はアフリカ系の入学者を増やすためにアジア系の受験生には(そしてユダヤ系受験生にも)不当な低評価を行っていた。要するにハーヴァード大学は人種差別的だったのである。
 ここではチャールズ・マレーとリチャード・J・ハーンスタインの共著『ザ・ベル・カーヴ』にも触れられている。人種ごとに知能は異なると主張した、言うならば悪名高い本だ。(邦訳はないが、橘玲の本で多少内容が紹介されている。)しかし問題は、この書物に関する学術的で冷静な議論がなされていないことのほうだと著者は述べる。冷静な検討を拒否する人の論理とは、「たとえ事実だったとしても、それを検討することには道徳的な疑念がある」というものだという。
   
 しかし2018年に遺伝学の権威であるハーヴァード大学のデヴィッド・ライクが「人種は遺伝学的根拠を持たない社会的構成概念であるという主張は、現在それに反する証拠が次々と挙がっており、持ちこたえられないだろう」と述べたそうである。ただし「遺伝学上の発見が人種差別を正当化するために悪用されることを憂慮する」とも述べている。それでも、ライクに対する非難は数多く起こったようだ。

 第3章の結びとして、ワシントン大学教授ロビン・ディアンジェロ(白人女性:著書には邦訳あり)が2019年に講演で述べた言葉が引かれている。「相手を肌の色ではなく一人の人間として判断する白人は危険だ」というのである。著者マレーは、マルティン・ルーサー・キング牧師の有名な発言から半世紀たって、識者の発言は180度変わってしまったとコメントしている。

 次に「間奏 ゆるしについて」が来るが、ここでは省略する。
  第4章が「トランスジェンダー」である。

 最初にこういう事例が挙げられている。
 2013年、ベルギーでナタン・フェルヘルストという男性が44歳で自殺した。彼は生まれたときは女で、ナンシーという名を与えられた。しかし三人いた男の兄弟より自分は親に好かれていないと思っていた。(実際、母親はナタン=ナンシーのことを「死んでも何とも思わない。醜かったから」と評したという。)ナンシーは男になれば親から好かれるのではと思うようになる。30代後半でホルモン治療を始め、それから両乳房切除手術を受け、さらにペニス形成手術を受けた。そして名も女性名であるナンシーから男性名であるナタンに変更した。しかしそれで彼女は満足するどころか、鬱状態に陥り、手術の一年後に自殺したのである。

 トランスジェンダーに関わることほど急激に社会の中に浸透した問題はないと著者は断言する。ゲイにしても、一般に認知されるまでにはかなりの時間を要した。ところがトランスジェンダーは、本来は比較的少数の人々の問題なのに、マスコミで大々的に取り上げられ、政治的な議論の対象になっている。保守派の政治家までトランスジェンダーの問題に大きな理解を示している。

 性別が曖昧だったり、流動的だったりする現象は昔から様々な文化に見られた。しかし昨今のトランスジェンダーに関する議論にはそういう枠を超えた部分がある。
 比較的理解しやすく異論が少ないのは「間性」だ。生まれつき男性の性器と女性の性器の双方を持っているなどのケースである。「両性具有者」といった表現もある。一般人はともかく、医師はこういう現象があることを昔から心得ていた。最近の推計では、米国では2000人に1人の割合でこういう子供が生まれるという。

 こういうケースには幼時に手術をしてどちらかの性に(少なくとも外見上は)固定してしまうという方法がある。
 (私=当ブログ制作者が以前新聞で読んだ記憶では、日本でそういう子供が生まれたので両親の合意で医師に依頼して女の子の外見にしてもらって育てた例があった。ふつうに結婚したり子供を持ったりすることはできないので、経済的に自立できるように医学部に進ませた。ところがその子は大学で同級生の男子と恋仲になり、性行為に及び、そこで初めて自分の体が普通でないことに気づいた。そうなってから両親に事情を聞かされてショックを受け、自殺してしまったという。痛ましいと言うしかない。)
 しかし最近では無理にどちらかの性にするのではなく、間性という存在に世間の理解を得るような、いわば啓蒙主義的な方向性が強くなってきているという。著者はそうした方向性を肯定している。ところが、と著者は続ける。間性の問題が世間の注目を集めかけたそのときに、トランスジェンダーの問題がそれを押しのける形でマスコミを騒がせるようになった。

 性転換には成功例もあるとして、英国作家ジェームズ・モリスの例が引かれている。第二次大戦に最後の数日間だけ従軍した彼は、戦後は新聞記者として海外をかけめぐった。やがて女性と結婚して五人の子供をもうけた。その彼は、1972年に性転換手術を受けてジャンという名の女性になったのである。その回想録には邦訳もある。
 彼は三、四歳のときに「間違った体に生まれた」と感じ、それ以来そういう確信が揺らぐことはなかったという。1954年からホルモン治療を受けるようになり、女性ホルモンを投与されて「若返った」感覚を得て、男性女性どちらともつかない人間になっていった。
 モリスはまた、女性に性転換をしてから、ある重大な事柄に気づく。男性と女性は(身体以外でも)異なっているということだ。男性時代は大きな問題に関心を寄せていたが、女性になってからはささいな事柄に注目するようになった。ものを書くときも、男性時代は場所を強調したが、女性になってからはそれが人間になった。この辺はフェミニストにとっては都合の悪い指摘だろうと著者マレーは書いている。(350ページ)

 トランスジェンダーも、同性愛同様、なぜそういう人間が存在するのか(器官、遺伝、文化、など)の説明は今のところついていない。
 なぜトランスジェンダーになるのかについて、「自己女性化愛好症」という説がある。男性でも女装趣味の人間はいる。それが極端化して、女性となった自分に性的な興奮を覚えるから性転換に走る、という説である。これはカナダの学者レイ・ブランチャードの研究をもとに米国ノースウェスタン大学教授J・マイケル・ベイリーが提唱したものだ。
 ところがこの説はヘイトに当たるとして当のトランスジェンダーの人間から激しい攻撃を受けるようになる。ブランチャードもベイリーも、別段「自己女性化愛好症」の人間を批判しているわけではないのにもかかわらずである。要するに「トランスジェンダーは生まれつきそうなのだ」でなければならないと考えているわけだ。

 著者は言う。こういう問題が起こるのも、トランスジェンダーに関する客観的な証拠が不足しているからだ。
 元オリンピック選手である男性が2015年に「実は私は女性」と告白した例が挙げられている。性転換手術を受けたわけではない。それでも彼(女)はマスコミの寵児となった。トランスジェンダーの認知運動を進めていた運動家から称賛されもした。著者マレーは、2015年は同性愛の権利運動や人種的マイノリティ・女性の地位向上運動もある程度の成果を挙げていた時期なので、タイミング的にトランスジェンダー問題が「次の焦点」として取り上げられやすかったのではないかと述べている。
 この人物がTV番組に出たとき、保守派の評論家が同席して、この人物は遺伝的にも器官的にも男性だと述べると、番組に登場していた他の人物はいっせいに批判の声を上げ、中には「救急車で帰宅することになってもいいの?」と威嚇的な発言をする人物もいたという。結局、性別は遺伝子や器官の問題ではなく本人の認識の問題だ、という考え方を受け入れないと現在では囂々たる非難を浴びるわけだ。

 マスコミや識者が「議論を拒む」という点で、トランスジェンダーはこの書物で取り上げられた他の問題と同列である。

 ただし、と著者は言う。同性愛とトランスジェンダーには根本的な相違がある。同性愛者は、持って生まれた体を手術や薬物投与により変えることはない。そのままの体で同性の相手と愛し合い、仮に人生の途中で異性愛者になったとしても、やはり身体は生まれたときのままだ。
 これに対してトランスジェンダーは、ホルモン投与や、最終的には性転換手術にまで行き着くのであり、引き返すことができない。「性別の違和感」が学校内で「クラスター効果」として広がるといった指摘もなされている。「一時的にそう思っただけ」の場合もあり得るのだ。したがって投薬や手術をどの年齢から認めるべきかは真摯な議論に値する問題だと。

 ここで著者は英国人のジェームズ(仮名:二十代)の場合を紹介している。
 ジェームズは十代半ばからゲイと女装の世界に惹かれるようになった。ゲイの友人も多数できた。自分でも女装するようになった。実際に女性に性転換した人物とも知り合った。
 18歳のころから何人もの医師に「自分は女性かも」と訴えたあと、性心理カウンセラーから精神分析を受け、「あなたはトランスジェンダーです」との診断をもらった。そしてそこで紹介された病院に通うようになる。後で考えてみると、カウンセリングを提供されたこともなく、簡単に話が進みすぎたと思えたという。
 やがてジェームズは女性ホルモンの投与を受け始める。これによって、色々な変化があった。以前より感情的になり、よく泣くようになった。映画や音楽の好みも変わった。性的な好みもである。
 一年以上女性ホルモンの投与を受けてから、二度の話し合いの機会があり、スペインで性転換手術を受けることができるという話になった。

 ここまで来て、ジェームズは迷い始める。これまでのジェームズは一方の世界にいる人間、つまりトランスジェンダーの友人や病院側の人間の意見しか聞いていなかった。しかしインターネットで調べると、ジェームズの判断の妥当性を疑わせるような見解が多数発見された。そしてジェームズは、「自分の体を変えるのではなく、自分の体に満足するためには何が必要か」という視点を発見したのである。コンサルタントや病院側はこうした視点を提供してくれることは一切なかった。

 結局、ジェームズは性転換手術を受けることはせず、女性ホルモン投与もやめた。それによる体調の悪化は、ホルモン投与を始めたときよりはるかに激烈だったという。
 現在のジェームズは、直前で引き返した判断を正しいと思っている。また、性心理カウンセリングを受けたときから、ベルトコンベアに載せられたような気分だったとも述懐している。色々な可能性や選択肢に配慮していないということだ。ジェームスは今、ゲイとして生きている。

 ジェームズと同じく、著者も、トランスジェンダーについての知識はあまりに少ないと述べる。知識がそれほど得られていない問題にすぐに飛びつくのは賢明な態度ではないと。

 また、LGBTとひとくくりにされがちだが、同性愛とトランスジェンダーは対立することもある。男性に生まれても女性的な容姿の人間や男性的なスポーツを好まない人間は実は間違った体に生まれたトランスジェンダーなのだ、と主張してゲイの反発を買っているトランスジェンダーもいるという。

 フェミニズムとトランスジェンダーの対立もある。男性から女性に性転換した人物が、女性のレイプ被害者のカウンセラーとして訓練を受けるのが妥当かどうかについて、実際に激論が交わされたという(裁判にもなった)。女性のフェミニストが、「いくら手術で乳房や膣を作ってもそれで女性になれるわけではない」と発言して総攻撃を食らうことになったのである。
 別の女性フェミニストが雑誌で女性への抑圧が今なお消えていないと訴えた際に、「私たち女性は、性転換者のように理想的な体型をしていない自分に腹を立てている」と書いたために、やはり「トランスジェンダー嫌い」という総攻撃を食らった。 
 著者によるとこの問題は根が深いという。つまりトランスジェンダーとして男性から女性に性転換した人物は、これまでフェミニストが批判してきた「伝統的な女らしさ」の典型であるようなタイプ(大きな胸、さらさらの髪、肉感的な唇、赤色系統の服装、編物好き、など)になる場合が多いからだ。

 トランスジェンダーに関しては、自分がそうだと言い出す子供と親との関係という問題もある。英米では子供がそうだと言うとすぐさまそのようにその子を扱うばかりか、親に通知することすらしない場合がある。スコットランド政府は実際そういう方針でこの問題に臨んでいる。
 ここには上述の「クラスター効果」が作用している可能性もある。英国ではわずか5年のうちに(自分はトランスジェンダーだ、或いはそうかも知れないと言って)ジェンダークリニックを紹介される子供が700%も増えているという。

 その原因として、ネット上で実在のトランスジェンダーが人気者になるなどの影響が考えられる。大衆文化がそういう方向に行っているから子供もそれに流されるわけだ。
 また、医療専門家がこうした流れに逆らわないことも大きな要因となっている。英国のNHS(国民保険サービス)の専門家は「個人のジェンダー・アイデンティティの発言を抑制しない」という合意書に署名しているのだそうだ。過剰診断や過剰治療の可能性を指摘する専門家の声もあるのに、と著者は疑念を呈している。

 ここでまた実例が紹介されている。米国の中流家庭で、妻の名はサラと仮称されている。
 サラの娘は、4年前に14歳だったとき「自分はトランスジェンダーで本当は男子」と言い始めた。それまで娘は軽度の自閉症で女の子たちとうまく付き合えず、女子よりは男子のほうがまだ付き合いやすいという状態にあった。授業でトランスジェンダーというものがあることを知ってそう思うようになったのだという。そして学校では5%の生徒がトランスジェンダーだと自認していると。
 サラはとりあえず娘の主張に寄り添うことにした。また、ネットで調べてみると、「反LGBT」的な発言には悪意があるようにも思われた。
 最初にサラが相談した医師は、「親がまず受け入れることが大事」と述べ「本人が絶えず一環してそう主張するのであれば、男子」だと請け合った。
 サラが心配したのは、娘の言い分には「脚本に従っている」ような気配が感じられたからだ。途中から「それがかなえられなければ」どうなるかといった恐喝や脅迫が含まれるようになった。

 娘は14歳半で初めてセラピストに診てもらい、15歳になると二次性徴抑制剤の投与を進められた。どこでも、娘の気持ちを疑問視するのは侮辱に等しいと言われた。どんな医師もセラピストも言うことは同じだった。17歳半になった娘は性転換をしたいと告げた。性転換をしたら逆戻りはできない、後悔したらどうするのとサラが問うと、自殺すると娘は答えた。

 子供がそう言うなら性転換をさせるべきだと主張する大学教授や人権団体理事の見解がここで紹介されている。(私=当ブログ制作者はかねてから思っているが、精神医学は医学と称するレベルに達していないのではないか。)

 米国ではトランスジェンダーの要求がビジネスチャンスとつながっていると著者は指摘している。米国でトランスジェンダーの手術を推進しているロサンゼルスの女性医師とその夫は、女性ホルモンの生産メーカーの顧問を務めているという。

 いずれにせよ、サラの娘のケースは、周囲の環境による影響で「自分はトランスジェンダー」と言い始めた可能性が高いと著者は見る。

 最後に「結論」が置かれている。

 本書の副題にある、人種、ゲイ、女性、トランスジェンダーを取り上げて或る種の道徳性を示すこと、それを著者は「新たな宗教の信仰形態」と呼んでいる。こういう運動を称揚すれば「私はいい人間」と証明できるからである。

 しかしそこには倒錯がある。欧米先進国はこういった問題についてはすでに大きな成果を挙げている。なのにマスコミや運動家の手にかかるとまるでこれらの国は最悪の状態にあるかのように思えてくる。米国の政治家ダニエル・パトリック・モイニハンの言葉が紹介されている。「一国で人権侵害の申し立てがなされる件数は、その国で実際に起こる人権侵害の件数に反比例する。」
 つまり、人権侵害が実際に多い国では、人権侵害を訴えることすらできない、ということなのだ。

 本来的には探求的な側面をもつリベラリズムが、今ではリベラルな独断主義に変化している。未解決の問題を解決済みと称し、未知の事柄を既知と強弁し、十分な議論をへていない方針に沿った社会構築を主張する独断主義、と著者は述べる。

 スポーツでは、男性から女性へ性転換手術をした選手が競技会で優勝をさらうという例が少なくない。もともと女性だった選手がこれに抗議すると、「トランスジェンダー嫌い」のレッテルを貼られてしまう。

 「抑圧」を探してあらゆる場所にそれを見つけるのではなく、「犠牲者グループ」が実や抑圧などされていないということに気づけば、こうした迷路から脱出できると著者は述べる。
 
 例えば、同性愛者は、異性愛者より平均で見ると所得が高い。同性愛者は子供を持たないので、その分労働に時間を注げるからではないか、という。
 人種別の所得についても同じことが言える。米国ではヒスパニックの平均所得は黒人より低く、黒人のそれは白人より低いということが強調されているが、実はアジア人男性の所得は白人よりも高いのである。

 男女の問題についても同じことが言える。英米では、同じ仕事をして男女に賃金差があるのは違法という制度がとっくに確立しているのである。男女全体で見ると賃金格差があるのは、要するに女性が就く職業が男性のそれに比して、正規・非正規など異なる条件下にあるからなのである。ところが、そのことを知らない人間が7割におよぶ。と同時に、現在ではフェミニズムが度を越していると考える人間の割合も7割に及ぶという。

 著者は「母性」という概念がないがしろにされてきたことに触れている。フェミニズム作家カミール・バーリアは、「フェミニズムのイデオロギーは、人間生活における母親の役割という問題に誠実に取り組んできたことがない。抑圧者の男性とその犠牲者の女性というフェミニズムの歴史観が、事実を大きく歪めている」と述べているという。上野千鶴子に読ませたい文章ですな。上野にイカれているヘタレの男性知識人にも、である。

 2019年、CNBC放送がツイッターで、「子供を持たなければ50万ドル節約できる」とというニュースを流したという。『エコノミスト』誌も、女性の生涯所得が男性より低いのは、子供を持つからだ、と書いたという。(いかにも経済雑誌らしい軽薄さだ。こないだ、老人は自死すべきだと発言した日本の経済学者がいたけれどと、経済学者ってバカばっかりだと思うね。)しかし、こういう阿呆な論理を実行に移しているのは上野千鶴子ばかりではない。日本でも同様のことを書籍に書いている人間がいる。少子化はこういうイデオロギーの産物でもあるのだ。

 トランスジェンダーに関して、今の英米では常識を逸した態度が常識化している。ある男性が自分は女性だと言えばそのように受けとめなければならないのであり、それを否定するのは「トランスジェンダー憎悪」の産物だというのである。米国民主党の政治家アレクサンドリア・オカシオ=コルテス(米国民主党の女性政治家のホープとされる。日本人学者でも前嶋和弘が称賛している)も、子供へのホルモン療法の導入を訴える英国のトランスジェンダー団体への募金パーティを開催している。
       
 ところが、2018年に英国でこういう事例があった。レイプ犯として捕えられた男性が「自分は女性だ」と主張したので、本人の希望どおりに女性刑務所に入れたところ、四人の女囚をレイプしたという。このときに英国自由民主党の女性議員が述べた言葉が引用されているが、要するに「トランスジェンダーの女性なら、それでいい。その人を人間として、心で判断すればいいのです」というようなシロモノだった。こんな阿呆な論理が、政治世界でまかり通っているのが、現在の英米なのである。これだと、「どんな犯罪を冒した人間でも、本人が『やっていません』と言えば無罪なのです」ということになりそうだ。

 要するに、本書で取り上げられた問題に取り組む運動家のやっていることは、解決ではなく分断なのである。著者は、ここにマルクス主義の下部構造論の反映を見ている。「抑圧している者」と「抑圧された者」の図式で、「シスジェンダーの白人男性の男権主義」への反感をひたすら煽ろうとしているのが、このテーマに固執する運動家なのだ。

 そういう人間はおかしな主張をする。イランの革命政権を支持し、イランに性転換者が多数いることがイランの進歩的な証拠なのだという。しかし、実際にはイランでは現在でも同性愛行為によって有罪を宣告された男性は公けの場で絞首刑に処せられるのである。欧米の先進国でそんな例があるだろうか? こういう常識的な見方ができないのは、新マルクス主義者だと著者は喝破する。

 著者は最後に、米国大統領F・D・ルーズヴェルトに触れている。ルーズヴェルトは周知のように脊髄小児麻痺により下半身不随の身で大統領となった。当時は、被害者意識を前面に出すのはみっともないことだとされた。男性は特に、何があってもくじけない心が求められたのである。こうした心の持ちようこそが、被害者意識を誇張して喧伝しがちな現代人に必要なものだと、著者は締めくくりで述べている。  

 以上のように、本書は近年に英語圏で猛威を振るっているいくつかの問題を俎上に載せて、いい意味で常識を基盤にすえつつ批判的な検討を行っている。現在のマスコミ、人文社会科学系の学問あり方、そして精神医学者の姿勢についても警鐘を鳴らしており、日本の知識人にとっては必読の書と言える。
 米国の影響の強い日本では、米国の悪い面を、吟味もせずにそのまま真似ようとする学者が東大などを中心に現れており、男子差別の入試を平気で行う大学理工系学部も少なからず出てきている。またトランスジェンダーを論じた本の邦訳に圧力がかかって出版中止になるという事態も、やはり米国の後追いと言える。本書を読んで「米国の猿真似をするのではなく、自分の頭で考える」ことを学んでもらいたいものだ。

 新潟県立図書館から借りて読みました。新潟大学には例によって入っていないんだけど、人文社会科学系の教員は何をやっておるのか? 新潟県立大学と新潟国際情報大学にはちゃんと入っているし、OPACで調べると、全国160以上の大学が所蔵しているのですぞ!

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今年映画館で見た32本目の映画
鑑賞日 3月22日
シネ・ウインド
評価 ★★★★

 インド映画、A・R・ムルガダース監督・脚本作品、162分、2018年、原題は"Sarkar"(「政府」の意)。

 舞台はインドのタミルナードゥ州(インド最南端東部)。そこの出身ながら北米大陸で事業に成功した男スンダル(ヴィジャイ:画像中央)は、州議会選挙で一票を投じるために故郷に戻ってきたが、何者かがすでに彼の名を使って投票を済ませていた。スンダルが司法に訴えて投票の権利を獲得すると、同様の立場にあった多数の人々が同じ行動をとる。長年州首相の座にあった権力者の腐敗に気づいたスンダルは、これを是正しようと・・・

 いかにものインド映画。主役は正義感が強いだけでなく格闘技にも無茶苦茶強く(そういうシーンがたっぷり盛り込まれている)、善と悪がはっきり分かれており、悪役としては日本なら「おぬしも悪よのう」的な州首相とその補佐役がまず登場するが、加えて州首相の娘で美人の大学教授(バララクシュミ・サラトクマール)も重要な役割を果たす。後半は彼女が悪役のトップとなる展開が悪くない。

 インド映画だから歌と踊りのシーンもちゃんとあるし、2時間40分という長尺がまったく気にならない面白さ。エンタメだけど社会正義を訴える内容にもじんと来る。こういう映画は今の日本では、いや、欧米でも作れないだろう。インド映画の時代なのかな――そんな気持ちになる一作。

 上記のように2018年の映画で、日本では2019年のインド映画祭(インディアン・ムーヴィー・ウイーク)で公開された。
 今回の新潟公開は、シネ・ウインドで3月9~11、13、14、22日の、合計6日間、1日1回のみ。私が足を運んだ最終日3月22日は、25人くらい入っていた。

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評価 ★★★★☆

 (本書は分量が多く〔邦訳で500ページ弱〕、内容が充実し多数の注目すべき記述がなされていますので、2回に分けて紹介します。)

 著者は1979年英国生まれ、オックスフォード大卒、文筆家・政治評論家。著書『西洋の自死』で一躍有名に(私は未読)。本書も26カ国語に訳されているそうで、私としてはこれがこの著者を読む最初となる。なお著者は自分がゲイであることを公表している。
 Douglas Murray: The Madness of Crowds. Gender, Race and Identity. 2019.

 タイトルと副題からも分かるように、近年アメリカや欧州で蔓延しているアイデンティティ・ポリティクスと、それに伴う言論表現の自由の危機を、批判的に検討した本である。以前当ブログで紹介したG・ルキアノフ+J・ハイト『傷つきやすいアメリカの大学生たち 大学と若者をダメにする「善意」と「誤った信念」の正体』と同じ方向性を持つ書物と言える。

 最初に「イントロダクション」があるが、その後の全体は4章に分かれ、第1章が「ゲイ」、第2章が「女性」、第3章が「人種」、第4章が「トランスジェンダー」となっている。章と章のあいだに「間奏」が入り(「マルクス主義的な基盤」、「テクノロジーの衝撃」、「ゆるしについて」)、最後に「結論」が来る。

 「イントロダクション」では、近年著しくなっているアイデンティティ・ポリティクスやインターセクショナリティによって、非寛容で攻撃的な態度をとる大学人や若者が増えているという現状認識が披露されている。著者によればこれは2008年の世界金融危機以降の現象であるという。これにより「LGBTQ」や「白人の特権」「トランスジェンダー嫌い」といった言い回しが大学やマスコミで大量に用いられるようになった。
 公民権運動などによって非白人や女性への差別が少なくなってきている時代に、逆に大学人やマスコミの言説は過激なまでの「差別反対」に行き着き、誰かのちょっとした失言などを捉えて退任や馘首を迫るといった行動が流行になっている。

 このような状況についてまず自由に議論することが大事だと、著者は述べている。

 次が第1章の「ゲイ」である。

 この章は2018年に英国で起こった事件の紹介から始まっている。『沈黙させられた人々の声』という映画が上映されるはずだったのが、圧力により上映中止に追い込まれたのである。
 この映画は、最初はゲイと自任していたが途中で異性愛に転じ、結婚して妻との間に二児をもうけたという男性が主導して作ったものである。要するに同性愛は変えられないものではないという内容である。著者マレー(上に述べたように自分がゲイであることを公表している)も鑑賞しているが、内容的にはあまり感心しないものの、同性愛が病気だとか絶対に異性愛に治せると主張するものではなく、異性愛になることも可能なのだ、と訴えたものだという。

 こういう映画が圧力を受けて上映中止に追い込まれた。明らかに言論弾圧なのに(著者はジョン・スチュアート・ミルを引用しつつ、言論の自由がいかに大切かを述べている)、今の英国のマスコミや知識人はそれを問題にしない。 
 かつてゲイは違法だった。それが近年改められてきたのは、言論の自由があったからだ。なのに、ゲイの権利が認められると、少しでもそれに抵触しそうな言論を弾圧して恥じない人間は、近代の基本を分かっていないのである。

 これには、この種の問題に関する社会常識がかつてなかったほどのスピードで変化しているために、マスコミや知識人がそれに形ばかりでも合わせるのに必死になっているからだという。
 例えば2015年、英国教育相ニッキー・モーガン(保守党:女性)は、同性愛を嫌悪する傾向が少しでもあるのは好ましくないとして、同性愛を嫌悪する生徒は警察に通報する必要があるかも知れない、とまで述べた。この発言自体が警察国家的な発想で、スターリニズムや中国文革時代を想起させるわけであるが、こういう言辞を弄したモーガンは、2013年に同性婚を認める法案が英国議会にかけられた際には反対票を投じていたのである。

 米国のヒラリー・クリントンも同様である。1990年代、ヒラリーは夫のクリントン大統領が同性婚を阻止するために提示した「結婚防衛法」を支持していた。ところが2016年にみずからが大統領選に出馬するときには、LGBT団体とタイアップして支援を受けていたのである。

 著者は、「ゲイである誰かが言わねばならないから言わせてもらうが」と前置きした上で、TVや新聞が同性愛関係のニュースを必要以上の頻度で必要以上のスペースや時間を使って扱っていると批判している。(哲学者ハイデガーのナチ加担問題が戦後しばらくして再燃したとき、一方的なハイデガー批判とは異なるスタンスで論じることができたのが、ユダヤ人哲学者だったデリダであったのと似ているかも知れない。)もっと大切な問題や大事件があるのに、あたかもLGBTQこそが世界最大の問題であるかのごとくに振る舞うマスコミは明らかにどこか狂っているのである。(欧米だけでなく日本も同じだろう。)

 しかしそういうマスコミ、或いは教育の影響のためか、いわゆるZ世代で「自分は異性愛者」とする人間は全体の三分の二程度になっており、先行する世代とは明らかに比率が異なっているという。

 医学者自身の態度も、近年大きく変化している。つまり「専門家」の認識が変わってきているわけだ。アメリカ精神医学会が同性愛を精神疾患と見る根拠はないとしたのが1973年だった。WHO(世界保健機構)が同様の態度をとるようになったのは1992年である。
 他方、王立英国精神科医学会は2014年に声明を発表して、性的指向を改める療法に効果があるとは思えないと述べながらも、しかし同時に、性的指向が生きている間にまったく変わらないとは言えない、とも述べているのだ。

 また、英米の精神医学者とも、人の性的指向の理由(遺伝、器官、文化、生育など)ははっきりとは分からない、としている。
 ともかく理由は分からないわけで、現在は昔と逆に「同性愛は病気ではなく、生まれつきで、変えられない」という考え方が科学の裏づけもなく信じられるようになっている可能性があると著者は述べている。

 さらに著者が指摘するところによると、ゲイの人間には二種類ある。一つは自分はゲイであることを除けば異性愛の人間と何も変わるところがないと考える人々。もう一つは、ゲイ(この場合はクィアともいうようだ)は通常の人間を超える存在なのであり、社会秩序に収まることはあり得ない、と考える人々である。後者はしたがって必然的に反社会的な態度を進んでとりがちであるという。

 同性婚が認められた国では、次にはゲイ・カップルの子育てが話題になる。しかしレズのカップルと異なり、ゲイのカップルではこの点で困難がつきまとう。カップルの一方の遺伝子を持つ子供しか(いちどきには)できないということもあるが、レズのカップルでは何らかの形で他人の精子を手に入れればそれで済むけれど、ゲイの場合は卵子を手に入れるだけでなく代理母を確保しなければならないので、それには多大の出費が必要になり、つまり裕福なカップルでないと自分の遺伝子を持つ子供は持てないというのが実態だからである。

 また、ゲイは政治的である。アメリカなら民主党支持でないとゲイとは見なされない(!)傾向があるそうだ。例として挙げられているのが、フェイスブックの初期出資者だったピーター・ティールである。ティールが大統領選に際してトランプを支持すると公言したところ、ゲイの雑誌から叩かれ、ゲイの名に値しないとされたという。

 以上が第1章である。
 次の「間奏 マルクス主義的な基盤」では、学者の思考の偏りを俎上に載せている。

 2006年のアメリカの大学に関する調査によれば、社会科学の教授の18%がマルクス主義者だった。また社会科学の教授のうち「活動家」を自任する者が21%、急進派を自任する者が24%だったという。
 マルクス主義、或いはポストマルクス主義的傾向のある学者は、ミシェル・フーコーから思考法を学んでいるという。すなわち、社会を見るのに、時代と共に進化してきた信頼と伝統からなる複雑なシステムと考えるのではなく、万事を「権力」というプリズムから見るのである。そうした見方は不寛容を招来する。
 グラムシやドゥールーズの影響も指摘される。脱構築や解体という方向性でしか物事を捉えることができない。

 こうした過程で、セックスはジェンダーと言い換えられ、さらには「ジェンダーは社会的構成概念」に過ぎないというジュディス・バトラーの主張が出てくる。白人、黒人の外見についても同様に見なす人間があらわれる。ペギー・マッキントッシュ、キンバリー・クレンショー、エルネスト・ラクラウ、シャンタル・ムフなどの名が挙げられる。そしてかつてなら「階級闘争」により説明されていた世界は、「女性、人種、民族、性的マイノリティによる闘争」として把握されるようになる。

  著者は、ラクラウとムフは、古い左派の階級闘争史観がすっかり人気を失って見る影もなくなっていた情勢をバックとして、新しい社会闘争を発見したのだと述べる。そしてこうした学者の著作が学問の世界で非常に多く引用されている現状に疑問を呈している(109ページ)。
 また、こういう学者の本は難解な文章で埋められている場合が多く、読んでも分からないとも(116~117ページ)。
 そのため、わざと訳のわからない文章で論文をでっち上げて、この種の学術雑誌に投稿して採用され、その後に意図的なデタラメ論文であることを暴露するという学者もでてきた。ソーカル事件(分からない人は自分で調べよう!)を想起させる。つまり、「学術誌」なるものがどのくらいアテにならないかが、ここから分かるのである。(119~121ページ)

 そしてスティーヴン・ピンカー『人間の本性を考える』(邦訳あり)の文章「今では思想の分析が、政治的な中傷や個人的な攻撃に乗っ取られている。(中略)人間の本性を非値する思想が学界を超えて広がり、知識社会と常識との間に齟齬が生まれている」を引用している。
 つまり、マルクス主義やポストマルクス主義を奉じる知識社会=学者・ジャーナリストは常識から逸脱しているというわけだ。

 私(当ブログ制作者)は不思議に思うのだが、日本でも今なおマルクス主義者を自称する学者がいて、それで学者としての生命を失うことはない。東大の斎藤幸平などそのいい例だろう。
 しかしマルクス主義により命を落とした人間は、ナチズムの犠牲者よりはるかに多い(『共産主義黒書』を参照。こちらこちら)。スターリニズムだけなら、「たまたまスターリンという人間が悪かったのだ」で済むかも知れないが、毛沢東の中国も、金王朝の北朝鮮も、ポルポトのカンボジアも、マルクス主義国家は軒並み非人間的な抑圧国家で多数の人間を殺戮したのである。ソ連によるハンガリー弾圧もチェコ抑圧も、スターリンが死んだ後の出来事だった。どうしてこれでマルクス主義者を自称していられるのだろうか? それなら、「ヒトラーの悪いところは除去してナチズムで行きます」でもよさそうではないか!
         
 第2章は「女性」である。
 冒頭、上にも引いたスティーヴン・ピンカーが『人間の本性を考える』の中で、男性の脳のほうが女性のそれより(平均で見ると)知性的にできており、また少年と少女の脳は発達に大きな違いがある、と指摘している事実から始めている。ピンカーの著書は20年前のものだが、残念なことに世の中の「女性論」は学問的な厳密さとは正反対の方向性を取るようになっていると。

 それから、現在のハリウッドは「政治的正しさ」の殿堂のごとき観を呈しているが、少し前までのハリウッドはまったく逆であり、世間から指弾されるような性的犯罪者やセクハラ常習者が堂々と有名監督や俳優として通用していたのだと指摘する。 
  そして、男女の関係は複雑なものであるのに、現在の男女関係論はきわめて単純化されており、女性はいくらセクシーな服装をしてもいいが、男性がそれに性的魅力を覚えてはいけないというような、どうしようもなく非常識な論理がまかり通っていると批判する(151ページ)。

 その結果どうなるか。現在の金融業界で上級管理職にある人間(男性が圧倒的に多数)への調査によると、男性管理職はもはや女性の同僚と一緒に食事をしたいとは思わなくなっているし、飛行機では女性同僚の隣りになることを避ける、ホテルの部屋を予約するときは女性同僚とは違う階を選ぶ、女性との一対一の会談は避ける、というようになっているという。著者は言う。女性の同僚は信用されていない。つまり、身に覚えがなくともセクハラなどを言い出される可能性があるので、そういう可能性がない状態に自分を置くのが安全だという意識が強くなっているのだ。

 私(当ブログ制作者)にも覚えがある。新潟大学の専任教員だった時代の末期、ゼミに長期欠席している男子学生がいたので(メールにも応答なし)、アパートの住所を調べて訪ねていったことがある。実際には心理的バランスを崩して帰省していたらしいので会うことはできなかったが、とにかく男子学生にならそこまでの「ケア」を試みた。しかしその翌年に今度は女子学生が同じ状態になったときには、私は特に何もしなかった。当時はすでにセクハラ禁止がやかましく言われるようになっていたから、女子学生のアパートを訪ねていくなんて危険な真似はできるはずもなかったのだ。

 女性だけではなく、「マイノリティを一定数入れろ」という圧力があるためにおかしな現象が起こっている。
 著者の知り合いである英国人が大企業に就職した。給料はかなり良かったのだが、まもなく上司から「最初に提示した額よりも高額の給与を支払っていいか」という打診を受けた。企業は人種割当やジェンダー割当など様々な数値を満たさなければならず、この場合は人種ごとの給与格差が基準に達しない恐れがあったので、入社してまもない当該人物に予定より高額の給与を支払うことで基準を満たそうとしたのである。

 著者は指摘している。有色人種や女性、性的マイノリティの社員の昇進に取り組んでいる企業では、実際には昇進するのはすでに何らかの優遇を受けている人間の場合が多いと。「マイノリティ」であっても、育った家庭が裕福で私立の学校や最高ランクの大学を出た人間もいる。そういう人間が企業内でさらに優遇措置を受けることは正しいのだろうか。

 同じ現象は政党でも起こっている。英国保守党は少数民族の国会議員を増やそうとしたが、実際にその恩恵を受けたのは、名門イートン校を出た黒人であり、もう一人はナイジェリアの副大統領の甥だった。労働党も、バングラディシュの首相の姪を議員候補とした。(私がこれを読んで思ったのは、英国の教育界が世界各地の人材を集めていること、そして子女を英国に送って教育を受けさせられるのは言うまでもなく裕福な階級や権力者だということだった。)

 つまり、企業や公的組織では、男女や民族の多様性は高まっているけれど、階級の多様性は逆に低くなっているのである(174ページ)。

 「女性」に戻るなら、フェミニズムがいかに浸透しようと、女性が(或いはゲイの男性が)魅力を感じる男性のタイプが変わらなければ社会は変わらない。しかるに英国の学術機関の調査によると、魅力的な男性のタイプとは「筋肉隆々で裕福」と、昔とまったく変わっていないのである。(193ページ)つまり、フェミニズムは「女性の意識」を変えるのに失敗してきたということ、或いはそこに目を向けないできたということだ。

 以上が第2章。
 次の「間奏 テクノロジーの衝撃」では以下の事実が指摘されている。

 シリコンバレーは政治的には左寄りである。グーグルなどは社員を採用するにあたってテストを実施しており、このテストには「性・人種・文化などの多様性」についての質問が非常に多く含まれており、これに「正しく」答えないと採用されないという。
 (ここを読んで私が思ったのは、米国には思想信条の自由が存在しないということだった。こういうシリコンバレーの姿勢は、米国憲法違反なんじゃないか?)

 しかし、である。ではシリコンバレーのIT企業は「多様な」社員を採用しているのだろうか? 実際にはグーグルの社員の人種比率は、ヒスパニック4%、アフリカ系2%となっており、米国人口比での割合よりかなり低くなっている。白人は56%で、多すぎるというほどではない。多いのはアジア系で35%に達しており、言うまでもなく米国全体の人口比に比べてアンバランスと言いたくなるほど高比率なのである。
 (米国有力大学の入試では、アファーマティブ・アクションにより黒人が優遇されているのに対して、やはりマイノリティであるアジア系は逆に――放っておいても多数入学してくるので――入学者数を抑えられているという事実が想起される。)

 また、グーグルの検索システムは決して中立的・客観的ではなく、イデオロギーのバイアスがかかっていると著者は指摘する。
 例えば「物理学者」で画像検索をすると、最初に出て来るのはドイツの大学で教えている白人男性の物理学者だが、次に来るのはアフリカ・ヨハネスブルクの博士課程に通う黒人学生だという。アインシュタインは四番目、ホーキングは五番目。著者は、物理学者には女性が極端に少ないからジェンダーでの「多様性」を示すのは困難なので、代わりにグーグルは人種的多様性を示そうとしているのではないかと見ている。

 さらに、グーグルで「黒人男性」の画像を検索すると黒人男性のポートレート写真が次々と出てくるのだが、「白人男性」で検索すると、一番目は著名な白人男性サッカー選手が出て来るが、二番目に出てくるのは黒人モデルだという。さらに検索を続けても、五枚のうち一、二枚は必ず黒人男性であり、また白人男性画像の多くは有罪を宣告された人物で、「平均的な白人男性に気をつけろ」「白人男性は悪人」というタグが付いているという。

 この他いくつもの例が挙げられているが、要するにグーグルの検索は一定の政治的方向性やイデオロギーに支配されていることが歴然としており、これをそのまま信じたり受け入れたりしてはならないという結論が導かれるのである。

 (この続きの書評はこちらに。)

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 いただいたので紹介します。
 
 ドイツ文学者で評論家である西尾幹二氏による最新刊です。

 西尾氏はドイツ文学者として活動しながら(著書『ニーチェ』がその代表的な仕事)、同時に評論家として様々な分野に関する発言を行ってきました。

 たとえば、戦後長らく、第二次世界大戦での勝者である連合国史観が幅を利かせていて、日本はナチ・ドイツと同列なのだといった粗雑な見解が流通していた時代に、西尾氏は日本とドイツは異なるという洞察を示して、その時代には賛否両論の評価を得ていました。

 今からすれば、ユダヤ人を地球上から抹消しようとしたドイツと、基本的に第一次世界大戦期の「先進国=植民地主義」路線を突っ走っていた日本が同じであるわけはないことは自明なのですが、当時西尾氏が左翼知識人から浴びせられた罵倒は、今の目で振り返るなら、左翼知識人がいかに物事を分かっていなかったかを示す歴史的な史料となっています。

 移民についても同じことが言えます。バブル期のころ、日本の財界人は労働力不足を補うために移民を導入すべきだと主張していました。これに対して西尾氏は、移民は単なる労働力ではなく、日本に移住すれば「人間」としての存在になるのであり、移民は宗教や文化習慣などにおいて日本人と異なる以上、そこに軋轢が生じるのは必然的であるという、今からすれば当たり前の――しかし日本の財界人にはまったく見えていなかった――認識を示して、日本の移民政策に大きな影響を与えたのでした。実際、ヨーロッパの移民問題を見るならば、いかに日本の財界人がバカであり、西尾氏が慧眼の主であったかは歴然としています。

 歴史観に関しても、西尾氏は左翼から総攻撃された『国民の歴史』だけでなく、欧米と日本との関係を長いスパンで考察した『地球日本史』のような優れた著作を発表してきました。

 今回のこの『日本と西欧の五〇〇年史』は、その集大成と言えましょう。
 明治維新や第二次世界大戦をどう見るかは、当時から長い時間が過ぎた現在からすれば、教科書的な記述で済まないことは自明と言えます。

 1935年生まれで、米寿を迎えた西尾幹二氏の、もしかしたら最後になるかも知れない著書を通して、戦後日本の歴史観を問いなおすことは、知的な人間の責務ではないでしょうか。

 なお、本書の書評は、きちんと読んだ上で改めてアップします。

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3月20日(水・祝)午後4時30分
ヴェリタス・ミュージック・アカデミー

 この日は標記の演奏会に足を運びました。午前中は古町で新潟国際アニメーション映画祭で上映作を鑑賞し、それから某所で本を読んで過ごしてから出かけた催し。午後2時開演と合わせて2回開催されたのですが、私が行ったのは遅い回の午後4時30分開演のほう。
 会場は8畳くらいの洋室とそれよりやや狭いくらいの和室が合わさった部屋で、客が15人くらいしか入りません。

 フルート=清水理恵、ピアノ=石井朋子

 宮城道雄:春の海
 メンデルスゾーン:(「無言歌」より)春の歌 (ピアノ独奏)
 ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第5番「春」より第一楽章 (フルート編曲版)
 (休憩)
 グリンカ=バラキレフ:ひばり (ピアノ独奏)
 清水研作:「春の小川」による幻想曲
 清水研作:「さくらさくら」による幻想曲
 ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲「四季」より”春”第一楽章
 (アンコール)
 松任谷由実:春よ、来い

 フルートの曲、と言っても最初からフルート用に作られたわけではなく編曲によるものですが、それにピアノ独奏曲2曲を加えたプログラムです。
 この時期に合わせて春にちなんだ曲が並んでいます。この日はあいにくの空模様で、しかも気温も上がらず、冬に逆戻りしたような案配でしたが、音楽会は春一色で、また演奏された曲目も馴染み深いメロディアスなものが多かったので、肩肘張らずに楽しむことができました。

 ベートーヴェンの「春」はヴァイオリンソナタとして有名ですが、フルートでもなかなか味わい深いと分かりました。
 清水研作氏(清水理恵さんの旦那さん)の二曲は、いずれも日本の唱歌を編曲したものですけれど、日本の曲って笛に合っているのかな、と思いました。 
 
 石井さんの独奏になる「ひばり」は初めて聴きましたが、ちょっと面白い曲で、特に最初の序奏部分が独特かつ聴き応えがありました。

 音楽会としてはとても良かったと思いますが、会場が狭いのが難点。閉所恐怖症の人には薦められません。フルート教室の内輪の発表会ならともかく、一般にチケットを販売する演奏会の会場は、やはり最低でも50人くらいは入るところがいいでしょうね。

 また、この会場には初めて行ったのですが、場所が分かりづらい。チラシには「バス停高校通から徒歩一分」と記してあるけれど、私は前日あらかじめ会場を確認しておこうと高校通のバス停の周辺を探しましたが、見当たりません。後でパソコンで新潟市地図を見て確認し、また石井さんからの親切なご教示もあって、当日はどうにか会場に行き着けたのですけれど、場所は「バス停高校通と宮前通のあいだ、豆腐屋の向かい側」とするのが適切だと思います。「ヴェリタス・ミュージック・アカデミー」という看板は出ているものの、小さくてバス通りからは文字がまず読み取れない。「豆腐屋の向かい側」としないと分からない所以です。

 (一般にチケットを販売する)音楽会は、会場にたどり着けなければ聴けないのです。「会場を分からせる」という基本をちゃんとやらないといけません。

 3月15日から20日までの日程で行われた新潟国際アニメーション映画祭も終了した。
 
 コンペティション部門では『アダムが変わるとき』というカナダ・アニメがグランプリを獲得した。残念ながら私は見ていない。その気になれば見ることができたのだが、映画祭のチラシでの簡単な紹介文を読んでも鑑賞意欲が湧かなかったというのが正直なところ。

 私が鑑賞したのは『オン・ザ・ブリッジ』『マーズ・エクスプレス』の2本だけだったけれど、後者はそれなりに面白く、またこの映画祭で「境界賞」を受賞した。

 昨年度の第1回と比べると、コンペティション応募作の上映は2つ増えて合計12作品となったし(応募そのものは49作品あったそうである)、会場も、第1回のクロスパル新潟が撤退(?)した代わりに、だいしほくえつホールと日報ホールが加わった。
          
 また、コンペティション部門とは別にすでに公開されたアニメ作品に与えられる賞(大川博賞、蕗谷虹児賞)のうち、蕗谷虹児賞・脚本部門に丸尾みほ脚本(原恵一監督)の『かがみの孤城』が選ばれたことを言祝ぎたい。このアニメを私は高く評価しているので。
           
 私はスマホを持たないので、今回は2回とも当日券で入場したが、問題なく入れた。(昨年はパソコンで予約を入れたが、会場の受け入れシステムが出来ていないと感じた。)

 客の入りもまあまあである。私は、だいしほくえつホールと市民プラザで見たのだが、いずれも半分くらいは入っていた。満席になればそれに越したことはないが、私のように当日券で入る客もいるから、多少余裕があったほうがいい。
 スタッフによる客の受け入れ体制などは、私は2本しか見ていないけれど、昨年の第1回よりちゃんとしていた印象だった。
 
 会場には外国人の姿も目立った。国際映画祭なのだから当然だけど、この映画祭がもっと多くの人間を内外から呼ぶイベントになることを祈る。

 ただ、前回も書いたが、問題は会場への交通である。古町近辺には無料駐車場がないので、自動車で動いている新潟市民や新潟県民には不便である。この映画祭をシャッター街化している古町の復活を期した起爆剤にしたいなら、その辺への配慮が必要だろう。

 3月20日午前中に『マーズ・エクスプレス』を見終えてから、せっかく(久しぶりに)古町まで来たので若干古町にお金を落とそうと、昼食も古町でとった。ラーメン屋を探してうろうろしたけれど、この日は祝日だというのに歩いている人間が少ない。ようやく、古町七番町から一つ新潟駅側にある小路で辛子味噌ラーメンと書いたラーメン屋を発見。醤油ラーメンもあったけれど、味噌ラーメンがメインらしかったので、辛子味噌ラーメンを頼んだ。おいしいのではあるが、930円という価格は安くない。もっとも、新聞で各地の名物ラーメン店を紹介している記事を読むと、今どきは1000円台のラーメンも珍しくないようだ。ラーメンなんて庶民の食べ物と思っている人間は時代遅れで、とうに高級料理になりつつあるのかも知れない。

 思うんだけど、このイベントを古町の活性化に利用したいなら、古町の飲食店の割引券をチラシに付けたらどうですかね? 50円引き程度でもいいから。飲食店マップも付けて。そういう商売っ気が足りないんじゃないですか?

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今年映画館で見た31本目の映画
鑑賞日 3月20日
新潟市民プラザ (1400円)
評価 ★★★☆

 フランス映画、ジェレミー・ペラン監督・脚本作品(脚本はロラン・サルファティも)、85分。
 昨年に続いて開かれた新潟国際アニメーション映画祭コンペティション部門への応募作。「境界賞」を受賞した。

 23世紀。女性私立探偵アリーヌ・ルビーは、地球上で起こった事件をきっかけとしてアンドロイドの相棒クリスとともに火星に飛び、陰謀の本元を暴こうとする・・・

 いくぶん錯綜した筋書き展開は、20世紀末頃のSF小説を思わせる。人類が移住してそれなりに開拓が進んでいる火星の様子や、さらに人類が居住可能な惑星の探索など、SFとして十分楽しめるように作られていて、それなりの一作だと思う。
 今どきなので「政治的正しさ」を意識してかヒロインは白人女性、相棒は黒人男性になっているし、その他の登場人物にも人種的多様性に配慮がなされている。相棒の元ワイフとの確執などの副筋も今風。

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今年映画館で見た30本目の映画
鑑賞日 3月19日
だいしほくえつホール  (1000円)
評価 ★★☆

 スイス・フランス合作、サム&フレッド・ギョーム監督作品、2022年、48分、原題はc"Sur le Pont"(タイトルの「オン・ザ・ブリッジ」はこれを英訳したもの)。作中言語はフランス語。

 1時間に満たない中編のアニメ。昨年に続いて開かれた新潟国際アニメーション映画祭コンペティション部門への応募作。

 どこへ向かうのか分からない列車に乗り込んだ人々。
 列車はやがて高架の鉄橋の上で停まっていまい、ほどなく列車が解体し始める。列車から鉄橋に降りた人々は右往左往するが、しかし鉄橋自体も解体し始めて・・・

 光と影と陰を強調した絵柄にはそれなりの魅力がある。
 途中、生と死に関するナレーションが何度も入るが、これは施設に入っていていつ死ぬとも知れない実在の老人たちの声だということが、最後に明かされる。
 つまり、列車に乗って向かう先が・・・ということなのだ。

 作者の意図は分かるのだが、アニメとして面白いかと言われると、うーん、あんまり、というのが率直な感想だ。

 最近の新聞記事から格差を論じたものを2件紹介しよう。
  (以下の引用は一部分です。全文は付記したURLから各紙のサイトでお読み下さい。ただし会員記事ですが、それぞれ付記した日付の紙媒体の新聞にも掲載されています。)
 
 まず、先日の毎日新聞記事から。

   https://mainichi.jp/articles/20240311/ddm/013/100/035000c
 【教育の森】 学校図書の購入、地域格差なぜ? 買い替え困難、調べ学習に生かせず
 2024/3/11 東京朝刊

 図書室の本を買うお金がありません--。小中学生が読書経験を豊かにしたり、調べ学習に使ったりする「学校図書」の購入費に、地域格差が生じているという。各地の政令指定都市の事情を取材した。

 ■地方交付税充当も自治体が裁量 文科省「適切な予算措置を」
 「読書感想文の課題図書を買うと、予算がほとんどなくなる」「百科事典を買い替えるお金がない」。相模原市書店協同組合の中村太郎・専務理事(47)の元には近年、市立小中学校の教職員から、図書購入費の少なさを嘆く声が相次いでいるという。

 公益社団法人「全国学校図書館協議会」は昨年11月、各自治体が2023年度に、小中学校1校あたりで図書購入予算をどれだけ充てているかを調べたアンケートの結果を公表した。全国20政令市を見ると、アンケートに答えた15政令市の中で、最も高かったのは、小学校が川崎市の約102万円、中学校が名古屋市の約184万円だった。一方、相模原市は小学校が約19万円、中学校が約28万円で小中ともに最も低かった。

 相模原市によると、20年度は当初予算ベースで総額約4200万円を確保したが、市全体の財政逼迫などから、22、23年度はいずれも約2300万円でほぼ半減した。

 (中略)

 市議会の指摘を踏まえ、市は22年9月、図書購入の追加費用として約9400万円を補正予算で組んだが、23年度の当初予算は22年度当初と同額程度に戻った格好だ。

 ある市立小学校の図書整理員は「そろえるべき本を、継続的に購入できる予算をつけてほしい。児童生徒の数にかかわらず、学校で学ぶ内容は同じなので、全校に最低30万円は保証してほしい」と求める。

 (中略) 

 図書購入費に格差が生じる一因には、税収の少ない地方自治体に国が必要な財源を配分する「地方交付税交付金」の存在がある。

  国は17~21年度、第5次「学校図書館図書整備等5か年計画」に基づき、公立小中学校の図書購入費として計約1100億円(単年度で約220億円)の地方交付税を配分した。だが、地方交付税の使途は自治体の裁量に任されているため、財政事情で、学校図書の購入以外に振り向けるケースが少なくない。文科省が21年度の学校図書購入費の決算額を調べたところ、実際に図書の購入に使われたのは交付額全体の約6割にとどまっていた。

 文科省の調査では、図書標準を達成した全国の公立学校は19年度末時点のデータで、小学校が71・2%、中学校が61・1%だった。文科省の担当者は「各校が図書標準を達成できるよう、自治体には適切な予算措置をしてほしい」と求めている。【栗栖由喜】

 ■「補助金」に変えるべきだ
 国学院大学の須永和之教授(学校図書館学)は「地方自治を後押しする観点から、学校の図書購入の財源は地方交付税で措置されてきた。だが、本来の使途に予算が回るようにするには目的が明確な補助金に変えるべきだ」と指摘する。

 その上で「学校図書館には、子供が授業や教科書の内容にとどまらず、横断的に学びを深めたり、教員が教育活動の中で利用したりする場としての機能がある。探究学習や情報活用の授業が重視される今、自治体は学校図書館の役割と重要性を再認識し、必要な予算を確保してほしい」と話した。

                                            

 義務教育に、地域や地方公共団体(市町村)による格差があってはならない。
 したがって、小中学校の図書室の蔵書に、地域によって大きな差があってはならない。
 ・・・こんな当たり前のことが、今の日本ではできていない。日本が先進国の名に値しないとするなら、それはこういう実態があるからである。

 実はこの問題は今に始まったことではない。当ブログでは2016年12月に岩波書店の雑誌『図書』の記事を引いて、北海道内の小学校では札幌市とそれ以外の市町村とで所有図書に大きな差があるという事実を指摘している。あれから7年たつが、格差は財政的に豊かに見える政令指定都市の間でも存在しているわけだ。

 しかも、である。政令指定都市として小学校一校あたりの図書費が最も多いのが川崎市(102万円)、少ないのが相模原市(19万円)と、同じ神奈川県内なのに極端な差があるという実態もこの記事から見て取れる。

 ここからも分かるように、要するに地方自治体の裁量に任せていると、最低限必要な学校図書費すら確保しない都市が出てくるという結果になる。各政令指定都市の首長や職員の質が問われるわけだ。

 だから、そこから導かれる結論は一つである。各都市の裁量に任せてはいけない、図書費はそれと指定して国が配分しなければならない、ということである。

 教育は国の、そして各地方の基本である。基本ができていないなら、強制的にでも基本を守らせなければならない。

 なお、この記事(各政令指定都市の小中学校別の年間平均図書費が表となって記載されている)では私の住んでいる新潟市の学校図書購入費は不明である。新潟市もいちおう政令指定都市のうちなのだが、毎日新聞のからの問い合わせに答えなかったそうである。答えなかった都市は他に静岡、京都、堺、熊本があるという。これまた職員の質に問題があるという結論になるのだろうか。


 お次は先日の産経新聞記事から。

 https://www.sankei.com/article/20240313-SVCEEWKQ3JNFDJTPKYDT3JRFDA/
  【沖縄考】 美しい季節「うりずん」に思う 玉城デニー知事、基地問題より子供の貧困対策を
 大竹直樹(那覇支局長)
 2024/3/13 09:00

 うりずん―。沖縄方言でちょうど今時分の季節を言い、「潤い初(ぞ)め」が語源とされる。草木が一斉に萌え出る様子が目に浮かぶようで、美しい言葉だ。

 沖縄は「うりずん南風(ばえ)」と呼ばれる心地よい春風が吹き始め、一年で最も過ごしやすい季節を迎えている。だが、緑にあふれる「美(ちゅ)ら島」に暗い影を落としているのが、子供たちの貧困の問題である。

 沖縄県が令和4年3月に発表した県民意識調査では、県が重点的に取り組むべき施策(複数回答)として「子どもの貧困対策の推進」が42・1%と最も要望が多かった。ちなみに「米軍基地問題の解決促進」は4番目の22・3%だった。

 「おなかをすかした子供たちに、とにかく腹いっぱいになってほしい」
 沖縄本島から南西に約400キロ離れた石垣島。子供たちに居場所や食事を提供する「アドベンチャーピピこども食堂」の運営を任されている藤原弘太さん(29)の思いは熱い。

 地元のツアー会社が石垣、宮古、西表の各紙まで毎月1回ずつ「こども食堂」を開店。中学生以下は無料、高校生以上は300円で食事を提供している。

 県の調査では子供の貧困対策として力を入れてほしい行政施策として「子供の居場所の設置」(41・6%)が最も多かった。藤原さんは「こども食堂はシングルマザーのお母さんの休息の場所でもある。ゆくゆくは子供たちが勉強できる場にしたい」と考えている。

 (中略)

 内閣府がまとめた資料によれば、沖縄県の子供の相対的貧困率は全国平均の2倍以上に当たる29・9%。母子世帯出現率も全国平均の約2倍の2・6%で、いずれも全国1位。約10年前の統計だが、県が高校生らを対象に行った令和4年度の調査でも困窮世帯は26・3%に達しており、改善されているとは言いがたい。

 (以下略)

                                            

 沖縄というとすぐ「基地問題」と反応する人が少なくない。しかしこの記事から分かるように、沖縄県人が日ごろから基地問題のことだけを考えて暮らしているわけではない。もっと切実な問題があるのに、それがなぜか報じられないことのほうが大問題であろう。産経新聞のこの記事はその辺を衝いていて、なかなかいい。

 ちなみに、この種の「沖縄問題」については、約10年前に新書ですぐれた書物が出ている。私も旧サイトで取り上げたが、ここに再録しておこう。

 http://miura.k-server.org/newpage219.htm
 (「読書月録2013年」より)
・恵隆之介『沖縄を豊かにしたのはアメリカという真実』(宝島社新書) 
 評価★★★☆ 
 アメリカ軍基地が本土より多く設置されている沖縄。アメリカ軍兵士による犯罪が時として起こり、マスコミの報道ではとかく沖縄の人たちが皆反米感情を抱いているように思われがち。本書はそうした思い込みに対して明確に反論した書物である。 
 そもそも、戦後の沖縄を豊かにしたのはアメリカ(軍)だった、という事実をはっきりと書いているのである。沖縄は戦時中に日本では唯一、上陸したアメリカ軍と日本軍の戦いが行われ、地元民の犠牲もそれなりにあった。その心理的負い目があるために、マスコミの報道も偏向しがちなのだが、戦前の沖縄は本土に比べると医療や教育が遅れ、男尊女卑的傾向が著しい場所だったということをまず著者は明らかにしている。その上で、戦後に沖縄を支配していたアメリカ(軍)がそうした遅れを是正すべくお金や人材を惜しみなく投入し、そのために例えば寿命で言うと昭和47年(日本への返還)直前の沖縄は平均寿命が日本本土よりはるか上になっていたのである。
 それが、日本に沖縄が返還されると、左翼的な政治家やマスコミの操作、またアメリカに比べると基準が甘い日本の医療が浸透したことにより沖縄の人たちの健康は逆に後退し、平均年齢も本土の平均より下になってしまった、というのである。沖縄のアメリカ軍を悪の権化のごとく見る見方がいかに皮相的かがよく分かる本。沖縄について考えるためには必読書。

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今年映画館で観た29本目の映画
鑑賞日 3月18日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★

 三木康一郎監督作品、おかざきさとこ脚本、108分、藤ももの原作コミックは未読。

 高校生女子の市村惠莉子(原菜乃華)は、学校一の人気男子であるオミくんこと近江章(宮世琉弥)に憧れているが、直接アプローチする勇気も自信もないので、彼と付き合っているという妄想を「恋わずらいのエリー」の名でSNSに流して満足していた。ところがひょんなことからそれがオミくんにバレてしまう。だが彼には人気男子の裏の顔があると知って悩むエリーに、オミくんは意外にも接近してくるのだが・・・

 男女高校生のラブコメであるが、ヒロインを演じる原菜乃華のコメディエンヌとしての頑張りぶりが見もの。天才的に可愛い彼女が徹底的に滑稽な役どころを演じていて、なかなかいい。

 ただし映画そのもののラブコメとしての出来栄えはイマイチ。原作がどうかは知らないが、脚本の作りが下手で、筋書き展開や、脇役の性格付けなど、もう少し工夫をしろと言いたくなる。あくまで原菜乃華の魅力で持っている映画だ。

 新潟市では全国と同じく3月15日の封切で、市内のシネコン4館すべてで公開中、県内他地域のシネコン3館でも上映されている。
 私が足を運んだ第一週月曜夕刻の回(1日5回上映の4回目)は、私を入れて2人しか客が入っていなかった。原菜乃華に気の毒(笑)。

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3月16日(土)午後2時開演
りゅーとぴあ・コンサートホール
2500円 3階Iブロック 4列8番

 この日は標記の演奏会に足を運びました。
 りゅーとぴあの第4代専属オルガニストである石丸由佳さんのラストコンサート。ラストとは言っても、専属オルガニストとしての、ということですから、別段これでオルガニストを引退するわけではありません。実家が新潟市でもあることだし、またコンサートを開く日は来るでしょう。

 会場に入って、客の入りがいいのにびっくり。
 2階のB~Dブロックはぎっしりと入っていますし、1階もかなり。3階は、私のすわったIブロックはかなり入っていましたが、その脇のH・Jブロックはさほどでもありませんでした。オルガンの演奏会をよく聴きにくる人なら分かっているはずですが、りゅーとぴあではオルガンの響きや迫力を楽しみたいなら3階が最善なのです。
 ということはつまり、この日の客はオルガン音楽のファンと言うよりは、地元の生んだいわばスターである石丸さんのファンが多かったのでしょう。実際、ふつうのオルガン・リサイタルでこんなに客が入ることはまずありません。オルガン・クリスマス・コンサートなら別ですが、あれはオルガン音楽のための演奏会と言うよりは、クリスマスにちなんだ物語性を持たせたイベントですから。

 ヴィヴァルディ:「四季」より《春》第1楽章
 バッハ:「オルガン小品集」より
              《讃美を受けたまえ、汝、イエス・キリストよ》BWV604
              《汝にこそ喜びあり》BWV615
 バッハ:協奏曲 イ短調BWV593
  ヴィエルヌ:オルガン交響曲第1番よりフィナーレ
 (休憩)
 ヴィヴァルディ:「四季」より《冬》第1・2楽章
 宮下秀樹:オルガンのための「ランドスケイプ」
              《広がる田園》《移りゆく街並み》(委嘱初演)
 後藤丹:「懐かしい風景」より《白い橋》(初演)
 勝山雅世/関野真一:《故郷》のテーマによる幻想曲
 (アンコール)
 平井夏美/小田実結子:瑠璃色の地球

 前半はヴィヴァルディ、バッハ、そして近代フランスのオルガン交響曲という、まあ王道を行くプログラム。後半は最初はヴィヴァルディですが、そのあとは地元出身の作曲家による新潟をテーマにした曲という構成です。こういう構成に、石丸さんのオルガン音楽に対する思想を感じとることができるでしょう。

 アンコールも、最近石丸さんが出したCDからの一曲でしたが、このディスクはヨーロッパのオルガン音楽ではなく、日本のポップスやアニメソング計13曲をオルガン用に編曲して演奏しています。

 つまり、「オルガン音楽=ヨーロッパで生まれ育った音楽」という枠を打ち破り、色々な音楽の魅力をオルガンによって表現して伝えていくという考え方が根底にあるのだと思います。

 また、この演奏会では中学時代などにお世話になった音楽の先生との対談がビデオで流されました。今となっては信じられないことですが、先生の示唆がなければ石丸さんがりゅーとぴあでオルガンを学ぶこともなかったらしいのです。この日の演奏会で取り上げられた宮下氏と後藤氏といった作曲活動を盛んにしている方を含めて、新潟県にはすぐれた音楽教師がいて、それが石丸さんというオルガニストを生み出す土壌になっていたのだということがよく分かりました。教育は、やはり大切ですね。

 終演後、フェアウェルパーティも開かれました。私もあらかじめ申し込んでおいたので出席しましたが(会費500円)、終演直後のサイン会が予定より長びいたので、当初は午後4時半開始とされていたのが5時頃のスタートとなりました。

 そこで石丸さんともお話ができたのですが、これについては別途また。
 コンサート中にもビデオで紹介があった恩師や作曲家の方々が生身で(?)登場し、またこの場に紹介をかねて持ち込まれたミニ・オルガンを作った新潟大学工学部教授(なおかつ地元の演奏会でも活動中)の林豊彦先生も登場するなど、短いながら楽しい催しとなりました。
 最後は参加者があらかじめ配布された小さな爆竹を鳴らし、石丸さんの新たな門出を祝ってお開きとなりました。

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評価 ★★★☆

 著者は1964年イスラエル生まれ。米国プリンストン大卒、(米国ニュージャージー州立)ラトガーズ大博士課程修了。哲学者・聖書研究家・政治理論学者。NYタイムズやウォールストリート・ジャーナルにしばしば寄稿している。著書も何冊かあるが、この訳書が著者にとっては本邦初訳。原題はYoram Hazony: The Virtue of Nationalism, 2018。

 巻頭解説を中野剛志が、巻末解説を施光恒が書いている。

 ナショナリズムという言葉はしばしば悪い含意で使われる。排外主義とか、自国中心主義とか、過度の愛国主義といった意味で用いる人が多い。
 しかし、現在地球上に多数存在している国家は、基本的にナショナリズムによって、民族(ネイション)ごとに一つの国を作るという思想に基づいてできている。つまり国民国家であり、その国民国家(ネイション・ステイト)の根底にあるのはナショナリズムなのである。

 ネイション・ステイト以前に存在したのは帝国だった。古代ローマ帝国を考えれば分かりやすい。近代は、そうした帝国が解体して国民国家として自立していく過程でもあった。

 しかるに、最近になってまた「帝国」が復活してきている。つまりグローバル化であるとか、個々の国家の主権を制限する形で作られたEUであるとかがそうである。この動きにより個々の国家の独自性や自立性は損なわれてしまう。

 著者はシオニスト、つまりユダヤ民族が集まってイスラエルという国を作ったことに肯定的な立場の人間である。したがって本書にもその立場からの政治的な発言が入り込んでいる。日本ではパレスチナ問題について、特に左派マスコミはパレスチナ人に同情的でイスラエルに批判的なスタンスを取りがちであるから、この点には異論もあるだろう。欧米は、ナチズムという反ユダヤ主義を経験しているから(反ユダヤ主義はナチ以前からヨーロッパに存在したし、米国で自動車王フォードが反ユダヤ主義に染まっていたのは有名な話である)イスラエルを支持する場合が多いが、それでも現在進行中のパレスチナのテロ事件を発端とした戦争ではイスラエルを批判する声が強まっている。

 そういう近現代の問題はともかくとして、著者はユダヤ教こそが良い意味でのナショナリズムの原点だと述べる。

 ユダヤ教はユダヤ人(やそこに加わりたい人間)の宗教であって、「普遍」を求めない。つまりユダヤ人以外の民族が他の宗教を奉じることを認めている、それどころかそれを前提にしているのである。
 キリスト教は逆である。キリスト教は、キリスト教こそが普遍的で地上の人間すべてが奉じるべき宗教だと考える。そこから、異教徒を攻撃する態度が生まれてくる。ローマ帝国の国教となったキリスト教(ローマ・カトリック)こそ、「帝国主義」の根源だったのである。宗教改革によりプロテスタントが生まれることで、ようやくキリスト教は地域性に配慮するようになる。

 そこから著者は、ナショナリズムとはユダヤ教(やイスラエル)のように、他民族に自民族の宗教やイデオロギーを強要しない態度のことであると定義する。むろん、ナショナリズムがいつもそういうふうに理想的に振る舞ってきたわけではないが、帝国の持つ攻撃性や一元的な価値観を強要する態度に比べれば、ナショナリズムははるかに健全で、多様性を保証するものなのである。

 キリスト教(ローマ・カトリック)はそういうわけで帝国主義的であった。同様の悪を持つ帝国として、著者はナポレオン(フランス式民主主義の強要)、スターリン(共産主義イデオロギーの強要)、そしてヒトラーを挙げる。

 ナチズムにより多数のユダヤ人を虐殺したヒトラーは、一般的にはナショナリズムを体現する人物のように思われているが、著者に言わせればヒトラーはむしろ帝国主義的だったのであり、その証拠にヒトラーの作ったドイツは「第三帝国」と呼ばれていたではないかと述べる。つまりヒトラーは、第一帝国(神聖ローマ帝国)、第二帝国(1871年のドイツ統一により生まれたドイツ帝国)に次ぐ第三の帝国創出を目指したのであり、その結果がホロコーストという大惨事を招いたというのである。
 また、イスラム圏が安定しないのも、ヨーロッパに植民地支配されていて、その後は独立はしたけれど、民族や宗教で区切られた国民国家になっていないからであると著者は指摘する。

 近年台頭している米国などのリベラリズムも帝国主義的である。このリベラリズムは国際機関や、EUの各種委員会などを通して一元的な価値観を各国に押しつけようとしており、まさに「帝国」の再来と言うしかない。本来、各国の法律や制度をどうするかは各国がそれぞれに決めるべきものなのに、国家主権がなし崩し的に否定されてきているのだ。

 思想的には、こうしたリベラリズムの出発点にいた思想家ジョン・ロックが槍玉に挙げられている。ロックは「人間は生まれながらにして自由で平等だ」と論じたが(『統治二論』)、著者に言わせるとこれがそもそも間違っているのであり、人間は最初から家族、親族、部族、そして国家という枠組の中で生まれてくるのである。すなわち、血縁や地縁といったもので結ばれ、そうした縁を持つ人々に対して愛情を注ぐことによって団結し生きていくのが人間なのである。同じ宗教や言語を持つ人々が集まって構成するネイション・ステイトこそ、そうした「縁」が作り上げる国家の理想の形なのであって、これを帝国的なシステムによって破壊してはならないと著者は力説する。
 
 帝国はネイション・ステイトのような、その構成員が一体感を感じる原理を持ち合わせていない。ただしネイション・ステイトといっても内部に弱小な他民族などを含む場合が多いが、ネイション・ステイトは必ず中心になる構成員が存在するのであって、それが全体のまとまりを保証しているのである。米国ならWASPがその中心になることでネイション・ステイトとしての性格を持つことができた。しかし近年連邦最高裁などによる決定が細部にいたるまで浸透しつつあり、それが米国の帝国化を促進する原因となっている。(結果、最近の米国は左右のイデオロギー対立が激化し、分裂国家になりつつある。)

 またユルゲン・ハーバーマスが主張するような憲法愛国主義は、家族・親族や地縁性を土台にしたネイションのまとまりとは別種のものであり、その代替物にはなり得ないと著者は述べる。(184~187ページ)

 しかしロックの哲学は大学教育によって広められ、リベラリズムという、寛容とは逆に一元性を求める思想に染まる知識階級が増えている。リベラリズムは、その名とは逆に、自分の奉じる価値観以外は認めず、自分と異なった価値観で生きる人々を憎悪する。

 著者はその意味で英国がEUから離脱したことを評価している。逆に、国家主権を否定して国際機関に重きをおくべきだとするルートヴィヒ・フォン・ミーゼスの見解を否定している(64ページ)。EUが構築されたのは、ナチの蛮行をナショナリズムの産物と誤解したためであって、実際にはナチは帝国をめざしていたのだから、と。

 また、19世紀から20世紀初頭の帝国主義の時代において、欧米は「国内ではネイション中心主義、海外では植民地主義すなわち帝国主義」という二重基準を用いていたと指摘する。そしてそれが日独伊の帝国主義を誘発したのだとする。(146ページ)

 著者はロックと並んでカントを批判する。カントは『永遠平和のために』で国家主権を否定した。国家主権を一元的な権力に預けることで平和が実現すると見なしたのである。しかし、と著者はカントに反駁する。第三帝国という「価値観の一元化」がなされた場所でユダヤ人が大量に殺されたのはなぜか。もしユダヤ人があの時に独立した国家を持っていたら、ああいう惨事は起こらなかった。権力を一元化すること、価値観を一つにすることはかえってホロコーストのような事態を招来するのである。ナショナル・ステイトこそ、その意味で帝国主義的な惨事への防護壁になるのであり、多様性の保証ともなるのだ。

 著者はまた、欧米のマスコミや国際機関がしばしばイスラム圏に甘く、イスラエルに厳しいことをダブルスタンダードだとして批判する。つまりイスラエルは欧米の仲間だと思われているので、欧米と異なる部分があると大声で非難されるのだが、イスラム圏でははるかに問題的な事件が多発しているのにあまり批判されないのは、要するに最初からヨーロッパとは違う民族だから仕方がないと思われているからだ、というのである。この辺は、イスラエルを日本に置き換えても話が成り立ちそうだ。

 以上のように、著者は国際機関などによる過剰な国家主権への介入を批判し、あくまで国家が主権を保ちながら、ナショナリズムに基づいた国家運営を行うほうが、多様性の保証された、そしてホロコーストのような惨事からも守られた世界ができるのだと述べている。

 途中の論証にはどうかなと首をかしげるところもあるけれど(著者の論理展開にはやや粗いなと思える部分がある)、私もいつぞや新宿の(新宿駅から伊勢丹に通じている)地下を歩いていて、「世界が一つになりませんように」という標語に遭遇し、「まったくそのとおりだ」と感心したので、本書にもうなずける部分は多かった。

 先日当ブログで紹介したような、何でもアメリカに倣って男女半数にしろと主張する困ったちゃんの東大教授などには必読の書であろう。

 新潟県立図書館から借りて読みました。

 先月の産経新聞書評欄から面白そうな2冊を紹介しよう。
 (以下の引用は一部分です。全文は付記したURLから産経新聞のサイトでお読み下さい。紙媒体の2月18日付け産経新聞にも掲載されています。)

 まず、こちら。

 https://www.sankei.com/article/20240218-SNSG2CJ3KVKX3MWO6ED5QGVZRM/
 ラウパッハ、シュピンドラー他著、森口大地編訳『ドイツ・ヴァンパイア怪縁奇談集』(幻戯書房・4620円) 
 評 = 平戸懐古(翻訳家)
 2024/2/18 09:40
  
 ■「吸血貴族」を刷新する
 小説『ドラキュラ』(1897年)の50年以上前、19世紀初頭の西欧では、ヴァンパイア物語が流行していた。東欧の民間伝承に現れる変幻自在の怪物だったヴァンパイアはこの時期、西欧の知識人に換骨奪胎され、吸血する貴族へとイメージを固められてゆく。花嫁花婿を誘惑しては生贄とする、おなじみのキャラクターの誕生である。

 本書は本邦初訳の中短編小説7作を集成し、ドイツ語圏における当時のヴァンパイア流行を追想する。定番の作例をはじめ、この常套をひねったり、家系の年代記に拡張したり、ヴァンパイア物語に感化された人々がこの怪物の影に翻弄されるメタ・ヴァンパイア譚までをも含む。

 特筆すべきはヴァンパイア学が専門の編訳者による、80ページもの解説である。収録作の解題に留まらず、当時の流行をたどりながら、単純化を重ねる本邦のヴァンパイア言説を刷新する意気に満ちている。

 (以下略)

                                             

 いかにも「面白そうだなあ」と思える本である。
 ヴァンパイアは日本でも手塚治虫や萩尾望都などのマンガ家が作品に取り入れているのでおなじみだけれど、そもそもはどういうものだったのか、本書で確認してみるのもよさそうだ。


 お次はこちら。

   https://www.sankei.com/article/20240218-NNBDMMLDBFI7BGAUEPMJIJWBZY/
 【編集者のおすすめ】
 デニス・ウェストフィールド著、西原哲也訳『日本人という呪縛』(徳間書店・1870円)
 紹介 = 徳間書店編集企画室・橋上祐一
 2024/2/18 06:30
   
 ■景気低迷でも「何もしないのか」
 古い話ですが、立花隆氏が「田中角栄研究」を雑誌で発表したとき、ベテラン記者は「そんな話みんな知っているよ」と言ったそうです。しかし、外国人記者クラブの会見で火が付き、田中首相(当時)は追い込まれることに。ジャニーズ問題もしかり。

 本書で取り上げる現代日本の問題も、同じかもしれません。(中略) 「どうして日本は何もしないのか、変えないのか」と、外国人の視点で見ると不思議だったと言います。

 「景気低迷を政府の失策となぜ見ない」「世界標準からかけ離れたマスコミ」「少子高齢化になぜ本気で取り組まない」などなど。日本を、オーストラリア社会と対比しつつ解決のヒントを提示します。

 (以下略)
                                              *

 こちらは出版社の社員が自社の本を紹介するコーナーに載った記事。
 最初の段落が効いている。誰でも知っている問題なのに、それを解決すべく努力しないのが日本の政治家やマスコミや官僚なのだ。

 私は少子化について特にそれを感じる。この問題はずいぶん以前から言われていたのに、当時の大蔵省(天下の秀才が集まっているはず)の役人は「カネを出しても少子化が解決するかどうか分からない」と称していた。結果、現在の日本がある。すでに運転手不足だとか、具体的な形で影響が出てきているのだ。

 今の日本政府にしても、この点での政策が生ぬるいことは誰が見ても分かる。なのにメリハリのある対策がとれない。子供手当の財源がどうのこうの言っているけど、「一定以上の収入があって子供がない(なかった)人間」に重税を課せばそれで解決することではないか。例えば年収500万円で子供がない(なかった)独身者もしくは夫婦には年間50万円の税を新たに課す。年収1000万円なら200万円の増税とする。その分を子育てをしている人間に回せばよろしい。

 本来的には、子供を作らなかった人間は年金受給資格なし、くらいの政策が必要だと思うけど、これはおそらく実行が困難だろうから、せめて税金面でのメリハリは即刻つけてもらいたいものだ。

 先日の毎日新聞に載っていた例だと、シングルマザーで2人の子育てをしている人が、以前は非正規雇用で年収が少なく、子供手当を受給していたものの、頑張って正規雇用になったら子供手当が減額されて、結局年収でいうと変わらなかったというのである。その人は受験期に入った子供を塾に通わせたいと思って努力しているのに、それに報いるような制度になっていないのである。明らかに少子化対策はうまくいっていない。上記のような税制面での対策がどうして実行に移せないのか、私には不思議である。

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今年映画館で見た28本目の映画
鑑賞日 3月15日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★

 石川淳一監督作品、丑尾健太郎脚本、雨穴の原作小説は未読。

 「雨男」の名前でオカルト的な動画を作成している雨宮(間宮祥太朗)は、マネージャーから、購入を検討している中古一軒家について意見を求められる。間取りに変なところがあるというので、雨宮はミステリー愛好家の知人・栗原(佐藤二朗)に相談する。栗原の推理で、当該の家が犯罪行為に関連していそうだと目星をつけた雨宮は、自分の動画に利用しようとして探りを入れ始めるが・・・

 事前にこの家の設計図を記したチラシが出回っていたので、てっきり間取りの変な部分に気づいたところから始まる推理物だと思っていたのだが、純然たる推理物というよりは、ホラーやオカルトに近い作品だった。或いは横溝正史ふうの映画と言うべきか。そういえば、かつて横溝正史原作の映画で名探偵・金田一耕助を演じた石坂浩二も登場するし。ただし、探偵役じゃないけれど。

 いずれにせよ、純然たる推理物を期待する人にはお薦めしない。「たたり」なんかに惹かれる人にはいいかも。

 新潟市では全国と同じく3月15日の封切で、市内のシネコン4館すべてで公開中、県内他地域のシネコン3館でも上映している。
 私が足を運んだ封切日夕刻の回(1日5回上映の3回目)は、40人以上入っていた。

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今年映画館で見た27本目の映画
鑑賞日 3月13日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★☆

 成島出監督作品、135分、町田そのこの原作小説は未読。

 貴瑚(きこ:杉咲花:画像中央)は母の再婚相手である老父の自宅看護を3年間続けていたが、誤嚥性肺炎を起こさせてしまい、母にののしられて死のうとしたところを安吾(志尊淳:画像右)に救われる。彼と、親友である美晴(小野花梨)の助力で老父を施設に入れることができた貴瑚は、新しい勤務先にも慣れて生きる力を取り戻していく。そして安吾に惹かれていくのだが、彼には人に言えない秘密があった・・・

 映画は、貴瑚が都会を離れて、かつて祖母の住んでいた九州の海辺にある一軒家に引っ越し、そこで虐待されている子供(桑名桃李:画像左)を救い、一緒に暮らし始めるところからスタートする。彼女と安吾のかかわりについては、回想という形で語られる。過去に虐待経験を持つヒロインと、現在虐待を受けている子供が二重写しになる。

 壊れた家族関係の中で必死に生きている人間の姿を捉えた映画として、それなりだと思う。最近流行っているLGBTも出てくるが、イデオロギー臭がなく自然な形で筋書きに入ってくるので、これも悪くない。タイトルは、他の個体とは違う周波数で鳴いているため孤独に生きなければならないクジラという意味で、ヒロインたちのおかれた状況を暗示している。

 新潟市では全国と同じく3月1日の封切で、市内のシネコン4館すべてで公開中、県内他地域のシネコン3館でも上映されている。
 私が足を運んだ第2週水曜日午後の回は、15人ほどの入りだった。

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評価 ★★

 著者は1966年北海道生まれ、米国ゴーシエン大卒、ウィリアム・アンド・メアリ大博士、現在は東大教授、東大副学長。

 タイトルどおり、東大の女子学生比率が低いことを批判し、クォーター制(アファーマティブ・アクション)で東大の女子学生比率を50%にしろと述べた本である。
 なお著者は東大教授で副学長だが、本書での主張はあくまで個人的なものと断っている。

 結論を先に言うと、きわめて馬鹿馬鹿しい本である。著者はアメリカの大学に学んだわけだが、失礼ながらあんまり頭が良くない(本書でも使われているけど、いわゆる地頭が良くない)というのが一読した感想である。この程度の頭脳がどうして東大教授をやっていられるのか不思議なのだが、多分外国の大学院で博士号をとったということで評価されたのだろう。
 
 著者はアメリカの大学で洗脳されているので、数の上で男女が異なることは差別であるということしか頭にない。もしかしたらそうじゃないかも知れないという可能性は考えることもできない。「考えない人」なのだ。

 そもそも著者は日本語を知らない。34-35ページで、以下から「女子」ではなくて「女性」と書くと述べて、「女子」という表現は避けるべきだ主張する。「女子大学」もよろしくない、なぜなら大人である大学生の女性を子供扱いする言葉だからと述べているのだが、あまりの無知に愕然とする。「女子」には「女の子」の意味もあるけど、「女一般」の意味もあることくらい、知らないのだろうか? これでは東大はもとより、日本のどこの大学でも教授は務まらないよ! 『大言海』を引けば双方の意味が載っているし、女一般を指す用例としては『枕草子』の文章が挙げられている。ただし「じょし」ではなく「にょし」として載っているので、念のため。なお「男子」も同じことであり、男一般の意味では伊藤仁斎(1627~1705)の文章が例として挙げられている。え?『大言海』なんて持ってない? じゃあ、その辺のハンディな国語辞典を引きなさいって! 二つの意味が載ってますよ!

 上にも書いたように、著者の頭にはアメリカの大学(および英語圏の大学)のことしかない。だから、東大の女子学生(著者は女性学生としているけど、上述のように日本語を知らないためである)比率は低い、京大も、それ以外の有力国立大学も、早慶も低いとぶちあげる。ダイバーシティが大事だと言うのだが、世界中どこの大学でも男女の比率が半々だというのは、或いはそうじゃなければならないというのは、ダイバーシティじゃなくて画一化じゃないんだろうか? その辺の基本的なことからして「考えられない人」なのである。

 有力大学で男女の比率が均等でないのには歴史的な理由がある。近代の学歴社会(門閥や親の身分ではなく本人の実力で立身出世が可能な社会)においては、有力大学を出ることが必須の経歴であり、その意味合いは男子にとって大きかったからだ。女子は家庭を守るものとされたから、学歴にあまりこだわる必要がなかったのである。

 そういうのが差別社会だと著者は言うだろう。しかしそれは「一つの」考え方である。そもそも、明治以降の日本人女性は、都会に住む高学歴な高級公務員や民間大企業勤務者の妻になることを望んだ。「男性社会」に強いられたという面もないではないが、都会でサラリーマンの妻になることのほうがモダンでカッコよかったから、という面がはるかに強かった。だから昭和も末頃になると「農家の嫁不足」が深刻になる。「女も働け」というなら、「どんどん農家の男性と結婚して働きなさい」という意見がウケけて農家の男性と結婚する女性が増えるはずだが、そうはならなかった。農村で「働く女」になるより、都会の専業主婦になることを日本女性は選んだのだ。あくまで自分で選んだのである。結果として、日本の農家は近隣アジアから嫁さんを輸入することになった。日本女性は農業の仕事から逃走し、その仕事を外国人女性にいわば押しつけたのである。醜悪だと思う。女は差別されるどころか、居心地のいい都会に専業主婦として住む特権を享受していたのである。その辺が見えていないと、男女の話は始められないし、見えていない奴には男女問題を語る資格はない。

 むろん、著者にはそういう男女問題の一面などまったく目に入っていない。ひたすら東大での男女の数の違いを言い立てるだけである。農家ってものがあることを知らないのかね(笑)。

 たしかに、歴史的に見て、東大は戦前には女子を正規学生としては受け入れていなかったし、戦後になって占領軍に強いられて仕方なく入れたわけだけど、入ってきた女子は色々苦労が絶えなかったという話も出て来る。気の毒だとは私も思うけど、女子が高学歴を得て社会に出て活動するという社会に当時の日本はなっていなかったのだから、或る意味、当然でしょう。女子だけのこと、戦後だけのことじゃない。明治時代も末期になると、高学歴の男性は余って、せっかく帝大を出てもなかなか就職口がなかったりしたのだ。いわゆる「大学は出たけれど」である。高学歴者と社会との関係は、けっして自明なものではない。需要と供給の関係なのだから、そういう大きな視点で見ないといけないわけだが、著者にはむろんそういう視点は全然ない。

 なお、本書でも出て来る「ジェンダー・ギャップ指数」(日本は最下位に近いとされる)には色々問題がある。本書でも紹介した福田ますみ『ポリコレの正体』を読むと分かるが、この指数は世界経済フォーラムが作成しているものである。(これによると日本は156ヵ国中120位とされる――2021年で)。
     
 しかし実は別のランクもあるわけで、国連開発計画(UNDP)の「ジェンダー不平等指数」によると、2020年において日本は162ヵ国中24位なのである。結構上位に入っているのだ。要するにどういう尺度を用いて指数を計算するかにより結果が大きく違ってくるのである。前者は、主として大臣や企業の管理職に女性がどのくらい入っているかによって計算しているので日本は低ランクとされるが、後者では妊産婦死亡率や未婚出生率などが入っている。つまり女性が安全に暮らせる社会という要素を重視しているのであり、そうした観点からは日本はかなり女性を尊重している社会なのである。また後者の指数では、自分が幸福だと感じている日本人女性は日本人男性よりはるかに比率が高い。どうしてそれを経済的な観点だけを言い募って破壊する必要があろう?

 ・・・というくらいの分析は東大教授ならしてほしいものだが、むろん著者にはそんな能力はないのである。

 本書でかろうじて読むに値する部分は、第四章である。ここではアメリカ名門大学の共学化が取り上げられている。今でこそ男女平等を(狂気のように)言い立てるアメリカの大学だが、ほんの半世紀前まではそうではなかった。アメリカの名門大学と言えばアイヴィーリーグだが、そもそもは男子校だったのであり、共学化にふみきったのは1970年前後のことである。それも、男女平等の観点からというよりは、他の名門大が共学化するとそちらに優秀な学生を取られかねないという消極的な理由からであったことが分かる。共学化に際して色々な問題が検討されており、そのあたりは一読に値する。要するに、東大が共学化に踏み切ったのは第二次世界大戦後すぐだったわけだが(占領軍に強要されたからだけど)、アメリカの名門大学はそれより20年ほど遅れて共学化に踏み切ったのである。

 ただし、著者は詰めが甘くて、その後、今でも東大は女子比率が2割程度なのにアメリカの名門大学は・・・と続けているのだが、入試のやり方に触れずにそんなことを言うのは不見識ではないか。

 周知のように、日本の大学は基本的に学力検査で合否を決めている。推薦入試は別だが、学力で選ぶことこそが近代の平等主義=実力主義の基本だという認識が日本ではあまねく浸透している。そしてそれは決して悪いことではない。(なお、推薦入試で入ってくる学生の質に問題があることは、私も――東大じゃなく新潟大で済みませんが――感じていた。)

 しかるに、アメリカの名門大学の入試は日本とはやり方が異なる。学力も大事ではあるが、それ以外の要素、例えば高校時代のヴォランティア体験だとか海外体験(これは金持ちの受験生に有利)だとか、色々な要素を加味して合否を決めている。これが、実はWASPを優遇しユダヤ系受験生(そして今ならアジア系受験生)の合格を阻止するための方策であった(ある)ことはよく知られている。そしてそういう入試のやり方が、今ならマイノリティ、つまり黒人やヒスパニックや女子を合格させて「ダイバーシティ」を実行に移していますよと宣伝するために使われているわけである。
 著者はなぜかこういうところにまったく触れていない。知らないのなら不勉強だし、知っていて触れないなら知的に不誠実だろう。

 また、本書はハーバード大学の学長が黒人女性であることに触れているが、このブログでもお伝えしたように、この学長は先頃辞任した。要するに、最初から「黒人女性を学長にする」という理事会の方針があって選ばれたのであり、実力本位で選ばれたのではなかったのだ。著者はアメリカの一流大学には女性学長が多いとも書いているけど、同様に最初から結論ありきの選考をしていないのか、個々の大学ごとにリサーチするくらいの手間はかけてほしいものだ。
          
 大学に限らない。アメリカでは「政治的正しさ」で重要ポストを決める傾向が強まっており、実力主義から遠く隔たっている。現在のカマラ・ハリス副大統領もそうである。アメリカの悪い面はそれとして識別する能力が必要なはずだが、著者はそういう能力にまったく欠けており、アメリカの後追いをするのが良いことだと信じ切っている。
         
 だから最後には、女子を半分とると決めて入試をやれというトンデモな提案をしている。昔はともかく、今の東大は、女子受験生は歓迎しないと言っているわけではない(むしろその逆である)。入試で女子だけ厳しい基準をもうけて落としているわけでもない。公正な入試をやって、結果として女子が2割になっているのである。そのどこに問題があろう。問題があるとすれば、著者のオツムのほうではなかろうか。「男女平等バカ」という言葉がぴったり当てはまる頭脳なのである。

 まあ、東工大は女子枠を設けて、女子なら学力が低くても入れますとやったわけだけど(そしてその後追いをしている大学理系学部も少なくないわけだけど)、日本の大学人は本当にバカばっかりなのだ。女子差別じゃなく、男子差別をやっているわけだから。こういう大学は差別大学と呼ぼう!
      
 加えて、日本には女子大というものが存在する(アメリカにもあるけど)。しかも、私立ならいざ知らず、国立で二校も存在している。国立大なのに女子しか入れないのは、以前の女子進学率が低かった時代ならともかく、現在のように進学率の男女差がほぼなくなっている時代には不適切であろう。しかし著者はそのことに触れようとしない。知的に不誠実だからである。
                 
 著者は男女の能力に差はないと断言している。どうしてそんなことが分かるのだろうか? スポーツでは男女の能力差があるからこそ、男女別に競技をしているのではないか? だったら知的能力にも差があっておかしくない。念のため、私は絶対にそうだと言っているわけではない。男女の知的能力の差異は、現在の科学では分からないだろうと考えている。
 ただし、女性には妊娠・出産・育児(おっぱいは男からは出ないからね)という仕事がある。経済フォーラムが重視している要素以外の重要な仕事を女性が背負っているという事実をしっかりと評価するなら、機械的な単女平等論議がおかしいことはすぐに分かるはずである。たとえ企業や役所での地位が低くとも女性は出産・子育てという立派な業務を担っているのだ。それがなければ人類は滅びるしかない。そんな大事な役割を担っている女性をどうして蔑視することなどできるだろうか。こんな明白な事柄を理解しないヤカラは、「男性優位主義者」であれ「(機械的な)男女平等主義者」であれ、要するに頭が悪いと言うしかないのである。最近、機械的な男女平等論議がはびこっているのは、バカが増えているからなのである。

 なお、東大の学生構成に問題があるとすれば、男女の数の差よりも、出身地域の差だと私は考えている。首都圏や関西圏の受験体制をへないと東大にはなかなか合格できなくなっており、そのほうがはるかに大問題である。ただし公正を期するために付記するが、著者は本書でそういう面にもいくらか触れてはいる。
 私に言わせれば、大都会で裕福な親のもとで育った女子高校生のほうが、地方で育っている男子高校生(そして女子高校生)よりはるかに有利な位置にいる。実際、桜蔭など女子御三家は東大に多くの合格者を出している。そういう表も本書には出てくるのに、著者はその点に文章で触れようとしない。知的に不誠実である。

 多少私的な話で申し訳ないが、私の出た高校、つまり福島県立磐城高校(いわき市のトップ進学校)では近年有力大学への合格者が減っている。私が卒業した頃(1971年)だと毎年、東大に10名、東北大に20~30名くらい合格していたのだが、先日届いた同窓会報によると、2022年度の進学実績は、東大1名、東北大10名というテイタラクなのである。私大志向が強まっているからかというと、早慶も各10名程度だから、やはりナッテイナイのである。
 むろんこの半世紀、首都圏への一極集中は強まっている。しかしそうは言ってもいわき市の人口がこの間に激減したという事実もないわけだから(私が高校生だった頃と変わっていない)、1971年と2022年においての進学実績の圧倒的な差は人口(だけ)では説明できない。

 そして1971年と2022年の磐城高校の最も大きな違いと言えば、この間に共学化されたことである。私が卒業したころの磐城高校は男子校だった。女子用には磐城女子高という進学校があった。男子だけの磐城高校は上のような進学実績を上げていた。共学化されて、磐城高校にはそれまでなら磐城女子高に行っていた生徒の上半分が来るようになった。磐城女子高は磐城桜丘高校と名を変えて、それまでの磐城高校合格者の下半分と磐城女子高のやはり下半分を受け入れる高校になってしまった。
 ・・・ふつうに考えれば、磐城高校の進学実績はそれで大きく向上するはずである。ところがそうではなく、逆に大きく悪化しているのだ。
 なぜか。
 一つの要因として、共学化したから、という可能性がある。念のため、そうだと断言しているわけではない。都会と地方では受験体制に違いがあり、その差が拡大しているなどの理由が大きいとは思うけど、共学化が進学実績の低下を招いた可能性はないか、ちゃんと調べるべきだと思う。

 なんやかや言っても、日本では東大を出ていれば色々な面で有利なことは否めない。地方出身者があまり東大に受からなくなっている現状のほうが、はるかに深刻だと私は考えている。エリートの出身地域が限られるということだからである。著者の主張するクオーター制は、出身地域に適用するならまだしもだ。要するに、都道府県ごとに、高校生の人口に比例して東大合格者を決めるという制度なら私も反対はしない。
 もっとも、そうなると首都圏から地方に受験生が多く引っ越す現象が起きそうだが、それで地方都市の高校生が刺激を受けてレベルアップするなら、それも悪くないかも知れない。高校生に合わせて親も引っ越せば、一時的ながら東京一極集中の是正にもなろう。

 とにかく、著者には現代アメリカの悪い面が全然目に入っていないから、以下の書物を読んでおいたほうがいいと言っておく。

    
    
    
    
 
    
 アメリカの名門プリンストン大学で教えた経験を語る東大教授の報告書もある。学生の質は、東大と比較して、それほどでもないと書いている。
  
 世界大学ランキングは、英米の大学に有利にできている。日本はもとより、独仏などヨーロッパ大陸の大学にとっても不利なのだ。盲信するのは考えものだが、著者はその辺も分かっていない。圧倒的に勉強が足りていない。

 現代は文化的帝国主義の時代である。かつて欧米は地球上の非欧米地域を植民地化した。日本もそれを真似て朝鮮半島や台湾を併合し、満洲国を作った。時代は変わって、今は領土という意味での帝国主義はなくなっている(ロシアなどを除く)。しかし価値観の帝国主義はむしろ強まっている。日本人は本来的には「自分は自分、他人は他人」「郷に入っては郷に従え」という考え方が強いわけだが、欧米人はそうは考えない。「俺と異なる奴らは遅れている」と考える。そしてそれに迎合するのが、二流の知識人である。著者のような。

 著者の主張は、日本で知的な権威であり続けた東大の動きとも重なっている。明治維新以降、欧米の科学技術や文物を受け入れてそれを先進的として宣伝するのが知識人の役割だった。東大はその代表選手だった。そして当時はそれでもよかったのである。しかし現代においても同じ態度では困るのである。著者はそれに気づかない。自分の頭で考えることができず、アメリカの流儀に倣うことが先進的だと思い込んでいるからだ。だから二流の知識人なのである。東大教授に二流知識人が多いのは、それなりに理由があってのことなのだ。

 新潟市立図書館から借りて読みました。

640[1]
今年映画館で見た26本目の映画
鑑賞日 3月12日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★☆

 金子修介監督作品、港岳彦脚本、129分、原作は中国のズー・ジンチェンによる小説『悪童たち』(私は未読)で、舞台を中国から沖縄に移して映画化したそうである。

 東昇(岡田将生)は沖縄の或る島を牛耳っている裕福な企業家の娘と結婚して入り婿となっていたが、妻(松井玲奈)とは折り合いが悪く、あるとき義両親を崖から突き落として殺害する。

 東昇のたくみな虚言で、警察は事故説に傾くが、東が義両親を突き落とすところを偶然中学生3人(羽村仁成、星乃あんな、前出耀志)がデジタル機器で撮影していた。それぞれ複雑な家庭事情をかかえた中学生たちは、東を恐喝して大金を手に入れようとする・・・

 娯楽映画として見ると、先の展開が読めず、とにかく面白い。
 ただし、何人もの人間を次々と殺害する青年と中学生たちには、あんまりリアリティが感じられない。
 リアリティなんて糞食らえ、エンタメとして楽しめればそれで満足という人にはお薦め。

 中学生役のうち、羽村仁成(画像左)と星乃あんな(画像右)がいい。今後に期待!

 新潟市では全国と同じく3月8日の封切で、イオン西にて単独公開中、県内他地域のシネコン3館でも上映している。
 私が足を運んだ第一週火曜日午後の回(1日3回上映の2回目)は、5人の入りだった。

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3月10日(日)午後2時開演
りゅーとぴあ・コンサートホール
無料・全席自由 (3階Iブロック4列目左側)

 この日は標記の演奏会に足を運びました。
 毎年行われているりゅーとぴあ・オルガン講座の修了生による演奏会。
 今回は10人の修了生が演奏を披露しました。
 以前は、すでに修了した先輩たちや、先生であるりゅーとぴあ専属オルガニストの演奏も含まれていたのですが、今回は修了生だけが出演。

 1.渡辺洋(短期クラス)
      J・C・F・フィッシャー:アリアドネ・ムジカより プレリュード第15番
      伝バッハ:前奏曲とフーガ ト短調BWV558より 前奏曲
 2.磯部真由(短期クラス)
      バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番BWV846より 前奏曲
      J・C・F・フィッシャー:アリアドネ・ムジカより プレリュードとフーガ第3番
 3.大澤誠(短期クラス)
      バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第21番BWV866
      J・パッヘルベル:トッカータ ハ長調
 4.丸山香央里(短期クラス)
      ヘンデル:オルガン協奏曲op.4-3アダージョ
      伝バッハ:前奏曲とフーガ ハ長調BWV553より 前奏曲
 5.関幸子(短期クラス)
      メンデルスゾーン:ソナタ第2番ハ短調op.65-2より
                 クラーヴェ、アレグロ・マエストーソ・エ・ヴィヴァーチェ、フーガ
 6.杉原正樹(短期クラス)
      バッハ:マタイ受難曲・終曲BWV244より C・M・ヴィドール風(演奏者による編曲)
 7.藤沢晴美(後期クラス)
      バッハ:協奏曲イ短調BWV593より 第1楽章
 8.東福寺麻依(後期クラス)
      G・A・ホミリウス:「キリストは死の縄目につながれたり」HoWV Ⅷ.7
      J・C・F・フィッシャー:アリアドネ・ムジカより プレリュードとフーガ第8番
 9.朝倉志保子(前・後期クラス)
      C・フランク:「オルガニスト」より ハ長調の作品
      J・パッヘルベル:トッカータ ハ短調
 10.町田慶太(前・後期クラス)
   バッハ:前奏曲とフーガ 変ホ長調BWV522より フーガ

 合計10人で75分ほどの演奏会でした。
 客は、途中で多少の出入りがありましたが、百人強程度だったでしょうか。

 ピアノ教室の発表会ですと、出演者は(先生を除くと)小学生や中学生が主体で、幼稚園児も混じっていたりするものですけれど、オルガンを習うのは或る程度体の大きくなった、また鍵盤楽器(ピアノ)の技倆が一定程度ある人間に限られていますので、最初に演奏したのはスーツ姿の大人の男性で、やはりその辺からしてピアノ発表会とは雰囲気が異なっているわけです。

 今回は6番目に登場した修了生が、自分でバッハのマタイ受難曲・終曲を編曲し、さらにそれを「ヴィドール風に」弾いたのが目立ちました。バッハなどの既成のオルガン曲を楽譜に忠実に弾くのではなく、自分でアレンジしてしまう。若い男子の最近の音楽に対するアプローチの仕方がこういうふうになっているということでしょうか。ちょっと驚きました。

 最後の3人の演奏もなかなか充実していて聴き応えがありました。

 最後に舞台に全員が整列して礼をしましたが、十代から中年までの年齢層の修了生たちに大きな拍手が送られました。

 このオルガン講座から第二の石丸由佳が生まれますように、そしてもっと多くの市民が修了生の演奏を聴きにきますようにと祈ります。

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今年映画館で見た25本目の映画
鑑賞日 3月9日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★★

 フランス・アメリカ合作、リュック・ベッソン監督・脚本作品、114分。

 少年時代に権高な父親とその父親に従順な長男によって犬小屋(父は闘犬で生計を立てていた)に閉じ込められた少年。
 彼は犬と心を通わせるすべを学び、しかし父の銃に撃たれて身体障害者となり、そうした条件下で犬との共同生活を送る。やがて犬小屋から出て大人としての暮らしを始めるが・・・

 こうした発端から始まる映画だが、リュック・ベッソン久しぶりの快作となっている。ベッソンは30年近く前、『レオン』で世界的な名声を得たが、その後はマンネリであまり注目されなくなっていた。この映画は約30年ぶりの快挙ということになる。

 主人公を演じるケイレブ・ランドリー・ジョーンズが、女装を初めとした変幻自在ぶりを披露しており、しかし身障者という設定なので、圧倒的なスーパーヒーローにはなっていない。

 他方で犬を駆使したアクション劇という側面もあって、浅くも深くも楽しめる映画になっている。

 欠点は、ヒーローの話を聴く黒人女性精神科医が優等生すぎることかな。いかにも「政治的に正しい」人物像で、しらけます、はい。

 新潟市では全国と同じく3月8日の封切で、イオン南を除くシネコン3館で公開中。県内他地域ではTジョイ長岡でも上映されている。
 私が足を運んだ封切2日目の土曜の夕刻の回(1日3回上映の2回目)は、5人しか入っていなかった。新潟市では真正な映画ファンは少ないのかもね。

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評価 ★★★★☆

 著者は1967年生まれ、東大法卒、新聞社勤務後、ニューヨーク州立大で経済学修士、放送大学修士(日本政治思想史)。本書は著者が放送大学に提出した修士論文に新たな論考を加えて成立している。

 本書は日本人男性の自称詞として使われる〈僕〉が歴史的にどのように成立したのか、どのように使われてきたのかを明らかにした書物である。
 現在、日本では〈僕〉は多くの男性によって使われている。しかしこの言い方は果たして近代以前、つまり江戸時代以前にはあったのだろうか? ちょっと考えてみると、江戸時代の武士が〈僕〉という言葉を使うことはないような気がする。〈拙者〉とか〈それがし〉とか〈わし〉といった言い方をしそうなイメージがある。
 著者はそのような素朴な疑問から出発し、しかし実際は〈僕〉という自称詞は江戸時代にも武士によって使われていたし、さらに遠く平安時代から用いられていたことを突き止める。最初は江戸末期の思想家・吉田松陰が〈僕〉を多用していたことに気づき、もしかすると松陰の独特な語法なのかと考えたが、実際には〈僕〉ははるかに長い歴史を持っていたのである。

 「自称詞」という言い方にも説明が必要だろう。
 一般に日本語の文法は西洋語の文法に合わせて分析がなされがちなので、〈僕〉は西洋語の一人称代名詞に当たると考えられがちである。しかし厳密に考えるとそうではない。西洋語は主語によって動詞の形が決まるので(例えば英語のbe動詞を考えればよい)、主語がない文章は(命令文などを例外として)成り立たない。しかし日本語は主語をしばしば省くし、省いても文章が成り立つという特性を持っている。また、西洋語の一人称代名詞(二人称でも三人称でも)は名詞と異なり形容詞が付くことはない。しかし日本語の〈僕〉は、例えば「怠惰な僕」というように形容詞を付けることが可能である。つまり、日本語の〈僕〉や〈私〉を西洋語の一人称代名詞と同じと考えることはできないのである。そのために著者は「自称詞」という言い方をしているわけだ。
 (上の説明はこの書物の主張に従っているが、さらに厳密に見ると、西洋語は主語がないと文章ができないという見方は実際には正しくない。現在の西洋語のもとになったラテン語は、動詞の語尾変化で主語の人称と単複の別が分かるので、主語を省くことが多いからだ。)

 さて、では〈僕〉はいつから用いられているのか? なんと『古事記』ですでに使われているのである。西暦で言うと712年に編纂されたこの日本最古の文書においてである。スサノヲノミコトを始め、何人もの登場人物が〈僕〉を使っている。例えばスサノヲが「僕は妣(ハハ)(…)の国にまいらむと欲(オモ)ふ」というふうに言っている。ただし読みは「ぼく」ではなかった可能性が高い。当時は仮名がまだ発明されていなかったので、〈僕〉の読みについては「あ」「やつかれ」「やつこ」など様々な説があるという。用法的は、立場が下の人間が上の人間に対して使う場合に限られる。だから因幡の白兎はオオクニヌシに対して〈僕〉を使うが、その逆はない。ちなみに女性の言葉にも二例だけ〈僕〉があるという。

 『古事記』とほぼ同時期に成立した『日本書紀』はどうか。やはり〈僕〉は使われているが『古事記』よりはるかに少ない。これは『日本書紀』が公的な性格をもつ歴史書として編まれたためではないかという。

 〈僕〉はもともと中国で使われていた自称詞である。日本は漢字を中国から取り入れたが、言うまでもなくその際には中国の書物(そこに書かれた文章)も参照していた。『日本書紀』でも中国の史書や、詩や文章の集積である『文選』が参考にされた。〈僕〉はもともと奴僕の意味であり、人に使われる立場を表す言葉である。そこから謙譲の意味で自称詞としても使われるようになった。〈臣〉も同様の意味で、漢文ではほかに〈我〉〈吾〉〈余〉〈予〉が自称詞としての役割を持っており、これらも日本語に取り入られたのである。

 中国での〈僕〉の代表的な使用例として司馬遷が挙げられている。『史記』の著者として名高い人物だが、漢の武帝に仕えていて、匈奴に投降した李陵をかばったために武帝の怒りをかい、宦官の刑に処せられるという屈辱を味わった。その司馬遷が友人の任安に手紙を送り、『史記』を完成させることが自分に課せられた最大の仕事でありそのために屈辱をも忍んでいるという心境を訴えた際に〈僕〉が使われている。
 この司馬遷の使った〈僕〉が日本の古代人にも影響を与えたのではないかと著者は推測している。〈僕〉には謙遜の意味と同時に、それを用いた人間同士の友人としてのつながりを示す意味合いがあったという。しかし日本古代では、謙遜の意味合いでしか使われなかった。

 『古事記』と『日本書紀』以降、〈僕〉の用例はきわめて少ない。10~11世紀の公家の日記にわずかに用例が見られるが、目立つような特徴はないという。鎌倉・室町・戦国時代には武士が台頭したが、彼らの書簡は実用のためであり、漢文の素養が入り込む余地はなかった。また公家などの教養階級も、この時代には仏教を心のよりどころにしており、中国の〈僕〉は儒教がバックになっているため、使われることがなかったのだろうと著者は推測している。

 〈僕〉が復活するのは江戸期の元禄時代。つまり1600年代も末頃になってからである。江戸期も初期にはまだ武士は戦国時代の気風を残しており戦士としての性格が強かったが、関ヶ原から約90年をへた元禄時代になると平和が続き国内秩序が安定したので、学問に励む武士も増えてくる。儒学もそうした中で学問として少しずつ浸透してくる。そして儒者同士が「師友」の関係をお互いに認めて〈僕〉を使う例が出て来るのである。
 なお、中国大陸では明が1642年に滅亡しているが、このとき日本に亡命した儒学の知識人が複数いて、その影響で日本でも〈僕〉が使われるようになったという説もあるという。

 そして江戸の後期になると〈僕〉は渡辺崋山(1793~1841)が親しい者との間で交わした書簡で使われ、幕末の知識人である吉田松陰(1830~59)によって多用されるようになる。いずれにせよ、当時の〈僕〉は、知識階級(武士、上層町民・農民)が自分と同様の位置にある仲間と交流するための自称詞であり、現代のように広く男性一般が使う言葉ではなかった。

 明治時代に入ると、〈僕〉は書生(だからやはり知識階級)の言葉として広まり、また漱石など高学歴作家の作中人物の言葉として流通していった。同時に、小学校の教科書に男子用の自称詞として〈僕〉が採用され、男子一般が使う言葉としての性格が生まれてくる。つまり、近代になった当初の頃は江戸期と同じく文化人・知識階級の言葉だった〈僕〉が、一般化してあらゆる男性に用いられるようになっていく、という流れである。

 著者は、第二次世界大戦に従軍した兵士の書簡集『きけわだつみの声』と『戦没農民の手紙』を調べて、高学歴の兵士の書簡集である前者と、低学歴の農民の書簡を集めた後者とで〈僕〉の使われる頻度に違いがないことを確認する。つまり昭和期になると〈僕〉は高学歴文化人だけの言葉ではなく男性一般の言葉になっていたという結論が出て来るのである。

 なお、対称詞(二人称)としての「君」も近代に入ってから広く流通するようになったのである。もともと「君」は身分の高い相手に使う言葉であったが、明治期になると身分の高低を問わず話し相手(または書簡を出す相手)を指すのに用いるようになる。現代では逆に、身分の高い相手に「君」と言ったら失礼になる。対称詞には価値が時代とともに下がるという法則があるからだ。例えば「貴様」はもともとは貴い相手に使う言葉だったが、現代ではよほど仲のよい男性同士か、或いはケンカをふっかけるときにしか使わない。

 著者はこのあと現代の例にも触れている。村上春樹が小説内の男性の登場人物の自称詞として一貫して〈僕〉を使っており、またエッセイ類でも〈僕〉を使っているのが、現代的だとしつつ、しかし最近の作品内では必ずしも作中人物が〈僕〉と言っていないのは作者が年をとってきたためではないかと推測している。

 もともと近代日本語では、男性の主たる自称詞には〈私〉〈僕〉〈俺〉があり、〈私〉は公的な場面で、〈僕〉は私的な場面で、〈俺〉は男性間のやりとりや男性性を誇示したい場合に、といった使い分けがなされてきたわけだが、近年では〈僕〉を公的な場面や、昔なら〈俺〉を使っていたであろう場面でも使う例が増えてきているという。歌謡曲(和製ポップス)の歌詞などにもそういう傾向が見られると著者は分析している。

 さて、〈僕〉は一般的には男性の自称詞とされているが、女性が使う場合もあると著者は指摘している。明治期には女学生が〈僕〉を使うという現象を報告した新聞記事があるほか、文学作品にもそうした例が見られる。坪内逍遙の『当世書生気質』や二葉亭四迷の『浮雲』でも女性が〈僕〉を使う例がある。
 ただし、そういう「男性化」した女学生に批判的な見解が小説の中に盛り込まれている場合もある。別段、男性作家だけでなく、女性作家の小説でもそうだという。この辺に、近代女性がフェミニンなものをどう扱うかという問題があるわけだが、本書はそこには深入りしていない。

 宝塚の男役として一世を風靡した水ノ江滝子は、舞台上ではむろん〈僕〉だったが、舞台の外でも使っていたらしい。このほか、本荘幽蘭や川島芳子といった女優が取り上げられて、〈僕〉を女性が使う例についての検討がなされている。

 戦時中は女性の〈僕〉は抑圧され、また戦後も教科書で男子は〈ぼく〉、女子は〈わたし〉という自称詞が使われ続けたため、しばらく女性の〈僕〉はなりをひそめていたが、現代(西暦2000年前後以降)では女子が〈僕〉や〈俺〉を使うことは珍しくなくなっているそうである。社会学者の調査などをもとに、その辺の検討も本書ではなされている。

 少女マンガについても言及がある。戦後少女マンガの嚆矢とも言うべき手塚治虫の『リボンの騎士』に始まり、池田理代子の『ベルサイユのばら』、そして萩尾望都のマンガについて検討が加えられている。高橋亮子の『つらいぜ!ボクちゃん』まで(タイトルとヒロインの名だけだけど)出てくるのには参りました(私は高橋亮子のファンなので・・・笑)。

 逆に、男性である言語哲学者・三木那由他が、中一のときに同級生男子から「ボクはオカマっぽいからオレと言え」と言われて、そうしようとしたが、オレを使うと頭痛に襲われてしばらく学校を休んだという体験も引用されている。どういう自称詞を使うかは、実はかなり重要で、アイデンティティに関わる問題なのだ、ということがここから見えてくる。

 以上、本書は〈僕〉という自称詞の歴史を詳細にたどり、またその時代ごとの、使用者ごとの、時代相や社会的地位などにも細かく言及した優れた書物である。言葉の意味を単に表面的な使用例から判断するのではなく、必ず時代相や社会のあり方との関連において捉えており、またそうした背景の説明には単なる便宜というのではなく、著者の深い認識が感じられて、本書の質を非常に高いものにしている。〈僕〉という自称詞をテーマにした慧眼と並んで、総合的な学問の厚みが感じられる良書と評すべきであろう。

 私自身は、公的な場では〈私〉を使っている。つまり、このブログがそうである。もう定年退職しているけど、職場の会議などでも基本的に〈私〉だった。ただ、くだけた調子を出すときには〈僕〉を使うこともあった。
 教室では〈私〉と〈僕〉を併用していた。〈私〉だと教師としての立場が前面に出る感じ、〈僕〉だと学生に歩み寄る(悪く言うと媚びる)感じだった。
 親しい男性の友人同士、および家庭内では〈俺〉を使っている。
 だから、村上春樹がエッセイの中でも〈僕〉を使うのは、私には違和感がある。村上氏は私より4歳年長だけど、〈僕〉を多用するのはやはり都会で育った文化人だからか?

 新潟市立図書館から借りて読みました。

                                *                *
 
 さて、以下は蛇足である。

 昨秋の毎日新聞ネット版に以下のような記事が載った。

 https://mainichi.jp/premier/business/articles/20231006/biz/00m/020/003000c?dicbo=v2-tTRkoTn
 わたしが「俺」を連発する男子を張り倒したくなるワケ
 山田道子・元サンデー毎日編集長
 2023年10月10日

 日曜日の朝、「がっちりマンデー‼」(TBS系列)をよく見る。笑いながら楽しく経済情報を提供する番組。この前、取り上げられたのは、小学館が出す「ちゃお」。少女向けの月刊漫画誌で発行部数ナンバー1だそうだ。

 衰退著しいオヤジ週刊誌の編集長をしていたので、売れる秘訣(ひけつ)は何だろうと買ってみた。学園恋愛ものや動物キャラクターが主人公の漫画が人気かと楽しく読んだが、笑えないことも。

 「登れんだろ? 俺が教えたんだから」「こんなに俺を夢中にさせたのに責任とってよ」……。主人公の女子をとりまく男子がやたらに「俺」「オレ」と、特殊詐欺の旧名みたいに連発する。女子は胸キュンとなるのだが、私が目の前で言われたら張り倒したくなる。一方、漫画の女子は自分のことを「わたし」や名前で話す。

 ■一人称の“性別”
 モヤモヤしている時、最近読んだ「女ことばってなんなのかしら?」(河出新書)を思い出した。ドイツ文学翻訳家の平野卿子さんが、「女ことば」を手がかりに日本語の中に埋め込まれた性差別をひもといている。

 その一つが一人称。英語の一人称代名詞は「I」で性別はない。日本語では「わたし」「僕」「俺」「自分」「わし」「吾輩(わがはい)」などたくさんあるにもかかわらず、女性が使えるのは「わたし」とその変種(「あたし」「わたくし」)くらい。一人称の性別による使い分けがはっきりしているのは日本語の大きな特徴という。
 (以下略)
 
                                              

 タイトルからして下品そのもので、毎日新聞の女性記者にはロクなのがいないなと思ったのであるが、平野卿子の本を取り上げて「女言葉」を難じているこの文章が、いかに学識というものから離れているかは、上で取り上げた友田健太郎氏の本からも分かると思う。

 つまり、現代では、さらには明治期でも、女性が〈僕〉を使うケースはある(あった)ということだ。

 また、毎日新聞のこの記事では「英語の一人称代名詞は「I」で性別はない。(…)一人称の性別による使い分けがはっきりしているのは日本語の大きな特徴だという」とされているが、平野卿子がドイツ語の翻訳家であることを考えると、この論法はお粗末ではなかろうか。

 なぜかといえば、確かに英語にも他のヨーロッパ語にも一人称代名詞の性別はないけれど、名詞の性別は英語以外のヨーロッパ語にはしっかりとあるからだ。ドイツ語なら、名詞はすべて男性・女性・中性に分かれており、「父」が男性名詞、「母」が女性名詞なのは分かりやすいが、「太陽」は女性名詞、「月」は男性名詞、「少女」「令嬢」は中性名詞なのである。フランス語には中性名詞はないが、男性名詞と女性名詞はある。つまり、英語は例外なのであり、ヨーロッパ語の多くには名詞の性別があるのだ。

 周知のように、日本語には名詞の性別はない。だったら、ヨーロッパ語は「性別という考え方がきわめて強い言語」という結論になるはず。平野卿子の本を私は読んでいないので、そういう認識を示していないのかどうかは不明だが、少なくともこの毎日新聞女性記者の記事からはそういう認識は感じ取れない。

 こういう質の低い文章を書いているから女はダメだって言われるんだよ! そういうことに気づかない記者の記事をネット版に載せてしまう毎日新聞も相当に学識に欠けていると言わざるを得ないのである(紙媒体にはさすがに載せていないけど――少なくとも新潟統合版では)。

 ちなみに文芸評論家でフランス文学者の中村光夫は、何かのエッセイの中で以下のように述べていた。

 或る日本人がフランスに行って作家ロマン・ロランと話をしたとき、「日本語には一人称の代名詞がいくつもある」と説明したら、ロマン・ロランにはそのことが理解できず、「〈私〉はどこでもいかなるときも一つじゃないか。一人称がいくつもあるのは変だ」と断じたので、相手の日本人もそれに引きずられて「日本が近代化していない証拠かも」と答えたという。このエピソードを引きつつ、中村光夫は以下のように述べていたのである。

 人称代名詞が人と人との関係において使われるものである以上、複数の一人称代名詞があることはむしろ自然と見るべきだ。そもそもフランス語にも、一人称代名詞は一つしかないが、二人称代名詞は複数あるのであって、相手と自分との関係において使い分けている。また、日本語の人称代名詞は例えば「私」は主語でも目的語でも同じ形だが、フランス語は主語ならje、目的語ならmoiというふうに変化する。その日本人はロマン・ロランにこう言ってやれば良かったのだ。「日本語にはたしかに一人称代名詞が複数あるが、フランス語のように主語か目的語かにより形が変わることはない。フランス人はカネを与えるときと与えられるときとで〈私〉のあり方が変わるわけですか?」と。

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3月9日(土)午後2時開演
だいしほくえつホール
2500円(予約価格)全席自由(9列目右側ブロックの左端)

 この日は標記の演奏会に足を運びました。
 品田真彦氏の、ベートーヴェンのピアノソナタを全曲取り上げ、なおかつ新ウィーン楽派の音楽も演奏するというシリーズの第2回。第1回は昨年1月下旬に開催しています。

 ベートーヴェン: ピアノソナタ第5番ハ短調op.10-1
 ベートーヴェン: ピアノソナタ第20番ト長調op.49-2
 ベートーヴェン: ピアノソナタ第6番ヘ長調op.10-2
 (休憩)
 ベートーヴェン: ピアノソナタ第4番変ホ長調op.7
 アルバン・ベルク: 7つの初期の歌 (ソプラノ=平野佳恵)
 (アンコール)
 ベートーヴェン: 歌曲「君を愛す」 (ソプラノ=平野佳恵)

 今回は平野佳恵さんが共演しました。平野さんは同志社女子大音楽学科卒、京都市芸大修士課程修了、ドイツ州立ロストック音楽演劇大学卒、数年間ドイツで活動したあと帰国して音楽活動を行っているという方。品田氏とは、ロストック音楽演劇大学で半年だけ在学期間がダブっていたそうです。
 (なお細かいことで恐縮ですが、経歴で「ドイツ国立ロストック音楽演劇大学」とパンフに書いてあるのは、州立にしたほうがいいでしょう。ドイツの大学は基本的に州立ですから。同じく「ドイツ国立ヒルデスハイム歌劇場」ですが、ウィキ・ドイツ語版を見ると当初はStadttheater Hildesheimだったようで、つまり市立じゃないでしょうか。しかし2007年からニーダーザクセン州の劇場(Bühne)になったようです。いずれにせよ「国立」ではありません。)

 まずベートーヴェンの初期ピアノソナタが4曲、メロディアスで短い第20番をふくめて演奏されました。このうち、前半最後に演奏された第6番が、曲それ自体の表現意欲(若いベートーヴェンの表現意欲)と品田氏の表現意欲が噛み合った好演だったと思います。また、後半最初の作品7も、曲に込められた多様な表情がよく出ていました。

 最後は平野佳恵さんを迎えてのベルクの初期歌曲。この曲は何年か前に東響新潟定期でもオケの伴奏で取り上げられましたが、改めて小さめの会場で、演奏者と近い距離で聴いてみると、選ばれた7つの詩(それぞれ別の詩人の手になるもの)の神秘性や情熱、微妙な感情などが伝わってきます。しかしベートーヴェンの115年後に生まれたベルクの作品は、どうも私には馴染みきれないところがあって、特にアンコールでベートーヴェンの「君を愛す」が取り上げられたので、115年たつと音楽もこんなに変わってしまうのだ、という気持ちに襲われました。

 何にしても意欲的なシリーズですから、堅実に続けていっていただきたいものです。

 客の入りは半分くらいか。定員300人弱のホールとしてはやや淋しい。新潟のクラシック音楽ファンは何をやっておるのか。前回(第1回)は横坂源氏のチェロ・リサイタルとかぶったことが影響したのかも知れませんが、今回も音文で同日同時刻の演奏会はあったものの、昨年の場合ほどの競合関係にはならないように思えるので、つまり新潟市のクラシック音楽ファンはこのくらいしかいないのではないか・・・と。

  3月7日に朱鷺メッセに行って確定申告を済ませた。

 71歳の年金生活者である私がなぜ確定申告をしなければならないかというと、年金以外の収入が20万円以上あるからである。

 定年退職後も新潟大学で教養科目(Gコード科目と言っている)の講義を非常勤で担当しているので、その収入が年間約35万円あるのに加え、今年度の初め(2023年4~6月)に新潟薬科大学でドイツ語の非常勤講師を務めたので、その収入が14万円ほどある。そういうわけで、確定申告をしなければならないわけなのだ。

 今どきだから確定申告はわざわざ会場に出向かなくてもネットで済ませればという意見もありそうだけど、そしてそういう勧めは税務署からも出ているわけだけど、しかし会場に行って専門家に尋ねないと分からない事柄が結構あるのである。

 例えば、寄附金の区分けである。といっても私はたいして寄附をしているわけではなくて、2023年でいえば三箇所だけ、つまり、ユニセフと国境なき医師団と新潟大学だけなのであるが、そこへの寄附がどういう分類に入るかを、朱鷺メッセの会場では具体的に(パソコンに)入力しないといけないのだけれど、シロウトにはその区分が分からず、会場にいる専門家に訊かないと分からないのだ。つまり、専門家がいる会場に行かないと分からない事柄があるから、行かざるを得ないのである。この辺、分類やなにかを簡素化して、専門家に訊かないと分からない事柄を極小にとどめる工夫をしてもらわないと、確定申告のネット申請は増えないと思うね。

 実際、昨年にも書いたけど、会場には老若男女、赤ん坊を抱えた女性まで来ているのだ。税務を担当する役所は、本気でネット申告を増やしたいなら、収入や減額措置の簡素化を思い切って進めないと、実効が上がらないのは誰が見ても明らかである。税務署は本気で検討するようにしなさい!

 そもそも、定収入(年金生活者にとっては年金)以外に20万円以上の収入があれば申告しなければならないという制度がナンセンスなのである。これも以前に書いたけど、この20万円という限度額は、私が新潟大学に赴任してまもなく長岡高専で非常勤講師をやっていた頃、つまり1980年代から変わっていない。20万円という微細な額で税金を取ろうとする姿勢そのものが、時代錯誤なのだ。高額所得者の税率をちょっと上げればそれで済むことではないか。

 まあ、とはいえ、今回も私は前年度と同じく、23000円ほど戻ってくることになった。実は今回は医療費が10万円を超えなかったので、その分不利になったのだが(医療費が年間10万円を超えると税金が安くなる)、昨年はうっかりして女房を扶養を入れるのを忘れたので、その分戻ってくる金額が少なくなっていたのである。今回は医療費控除がなくなった代わりに、配偶者控除が入ったので、差し引きで同じくらいの払い戻しを受けることになったわけである。

 私としては、しかし、確定申告は今回でおしまいのはずである。新潟大学の非常勤講師としての勤務は、2023年10~11月で最後になったので、2024年にはその収入はなくなるからである。2023年から新潟薬科大学でも非常勤講師をしているが(2024年度にも務める予定)、こちらは8週間しか授業がないので、その給与は上述のように年間15万円に満たない。だから、確定申告する必要はないはずなのだ。

 ・・・それにしても、繰り返しますが、こういう微細な収入しかない年金生活者(年金だってたいした額じゃない)に確定申告を強いるよりも、大富豪や大企業にちゃんと税金納入を課すことのほうが、はるかに大事だと思いますけどね。政府は何をやっているのだろうなあ・・・

 ちなみに申告会場に入ってから出て来るまでに2時間かかった。駐車料金も300円かかった(朱鷺メッセの駐車場は最初の1時間のみ無料)。時間とカネもかかるのが確定申告なのである。

 最近の毎日新聞書評欄から面白そうなものを2冊紹介しよう。
 (以下の引用は一部分です。全文は付記したURLから毎日新聞のサイトでお読み下さい。2月17日付け紙媒体の同紙にも載っています。)

 まず、こちら。

  https://mainichi.jp/articles/20240217/ddm/015/070/025000c
 藤森晶子・著『パリの「敵性」日本人たち 脱出か抑留か 1940ー1946』(岩波書店・2420円)
 評 = 岩間陽子(政策研究大学院大学教授・国際政治) 
 2024/2/17 東京朝刊

 ■大戦を過ごした「在仏邦人」の記録
 
 (前略)

 本書によると、一九三八年当時、フランスには五〇〇名を超える日本人が住んでいた。三九年にドイツのポーランド侵攻で第二次大戦が始まると、その数は三〇〇名ほどに減少した。翌年春、いわゆる「電撃戦」で独軍がフランスになだれ込むと、パリは大混乱に陥った。当時フランスで発行されていた日本語日刊新聞『日仏通信』によれば、二〇〇名を超える日本人がパリに残っていたようだ。大使館は強く帰国を促した。同年五月から六月にかけて三隻の日本船が、日本人の引き揚げのためにマルセイユに入港した。これらの船に乗った数十名の中には、画家の藤田嗣治や芸術家の岡本太郎がいた。

 しかし、在仏邦人の多くは帰国を望まなかった。同年七月にヴィシー政権が成立し、フランスは北部のドイツ「占領地区」と、南部のヴィシー政権統治の「自由地区」に分割された。在仏日本大使館は、終戦までヴィシーに置かれることになった。ドイツ占領下のパリでの日本人の暮らしは、同盟国ということで悪くはなかったようだ。 (中略) 戦争が暗転していくにつれ、フランスに残るのは現地社会にとけこんだ人々に絞られていく。

 四四年六月、連合軍がノルマンディーに上陸すると、在仏のドイツ人が徐々に帰国し始め、日本人は再びフランスを離れるか留まるかの決断を迫られた。激しい口論になることもあったが、結局多くの日本人は、パリ脱出を選んだ。連合軍が迫る中、一行は大使館に集合し、ベルリンを目指して、いくつかのグループに分かれて移動した。一旦ベルリン近郊の「待避所」生活になったものの、その後の人生は様々であった。フランスに戻った人、シベリア鉄道経由で満州まで行き、そこから帰国した人、ソ連で抑留生活を送った人、さらには米軍に捕らえられて、アメリカで収容された人までいた。

 パリに残ったのは少数の、フランスに根を生やした人々だった。中には仏外国人部隊で戦った日本人もいた。しかし戦争末期、日本人への敵意はかなり露骨になっており、レジスタンス組織に拘束された日本人もいた。そして、翌年六月には「行政収容措置」が取られ、敵性国出身者の在仏日本人は、ドイツ占領時代にはユダヤ人が収容されていた施設に入れられた。

 この行政措置に至るまでには、アメリカの圧力もあったが、それよりもインドシナにおける日本軍のフランス人への行為が影響したようだ。この事件は日本にいたフランス人の処遇にも影響し、何人かのフランス人は収容され、拷問を受けた記録が残されている。今は観光名所の神戸・北野町も、悲劇の舞台となっている。パリの「大東亜飯店」は朝鮮出身の「日本人」が経営していたのだが、日本に祖国解放の望みをかけるインドシナ出身者が多数出入りしていた。彼らの中には戦後対日協力者として、「祖国反逆罪」で有罪判決を受けた者もいた。

 (以下略)

                                          *

 戦争は、直接交戦する国やその国民だけでなく、それ以外の国籍の人間にも影響を及ぼす。
 私(当ブログ制作者)の専門の範囲内で言えば、第二次世界大戦ヨーロッパ戦線が始まったとき、フランス国内にはドイツ国籍を持つ(持っていた)人間が少なからずいた。1933年1月末にドイツでヒトラーが政権を掌握した時点でフランスに亡命したドイツ人もそこに含まれる。彼らはドイツで成立した国家体制に背を向けた人々だった。だが1939年にフランスとドイツが交戦状態になると、彼らは敵性外国人ということになってしまう。収容所に入れられる人間もいた。ヒトラー政権を嫌ってフランスに移住したのに、戦時状態になると敵方と見なされる。戦争にはそういう情け容赦のない理不尽さがつきまとう。

 この時代、フランスに亡命していたドイツ作家ハインリヒ・マン(トーマス・マンの兄)は、みずからは収容所には入れられなかったが、入れられたドイツ人を解放するために尽力した。そしてやがてフランスがドイツに敗れると、甥のゴーロ・マン(歴史家。トーマス・マンの次男)などと一緒にピレネー山脈を徒歩で越えてスペインに入り、さらにリスボンに至って、そこから船でアメリカに亡命したのである。

 さて、本書である。第二次世界大戦当時のフランスにおける日本人というと、フランス文学者で文芸評論家でもあった中村光夫が留学中だったものが、戦争のせいで急遽帰国したという程度のことしか私は知らなかった。しかし本書によると戦争が起こってフランスが敗れた時点ですら200名以上の日本人がパリにいたようだ。その扱われ方も、ヴィシー政権時代とパリ解放後では異なっている。

 日本人だけでなく、(日本に併合されていた)朝鮮の人間や(フランスの植民地になっていた)インドシナの出身者にも言及がある。複雑と言うしかないが、国家・国籍・アイデンティティの問題はこういう非常の際に最もシビアな形で現れるものだと、肝に銘じておくのがいいのだろう。


 お次はこちら。

 https://mainichi.jp/articles/20240217/ddm/015/070/027000c
 宋恵媛・望月優大 文、田川基成 写真『密航のち洗濯 ときどき作家』(柏書房・1980円)
 評 = 中島京子(作家)
 2024/2/17 東京朝刊

 ■半島、列島の激動期 揺れた人模様
 尹紫遠(ユンジャウォン)は、1冊の歌集と、いくつかの小説作品を残した。紫遠は筆名で、本名は尹徳祚(トクチョ)。1911年に、大日本帝国の植民地であった朝鮮の蔚山で生まれた。

 本書は、尹紫遠が残した作品、日記、手紙、子どもたちの証言などをもとに、植民地で生まれ、戦後の密航で日本に渡り、在日コリアンとして生きた、ほぼ無名の作家の人生をたどる試みだ。彼が築いた小さな家族の物語でもある。尹紫遠は妻と目黒区で洗濯店を営み、3人の子どもを持った。

 本書の内容は、46年の「密航」を境に、その前と後の時代を2章に分けている。日本で苦学して身を立てたいと考えた尹少年は、12歳で単身、海を渡る。植民地出身者への差別、逆境に耐え自力で大人になり、文学に目覚めるが、太平洋戦争中の「徴用」から逃れられると思い込み、44年に朝鮮に戻り、終戦を迎える。

 戦後、朝鮮はすぐに38度線で南北に分断された。結局、アメリカとソ連という新しい支配者があらわれたに過ぎず、日本の支配から解放されたはずの朝鮮人にとって、半島は楽園にはならなかった。

 いっそ日本なら知り合いもいて、多少の生きやすさもあるかと考えた彼は、最初の妻と共に密航を企てる。(中略) 当時、日本と朝鮮はともに占領下にあり、密航以外に海を渡る手段がほぼなかったのだ。密航船では彼と妻の運命が分かれる。彼はひとり脱出して海を泳いで日本に渡ることになるからだ。

 後半は、密航後、日本女性と結婚した彼の人生に肉薄する。夫婦2人に、子どもも手伝わせての洗濯店の日々は貧しい。貧しさと酒、思うに任せぬ執筆という、私小説作家の日常。夫婦の間には亀裂が入り、互いの出自をののしりあうこともあった。

 彼と家族は幾度も、国家が引きなおす国境線や、国籍のルールに翻弄される。植民地生まれゆえに日本国籍者だった尹紫遠は、52年のGHQによる占領の終了とともに国籍を喪失して「外国人(朝鮮人)」となった。彼の2度目の妻となる大津登志子は、日本の裕福な家庭に生まれたが、結婚で日本国籍を失い「朝鮮人」となる。日本生まれ、日本育ちの子どもたちの国籍も、時代状況と、国が決めたルールのために思いがけない変遷をする。

 (以下略)

 
                                          

 戦争中フランスに残った日本人が複雑な事態に直面したように、日本に併合されていた時代、そして戦争および「(日本からの)解放」をへた直後の時代に生きた朝鮮人も、複雑な情勢下で生きなければならなかった。

 そういう複雑さを知るための一冊。尹紫遠(ユンジャウォン)という、一般には名を知られていない作家のたどった人生が見えてくる。大日本帝国の帝国主義や米ソ冷戦のくびきの中で、一人の朝鮮人が生きていく様子をたどることは、時代や場所の問題を知ることでもある。

 二度目の妻が日本人でしかも裕福な家の出だったということからも、人間の生活や運命につきまとう複雑さが見えてこよう。そうした人間の複雑さを知ることが、文学であれ歴史であれ、人文学にかかわる人間の究極的な目標であるはずだ。

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評価 ★★★☆

 著者は1973年生まれ、上智大外国語学部卒、教育ジャーナリスト。著書多数だが、私がこの人の本を読むのは初めてか、少なくとも久しぶりだと思う(記憶が曖昧)。

 学歴社会の日本にあっては高卒より大卒、大卒でも無名大より難関有力大という相場が強く意識されているが、おおかたの若者は学校での学習だけで受験に挑むわけではなく、予備校や塾に通っている。裕福な家の子女なら家庭教師をつけてもらうこともある。しかし貧しい家の子供は塾の費用が払えず、受験に際して不利になる。本来は本人の実力によって勝負すべき入学試験は、実際には受験生の親の経済力によって左右されているわけだ。

 そうした不公平を是正しようと、無料塾が活動している。ヴォランティアのスタッフによる教科目指導に加え、場合によっては食事も提供し、親睦を深める時間も設けられている。すなわち、無料塾は単なる受験技術指導にとどまらない教育機能を果たしているのだ。そうした無料塾の活動内容を紹介しているのが本書である。

 まず痛切に認識させられるのは、そもそも無料塾に通う家の子供たちは、家庭環境が壊れている場合が多い、という事実である。

 例えば冒頭に出てくる中学生男子Mは、小遣いが月額500円! 月額500円って・・・私(当ブログ制作者)が中三のときの小遣い額と同じだ。私が中三だったのは1967年度である。あれから半世紀以上がたち、物価だってかなり上がっている。それでこの額!とまず驚く。しかも、私の中三のときだって月額500円は少ないほうだった。サラリーマンの家庭の子は概して小遣いの額が少ない。商店の子はその倍以上の小遣いをもらっていたのである。

 Mの家は母子家庭で、大学生の兄(アルバイトで多忙)がいるけど、当人と兄は父が違う。母は仕事で疲れ切っているので、冷蔵庫に入っている肉などを自分で料理して食べる。小学生のときに注意欠如性多動障害と診断されて障害者手帳を交付された。勉強は不得手で、小学生時代は漢字書き取り50問で20問くらいしか解けなかった(45問正解が標準とされる)。中学でもイジメにあって、まともな人間関係が築けない。

 Mは母が見つけてきてくれた無料塾に通うようになって、同年代の子だけでなくサポーター(ヴォランティア教師)、つまり大人との人間関係もできた。勉強は最初の2時間だけで、最後の1時間はゲームタイムなのもいい。

 こうして少しずつ試験で点数をとれるようになり、学校の企業見学でIT企業に魅力を感じたので、情報科のある都立高をめざすことに決める。中学での成績はかろうじて平均3くらいだったが、面接と作文と集団討論だけで合格できた。母からは大学に行ったほうがいいと言われたけど勉強は好きじゃないし、障害者手帳を持っていたので高卒でIT企業に就職できた(障害者枠がある)。

 以上が最初に出て来る例だけど、次も、普通に二親そろって経済的にも平均くらいの暮らしができている家庭の子ではない。父が暴力をふるうために離婚した母と暮らす女子Zである。妹がいる。やがて母は新しい男と再婚。新しい父は優しい人だったけど、ほどなく母にはまた女の赤ん坊ができた。Zはそれもあって助産師になりたいという気持ちを持つようになったが、塾に行かせてもらう余裕はない。というか、そもそも子供の教育にカネをかけるという考え方がない家庭なのだ。母は、小学校低学年の勉強で質問をしてすら「昔のことで忘れた」と答えるような人である。

 しかし無料塾に通うようになったZは、都立中堅校を狙うと決める。英語の点数がかなり低かったが、毎日ファミレスでサポーター(ヴォランティア教師)さんから教えてもらい挽回する。ちなみにファミレスでかかる食事代もあちら持ちである(無料塾には寄附がある。ただしサポーターの持ち出しの場合も)。Zは無事合格した高校にアルバイトをしながら通い、その後は看護学校に三年間行って看護師の資格をとった。助産師の資格をとるにはあと一年通う必要があったが、結局看護師として就職した。妹も同じ無料塾に通って高校に進み、今は柔道整復師養成の学校に通っている。いとこたちも同じ塾に通っている。

 ・・・つまり、Zの家族親族は、経済状態もさることながら、子供の進学のためにカネを使うという考え方がそもそもない人たちなのである。
 実際、無料塾側も、有料塾に通っていないことという条件はつけているが、家庭の経済力についてはあまりやかましい制約は設けていないようだ。

 とはいえ、経済力による差は大きい。コロナが流行し始めてからその傾向が強まっている。コロナ以前だった2019年とコロナ3年目の2022年を比較すると、年収200万~550万円の家庭での「補習教育費」(つまり塾通いのための支出)は減っているが、年収1250~1500万円の世帯では6割も増えているという。(126~127ページ)

 運営者側への取材ももちろん本書には含まれている。
 単に勉強を教えていればいいわけではなく、上述のように色々な家庭環境を背負っている子が多いので、そういう方面のケアも仕事のうちである。

 無料塾をやっていくための費用、つまりお金の問題も大きい。塾を始めた人間が持ち出しでやっていたというケースも珍しくない。しかし塾の存在が知られると、寄附をしてくれる人があらわれる。教材費や、場所(公民館など)の使用料だけでなく、遠足費用などまで出してくれたという。世の中には善意の人もいるのだと感心させられる。・・・お金のある方はこういう方面にどんどん寄附をお願いします!と私からも言っておこう。

 ちなみに本書ではこう言われている。「勉強が得意ならヴォランティア教師になって下さい、お金があるなら少しでもいいから寄附して下さい、土地や建物があるなら場所を提供して下さい、勉強が不得手でお金もないけど時間があるなら事務スタッフとしてヴォランティアになって下さい。」(115ページ)

 サポーターと称されるヴォランティア教員は、色々な方面から集まってくる。塾の方針などは説明するが、審査はしない。長続きする人もいれば、短期間で姿を消す人もいる。しかし必要な人数は確保できている。サポーター同士で集まって飲みながら色々な話をする。そこから世の中のことが見えてくる。難関大学をめざす子がいると教えられる人材も限られてくるが、東大生が来てくれて助かったなんて話も出て来る。無料塾という場所が、ふだんなら交わることのない人間同士の交流を保証しているのである。

 生徒たちは必ずしも大学には進んでいない。優秀だからぜひ大学までと見込んだ生徒でも高卒で就職する場合がある。しかし本人が自分の就職先に納得しているので、それでよかったのだと得心したという。大学受験では勝者もいれば敗者もいる。誰かが成績を伸ばして合格しても、代わりに不合格となる受験生がいる。大切なのは、勝者の中に入ることではなく、受験に失敗しても、或いは高卒で終わっても、それで納得できる人生を送れるような社会を作っていくことなのだ。

 以上は善意の民間人が主導している例だが、これ以外に、行政側が積極的にタッチしている無料塾や、かなり大規模な経営体としてやっている(したがって教員にも給料が出る)無料塾――行政などからの資金がある――の例も紹介されている。無料塾にも色々な形態があるのだ。地方の場合は、大都会と違って刺激や民間教育インフラに乏しいから、行政側がそれを意識して無料塾とタイアップする場合もあるようだ。都会でも貧しい家の子供を対象にしてやはりタイアップを行っている。

 本書は以上のように無料塾を材料にしつつ、現代日本の教育が抱えている問題や、壊れてきている家庭の問題など、いくつかの問題を照射しており、蒙を啓かれる。

 ただ、最後に著者と識者との対談が三つ載っているのだが、私としては最初の松岡亮二氏との対談以外は、あまり教えられるところがなかった(松岡氏の著書『教育格差――階層・地域・学歴』はこちらで紹介)。むしろもっと色々な無料塾の形態や、そこに関わる人間の様子を紹介してくれたほうが良かったと思う。惜しい。
                
 新潟市立図書館から借りて読みました。

 昨日(3月6日)の産経新聞(新潟統合版の場合)が以下の記事を掲載した。

 https://www.sankei.com/article/20240305-KKZ57HKC2JGM7FNCO6BTPPCNHQ/
 発行中止のトランスジェンダー本刊行へ 「不当な圧力に屈しない」産経新聞出版
 2024/3/5 15:00

 心と体の性が一致しないトランスジェンダーの実態を取材した米書「IRREVERSIBLE DAMAGE」が4月上旬、産経新聞出版から刊行されることが分かった。邦題は未定。同書は昨年末、大手出版社のKADOKAWAから「あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇」のタイトルを付けた翻訳本の発行が予定されていたが、「トランスジェンダー差別を助長する」という一部の強い批判や本社前での抗議集会の予告などを受け、発売直前に刊行が中止された経緯がある。

 (以下略)

                                   

 すでにネット上ではこの本について色々な情報が飛び交っているけど、「読んだ上で批判すべきは批判する」のが近代における「言論の自由」の基本である以上、出版そのものに圧力をかけるのは「近代以前」である。

 私が新潟統合版で見る限り、毎日新聞はこの問題に何も言わなかった。毎日新聞は「言論の自由」を論じる資格を喪失したわけだ。それは、新聞としての資格を失ったことと同義であろう。

 (なおこの問題は昨年12月23日の当ブログで取り上げているので、ご参照いただきたい。)

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今年映画館で見た24本目の映画
鑑賞日 3月6日
シネ・ウインド
評価 ★★☆

 フィンランド・ドイツ合作、アキ・カウリスマキ監督作品、81分、英題は"Fallen Leaves"。

 舞台は現代のヘルシンキ。スーパーを職場とする一人暮らしの女性・アンサは或る事情からクビになり、たまたまカラオケバーでホラッパという男性と知り合う。何となく惹かれ合う二人だが、はたして無事に結ばれるのか・・・?

 いったん引退を表明したカウリスマキ(フィンランド:1957~)が、引退を撤回して作った映画だというので評判なのだが、もともとカウリスマキが好きではない私としては迷った末に見に行ったものの、「所詮はカウリスマキ」という印象しか残らなかった。

 カウリスマキの映画を見ると、北欧には行きたくないなと思う(実際、私は行ったことがないんだけど)。暗い(日照時間が秋から初春にかけては少ないのだから当たり前だけど)画面と、うるおいのまったくない映像。行き当たりばったりの展開。

 まあ、喜劇と思えばまだしもだ。実際、この映画でも男が事故で入院して、女が見舞いに駆けつけるのだけれど、病院の受付で「患者とどういう関係なのか」と問われたヒロインは、「妹です、信仰上の」と答える。ここで私は声を出して笑ってしまったのだが、他の観客は全然笑わなかった。私が分かっていないのか、他の観客が分かっていないのか・・・どうなんでしょうね?

 しかし、コメディとしてはちょっと出来が悪いんじゃないかな。

 カラオケを初めとして色々な歌が出てくる。日本の歌もある。歌以外にも、チャイコフキーの悲愴交響曲も何度も使われている。

 東京では昨年12月15日の封切だったが、新潟市では11週間の遅れでシネ・ウインドで公開中、3月15日(金)限り。新潟県ではほかに上越市の高田世界館と佐渡のガシマシネマでも上映されたが、すでに終了している。
 私が足を運んだ第一週水曜日の夜の回(1日2回上映の2回目)は、十人台前半の入りだった。

  2月28日に新型コロナウイルス・ワクチン接種の7回目を済ませた。

 周知のように政府の政策としての無料接種はこれが最後である。2024年度からは自己負担となる。
 7回目の接種券はしばらく前に届いていたが、第6回目(2023年8月29日)から半年程度あけようと思っていたので、すぐには受けず、2月末にかかりつけの内科医院に狭心症などの薬をもらいに行った際に(第6回目もそこで接種を受けたので)訊いてみたら、月水金の午前中だけ接種を実施しているというので、すぐに申し込んだものである。

 不思議なことに、新潟市のサイトでは、接種を受けられる医院としてこの内科医院は挙げられていない。ただ、この内科医院のサイトには接種を受け付けると記されている。その辺、新潟市の情報提供管理がうまく行っていないのではないかと疑われる。

 接種後は翌日夜まで腕を振ると痛みがあったが、翌々日の朝からは特に後遺症はない。私の場合、これまでの接種でもそうだった。

 ちなみに女房は第7回の接種は受けないそうである。女房の場合は、接種後に全身の発熱など私より重い後遺症が見られるので、そのせいらしい。

 また、新潟市内に住んでいる私の娘(既婚)は、1回も接種を受けていないという。そのせいで今まで2回ほどコロナに感染しているのだが、若いせいかさほど重症にはならなかったようだ。

 私自身は、今まで幸いにして新型コロナにかかったことはない。マメにワクチン接種を受けてきたからかどうかは分からないが。

 これまでのワクチン接種をまとめると以下のようになる。

 第1回 2021年6月19日  朱鷺メッセ   モデルナ
 第2回 2021年7月17日  朱鷺メッセ   モデルナ
 第3回 2022年3月9日   信楽園病院   モデルナ
 第4回 2022年9月9日   信楽園病院   モデルナ
 第5回 2023年3月11日  桜木ショッピングセンター モデルナ
 第6回 2023年8月29日  すぎうら内科医院 ファイザー
 第7回 2024年2月28日  すぎうら内科医院 ファイザー

 第1回と第2回は4週間のあいだをあけての接種だったが(そう指定されていた)、その後はおおむね半年間隔で受けていることが分かる。というか、私がそうなるように意識していたからだけれど。

 そして私は西区に住んでいるわけだが、合計7回の接種のうち西区で受けたのは信楽園病院での2回のみである。他はすべて中央区での接種だった。西区はアテにならない?

 第3回目以降は予約をとるのに苦労はなかったが、第1回目のときは大変だった。新潟市の指定した医院に電話しても予約がとれず、それとは別に指定された西区の施設でもネット予約がとれず、結局は新潟県がもうけた朱鷺メッセの会場での予約を何とかネットでとったのである。あの頃は、下手をするとパニックが起こりかねない感じだった。詳しくは当ブログのこちらを
         
 それに比べると今回は、私が訪れた日の午前11時頃(午前9時30分から11時30分の間に来るよう言われている)でも同日に接種を受ける中で2番目だったし、私のあとにも1人しかいなかったようだ。女房同様に、7回目となると受けないという人も多くなっているのだろう。

 最近はコロナ感染者も減少してきているけれど、まだ感染者がゼロになったわけではないし、今後どうなるかは予断を許さない。慎重に今後の情勢を見極めようと思っている。

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今年映画館で見た23本目の映画
鑑賞日 3月3日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★★

 英米合作、マシュー・ヴォーン監督作品、ジェイソン・フックス脚本、139分。

 女性作家エリー・コンウェイ(ブライス・ダラス・ハワード)はスパイ・アクション小説『アーガイル』で人気を博している。彼女の頭の中では長身でハンサムなスパイが敵方の美女スパイと闘争を繰り広げている。ところが或る日、列車に乗っていたら、向かい側にすわった男エイデン(サム・ロックウェル)がスパイだと自称し、実際に直後に彼女は敵方のスパイに襲われて、エイデンによって救われ、やがてその根城に導かれる。そこで彼女が知った驚愕の真実とは・・・

 ヒロインの空想の中では一時代前の、ショーン・コネリーがジェイムズ・ボンドを演じていた頃の007みたいな活劇が繰り広げられているが、さらにその彼女がスパイ同士の闘争に巻き込まれていくという筋書きで、過去のスパイ物映画を意識した作りにもなっており、なかなかに楽しいエンターテインメントに仕上がっている。ヒロインのペットである猫の使い方もうまい。うん、こういう映画が見たかったんだよ、と言いたくなる快作。

 新潟市では全国と同じく3月1日の封切で、市内のシネコン4館すべてで公開中。県内他地域ではTジョイ長岡と上越市のJ-MAXでも上映されている。
 私が足を運んだ日曜日夕刻の回(1日4回上映の3回目)は、なんと、観客は私一人だった。うーん・・・新潟市の映画ファンは何をやっておるのか。地方都市では「洋画」に対する感性が消滅しているのだろうか。
 新潟県のシネコンでは燕三条地区のイオン県央だけがこの作品を取り上げていないのも、田舎ほど洋画から遠ざかっていることの証拠かも知れないね。

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評価 ★★★★

 著者はオーストラリア・シドニー工科大学教授、ビジネスと社会との関係を研究している。
 訳者は慶大文卒、翻訳家。
 本書の原題は、Carl Rhodes: Woke Capitalism. How Corporate Morality is Sabotaging Democracy. 2022

 最初に中野剛志による解説がついている。
 本書で主張されているような現象、つまり一見すると「意識が高い」ような言説を弄したり、実際に社会事業などに多額の寄付をしている億万長者の企業経営者は、しかしいざ自社に多額の税金が課せられそうになると租税回避地に逃げ込んでしまうし、自社の社員の労働環境や賃金に関しては苛酷な態度で臨むという現象は、日本にも見られるというのである。そして三木谷浩史を例として挙げている。三木谷氏は米国留学プログラムや、ロシアの侵攻を受けたウクライナには多額の寄附をしたが、日本政府が高額所得者への課税を強化しようとするとそれに反対したのである、と。

 経済学者ミルトン・フリードマンらによって(政治家ならレーガンやサッチャーや中曽根や小泉によって)1980年以降先進国に導入された新自由主義。これによって世界的な格差拡大が起こり、少数の億万長者が地上の富を独占するようになった。しかしそうした億万長者が経営する大企業は最近になって企業の社会的責任を重視すると称するようになり、また社会事業などにしばしば多額の寄附を行っている。
 著者はこうした動きを「ウォーク資本主義」と名づけ、一見すると良いことのように見えるこの流れが、実際は民主主義制度を破壊することにつながるとして警鐘を鳴らしている。
 
 ウォークwokeという単語は目ざめるという意味で、本来は社会問題などに高い関心を持つ(つまり意識の高い)人間を形容するために用いられていたようだが、最近は逆に保守派が左派のそうした態度を揶揄するために使う場合が多くなっているという。本書では第3章でそのような意味の変遷について詳しく紹介している。

 しかし本書の力点はそこにはない。本書の趣旨は、一見すると誰も文句をつけようがないリベラルで社会の改善に役立ちそうなアピールを大企業が行うようになっているが、それはあくまで企業イメージをアップして収益を増やそうという目的からなのであり、そうした目的に沿わない主張は企業は絶対に行わないし、しばしば実際の行動も主張と矛盾しているという事実を明らかにするところにある。そして、そもそも民主主義社会とは国民が投票によって選んだ議員が一定の手続きに従って政策や立法を行うことで機能するものなのに、大金持ちである企業経営者がそのお金に物を言わせて独断で社会の方向性を決めようとするのは危険で反民主主義的なことなのだと指摘している。

 本書による主張の要点は以上のようなことである。
 以下、いくぶん詳しくその内容を紹介しよう。
 
 まず、新自由主義経済学の誤りについて。
 新自由主義が導入される以前、1978年のCEOの報酬は一般労働者の約30倍だったが、導入後の1980年代末には約60倍となり、1990年代末には400倍に達した。(121ページ)
 また、新自由主義経済学が導入されてから、成長率はむしろ鈍っている。1960年から1980年まで、つまり新自由主義的な政策が始まる以前には米国の経済成長率は年に3・9%だったが、1980年以降(新自由主義経済が導入されて以降)は2・6%に鈍化しているのである。2000年から2011年にかけて労働分配率は85・3%から78・5%に低下し、平均時給はごくわずかしか上がっていない。こうした傾向は米国以外にも見られる。つまり、新自由主義経済学者の言う「トリクルダウン」(最初は格差が拡大してもやがて恩恵は低所得者層にも及ぶから結果として平等化は進むはず、という説明)はウソだった 、ということが明らかになったのである。(151ページ)

 次にそれとも関連するが、大企業は税金を払っていない。いわゆるタックス・ヘイヴンに名目上の所在地を移しているからだ。amazon、ゼネラルモーターズ、Netflixなどは何百億ドルもの利益をあげているのに米国内では1ドルも税金を払っていない。1980年には世界の法人税率は利益の45%弱だったが、現在ではそれが25%に低下している。米国では富裕層の上位1%だけで全脱税額の70%を占めている。(108~109ページ)

 税金を大企業が納めないとどうなるか。政府の収入は減る。民主主義社会とは、国民の納めた税金を、国民に選ばれた議員が多方面に目配りして予算案として使い道を決めることにより成り立つ。つまり税金を回避する大企業や富豪は、反社会的な行動をとっているのである。
 これまた、新自由主義の経済学がもたらした害悪なのである。

 税金逃れをしている大企業は、最近の新型コロナの流行に際して寄附を申し出た。例えばamazonは英国に390万ドルを寄附した。しかしamazonはそれまでの10年間で1000億ドルの税金逃れをしていたのである。ほかにゲイツ財団やNetflixやフェイスブックも寄附をしたが、金額は一見すると莫大に見えるが実際は企業の収益からすればはした金だという。(56ページ)

 amazonの創業者でCEOでもあったジェフ・ペゾスの行動については、第7章で特に詳しく槍玉に挙げられている。
 ペゾスは2020年にペゾス・アース・ファンドという基金を、100億ドルを投入することで設立した。温暖化などの環境問題に対処するため、という名目だった。このときのペゾスの個人的資産は1310億ドルであった。
 しかしペゾスの会社は毎年4440メートルトン相当の二酸化炭素を排出している。これは企業としては化石燃料会社に次いで多いという。
 またamazonは2010年から2019年までの間に9605億ドルの収益を上げ、268億ドルの利益を蓄積したが、納めた税金は34億ドルだった。米国企業の標準的な法人税が35%なのに対してamazonの実効税率は12・7%に過ぎない。2019年の利益は130億ドルだったが、実効税率はわずか1・2%だった。

  ペゾスは上記の基金に100億ドルを投入したわけだが、彼の会社が10年間に収めた税金の3倍に相当する。ちゃんと(タックス・ヘイヴンなどを使わずに)税金を納めていれば、各国政府はその税金を使って仕事をすることができたはずだ。ペゾスがカネを環境対策に使ったからいい、という話ではない。本来は一定のルールに従って税金をどう使うかを決定するのが民主主義政治というものだからであり、ペゾスはその原則を破ったのである。
  実際、英国での2018年におけるamazonの税金逃れは、看護師2400人を1年間雇用するのに必要な額だったという。つまりペゾスは税金逃れによって英国にそれだけの損害を与えたのだ。

 また、amazonの職場は、環境が劣悪なことで知られている。倉庫作業員は40度という高温の中で迅速な労働をするよう求められる。途中、トイレにすらろくに行けないという。そのために労働者はボトルを用意してそこに排尿しているという。また新型コロナの流行が始まったときもamazonの職場では有効な対策がとられず、多数の感染者を出した。

 以上から何が分かるだろうか? amazonを経営するペゾスという人物は、自社の労働者をこき使い、納入すべき税金をも納めず、それでいて世間の評判を呼ぶような寄附だけは行う偽善者だ、ということである。著者が言う「ウォーク資本主義」とは、まさにこういう人物やその行動を指す。「環境対策に多額の寄附をしたのだから、偉い」では済まないのであり、その実態を見抜くことが大切なのである。

 同様の例としてスポーツ用品で有名なNikeも槍玉に挙げられている。最近のNikeは老齢者やパラリンピック出場者などをコマーシャルに使い、社会的意識の高いブランドとしての評判を高めようとしている。しかしその実、Nikeのアジア工場は児童を含む労働者に、有毒ガスにさらすなど苛酷な条件下での勤務を強いているのである。(第9章)企業が何をやっているかを見抜くためには、イメージ戦略に踊らされないことが大切なのだ。

 ファストフード企業の代表格であるマクドナルドにも言及がある。最近のマクドナルドは黒人のフランチャイズ加盟者を積極的に探しており、また公民権団体への寄附を行い、キング牧師を称賛するなど、人種問題に理解のある企業というイメージを打ち出している。しかし歴史をたどると、1940年代から50年代のファストフード店は主として白人客のみを受け入れるか、或いは人種分離を行うという方式が主流だった。しかし1960年代に入ると公民権運動が盛んになり、特に1968年にキング牧師が暗殺されると都市部では暴動や略奪が多数発生した。そのため、黒人の多い地区ではファストフードのフランチャイズ店オーナーを引き受ける白人がいなくなってしまう。マクドナルドの「人種差別問題に理解のある」姿勢は、そうした事情を基盤にしていた。つまり、自社のフランチャイズ店を増やすための方策だったのである。(第10章)

 他にもいくつもの企業の例が本書には出て来る。最近では、大企業は株主や企業幹部の利益だけでなく、すべての社員、消費者、およびその他様々な社会構成員に対して貢献する「社会的な責任を自覚した」存在でなければならないとCEOが発言する場合が多い。しかし1980年頃に新自由主義の経済学が浸透していった当時はそうではなかった。経済学者ミルトン・フリードマンがそもそもそうだったように、企業の使命とは利益を追求することにのみあるのであり、その責任は株主に対してのみ向けられているのであって、他のことはどうでもいい、と堂々と発言していたのである。

 本書の内容からははずれるが、当時の雰囲気を批判的に描いた米国映画として、2010年公開の『カンパニー・メン』(ジョン・ウェルズ監督作品)がある。MBAを取得してエリート・サラリーマンとなったベン・アフレックが、株価の上昇のみを考えている社長によりあっさりとクビになり、やむを得ずそれまではバカにしていた義兄(妻の兄)ケヴィン・コスナーの大工仕事を手伝うのだが、その過程で働くとはどういうことか、企業はどうあるべきなのかといった問題に目ざめていくという内容である。私(当ブログ制作者)としては佳品だと思うので、関心のある方はご覧いただきたい。

 話を戻すと、新自由主義の欠陥が明らかになった現代、大企業のCEOはかつてのように自分と株主だけが大事だと言うことはもはやできなくなっており、したがって社会的責任を重視するような発言をするのが常識だとされているわけだが、著者によればそれはあくまで自分と自社の利益のためなのであり、それは例えば企業が実際に(環境団体への寄附ではなく)環境に配慮した生産活動をしているのかといった面を見れば明らかだという。企業が称する「社会的貢献」はあくまで自社にとって都合のいい政治にのみ向けられており、例えば大企業から然るべき税金を取るといった経済面には向けられていないのだと。

 そして、上述のように本来社会全体のことを考えるのは(国民の投票により選ばれた)政治家の役割であり、大企業の幹部がカネにものを言わせて社会全体のことを取り仕切っるような世界は決して好ましいものではない。それは民主主義に対する反逆なのであって、我々は大企業の手から政治を取り戻さなければならない、と著者は訴える。

 以上が本書の内容だが、本書には読んでいて首をかしげる部分も若干ある。
 著者はブラック・ライブズ・マター運動やスウェーデンの活動家グレタなどの環境問題への訴えを手放しで称揚している。しかしBLM運動には暴力主義が含まれており、その暴力の犠牲となるのは大企業の幹部や資産家ではなく、こつこつと働いて小さな店を持つに至ったマイノリティである。無条件で肯定するのはいかがなものかと思う。

 環境活動家の主張する地球温暖化にしても、もっぱら排出ガスによるという主張には異議が出ている(こちらを参照)し、風力発電など自然エネルギーの技術革新は環境活動家の言うようにはすぐには進まないわけだから、炭素燃料をバッシングし過ぎると石油の値段が高騰する(現にそうなっているが、それで困るのは貧しい国家や階層である)など、かえってマイナス面が大きくなる。著者にその辺への目配りがまったく欠けているのは、問題ありだと思う。
        
 また、著者はウォーク企業への右派政治家による批判をかなりページを割いて取り上げている。右派政治家の批判は、要するに新自由主義経済学への擁護で、社会的な責任を重んじる経営者は社会主義のイデオロギーに染まっているとか、左派と妥協したとかいう主張につながっているわけだが、それが的はずれだと指摘するのに何ページも費やす必要はないだろう。おそらく、自分はウォーク資本主義批判をしているけれど右派のそれとは根本的に異なるのだ、ということを強調したいのだろうが、右派が一般庶民から支持されているのもそれなりの理由があってのことだから、その辺を見ないで右派を叩いてもあんまり説得性がないのではないか。

 また、19世紀後半、南北戦争が終わった時代の米国は作家マーク・トウェインの名づけ方に従えば「金メッキ時代」であり、一握りの資本家による産業資本主義が浸透していった時代だったが(この時代に格差が拡大していった。第二次世界大戦終了から1980年頃までは逆に収入の不平等が少なくなった時代、その後新自由主義経済の導入でまた格差が拡大した、というのが時代的流れ)、その頃にカーネギー(カーネギー・ホールで今も名を残す)を初めとする資本家・大富豪が寄附文化を成立させた。この寄附文化により、スタンフォードやイェールなどの有力大学、ホール、美術館などが作られ、現在の米国の文化や学術の興隆にもつながっている。しかし著者は、カーネギーは経済的不平等を支持していたとして、こうした寄附文化を批判している。(第12章)

 それはこうした寄附文化が現代のウォーク企業のそれとつながっているという認識からなのだが、私の見るところ、19世紀後半の寄附文化と、新自由主義の格差拡大を糊塗するために社会的貢献を現代大企業のCEOが強調することとには、いくぶん位相の違いがあるのではないか。19世紀後半の米国はまだ世界一の超大国になっていなかった。文化はもちろん、大学・学術のレベルにおいてもヨーロッパのそれとは格段の違いがあった。大富豪の寄附などにより、米国の大学は大学院制度を生み出し、やがて20世紀の二度の世界大戦をへて世界一の座にのし上がって行くのである。たしかに19世紀の企業家の発言は現代的基準からすれば問題ありだっただろうが、それだけで彼らの寄附文化の遺産を否定するのはいかがなものか。

 というわけで若干問題もあるが、著者の主張の根幹は非常に重要だと思うので、一読しておくべき書物であろう。
 具体的には、納税や(海外工場を含めた)労働条件を含めて個々の企業をきちんと評価して公表するシステムを作るべきだと思う。そういうシンクタンクを設けてもいいだろう。日本の政治家は(民間企業はやらないだろうから)ちゃんと考えておくように。

 新潟県立図書館から借りて読みました。新潟大学図書館には例によって入っていないのだが、入れておいたほうがいいんじゃないか。

640[1]
今年映画館で見た22本目の映画
鑑賞日 2月29日
Tジョイ新潟万代
評価 ★★★☆

 光岡麦監督作品、渡辺仁脚本構成、103分。

 参加者がミステリーの登場人物となって話し合いながら事件解決を目指す体験型ゲーム「マーダー・ミステリー」。これをベースにしたテレビドラマ(私は未見)を、さらに劇場版にしたもの、だそうである。世の中、色々なモノが出来てきているので、年寄りにはついていくのが困難になっているなと実感。
 俳優陣にはキャラクター設定と行動指示のみが与えられ、セリフはほぼアドリブでストーリーが展開しているのだそうである。

 人里離れた鬼灯(ほおずき)村。その祭では村に伝わる奇妙な歌が歌われる。祭のあった日の夜、村長である老人・一乗寺(堀田眞三)の家では、ホステス上がりの若妻・初乃(文音)、その友人・三宅(北原里英)、医師・六車(犬飼貴丈)、当主の友人・五階堂(高橋克典)が食卓を囲み、さらに執事の四谷(八嶋智人)、コックの二宮(木村了)、それにメイドの七尾(松村沙友理)を加えた合計八人が在宅していた。やがて寝室に戻った当主が死体で発見される。その直後に庭から現れた怪しげな男・八村(劇団ひとり)を加えて、犠牲者である当主を除く八人が容疑者となる。しかし村の中心部へ通じる一本道は土砂崩れで通行不可となり、警察を呼ぶことができない。邸宅の中で八人はそれぞれに推理を繰り広げるが、やがて第二の犠牲者が・・・

 途中で色々な証拠物件の発見があり、また屋敷内部にいる人物たちそれぞれに怪しいところが発見されていき、ミステリーとしての面白さはそれなりにある。

 ただし、21年前に村で起こった子供の死亡事件がカギになっているのだが、その事件の設定がいささかチャチ。それにまつわる人物の行動もどこかこじつけめいていて、したがってラストのあたりはやや無理目な感じが濃厚となる。

 新潟市では東京と同じく2月16日の封切で、Tジョイにて2週間単独公開された。県内ではほかにTジョイ長岡でも上映された。
 私が足を運んだ2週目最終日(木曜)は夕刻一回のみ上映で、観客は5人だった。

・11月1日(水)  毎日新聞インターネットニュースより。

 https://mainichi.jp/articles/20231101/ddl/k35/020/242000c
 クジラの未来・36年の歩み/中 捕鯨母船72年ぶり新造 /山口
 毎日新聞2023/11/1 地方版

 日新丸の後継として日本の捕鯨を担う新母船「関鯨丸(かんげいまる)」の建造が現在、下関市長府港町の旭洋造船で進められている。日本では捕鯨母船を一から建造するのは72年ぶり。造船業界や全国の関係者から注目が集まる「関鯨丸」とはどんな船なのか。船の特徴や造船への思いを旭洋造船の越智勝彦社長(70)に聞いた。

 ――建造に至った経緯を教えてください。

 ◆以前から話はありました。下関市出身で、子供の頃からクジラは身近な存在です。それで今回、日新丸の後継となる捕鯨母船を建造する話が持ち上がり、手を挙げました。クジラの街である下関市で建造できるならすばらしいという思いもあります。

 ――日本では72年ぶりの建造です。

 ◆そうです。1951年が最後でした。今の日新丸はトロール船を改造したものなので、今回は捕鯨に特化したベストなデザインができました。ただ内部に工場がある非常に構造が複雑な船です。進水式(8月)には「おめでとうございます」と大勢の人から声をかけてもらいましたが、2024年3月末までに完成できるか、今でも不安です。現在は週1回、チームで集まって全工程を確認しながら厳密に進めています。

 ――技術的に難しい面も多いと思います。

 ◆普段、貨物船など荷物を積む船を造ってきましたが、今回は引き上げたクジラを解体し、冷凍保存する2階建ての工場が船内に入っています。通常の船であれば進水後の船内工事などは3カ月間ほどで終わりますが、関鯨丸は7カ月かかりますね。

 特に日新丸から移設するものが多く、例えばクジラ肉を真空パックにする機械など移設品が40~50個あります。それらを設置する土台を事前に作っておく必要があり、日新丸が仙台市や広島県尾道市に入港した時に何回も足を運び、現物の寸法を測りチェックしました。

 ――日新丸と異なる点はどこでしょうか。

 ◆70トンのナガスクジラが上げられるウインチ能力を持っています。また、日新丸は大きな冷凍庫で1区画すべて同じ温度で保存していましたが、関鯨丸は20トンの冷凍コンテナ40基を設置しています。コンテナはマイナス25~30度まで細かく設定できるので、これによって肉の各部位に最適な温度管理ができます。他にも発電機でモーターを動かしプロペラを回す電気推進船なので、将来的に発電機を外し燃料電池に替え二酸化炭素を排出しないなどの発展性が期待できるでしょう。

 ――共同船舶へ引き渡した後も関わるのでしょうか。

 ◆1年ごとに修繕が必要です。基本的に岸壁でできる工事は、母港化した下関市で実施し、塗装など修繕ドックが必要となる作業は、旭洋造船では大きさが足りないので県内や九州北部の造船所で行う予定です。

 ――来年3月に引き渡しです。今の思いを聞かせてください。

 ◆社員のほとんどが下関市出身です。全員が関鯨丸のプロジェクトに携われたことを誇りに思い、幸せと感じています。【聞き手・大坪菜々美】
〔山口版〕


・11月3日(金)  毎日新聞インターネットニュースより。  

 https://mainichi.jp/articles/20231103/ddl/k35/020/274000c
 クジラの未来・36年の歩み/下 捕鯨守る方策模索 /山口
 毎日新聞2023/11/3 地方版

 東京都品川区大井町の東急大井町駅近くに、「くじらストア」と書かれたひときわ目を引く白い看板がある。鯨肉専門の無人店舗で、店内には鯨肉やクジラステーキなどの加工品が入った自動販売機が並ぶ。捕鯨会社の共同船舶が1月にオープンし、今では東京都中央区月島や横浜市中区元町など全国に5店舗がある。価格帯は1000~3000円と決して安くはない。「鯨肉は優れた健康食品。まずは多くの人に知ってもらいたい」と共同船舶の所英樹社長は話す。

 調査捕鯨時代には水産庁から調査の委託を受けた日本鯨類研究所が共同船舶に用船料や人件費を支払っていた。商業捕鯨の再開後、2020年度に国から共同船舶に対して「実証事業支援」という形で約13億円の補助金が出たが、その後、操業に関しては返還が必要な10億円の基金となり、共同船舶は企業としての自立が迫られる形となった。所社長が20年7月に就任した当初(20年度)は約8億円の赤字で、共同船舶の建て直しをはかるため、所社長が掲げたのが操業の合理化、品質向上、そして付加価値をプロモーションして価格を上げる戦略だった。

 中でも「くじらストア」に代表されるプロモーションでは、鯨肉が免疫力向上や認知機能の改善などにも効果があるとされるアミノ酸成分「バレニン」などを含んでいる点を強調。これらによって鯨肉を付加価値の高い食材と位置づけ、20年に1キロ当たり平均957円まで落ち込んでいた卸値を、22年には7、8年前の水準となる1201円まで引き上げた。所社長は「市場を育て、人に欲しいと思ってもらうことが大切。価値を知っていただき、それに見合う価格で売っていきたい。実際に新しく鯨肉を扱いたいという飲食店の声もある」と話す。共同船舶は所社長の方針によって経営が改善、23年3月期決算で商業捕鯨再開後、初めて黒字となった。

 所社長は今後も見据える。水産庁は資源量に影響を与えない範囲で、現在捕獲しているニタリクジラやイワシクジラなどのほかに大型新鯨種の捕獲枠設定を目指している。共同船舶は、追加されれば生産量を現在の約1600トンから約2000トンに増やし、市場の拡大を視野に入れている。しかし、共同船舶には新母船建造の負担もある。毎日新聞の取材に対して所社長は「関鯨丸の償却費として年間5億~6億円がかかる。新鯨種の捕獲が可能となっても会社を安定させるためには卸売価格をもう少し上げる必要がある」と語る。

          ◇   ◇

 一方で卸値の上昇がクジラを消費者から遠い存在にすると危惧する声も根強い。9月下旬、下関市大学町の下関市立大の生協で、鯨肉を使ったハンバーガーとパスタが期間限定で出された。クジラを身近に感じてもらおうと市立大と東亜大、下関商業高校、市民団体「しものせき鯨食復活プロモーション」の4団体が1年半かけて考案したものだ。手に取った学生からは「思っていたよりも軟らかくておいしい」と好評で、今月3日に開催される市立大学祭でハンバーガーを400円という手ごろな価格で販売する予定だ。

 プロジェクトのメンバーの一人で鯨食文化に詳しい市立大の岸本充弘特命教授は「鯨肉が高価な食材となれば、手が届かないものとなってしまう。一部の高級部位は別として、一般の人でも購入可能な価格を維持できなければ、消費者は離れ、鯨食文化はもちろん、持続的な捕鯨もできなくなる」と訴える。また、同市の鯨肉加工・販売会社「東冷」の石川真平社長は「共同船舶が捕鯨を守るために卸値を上げたことは理解できます。ただ経営は厳しく、値段を抑えるための策も同時に考えてもらいたい」と心情を吐露した。

          ◇   ◇

 昭和期に捕鯨基地として栄え、「クジラの街 下関」を掲げる下関市は、関鯨丸の建造費に総額3億円を補助する。前田晋太郎市長は捕鯨業界の現状に理解を示しつつ「下関を中心に食として、文化としてのクジラへの理解を(全国で)深めてもらうために何ができるかを常に考えている」と話し、「まずは市民が身近で手ごろなものと感じてもらえるように市としても何ができるか考えていきたい」と思いを語った。

 4日、日新丸が下関へ入港し、引退セレモニーが開かれる。岸本特命教授は「クジラに関する業界は、日新丸の引退という大きな節目にある。国際捕鯨委員会を脱退してまで商業捕鯨を再開するという選択肢を政府として決めたが、再開後のビジョンをしっかりと示せていない。10年、20年後の捕鯨を守るために業界や政府を含めてしっかりと考える必要がある」と語気を強めた。【大坪菜々美】
〔山口版〕


・11月4日(土)  産経新聞インターネットニュースより。

 https://www.sankei.com/article/20231104-4OY7UMH63BNCHCSUK2EX5EDP54/
 捕鯨母船「日新丸」が引退 最後の操業終え下関入港
 2023/11/4 19:47

 クジラを洋上で解体し、冷凍加工する世界で唯一の捕鯨母船「日新丸」が4日、最後の操業を終えて山口県下関市の下関港に入港した。着岸後には引退セレモニーが開かれ、参加した約140人が調査捕鯨や商業捕鯨を支えた30年余りの功績をたたえた。船を所有する共同船舶(東京)は来年、同市で建造中の後継母船「関鯨丸」を就役させる。

 船は午前10時40分ごろ、観光地として人気の唐戸市場近くの岸壁に着岸。付近では鯨肉の試食販売イベントも開かれ、多くの観光客や地元の人々が最後の寄港を拍手で迎えた。

 日新丸は1987年に遠洋漁業のトロール船「筑前丸」として建造され、その後捕鯨母船に改造。改名して91年から南極海などで調査捕鯨に従事した。2019年からは日本の沖合で商業捕鯨を続けてきた。


・11月7日(火)  毎日新聞インターネットニュースより。

 https://mainichi.jp/articles/20231107/k00/00m/020/043000c
  捕鯨母船「日新丸」最後のクジラ生肉競り 過去最高の1キロ80万円/山口
 毎日新聞 2023/11/7 10:10(最終更新 11/7 10:27) 

 国内で唯一、捕鯨の沖合操業を手がける共同船舶(東京都)が捕獲したイワシクジラの生肉が7日未明、山口県下関市の下関漁港地方卸売市場で競りに掛けられ、尾びれの付け根あたりの希少部位「尾の身」に1キロ当たり80万円の最高値がついた。共同船舶が所有し、今季で引退した捕鯨母船「日新丸」による最後の荷揚げ。2022年に下関市で競られた1キロ50万円を上回る過去最高額で幕を閉じた。

 市場に並んだのは23年10月27~29日に北海道根室沖で捕獲した、イワシクジラのオス1頭とメス2頭から取れた尾の身約500キロや赤肉約1・6トンなど。1991年から活躍した日新丸は11月4日、最後の操業を終えて下関に入港していた。

 尾の身を最高額で競り落とした水産加工・仲卸「株式会社山口」(下関市)の古谷隆二専務(60)は「今日は絶対競り落とそうと思っていた。クジラは大体冷凍しか出回っておらず、生肉を食べられるのはめったにないチャンス。おいしさが違うことを皆さんに知ってほしい」と語った。

 母船式捕鯨は沖合でクジラを捕るため、基本的に冷凍したクジラを荷揚げする。ただ、下関では商業捕鯨が再開された19年以降、生肉の競りが今回も含めて3回実施されてきた。


・11月15日(水)  日経新聞インターネットニュースより。

 htttps://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN150Z70V11C23A1000000/
 同床異夢のIPEF、内向く米 アジア新経済圏の実利薄く/米中衝突
 2023年11月15日 20:06 

【サンフランシスコ=飛田臨太郎、牛込俊介】 米国が主導する新経済圏構想「インド太平洋経済枠組み(IPEF)」の閣僚会合が14日、閉幕した。脱炭素と税逃れ防止で妥結が固まったものの貿易分野は先送り、参加国の実利は薄まった。米国が描くアジア経済圏での主導権確保は道半ばだ。

 バイデン米大統領が構想を打ち出したIPEFは2022年9月に正式に交渉入りした。インドやインドネシアなどのグローバルサウスの大国も加えて、中国抜きの経済連携を打ち立てる狙いがある。

 今回の閣僚会合で脱炭素に向けた「クリーンな経済」と、税逃れ防止などで協力する「公正な経済」の2つの柱で合意のメドがたった。16日にも開く首脳が集まる場に報告後、詳細を公表する。

 新興国が脱炭素や腐敗防止を進められるよう日米などの先進国が継続的に支援する。5月に合意した重要物資の供給網で協力する協定も正式に署名した。いずれも参加国の対立点がほとんどない分野だ。

 (中略)

 米国は日本とも一時、対立した。今春、海洋環境の改善を目的に捕鯨禁止を協定に盛り込もうと動き、日本は脱退もちらつかせて米国に撤回させた。

 (中略)

 TPP離脱後、米国のアジア経済圏での存在感は薄まった。逆に中国はTPPの加盟申請や既存の自由貿易協定(FTA)の強化などアジアで相次ぎ手を打つ。

 (中略)

 バイデン政権はIPEFの協定について、米連邦議会の承認を求めない方針だ。超党派の拘束力を持たない。24年大統領選を経て共和党政権が誕生すれば、TPP同様に米国が離脱する可能性もある。


・11月26日(日)  産経新聞インターネットニュースより。

 https://www.sankei.com/article/20231126-Q6QI6YOIGNNLXFSIJHSSTXPQIM/
 【書評】みんな鯨食に一家言 
 『クジラのまち 太地を語る』赤嶺淳編著(英明企画編集・1980円)
 2023/11/26 12:00

 2935人が住む町。和歌山県の東端に位置する太地町(たいじちょう)で34歳の海産物加工販売会社3代目社長から94歳の元船員まで、8人に聞き取った個人史と地域史をつなげていくと、大海原が見えてくる。

 そもそも、クジラとイルカは別種の動物ではなく、体長が4メートル以上かそれ未満かを基準に分けられていることすら広く知られてはいない。太地も江戸時代からの捕鯨基地でありながら、かつては全国的な知名度は低かった。

 個人史を語る一人、久世滋子さんは言う。「『太地=クジラ』ってわかるのって、『ザ・コーヴ』からじゃない?」。確かに評者も、アメリカ人が撮ったそのドキュメンタリー映画(2009年製作)でこの町の名を覚えた一人。当時、クジラおよびイルカを食べることは是か非かとの論議も巻き起こった。

 本書では、そう問わないかわり、19世紀には鯨油を採取する捕鯨大国だった米国でなぜクジラが食用にされなかったかも追究する。大きな鍵となるメルヴィルの長編小説『白鯨』には、日本で喜ばれる尾の身を食す場面もちらりと登場するが、大方が鯨食は未開人のもの、と味覚にふたをし続けたとの結論に至る。

 太地では「ゴンドウって醤油つけなくても味があるけど、ミンクって醤油つけないと、食べられない感じがする」などと、鯨種による味わいの差異が語られる。イルカは刺し身にかぎるという人も、「すき焼きみたいに砂糖とお醤油で炊いた方が好き」な人もいる。みんな、鯨食には一家言あるのだ。

 沿岸で捕れたものはもちろん、第二次大戦後、数十年続いた南氷洋への出稼ぎから持ち帰るクジラ肉も、近所にお裾分けするのが通例だったとのエピソードを語る人は多い。滋味あふれる食べ物で、自身の働きぶりが表れた、誇りそのもの。買ってきたお土産とは全く別物である。

 顔が見える範囲の人たちとともに食することで、太地という大きな食卓に向き合う感覚も得られたにちがいない。

 評・木村衣有子(文筆家)

 最近の産経新聞書評欄から面白そうな2冊を紹介しよう。
  (以下の引用は一部分です。全文は付記したURLから産経新聞のサイトでお読み下さい。紙媒体の産経新聞にも掲載されています。なお『私の幸福論』の紙媒体掲載はネット版掲載と同日ですが、『親ガチャの哲学』の新潟統合版掲載は2月21日で、首都圏の版とは違いがあったかも知れません。)

 まずはこちら。

 https://www.sankei.com/article/20240128-6GNRW6WBRZIM3LVFFCXU26VNNE/
 【ロングセラーを読む】 福田恆存著「私の幸福論」(ちくま文庫・748円)
 評=花房壮
 2024/1/28 08:20

 ■SNS全盛時代の道しるべ
 男であれ、女であれ、人は美しく生まれついただけで、ずいぶん得をする-。もし政治家や文化人が公の場でこんな発言をしたらSNS上で炎上するかもしれない。

 だが、こんな赤裸々な文章を含む人生論が70年近く前、若い女性向けの雑誌で実際に連載され、その後出版化。版元を変えながら、令和の時代まで読み継がれている。それが今回紹介する福田恆存(つねあり)(1912~94年)の名著『私の幸福論』だ。

 (中略)

 読者を長年にわたりひきつけてきた同書の魅力とは何か。福田を「日本の最良の知性」とたたえるコラムニスト、中野翠さんの解説の一文が参考になる。「福田恆存は読者を甘やかさない。考えさせる。売文業としての福田恆存は無愛想で不親切である。しかし思索家としての福田恆存は誠実で親切なのである」と。通読後、合点した。

 冒頭で触れた美醜に関するエッセーも、中野さんの言葉を想起させる。世間では、自分のマイナスを捨ててプラスの部分に目を向け、それを伸ばしなさい、といった助言を聞くが、福田は違う。「醜、貧、不具、その他いっさい、もって生れた弱点にとらわれずに、マイナスはマイナスと肯定して、のびのびと生きなさい」。そもそもマイナスや弱点を否定したところで消えるわけではない。怖いのは、無意識の領域で劣等感やひがみが肥大化し、自分でコントロールできなくなることだ。「若々しい魂がひねくれてしまうのを見るのが、私はいやなのです」と付言する。

 (中略)

 「幸福とは何でないか」を探りながら、逆説的に幸福の輪郭を描く手法も魅力的だ。

 例えば、自由。たえず精神を緊張させる自由は「大変面倒なもの」であり、重荷でさえある。だから、自由を使いこなす力量のない人は自由から逃避する。むしろ、制約や限界の中でこそ、自分が自由であることの喜びが感じられ、「いたずらに自由を求めてばかりいると、落ちつきのない生活」に陥ると指摘する。無際限な自由が「不幸」を招く逆説は味わい深い。

 (以下略)

                                           

 中野翠の解説も興味深いが、私が特に注意を喚起したいのは福田恆存の自由論だ。この問題は実は近代(化)というものをどう捉えるかという大問題につながっている。昨日、『青鞜の時代』の書評を当ブログに載せたけれど、明治の女たちの直面していた「家」や「良妻賢母」の問題も、この「自由」という厄介なテーマを抜きにしては論じられないのである。そこまで考えてモノを言う文筆家や学者は、あまり多くない。福田恆存が没後30年をへても読まれる理由が、そこにあると私は思う。


 お次はこちら。ただし書評欄ではなく、文化欄に掲載されたものである。

 https://www.sankei.com/article/20240212-QLNX3ZDRJZPTTB25XRWR55Z75Y/
 『親ガチャの哲学』著者の戸谷洋志さんに聞く (新潮新書・880円)
 聞き手=海老沢類
 2024/2/12 06:00

 ■「出生の偶然性は連帯や共感の基礎」 〝親ガチャ〟思考克服は可能か
 「いま、現実世界に対する悲観的な物の見方、ある種の厭世観が蔓延(まんえん)してきている気がします。その象徴ともいえる『親ガチャ』という概念をフックに、現代社会を覆うニヒリズムについて考えてみたかった」

 気鋭の哲学者である戸谷洋志さん(35)は新刊『親ガチャの哲学』を書いた理由をそう語る。人はどの時代にどこで、どんな親のもとに生まれてくるのかを自分では選べない。そんな出生の偶然性によって大きく左右されてしまう人生をどのように引き受け、生きていけばいいのか-。粘り強い思索の跡が刻まれた一冊だ。

 「親ガチャ」は出生時の運や不運が後の人生に重大な影響を及ぼすことを、電子くじである「ガチャ」の偶然性になぞらえて表現した言葉。社会における成功を、家庭の経済格差と結び付けて語る場合によく使われる。

 (中略)

 「恵まれない出生に伴う苦しみ自体は古代ギリシャ悲劇などにも出てくる。現代の『親ガチャ』が問題なのは、生まれた環境で受けた影響をその後の人生で覆せないと悲観していること」と戸谷さん。こうした厭世観の背景には1990年代以降の社会の閉塞感がある、とみる。

 「高度成長期には個人の努力が成功や報酬につながっていて、環境に恵まれなくても頑張れば幸せな未来をつかむことができる、という物語も信じられていた。だがバブル崩壊以降、経済は低迷し成長物語は信じられなくなっている」

 (中略)

 戸谷さんはその〔自分の人生を尊重するための〕手がかりとして、米国の政治思想家ハンナ・アーレント(1906~75)の思想を紹介し、他者との関係を見つめ直す必要性を指摘する。〈人間が自分らしさを提示するのは、他者の前で何かを語るときである〉と。「私はこう思う」と言ったとき耳を傾けてくれる他者がいる。 (中略) ゆるい対話ができる場を作っていくのも大切だと思う」

 (以下略)

                                        
 
 上の引用では略したが、この記事では平成20年に秋葉原で起こった通り魔事件を初めとする「自暴自棄型の犯罪」の増加にも触れられており、これが「親ガチャ」を基盤とする自己の無力感に伴う犯罪であることが指摘され、したがって現代社会にとっても焦眉の問題であると言われている。

 戸谷氏の提示する解決策は、上に引いた福田恆存のそれと一見すると逆のように見える。けれども、誰にも適合する哲学=解決策はないのだとするなら、人はそれぞれ、自分に合致した哲学を見つけるしかないのだ。人間は寂しがり屋である。その寂しさを、一見すると無意味なおしゃべりや、ネット上での対話、或いは「中間共同体」の構築で解決できるなら、それに越したことはないと私も思う。

 ただ、そういう中間共同体はかつては自生的に存在したが、今は違う。つまり、福田恆存の言う、「自由」を手に入れた代償がそこにある。「家」や「家族・親族」や「地域社会」はわずらわしいものだった。「近代」はそれらを敵と見なし、解体へと導いた。その結果の一つとして、現代ならではのこうした犯罪が生まれてきた。

 ではどうすればいいのか? 戸谷氏の提示する解決策は、率直に言っていかにも弱い。しかし弱くても解決策を考えていかなければならない。そして、マスコミや学者はまだまだそうした領域に目を向けることが少ない。戸谷氏の試みは、マスコミや学者が気づいていない領域への眼差しを含む点で貴重なのだと思う。

 ちなみに『親ガチャの哲学』は毎日新聞の文化欄でも紹介されている(↓)。

 https://mainichi.jp/articles/20240228/dde/014/040/002000c

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評価 ★★★★

 著者は1930年生まれ、早大文卒、詩人・文筆家。

 先日、映画『風よ あらしよ』を見て伊藤野枝の生涯を大筋知ったけど、映画というメディアはどうしても思想や文芸、つまり執筆活動という点では表現が十分ではない。それで、というので読んでみたのが本書。

 1911年(明治44年)に創刊された雑誌『青鞜』の内容や発行にあたっての労苦などを追いながら、平塚らいてうを中心としてこの雑誌に集った女性たちの活動と生き方をたどった本である。

 らいてうは1886年(明治19年)2月生まれ、本名が平塚明(一般には明子とされるが、本書は当時の女性名は「子」が付かないのが一般的だったはずだとして、原則として「子」を省いている。だから与謝野晶子は与謝野晶、野上弥生子は野上弥生と標記される)といい、父は紀州の武家の出で、維新後は官界に入り会計検査院次長で終わった。母は田安家(徳川の一門)の御殿医の娘で遊芸に関する知識に優れていた。明が育った家は現在の文京区本駒込二丁目にあり、600坪の敷地があった。すなわち経済的には恵まれたお嬢さんだったのである。また、『青鞜』に関わった女性は明と同世代が多かった。

 明治の女性向け雑誌というと、1885年創刊の『女学雑誌』が有名であるが、1888年には『日本新婦人』など一気に9誌が創刊されて、女性誌は花盛りの様相を呈していた。
 しかし翌1889年の大日本帝国憲法発布の頃から時代は変わっていく。新しいものを歓迎する開明的な雰囲気から、国粋主義的な方向への転換がなされ、「欧化」を基盤にした女性像よりも復活した儒教的な女性像が強調されるようになっていく。「良妻賢母主義」の登場である。

 明の母・光沢(つや)は新時代の官吏の妻にふさわしくあるべく桜井女塾(のちの女子学院)に洋服を着て通い英語を学ぶような人だったが、12歳の明が小学校を終えて(姉の孝〔子〕と同様に)東京女子皇后師範学校附属高等女学校に進む1898年には国粋主義的な様相が顕著になり、それまでの屋敷が洋館だったのが日本風に作り替えられ、母も洋装をやめ、二人の娘も絣の着物に袴すがたの女学生となった。

 明は女学校を卒業すると、二年前に開校していた日本女子大学校の英文学部に進学を希望する。父は猛反対したが、母のとりなしもあって、妥協して家政学部へ進学することになった。ちなみに姉の孝は女学校卒業後いったん家で過ごしていたが、やがて同じ学校の日本文学部へと進学する。

 実際、雑誌『青鞜』への協力者は、日本女子大学校出身者が多かったという。つまり当時としては例外的な、高等教育を受けた女たちが雑誌『青鞜』の創刊や維持へと向かっていったわけである。

 「元始、女性は実に太陽であった」という平塚らいてうの有名な創刊の辞で知られるこの雑誌は、当時世間をよくもわるくも騒がせて一種流行現象になっていた「新しい女」に自己表現の場を提供した。漱石の『三四郎』は明治41年に新聞連載された小説だが、そこに登場する美禰子が作中「新しい女」とされていることはよく知られている。坪内逍遙が講演会で「近世劇に見えたる新らしき女」を講じたのが1910年(明治43年)だった。
 
 「東京朝日新聞」が「新しき女」の連載記事を載せたのが1911年5月から7月にかけてである。もっとも著者によると、東京朝日新聞の記事は高等女学校に通うような良家の娘たちがその洋風の教養と新鮮な表現力とによって包容力のある男を喜ばせるといった段階であり、やがてバッシングもされる「新しき女」はこの段階では「望ましいもの」であり、また高学歴者が多かった『青鞜』参加者たちもそうした時代の動向に、計算ずくではなく内的な衝動のおもむくままに乗ったのだ、という。(70~71ページ)

 この『青鞜の時代』は、しかし、『青鞜』の創刊号が出る少し前から始めている。
 1907年に生田長江や森田草平によって「閨秀文学会」(金葉会とも)が設立され、女流文学者を養成する目的で、平日の朝方に成美女学校内で講演会を行うというものだった。講演者にはすでに歌人として名高かった与謝野晶も含まれていた。平塚明はこの講演を聴く。彼女はこのとき成美女子英語学校に通っていた。生田長江の勧めで1908年初頭に回覧雑誌が出され、ここに明は初めての小説を書く。

 この作品に森田草平が批評を寄せたところから二人の付き合いが始まり、同年3月、二人は列車に乗って北に向かい、雪の山々の美しさに魅了されるが、翌日警官に保護されて、これがスキャンダラスな事件として報道されてしまう。平塚らいてう言うところの「塩原事件」、もしくはこれを森田が小説化したタイトルをとって「煤煙事件」は、情死未遂事件ともされて、漱石らの「大人」による事件処理(例えば時間をおいて森田と明が結婚するなど)も画策されたが、明はこれを受け入れず、また、禅の修行のせいもあってか、比較的平静にしていたという。

 これにより、平塚明の名は一気に世間に知られることになる。しかも単にこの一回限りの事件で終わったのではなく、やがて森田草平によって小説化までされてしまうのだから、当時としては大々的なスキャンダルだったのである。

 そうした中、生田長江は明に「女ばかりの文芸誌」の発行を勧める。文芸は当時にあってほとんど唯一の自己表現および表現者として世に知られるための手段だった。樋口一葉や与謝野晶がその先導者だった。そして雑誌『青鞜』には田村とし(俊子)、小金井喜美(鴎外の妹)、岡田八千代(田山花袋『布団』のモデル)、野上弥生などが加わることになる。

 『青鞜』という誌名は生田長江の案だったという。18世紀のロンドンでモンターギュ婦人のサロンに集まって芸術や文学を論じた女たちが、当時一般的だった黒い靴下ではなく青い靴下をはいたところから、従来の枠をはみ出す女への嘲笑的な名称として使われたという史実によっている。ただし後年らいてうはブルーストッキングの理解が不十分だったと述懐している。島村抱月が、ブルーストッキングは男女の対等な立場を主張するものではなかったと指摘したからである。

 当初は生田長江の指導もあって文芸誌という性格が強かった『青鞜』は、しかし途中から女性問題を真っ向から論じる雑誌へと変貌を遂げていく。

 1911年6月に最初の発起人会が開かれ、5人が集まった(もう1人は母病気のため欠席)。そして同年9月に創刊号が出る。巻頭を飾るったのは与謝野晶子(雑誌標記のママ)の「そぞろごと」で、「山の動く日来る」で始まる有名な詩である。このほか、らいてうの「元始女性は太陽であった」や、田村俊子の作品、E・A・ポーの作品やメレジェコフスキー評論が翻訳で紹介されている。表紙絵を描いたのは長沼智恵子で、詩人・高村光太郎の妻として知られる人である。

 創刊号の巻末には「青鞜社概則」を載せ、また発起人五名、賛助員七名には与謝野晶子、小金井喜美子、岡田八千代が含まれ、そして社員十八名には野上八重子〔この雑誌での標記のママ〕、田村とし子、尾島菊子などが含まれていた。

 ところで、イプセンの『人形の家』が坪内逍遙の率いる文芸協会によって日本で初演されたのは、『青鞜』創刊号が出たのと同じ1911年9月だった。ヒロインであるノラを演じた松井須磨子は一躍スターとなる。それまでの日本では歌舞伎の伝統もあり、舞台上の女は女形によって演じられるのが通例だったからだ。ノラは「新しい女」の代名詞となり、『青鞜』に関わる女たちもそう見られるようになる。それだけではなく、『青鞜』第三号では次号の「ノラ附録」を予告し、その参考文献を多数挙げて社員に準備をうながすほど高水準だったという。実際には予定より一号遅れて1912年1月にこの附録が実現する。

 「附録」とは今の言い方なら特集ということであるが、振り返ってみれば雑誌『青鞜』では婦人問題を多く扱った「附録」のほうがむしろ主体だったと言えるという。「ノラ附録」には多数の『人形の家』論が載るが(詳しくは本書を参照)、中で平塚らいてうだけはこの作品にもノラにも否定的だったというのが、ちょっと興味を惹く。彼女はすでに日本女子大学校在学中に桑木厳翼のノラ論を読んでおり、良妻賢母主義への批判とイプセンの作品とを重ね合わせる思考に馴染んでいたので、広義の良妻賢母主義を否定しない他の『青鞜』論客たちや、松井須磨子演じるノラ像に物足りなさを感じたらしい。良妻賢母主義は近代日本の女にとって思想上の分水嶺だった、と著者は述べている。

 もっとも、後年『婦人公論』誌の平塚らいてう特集(1925年)に青鞜社員だった山田わかが一文を寄せているのだが、そのタイトルが「良妻賢母の平塚さん」だったという(190ページ)。山田わかは、山崎朋子『あめゆきさんの歌』でその生涯が知られているが、農家に生まれて16歳で結婚するものの、実家の窮乏を救うためにアメリカに出稼ぎしようとしたところ、騙されて娼館に勤務することとなった女性である。貧しい生まれで娼婦の体験もしている人間からすれば、良妻賢母のイデオロギーは抑圧的には思えなかったのだろうと著者(堀場氏)は推測している。平塚らいてうの「育ちのよさ」が、庶民の女にはよく見えていたとも考えられる。

 女性同士の愛情への言及もある。吉屋信子の小説に見られるように、近代日本にあっては女は結婚するまで純潔を守るものという建前が強かったので、女同士の恋愛感情は逆に許容されていたのである。

 むろん男女の恋愛模様もある。青鞜社員の宮城ふさと作家・武者小路実篤との関係がそうで、青鞜の女と白樺の男ということで恰好のゴシップ種になった。二人は結婚するが、のちに別れ、ふさは武者小路実篤が開いた日向の「新しき村」で後年の夫とともに一生を終えたという。

 平塚らいてう以外の『青鞜』に集った女たちについても言及があるが、紅吉こと尾竹一枝と伊藤野枝が重要で、それぞれにらいてうとは違う性格であり、「ありがた迷惑」的な存在だったところが面白い。人間が集まれば必ずこういう問題は起こってくるものだろう。紅吉はらいてうに同性愛的な感情を抱いていたので、らいてうに年下の画家・奥村博という恋人ができると嫉妬に狂ったという。伊藤野枝は、裕福な家庭で育った教養豊かな平塚らいてうとは逆の、野生の少女で突っ走るタイプだったらしい。

 雑誌『青鞜』は途中複数回発禁の憂き目に遭いながらも、そして発行元を変えながらも(最盛期には社員が80名を越えたという)存続したが、1914年末に伊藤野枝に発行人を譲渡する話がまとまり(ただしそれ以前も名目上の発行人は中野初だった)、翌1915年1月号にその報告が載る。引き継がれてからの『青鞜』でも「堕胎論争」(230ページ:それでまた発禁となる)や「売春論争」が繰り広げられるなど、それなりの成果はあったが、1916年2月号をもって事実上の終焉を迎えた。この間、らいてうは1915年12月に奥村博との間に女児をもうけている。長らく入籍はしないままだったが、昭和戦中期に息子に安全な職場を確保する目的からやむを得ず入籍したという(255ページ)。

 ちょうど『青鞜』の発行が終わる直前、雑誌『婦人公論』が出始める。その後長らく日本の女性問題を扱う代表的な雑誌となるのだが、著者はこれをバトンタッチと評している。

 平塚らいてうは本来的にはアナーキスト的な素質だったと著者は見ている。軍靴の音が強まる時代には大本教に接近し、第二次世界大戦後は共産党系の団体と行動を共にした。それはらいてうの思想を支えてくれる団体が存在しなかった日本にあってやむをえない選択だったと考えられるという。1886年に生まれ1971年に亡くなった平塚らいてうは、明治半ばに生まれた女性としては長生きだった。しかし彼女は例外だったのである。著者は本書の途中で、『青鞜』にかかわった女たちは大部分が短命だったと注意を喚起している。

 巻末には『青鞜』に参加した女性の名簿も載っている。多数の女性が登場するので、個々の女性については記述が簡略であるのはやむを得ない。良妻賢母問題など、この雑誌で取り上げられたテーマについても掘り下げが十分とは言えないが、260ページの新書という制約があるので仕方があるまい。本書を手がかりに、読者がそれぞれ個々の人物やテーマについて調べていくのがいいだろう。そのための文献一覧が挙げられていればよかったと思う。

 新潟大学図書館から借りて読みました。

640[1]
今年映画館で見た21本目の映画
鑑賞日 2月27日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★☆

 韓国映画、ミン・ヨングン監督作品、124分。

 2016年に作られた中国・香港映画『ソウルメイト 七月と安生』(デレク・ツァン監督作品、日本公開は2021年)のリメイクだそうだが、そちらは私は未見。

 韓国の済州島で両親と暮らす小学生の少女ハウン(成長してからはチョン・ソニ:画像左)は、転校してきた母子家庭の少女ミソ(同じくキム・ダミ:画像右)と仲良くなるが、ミソの母はやがて失踪し、ミソはハウンの家で暮らすようになる。高校生になったハウンにはジヌ(ピョン・ウソク)というボーイフレンドができるが、彼をめぐってミソとの間に微妙な三角関係が成立する。高校卒業後、ミソは首都ソウルに移り、ハウンは教員養成大学をへて地元の教師となるものの、ジヌとの結婚式の当日、ハウンは花嫁姿のまま会場から姿を消してしまう・・・

 女同士の友情の物語として見応えがある。ふたりの関係は一筋縄ではいかず、男ひとりを挟んだ愛憎模様も展開される。その辺のリアルさはなかなか。ただしメインになるのはふたりの女性なので、ジヌ(演じているピョン・ウソクは長身でイケメン)がやや優等生的すぎるのが難点か。ハウンを演じているチョン・ソニが美人。

 新潟市では東京と同じく2月23日の封切で、ユナイテッドにて単独公開中、県内でも上映はここだけ。
 私が足を運んだ第一週火曜日午後の回(1日3回上映の2回目)は7人の入りだった。

640[1]
今年映画館で見た20本目の映画
鑑賞日 2月26日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★☆

 フランス映画、ジュスティーヌ・トリエ監督・脚本作品(脚本はアルチュール・アラリも)、152分、原題は"Anatomie d'une chute"。カンヌ国際映画祭パルムドゥール受賞作。

 フランスの山岳地帯に建てられた別荘風の建物。そこに夫婦と、盲目の息子が住んでいた。或る日、夫はその3階もしくは2階から転落して死亡する。それが妻による犯罪だと推測した検察により裁判となる。果たして真相はいかに・・・。

 という映画なんだけど、予告編で分かった粗筋と、女性監督の作品だということで、フェミニズム映画じゃないかと予想したら、そのとおりだったので、ちょっとしらけました。

 とはいえ、夫婦の関係はそれなりにしっかり造型されているし、裁判の模様にも見応えはあるから、悪くない出来だとは思うけど、予告編を見た私の予想が当たってしまう映画を作るってのは、どうなんですかね。私の予想が完全に外れてしまうような映画であって欲しかったんですが。

 つまり、カンヌ国際映画祭の審査委員の目もたいしたことがなかった、ってことじゃないですか。或いは、映画関係者は、日本と海外とを問わず、知性が高くないってことかも知れないね。

 新潟市では全国と同じく2月23日の封切で、ユナイテッドにて単独公開中、県内では他にTジョイ長岡でも上映されている。
 私が足を運んだ第一週月曜午後の回(1日3回上映の2回目)は、15~20人くらいの入りだった。

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2月24日(土)午後3時開演
りゅーとぴあ・コンサートホール
3階Gブロック2列9番 Aランク5000円

 この日は標記の演奏会に足を運びました。
 オーケストラ・コンサートを聴くのも久しぶり。前回は昨年12月3日の東響新潟定期以来だから、2ヵ月と3週間ぶりです。

 最近の東響新潟定期よりはっきりと客が入っていました。1階・2階ともほぼ満席。3階は、今回Sランクとなった(東響新潟定期ならAランクなんですけど)H・Jブロックはほんの数名、その隣りのG・Kブロック(東響新潟定期ならBランクだけど今回はAランク)も半分以下ですが、一番安価なF・Lブロックはよく入っていました。正面のIブロックは半分くらいか。
 やはりN響のネームヴァリューは大きいのかも知れません。
 休憩時間のトイレも混んでおり、20分では足りない感じでした。

 客の入りは別にしても、チケットもぎりの直前で押し売りの如くにチラシを配布しているオジサンがいたり、私の直前に並んでいたオバサンがチケットをもぎってもらったあと、台の上に置かれたプログラムを取ることなくさっさと奥に行ってしまったり、私が3階に上がろうとしたら階段前に立っていた女性係員から「3階にはトイレがございませんので」とわざわざ説明を受けたり――ふつうのクラシック演奏会ではこういう目にあったことがないので、N響に来る客はりゅーとぴあを知らない場合が多いという前提なんでしょうか――とにかく東響定期と色々と異なるコンサートでした。

 この公演は、2日前に松本市で行われたのと同じプログラムです。

 指揮=沼尻竜典、チェロ独奏=カミーユ・トマ、コンマス=郷古廉
 ドヴォルザーク:スラヴ舞曲第1番
 ドヴォルザーク:チェロ協奏曲ロ短調
 (休憩)
 シューマン:交響曲第一番変ロ長調「春」
 (アンコール)
 ドヴォルザーク:スラヴ舞曲第2番

 弦楽器の編成は、第一ヴァイオリン14、第二ヴァイオリン12,チェロ8,ヴィオラ10、コントラバス7。ただし協奏曲のときは各2名ずつ減。

 最初のスラヴ舞曲はちょっと爆演気味かなという印象でした。弦が、東響と比べると力はあるのですが、やや粗めかなと。

 次の協奏曲。独奏者のカミーユ・トマは1988年生まれのパリジェンヌだそうで、舞台に現れた姿を見るとすらりと背が高く、色々模様が入っているものの全体としては青の色調のドレスを着ていて、外見的にもチャーミングであり、その彼女がエクスタシー(?)の表情を浮かべながらチェロを弾くのはなかなか見ものでした。

  音は、密度は濃いのですが、独奏者としてはもうちょっと音量が欲しい気がしました。音が小さいと言うほどではないけれど、朗々と響き渡るというほどでもない。チェロだけのときはいいけど、オケと一緒のときは音が隠れがちでした。

 後半のシューマンはN響の実力を発揮した名演だったと思います。弦は、東響のような整った美しさよりは力強さを第一としているようでした。また、協奏曲でもそうでしたが、フルートの神田寛明が味のある音を聴かせてくれました。派手な音では全然なく、どちらかというと地味なのですが、フルートは木管だから本来的にはこういう音だったんじゃないか、と思われるような音でした。実際に神田氏の楽器が木で出来ているかどうかは分かりませんが。

 アンコールも演奏されて、まずまず満足できる演奏会でした。

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評価 ★★★★

 著者は1957年生まれ、京大法卒、同大学院博士課程修了、京大助手、文科省教科書調査官をへて福井県立大教授となり、現在は同大学名誉教授、国際政治学専攻。

 現代日本がおかれた危うい立場をいくつかの国際的な視点から論じた本である。

 第1章は「同盟・外交・憲法」である。日米同盟の片務制(米国は日本を守る義務を負うがその逆はない)が取り上げられ、かつての米国は第二次世界大戦後に日本の軍事力を骨抜きにしようとして憲法9条を押しつけたが、中国の台頭やロシアの軍事力増強が続く中で総体的に米国の力は落ちており、いつまでも片務的な同盟を米国が維持しようとするかは疑問だという議論が、米国政治家の発言などを引用しながら展開されている。

 また、そもそも米国が「同盟国」である日本を本当に尊重しているのかという問題も取り上げられている。例えばニクソン大統領時代に米国が中華人民共和国と国交を回復したとき、日本には何の予告もなかった。本書では、かつてソ連を牽制するために米国が中国と長年手を組んできた事実を指摘し、いざとなれば米国が日本に敵対する勢力と手を結ぶであろうと述べ、「お人好し」に米国を信じ切っている日本人を批判している。

 ここでちょっと面白いのは、1990年にイラク軍がクウェートに軍事侵攻して、その後に米軍を中心とする多国籍軍が反撃を開始したとき、当時の社会党委員長だった土井たか子がイラクに飛んで支配者サダム・フセインと会見して「憲法9条の理念」を説いたという事実を紹介している箇所である。フセインの答は、「まさにそのとおりだ。その話を米国のブッシュ大統領にしてやってくれ。クウェートはイラクの19番目の州であり内政問題だから、外国の干渉は受けない」だった。
 土井たか子は憲法学者でもあったわけだが、あれから30年以上たつ現在でも日本の憲法学者って、このくらいのレベルなんじゃないかな。それで学者として通用する日本の学界が私には恐ろしい。もっとも土井たか子は外国首脳に会って憲法9条の理念を説いたわけだから、それなりに筋を通していたとも言える。今の日本の憲法学者には、その程度の根性もないんじゃないか?

 また、「専守防衛」という思想は、むしろ攻撃してきた外国にとって好都合であり、いったん日本の国土内に入ればやりたい放題になるしかない。つまり、民間人の犠牲者が多くなるのだ。日本人には「外国が攻めてきたら逃げる、すぐ降伏する」という輩が結構いるけれど、逃げるったって人口の多い日本人を難民として受け入れる国があるかどうか分からないし(仮にあっても言語や仕事などでの多大な苦労は目に見えている)、降伏したってまともな扱いを受ける保証はどこにもないのである。少なくとも若い女は強姦されるだろう。私は以前にも書いたことがあるけど、「外国が攻めてきたら降伏する」と主張する人間は、「その場合若い女性は強姦されるだろうけど、覚悟して下さいね」と付け加えるべきなのである。

 また、本書では仮に日本が外国に占領されることになれば、米国は敵になるだろうと洞察する。なぜならその外国が日本を基地として米国に攻撃をしかける可能性があるわけだから、米国としては日本の(自衛隊の)軍事施設を破壊して自国への攻撃を防がなければならないからだ。
 これは空理空論ではなく、実際に第二次世界大戦の時に英国軍がフランスに対して行ったことなのである。周知のように、第二次世界大戦ヨーロッパ戦線が始まるとフランスはナチ・ドイツに敗北し、ドイツに従順なヴィシー政権が誕生した。すると英国軍はそれまで同盟国だったフランスの軍艦を攻撃して破壊し始めた。なぜならナチ・ドイツがフランスの軍艦を使って英国を攻撃したら厄介なことになるからだ。戦争とは、そういう冷徹なものなのである。

 第2章では日本の核武装が検討されている。「唯一の被爆国」という名目で核武装に反対する声が国内には強いが、著者は被爆国だからこそ核武装して外国からの攻撃を防がなければならないと述べる。また、護憲論者がよく使う「日本が核武装すれば外国から脅威と見られる」という論法にも、中国や北朝鮮(すでに核武装している)など日本に悪意を持つ一部の国家を別にすれば、その心配はないとしている。

 第3章は「米中対立」で、米国民主党のバイデン政権が中国に弱腰の政策をとっているとして批判している。

 また麻生元総理(失言が多い人だけど)が、米国が地球温暖化対策パリ協定から離脱したときに「米国は国際連盟を作りながら加盟しなかった。その程度の国だ」と発言したことを俎上に載せ、米国が国際連盟に加わらなかった事情について詳細な分析を行っている。それによると、連盟規約第10条は、加盟国が自国と無関係な国際紛争に巻き込まれる可能性をもつ規定であり、米国議会はこれを嫌い、この部分は留保して加盟すべきという意見が多かったという。ちなみに国際機構に一部の留保付きで加盟すること自体はよくある。しかし米国のウィルソン大統領は留保付き加盟を拒否し、そのために議会の同意を得られず、加盟がなされなかったのだという。著者によると、したがって加盟しなかったのは頑迷な大統領のせいだということになる。

 第4章は「国連」である。
 国連の機能不全はつとに言われているけど、この章は国連人権理事会の選んだ特別報告者(ベラルーシ国立大教授の女性)が中国やその他の独裁国家から多大の金銭を受け取っていたことを、国連監視団体UNウォッチが告発したという話題から始まる。この女性教授は、ロシアのウクライナ侵攻を支持するベラルーシの独裁者であるルカシェンコ大統領の御用学者なのである。彼女は国連の看板を掲げながら、自由主義諸国が独裁国家に対して課している制裁は批判し、逆に独裁者の抑圧には沈黙を続けた。中国の新疆ウイグル自治区への抑圧についても、中国側のプロパガンダどおりの「自治区の発展に資する職業訓練」だとの見解を示した。

 要するに国連の人権理事会とはその程度のシロモノなのである。著者は、2018年6月に米国トランプ政権が人権理事会からの脱退と拠出金不払いを決めたことについて、朝日新聞が批判的な社説を掲げたけれど、要するに朝日新聞は人権理事会の正体がまったく分かっておらず、この委員会がロシアや中国やその他の独裁国家の道具に成り果てている実態について無知すぎると喝破している。

 現在の国連事務総長であるグテレスについても、以前は10年間UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の責任者でありながら、北朝鮮から中国に逃れた人々を中国が強制送還し、そのために悲惨な事態が起こっているという事実を長年無視し続けたという無能ぶりが暴露されている。以前国連事務総長を務めていた韓国人・潘基文についても、中国への媚びへつらいぶりが明らかにされている。中国は事務総長の再選に拒否権を持つからである。その程度の人物たちがトップにすわっているのが国連なのだ。

 米国は以前ネスコから脱退していたことがあるが、ユネスコの予算の87%は人件費に消えているという指摘もある。スタッフは半数以上がパリに居を構え、高給・贅沢な諸手当・年間30日間の休暇を享受している。

 こういう国連を盲目的に信じ込む日本人のお人好しぶりを著者は批判しているわけである。私も、国連の実態についてはちゃんとしたリサーチをして、欠陥だらけの組織なのだという認識を日本人の多くが持つようにと願うものである。
 そもそも日本に関しても、国連が選んだ人間が「朝鮮人慰安婦性奴隷説」を盲信して発言したり、「日本の少女は少なからぬ割合で援助交際をしている」とトンデモ発言をしたり、要するにまともな知的能力もない人物を代表者にしてしまう怪しげな組織なのだという証拠があるわけだから、こういう言説の被害者である日本人が国連を信じ切っているのは、訳が分からないと言うしかないのである。

 第5章は朝鮮半島である。

 ここでは、中国人慰安婦問題に関して中国が政治の道具として用いようとしている動きに注意が必要だと述べられている。朝鮮人の慰安婦を性奴隷とするトンデモ説が流通したことをふまえて、使えると見ているわけだ。その中心になっている人物が上海師範大学教授の蘇智良だという指摘もある。彼の『中国人慰安婦』という書物がオックスフォード大学出版会から英語で出されていて、それなりの影響力を持っているという(Peipei Qiu, Su Zhiliang, Chen Lifei: Chinese Comfort Women. 2014)。もっとも中国自体はながらく中国人慰安婦を祖国を裏切った人間として迫害してきた。強制労働を課されたり、自殺した者もいるという。

   第6章は「差別とLGBT」である。
 この問題については当ブログは先に『LGBTの語られざるリアル』を紹介したけれど、対談本のせいでまとまりに欠けていた。本書の記述はまとまっていて分かりやすい。なお以前に紹介した松浦大悟『LGBTの不都合な真実』は優れた書物だから、興味のある方は併せて読んでおきたい。
      
 日本では先頃、米国の女性ジャーナリストであるアビゲイル・シュライアーが書いた『不可逆的なダメージ』という、主として少女が「自分は男だ」と言い始めるケースをリサーチした本が、邦訳出版されかかったのに、圧力で中止となった。明らかな言論弾圧なのに、毎日新聞など左派のジャーナリズムが沈黙を守っていることは、当ブログでも指摘した。
       
 要するに、米国では性別に違和感を覚えると少女が訴えると、専門家が「肯定的ケア」をしなければならないとされているのだ。つまり、そう訴えた少女は一時的な気の迷いなどではなく、絶対に「女子の肉体に囚われた男子」と見なければならず、薬物投与や性転換手術をしなければならない、とするのが「肯定的ケア」である。
 米国では約20のリベラルな州がこのケアを制度化しており、これを批判すると差別主義者のレッテルを貼られてしまう。

 こうしたケアに批判的な医学者(カナダ人)もいる。ところが、この医学者はLGBT活動家からの攻撃で、勤務していたトロント精神健康センターから解雇された。LGBTはこのように政治がらみの問題となっている。

 実際には性別違和感を訴えるのは十代前半の少女に多く、しかもこの十年ほどのあいだに目立つようになった現象である。幼少期から自分の性に違和感を覚える例は過去から少数あったけれど、こうした十代前半の少女たちの大半はそうではない。明らかにマスコミやLGBT活動家による影響がうかがえるのである。

 さらに、こうした活動家の動きを支援しているのがディズニーである。最近のディズニー映画は「政治的正しさ」ばっかりが前面に出ていて面白くないので私は遠ざかっているが、民間企業がそうした動きを支援することを批判したフロリダ州知事のデサンティス(共和党)に対して、ディズニーのCEOであるボブ・チャペックは、活動家による圧力が異常に強かったと弁明したという。
 デサンティスはこれに対して、差別や人権侵害を見逃さないのがディズニーの企業文化だとCEOは言うけれど、中国へ映画を輸出するために中国の人権侵害については目をつぶっているではないかと指摘したという。
 ちなみに本書では別の箇所で、日本のソニー・ピクチャーズがマルコ・ルビオ上院議員から賞讃されたことを伝えている。最近のハリウッド映画は、本国での売り上げより中国での売り上げが大きくなっているのだが、そのため中国当局が不快に思うようなシナリオを避ける傾向があるという。ソニーはこれに対して、スパイダーマンの最新作で自由の女神のシーンが愛米すぎるからカットしろとの中国側の要求を退けたため、この映画は中国内では上映できなくなったという。(159ページ)

 LGBTに話を戻すと、駐日米国大使のエマニュエルが、内政干渉的なLGBT宣伝をしている姿勢が本書では批判されている。大使に迎合的な姿勢を示す日本の政治家たちもである。なおエマニュエルが米国のシカゴ市長だった時代に、黒人少年を警官が不当に射殺した事件で警官をかばう行動を市長がとったため民主党の政治家からも批判を受けているという事実が紹介されている。

 LGBTに関する法案としては、米国でも連邦最高裁でLGBTを理由とした解雇や採用拒否は公民権法違反だとの判決が出ているが(2020年)、あくまで雇用に限ってのことであり、米国民主党のもくろむ包括的な差別禁止法は実現していない。
 しかし、トランスジェンダーの「女子」選手が競技会で生来の女子選手に勝利する例が出てきており、これに女子選手が抗議すると、「差別的」だからという理由で企業への就職もできなくなるという事例が紹介されている。
 女子着替室から出ていってとトランスジェンダーの「女子」に要求した女子高校生が停学処分となり、それに抗議した父親もサッカーコーチの職を解かれたという。
 リベラルな州では、幼稚園から小中高まで「性、性自認、性的指向」に関するカリキュラムが組まれ実践的指導もなされている。

 米国では以前、精神分析を受けた女性が分析医から「あなたは幼少期に父親から性的虐待を受けたから、だから現在色々な不調に見舞われるのだ」と言われて、女性も「そう言えばそういう過去があった」と「記憶をとりもどし」て、そのために父親が妻から離婚されたり職場をクビになったりする事態が続発した。当初は精神分析医の分析が正しいとされたが、やがて逆に、分析医の分析そのものが怪しく、患者が「思い出した」過去の記憶はむしろ分析医に誘導されてそう思い込んだに過ぎないことが明らかになった。この問題については『抑圧された記憶の神話 偽りの性的虐待の記憶をめぐって』という本が邦訳されているのでそちらをごらんいただきたいが、性についての奇妙な言説や精神分析を米国人が盲信する態度、そしてそれを政治化してしまう態度には十分な注意が必要である。そしてそれを真似る日本人の言論弾圧に何も言わない日本の左派マスコミにも、である。

 以上、色々と教えられるところがある本であるが、特に第4章と第6章は必読であろう。
 新潟市立図書館から借りて読みました。

 昨年3月に引き続き、新潟アニメーション映画祭の第2回が、今年の3月15日から20日までの日程で開催されます。(昨年のこの映画祭についてはこちらを参照。)
 
 チケットの料金や販売法など未定のところもありますが、長篇コンペティション部門には12作品の応募があり、これ以外にもレトロスペクティブとして「高畑勲特集」が組まれて14作品が上映されるほか、「世界の潮流」として近年の動向を反映した作品が取り上げられ、またオールナイト上映では時代劇アニメをまとめて鑑賞できるなど、さまざまな趣向が盛り込まれています。

 またトークなど、上映以外の催し物も行われます。

 会場としては、新潟市民プラザ、シネ・ウインド、日報ホール、だいしほくえつホールが使用されます。

 詳しくは映画祭のサイトから(↓)。
     https://niigata-iaff.net/

 女優の山本陽子さんが亡くなられた。1942年3月のお生まれなので、学年で言うと私より11歳年長ということになる。

 超有名人であるから、ちょっと調べれば分かることを書き連ねる必要もあるまい。以下では私的な印象や映画の思い出について若干書き記すにとどめたい。

 山本さんの女優としての出発は、昭和も戦後あまりたたない時期に活躍した女優たちと比べると遅めだったと思う。

 例えば浅丘ルリ子は1940年7月の生まれであるが、まだ中2だった1954年の秋にオーディションに挑戦して映画の主演に選ばれている(公開は翌年5月)。

 吉永小百合は1945年3月の生まれだが、1957年、小学校6年生でラジオドラマでデビューし(当時はまだテレビが普及しておらず一般家庭ではラジオが主流だった)、1959年3月、中2のときに映画デビューしている。

 大原麗子は1946年11月生まれだが、1962年に端役で映画でビューし、1964年にテレビドラマに出演、1965年3月公開の映画で本格デビューした。18歳だった。

 これに比べると山本さんは、吉永小百合よりちょうど3歳年長であるけれど、端役で映画に初出演したのが1963年末で21歳になっており、本格出演の初映画は1964年4月公開だから、22歳だった。これはむろん、高卒後に大手証券会社に勤務していたのが、知人が映画会社に無断で応募してしまって芸能界へ……という事情のなせるわざであるが、そのためもあって、山本さんはデビュー当初から、いわば出来上がった美人という印象が強かったのではないか。

 とはいえ、山本さんが映画に盛んに出演していた1960年代には私はあまり映画館には行っておらず、テレビ出演が多くなった1970年代には逆にテレビをほとんど見なくなっていたのであるが、それでも有名女優だから新聞広告などでもお姿を拝見する機会は多く、私なりに山本さんのイメージは持っていた。

 たまたま何年か前に東京の名画座で、『花と怒涛』を見る機会があった。これは1963年の公開で、山本さんが端役デビューして四作目の映画なのだが、それを知らなかった私は最初に出演者の名が出てくるところを見ていて、五、六人まとめて提示される端役俳優の中に山本陽子の名を発見し、「あれ?」と思ったのである。これはあの山本陽子なのだろうか、でも山本さんなら少なくとも主役に近い役柄で出るはずだから明らかに端役である俳優の中に入っているのはおかしいのではないか、もしかしたら同姓同名の女優が昔いたのかも知れない……などと考えたりした。

 しかし、途中でそれがあの山本陽子さんだということが分かった。芸者衆の一人として登場するのだが、セリフもない、文字どおりの端役なのだった。しかし、端役ではあるが、彼女が映し出される時間が不思議に長いのである。撮影側は、明らかに山本さんの美貌をそれと認識しており、だから必要以上に長めの時間をかけて彼女を映し出したのではないかと思われた。実際、私に言わせればこの映画では主演女優よりも山本さんのほうが美しかったのである。

 先の話につなげるなら、ここでの山本さんは芸者姿が板についていた。吉永小百合や大原麗子の場合、初期の映画では少女っぽさが感じられ、デビューして数年たつと大人の女性になっていく様子がうかがえるのだが、山本さんの場合は若く美しい盛りの芸者というイメージで決まっていた。

 とはいえ、山本さんは和服が似合うというのが世評だけれど、洋服だって似合うのである。山本さんが証券会社勤務だったということに引きつけて言えば、昔の証券会社や銀行の女子社員には制服があったけど、制服姿でもその魅力は発揮されたと思う。だから、仮に山本さんがその辺の銀行勤務だったら、「あそこの銀行の窓口にきれいな女(ひと)がいる」というので評判になったに違いない。

 テレビによく出るようになった頃の山本さんは、「サラリーマンの恋人」と言われていた。日本の高度経済成長を支えたサラリーマンが恋人か妻にしたいと思うような美人、という意味である。実際、もしも山本さんが芸能界に入らなかったら、そのまま大手証券会社に勤務して然るべき男性社員と結婚していただろう。そもそも、山本さんが高卒後に証券会社に入ったのも安定した職の男性と結婚したいという理由からだったようだ。あの時代の女子社員は結婚すれば寿退社で専業主婦である。そうなってもおかしくない、いい意味でサラリーマン社会にマッチした雰囲気も山本さんにはあった。

 やはり制作後だいぶたってから見た映画に『大巨獣ガッパ』(1967年)がある。ここで山本さんはカメラマン、正確にはカメラウーマンとして登場する。おへそをさらすシーンがあったりしてお色気も見せているけれど、最後には平凡な主婦になりたいと言って去って行くのである。この映画の公開時点で山本さんは25歳。当時の女性は24~25歳までに結婚するのが通例だった。そんな時代の常識と、男性観客の「こういう美人を妻にしたい」という願望をふまえた筋書きと言えるだろう。

 謹んで山本陽子さんのご冥福をお祈り申し上げる。

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評価 ★★★★☆

 著者は1962年米国テキサス生まれ、テキサス大卒、イェール大修士課程修了、テキサス大ロースクール修了、法務博士(J.D.)、テキサス大教授。

 マルクス主義など、かつての社会主義思想では、社会を資本家・経営者と労働者との階級闘争という構図で理解していた。本書は、20世紀後半以降いわゆる新自由主義経済の浸透によりグローバル化が進行する中で、現代社会は「高学歴のエリート」対「プア・ホワイトなどの新しい下層階級」の対立図式で捉えるべきだと主張した本である。
 原題はThe New Class War. Saving Democracy from the Metropolitan Elite. 2020

 ただし考察対象はアメリカ合衆国と西欧に限定すると最初に断っている。

 その際に重要なのは、下層(とされる)階級は二分されているという洞察である。移民、人種的マイノリティ、LGBTなどの性的マイノリティ、或いは女性一般――こうした「下層」は高学歴エリートからは「彼らを差別から守れ」というような言論上の援護射撃を受けており、そのことによって逆に、第二次産業など主として肉体を使う労働に従事してきた白人男性労働者などと区別される。
 高学歴エリートは多くが都会の一定の地域に住んでいる。著者はこれをハブと呼ぶ。対してプアホワイトなどが住むのは、田舎か、都会の低所得者層が住む地域である。著者はこれをハートランドと呼んでいる。ハートランドには、工場、農場、鉱山、油田などがある。ハブは知的産業の集積地であり、ハートランドの生産物を用いることで活動する。

 高学歴のエリートたちは、本来は民主主義の基盤であるはずの議会を介することなく、選挙によって選ばれたのではない官僚機構や裁判所、或いは大企業の管理部といった場所を通して物事を決定し、或いは彼らが牛耳っているマスコミを通して自分たちの価値観を喧伝し、広めていく。(日本のマスコミが労働者の貧困よりLGBTなんかの記事を多く載せるのも、そうした欧米の偏向報道の猿真似をしているからなのだ――当ブログ制作者によるコメント。)

 こうした高学歴のエリート支配(上述のように一部のマイノリティを取り込んでいる)は、グローバル化によって工場などの仕事場を失ったプア・ホワイトからすれば怨嗟の対象であり、トランプが大統領に当選したり、英国が国民投票の結果EUから脱退したり(ブレグジット)、フランスやイタリアで「極右」とされる政治家が選挙で少なからぬ票を獲得したり、といった「ポピュリズム」の登場につながっている。

 高学歴のエリートは、ポピュリズムを、世界情勢や物事を理解しない愚かな下層階級の運動と見ているが、実際のところポピュリズムとは高給と安定したポストに居座っているエリートに対する階級闘争なのであり、産業革命以降の世界で労働者が資本家・経営者に対して自分たちの権利を主張したのと同じことなのだ、と著者は喝破する。

 つまり、かつての高学歴左翼であれば、自分たちと立場を異にする労働者の境遇に理解を示して彼らを支援したはずなのに、現在の左翼エリートは人種的・性的マイノリティなどには過剰な配慮をするくせに、数の上では多数を占めている(そしてグローバル化によって職を失ったり賃金低下に苦しんでいる)労働者たちには目を向けようとしない。一言でいえば、左翼エリートは堕落しているのだ。

 実際は、現代のエリートが不法移民などに「理解」を示すのは、ベビーシッターや家政婦などエリートが家庭で使用人として雇用する人材を安価に使えるからだ。つまり、エリートの利益になるからだ、と著者は指摘する。
 企業経営者、或いは株主にとっても、不法移民は工場などで安い賃金で働いてくれるので、大歓迎なのである。これに対して白人労働者からすれば、そうした移民は競合する人材であり、失業や給与低下をもたらす「悪の根源」でしかない。したがって「移民を入れるな」という声が高まるのも当然であり、これを単なる排外主義とする見方はハズレなのである。

 国内だけのことではない。グローバル化によって先進国の工場は途上国に移転し、そこで先進国よりはるかに安い給料で働く現地労働者によって生産を行っている。これまた、経営者や一部の企業幹部や株主にのみ利益が行き渡る方策なのである。これに対して、工場の海外移転により製品が安価になるから先進国の消費者全般にとっても利益になるという主張がなされるが、著者は数値を挙げて、製品の価格低下によって得られる平均的な人間の利益は実際はわずかなものであることを示している。むしろ給料の低下や失業といったマイナス面のほうが大きいのだ。
 新自由主義経済によるグローバル化は、したがって一般人には利益より害を多くもたらすものでしかない。グローバル化の利益は高学歴エリートが吸い上げているのである。

 とはいえ、トランプはポピュリズムによって大統領に当選しても、実際には主張していたような米国第一の政策を現実化することはほとんどできなかった。西欧のポピュリズム政治家にしても同じだろうと著者は述べる。現代社会の高度な官僚機構や(「学問」をもとりこんだ)知識体系は高学歴エリートによって押さえられているから、たとえポピュリズム政治家が当選しても、選挙で掲げた政策は頓挫するしかないのである。

 では、どうすればいいのか? 著者は、労組や教会など、かつて多く存在していた中間団体の復活を提唱する。労組と教会を並べるのは日本人からすれば乱暴と思われるかも知れないが、世の中は様々な利害や関心を持った人々で成立しているのであり、労働条件や給料といった関心から生まれる労組も、信仰心により集まる教会も、そうした社会の多様性を反映するという点では同じなのである。一見すると性格がまるで異なる中間団体がそれぞれ意見を主張し、政府や地方公共団体がそうした多様な団体の見解を取り入れつつ調整していくなかで、現在のような高学歴エリート支配の「民主主義」の欠陥は是正されるであろう。これを著者は「民主的多元主義」と呼んでいる。

 グローバル化によって世界を一つにしてはならない。世界の多様性を、民主的多元主義によって守ることこそが、真の民主主義なのである。

 本書の大筋は以上のとおりだが、そのほか色々と参考になる指摘がなされている。

 例えばアンティファ。米国の報道機関は最初はアンティファなど実在せず、トランプ大統領がファシスト的弾圧を正当化しようとしてでっち上げたものだとか、白人至上主義者の隠密行動だとしていたが、やがてその実在を認めざるを得なくなった。アンティファの破壊活動の犠牲者は大都市で零細な店を営むマイノリティであり、逆に襲撃者のほうは裕福な家庭の白人過激派だったのである。(18ページ)

 また、大企業や資産家は、社会的貢献をしていると見せるためにBLM(ブラック・ライブズ・マター)運動に多大な献金をしたが、実際には「ウォーク(意識高い)」系の運動とは上流階級の特権的な子弟の起こした反乱であり、恵まれない立場にある者たちの活動に大企業や資産家が献金をしたためしはない。(19ページ)

 アファーマティブ・アクションについて、著者は、WASPのエリートたちはつい最近までアイヴィー・リーグでユダヤ人やカトリック教徒の入学を制限する割当制〔クオータ制=アファーマティヴ・アクション〕を課していたくせに、今では〔黒人や女性の入学に割当制を導入することで〕高潔で開明的な公民権の擁護者を装っている、と述べて、WASPの時代迎合的な姿勢を批判している。(139ページ)

 第6章で「権威主義的パーソナリティ」というアドルノの提唱した概念を批判している箇所も見落とせない。
 マルクス主義者でユダヤ人でもあったアドルノはナチ時代にドイツから米国に亡命したが、彼を初めとするフランクフルト学派はナチズムを説明しようとして、下層労働者階級がヒトラーを支持したからだとした。(こういう説明は、日本なら丸山真男の日本ファシズム論にも通じている。)
 しかし著者はフォルカー・ウルリヒの研究を援用しつつ、むしろヒトラーを支持したのは大卒の高学歴者や〔近代的な「個人の努力」を旨とする〕プロテスタントであって、学歴のない労働者階級や〔プロテスタントに比べると伝統主義的な生き方をしている〕カトリックではなかったと指摘する。
 アドルノはフロイトから影響を受けている。つまり心理学主義であるが、アドルノを初めとする左派は、ファシズムを支持するのは〔自分たちとは逆の〕保守的な価値観を持つ人間であり、それは心理テストや言説分析から解明できることだとした。
 
 こうしたフランクフルト学派の怪しげな分析は、アメリカの学者にも多大な影響を与えた。『アメリカの反知性主義』(邦訳あり)で有名なホフスタッターもその一人だが、ホフスタッターは、19世紀末に農村地帯で起こったポピュリズム運動こそが米国における反ユダヤ主義とファシズムの始まりだったと述べた。だが、マイケル・ポール・ローギンは1967年に出した著書(未邦訳)の中で、第二次大戦後に起こったマッカーシズムの支持者は、農村のポピュリストなどではなく、大都市郊外に住むアッパーミドル・クラスの共和党員だったことを明らかにしたのである。
 著者は、ホフスタッターは学者としての能力に問題があったが、大都市住民に好まれる構図の本を書いたことでピューリッツァー賞を二度受賞した、と皮肉まじりに述べている。この箇所を読んだ私(当ブログ制作者)は、映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』(2019年)のことを思い出した(こちらを参照)。1933年、スターリニズムによって食糧を収奪されたためにウクライナで大飢饉が起こっていることを英国人の若い記者が報道したが、この報道を否定したのがピューリッツァー賞を受賞しているNYタイムスのヴェテラン記者だったのである。
              
 このほか、第6章では米国精神医学界の政治性やアテにならない実態などが明らかにされており、必読である。

  WTOのような「国際機関」が新自由主義のイデオロギーによって政府や各国議会の主権を奪おうとしている現実への警鐘にも、耳をかたむけるべきであろう。(224ページ)

 最初に中野剛志の解説が入っているほか、最後では監訳者である施光恒・九大教授が本書の内容を要領よくまとめてくれているので、多忙な方はそこを読んで済ませるのもいいだろう。なお、本書の価値に気づき邦訳を提唱したのも施氏だという。敬意を表したい。
 
 新潟市立図書館から借りて読みました。新潟大学には例によって入っていないんだけど、入れておいたほうがいいんじゃないか。ちなみに新潟県立大は所蔵している。

640[1]
今年映画館で見た19本目の映画
鑑賞日 2月21日
シネ・ウインド
評価 ★★★

 村山由佳原作、矢島弘一脚本、柳川強演出、127分。TVドラマ版(私は未見)の映画ヴァージョン。

 明治後期、福岡の片田舎に生まれた少女・伊藤野枝(吉高由里子)の半生を描いている。
 彼女は、雑誌『青鞜』に蒙を啓かれて自由や女の自立した生き方に目ざめ、決められた結婚相手のところから逃げ出して上京し、女学校の師であった辻潤(稲垣吾郎)と結ばれ、さらに『青鞜』を出していた平塚らいてう(松下奈緒)と出会ってみずからも記事を書くようになる。やがて『青鞜』の発行そのものを引き受けるが、しかし雑誌は売れ行きがふるわず、つぶれてしまう。アナーキストの大杉栄(永山瑛太)と知り合った伊藤野枝は、辻潤を捨てて大杉のもとに走るものの、大杉には内妻のほかに愛人の神近市子(美波)がいた……。
 
 今風に言えば女性解放運動の先駆者、別の言い方をすれば自由奔放に自分の意志のおもむくままに生きた伊藤野枝の行動がそれなりに分かる作品ではある。ただし彼女は雑誌に多くの記事を書いて多方面の領域に発言しているはずだが、彼女の思想の細部は映画からは必ずしもよくは分からないので、別に本などを読んで調べる必要があろう。平塚らいてうや大杉栄についても同様である。最初にヒロインと暮らした辻潤については、もう少し丁寧な描き方が必要ではないかと思った。

 なお大杉栄を演じた永山瑛太は、関東大震災の直後に朝鮮人が虐殺された事件をとりあげて話題になった『福田村事件』でも、朝鮮人と間違えられて惨殺される行商人のかしらを演じていた。この『風よ あらしよ』でも、関東大震災直後に伊藤野枝とともに憲兵に惨殺される大杉栄を演じていて、素材に共通性を持つ映画に続けて出演しているのが興味深い。
         
 東京では2月9日の封切だったが、新潟市では1日の遅れでシネ・ウインドにて単独公開中、3月1日(金)限り。県内他地域では上越市の高田世界館でも上映予定。
 私が足を運んだ第2週水曜(午後)は、15人ほどの入りだった。

 最近の私はネット通販はワイン購入以外ではあまり使わなくなっているけれど、それでも時々は利用せざるを得ない。

 先日も楽譜をamazonから購入した。私が使うためではない。女房が必要としていたからだ。ヤマハ新潟支店に電話したら在庫がなく、取り寄せると日数がかかり、ネットで調べたら注文した翌日に届くと書いてあったので、ということだった。女房は、ネットで調べることはできるが、注文はできない人間なので、仕方なく私が代理で注文したのである。

 ところが、amazonで調べたら、目ざす楽譜はたしかに「定価2200円、送料不要、翌日配達」と記してあるのだが、購入画面に進むとこれがすんなり行かないのである。

 まず、現在やっている某キャンペーンに応じると無料で購入できます、という記述があり、しかも画面の設定はそのキャンペーンに「yes」と応えることを前提にしてあるので、そのまま先に進むとキャンペーンに応じたことになってしまう。

 以前、私はamazonの「プライム・一ヵ月無料キャンペーン」に、画面の指示するままに応募したことがあるのだが、そうしたら一ヵ月経過後は勝手に年会費3900円のプライム会員なるものにさせられていた。カード会社からの請求書でそのことに気づき、amazonに文句の電話をかけて、まだプライム会員としての購入をしていなかったこともあり、プライム会員入会は取り消してもらった。詳しくはこちらから
          
 それ以来、私はamazonの各種キャンペーンはいっさい信用せず、無視することに決めている。

 しかし今回、女房の代理で楽譜を購入しようとすると、キャンペーンを無視してごく普通に購入するのが難しい。キャンペーンに応じずにふつうに購入するためにはそのためのボタンを画面上で押さなければならないのだが、そのボタンが目立たないところにある。

 それをかろうじて見つけて先に進むと、今度は送料設定がある。「翌日配達、送料無料」と最初に記してあったはずなのに、「翌日配達だと至急便だから500円追加」になっているのだ。送料がかからない場合は翌々日配達になるという。

 500円余計に払うつもりはないから、ここはふつうの「送料なし」と指定して、ようやく決定ボタンにたどり着く。

 思うんだけど、どこの馬の骨か分からない奴が作っているサイトならいざ知らず、amazonのような大手のネット通販がこういう詐欺まがいの画面で商売をやっているのは、どう見ても問題なんじゃないか。

 公的権力は何をやっているんだろうか。こういう大手の違法すれすれの行為を放置しているのは、怠慢ではないか。

 或いは大手のマスコミも、こういうamazonのやり口を取り上げるべきではないか。

 公的権力もマスコミも、何をやっているのだろう? ちゃんとやるべきことをやりなさい!!

640[1]
今年映画館で見た18本目の映画
鑑賞日 2月17日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★☆

 三宅唱監督・脚本作品(脚本は和田清人も)、119分、瀬尾まいこの原作小説は未読。

 PMS(月経前症候群)のせいで、ちょっとしたきっかけから他人を攻撃してしまう藤沢さん(上白石萌音)は、それまで勤務していた会社を辞めて別の会社に移る。そこには色々な個人的事情を抱える人たちが勤務していた。山添くん(松村北斗)という青年が入ってくるが、彼はパニック障害に悩まされており、そのことから二人は何となく同志のような感情を抱く。

 実は見る予定に入れていなかった映画なんだけど、世評が高いようなので「それなら」と思って劇場に足を運んだ。だけど、「うーん」だった。やっぱり自分の直観を信じるべきだったのだ。

 何がダメかというと、まずヒロインが上白石萌音であること。彼女は私の好みではない。女としての魅力が全然感じられないタイプ。こういう女優を主演にしている時点でアウトなのだ。アンダーグラウンド的な言い方をするなら、女の好みが合わない奴が作った映画はそもそもが合わないものなのである。

 次に、色々な障害を抱えた人が出てくるわけだけど、それが突き詰められていない。たしかに苦しんでいるんだろうという感じはするけど、会社がそのせいで左前になるわけでもなく(それにしても、この会社、これでちゃんとやって行けているのかな、と疑問が湧いてくるんだなあ)、みんな基本的にいい人で、優しい雰囲気の中で物事が進行し、「日本は平和なのだ」という気がしてくる……というか、正直、途中で眠くなりました。

 人間関係もそうなんだね。松村北斗は途中で付き合っていた彼女がロンドンに転勤になって事実上別れるんだけど、それが打撃になっている様子もないし、上白石萌音も母親の介護のために離職し、つまりはまた会社を変わるんだけど、人間関係がそれで一変することに何の困難も覚えていない。つまり、この映画の登場人物同士はつながっているようでつながっていないのだ。非常に不思議。

 ……というわけで、世評はアテにならないということの見本みたいな映画でした。或いは私がへそ曲がりなのかも。

 東京では2月9日の封切だったが、新潟市では一週間の遅れでイオン西とTジョイの2館で公開中、県内ではほかにTジョイ長岡と上越市のJ-MAXでも上映している。
 私が足を運んだ土曜日午後の回(1日2回上映の2回目)は、40人ほど入っていた。

評価 ★★★★

 著者は1936年生まれ、京大文卒、理論・知識社会学専攻、文学博士、執筆当時は関学大社会学部教授。

 1980年、ロナルド・レーガンが民主党のカーター前大統領を選挙で破り、81年から米国大統領の座についた。2期8年間続く共和党政権の始まりである。
 第二次世界大戦後の米国を振り返るなら、戦時中および戦争直後のF・D・ルーズヴェルトとトルーマンによる民主党政権が1953年まで20年間にわたって続き、その後8年間がアイゼンハワーの共和党政権、ケネディとジョンソンの民主党政権が61年から68年まで、そしてニクソンとフォードの共和党政権が69年から77年までと8年ごとの交代が続いたが、次のカーター民主党政権は4年間で終わることとなる。期間で言えば米国は戦後は大統領に関して言えば戦時中の民主党優位の路線が或る程度続いたと見られるが、レーガンの登場によって本格的な共和党・保守政権が誕生したという認識が当時はあった。またレーガンはそれ以前のカリフォルニア州知事時代から「右寄り」だとマスコミで報じられていた(当時はリーガンと日本では発音されていた)こともあり、米国が思想的にも大きく右に舵を切るのでは、という予想も多かった。

 本書はそうした背景をふまえて、アメリカの保守主義について学術的に、また政治家や学者の個人的な方向性だけではなく、この頃から大きく成長をとげた、大学とは別の(付属になっている場合もある)研究所(シンクタンク)に視点をおいて、そこに出入りする学者・知識人たちの思想を紹介した本である。副題にあるように、スタンフォード大学に付属して設置されているフーバー研究所(ここに著者は1980年9月から1年間留学した)が中心になってはいるが、それ以外の学術動向や歴史的経緯にも触れている。

 序文ではレーガン体制が発足したときに『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙にL・ティルマンドが載せた文章を紹介している。
 それによると、近代米国の保守主義には二人の流れがあり、一つは自由主義派(リベラル)、もう一つは社会・倫理派だという。後者は宗教や歴史的経験、価値の連続性などに重きをおく。
 自由主義にも色々あるが、古典的な自由主義は国家や教会・ギルドなどの既成権力からの自由という意味合いだったのに対し、こんにちではむしろ社会に善をもたらす強大な政府を意味するようになっている(つまり社民的な政権を支持する左派がリベラルと呼ばれるようになっている)。20世紀前半の恐慌を克服するためにルーズヴェルト政権が行ったニューディール政策がその代表格であり、それは戦後になっても基本的に維持されていた。こうした傾向を批判して、古典的な意味での自由(これには経済活動の自由も含まれる)を中心において「反全体主義」を標榜するのが、第二次世界大戦以降の保守主義だということになる。

 以上のような認識を紹介したあと、次の第一章では建国以来の米国の政治イデオロギーが概観される。
 ヨーロッパで言えば、王侯貴族支配体制における特権階級の擁護やカトリック教会の権力維持といった方向性が古典的な意味での保守主義なのであるが、もともとヨーロッパのアンシャン・レジームを批判して独立した米国にはそうした保守主義は存在せず、自由や平等はいわば自明の前提として存在していた。そうした中で、ルーズヴェルト政権の頃からリベラリズムとは持たざる人々のために政府が積極的に介入するという立場を表現する言葉となり、保守主義(コンサバディズム)はそれとは逆に自分の足で立つことを重視し政府の介入に警戒心を示すという方向性をとるようになる。
 つまり、自由主義には平等・集合主義・民衆主義が、保守主義には自由・個人主義・エリート主義が含まれている。そして前者は(無神論的な)社会主義に親和性を持ち、後者はキリスト教と、さらには反共主義とも結びつく。(この時代にはまだソ連が存在していたことを忘れてはならない。)

 また自由主義(リベラリズム)は1960年代の公民権運動から生まれてきたラディカルな新リベラリズムと、戦前的な価値観を維持している旧リベラリズムとに分かれており、とくに前者は保守主義から強い反発を招いている。
 新リベラリズムがその後米国の大学教員で多数派を占め、そのためにファーマティヴ・アクションや、米国の建国理念をも否定する過激な歴史認識にまで至っていることは、当ブログでもたびたび紹介しているが、1980年代初頭に書かれた本書でも、歴史認識はともかくとして、アファーマティヴ・アクションがすでに問題視されているという指摘があるのが目を惹く(ただし第一章ではない。後述)。

 第二章は「米国知識人と政治」と題されている。
 ホフシュタッターがアメリカの特質を「反知性主義」と呼んだのは有名な事実であるが(彼の著書には邦訳もある)、しかし米国での平等の実現に際して知識人の役割が大きかったことは見逃してはならないとされる。それは米国知識人がヨーロッパとは異なり最初からプラグマティックな性格を持っていたからだという。ヨーロッパ知識人はアンシャン・レジーム下で抑圧されてきたので、観念に閉じこもる傾向があったが、米国ではそれとは逆だった。米国ではヨーロッパのような「文人」ではなく「言論人」が前面に出ていたのである。
 そして20世紀に入ると、特に経済状況が悪化した1930年代に入ると、米国知識人は多くが左傾化し、共産主義にシンパシーを覚えるようになる。(この点については当ブログで先に紹介したダニエル・アロン『知識人の挫折の歴史』を参照。)
             
 戦後しばらくしても、平均的な米国人の思想は20~30%がリベラル、40~50%が保守派であるのに対し、一流大学の人文・社会系学者では75%がリベラルであり、マスコミでも類似した数値が挙られるという。逆に知識人の保守派は15%以下になる。
 とはいえ、保守派知識人にもそれなりの存在感はあり、それが最初に述べたように民主党的な政策への反発という形で、時代によっては強く打ち出されることになる。

 保守主義の源流をE・バークに求めるのはいわば常識であるが、本書ではリベラリズムを批判して1964年に結成されたアメリカ保守主義連盟(The American Conservative Union)の声明が紹介されている。そこでは、政府の過剰介入を戒め、自由を重んじ、その自由は私有財産に基礎をおき、自由で競争的な市場による経済システムによって促進されるとする。そして共産主義を批判し、米国の軍事的優位を保つことを訴えている。

 それから、米国シンクタンクの第一号であるブルッキングス研究所の歴史が紹介されている。すでに1916年に設置され「政府研究のための研究所」が当初の名だったというが、現在の研究所の名にもなっているK・S・ブルッキングスがここでロックフェラー財団の財政的援助により「いかにして政府を効率化するか」という研究を組織した。現在の形になったのは1927年だという。

 これ以外にもシンクタンクが挙げられているが、当然ながらその目的は多様であり、財政的にも政府からの全面的な援助によるもの、自前の資金によるもの、その中間など、色々である。またシンクタンクに勤務しながら同時に大学でも教えるという場合が半数強である。民間や政府に籍をおく研究者もいる。
 保守系のシンクタンクにとって最大の敵は、上にも述べた1960年代から多くなってくるニューレフトであり、それに対する反発から70年代に入って保守系シンクタンクが増えてくるのだという。

 第三章は「現代アメリカの政治イデオロギーとフーバー研究所の台頭」である。

 最初に1950年代に猛威を振るったマッカーシズムが検討されている。
 朝鮮戦争を契機とした反共主義の拡大に直接的な原因があるが、第二次大戦を挟んで20年間続いた民主党政権の外交政策や国際関係、或いは国内でも社会主義に近づいた政策などへの保守主義者の不満がその根底にあるという。そうした不満が「共産主義の恐怖」というところにいわば的を絞って展開されたのがマッカーシズムだ、という。

 ただし保守主義にも二つあり、穏健な保守主義はルーズヴェルトのニューディールや労働運動にも理解を示すが、過激な右翼は時計の針を逆戻りさせようとし、福祉国家や労働運動に反対するだけでなく、第二次世界大戦への参戦にも反対する(孤立主義)。そして自分が反対する動きはすべて共産主義者(国内にもスパイとして入り込んでいる)の陰謀だと考えるのである。

 しかし60年代に入ると公民権運動が盛んになり、ニューレフト(大統領候補者の名をとってマクガバン主義者とも言われている)が登場する。大学教育を受ける若者が一気に増大したものの、そのために大卒はエリートへの道では必ずしもなくなり、将来への不安を抱える中で、大学で吹き込まれる自由主義・進歩主義のイデオロギーをそのまま現実にも適用しようとする。そこには反近代主義やロマン主義の要素すら見て取れるという。
 
 と同時に、現実から乖離したニューレフトに幻滅を感じた進歩的知識人は、ネオコンサバティブ(新保守主義)へと移行することになる。また、非現実なニューレフトの運動は急速にしぼんでいき、C・ラッシュ『エリートの反逆』(邦訳あり)によって知識人の現実を無視した過激なマルクス主義や第三世界革命論が批判されることとなる。

 ここで、新保守主義者がニューレフトの推進していた「割当制(クオータ)」(今でいうアファーマティヴ・アクション)を、個人の努力や実績を否定し中産階級の倫理を踏みにじるものとして批判した、とN・ポドレッツが指摘しているという紹介がある(85-86ページ)。
 私(当ブログ制作者)からすると、これは非常に重要な争点だと思うのだが、日本ではなぜか無視されている。日本の左翼(日本の大学関係者はほとんどがそうである)は何も考えていないから、新保守主義者の主張を弱者いじめくらいにしか受けとめないわけだが、むしろ新保守主義者のほうが「個人の努力」という、民主主義社会の根底的な価値観を守ろうしている点に注目すべきなのだ。

 この点について本書の著者も、70年代に入って顕著に見られるようになった保守主義を単なる「反動」とする見方は当たらないと述べており、60年代の公民権法とその後のニクソン政権(共和党)により実施に至ったクオータ制はグループ(黒人、女性、ヒスパニック、ネイティヴアメリカン)に特別のクオータを割り当てるという点で、「個人」ではなく「集団」に特権を認める最初の公共政策だったのであり、それに対して米国国民に全面的な合意が形成されていたわけではないと指摘している。こうした政策は、エリートが先頭に立って導入したものであり、クオータ制が論点となったベッキー裁判(1978年)では連邦最高裁判事の間でも意見が割れていた。

 ベッキー裁判とは、カリフォルニア大学デービス校の医学部が入学定員100名のうち16名分をマイノリティ用のクオータとしたが、それで不合格とされた受験生ベッキーが訴訟を起こしたものである。結果は、ベッキーは裁判官の判断においては5対4で入学を認められたが、入学を認めた5人の判事のうち一人はクオータ制そのものは違憲ではないとした。つまり、クオータ制そのものは合憲という判断が5対4でなされたわけである。

 ダニエル・ベルなどの、もともとは進歩主義だったが右旋回して新保守主義者(ネオコン)になった思想家については以下のようにまとめられている。
 彼らは福祉国家そのものを否定することはないが、個人に対する過剰な国家介入には反対し、資源を適切に配分するには市場が大切だとする。また宗教や家族や西欧文明の伝統などを尊重する。機会の平等は重視するが結果の平等は批判する。国際的には米国の孤立主義には反対である。

 以上は自身も新保守主義者であるI・クリストルの見方であるが、P・シュタインフェルスはこれに加えて、エリートの権威の失墜、対抗文化(「自己実現」の重視、家族や「ブルジョワ」社会の否定など)が社会の基盤を掘り崩しているという危機感、福祉によって国家そのものが危うくなるという警戒(国防予算の低下、福祉予算の増加、政府支出の対GNP比の増加)。

 こうした新保守主義者の思想が1980年の大統領選挙でレーガンが圧倒的な勝利を収めたことに直結するかどうかについては、著者は慎重な見方をしている。むしろ1972年の大統領選挙で共和党の二クソンが民主党のマクガバン候補を破って再選を果たしたことの延長線上で捉えるべき、と考えているようだ。つまりニクソンの当選とは、ニューレフトの思想が米国の国民から全面的に支持されていたわけではないということの証明だったというのである。ニューレフトの支持したマクガバンは、民主党内の穏健派を離反させる結果となり、ニクソンに敗れたのであった。また、いわゆる「福音主義者」が米国民の40%を占めるという状況も共和党有利に働いたという。キリスト教の道徳的保守主義を奉じる米国人は、ヨーロッパよりはるかに多いのである。

 フーバー研究所(Hoover Institution on War, Revolution and Peace)の紹介が次に来る。スタンフォード大学構内にあり、1919年にハーバート・フーバーにより創設されるが、当初は主として東ヨーロッパとソ連についてのドキュメント収集庫だったものが、70年代にはそれ以外の世界各地に関する情報を集積した巨大なシンクタンクに成長した。
 レーガンの大統領選勝利の背後にもこの研究所があるとされ、民主党政権の背後にブルッキングス研究所があることと比べられる。

 もっとも、共和党との結びつきということでは、他にもシンクタンクがあり、アメリカ企業研究所(The American Enterprise Institute for Public Policy Research)、そしてジョージタウン大学戦略国際センター(Georgetown University's Center for Strategic and International Studies)が挙げられている。

 フーバー研究所は保守系ということもありスタンフォード大学との関係は良好とは言えない時期もあったようであり、また財政面では60年代になって立て直され、個人や企業の寄附金がかなり増えたらしい。

 思想面では、60年代は共産主義の研究が中心だった。
 また、具体的に社会に対してどのような形で影響を行使するかというと、第一に学術成果を書物として出版。第二にワシントンの公聴会で証言したり、各種委員会のメンバーとなったり、大統領の顧問になるといった手段がある。第三には重要な問題に関する会議やゼミナールを通して政府に影響を与えようとする。60年代以降、特に第二の方法が多くとられたという。

 次の第四章では「フーバー・イデオロギー」が具体的に検討されている。
 重要なシンクタンクといっても万能ではなく、例えば経済問題に比べて政治・文化問題に弱いとか、外交では共産圏に比べると日本や西ヨーロッパの研究が少ないといった指摘がある。

 この研究所が得意とする経済面ではM・フリードマンに代表される新自由主義的な経済路線がまず挙げられる。フリードマンが「大きな政府」を目の敵にしたことはよく知られているが、政府の介入を是とするケインズ主義を批判し、自由競争を前面に掲げた経済政策は、しかし単に経済面だけにその影響が限られるわけではなく、他の様々な行動基準や価値判断にも影響を及ぼすことに注意すべきだと著者は述べている。

 また新自由主義的な経済政策が受け入れられた背景としては、1929年には対GNP比で政府支出が10%だったものが1978年には40%になっていたという現実があった。
 さらにソ連の軍事力増強による米国の国際的な存在感の低下への危機意識、さらにヨーロッパでユーロコミュニズムが70年代には退潮の傾向を見せていたこととの連動もあった。
 思想史的には、オーストリアの経済学者ハイエクが1944年に出した『隷属への道』が保守主義の古典とされ、またソ連圏の社会主義に抗して資本主義・自由主義を擁護するという意味合いは少なからぬ支持を得ていた。M・フリードマンの新自由主義経済はその流れの延長線上にあるとされている。

 具体的な政策提言としては、減税によって企業の投資や個人の消費を拡大していけば、最終的には政府や州の税収も大きくなるという理論であった。こうした方策は高学歴の専門職よりブルーカラーによって支持されたという。

 また福祉については、不正受給の横行を防ぎ、働くことができる者にはしっかりと働かせて、自助努力の精神を普及することが大事だとされる。

 さらに医療支出の増大に歯止めをかける必要があるとし、1966年から実施されていたメディケア(老人向け)とメディケイド(貧困者向け)も公的負担が大きいとして、市場主義を利用した効率的な医療システムの構築がリタ・キャンベルにより提唱されているという紹介が(その中身についても)なされている。
 しかし先進国で健康保険制度が存在しないのが米国だけという現実もあり、その後のいわゆるオバマ・ケアにも様々な問題点が指摘されていて、この点での解決は困難だという印象が残る。

 社会構造の変化をどう捉えるかという点では、リプセット『政治の中の人間』(1960年)の新版(1981年)が注目に値するとして紹介されている。
 それによれば、かつては反体制的な行動は貧しい労働者階級がとるものだった。しかし現在のような経済成長を遂げたあとの脱工業化社会にあっては、労働者は一定の豊かさを獲得し、むしろ高学歴のインテリのほうが反体制的な存在として浮上してきている。彼らはマイノリティへの寛容を訴え、国際問題ではハト派であり、世俗主義・伝統からの解放・自己実現などを提唱する。細分化された彼らの要求に、政党は応えることができず、「単一争点」が百花繚乱の状況におちいってしまう。左翼は、古典的な(給料のアップを求める)労働者と、新しい「非物質主義的な」高学歴の学者やジャーナリストや専門職業人とに分裂する。
 上でも言及した1972年の大統領選挙で民主党のマクガバンが敗れたのは、古典的な左翼の支持を失ったからであった。(21世紀になってトランプが大統領の座についたのも似た状況下でのことだったろう。)

  もっとも、他方ではこうした状況を多元化と平等化の進捗過程と肯定的に見るH・ユローの見解もあり、こちらも紹介されている。

 さて、第四章の第五節では大学問題が取り上げられていて、見逃せない。
 大学進学者が増えるにともない高等教育への信頼感は低下する。大学の「学者による自治」が行政官僚的なスタッフによる統治にとって代わられる。行政官僚的な方向性は他方では組合主義を(いわばその反動として)招来するが、組合主義が「学問の自由」に対する障碍になる可能性もあること。質の悪い学生の増加、外国人留学生を増やそうとして安易な方策に走ること。大学が公害企業や問題含みの(例えば国民に弾圧的である)外国政府から研究費を受け取っていいかという問題。大学への米国政府の補助金が増えるにつれて政府の大学への口出しも増えてくるという問題。

 アファーマティヴ・アクションもここでまた取り上げられている(183ページ以下)。
 連邦政府は大学に補助金を出すようになると、女性やマイノリティの教員を増やせという圧力をもかけるようになった。
 フーバー研究所の研究員は政府のこうした方策には批判的であるという紹介がある。
 保守系のシンクタンクでも機会均等には賛成するが、政府の求めるのは結果の平等である以上、受け入れることはできないというのである。J・H・ブンゼルはそう述べて、また政府の介入は大学人が報告書を多数作成しなければならない(したがって研究に割く時間が減る)状況を生んだと皮肉を言っているという。これなど、日本の大学と文科省との関係そのままだと言えるだろう。

 みずからも黒人であるトマス・ソウェルのアファーマティヴ・アクション批判にも言及がある。アファーマティヴ・アクションは黒人の尊厳を傷つける。なぜなら実力がないのにお情けで入学・採用・昇進が認められるのだとすれば屈辱ものだし、そうした経緯で自分の力量にそぐわない場所におかれた人物が十全な力を発揮できないとすれば二重の悲劇だから、というのである。
 過去に黒人や女性が差別されていたから、という論理には、ソウェルは「歴史は決して取り戻すことはできない。不正の償いを必要とした人々はすでに死んでいるのだから」と述べる。ただし、ソウェルは恵まれない環境で育ったこともあり、何代も続く黒人の名門の人間が示すエリーティズムには嫌悪感を抱いており、また一部の人間が主張している「人種ごとにIQの平均値は異なる」という説にも批判的だという。
 ソウェルにはアファーマティヴ・アクションに関する著書があるようだが、邦訳されていないのは残念なことである。

 第四章ではこのあと、外交問題が取り上げられているが、ここは今の目で見ると古びていることはやむを得ない。崩壊の10年前の段階でもソ連の存在感が非常に高かったこと、中国の存在を軽視しすぎていることが、目に付く。

 他方で、米国知識人に中国に関する楽観論やひいきの引き倒しが目立つことを批判する論者も、少数ながらいると述べられている。ラモン・メイヤーは中国研究を展望した論文の中で「中国関係の知識に関する社会学」が求められるとしているそうだが(225-226ページ)、私としてはまったく同感である。それも第二次世界大戦の少し前の時期からそうした社会学を構築するべきだと思う。

 以上、本書は1981年という時点での米国保守派シンクタンクや知識人の動向を中心に紹介しており、今の目で見ると古びているところもあるが(例えばフリードマンの新自由主義経済学はリーマン・ショックや格差拡大により相当に怪しいことが証明された)、今日読んでも一定の知識は与えてくれる書物であり、レーガン政権誕生時の米国の思想状況を知る上では欠かせない文献だと言えるだろう。
 また大学でのアファーマティヴ・アクションという、焦眉の問題についても或る程度の知識が得られる書物でもある。

 新潟大学図書館から借りて読みました。

 ドイツ文学者の神品(こうしな)芳夫氏が今月11日に亡くなられた。来月に満93歳を迎える直前だった。

 氏は東大独文科で学び、大学院博士課程まで進んで勉強を続け、東大教養学部の教授を務めた方である。東大定年退官後は明治大教授となった。なお奥様の友子さんも同じ研究室の出でドイツ文学者であり、鶴見大教授などを務めた。

 神品氏は詩人リルケの研究で知られ、またご自分でも詩作をし、つい数年前も自家版の詩集を出版した。

 私が神品氏とわずかながら交流を持ったのは、氏が1978年に東北大学に出張講義に見えた際のことである。当時私は東北大学独文研究室の助手を務めており、神品氏が来仙するというので、その頃東北大学独文科の主任教授だった小栗浩先生(故人)の指示で、講義が始まる日の朝、ホテルまで迎えに行ったのである。体は大きいが、控え目で、都会人らしい自然な品格を備えた方だった。

 助手は合同研究室に一定時間いなければならないので、氏の講義を聴くことができなかったのはかえすがえすも残念なことである。

 しかし出張講義の或る日、氏と学生が夜に仙台の街に繰り出した際には私も同行した。話題はドイツ文学のことだけでなく、クラシック音楽、さらには当時は学問の枠組からはずれた存在であったマンガのことにまで至ったが、学究一筋の氏はサブカルチャーについてはあまりご存じなく、しかし若い世代のそういう新感覚なおしゃべりには素直に耳をかたむけていた。

 だが仙台は田舎で、「武士の商法」がまかり通っており、そのとき利用した飲食店の店員が無作法でどうしようもない女だったのが、せっかくの一夜に影を落とした。学生の中でいちばん年長だったH君(本来は私と同学年だったが教養部で一年留年したため3年次以降は私より一学年下となった。その後、青学大のドイツ語教授を務めた)が「すみません」と謝っていたのを今でも記憶している。仙台は東北一の田舎だというのが私の持論だが、こういうところにそのダメさ加減が表れている。

 それはさておき、神品氏の慎ましい性格は、そのころに雑誌『ユリイカ』がリルケ特集を組んだ際に文献案内を担当したのが氏であったが、ご自分の著書『リルケ研究』については、ごくあっさりとついでのように「神品芳夫『リルケ研究』もある」とだけ書き記していたという事実からもうかがえると思う。

 氏はその後、ドイツ語圏に(若い頃の留学からだいぶ間をおいて二度目の)留学をして、その経験を『ドイツ冬の旅』という著書にまとめた。

 この本が出たのは1985年で、その頃私はすでに新潟大学の専任教員になっていたが、すぐに購入して熟読した。この本に限らないけれど、或る書物を読んで記憶に残るのは枝葉末節だったりするものだが、この本でも妙なところを憶えている。すなわち、ヨーロッパ滞在中長らく風呂に入っていなかった氏が(ヨーロッパのホテルはシャワーだけというところが珍しくない)、知己の自宅に泊まりがけで招かれて「希望があればうかがうが」と言われたので、「できたら風呂に入りたいのだが」と所望したところ、相手はそのようにはからってくれたけれど、後で考えると入浴の準備を整えることがどれほど手間を要することであったかに思い至った、という記述だった。

 その本では、弘法も筆の誤りというべきか、「あれ?」という箇所にも出くわした。ウィーンに滞在したときに「ウィーン交響楽団を聴いて、やはりすばらしかった」と書いてあるのだが、そして「ウィーン交響楽団」というオーケストラもあるのだけれど、前後から判断して「ウィーン・フィル」の間違いではないかと思ったのである。それで私は出版社にその旨を記した葉書を出しておいた。返事はなかったが、数年後に再版されたときに間違いはちゃんと直っていた。

 リルケではないが、ゲーテの有名な小説『若きウェルテルの悩み』を氏が訳しているのだけれど、先人たちが誤訳をしている箇所で、その誤訳を踏襲せずに氏がきちんと正しい訳をつけていたのを思い出す(こちらを参照)。これなどは、氏のドイツ文学者としての実力と誠実な仕事ぶりを示す例だと思う。 

 氏が仙台を訪れた際のことに再度触れるなら、学生たちとの席だったか、ご自分の師である手塚富雄(リルケの研究も行い、岩波文庫からリルケ『ドゥイノの悲歌』の邦訳を出している)について、「先生はリルケとは合わなかった」と評していたことを今でも記憶している。むしろゲオルゲのようなタイプの詩人のほうが合っていたというのである。

 学者と研究対象との相性(合う・合わない)は、たしかにある。詩人でもあった神品氏と、氏が生涯をかけて研究したリルケとは合っていたのだろうか。最終的にはご本人にしか結論は出せないことではあるが。

 謹んで神品氏のご冥福をお祈り申し上げる。

640[1]
今年映画館で見た17本目の映画
鑑賞日 2月16日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★☆

 韓国映画、アン・テジン監督作品、118分、英題は"The Night Owl"。

 舞台は17世紀半ばころの李氏朝鮮。ギョンス(リュ・ジョンヨル)は貧しい生まれで盲目だが、鍼治療には天才的な技倆を持っていた。病気の弟を救うために、心ならずも王宮に仕える身となる。やがてその鍼の腕は世子(=王太子:キム・ソンチョル)にも認められるが、ちょうど中国の王朝が明から清に替わった時代で、王宮内では老国王(ユ・ヘジン)を中心とする明支持派と世子を中心とする清支持派による抗争が起こり、ギョンスもそこに巻き込まれてしまう……

 盲目の天才鍼師という主人公の設定を根底に、朝鮮王宮の内部抗争を描いている。
 それなりに面白いけど、ラストのあたりがゴタゴタしていて、特に宰相の位置づけが不明瞭なのがマイナスか。或る程度の史実をバックにしているようで、韓国人には史実とフィクションの融合が面白いのだろうが、日本人にはその辺が分かりやすくない。

 東京では2月9日の封切だったが、新潟市では一週間の遅れでユナイテッドにて単独公開中、県内でも上映はここだけ。
 私が足を運んだ封切日夕刻の回(1日3回上映の2回目)は、十人弱の入りだった。

640[1]
今年映画館で見た16本目の映画
鑑賞日 2月15日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★

 山本英監督作品、イ・ナウォン脚本、127分。

 最初に若い男が倒れていて、彼を刺したらしい若い女(橋本愛)の姿が映し出される。
 次に、場面はその6年後に飛ぶ。
 沙苗(橋本愛)は母親に強いられて見合いの席に。
 見合い相手は健太(仲野太賀)だったが、実は見合いをするはずだったのは銀行員で、彼はその友人だった。銀行員はガールフレンドから「見合いをしたら殺す」と脅されていたので、健太は代理で来たのであり、しかも職業は林業だった。しかし健太と沙苗はどういうわけか気が合い、結婚してしまう。

 二人は健太の職業に合わせて田舎町に暮らすようになるが、そこで徐々に、沙苗の過去が明らかになっていく。彼女はホストに入れあげて貢いだあげく、そのホストを刺して、数年を刑務所で過ごしたのだった。

 やがて、そのホストの妻だという女(木竜麻生)があらわれるが……

 最初、橋本愛と仲野太賀がどういうわけか結ばれてしまうあたりは面白いと思ったのだが、その後がいけない。たぶん作り手としては複雑な人間関係や心情を表現したつもりだったのだろうけれど、とりとめもない映画という印象しか残らない。橋本愛演じる沙苗の心情は不可解なままであり、周囲の対応や言動も不可解なまま。ヘタクソな不条理劇を見せられているようで、しらけてしまう。この内容で127分は長すぎる。

 東京では2月2日の封切だったが、新潟市では一週間の遅れで、少し前から営業を再開したイオン西にて単独公開中、県内でも上映はここだけ。
 私が足を運んだ第一週木曜日の昼の回(1日2回上映の1回目)は15人ほどの入りだった。

 イオン西は、元日の能登半島地震のせいでずっと営業を停止していたが、2月9日(金)から上映を再開した。ただし全9ホールのうち1ホールは使用していない。
 この日は私としても久しぶりにこのシネコンで映画を見たわけだけど、上映開始後1時間ほどして(12時台後半)ぐらっと揺れた。後で帰宅してから調べたら、新潟市西区は震度3だったようだ。この日は帰宅後も、午後3時半にやはり震度3の地震があった。震源は、最初のは佐渡沖、次のは佐渡と能登半島の中間あたりのようで、どうも元日の能登半島地震以来の不安定な状態が続いており、映画も落ち着いて見ていられない。

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