もりたぬ日記
自分の時間を生きよう。
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2011年01月17日
23:42
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未来の自分へ
「三年後五年後十年後もSと一緒にいる!!」
と約束した。
もし将来他の誰かといるなら自分はSを裏切ったということだ。
時が経ってこの記事を見返して、変わっていないなら本物だった。
後悔するなら、真剣に考えていた。
懐かしく思うなら、若かった。
2010年02月25日
22:28
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存在論周辺について
アリストテレス。名前の由来は古典ギリシャ語の“aristos”(最高の)と“telos”(目的)から [1]。
アリストテレスはプラトンのアカデメイアで20年学んだあと、自らリュケイオンを開いた。弟子たちとは学園の歩廊(ペリバドス)を逍遥しながら議論を交わしたため、彼の学派は逍遥学派(ペリバドス学派)と呼ばれた。
文学、論理学、自然科学、原因について、範疇論、倫理学、政治学に足跡を残す。
文学
創作活動の基本的原理は模倣である。悲劇はパトス(苦しみの感情)を浄化する意味でのカタルシスを目的とする。カタルシスとは浄化・排泄の意味である。
論理学
三段論法に代表されるように、経験的事象から演繹をしていく分析論の立場をとった。一方で師であるプラトンは対話による弁証論を唯一の哲学探究の方法としていた。
自然科学
真の実在はイデアであるというプラトンの立場に対して、アリストテレスは感覚で捉えることができる、形相と質料が結びついた個物が実在であるとした。前者を実在形相説、後者を個物形相説という。また、ここでいう形相(エイドス)とは個物に内在する本質のことであり、また質料(ヒュレー)とは素材のことでありこれが形相と結合して個物を生成する。これらの基礎には火・水・土・空気の四元素論が置かれている。
また、アリストテレスの宇宙論では、天動説の立場が採られており、地球以外の天体は第五元素であるエーテルよりなるとされる。一番外側には不動の動者が存在し、これが全運動を司っている。
生物と無生物の区別のよりどころはプシュケー(魂)を持つか否かである。生物にとってプシュケーとは形相そのものである。さらに、人間は理性(作用理性、受動理性)を持つことで他の生物とは区別される。
原因について
アリストテレスはプラトンのイデア論における「イデアが個物から離れて実在する」という考えを批判し、イデアと区別して、形相と質料の概念を唱えた。
範疇論
文の述語を分類した。
倫理学
アリストテレスは人間の行動には目的があると考え、それ自身が目的であるものを最高善とした。具体的に最高善とは、幸福、それも卓越性における活動のもたらす満足のことである。
また、理性的に生きるためには中庸であることが必要であると説いた。
正義についても言及した。
政治学
「人間は政治的動物である」とする定義からわかるように、アリストテレスは人間を社会的な存在と観ていた。
2010年02月22日
14:07
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構造主義とその周辺の思想メモ?
まず、構造主義とは何なのか。
構造主義(こうぞうしゅぎ)とは、狭義には1960年代に登場して発展していった20世紀の現代思想のひとつであり、広義には、現代思想から拡張されて、あらゆる現象に対して、その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、場合によっては制御するための方法論を指す言葉である。
※この方法の斬新性はどこにあるのか?メタ的な発想でアプローチすることで従来よりも客観的で広い視野の議論ができるということか?
たしかに格段に普遍性はありそうだ。このアプローチが具体的に作動すればだが。
数学ですら完全に構造主義を遂行するのは難しいというのに、それ以外の対象にどうやって適用するというのだろう。
研究対象の構造を抽出する作業を行うためには、その構造を構成する要素を探り出さなければならない。構造とはその要素間の関係性を示すものである。それは構造を理解するために必要充分な要素であり、構造の変化を探るためには構造の変化に伴って変化してしまうような要素であってはならない。
一般的には、研究対象を構成要素に分解して、その要素間の関係を整理統合することでその対象を理解しようとする点に特徴がある。例えば、言語を研究する際、構造主義では特定の言語、例えば日本語だけに注目するのではなく、英語、フランス語など他言語との共通点を探り出していくメタ的なアプローチをとり、さらに、数学、社会学、心理学、人類学など他の対象との構造の共通性、非共通性などを論じる。
システマティックな比較主義のようなものかな。
要素は構造の変化に対して不変でなければならない。なるほど、この要素を構造間の比較の基本単位とするのだな。
言語学や記号論に起源を持つ構造主義にとっての構造とは、単に相互に関係をもつ要素からなる体系というだけではなく、レヴィ=ストロースの婚姻体系の研究にみられるように、顕在的な現象として何が可能であるかを規定する、必ずしも意識されているわけではない、潜在的な規定条件としての関係性を意味する。
その構造が潜在的である場合もある。代表例は婚姻。
また原則として要素還元主義を批判し、関係論的構造理解が為される。ソシュールが言語には差異しかないと述べたと伝えられているように、まず構造は一挙に、一つの要素が他のすべての要素との関係において初めて相互依存的に決定されるものとして与えられる。このような構造主義の構造理解においては、構造を構成する要素は、原則として、構造を離れた独立性を持たない。
構造が要素を規定する。要素の定義は構造の形で規定される。
フロイトやユングの、無意識という構造を仮定するアプローチも一種の構造主義と言える。
2010年02月22日
01:04
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ミシェル・フーコー
ミシェル・フーコー(Michel Foucault、1926年10月15日 - 1984年6月25日)は、フランスの哲学者。『言葉と物』(1966)は当時流行していた構造主義の書として誤って読まれた。代表作はその他『狂気の歴史』『監獄の誕生』『性の歴史』など。
誤って読まれた???
てことは言葉と物は構造主義の本ではないのか。
資料集によると・・
「人間中心主義に疑問を投げかけ、歴史それ自体を系譜の学として理解。」
進学先について父と対立。父は医学部を奨めるが、本人は文学を希望、母の説得に父が折れる。このときの対立から生じた父との亀裂は終生、修復されることはなかった。後にフーコーが自分の名前から父の「ポール」を外してミシェル・フーコーと名乗るのも、このときの体験に根差している。
※家庭は母優しい、父厳しい型。
1945年高等師範学校(Ecole Normale Supérieure)の試験を受けるも不合格、翌年同校合格。フーコーの学生生活は同性愛者としての苦しさと、エリートとしての息苦しさにより不安定で、1948年、自殺未遂事件を起こす。1950年大学教員資格試験に失敗。1950年6月17日には再び自殺未遂事件を起こす。この時期の失意と精神的混乱にあったフーコーを助けたのがルイ・アルチュセールである。アルチュセールは医務室をフーコーの個室として手配する措置をとるなどして、フーコーは危機を乗り越えた。アルチュセールはフーコーに、「精神分析によってではなく、仕事によって病気を乗り越えるように」とアドヴァイスしたという。
※苦悩と挫折の多い青春時代。。いいひとに出会えてよかったね。「精神分析によってではなく、仕事によって病気を乗り越えるように」これはすばらしいアドバイスだと思う。
※ルイ・アルチュセールってだれよ?
ルイ・アルチュセール(Louis Althusser, 1918年10月16日 -1990年10月22日)は、フランスの構造主義的マルクス主義哲学者。
1980年、妻のエレーヌを絞殺。精神病のために責任能力なしとされた。
※えええええええええええええ
これは後でじっくり調べよう。
フーコーは一連の活動により、「知と権力の関係」「知に内在する権力の働き」を説明した。また『性の歴史』研究により古代を題材としながら、本来あるべき人間像と社会像を語った。フーコーの思想においては「絶対的な真理」は否定され、真理と称される用語や理念は、社会に遍在する権力の構造のなかで形成されてきたものであると見なされる。フーコーの思想においては知の役割は「絶対的な真理」を証明することではなく、それがどのようにして発生し、展開してきたか調べる(知の考古学)ことにある。
フーコーの思想は社会学・政治学・教育学など様々な分野に大きな影響を及ぼしているが、J・G・メルキオールのそれのような、史実の濫用による無意味な思想であるとの否定的見解もある。
※ フーコーの思想においては「絶対的な真理」は否定され、真理と称される用語や理念は、社会に遍在する権力の構造のなかで形成されてきたものであると見なされる。フーコーの思想においては知の役割は「絶対的な真理」を証明することではなく、それがどのようにして発生し、展開してきたか調べる(知の考古学)ことにある
確かにこのやり方では、新たな知識は生まれないのではないか?
これからの人間はどうやって知を発展させていけばいいのかが示されていない。
できたものを解体して調べ上げるだけではないのか?
歴史においては、ひとつの論が時代の変化とともに真理とみなされたり、うそとみなされたりすることがありうる。フーコーはそれを支配している変化の法則を考察する。
※ただし、数学は除く。
それを支配する変化の法則か。。なんかすばらしそうだけど、これはいったい具体的に少しでも把握できるものなのかしら?哲学ってのはいいことばかりなるけど、体系や方法が結局は不十分だからなにも前に進めないで終わることが多い気がする。哲学を体系付ける理論をうちたてることなんて無理だろう。
ライプニッツのモナドは究極の楽観だ。
フーコーは『狂気の歴史』(1961年)で、西欧世界においてかつては神霊によるものと考えられていた狂気が、なぜ精神病とみなされるようになったのかを研究する。彼が明らかにしようとするのは、西欧社会が伝統的に抑圧してきた狂気の創造的な力である。
監獄に入れられた人間は常に権力者のまなざしにより監視され、従順な身体であることを強要されている。・・・・さらに近代が生み出した軍隊、監獄、学校、工場、病院は、規則を内面化した従順な身体を造り出す装置として同一の原理に基づいていることを指摘した。
フーコーは晩年のどの著作においても、西洋社会が「生の権力」という新しい権力、つまり、伝統的な権威の概念では理解することも批判することもできないような新しい想像も出来ない管理システムを発展させつつあることをしめそうとする。従来の権力(国家権力など)機構においては、臣民の生を掌握し抹殺しようとする君主の「殺す権力」が支配的であったが、この新しい権力は抑圧的であるよりも、むしろ生(生活、生命)を向上させる。たとえば、住民の生を公衆衛生によって管理・統制し、福祉国家というかたちをとって出現する。フーコーは、個人の倫理を発展させ、自分の生活を他人が尊敬し賞賛できるようなものにかえることによって、この「生の権力」の具体的な現れである福祉国家に抵抗するようによびかける。
※たしかに権力は存在する。そしてそれは悪かもしれない。それは悪らしい悪よりもずっとたちの悪いあくである。この新しい権力は、昔のものとは違い明らかな恐怖や暴力の形を取らずにわれわれの精神を無意識的に内側から侵食してくる。それをわれわれはあたかも幸福であるかのようにおもい享受する。これは恐ろしいことだ。人は悪には立ち向かえるが、しかしあくかどうか判然とせず、むしろでないと思われるようなものには反抗するすべを持たないのである。
もし反抗するものがいれば、それは狂人とみなされ、病気扱いされてしまうだろう。ここが新手の権力の恐ろしいところである。
2010年01月11日
04:04
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数学を英語でやる楽しさ発見。
無心でやれば楽しいことがおおい。
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