子供の頃、母親がチラシのウラが白いやつをメモ用紙として保存していたので、それを落書き帳として使っていた。小学校低学年の頃から、外に出て遊ぶよりは落書きをしてる方が好きだったので暇があるとずっと部屋にこもってダイニングテーブルで絵を描いていた。

大抵、まず紙の左上に漫画の一コマ目として四角い枠を描く。そこに飛行機とかロケットとかロボットを描く。次に右隣に次のシーンを描く。次のコマでは無くてあくまで次のシーンだったので、感覚的には完全にアニメーションのつもりで描いていた。フィルムにコマ撮りすればちゃんと動いたはずだ。人物には一切興味が無かったのでメカしか描いてない。

飛行機も宇宙船もロボットも何かと戦ってるモノが多かった。例えば飛行機だと、ミサイルに追われているシーンを延々と描く。最後には追いつかれて飛行機は爆発する。その後地面に落ちるまでまた延々とコマを割って墜落シーンを描く。そう言うのが兎に角楽しかった。

学校の教室で漫画を描いてる子は大抵人間のキャラを描いてたし、そういうのは周りの受けも良かった。自分が描いてるのは、子供心に他人に受けるとも思わなかったし、そもそも人前で絵を描く度胸も無かったので、基本的には一人でいる時に描いてた。

チラシ一枚に50コマくらいは描けたので紙の右下に到着すると終わることも有ったし、次のチラシに続くことも有った。書き終わったら満足して、大抵クシャクシャに丸めてゴミ箱へ。もし当時の絵が残ってるなら見たいもんだけど、基本的に捨てていたので残ってはいないだろうと思うと少し残念に思う。

中学生の頃までは一人で描いていたのだが、高校になって美術部に所属するようになった。

男子半分女子半分位の割合だったように記憶してる。女子の制服はブレザーにネクタイで、まじめに課題をこなしていたけど、男子連中は部の課題も全くせずに、みんな部室に篭って雑誌読んだりアニメをネタにだべったり、一部は落書きをしていた(たまに「男子もちゃんと課題しなよ!」と怒鳴りこまれていた。基本的に当時の美術部員の顔はあまり覚えてないんだけど、怒鳴りこんできてた女の子の顔だけはよく覚えている。眼の下にクマのある、背の小さな”もこっち”のような娘だった。もこっちと違って、髪は短かったけど。

その頃になってようやく、自分も他人のいる場所で絵を描き出した。その頃は、アニメーターになるのが夢だったし、アニメーターになるには人物が描けないと話にならないと思い、苦手ながらメカだけでなく人物を描くようになった。が、はっきり言って下手だった。

自分でも人物描くのあんまり向いてないと思いつつ苦手なものは克服せねばと自分に言い聞かせつつ(板野一郎や、庵野秀明のようにメカしか描かないアニメーターも存在すると知ったのはだいぶ後のこと)、半分意地になりつつ。

その頃には同じ美術部に特に仲の良い友人もいたので、放課後はどちらかの家に行って、そこでまた絵を描いていた。年頃なので、色々とくだらない話を延々としながらも手はずっと動かしていたような感じ。夕方からどちらかの家が晩御飯の時間になるまで3〜4時間程度か。それを大体毎日続けていた。

別にそれで凄く絵が上達したような印象は無い。

友達の方が絵が上手かったし、話も趣味も面白かったし、自分は色々とダメだなぁと思いつつ、ダメな絵を描いてた。ただ単に描くのが楽しかったから描いてただけでそれ以上のものはあまり無かったように思う。

ちなみに、未だに自分はキャラを上手く描けないと思ってる。

多分、あんまり人間に興味が無いんだろう。