踊れないスチュワーデス物語

空の仕事のあれこれ、そしてつぶやき。 人気ブログランキングへ

私の好きな客室乗務員ユーチューバーさん達

今日もゆっくりお休み中の私でございます。 嵐の前の静けさ、また次のトリップ(嵐)までの数日を自宅でゆっくり過ごしております。

皆さんはユーチューブをご覧になりますか? 私には何人かチャンネル登録をして楽しみにしているユーチューバーさん達がいらっしゃいます。 その中でも同じ業界で働く客室乗務員ユーチューバーさん達の動画は毎日楽しく拝見しています。 今日は私の好きな客室乗務員ユーチューバーさん達をご紹介しようと思います。

「双子CAさくらん」(日本語)
二人とも別々の米系航空会社のCAとして働く双子のさくらさんとらんさん。 ご両親と一緒にテキサス在住です。 一人はサンフランシスコベース、もう一人はLAベースから最近ダラスベースに転勤されました。 双子の一人の方は私と同じ会社で働いていらっしゃいます。 とても可愛らしいお二人。

「theflyingstewardチャンネル」(日本語)
こちらも私と同じ会社のニューアークベースで働くMoriakiさん。 コロラド州デンバー在住でデンバーからニューアークまでコミュートされています。 アメリカの航空会社で働くという事がよくわかるような動画を作られています。 現在はコロナの影響でフライトルートも限られているので、私と彼の仕事のパターンがかぶる事が良くあります。 彼の動画をご覧になると私が普段どんなルートを飛んでいるかのイメージがしやすいかもしれません。

「リキリシャスRickilicious」(日本語)
デルタの子会社でラガーディアベースで働くリッキーさん。 ニューヨーク在住の方です。 とても感じの良い方で見ているだけで癒されます。

「Flying Boys」(日本語)
バージンアトランティック航空のロンドンベースで働いていらっしゃるYutoさんとそのパートナーのショーンさんのチャンネル。 バージンアトランティック機の機内ツアーなど、とても興味深い動画もあります。 時々Moriakiさんとのコラボが見られます。

「JettingJulia」(英語)
アメリカン航空のダラスベースで働くJuliaさん。 彼女のチャンネルも典型的なアメリカの航空会社のCAの生活を良く表していると思います。 時々登場するゴールデンレトリバーのLunaちゃんに癒されます。


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悪夢のトリップと幸運のクルー

気付けば前回のブログからまたしても数ヶ月。 決してブログの事を忘れていた訳ではなく、常に心の中で気にはしていたのだけれど、とにかくアンビリーバボーに忙しかったこの数ヶ月。 すっかり仕事に忙殺されていました。

2020年にはコロナでほぼ死に絶えていたアメリカ航空業界。 旅客数は90%以上も落ち込み、人員整理もされ、国際線はもとより国内線もほぼ動きのない状態が続いていたのけれど、バイデン政権に移った途端に一気に進んだワクチン接種のおかげで、現在のアメリカ国内の旅客数はほぼ2019年並みに戻って来ている。

私は4月付でフライト業務に戻ったのだけれど、その日から今日まで、4日間の国内線ドサ周りを毎週一回こなすというスケジュールで飛んでいる。 1日に2便から3便を4日間、それを2−3日のオフを挟みながら飛び続けているので、休日はほぼ休息と荷造りで過ぎて行く。 その間を縫ってそこそこ家事もこなすので、ブログを書く暇がなかったと言う訳です。

現在の国際線はヨーロッパ便がわずかに飛んでいる以外はほぼ全滅なので(でもこの夏のスケジュールからまた少しずつ増えては来ているけど)、トップのシニアFA達以外の下々の私達はこの酷暑の中せっせと国内線を飛んでいる。 ほんの数ヶ月前まで国内の空港はどこもガラガラでまるでゴーストタウンの様だったけれど、4月の終わり辺りから急激に混み始め、今はコロナ以前よりもさらに混雑している。 空港周りの道路は常に渋滞し、保安検査場の列は気が遠くなる程に長く、コーヒーショップには長蛇の列、ゲートの周りは真っ直ぐ歩けない程の人だかり。 みんな、ステイホームの反動で外に出たい気持ちを抑えきれずに旅に出ているのが良くわかる。 わかる、わかるよ、私も同じだもの。

以前の私ならこんな人だかりの空港で満席続きの仕事をしていたらウンザリしていたけれど、今はやっぱり感謝の気持ちしかない。 こうやって人々がまた普通に飛行機に乗って、行きたい場所に行ける事が普通じゃないんだって事に改めて気付かされて、そうして見える景色は全く違って見えるのだ。

なので4日間国内線ドサ周りでも毎日笑顔で感謝して楽しく仕事している私だけど、やはりマザーネイチャーには勝てない。 この数年、夏の悪天候は毎年悪化しているように思えるけど、今年のデンバーは特に天候が悪い。 デンバーは我が航空会社のハブ空港なのでデンバーを経由する仕事はとても多いのだけれど、今年はデンバーに行くたびに周辺の悪天候のための遅延がほぼ毎回の様に起きている。 デンバーは山に囲まれ周囲よりも少し海抜が高いため、もともと気流が安定せず乱気流が起こりやすい地形なのだけれど、それに加えての地球温暖化によるこの夏の熱波で雷雨や竜巻も発生しやすくなっているのだ。

今回の仕事も4日間の仕事。 例によって例に漏れず毎日のようにデンバーを経由していた。 3日目は夜遅くにデンバーからモンタナ州のミズーラに入り一泊。 翌日に再びデンバー経由でDCに帰着する予定だった。 ところがホテルを出て空港に到着し、飛行機に乗り込んだ途端にデンバーでの悪天候による遅延が決定。 最初は1時間程度の遅延の予定だったので、そのまま旅客搭乗前の空っぽの飛行機の中で待機する事になった。 1時間が過ぎ、デンバーの様子を伺うとまだ悪天候は続いている。 そのまま2時間が過ぎ、3時間が過ぎ、最終的には6時間遅れとなった。 私達も大変だったけれど、ゲートで午後2時から8時まで辛抱強く待って下さっていたお客様達も本当に大変だ。 ミズーラは小さな空港なのでフライト数も少ない。 他の便に振り替えるというチョイスもなく、ただじっと忍耐強く待って下さっていたのだろう。 いくら悪天候のためとは言え文句の一つも言いたくなるだろうに、6時間後に飛行機に乗り込んでいらしたお客様達はみんな笑顔で、逆に私達の事を労って下さった方もいた。

デンバーからミズーラは約2時間のフライト。 優しいお客様達のおかげで6時間遅れでも気持ち良く仕事をさせていただき、笑顔でお客様をお見送りした後、その時点でデンバー時間夜の10時過ぎ。 DCでは夜中の12時過ぎ。 本来のスケジュールならすでに家に帰っている時間だけれど、きっと今日はここデンバーで一泊して明日デッドヘッド(旅客として座って)で帰るのだろう。 そんな風に考えながらスケジュールをチェックした私達は驚愕の事実を知る。 なんとこの後すぐにこの同じ飛行機に乗ってバージニア州ノーフォークへの深夜便乗務に変わっている。 えーと、私達、今日のお昼の1時半に勤務開始だったんですけど…。 デンバーからノーフォークまでの飛行時間は約4時間。 ノーフォーク到着予定時刻は明日の朝5時半。 勤務時間は勤務協定ギリギリの16時間。 しかもこの飛行機は今着いたばかりなので、これから機内清掃をして、安全性チェックをして、その後お客様が搭乗して、出発準備を整えなければならないので、時間通りに到着する事は有り得ない。 きっと勤務時間はさらに伸びる。 それでも私達は行かなければならない。

結局ノーフォークに到着した時点で朝の6時半。 その日はノーフォークで1日ステイになり、翌日の朝に乗務ではなく旅客としデッドヘッドでDCへ帰る事になった。 実はノーフォーク到着の1時間半後にそこからDC行きの飛行機があり、それに乗ればその日のうちにDCに帰る事が出来たのだけれど、勤務協定上、16時間の長い勤務の後はもうこれ以上勤務を続けてはならない事になっているので、私達はホテルへ行かなければならなかった。 でも、今日1日休んだ後に明日はデッドヘッド。 事実上私の仕事はこれで終わり。 ならば、今日のうちに家に帰れるではないか。 すでに4日間の仕事をして今日は5日目、とにかく早く家に帰りたかった私は、1日のホテルでの休息日を返上して、自力で1日早く家に帰ろうと思いついた。 航空会社の社員は、いつでも空席待ちで飛行機に無料で乗れる。 その便を調べてみると空席も十分にあった。 一緒に飛んでいたクルーはとにかく疲れていたのでホテルに行きたいと言うので、私はクルーに別れを告げて次の便でDCに帰る事にした。 ただし、何らかの理由で万が一飛行機に乗れなかった時のために(急なキャンセルや空席数が減った場合など)、私のホテルの部屋はキャンセルせずにそのまま取っておいてもらう事にした。 もし乗れなかったら一足遅れでホテルに向かおう。 私はとにかく家に帰りたかった。 この数ヶ月間、4日間の仕事しかしていなかった。 4日間の仕事というのは精神的に割とキツい。 3日目の夜がけっこうキツさの山場だったりする。 それが6日間に変わった瞬間に、私の中の何かがパチンと鳴った。 帰ろう、帰る。 家に帰る。

ここで私が犯した大きな間違いは、クルーデスクに断りを入れなかった事だ。 本来はこういう風に帰着便がデッドヘッドの場合、クルーは「Deviate」と言って、会社が用意してくれた航空券を断って、そこで勤務を終了させて、別の便で帰宅したり、別の場所へ飛んだり、またはその場所に止まる事が出来るというルールがある。 ただし、そのためには前もってクルーデスクに連絡をして「Deviateしますねー」と連絡しなければならない。 なぜなら、場合によっては緊急的にデッドヘッドから乗務に変更される場合があったりして、その場合はまだ勤務終了ではないからだ。 でもそれも勤務協定で複雑な決まりがあって、一度スケジュールが変わった場合は、2度目にはスケジュール変更をしてはならない場合がある。 私の頭の中では「一度スケジュール変わってるからこれでもう変更は無し。 帰着便はデッドヘッドで勤務終了」という認識だった。 とにかくDC行きの便に乗る事が目標だったので、連絡は二の次、DCに到着してからとりあえずクルーデスクに一報入れれば良いだろう、と思っていた。

家に帰る事で頭が一杯だった私は、DC行きのフライトのゲートに向かい、そこで無事に空席をもらった。 あぁこれで家に帰れる。 その瞬間はまさかこれから悪夢が始まるなんて思いもしなかった。 飛行機も時間通りに出発準備を整え、飛行機のドアが閉まり、パーサーがご搭乗御礼の挨拶のアナウンスを入れ始めたまさにその瞬間。 携帯にメッセージが。 見てみると会社からのスケジュール変更のメッセージ。 「!!!!!」 私の心臓はかつてない程にバクバクしている。 これは絶対ヤバいやつ。 スケジュールを見てみると、なんと翌日のデッドヘッドが乗務に変更されているではないか。 つまりこれは、私はまだ家に帰ってはいけないと言う意味だ。 あ〜〜〜〜〜〜。 時すでに遅し。 飛行機はまだゲートにいるので、「すみませーーーん!!おりまーーーす!!」とやる事は、実際問題出来なくはない。 でも、私にその勇気はない。 ここで飛行機のドアを開ける事で、皆さんの想像以上のたくさんの人の仕事を増やす事になるからだ。 飛行機のドアというのは、電車やバスのドアを開けるのとはかなり訳が違うのだ。

落ち着け、と自分に言い聞かせ、私はDCからノーフォークへ戻る次の飛行機の空席をチェックした。 まだ2席空いている。 順番で言うと私は2番目。 行ける。 もし行けなかったら、最悪4時間運転して帰るしかない(DCからノーフォークは飛行時間にしても40分程度の近距離だったのが不幸中の幸い)。 私は腹を括ってDCへ向かった。

DC到着後は次のノーフォーク便まで1時間ほど時間があったので、とにかく前日から何も食べていなかった私は何を思ったか朝ごはんを食べる事に。 あまりにショックが大きくて、心がついて行かなかったのかもしれない。 呑気に美味しいオムレツを食べ、「やってしまった事は仕方ない、とにかく今日中にノーフォークへ戻れば問題ない」と、まだ誰もいない静かな空港事務所で心を落ち着かせた(?)。 前日から不眠不休のままの私は頭も体もフラフラとしていたけれど、ノーフォーク行きのフライトの時間が来たのでゲートへ向かった。 今のところ遅延もなく順調。 空席待ちの順番も変わらず、私は2番目、空席は2席。 神様仏様、どうか私をこの便に乗せて下さい。

ゲートのデスクの後ろに立つ地上係員さんが、マイクで「空席待ちの皆さんは全員乗れますので、モバイルチケットをお持ちの方はご確認ください」とアナウンスを入れた。 神様ありがとうございます〜(泣) これで無事に今日中にホテルに帰って明日の仕事に穴を開けずに済む。 クルーにとって、仕事に穴を開ける事ほど恐ろしい事はない。 それは「仕事に穴を開ける=フライトキャンセル=数百人のお客様にご迷惑をかける」を意味するから。 いつ、どこで、何をしていても良いけれど、仕事にだけは穴を開けてはならない。 これは客室乗務員としての一番大切な掟である。

こうして無事にノーフォークの空港に到着したのは午後12時半を過ぎていた。 さっきここにいたのは6時間程前だったっけな…と、ぐったりとそんな事を思いながら、ウーバーでホテルに向かった。 What a day. (ちなみにこのウーバーの運転手さんがよりにもよっておしゃべり好きな方で、頭が朦朧としている私にはほぼ拷問としか思えなかった。 でも良い人だったよ、おじさん。 チップ弾みました。)

無事ホテルにチェックインし(私のホテルの部屋をキープしておいてくれた同僚に感謝!)、同乗クルーに連絡。 その夜の食事に誘われたけれど、私にはもう余力は残っていなかったので丁寧にお断りして、その日は夕方の4時から翌朝の4時まで寝倒した。 その日の夜は未だかつてないほどよく眠れた。 …気がする。

同乗クルーには逐一報告していたので私の珍道中を哀れに思い慰めてくれたけど、これは全て私の認識の甘さから起こった事。 自己責任です。 普段ならデッドヘッドから乗務に変更される事がある事くらいは新人でもない限り誰にでも予想出来た事。 でも、久しぶりに4日間の仕事が6日間に変更になって、準備なしで予想外の深夜便をこなして疲労困憊だった後に、早く家に帰りたくて間違った判断を下してしまった私の自業自得の間違いだ。 そんな中でも、運良くすぐ次の便に乗れた事、ホテルでの休息時間が24時間以上あった事、クルーが良い人達で協力的だった事が幸いして大事に至らなかったのだと思う。

今回は自分のせいでいらない苦労もあったけど、精神的にも体力的にも本当にキツい大変なトリップだった。 そんな中でも本当に楽しい、気の合う2人と一緒に仕事が出来た事で、こんな悪夢のようなトリップが思い出に残る楽しいトリップとなった。 私達の仕事は、時に体力や精神の限界に挑戦するような事が多々起こる事があるのだけれど、そんな時に気の合うクルーで精神的に頼れるクルーと一緒に仕事出来ると、その苦労も10分の1程度にしか感じない事もある。 そのくらい一緒に働くクルーというのは大切な存在で、こういうクルーに出会えるという事は乗務員として至極の喜びなのです。

本来はこのトリップの翌日から3日間の仕事が入っていたのだけれど、何かのお告げか、ラッキーな事にそのトリップを落としていた私。 おかげでこうして5日間のお休みをゆっくり過ごす事が出来ています。 さて今週末はアメリカは独立記念日のお休み。 またたくさんの人が飛行機で移動する事になるでしょう。 私も土曜日からまた4日間の仕事です!

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ワクチン2回目接種とその副反応

先日無事に新型コロナワクチンの2回目の接種を終了しました。 前回同様、使われなくなったデパートの一階部分を利用したワクチン会場で予約した時間より少し早く到着すると、かなりの人が列を作って並んでいました。 どうやら数日前にワクチンの流通量が増えるのと同時に予約数を大幅に増やしたらしく、列をさばくボランティアの人達も増やされ、さながら何かのイベント会場のような雰囲気でした。 しかしその列の流れもスムーズで、5分もしないうちに会場内に入っていました。

私はここで大きな失敗に気付きます。 なんと、ワクチンカードを忘れて来てしまっていたのでした。 このカードにはワクチンを打った回数とその日付、そしてワクチンの種類を記入してもらうもので、現在はこれが唯一の新型コロナワクチン接種の証明書となる非常に重要な書類なのです。 せっかく会場内に入れたのに、どうしよう。 カード無しでもワクチン打ってくれるか聞いてみようか。 と、一瞬迷いましたが、家まで車で10分というのもあり、すぐに列を外れて家に取りに戻る事にしました。 結局予約時間に遅れる事30分で再び列に並びましたが、前述の様に予約時間に来ても列に並ばなければならない状況だったので、特に何を確認される訳でもなく無事にまた会場内に入る事が出来ました。 ふ〜。

会場内では前回と同じ様に本人確認をされ、迷路の様な仕切りの間をソーシャルディスタンスを保ちながらゾロゾロと列になって進み、指示された番号のブースの中に入ります。 今回は一気に一般開放されていた事もあってブースの数も一気に増えていました。 目立ったのは救急隊の制服を来た人達の姿が多かった事。 看護師さん達も含め、この方達は全員ボランティアだと聞きました。 本当にありがたい事です。 私を担当して下さったのは女性の救急隊員の方でした。 本人確認とアレルギーの有無の確認の後、利き腕と反対の腕に2回目のファイザーワクチンを打って下さいました。 その後は待機会場に移ってアレルギー反応がないかどうかの確認のため15分間待機し、何もなければその後に無事開放されます。

副反応についてですが、大半の方が1回目よりも2回目の方に強い反応を示すそうです。 その理由は、1回目の時は身体がコロナウイルスを認識していないために反応が薄いのですが、2回目では身体も一度学習しているために全力で戦おうとするので強い反応を見せるのだそうです。 同じ理由で、すでに一度コロナにかかっている人は1度目から強い反応を見せる事が多いそうです。

副反応で一般的なのが悪寒、発熱、頭痛ですが、鎮痛剤や解熱剤は飲まない様に指導されます。 せっかく身体が免疫力を強くしようとしているので、その働きを抑える様な薬は飲まない方が良いそうです。 この反応は病気ではないので、よっぽど辛くない限りは水分補給をしっかりとして家でじっと休息を取りながらやり過ごすしかない様です。

私の場合はワクチン接種の12時間後辺りに副反応が現れました。 夜中の3時に悪寒で目が覚め、その後は悪寒と身体の痛みで眠れぬ夜を過ごしました。 朝になって熱を計ってみると37度3分の微熱が出ていました。 その後37度6分まで上がりましたが薬は飲めないので、身体は辛いけれど氷で頭を冷やしながら水分補給をしてじっと耐えるしかありませんでした。 その日の夜は12時間ほど眠り続け、翌日の昼近くになって起きた時には熱も下がり、非常にスッキリと爽やかな目覚めでした。 多くの人が口を揃えて言う様に、ワクチン接種後約12時間から24時間後に副反応が始まり、その翌日には嘘の様にケロッと目が覚める、と言うのは本当でした。 

これでとりあえず2週間後には90%の確率でコロナから身を守れると言うのは、とても心強いです。 来週には1本目の仕事が入っているので、2週間たつまでは気を抜かずにコロナ対策万全にして行きたいと思います。



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ワシントン DCは桜が満開です

先週のワシントンは初夏を思わせるような陽気で、長いコロナの冬をやっと抜け出したかのような明るい気持ちにさせてくれる気持ちの良い数日が続いた。 ワシントンにあるポトマック川の河畔には、100年以上も前に日本から友好の証に送られた2000本のソメイヨシノが見事な桜並木を作っている。 ニュースでは満開は今週末という話だったのに、先週の陽気のおかげで満開時期が数日早まってしまった。 週末にお花見を予定していた私達は、急遽昨日の夕方、夫の仕事終わりを待ってお花見に出かけた。 日本人としては満開の桜を見逃すわけには行かないのだ。毎年この時期になると多くの人がお花見に訪れ、この時期だけは一瞬ここは千鳥ヶ淵の桜並木かと思うほどの混雑になる。 今年はコロナというのもあってか、比較的人出も少なく、ゆっくりとお花見を楽しむことが出来た。 

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新型コロナワクチン1回目接種しました

昨日、ようやく待ちに待った新型コロナワクチンの第一回目の接種を受けて来ました。 アメリカは去年の12月から高齢者と基礎疾患を持つ方々、高齢者施設で働く方々、そしてエッセンシャルワーカーと言われる医療関係者や救急隊、警察官、郵便職員、飲食店店員、学校の先生など、第一線で働く人達へのワクチン接種を始めていましたが、私たち公共交通機関に働く者達もエッセンシャルワーカーの中に含まれています。 ワクチンが1月に一般に開放された時点で私もすぐに登録していたのですが、2ヶ月経ってようやく順番が回って来ました。

飛行機という閉ざされた狭い空間で、何百人というお客様と時には10時間以上も一緒に過ごす「三密の代表」みたいな客室乗務員の私は、ワクチンが出来たらすぐにでも接種したいと思っていましたが、元々アメリカではワクチン接種の是非に関しては意見の分かれるところが多いです。 それでも新型コロナワクチン接種が始まった時点では約半数のアメリカ人が「ワクチンは受けない」と答えていましたが、先日の調査ではその数が25%までに減っていて、ワクチン接種のスピードもグングン上がって来ています。 おそらくワクチン接種開始から数ヶ月経って大きな問題も起きていない事から、気持ちが傾いて来た人達が増えたという事なのでしょう。 やはりワクチンを打って、不安や恐怖もなく自由に集まったり移動する事が当たり前だった以前の生活に戻りたい、という気持ちが膨れ上がって来ているのだと思います。 先日バイデン大統領が「7月の独立記念日までには新型コロナからの独立を宣言しよう!」という力強いスピーチを行いました。 あのスピーチは特に愛国心の強いたくさんのアメリカ人の心を打ったはずです。 

ではアメリカではどうやってワクチンを受けるのかのプロセスを少しご紹介します。 まず、アメリカでは州によってプロセスが違うので、私はバージニア州のヘルスデパートメント(厚労省のようなところ)のウェブサイトにアクセスをしてワクチン接種希望者リストへの登録をしました。 その時に、年齢や基礎疾患の有無、職業、職場の状況(ソーシャルディスタンスを取れる環境にあるかないか、など)の質問に答えるのですが、これは後に確認される事は特にありませんでした。 その後はただじっと自分の順番が来るのを待つのみです。 順番が来るまで定期的にメールで「あなたはちゃんと登録されてますよ、もう少し待ってね」という趣旨のメールが送られて来るので、「音沙汰ないけどちゃんと登録されてるのかな?」と不安になる事もなく、とても親切だと思いました。 そうして待つ事2ヶ月、ある日の夜に突然「ワクチン接種の希望の日を予約して下さい」というメールが来ました。 早速ウェブサイトにアクセスして翌々日の午後の時間を予約する事が出来ました。 当日は送られて来たQRコードを忘れずに持参します。

会場はショッピングセンターの一角にある閉業し空き家になっていたデパートの一階部分を使用していました。 当日決められた時間に決められた場所に行くと、駐車場にはたくさんの車が止まっていて、入り口にはボランティアの方達が立っていました。 入り口でQRコードを確認され指示された方向に進みます。 中はとても広くロープで仕切られていて、会場内でもボランティアの方達が手際良く進む方向を指示してくれるので、迷う事なく進む事が出来ました。 指示された番号のブースに入るとテーブルと椅子が置いてあり、看護師さんが座って待っていました。 看護師さんが私のQRコードと名前と生年月日を確認し、基礎疾患やアレルギーの有無などを確認してくれます。 そこで「今日のワクチンは◯◯です(私のはファイザーでした)」と言われ、どのワクチンが良いかを選ぶ事は出来ません。 その場で利き腕と反対の腕を出し、消毒をしたらブスリと針を刺されます。 印象としては、インフルエンザのワクチンよりも注射の針が長かったような印象ですが、これは確信がありません。 そして痛みもインフルエンザワクチンよりも強かったです。 と言ってもちょっと強めにつねられたような痛みで、薬が入る瞬間に走るような痛みがあるわけではありませんでした。 その後看護師さんにカードに1回目ワクチン終了の旨を記入をしてもらい、「数日腕がちょっと痛みますよ。 それでは良い1日を。 おめでとう!」と言われて席を立ちました。 ここまで時間にして建物に入ってから10分くらいの感じです。 その後はアレルギー反応が出ないかどうかの確認のため、15分間待合エリアで待機します。 見た限りでは百人以上の人達が待機していました。 多分ブースは10ヵ所くらいあったような気がするので、朝から夕方までピストン輸送的に次から次へとワクチンを打っている現在は1日にかなりの数の人がワクチンを受けに来ていると思います。 15分たって特に具合が悪くなる事もなかったので、会場を出ました。 その後も買い物に行きましたが体調は普通でした。 その日の夜から腕が少し痛み始めて寝返りを打つのが難しく、その痛みは翌日の今も続いています。

と、ここまでが新型コロナワクチン第1回目接種の様子です。 私はファイザーでしたので2回目の接種は3週間後です。 ファイザーとモデルナは2回目の後の方が副反応が強く出ると言われています。 人によっては寝込む事もあるらしいので、私も仕事の調整をして2回目接種後数日はゆっくり休めるようにしたいと思います。

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コメント嬉しいです

10年ぶりに復活したブログなのに、その再開を知ってまたここを訪れて下さっただけでなく、コメントを残して下さった方々がいらっしゃいます。 本当にありがとうございます。 お懐かしいです。 大変遅くなりましたが、お礼を申し上げます。 励まされます。

年に一度の緊急訓練

さて、去年の3月に長期一時休暇に入った私だけど、休暇中も資格更新のトレーニングは受けなければならない。 全ての客室乗務員は一年に一度、緊急時に対応する緊急避難や人工蘇生法などについてトレーニングを受け、知識をリフレッシュし、一定の点数でテストに合格しないと乗務資格を奪われてしまう。 ある意味、毎年資格試験を受けているようなものだ。  

通常私は1月にトレーニングを受けるのだけど、今年はコロナのおかげで一クラスの人数を制限され、1月のクラスに入れなかったので2月のクラスに入る事となった。 その前日に
急遽「クルーバッヂを受け取りに来て下さい」という連絡が入り、空港まで受け取りに行った。 このクルーバッヂは今回の長期一時休暇中に会社に返却したもので、これがないとトレーニングどころかフライトをする事も出来ないし、空港オフィスに入る事も出来ない大切なもの。 いわば私達が「犯罪歴もなく素性もしっかりしており、定期的に訓練を受けたこの会社のクルーであり、空港施設に出入りする事ができ、乗務資格がある」と認められた証拠である。 長期一時休暇に入った当初、私はこのクルーバッヂを返却する事がとても悲しかった。 これはいわば私がクルーである証。 大袈裟に言えば私の人生そのものである。 返却期限ギリギリまで待って最終日に宅配業者のお店でこのバッヂを封筒に入れた時には、自分の右腕をもぎ取られたような痛みを感じた。

だからこそ、クルーバッヂ受け取りのお知らせが来た時は本当に嬉しかったし、何だか生き返ったようが気がした。 クルーの私が私の中で息を吹き返したような、そんな気持ち。 以前のブログにも書いた記憶があるけれど、私達は良くこの仕事の事について「This is not a job, it's a lifestyle.」と言う。 つまり「この仕事はただの仕事ではなく、ライフスタイルそのものである」と言う意味。 不規則な就業時間や時差が当たり前のこの仕事を始めると、どうしてもこの仕事自体が生活に深く入り込んで来る。 それに慣れて行くにつれて、この仕事が仕事ではなくなり人生そのものになって行くのである。

トレーニングを受けるためには、DCベースの私はシカゴのトレーニングセンターまで飛行機で移動しなければならない。 前日は久しぶりの荷造りでおおわらわ。 この一年スーツケースというものを触っていなかった私は、あれ、一体何を準備すれば良いのだっけ・・・と、すっかり調子が狂ってしまった。 着替えや洗面道具はもちろん、トレーニングのために忘れてはならない物を何度も確認する。 トレーニングセンターはコロナの影響で食べ物や飲み物の提供が限られているので、自分でお弁当を持参する。 今夜の分、明日の朝ごはん、そしてランチタイムのお弁当。 空港やホテルのレストランで買う事も出来たけれど、久しぶりのシカゴのターミナルでどのレストランが開いていてどのレストランが閉まっているかの状況も分からなかったので、自分で持って行く事にした。 当日は朝から、これまたほぼ一年ぶりにする「お仕事仕様のメイク」にあたふた。 メイクの仕方をすっかり忘れていた私、結局30分以上もかけてメイクを終えた。 出来上がった顔は久しぶりに見る自分のよそ行きの顔で、何だか落ち着かない。

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実は空港へ行くのも飛行機に乗るのも、2020年の3月16日以来というほぼ一年ぶりのイベントである。 1泊2日にしては大荷物の塊を引いて歩く。 このスーツケースのタイヤが空港の床を滑る感覚さえも懐かしい。 一年ぶりなのにまるでつい昨日もここにいたかのような不思議な感覚を覚えながらターミナル内を歩く。 手荷物検査場を抜け、シャトルに乗り、搭乗ゲートへと向かう。 飛行機はオンタイムで出発の予定みたいだ。 搭乗時刻になるとゲートを通って機内へと乗り込む。 あ〜懐かしい飛行機の匂いだ。 ドアが閉まり、飛行機がゲートを離れ、滑走路へと向かいながら走行を開始する。 本当ならこれから年に一度の憂鬱なトレーニングへ向かうと言うのに、お腹に響くエンジン音も、体全体にかかる離陸の圧力も、昨日まで曇りだったのに快晴になった今日の空も、全てが気持ち良くてなんだかワクワクする。 出発予定時刻ぴったりに離陸した私の飛行機は、その後も大きな揺れもなくスムーズ過ぎるくらいにあっけなくシカゴに到着した。

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シカゴでは会社が用意してくれたホテルにチェックインした。 すでに5時を回っていたので、持って来たお弁当をホテルの電子レンジで温めて早めに夕食を終え、明日のテストの準備のためにもう一度すべての機種のドア操作と人工蘇生法の手順を確認する。 翌日の朝は早い。 クラスは朝7時開始だ。 ホテルからトレーニングセンター行きのシャトルが6時45分に出発する。 うちの会社のトレーニングクラスは「7時に始まりますよ」というと本当に7時にいきなりドア操作のテストが始まるので、のんびりコーヒー片手に「おはよ〜ふわ〜(あくび〜)」という訳にはいかないのだ。 だからコーヒーも朝食もすべてホテルで済ませ、気合い100%でシャトルに乗らなければならない。 という訳で朝は5時起き、目覚ましセット完了。 今夜は早めに就寝。

翌朝は無事に寝坊する事もなく目が覚めると、ゆっくりと身支度を整え、持参した持ち運び用電気ケトルで入れたインスタントコーヒーと(ホテルに備え付けのコーヒーメーカもあるけれど、今はなんとなくコロナなので使うのを遠慮してみた)、前日に作って冷蔵庫で保存していた、アルミホイルに包んだ朝ご飯用のサンドイッチをアイロンで温めて食べるという、「クルーおなじみの技」を使って簡単な朝食を済ませた。 荷物をまとめて部屋の中を軽く片付けてロビーに降り、シャトルに乗ってすぐ近くにあるトレーニングセンターへと向かう。 シャトルの中はこれから一緒にトレーニングを受ける、アメリカ国内の様々な場所から飛んで来たFA仲間たちが数人乗り合わせた。

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トレーニングセンターに到着すると、フロントデスクでチェックインし、体温を測り、荷物を置き、名札シールを胸に貼り、ほっとする間も無く名前を呼ばれたら、全ての機種のドアトレーナーがずらりと並ぶ部屋へ。 トレーニングセンターはコロナ対策で人数制限もされ、少人数クラスでソーシャルディスタンスもバッチリ。 全員マスク着用で5分に一回くらい手を消毒させられるので、コロナ感染に対する不安は全くなし(うちの会社は業界でも一早く旅客と社員にマスク着用を義務にしたり、最先端技術を使った機内消毒ロボットを取り入れたり、飛行機に病院レベルの空気清浄フィルターを導入したり、なかなか頑張っているのだ)。 この時点で朝7時、ここから夕方5時まで昼食の30分を挟んでほぼノンストップのトレーニングが続いた。 座学は全体でも2時間以下くらい、ずっと立ちっぱなし、動きっぱなし、ハンズオンのトレーニングが延々と続く。 どの科目も大事なトレーニングばかり。 重要なインフォメーションがぎっしりと詰まっているので気を抜く暇はない。 特に私はこの一年飛行機に触っていないので、休暇中にあった重要変更事項などをもう一度慎重に確認していく。 途中トイレ休憩もなかなか取れないし、水分補給もままならず、1日が終わってみるとこの仕事独特のベットリとした疲労感が襲って来た。 あ〜、懐かしいな、このベットリした疲労感。 そして私は無事に全てのテストに合格し、全ての緊急トレーニングを受け、また一年、乗務資格を更新する事が出来た。

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「失って気づく大切なもの」ってたくさんあると思うけど、私にとってはこの仕事もその大切なものの一つだ。 コロナ禍で人々が自由に移動出来なくなって、私の仕事も今までのように忙しくフライトが入る事がなくなった。 世界中の客室乗務員達が同じような経験をしたと思う。 特に国際線をメインで飛ばしている航空会社が受けたダメージは大きい。 航空会社によっては人員整理のために外国人クルーを先に解雇したところもあったし、またアメリカのように社歴が若い順に下から解雇した会社もあった。 解雇されないまでも長期無給休暇を余儀なくされたりして、生活が立ち行かなくなりやむなく自ら退職した人達も多かった。 その結果、滞在国を後にし自国へ帰国した人達も多かっただろう。 そもそも客室乗務員になる人達は、胸に大きな夢と希望を持ってこの世界に入って来た人達ばかりだと思う。 だからこそその夢や希望が取り上げられてしまった時、失うものは大きい。 

永遠に思われた幸せは、実はとても儚く脆いものだったと今回のコロナで私達は学んだ。 当たり前を当たり前だと思ってはいけない。 この当たり前は実は奇跡なんだ。 胸にかかるクルーバッヂの存在感の重さを、私はこの先もずっと忘れたくないと思った。


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近況報告2月編

気がついてみれば前回のブログエントリーはお正月、もう1ヶ月以上も前…(←このセリフ、以前からのブログ読者の方達にとってはおなじみのフレーズですね、すみません)

実は以前にもご説明した通り、無事に政府によるエアライン救済措置が延長され、一時解雇者・休職者も全員呼び戻され、私自身も2月から職場復帰するつもりで復帰第一弾のフライトレポートを次のブログにしようと考えていたのだけど、どうやらフライトよりも先に年に一度の緊急訓練の方が先にスケジュールされる事になり、その訓練が来週に入ったので、来週2日間シカゴへ行って参ります。 なんと飛行機に乗るのも空港へ行くのもほぼ一年ぶり。 いつもは気が重い訓練なのに何だかワクワクしています。 その様子をまたブログにする予定なので、今しばらくお待ち下さいませ。 今は訓練に向け、資格試験に無事合格出来る様に試験勉強をしつつ、せっせとジムに通い1年間休んでいた間に怠けた体を鍛え直しています。 緊急時にお客様から安心して頼られる強く逞しいFAを目指します!



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明けましておめでとうございます

皆様、明けましておめでとうございます。 皆様はどんな新年を迎えられましたか? 今年のDCの元旦は朝から一日中雨でしたが、「雨降って地固まる」的な静かで落ち着いた良い元旦でした。

今年のおせちは少し贅沢をして、こちらの和食屋さんでオーダーしました。 あまりに美味しくて、数日もたせる予定でしたが1日で完食してしまいました。 お雑煮は大晦日に作った蟹汁をリメイクしました。

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今年が皆様にとって素晴らしい一年となりますようお祈り申し上げます。 2021年もこのブログをよろしくお願いいたします。 まだまだコロナ禍厳しい折、皆様も体調など崩されませんようご自愛下さい。

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2020年年末に寄せて

アメリカは今日は2020年12月30日。 早いもので今年もあと2日。 日本はもう大晦日。 今年を振り返ると何という目まぐるしい一年だった事だろう。 私だけではなく、皆様にとっても大変な事や苦しい事が多い年でもあったと思う。 それでもこうして年末に今年一年を振り返った時に、大きな怪我や病気もせず無事に一年を終える事が出来そうで、改めて感謝の気持ちでいっぱいになる。 ようやく昨日すべての大掃除を終えて綺麗になった家の中で、夕方までの数時間、久しぶりにゆっくりと腰を落ち着けてこうしてブログを書いている。

ここ数日は航空業界にとっても目まぐるしい数日だった。 議会が数ヶ月遅れでコロナ救済措置法を可決した。 この法律には個人への一時金や失業保険の上乗せ補填、中小企業への資金援助、ワクチンをスムーズに全国に配布するための資金やルールなどが定められている他、今回コロナで大打撃を受けた航空業界への資金援助も組み込まれている。 特筆すべきは、この援助金は航空会社が生き残りのために使う資金ではなく、100%社員の給与補填にしか使ってはいけないという決まりがある所だ。 そして企業がこの援助金を受け取るためには一人も社員を解雇してはならない、という決まりがある。 つまり、現時点で10月1日付けで一時解雇となった数万人の航空会社社員達が、この法律の施行日の12月1日に合わせて全員が呼び戻される事となった。 これには私のような希望休職者達も全員含まれ呼び戻される。 実際には過去に遡って呼び戻される事は不可能なので2月1日付けとなるのだけれど、お給料は12月1日から発生し支払われる。

実はこの法律は、コロナが流行り出した直後の4月に施行され10月1日で期限切れとなった前の法律と全く同じ内容であり、本来なら9月中にそのまま延長されるべき法律であったのだけど、ご存知の通りその頃アメリカは大統領選挙でドロドロの時期でもあり、政治家達のいろいろな思惑に翻弄され、9月中の可決に間に合わなかった、という経緯がある。 その結果、10月1日付けで数万人の航空会社社員達が一時解雇され、多くの人々が感謝祭やクリスマスのあるホリデーシーズンを不安な気持ちで過ごさなければならなかった。 特に若い人達やシングルペアレントの人達、または介護を抱えた人達などは不安な日々を過しただろう。 だからこそ、クリスマスの直前に両院で可決された今回の法律延長は、そんな人達にとっては最高のクリスマスプレゼントとなったはずだった。 

しかしその後、大統領がゴネ始め、この法律にようやくサインするまで1週間ほど間が開きまた私達はヤキモキする時間を過ごすのだが、それも数日前にサインされ、ようやく公的にこの法律が施行された。 そこからあれよあれよという間に物事が進み、会社からは日に何通ものメールが届き、呼び戻しプロセスが始動し始めた。 おそらく会社もこうなる事を予想して準備はしていたのだろうけど、今までは私達一時解雇組・一時休職組は使えなかった会社支給の携帯が急に使える様になっていたり、アクセス出来なかった会社のインフォもアクセス出来る様になっていたり、正式な呼び戻し書類が送付されるというお知らせがFedExから来たり、いろいろな事情でまだ仕事に戻りたくないという人達のための新しい希望求職者の募集が始まったりと、とにかくすべてがバタバタと一気に始まった。 今後、呼び戻される全員に社員バッヂを再交付したり、トレーニングを受けさせたり(クルーは年に一度のトレーニングを受けなければいけないのだけれど、一時解雇・休職の間に期限が切れてしまっている人がたくさんいるので)、必要な人はバックグラウンドチェックやドラッグテストも受けなければならない。 それに加えて今後は社員のワクチン摂取という問題も出てくるだろうし、それを混乱なくどう行っていくかは大きな課題だろう。 

それでも、私達にとってはこれらはとても嬉しい問題。 バタバタといろいろな情報を処理しながらも顔は喜びで綻んでいる。 また空に戻れる。 もぎ取られた翼が返ってくる。 そんな気持ち。

ところで補足情報として、この法律は緊急的に急いで可決されたものなので、実は効力は3月いっぱい。 万が一新しい政権と議会がこの法律を延長しなければ、また数万人の航空会社社員達が4月1日付けで解雇される事になる。 バイデン政権はすでに航空会社救済策を確約しているけれど、あとは議会がどう協力して行くかにかかっている。 そしてワクチンが効力を発揮して、1日も早く世界が自由に行き来出来るような世界に戻ってくれる事。 2021年がそんな一年になってくれたら…と願って止まない。

今年は世界中本当に大変な一年だった。 でも自身の状況を振り返って見てみれば、飛べなくなった今でも政府からの手厚い保護を受けつつ安全に自宅にいる事が出来ているし、夫はこのコロナ禍で希望だった職場の新しい仕事に就きやりがいを感じているし、私は今年はこのブログを再開するという思わぬ喜びにも見舞われ、総合的に見れば「今年は良い年だったね」と言い合えている。 これはなんと幸せな事だろう。 来年も、家族が健康で、日々のご飯が食べられて、雨風を凌ぐ屋根と壁があり、くだらない事で大笑いしているような、そんな幸せな日々を過ごせたら、それ以上の幸せはありません。

ブログを再開して以来、こちらに来て下さっている皆様にも感謝申し上げます。 皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。 また来年もよろしくお願いいたします。



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気付けばもう12月

12月ももう10日もたってしまった。 すっかり師走の雰囲気だ。 今年は本当に大変な一年だったけれど、それでもちゃんと12月がやってくるのだなぁ、と何だか不思議な気がする。 アメリカでは毎日の様にコロナの新規感染数と死者数が過去最高を更新しているのに、街の中はまるで何もかもが普通の世の中であるような感じですっかりクリスマスの雰囲気だ。 テレビから流れてくるコロナのニュースとクリスマスの飾りで彩られた街を同時に見ていると、本当に同じ世界を生きているのかとまるでパラレルワールドを見ているような気がする。 一つだけいつもと違うのが人々のマスク姿。 そこで一瞬現実に引き戻される。

今年一年がとても大変だったから、なんとなく私の中で「12月をきちんとやる」事が今年の締めになるような気がして、11月30日から12月1日に変わった瞬間に、変なスイッチがパチンと入った。 急にあれこれやらなきゃいけない事を思い出した。 まずは大掃除。 普段は目に入らない、1年間見て見ぬ振りをして来た隅の方の汚れとか高い所にたまった埃がやけに気になる。 仕事をしている時はそちらが最優先なので、家の事が多少疎かになっても気にならないのに、なまじ家に居るからそこら中がやたら目について仕方ない。 お風呂などの水周り、洗濯機の周り、パントリーの中、クローゼットの中、ルームランプの傘、ベッドの下…、気になる所から掃除を始める。

最近ネットで見たお掃除情報。 お風呂場の水垢取りに威力を発揮してくれるのが、食器用洗剤とお酢と重曹を混ぜた物なんだって。 アメリカの水は日本の水と違って硬水なので、どうしても毎日水が流れる所に白い石灰化した水垢がついてしまう。 という訳で、普段からあまり漂白剤を使うのが好きではない私は早速試してみる事にした。 するとなんと、気持ち良いほど水垢がスルリと落ちるではないか。 シャワールームのタイルから、銀色のシャワーハンドル、シャワーカーテンの内側など、鱗の様についている水垢が全て綺麗にツルリと取れた。 ちょっとしたカビ汚れだって綺麗に落ちる。 あまりに気持ち良く汚れが落ちるので、他にも汚れている所はないかとあちこち掃除する場所を探し回ってしまう。 希釈する割合を変えれば冷蔵庫の中や家電の掃除にも使えるこのマジック液体。 恐るべしお酢と重曹の力。

FullSizeRender 12月をきちんとやるには、クリスマスも年末年始もちゃんとやりたい。 サンクスギビングウィークエンドが終わった翌日、アメリカの家庭ではみんなが一斉にクリスマスツリーを出す。 我が家もその例に習ってガレージに仕舞い込んであったクリスマスツリーをよっこらしょと出して来た。 綺麗に飾り付けてライトを付けたら、やっぱり気持ちはウキウキする。 お家の前面もクリスマスライトで飾り付け、ご近所のクリスマスライトと共にこの辺り一帯が一気にクリスマスの雰囲気になった。 キラキラ光る街や飾りを纏ったツリーがキラキラと光るのを見つめていると、一瞬、今年あった全ての嫌な事がまるで幻だったのかの様な幻想を抱く。 そんな時きっと私もパラレルワールドを生きているのだけど、その時だけはこのままそこに居たいと強烈に思う。  

アメリカはクリスマスから年末年始までずっとクリスマスの雰囲気を引きずるのだけど、日本人としてはやっぱり年末年始は厳かな気持ちで迎えたい。 家の中を綺麗に掃き清め、歳神様をお迎えする準備をし、歳神様がいらっしゃったらご馳走でおもてなしをし、家族の無病息災を祈る。 本来なら手作りのおせちを用意したいところだけど、今年は二人ともとても良く頑張ったし、外食も旅行もせずたくさん我慢して来たし、という事で年末年始だけは少し贅沢をさせていただく事にした。 いつもはおせちとも呼べない様な、自分が食べたい物だけを作るなんちゃっておせちを作っていたけど、今年はこちらの和食屋さんにお願いして素敵なおせち料理と大晦日にいただくお寿司の盛り合わせを注文した。 あぁなんという贅沢〜! ネットで見るサンプル写真があまりに素晴らしくて、私の期待値がマックスになっているのがちょっと危険だけど、オーダー確認の返信メールで「スタッフ一同心を込めて努めさせていただきます」という一文にえらく感動した私達。 これは何としても大掃除を頑張って綺麗なお家で美味しいお料理を頂きたいではないか。 ガンバレ私。

もしきちんと12月を終える事が出来たら、2021年が良い年になる様な気がする。 ただの気のせいかもしれないけど、思い込みも大切。 2021年は絶対に良い年にするんだ。 みんなが明るい気持ちで、健康で、幸せに暮らせる年にするんだ。 みんながそう思い込めば絶対にそうなる。 思いの力は大きい。 アメリカではどうやらクリスマス前にもう一つ経済援助計画の法律が可決するらしいという動きが出て来た。 この法律無しではクリスマスに食べる物もない、住む家すらない、という人達がたくさんいるからだ。 クリスチャンの国としてはそんな事があってはならない。 そしてこの法律の中に、航空会社救援プランも練り込まれている。 もし可決すれば、春までという数ヶ月ではあるけれど、一時解雇になっている人達を呼び戻せる事になる。 その間にワクチンが効果を発揮し、経済が復興し、お客様が戻って来てくれれば、一時的が恒久的に変わるかもしれない。 私も今はコロナが怖いので仕事を休んでいるけれど、もしワクチンが効果を発揮してくれれば不安なく仕事に行く事が出来るし、家族を巻き込む心配もなくなる。

終わりはもうすぐ。 長い長いトンネルの先に、出口の明かりが見えて来た気がする。 嵐が吹き荒れている時は、姿勢を低くして嵐が過ぎ去るのを待つ。 そうすればその後には青空が広がるのだから。

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マルゲリータトースト


レシピ覚え書き

遅く起きた休日の今日は、簡単に出来るマルゲリータトーストでブランチにしました。 とろけるチーズ、トマト、バジルを乗せてマヨネーズをかけて焼いたトースト。 食べる前にブラックペッパーをかければ完成。

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サンクスギビング2020

昨日の11月26日はアメリカの感謝祭、サンクスギビングデー。 家族や愛する人達同士が集まって、豪華な食事をし、お腹が一杯になったら映画を見に行ったりゲームをしたり、テレビではフットボールが放送され、いかにもアメリカンな祝日。 私はこの感謝祭がアメリカのホリデーで一番好き。 なぜなら、人種宗教も関係なく、全ての人が「持てるものや周りの人に感謝する日」だから。 今年はコロナの影響もあり、政府は連日テレビで「移動しない様に、集まらない様に、集まるなら屋外で、屋内で集まるならマスクを外さないで」と連呼していたけど、おそらくそれはアメリカ人には全く響いていなかった様な気がする。 今年の飛行機での移動旅客数でこそ去年に比べて40%程度だったそうだけど、それでもそれだけの人数の人達が飛行機に乗った訳だし、車での移動に至っては、ほぼ例年通りの多さだったと言う。

家族が集まってお祝いするこのサンクスギビングの祝日は、アメリカ人にとってはクリスマスに並んでとても大切な物なんだと思う。 フライトアテンダントになりたての新人アメリカ人にとっては、サンクスギビングとクリスマスに働かなければならないと言う事実に慣れるのが(特にセニョリティが一番低い新人のうちは)、一番大変な事の一つだと思う。 私も何人もの新人フライトアテンダントとホリデーに一緒にフライトしてきたが、彼ら彼女らがひっそりと涙を流している場面を何度も見た事がある。 特に最初の数年は辛いみたいだ。 仕事中以外はずっと携帯を握り締めて家族とずっとおしゃべりしている。 それも何年かたてばすっかり慣れてしまう物なんだけど。

サンクスギビングのある週と言えば、フライトアテンダントにとっても魔の1週間でもある。 サンクスギビングは毎年11月の最終木曜日なので、会社や学校などはその翌日の金曜日もお休みとし、木、金、土、日と4連休になる。 なのでその週の火曜日辺りから旅客数が増え始め、水曜日は一年で一番旅客数が多い日と言われている。 そして週末が終わった日曜日、月曜日に人々はまた飛行機に乗って家に帰る。 大体水曜日の旅客はホリデー前のウキウキした人達が多いので楽しいフライトになる事が多いのだけど、普段よりお子様連れが多い事もあって手荷物も多く、バタバタと用意して家を出て来る人達が多いので忘れ物騒ぎも多い。 一方ホリデー終わりの日曜日の旅客は、親戚との集まりと子供の世話でグッタリと疲れている事が多くイライラしているか、食べ過ぎ飲み過ぎで機内で具合が悪くなるお客様も非常に多い。 子供連れのお父さんお母さん達が、帰りの機内では子供の世話を放棄し、お酒を飲んで爆睡する光景も良く目にする。 本当にご苦労様なのだ。 私はこの会社で飛ぶ様になって1年目に「サンクスギビング前の水曜日とサンクスギビング後の日曜日は飛んではいけない」と学んだ。 とにかくトラブルが多くて大変なのだ。 でもジュニアにそんな選ぶ権利はないので、毎年サンクスギビング旅客達との攻防戦を繰り広げて来た。

私がフライトアテンダントになる前は毎年夫の実家に帰ってサンクスギビングを祝った物だったけど、最近はなかなか行けていない。 今年もやっぱりコロナが心配なので、年老いた義両親を訪ねるのは残念だけど諦めた。 でも今年のサンクスギビングは、コロナ禍での長期休暇中と言う事もあって、時間だけはたっぷりある。 そこで久しぶりにサンクスギビング料理を一から全部作ってみる事にした。 レシピは全て義父の物。

(画像が鮮明でない物があるのは、ビデオから切り取ったスクショだからです。 スミマセン)

コーニッシュヘンという小さな鶏にお米とマッシュルームの詰め物を入れた丸焼き
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カラードグリーンのターキースープ煮込み
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マカロニ&チーズ トマトのせ
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(奥)お米とマッシュルームのスタッフィング
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ポテトサラダパプリカ風味
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トマトとバジルのパスタサラダ
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パンプキンパイ
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現在のアメリカのコロナと、航空業界を取り巻く状況 2

さて、ここで私はこのまま仕事を続けるのか、仕事を休むのか、の決断を迫られる事になる。3月中旬の時点でのアメリカ国内でのコロナの状況はまだそれほど深刻ではなかったのと、まだその恐ろしさがそれほど認知されていなかったという事もあって、クルーの間でも「睡眠とって栄養とって免疫力上げて、かかったらかかったでその時」と言う人が殆どだったと思う。 しかし数日ごとに報道されるヨーロッパでの感染爆発のニュース、数時間おきに続々と会社から入ってくるフライトキャンセルの情報などを読みながら、私達も次第に危機感を募らせて行く事になった。 

私の中ではすぐに休職、という風にはならなかったのだけど、夫の強い希望で6ヶ月の休暇を取る事にした。 彼は「ここで休めと言わなくて、万が一君がコロナで命を落としたら、後悔してもしきれないから」と言った。 幸い私の場合は、配偶者がいて経済的なサポートもあったのでこういう決断をする事が出来たけれど、働き続けた人達の中には休むというオプションが最初からなかった人達がいた事も忘れてはならない。

こうして4月から10月一杯の6ヶ月間、無給ではあるが長期休暇を取り、未曾有の事態により政府からの給料保証もかなり手厚く、働いていた時の80%程度の失業保険を受け取りながら安全に自宅待機の日々を送る事ができる事となった。 休暇に入った当初は、世間も会社も私も6ヶ月もすればコロナは落ち着き、ある程度の通常運転になるものだと思っていた。 私もきっと秋には仕事に戻り、またフライトが始まるのだろうと思っていた。 しかし、その後のアメリカ政府とアメリカ国民のコロナを甘く見た態度と、それにより当然の様に続く感染爆発により、経済復活どころか、アメリカでのコロナ対策は完全にコントロールを失って行った。

長期休暇も4ヶ月目の7月、会社はとうとう人員削減の計画を発表した。 この時、全てのアメリカの航空会社は政府からの援助金を受けていた。 この援助金は会社を存続させる為に使うお金ではなく、社員の給料の補填にのみ使って良いお金だった。 この援助金を国から受ける代わりに、航空会社は10月1日までは人員削減をしてはならない、という決まりがあった。 国や航空会社の目論見では、それまでには経済は復活し、客足も戻り、通常運転に戻れるだろうと踏んでいたのだと思う。 しかし前述した通りアメリカはまだ暗いトンネルの中。 航空会社というのはその維持費に莫大な費用がかかる。 空港使用料、駐機代、施設使用料、飛行機リース代、人件費、諸々入れると一日で数十億円のお金が流れて行く。 「たくさんの飛行機が地上で空港に駐機したままの現状、このまま人を減らさずに政府の援助が切れればその後2ヶ月でこの会社は倒産します。 それを避けるためには人員削減しかありません。」 会社はこう言って削減予定人数を発表した。 その数、会社全体で3万人以上、客室乗務員だけで1万5千人だった。 アメリカの航空会社は組合員が殆どなので、その場合、人員削減は常に社歴の新しい人から切られていく。 つまりそれは一番下から1万5千人が10月1日付で一時解雇となるという意味だった。 下から1万5千人と言うとなんと社歴25年近い人達までが含まれた。 もちろんその中には社歴15年の私もしっかり入っていた。 

うちの会社の客室乗務員雇用契約では、こういった人員削減がある場合、最初に有志を募らなければならないと言う規約がある。 まずは早期退職者を募集。 その後1年間の長期休職者を募集。 その後に時短勤務希望者を募集。 そしてとうとう残りが一時解雇となる。 長期休職希望者には社員と同等のベネフィットが保証された。 休暇期間の間、通常の社員の様に会社の福利厚生を利用する事が出来る。 給料は入って来ないが、会社支給の健康保険を使えたり、空席のスタンバイチケットを利用する事も出来る。 そして一番大きいのが社歴蓄積が続くという部分だ。 アメリカの航空会社では社歴が命。 1日の社歴違いで飛べるスケジュールにも大きな違いが出るし、この様な一時解雇の場合にはその1日が首がつながるかどうかの違いになる。 一時解雇されてしまったら、その時点で社歴はフリーズとなる。 そして私は夫と話し合い、このコロナ渦に健康保険をなくす事なく、必要な時には日本に帰れるスタンバイチケットが利用でき、社歴をキープし続ける事の出来る長期休暇の希望を出す事にした。 そして、早期退職者、長期休暇希望者、時短勤務希望者を除いた約7千人の私の客乗仲間達が無期限一時解雇となった。 

アメリカのコロナ感染爆発、新大統領の選出、ワクチンの開発など、この一年は本当に目まぐるしい一年だった。 このコロナ禍で仕事を失った人、家を失った人、家族を失った人、そして命を失った人がどれだけいるのだろうと思うと、人類がこのコロナと戦わなければならなかった意味はなんだったんだろう、と思いを馳せずにはいられない。 テレビでは気の滅入るニュースばかりだけど、この2020年がなぜあったのか、いつか振り返って「だからだったんだ!」と思える日がくれば良いな、と思うのだ。 

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現在のアメリカのコロナと、航空業界を取り巻く状況 1

アメリカ疾病管理局(CDC)によると、今現在アメリカのコロナウィルス感染者の総数は12,333,452人、死者総数は257,016人。今日だけを見ても、まだ東海岸時間午後12時の時点で、新規感染者数が157,531人、死者数が1,058人という途方もない数字を叩き出している。 これはひとえにアメリカ政府がコロナ対策を完全に失敗したという事。 しかもかなり早い段階で手に負えなくなっていた。

今年の2月。 私はDC−成田便をメインに飛んでいた。 ちょうどダイヤモンドプリンセス号が横浜港に接岸し、2週間の船上隔離を強いられていた頃だ。 そのニュースはアメリカにも届いていて、一緒に飛んでいたアメリカ人クルーも「2週間も船の上なんて可哀想に。 でも日本政府の対応は素早くて完璧だわ」などと、まさに完全なる「対岸の火事」としてフライトの合間のおしゃべりの話題の一つに上がる、と言った程度の事だった。

2月はDC−成田便間を3往復したが、全ての便が満席だった。 しかも中国でのコロナ流行を受けアメリカが中国からの発着便をストップしていたため、たくさんの中国人旅客が中国から成田を経由してアメリカに入国していた。 もちろんDC便も例に漏れず、普段の5割増しのような状況で機内は中国人のお客様で一杯になっていた。

その頃のアメリカでは、まだ一般にはコロナの危機感というものは浸透していなかったと思う。 うちの航空会社は同業他社の中でもかなり早い段階で中国便キャンセルなどに動き出した方だったが、それでも一部の中国路線はそのまま飛ばし続けていたので、クルーはマスクや手袋を着用しながら見えない敵と戦い、かなり恐る恐るフライトをこなしていたはずだ。 私達成田便のクルーもその頃から手袋・マスク着用するようになったが、これは会社からの命令という訳ではなく、クルーが自主的に始めたものだった。

その後2月も終わり3月に入ると、ヨーロッパでの感染爆発のニュースが大きく報道されるようになった。3月も引き続き成田路線を飛んでいた私だったが、3月の1本目のフライトの前日、急に発熱嘔吐した。 その日いつも通りジムへ行き、普通に運転して帰宅し、帰って来てからシャワーを浴びたのだけど、シャワーの途中で急激な疲労感で急に脚が立たなくなり、シャワーの中で座り込んでしまった。 その後やっとの思いでシャワーを終え、髪の毛を乾かし、身支度を整えた所で再び床に座り込んでしまった。 今まで熱を出した事なんて数え切れないほどあるけれど、こんな風に立っていられなくなる事は初めてだった。 ソファーに寝転び熱を測ると37度5分程度の熱があり、食欲もないので夕食も食べられず、翌日成田までフライトしなきゃいけないのに、これは困った事になったなぁ、と思っていた。 その日はそのまま就寝し、翌朝熱を測ったらまだ熱が下がっていなかったので、その日のフライトを病欠する事にした。 それでもその当時言われていたような喉の痛みや咳などはなくただの発熱嘔吐だけだったので(後にコロナの症状に嘔吐が加えられたが、当初はまだ嘔吐はコロナの症状の一つとは認識されていなかった)、いわゆる24時間胃腸炎のような物だと思いそのまま家で静養していた。 その日の午後にはすっかり復活するのだけれど、その前の月に中国人旅客で満席の成田便を3本飛んでいたので、今思えばもしかしたらあれはコロナだったのかもしれないなぁ、とも思う。 幸いな事に夫に何かをうつす事もなく、やはりあれはただの胃腸炎だったのかもしれないけれど、真相は闇の中だ。

1週間後、予定通り次の成田便を乗務した。 この便が実質私にとって今年最後のフライトとなる。 3月14日にDCを出発し15日に成田到着。 その日は成田近郊のホテルで一泊し翌日の夕方DCへ帰る。 帰り便乗務の出社前の朝ホテルで会社からのメールをチェックしていると、アメリカ政府がヨーロッパからのフライトを当面の間全便キャンセルするように決定したと言うニュースが飛び込んで来た。 その日の空港までのクルーバスの中はこのニュースで持ち切りだった。 なぜなら、国際線をメインに飛ばしている大手の航空会社の場合、国際線がキャンセルになると言う事は、それはそのまま人員削減を意味するからだ。 普段なら成田を飛べるクルーというのは会社内でも一番のシニアクルーなので、会社が倒産しない限り彼らの立場が危うくなる事はない(ちなみに社歴たったの15年の私がなぜそんなシニアな成田を飛べるのかと言うと、日本語スピーカーと言う立場で乗務しているから。 ちょっと別枠なのだ)。 でも、コロナの状況でこうして順番に国際線がキャンセルされて行くと、シニア達も明日は我が身、その日のフライトはみんなが何だか落ち着かないような不安な雰囲気が漂っていたように思う。

飛行機が無事にDCに到着し、お客様が降機されているまさにその時、今度はとうとう成田便がキャンセルになると言うニュースが飛び込んで来た。 その頃のうちの会社内ではこんな風に数時間おきに刻々と状況が変わっていた。 またその前日、アメリカがヨーロッパからの旅客を入国させないという発表をし、それを受けて急遽ヨーロッパからの帰国を急いだ人々が続出したため、シカゴのオヘア空港では入国を待つ人達の列が6時間待ちを超えた、というニュースも入って来た。 そして更に、我が航空会社は国内線・国際線共に90%の便をキャンセルします、ひいては4月のスケジュールから1ヶ月、3ヶ月、6ヶ月の希望休職者を募集します、と発表した。 翌日には私の翌週の成田便もキャンセルとなり、その月のスケジュールは白紙となった。

(続く)

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10年ぶりに、お久しぶりでございます

最後に書いたブログから、なんと(!!!)10年以上の年月が流れてしまいました(放置していたブログを10年後に再開するのもどうかと思いますが)。 皆様、お変わりありませんか? 私はお陰様で元気に暮らしており、コロナにも負けず、自粛生活にも負けず、今こうして自分の無事をブログを通じて皆様に報告が出来ている幸せを噛み締めております。 私も皆様も仲良く10年の歳を取りましたね。 月日が経つのは早いものです。

なんて他人事のように呟いている場合ではございません。 私にはお詫びをしなければならない方々がいるのです。 私は2010年8月の終わりにこのブログを放置いたしました。 それから最後はなんと2018年まで、コメントを残して下さった方々がいるのです。 ここを訪れて下さっている方々に至っては、現在もゼロになった事が無いのです。 その事実をなんと昨日突きつけられ、感動に打ちひしがれたのは私です。 数年経っているけれども私にとっては「新しい」コメントを拝見し、それからまた遡って以前からここにコメントを下さっている方々からの古いコメントを読み始め、コロナで弱っていた心が刺激されたのか、感動で涙腺が緩んでしまいそれ以上読み進める事が出来ませんでした。

改めて、主人不在にも関わらずこのブログを支えて下さっていた皆様に、お礼を言わせて下さい。 本当にありがとうございました。 皆様は、先の見えない鬱々とした世の中、将来に不安しかない毎日の中で、衝撃的に私の心を動かして下さいました。

このブログを始めた当初から、私の読者の皆様は良識のある大人の方々ばかりで、私と同じように空を愛し空に憧れる方々ばかりでした。 私の長文のブログを辛抱強く読んで下さり、読むだけでなく私の意図したところをズバリと汲み取って下さるような、自惚れですが、私達の間には筆者と読者の気持ちの良い関係があったと自負しています。 あれから10年の月日が経ち、SNSというコミュニケーションツールが台頭し、「切り取られた一編」をテンポ良く紡いで行くようなスピード感が気持ちの良い時代になりました。 もちろん私もそのスピード感を楽しむ一人ですし、その場のその瞬間を切り取った一編というのは抗い難い眩しさがあるものです。 でも、じっくりと自分の心の中を探って推敲し練り上げながら繰り出した言葉というのは、何年経っても色あせる事のない価値があるものだと思うのです。 いつか昔の読者の方々が、そして新しい空のファンの皆様がこのブログを再発見して下さり、どこからかここに三々五々集まって下さり私の稚拙な文章を読んで下さるのなら、こんな幸せな事はありません。

さて、この10年間の私自身の事について皆様に近況報告(?!)でございます。 ちなみに、この10年間、私はほとんどキーボードで字を書くという作業をして来なかったので、今はまだ指が思うように動かず戸惑っております。 また長文の日本語を書くという作業もして来なかったので、もしかしたら誤字脱字や文法的におかしい部分もあるかもしれません。 あらかじめお詫び申し上げます。

空白期間があまりに長いので、箇条書きにしてみました。

2010年 務めていた航空会社が他社との合併を発表

2012年 ワシントンDCに戻る事を決意(ここまでの経緯はまた別途で詳しく)

2012年6月 DCベースに転勤願を出し受領され引越し

2012〜2018年 1ヶ月おきにリザーブとラインホールドを繰り返しつつ、国際・国内織り交ぜながら典型的なアメリカのFA生活を送る

2018年 他社との合併が完了し、他社の側からたくさんのジュニアの方達が統合されたため、無事に「そこそこシニアな人」となりリザーブを抜け出す

2018〜2020年 国際線をメインにラインホルダーとして毎月忙しくフライト生活を送る。 主なフライト先は成田、ヨーロッパ

2020年3月 コロナでほとんどの便がキャンセルとなり、以降自主的に長期休暇に入る

2020年10月 政府からの援助金が切れ、航空会社は大量解雇を余儀なくされる。 私自身は解雇は免れたものの、まだフライトには戻らず自主的自宅待機中。 予定では来年の11月いっぱいだが、それよりも短くなったり長くなったりする可能性もあり

と、ものすごーく無理矢理に簡潔にまとめてみました。 やはり10年です。 簡潔には言い表せない長さの時間です。 でも変わっていない事もあります。 やっぱり私は空を愛し空に憧れる一人です。 今は空を飛べず地上に降りていますが、心はいつも上を向いて青い空と白い雲を追いかけています。 飛行機の音がすれば上を見上げ、夕陽に飛び立つ飛行機の尾翼が何よりも美しいと思い見つめ続けます。 そして「いつかあそこが私の帰る場所だ」と思いながら、ちょっと切ない気持ちになるのです。

それでも今は、毎日家にいて毎日家で寝て毎日家でごはんが食べられる、という当たり前の幸せにも感謝しています。 今年は私達の結婚25周年の記念の年でもありました。 本来なら今月、記念の旅行に出かけるはずではずでしたがもちろんそれもキャンセルになりました。 でも考えてみると、夫とこんなに一緒の時間を過ごすのも新婚の時以来だという事にも気付きました。 結婚して最初の一年半はビザの関係もあり働く事が出来ませんでした。 しかしその後は常に接客畑で私は朝も夜も日曜も祝日もないような生活を続けて来たので、私達にとっては毎日一緒に過ごすというのがかなりの事件なのです。 それが、25周年の記念の年に降って湧いたようなこの「毎日一緒」。 これが神様からの贈り物でなければ何なのでしょう。

そして、またこうしてこのブログに向き合う気持ちに出会わせてくれました。 私はこうしてじっくりと腰を据えて文章を書くという事を、長くして来ませんでした。 あえて避けていた部分もあります。 でも言葉がどんどん短くなっている今だからこそ、私は言葉を紡いでみようと思いました。 もしお付き合い下さる方がいらっしゃるのなら、この上ない幸せです。

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一年ぶりに更新など・・・ 飛んでます&引っ越しました

気が付けば一年以上も放ったらかしにしていたこのブログ。 もう読んでくれている人なんていないはず・・・と怖いもの見たさで時々のぞいてみると、毎日必ず数十人の方が覗きに来て下さっている。 しかも、コメントを残して下さる方も。 そんな時の私は申し訳なさでいたたまれなく、その場で穴を掘って埋まってしまいたくなるほど…。 それでもやはり、一旦ブログから離れてしまうと戻ってくるのは本当に難しい。 かなりの気力が必要なのです。

そんな私が急にブログを書く気になったのは、ただ「急に書きたくなったから」。 思いつくのは、先週まで息をつく暇もなく忙しかったのが、ここ数日ぽっかりと何もする事がない日が続き、外は良いお天気、お散歩がてらに美味しいコーヒーを買いに行き、帰ってきたらあまりに気分が良くて、ふと急にブログが書きたくなった、のかも…。 気紛れすぎます、自分。

でもせっかく書きたくなったのだからこの際一気に書こう! 

という訳で、夏ももうそろそろ終わり。 アメリカでは子供たちが夏休みを終えて学校に戻り始めている。 飛行機も夏休みの旅行客で満々席状態が数ヶ月続いたけど、その喧騒も終わりに近づき、私達乗務員もホッと一息。

この数ヶ月、私は本当に有り得ないスケジュールで飛ばされていた。 人員削減がかなり進んでいる我が社では、少ない人員を最大限に有効活用する事に命をかけているらしく、クルーデスクも私達の契約違反ギリギリの所まで攻めてくる。 特にシニア達がバケーションに入る夏の間、ジュニア達は馬車馬のように働かされた。 6月、7月の私のフライトタイム、あと5分で契約違反。 有り得ないでしょ。 しかしこんなギリギリまで人員を使いこなすクルーデスクも、ある意味職人技かも…、と感心している場合ではない。 おかげで私達クルーの体はボロ雑巾状態なのだ。

5月の半ばから現在までに、

シドニー・メルボルン6日間を2回

国内線ドサ周り5日間を2回

成田・ソウル・台北6日間を1回

もう一度シドニー・メルボルン6日間を1回

ハワイ往復乗務(しかも帰りは深夜便)を1回

国内線ドサ周り3日間を3回

ロンドン3日間を1回

…と、これだけを飛ばされた私。 そして私の場合は、この他にハワイ−LA間のコミュートが入る。 4日間の休みは実質2日間になってしまう。 そして夏の間のハワイ−LA便は満席続きだ。 お客様用の座席を確保出来ず、仕方なくジャンプシートで飛ぶ事80%の確立。 しかもジャンプシートでは寝る事が許されない。 座り心地の悪いジャンプシートで、一睡もせずに6時間耐えるというのは、かなりの拷問に近いのだ。

おかげで体を休める暇もなく、この間に唾液腺が詰まって顔がおたふくのように腫れる事1回、あまりの疲労でもう仕事できましぇん状態に陥る事1回、計2回ほど仕事を病欠した。 私の記憶の中でもこんなに凄まじい数ヶ月を過ごした事は初めてだ。 一説によると、クルーデスクが6月7月にバケーションを許可し過ぎてしまい、予定よりも少ない人数でオペレーションを回さなくてはならなくなった、という事らしい。 もうちょっとー、クルーデスク、そういう事、ちゃんとしてよね!!

で、ようやく通常業務パターンに戻りつつある現在。 おかげで私もこうしてのんびりとLAのクラッシュパッドで仕事の入らない休日を楽しむ事が出来るようになった。

ちなみに、ハワイの我が家でもちょっとしたニュースが。 今まで住んでいたコンドミニアムを引越し、歩いて5分ほどのところにある2階建てアパートに引越しをした。

今までのコンドミニアムもとても気に入っていたのだけど、何せ大通りの大交差点に面していたので、騒音のうるささが尋常ではなかったの。 そして私達の部屋は7階にあったのだけど、どうやら鉄筋ビルの7階というのは反射音が一番入って来る階らしく、私達の部屋でも、大通りの向こう側の歩道で、携帯で話しながら歩いている人の話し声が普通に聞こえてくる、という不思議な現象にも悩まされた。

とにかくどんな音も入ってくるのでうるさい、うるさい。 休日の朝もゆっくり寝坊したいのに、朝から車の排気音で目が覚めるというのは、あまり爽やかなものではなかった。 しかもうちの夫の場合は職場が家の中なので、一日中家の中にいる夫が一番の被害者だったかも。

このコンドもとても良い物件で、良い大家さんと窓から見える壮大なマノアの山の景色とお別れするのは少し寂しかったけれど、とにかく静かな家を探そう、という事で新しい住みか探しを開始。 探し始めて数日後に、この新しいアパートと出会った。

古いアパートを全面改装したばかりのこのアパートは、中が二階建てで、アパートと言うよりはタウンハウスという感じ。 一階にリビングルームとキッチン、そして小さい小さいダイニングエリア。 階段を上って二階にベッドルームが二つとバスルームが一つ。 間取りとしては前のコンドミニアムと変わりはないけれど、一階と二階に分かれているだけで、かなり印象が違って広々とした感じだ。 しかも前の場所よりも収納スペースが多いのがありがたい。 キッチンも広くなったので、私としてはこれが一番嬉しいなぁ。

そして何より、今までのコンドから歩いて5分しか離れていないなんて信じられないほど静かだ。 アパートの裏にはアラワイ運河の支流が流れ、アヒルの家族が住んでいる。 その向こうは高校のグランドになっていて、日中は高校生がスポーツで汗を流すのが遠くに見える。 そしてその先にはダイアモンドヘッドの雄姿が。 今までの大交差点の風景からするとなんてのどかな風景だろう。 外をボンヤリ眺めているだけで心が穏やかになってくる。

夫が一人で初めてこのアパートを見学した日、私は仕事があったので行けなかったのだけど、ここの管理人さんと不動産屋さんが夫の事をいたく気に入ってくださり、私達の前にこの部屋の申し込みが3件ほどあったらしいのを全部断り、ぜひうちに、とおっしゃって下さったのだった。 しかも申し込みの列はその後にも30件ほど続いていたらしい。

管理人さんの叔父さんという人がここのオーナーで、日系1世の方なのだけど、戦中、戦後に非常な苦労をされて、その後に建築業界に入られ、「良い人達に、良い物件を、良い値段で」提供する事が彼の望みなのだと、その甥っ子の管理人さんがおっしゃっていたそうだ。 そのおかげでお隣さんやお向かいさん達も、とても良さそうな人達ばかり。 今までの高層コンドミニアムでは「お隣さん」なんて感覚すらなかったけれど、ここでは昔の日本の「ご近所さん」的雰囲気が残っている。

善良市民の夫のおかげ(?)で、とても素敵な物件を非常に良いお値段で契約させていただく事が出来た。

そして引越しの日。 歩いて5分のところだから引越しも簡単よねー、なんて高をくくっていたら、やっぱり引越しは大変だった! ソファーやベッドなどの大きいものはさすがに引越し屋さんにお願いしたけれど、後は全部自分達で。 少しずつ荷物をまとめて車に積んで、何度も何度も往復をしながらようやく荷物の引越しは終わり。 その時点で私はもう仕事に出なければならなかったので、疲れきった夫を一人残しLAへ。 残された可哀相な夫は、その後の片付けをすべて一人で終えてくれた。 持つべき物は出来た夫です。

今夫はウチの中で一番良い部屋を独り占めしています。 大きな窓の向こうには雄大なダイアモンドヘッドが眼前に迫り、眼下にはアラワイの流れ。 その窓際に机を据えて、せっせとお仕事に勤しむ夫。 引っ越して来て本当に良かったね。

私はまだあと1週間ほどハワイに帰れないのだけど、帰ったらいろいろとインテリアを考えるのが楽しみです!

ご無沙汰しております

再び「ブログ更新面倒くさい病」にかかっていた私。 いよいよ日本に住む親から「ブログ更新しておくれ」メールが届き、さすがの私も重い腰をよっこらしょと持ち上げる事に。 皆様お元気ですか? 毎日毎日こんなふがいない私のブログを覗いて下さって本当にありがとうございます。

私は今LAの空港オフィスの穴倉のようなクルーラウンジ(クルー用の休憩場所)で空港スタンバイ中。 朝7時45分から4時間。 もうすでに何事もなく3時間が過ぎた。 あと1時間で開放される〜。

さて、私がホノルルに引越し、LAベースにトランスファーしてから、すでに半年が過ぎた。 時がたつのは本当に速い。 この間、心配していたホノルル−LA間のコミュートも思ったよりもスムーズで、まさに「案ずるより産むが易し」だ。 でも十分に案ずる事も大切、と個人的には思うけれど。

そんな中、我が社では二回目のファーロー(長期無給休暇)が実施された。 前回は1550人がファーローされたのだけれど(この時は全員が希望者で、希望しない人の強制ファーローは避けられたの)、ファーロー後も景気が回復するどころか更に悪化し、客足の復活も会社の予想よりもだいぶ遅いという事で、更に600人が追加され合計2150人がファーローされる事になった。

我が社の規定で、一旦決まったファーローの人数を変える場合は、現在ファーローしている人達を全員呼び戻し、もう一度最初から希望を取り直さなければならない、という決まりがある。 前回のファーローは、例のウォールストリートの崩壊の直前だったため、今よりも景気も良く失業率も全然低かったので、たくさんの人が希望しファーローしていった。 ところが今回は未曾有の大不況の真っ只中。 家族や配偶者が失業中、という人が多い中のファーロー。 前回よりも希望者の数が大幅に低くなる事が予想されていた。

ファーロー前に会社が出した「希望者がゼロだった場合の予想される強制ファーローのセニョリティ」の中には、しっかり私も含まれていた。 こういう場合は社歴の低い順番に下から切られるので、今回は2000年入社の人達までが含まれていた。 焦ったのは私達ジュニア達。 私は2006年入社なので強制ファーローの可能性超大だったのだ。

ファーローを希望して取った場合、ファーローしている間も社歴を積み上げる事が出来、福利厚生をそのままキープ出来る、というメリットがある。 一方、強制ファーローされた場合は社歴はそこでストップ、福利厚生も取り上げられてしまう。 そこで2006年入社以下のジュニア達がこぞってファーローの希望を出した。 本当ならまだまだ飛び続けたいけれど、この不況の中、特に家族のいる人達は、健康保険を取り上げられてしまうというのは不安が大きすぎる(アメリカには国民保険というものは存在しないの)。 ファーローしても次の仕事が見つかる保障はまったくない中、本当にたくさんのジュニア達が(しかも私達はすでに薄給なのに)、本来なら希望しないファーローを希望せざるを得なかった。

一方の私はというと、持ち前の(?)大らかさというか暢気さというか考えのなさで、ファーローは希望しなかった。 もし強制ファーローされるのだったら、その時はその時。 無駄に不安になったり心配したりせずに、目の前に来る物に1つ1つ対処していこう、そう思っていた。

結果は会社が必要とした2150人に足る人達が(その大多数がジュニアだったけど…)ファーローを希望し、私は強制ファーローをまぬがれた。 本当にありがたいと思った。

もし私が今ファーローされたら、この失業率の高いハワイ内で仕事を見つけるのはほぼ不可能に近い。 出来るとしてもバイトを2つも3つも掛け持ちしなければならないような状況になってしまう。 私は自分の幸運に感謝すると共に、もうどうしようもなく、ファーローを希望する選択しか出来なかったジュニアの同僚達に心を馳せた。

彼らは今月末で最長2年半の休職に入る。 ある同僚は希望してファーローを取ったのだけど、その理由は現在ご主人が失業中だったから。 もしこれで彼女まで強制的にファーローさせられたら、今二人を支えている健康保険を失ってしまう事になってしまう。 それを避けるために希望しないファーローを希望せざるを得なかったと彼女。 おかげで健康保険はキープする事が出来たけれど、今度は夫婦二人とも失業中の身となってしまった。 今アメリカの失業率は10%に迫る勢いだ。 収入が途絶えてしまい、彼女は不安におののいている。

実はアメリカではこんな人達は珍しくない。 本当に悲劇的な話をあちこちで聞く。 そう思うと、今仕事のある自分の身に感謝せずにはいられなくなる。 ありがたい事に夫も良い仕事に恵まれている。 こんなご時世、不満など言ったらバチが当たるのだ。

ハワイも不況にあえいでいる。 ハワイの主要産業である観光業も例外ではなく、ワイキキに林立するホテルの集客率は60%程度だと聞く。 週に5日働いている人は非常に少なく、みんな週に2日か3日働く仕事をいくつか掛け持ちして日々なんとか生きている。 特に今年は新型インフルエンザの影響で、ゴールデンウィークに予想された日本からの旅行客数が大打撃を受けたために、ハワイにとっては辛い一年となりそうだ。

そんな中でも私達夫婦は何とかやって行けています。 ありがたい事です。 私の給料も減り、ハワイに住む事で日々の出費も増え、生活は決して楽ではないけれど、毎日ご飯が食べられて、二人とも健康で、とりあえず笑って暮らせているので大丈夫です。 今が踏ん張り時。 嵐が吹き荒れようとも、身を低くして嵐が通り過ぎるのを待っていれば、いつか嵐はやみ、そのあとには晴天が待っています。 今これを読んで下さっているかもしれない今が辛い方達も、希望を捨てずに前を向いて一緒に頑張りましょう!

今日のLAの空は珍しくグレー。 ハワイのおうちが恋しいよ。

まるで交換留学生?! LAでハワイアンライフ体験中

皆様お久しぶりでございます。 私は元気にLAベースFA生活を満喫しております。 心配していたコミュートも今のところは特に問題なく、仕事に穴を開ける事もなく、無事に飛行機通勤を続けています。 不況のあおりを受けて相変わらず私達リザーブに回ってくる仕事は少ないですが、LAからはハワイ便が多い事もあって(ホノルル、マウイ、コナ、カウアイへのフライトがあります)、今までDCで飛んでいたフライトとはガラッと様相の違うフライトを経験出来るのが楽しいです。

またLAベースの人達の人柄も最高です。 西海岸の人達のフレンドリーさは、東海岸の勝気で直球勝負の人達の中で揉まれて来た私にとっては、とても新鮮です(と言って東海岸の人達が意地悪という訳ではなく、それは別の種類の優しさです)。 世界中にたくさんのフライトを持ち、毎日西へ東へとたくさんのFA達がひっきりなしに飛び立ち、何年いても初対面の人達ばかりのDCベースに所属していた私から見ると、フライト数も少なく国内線がメインで、所属人数もベース自体も小さく、どこですれ違っても顔見知りばかりのLAベースは、本当にこじんまりとしたアットホームなベースで居心地は抜群です。

コミューターなのでハワイの家にいられるのが月のうち10日前後というのが少し寂しいですが、その代わりにLAでの仮の棲家であるクラッシュパッド生活がとても楽しいので、楽しい時間はあっという間に過ぎ、その合間にしている少ない仕事もあっという間に終わり、気が付けばお休みでハワイに戻っている、という生活です。 こんな生活も悪くありません。

さて、私のクラッシュパッドには私を入れて8人の女性が住んでいます。 全員がホノルル出身の生粋のハワイアンです(そしてほとんどが日系人)。 クラッシュパッドの中はハワイの食べ物が溢れ、ハワイ訛りの英語が飛び交い、そんな彼女達と一緒に暮らしていると、まるでハワイの家にホームステイしているかのような錯覚に陥る事があります。 ちなみに余談ですが、このハワイ訛りの英語はメインランドから来た者にはけっこう曲者です。 うちの夫はいまだにこのハワイ訛りの英語に苦労しているようで、お店やレストランで店員さんの話している言葉がわからない事が多々あるようですが、私はこのホームステイのおかげで今ではすっかり問題ありません。 しかも最近では自分もハワイ訛りの英語を話す事も多くなりました。 「影響されやすい」とは私のためにあるような言葉です。

ハワイの人達は2人以上が集まると必ず何か食べ物を出してくるのですが、こういうところはやっぱりアジアの影響なんだろうなぁ、と思います。 出てくる食べ物で多いのが、ポップコーンにあられを混ぜた物(ハワイではハリケーンポップコーンとして最初から混ざった物がスーパーでも売られてます)や、おにぎり(必ず焼いたスパムとかGoteborgというソーセージと一緒に出て来ます)、バター餅(カスタード味のお餅、と言う感じなのですが、モチモチとして甘くて香ばしくて、とにかくもんのすごく美味しくて一度食べ始めたら止まりません)などです。

ポップコーンもおにぎりもお餅もすべて日本でも食べ慣れた物だけど、ちょっとしたひと工夫で完全にハワイアンになっているところが見事です。

ハリケーンポップコーン
ポップコーンを電子レンジでポップしたら、お好みのアラレを混ぜるだけ。 ぷりかけを一緒に振りかけても美味しいそうです。

おにぎり
おにぎりの成型はおにぎりの型で。 塩はまぶしません。 三角形の型で押したおにぎりに、「両面」をたっぷりと醤油に浸した海苔を巻きます。 醤油でしっとりとした海苔がご飯にぺったりとくっ付くところがミソです。

Goteborg(ゴテボーグ?)
もともとはカウアイ島でメジャーだった食材らしいのですが、最近になってオアフ島でも見られるようになったようです。 見た目はサラミの大きなバージョンに似ています。 薄くスライスしたGoteborgを、フライパンで焦げ目が付くまで焼き、油が出たらペーパータオルで余分な油をふき取ります。 カリカリになった所をおにぎりと一緒にいただきます。 焼いたGoteborgに丸めたご飯を乗せて、その上にふりかけなどをかけた物を「Goteborg Musubi」というそうです。

スパムむすび
これは日本人の人にもすっかり有名になりました。 ランチョンミートのスパムを薄くスライスした物をフライパンで焦げ目が付くまで焼き、余分な油をふき取ったら、そこにスパムの空き缶を利用してスパム型に押したご飯を乗せ、海苔でくるりと巻きます。

バター餅
ハワイではTimesというスーパーで売っているそうです。 レシピは非常に簡単なのでご家庭でも試してみてください。 アメリカのレシピを教わりましたが、分量や温度の単位が違うので、日本の皆さんもお試しいただけるようにこちらからレシピをお借りしました。 ココナッツミルクが入っていますが、レシピを見るまではココナッツミルクが入っている事さえわからなかったくらいなので、ココナッツミルクが苦手な方でも大丈夫だと思います。

材料
・もち粉 1ポンド (約454g ハワイで市販のもち粉なら1箱)
・砂糖 カップ2
・ベーキングパウダー 小さじ2
・バター カップ1/2 (120g)
・バニラエッセンス 小さじ1
・卵 4個
・エバミルク 1缶(12オンス)
・ココナッツミルク 1缶(12オンス)

作り方
1. 大きめのボウルでもち粉、砂糖、ベーキングパウダーをよく混ぜる
2. 別のボウルで、溶かしたバター、エバミルク、ココナツミルク、バニラエッセンス、卵をよく混ぜる
3. 1を混ぜ入れ、またよく混ぜて、バットに入れる
4. あらかじめ、180℃に熱しておいたオーブンで約1時間焼く
5. 冷まして切り分ける

こんな感じで、LAのアパートで、ハワイの人達に囲まれ、ハワイ訛りの言葉の波に飲み込まれ、美味しいハワイの食べ物に舌鼓を打ち、ハワイの人達の温かい人柄に日々感激しています。 それはまるで高校生の子供が初めて外国でホームステイをする時のように、すべての事柄に感激しながら、教えられ、助けられ、あれもこれもと吸収したくなる気持ちに似ています。

…あれ? 私、ここに仕事しに来てるんだったよね…?? ま、いっか。

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ホットコーラとはなんぞや、という方へ

去年の終わり辺りにホットコーラについてのブログをアップしたのですが、最近このブログを読み始めて下さった方で「ホットコーラって何?」という方のために、もう一度ホットコーラの作り方を。

コーラ(またはお好みでダイエットコーラ)をマグカップに注ぎ、その中に摩り下ろした生姜を大匙1杯ほど入れ(チューブの物でもOK)、そのままレンジで沸騰するまでチンします。 沸騰したら中身を良くかき混ぜ、熱いうちに一気に飲む!

これで体中ポカポカと温まり、そのまま寝てしまえば汗をたっぷりとかいて、翌日は喉の痛みや鼻水などの風邪の症状も治ってスッキリと目覚めます。

これは中国ではとてもポピュラーな風邪の民間療法なのだそうです。 フランスでも風邪を引いたら炭酸を抜いたコーラを飲むそうですよ。 この「炭酸を抜く」というところがポイントみたいです。 中国でコーラを温めるのも(中国ではお鍋でコーラの量が半分になるまで煮詰めるらしいです)炭酸を抜くのが目的だそうです。 炭酸の入っていないコーラの「コーラシロップ」には、生薬成分が入っているので、実はアメリカでも昔から胃腸の薬として薬局などでも売られていたそうです。 いろいろやり方はありますが、風邪の時は「温めたコーラに生姜を入れて徹底的に体を温めよう」という中国風のやり方が、やっぱり効き目は抜群のような気がします。

私はいつも「風邪の引き始めに徹底的に薬を飲む」というやり方を信じていたのですが、特にアメリカの薬は効き目が疑わしく、どうも薬を飲んでも風邪は悪くなるばかり…のような気がしていたんです。 薬を飲んでも飲まなくても1週間くらいで風邪は治る(というか、1週間は治らない)ので、だったら飲まない方が良いくらいかも、と思っていました。 そんな時にあまりに寒かった風邪気味の冬の日、ふとこのホットコーラの事を思い出して作ってみたら、効果絶大だった、という訳です。 それ以来私は風邪にはホットコーラ一本です!

まだ未体験の方、本当に騙されたと思ってお試し下さい。 その効果にビックリしますよ!
Profile

ワシントンDC在住。 日本で国際線CAを5年経験の後、10年のブランクを経て現在は米系航空会社のFA。命の趣味のバレエは現在休止中。

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