2014年03月06日16:14ブログ移転のお知らせ
2014年3月よりブログをアメーバブログに移転します。
移転先のURLは以下の通りです。
http://ameblo.jp/ayusbay
ブックマークやお気に入りにご登録頂いていた皆様は
お手数をおかけしますが、登録の変更をお願い致します。
なお、新しいブログでも過去の記事はお読み頂けるように設定してあります。
今後とも、よろしくお願い致します。
高島なゆみ
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高島なゆみ
2014年02月14日20:58ネガティブシンキング
「起きたことにくよくよし、何時までもそこから意識が離れない」→ネガティブシンキング。
「過去の起こったことを引きずり続け、またこうなっちゃうかもしれないという恐怖からあらゆる行動に制限をかける」→ネガティブシンキング。
これは確かに充分ネガティブな情報の使い方だ。
起きたことに意識が集中する、そこからしか未来の時空が捉えられない、それはかなり制限が強い。
制限が強い、要するに自由度がないということは、物事が発展していくエネルギーが育たないということで、制限領域までいくとエネルギーが逆方向に流れだし、エネルギーがブロックされた状態を作りだし、発展し、変化するというのを妨げる。
そういう思考回路をネガティブシンキングと言う。
この間のエナジェティックヒューマノロジー講座は、「自己確立」を課題にして開かれた。
その講座で「まずは自分を知る、自分を確立する」がなければ、自分が何をしたいのか、どういう自分でいたいのかが分からない。
そこが抜けてしまうと、相対の意識の中で、もしくは自分が経験したことを通して、「自分はこれをやるべき、こうなるべき」というネガティブな思考回路で生きることになる、ということを話した。
その時の反応が私にはちょっと意外だった。
受講者の皆さんが、「エッ?」という顔をした。
もしかして「こうすべき、こうなるべき、これをしなければいけない」という意識を、ネガティブな意識として捉えていないのではないか、と感じた。
自分の目標を定める。
その目標に向かって、自分がやるべきことをリストアップする。
そしてそれをやることによって、自分の目標を達成する。
それはとても建設的な意識で、ネガティブではない、ということなのかもしれない。
「ではみなさん、声に出して言ってみてください。
「私はこれをやりたい」と「私はこれをやらなければならない」と。」
明かに情報の広がりは違う。
これをやりたい、という世界感には、無限の広がりがある。
それをやりながら、意識がどんどん広がって、色々なことに気づいていくような感覚がある。
気づきは新たな「やりたい」を生み出し、その連鎖は自分の人生を広げ続けてくれるような自由な、陽のエネルギーが跳ねている。
しなければならない、と言った途端に、情報は重さを帯びる。
閉ざされた上限の中で、そこをゴールと定めて、やっていくということにだけ意識を集中し、早く、なるべく正確に、道を外さずにゴールに到達しなければならないという情報が、がちがちに入ってくる。
一つのしなければならないは、次のしなければならないを生み出し、できなければまるで何か人生の大きな失敗をしでかしてしまうような、恐怖や不安を掻き立てる。
これは呪縛だ。
明かなネガティブなエネルギーだ。
自分が「これやらなきゃ」と思ったら、何故「やらなきゃいけないと思っているのか?」を考えるというのは、自分を知る一つのいい方法だ。
どこで何故、自分がやることを義務化しているのか。
何故しなければならないと思い込んでいるのか?
自分がこういう自分に成長したいと思い取り組んでいることを、何故「しなければいけない」と表現しているのか。
こういう風に変化していきたい自分が、その過程で辿る道には、たくさんの選択肢があって、日々変化の中で、それを自由に選べる、こうしなければと思い込むことが、どれだけ制限をかけていることか、よく考えてみた方がいい。
こういう自分に成長したいから、これを今やりたい、という気持ちを持てた方がずっと楽しく、ずっと現実化しやすいのに。
しなければならないのか、やりたいのかを、一度自分に問いただしてみるという習慣を身に着けるといいかもしれない。
これも内観の一つだ。
「過去の起こったことを引きずり続け、またこうなっちゃうかもしれないという恐怖からあらゆる行動に制限をかける」→ネガティブシンキング。
これは確かに充分ネガティブな情報の使い方だ。
起きたことに意識が集中する、そこからしか未来の時空が捉えられない、それはかなり制限が強い。
制限が強い、要するに自由度がないということは、物事が発展していくエネルギーが育たないということで、制限領域までいくとエネルギーが逆方向に流れだし、エネルギーがブロックされた状態を作りだし、発展し、変化するというのを妨げる。
そういう思考回路をネガティブシンキングと言う。
この間のエナジェティックヒューマノロジー講座は、「自己確立」を課題にして開かれた。
その講座で「まずは自分を知る、自分を確立する」がなければ、自分が何をしたいのか、どういう自分でいたいのかが分からない。
そこが抜けてしまうと、相対の意識の中で、もしくは自分が経験したことを通して、「自分はこれをやるべき、こうなるべき」というネガティブな思考回路で生きることになる、ということを話した。
その時の反応が私にはちょっと意外だった。
受講者の皆さんが、「エッ?」という顔をした。
もしかして「こうすべき、こうなるべき、これをしなければいけない」という意識を、ネガティブな意識として捉えていないのではないか、と感じた。
自分の目標を定める。
その目標に向かって、自分がやるべきことをリストアップする。
そしてそれをやることによって、自分の目標を達成する。
それはとても建設的な意識で、ネガティブではない、ということなのかもしれない。
「ではみなさん、声に出して言ってみてください。
「私はこれをやりたい」と「私はこれをやらなければならない」と。」
明かに情報の広がりは違う。
これをやりたい、という世界感には、無限の広がりがある。
それをやりながら、意識がどんどん広がって、色々なことに気づいていくような感覚がある。
気づきは新たな「やりたい」を生み出し、その連鎖は自分の人生を広げ続けてくれるような自由な、陽のエネルギーが跳ねている。
しなければならない、と言った途端に、情報は重さを帯びる。
閉ざされた上限の中で、そこをゴールと定めて、やっていくということにだけ意識を集中し、早く、なるべく正確に、道を外さずにゴールに到達しなければならないという情報が、がちがちに入ってくる。
一つのしなければならないは、次のしなければならないを生み出し、できなければまるで何か人生の大きな失敗をしでかしてしまうような、恐怖や不安を掻き立てる。
これは呪縛だ。
明かなネガティブなエネルギーだ。
自分が「これやらなきゃ」と思ったら、何故「やらなきゃいけないと思っているのか?」を考えるというのは、自分を知る一つのいい方法だ。
どこで何故、自分がやることを義務化しているのか。
何故しなければならないと思い込んでいるのか?
自分がこういう自分に成長したいと思い取り組んでいることを、何故「しなければいけない」と表現しているのか。
こういう風に変化していきたい自分が、その過程で辿る道には、たくさんの選択肢があって、日々変化の中で、それを自由に選べる、こうしなければと思い込むことが、どれだけ制限をかけていることか、よく考えてみた方がいい。
こういう自分に成長したいから、これを今やりたい、という気持ちを持てた方がずっと楽しく、ずっと現実化しやすいのに。
しなければならないのか、やりたいのかを、一度自分に問いただしてみるという習慣を身に着けるといいかもしれない。
これも内観の一つだ。
2014年01月29日15:42内観
内観という言葉は、なんとも小難しい響きを持っているが、簡単に言えば、自分は何を感じているのかをしっかり理解することだと私は思う。
瞑想するように目をつぶり、自分の心の中に必死に意識を向けるということをしなくても、今この瞬間、自分が何を感じているのかを、自分が理解するという単純なこと。
しかし、これが結構難しいらしい。
まず、感じるというセンサーが鈍っていると、内観は始まらない。
肉体でも感情でも、感じるところから内観は始まるから。
ここに、どうも最初のハードルは存在している。
感じたことで波立つ自分の感情の処理ができないことからくる、逃避傾向が強い人は思いのほか多い。
感じて怒る、感じて苦しむ、感じて恥じる、感じて凹む、という感じたことから起こる自分の変化を持て余してしまうのが困るので、なるべく感じないようにする、という防衛術を身に着けてしまう。
また、感じたことと表現することは違うという、ものすごく簡単な道理を理解していない人も多い。
感じたことを表現せずに抱えているのが辛い場合もあり、また、感じていることと、表現することにずれが生じると、自分が正直な人間ではない、と思う場合もあるらしい。
故に、あんまり感じないようにしようという、変な理屈が成り立つらしい。
感じていることを感じないようにする方が、感じたことをオブラートに包んで当たり障りなく表現するより、ずっと自分に正直ではないに決まっているのにね。
ともかく色々な理由で、自分の心が振動し、自分に変化を告げることを遠ざけてしまうと、もうそこで内観はできない。
当たりまえのことだが、負の感情を遠ざけてしまうと、楽しい、嬉しい、幸せなどの感情にも、センサーは鈍感になる。
心の湖は、負や正の情報を選り分けて波立つわけではないから。
負の情報を感じないように頑張れば、湖に氷が張って、どの情報にも波をたてなくなる。
要するに負の情報で内観はできないかもしれないが、楽しい、嬉しい、幸せという情報から内観すればいいや、というわけにはいかない。
内観の第1歩は、自分が感じていることを、そのまま受け止める勇気から始まる。
自分を受け入れるとはそういうことだ。
そして、耳を澄ませる。
自分の心の振動に。
何、何? 何を感じたの?
え、どうしてあなたはこれをそういう風に感じたの?
え、苦しいの、辛いと思ったの?
なんで、なんで辛いの? 苦しいの?
と自分に問いかける行為だ。
イライラしている。 何で?
心が重い。 何で?
なんだかやる気が出ない。 何で?
と自分の話を聞いてあげる行為だ。
そしてその答えを自分の中に見つける行為だ。
誰かや社会や親や仕事のせいで自分がこういう状態になっているのではなく、自分の何かがその状態を作り上げているということに意識を向ける行為だ。
瞑想などをやる必要なく、どこでもどの状態でも自然に行える、とても簡単なことだ。
幼い子供が、なんで?を連発するように、自分に何で?と問いかけ続ければいい。
そうすると自分の事が良くわかってくる。
ダメな自分、愚かな自分、怖がりな自分、臆病な自分、意地悪な自分、弱い自分。
幸せな自分、豊かな自分、穏やかな自分。
それをしっかり受け止めて、では、それをどうするかを考える。
課題として持つのか、解決に乗り出すのか、今、自分を変えるのか。
自分が豊かで、幸せで、穏やかで、心地よい状態でいるというのは、どいういことか。
その繰り返しが自分を理解していく道だ。
その道を辿っていくと、他者のことも少しは見えるようになる。
自分を見るように、相手を見て、受け入れて、何で?と答えを探す。
内観が苦手な人は、自分との心の会話がうまくできない。
自分との心の会話ができない人は、他者との心の会話もうまくできない。
自分との距離を遠く持つ人は、他者との距離も遠く持つ。
瞑想するように目をつぶり、自分の心の中に必死に意識を向けるということをしなくても、今この瞬間、自分が何を感じているのかを、自分が理解するという単純なこと。
しかし、これが結構難しいらしい。
まず、感じるというセンサーが鈍っていると、内観は始まらない。
肉体でも感情でも、感じるところから内観は始まるから。
ここに、どうも最初のハードルは存在している。
感じたことで波立つ自分の感情の処理ができないことからくる、逃避傾向が強い人は思いのほか多い。
感じて怒る、感じて苦しむ、感じて恥じる、感じて凹む、という感じたことから起こる自分の変化を持て余してしまうのが困るので、なるべく感じないようにする、という防衛術を身に着けてしまう。
また、感じたことと表現することは違うという、ものすごく簡単な道理を理解していない人も多い。
感じたことを表現せずに抱えているのが辛い場合もあり、また、感じていることと、表現することにずれが生じると、自分が正直な人間ではない、と思う場合もあるらしい。
故に、あんまり感じないようにしようという、変な理屈が成り立つらしい。
感じていることを感じないようにする方が、感じたことをオブラートに包んで当たり障りなく表現するより、ずっと自分に正直ではないに決まっているのにね。
ともかく色々な理由で、自分の心が振動し、自分に変化を告げることを遠ざけてしまうと、もうそこで内観はできない。
当たりまえのことだが、負の感情を遠ざけてしまうと、楽しい、嬉しい、幸せなどの感情にも、センサーは鈍感になる。
心の湖は、負や正の情報を選り分けて波立つわけではないから。
負の情報を感じないように頑張れば、湖に氷が張って、どの情報にも波をたてなくなる。
要するに負の情報で内観はできないかもしれないが、楽しい、嬉しい、幸せという情報から内観すればいいや、というわけにはいかない。
内観の第1歩は、自分が感じていることを、そのまま受け止める勇気から始まる。
自分を受け入れるとはそういうことだ。
そして、耳を澄ませる。
自分の心の振動に。
何、何? 何を感じたの?
え、どうしてあなたはこれをそういう風に感じたの?
え、苦しいの、辛いと思ったの?
なんで、なんで辛いの? 苦しいの?
と自分に問いかける行為だ。
イライラしている。 何で?
心が重い。 何で?
なんだかやる気が出ない。 何で?
と自分の話を聞いてあげる行為だ。
そしてその答えを自分の中に見つける行為だ。
誰かや社会や親や仕事のせいで自分がこういう状態になっているのではなく、自分の何かがその状態を作り上げているということに意識を向ける行為だ。
瞑想などをやる必要なく、どこでもどの状態でも自然に行える、とても簡単なことだ。
幼い子供が、なんで?を連発するように、自分に何で?と問いかけ続ければいい。
そうすると自分の事が良くわかってくる。
ダメな自分、愚かな自分、怖がりな自分、臆病な自分、意地悪な自分、弱い自分。
幸せな自分、豊かな自分、穏やかな自分。
それをしっかり受け止めて、では、それをどうするかを考える。
課題として持つのか、解決に乗り出すのか、今、自分を変えるのか。
自分が豊かで、幸せで、穏やかで、心地よい状態でいるというのは、どいういことか。
その繰り返しが自分を理解していく道だ。
その道を辿っていくと、他者のことも少しは見えるようになる。
自分を見るように、相手を見て、受け入れて、何で?と答えを探す。
内観が苦手な人は、自分との心の会話がうまくできない。
自分との心の会話ができない人は、他者との心の会話もうまくできない。
自分との距離を遠く持つ人は、他者との距離も遠く持つ。
2014年01月23日23:45タロットカード〜今年の課題〜
毎年、年初めから2月14日までの間、特別なタロットリーディングをしている。
目的は、今年一年の課題をしっかり意識において一年を有意義に過ごすことだ。
日々の煩雑さに気を取られて、毎日をこなすだけの日々を送らずに、「えっと、今年の私の課題は何だったけ」ということを少しでも意識に持っていたら、自然にスルーしてしまうようなことを、自分を成長させてくれる気づきに変えることができるかもしれない。
突然襲いかかられたような不運なできごとを、がむしゃらになんとかしなければと思うより、「この出来事を今年の自分の課題に生かすためには、どうしたらいいのかしら」と考えるだけで、ただこなし、過ぎていく出来事が、自分を成長させてくれる大切な宝に変わるかもしれない、そんなことを思い、始めた企画だ。
毎年毎年それを続けられるのは、それを受けに来てくださる方々がいらっしゃるからで、ありがたく思いながら、少しでも日々の中の気づきの助けになってくれたらと願ってもいる。
今年は今までの傾向で言えば、あまり劇的な変化を遂げるというよりも、穏やかなささやかな情報に気づき、耳を傾けながら、自分を変化させていく、というタイプの人が多い。
劇的な何か〜要するにカードで言えば大アルカナのリセット系などを出さずに、新しい意識、ステージに自分を導くのは、結構難しい。
ともかく「微細な情報を取る」ということをやらなければならない。
大きな音や、おおざっぱな味付け、強烈な匂いはものすごくわかりやすいが、ものすごくささやかな音、微妙な御出汁の味、ほのかな匂いに気づき、それを楽しんだり、味わったりするのは、繊細さを要求される。
小さな情報をしっかり受け止め、自分を成長させるというカードを出した人は、その情報が取れるほど成長しているのか、それともその課題に取り組むのが初めてで、お手柔らかに物事が進んでいるのかはわからないが、ともかく「やっちまった〜。参ったな〜。動きとれない。どうしよう。」と寿命が縮まる思いをしないで、成長できるのはありがたい。
すでにタロットを受けてくださった方々は、くれぐれも「ここポイントの月ですよ。」をしっかり頑張ってもらいたい。
さて、自分の一年を引いてみようと、軽〜い気持ちで引いてみて、アレレと思った。
課題は「ヴァ−チュ」自分に誠実であること。
サポートカードに禅タロットを引いてみると「アバンダンス」。
なんか展開がわかる。
すぐに頭を過ったのは、数年前にスリランカで不思議な霊能者の方
「なんであなたは持っている力をちゃんと使わないの?
自分が与えられている物がなんだかわかっているの?
もっと人のために使いなさい、出し惜しみをしてはいけない。」
と叱咤されたことだ。
昨年の暮れ、思うことがあって、禅タロットの第一人者の伊藤さんに、特別にプライベートで禅タロットを教えていただいたときに「私のスピリチュアルの道」という課題でカードを引いた。
2枚目のアドバイスの所に来たカードは「トランスフォーメーション」、トートのカードで言えば「死神」を引いている。
今の自分のあらゆる部分を滅亡させる。というものだが、そこを詳しく観てみると、自分が持っている溢れるように豊かな力を残念な形で使っている、そして自分はそれでも結構やっているつもりになっている。もっと自由に楽しく思うがままにその力を使いなさい、そうすればあなたはもっともっとたくさんのことを皆と分け合うことができる。
というものだった。
要求されれば、なんとか差し出すが、自分から能動的に活力溢れる形で、自分の豊かな力を使っていない、ということらしい。
今でも十分好き勝手にやっているつもりだが、まだまだ自分には制限が強く、その制限に阻まれて、使えるものが使えないのかもしれない。
取れる情報が取れないのかもしれない。
怠惰だとスリランカで言われたのは、こういう事だったのかもしれない。
3年も経て、やっと「これか〜」と思うのは、それこそ残念だが。
今年一年の流れでは、2月に見事に「死神」を引いている。
ヤレヤレだ。
このカードはやっぱり現れるとちょっと心がざわつく。
完全なる滅亡、手放しのカード。
何を手放さなければならないのか、禅タロットでサポートカードを引いてみる。
カードはワンドのエース。「エネルギーの根源〜情報の源」だ。
自分が情報を得ているその源を手放すということは、その先どこかでエネルギーの源にアクセスをかけられるのだろうか?
もう一枚引いてみる。カードは「カップのクイーン」受容性の女王だ。
放たれる情報を受け取る器の部分。
要するに2月はエネルギーの源も滅亡し、故にその受け皿もお払い箱になるということだ。
ここまでくると結構覚悟は決まるな。
久しぶりにエネルギーの完全入れ替えの時期なんだ。
前回の入れ替えは、前触れなくある日突然それが起こり、約3カ月かかり、ある日突然自分が使っているエネルギーが完全に新しいものに入れ替わったことを知った。
今回はなるべくお手柔らかにと情けなくも思う。
3月はすでにスターを引いている。
やった〜〜〜!!
すでに自分の情報源を確保している感じが満載だ。
占星術に詳しい友人のカオルさんが言っていた、4月の後半にハンドルがカチャッと回る月は、それらしくワンドのプリンス。
もっといえば、4月に備えて、完全に自分の情報源を2月に入れ替える作業を始めている。
新たな方向性で新たな叡智を使いながら、情報を屈指して動き出すのは、7月から8月。
ハイエロファント(知恵、知識、叡智を使う)とプリーステス(微細なエネルギーを取る)を続けて持っている。
ここまでなんとか行きつかなければ。
スリランカで3年前に言われたこと、昨年末に引いたカード、そして今年の私の課題。
情報はいつでも全部が繋がっている。
勝負は2月。
如何に潔く死ねるかだ。
ワクワクする。
肉体までやられないといいな〜とちょっと不安だけれど。
タロットカードの面白さは、たくさんの気づきを自分にもたらしてくれること。
自分で気づけない自分の「穴」を、時にはかなり辛らつにあからさまに「それそれ、かなり不味いよ」と指摘してくれる。
「自分はやっていると思っているけど、やっていないから。
もっともっと情報を気軽に、楽しんで、陽に使わなくっちゃ。
固い固い、なんでそんな固い殻に入っているのよ。
それでは十分な情報が入らないでしょ。
今年はそれ、なんとかしなさい。やらないと成長ないわよ。もっともっと心を開いて、そしてたくさんのことを人に与えなさい。」
と厳しく言われた一年。
「でも大きく成長できるよ、自分を緩めて、もっともっと自由になって、自分が持ってきたあらゆる記憶と能力を、もっともっと使えるようになるのよ。」
と励ましてくれてもいる。
さあ、後はやるだけ!
「今年一年の流れを読む」というタロットリーディングは2月14日までベリーノベレッツァで行っております。
ご予約はお電話で 03−3406−7226 1時間8000円です。
また、自分でタロットを読むための講座「スピリチュアルタロット講座」は、ホリスティックナチュラルセラピー協会で開催しております。
新たな気づきを自分にもたらすツールとして、ご興味がある方はどうぞ。
http://www.holisticnaturaltherapy.com/spiritualtarot_jan2014/
目的は、今年一年の課題をしっかり意識において一年を有意義に過ごすことだ。
日々の煩雑さに気を取られて、毎日をこなすだけの日々を送らずに、「えっと、今年の私の課題は何だったけ」ということを少しでも意識に持っていたら、自然にスルーしてしまうようなことを、自分を成長させてくれる気づきに変えることができるかもしれない。
突然襲いかかられたような不運なできごとを、がむしゃらになんとかしなければと思うより、「この出来事を今年の自分の課題に生かすためには、どうしたらいいのかしら」と考えるだけで、ただこなし、過ぎていく出来事が、自分を成長させてくれる大切な宝に変わるかもしれない、そんなことを思い、始めた企画だ。
毎年毎年それを続けられるのは、それを受けに来てくださる方々がいらっしゃるからで、ありがたく思いながら、少しでも日々の中の気づきの助けになってくれたらと願ってもいる。
今年は今までの傾向で言えば、あまり劇的な変化を遂げるというよりも、穏やかなささやかな情報に気づき、耳を傾けながら、自分を変化させていく、というタイプの人が多い。
劇的な何か〜要するにカードで言えば大アルカナのリセット系などを出さずに、新しい意識、ステージに自分を導くのは、結構難しい。
ともかく「微細な情報を取る」ということをやらなければならない。
大きな音や、おおざっぱな味付け、強烈な匂いはものすごくわかりやすいが、ものすごくささやかな音、微妙な御出汁の味、ほのかな匂いに気づき、それを楽しんだり、味わったりするのは、繊細さを要求される。
小さな情報をしっかり受け止め、自分を成長させるというカードを出した人は、その情報が取れるほど成長しているのか、それともその課題に取り組むのが初めてで、お手柔らかに物事が進んでいるのかはわからないが、ともかく「やっちまった〜。参ったな〜。動きとれない。どうしよう。」と寿命が縮まる思いをしないで、成長できるのはありがたい。
すでにタロットを受けてくださった方々は、くれぐれも「ここポイントの月ですよ。」をしっかり頑張ってもらいたい。
さて、自分の一年を引いてみようと、軽〜い気持ちで引いてみて、アレレと思った。
課題は「ヴァ−チュ」自分に誠実であること。
サポートカードに禅タロットを引いてみると「アバンダンス」。
なんか展開がわかる。
すぐに頭を過ったのは、数年前にスリランカで不思議な霊能者の方
「なんであなたは持っている力をちゃんと使わないの?
自分が与えられている物がなんだかわかっているの?
もっと人のために使いなさい、出し惜しみをしてはいけない。」
と叱咤されたことだ。
昨年の暮れ、思うことがあって、禅タロットの第一人者の伊藤さんに、特別にプライベートで禅タロットを教えていただいたときに「私のスピリチュアルの道」という課題でカードを引いた。
2枚目のアドバイスの所に来たカードは「トランスフォーメーション」、トートのカードで言えば「死神」を引いている。
今の自分のあらゆる部分を滅亡させる。というものだが、そこを詳しく観てみると、自分が持っている溢れるように豊かな力を残念な形で使っている、そして自分はそれでも結構やっているつもりになっている。もっと自由に楽しく思うがままにその力を使いなさい、そうすればあなたはもっともっとたくさんのことを皆と分け合うことができる。
というものだった。
要求されれば、なんとか差し出すが、自分から能動的に活力溢れる形で、自分の豊かな力を使っていない、ということらしい。
今でも十分好き勝手にやっているつもりだが、まだまだ自分には制限が強く、その制限に阻まれて、使えるものが使えないのかもしれない。
取れる情報が取れないのかもしれない。
怠惰だとスリランカで言われたのは、こういう事だったのかもしれない。
3年も経て、やっと「これか〜」と思うのは、それこそ残念だが。
今年一年の流れでは、2月に見事に「死神」を引いている。
ヤレヤレだ。
このカードはやっぱり現れるとちょっと心がざわつく。
完全なる滅亡、手放しのカード。
何を手放さなければならないのか、禅タロットでサポートカードを引いてみる。
カードはワンドのエース。「エネルギーの根源〜情報の源」だ。
自分が情報を得ているその源を手放すということは、その先どこかでエネルギーの源にアクセスをかけられるのだろうか?
もう一枚引いてみる。カードは「カップのクイーン」受容性の女王だ。
放たれる情報を受け取る器の部分。
要するに2月はエネルギーの源も滅亡し、故にその受け皿もお払い箱になるということだ。
ここまでくると結構覚悟は決まるな。
久しぶりにエネルギーの完全入れ替えの時期なんだ。
前回の入れ替えは、前触れなくある日突然それが起こり、約3カ月かかり、ある日突然自分が使っているエネルギーが完全に新しいものに入れ替わったことを知った。
今回はなるべくお手柔らかにと情けなくも思う。
3月はすでにスターを引いている。
やった〜〜〜!!
すでに自分の情報源を確保している感じが満載だ。
占星術に詳しい友人のカオルさんが言っていた、4月の後半にハンドルがカチャッと回る月は、それらしくワンドのプリンス。
もっといえば、4月に備えて、完全に自分の情報源を2月に入れ替える作業を始めている。
新たな方向性で新たな叡智を使いながら、情報を屈指して動き出すのは、7月から8月。
ハイエロファント(知恵、知識、叡智を使う)とプリーステス(微細なエネルギーを取る)を続けて持っている。
ここまでなんとか行きつかなければ。
スリランカで3年前に言われたこと、昨年末に引いたカード、そして今年の私の課題。
情報はいつでも全部が繋がっている。
勝負は2月。
如何に潔く死ねるかだ。
ワクワクする。
肉体までやられないといいな〜とちょっと不安だけれど。
タロットカードの面白さは、たくさんの気づきを自分にもたらしてくれること。
自分で気づけない自分の「穴」を、時にはかなり辛らつにあからさまに「それそれ、かなり不味いよ」と指摘してくれる。
「自分はやっていると思っているけど、やっていないから。
もっともっと情報を気軽に、楽しんで、陽に使わなくっちゃ。
固い固い、なんでそんな固い殻に入っているのよ。
それでは十分な情報が入らないでしょ。
今年はそれ、なんとかしなさい。やらないと成長ないわよ。もっともっと心を開いて、そしてたくさんのことを人に与えなさい。」
と厳しく言われた一年。
「でも大きく成長できるよ、自分を緩めて、もっともっと自由になって、自分が持ってきたあらゆる記憶と能力を、もっともっと使えるようになるのよ。」
と励ましてくれてもいる。
さあ、後はやるだけ!
「今年一年の流れを読む」というタロットリーディングは2月14日までベリーノベレッツァで行っております。
ご予約はお電話で 03−3406−7226 1時間8000円です。
また、自分でタロットを読むための講座「スピリチュアルタロット講座」は、ホリスティックナチュラルセラピー協会で開催しております。
新たな気づきを自分にもたらすツールとして、ご興味がある方はどうぞ。
http://www.holisticnaturaltherapy.com/spiritualtarot_jan2014/
2014年01月07日00:14新しい経験
昨年は両親が相次いで入院するという、ちょっと大変、ということがあった。
寝込んだところを見たことがない父が、入院し、ベッドで寝ている様子を見たのは、初めての経験だった。
父が退院してきたと思ったら、1か月後には母が突然入院し、家のささやかな事をやるということが、結構大変なことだな〜と感じた。
両親とも80歳を超えているわけで、それは当然のことだけれど、なんというか、これから肉体の諸力が抜けて、体から意識が離れていく過程を辿る両親と、私は共に生きることになる。
それはいつのことになるかはわからないが、順当にいけば、私が両親の旅立ちを見送ることになるわけで、その「初めての経験」を想像すると、不安になる。
両親が去った後、生まれて一度も経験したことのない、「親がいない状態」って、どういう状態なんだろう、と考えると、一つの制限が大きく外れて、ただでさえ地に足が着きにくい自分が、空中に浮いてしまう感じがする。
以前母の母、私の祖母が亡くなった時、葬儀で母が、「あああ〜、とうとうみなしごになっちゃった。これで私の事を、心底心配してくれる人がいなくなっちゃった。もう、離婚しても何しても、母が心配する、って思わなくていいんだね。」
と、独り言のように呟いたのを、よく覚えている。
私は、何をその時感じるのだろうか?
時々そんなことを考えながら、日々を過ごしている。
日々の中では、ほんの少しずつ色々なことを私がやる、ということが増えている。
「面倒だな」とか「え、それ私がやるの?」という思いが顔を出すたびに、自分が赤ん坊で、母が私の世話を焼いている情景がオーバーラップして浮かんでくる。
「わあ〜、大変だったね〜、」とその光景を見ながらいつの間にか笑っている自分がいる。
「やるよ、これくらい、問題ないです。」
と心が言っている。
時間があると、父の足や背中を簡単にマッサージしている。
母の背中や腰を緩めたりしている。
遠隔も寝る前に軽くする。
こういう事が、普通にできて良かったな〜と思う。
自分が仕事を通して培ってきた経験が、こういう風に役立つということが嬉しい。
その時の体の状態から、食べる物、オイル、体の使い方などのアドバイスなど、日常の中で、ちょっと気を付けることを、言ってあげることができて良かったな〜と思う。
父の体の異変に気付け、大事に至らなかったのも、情報が読めるお陰だ。
両親だけでなく、自分が共に生きている大切な人たち、家族やパートナー、友人などの情報が少しでも多く取れて、何かできることをさせてもらえると、自分の心が豊かに温かくなる。
多分私と似たような状況の人はたくさんいらっしゃるだろう。
5分、10分の簡単なマッサージは、文字通り手当になる。
ちょっとした体のストレッチが、痛みを解放する薬になる。
今まで、情報空間のことばかりやってきたが、今年は少しそういうことに目を向けてみたいと思った。
「自分のために、誰かのために」という形のワークショップ。
自分の体や心を労わる方法を通して、他者に応用できるような、そんな情報を伝えるワークショップを作ってみたい。
いつでも新しい経験は、色々なことに気づかさせてくれる。
自分の心の動き、両親への思い、友人たちの温かい思い、自分が得意な事、苦手な事、そしてとても実務的な社会の仕組み。
その経験を通して、今の自分が何ができるか、また、できるようになるために、何を学んだらいいのかを、考えさせてくれる。
昨年の新しい経験は、今年の私にたくさんの宿題をくれた。
宿題できたら、ワークショップやります。
寝込んだところを見たことがない父が、入院し、ベッドで寝ている様子を見たのは、初めての経験だった。
父が退院してきたと思ったら、1か月後には母が突然入院し、家のささやかな事をやるということが、結構大変なことだな〜と感じた。
両親とも80歳を超えているわけで、それは当然のことだけれど、なんというか、これから肉体の諸力が抜けて、体から意識が離れていく過程を辿る両親と、私は共に生きることになる。
それはいつのことになるかはわからないが、順当にいけば、私が両親の旅立ちを見送ることになるわけで、その「初めての経験」を想像すると、不安になる。
両親が去った後、生まれて一度も経験したことのない、「親がいない状態」って、どういう状態なんだろう、と考えると、一つの制限が大きく外れて、ただでさえ地に足が着きにくい自分が、空中に浮いてしまう感じがする。
以前母の母、私の祖母が亡くなった時、葬儀で母が、「あああ〜、とうとうみなしごになっちゃった。これで私の事を、心底心配してくれる人がいなくなっちゃった。もう、離婚しても何しても、母が心配する、って思わなくていいんだね。」
と、独り言のように呟いたのを、よく覚えている。
私は、何をその時感じるのだろうか?
時々そんなことを考えながら、日々を過ごしている。
日々の中では、ほんの少しずつ色々なことを私がやる、ということが増えている。
「面倒だな」とか「え、それ私がやるの?」という思いが顔を出すたびに、自分が赤ん坊で、母が私の世話を焼いている情景がオーバーラップして浮かんでくる。
「わあ〜、大変だったね〜、」とその光景を見ながらいつの間にか笑っている自分がいる。
「やるよ、これくらい、問題ないです。」
と心が言っている。
時間があると、父の足や背中を簡単にマッサージしている。
母の背中や腰を緩めたりしている。
遠隔も寝る前に軽くする。
こういう事が、普通にできて良かったな〜と思う。
自分が仕事を通して培ってきた経験が、こういう風に役立つということが嬉しい。
その時の体の状態から、食べる物、オイル、体の使い方などのアドバイスなど、日常の中で、ちょっと気を付けることを、言ってあげることができて良かったな〜と思う。
父の体の異変に気付け、大事に至らなかったのも、情報が読めるお陰だ。
両親だけでなく、自分が共に生きている大切な人たち、家族やパートナー、友人などの情報が少しでも多く取れて、何かできることをさせてもらえると、自分の心が豊かに温かくなる。
多分私と似たような状況の人はたくさんいらっしゃるだろう。
5分、10分の簡単なマッサージは、文字通り手当になる。
ちょっとした体のストレッチが、痛みを解放する薬になる。
今まで、情報空間のことばかりやってきたが、今年は少しそういうことに目を向けてみたいと思った。
「自分のために、誰かのために」という形のワークショップ。
自分の体や心を労わる方法を通して、他者に応用できるような、そんな情報を伝えるワークショップを作ってみたい。
いつでも新しい経験は、色々なことに気づかさせてくれる。
自分の心の動き、両親への思い、友人たちの温かい思い、自分が得意な事、苦手な事、そしてとても実務的な社会の仕組み。
その経験を通して、今の自分が何ができるか、また、できるようになるために、何を学んだらいいのかを、考えさせてくれる。
昨年の新しい経験は、今年の私にたくさんの宿題をくれた。
宿題できたら、ワークショップやります。
2014年01月01日15:49今年の初めに〜ホリステイックナチュラルセラピー協会〜
昨年初めてワーカー養成講座のアドバンスが終了し、卒業生を出した。
協会が主軸の活動にしてきた、エナジェからワーカーへの一環ワークショップの集大成として、講師の成績表がでるのも初めてだった。
8名の卒業予定の受講生から、何人が晴れて卒業となるか、私は文字通り期待と不安を混ぜ合わせながら、試験の採点をした。
みんな合格であってほしい、でもちょっと淋しい。
結果は一名の合格。
講師4人が試験の後集まって、夜中までかんかんがくがくとやりあった結果だった。
その結果を通して、私たちはたくさんの事を話し合った。
協会を立ち上げた頃を思うと、私もそして一緒に活動してくれている3人の講師も、ずいぶん変わったと思う。
人に伝える、という行為を通して、今まで当たり前だと思っていたことが当たり前ではないということに気づくことがたくさんあった。
自分の人生で素通りしていた色々な意識に、立ち止まり、見つめ、考え、思いを巡らすということを、たくさん経験させていただいた。
人生を豊かに生きたい、という思いが、人生を楽に生きたいという事とは違うという、ただそれだけのことさえ、うまく伝えられない自分がもどかしい、と感じることが多い3年だった。
今年は丁寧な年にしたい。
細やかなところから生み出される豊かさに目を向けられるような、そういう機会をたくさん作りたい。
自分の持っている制限を広げる努力だけではなく、制限内を精一杯生きることを経験する機会を作りたい。
今持っている悩みや苦しみを一緒にシェアし、光を見出せるような機会を作りたい。
私達は相対の意識の中で、比べるなと言われても比べる意識から逃れられずに生きている。
自分と他者との相対、過去と今、未来という相対、自分の期待と現実との相対、その中で時に敗北感に苛まれ、時に希望に胸を膨らませる。
誰かより幸せかどうかを、自分の目安にし、また、自分の期待通りの自分かどうかを常に吟味し、やっと感じる幸せさえ、いつでも掴みどころのない不確かな揺らぎを見せる。
更なる安定を求め続けるうちに、何が安定なのかさえ分からなくなり、心の中に穴が開く。
自分という枠が自分の肉体領域である限り、それは常に頼りなく、不安定でそして孤立している。
孤立しているが故に自分の損得に執着し、誰よりも負けない何かを得たいと願う。
力のある者の下で、自分を庇護したいと望む。
心を開き、受容する感性を磨くといことは、自分の肉体の外、たとえば家族であり、友人であり、知人であり、共に学ぶ仲間であり、まだ見ぬ人であり、動物であり、植物であり、風であり、地であり、石であり、地球であり、宇宙であり、この万物すべてが、自分の領域の「私」という概念に結びついていくということだ。
まずは自分が今持っている自分の制限領域をしっかり生きること。
愛し、理解し、学び、感じ、考えること。
それを続けていけば、知らず知らずに自分の領域は広がる。
いつの間にか、心の花は開き、目はもっとたくさんの物を見つめ、耳は、微細なエネルギーに震える。
手はたくさんの情報を自由に感じることができるようになる。
特別なことをするのではない。
日々のささやかな豊かさに気づき、感謝し、その気づきや、こみあげてくる思いから、自分を理解し、考え、創造する。
その連続が、自分の豊かさに広がっていく。
豊かな土地に、たくさんの命が集うように、自分の豊かさにたくさんの実りがある。
そこに感謝の連鎖が起こり、さらなる豊かさを作り出す。
集う人たちが、自分らしくくつろぎながら、自然と自分のまとう殻が緩み、ほぐれ、他の人たちと溶け合えるような、そんな機会を作りたい。
今まで協会の活動を支えてくださった皆様、ありがとうございました。
修了生という強い味方を得て、さらに協会はパワーアップします。
大人のクラブ活動〜自由に、輝いて、豊かな人生を共に作る〜そんな会を目指しています。
協会が主軸の活動にしてきた、エナジェからワーカーへの一環ワークショップの集大成として、講師の成績表がでるのも初めてだった。
8名の卒業予定の受講生から、何人が晴れて卒業となるか、私は文字通り期待と不安を混ぜ合わせながら、試験の採点をした。
みんな合格であってほしい、でもちょっと淋しい。
結果は一名の合格。
講師4人が試験の後集まって、夜中までかんかんがくがくとやりあった結果だった。
その結果を通して、私たちはたくさんの事を話し合った。
協会を立ち上げた頃を思うと、私もそして一緒に活動してくれている3人の講師も、ずいぶん変わったと思う。
人に伝える、という行為を通して、今まで当たり前だと思っていたことが当たり前ではないということに気づくことがたくさんあった。
自分の人生で素通りしていた色々な意識に、立ち止まり、見つめ、考え、思いを巡らすということを、たくさん経験させていただいた。
人生を豊かに生きたい、という思いが、人生を楽に生きたいという事とは違うという、ただそれだけのことさえ、うまく伝えられない自分がもどかしい、と感じることが多い3年だった。
今年は丁寧な年にしたい。
細やかなところから生み出される豊かさに目を向けられるような、そういう機会をたくさん作りたい。
自分の持っている制限を広げる努力だけではなく、制限内を精一杯生きることを経験する機会を作りたい。
今持っている悩みや苦しみを一緒にシェアし、光を見出せるような機会を作りたい。
私達は相対の意識の中で、比べるなと言われても比べる意識から逃れられずに生きている。
自分と他者との相対、過去と今、未来という相対、自分の期待と現実との相対、その中で時に敗北感に苛まれ、時に希望に胸を膨らませる。
誰かより幸せかどうかを、自分の目安にし、また、自分の期待通りの自分かどうかを常に吟味し、やっと感じる幸せさえ、いつでも掴みどころのない不確かな揺らぎを見せる。
更なる安定を求め続けるうちに、何が安定なのかさえ分からなくなり、心の中に穴が開く。
自分という枠が自分の肉体領域である限り、それは常に頼りなく、不安定でそして孤立している。
孤立しているが故に自分の損得に執着し、誰よりも負けない何かを得たいと願う。
力のある者の下で、自分を庇護したいと望む。
心を開き、受容する感性を磨くといことは、自分の肉体の外、たとえば家族であり、友人であり、知人であり、共に学ぶ仲間であり、まだ見ぬ人であり、動物であり、植物であり、風であり、地であり、石であり、地球であり、宇宙であり、この万物すべてが、自分の領域の「私」という概念に結びついていくということだ。
まずは自分が今持っている自分の制限領域をしっかり生きること。
愛し、理解し、学び、感じ、考えること。
それを続けていけば、知らず知らずに自分の領域は広がる。
いつの間にか、心の花は開き、目はもっとたくさんの物を見つめ、耳は、微細なエネルギーに震える。
手はたくさんの情報を自由に感じることができるようになる。
特別なことをするのではない。
日々のささやかな豊かさに気づき、感謝し、その気づきや、こみあげてくる思いから、自分を理解し、考え、創造する。
その連続が、自分の豊かさに広がっていく。
豊かな土地に、たくさんの命が集うように、自分の豊かさにたくさんの実りがある。
そこに感謝の連鎖が起こり、さらなる豊かさを作り出す。
集う人たちが、自分らしくくつろぎながら、自然と自分のまとう殻が緩み、ほぐれ、他の人たちと溶け合えるような、そんな機会を作りたい。
今まで協会の活動を支えてくださった皆様、ありがとうございました。
修了生という強い味方を得て、さらに協会はパワーアップします。
大人のクラブ活動〜自由に、輝いて、豊かな人生を共に作る〜そんな会を目指しています。
2013年12月31日14:431年の終わりに
7月のある日、突然知り合いが訪ねてきて、年末の第九のコンサートにご招待したい、と言ってくださった。
暑いさなかの、そして色々なことが身の回りに起きていて、その日その日をアタフタと生きていた最中だったので、一瞬ポカンとしてしまった。
「第九、、、年末、、、あ、年末の第九ですね。」
その第九を先日聞きに行った。
あれから半年近くが過ぎたのだ。
長かった、そしてアッと言う間だった。
大変だった、そしてたくさんのことを学んだ。
忙しかった、駆け足だった、短距離競走のようにもうダッシュだった。
と、とりとめなく音楽に身をゆだねながら色々なことをぼんやり思った。
いくつになっても人生には初めての出来事がある。
そんなことを身に染みて感じた年だった。
初めてのことを通して、自分のことをたくさん学んだ年でもあった。
自分が何を大切にしていきたいと思っているか、ということを、ずいぶん考えさせられた年でもあった。
辛い時に影日向になって支えてくれた友人達に、改めて深い感謝を感じた年でもあった。
人に対してずいぶん傲慢だったな、と感じることが多い年でもあった。
これからの数年の課題が一気に芽吹き、来年からの自分の人生に、たくさんの花が咲き乱れるような予感を感じさせてくれた年でもあった。
お誕生日が12月26日ということもあり、色々な方々から頂くプレゼントを、ゆっくり片づけながら、年末を過ごしている。
頂いたカードを見ながら、心が揺れる。
みんなが寄せてくれる心に、自分の心が見合わないような気がする。
いつでもやりたい放題生きてきたような気がする。
いつでも自分の事だけを考えてやってきたような気がする。
そんな自分に、ありがとうと言ってくれる人たちに出会えた喜び。
それを今年も噛みしめながらお片付けに精を出す。
母が担っていた年末の役割が、今年はずいぶん譲渡された。
お正月料理を支持されながら作る。
母が欠かさず作り続けてきたお正月の顔だ。
それを私が担っていく。
今年が終わる。
そしてもうすぐ新しい今年が始まる。
巡る年がどんな年でも、逃げずにちゃんと立っていられる、そんな自分でありたい。
暑いさなかの、そして色々なことが身の回りに起きていて、その日その日をアタフタと生きていた最中だったので、一瞬ポカンとしてしまった。
「第九、、、年末、、、あ、年末の第九ですね。」
その第九を先日聞きに行った。
あれから半年近くが過ぎたのだ。
長かった、そしてアッと言う間だった。
大変だった、そしてたくさんのことを学んだ。
忙しかった、駆け足だった、短距離競走のようにもうダッシュだった。
と、とりとめなく音楽に身をゆだねながら色々なことをぼんやり思った。
いくつになっても人生には初めての出来事がある。
そんなことを身に染みて感じた年だった。
初めてのことを通して、自分のことをたくさん学んだ年でもあった。
自分が何を大切にしていきたいと思っているか、ということを、ずいぶん考えさせられた年でもあった。
辛い時に影日向になって支えてくれた友人達に、改めて深い感謝を感じた年でもあった。
人に対してずいぶん傲慢だったな、と感じることが多い年でもあった。
これからの数年の課題が一気に芽吹き、来年からの自分の人生に、たくさんの花が咲き乱れるような予感を感じさせてくれた年でもあった。
お誕生日が12月26日ということもあり、色々な方々から頂くプレゼントを、ゆっくり片づけながら、年末を過ごしている。
頂いたカードを見ながら、心が揺れる。
みんなが寄せてくれる心に、自分の心が見合わないような気がする。
いつでもやりたい放題生きてきたような気がする。
いつでも自分の事だけを考えてやってきたような気がする。
そんな自分に、ありがとうと言ってくれる人たちに出会えた喜び。
それを今年も噛みしめながらお片付けに精を出す。
母が担っていた年末の役割が、今年はずいぶん譲渡された。
お正月料理を支持されながら作る。
母が欠かさず作り続けてきたお正月の顔だ。
それを私が担っていく。
今年が終わる。
そしてもうすぐ新しい今年が始まる。
巡る年がどんな年でも、逃げずにちゃんと立っていられる、そんな自分でありたい。
2013年12月02日17:20私のバイオグラフィー〜過去と未来の魂曼荼羅〜
過去と未来の狭間の今を生きる私達は、その瞬間瞬間にたくさんの選択肢を持っている。
何気なく選ぶその一つ一つは、過去の遺跡の影響を受け、学びという名の苦い経験の制限を受け、安定と変化のせめぎ合いの未来を夢見る。
自分が生きてきた軌跡や自分が宝として持ってきた潜在的能力を、活かしきって未来を築けたら、自分の未来は輝くものとなるだろう。
自分が今という瞬間を、そして今の選択が未来を作る第一歩なのだという強い意識を感じて生きていけたら、嫌なことも、辛いことも、理不尽だと感じることも、うなだれずに乗り越えられるような気がする。
過去の闇に葬られた宝物を磨きなおし、過去からの教えだと闇雲に握りしめていた不必要な教訓を手放し、「生きてきた自分」を愛おしめたら、未来はどんな光に包まれるのだろう。
そんな思いが溢れて、「今年はやらないでいいかな」と思っていたバイオグラフィーのワークショップを、やっぱり開催することにした。
もう4回目になる。
斉藤先生が巡りあわせてくれた、シュタイナーと真裕美さん。
その二人の素晴らしいパワーを感じた時、「何かやりたい」と思い立ったのがこのワークショップだった。
そして4年の月日が流れたんだ。
4回ずっと参加し続けてくださっている方々。
今回初めての方々。
皆さんがそれぞれのスタンスで、それぞれの世界観でこのワークショップを捉えて下さったらそれで充分だ。
流れとしては最初に特殊波動で脳を活性化。
これは面白い。
脳の波動がどこからどこに流れるか、脳のどこの部分が刺激されているかが、如実にわかる。
ボケ防止に最適!
そして皆さんが自分の過去の年表を書き、それに合わせて魂曼荼羅を描いた。
自分のオイルを選び、その香りとクリスタルボールで自分の肉体の中の細胞を揺らす、オーラの中の情報も揺らす、動くことにおいてのみ変化できるあらゆるものが、変化する。
辛い思い出も、捨てずにずっと取っておいた悲しい過去も、傷ついたことを教訓という名の下に胸に刻んでいたあほらしい自分も、いらない物はいらないよね、と思える。
そして未来を描く。
身軽になった自分が描く未来は、荷物をどっさり抱えて、「ああ、このすごい荷物どこに置こう。どうやって運ぼう、まずはこの荷物をきちんと片づけられるところを確保しなくっちゃ。」と思っていた自分とは全く違う物になる。
皆様が描いた未来曼荼羅。
瞑想のためのオイル選択の前に、リーディングをさせていただいた。
過去の曼荼羅、そこから連なる未来の曼荼羅。
お持ちの方は昨年描いた「自分の鍵〜使命」を一緒に持って来ていただいた。
一人一人の曼荼羅を読ませていただいて、面白いことに気づいた。
過去の自分 + 今の自分 + 変化 =未来 になるためには、その変化をどういう形で自分にもたらすか、ということが必要で、とっても順調に流れに身を任せていけばその変化は自然におき、自然に自分が未来に運ばれていくという方もいらっしゃる。
必死に自分が持っている物を捨てて、新し自分に生まれ変わろうとしているけれど、その方法は違います。 あなたは今、自分が持っている宝を再認識し、それをどう生かすかを考える時期です、という方もいらっしゃる。
なんとか自分の経験を宝にと思っていらっしゃいますが、それさっさと捨てないと次行けませんよ、少なくてもあなたが描くあなたの未来は近づかない、という方もいらっしゃる。
自分が持っている最大の宝を二束三文で叩き売って、隣の人の宝を手に入れようと虎視眈々としている、それダメだから、無駄だから、 自分の宝育てなよ、という方もいらっしゃる。
自分の未来が、今の自分とまったくリンクしない状態の方もいらした。
自分の未来は夢物語ではないから。
一人一人が、自分の未来に向かっていく様。
その一瞬先の未来を作り出していく瞬間瞬間に、必要な課題を抱えている。
その課題の解き方は千差万別。
それでも今のあなたが最も学ばなければならないことと、それを解いていく方法のヒントはこれね、というものが歴然と存在している、というのが、すごくよくわかる。
解き方は千差万別でも、押さえるところを押さえていないと、永久に迷宮入りなのかしら。
そのツール捨てちゃ絶対だめ、というのを瞑想と共にポイとか?
え、あなたミカエルさんでガブリエルさんではないですよ、なんでガブリエルさんの使命未来に描くの、とか?
パターンが何故まずいのか、がよくわかる。
一つの成功例を自分が経験すると、次の問題もその方法で解こうとする。
でも学びはそういう形ではやってこない。
次の課題をクリアーするためには、その解き方自体をクリエイトする必要があるのだから。
皆様の曼荼羅を読みながら、ちょっとした軌道修正のアドバイスをさせていただいた。
もちろん十分な時間は使えなかったけれど、絶対必要なポイントは押さえたつもり。
このワークにご参加くださった皆様方の描く未来が、日々輝きを増しますように。
私のバイオグラフィー2013年にご参加くださった方。
このワークを通して、もう少し掘り下げたいと思っていらっしゃる方は、プライベートでワークをさせていただきます。
プライベートワークは通常2時間25000円ですが、1時間8000円でいたします。
ただし12月29日までの期間限定にさせていただきたいので、ご必要でしたらサロンの方へご連絡ください。
ベリーノベレッツァ 03−3406−7226 です。
何気なく選ぶその一つ一つは、過去の遺跡の影響を受け、学びという名の苦い経験の制限を受け、安定と変化のせめぎ合いの未来を夢見る。
自分が生きてきた軌跡や自分が宝として持ってきた潜在的能力を、活かしきって未来を築けたら、自分の未来は輝くものとなるだろう。
自分が今という瞬間を、そして今の選択が未来を作る第一歩なのだという強い意識を感じて生きていけたら、嫌なことも、辛いことも、理不尽だと感じることも、うなだれずに乗り越えられるような気がする。
過去の闇に葬られた宝物を磨きなおし、過去からの教えだと闇雲に握りしめていた不必要な教訓を手放し、「生きてきた自分」を愛おしめたら、未来はどんな光に包まれるのだろう。
そんな思いが溢れて、「今年はやらないでいいかな」と思っていたバイオグラフィーのワークショップを、やっぱり開催することにした。
もう4回目になる。
斉藤先生が巡りあわせてくれた、シュタイナーと真裕美さん。
その二人の素晴らしいパワーを感じた時、「何かやりたい」と思い立ったのがこのワークショップだった。
そして4年の月日が流れたんだ。
4回ずっと参加し続けてくださっている方々。
今回初めての方々。
皆さんがそれぞれのスタンスで、それぞれの世界観でこのワークショップを捉えて下さったらそれで充分だ。
流れとしては最初に特殊波動で脳を活性化。
これは面白い。
脳の波動がどこからどこに流れるか、脳のどこの部分が刺激されているかが、如実にわかる。
ボケ防止に最適!
そして皆さんが自分の過去の年表を書き、それに合わせて魂曼荼羅を描いた。
自分のオイルを選び、その香りとクリスタルボールで自分の肉体の中の細胞を揺らす、オーラの中の情報も揺らす、動くことにおいてのみ変化できるあらゆるものが、変化する。
辛い思い出も、捨てずにずっと取っておいた悲しい過去も、傷ついたことを教訓という名の下に胸に刻んでいたあほらしい自分も、いらない物はいらないよね、と思える。
そして未来を描く。
身軽になった自分が描く未来は、荷物をどっさり抱えて、「ああ、このすごい荷物どこに置こう。どうやって運ぼう、まずはこの荷物をきちんと片づけられるところを確保しなくっちゃ。」と思っていた自分とは全く違う物になる。
皆様が描いた未来曼荼羅。
瞑想のためのオイル選択の前に、リーディングをさせていただいた。
過去の曼荼羅、そこから連なる未来の曼荼羅。
お持ちの方は昨年描いた「自分の鍵〜使命」を一緒に持って来ていただいた。
一人一人の曼荼羅を読ませていただいて、面白いことに気づいた。
過去の自分 + 今の自分 + 変化 =未来 になるためには、その変化をどういう形で自分にもたらすか、ということが必要で、とっても順調に流れに身を任せていけばその変化は自然におき、自然に自分が未来に運ばれていくという方もいらっしゃる。
必死に自分が持っている物を捨てて、新し自分に生まれ変わろうとしているけれど、その方法は違います。 あなたは今、自分が持っている宝を再認識し、それをどう生かすかを考える時期です、という方もいらっしゃる。
なんとか自分の経験を宝にと思っていらっしゃいますが、それさっさと捨てないと次行けませんよ、少なくてもあなたが描くあなたの未来は近づかない、という方もいらっしゃる。
自分が持っている最大の宝を二束三文で叩き売って、隣の人の宝を手に入れようと虎視眈々としている、それダメだから、無駄だから、 自分の宝育てなよ、という方もいらっしゃる。
自分の未来が、今の自分とまったくリンクしない状態の方もいらした。
自分の未来は夢物語ではないから。
一人一人が、自分の未来に向かっていく様。
その一瞬先の未来を作り出していく瞬間瞬間に、必要な課題を抱えている。
その課題の解き方は千差万別。
それでも今のあなたが最も学ばなければならないことと、それを解いていく方法のヒントはこれね、というものが歴然と存在している、というのが、すごくよくわかる。
解き方は千差万別でも、押さえるところを押さえていないと、永久に迷宮入りなのかしら。
そのツール捨てちゃ絶対だめ、というのを瞑想と共にポイとか?
え、あなたミカエルさんでガブリエルさんではないですよ、なんでガブリエルさんの使命未来に描くの、とか?
パターンが何故まずいのか、がよくわかる。
一つの成功例を自分が経験すると、次の問題もその方法で解こうとする。
でも学びはそういう形ではやってこない。
次の課題をクリアーするためには、その解き方自体をクリエイトする必要があるのだから。
皆様の曼荼羅を読みながら、ちょっとした軌道修正のアドバイスをさせていただいた。
もちろん十分な時間は使えなかったけれど、絶対必要なポイントは押さえたつもり。
このワークにご参加くださった皆様方の描く未来が、日々輝きを増しますように。
私のバイオグラフィー2013年にご参加くださった方。
このワークを通して、もう少し掘り下げたいと思っていらっしゃる方は、プライベートでワークをさせていただきます。
プライベートワークは通常2時間25000円ですが、1時間8000円でいたします。
ただし12月29日までの期間限定にさせていただきたいので、ご必要でしたらサロンの方へご連絡ください。
ベリーノベレッツァ 03−3406−7226 です。