2010年04月30日

4月の進行状況

借金返済分 ブログの補完

借金 本:10冊 論文:54本 ブログの補完:983、5記事

保険としての絵本:3冊  

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2010年03月31日

3月の進行状況

借金返済分 ブログの補完

借金 本:10冊 論文:54本 ブログの補完:983、5記事

保険としての絵本:3冊
  

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2010年02月28日

2月の進行状況

借金返済分 本:2冊 ブログの補完:2、5


借金 本:10冊 論文:54本 ブログの補完:985、5記事

保険としての絵本:3冊
  

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2010年02月07日

ヒューマンエラーは裁けるか―安全で公正な文化を築くには

シドニー・デッカー 東京大学出版会 2009年 (監訳)芳賀繁

75点



これは・・・、うーん・・・。

この本の帯にね、柳田邦男さんの推薦文が載ってて、
「本書が、日本におけるヒューマンエラー論、とりわけ刑事責任優先の思想と制度に、大きな影響を与えるのは確かだ」
って書いてるんだけど、
俺が、東大の授業で、工学部の授業とか、科学・技術の社会学とか、
ま、そーゆうので、既に知ってるような話なのよ・・・。
じゃ、授業受けてなきゃ新鮮な話かと言うと、
あの、JR西の事故とかあったじゃない。
それに、俺、マガジンだかサンデーだったか忘れたけど、何かの雑誌で、事故調査の漫画を読んだ覚えがあるんだけどね。
あんまり知られてない話なのか?・・・?
ま、良く分かんないな。

とりあえず、安全とか責任とか、司法とか、
そーゆうのにあんまり触れてない人は、読んだら良い本だとは思うけどね。

とりあえず、『ロングテール』もそうだったけど、重複部分は、削って良いんじゃね?


ところでさ、巻末の、何つーの、著者とか出版社とか書いてる所にさ、
東京大学出版会の代表者に長谷川寿一ってあるのよ。
これは、あの旦那長谷川なのかね?  

2010年02月05日

ロングテール[アップデート版]

クリス・アンダーソン 早川書房 2009年 (訳)篠森(しのもり)ゆりこ

80点



これ、面白いよ。
もうちょい短くても良いような気がするけど。
全部で446ページは、長いような気がするな〜・・・。
ちょっと重複してるような部分をカットしてくれれば、90点ぐらいは行きそうな良書ですよ。

ロングテールねー・・・。

とりあえず、グーグルで「藤堂俊介」を検索してみると、
0、09秒で27300件出て、何でか知らないけど、このブログがトップに来るのよ。
2番目に「太陽にほえろ!」のWikipediaだよ。
WHY?
「藤堂俊介 雑記」でトップに来るなら分かるけどね。
俺の他のブログもブログ名そのまま入れれば、そのブログがトップに来るからね。
だけど、「藤堂俊介」って名前だけなら、ボスのが有名な気がするんだけど・・・。
まあ、「藤堂俊介」より「ボス」のが、名前として有名だからなのか?・・・?

俺の、この「藤堂俊介」は、別にボスから取った訳じゃなくて、
早稲田時代に、
今でもあるのかは知らないけど、当時の早稲田には、創法会・緑法会・蛍法会、っていう三つのでかい法律サークルがあって、
どういう経緯かは知らないけど、その三つのサークルの合同飲み会が行われて、
その時に、サークルの幹事長として自己紹介した時に使った名前な訳だよ。
確か、「藤堂」だけ使ったのかな?・・・もう、昔過ぎて覚えてないけど。
いや、勿論俺はサークルの幹事長なんかやってないけどね、えぇ。
ま、そんな話はどうでもええわ。
あれ?・・・、俺、この名前の話って、前書いたような・・・、・・・。
ま、ええわ。


俺もアフィリエイトぐらいやってみるかな・・・。
あ、そうかアマゾンのも一応アフィリエイトか。
いや、報酬なんか入ったこと無いと思うけど・・・。
あ、でも、このブログだと、グーグルのアドが入ってるよね・・・。
無料ブログだからか?・・・?
でも、gooだと、アマゾンのリンク貼れないけどなー・・・。

アフィリエイトねー・・・。
うーん・・・。


そういや、確か、俺、同じ著者の『FREE』を先に買ってたような気がするんだけど。
『FREE』は読み始めても・・・、無いな。
俺、一応読書ノートみたいなの付けてるんだけど、
卒論の時のとか、他の記述漏れの本とかを除いて、確実に、630冊読み始めてるのよ。
東大に入ってからだから、2004年からのスタートで。
でも、このブログで、読み終えて記事になってるのが、200冊行ってないというね・・・。
となると・・・、残りの400冊以上は読みかけというね・・・。
うーん・・・。
つうか、読み始めてすらない本を考えると・・・。
いや〜・・・。
あ、言わば読書のロングテール?・・・、いやいや、それは無い。
いや、あるか・・・。
うーん・・・。  

2010年02月04日

(木) 笑い事じゃ、

済まされねーな。
ねー。
さすがにねー・・・。
3年連続で院試に落ちてると、笑い事じゃ済まされないわな・・・。
これは・・・。
うーん・・・。
アレか?
俺は何か精神的な病なんじゃないか?
普通、3年連続で院試に落ちる人ってなかなか居ないよね・・・。
まあ小谷野さん曰く、2年連続で落ちれば研究者として向いてないという事で諦めるのが普通らしいんだけどね。
うーん・・・。
何か、俺の中に原因があるんだよなー・・・。
良い大人がだね、3年連続で院試に落ちるっていうのは、ちょっとねー・・・。
うーん・・・。
まあ精神医学とか全然詳しくないけど、現実把握能力の欠如、とか。
あるいは、努力出来ない病、とか。
うーん・・・。
まあ、あんまり聞かないよね。院試に落ちたから精神科に行ってみた、とかね。
ミルズだったっけ?動機は語彙だって言ったのは。
その体で言うと、病名は医者にかかる動機になりうるよね。
アレだな、カテゴライズの社会学ですよ。
ま、どうでもええけども。
俺は別に精神科にかかることに対してマイナスな感情は無いので、精神科に行くのは良いんだけど、
さすがにね。
「院試に3年連続で落ちたので、精神を診て下さい」とは言い難いよね〜・・・。


あ、笑い事じゃ済まされないって言っても、あの、アレだよ。
自殺は良くない、という文化を持ってるので、勿論、自殺なんかしたりしないよ。
逆恨みは良くない、という文化も持ってるので、東大の先生を逆恨みをしたりもしませんよ。
ただ単に、笑ってらんねーな、というだけの事です。

分かった事としては、「自己責任」という言葉はね、使わない方が良い、という事ですよ。
これは院試の一次試験に受かってたら提出する予定だった論文でも考えたことなんだけど、
院試に落ちるというね、紛れもなく自己責任な事実ですらね、やっぱ「自己責任」というのは、良い台詞じゃない。
それとやっぱ、論文提出は無い方が良いんじゃないかなー・・・。
あ、でもそれがある方が研究計画をちゃんと書くという側面があるか・・・。
ま、俺の場合は院試の前までに論文を書いてないから、論文提出が課されたメリットを活かしてないけど・・・。
うーん・・・。

他に分かった事があって、何でか知らないけど、俺の受験番号の前や後の人は受かる、というジンクスがね、ある訳よ。
それが、今回も。
確か一次試験は6人だったかな?それくらいの合格者しか居なかったんだけど、
なんと、
俺の前後二人ともが受かっているという、快挙。
二人の仲を取り持つキューピッドならぬ、・・・うん?合格に関わるキューピッド的なものって何?・・・?
ワガンネ。
まあ、俺には何の役にも立たないジンクスだけどね。


あ、そう言えば、今日、合格発表を見に行った時に、サトケン先生を見かけたんだけど、
何か、足怪我してたよ。
松葉杖とかはついてなかったけど、何か服の外からギブスみたいなのしてた。
ま、俺も怪我や病気には気をつけないとな・・・、うん。


で、
まあ、書いてない記事を補完しようかと思ったんだけど、去年に続いて、今年も院試の問題が見当たらないというね・・・。
何じゃこれ・・・。
今年は、紛失しないように、院試が終わった翌日に、机の上の目に見える所に置いたんだんけどね・・・。
ほんの10日くらいの間に、見当たらなくなってしまうというね・・・。
本読んだり、論文書いたりしている間に、どっかに紛れ込んだねー・・・。
うーん・・・。
ま、ええわ。
とりあえず、今までと行動を変える、という意味でも部屋の整理整頓をするか。
あと、ついでに外見も変えとくか。
まあ、髪を自分で切るのは難しいんで、とりあえず髭は剃っておくか。  

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2010年02月03日

ルーマンの社会理論

馬場靖雄 勁草書房 2001年

90点



これは、素晴らしいんじゃないのか?
うん。
ルーマンは、ジンメルみたいな、「あてる」威力があんのかね。
チャウシェスク派になっても不思議は無い感があるよねー・・・。
(あ、勿論チャウシェスクは、ルーマニア、ルーマン屋、ルーマン派、という流れね)

ただね、この本の良さが、どこから来るのか?・・・と。
ルーマンが良いからなのか、馬場さんが良いからなのか、と・・・。
うーん・・・。

確かこの本は、2ちゃんでルーマンの勉強するにはどの本が良いのか聞いた時に、推薦されたんだよ。
ま、今は全然2ちゃんの社会学板を見に行ってないんだけどね。
昔は、日曜社会学の人のスレの80%くらいは俺の書き込みだったんだけどね・・・。
この、なんつーの、丸の内なIPのおかげでね、鬼のような書込み禁止に巻き込まれるようになってからは、行かなくなったねー・・・。
たしか、最後は日曜社会学の人がショットガンなんじゃね?っていう書き込みだったかな〜・・・。
いや、ショットガンかどうかは知らないよ。
ま、今じゃ社会学板どころか、ブログも見に行かなくなったからなー・・・。
俺が今ほぼ毎日見に行ってるのなんて、小谷野さんのブログとスレだけだからね。
うーん・・・。
あ、誰か、このブログを見てる人で三谷さんの知り合いの人は、ブログが重たいというのを言ってくんねーかな・・・。
はてななだけでも重いのに、トップの記事が多ければ、アホほど重くなる、と。
重いブログの機能的等価物は、カスブログだぞ、と。
それを学生に見るようにしてるのは、パワハラに値するほどの重さだぞ、と。
いや、まあ今改善されても普段見に行く余裕がないんだけどね。
後は日曜社会学が、昔みたいな知的エンターテインメントに戻ってくれれば良いんだけどね〜・・・。
統失みたいなね、いや統失じゃないか・・・、なんつーのか、大人と子ども失調症みたいなね、そーいうブログは、物置さんや秋田さんだけで十分な訳よ。
今じゃ、知ハラみたいな感じがするんだよねー・・・。
後は、立石さんがブログを更新してくれれば良いんだけど・・・。
あ、そういや物置さんと言えば、今年、教育学部で授業してたらしいよ。
何の授業してたのかは知らないけど。
ま、教育社会学があるから、社会学をやってたのかも知れないけど。

って、そんな話はどうでもよくて。


問題は、この本を読んでも、ルーマンの社会理論に対して乗り気にならない、というね・・・。
まあ、考えてみるに、問題は3つぐらいあんだよね。
1つは、ルーマンの理論以外の本はめっさ面白い、という事。
いや、違うわ。
理論以外は面白いけど、それがシステム理論と関係してるように思えない、ということ。
これは、俺だけじゃなくて、宮台さんも言ってた。

2つ目には、「で?」っていうこと。
この本の帯にも、「そもそも社会理論とは何を説明するものなのか」って書いてあるけど、
これに関して答えて無いからね、多分。
盛山先生が、昔授業で、ルーマンは社会学の知識を「コミュニケーション・システム」という語に置き換えてるだけだ、って言ってたけど、
ま、置き換えてようが、置き換えてなかろうが、どうでも良いんだけど、
「どうでも良い」って言うのは、今現在の俺は、ルーマンの理論を知らないから、ということね。
要するに、何が言いたいのか分からない、というね・・・。

3つ目は、まあ、このブログでも何度も出てくるフレーズだけど、「システムが分からない」というね・・・。
いや、まあこの本でも「システム」それ自体を取り出すのは良くないと書いてあるけどね。
じゃあ、「システム/環境」という区分でも良いんだけど、これが、分からない、というね。
例えば、「男/女」という区分の場合ね、男の定義も女の定義も俺は知らない訳よ。
男の意味や女の意味も知らない訳よ。
でも、だれか人間を見つけて、その人が男か女かは、ほぼ100%区分出来る訳よ。
で、これは俺だけじゃなく、多分、ほとんどの人が出来るはずなんだよね。
ところが、「システム/環境」の場合ね、例えば何か世界から事実を持ってきたとして、
いや、「事実」で正しいのか知らないけど、まあヴィトちゃんが事実って言うからね、
事実を持ってきたとして、それが「システム/環境」のどっちなのか、分からない訳よ。
となりゃ、無理だよね。
で、
多分、ルーマンを批判してる人も、そうなんじゃないかと思える訳よ。
つまり、システムが分からないから、なんじゃないかと・・・。
いや、勿論、システムが分からない理由が、俺にあるかもしれない訳だよね。
俺が、デカルト―カントでOK派だから、システムが分からないのかもしれないし、
俺が、総合社会学は有りですよ派だから、システムが分からないのかもしれないし、
俺が、社会学は何でも扱える派だから、システムが分からないのかもしれない、と・・・。
例えば、Sの本でね、いや、Sの本って言っても、あの、日曜社会学の人の本でね、
メンバーって言うことで言うと、自然言語の習熟が基準らしいのよね、
そうすると、俺は、覆水派のメンバーではない、ってことな訳よ。
(あ、勿論覆水ってのは、ルーマン、ルー満、ルーがこぼれてるよ、Spilt milkな流れね)
で、
メンバーじゃないから分からないって事になればだね、これは、単純に、ルーマンの理論がイデオロギーだという事になる訳よ。
で、「あ、なんだ。ルーマンが胡散臭いのはイデオロギーだからか」で終われば良いんだけど、
だけど、そうならないんだね〜・・・。
いや、この本でも、ルーマンへの批判を取り上げて、いやルーマンの理論はね・・・っていう展開をしてるんだけど、
これがね、まあ、この本を読むと、ルーマンが間違ってるとは思えない訳よ。
となると、イデオロギーだ、という判断が間違ってるということになる訳よ。
って事は、前提である、自然言語の習熟がメンバーの定義というのが間違ってることになる訳よ。
という事で、エスノメソドロジーの批判をして終わり。

って事で済ます訳にも行かないんだよねー・・・。
これだと、結局システムが分からないままだからねー・・・。
うーん・・・。
ま、長岡本を見つけたんで、それを読んでも良いんだけど、厚いのよねー・・・。
あー、やっぱ院試に受かっとくべきだったな〜・・・。
ま、嘆いたところでどうにもならないので、ここは、まあいつもの通り。
えぇ、ルーマンは棚上げです。
ね〜、美香さん。と。

【ブログの補完 20010年2月7日(日)】  

2010年01月31日

1月の進行状況

借金返済分 論文:3本


借金 本:12冊 論文:54本 ブログの補完:988記事

保険としての絵本:3冊


【ブログの補完 20010年2月8日(月)】  

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2010年01月15日

国家と体制変動 ―辛亥革命における国家帰属化と地方主義―

穐山新(あきやまあらた) 2008 『社会学評論』58(1) P.151−166

60点

面白い。
面白いんだけど、いまいち良く分からない。

こーゆうのを読む度に思うんだけど、
政治学と社会学の違いって何?
こーゆうのを社会学に含めるなら、もう何か、「社会科学」で統一しても良いような気がするんだけど。
うーん・・・。
ワガンネ。


「主観的には国家の統治権力の強化を目指す政策に内在するメカニズムそのものの中に、革命を引き起こす対抗的な勢力や社会的な条件を創出していく側面が存在している」

「「集権化」ではなく「帰属化」という概念」

「彼女(シーダ・スコチポル、俺注)の説明では、外国との軍事競争の圧力によって国内における資源の抽出や管理的・強制的な組織の建設に迫られた国家が、既存の政治的・階級的(特に農業社会的な)な構造と衝突し、国家の行政的・軍事的組織が機能不全に陥ることによって革命が引き起こされるのだという」

「社会に対する権力」

「社会を通じた権力」

「辛亥革命が単なる動乱ではなく「革命」となりえたのは、この体制変動を皇帝を中心とする王朝国家から共和制的な国民国家への転換として意味付ける知識人の存在によるものである」

「実際、1905年に科挙が正式に廃止されると、新たな立身の道として新軍に身を投じる科挙受験生が少なくなかった」

「同盟会は、日本留学生を中心とする革命知識人が、地方ごとに編成された清朝の新軍に入隊するという、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」の方法を採用することになった」

「「都督」に祭り上げられた黎元洪が、辛亥革命の直前まで配下の兵士が革命組織と密接に関わっていることにほとんど気付いていなかったが、これは軍事組織の革命化が国家という統治組織の内部において進行していたからと理解することができる」

「今から見て奇妙に思われることは、清朝の官僚も革命派の知識人も、地方に依存・放任した帰属化政策および革命運動が、「中国」の一体性を崩壊させてしまうのではないかという懸念を、誰一人として表明していなかったことである」


【ブログの補完 20010年4月8日(木)】  

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2010年01月10日

正当な当事者とは誰か ―「性同一障害」であるための基準―

鶴田幸恵 2008 『社会学評論』59(1) P.133−150

55点

いまいち、よく分からない。
いや、内容が分からないって事じゃないんだけど、何か、よく分からない。


会話分析をしてる人ってのは、いちいちその会話を理解していることを示さないといけないのかね?
やたらと「理解」って出て来るんだけど。


「性同一性障害カテゴリーが、それを執行する権利が医学にのみあるのではないものとして、コミュニティのなかに存在しているということである」

「そのカテゴリー(性同一性障害カテゴリー、俺注)を適用されるための基準が、医学の求める基準をさらに厳格化し、社会にいかに適応的であるかによるものとなっている」

「性同一性障害カテゴリーは、医学から離れた当事者間の相互行為においても、当事者自身によって、非常に道徳的なものとして管理されているのである」

「あるカテゴリーを用いることが「抵抗」となりうるのはどのようにしてか、ということを分析すること。ここにこそサックスの着眼点がある」


つうか、「コミュニティ」はどこにあんのかね?
これは、「正当なコミュニティとは何か」という問題に、ならない、の、かね?


【メモ】
私たち
理解


成員カテゴリー化装置、サックス
TS(transsexual)
性別適合手術(sex reassignment surgery)
TG(transgender)
性同一性障害(Gender Identity Disorder)


副題が、「性」が抜けてる。
単なるミスか?
それとも、性同一「性」障害と性同一障害で違いがあるのか?
GeNiiで見ると、性同一性障害になってるんだけどな。

つるたさちえ、Sachie
奈良女子大学、Nara Women’s University


【ブログの補完 20010年3月22日(月)】  

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