すでにこのブログでも告知していましたが、年明けの1/5に新刊が出ることになりました。
タイトルは、『2018年 資本主義の崩壊が始まる』(かんき出版)です。
私はこのたび発刊する拙著の中で、資本主義が崩壊する歴史的な必然性について明かしました。
かつてこのブログでも、資本主義が成長の限界に突き当たった理由を、「物質」と「生命」の違いという視点から考察したことがありました(2014/4/7 「『生命』の次元から経済を捉えなおす」)
しかし、今読み直してみると、資本主義というシステムが持つ限界をまだ十分に捉えきれていなかったことがわかります。頂上に辿りついてはじめて、当時はまだ5合目くらいのところで記事を書いていたことがわかります。
このブログの中で指摘したように、技術革新を生み出す「人間」の生命力が衰えていくことが、資本主義が成長の限界に突き当たった一つの理由です。
でも、それだけではなかった。技術革新そのものがなんと成長の限界をつくっていたのです。
私も長年エコノミストとして、「技術革新は生産性を高める」という常識を信じて疑いませんでした。
しかし、これだけ技術革新が行われているのに、なぜ生産性が伸びず、経済成長が鈍化しているのかが私の中では謎でした。「人間」の生命力が衰えている、という理由だけで果たして説明できるのか、正直なところ疑問に思っていました。
しかし、その謎がようやく解けました。
その大きなきっかけとなったのは、拙著のあとがきにも書きましたが、出版社の編集担当の方から、「エントロピーを一つの視点にして、原稿を書いたらどうか」というアドバイスを受けたことでした。
‘エントロピー’が「物質」と「生命」の違いを説明するカギとなる重要な概念であることはもちろん私も認識していましたが、原稿を書く段階で経済をあらためて‘エントロピー’の視点から眺めることにより、はじめて「技術革新によっても生産性が上がらない」そのカラクリに気付きました。
技術革新はエントロピーをどんどん増やし、増えたエントロピーを処理して社会の秩序を維持するためのコストがそれに伴って次第に増えていきます。そのコスト負担が生産性を下げる作用を及ぼしているのです。(詳しくは拙著に書きましたのでお読みください。)
気が付いてみれば、極めて当たり前のことなのですが、「常識」に縛られている時には、このような当たり前の事実にさえ気付けなくなってしまうことを、我が身をもって知らされました。
さて、このたびの発刊を一つの区切りにしたいと考え、「あらたな時代」と題したブログを始めることにしました。あらたな時代のパラダイムを、ブログを通して発信していきたいと思っています。
それに伴って、当ブログ「私の相場観」を本日をもって終了させて頂きます。
主に個人投資家の方に当ブログを読んで頂きましたが、長い間ありがとうございました。
景気やマーケットについてもうお伝えできないのは残念ですが、新刊の第1章で当面の景気とマーケットについて書きましたので、ぜひそちらの方をご覧ください。
では、新しいブログでまたお会いしましょう。