January 27, 2011
おかげさまで、
ごきげんよう。
おかげさまで現在、元気に過ごしております。
ありがたいことに、家族全員が救いの恵みにあずかりまして、
この上ない幸せの中、日々暮らしております♪
現在は素晴らしい教会と素晴らしい主にある兄弟姉妹たちに恵まれ、
充実した素晴らしい日々を過ごしております。
ただ神の恵みによって与えられました。感謝です。
艱難がありましたが、
全てを益と変えてくださいました主イエス・キリストに感謝します。
そして、私達に悪を謀った者、嘘をついた者は一人残らず、
その行いに応じた報いを神が与え、
神が正しく裁いてくださいましたことに感謝します。
私に悪を謀った者に対し、
そのしわざに応じた報いがあったのです。
私達は砂を噛むような苦痛に耐え、祈り続けた結果、
主にあって、悪人どもに勝利したのです。
主が裁いてくださいました。
完全勝利です。全てが報われたのです。
我々が受けたものは神の祝福で、悪人どもが受けたものは
自らが蒔いた悪の刈り取りなのです。
ここまでくっきりと明暗が出るとは思いもしませんでした。
はっきり書いておきます。
神は正しいお方だということを。
神の前では何一つ隠し事など出来はしないのですから。
おかげさまで、
今年は実に良い一年になりそうです。
ハレルヤ!
義なる神、真実なる方、おそるべき方、
裁き主、救い主イエス・キリストに感謝を捧げます。
おかげさまで現在、元気に過ごしております。
ありがたいことに、家族全員が救いの恵みにあずかりまして、
この上ない幸せの中、日々暮らしております♪
現在は素晴らしい教会と素晴らしい主にある兄弟姉妹たちに恵まれ、
充実した素晴らしい日々を過ごしております。
ただ神の恵みによって与えられました。感謝です。
艱難がありましたが、
全てを益と変えてくださいました主イエス・キリストに感謝します。
そして、私達に悪を謀った者、嘘をついた者は一人残らず、
その行いに応じた報いを神が与え、
神が正しく裁いてくださいましたことに感謝します。
私に悪を謀った者に対し、
そのしわざに応じた報いがあったのです。
私達は砂を噛むような苦痛に耐え、祈り続けた結果、
主にあって、悪人どもに勝利したのです。
主が裁いてくださいました。
完全勝利です。全てが報われたのです。
我々が受けたものは神の祝福で、悪人どもが受けたものは
自らが蒔いた悪の刈り取りなのです。
ここまでくっきりと明暗が出るとは思いもしませんでした。
はっきり書いておきます。
神は正しいお方だということを。
神の前では何一つ隠し事など出来はしないのですから。
おかげさまで、
今年は実に良い一年になりそうです。
ハレルヤ!
義なる神、真実なる方、おそるべき方、
裁き主、救い主イエス・キリストに感謝を捧げます。
August 23, 2009
July 18, 2009
偽証してはならない
先日、全ての偽証の根源が明らかになりました。
しかし、私は一切責める気はありません。赦します。
裁くのは神です。神の裁きほど恐ろしいものはありません。
聖書の定める十戒には“偽証してはならない”とはっきり書いてあります。
私は以前とは全く関係のない世界で、とても幸せに暮らしています。
私と私の家族に対する偽証すらをも、神様が全て益としてくださったのです。
主なるイエス・キリストに感謝します(・∀・)ノシ
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
exod 20:16
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
RON KENOLY - MAJESTY
しかし、私は一切責める気はありません。赦します。
裁くのは神です。神の裁きほど恐ろしいものはありません。
聖書の定める十戒には“偽証してはならない”とはっきり書いてあります。
私は以前とは全く関係のない世界で、とても幸せに暮らしています。
私と私の家族に対する偽証すらをも、神様が全て益としてくださったのです。
主なるイエス・キリストに感謝します(・∀・)ノシ
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exod 20:16
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
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RON KENOLY - MAJESTY
July 12, 2009
ごきげんよう(・∀・)
とつとつと日々の覚え書き。
ようつべ倉庫にするつもりでしたが、
気付けば2年も放置していました・・・(・∀・)
主なるイエス・キリストの導きにより、
全てのことが益となりました。
現在は万事順調、この上ない幸せの中で暮らしております。
祝福三昧のこの人生を与えて下さった主に感謝します。
それではごきげんよう(・∀・)ノシ
詩篇114
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
ps 114: 1
イスラエルがエジプトから、ヤコブの家が異なることばの民のうちから、出て来たとき、
ps 114: 2
ユダは神の聖所となり、イスラエルはその領地となった。
ps 114: 3
海は見て逃げ去り、ヨルダン川はさかさに流れた。
ps 114: 4
山々は雄羊のように、丘は子羊のように、はねた。
ps 114: 5
海よ。なぜ、おまえは逃げ去るのか。ヨルダン川よ。なぜ、さかさに流れるのか。
ps 114: 6
山々よ。おまえはなぜ雄羊のようにはねるのか。丘よ。なぜ子羊のようにはねるのか。
ps 114: 7
地よ。主の御前におののけ。ヤコブの神の御前に。
ps 114: 8
神は、岩を水のある沢に変えられた。堅い石を水の出る泉に。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
ハレルヤ。
聖なる王の王、イエス・キリストに栄光あれ!!
とりあえずようつべを貼ってみる。
“Oh The Glory”
ようつべ倉庫にするつもりでしたが、
気付けば2年も放置していました・・・(・∀・)
主なるイエス・キリストの導きにより、
全てのことが益となりました。
現在は万事順調、この上ない幸せの中で暮らしております。
祝福三昧のこの人生を与えて下さった主に感謝します。
それではごきげんよう(・∀・)ノシ
詩篇114
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ps 114: 1
イスラエルがエジプトから、ヤコブの家が異なることばの民のうちから、出て来たとき、
ps 114: 2
ユダは神の聖所となり、イスラエルはその領地となった。
ps 114: 3
海は見て逃げ去り、ヨルダン川はさかさに流れた。
ps 114: 4
山々は雄羊のように、丘は子羊のように、はねた。
ps 114: 5
海よ。なぜ、おまえは逃げ去るのか。ヨルダン川よ。なぜ、さかさに流れるのか。
ps 114: 6
山々よ。おまえはなぜ雄羊のようにはねるのか。丘よ。なぜ子羊のようにはねるのか。
ps 114: 7
地よ。主の御前におののけ。ヤコブの神の御前に。
ps 114: 8
神は、岩を水のある沢に変えられた。堅い石を水の出る泉に。
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ハレルヤ。
聖なる王の王、イエス・キリストに栄光あれ!!
とりあえずようつべを貼ってみる。
“Oh The Glory”
February 06, 2007
2月ですわよ(・∀・)
ふふふふふふふふ(・∀・)
色々考えた結果、
今日からここはようつべ倉庫にします。
んむふふふふふふふふふふ(・∀・)
色々考えた結果、
今日からここはようつべ倉庫にします。
んむふふふふふふふふふふ(・∀・)
January 24, 2007
今日の記録。
January 15, 2007
この花は、
January 13, 2007
今日の記録。
とつとつと日々の覚え書き。
ひたすら自分の日常を記録する日記なんであります。
12日。
色々なことを思い出しては鬱々としていたところ、
セレブなアミーゴより電話が。
『ねえ、グ○チのバッグ使うー?』
『なんでも感謝して使いまっせ!(即答)』
『ほな、取りに来てー』
うはー♪いっぱいブランド物もらってしまったですよ。凄いなあ。
セレブって惜しまないのね。
・・・持つべきものは(以下略)
ハレルヤ。
主は色々な方法を用いてなぐさめと恵みをあたえて下さいますねえ(・∀・)
13日。
聖書を読みつつ信仰とは何か?と考えた。
昨年は色々とありました。
実に大変でした。
信仰を失いそうになりました。
失望の中で死を覚悟しました。
しかし主がともにおられたので、
生きていられるのであります。
ただただひたすら主の恵みに感謝です。
私が滅びうせなかったのは主の恵みによるのです。
患難さえも今は喜びです。
患難を乗り越えるために色々模索しましたが、
それは聖書の中でイエス様が模範を示して下さっていると気付きました。
イエス様はののしられても言い返さず、
それどころかとりなして祈られたのです。
激しい痛みを経験しても、
ただひたすら神により頼むことを学びました。
2007年は希望の年であると信じて主に感謝します。
そして、この希望は失望に終わることがありませんので感謝します。
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能の神であられる主よ。
全ては主の御手のなかにありますので感謝します。
みこころがなりますように。
主に栄光がありますように。
2cor 1: 7
私たちがあなたがたについて抱いている望みは、動くことがありません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めをもともにしていることを、私たちは知っているからです。
2cor 1: 8
兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、
2cor 1: 9
ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。
2cor 1:10
ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。
2cor 1:11
あなたがたも祈りによって、私たちを助けて協力してくださるでしょう。それは、多くの人々の祈りにより私たちに与えられた恵みについて、多くの人々が感謝をささげるようになるためです。
ひたすら自分の日常を記録する日記なんであります。
12日。
色々なことを思い出しては鬱々としていたところ、
セレブなアミーゴより電話が。
『ねえ、グ○チのバッグ使うー?』
『なんでも感謝して使いまっせ!(即答)』
『ほな、取りに来てー』
うはー♪いっぱいブランド物もらってしまったですよ。凄いなあ。
セレブって惜しまないのね。
・・・持つべきものは(以下略)
ハレルヤ。
主は色々な方法を用いてなぐさめと恵みをあたえて下さいますねえ(・∀・)
13日。
聖書を読みつつ信仰とは何か?と考えた。
昨年は色々とありました。
実に大変でした。
信仰を失いそうになりました。
失望の中で死を覚悟しました。
しかし主がともにおられたので、
生きていられるのであります。
ただただひたすら主の恵みに感謝です。
私が滅びうせなかったのは主の恵みによるのです。
患難さえも今は喜びです。
患難を乗り越えるために色々模索しましたが、
それは聖書の中でイエス様が模範を示して下さっていると気付きました。
イエス様はののしられても言い返さず、
それどころかとりなして祈られたのです。
激しい痛みを経験しても、
ただひたすら神により頼むことを学びました。
2007年は希望の年であると信じて主に感謝します。
そして、この希望は失望に終わることがありませんので感謝します。
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能の神であられる主よ。
全ては主の御手のなかにありますので感謝します。
みこころがなりますように。
主に栄光がありますように。
2cor 1: 7
私たちがあなたがたについて抱いている望みは、動くことがありません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めをもともにしていることを、私たちは知っているからです。
2cor 1: 8
兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、
2cor 1: 9
ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。
2cor 1:10
ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。
2cor 1:11
あなたがたも祈りによって、私たちを助けて協力してくださるでしょう。それは、多くの人々の祈りにより私たちに与えられた恵みについて、多くの人々が感謝をささげるようになるためです。
January 11, 2007
今日読んだ文章。
今日、読んだブログの中で
この文章がとても心に響いたので転載させていただきます。
ビクトリヤ・ボイソンという方の文章です。
『非難の中を主と歩む』
ビクトリヤ・ボイソン
詩篇84:10「まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりはむしろ神の宮の門口に立ちたいのです。」
幻の中で、私は長く続く道をイエスと共に歩いていました。 主の片方の腕は一緒に歩いている私の身体を抱かれ、もう一方の手で大きな十字架のついている黄金の大盾を持っておられました。主はその盾で私たちを覆い、多くの火矢を防いでおられました。
主と共に歩いていくと、両側に人々が立っていて私たちにむかって告発糾弾、不当な判決という火矢を投げつけました。彼らは偽りを信じ込んでいて、私を激しく非難し、告発の矢を投げつけていたのです。
ほとんどの矢はイエスがその盾で防いでくださいましたが、時々防ぎきれなかった矢が私を突き刺しました。その矢は私の霊に刺さり、私は大きな痛みを感じました。
激しい痛みでしばらくの間、私の身体は麻痺し、動くこともできず、矢を投げつけた相手に対抗することもできませんでした。 しかし感覚がもどると、私の心は彼らに対する怒りで一杯になりました。そして彼らにむかって、自分はそんなものではない、言葉を発しました。すると彼らはもっと激しく私を糾弾したので、私の痛みはひどくなるばかりでした。
すると、イエスが御腕で私をぐっと御自分の方に引き寄せられたので、私の顔は主の胸の中に埋まってしまうほどでした。しばらくの間そうしていると、私の痛みは主によって吸い取られてしまい、私の心と霊は主の中でいやされ回復していきました。
長い間その道を歩きました。両側に立つ敵からは容赦なく非難の言葉が投げつけられていました。 攻撃は何回も繰り返されました。 私はこの戦いが何であるのか、また、どこに向かって歩いているのかも分かりませんでした。ただ、私はイエスのそばにいなければならない、ということだけははっきり分かりました。 戦いは非常に激しかったので、イエスの中だけが安全な場所だったのです。
御座からの輝く光
前方を見ると、遠くにぼんやりと光が見えました。なおも歩いていくと、その光は明るさを増していきました。歩けば歩くほど光は輝きを増し、それと同時に敵からの攻撃は弱まっていきました。やがてイエスと私は神の御座までたどりついたのです。
御座からは光が輝き出ていて、その光が触れるすべての物の中に光は浸透していくように見えました。光には神の慈しみと厳しさがあるのが感じられました。神は義であられ、また慈しみ深い方でした。私は畏敬の念に打たれましたが、自分が全く安全であることも感じていました。
イエスはまだ私の身体に腕を回しておられましたが、私にもっと御座の近くに進むようにと促されました。 そして、父なる神にむかって「お父様、この者は非難と告発の道を忠実に歩いてきましたから、あなたからの栄誉を受けるのにふさわしい者です。どうか祝福してください。」といわれました。
白い滴る炎
父なる神は御目をイエスから私のほうに移され、私をご覧になりました。そして御手を私のほうに愛をこめて差し出されると、その御手から白い液体の炎が滴り落ちました。 父なる神は全体の御姿がその炎そのもののようでした。
炎の滴りが私に振りかかると、それは私の身体を貫き、私の身体は力が失せて立っていることができませんでした。床にくずおれた私の上に、なおも父の御手から炎のしずくが滴り続けました。やがて父は御手を私の上から引かれましたが、私はなおもそこに横たわっていました。
イエスは優しく御腕で私を助け起こしてくださいました。一言も言葉を交わすことなく私たちは近くの丘まで歩いて行き、腰をおろしました。そして、これから起ころうとしていることを、主が話してくださいました。
「父とわたしは、あなたがこの丘の上に立つことを計画してきました。あなたがこの丘の上に立つとき、父とわたしは人々をあなたのところに連れてきます。それは、彼らも父の輝く炎を体験し、傷をいやされて回復し、自分に与えられた使命を全うできるようになるためです。人々がわたしを見つけられるように手伝ってくれますか?」
苦痛と非難の旅
父なる神に触れられた衝撃から私はまだ力がなく震えていましたが、「はい。」とうなずきました。しばらく丘の草の上で休むようにと言われて、主は私を一人にされました。
そこにじっと横たわりながら、私は今まで歩いてきた道について思いをめぐらしはじめました。私に投げつけられた非難を思い出したとき、私は大きな痛みを感じました。そしてその瞬間に、イエスもご自分への非難を浴びながら同じ道を歩かれたのだ、ということに気がついたのです。ただ私と違うことは、主はただお一人で、防ぐ盾も持たずに歩かれたということでした。私の戦いは非常に困難なものでしたが、イエスが共におられず、また、盾で守られていなかったならばもっと厳しいものであったことでしょう。平安が私の心をみたしました。 そしてIペテロ2:21−23を思いだしました。
「 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」(1ペテロ2:21−23)
皆さんの中の多くの方が、父なる神の栄光の御座にまで通じているこの道を歩くようにと召されていると思います。それは大変困難な道ですから、あなたは弱リ疲れ果てることでしょう。でもその報酬を考えてください。父の栄光に勝るものはないのです。敵の非難、告発はあなたを父から引き離すことはできません。しかも、敵の非難が大きければ大きいほど、あなたはもっと大きな父の栄光を見ることができるのです。なぜなら「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられる。」(詩篇34:18)とあるからです。
あなたの周りで今戦いが激しくても、救い主なるイエスの御そば近くにとどまっていてください。主の中にこそ、あなたの避けどころ、力があるからです。代価がいかに大きくても「まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさる」(詩篇84:10)ことを決して忘れないでください。
神はあなたと共におられる
ローマ8:38−39
「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」
親愛なる皆様、天の父はあなたを愛しておられます。父はあなたのために場所を用意しておられます。あなたのために父が用意されている素晴らしい計画に導かれて行きましょう。敵の偽りを信じてはいけません。
神は恵み深いかたであり、あなたと共におられます。(終わり)
Fill this Temple(Let my heart be the temple)
(日本語版歌詞)
♪神の宮をやどす民は ぬくもり感じて生きる
私があなたの宮と なれますように
おお主よ 賛美します
栄光をもとめます
主の霊でみたしてください
私をみたしてください♪
この文章がとても心に響いたので転載させていただきます。
ビクトリヤ・ボイソンという方の文章です。
『非難の中を主と歩む』
ビクトリヤ・ボイソン
詩篇84:10「まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりはむしろ神の宮の門口に立ちたいのです。」
幻の中で、私は長く続く道をイエスと共に歩いていました。 主の片方の腕は一緒に歩いている私の身体を抱かれ、もう一方の手で大きな十字架のついている黄金の大盾を持っておられました。主はその盾で私たちを覆い、多くの火矢を防いでおられました。
主と共に歩いていくと、両側に人々が立っていて私たちにむかって告発糾弾、不当な判決という火矢を投げつけました。彼らは偽りを信じ込んでいて、私を激しく非難し、告発の矢を投げつけていたのです。
ほとんどの矢はイエスがその盾で防いでくださいましたが、時々防ぎきれなかった矢が私を突き刺しました。その矢は私の霊に刺さり、私は大きな痛みを感じました。
激しい痛みでしばらくの間、私の身体は麻痺し、動くこともできず、矢を投げつけた相手に対抗することもできませんでした。 しかし感覚がもどると、私の心は彼らに対する怒りで一杯になりました。そして彼らにむかって、自分はそんなものではない、言葉を発しました。すると彼らはもっと激しく私を糾弾したので、私の痛みはひどくなるばかりでした。
すると、イエスが御腕で私をぐっと御自分の方に引き寄せられたので、私の顔は主の胸の中に埋まってしまうほどでした。しばらくの間そうしていると、私の痛みは主によって吸い取られてしまい、私の心と霊は主の中でいやされ回復していきました。
長い間その道を歩きました。両側に立つ敵からは容赦なく非難の言葉が投げつけられていました。 攻撃は何回も繰り返されました。 私はこの戦いが何であるのか、また、どこに向かって歩いているのかも分かりませんでした。ただ、私はイエスのそばにいなければならない、ということだけははっきり分かりました。 戦いは非常に激しかったので、イエスの中だけが安全な場所だったのです。
御座からの輝く光
前方を見ると、遠くにぼんやりと光が見えました。なおも歩いていくと、その光は明るさを増していきました。歩けば歩くほど光は輝きを増し、それと同時に敵からの攻撃は弱まっていきました。やがてイエスと私は神の御座までたどりついたのです。
御座からは光が輝き出ていて、その光が触れるすべての物の中に光は浸透していくように見えました。光には神の慈しみと厳しさがあるのが感じられました。神は義であられ、また慈しみ深い方でした。私は畏敬の念に打たれましたが、自分が全く安全であることも感じていました。
イエスはまだ私の身体に腕を回しておられましたが、私にもっと御座の近くに進むようにと促されました。 そして、父なる神にむかって「お父様、この者は非難と告発の道を忠実に歩いてきましたから、あなたからの栄誉を受けるのにふさわしい者です。どうか祝福してください。」といわれました。
白い滴る炎
父なる神は御目をイエスから私のほうに移され、私をご覧になりました。そして御手を私のほうに愛をこめて差し出されると、その御手から白い液体の炎が滴り落ちました。 父なる神は全体の御姿がその炎そのもののようでした。
炎の滴りが私に振りかかると、それは私の身体を貫き、私の身体は力が失せて立っていることができませんでした。床にくずおれた私の上に、なおも父の御手から炎のしずくが滴り続けました。やがて父は御手を私の上から引かれましたが、私はなおもそこに横たわっていました。
イエスは優しく御腕で私を助け起こしてくださいました。一言も言葉を交わすことなく私たちは近くの丘まで歩いて行き、腰をおろしました。そして、これから起ころうとしていることを、主が話してくださいました。
「父とわたしは、あなたがこの丘の上に立つことを計画してきました。あなたがこの丘の上に立つとき、父とわたしは人々をあなたのところに連れてきます。それは、彼らも父の輝く炎を体験し、傷をいやされて回復し、自分に与えられた使命を全うできるようになるためです。人々がわたしを見つけられるように手伝ってくれますか?」
苦痛と非難の旅
父なる神に触れられた衝撃から私はまだ力がなく震えていましたが、「はい。」とうなずきました。しばらく丘の草の上で休むようにと言われて、主は私を一人にされました。
そこにじっと横たわりながら、私は今まで歩いてきた道について思いをめぐらしはじめました。私に投げつけられた非難を思い出したとき、私は大きな痛みを感じました。そしてその瞬間に、イエスもご自分への非難を浴びながら同じ道を歩かれたのだ、ということに気がついたのです。ただ私と違うことは、主はただお一人で、防ぐ盾も持たずに歩かれたということでした。私の戦いは非常に困難なものでしたが、イエスが共におられず、また、盾で守られていなかったならばもっと厳しいものであったことでしょう。平安が私の心をみたしました。 そしてIペテロ2:21−23を思いだしました。
「 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」(1ペテロ2:21−23)
皆さんの中の多くの方が、父なる神の栄光の御座にまで通じているこの道を歩くようにと召されていると思います。それは大変困難な道ですから、あなたは弱リ疲れ果てることでしょう。でもその報酬を考えてください。父の栄光に勝るものはないのです。敵の非難、告発はあなたを父から引き離すことはできません。しかも、敵の非難が大きければ大きいほど、あなたはもっと大きな父の栄光を見ることができるのです。なぜなら「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられる。」(詩篇34:18)とあるからです。
あなたの周りで今戦いが激しくても、救い主なるイエスの御そば近くにとどまっていてください。主の中にこそ、あなたの避けどころ、力があるからです。代価がいかに大きくても「まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさる」(詩篇84:10)ことを決して忘れないでください。
神はあなたと共におられる
ローマ8:38−39
「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」
親愛なる皆様、天の父はあなたを愛しておられます。父はあなたのために場所を用意しておられます。あなたのために父が用意されている素晴らしい計画に導かれて行きましょう。敵の偽りを信じてはいけません。
神は恵み深いかたであり、あなたと共におられます。(終わり)
Fill this Temple(Let my heart be the temple)
(日本語版歌詞)
♪神の宮をやどす民は ぬくもり感じて生きる
私があなたの宮と なれますように
おお主よ 賛美します
栄光をもとめます
主の霊でみたしてください
私をみたしてください♪