3月8日は「国際女性デー」でした。僕が気にしすぎているのか、ネットニュースで僕のiPhoneにフィードされるニュースは「ジェンダーギャップ」のことがとても多い。多いからよく読んでしまうし、そうすると「こいつはこのニュースが好きだぞ」とAlが判断して、さらに好きそうなこのトピックに関するニュースや記事が紹介されてしまう。それに影響されてか、手に取った本は2015年にノーベル文学賞を受賞したロシア出身のスヴェトラーナ・アレクサンドロヴナ・アレクシエーヴィッチが書いた「戦争は女の顔をしていない」。他の書籍も並走で、また内容が濃いので全然読み進めない。
先日、長男が「プリンを作りたい」と言い出し、作ったのがこのプリン。見た目は置いといて、味はまーまー、いけました。昨日は次男がホワイデーのお返しにとチョコとオレオで、カップチョコを作ってました。私も普通に家事をしますし、家族全員、役割的にはジェンダーギャップはないんだろうと思ってます。役割的なことについては、あまり疑問を持つことはなく、僕がいつも気に掛けてるのは、「どうして、こうも女性と男性は考え方が違うのか」です。
同じ結果を得るための目的意識だったり、方法だったり、そこに至る考え方だったり、まー違う。読んでる本は第二次世界大戦において出兵した多くの女性兵(ロシア側)についてのドキュメンタリーです。衛生兵などの後方支援ではなく、最前線で直接敵と対峙する役割を果たした女性の話が半分以上。戦場での銃撃戦の最中でも、女性はお花を摘み、ポッケに入れて微笑む。男性はまーないと思う、戦場でお花を摘むことはまずない。ポッケにしたためるのは家族の写真や恋人との写真。戦死した女性兵の鞄から可愛いお人形が出てくる場面も多い。戦地で何日も食べものがなく、そして悲惨な戦場を歩き続ける時、出来るだけ軽くしたい鞄、男性、そこにはお人形は入れない。
韓国の少子化がひどいことになってます。OECD内で最低です。2023年、女性の生涯出生人数が0.72人(日本でも1.3人程度です)。そして、今の人口を保持するために必要な数字は2.1人。この国もそうですが、韓国はすごい勢いで人口が減っています。�日本よりも相当近い将来、人口減のため、社会/経済が破綻すると言われています。多分、その通り破綻するんだろうと思う。この国もそうですが、家父長制度が根本にあるあの国、僕が女性ならとっくの昔に海外逃亡してるだろうと思います。学生時代の交換留学、そして語学を学ぶため、1年ちょっと住んだことがあり、その時の印象です。この印象の起源は多分戦争です。あの国、朝鮮民主主義人民共和国と停戦中というだけで、今でも戦争中です。男性、30歳になるまでに相当な理由がなければ戦争に行かなければいけません(徴兵制)。基本、女性は免除です。なんとなくですが、多くの韓国の男性から受ける印象、「女性は役立たず」です。「戦争で命を掛けてる男性に比べ、女性は何もしない」です。この議論、韓国でなくてもよく聞く男女の諍いの原因です。
そもそも、この「諍い」のストーリー自体が男性目線なんじゃないかと思っています。そもそも、女性はこいったこと自体に興味がない。男性/女性、どちらがより社会/経済に貢献しているとか興味なんじゃないかと思うんです。貢献すべき社会/経済って、男性が作り上げたもの。そのものに貢献しているかどうかって、そもそも男性目線じゃないのかってことです。
家庭でたまに、この国の人口減の話をします。その時の妻からの印象の薄さにはびっくりです。「仕方ないじゃん。少なくなるんだったら、それはそれで普通に生活しますけど」って感じです。
たまに経済的に成功した女性の記事を読んだりしますが、その記事読んで、「そんな女性になりたい」と思う女性ってかなり少数なんじゃないかと思うんです。その証拠に男性誌の中には「経済的成功とは」が中心的記事になってる雑誌、ごまんとありますが、女性誌でこれに匹敵する雑誌ってまずない。読む人が少数派で売れないからです。売れたら、ありますから。
こんな話を家庭でしたら、妻が「戦場で犬に出会ったら撫でる?」っ尋ねてきました。「その時の状況だろ。分からんよ。」って答えました。「えー、あなたは撫でるわよ。この家庭で1番女性ぽいの、あなただから」って言ってました。そんな目で見られていると初めて知って、「そんなことどうでもいいわ」って思うのもちょっと女性っぽい証拠かもしれないなと鏡に映る超男性っぽい自分を見て自身の中にあるジェンダーギャップがすごいなって感心してたりしてね。