雑記帳

世をなのめに書き流したることば

読書記録2023

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言い訳を書き連ねるだけの投稿が毎年続いている。
今年は業務都合で週休1日ペースになってしまい、旅行、余暇、読書にあてる時間と気力が限定されてしまい、なにかまとまったテーマを考えるということもなかった。
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Concert of the Year 2023

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コロナ禍が実質的明けた2023年。ようやくクラシック・コンサート、特に海外オーケストラの公演も平時に戻った感がある。仕事が忙しく、県外に出る余裕がほとんどなかったため、名古屋公演中心だが、再開の1年としては満足のいく体験となった。国内のオーケストラを聴きに行く機会がごくわずかになり、かつ、東京に行く機会が皆無だったのは残念だが、こちらは2024年の楽しみにしておきたい。続きを読む

読書記録2022

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昨年末は業務都合で生命を維持するのが精一杯なほど多忙となり、しばらく続けてきた年末の読書記録をストップさせた。これを機にやめてしまっても何等支障がないのは疑いがないのだけど、もともと意味などないので、やってもやらなくても同じだと言える。毎年続ける必要も理由ももはやないが、気が向いた今年はつけることにする。続きを読む

Concert of the Year 2022

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コロナ禍で失われてしまったものの一つにコンサートがある。

コロナ禍以前より、勤務地が東京から遠く離れ、コンサートホールへ出向くのも時間的・金銭的負担を要するようになり、業務の多忙も手伝って、とても行ける環境ではなかった。そこにコロナ禍で度重なる緊急事態宣言、蔓延防止措置、海外からの入国制限で、文化を潰すには十分なほどの材料が揃っていた。

2022年に入り、勤務地が変わって、名古屋までは気軽に行けるぐらいの地方都市に転居となった。名古屋まで行けば、東京も大阪もそれほど時間距離は遠くない。久方ぶりのオーケストラのコンサートへ足を運べる心の余裕もできるようになった。
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回顧と展望2020

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本年は、思い返すだに不快で不毛な1年となった。落ち着いて遠出することも、仲間とゲラゲラ笑うことも、コンサートホールで音楽に浸ることもなく、何が面白いのか。仕事もうんざりするような内容が多く、日々の生活は灰色に染まっていた。そういう精神状態を反映しているからか、昨年に比べて時間はあったはずなのに、読書は一向に進まなかった。読了できたのが40冊にも満たず。

まったく乏しい内容ではあるが、「ダメでも書く」「これは苦行の一つ」と観念して、今年も書いてみよう。

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回顧と展望2019

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昨年に引き続き、今年もこの駄文を書くのが大変億劫で苦痛である。

インプットもアウトプット圧倒的に不足しており、ウェブ上で誰かの目に触れる価値のあるものが書けるとはとても思えない。とはいえ、これは記録であって作品でも研究でもない。停滞しているなら、停滞していることを記録しておくことに(記録しておくことだけが)意味がある。

月々の給金をもらうために、長時間職場に縛り付けられているのだが、1年の半分以上が週6勤務で気力・体力的に相当厳しい。「働き方改革」などという言葉も概念もまったく適用されないところが残念な限り。体力が減れば、回復に時間がかかる。生命維持に必要な休息を除くと、余暇にまわす時間と体力は減る一方。

こんな状況で知識をアップデートすることなど、夢のまた夢なのかもしれない。
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第50作『男はつらいよ お帰り 寅さん』

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第1作『男はつらいよ』は1969年8月に封切り。それから50年の歳月が過ぎた。

個人的なことを言えば、自分が本格的にこのシリーズを見はじめたのは高校2年生か3年生の頃。すでに渥美清は他界し、49作の『ハイビスカスの花 特別編』が公開されて数年経った頃だった。高校生の頃から、今に至るまで、作品ごとに濃淡あれど全作を3週はした。

第1作に登場した役者たちで言えば、笠智衆、志村喬、太宰久雄、森川信、三崎千恵子、そしてマドンナの光本幸代もすでに鬼籍に入っている。その後、シリーズを賑やかせた名優たちも次々に舞台から去って行った。第1作から残っているのは、倍賞千恵子、前田吟、佐藤蛾次郎の3人だけになった。そんな中で、山田洋次と松竹が企画した50作目が今作である。

山田洋次が公開前のインタビューで言った通り、今作の主役は間違いなく渥美清演じる車寅次郎である。無論、まだ存命している吉岡秀隆、後藤久美子、浅丘ルリ子といった面々も重要ではあるが、それでも彼らは渥美清を彩る助演者に過ぎない。

メモもとらずにざっと見ただけなので、記憶が不正確なところがあるかもしれないが、思いつく限り書き記しておく。作品の中身に触れることは、あらかじめお知らせしておく。


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Concert of the Year 2019

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年末、マリス・ヤンソンスの訃報に接した。昨年11月の西宮公演がヤンソンスよりも年上のメータがおぼつかない足取りのなか命を削って振っていたように見えた。ヤンソンスは一時回復を見せたものの、公演の途中で倒れるなど体調がすぐれないのは、明らかだった。

思い返せば、ヤンソンスの実演にはじめて接したのは2013年のコンセルトヘボウ来日公演だった。東京文化会館でのコンサートは、皇太子・皇太子妃両殿下(当時)も臨席された凖天覧公演だった。臨席者の印象もさることながら、その公演の演奏で私は一挙にコンセルトヘボウのファンになった。ビロードのような美しい弦楽、微妙なピアニシモをコントロールしきる金管・木管。チャイコフスキーの5番の中間楽章や火の鳥組曲のヴァリエーションやロンドの美しさは涙が出るようだった。

その後、バイエルン放送交響楽団のベートーヴェン・ツィクルスを2回、そして、2016年11月27日にサントリーホールで聴いたマーラーの交響曲第9番が、4度目にして最後の実演となった。マーラーの9番はサントリーホール1階の後方の席だった記憶だが、緊張感のある演奏で、最後の最後まで気を張り詰めて聴いたように思う。そして、最後の音が鳴りやみ、静寂の中でヤンソンスが指揮棒を下ろした。会場内は一挙に拍手が広がったが、自分は、脱力のあまり拍手をする気力も奪われていた。マーラーの9番だからということもあるが、その日はそれ以上何か別の音を聞こうという気になれなかった。まさに終止符を打つ演奏会だった。

マリス・ヤンソンスは父アルヴィドの偉大なキャリアに影響を受けながら育ったが、間違いなく父を凌駕する名声と実力を手にした。21世紀最初の20年を代表する指揮者だった。マーラーは言うに及ばず、チャイコフスキー、ブラームス、ベートーヴェン、ワーグナー、ショスタコーヴィチ、ストラヴィンスキーなど抜群の演奏を残した。クラシックの指揮者は長生きする人が多いが、その中で76歳という没年は早い。言っても詮無いが、ショスタコーヴィチも聴きたかったし、ブラームスも聴きたかった。偉大な巨匠に哀悼の意を表したい。

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回顧と展望2018

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2018年は読書という点に限れば、まったく不作の1年だった。出版された本が不作だったのではなく、自分自身の読書に割く時間・気力が業務によって大幅に削られた結果、目標に対して大幅未達とあいなった。読書はまず量であって、質は量のあとについてこればいい。続きを読む

Concert of the Year 2018

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4月の転勤にともない、演奏会場への足が遠のいてしまい、今年は激減。
覚悟していたので仕方ないけれど、やはり寂しいのは寂しい。

とくに惜しいと思ったのは、年明けに来日するテオドール・クルレンツィスのムジカ・エテルナを聴きにいけないこと。職場からコンサートホールまでの距離的・時間的な制約を恨まざるをえない。今回は初来日なので、この後に、それなりの頻度で来てくれるならチャンスはめぐってくるはずだが。

今年のコンサートは、演奏者の交替やらで、期待通りというわけではないけど、それでも休日に大阪まで出かけて聞いた甲斐のあるという意味で一定の水準だったと思う。曲目は、去年に引き続きロシアオケが多かったけれど、満足度はいま少し。

今年一番印象に残ったのは、ヤンソンスの代打で登場したズビン・メータによるバイエルン放送交響楽団の公演。指揮台まで上がるのもやっとの体力で、当然ながら座っての指揮。いくつになっても若々しいイメージだったメータがそういう状態だったのは、目には痛々しく映った。しかし、後半のマーラーは花の章つきのフルコースで、最後まで手を抜かずにこのスーパー・オーケストラを鳴らせきった。さらに、アンコールのスラブ舞曲第8番も絶品。一期一会の機会を愉しませてもらった。

来年のことはわからないけれど、もう少し回数を増やしてもいいのかもしれない。続きを読む
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