2024年04月11日

Congratulations Korean people!

韓国の総選挙で、野党が圧勝した。注目していただけに、まことに喜ばしいことである。私自身に韓国の事情を詳しく知る手立てがあるわけではないが、私の信頼する韓国人の友人たちは、すべて以前から野党系の勢力を熱心に応援しているので、彼らを信頼していつも韓国の民主化勢力に肩入れしてきたのである。おめでとう韓国人民!おめでとう韓国の未来!

easter1916 at 13:07|PermalinkComments(0) 日記 

2024年04月03日

ベンヤミンの解説

私は、拙著『文学部という冒険』p−168で、ベンヤミンが初期ドイツ・ロマン派の批評概念について紹介している所から、次の言葉を引用した。

認識とは対象の自己認識を前提としている。(『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』p−107)

みずからの反省を高めてゆくこと(累乗、ロマン化)によって、むしろ、他のもろもろの存在、つまり他のもろもろの反省中枢を、ますます高程度に、自らの自己認識に同化することができるのである。(同p−110)

ロマン化とはまさに一つの質的な累乗に他ならない。低次の自己は、この演算(操作)により、よりよい自己と同一化される。(同p−69)

ロマン主義的ポエジーは、「…いかなる関心にもとらわれず、ポエジー的反省の翼に乗って、表現されたものと表現する者との中間に漂い、この反省を繰り返し累乗して、合わせ鏡の中の無限に並ぶ像のように、この反省を幾重にも重ねてゆく」ことができる。(同p−128)


これらのベンヤミンの記述で十分明白だと思われる方にとっては、それ以上の説明は全く不要かもしれないが、ベンヤミンの思考や表現に不慣れな人にとっては、ややわかりにくいかもしれないとも思うので、念のため少々の説明を補っておきたい。
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easter1916 at 12:25|PermalinkComments(3) 哲学ノート 

2024年03月22日

キュロスの遺訓

山形新聞への投稿
「柔らかい土地からは柔らかい人間が出るのが通例で、見事な作物と、戦争に強い男子とは、同じ土地から生ずるわけにはいかぬ」(ヘロドトス『歴史』末尾)

 ヘロドトスの『歴史』は、ペルシアとギリシアとの戦争をその起源から説き起こし、優勢であったペルシアをどうしてギリシア勢が打ち負かせたのかを考察したものであるが、単にそんな歴史や戦史の記述にはとどまらない豊富な洞察を秘めた古典である。そんな逸脱の記述も面白いが、ここではその末尾を飾る言葉を取り上げてみたい。
 イランの山岳地方から広がったペルシア民族は、キュロス大王の時代に急速に勢力を伸ばし、メソポタミア地方を始め今のトルコ(小アジア)にまで版図を拡大した。そしてついに、エーゲ海沿岸地方イオニアのギリシア人植民都市をも呑み込もうとして、ギリシア人との火ぶたを切ることになる。その建国の父キュロスが、リュディアのクロイソスを打ち破って小アジアを平定したとき、配下の部下たちはキュロスに進言して言った「今やアジアを征服した我々は、貧寒な山岳地帯を捨て、豊かな平原に出ていくべきでしょう」。それに対してキュロスが答えたのが、この言葉であったという。豊かな土地は、人心を弛緩させ、文明は人々を知らず知らずのうちに驕慢へと堕落させるのだ。そうなっては、今我々が征服した諸民族と同様、滅びの道を進むことになるではないか。
 そのときは将兵たちもこの言葉に納得したのであったが、やがて豊かで強大なペルシア帝国となってしまったあかつきには、その遺訓も忘れ去られ、キュロスの予言通りの末路をたどることになったわけである。威勢を誇った帝国が貧しいギリシア勢に敗れ去るというペルシア戦争の帰趨をつぶさに記したあとヘロドトスは、全巻をこの言葉で締めくくりながら、国の基(もとい)は富ではなく自由を求める人民の気概であることを、この敵国の王の言葉によって象徴したのである。



easter1916 at 17:28|PermalinkComments(0) 日記 

2024年03月19日

左翼の保守主義的バックボーン

拙著『読む哲学事典』における「保守主義と左翼」の小文に、コメントをいただいたのをきっかけに気づいたことがあったので、それをここに書き留めておきたい。
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easter1916 at 15:47|PermalinkComments(4) 哲学ノート 

2024年02月21日

図書館

歴史とは流れるものではなく留まるもの、死者たちの集う楽園のようなもの、それは塋域のように、あるいはむしろ昼下がりの巨大な図書館のように静まっている。だがそこには、本の背表紙から漏れ出たかすかなつぶやきのような声が聞こえる。生前には声高に罵り合いもしたであろう著者たちも、今は静かに立ち並ぶばかり。手に取って開けば、その声ははっきりと立ち現れもしようが、生前のようにではない。むしろ今は、時代を超えて遠くに並べられた本たちと響き合うのだ。生前には気づかれなかった秘めやかな声、クジラの歌のように言葉の大海の底に低く響く声が聴かれ始める。こうして死者たちの対話が、果てることもなく続いてゆく。しかしそれも、ケルト人の神話にあるように、古本屋の店先にふと通りかかった人にかすかに呼びかけるような機会がなければ、百年でも押し黙ったままである。語り合うことも楽しいが、眠ったように沈黙しているのも決して悪くはない。沈黙あってこその図書館なのだから。
 こうして今日も、縦長の窓から西日が差し込んだ床の上に、静寂の歌が流れてゆく。


easter1916 at 03:12|PermalinkComments(1) 日記 

2024年02月16日

アレントとマルクス主義

カルチャーセンターの講義で「アレントとマルクス主義」を扱ったので、そのメモワールをここに挙げておこう。続きを読む

easter1916 at 03:55|PermalinkComments(2) 哲学ノート 

2024年02月06日

To the happy few

拙著『読む哲学事典』の増補改訂版が、講談社学術文庫から再版されることになった。そこで、自薦の文章を書くように頼まれたので、それをここでご紹介する。
https://gendai.media/articles/-/124007
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easter1916 at 01:54|PermalinkComments(9)

2024年01月19日

オデュッセウスの涙

山形新聞への投稿
「高名な楽人はこう歌ったが、オデュッセウスは打ち萎れて、瞼にあふれる涙は頬を濡らした」 (『オデュッセイア』第8歌)
 

 10年に及ぶトロヤ戦争に勝利したのち、ギリシア方の司令官の一人オデュッセウスは、故郷イタケーに向けて帰路に就くが、さらに10年にわたって流浪する運命にあった。その最後の流浪地がパイアケス人の国である。引用は、その宮殿にもてなされた彼の前で、吟遊詩人がトロヤ戦争のことを歌い、それに聞き入った彼が思わず落涙する場面である。
 面白いのは、ここで歌われているのがオデユッセウス自身の体験してきた冒険だということだ。ここには、英雄の偉業を詩人が歌うというギリシア人の根本経験が、くっきりと刻まれているばかりではない。当の主人公が、それを聴くことで深い感慨を催す点に、ギリシア人にとっての叙事詩の意義が示されているのだ。時とともに風化し、移り過ぎてゆく儚い人生を、ただ流れるに任せるのではなく、永遠に記憶に定着するものこそ詩人たちの業である。偉業を達成した英雄も、その経験が歌われポリスに記憶されなければ、虚しいものに終わるしかない。行動する人たちは、そのさなかに何が起きているのかも定かには理解しないまま、時の激流に吞み込まれてゆく。だが詩人は、そんな彼らにその意味を啓示し、言い継ぎ歌い継がれることによって永生に与かるという驚くべき可能性を開いたのだ。オデュッセウスの感涙には、死すべき人間存在にして、神々にも等しい永遠性に関与するという途方もない可能性を自覚した最初のギリシア人の感動が記されているのである。
 だが歌を聴いて感涙にむせぶのは、偉業を成し遂げ得た英雄ばかりではない。彼が「耐え忍べわが心よ、これまでも数多くの試練を乗り越えてきた我が身ではないか?」(第20歌)と叫ぶたびに、我が身を重ねて来し方を省みる聴衆は、その人生が必ずしも無駄に流れたわけではないと知るのである。

 


easter1916 at 21:45|PermalinkComments(0) 日記 

2023年12月11日

ヤジと民主主義

東中野ポレポレ劇場でドキュメント映画を見た。
https://yajimin.jp/
安倍政権下札幌で起きた北海道警による言論封殺事件である。安倍の演説に動員された自民党員と道警がグルになって、批判の声を挙げようとした市民を取り囲み強制排除した。これら市民は、ギリシア風に言えばパレーシアを行使したのである。それは、古代ギリシアでは民主主義の中核的権利と見なされていたものである。
 アベ一派がこれを恐れ嫌うのは当然としても、SNSの匿名の声に、同様の嫌悪があふれるのを見ると慄然とする。もともとあの連中は、ルサンチマンのはけ口を求めて強面の権力やむき出しの暴力に自己同一化して、しっぽを振ったりよだれを流すようなチンピラだから、そこにインテグリティを求めても無駄というものであろうが、アベ的なものの特徴は、そんなチンピラ・モッブの気質が、エリート公務員の精神にまで深く浸透し、あらゆる責任感を融解しつつあることである。
 そもそも我が国の近代化には、役人や軍人の立身出世主義というものが、他のあらゆる価値感情や名誉心を圧倒していたので、アベ的なものは、その腐りきった成れの果てとも言えよう。


easter1916 at 22:35|PermalinkComments(0) 日記 

2023年12月07日

ピカソ

畏友植村恒一郎氏が、ピカソの青の時代の裸体画(1902)についてXでつぶやいているのを見た。「ピカソのヌード絵は、身体部分のユニークな形態の組み合わせに特徴がある」まことに的確な指摘だと思う。
 以前から印象派、後期印象派、キュビスムには、一貫した傾向があると思っていた。即ち、用具存在(Zuhandensein)としての対象から機能的意味をはぎ取り、色や形をそれ自体独立したものとして作品の構成要素とすることである。その点で言えば、青青の時代はまだキュビスム以前とは言え、すでにパーツの自律化――対象の機能的意味の支配を逃れて、それ自体自立して異なる文脈へと浮遊し始める兆候が見られるということである。言いかえれば、それらはシニフィアンとしてシニフィエから遊離する傾向があるということ。この延長には、フランシス・ベーコンのような絵がある、と言えばわかりやすいかもしれない。
 技術と機能による対象の意味が、対象からそれ以外の可能性を排除し見えなくしてしまい、「ニニンガ四」の退屈な合理性へ閉じ込めてしまうとき、画家たちはその手前に隠蔽された「自然」を発見しつつあった。ちょうど1968年5月のパリの反乱で、学生がはがした敷石の下に砂浜を発見したように。
 しかし、それは彼らが夢想したように、原始の自然とか野生の思考といったものではなかった。むしろベンヤミンやボードレールが拾い集めてきたゴミくずとか前世紀の遺物の如きものだったのである。希望の不死鳥が起ちあがるのは、クロード・ロランの絵のように、またはシテール島への船出のような懐かしきアルカディアの思い出からではなく、子供が方々から贈られながらたちまち分解してしまった壊れたおもちゃの山からであろう。


easter1916 at 22:51|PermalinkComments(0) 哲学ノート 
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