2024年03月19日
左翼の保守主義的バックボーン
2024年02月21日
図書館
歴史とは流れるものではなく留まるもの、死者たちの集う楽園のようなもの、それは塋域のように、あるいはむしろ昼下がりの巨大な図書館のように静まっている。だがそこには、本の背表紙から漏れ出たかすかなつぶやきのような声が聞こえる。生前には声高に罵り合いもしたであろう著者たちも、今は静かに立ち並ぶばかり。手に取って開けば、その声ははっきりと立ち現れもしようが、生前のようにではない。むしろ今は、時代を超えて遠くに並べられた本たちと響き合うのだ。生前には気づかれなかった秘めやかな声、クジラの歌のように言葉の大海の底に低く響く声が聴かれ始める。こうして死者たちの対話が、果てることもなく続いてゆく。しかしそれも、ケルト人の神話にあるように、古本屋の店先にふと通りかかった人にかすかに呼びかけるような機会がなければ、百年でも押し黙ったままである。語り合うことも楽しいが、眠ったように沈黙しているのも決して悪くはない。沈黙あってこその図書館なのだから。
こうして今日も、縦長の窓から西日が差し込んだ床の上に、静寂の歌が流れてゆく。
こうして今日も、縦長の窓から西日が差し込んだ床の上に、静寂の歌が流れてゆく。
2024年02月16日
アレントとマルクス主義
2024年02月06日
To the happy few
拙著『読む哲学事典』の増補改訂版が、講談社学術文庫から再版されることになった。そこで、自薦の文章を書くように頼まれたので、それをここでご紹介する。
https://gendai.media/articles/-/124007
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easter1916 at 01:54|Permalink│Comments(9)│
2024年01月19日
オデュッセウスの涙
山形新聞への投稿
「高名な楽人はこう歌ったが、オデュッセウスは打ち萎れて、瞼にあふれる涙は頬を濡らした」 (『オデュッセイア』第8歌)
10年に及ぶトロヤ戦争に勝利したのち、ギリシア方の司令官の一人オデュッセウスは、故郷イタケーに向けて帰路に就くが、さらに10年にわたって流浪する運命にあった。その最後の流浪地がパイアケス人の国である。引用は、その宮殿にもてなされた彼の前で、吟遊詩人がトロヤ戦争のことを歌い、それに聞き入った彼が思わず落涙する場面である。
面白いのは、ここで歌われているのがオデユッセウス自身の体験してきた冒険だということだ。ここには、英雄の偉業を詩人が歌うというギリシア人の根本経験が、くっきりと刻まれているばかりではない。当の主人公が、それを聴くことで深い感慨を催す点に、ギリシア人にとっての叙事詩の意義が示されているのだ。時とともに風化し、移り過ぎてゆく儚い人生を、ただ流れるに任せるのではなく、永遠に記憶に定着するものこそ詩人たちの業である。偉業を達成した英雄も、その経験が歌われポリスに記憶されなければ、虚しいものに終わるしかない。行動する人たちは、そのさなかに何が起きているのかも定かには理解しないまま、時の激流に吞み込まれてゆく。だが詩人は、そんな彼らにその意味を啓示し、言い継ぎ歌い継がれることによって永生に与かるという驚くべき可能性を開いたのだ。オデュッセウスの感涙には、死すべき人間存在にして、神々にも等しい永遠性に関与するという途方もない可能性を自覚した最初のギリシア人の感動が記されているのである。
だが歌を聴いて感涙にむせぶのは、偉業を成し遂げ得た英雄ばかりではない。彼が「耐え忍べわが心よ、これまでも数多くの試練を乗り越えてきた我が身ではないか?」(第20歌)と叫ぶたびに、我が身を重ねて来し方を省みる聴衆は、その人生が必ずしも無駄に流れたわけではないと知るのである。
「高名な楽人はこう歌ったが、オデュッセウスは打ち萎れて、瞼にあふれる涙は頬を濡らした」 (『オデュッセイア』第8歌)
10年に及ぶトロヤ戦争に勝利したのち、ギリシア方の司令官の一人オデュッセウスは、故郷イタケーに向けて帰路に就くが、さらに10年にわたって流浪する運命にあった。その最後の流浪地がパイアケス人の国である。引用は、その宮殿にもてなされた彼の前で、吟遊詩人がトロヤ戦争のことを歌い、それに聞き入った彼が思わず落涙する場面である。
面白いのは、ここで歌われているのがオデユッセウス自身の体験してきた冒険だということだ。ここには、英雄の偉業を詩人が歌うというギリシア人の根本経験が、くっきりと刻まれているばかりではない。当の主人公が、それを聴くことで深い感慨を催す点に、ギリシア人にとっての叙事詩の意義が示されているのだ。時とともに風化し、移り過ぎてゆく儚い人生を、ただ流れるに任せるのではなく、永遠に記憶に定着するものこそ詩人たちの業である。偉業を達成した英雄も、その経験が歌われポリスに記憶されなければ、虚しいものに終わるしかない。行動する人たちは、そのさなかに何が起きているのかも定かには理解しないまま、時の激流に吞み込まれてゆく。だが詩人は、そんな彼らにその意味を啓示し、言い継ぎ歌い継がれることによって永生に与かるという驚くべき可能性を開いたのだ。オデュッセウスの感涙には、死すべき人間存在にして、神々にも等しい永遠性に関与するという途方もない可能性を自覚した最初のギリシア人の感動が記されているのである。
だが歌を聴いて感涙にむせぶのは、偉業を成し遂げ得た英雄ばかりではない。彼が「耐え忍べわが心よ、これまでも数多くの試練を乗り越えてきた我が身ではないか?」(第20歌)と叫ぶたびに、我が身を重ねて来し方を省みる聴衆は、その人生が必ずしも無駄に流れたわけではないと知るのである。
2023年12月11日
ヤジと民主主義
東中野ポレポレ劇場でドキュメント映画を見た。
https://yajimin.jp/
安倍政権下札幌で起きた北海道警による言論封殺事件である。安倍の演説に動員された自民党員と道警がグルになって、批判の声を挙げようとした市民を取り囲み強制排除した。これら市民は、ギリシア風に言えばパレーシアを行使したのである。それは、古代ギリシアでは民主主義の中核的権利と見なされていたものである。
アベ一派がこれを恐れ嫌うのは当然としても、SNSの匿名の声に、同様の嫌悪があふれるのを見ると慄然とする。もともとあの連中は、ルサンチマンのはけ口を求めて強面の権力やむき出しの暴力に自己同一化して、しっぽを振ったりよだれを流すようなチンピラだから、そこにインテグリティを求めても無駄というものであろうが、アベ的なものの特徴は、そんなチンピラ・モッブの気質が、エリート公務員の精神にまで深く浸透し、あらゆる責任感を融解しつつあることである。
そもそも我が国の近代化には、役人や軍人の立身出世主義というものが、他のあらゆる価値感情や名誉心を圧倒していたので、アベ的なものは、その腐りきった成れの果てとも言えよう。
https://yajimin.jp/
安倍政権下札幌で起きた北海道警による言論封殺事件である。安倍の演説に動員された自民党員と道警がグルになって、批判の声を挙げようとした市民を取り囲み強制排除した。これら市民は、ギリシア風に言えばパレーシアを行使したのである。それは、古代ギリシアでは民主主義の中核的権利と見なされていたものである。
アベ一派がこれを恐れ嫌うのは当然としても、SNSの匿名の声に、同様の嫌悪があふれるのを見ると慄然とする。もともとあの連中は、ルサンチマンのはけ口を求めて強面の権力やむき出しの暴力に自己同一化して、しっぽを振ったりよだれを流すようなチンピラだから、そこにインテグリティを求めても無駄というものであろうが、アベ的なものの特徴は、そんなチンピラ・モッブの気質が、エリート公務員の精神にまで深く浸透し、あらゆる責任感を融解しつつあることである。
そもそも我が国の近代化には、役人や軍人の立身出世主義というものが、他のあらゆる価値感情や名誉心を圧倒していたので、アベ的なものは、その腐りきった成れの果てとも言えよう。
2023年12月07日
ピカソ
畏友植村恒一郎氏が、ピカソの青の時代の裸体画(1902)についてXでつぶやいているのを見た。「ピカソのヌード絵は、身体部分のユニークな形態の組み合わせに特徴がある」まことに的確な指摘だと思う。
以前から印象派、後期印象派、キュビスムには、一貫した傾向があると思っていた。即ち、用具存在(Zuhandensein)としての対象から機能的意味をはぎ取り、色や形をそれ自体独立したものとして作品の構成要素とすることである。その点で言えば、青青の時代はまだキュビスム以前とは言え、すでにパーツの自律化――対象の機能的意味の支配を逃れて、それ自体自立して異なる文脈へと浮遊し始める兆候が見られるということである。言いかえれば、それらはシニフィアンとしてシニフィエから遊離する傾向があるということ。この延長には、フランシス・ベーコンのような絵がある、と言えばわかりやすいかもしれない。
技術と機能による対象の意味が、対象からそれ以外の可能性を排除し見えなくしてしまい、「ニニンガ四」の退屈な合理性へ閉じ込めてしまうとき、画家たちはその手前に隠蔽された「自然」を発見しつつあった。ちょうど1968年5月のパリの反乱で、学生がはがした敷石の下に砂浜を発見したように。
しかし、それは彼らが夢想したように、原始の自然とか野生の思考といったものではなかった。むしろベンヤミンやボードレールが拾い集めてきたゴミくずとか前世紀の遺物の如きものだったのである。希望の不死鳥が起ちあがるのは、クロード・ロランの絵のように、またはシテール島への船出のような懐かしきアルカディアの思い出からではなく、子供が方々から贈られながらたちまち分解してしまった壊れたおもちゃの山からであろう。
以前から印象派、後期印象派、キュビスムには、一貫した傾向があると思っていた。即ち、用具存在(Zuhandensein)としての対象から機能的意味をはぎ取り、色や形をそれ自体独立したものとして作品の構成要素とすることである。その点で言えば、青青の時代はまだキュビスム以前とは言え、すでにパーツの自律化――対象の機能的意味の支配を逃れて、それ自体自立して異なる文脈へと浮遊し始める兆候が見られるということである。言いかえれば、それらはシニフィアンとしてシニフィエから遊離する傾向があるということ。この延長には、フランシス・ベーコンのような絵がある、と言えばわかりやすいかもしれない。
技術と機能による対象の意味が、対象からそれ以外の可能性を排除し見えなくしてしまい、「ニニンガ四」の退屈な合理性へ閉じ込めてしまうとき、画家たちはその手前に隠蔽された「自然」を発見しつつあった。ちょうど1968年5月のパリの反乱で、学生がはがした敷石の下に砂浜を発見したように。
しかし、それは彼らが夢想したように、原始の自然とか野生の思考といったものではなかった。むしろベンヤミンやボードレールが拾い集めてきたゴミくずとか前世紀の遺物の如きものだったのである。希望の不死鳥が起ちあがるのは、クロード・ロランの絵のように、またはシテール島への船出のような懐かしきアルカディアの思い出からではなく、子供が方々から贈られながらたちまち分解してしまった壊れたおもちゃの山からであろう。
2023年11月15日
2023年11月11日
ディネーセン (山形新聞への投稿)
誇りとは、人間を創ったときに神がもったであろう観念への信仰である。(アイザック・ディネーセン『アフリカの日々』)
ディネーセン(カレン・ブリクセン男爵夫人)は、デンマークの上流社会に見切りをつけ、ケニアでの18年間、農園を手放すまでのアフリカの日々をつづった。彼女は、過酷な大地と素晴らしいアフリカの友人たちの中に、生きる上での慰めと教訓を見出していく。しかしそれも、18年目にすべてを失ってケニアを去ることがなければ、書き残されなかったであろう。彼女の中には、ある種の悲劇の感覚があり、人はそれを通して初めて、生と世界の実相に触れるのだと感じられるのである。「誇りを持たない人々は、他人がこれこそ成功だと確信するものを受け入れ、幸せを享受し、自己という存在さえも、その日その日の噂によって決めてしまう」。安逸や成功と呼ばれるあぶくの如きものに満足してはならないのだ。
ある時、かつては悲劇役者をしていたが、今は落ちぶれ果てているヨーロッパ人と出会い宿を貸す。男の身の上を聴いて彼女は、「世の中で貴方ほど不幸な人は聞いたことがない」と漏らす。男は言った「それでも誰か一人がその役を引き受けなければならないわけで」。いくらか同情して、会計か運転でもできれば雇ってやろうと思うが、彼はワインの味を正確に言い当てたり、イプセンを長々と朗読するくらいしか能がない!それがこの土地で何の役に立とう? 翌日彼は、タンガニーカへの百数十キロもの道を旅立っていく。野生のライオンのいる平原を突っ切って。当然死が予想されるが、半年後その男から手紙が届く。途中たまたま、誇り高いので有名な戦士マサイ族と出会い、その勇気を愛でられ、彼らと共に旅をすることができたと言うのである。彼の世界流浪譚はマサイ族を喜ばせた。もちろんパントマイムで。武器も持たず、裸一貫で荒野を行くこの男が放つ気品は、マサイ族にも通用したのだ。それは運命の前に裸身をさらして立つ、古典悲劇の英雄のみがもつ品格である。
ディネーセン(カレン・ブリクセン男爵夫人)は、デンマークの上流社会に見切りをつけ、ケニアでの18年間、農園を手放すまでのアフリカの日々をつづった。彼女は、過酷な大地と素晴らしいアフリカの友人たちの中に、生きる上での慰めと教訓を見出していく。しかしそれも、18年目にすべてを失ってケニアを去ることがなければ、書き残されなかったであろう。彼女の中には、ある種の悲劇の感覚があり、人はそれを通して初めて、生と世界の実相に触れるのだと感じられるのである。「誇りを持たない人々は、他人がこれこそ成功だと確信するものを受け入れ、幸せを享受し、自己という存在さえも、その日その日の噂によって決めてしまう」。安逸や成功と呼ばれるあぶくの如きものに満足してはならないのだ。
ある時、かつては悲劇役者をしていたが、今は落ちぶれ果てているヨーロッパ人と出会い宿を貸す。男の身の上を聴いて彼女は、「世の中で貴方ほど不幸な人は聞いたことがない」と漏らす。男は言った「それでも誰か一人がその役を引き受けなければならないわけで」。いくらか同情して、会計か運転でもできれば雇ってやろうと思うが、彼はワインの味を正確に言い当てたり、イプセンを長々と朗読するくらいしか能がない!それがこの土地で何の役に立とう? 翌日彼は、タンガニーカへの百数十キロもの道を旅立っていく。野生のライオンのいる平原を突っ切って。当然死が予想されるが、半年後その男から手紙が届く。途中たまたま、誇り高いので有名な戦士マサイ族と出会い、その勇気を愛でられ、彼らと共に旅をすることができたと言うのである。彼の世界流浪譚はマサイ族を喜ばせた。もちろんパントマイムで。武器も持たず、裸一貫で荒野を行くこの男が放つ気品は、マサイ族にも通用したのだ。それは運命の前に裸身をさらして立つ、古典悲劇の英雄のみがもつ品格である。
2023年11月06日
パレスティナ支援デモ
座視するに忍びず、今夜(5日)日比谷公園から東京駅までのデモに参加する。いつの日か、ガザの生き残りのパレスティナ人と語る機会があったとき、「あの時、私も及ばずながら共に闘ったのだ」と言えるために。