December 20, 2006

社会を超脱した防災などありえない

若手研究者が次々にセンターに加わり、私は防災に力を注ぐようになった。10年前まで考えたくなかった課題である。でも面白い。「社会地震学」をグーグルで検索すれば、多くのヒットがある。でもほとんどは「社会地震工学」だった。私の考えている社会地震学と遥かに離れる。
 面白いことに、この「社会地震工学」の人々多くの人は「Back to the future」で防災が進むと考えているらしい。防災科学は社会を超越して存在するのである。インターネットの即応性などそれなりに応じた社会環境が必要である。縄文時代にメールシステムが導入されても効果などありえない。科学技術とそれを支える社会的基盤をきちんと考える必要がある。食べ物自体の貯蔵ができない時代に、いかなる災害も防げるよう強固な建物が導入されたとしても戸惑うだけだ。歴史を超越した防災科学を信じる研究者には、前近代的な生活を破壊したスマトラ地震など、日本の防災を考える上でまったく貢献しないと考えているようだ。


  
Posted by fumikimata at 21:43Comments(0)TrackBack(0)地震活動

えっー 500円の毛蟹

昨日、12月19日18時33分、震度3の地震を四谷通りを大股で歩いていて感じなかった。JICAの研修生が「飲んでいたね!」とからかう。この野郎と思い、今晩は居酒屋に直行する。突き出もない居酒屋。そこの大将と「毛蟹が美味い」と交わし、今日は毛蟹500円で並ぶ。勿論、手の平サイズだ。私も怯えて手が出なかった。確かに500円の毛蟹など、誰も注文しない。責任を感じ、頼む。当然ながら肉も少ない、でも透明感のある味。満足した。毛蟹、レバヤキ、アン肝を肴に酒三本を飲み2000円で足りた。金で買えない美味を楽しんだ。   
Posted by fumikimata at 21:29Comments(0)TrackBack(0)食べ物

December 18, 2006

インドネシアのアチェ州知事選が終わる

昨年に引継ぎ、今年も11月末にGPS観測でインドネシアのアチェ州に入る。電気が通じていなかった村にも電灯がともるなど、村人は和平協定を謳歌していた。昨年は兵士がいた峠も屋台ではやっていた。バンダアチェも夜でもにぎやかになり、皆さんが平和を楽しんでいた。

11日の州知事選も終わり、開票が進んでいる。独立派GAMの候補者がリードしているという。地震津波は悲惨な思い出をもたらしたが、和平をもたらした大災害も世界で初めての経験である。レクイエムに応じたいものである。

  
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今年も錦町を訪ねた

昨年のアジア学術セミナーで三重県錦(大紀町)を訪れ、地震から5分以内で避難する町の避難システムに驚いた。しかも2004年の紀伊半島沖地震では避難対象者の80%が深夜の雨天にも関わらず避難したという。今年はJICAの研修生と訪れた。昨年は確認できなかったが、防災課には震度計やナウキャストも設置してあった。それでも体感が一番です、避難命令に上司の許可は不要ですと小気味よい返事が防災課長の中世古さんから返ってくる。気象庁にお任せなどいわないところがよい。町独自の避難システムとそれを支える町民に乾杯!

  
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November 10, 2006

産総研からも「きちんとわかる巨大地震」が出版される

私たちの本「超巨大地震がやってきた」に先立ち、産業総合研究所から「きちんとわかる巨大地震」が出版された。さっそく購入して通勤電車の中で一気に読んだ。たしかに「きちんと」巨大地震について記されたものである。3分の1がルポライターの取材を整理し、そのあとに産総研の若手研究者の熱き語りに触れることができる。最後に記された「地震の発生間隔に比べて、我々が自身の観測を続けている期間があまりにも短い。。。。とはいえ再度実験のような「やり直し」はまったくできないため、少ない記録をやりくりする以外に、古い地震に迫る手段はない。」に同感した。
  
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October 13, 2006

横山泉さんのJICA講義

d2836ea2.jpg北大名誉教授の横山泉さんにJICAの講義に来ていただいた。60ページほどの講義ノート、そして2005年印刷と記された別刷りなど驚嘆の連続だった。1924年生まれ、ちょうどうちの親父、恩師の村松先生、驚嘆の山下文男さんと同世代である。もっともっと長生きされ、「今の若い者は!」と叱咤されるべきである。   
Posted by fumikimata at 23:26Comments(0)TrackBack(0)火山活動

金森博雄さんによるJICA研修への特別講義

343de8e3.jpg10月中旬、カリフォルニア工科大学から金森さんに名古屋大学の客員教授として来ていただく。その金森先生が快くJICA研修コース対象の講義を引き受けていただいた。うまい英語で、的確な表現、1時間30分をフルに活用した講義など、私も惚れ惚れする。それよりも、日々新たな知識に接することへの喜びをひしひしと感じた。一つ一つ鱗が取れることは楽しいことであることを痛感した。
  
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October 12, 2006

JICA研修生の日本語フェステバル

43991cd8.jpg雨中登山となった御嶽山から戻れば、JICA中部センターで日本語フェステバルが開催され、参加する。日ごろ、研修生から日本語を聞くことも多くはない。たしかに、日本に来た以上、少しでも日本の文化に触れてほしいと思うこのごろである。先鋭よりも文化まで理解した留学生、これからの期待されるべき姿と考える。
地震コースの連中は、津波の逸話「稲むらの火」を日本語で紹介した。わずかながらも私の講義も彼らに響いていて ほっとした。   
Posted by fumikimata at 22:56Comments(0)TrackBack(0)JICA研修

September 18, 2006

2200人の命を奪った明治三陸津波から110年 現地に

4c4549cb.png今から110年前 1896年(明治29)、大津波が三陸沿岸を襲った。犠牲者は2万2千人、日本の津波史上最悪の被害である。その被害を風化させないために、歴史学研究会が被災地大船渡で講演会を開催した。38mの津波の怖さを知るために講演会に参加した。三陸津波をライフワークとして取組む現地の作家山下文男さんにも会いたかった。 
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Posted by fumikimata at 10:28Comments(0)TrackBack(0)津波

September 10, 2006

自然をみる 池澤夏樹「真昼のプリニウス」

主 人公は女性火山研究者の芳村頼子、しかも火山地震学を専攻。舞台は浅間火山。性別だけを除けば、実にニアミスしている。
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September 05, 2006

昔なつかし オイカワ

稲刈りを控え 水田の水を落とした。足元にそれなりの魚がいた。握れば オイカワのオスだった。産卵期ゆえ見事な青色が腹に広がっていた。   続きを読む
Posted by fumikimata at 15:00Comments(0)TrackBack(0)日々の生活から

September 03, 2006

ゆっくり食べたい 吉村 喜彦「食べる、飲む、聞く 沖縄美味の島」

  沖縄 美味の島―食べる、飲む、聞く
名古屋にも琉球料理の店が増えた。先日も職場のコンパがそうだった。あの暑いながらものどかな雰囲気は料理屋にぴったりである。その反面、昔からの店が消 えた。私も時々顔を出し、ジーマ豆腐で泡盛を飲んでいた糸満も無くなってしまった。当然ながら、ビザ時代の沖縄を知っている人もなくなりつつある。大学の 旧友はビザを取得して内地に留学していた沖縄の人だった。天願、荷川取、比嘉と沖縄の苗字を覚えた。そして、泡盛、ゴーヤの味も覚えた。でも今年は畑の ゴーヤはなぜか不作だった。   
Posted by fumikimata at 14:55Comments(0)TrackBack(0)読書

August 30, 2006

血の池地獄 雌阿寒赤沼火口

13deb4d7.png 初めて 雪のない雌阿寒岳に行く。宿の野中温泉か ら時々噴気のジェット音が聞こえる。野中温泉から歩いて2時間半ほど。たいした登りでもないのに適当に疲れる。登れば 赤沼火口が見事な血の池地獄になっ ていた。それも不思議と透き通った血の池である。見上げれば小さな火山ながら、頂上の旧火口は雄大に展開する。そののどかさの延長に野中温泉の露天風呂が ある。温泉は洗うためでない。ゆえに石鹸もおいてない風呂、緩めの湯が年寄りにはなんともいえない。   
Posted by fumikimata at 14:50Comments(0)TrackBack(0)火山活動

July 31, 2006

三宅の百合の香りに包まれて

3a991839.jpg 2年ほど前 八丈島で百合の出荷に励んでいる西野さんに 知り合った。彼は三宅島の噴火で避難の身ながらも八丈島で再び百合の栽培に取組んでいた。その時、いただいた球根を我が家の庭に植えれば、見事な花が咲い た。昨年はかなりの数の球根を分けていただいた。おかげさまで今年は6月から7月まで、部屋の中はつねに甘酸っぱい香りに包まれていた。西野さんに感謝。   
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July 24, 2006

鮎かけ

2760f049.png鮎かけに引っ張り出された。もちろん 早朝から川に立つほどマメでない。ゆっくりと昼食を作る時間に出かけた。5人ほどの友人がかけている川の脇で、ホル モン焼きの昼食を用意する。そして、ゆっくりと缶ビールを飲みながら鮎を焼いて食べる。毎年の初夏の行事である。放流してあるものの鮎はそんなにかからな い。しかし、昼間 ビールを飲めばまさに、けだるく昼寝するだけ。60近いおじさんにぴったりののどかな日曜日になった。   
Posted by fumikimata at 14:34Comments(0)TrackBack(0)日々の生活から

May 08, 2006

5時起きで田んぼに肥料を撒く

農業は自然に従順でなくてはいけない。連休中、天気がいいのにも関わらず、あぜ道のモグラ穴封じで終え、肥料を撒くのをサボった。当てにしていた昨日の日曜日、しっかりと雨に降られた。しかし 後がない。今朝5時に起きて、あわてて肥料を撒く。もっとも10年前までは5時半から早朝野球に興じていた。遊びはよいが仕事はなかなか苦痛である。  
Posted by fumikimata at 08:16Comments(0)TrackBack(0)日曜百姓

May 06, 2006

村上陽一郎「科学者とは何か」新潮選書 1000円

アチェの地震津波を取組むようになってから、村上陽一郎さんの本をよく読むようになった。今回も刺激的でありかつ格調があった。今回は明らかに私たちの姿勢が問題提起されている。さいわい、三河地震、アチェ地震といわゆる社会科学分野の人々と言葉を交わす機会が多くなり、しかも刺激される。新しいスタンスを少しでも具体化したいと考える。  続きを読む
Posted by fumikimata at 22:00読書

April 29, 2006

御嶽けやきの湯

1ed57d76.png今春ものべ7泊ほど 御嶽のケヤキの湯にお世話になった。もっともこの宿を利用するようになってまだ10年も経過していない。最大でも20名、普段は貸切状態、私たちが騒がない限り静かなものである。また、温めの湯も好きである。あと5回、ケヤキの湯で庭に咲くこぶしを見ながら風呂に入ることができる。  
Posted by fumikimata at 09:18フィールドから

April 04, 2006

静岡新聞「東海地震説に"間違い"」報道と石橋教授の誤報反論

静岡新聞は3月27日朝刊で「東海地震説に「間違い」 提唱から30年 石橋教授見解 を報じた。石橋克彦教授(現)が1976年に「明日起きても不思議でない駿河湾地震(当時)」として東海地震発生の緊迫性を訴えたが、当時の解釈が結果的に間違っていたという内容である。これに対して、石橋教授は「この記事は私の見解を正しく伝えるものではありません」とサイトでコメントしている。基本的には両者の記事とコメントを読んで判断ください。私ですら、新聞記事に関しては事前に原稿を送って頂き確認の上で報道していただくようにしている。両者、もしくはどちらかにその程度の配慮が欠けた結果であろう。報道以前の問題である。
  
Posted by fumikimata at 09:42地震活動

March 28, 2006

川崎一朗 スロー地震とは何か NHKブックス 1,020円

川崎さんが何か書いていることは感じていた。しかし、これまで全力投球したものを書いているとは思っていなかった。生い立ち、学生時代、地方大学への赴任、学生との接触と失敗、スロー地震への思い込み。これらを一気に書き綴ったことがひしひしと感じられる書物である。川崎さんの地震感がほとばしっている本である。この思いが、彼を育て支えたと感じる。彼岸にいる人間からとやかくいえる書物ではない。恩師の思い出だけでなく、院生の成果も今は社会人で活躍する人も含み、氏名をきちんと記す。これも彼の率直な人格が溢れ出ている。  
Posted by fumikimata at 22:59Comments(0)TrackBack(0)読書