あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

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案山子さん、

どうもNTTの電波のせいじゃないかと最近考え始めましたが、電波がスムーズに繋がらない感じでコメント欄に書けないのでこちらでご容赦を。
案山子さんはコメントを書けているのでこちらの問題でしょうね。
心臓もブツブツ文句を言うし、パソコンはいうことを聞かないし、電波まで反抗するしw、ずっとドコモだけど、auに変えようかと思うけど、最近は面倒くさいがまず頭に浮かんできますw…。まあ記事なら書けるので当分このスタイルになりそうですw。<(_ _)>


何だか大騒動になっているジャニーズのセクハラ騒ぎだが、一昔前だと噂にもならないほどの出来事でしかなかったような気がする。こんなこと書いたらあちこちから石が飛んできそうな気もするが、大企業であってもセクハラなど日常茶飯事と言いたいほど男性達の意識や社会の認識は現在とは違っていたからだ。

従業員が数万人規模の大企業に勤めていたときの話だが、課長が出張から戻ると、ワタシの机の引き出しの中には安物のネックレスなどのお土産がみんなに内緒だよの耳打ちと共に毎回入っていたのだが、その代わりだろう、何回か、就業時間後にお茶や食事をつきあわされた。ダンスの相手をさせられたこともある。

女子社員初というレッテルもついた泊まりがけでの出張の際には同行の男子社員がおかしな写真を見せてきた。男性器の拡大写真のようで、思わず、手にしていたポスターを丸めたもので男の頭をぽかりと叩いたら、そいつが、「何をするんだ、なにか変なことをしたみたいに思われるじゃないか」と怒鳴ったということもあった。昭和育ちの男達はそういう行為をいわば一部上場企業の社員でさえ考えもせずやってしまう、許されると思うような風土だったような気がする…。

ジャニーという人がどんな人か知らないし、具体的な被害についても知らないし、そういう卑劣な行為を認めるつもりなど毛頭ないが、被害者たちが仕事や金銭と交換で体を提供していたのなら、まるで売春行為のように聞こえてしまう。その時にはっきり断らず、その提案に乗っていたのを相手が亡くなって反撃される心配もなくなった今頃になって騒ぎ、賠償金を求めるのは、何だかなあ、とちらりと心の片隅で思ってしまうのだが…ジャニーさんが生きている間に堂々と訴えれば良かったのにと思うのだが、それが出来なかったのは多分、怖かったからだろうが、勇気を出していれば、死人にクチナシ、金目当てだなどと思われずに済んだのに、真相も明らかになったはずなのに惜しいなあ…

こんにちは、あんこさん、
毎朝あんこさんのブログを楽しく拝見しています。
コメントをありがとう!

ワタシの方はパソコンにまでそっぽを向かれ、ヤレヤレがつづいてます。
パソコンは購入して1年半ですが、まあ、言うことを聞かないこと。
これは持ち主に似たのでしょうかw。

自分のブログでお返事を書こうとしたら断固拒否されてしまったので、こういうことに…www。
管理者に連絡してなんとかして貰えると良いのですが…

居住地域全体で通信会社をAUに統一したらしいのですが、ワタシはドコモなのでそのせいじゃないかと疑っていますが、不具合が続いていて、先ほどまで返事も書けなかったんですよ。便利な物は不便にすぐ変わりますねw。
娘はワタシが好き放題に触るからだと思っています。長らくこれで大丈夫だったんですが、時代は変わるですw。

ノンちゃん雲に乗るを読んだのは小学校低学年だったと思いますが、麻疹かなんかで熱を出して寝込んだときに、ノンちゃんになったような気分を味わったことを覚えてます。これも石井桃子さんにお伝えしていたらきっと喜んで頂けたんでしょうにね。

かなり頻繁に目にしていても信じられないような、滅多にない出来事が降りかかってくる。素晴らしい偶然もあれば、とんでもないこともある。こちらの好みや日時に関係なく発生する。どうやらそれがワタシの運命らしい。

一番希有で、嬉しい偶然は、以前書いたことがあるように思うが、昔、妹の連れ合いの運転で皇居の周辺道路を走っていたら当時の皇太子様と美智子様がお堀に沿った道路を数人のお供の人たちと散歩されているところに通りかかり、ワタシが車内から手を振り、気がついたお二人が路上から車内のワタシに手を振って下さるという信じがたい経験をしたことだろう。

翌日、初めて地下鉄を1区間乗車されたというニュースが新聞に出たので、やっぱり幻ではなかったんだと、信じようとしない周囲にほら、本当でしょといったことがあったし、オタワでは、小型の観光バスで住宅地をまわっていたら散歩中の2人(だったと思う)の子供たちと犬を連れた次期首相の呼び声が高い男性がバスの運転手の呼びかけに答えてバスに乗り込んできた。若く美しい豊かな金髪が隆盛を示すようで後光が差しているように見え、なるほどと思ったこともあった。また、カナダに留学中の息子が帰国のため空港へ向かったタクシーを下りる際に財布を落とし、どうしようという国際電話を寄越したとき、日本は深夜にさしかかる時刻でどうしようもなく外務省に相談の電話をかけたら欧米局で残業中だった若い女性が相手をしてくれたのだが、後でどうやら小和田雅子さんだったようだと分かった。

歳と共に出会う偶然も色あせるようで、昨日出くわしたのはスーパーで購入した200ccのアルミ缶入りのお酒。夕方、アルミのふたを剥がしたら、なんということでしょうw!中身が半分、つまり100ccしか入ってなかった。計量カップを持ち出して計ったから確かだ。

多分、その酒造会社で詰める途中で樽?が空になったなどのようなトラブルが発生したのに誰も気づかなかったのだろうが、それとも、缶に記載のお客様係へ電話をかけても応答なしだったから、深刻な経営上の問題でも起きているのだろうか…。

それにしても、考えられないようなトラブルやおかしな事が引き寄せられるようにワタシに起きるのはなんでだろう。なんでだろう♪…なんでだろう♪という節が頭の中から出て行かないのだw。


ここのところ、石井桃子さんのエッセイ集みたいな彼女の若いときの話や旅行の話を何冊か続けて読んでいる。

彼女が自宅を開放して子供のための図書館を開いていることを知ったのはだいぶ前のことだけど、大学で様々な形態の図書館をリサーチしてエッセイを書く宿題が出たとき、一度も訪れたことはなかったが、耳にして面白そうと記憶に残っていた、桃子さんの図書館をレポートしようと思いついた。

パソコンもない時代、どうやって情報を集めたのか、もうすっかり忘れたが、ユニークで面白く,
子供たちに読んで欲しい本を集めて自宅を解放するなんて、ちょっと考えてみただけでも大変だろうにと3人の自分の子供たちだけでもどれほど散らかり、知り合いになったら当然言い争いも生じるだろうと思われるのに、それでも子供たちのためにあえて自宅開放に踏み切った桃子さん。なんて心優しい試みだと、すっかり感心していたのだ。

桃子さんの作品と言えば、小学生の時に「のんちゃん雲に乗る」1冊を読んだだけだったが、あの本で味わった不思議な、でも自分も経験したことのあるようななぜか身近な感覚は大人になってもふと思い出したりしていた。

幸い、桂文庫のレポートは高評価がついて戻ってきたので、海の向こうでも桃子さんの試みは評価されましたよという思いから桃子さんにレポートのコピーを送ったら、そこから彼女との文通が始まった。帰国後には、いつでもいいからいらっしゃいというお手紙を頂き、桃子さんの童話の英訳を頼まれ、元新聞記者という英国人の知人にチェックして貰い提出し、幸い、合格点を頂いた。これが私の翻訳人生の始まりだった。といっても、相場などしらないから、桃子さんにいくら払えば良いの?と聞かれて、当時住んでいた成田から桃子さん宅の荻窪までの電車賃にも躊躇するほどの貧乏人なのに思わずいりませんと答えてしまい後でため息が出たw。

桃子さん宅にお邪魔した日には児童書籍で有名な会社の編集員がちょうど打ち合わせのため同席していたので、桃子さんに見て頂こうと持参した娘が大事にしていた英文の絵本を見て貰ったたらその人は検討すると社に持ち帰ったのだが、桃子さんの訪問者に対する単なるポーズだったようで、その後電話しても手紙を書いても、相当の切手を同封して問い合わせてもなしのつぶて、戻ってこない絵本にただ娘に謝るしかなかった。海外では簡単に人を信用したりしないのだが、日本人でも、きちんとした会社に勤めていても口先三寸の人間はいること、簡単に人を信じてはいけない、翻訳などという仕事には簡単にはありつけない、と、苦労をしてきたくせにボンヤリの私が日本での現実の厳しさを否応なく理解する初めの一歩となった。

桃子さんは、別の有名な児童文学作家も紹介して下さったが、顔色の悪い、私と同年代と思えた女性は、あからさまに迷惑そうで、多分、桃子さんが様々な知人友人をその人に紹介して困惑させていたようだった。桃子さんの自伝を読むと、桃子さんは仲間と集まっての共同生活を長く、しかも楽しんで営んできたのに対し、その女流作家は反対の気質のようだったので、忙しい最中の彼女には迷惑でしかなかっただろう。お土産を差し出しただけですごすごと退出した。

いつでもいらっしゃいと帰り際に繰り返し声をかけてくれた桃子さんだったけど、後日訪問するとお昼寝中だったりで、初めて直接お会いした時のことは、ご馳走になったアップルパイと紅茶のことは、口の中にトローチが入っていたのでお皿の片隅に出したまま忘れて帰るという醜態と共に忘れられない出来事となった。

なんと言っても雲の上の人なので、その後、単なる季節の挨拶の葉書でしかないものを送っていたワタシなのに、ある日、あなたとは随分長いお友達ねという葉書が届いたとき、もう100歳近い桃子さんの大事な時間をワタシは無駄に邪魔している、申し訳ない、という気持がドンドン膨らんでいき、季節の挨拶を出さなくなって少し経った頃、桃子さんの死亡記事が出た。

そして、桃子さんの自伝で彼女が長く住んだところがワタシが結婚前に住んでいたところであり、彼女が寂しがり屋だったと思えることや、海外でワタシが訪ねたり、授業の一環として訪れ、レポートを書いた図書館を桃子さんが訪れていたこと、桃子さんが訪れて話したと思える初老の女性図書館員と私も話していたことなど、桃子さんにお伝えできる話が沢山あることに気づいた。

全く、なんてことだろう…。大量の本を読んでるくせに私は桃子さんの自伝やエッセイがいくつか出版されていることも知らなかった…。彼女にはおかしな遠慮などすべきじゃなかったのに、彼女が聞きたい話を私はいくつも提供できたのに…。勝手に迷惑だろうとおっちょこちょいにも思い込んでいたなんて…。迷惑ならいつでもいいからおいでなんて誘わないだろうに、そんなことも思いつかなかった。

あ〜あ、と桃子さんが亡くなってからもう随分経った今頃後悔しきりなのだ…。








前回ワケワカメ : あんなこと、こんなこと。どんなこと? (blog.jp)でご報告したw、ビックリさせられた対応についてだが、奥方があまりにスゴイ剣幕だったからこちらが何だか凄く悪いことをしてしまったような気分になってしまい、一昨日、謝罪の手紙まで書いたのだが、釈然とせず、なぜ、高校の同級生に電話をしたくらいで、性別が異なるからって大騒ぎされねばならないのか、謝罪の手紙を書かねばならないような道理があるのかと猛烈に腹が立ってきた。実に馬鹿馬鹿しい。驚かせたこと、誤解させたことについて謝罪の必要があるだろうか。勝手に相手が誤解しただけではないか。投函などしなくて、ああ良かったw。やるべき事を後回しにする性格が助けとなったw。

かなり頻繁にといっても年に数回程度だが、会って話していた頃でさえ、しかも、話題は社会情勢とか株とか、男同士のような話で、手も握ったことも握られたこともなく、私が退職してからは何年間も年賀状と彼が招待状を送ってくれていたグリークラブの音楽会以外会ったこともないのに、しかもハンサムとはとても言えない男の奥さんにギャーギャー騒がれねばならない理由などあるのか、そして何故それを制止しないのか、腰抜けメ、フン、と怒りがこみ上げてきたw。

やはり、男に生まれたかったなあw。私が男だったら、高校時代の友人と電話で話すくらいで何でそんなに喚くんだと一喝してやるのになあ〜www。

世は太平。男性といえども勇ましいことは例え言葉だけでも御法度で言えないのかも。この世は平和主義者でなければ生き残れないのだろうし…私だって一緒に住むなら平和主義者じゃなければ絶対、嫌だしなあ、などと好き勝手を言っていられるのも好き勝手に誰の世話にもならずに生きてきたおかげなのかもw。

私は自由だあ、言いたいことを言う自由があるのだ、万歳、気を遣うべき相手など居ない独身万歳w。

ということは、自分の身を守るのも自分一人、いちゃもんつけられても相手をするのは私一人。面倒で、ややこしくて、疲れるが、人生って、1回しかないのに、周囲の思惑や顔色を気にしつつ、計算しつつ生きていくっていうのも、大変そう。やっぱり私には無理だなあ…。

子供たちも成人して独立してしまい、確かに私の人生は淋しい人生に違いないが、最後は誰しも一人。なら同じだ。なるべくしてなった独り身なんだろうなあ、と自問自答で納得なのだったw。

先週、久しぶりにK子に誘われてコンサートに行ってきた。コロナ発生以来人が大勢集まるところは初めてだ。あ、デパ地下は別にしてだけどw。

某大学のコーラスで、現役もOBも加わり大舞台一杯の大人数、振り付けも楽しく迫力もあり良かったのだが、その前に軽くお昼を食べようというので最近一人でよく行くデパ地下の簡便な、しかも必ず空いていて、ちょこんとお尻だけをのっける丸い椅子ではなくちゃんと個別のテーブルと椅子のあるイタリアンへ連れて行った。入る前に説明したのだが、種類はごく少なく、メニューに好きな物はなかったのか、彼女はワインとつまみを注文。しかし、ワインが大ぶりのグラスにたっぷりで、彼女も心配になったのか食事中からどんなに美味しいか熱弁を振るっていたそのデパ地下の回転焼きを購入、それをデパ地下出入り口の片隅で立ち食いしたので仰天。いつもはお行儀が良いK子なので…少々心配だったのだが、やはり…昼間に多すぎるワインはねえ。

演奏会は客席の三分の二ほどが空席でかなり少なく、私たちが座った席は舞台上の大集団の演者たちからほぼ正面だった。周囲に人が居ないので非常に目立つはず。なのに、1曲目から彼女は本気の寝に入ったw。いびきをかくんじゃないかとヒヤヒヤw、2幕目の半ばで大きな足音を立てる場面でようやく、びっくりして目を覚ました。ヤレヤレと一安心w。

コーラスは現役に卒業生たちも加わった熱が入った素晴らしい出来だった。彼女自身が種類は違うが長く歌を習っているから本来は彼女の方がちゃんと鑑賞できるはずなのにはるばるやってきて半分も鑑賞できず心残りだったろうなあ。盛り上がらないまま夕食も食べず解散となった。

コンサートの前で簡便な方が良いだろうと選んだのだが、ワタシももうそろそろコロナ恐怖症から卒業して棲息範囲を広げた方が良さそうだ。

で、その帰り道、最近は地下鉄しか使ってないが、高校時代から通い慣れ、隅々まで熟知していたはずの新宿駅で、ここはどこ?ワタシは誰?状態に!。

兎に角ホームに下りると池袋方面行きが止まっていた。乗ったことのない路線だが大丈夫そうだとがら空きの車両に乗ったのだが、やはり冒険はしてみるものねえw。いつもの山手だと15分から20分ほどかかる区間が、わずか5分しかかからなかった。

スゴイ。たまに迷子状態になるというのも良いものねえw。


多分、ワタシが無神経だったのかもしれないし、文化の衝突のような気もする。

多分、離婚から数十年、仕事を懸命にやってきたために、ワタシの考え方が男性に近いために生じたのかもしれない。

というのは、高校時代からの友人で、法律事務所に勤務しているときには彼の会社が顧客でもあったF君に久しぶりに電話したときに生じたことで、あまりにビックリしたので未だにどうも良くわからないのだが…

もう仕事を辞めてだいぶ経つし、自分の寿命もそう長くないはずなので借りは返そうと思ったことから始まった。

F君は美味しい物に目がないが夫人は子育てなどで忙しく出かけるのを嫌がるというので、何度かご馳走になったことがある。F君の若くして亡くなった友人が物好きにもワタシを好きだったという縁で離婚後一人で頑張っているから時々はご馳走しなくてはと思ったのかもしれないが、口説いたことはもちろん口説かれたこともなく相手が異性であるだけの長年の友人だったのだが…。

電話して、これまで数回ご馳走になったからここらでこれまでのお返しにご馳走するか、何か送りたいけど、何が好きかと電話したら、横にいて聞き耳を立てていたらしい奥方の「ワー」とか「ギャー」とかいうすさまじい怒鳴り声が聞こえた。あんな怒鳴り声を聞いたのは長年生きてるけどw、初めて…ビックリして電話を切った。

浮気相手と間違えたのだろうかと思ったが、奥方とも何度も会ったことはあるし、赤ん坊誕生時にはプレゼントを持参したこともあるのに…ワタシにはワケワカメだが、訳ありの仲と思われたのだろうか…。

残念ながら、ワタシは御しがたい面食いで、F君は顔も容姿も十人並。お腹も出てる。恋心など逆さにふっても出てこない。また、ワタシは完全なすっぴんなうえに口うるさい婆さんだから相手も同じ思いだろう。でも奥方にはF君が誰よりも素晴らしく見えているのかもしれない。一気に取られてたまるかと、しょぼくれた婆さんのワタシ相手に競争心が湧いたのかもw。

結婚して数十年経っていてもそういう気持がわき上がったのなら、一騒動の後は二人は仲良くこの先やっていくだろうなと、怒鳴られ、今後電話で話すことも遠慮するしかなく、長年の友人を失い、少々淋しいが、彼のためにはこれで良かったと思える。

ヤレヤレ…実に馬鹿馬鹿しいが、ビックリすることって、いくつになっても沢山あるねえ。だけど、贈答品を贈る手間も出て行く面倒も省けたし、財布も助かったからこれがワタシにとっても最善のコースだったかもねw。ラッキー! 

わずか数年前に大規模な修繕をしたばかりなのにまたしても大規模な修繕が始まる。あの騒動がまたしても生じるのかと思い出してはつくづく嫌になってる。
もう十二分に歳をとり、力も弱くなっているのに、今回は開口部のサッシ全部を取り替え、ベランダの塗り替え?なども行うらしい。ベランダの植物を移動させたり、物を片付けたりしなくてはいけないらしいし、窓から1m以上空けろというし、そんなの出来ないという言葉ばかり空中に浮かぶ。

台風の勢力が温暖化のせいで毎年強くなっているように感じる昨今の情勢を考えればガラスの強度を増すためにやるしかないだろうし、まあ仕方ないことなのだろうけど、やるべき事を考えるだけで疲れてどこかに逃げたくなる。

自慢じゃないが、長年、怠け者でゴロゴロ本ばかり読んでるワタシが住んでいるといえば、どれほど物が多いか、ご想像通り。おまけにうちにはお金ではなく物が集まってくるし、これは娘にとか、これは孫にとか、ついとっておくから、ゴチャゴチャだ!

ああーあ、ため息ばかり。

ベランダの植物も片付けねばならないが、お嫁さんの大きな鉢入りの観葉植物も2個預かっているから、返すといったら、いらないとすげなく断られた。せっかく大きくなったのに…口はきけなくとも生き物だからねえ…捨てるのは可哀想だよねえ。

というわけで、全く何も進まない。ワタシに残された寿命はそう長くないはずなのでちょうど良い整理整頓の機会なのだが、一番不得意なのが整理整頓というワタシにどうしてこういう試練が降りかかるのだろうw。コロンと亡くなってしまえば遠慮会釈なく娘たちが一切合切捨ててしまうだろうからその方がワタシには都合が良いと思えるけど、怒るだろうなあ…。

今回は、どの部屋も開口部から少なくとも1mは空けておくようにとのお達しだが、このパソコンが乗ってるデスクだって開口部にくっつけてあり、しかも上には大型デスクトップが2台!

息子にゲームくらいしかしないくせに何でそんな大きなパソコンが必要なのかと先月詰め寄られたばかり、どうしようと四苦八苦しているのを見せるわけに行かないし、第一、文句だけで手助けをしない息子のことなど頭から振り捨てて中に入れないようにしようと決心した矢先だから一人で頑張るしかない。

下の娘の連れ合いのノンチャンマンならすぐ助けに駆けつけてくれるのは分かっているが、そうそう当てにすべきではない。と、少しはワタシにも分別が残っているw。

というわけで、今朝も3時前にポッカリと目が覚め、鬱々、だらだら。で、下手な考えをこねくり回すそばから時間は走り去っていくのだ。

ああ、頭痛がする。目が痛い。熱でも出てこないかなあと逃げる算段ばかりが頭に浮かぶ。全くしょうがない婆さんじゃwww。


ワタシの離婚にずっと腹を立てているらしい父親大好き人間の息子が、少し前に、どうして普通の女みたいに、しばらく泣いてそれで諦めなかったのか、なぜ離婚したのかとワタシにいちゃもんをつけてきたことがあった。

ワタシに残された寿命はそう長くなさそうだし、頭がいよいよ危なくなってきているようなので、離婚にいたる顛末などを今のうちに書いておこうと思う。

外国では教会のネズミというのが、極貧を表現するらしいのだが、離婚する前は元亭の絵の具代それも、白など1本10ドルもするというのに一瞬で使いきってしまう絵の具が最優先だった上に、滞在した国では2ベッドルームのアパートの場合は子供は2人までと決まっていて、3人目の子供の誕生を控えて、仕方なく家を、しかも彼奴は見栄っ張りのええかっこしいだったから、一切値切りもせず!、20%台後半の金利で購入。そうでなくともギリギリの家計はローン返済と、ヤツが頻繁に主に独身者などの同僚たちを招くので(奥さんがろくな食事を作ってくれないからとやってくる人もいたがw)仕方なく食事を提供。十数人が来たこともあるが、材料を持参する人など滅多にいず、ますます赤字で火がボウボウ、まさしく教会のネズミ状態に陥っていた。

娘たちの洋服は、すべての服を英国から取り寄せているというドナの娘カレンのお古でまかなったので、娘たちはどこのお嬢様という出で立ちだったが、ワタシと息子は教会のネズミに相応しい装いだったw。証券会社役員だったドナのご主人の得意先が息子の同級生であることを知ったドナに頼まれて母親を食事に招待し二人を引き合わせたときには、その女性に息子さんは膝に継ぎを当てたジーンズが好きなのよねと言われたし、ワタシは、皆さん毛皮のコートで参加する派手なパーティに、息子が作ってくれたスパゲティに色を塗ったネックレスをつけて参加したこともある。そこは、幸田露伴にみすぼらしい着物で一群れの着飾った女性たちの集まりに参加させられた幸田文並wだが、息子が作ってくれたのよと、みせびらかしていたのだから今更ながら我ながらエライと思うが、二度と出来ないな。

6年間、一度も美容院に行かず、勿論化粧品を買う金などなく、スッピンと伸ばしっぱなしの長い髪をみた中国人のお婆ちゃんにあなたは中国人でしょとつきまとわれたこともある。
確かに亭主を除くワタシたちは教会のネズミよりも貧しく質素に暮らしていた。

貧乏を嫌とも恥とも感じず、友人に恵まれ、元気で過ごしていたが、サンドイッチと、リンゴジュースを薄めた物をランチに持参していた息子から、今日のジュースは水の味しかしなかったよと言われた時の悲しさは今でも忘れられない。

すべてが夫に好きなだけ絵を描かせてあげたかったからの我慢だったのだが…。

また、毎朝、僕のお姫様のために美味しくなりますようにとつぶやきながらコーヒーを入れてくれていた夫だったのだが…人生は上手くいかないもんですなあ…。

新入りの秘書が毎日違う洋服を着てくるなどと彼の話題に頻繁に上るようになり、そのうち、彼女こそ本当のお姫様だと言いだした。そして、その後、公然とした浮気の果てに、決定的な瞬間はやってきた。

ある日、子供たちがいる前で、お前たちさえいなければと叫んだのだ。小学校3年生の息子はショックで横にいた幼稚園生の妹を蹴り、泣き出した娘をいらついたヤツが横抱きして2階まで駆け上がり、ベッドに乱暴に放り投げ、娘が大声で泣く声が響き渡った。子供を大事にしていた男が、わずかな間に、どうだ、分かったか、俺はもう何でもできるんだと叫ぶトンデモ男に変わり果てていた。

現地社長に帰国させてくれるよう直談判したが3年だけ待て、3年経っても気持変わらなければ帰国させるとの返事だった。そこが人生の岐路となった。それまでただただ我慢し、逃げることしか考えつかなかったワタシが一気に行動にでたのだw。

強がるが実際は気が弱い元亭は浮気の果てにアルコール中毒となり、酔って車で民家に突っ込み、果てに逃走して地下室にこもるという情けないチキンぶりを披露した。もうお腹いっぱい。子供が3人いるがもうダメ、愛想が尽きたが、最後のチャンスを与えるつもりで、家族とアルコールのどちらを選ぶかと問うたらアルコールを選びよった。口だけだと相手は思っていたようだが、もう離婚するしかないと覚悟を決め離婚届を提出。

覚悟を決めた女、特に母親は強いよねw。
今さらながら、子供3人引き取り、一人でやっていくという無謀な策によくまあ思い切って移れたものだと若い自分に感心するw。

帰国までの3年間をどう活かせば良いか、十数年間を専業主婦で過ごした身でどうやったら幼稚園から小学3年生までの子供3人を養っていけるのか…頭を絞った。答えは、当たり前だが、ある程度の給与を得られるよう自分のスキルを高めることしかない。で、州立大学に入学した。それも本が好きだということだけで図書学を選んだのだから恐ろしい。何も知らないって強いw。無謀だったけど、本気違いと呼ばれたほどの長年に渡る乱読が役に立ち、わずか3分の1以下ほどにまで絞られた卒業生の仲間に、それも優等賞付きで滑り込めた。後がないってスゴイ。馬鹿力を引き出すね。ビックリw。何が幸いするか分からないね。

大学入学と同時に若手の弁護士を探し出し、低価格で別居契約と離婚後の契約を作成して貰ったのだが、彼は弁護士と言うだけでビビって反論も訂正もせず、黙って署名した。まあ、ヤツには反論するほど契約書を読み込む英語力がなかったかもしれないが(会社に提出する英文のレポートは私が代理で作成していた)私の要求通りとなった。

帰国してからも紆余曲折、特に反抗期が今も続いているような息子には手こずっているが、振り返れば、よくまあ、頑張って3人の子供たちを一人で無事に大きく育てたものだ、お疲れ様とチャンスがあれば自分をいたわっているw。子供たちには馬鹿にされるが、偉かった、偉かったと自分を褒めている。

すべての力を振り絞ったあの努力は二度と出来ない。来世があるとしたら、のんびり平和に昼寝して一生を過ごす亀にでもなりそうな気がするw。

毎日のようになにかしら騒ぎが巻き起こる。
と言っても、昔経験したような派手な騒ぎではないし、首をすくめて通り過ぎるのを待てば良いのだろうが、十二分に歳をとったというのになかなか静かな老後というわけにはいかないようで…、何でだろう♪、何でだろう♪の毎日だ。

ここ数日、朝5時前とか夜中の12時とか、熟睡中を狙ったように家電のベルがけたたましく鳴る。
最初は、娘かその家族に緊急事態が生じたのかもと飛び起きたが、そうではなく、誰かがいたずらしているのか、私に腹立ちをぶつけている人間がいるのか、どちらかのようだ。

恨まれるようなことはしていないつもりだが、人間というのはえてして勝手に誤解や空想にがんじがらめになるしなあ。そうなれば到底こちらには理解も想像も出来ない腹立ちなどがあるのかもしれない。

ということで、多分、ストレスが溜まったのだろう。今朝起きたら顎が痛い!歯ぎしりだな。それもかなり激しく歯ぎしりしたに違いない。一人暮らしで良かった…娘などが横で寝ていたら顎の痛みだけではすまなかったに違いないw。

この先、大事に使わねばならない、しかも私にとって体の中で唯一自慢できる、欠けることなく全部揃っていて歯医者さんに褒められた歯なのに、欠けたりしたらどうしてくれよう。

顎が痛いし、この先、歯医者に行って懐もいたくなるだろうし、睡眠不足で昼間はぼんやり過ごすか、昼寝するしか出来なくなるではないか。

携帯なら発信元は分かるが、家電はどうなんだろう。
しかし、もし何かしらの理由で私に直接言えないが怒りが治まらない家族だったり(まあ、家族は全員、揃いも揃って、私より強いしw、常日頃言いたいことをぶつけてくるから違うだろうけどw)、仲良しと思っている友人だったりしたら、時々起こされるだけでは済まない。精神的なショックで世をはかなみたくなるかもねえ…。

まあ、知らぬが仏というところか。ということで今晩も途中で起こされると予想して、ゆっくり昼寝でもしよう。

暇人で良かったw。

数ヶ月前だが、複視とやらを経験した。
近所の公園を散歩していたら、グラウンドで赤いユニフォームの男性2人が縦になって、つまり、一人の肩にもう一人が乗って屈伸運動をしているのが目に入った。凄いなあと感心しながら近づいたら、一人の男性が屈伸運動をしているだけだった。何だ、何だ、何だ…!!

翌日、グラウンドを走る集団をみていたら、同じユニフォームの男性2人が全く同じように走っているのでもしやと近づいたら、2人ではなく1人だった。

いやあ、驚きましたね。私の目は一体どうなったんだろう。札束が2倍に見えたら嬉しいかもしれないけどねえ…。最近、自分でも呆けてきたな、いよいよ最終章が近づいてきたのかもと自覚していたし…、
と言うわけで、脳外科と眼科で検査をして貰ったのだ。が、驚くことにMRI検査を受けた脳外科で年齢にもかかわらず脳が全く萎縮していないと絶賛された。

これだけ3歩歩くと忘れる鶏並みと口の悪い娘たちに馬鹿にされているのに呆けてないはずないだろうと、やったあという喜びと、いや、医師の腕が悪いのかも、という疑惑の間で揺れているw。

診察以来、これまで頭痛とは無縁だったのに、頻繁に頭のあちこちが痛くなる。
複視は脳の血流の問題というような記事を読んだので、これは影響を受けやすいワタシが多少の痛みを増幅させているのではと疑っていないでもない。さて、どっちだろう…。

ホント、厄介なヤツだ、ワタシってヤツはw。この先、いよいよ老化が進み歩くことさえ大変になってくるだろうに、入り口で騒いでいてどうするんだろうと思うが、まあ、静かに一人で我慢しているより、大変だあ、大変だあと騒いだ方が精神衛生上はずっと良いと思うが、騒がれて犠牲となる娘たちは静かに一人で悩んでくれと思うだろうなw。

まあ、世の中、上手くいかないのが普通だから、この際、気にせず、遠慮なく騒ごうっとw。
娘たちはワタシの騒ぎに慣れてるから、残念ながら真剣には悩みも心配もしない。
歳を重ねるってどういうことなのか、どう体が変化し、どういうことが大変になってくるのか、子供たちに理解させるのも親の役目だよねw。

例外なく誰もが歳を重ね、少しずつご先祖様の場所に近づいていくのだから。

今年も桜の季節となった。
今年も、娘夫婦が、昨年も訪れた桜の美しい、関係者以外立ち入り禁止の隠れた桜の名所に連れて行ってくれた。今年もありがとうだ。

桜の美しさは、はかなく散っていくから尚更心に響くのだろうか。亡くなった人たちを思い起こさせる花のような気もする。

どなたの作か知らないが、高校卒業時に先生の1人が「桜花、散り散りに散りにけり、遠き一人と君もなりなん。」というような詩句を寄せていらしたのを思い出す。その詩句が実感として分かる歳になってしまったことが悲しい。母と友人、大事な2人がいなくなり、なんだか調子がすっかり狂ってしまい、春なのに鬱々としているのだが、いい加減にしなければ、別の世界の住人となってしまった母にも友人たちにも叱られそうだ。

もうすぐ自分の番が回ってくると思いつつ、今日も、グダグダと意味のないことに時間を費やしているのだが、「あのときはありがとうと伝えたい」というコラムを見つけた。

あ〜あと、思い出してしまう「あのときはごめんなさい」なら沢山ある…。そしてあのときはありがとうも沢山思い出した。ごめんなさいと繋がっていることも多い。ワタシのことを心配して世話を焼いたり、叱ったりしてくれていたことが自分がその歳になるまで思い出しもしないし、分からないってどうしようもないけど子供ってそんなものかもねと、自分を慰める。

で、一番思い出したのは、書いたことがあるかもしれないが、見知らぬ女性に近くのモールまで肩を貸してと言われ、驚いたが、肩を貸してゆっくり彼女を支えながら歩いたら、途中でもう良いと立ち止まり、「神のご加護がありますように」と祝福してくれたこと。

キリスト教徒でも仏教徒でもないのだが、彼女に祝福されたことで、その後大変なことが次々に生じたのだが、大変な困難を無事に乗り越えられたような気もする。

ありがとうにも同じような力があるような気がする。だから祝福は与えられないが、ありがとうを集め、あちこちでありがとうを忘れず言うようにしている。ありがとうを集めたら、蜘蛛の糸が切れないほどに太くなるといいなw。

朝からくしゃみの2連発。目が痛い。認めたくないけど、やっぱり花粉症なのだろう。郵便局からなにやら電話が来たが、用意しておきますって、なんだろう。これまで電話などかかったことないのだが…気になるが、花粉症が優先だ。仕方がないといつもの病院に向かった。12時少し前に到着。午前の受付は終わっていて12時からの受付番号は2番。ついてる、待たずに済むと思ったのだが甘かった…。

なんと、これまで病院には午前の予約しかしたことはないが、循環器など診察を2時過ぎまで待つことも常態化しているから疑いもしてなかった…、が受付で内科も、眼科も午前で終了と告げられてしまった。聞いてないよ〜と言いたかったが、仕方ない、ノソノソと外に出た。せっせと間に合うように急いだのに…。

行き先変更。この間見つけた面白そうな所を見物して、お昼に美味しい物でも食べようっと、気分を上げて病院前のバス停に向かったら、停留所に数歩というところでバスとすれ違った!運転手さんと目が合ったから開けてと手を振ったが、人はほとんど乗っていないのに、田舎のバスじゃないから、勿論、無視して行ってしまった。次の便まで10分も停留所で待つのは嫌だ。

自宅への地下鉄や電車の駅まで歩いても10分弱。とぼとぼと帰ることに。
気を取り直して、局員の人がなぜ電話をしてきたのか、何を指すのか良くわからないし、本当に局員なのか暇なこともあって色々なシナリオを考えて疑い電話してみたらちゃんといつもの局員だった。疲れてるのにと心の中で文句を言いつつ、でも仕方がない。電話してくるくらいだから行くしかないだろうと通帳を探し、出かけていったら、10年前に預けた5万円が満期だと、100円少々の小銭をくれたw。これが10年分の利息だ。笑うしかない。これまでは満期のお知らせは葉書できたが、電話の方が安上がりだからだね。不景気だねえ、デフレの日本w。

しかし、考えてみれば、日本の安全神話が風前の灯火となりつつある昨今、無料でお金を預かってくれた上に100円であっても支払ってくれるって、素晴らしいお得で安全な金庫のような存在ではないか。

発想の転換で気分を直して帰り着いて、そういえば、昨年も花粉症かもと騒いで薬を買ったのを思いだして探したら、ちゃんと、封も開けてない噴霧式の花粉症の薬があった。

終わってみれば、やるべき事などやりたくない、やるべき事以外は何も思いつかない、詰まらないを連発しているワタシの暇をきっちりと埋め、おまけに万歩計を進めてくれたのは、無駄!
大いなる無駄の功績だったw。

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