レシーブ二郎の音楽日記

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Dan Penn & Spooner Oldham Live at Billboard Live Osaka

IMG_1359 2ブログを長い間更新してなくてすみません。かなり仕事が忙しいので今しばらく定期更新はお待ちいただきたいと思います。
そんな中、9月30日はビルボード・ライブ大阪まで、ダン・ペン&スプーナー・オールダムの来日公演を見に行ってきました。本当はファースト&セカンドの両方を見て、一泊して帰りたかったのですが、仕事のこともありファーストだけで我慢し福岡にトンボ帰りしました。ダン・ペン、81歳、スプーナー80歳。この二人が日本に来てくれてライブをやってくれる。そのことだけで、とってもありがたいです。4年前の2019年、このコンビとしては20年ぶりの公演があり、この時は東京まで出かけて2ステージを堪能させていただきました。その時より、ほんの少し曲数が減っているとはいえ、元気な姿と変わらない演奏を聴かせてもらい、とっても嬉しくなりました。

思えば、今から40年ほど前、高校生だった私は、10年遅れでライ・クーダーの『Boomer’s Story』の日本盤を中古で手に入れました。そこにはかの名曲「The Dark End of the Street」のインスト版が入っているだけでなく、ライナーには作者の一人ダン・ペンなる人物が主人公ライと一緒に歌っている写真までありました。その人物がR&B界の名ソングライターであることは、その時は全く知りませんでした。大学生になる頃、ボチボチとR&Bを聴き始め、彼がスプーナーやチップス・モーマンらと数々の名曲を生み出した偉人であることがわかってきます。そして、その頃ダン・ペンの唯一のオリジナル・アルバム、1973年の『Nobody’s Fool』を入手し、大ファンになるのですが、どうしてこんな素晴らしいシンガーが1枚きりしかアルバムを出していないんだろうと疑問に思いました。スプーナーのアルバム『Pot Luck』も90年代の前半には入手していたと思います。ところが、1994年、ダン・ペンの21年ぶりのセカンド・アルバム『Do Right Man』がワーナー/サイアーからリリースされました。もちろん、ダン・ペンはソングライターの他、プロデューサーとか裏方としてメンフィスを中心とする南部の音楽界を支えてきたわけですが、久々に表舞台に復帰と相成ったわけです。そして、5年後の1999年、スプーナー・オールダムとの二人だけのライブを収めた『Moment From This Theatre』がリリースされます。このアルバムは全編二人だけのシンプルな演奏なのですが、とにかく名演です。シンガー・ソングライター・ファンは必ず聴かなければならないアルバムです。二人の過不足ない演奏と歌声、ハーモニー。その美しさに酔いしれることができます。ダン・ペンが他のアーティストに提供したR&B曲が大半ですが、ドラムやベースがなくても、曲そのものの良さと、作者自らの歌声の素晴らしさで、こんなにも充実したになるという見本のような作品集です。そして、その年の暮れ、その二人がとうとう初来日を果たします。自分は福岡のドラム・ロゴスに見にに行きました。本当に忘れられないライブとなりました。ダンはその後、2000年から、数年おきにデモ・シリーズという自主制作CDを作成するようになります。ライブ会場で手売りしたり、自身のインターネット・ページでしか買えないものですが、日本ではオーバーオール・ミュージックが発売してくれていて、手軽に購入することができました。そして、2010年には、メンフィスで活躍してきたキーボード奏者のボビー・エモンズとともにビルボード・ライブに再来日を果たしました。この後、アラバマのフェイム・スタジオで録音されたダンのデモ集が2枚CDで発売されたり、ダンとスプーナーが書いた曲のコンピレーションがリリースされたりもしました。そして、2019年、再びスプーナー・オールダムと二人での来日。この時はビルボード・ライブ東京に見に行きました。2020年には26年ぶりとなるサード・アルバム『Living On Mercy』がリリースされました。その後、体調を崩したダンは心臓関連の手術を受けていて、体力が十分回復しない中、2022年にはニューオーリンズのジャズ・フェスティバルの期間中にチッキー・ワー・ワーというクラブでライブを敢行したとのことです。さらにその後、同年には5枚目となるデモ・シリーズの『Prodigal Son』をリリースしました。意識した訳ではないでしょうがライ・クーダーが2018年にリリースしたソロの最新作と同タイトルとなっています。そんなわけで、高齢ながら充実した活動を続けるダン・ペン、盟友のスプーナーと二人では三度めとなる来日公演、いつもと変わらない、あったかいライブになるだろうと思いながら大阪に向かいました。

さて、その日、9月30日は土曜とあって、ファースト・ステージが16時30分から、セカンド・ステージが19時30分からと、両方見ても博多行き最終に間に合うのではないか、という時間ではありましたが、体力を温存すべく、今回はファーストだけで帰ることにしました。席は最前列ではありませんが、ステージ中央の次のテーブル。4年前の東京の時と同様かなり近い席を確保できました。定刻になるとマネージャーも兼ねているであろう司会者がワイヤレス・マイクを持って登場します。「コンバンワ」とあいさつした後、英語で、東京、横浜と続いたツアーに来てくれてありがとう、今日は最終日グレート・シティの大阪です。ダン・ペンとスプーナー・オールダムを紹介しますという意味の前説の後、ステージ後ろのカーテンが開き、二人が登場します。ダン・ペンは片手に杖を持っており、4年前に比べて足が悪くなったようです。スタッフに付き添われて、ステージ上手側の椅子に座ります。思えば、今から約10年前、この場所でファンキー・ミーターズを見たときは、やはり杖をついていたアート・ネヴィルは苦労して客席の階段を降り、またステージに上がっていたので、高齢の出演者も増えたことだし、その後にステージ後ろの出入り口が新たに設けられたのでしょう。

ダン・ペンは濃いネイヴィー・ブルーのシャツにジーンズ、スプーナーは柄シャツの上にグレーのジャケットを着ています。ダンが弾くのはアクースティク・ギターのマーティンD-28。スプーナーはもちろんウーリッツァーのエレピです。二人は着席すると、すぐに演奏を始めます。曲は言わずとしれた「I’m Your Puppet」。ダンのギターは1弦が鳴り切っていなくてプツプツ言ってますが、そんなことは問題ありません。コロナ前の前回の来日から4年、80代に達した二人が日本でライブをやってくれる。年齢からすれば、身体能力の衰えは致し方ないわけです。今回、スプーナーのソロはほとんどなくなり、ダンの伴奏に徹しています。ダンも90年代の映像では力強くバーコードを押さえていたのが、大半で高音側4弦のみを押さえています。でも、二人の渋い歌声と息のあったアンサンブルは見事に健在です。1999年の来日の時と変わらない、二人の歌と演奏に酔いしれました。

2曲目は、スィート・インスピレーションズに提供した、その名も「Sweet Inspiration」。3曲目は、ボックストップスのナンバーと言って、客席に一緒に歌うよう促し、ア・カペラで歌い始めます。1コーラス歌ったら、最前列の人がおそらくボックス・トップスのシングル盤のジャケットをダンに見せています。そしたら、二人はボックストップスのヒット曲「The Letter」をア・カペラで歌い出すではありませんか。もちろん1コーラスだけですが。その後、無事「Cry Like A Baby」が演奏されました。4曲目はアリーサ・フランクリンに提供した「Do Right Woman, Do Right Man」。彼の代表曲のひとつです。ダンは曲が始まる前にボソボソ声で曲の紹介をしてくれるのですが、自分の英語力の無さから、あまり聞き取ることができませんでした。5曲目に再びボックストップスのナンバーで「I Met Her In Church」が演奏され、手拍子が巻き起こります。

6曲目で、スプーナーがリード・ヴォーカルを担当する「Lonely Woman Make Good Lovers」が歌われます。フレディ・ウェイラーとスプーナーによって書かれたナンバーで、1972年にボブ・ルーマンのシングルとしてリリースされカントリー・チャートで4位を記録するヒットとなりました。『Moment From This Theatre』にはスプーナーの歌で収録されています。ダンの後で聞くとスプーナーの歌声はかなり頼りなく聴こえますが、その味わいたるや格別です。ピアニストでありソングライターとしても格別の才能を持つ彼のしみじみとした歌声を聴いていると、よく言われる「誰もその曲を書いた人のようには歌えない」という言葉が真に迫ってきます。この曲は、99年、19年、そして今回と毎回聞くことができました。

7曲目は、少しテンポアップして「You Left The Water Running」の登場です。バーバラ・リンが1966年にヒットさせた曲で、フェイム・スタジオでオーティス・レディングが録音したデモも公表されています。そして、続いてはジェームズ・カーに提供した代表作「The Dark End of the Street」。このコンビでのライブでは、たいていこの辺りまでの曲順は固定されているようです。二人の前に置かれている歌詞カードかコード譜が掲載されているであろうファイルも、このあたりまでは、順にめくられているみたいですが、この後から、曲を決めたら、二人ともペラペラとページを繰って譜面を探し出すようになります。9曲目は、パーシー・スレッジに提供した「Out of Left Field」でした。こちらもしみじみとしたバラードで演奏に耽溺しました。そして、10曲目に、ダンのファースト・アルバムのタイトル・トラック「Nobody’s Fool」が登場します。この曲で少しばかり盛り上げた後、MCでも提供したジャニス・ジョップリンの名前をつげ「A Woman Left Lonely」を歌い上げます。この曲はジャニスの遺作『Pearl』に収録されていますが、スターダムにありながらも一人寂しくオーバードースでこの世を去ったジャニス本人を象徴しているような作品です。

ライブは佳境になってきましたが、ここで再びマイクがスプーナーに渡り、ダンがロックン・ロールのフレーズを弾き始めました。曲は「Hello Memphis」です。ドニー・フリッツの1997年のセカンド・アルバムに収録されていた曲で、ダン、スプーナーそしてドニーの3人で書かれた曲で、ここではスプーナーがリード・ヴォーカル。ダンが合いの手を歌います。その場ではライブでは初めて聴いたと思っていたのですが、調べてみると1999年の福岡公演のセカンド・ステージで演奏されていたのを生で聴いていたのですね。全く記憶から抜け落ちていましたが、24年も経っているので仕方ないでしょう。続いても同じようなリズムのロックン・ロール・ナンバーでやはりスプーナーがリードを歌い、ダンも歌って見事にサポートします。曲は「Come on Over」です。この曲は1967年に書かれベン・アトキンス&ザ・ノマズによってシングル盤でリリースされたようですが、この日取り上げた曲では前曲同様かなりマイナーな1曲でしょう。ダンの歌うバージョンは彼のフェイム・レコーディングのCDに収録されています。前曲より少しテンポが早いので客席から手拍子が巻き起こり大いに盛り上がります。

ここで司会もしていたマネージャーから、そろそろ時間との声がかかり、二人はラストはどの曲にしようかちょっと迷ったようですが、ダンが「ゴスペルの曲を聞いてください」とつげて、最新のデモ・シリーズ『Prodigal Son』のラストに収録されている「In The Garden」を歌い始めました。この曲は「He Walks With Me」というタイトルでも知られた曲で、もちろん「He」はジーザスのこと。『Prodigal Son』にはドニー・フリッツの告別式で歌われたものが収録されています。もちろん、ライブでこの曲を聴くのは初めて。感激です。この曲ではスプーナーはピアノもコーラスもなし。お腹のところで両手を組み、ダンの演奏に聴き入っていました。しみじみとしたワルツのこの曲で本編が終了。司会者が立ち上がり、ワイヤレス・マイクで客席に「もう一曲聞きたいですか?」と問いかけます。満員の会場はもちろん割れんばかりの拍手が続きます。

二人は再びファイルをめくりながらアンコール曲を選びます。ダンが曲を決め、「オベイションズのナンバーだ。」との言葉で大好きな「I’m Living Good」だとわかりました。この曲は1965年にゴールド・ワックスからリリースされたシングル曲。自分は90年代に出たオベイションズのコンピレーションで知りました。彼らが尊敬する先達、サム・クックの曲を彷彿とさせるナンバーで『Moment From This Theatre』の中でもかなり気に入っている曲です。ラストに収録されている「Old Folks」も聴きたかったけど、贅沢は言いますまい。司会者が終演のMC、スタンディング・オベイションに包まれる中、二人は立ち上がって挨拶し、カーテンの向こうに消えて行きました。二人が日本に来てくれて、素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。そのことに感謝したいと思います。

1. I’m Your Puppet
2. Sweet Inspiration
(Cry Like a Baby 〜 The Letter A Capella)
3. Cry Like a Baby
4. Do Right Woman, Do Right Man
5. I Met Her In Church
6. Lonely Woman Make Good Lovers (Spooner
7. You Left The Water Running
8. Dark End of The Street
9. Out of Left Field
10. Nobody’s Fool
11. A Woman Left Lonely
12. Hello Memphis(Spooner
13. Come On Over(Spooner
14. He Walks With Me
(Encore)
15. I’m Living Good
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David Lindley & El Rayo-X / Live at Winnipeg Folk Festival

elrayoxwinnipegデヴィッド・リンドレーは、今年、2023年3月3日79歳で永眠しました。非常に残念です。彼のオフィシャル・ホームページには、CDを始めいくつかのグッズの販売コーナーがありましたが、彼が亡くなった後、一時閉鎖されていました。ところが最近、URLはそのままにホームページそのものがリニューアルされ、「Pleemhead Store」のコーナーでは、リンドレーの過去のオフィシャル・ブートレッグシリーズを含め現在11種類のアルバムがmp3形式で販売されています。ページの最下段には”Check back often - more to come very soon!”の文字があるので、今後もまだ追加されていくものと思われます。

そこに今までオフィシャルでは出回っていなかった2種類の音源があります。早速購入しましたが、その内デヴィッド・リンドレーがリーダーだったエル・レイヨXのウィニペグ・フォーク・フェスティバルでのライブをレビューしてみましょう。この時期は第2期エル・ラーヨの時代、1988年にエレクトラからリリースされたアルバム『Very Greasy』のレコーディングメンバーです。ホームページの解説でリンドレーがこの時のフェスについて振り返っている言葉が収録されています。「エル・ラーヨXがやったセットで録音されたものがあったんだけど、それは度肝を抜かれたよ。ミスもためらいもない。終わった後、それを聴いて、『これこそ本物だ』と思った。その瞬間、脳が手と完璧に連動しているんだ。あのステージは忘れられない。」というものです。実際その録音を聴いてみると、彼の言葉が少しも誇張でないことがわかります。翌年の来日の時はキーボードのウィリアム・スミッティ・スミスが抜け、イアン・マクレガンに交代していましたから、そのページの注にあるように、1990という表記は間違えでおそらくこの録音は1988年以前と思われます。ずいぶん前にやはりリンドレーの私設レーベルからオフィシャル・ブートレッグの形で出ていたライブ音源集『El Rayo-X Live』には、同じメンバーによる1986年頃のライブ演奏が多数収録されています。そちらでは『Very Greasy』収録曲が数曲収められているのですが、こちらは8曲中5曲がファースト・アルバムの収録曲。おそらく近い時期の録音と思われます。両者でかぶるのは「Quarter of a Man」1曲だけですが、『El Rayo-X Live』収録のバージョンは1997年のライブで録音時期が大きく異なります。

アルバムはメンバー紹介から始まります。リンドレーがユーモアたっぷりにメンバーを「カリフォルニアの新しい政府の総理大臣」とか「アルコール消費業界の総理大臣」などと紹介していきます。キーボードはウィリアム・スミッティ・スミスはトロント出身、ギターのレイ・ウッドベリーはカリフォルニア、ドラムのウォルフレッド・レイズはキューバは出身とのこと。ベースのホルヘ・カルデロンは出身地が紹介されなかったけど、プエルトリコ出身です。国際色豊かなバンドですかよね。彼らの演奏、本当に超一流です。そうそう、メンバー紹介の最後はスミッティがリンドレーを「ポリエステル界の総理大臣、アメリカ大統領になってほしい人、シャツ、パンツ、靴を見てください。」みたいな感じで紹介しています。

1曲目はビードルズでおなじみの「Twist & Shout」。もちろん彼のファースト・アルバムに収録のレゲエ調のバージョンを下敷きにしていますが、新メンバーだけに一味違います。まずソロをとるスミッティのプレイが素晴らしいです。オルガンなんですが、今まで聞いたオルガンのソロとは全く違う音数の多い演奏。それが全くうるさくないのです。16ビートのリズムで繰り出されるフレーズのものすごいこと。たまりません。

2曲目は「Everybody Else」というタイトルになっていますが、1985年に出たリンドレーのソロ・アルバム収録の「Hands Like A Man」です。イントロはアンプを通したサズの演奏で、しばしリンドレーが独演。リフが始まるとバンドが走り始めます。もちろんコンピューター・リズムを多用したスタジオ作より、こちらのライブの方がずっと上出来です。エンディングではリンドレーがエレクトリック・ラップスティールで舞い上がるようなソロを奏でるので、レイ・ウッドベリーもサズかブズーキでリフやリズム・バッキングを弾いているのでしょう。また、まるでタンブーラのようなドローン効果のある音が終始鳴っているのですが、これはもしかしたらスミッティがシンセでやっているのかもしれません。

3曲目は「El Rayo-X」。言わずと知れたファースト・アルバムのタイトル曲です。楽しく明るい演奏で、ファースト・ソロはスミッティのオルガン。トーンベンディングを用いて時折ヴァイオリンのような音を出しますが、明らかにキーボードによるプレイです。スミッティの才能おそるべしですね。リンドレーはここでは普通のエレキ・ギターでセカンド・ソロを弾いています。この時期、テスコのK-4Lあたりを弾いているのかもしれません。

4曲目は「Don’t Look Back」の登場です。この曲は1983年の第1期エル・ラーヨXの来日の時に生で見たのですが、リンドレーとセカンド・ギタリストのバーニー・ラーセンが二人ともVOXのマンドギターで演奏していたのが印象に残っています。ここでもおそらくリンドレーとウッドベリーの二人がVOXマンドギターを弾いているのでしょう。余談で推測すが多分ライ・クーダーは彼らの演奏を聴いてマンドギターを手に入れようと思ったんじゃないかと推測しています。リンドレーとクーダー「おそろ」の楽器が結構ありますね。マンドギター、ワイマンベース改造のエレキ・ブズーキ、アクースティック・ブズーキ、ワイゼンボーン(コナ)、どれも一癖のある楽器ばかりです。そうそう、この曲のレビューをしなきゃ。マンドギター、1本でも素敵なサウンドなのに2本揃うと完璧なアンサンブルですね。その上にスミッティのオルガンがかぶるとえも言われぬ美しいサウンドになります。間奏ではレイズの打楽器のフィルインがいい感じで決まっています。惜しむらくはエンディングのドラム&パーカッション・ソロの後、リンドレーのソロが始まってすぐにブツっと演奏が切れてしまうことです。

5曲目もファースト・アルバム収録の「Quarter of a Man」です。この曲は1995年頃のライ・クーダーとのユニットでも取り上げられており、『El Rayo-X Live』にも収録されているし、2000年代にリリースされた『Raggae On The River』のオムニバス・ライブにも収められているリンドレーお気に入りの一曲でしょう。心地よいレゲエ・アレンジです。間奏はリンドレーのノンスライドのエレキですが、この曲もエモーショナルなソロの後半でブツっと切れてしまいます。

6曲目「Piano Improvisation」とありますが、スミッティによる1分半ほどの短いソロで、次曲の導入部の役割を果たしています。ウィリアム・スミッティ・スミス。ホント多彩なプレイができる御仁です。ここでは叙情的なピアノをだんだん盛り上げ、途中ベンドも使ってクォリティの高い演奏を繰り広げます。

7曲目は、スミッティのソロ・ピアノに導かれるように始まる「Brother John」です。言わずと知れたニューオーリンズ・クラシックでワイルド・チャバトリアスやネヴィル・ブラザーズのレパートリーとして知られています。リンドレーはセカンドで取り上げていますね。ここではなんと17分に及ぶ長尺の演奏です。イントロはもちろんリンドレーのエレクトリック・ラップ・スティール。官能的な音色がたまりません。間奏では、まずレイズによるドラムス&パーカッション・ソロです。鳴り物中心の的確なリズムから段々と叩く楽器を増やしていきます。スネアロールが始まったところでリンドレーのフィドル・ソロとなります。めちゃめちゃ心地良いですね。リンドレーはエル・ラーヨXのときは基本的にはフィドルは弾かないと思っていたのですけど、こういう演奏もあったんですね。ぜひ生で見てみたかったなぁ。フィドル・ソロが終わると、今度は本格的なレイズによるドラムス&パーカッション・ソロになります。ティンバレスとかカウベルなんかも交えてのプレイですが超絶的な技巧。「すごい」の一言です。続いてはホルヘ・カルデロンのベース・ソロ。派手さはありませんが、マルディ・グラ・インディアン・ソングのノリをみごとに表現しています。そして、スミッティが重なってきます。ニューオーリンズ風ピアノロールを多用したソロは本格的です。ウッドベリーがフェイザーをかけたリズム・ギターで心地よいリズムを刻んで重なり、リンドレーは再びエレクトリック・ラップ・スティールに戻ってしんがりのソロを決めます。そして再び歌に戻り、エンディングはやはりエレクトリック・ラップ・スティールのフレーズで締めます。メンバー各人の技量が最大限に発揮された素晴らしい演奏です。もちろんリンドレーも負けていません。こうしてメンバー同士がインスパアしあって演奏を盛り上げる。これぞバンドの鏡ですな。

ラスト・ナンバーはやはりファーストから「Mercury Blues」。イントロから歪んだラップ・スティールが独奏。その演奏が終わろうとするとドラムスが入って車をテーマにしたナンバーだけにやや早いテンポで疾走を始めます。興奮度マックスです。おなじみのイントロの後、歌が始まります。最初のソロはスミッティのピアノです。ブルーズ・ピアノのお手本のようなプレイを3回しバッチリ決めます。2番の歌を挟んでリンドレーのラップ・スティールがやはりたっぷりソロをとります。おなじみのフレーズも出てきますが、その心地よさはえも言われぬものがあります。素晴らしいです。

こんな演奏を聴いてしまうと、1989年の第2期エル・ラーヨXの来日公演に行けなかったことをとても後悔してしまいます。この時はスミッティはバンドを抜けイアン・マクレガンに交代していましたが、きっと素晴らしいライブだったんだろうなぁ。それでも第1期が見れただけでも幸せと思わなければいけませんね。エル・ラーヨXでの来日は1989年が最後となってしまい、ハニ・ネイサーやウォーリー・イングラムといったパーカッショニストとのデュオ編成、あるいは完全ソロで幾度も来日してくれました。本国では2000年代まで時折エル・ラーヨXでのライブも行っていたようですが、こんな音源を聴くとどうして一般的な人気が出なかったのか不思議に思えてしまいます。1970年代までなら、良質の音楽を作る「売れない」アーティストもレコード会社の「良心」にしたがって抱え入られたのに、1980年代になると「産業」としての側面が強くなりすぎて、ロック界も大きく様変わりしていきました。リンドレーは、1981年から88年にかけてエレクトラ/アサイラム、WEA、エレクトラといったメジャーレーベルから計4枚のアルバムをリリースしましたが、会社にとって満足のいく売り上げを記録できなかったようです。90年代に入るとリンドレーはメジャーから離れ、インターネット時代を見越してライブ・レコーディングを録音し自費出版のような形で販売するオフィシャル・ブートレッグ方式に切り替えました。この方式はのちにリトル・フィートはじめ多くのミュージシャンに取り入れられていきます。ネット販売とともにライブで手売りされたCDは、スタジオ・ミュージシャンなどの仕事とともに彼の生活を支えてきたことでしょう。今回リンドレーのページが再開され、従来の音源に加えて今まで知られていなかった録音が公になるのは本当に喜ばしいです。それにストアのページの冒頭には「All Proceeds will go directly to the Lindley Family」とあるのも嬉しいことです。

音源は、以下のページから有料でダウンロードできます。(PCの方は隣リンク集のDavid LindleyのページでもOKです。)
https://www.davidlindley.com

Afro Cuban All Stars / A Toda Cuba le Gusta

afrocuban今年も暑い夏が到来しました。こういう季節には涼やかなハワイアンや沖縄音楽が聴きたくなりますが、熱いキューバ音楽もいいですよね。1997年、ニック・ゴールドが主催するワールド・サーキットから、2枚のアルバムがリリースされました。どちらにも”ライ・クーダー”の名前があったわけですが、そのうちの一枚が後に”社会現象”にもなった『Buena Vista Social Club』、そしてもう一枚がこのアフロ・キューバン・オール・スターズのファースト・アルバム『A Toda Cuba le Gusta』でした。この二枚のアルバムは表裏一体の関係にあります。『Buena Vista Social Club』(以下BVSC)の立役者の一人に、プロデューサーでありトレス奏者でもあるシエラ・マエストラのメンバー、フアン・デ・マルコス・ゴンサレスがいます。彼がいなければ、ライ・クーダーがキューバに滞在することができた短い期間に、すでに音楽活動をやめていた才能溢れる老ミュージシャン達を一堂に集めることはできなかったでしょう。

フアン・デ・マルコス・ゴンサレスは、BVSCではあくまでも裏方に徹し、バンドのまとめ役であったものの、カーネギーでの公演ではバックコーラスとギロを演奏するにとどめていましたが、こちらのアフロ・キューバン・オール・スターズではプロデューサーでもあり、バンド・リーダーでもある中心人物です。このバンドのコンセプトは、20代〜70代という新旧の世代が集うバンドで「キューバ音楽の黄金時代」といわれる50年代のナンバーを中心に今の時代感覚で演奏し、キューバ音楽の過去と未来をつなぐ存在として演奏活動することで、ゴンサレスが以前から発想を温めていたものです。メンバーはBVSCとの重複も多く、特にピアノのルベン・ゴンサレスやベースのカチャイート・ロペスはこちらのアルバムでも大活躍していますし、ボーカルのマヌエル"プンティジータ"リセア、のピオ・レイヴァ、イブライム・フェレールも参加しています。録音も同じエグレム・スタジオです。ボーカリストは他にフェリクス・バロイ、ラウル・プラナス、ホセ・アントニオ・”マセオ”・ロドリゲスも参加しています。ホーンセクションを交えた賑やかな演奏が多く、どちらかというとコンボ編成で演奏される曲が多いBVSCとは多少音楽性を異にしています。

当初の計画では、1996年3月にフアン・デ・マルコス・ゴンサレスのアフロ・キューバン・オールスターズのプロジェクトとともに、アフリカのマリから複数のミュージシャンを招聘し、ライ・クーダーが仲立ちする形でキューバのミュージシャンとセッションを行うプロジェクトの二つを行う予定でしたが、直前になってアフリカのミュージシャンがビザの問題でキューバに来ることができなくなり、急遽予定を変更して実現したのがBVSCだったことは、このブログでも再三述べてきたのですが、このプロジェクトに先立ってアフロ・キューバン・オールスターズのレコーディングはすでに進められていて、ライ・クーダーが到着する頃には大半の曲の録音はすでに終わっていました。当時に家にピアノを持っておらず、しばらくピアノを触っていなかったというルベン・ゴンサレスは、すでにアフロ・キューバン・オールスターズのセッションで見事なピアノをいくつも録音し終わっていたわけです。他にもベースのカチャイート・ロペスやボーカルのピオ・レイヴァ、マヌエル・”プンティジータ”リセアとぃった当時60〜70代のミュージシャンもこちらのアルバムにすでに参加していました。言ってみれば、BVSCはアフロ・キューバン・オールスターズのコンセプトの一部を拝借し、経験豊かな高齢ミュージシャンを中心に固めたプロジェクトだったと言えそうです。

ライ・クーダーはこのアルバムには1曲だけ、得意のエレクトリック・ボトルネック・ギターで参加しています。曲は2曲目の「Alto Songo」です。2コードで延々同じメロディが繰り返させるリズム感あふれる長調のソンで、世代を超えた4人のシンガーが代わる代わるリードをとります。間奏に入るとライのエレクトリック・ボトルネックが粋なフレーズを決め、その後、ルベン・ゴンサレスによるピアノ・ソロが続きます。個人的には、この曲にはアフリカン・ルーツを強く感じます。同じメロディを延々繰り返し高揚感を煽っていく手法はアフリカ西海岸の音楽によくみられるスタイルです。BVSCでは、ライは比較的ゆったりした曲、数曲にエレキ・ギターで参加していましたが、この曲はよりタイトなナンバー。ライのソロは見事に決まっていると思うのですが、人によっては”キューバ音楽にはなじまない”とか言ったりもするのかなぁ。でもそんなことは気にしてはいけません。ライは現地ミュージシャンに受け入れられ、厚い友情で結ばれているのですから、彼の参加は地元一流ミュージシャンに大いに歓迎されているのです。

1曲目「Amor Verdadero」は哀愁のメロディを持つチェオ・マルクエッティの40年代の曲のカバーです。プンティジータがリード・ボーカル。ルベン・ゴンサレスのピアノとバルバリート・トーレスのラウーがソロをとります。ラウーはスペイン発祥の弦楽器でトレスに似た響きがします。バルバリートが弾く速いパッセージのソロが聴きものです。
3曲目「Habana Del Este」は、 少しゆっくりめのマイナー・キーのナンバー。コーラスも少し入っていますが、ほぼインスト曲です。マルコスのトレスとトランペットがメロディを奏で、フルートがオブリガードで美しいフレーズを弾いたり、ボウイングのベースと掛け合いでソロをとったりします。心地よいナンバーです。
4曲目は、タイトル曲。アップテンポのタイトなソンです。キューバンの古い有名曲のブレンドだということです。この曲に限りませんが、打楽器が実に素晴らしいです。リード・ヴォーカルはラウール・プラナス。味わい深い歌声です。
5曲目「Fiesta de la Rumba」は、トレスで始まるアルバムの中でもっともゆっくりしたテンポ曲です。こういうタイプの曲を”グァングァンコー”というようです。フェリックスがリード・ヴォーカルですが、深みがあってすごくいい声ですね。マルコスのトレスを全編で味わうことができます。アルバムの中で管楽器入っていないのはこの曲だけです。途中、喧騒の中の会話が入ってくるのもにくい演出です。後半ややテンポアップしますがこの部分も打楽器が肝ですよね。
6曲目「Los Sitio’Asere」は、ファンフーレ的な管楽器のイントロで始まります。出だしのトランペットはマイナーですが途中からメジャーになります。リード・ボーカルはフェリックスとマセオ。トレスとピアノがソロを奏でます。
7曲目「Pio Mentiroso」、アルバムの中で最も元気がよく楽しいナンバーです。1917年生まれで40〜50年代の黄金期にも活躍したピオ・レイヴァが力強いリード・ヴォーカルをとります。もちろん打楽器の躍動感も素晴らしいものがあります。 
8曲目「Maria Caracoles」もよく知られた50年代の曲のようです。イントロはコンガでのソロです。この部分を聴くだけで、キューバの打楽器がいかに素晴らしいかがわかろうというものです。インテンポから心地よいホーンが入り、テーマがコーラスで歌われます。そして、イブライム・フェレールによる溌剌としたリード・ヴォーカルが始まります。イブライムは「もっとソフトな声のボーカリストが欲しい」というライのリクエストに応えてマルコスが靴磨きをしていたフェレールを半ば強引にスタジオに連れてきたという逸話がありますが、もしそうだとすれば、この曲のレコーディングは2曲目とともにライの到着後に行われたことになるでしょう。
9曲目「Clasiqueando con Ruben」はマイナー・キーのインスト・ナンバーです。ピアニストのルベンをフューチャーした曲で彼のピアノを堪能することができますが、コンガ、トランペット、トロンボーンもソロをとります。 
ラスト・ナンバーはメジャー・キーの曲です。アルベルト・リベロのよく知られた曲からテーマをとっているとのこと。マルコス自身の朴訥とした歌とそれに応えるコーラスで始まるソンです。溌剌としたトランペットのソロも聴くことができます。

1996年3月のレコーディングでは、このアフロ・キューバン・オールスターズ、そしてBVSCが録音され、ニック・ゴールドに残された2日間で、当時76歳のピアニスト、ルベン・ゴンサレスのソロ・アルバムも急遽録音されることになりました。こうしてワールド・サーキットの最初の「キューバ・シリーズ」3枚は翌1997年にそろってリリースされたのですが、その時は老ミュージシャンによるキューバ音楽がこれほどの社会現象を巻き起こすとは予想されていなかったことでしょう。アフロ・キューバン・オールスターズはフェリックスとプンティジータの二人のリード・ボーカルを擁して2000年10月に来日公演を行い、11月にはセカンド・アルバムもリリースしています。しかし、プンティジータは同年12月に79歳で他界してしまいます。その後も恒例のミュージシャンは次々と世を去ってしまいましたが、メンバーを変えながら今もアフロ・キューバン・オールスターズは存続しています。

ファン・デ・マルコスはインタビューに応えて次のように語っています。

「孤立した国に住んでいると、他の場所の方がいいと思ってしまう。そのため、アメリカ音楽の影響は非常に強い。人々はキューバ音楽を学ぶ前に、アメリカ音楽を演奏しようとしていた。世界中の良いものを使わなければならないが、まずは自分たちの音楽の重要性を意識しなければならない。数年前まで、キューバの若いミュージシャンたちは、本物のキューバ音楽に関心がなかった。今は伝統音楽を演奏するバンドが何百とある。もちろん音楽は変わっていくだろうし、新しいダンスやスタイルも出てくるだろう。でも、私たちはルーツを守っていく。私はそのことにとても自信を持っている”」

Terry Talbot / Cradle of Love

terrytalbotcradle今回は、前々回に引き続き、テリー・タルボットのアルバムの紹介です。1977年にリリースされた彼のセカンドです。このアルバムもスパロウからのリリース。よって、CCMになります。ジャケットは夕陽の沈む海岸に裸足で立つパーカーとジーンズ姿のテリーですが、右側に大きな鏡のようなものがあって、暗闇の中のテリーを映し出しています。裏ジャケットは同じようなアングルで少し角度を変えていますが、中央に子供を”高い高い”する、テリーの奥さんの後ろ姿があります。前作に引き続き、家族愛もアルバムのテーマなのでしょうか。

今回のアルバムはスティール・ギター・プレイヤーのアル・パーキンスがプロデュースとエンジニア務めています。参加ミュージシャンはドラムにジム・ゴードン、ベースにジム・フィールダー、キーボードにジム・ホブソン、エレキ・ギターはジョン・リンとアル・パーキンス、スティール・ギターにアル・パーキンス、パーカッションにジョー・ララ(最近出たスティーヴン・スティルスの71年のライブでメンバー紹介の時、スティルスは”ホセ・ララ”と発音していました。)、ヴァイオリンにデヴィッド・リンドレー、バックボーカルは、ハーブ・ペダーセン、テリー・オルリッチ、アン・ヘリング、マシュー・ワード、ストリングス・アレンジはデヴィッド・ディッグズという布陣です。前作とかなり似通ったメンバーですが、ドラムのデヴィッド・デッグズが今回オーケストラのアレンジをしていて、代わりに腕利きセッション・マンのジム・ゴードンが参加しているのと、ジョー・ララなど数名の新メンバーが確認できます。主役のテリーはアコギとハーモニカに加えバック・ボーカルのクレジットもあります。

1曲目はタイトル・トラックです。アルバムの大半はテリーが単独で書いているのですが、この曲は弟のジョンとの共作です。イーグルズ路線の爽やかカントリー・ロックでこういうナンバーに付き物のウーウーコーラスも決まっています。ララのコンガも効いています。ちょっとスティールのフレーズを連想させるエレキ・リードはパーキンスで、2弦をベンドする装置を付けたB-Benderと呼ばれるエレキ・ギターでソロをとっています。マナサス出身の二人が活躍していますね。

2番の歌詞はこんな風です。
「キャニオン・ロードを下ってマリブに向かう。気怠い午後、夕陽が沈む時間に。赤い空をさまよう金色の織物。今まで見たことがない。水平線は青く、神のためのカンバスとなる。風が吹くとき、あなたに聞こえますか。風があなたの名を囁くのです。ジーザス、あなたは私を生まれ変わらせたのです。私はあなたの愛のゆりかごに揺られています。」この曲もジャケットの雰囲気を連想させますね。

2曲目「Mighty Wind」はスピード感のあるクリスチャン・ソングです。マイナー・キーの曲で引き締まった演奏を聴くことができます。アコギとエレキのリードが入りますが、間奏ではハーモニカとストリングスが絡んできます。

3曲目は「A Tale of The Time」です。続いてこの曲もマイナーキーです。壮大なイントロのワルツで、歌が始まるとシンプルな伴奏になります。セカンド・ヴァースからは、なかなか凝ったフレーズのベースが入ってきます。この曲の間奏のエモーショナルなフレーズを弾いているのはリンドレーのヴァイオリンです。こういう泣きのフレーズ、ラップ・スティールでもヴァイオリンでもリンドレーにはお手のものでしょう。テリーの感情のこもった歌も素晴らしいです。

4曲目は「Golden Gate Sunset」です。アコギとオルガンで始まる爽やかなスピード・ナンバー。ちょっとジャクソン・ブラウンを思わせる部分もある典型的なウェスト・コースト・ロック・ナンバーですね。この曲のコーラスのみ女性二人が参加。ごきげんなハーモニーを聴かせてくれます。間奏はハーモニカです。この曲では前作でも繰り返し出てきたテーマが歌われています。
この曲の大意はこんな風です。
「俺はロックン・ロール・カントリー・バンドにいた。けれど何もかもが計画通りに行かなかった。そこには沢山のグルーピーやヤクの売人がいた。私の夢は何一つ戻っては来なかった。それで私はサヨナラを言って、永遠にその世界を立ち去った。」
この曲やタイトル曲のテーマを考えるとジャケットの鏡の中の暗闇に映るテリーは、かつての自分自身の姿で、今は神と家族の愛に包まれた光ある世界にいるということを象徴しているように思えます。タイトル・トラックでの舞台はロサンゼルス近郊のマリブでしたが、こちらはサンフランシスコのゴールデン・ゲイト・パークでしょう。どちらにもジャケットに写っているような砂浜があるようです。

5曲目「Carry Me Away」はゆったりしたワルツ。こういうカントリー・ロックいいですね。この曲ではアル・パーキンスのペダル・スティールも全編で活躍しています。ピアノとペダル・スティールの掛け合いがとてもいい感じです。

ここからがB面です。
6曲目「The Potter’s Clay」は少しばかり幻想的なドラムレスのナンバーです。ストリングスが実にいい雰囲気を醸し出しています。コード進行は少しばかりCSNの影響を受けているかもしれません。これもいい曲ですよね。メロディアスなベースのフレーズも素晴らしいです。

7曲目「Takin’ Me Higher」はミディアムのカントリー・ロックです。間奏の前半アル・パーキンスのベンダーがいい味を出しています。後半はピアノが盛り上げます。

8曲目「Satisfied With Blindness」は前曲から曲が続いているような印象もありますが、こちらはバラードです。ピアノの美しい伴奏が特に効いているナンバーです。2番からドラムとパーカッションが入って、リズムものになり、やはり2番からのリンドレーのヴァイオリンも実に的確にオブリガードを奏でます。マイナーコードを上手く使った叙情的なナンバーです。

9曲目「Let It Play」は、もっともリズムが面白くトロピカル感のあるナンバー。もちろんララはコンガにティンバレス等々大活躍です。ホブソンはここではエレピを担当。曲調にマッチしたプレイを聞かせます。この曲でもパーキンスのスティールはハワイアン風ですが、上手く南洋の雰囲気を演出しています。マナサスでのプレイもそうですが、比較的地味なプレイヤーながら、本当にいい演奏を多く残しています。

10曲目 アルバムのラストを締めくくるのは、マーク・マクラウドのペンになるアコギ中心のバラード「Lord How Did It Feel」です。出だしからララのコンガが存在感を感じさせ、全編できけるピアノの音色が美しいシンプルな曲です。曲名からして、「神よ、あなたはどう感じるのですか?」なので、内容は言わずもがな、ですよね。

こういった内容のクリスチャン・ソングなので、サウンドがいかに素晴らしくても、曲の内容が教条的なので、一般の若い音楽ファンからは敬遠されるのでしょうね。タルボット・ブラザーズのアルバムは最初ワーナーから出ましたが、音楽的にはともかく、内容的には神や信仰を賛美するものばかりで、彼らが在籍したメイソン・プロフィットの音楽の続編を期待した向きには裏切られた感じがしたかも知れませんね。そういう意味ではスパロウのようにCCMの専門レーベルというのは意味があって、そういう音楽を聴きたくない人はハナから、手を出さないでしょうから。日本でも、一時期CCMが静かなブームになった時期がありましたが、英語の意味を解さず、サウンドとして音楽を楽しむのであれば、CCMはシンガー・ソングライターやウェスト・コースト系ロックの「宝庫」なんだろうと思います。このアルバムも前作に引き続き、高いレベルの歌と演奏がたくさんつまっています。

Terry Evans / Come To The River

terryevansriverテリー・エヴァンズこそはリアル・ブルーズ・マンであり、リアル・ソウル・マンに違いありません。1988年6月、大阪厚生年金会館大ホールのステージ、客席から向かって右側に彼らの姿がありました。テナーのボビー・キング、バリトンのテリー・エヴァンズ、そしてベースのウィリー・グリーン・Jr. 。前年にネヴィル・ブラザーズ、アル・グリーンを体験し、ブラック・ミュージックにはまり始めていた自分にとって、この時のライ・クーダー公演は衝撃でした。もちろん主役のライも初めて見るし、ドラムはジム・ケルトナー、ピアノはヴァン・ダイク・パークス、アコーディオンにフラーコ・ヒメネスまで参加しているという豪華編成でしたが、三人のゴスペル・コーラス隊の歌唱は実に強力でした。

テリー・エヴァンズの姿を拝むことができたのは、この時一度きりでしたが、彼の火を吹くような熱い歌声を生で聴くことができたし、3人の見事なまでのハーモニーや息のあったステージパフォーマンスも見ることができ、本当にいい経験になったと思います。特に、バンドが下がって、ライのエレキ・ギター1本を伴奏に歌われた「Hold That Snake」の素晴らしさは耳に焼き付いています。もちろん、テリーがソロをとった「Just A Little Bit」「Down In Mississippi」、ボビーがソロをとった「Chain Gang」も筆舌に尽くし難い素晴らしさでした。

このアルバムは彼の3枚目のソロ作になります。前作に引き続きオーディオ・クエストからのリリース。ジャケットには次のようなエヴァンズの謝辞があります。

「このプロジェクトを進めてくれたビル・ロウとオーディオ・クエスト・グループ、そして演奏に参加してくれた全てのミュージシャンに感謝します。また、いくつかの素晴らしい歌を送ってくれたバグ・ミュージックのエディ・ゴメスにも謝意を評します。そして、もう一度(オーディオ・クエストの)ジョン・ハーレィが素敵なアルバムをプロデュースしてくれたことに対し、特別な感謝を捧げます。テープ・カッティングをしてくれたマイク・ロス、熱いマスターを製作してくれたバーニー・グランドマンにも感謝します。 川で会いましょう。  テリー・エヴァンズ  2/19/97」

ここで出てくるエディ・ゴメスは、あのジャズ・ベーシストのエディ・ゴメスではなく、同姓同名の音楽出版社の社長さんのことのようです。

プロデュースは前作に引き続き、ジョン・ハーレィ。参加ミュージシャンは、前作に引き続き、ライ・クーダー、ベースのホルヘ・カルデロン、ギターでジェシ・サムセル、ドラムのフィル・ブロッチ、キーボードのヘンス・パウエル、コーラスのレイ・ウィリアムズといったメンバーは前作と同様で、基本メンバーとなっています。新たに参加しているのは、コーラスでおなじみのウィリー・グリーンJr.とキース・ウィリアムズ、そしてブルース・ハープのジョン・ジューク・ローガンです。変わって、ドラムス&パーカッションのジム・ケルトナーとホアキム・クーダーは今回は不参加です。それと、今回は曲ごとのクレジットがないので、音を聴きながらどこでライがプレイをしているか探っていかなければなりません。ただし、「Tears Are Rolling」には、アクースティック・ギターのクレジットがありますので、その他の曲ではライはエレクトリック・ギターをプレイしているということでしょう。

1曲目「Get Up, Get Ready」は、デヴィッド・スティーンという方のペンによる、ノリのいいR&Bナンバーです。デヴィッド・スティーンというメンフィス出身の俳優がいますが、その方ではなく、アイオワ州オソという超田舎町にあった”ホウクス”というバンド出身のギタリストのデヴィッド・スティーンさんの曲ではないかと思うのですが、定かではありません。この方、息子を”ライランド”と名付けるくらいですから、ライ・クーダーに心酔しているギタリストなんでしょう。4人の男声アカペラ・コーラスで幕を開けます。ゆったりしていて、なおかつハネるようなノリの曲です。この曲ではライのボトルネック・ギターが大活躍。セカンド・ヴァースからオブリで絡んできて、ソロもたっぷり聴かせてくれます。美しい音色のリード・ギターですよね。後半のオブリもご機嫌で心地よさはこの上ありません。

2曲目は、リトル・ウォルターで超有名な「My Babe」の登場です。ここでハープを吹いているのは、ジョン・ジューク・ローガン。ライの『Crossroads』のサントラでも活躍していました。左から聞こえてくるギターがライ、右がサムセルでしょう。ファースト・ソロはサムセル。ちょっと歪ませ前半ノンスライド、後半ボトルネック奏法ででアーシーに迫ります。セカンド・ソロはローガン。高音域を使ったなかなかエモーショナルなプレイです。ライは終始リズム・バッキングに徹していますが、イントロとエンディングでは少しばかりサムセルと掛け合いを聞かせています。

3曲目は、三連のソウル・バラード「Please No More」、デヴィッド・イーガンとグレッグ・ハンセンのペンによる、ジョー・コッカーの1991年の曲のカバーです。オリジナルもかなりかっこいいですが、このエヴァンズ・バージョンもかなり強力です。ライのギター・フレーズで始まります。ピアノも味のあるフレーズを弾き、サムセルは左のスピーカーからスタカートで終始アルペジオを弾いています。ライはオブリではノンスライドですが、間奏になると得意のクーダーキャスターによるロング・トーンのボトルネック・ソロを繰り出します。リバーブの効いたフレーズは言うまでもなく唯一無二。ライ・クーダーならではの表現力溢れるプレイです。その後のオブリもボトルネックで切々と紡いでいきます。素晴らしいの一言です。この曲にはエッタ・ジェイムズのカバーもあります。

4曲目がタイトル・トラックとも言える「The River」。同名曲がブルース・スプリングスティーンにありますが、同盟異曲、テリー・リードの「River」は”The”がついていなかったかもしれません。もちろんそれとも違うエヴァンズのオリジナルですが、作者クレジットには”クリス&テリー・エヴァンズ”となっています。クリスはテリーの家族だと思われます。テリーのアコギで始まるブルージーな曲で、テリーが歌い始めるとコーラス隊がすぐに被さります。パーカッションが入ると、ギターとエレピもリフを弾き始め、徐々に曲が盛り上がり始めます。この部分のギターを弾いているのはサムセル。1-2番のブリッジでは巧みにワウギターに切り替えています。間奏でライが登場。サムセルのワウ・ギターにかぶせてボトルネックでエモーショナルなソロを決めます。文句なくカッコいいです。エンディングは様々な楽器が入り乱れ盛り上がり、頂点に達したところでスロウダウン。この後のギター、ピアノ、ボーカルだけの部分でも、ライは流石のプレイを決めています。

5曲目は「I Got Loaded」は、ちょっとジャジーな雰囲気のあるミディアムのシャッフルナンバー。イントロはギターで始まり、間奏はギターのフレーズにかぶって、パウエルのトランペットがソロをとります。パウエルはアクースティック・ピアノでも終始活躍します。エレキ・ギターは1本だけですが、このギターを弾いているのは果たしてサムセルでしょうか、ライでしょうか。なかなか難しいところですが、自分はサムセルが弾いているように感じます。ライっぽく弾いてはいるのですが、ライだと使わなそうなフレージングが聞こえてくるように思うのです。確証はないんですけどね。そうそう、この曲ではカルデロンはアクースティック・ベースを弾いています。

6曲目「What You Need」は、ホルヘ・カルデロンのペンによる作品です。「Down In Mississippi」に近い感じの重厚なナンバー。この曲ではアコギもカルデロンが弾いています。冒頭からライのエレキはボトルネック奏法でロングトーンのフレーズを弾いています。途中からリバーブの効いたもう1本のエレキもボトルネックで参入します。これもライっぽいんですが、ライが2本のギターをダビングしているのか、サムセルなのかは判然としません。間奏でも二本のギターが絡み合います。計算され尽くしたフレージングでなんとなく2本ともライのような気がしています。カルデロンのアコギも絡んで、

7曲目は、マディ・ウォーターズの名曲「I Just Want To Make Love To You」の登場です。エイトビートで一気にノリが良くなりますが、重厚感はそのまま。テリーの声はこういう曲によく合っていますね。この曲ではライの歪んだボトルネック・リードが全編で炸裂します。一方、サムセルは左のスピーカーから聞こえるリズム・ギターに徹しています。パウエルはピアノとオルガンをダビング。テリーのカッコ良さ全開のナンバーですね。

8曲目もブルーズです。「Feeling Allright」といえば、デイヴ・メイスンが書いたトラフィックの名曲を思い起こしますが、もちろん同名異曲。テリーのオリジナルです。ライはここでは左から聞こえる渋いバッキングのギターを弾いています。右から聞こえるボトルネックを含めるエレキ・ギターはサムセル。なかなかのコンビネーションです。パウエルはオルガンとエレピを重ねています。ファンキーでスリリングなプレイを堪能することができます。

9曲目は「Tears Are Rolling」。オランダのシンガー・ソングライター、ハンス・シーシンクのナンバーです。ボビーとテリーはハンスの1992年作『Call Me』にゲスト参加しており、その時の縁で楽曲を提供してもらったのでしょう。のちに二人はコンビを組むことになります。ハンスはライ・クーダーのフォロワー的存在。その彼の曲でライがギターを弾いているのですから、本人は嬉しかったことでしょうね。ここでライは全編ノン・スライドのアコギを弾いています。さすがのテクニックですが、少しラフに弾いている感じもします。ファースト・ソロは、ライ。セカンド・ソロがローガンのハーモニカになります。この曲にはサムセルは不参加のようです。

ラスト・ナンバーはテリーのオリジナル「Love Is A Precious Thing」。入魂のバラードです。オープニングはまさにゴスペル・ナンバーの出だしのようにピアノだけをバックにしたルバートでテリーが切々と歌いかけます。イン・テンポからはロッカ・バラード。ピアノとオルガンのバッキングは、まさにゴスペルそのもの。左から聞こえてくるリズム・ギターはサムセルが弾いているのでしょう。最初の間奏はエモーショナルなオルガンのソロをたっぷり聴くことができます。この曲にはライは不参加のようです。

以上のように、テリーの3作目も充実した作品集となっています。おそらくテリーのツアー・バンドが固定してきて、その面々の演奏を尊重していますが、上記のようにライ・クーダーは大半の曲に参加し、大いに活躍しています。自分も当時ライのプレイを聴きたくて毎年のようにリリースされるテリーのアルバムを心待ちにしていたわけですが、上記のようにボビー、テリー、ウィリーの歌声にはライブで完全にノックアウトされており、両者の理想的なコラボが聞ける一連の作品に対する思い入れは人一倍強いつもりです。テリーもライも”チャートを狙う”ことは完全に度外視して、やりたいことを好きなようにやっているわけですが、二人のブルーズやR&Bに対するスタンスがよく出ていると思います。オーディオ・クエストは、どちらかというと趣味レーベルで、採算度外視でいい音を追求していたという側面がありますし、オーナーのジョン・ハーレィのブルーズやR&Bに対する嗜好性がうまく反映されて、両者にとって理想的なコラボとなったものでしょう。テリーにとってもこのレーベルは居心地が良かったように感じます。

Terry Talbot / No Longer Alone

Terrytalbotテリー・タルボットは、前々回取り上げたタルボット・ブラザーズの兄の方です。その時にレビューで書いたように、クリスチャン・ミュージック専門のスバロウ・レコードに移籍し1976年に放ったソロの第一弾です。

キリスト教の音楽というと、アメリカでは南部に根ざしたゴスペルがまず思い浮かびます。また、カントリーにもキリスト教色の濃いものも多いです。ゴスペルを生み育てた黒人教会以外では、多くは伝統的な賛美歌が歌われてきました。しかし、1960年代頃から、現代的な音楽に乗せて歌われる宗教音楽が登場、コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック(CCM)と呼ばれるようになりました。特にシンガー・ソングライター系のCCMには名盤も多く、レコード・コレクター達が探している人気盤もたくさんあります。現在CCMは様々なスタイルに拡大し、ヘビー・メタルやヒップホップの形態をとるものもあるようです。

スパロウ・レコードは、当時ミルラ・レコードのA&Rディレクターであったビリー・レイ・ハーンによって、ユニバーサルのレーベルとして1976年に設立されました。1992年にソーンEMIに買収されたスパロウの親会社は、4年後にEMIグループへの分割を経て、現在はキャピトル・クリスチャン・ミュージック・グループの一部となっています。スパロウ・レコードは、シンガー、ソングライター、コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージシャン、牧師のキース・グリーンを擁したことで一躍有名になりました。彼は、1976年にスパロウと契約してから1年も経たないうちに、アメリカで最も売れているクリスチャン・アーティストとなったのです。また、エイミー・グラントやテリーの弟、ジョン・マイケル・タルボットらが所属していたことでも知られています。そんなわけで、テリー・タルボットのこのアルバムは、レーベルの最初期に録音された一枚なのです。

裏ジャケットには、テリーと彼の奥さんが生まれたばかりの赤ん坊を抱いて微笑んでいる写真が使われています。それで「No Longer Alone」というタイトルなのですね。写真の上におそらくテリー自らが書いたライナーがあるので訳出してみましょう。

「一人でいること、本当に一人でいることは、多くの人々に囲まれながら、神と彼の無限の愛から隔てられたままでいることだ。私と、私の妻、イドナもかつてはそうだった。私はメイソン・プロフィットというバンドのリーダーだった。したがって、快適さとともに少しばかり世界的な”セキュリティ”の認識も持っていた。私は幸せだった。しかし時は過ぎた。私は深く何かを忘れていたのではないかと思い始めた。イエス・キリストがイドナと私の前でベールをぬいだ時、この歌の歌詞にあるように、私たちはやり直すことにした。それは3年前のことだ。私たちは豊かに祝福された。それ以来、私たちは欠乏の時も豊かな時も豊かな祝福を受け、息子を授かった。ジョシュア、神は私たちに新しい愛、新しい友、私たちの人生の多くの新しいエリアを授けてくれた。そこで、私たちは喜びに満ち、神に感謝し賛美することができる。神の恵みによって、私たちはもはや一人ではない。」

以前取り上げた『The Talbot Brothers』もそうですが、このような宗教的内容で、『The Talbot Brothers』はワーナーで廃盤になった後、スパロウから再発されていました。

『No Longer Alone』の作風は初期イーグルズに通じるさわやかなウエスト・コースト風カントリー・ロック・アルバムです。この時期のCCMには、当時に人気のあったカントリー・ロックとかカーペンターズ風のサウンドのものが多いようです。

まず、リンドレーが参加している曲から見ていきましょう。B面2曲目の「See The Vision」です。アップテンポのカントリー・ロック・ナンバー。デヴィッド・リンドレー登場です。のっけから、あの音色のフィドルのオブリガードで曲を盛り上げます。素晴らしいですね。間奏のフィドル・ソロも2コーラスたっぷり個性を発揮したナイスなプレイです。

A面1曲目は「Gospel Light」。アップテンポでサビのコーラスも美しく、間奏から入ってくるハーモニカも心地よいです。エレキ・ギターもカントリー・テイストが効いています。アル・パーキンスが弾いているものと思われます。2曲目は「Take a Wife」。ペダル・スティールとバンジョーがいい味を出しているバラードです。しみじみ味わい深い演奏です。3曲目は「Down to the Well」。エレピで始まるマイナー・キーの少しばかりハード・タッチのロック。けれどテリーの声は優しくあたたかく、曲の印象は全然ハードではありません。エレキ・ギターが活躍します。これもアルのプレイでしょうか。4曲目は「Oh Death!」。テヴィッド・リンドレーが在籍したカレイド・スコープに同名曲がありますが、もちろん別曲。アコギとピアノで始まる美しいワルツです。A面ラストは「Behind The Door」。シンプルだけど、とってもいいメロディをもった佳曲です。アコギとエレキによる伴奏にのってテリーがしみじみと歌います。アルバムの中で一番好きかも知れません。

B面1曲目は「The Road」。ダニー・オキーフに同名曲がありますが、こちらも、もちろん別曲です。アコギで伴走するマイナー・キーの物語風の曲です。アコギ2本だけのシンプル演奏ですが、実に”聴かせる”ナンバーです。3曲目「Jesus Man」。タイトルからして、クリスチャン・ミュージックの典型ですね。アコギとピアノが効いたミディアム・バラードです。この曲も、ひねりはないけど素直なメロディが美しいです。エンディングはピアノがフィーチーされていますが、控えめなハモンドやエレキ・ベースもいい味を出しています。ラスト・ナンバー、「No Longer Alone」はタイトル・トラックです。ペダル・スティールとピアノで幕を開けるカントリーっぽい演奏です。優しさあふれる演奏で、テリーの人柄が偲ばれる楽曲です。

アルバムのプロデュースも、全曲の作詞作曲もテリー・タルボット。まさに満を持しての一枚ですね。
ベースにジム・フィールダー、ドラムスにデイヴ・ディッグズ、リード・ギター、ペダル・スティールにアル・パーキンス、ピアノとバック・ボーカルにキース・グリーン、バック・ボーカルにマシュー・ワードとネリー・ワードというメンバープラス、リンドレーで録音されています。自分が不勉強なのですが、アル・パーキンスとリンドレー以外は馴染みのない名前が並びますけど、なかなかどうして、引き締まった演奏を聴かせてくれます。

Various / Rock And Roll Doctor - Lowell George Tribute Album

lowelltribute1979年6月29日、リトル・フィートのローウェル・ジョージはソロ・アルバムのプロモーション・ツアー中、ワシントンDCのホテルで心臓発作を起こし、帰らぬ人となりました。まだ34歳という若さでした。自分はその時中学2年生で、リトル・フィートのことは全く知りませんでした。1983年、デヴィッド・リンドレーのライブを見て、その後彼が表紙に掲載された『ギター・マガジン』誌を買ったのですが、その号にはフィートのポール・バレールがソロ・アルバムをリリースしたことに関する記事が見開き2ページで掲載されていました。それがきっかけで、バレールのソロ・アルバムを購入し、フィートのアルバムも買ってフィートの”沼”にハマっていったわけです。

時は流れ1997年、日本のカイガン・レコードという小さなレーベルがローウェルの死後18年を経て、トリビュート・アルバムをリリースするというニュースが音楽雑誌に掲載されました。参加ミュージシャンは、リトル・フィートはもちろん、ジャクソン・ブラウン、ボニー・レイット、ランディ・ニューマン、ライ・クーダー、デヴィッド・リンドレー、ヴァン・ダイク・パークス、J・D・サウザー、タジ・マハール、アラン・トゥーサンまで…、自分の好きな人達ばかりです。本当にワクワクしながら発売日を待ちました。届いたアルバムの内容はもちろん最高で、現在に至るまで愛聴盤となっています。

アルバムにはローウェルの旧友でファクトリーのメンバーだったマーティン・キビーがライナーを寄せています。日本盤にも訳は掲載されていません。ひねった文章でとっても訳出しにくいですが、トライしてみましょう。

「彼はどこから来たんだ? 前線基地の上からか? ハラーの下からではないよな。南部の国境の下(down below the borderline)からではないよな。彼は悪いサインの下に生まれた(Born Under The Bad Sign)。そう、ハリウッド・サインの下だ。ハリウッド高校からリバティー・レコードまでは少ないステップでたどり着いた。そして街路を横切りオリジナル・サウンドにたどり着いた。しかし、オリジナル・サウンドが届くようにするのは別の問題だ。モーズとレス・マッキャン、チェット・ベイカー、ジェリー・マリガン、黒いレオタードや黒いタートルネックのビート・チキン、ゴヤのガット・ギター、コーヒー・ハウスのフルート・ソロ、唇をあけるのを拒否する小柄なレズビアンとのネッキング、そんなところから彼は来ている。アート・ラボーとジョニー・オーティス・ショウ、ハンブル・ハーヴ、ウルフマン・ジャック・アタック、マルホランドのTJミッドナイト、エルヴィス・プレスリー、コンウェイ・トウィッティ、ハウリン・ウルフとチャック・ベリー、リトル・リチャード、そんなところから彼は来ている。

部屋で仕事をするのはタフだった。こいつらはホンモノだった。彼は、居心地の良い、中上流階級の、戦後ベビーブーマーの、まさに過剰な、ロシアの黒檀と死んだアヒルに埋められたスタッツ・ベアキャットの中で歌われるゴールドウィン・ガールズのコーラス・ラインに親しんだ、白人の少年の一人に過ぎなかった。彼はウォリー・ベリーとビル・フィールズを撃ち、カモノハシ自動車のローブを着た。そして、父のアライグマの毛皮のコートを着て、エロル・フラインから通りを横切り、前線基地へと出て行った。

おかしなことに、また少しばかり皮肉なことに、1997年のクリスマスに東京にたどり着いた。彼と一緒にいつもヒバチでテリヤキを食べていた。MSGの膝まで深さに、東洋の軟膏がどっさりあった。ゴードン・ダナカとヘヴィなオキナワ-テのシャクハチのマスター・クラス。ダウンタンのそんなサムライ映画。梟の城。忍者の黒衣をまとい壁をはいずって登る。自分を軽蔑しながら一筋の絹糸にぶら下がり、ギーが似合うミフネを見本にした。そう、トシロー・ミフネだ。彼はヒューバート・サムリンのギター・ブレイクで重厚感を出している。冷たい目で、武装解除を意味する微笑みで。かつて日本からハリバートンのブリーフケースが到着したとき、パリパリの 100 ドル紙幣がぎっしり詰まっていた。「俺たちは、こいつから音楽がつくれる。」彼は言った。

フラワー・パワーという恐ろしい罠が解き放たれ、彼はカントリー、ブルース、モータウン、ロック、R&Bを融合させ、歌詞には皮肉を込めた。それは確実にシンコペイトするネオン・パークの風刺漫画の意識であり、10年間支払い続けた末に完璧に発明されたものだ。彼の「もの」は、ヒップの枠組みとなり、彼はドクターであり、人種間のリンクであり、最も守られた穏やかなマフィアの秘密であった。そこには、彼の名を決して知らないイミテーターの世代をインスパイアするボトルネックをはめた彼の指があったのだ。

ローウェルはワーナー・ブラザーズ時代、1970年頃のプロモーション用のパッケージでオリジナル・サウンドをつかんだ。ジェイミー・コーエンという名の小僧がハンバーガー・ミッドナイト(Hamburger Midnight)の上に針を落とし、それが彼の人生を変えた。彼のキャリアはワープし、5年間の探求へと前進させた。ナッシュビルの14のレーベルが断った。こいつは一体誰なんだ。今やっている全てのことを発見した奴さ。20年前。気にすることはないさ。ニューヨークで、ホームタウンのハリウッドでさえね。彼らは、とっても冷たかった(Cold, Cold, Cold)。一人のパートナーに別れを告げられた。ミスター・デヴィッド・ヘルファストが乗り込んだ。ロンドン? パリ? アトランティック? アサイラム? いいやトーキョーだ。ミスター・ヒトシ・アダチは味のある男だ。そして、理解する心と聴く耳を持っている。そして確固たるビジョンと100ドル札の詰まったもう一つのブリーフケースを持っている。今回、最初にイエスの回答をし、サインしたのはJ.D・サウザーだった。「われわれは、ここから何かを見出すことができる。」彼は言った。

結局、J・Dはそこにいたことがある。1977年に設立されたサンセット・サウンド・スタジオで頬をよせて(Cheek to Cheek)ボーカルを録音した。ジャクソンもそこにいた。ローウェルとディスコ黙示録(Disco Apocalypse)で仕事をした。彼らは本当にそこで何年も仕事をしたのだ。心配することはない。私はジャクソンのライフ・ストーリーのような一つのサウンドにすぎない(I’ve been the One)。ボニーとローウェル、ヴァレリーとローウェル、ローウェルと誰とでも、リンダとローウェル。彼は変幻自在の食欲の持ち主だった。そして、当時の文化の洗礼の中で、どんなことでも起こり得たし、何だって可能だった。彼は、あらゆる瞬間にその最大の可能性を引き出し、彼が一生の間ありそうもないほど楽しく触れ合ったすべての人々を引っ張っていった。そんな日々があった。私たちがそんな日々を過ごした全ての証拠が、歌やレコードとしてが残されている。それは、彼の長く輝かしいキャリアの序章に過ぎなかったはずだ。そして、それは不朽の遺産であることを証明した。

感謝すべきことに、彼の友達の数人は今だにその遺産を祝福する意思(Willin’)をより強めている。ボニーとジャクソン、ランディ・ニューマン、ヴァン・ダイク・パークス、ライ・クーダー、クリス・ヒルマン、タジ・マハール、ウィリー・ネルソンとエミルー・ハリス、デヴィッド・リンドレー、ボトルロケッツ、アラン・トゥーサンとレオ・ノセンテリ、メリー・クレイトン、フィル・ペリー、ショーン・マーフィとフィート。アイラ・イングバーとJ.D・サウザー、アイラとケイスケ・クワタ、ザ・ブッザ・ブッダヘッズ(彼がよく使っていた表現だ)、クラレンス・クレモンズとエディ・マネー、このアルバムに参加してくれた多くの人たち。そして、参加できなかった人たちも。結局、これが全てではない。それは合法的なクリニックに過ぎない。そして、もちろんデヴィッド・ヘルファスト弁護士の忍耐と事務処理無くしては実現できなかった。ローウェルはここにいるべきだった。とりわけイナラと彼女とヴァン・ダイク・パークスの宝石箱のために。RKO映画のエンディングで歌われる子守唄をリズは彼女に歌った。それはどんな風だったろう。すでに20年前のことだ。   マーティン・キビー」

最初の方、特に読みにくいですね。自分にもう少し技量があれば、もっと上手く訳せたと思うのですが、ご容赦ください。もちろん( )の中は、フィートの曲名です。キビーが上手に文章に織り込んでいます。なぜかジャクソンの曲も1曲ありますが。それと、収録されていないウィリー・ネルソンとエミルー・ハリスの名前がここにある理由は、すぐ後に記します。

アルバムのカバーは、この時すでに世を去っていたネオン・パーク。彼は大阪の情報誌『プレイガイド・ジャーナル』の表紙をしばらく手がけていたことがあり、その時のものを流用したのではないかと思うのですが。

発起人は上記のようにカイガン・レコードの足立仁志氏です。彼のホームページ(https://www.hitoshiadachi.rocks)のblogのコーナーに、このアルバムを制作した当時のことが少し触れられています。Executive Producerとして、足立氏ともに名前のあるデヴィッド A. ヘルファントと足立氏は友人同士で、この企画を一緒に進めたんだそうです。また、『ギター・マガジン』1997年3月号には、このアルバムに参加した複数のギタリストのインタビューが掲載されていますが、アイラ・イングバーやレオ・ノセンテリは参加のきっかけとしてジェイミー・コーエンから声をかけられたと応えています。ジェイミーもExecutive Producerの一人です。

収録曲は全13曲、選曲は最高なのですけど、曲目を一瞥してすぐに気がつくのは、ローウェルの代表作「Dixie Chicken」と「Willin’」が両方とも入っていないということです。これは「あえて」外したのかもしれないなぁと思っていましたが、足立氏は上のblogで、「Willin’」は、なんとウィリー・ネルソンとエミルー・ハリスで録音したと書いてあります。けれども「ちょっとした問題」で収録できなかったとのこと。なんとも残念な話です。そのバージョンはどこかで聴けるのでしょうかねぇ。

冒頭に入っているのはボニー・レイットとリトル・フィートの共演「Cold Cold Cold」。これ以上はない組み合わせで幕開けですね。リッチーの”あの”ドラムのフィル・インで始まり、引きずるような思いリズムに乗せてボニーの少しハスキーな歌声が「Cold Cold Cold」と歌い始めます。ボトルネック・ギターはボニーとポール・バレール。最高の”つかみ”でアルバムがスタートします。

2曲目は、フィートのライブでは大抵ラストに演奏される代表曲のひとつ「Feets Din’t Fail Me Now」です。歌っているのはタジ・マハール。当時の彼のバンドがバックを担当し、ホーン・セクションも入って大いに盛り上がる演奏です。そして曲のプロデュースも手掛けるバンドのギタリスト、ジョン・ポーターがローウェルばりの伸びやかなボトルネックを弾いています。

3曲目がJ.D・サウザーによる「Roll Um Easy」です。ドラムスはJ.D自身、ギターはJ.Dとアイラ・イングバー。ボトルネックはアイラが弾いています。アイラ・イングバーとは、フィート・ファンにはおなじみのマザーズ・オブ・インベンションのギタリスト、エリオット・イングバーの弟で自身もギタリストとしてボブ・ディラン、リタ・クーリッジはじめ多くのセッションで活躍している人物です。彼はこのアルバムでかなり重要な役割を担っており、この曲でもJ.Dとともにプロデュースも担当しています。コーラスはカーラ・ボノフ、ケニー・エドワーズのブリンドル組とJ.D自身です。アレンジはフィートのものに比較的忠実で、J.Dの少しハスキーな声が意外に曲にマッチしています。そういえば、J.Dの『Black Rose』では、ローウェルが1曲渋いボトルネックを弾いていましたっけね。逆にJ.Dはローウェルのソロ・アルバムにコーラスで参加しています。

4曲目は、ボトル・ロケッツとデヴィッド・リンドレーによる「Rockt In My Pocket」です。これはかなり気に入りました。ボトル・ロケッツのことは今でも全く知らないのですが、この頃は生きのよさそうな新進バンドでした。彼らの演奏にリンドレーが参加し、縦横無尽に伸びやかなエレクトリック・ラップスティールを弾きまくっています。エンディングでは一部オーバーダブまで試みる熱の入れようです。リンドレーは『ギター・マガジン』1997年3月号のインタビューで、このアルバムでジャクソン・ブラウンとの共演が決まったあと、この曲をプロデュースしたロス・ホーガスからオファーを受けたと語っています。それまでボトル・ロケッツとは交流はなかったようですが、ホーガスから受け取ったテープを聞いて気に入り、参加を決めたようです。リンドレーはこの曲について次のように語っています。「ただ、あの曲を演奏するのは私にとって大変な作業だった。とにかく独特な雰囲気を持った曲だからね。バンドの音がタイトに決まってないと曲が台無しになってしまう。でも結果的にリトル・フィートはは違う解釈に仕上がったと満足しているよ。」「(この曲では)原曲を頭から追い払って、自分が普段弾いているのと同じスタイルで弾いた。もちろんローウェルの演奏を尊重しながらね。」すなわち、ローウェルに敬意を払いながらも、自身独自の解釈でスライドを弾いたわけで、その試みは大成功だと思います。このアルバムの中にはローウェルのプレイに寄せたスライドも多く聞かれ、それはそれで良いのですが、もう一歩踏み込んで曲の良さを生かしながら、プレイヤー独自のフレーズを盛り込む方が本当の”トリビュート”になるような気がするのです。

5曲目は、ランディ・ニューマンとヴァレリー・カーターによる「Sailin’ Shoes」です。ちょっと不気味な雰囲気を持っているこの曲はニューマンに最適です。2番はヴァレリーが伸びやかな歌声を披露、サビのコーラスはヴァレリーの多重録音です。3番ヴァース前半はランディ、後半はヴァレリー、サビは一緒に歌います。この曲のプロデュースは当時ジャクソン・ブラウン・バンドに在籍していたマーク・ゴールデンバーグ。同じくジャクソン・バンドのケヴィン・マコーミックがアコとエレキの2本のベースをダビングしています。ゴールデンバーグはスライドも含むギターのほか、プログラミング・キーボードでベーシック・トラックを作成しています。ランディ・ニューマン自身は歌に専念しピアノも弾いていません。

6曲目にジャクソン・ブラウンが登場します。本人がプロデュース。当時のジャクソン・バンドにリンドレーを加えた形でのレコーディングです。曲はフィートのファーストに収録されているあまり目立たないバラードですが、自分は最初に聴いたときから気に入っていた曲でもあります。デヴィッド・リンドレーは上記のインタビューでジャクソンからこのアルバムへの参加をオファーされた時、「ジャクソンが渋い選曲リストを作ってきて、”誰も知らないような曲をやろうぜ”って言ってきたんだよ。」と発言しています。また彼は「”I’ve Been The One”では多少ローウェルに似たスタイルのスライドをプレイした」と語ってはいますが、この曲は完全にジャクソン・ブラウンとデヴィッド・リンドレーのカラーに染まっており、ジャクソンのオリジナルと言われても何ら違和感がないくらいです。しかも、歌のスライドの絡みもまるで1970年代の彼らの演奏のよう。ジャクソンの歌声に重なるリンドレーのスライドの妙味が見事に再現されています。

7曲目はアラン・トゥーサンとリオ・ノセンテリによる「Two Trains」です。1番をアラン、2番をリオ、3番ヴァースの前半をアラン、後半をリオが歌い、サビからエンディングはリオ中心です。2番の後の間奏はもちろんリオのギター・ソロですがスライドを使わず、リオらしいギターフレーズを聞かせます。もちろんピアノはアラン・トゥーサン本人が弾いています。上記のインタビューでリオは「最初は”Dixie Chicken”をやろうと思っていたんだが、アランと一緒に曲を選んでいて、なぜか”Two Trains”を聞いた時二人とも”これだ!”と思ったんだ。(中略)”Two Trains”は曲の良さを失わずにアレンジできそうだった。」と応えています。確かにリオのカッティングもきまっていますし、歌もいい感じですよね。アラン・トゥーサンはこの曲のアレンジを気に入ったようで、一時はライブのレパートリーにしていました。

8曲目は、桑田圭祐が歌う「Long Distance Love」です。サザン・オールスターズの桑田氏は実は大のフィート・ファン。彼らのファースト・アルバムには本人がボトルネック・ギターをバリバリ弾いている「いとしのフィート」という曲があるくらいです。足立氏のblogで、この企画でカイガン・レコード側からせっかくの日本制作なので、日本のミュージシャンも入れたいと、桑田氏にアプローチしたところ、忙しい人なので難しいかと思っていたら、トントン拍子に話が進んだそうです。クレジットを見ると、プロデュースとギターがアイラ・イングバー、ロサンゼルスのマスルトーン・スタジオで録音しているようで、桑田氏が渡米して録音に臨んだようです。しかも、コーラスで、あの「Gimmie Shelter」のメリー・クレイトン、その弟でリトル・フィートのサム・クレイトンも参加しています。アイラのボトルネックは、ローウェルのプレイを比較的忠実になぞっているようです。桑田さん、なかなかいい声で歌っていますが、憧れのローウェルのトリビュートに参加できて嬉しかったんじゃないかと思います。

9曲目は、エディ・マネーとブッダヘッズの「Rockn’ Roll Doctor」です。ブッダヘッズは日系三世のアラン・ミリキタニ率いるロサンゼルスのブルース・ロック・バンド。日本ではCharが経営に関わった江戸屋レコードからアルバムを発売しており、その後、カイガン・レコードに移籍しています。もちろん、アメリカでもCDを発売し精力的に活動していたようですが、2015年にミリキタニが心臓発作で60歳の若さで急逝してしまい、現在は活動していないようです。エディ・マネーについても昨年10月の記事で触れた通り、2019年に70歳で亡くなっていますが、彼も実力派のロック・シンガーでした。原曲より心持ち速めのビートですが、迫力のある心地よい演奏です。サックスには、Eストリート・バンドのクラレンス・クレモンズも参加していてクレジットもありますが、どこで吹いているのか今一つわかりません。ミリキタニはボトルネックではなく、比較的速いパッセージのブルーズ・ギターでローウェルにトリビュートしています。

10曲目は、クリス・ヒルマンとジェニファー・ウォーンズによる「Straight From The Heart」です。この曲が最も原局からかけ離れたアレンジになっています。原局では複数のギターがリズムを刻む16ビートのファンキーなロック・ナンバーでしたが、彼らはこの曲を8ビートの爽やかなカントリー・ロックに改作しています。アコギのゆったりとしたストロークに乗せてペダル・スティールも聞こえてきます。クリスが主旋律を歌い、ほぼ全編でジェニファーが上をハモるというパターンもカントリー・マナーですね。プロデュースはハーブ・ペダーセン、ペダル・スティールはJ.D・マネス、リード・ギターはジョン・ジョルジソンです。

11曲目は、リトル・フィートによる「Honest Man」、リード・ヴォーカルはショーン・マーフィです。この曲はローウェルとフレッド・タケットの共作で、ローウェルのソロ作『Thanks I’ll Eat It Here』に収録されています。フィートがローウェルのソロ作をカバーしたわけですが、ショーンがバンドを脱退した後でも、フィートの重要なレパートリーとしてフレッドがボーカルをとって演奏されています。『Thanks I’ll Eat It Here』ではタケットが重要な役割を果たしているし、同年の『Down On The Farm』にもタケットの共作曲があったりギターで参加していたりと、すでに準メンバー的な扱いだったように思います。1988年の再結成に彼が加入するのは順当だし、こういったローウェルとの共作曲が再演されるのも嬉しいですね。ここでのショーンのボーカルも素晴らしいです。

12曲目は、ソウル・シンガーのフィル・ペリー、メリー・クレイトン、リッキー・ロウソンによる「Spanish Moon」です。フィル・ペリーのことは全然知らなかったのですが、とてつもなく上手いシンガーですね。リー・リトナーやデイヴ・グルーシンといったフュージョン界の人たちとも交流があるようで、ドラマーのリッキー・ロウソンもそっちの畑の方みたいです。もともとファンキーな曲ですが、より現代的なファンキー・ソウル・アレンジになっています。

ラスト、13曲目がローウェルの遺児イナラによる「Trouble」です。なんといってもこの一曲が最高です。彼女は1974年生まれ、ローウェルが亡くなったとき5歳、このアルバムの発表時は23歳でした。もう、彼女のちょっとアンニュイだけれど細やかなニュアンスを伝える表現力あるボーカル・スタイルは確立されています。イントロはヴァン・ダイク・パークスのピアノとライ・クーダーのアクースティック・ギターで始まり、ライが実に彼らしいソロを弾いていますが、あえてボトルネックは使っていません。ローウェルのアレンジも素晴らしかったですが、二人は全く違う解釈で、それでいて原曲の良さ、雰囲気を壊さない見事なアレンジを施しています。さらにあまり出しゃばることのないストリングスの雰囲気もヴァン・ダイクらしいオーケストレーションです。ライのリリカルなアコギは、どんな曲でも個性が光っていますが、ここでのプレイは近年でピカイチだと思います。後半にはマンドリンをオーバー・ダビングしていますが、このプレイもまたセンス抜群です。二人が友人の遺児の成長に目を細めながらプレイしている様子が伝わってくるかのような、あったかい演奏です。

最後の最後、14曲目にローウェルの短い「言葉」が収録されています。

このアルバムがリリースされてから、26年という月日が経ってしまいました。その間に参加ミュージシャンもたくさん鬼籍に入っていますね。フィートではリッチーとポール、アラン・トゥーサン、デヴィッド・リンドレー、ヴァレリー・カーター、エディ・マネー、アラン・ミリキタニ、クラレンス・クレモンズ…。
欲をいえば、リンダ・ロンシュタット、ロバート・パーマー、トム・スノウ、グレイトフル・デッドといったローウェルと関わりの深かったミュージシャンにも参加してほしかったかなとも思うのですが、日本の小さなレーベルがこれほどの著名ミュージシャンを集めたアルバムをリリースしたこと自体が大いに驚きで、また、ちょっと誇らしい気持ちになりました。フィート・ファンなら大抵持っていると思いますが、フィートを知らない人も、ここに参加しているスター・プレイヤーたちの誰か一人でも馴染みがあれば、ぜひ耳にしてほしいと思うのです。このアルバムをきっかけに、多くの人に本家フィートの魅力が伝わればいいなぁと思っています。

The Talbot Brothers / The Talbot Brothers

talbotbrothersタルボット・ブラザーズ唯一のアルバムです。このアルバムもすでにレビューしたものとばかり思っていたのですが、すっかり忘れていました。この歳になるともの忘れや思い込みが激しくなっていけません。

今回の主役、タルボット・ブラザーズは、テリーと、ジョン・マイケルのタルボット兄弟からなるデュオ・チームですが、二人とも、もともとは1969年に結成されたカントリー・ロック・バンド、メイソン・プロフィット出身です。二人はオクラホマ・シティのメソジストの家系に生まれましたが、楽器も得意だったジョン・マイケルはわずか15歳でメイソン・プロフィットに参加しています。バンドは73年まで5枚のアルバムをリリースしていますが、その年にバンドは解散。タルボット兄弟が1974年にワーナー・ブラザーズから発表したのがこのアルバムです。

プロデュースはスティーヴン・スティルスのアルバムなどを手がけているエンジニアのビル・ハルヴァーソン、参加ミュージシャンも豪華でドラムがラス・カンケル、ベースがリー・スクラーとセクションのリズム隊です。兄弟はギターやバンジョーの名手ですが、ギターでドニー・デイカスやランディ・スクラッグス、ペダル・スティールでスニーキー・ピート、ドブロでジョッシュ・グレイヴスらが参加しています。また、ピアノでジョン・ジェイヴィス、ピアノとハーモニカでクリーパー・カーナウの名前もあります。大半の曲は兄弟のどちらか、あるいは二人の共作ですが、2曲カバーがあり、1曲はリトル・フィート、もう1曲はリー・クレイトンのナンバーです。

デヴィッド・リンドレーが参加しているのはA面5曲目の「Trail of Tears」1曲のみです。CSNを思わせる開放弦を使ったフィンガー・スタイルのアクースティック・ギターで幕を開ける、少しばかり幻想的な雰囲気もある佳曲です。リンドレーの楽器はハワイアン・ギターと記載されているので、ワイゼンボーンを用いての演奏です。間奏から登場し、エンディングでも彼以外には表現不可能な美しいソロを弾いています。エンディングでのプレイがより長いですが、間奏共々見事な演奏です。リンドレーは前年のマリア・マルダーのファースト収録の「Any Old Time」や翌年のC&Nの『Wind On The Water』での「Naked In The Rain」でワイゼンボーンを用いていましたが、比較するとこの曲ではソロの時間も長くグッと目立っています。もっとも、このころのジャクソン・ブラウンとの二人だけのライブでは曲によってはワイゼンボーンを駆使しているけれど、オフィシャルな音源としては出ていませんよね。リンドレーのワイゼンボーンを堪能できるオフィシャルな音源としては最も古いものの一つでしょう。

さて、他の曲も見ていきましょう。

冒頭はリトル・フィートのカバー「Easy To Slip」。この曲でのドニー・デイカスのボトルネック・ギターはリンドレーばりにかっこよくてナイスなカバーです。間奏ではバンジョーとの掛け合いも出てきます。2曲目のタイトルは「Comin’ Home To Jesus」。兄弟はこのアルバムのあと、クリスチャン・ミュージックの専門リーベルとして知られるスパロウ・レコードから、それぞれソロ・アルバムを発表するのですが、このアルバムでもその片鱗があらわれています。なんでも、このアルバム、のちにそのスパロウから『Reborn』と題名を変えて再発されているので、アルバム全体を「宗教音楽」として解釈できる内容なのかもしれませんね。「Comin’ Home To Jesus」はバンジョーのバッキングにドブロも入って、かなりカントリー色が強くなります。3曲目「In My Dream」はバラードですが、2本のアクースティック・ギターの響きと二人のハーモニーがとても美しいナンバーです。4曲目「And The Time」はスニーキー・ピートのペダル・スティールが活躍する典型的なカントリー・ロック・ナンバー。心地よいミディアム・テンポの演奏です。

B面1曲目「Over Jordan」も透明感のあるミディアムのカントリー・ロック・ナンバーです。二人のハーモニーとアコギのオブリガードが実に心地よいです。この曲もタイトルからしてクリスチャン・ミュージックのようですね。2曲目「Moline Truckin’」はジョッシュ・グレイヴスのドブロとランディ・スクラッグスのギター、そしてクリーパー・カーナウのハーモニカをフィーチャーしています。最初はゆったりとブルージーに始まるけれど、だんだんテンポが上がってブルーグラスみたいになる面白いアレンジです。3曲目「Come And Gone」がとってもいい感じのバラード。ジョンのちょっと気だるいボーカルもいいけれど、2本のアコギが絡み合うアレンジも秀逸です。ハーモニウムみたいに聞こえるサウンドはハーモニカでやってるのも驚きです。4曲目「Over Again」も実に爽やかなアップテンポのナンバー。ここでもスニーキーが活躍しています。5曲目「Carnival Balloon」はリー・クレイトンのソロ・アルバムに収録されていたナンバーです。このアルバムの中では最もロック色の強い演奏です。ジョン・ジェイヴィスのピアノとドニー・デイカスのエレキ・ギター、そしてクリーパーのハーモニカがそれぞれいい味を出しています。ラストの「Hear You Callin’」は、穏やかなバラードです。兄弟のハーモニーとアコギの響きが美しく、余韻を残してアルバムは終わります。

二人は、このアルバムを制作した後、1976年に設立されたクリスチャン・ミュージックに特化したレーベル、”スパロウ”に移り、それぞれソロ・アルバムをリリースします。特に弟のジョン・マイケルはスパロウで最も売れたミュージシャンとして成功しました。彼はカトリックに改宗して多くの音楽作品とともに宗教に関する著書も手がけています。さらに修道院まで設立しています。兄のテリーの方は、ジョン・マイケルほどの成功は得られませんでしたが、スパロウから1976年と1977年にリリースした2枚のソロにはデヴィッド・リンドレーが参加していますので、近いうちにレビューしたいと思います。また、1980年頃の兄弟のデュオ・アルバムもあるようですね。

このアルバムはちょっと宗教色が強いですが、サウンド的にはCSN&Yに影響を受けた極上のカントリー・ロックです。特に兄弟の弾くアクースティック楽器と二人のコーラスのとけあい方がすばらしいと思います。一方、のちにスティーヴン・スティルスのバンドに加入する腕利きギタリスト、ドニー・デイカスのエレクトリック・ギターをフィーチャーしたリトル・フィートとリー・クレイトンという2曲のカバー曲は、アルバムの全体的な方向性とは異なっているのですが、アルバムの印象を引き締める役割を果たしています。ホント、いいアルバムです。

Last Man Standing / Music by Ry Cooder

lsatmanstandingこの映画は、1961年の黒澤明監督の『用心棒』のリメイクで、その舞台を禁酒法時代のメキシコ国境に近いテキサスの小さな町に置き換えたものです。『用心棒』の翻案というと、マカロニ・ウエスタンの元祖とも言われる1964年のクリント・イーストウッド主演映画『荒野の用心棒』が有名ですが、それから32年を経た1996年、ウォルター・ヒルが世に問うたのがこの作品なのです。

この映画の音楽は、当初『荒野の七人』のスコアを書いた映画音楽の巨匠エルマー・バーンスタインに依頼されました。しかし、監督の意図が十分に伝わっていなかったのか、ウォルター・ヒルは音楽を全面的に差し替えることにしました。このことを聞いたエルマーは大変立腹したそうです。しかし、音楽の大半は出来上がっていたため、埋もれさせるのはもったいないと、『Music Inspired By The Film : Last Man Standing』と題されるアルバムがリリースされています。当然のことながらオーケストラ中心のその音楽は、ここで聴かれるものとは全く趣を異にしています。そして1996年の映画音楽としてはあまりにも古色蒼然としたサウンドです。

そこで白羽の矢が立ったのは、ウォルター・ヒルの盟友にして長年の付き合いとなるライ・クーダーでした。

「私はライ・クーダーに”黒澤映画を1930年代のギャング・スターの時代に当てはめたいんだ。”と言った。”場所は中西部(テキサス)のどこか、三文小説やコミック、フィルムノワールや時代小説から借りてきた技法を偽装された西部劇に入れ込んだ映画を作りたい。”と語った。私はまた”文字通りの賛美歌をアメリカのタフ・ガイのフィクションの伝統にすることを意味する”とも付け加えた。ライは、"全てOKだ。”と言った。彼は9曲のスコアを書いた。これは最高傑作の一つだと思った。」とは、このサントラ盤に寄せたウォルター・ヒルの言葉です。

ライ・クーダーは、『ギター・マガジン』誌1997年7月号で、このサントラのレコーディィングについて詳しく説明しています。

「確かに『用心棒』の音楽は、ポスト・アトミック・エイジのクラシック的なジャパニーズ・ビバップに聞こえるはずだ。つまり『用心棒』のスコアを書いた男は天才だということ。彼はあの時代…終戦後の日本にいて、たくさんのものを取り込めたんだ。黒澤映画の音楽は怖いよ。時代が詰まっているし、本当にひっくり返る。僕にとっては『用心棒』だね。ヘンリー・マンシーニとか他の連中より先なんだ。あの男が打ち立てたんだ。とんでもない作品をね。ウォルターは僕にこう言ったよ。”無理かい?” 僕は答えた”時間をくれないか。僕はクラシックの教育を受けた1952年の折衷主義的な日本の天才作曲家じゃないんだから”(実際には1961年) “わかった。あんな感じでやってくれ” “ああ。連日この死ぬほど険しい山を登るんだね。”」

ウォルターとのやりとりについて、ライは上記のように語っています。

このサントラの制作では、当時20歳にもなっていなかった息子のホアキムに初めてドラムスとパーカッションを全面的に任せました。前年に共にキューバに赴き、一段とその腕前をあげたことを確認したからでしょうか、サントラにおいても長年の相棒であったジム・ケルトナーの名前はここにはありません。そして、このサントラからしばらくの間ライに付き合うことになる重要人物が、リック・コックスです。この方、いわゆるマルチ・ミュージシャンです。シンセサイザー、管楽器、ベース、ビブラフォンまでこなし、他の二人とともに多重録音によって分厚いサウンドを作り上げています。サントラの録音は一部を除き、この3人によって録音されています。ゲスト・ミュージシャンは、バンブー・フルートのパドマスリ・ラマーニ、ソーナップ・フルートのドン・キム、パーカッションでP. SrinivasanとMadjid Khaladjという国際色豊かな4人です。

日本映画の『用心棒』の音楽にインスパイアされた音を探して、3人とウォルター・ヒルは試行錯誤し、ベース・サックスを使うことを思いつきます。このサントラに繰り返し使われるテーマの強烈なサウンドは、ベース・サックスと少し歪ませたフロア・スライドという低音楽器を中心に構成されています。ここで思い起こされるのは、2018年の『The Prodigal Son』のツアーでライは管楽器奏者のサム・ゲンデルを起用し、彼のメイン楽器をベース・サックスとしていたことです。ベース・サックスはロック・バンドで使われることは滅多にないのですが、ライはこのサントラでその可能性を強く認識したのでしょう。

ちなみに『用心棒』には明らかにキューバ音楽に影響を受けたと思われる曲も入っているけれども、そのあたりはあえて追求せず、1930年代、禁酒法時代のテキサスという映画の舞台を意識した音楽づくりをしています。

映画のエンドロールにサウンド・トラックで演奏した上記3人のクレジットが出た後、以下のクレジットが登場します。

「How Long How Long Blues」 Written by Leroy Carr, Performed by Ry Cooder
「You Got To Reap What You Sow」 Written by Leroy Carr, Performed by Ry Cooder
「Denver Blues」 Written by Whittaker Hudson, Performed by Ry Cooder
「Boogaboo」 Written by Ferdinand Joseph Morton, Performed by Jelly Roll Morton
「Fiesta Yaqui」 Performed by Kasha-Nacza
「Toraldo e Dorliska」Written by Rossini, Performed by Swiss-Italian Radio-Television Orchestra And Chorus
「Bumble Bee Blues」 Written by Minnie McCoy, Performed by Ry Cooder

以上の曲は、ほとんどサントラに収められていると思うのですが、サントラでは全て映画のシーンや登場人物がタイトルになっているので、古い曲の翻案の場合、本当の曲名が記されていないのです。しかし、エンドロールにこうしてクレジットを出してくれているおかげで、彼らが作曲したもの以外の原曲を知ることができました。まずブルーズ・ナンバーを見ていくと、リロイ・カーが2曲、タンパ・レッドが1曲と1920〜30年代のシティ・ブルーズが3曲取り上げられていることが目を惹きます。この映画には黒人は全然出てこないのですが、当時流行し、ラジオで流れたり街角で演奏されていたであろうブルーズを取り上げ、寂寥感の演出に役立てています。 そのほかは、ジェリー・ロール・モートンが1曲、ネイティブ・アメリカンによるバンブー・フルートの曲が1曲、ロッシーニのオペラ曲が1曲、そしてメンフィス・ミニーのブルーズが1曲となっています。Written by Minnie McCoyとありますが、マッコイというのはメンフィス・ミニーの二番目の夫で、この曲を書いたときのクレジットなのでしょう。

ウォルター・ヒルは映画作成上の「仮サントラ」とでも言うべきものに、タンパ・レッドの曲を当てはめていました。それを聴いたライは、友人からナショナルのリゾネーター・ギターを借りてきてタンパ・レッドの曲を録音したわけです。ライはインタビューで”金属的な音が好みではないので、リゾネーター・ギターは持っていない”という意味の発言をしていました。レコーディングでもマーティンD-45やコナ・ブランドのワイゼンボーンなど木製のギターでアクースティックのボトルネック奏法を録音したり、ステージで披露してきましたが、今回必要に迫られリゾネーター・ギターで録音に臨んだわけですね。

アルバムには26曲という多量の曲が入っています。演奏時間は60分弱。CDが十分普及していなかった1986年までのサントラでは、12曲程度の曲数でしたが、90年の『Johnny Handsome』で15曲に増え、93年の『Geronimo』では17曲と、CD時代を反映した曲数となっています。全曲、ライ・クーダーのペン、となっていますが、上記の曲の一部は下の曲の中に紛れ込んでいます。

#1. 「Lastman Standing」、歪ませたフロア・スライドとベース・サックスが特徴的なテーマ曲です。力強いナンバーでホアキムのパーカッションも迫力あるプレイです。フロア・スライドとベース・サックスという低音楽器のサウンドを重ねることで、全く新しいサウンドが生み出されています。実験的精神を失わないライの音楽探求の賜物でしょう。

#2.「Wanda」、不気味さを演出する曲です。”ワンダ”は、最初に主人公のジョン・スミスが狙われた時、一緒にいた娼婦の名です。サントラ収録の曲名はおよそ映画に登場する順番になっており、曲名を解説していくと、自然と”あらすじ”の紹介になってしまいそうなので、ここではあまり曲名の意味を説明しないようにします。後段に”あらすじ”と、どの場面でどんな曲が流れたか、解説していきたいと思います。ゴングを含めたホワキンのパーカッションが打ち鳴らされた後、シンセによるストリングス的な演奏になりますが、和音はテンションを含んで不気味な雰囲気を保っています。後段はさらにライのアコギとエレキを交錯させてアンビエントで不安感を煽るサウンドを形作っています。

#3.「Jericho Blues」、主人公がルーシーと会う場面、そしてワンダと会う場面でも使われるナンバーです。曲名にブルーズとつきますが、軽快なジャズ・ブルーズっぽい演奏。”ジェリコ”はこの物語の舞台となるテキサスの架空の町の名前です。 ライはアコーディオンとエレクトリック・ボトルネック・ギター、リック・コックスはベースとホーン2本をダビングしており、ホアキムのパーカッションがリズムを引き締めています。ライのギターはクリーン・トーンで伸びやかなプレイ。クーダー・キャスターが活躍しています。

#4.「Mexican Highjack」、ライのノンスライドのエレキ・ギターが短調のメロディを紡ぎ、シンセはストリングス始め様々なサウンドを奏でます。パーカッションもフリースタイルで曲に参加、短い曲ですが、シーンの重要な展開を演出しています。

#5.「Just Between You And Me」、シンセが活躍しますが、ライのギターも不気味なコードを弾き、不安感をかきたてます。フロア・スライドも静かに唸り声をあげています。やはりアンビエントな演奏ですが、後半は戦闘シーンのBGMでしょうかドラマティックな展開になります。

#6.「Hicky’s Back」、前半リゾネーター・ギターで弾かれるボトルネック・ソロのブルーズがごく短い間流れ、すぐさまシンセ中心のサウンドに切り替わります。曲はメンフィス・ミニーの「Bumble Bee Blues」でしょう。メンフィス・ジャグ・バンドと一緒にやっているバージョンではなく、カンサス・ジョーがギターを引いている「New Bumble Bee」の方を参考にているようですが、ライはボトルネック奏法に置き換えています。後段シンセがおどろおどろしいサウンドを聴かせます。ヒッキーは極悪な登場人物。主人公の敵役ですが、その不気味さを表現しています。

#7.「Gorgio Leaves Town」、この曲には、ライは参加しているのでしょうか。ごく短い曲でシンセによるストリングスっぽいサウンドを聴くことができますが、やはり不安感を演出する演奏。後段、ウッドベースのピチカートも入っているようです。

#8.「Felina」、フェリーナは、やはり物語で重要な役割を果たすネイティブ・アメリカンの血をひくメキシコの女性です。ディレイをかけたバンブー・フルートの幻想的なサウンドに、ハンマー・ダルシマーが重なります。シンセのサンプリングでなければ、ライがダルシマーを弾いているのかもしれません。バンブー・フルートをプレイしているのはゲストのパドマスリ・ラマーニです。また、ドン・キムもここでプレイしていると思われます。

#9.「We’re Quits / This is Hickey」、出だしはエレキ・ギター2本以上をオーバーダビングしています。「Mexican Highjack」と同じメロディのギター・ソロが主役ですが、途中から心臓の鼓動のような歪んだフロア・スライドが入って、曲の雰囲気が変わります。シンセも不思議な和音を奏でています。単音のピアノやトレモロのかかったエレピも入っていますが、これはライが弾いているのかもしれません。後段、歪んだエレキも顔を出し、曲が”This is Hickey”となって不気味さが演出されます。

#10.「Church / Ranger Tom Pickett」、遠くで聞こえるネイティブ・アメリカンのホイッスルの音色が続いている中、美しいメロディのアコギのインスト曲が始まります。映画『Geronimo』ではガット・ギターで「La Visita」と題して演奏されていました。ここでは鉄弦のアコギで演奏されています。後半エレキ・ギターもダビングされているし、シンセも被ってきますが、前半の曲「Church」の主役はあくまでライのアコギ・ソロです。後半の「Ranger Tom Pickett」は、ギターが聞こえなくなり、シンセがストリングス的に使われている曲です。ピチカートみたいな音は生楽器でしょうか、それともシンセでしょうか。

#11.「5 Mile Road」、ゴングなどのパーカッションと、シンセ、フロア・スライドが奏でるアンビエントな始まり方をしますが、緊張感あふれるシーンで使われているのでしょう。ピアノや歪んだギターが、不安だらけの心情を表し、せわしないパーカッションがさらに不安をかきたてています。

#12.「Jericho Two-Step」、唯一ライ・クーダーのボーカルを聴くことができます。しかし、かなりオフ気味でラジオトーンです。歌詞もはっきり聞き取れません。ホーンやビブラフォンも入って、戦前のジャズブルーズを彷彿とさせる演奏です。イントロやエンディングではライのアコギによるノン・スライドのフレーズを聞くこともできます。また後半にはマンドラもオーバーダビングされています。きっと元歌があるはずですが、エンドロールに出てくる”Performed by Ry Cooder”と書かれている4曲には該当はありません。先のインタビューでも”Jericho Two Stepという面白い曲も入っていますが”と水を向けられ、ライは”ああ、昔の歌だね”と応え”ジョニー・ドッズとブラインド・ブレイクのようですね。”と聞かれて”まさに”と応えています。

#13.「Smoke Bath / Girl Upstairs?」、「Felina」と同じネイティブ・アメリカンのホイッスルが少し流れた後、歪んだフロアスライドが大音量リズムを刻み、アコギが重なって不安感をかもし出します。この曲も劇的なシーンで使われたものです。2分ほどの短い曲です。

#14.「Felina Drives」、ハンマー・ダルシマーのサウンドと、リヴァーヴがたっぷりかかったライのギターのアルペジオ、そしてシンセで奏でられます。後半はシンセだけになったかと思ったらフロア・スライドのサウンドで締められます。1分半ほどの短い曲です。

#15.「Gotta Get Her Back」、この曲はリック・コックスが主役、シンセとヴィブラホーンで静かながら不気味な雰囲気を演出しています。後半は壮大なオーケストラ風の演奏になりますが、シンセでの演奏です。この曲も2分ほどの短い演奏です。

#16.「Lucy’s Ear」、リゾネーター・ギターで奏でられるインストに、後半シンセが被ってきます。おそらく、この曲はリロイ・カーの「How Long How Long Blues」をボトルネック・ギターのインストに置き換えたものでしょう。ルーシーも重要な登場人物で、主人公が一時身を寄せるギャング、ストロッジの情婦という設定です。さびれた酒場にいる主人公の所にルーシーが訪ねてくるシーンで使われています。ライのボトルネックが冴え渡っています。

#17.「Bathtub」、ビブラフォンとベース・サックスで奏でられる1分ほどの短い曲。リック・コックスのプレイですが、珍しくシンセは使っていません。演奏にライは不参加です。

#18.「Where’s The Girl」、ヴァイオリンのような音色のシンセで始まります。ベース・サックスやパーカッションも入って、フリーテンポの演奏が繰り広げられます。こちらも演奏にライは不参加です。

#19.「Find Him」、「女はどこだ?」「奴を探せ」。まさにサスペンス映画らしいタイトルが続きます。シンセ、トランペット、ベース・サックス、パーカッション、そしてピアノがドキドキするシーンをリアルに演出しています。ライが演奏に参加しているとすればピアノでしょうか。

#20.「Icebox / Drive To Slim’s /Slim’s On Fire」、この曲はスティディナリズム。ガムランのような音色に乗って、フロア・スライドやエレキ・ギターの脚色もありますが、メロはベース・サックスが奏でます。後半、パイプオルガンのようなシンセのサウンドに乗せて、高音のエレクトリック・ボトルネック・ギターが聴こえてきますが、まさに効果音に徹した演奏です。「Slim’s On Fire」の部分はシンセのみによる荘重な演奏です。

#21.「Hideout」、前曲から途切れなく続くシンセ・サウンドに乗せて、ライのアンビエントなノン・スライドのエレキ・ギターがいい味を出しています。1分に満たない小品です。

#22.「This Town Is Finished」、ライが弾くリゾネーター・ギターによるブルーズです。ホアキムのパーカッションがうっすらと彩りを添えています。タンパ・レッドの代表作「Denver Blues」をライ流に解釈したプレイです。

#23.「Sunrise」、リック・コックスのシンセが砂漠の朝焼けを演出しています。後半特に不気味さが増しています。

#24.「I Don’t Want To Die In Texas」、やはりリック・コックスのシンセによるオーケストラ風の演奏で始まります。物語のラストシーンに使われ、映画に繰り返し使われているフレーズが出てきます。ベース・サックスがメロをとりとホーンとシンセ、そして後半パーカッションもバックアップします。

#25.「Somewhere In The Desert / End Title」、シンセで始まり、インテンポから歪んだフロア・スライドが唸り声を上げ、ベース・サックスも絡んできます。ここからが「End Title」でしょう。冒頭の「Lastman Standing」と同じテーマですが、ライのエレクトリック・ボトルネックのリード・ギターも重なります。ハードボイルド映画にうってつけのかっこいいプレイです。

#26.「Sanctuary」、「Theme From Alamo Bay」を連想させる、実に美しい曲でアルバムを締めくくります。映画ではエンドタイトルの途中で、前曲からこの曲に切り替わります。冒頭はライのノン・スライドのエレクトリック・ギターによるアルペジオで始まります。イン・テンポから複数のギターが絡みますがそのアンサンブルが実にいい雰囲気です。左側のスピーカーからはアクースティックのボトルネック・ギターが、右のスピーカーからはロング・トーンのエレクトリック・ボトルネック・ギターがフレーズを紡ぎます。これぞ極上の映画音楽でしょう。曲は静かにフェイド・アウトしていきますが、映画の余韻に浸りながらいつまでも聴いていたいナンバーです。

この映画音楽のキモは、リック・コックスの存在だと思います。彼のシンセとベース・サックスがサウンドを決定づけていますが、そのほかにもビブラフォンなど多彩な楽器をオーバーダブし、とても3人でつくったとは思えない重厚でバラエティに富んだ現代的な映画音楽を実現しています。特に、コックスのベース・サキソフォンとライのフロア・スライドの共演による音色は強力です。また、曲によってはライは演奏に参加せず、リック・コックスと息子のホアキムに任せているものもあります。一方で、#6、#16、#22では、借りてきたリゾネーター・ギターで得意のボトルネック・ブルーズを奏で、時代背景に合致した演出もやっているし、#3や#12で古いジャズブルーズを彷彿とさせる演奏で音楽に彩りを加えています。こちらの方向性は80年代のライの映画音楽の主流でしたが、今回の映画では、あくまで脇役となっています。映画そのものの興行成績はさほど振るわなかったようですが、映画音楽家としてライは円熟の極みにあったと言ってよいでしょう。

では、あらすじに沿って音楽の使われている箇所を解説していきますので、ネタバレを知りたくない方はここまでにしておいて下さい。続きを読む

Patti Dahlstrom / Your Place or Mine

pattiyourplaceパティ・ダルストロムについては、リンドレー参加作として随分前に1973年リリースのセカンド・アルバム『The Way I Am』をとりあげたことがありますが、1975年の本作にもリンドレーが参加していいプレイを残しています。彼の参加作はリリース順に取り上げていたつもりだったのですが、なぜか忘れておりました。『The Way I Am』のレビューには、彼女のプロフィールについてほとんど触れていませんでしたので、今回、簡単に紹介します。

彼女はテキサス州ヒューストンの生まれ。郊外のフォート・クラークの牧場で育ちました。父親が”家畜ショー”やロディオのVIPだったので、彼女が子供の頃から家族はエディ・アーノルドやロイ・ロジャースといったカントリーのスターと親交がありました。ただ彼女はカントリーよりポップスの方か好きだったようです。高校時代はギタリストのロビー・レフと親交があり、彼との共作曲はファースト・アルバムに収録されています。また、高校時代に体験したジェイムズ・ブラウンのショーやラジオから流れてくるスープリームスの演奏に影響を受け、ブラック・ミュージックにも傾倒していくようになります。さらに、1965年にはテキサスのラジオ曲がビートルズをヒューストンに招聘しますが、彼女は父親の伝手でそのコンサートのプロモーションの仕事に関わり、8月19日のショーの時は、バックステージにいたそうです。

彼女は高校を卒業すると、彼女の祖父母がオースティンに牧場を持っていたため、テキサス大学に入学しますが、2年でドロップアウト、オースティンで出会ったソニー・ボノのアドバイスもあり、1967年、バーズ、ママズ&パパズ、ドアーズらが活躍していたロサンゼルスに向かいます。この時は彼女は20歳というこなので、1947年の生まれ。ライ・クーダーとは同い年ということになります。

パティはロサンゼルスで”タイガー・ビート・マガジン”で職を得、一方で曲を書きキャピトル、RCA、ABC-ダンヒルなどのレコード会社に曲を持ち込みますが、なかなか色よい返事を得ることができませんでした。ある会社では”前は何をしていたの?”と聞かれ、”テキサスで学生をしていました”と答えると”帰りなさい、君に才能はない”と言われたこともあったそうです。このころパティは転職し病院の受付で働きます。またパティはジミー・ウェブの30歳の誕生パーティで彼と出会い友人となります。彼はパティを励まし、スタジオで6曲入りのアセテート盤を製作する手助けをしてくれます。ある日、パティはフォー・スター・ミュージックのデイヴ・バーゲスに会い、ロビー・レフのギターをバックに歌を聴かせたところ、デイヴはパティの歌を気に入り、モータウンでジャクソン5を担当していたデケ・リチャードに彼女を紹介し、1970年にはモータウン傘下のジョペテ・ミュージックと契約することになります。

彼女はジャクソン・ブラウンの弟、セヴェリンやマイケル・マッサーらとともに、モータウンのスタッフ・ライターとなりました。彼女の曲はダイアナ・ロス、テルマ・ヒューストンに取り上げられ、彼女はユニ・レコードのラス・リーガンと契約しソロ・アルバムをリリースすることになります。彼女は病院を辞めプロのシンガー・ソングライターになることができました。彼女のサポートにはドラマーのトキシー・フレンチをはじめとするレッキング・クルーの面々が当たりました。

ラス・リーガンはユニ・レコードで成功を納めましたが、20世紀フォックスが新しいレーベルを起こすにあたり、ラスにオファーします。ラスはバリー・ホワイトとパティとともに20世紀フォックスに移籍することになりました。彼女のセカンドからフォース・アルバムは、20th Centuryからリリースされています。これが以前レビューした『The Way I Am』です。パティの最も知られた曲は、セカンド収録の「Emotion」で、ヘレン・レディやシャーリー・バッシーに取り上げられました。他にも、アン・マレー、キャプテン&テニールらも彼女の曲をレコーディングしています。。アルバムのプロモーションのため、彼女は4人編成のバック・バンドともにツアーを行います。そして、1975年、サード・アルバム『Your Place or Mine』をリリース。翌1976年にはラリー・ネクテルのプロデュースで『Livin’ It Through』をリリースするも、結局ブレイクを果たすことはできず、ミュージシャンとしての稼業に見切りをつけます。

1980年代、彼女は曲作りを続けるとともに、写真を学びました。1990年にテキサスに戻り、The Art Institute of Houstonでソングライティングを教え、同学科のディレクターになりました。2008年、ライティングの修士号を取得するため、ロンドンに移住。3年後、メキシコのサン・ホセ・デル・カボに移住します。2010年には、1970年代の彼女の楽曲を集めたコンピレーション『Emotion』が発売されています。

さて、この『Your Place or Mine』ですが、プロデュースはジャック・コンラッドとビル・シュニー。参加ミュージャンは曲ごとの記述はありませんが、大書きされているメンバーが多く曲を手がけているのでしょう。キーボードはラリー・ネクテル、ベースはプロデューサーでもあるジャック・コンラッド、ドラムスはデヴィッド・ケンパーという面々です。ギターはみんな小書きなので、先のパートと異なりおおむね1・2曲ずつ参加しているのでしょう。ディーン・パークス、アル・ステイリー、アート・マンソン、フレディ・タケット、スティーヴ・クロッパー、ジェイ・グレイドン、アル・ケイシーと多彩な名手達の名前が並びます。キーボードは他にマイク・アトレー、アンディ・カーン、ジョージ・クリントン、ベースは他にデヴィッド・ハンゲイト、クラウス・フォアマンのクレジットがあります。ドラムスはゲイリー・マラバー、ジム・ケルトナーという名手二人の名があります。

ホーン・セクションはジム・ホーン、チャック・フィンドレー、ジャッキー・ケルソ、ロン・ヴァン・イートンの4人、パーカッションはスティーヴ・フォアマンとミルト・ホランド、ホーン・アレンジは1曲のみチャックで他はジム。ストリングスのコンサート・マスターはシド・シャープでアレンジは1曲のみジミー・ハスケルで他はデヴィッド・フォスターです。

パティは全曲の作詞作曲に関わっていますが、単独で書き下ろしたのはA-2とB-3の2曲のみ。セヴェリン・ブラウンとの共作はA-4とB-4、アーティ・ウェインとの共作はB-2・5、バックバンドのギタリストで元スビリットのアル・ステイリーとの共作はA-1・5、B-1。A-1はジミー・ハウエルも共作者の一人となっています。A-3は、アンディ・カハン、パティ、ジミー・シールズ3人の共作です。それでは各曲をみていきましょう。

まずはA面です。
アルバムの冒頭を飾るのは、「Use to be in Love with You」。 16ビートの効いたナンバーで、今ならヨットロックとかフリーソウルとか言われて話題になりそうな曲ですね。ホーンとってもいい感じだし、ジム・ホーンのフルートも随所で活躍しています。余談ですが、今、フリーソウルってあんまり聞かなくなりましたけど、ジャンル名にも栄枯盛衰ってあるみたいですね。アメリカーナというジャンルも90年代までなかったしね。

2曲目「If You Want It Easy」は、ピアノとオルガンで始まる美しいゴスペル調子バラードです。2番から入ってくるのはペダル・スティールと思いきや、リンドレーのラップスティールです。リンドレーはペダルも弾けるのかもしれませんけど、よく聴くとラップスティールでやってるみたいです。もしかしたら、左手の指ベンドを併用しているのかもしれません。ずっとオブリを弾いているけどソロはありません。けれども、特に後半リンドレーらしいフレーズも楽しめるし、前半はぐっとカントリーのペダルスティールに寄せたいい感じのプレイを聞ける貴重な録音です。

3曲目の「Break of Day」はピアノから始まるマイナー・キーのバラードです。ストリングスも入っていて聞き応え十分です。4曲目は、「Painter」。サックスから始まる16ビートのナンバー。曲はマイナー・キーですがコンガも入ってノリがよく、ホーンセクションもご機嫌。パティの特徴的な声にとってもマッチしています。

A面ラストは「Louisiana」。 ピアノから始まるバラードですが、2番からリンドレーのバンジョーが入ってきます。めだったプレイはないですが、渋いバッキングです。2番の後半からはフィドルもオーバーダビング。音量は絞られていますが、特徴的な音色とフレーズが響きます。ここでもソロはありませんが、曲の雰囲気を決定づける渋いプレイを決めています。

続いてB面です。
1 曲目は、「He Did me Wrong, But He Did it Right」。この曲のみプロデュースをビル・シュニーが手がけています。イントロからストリングスが入っていますが、ファンキーでかっこいいナンバー。エレキのオブリガードはディーン・パークスでしょうか。間奏はジム・ホーンのサックスが活躍します。

2曲目「Runnin’ Out of World」もマイナー・キーながらファンキーな16ビートのナンバーです。ホーンセクションもすごくカッコいいです。この曲のギターは目立ちませんが、クロッパーのような気がします。

3曲目 「When It Comes to You」はピアノバラードで、しみじみとしたいい曲です。ちょっとけだるく、声の裏返り方など、なんとなくマリア・マルダーを思わせます。ストリングスも効果的に使われており、後半入ってくるホーンのアレンジも見事です。このあたりの雰囲気は同時期のキャロル・キングと相通じるものがありますよね。

4曲目は、「Good to be Alive」。エレピメインの伴奏で奏でられる軽快な曲です。リズムはフォービート、間奏はサックス・ソロでジャジーな雰囲気が醸し出されます。

5曲目、「Sending My Good Thoughts」は ピアノ・バラード。アルバムのラストに収録されているすごくいい曲です。飛行機事故で命を落とした友人のジム・クロウチに捧げられており、彼の写真も裏ジャケにのせられています。「自分にできるのは想いを送るだけ」という友を失った切ない心情に心を打たれます。

裏ジャケに参加ミュージシャンや関係者の写真がたくさん掲載されていますが、多くはパティが撮影したもので、フィドルを抱えた笑顔のリンドレーの写真もあります。このころリンドレーは31歳。まだまだ若いですがあの笑顔はそのままです。今世では直に接することはできないことを思うと今も涙を禁じえませんが、残された多くの映像や写真でいつでも、この笑顔に接することができるのがせめてもの救いです。ラス・リーガンは、”パティがブレイクしなかったのは不思議で仕方ない”という意味の発言をしているそうですが、前作にしても、このアルバムにしてもとってもよい出来で、彼の言葉は十分に理解できます。ルックスも歌唱力も素敵だし、なかなかいい曲を書くのですが、やはり、誰もが一発で覚えられるような決定的な名曲は生み出せなかったということが原因でしょうか。リーガンがそういうんだから、プロモーションにもそれなりのお金はかけられていると思うんですけどね。yourplace2

Texas Tornados / 4 Aces

4aces1988年、匿名のスーパー・グルーブ、トラヴェリング・ウィルベリーズを成功させたワーナーが、テキサス・ルーツ・ミュージックのスーパー・グループとして1990年にリリースしたのが、このテキサス・トルネイドズです。この時は驚きました。テキサスで絶大な人気を誇る彼らを、全国だけでなくメキシコをはじめとするスペイン語圏に売り出そうという意図の元に結成されたわけです。メキシコ系のアメリカ人は、テキサス、カリフォルニア、アリゾナなどもともとメキシコだった地域には多く住んでいましたが、産業構造の変化によりアメリカ全土に住むようになり、また、人口も増加してきたため、大手レコード会社も、おそらく重要なマーケットとして意識し始めたのでしょう。彼らのアルバムは英語版とスペイン語版の二種類がリリースされたそうです。

自分は、学生時代にダグ・サームの『Doug Sahm and Band』を中古盤で入手し、彼の音楽が大好きになりました。この盤にはフラーコも参加しており、トルネイドズの3/4が揃っていたわけですね。それから、1988年だったか、89年だったかに出た、ダグ・サーム、エイモス・ギャレット、ジーン・テイラーによるフォーマリー・ブラザーズのアルバムが大好きで当時よく聴きました。90年の来日の時は福岡に移住していたので涙をのんだのを覚えています。もちろん、フレディ・フェンダーとフラーコ・ヒメネスはライ・クーダー経由でよく聴いていました。オルガンのオーギー・メイヤーズのことはよく知らなかったけど、ダグ・サームの『Doug Sahm and Band』に参加していて、サー・ダグラス・クインテットの時代からダグとは盟友だったようです。テキサスのテックス・メックス系のこの偉人4人がグループを組むなんて、ちょっと信じられませんでした。もちろんCDが出たらすぐ買ってよく聴きました。それぞれのメンバーのレパートリーを持ち寄った感じで、聴きやすかったですが、リプリーズが出しているんだから、もう少し凝ったつくりにできなかったかなぁとも思いました。

そんな彼らの1996年の4作目がこの『4 Aces』です。アルバムにはダグが書いたライナーが掲載されているので、拙い訳ですが、掲載してみます。

「ある日、フラーコと私はショーのバックステージで話していた。私は、”フラーコ、俺たちは何者なんだろうね”と言った。彼は少し考え遠くを見て答えた。”俺たちは4人のエースだよ。なぁ” そうだとも。
 それで、私はその考えにフィットした曲を作り始めた。物語は、テキサスでしか起こりえないファンタジーや国境の逸話となった。そしてウィリー(・ネルソン、偉大な野球選手のメイズではない)の相棒や、チィミー(我が友ボブ)とともに、テキサス州のロトゲームで一山当てるというオチをつけた。私はオレゴン、カリフォルニアの海岸、ニューメキシコの山々、そしてもちろんテキサスといったで様々な場所で長い時を過ごした。
 そして今、私たちはみんなレコード会社が必要だった。私たちはナッシュビルのリプリーズ(ロッキン爺さんの歌うバンドを組んでくれたジム・エド・ノーマンとペイジ・レヴィに感謝する)で活動した後、私たちには休息が必要だった。3枚のアルバムと4年に及ぶ休みないツアーは犠牲者を出した。私たちは少しばかり過去を省みて、テキサス・トルネイドズのビジョンがどこに繋がるか確認する必要があった。
 幸運なことに、私たちはリプリーズに戻ることができた。しかし、今回はバーバングで、私たちのテキサスの兄弟ビル・ベントレーがレーベルの広報担当の役員だった。彼はA&R担当のデヴィッド・キャッツネルソンを起用した。彼はテキサス州ロックハートのクルーズ・マーケットで行われたバーベキューの間とても盛り上がっていた。彼らはリプリーズの社長ハウイー・クラインとの面会をセッティングした。私は彼がサンフランシスコの415レコードにいたことを聞いていた。私たちは話し、ハウイーは”君たちはどんなものを持っているんだい?”と聞いたので、私は彼に”Little Bit Is Better Than Nada”のサビを歌って聞かせた。彼はそれを気に入り、私たちは再びレースに戻ったのだ。
 それはここにある、じっくり聴いてほしい。
                       愛を込めて ダグ」

このライナーにあるように、テキサス・トルネイドズは90年から92年まで毎年アルバムをリリースし、休みないツアーを続けていたようです。そして、メンバーのうち誰かが身体を壊し、一時活動を休止していましたが、1996年に復活、リリースしたのがこのアルバムです。プロデューサーは、メンフィスのジム・ディッキンソンが抜擢されました。ナッシュビルで制作された前3作に比べ、ゲスト・ミュージシャンも交え、ディッキンソンらしいプロデュース・ワークが冴えています。

ライ・クーダーが参加しているのは8曲目の「The Garden」です。「Across The Borderline」系のバラードで、リード・ヴォーカルはフレディ・フェンダー。優しく美しい歌ですが、曲の内容は、銃弾が飛び交う物騒な国境の街を描いたもので、抗争があれば、もう一晩窓を締め切って過ごし、息子を亡くした母は泣き叫ぶだろうと歌われています。曲を書いたのは、のちにハシエンダ・ブラザーズを結成するクリス・ギャフニー。アレンジはダグとフレディが手がけています。ライは最初のサビからオブリガードで絡んできます。美しいボトルネックのフレーズを聴かせたと思ったら、2番からはノンスライドで彼らしいフレーズを紡いでいきます。ソロはフラーコのアコーディオンで、ライのソロはなく、あくまでも脇役に徹しています。この曲でも味のあるピアノが聞こえてきますが、ディッキンソンではなく、オーギーが弾いています。ライを起用しながらオブリガードのみで、あえてソロを収録しなかったディッキンソンの手腕あっぱれと思います。

アルバム収録曲は、4人それぞれが主導している曲が散りばめられているのですが、フラーコは単独ではリード・ヴォーカルはとらず、おおむねオーギーとのデュオで伝統的なコンフント・スタイルの曲を歌っています。そのかわり全曲で印象的なアコーディオンを弾きトルネイドズのカラーを決定づけています。ダグは少しロックやR&B寄り、フレディはカントリー寄りですが、全員がスペイン語を自在に操り、国境の音楽文化を体現しています。

ライナーでダグが言及している1曲目の「A Little Bit Is Better Than Nada」はコメディ映画「Tin Cup」の挿入歌となりました。ダグらしい軽快な曲で、フラーコのアコーディオンがいい味を出しています。他にダグが主導しているのは4曲目、7曲目、10曲目の4曲です。4曲目ナイロン弦のギターのリズムで始まるタイトル・トラックはマイナーキーのかっこいいナンバー。ダグのオリジナルです。サビはメジャーになるご機嫌なナンバーです。7曲目「Ta Bueno Compadre」はダグの昔からのレパートリーを彷彿とさせますが、このアルバムのために書き下ろしたものです。バックビートが効いたご機嫌なロックナンバーで、この曲が演奏されるとライブ会場はダンスフロアになるでしょう。10曲目「Clinging To You」も実にダグらしい軽快なロック・ナンバーです。

フレディが主導するのは、上の8曲目「The Garden」のほか、3曲目、6曲目、12曲目の4曲です。3曲目「In My Mind」はフレディのオリジナル。ロッカバラードですがとってもいい曲で、フレディの熱唱を味わうことができます。6曲目「Tell Me」はテックス・メックス界では高名なギタリスト、ジョー・キング・カラスコの曲で、やはりロッカバラード。フレディとダグが歌い分けています。こちらも実に素晴らしいナンバーです。ラストに配されているのは、カントリーのソングライター、ボブ・モリソンが後2人と一緒に書いたバラード「The One I Love The Most」です。フレディは自身でもとてもいい曲を書くのですが、選曲眼も素晴らしいものがあります。ストリングスやペダル・スティールに加えディッキンソンのピアノ、そしてフラーコのアコが過不足のないバランスで曲を盛り上げ、豊かな気持ちでアルバムを聴き終えることができます。

オーギーが単独でフィーチャーされているのは9曲目「Rosalita」。クリス・ウォリッシュという人が書いています。彼は兄弟とみられるニック・ウォリッシュとともにデュオ・アルバムを出していますが、どんな人かよくわかりませんでした。この曲ではオーギーが単独で渋い喉を聴かせます。ボレロのリズムが心地よく、フラーコのアコと並んでルイ・オルテガによるガット・ギターのオブリもいい味を出しています。ディッキンソンのピアノも入っていますが、本当に隠し味程度。でも最後のヴァースでトレモロ奏法的フレーズで存在感を見せています。

フラーコが主導するナンバー3曲はいずれも伝統的なコンフント・スタイルを基調視するものです。2曲目「Amor De Mi Vida」はフラーコとオーギーが歌うランチェラ、5曲目「My Cruel Pain」はゆったりしたボレロで、メジャーですが哀愁漂う曲です。間奏にはトランペットも登場します。タイトルは重いテーマですけどね。11曲目「Mi Morenita」は、このアルバムでも活躍しているギタリストのルイ・オルテガがフラーコ、マックス・ベカと共作したナンバーです。典型的なスペイン語のランチェラで、歌はフラーコとオルテガによるデュオのようです。

テキサス・トルネイドスのアルバムはどれもいいですが、このアルバムは程よくプロデュースされ、かなり聴きやすいものになっています。アメリカン・ルーツ・ミュージックに少しでも興味のある方にはぜひ耳にして欲しいアルバムです。このアルバムをリリースした3年後の1999年ダグ・サームが58歳で急逝、バンドは活動を休止しました。さらに2006年にはフレディ・フェンダーも鬼籍に入ってしまいました。しかし、2010年ダグの息子ショーンは、フラーコとオーギーとともにテキサス・トルネイドズを再結成。2012年にはニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテイジ・フェスに出演した彼らを目にすることができました。オリジナル・メンバーでは来日公演もありましたが、そのときは見に行けなかったので、彼らの姿を一度でも目にすることができたのはラッキーだったと思っています。

Micheal Dinner / The Great Pretender

michealdinner今、デヴィッド・リンドレー参加アルバムは、1980年のものを取り上げているところですが、いくつか見落としがありました。今からしばし1970年代に戻ります。今日は1974年リリースのカントリー・ロックの名盤と言われるマイケル・ディナーのデビュー作をレビューします。

このマイケル・ディナーという方は、1970年代に2枚のアルバムをリリースしたものの、映画/TV業界へと転身。監督/脚本家として成功した人です。学生時代、弾き語りをしているところをマネージャーのグレン・ロスの目に留まり、CCRをリリースしていたファンタジーレコードと契約したのですが、オックスフォード大学の大学院に留学。学業を優先したため、ロサンゼルスやサンフランシスコなどで数少ないギグを演じた以外、ツアーなどはほとんどしなかったようですね。彼のファースト・アルバムはリンダ・ロンシュタットなどを手がけていたジョン・ボイランがプロデュース、そのリンダをはじめとするテキーラ・サーキットのキラ星のようなミュージシャンがバックアップ。ジャケットは売れっ子の写真家ノーマン・シーフを起用。レコード会社の彼への期待がわかろうというものです。しかし、アルバムは大して売れず、幻の名盤として語られることが多いですね。彼は1953年生まれですから、ジョン・ハイアットと同い年、今年で70歳です。アルバムのリリースは1974年ですから、まさに学生時代の21歳の頃にこれだけの作品を発表できたというのはすごい才能だと思います。しかも、全曲がマイケルのオリジナルです。

レコーディングに参加したメンバーは、リズム隊がドラムのミッキー・マッギー、ベースのマイケル・バウデン、エレピはプロデューサーのジョン・ボイラン、ペダル・スティールまたはエレキ・ギターにエド・ブラック、コーラスにダグ・ヘイウッドという基本編成に加え、多くの曲では他のゲスト・ミュージシャンも加わっています。ダグは、長年ジャクソン・ブラウンをバックアップしていたことで有名ですよね。それからジョン・ボイランはシンガー・ソングライターのテレンス・ボイランの兄でもあります。

デヴィッド・リンドレーはA面ラストの三拍子のナンバー、「Last Dance In Salinas」に参加して、フィドルを弾いています。この曲にはコーラスでダグ・ヘイウッドに加えリンダ・ロンシュタットと、ドラムはゲイリー・マラバー、スティール・ギターにアル・パーキンスが参加しています。アクースティック・ギターとペダル・スティールで幕を開ける三拍子のナンバーで、サビからリンドレーのフィドルも絡んできます。リンダのコーラスも決まっていて、まさにカントリー・ロックの完成形というにふさわしい楽曲です。間奏はフィドル・ソロ。心地よい響きに耳を奪われます。リンドレーはエンディングのフレーズもきっちりを決めています。

アルバムの冒頭に収められている「The Great Pretender」は、ザ・バンドがカバーしたプラターズの、あの名曲とはもちろん同名異曲です。爽やかなカントリー・ナンバーでジョン・デンバーの歌声を連想させます。この曲と3曲目「Yellow Rose Express」のにはボブ・ウォーフォードが参加しストリング・ベンダーを搭載したエレキ・ギターでクラレンス・ホワイトばりのプレイを聴かせます。それにエド・ブラックのスティールが絡んでくるのだから、まさにカントリー・ロックの王道のような作品。好きな人にはたまらない演奏だと思います。また、両曲ともダグに加え、ハーブ・ペダーセンとリンダ・ロンシュタットがハーモニーを加えています。この布陣も鉄壁ですよね。「Yellow Rose Express」もアップ・テンポの心地よいナンバーです。

A面2曲目の「Jamaica」に、すでにスティール・ドラム奏者のロバート・グリーニッジが参加しているのが特筆されます。彼はヴァン・ダイク・パークスやタジ・マハールのアルバムで活躍する人ですが、ヴァン・ダイクの『Clang Of The Yankee Reaper 』より早く、このアルバムで見事なプレイを聴かせています。曲はトロピカルな感じというよりも、疾走感のある少々オシャレ系の曲という感じです。グリーニッジが参加することで、曲名の南国風味を演出したかったのでしょう。さらに、パーカッションで名手ミルト・ホランドも参加しています。A面 4曲目の「Sunday Morning Fool」は、落ち着いたバラード。このあたりの歌唱はジェイムズ・テイラーを連想させます。間奏はエド・ブラックのペダル・スティール。 ピアノにアンドリュー・ゴールドがゲスト参加しています。

B面1曲目「Tattooed Man From Chelsea」は、ドン・フェルダーが歪んだボトルネック・ギターを全編で展開しているロックン・ロール・ナンバー。このアルバムの中では最もハードなタイプですが、マイケルの声は至って爽やかですね。レッキング・クルーの名手、ラリー・ネクテルも参加しています。今となってはタトゥーはごく当たり前になりましたが、この時代では「刺青男」は曲のタイトルになるくらい特殊な存在だったのでしょう。ここから後はバラードが多くなります。

B面2曲目「Woman of Aran」は オルガンが素敵なバラードです。このオルガンを弾いているのはディキシー・フライヤーズのマイク・アトリー。このころクリス・クリストオファソンとリタ・クーリッジをバックアップしていました。実にいい曲です。ここで聴かれるエド・ブラックのギターはロバートソンみたいにエモーショナルです。この曲でコーラスに参加しているのは、ゲイル・デイヴィスとロニー・ブレイクリーの二人の女性シンガー、二人とものちにソロ・アルバムをリリースします。

B面3曲目「Pentacott Lane」は ワルツ・ナンバー。ニック・デカロによるアコーディオンの響きが素敵です。この曲でもエド・ブラックがいい感じのエレキでリードをとっています。B面4曲目「Icarus」、美しいアコギの響きで始まるバラードです。アコギは全てマイケル本人が弾いていますが、すごくセンスがいいですね。セカンド・ヴァースから入ってくるペダル・スティールとストリングスも美しいです。

B面5曲目は「Texas Knight」は、このアルバムで一番の聴かせどころでしょう。マイク・アトリーの オルガンで始まり、アコギの弾き語りになる美しいバラード。 2番からはやはりペダル・スティールが絡んできます。フルバンドでひとしきり盛り上げた後、3番はラリー・ネクテルによるピアノの伴奏だけになります。サビからは再びフル・バンドの演奏にハーモニーも加わりアルバムのラストを締めくくるにふさわしい盛り上がりを見せます。ドラムはミッキーに加えラス・カンケルも参加しています。

このアルバムでかなり素晴らしいプレイを展開しているエド・ブラックは、リンダ・ロンシュタット、クリス・ダーロウ、リー・クレイトン、トレイシー・チャップマン、ホイト・アクストン、ドワイト・ヨーカムをはじめとする名だたるミュージシャンのバックを手がけてきた人なんですね。もともとアリゾナ生まれで、グース・クリーク・シンフォニーというバンドでロスへ出てきて、リンダ・ロンシュタットの前座をやったところ、リンダとプロデューサーのジョン・ボイランに認められて、そのバンドのミッキー・マッギーとともにリンダのバンドに加入することになったそうです。道理でボイラン・プロデュースのこのアルバムで二人が活躍しているわけですね。しかし、ブラックは1998年、50歳という若さで早世しています。

マイケル・ディナーは、1976年にもセカンドの『Tom Thumb the Dreamer』をリリースしているのですが、この後は音楽業界から足を洗い、80年代から映画監督として活躍し始めます。彼が本当にやりたかったのは、映像の方だったようですが、シンガー・ソングライターとしても、有り余る才能と可能性を秘めていただけに、勿体無いような気もします。彼が学業や映像より、音楽にもっと惹かれていたら、どんな展開を見せたのか興味がつきませんが、今更そんなことを言っても詮無いことですよね。

Jackson Browne / Looking East

Jacksonlookingeastジャクソンの1996年作です。彼の作品の中ではとりたてて触れられることも多くないアルバムですが、その後のライブでよく演奏される「The Barricades of Heaven」が入っていることで重要な作品です。1993年の前作『I’m Alive』では、そのころ時事的な内容に偏りがちだったジャクソンが久々に恋愛を中心とした私的なテーマに絞った作品として高く評価されました。それに比べるとこちらの『Looking East』は旗色が悪いですが、なかなかどうして充実したアルバムです。また、テーマも時事的なものに回帰していますが、ラブ・ソングも配して均整のとれた作品集となっています。

『I’m Alive』でのバック・バンドは、ドラムにモウリシオ・ルワック、ベースにケヴィン・マコーミック、パーカッションにルイ・コンテ、ギターにマーク・ゴールデンバーグ、キーボードにジェフ・ヤング、ギターとキーボードにスコット・サーストンというメンバーとなります。ルイとスコットは抜けてしまいますが、他のメンバーはその後20年近くにわたってジャクソンを支え続けることになります。プロデュースはバンド・メンバーのスコットとケヴィン。スコットは前作でもジャクソンとともにプロデュースに関わっていました。

アルバムはロック・ナンバーの表題作で幕をあけます。いつになく力強い作品ですが、ここで歌われる”East”とは「東洋」ではなく、ジャクソンの住む西海岸から見て「権力の中枢」のある「東海岸」を指し、巨大な資本主義社会の矛盾について思いをめぐらせています。ギターはマーク、スコットともにワディ・ワクテルも参加しており、ロック色が強くなっています。また、オルガンはベンモント・テンチが弾いています。この曲は2015年と2017年の日本公演でも演奏され、その時のアレンジもとてもかっこよかったです。2015年のライブ・バージョンは『The Road East -Live in Japan-』にも収録されていました。

2曲目が「The Barricades of Heaven」。このアルバムが出た1996年、ジャクソンは来日し福岡でもコンサートを行いました。もちろんその時も演奏されましたが、その後見たコンサートでは2010年のシェリル・クロウとのジョイントの時を除いて、たいていは演奏されていたように思います。ジャクソンにとってもお気に入りのナンバーなんでしょう。曲調は「Fountain of Sorrow」を彷彿とさせるところがあります。この曲と「Running On Empty」は、ちょっと歌詞が似ています。28歳の頃に、17歳と21歳の頃を振り返っており、車のメーターが”empty”をさしても走り続けると歌っています。一方、「The Barricades of Heaven」は48歳になって、16歳の頃サニー・ヒルズに住み、パラドックスはじめロサンゼルスのフォーク・クラブに出入りしていた時代を懐かしく回想しています。曲はみずみずしいですが、半世紀近く生きて人生のそれぞれのページをかみしめる内容になっています。最近はルーツっぽいアレンジで演奏されていますが、このアルバムのバージョンを今聴きかえすと、けっこう90年代なサウンドですよね。こちらも『The Road East -Live in Japan-』に収録されているので、聴き較べて見ると面白いと思います。

3曲目は「Some Bridges」です。この曲にはデヴィッド・リンドレーがゲスト参加。イントロ、間奏、エンディング、オブリガードと全編にわたって少し歪ませたラップ・スティールでバリバリ弾きまくっています。いい演奏です。曲調はミディアムのロックで、日々の生活を歌い込んだラブソング。もちろんメロディ・ラインも実にジャクソンらしくて素晴らしいです。1996年の日本公演でも演奏されましたが、リンドレーのフレーズはマークが弾いていたのかなぁ。もう覚えていません。マークはラップ・スティールにも挑戦していましたが、ボトルネック奏法もやっていたように記憶しています。この曲は2017年のツアーでも再び取り上げ、その時はグレッグ・リースのラップ・スティールを堪能することができました。

4曲目「Information Wars」は、まさに現代社会を予見した内容です。ただ、この時代はまだテレビが大きな力を持っており、「情報戦争に突入」と言いながらも、あまりインターネットのことには触れていませんが、「戦争の最前線を特等席で見れる」という意味の表現には、その後展開され、現在も続いている様々な戦争の状況を言い当てています。サウンドはかなり現代的でルイ・コンテのパーカッションに乗せて、3本のエレキ・ギターが見事なコラボレーションを聴かせています。間奏のリードはマークによるものでしょう。エモーショナルなフレーズが印象的です。エンディングではかなりエフェクトを効かせたリードが聞こえてきますが、こちらもマークでしょうか。マークにはウードのクレジットもあります。

5曲目は「I’m The Cat」です。「僕はネコちゃん」という感性にちょっと疑問を感じなくもないですが、この曲も実にジャクソンらしいメロディを持った軽快ないい曲です。もちろん内容も甘いラブソングです。エンディングで二本のエレキ・ギターが掛け合いをやっています。マークとスコットかなとも思うのですが、スコットはこの曲ではバリトン・ギターを弾いていて、マイク・キャンベルもギターで参加しているので、ここでの掛け合いはマークとマイクかもしれません。あと、コーラスで超低音を歌いライ・クーダーのコーラス隊にも名を連ねるウィリー・グリーン・Jrが参加しています。

6曲目は「Culver Moon」。「Information Wars」と並んで現代的なサウンドです。ロサンゼルスの一角のいかがわしい町を題材にしており、ベイビー・アンジェリーンと呼ばれる巨乳の女性を描いたビルボードが街を見下ろし、映画の撮影所やチッペンデールズと呼ばれる女性客向けの男性ダンサーたちが際どい踊りを見せてくれる街だそうです。この街を舞台にしたラブソングですが、曲調はちょっとファンキーでメッセージソングのような印象を受けます。

7曲目は「Baby How Long」です。アルバムの中で最もブルージーなナンバーでライ・クーダーがゲスト参加しています。”How Long”というテーマは、大昔のブルーズから繰り返し使われているテーマで、ジャクソン自身も『World In Motion』に「How Long」という曲を収録しています。こちらは政治的な内容なのですが、今回の「Baby How Long」は、自分を騙し続けてきた恋人をなじる歌です。この曲の対象は前作で思いのたけをぶつけたダリル・ハンナでしょうか。ライ・クーダーは、マーク・ゴールデンバーグとイントロから掛け合い、むせび泣くようなボトルネック・ギターを随所で響かせます。間奏の前半は繰り返されるジェフのオルガンのフレーズを邪魔しないように弾いていますが、後半ではフレーズが冴え渡ります。もう少し長く聴きたいところですが、アルバムの性格上仕方ないでしょう。コーラスにはボニー・レイットも参加しています。

8曲目は「Nino」は、ラテン調。サルサっぽいアレンジです。それにしてもオールマイティなバンドですよね。このアルバムではほとんどの曲がバンド・メンバーとの共作ですが、特にこの曲はバンドのパーカッション奏者ルイ・コンテと一緒に書いた部分が多いそうです。彼はキューバ生まれなんだそうですが、このころアメリカとキューバは国交がなく、故郷を離れた彼は、異国で暮らし帰省することもままならなかったでしょう。世界的なパーカッション奏者となり国交も回復した今は、気軽に故国に帰ることもできるでしょうけれど…。この曲の主人公の名前はニーニョですが、ルイが題材であることは明白です。ジャクソンは一部をスペイン語で歌っています。この曲、曲調はラテンなのですが、リード・ギターにはなんとなくアフリカのリンガラっぽいフレーズが出てきますね。ジャクソン・バンドの懐の深さが感じられます。

9曲目は問答無用の名曲「Alive In The World」です。これぞジャクソン・ブラウン・メロディといった趣きのバラード。マークによる間奏のギターフレーズも局長に実にマッチしています。曲もメッセージソングで、「目を見開き、本当の世界に生き、目を見開き、本当の世界に到達したい」と歌われ、冒頭のタイトル曲と呼応し、世界に溢れる情報の欺瞞を見抜き、本当の世界で汗して生きる人々と共生したいとう思いが伝わってきます。コーラスにはデヴィッド・クロズビー、弟のセヴェリン、そしてヴォンダ・シェパードも参加し、曲に厚みを与えています。

ラスト・ナンバーは「It Is One」です。80年代後半から、様々なイベントでアフリカのユッスー・ンドゥールをはじめとする世界中のミュージシャンと共演してきたジャクソンらしいメッセージ・ソングで、前曲を受けて「世界はたった一つ」と歌われます。曲調は明るいレゲエ調ですが、リード・ギターのフレーズは「Nino」と同じくアフリカっぽい響きがありますよね。当時の来日公演ではアンコールで歌われ、ゲストのヴァレリー・カーターもコーラスに参加していました。もちろんアルバムでもハーモニーを歌っています。

日本盤にはボーナストラックとして、アクースティック・ギターとハミルトン高校のゴスペル合唱団をフィーチャーした「World in Motion」ライブ・バージョンが収録されています。その後、ライブで聞かれる「World in Motion」は、この時のアレンジを基にしたものになっていきます。

このアルバムの収録曲ですが、「Alive In The World」と「Baby How Long」についてはジャクソンが単独で書き下ろしていますが、他の曲はバンド・メンバーとの共作で、「It Is One」と「Nino」はヴァレリー・カーターも共作者に名前を連ねています。ジャクソンはインタビューで「みんなでなんとなくジャムったり、サウンドチェックをしたりしている時に生まれてきた曲が多かったな。」と話しています。こうした曲にメンバーの名前をクレジットするのは実にジャクソンらしいやり方で、このバンドが長く続くことになった要因の一つと言えましょう。

今、聴きかえしてみるとジャクソンの声が若いですね。それから27年の歳月が流れているわけで当然といえば当然なのですが。声質が大きく変わっているわけではないのですが、キーも下がったし、逆に低音は今の方がよく出るようになっています。どちらがいいかは好みの問題ですが、今の声の方が深みがあるようにも思えます。27年というと今の若い人にははるか昔なんでしょうけど、今もその輝きを失わない、いいアルバムだと思います。ただ、アルバム全体の完成度でいうと、『Late For The Sky』から『Hold Out』に至る諸作には及ばないかな、と感じてしまいます。また、当時のジャクソン・バンドの傑作アルバムである『I’m Alive』の次に出ただけに、少々分が悪いですが、なかなかどうして名曲が多く、のちのライブでも演奏される曲の多い好盤です。

The Doobie Brothers Live at Kanazawa Kagekiza

IMG_9279先週の4月22日、金沢に行ってきました。ドゥービー・ブラザーズの公演を見る、というのも大きな目的でしたが、コロナ禍でここ3年観光らしい観光もしていなかったので、まだ行ったことのない魅力的な城下町への旅を兼ねて、久々に飛行機に乗って金沢まで足を伸ばしました。ドゥービーは大ファンというわけではなく、再結成後も熱心に聴いていたわけではありませんが、やはりこの編成でのコンサートには心動かされるものがあります。ちょうど高校生で洋楽を聴き始めた頃、ドゥービーは一旦解散。1983年に出たフェアウェル・ツアーのライブ盤は当時よく聴いたものです。でも、ベスト盤的なそのアルバムで満足して当時は深掘りしなかったのですが、長い年月の間なんとなく再結成前のアルバムは全部集めてしまいました。再結成後のものは、ライブ盤を除き、このライブのチケットを買ってから何枚か買って全部耳を通しましたが、かなりの力作揃いですよね。

さて、福岡・小松間の飛行機はなんとプロペラ機。国内でプロペラ機に乗ったのは初めてです。約1時間半のフライトの後小松空港に降り立ちます。白山は冠雪しており、空気もどことなくひんやりしています。ここからシャトルバスで金沢市内まで約40分、午後2時には金沢駅についていました。約25時間の滞在です。

公演のある金沢歌劇座は、兼六園に近い博物館ゾーンの一画にあります。名前からすると和風の建物を想像しますが、ちょっと見ると官庁の建物のようなホールを持つ施設で、2007年までは「金沢市観光会館」だったそうです。キャパは約1900、コンサートを見るにはちょうどいい大きさですね。県立博物館を見学した後、開場時間の午後4時には歌劇座について列に並び場内に入りました。パンフとTシャツを購入し客席に入ります。席は14列目通路前の良席、ステージ全体を見渡せる良い場所です。

定刻の17時ちょうど、客席が暗くなり上手からマイケル・マクドナルドが登場。黒っぽい服装に美しい銀髪が目立ちます。もちろん客席からは大きな拍手。彼のピアノ・ソロでコンサートはスタートです。するとアコギを抱えたパット・シモンズと、ナショナル・トライコーンを抱えたジョン・マクフィーが登場。パットとマイケルの伴奏でマクフィーがトライコーンの弦の上にボトルネックを滑らせます。これは『World Gone Crazy』収録のバージョンと同じアレンジで「Nobody」の登場です。元々は彼らのデビュー曲。50周年記念ツアーにふさわしいオープニングです。バンドメンバーが次々と配置に着くと、トム・ジョンストンがブルーのポール・リード・スミスのギターを抱え登場。歌い始めます。着ているのは半袖のTシャツ。髪は染めているのでしょうけど、とても74歳とは思えない若々しさです。声もよく出ています。パットはグレイ系のジャケットにハット。トレードマークのロングヘアはほとんど銀髪です。ジョン・マクフィーは黒ずくめですが、ジャケットを着ています。彼も髪を染めているのでしょう。ベースはニュー・グラス・リヴァイヴァル出身のジョン・コーワン。彼のライブは2006年に北九州パレスで見たことがありますが、歌のうまい彼ですから、見事なハーモニーを聴かせてくれました。もちろんベースのプレイも完璧です。

2曲目で、サックスのマーク・ルッソが登場。彼も銀髪を長く伸ばしています。曲はモータウン・カバーの「Take Me In Your Arms」です。冒頭2曲、ノリの良いナンバーをつなげライブを盛り上げ、すでに一部の観客は立ち上がってノっています。パットとマクフィーは楽器をエレキに持ち替えます。3曲目はマイケルのスモーキーなリード・ヴォーカルで「Here To Love You」。言わずと知れた名盤『Munite By Munite』の冒頭のナンバー。この曲かなり好きなので生で聴けて感無量です。前曲からの落差は激しいけれど、この二つのタイプのドゥービーを同時に楽しめるというのが今回のツアーの最大の魅力ですね。ルッソのサックスもいい味を出しています。

4曲目にパットが歌う「Depend On You」が登場。パットもいい声ですが、ちょっと苦しそうだなぁと思っていると、突然PAが落ちるトラブル。演奏はアンプから出る生音だけになっちゃうし、ヴォーカルは全然聞こえません。大丈夫かなと思っていると曲の終盤で復旧しました。もともとパットがリードをとる曲は少ないだけに、この部分はちょっと残念でした。5曲目に、初期の代表的なロックン・ロール・ナンバー「Rockin’ Down The Highway」が登場。もちろん会場は盛り上がり、ここで立ち上がる人もいました。けれども後ろのお客さんが「見えないから」と立ってる人に注文をつける場面もあり、総立ちにはなりません。

6曲目、トムがアコギに持ち替え、最新作から「Easy」の登場です。マクフィーは白のストラトでスライド奏法でリードをとりますが、彼は通常と違って、人差し指にボトルネックをはめ、低音弦側から弦上を滑らせます。ペダル・スティール奏者らしい奏法ですね。しかし、ここでも機材トラブル発生。マクフィーのギターの音色が冒頭かなりキツめだったため、マクフィーがエフェクターを指してクルーに何やら指示を飛ばします。中盤からはあまり音色に問題はなかったように思いますが、このトラブルのあと、白のストラトは弾いてなかったような気もします。曲はサビが印象的な心地よいアメリカン・ロック。トムのいい声が映えますよね。

7曲目、パットがアコギにもちかえマクフィーがペダル・スティールの前に座り、パットが歌うシンガー・ソングライター的な名曲「South City Midnight Lady」の登場。大好きな曲です。それにしても、この曲のコーラスは見事ですよね。マクフィーのスィールも実にスムーズな演奏で心地よいです。トムもエレキでリードをとります。ギタリストが3人ともリードをとれるバンドだけに音に厚みがあります。この曲で、マイケルはフラット・マンドリンを弾いていました。ソロはありませんでしたが、なかなか聞き応えのある演奏でした。曲が終わると早速ペダル・スティールは片付けられてしまいます。それから長めのMCタイム。ドゥービーの活動全期間、唯一在籍している文字通りの”屋台骨”パトリック・シモンズがバンド・メンバーを一人ずつ紹介していきます。パットの紹介はトムが務めます。この辺りでは、すでにパットもマクフィーもジャケットを脱いでいます。

8曲目もアクースティック・ギターをフィーチャーしたパットのナンバーで「Clear as The Driving Snow」です。エレアコを持ったパットとマクフィーがステージ中央に並び印象的なイントロが始まります。後半はちょっとプログレ的な展開を見せマーク・ルッソのサックス・ソロも飛び出します。9曲目は、マイケルのナンバー「It Keeps You Running」の登場です。カーリー・サイモンもカバーした1976年の名曲。実にマイケルらしいオシャレな展開の演奏で、彼のソウルフルな歌声も素晴らしいです。

10曲目は、トムのリードに戻りシンガー・ソングライター的なナンバー「Another Park Another Sunday」が歌われます。トムが歌う曲の中では、一番メロウなタイプの曲ですが、これがまたいいんです。やはりバンドのハーモニーが冴えています。11曲目にやっぱりメロディが素晴らしいロック・ナンバー「Eyes of Silver」。トムのリード・ヴォーカルが続きます。12曲目、トムがアコギに持ち替え、最新作から「Better Days」が演奏されます。この曲のリード・ヴォーカルはパット。なんだか一時期のブルース・スプリングスティーンを連想させる曲調ですが、アメリカン・ロックの王道路線であることは間違えありません。13曲目も続いて最新作からのナンバー「Don’t Ya Mess With Me」です。この日演奏された最新作からの曲の中では、最も豪快なタイプの曲です。もちろん、リード・ヴォーカルはトム。14曲目は、マイケルのナンバー「Real Love」が登場します。解散前のラスト・アルバム『One Step Closer』に収録されている曲で、マイケルのメロウな部分が強調されています。

15曲目で、トムが客席に「Get Up!」と声をかけ立ち上がるように促します。曲は2010年にリリースされた『World Gone Crazy』から表題曲。マイケルがニューオーリンズ風のピアノで少しばかりソロを聴かせた後、ノリがよく楽しい曲調につられて聴衆のほとんどが立ち上がります。ここからライブは佳境に入ります。16曲目でマイケルの歌う「Minute By Minute」が登場。大ヒットアルバムの表題曲。エレピのあのイントロが始まっただけでワクワクしますね。立ち上がった観客もそのまま身体を揺らしています。

17曲目に問答無用のロックンロール・ナンバー「Without You」が登場。これは盛り上がります。トムのハリのある歌声が冴え渡ります。このあたりから、パット、マクフィーそしてマーク・ルッソはソロの時に舞台を縦横に歩き回り、左右の花道でもプレイし始めます。エンディングは、パット、トム、マクフィーの3人が並び、シンコペーションに合わせてギターのヘッドを突き上げるパフォーマンス。これぞドゥービーの真骨頂ですね。18曲目は「Jesus Is Just Alright」をたたみ掛けます。大半がコーラスですが、ブリッジを歌うパットにピンスポが当たり、まるで本当にジーザスのような神々しさです。エンディングでパットがジャンプしたのはこの曲だったかな。

19曲目で再びマイクがマイケルに渡り「What A Fool Believes」が演奏されます。あのシンセのイントロに乗せてマイケルが歌い出します。本当に名曲ですよね。解散ライブ盤で初めてこの曲を耳にしてから40年という歳月を経て、初めて生演奏に接することができました。曲が終わると、トムが印象的なイントロをプレイし始めます。いよいよ代表曲「Long Train Running」の登場です。聴けて嬉しい反面、もうすぐライブが終わってしまう…という複雑な気持ちになります。最初の間奏はマクフィーがハーモニカをプレイ。本当に多芸なミュージシャンです。エンディングでドラムとパーカッションだけの演奏になったかと思うと、ベースとパットのギターがリズムを刻み、マーク・ルッソがサックスを持って下手の花道の端まで行って熱演です。そして21曲目、本編ラスト・ナンバー「China Grove」に突入です。あのイントロの歪んだギターにはディレイがたっぷり効いています。本当に心地よいロック・ナンバー。メンバーの多くが70代と高齢ですが渋くなったり枯れたりせず、全盛期そのままのサウンドを維持しているのは流石としかいいようがありません。この曲の間奏のリードギターはマクフィー。彼は上手の花道の端まで行く熱演。この曲で本編は締めくくられます。

当然アンコールの拍手は鳴り止まず、アコギを抱えたパットと、エレクトリック・フィドルを持ったマクフィーがステージに現れ、アンコールの1曲目「Black Water」の始まりです。もちろんパットのリード・ヴォーカルです。ブルージーなこのナンバーはドゥービーの曲の中でも1・2を争う好きな曲。ライブで聴けて感無量です。1番ではマイケルがフラット・マンドリンを弾いていました。サビではお約束通り「カナザワ・ムーン」の言葉が登場し、大きな拍手を受けていました。それから後半のリフは客席に歌わせて盛り上げます。ドゥービーの初めての全米No.1ヒットがこの曲です。

アンコール2曲目が始まる前、静まり返った客席に向けてルッソのサックスとマイケルのピアノで「Amazing Grace」が演奏されます。これをイントロとして「Taking To The Street」が始まります。もちろんリード・ヴォーカルはマイケル。再結成後マイケル不在時のライブでは、パットが代わりに歌っていましたが、今回のツアーでは本家の歌声を聴くことができました。そしていよいよオーラスは「Listen To The Music」です。まさに大団円。大半の聴衆は「Oh oh」のところで右手の拳を突き上げ、後半のサビでは演奏を静かにして聴衆に歌わせていました。圧巻ですね。

全24曲、2時間と少し。充実したライブでした。Setlist FMというサイトで、ドゥービーズの最近のセットリストが見れるのですが、この50周年記念ツアー、本国でもオーストラリアでもフェスなどを除き基本的に同じ曲、同じ曲順で進められています。しかし、18日の横浜公演まではマイケルの歌う「You Belong To Me」が入っていたのに、なぜか20日の名古屋公演以降は歌われていません。特に聴きたかったというわけでもありませんが、減っちゃってちょっと残念です。マイケルのリードは7曲が6曲になったわけです。パットは「Jesus Is Just Alright」を入れたとしてもリードは6曲。残り12曲がトムのリード・ヴォーカルでした。

トム・ジョンストンはブルー、コールド、チェリー・サンバーストの3本のポール・リード・スミスのエレキ・ギターと、マーティンD-28と思しきアコギの4本。パットは、ピンクと赤系そしてタバコ・サンバーストのストラト3本と、エレアコが2本の計5本。マクフィーは白のストラトと赤系のソリッドの2本、ナショナル・トライコーン、エレアコ、ペダル・スティール、フィドルと6本の楽器を操っていました。ジョン・コーワンも3本のソリッドのベースを持ち替えていました。もしかしたら、見落としがあるかもしれません。ここまで触れてきませんでしたが、ドラムのエド・トスとパーカッションのマーク・キノネス二人もすごく的確なプレイ。ドゥービー・サウンドの再現にすごく貢献していました。

バンドの歴史を振り返ると、何と言っても1976年の『aking To The Street』が大きな転換点ですよね。トム・ジョンストンが体調不良のため徐々にバンドを離れていき、代わりに新加入のマイケル・マクドナルドがバンドの主導権を握るようになります。それに伴ってパットの書く曲も変化していきます。このアルバム以前は豪快なアメリカン・ロック・バンドだったのが、洗練されたソウルフルなサウンドを聴かせるようになります。カントリー的な要素は存続しますが、アルバムの中ではちょっと浮いた存在になっていきますよね。1976年というと、ボズ・スキャッグスの『Silk Degrees』やイーグルズの『Hotel California』がリリースされたと同時に、ロンドンからはパンクが一大勢力として登場し、ロック界が大きく変質していく年です。ドゥービー・ブラザーズは、こうした中でトム・ジョンストンが戦列を離れるというアクシデントはあったものの、AOR路線へと転換しヒット・レコードを出し続けシーンを牽引する役割を果たしました。自分がアメリカン・ロックに興味を持ち出した10代半ばは後期ドゥービーズの時代に当たります。前期と後期、どちらも好きですが、今回のコンサートでは、その両方を見ることができる稀有な機会となりました。

アメリカ大陸は広く、貨物列車は今日も大陸全土を走っています。彼らの「Long Train Running」はその貨物列車を歌い込んだ愛の歌ですが、鉄道の役割は20世紀後半にはインターステイト・ハイウェイが整備され大型トレーラーにかなりの部分が置き換わってしまいました。何かの記事で、”ドゥービーズやオールマン・ブラザーズ・バンドのツイン・ドラムは、トレーラーのダブル・タイヤのように大陸全土を走るトレーラーやトラックの推進力だ”という意味のことが書かれていたのを読んだことがあります。言い得て妙だと思いました。当時のトラック・ドライバー達はドゥービーズやオールマンズなどをBGMに果てしなく続くハイウェイを走り、アメリカの物流を担っていたのでしょう。今回のコンサートは自分にとって最初で最後の生ドゥービーズになるかもしれませんが、”アメリカン・ロックの真髄”の一端を見せてくれた、素晴らしいライブでした。

最後に作家のクリス・イプティングがパンフレットに寄せた文章の拙訳を載せておきます。

「1970年、カリフォルニア州キャンベルのガスライト・シアターで出会ったトム・ジョンストンもパット・シモンズも、50年以上も後になって、彼らがまだ音楽のソウル・メイトで居られるとは思いもしなかっただろう。ジョンストンはその夜、ベイエリアの伝説的なバンド、モビー・グレイプのスキップ・スペンスとプレイしていた。シモンズはフォーク・デュオの片われだった。すぐに二人は意気投合し、ジョンストンが他のプレイヤー達と住んでいたサンノゼの12番ストリートの家の近くで夜中までジャムっていた。ジョンストンのドライブするエレキ・ギターのサウンドとシモンズの複雑なピッキング・スタイルがブレンドされた。そのサウンドは二人が大ファンだったモビー・グレイプのハイブリッドなサウンドに似ていないことはなかった。

彼らは、そのようにして始まった。

ドラマーのジョン・ハートマンとベーシストのデイヴ・ショグレンと一緒になって、4人組はすぐにサンタクルーズの山深くにある伝説のシャトー・リベルテでギグを行なった。そこは、ハードコアなバイカーからアーティスト、学生まで来るものを拒まないボヘミアンが集うロードハウスだった。けれども、どんなバンドにも名前が必要だ。一番最初のギグの前に、彼らのハウスメイトが冗談めかして「ドゥービー・ブラザーズはどうだ?」と提案した。というのも、バンドがある種の天然素材に飢えていることを考えると、選択肢のひとつになる。その名前ははまった。無名だったプロデューサーのテッド・テンプルマンとともに、ドゥービー・ブラザーズは、モビー・グレイプにインスパイアーされたサウンドを磨き上げた。そのサウンドはすぐにR&B、フォーク、カントリー・ロック、そしてブルーズそのものを含んだ音楽へと広げられた。アメリカン・ミュージックに祝福されたアメリカン・バンドとなったのだ。数年間のノンストップ・ツアーの後、ロードの戦士たちには立ち止まる必要が生じた。ツアーの最中、健康問題がジョンストンをロードから離れさせることになり、マイケル・マクドナルドという名の若いバックグラウンド・ヴォーカリストにその代役が回ってきた。バンドの次のステップはさらにレパートリーとスタイルを押し広げた。長い間、ドゥービーズは活動を休止し、マクドナルドはソロとなった。バンドは再結成しジョンストンはパットともにフロントマンに復帰した。今夜、この信じがたい歴史のあらゆる章が同時に再現される。今まで実に多くのプレイヤーがこのミュージカル・ファミリーの様々なパートを担ってきた。タイラン・ポーター、ジェフ・スカンク・バクスター、キース・クヌードセン、マイケル・ホサック、ボビー・ラカインド、その他大勢。今夜、この新たにロックの殿堂入りしたグループの素晴らしい音楽的遺産を形成するために、彼らが果たした役割のために、彼ら全てを代表して演奏される。彼らは何度も世界中にメッセージを届けてきたオリジナルのロックンロール・カウボーイだ。彼らの世代で最も影響力が強く、エネルギーに満ちたショーを行うことで、何百万人もの人々を楽しませてきた。そして、今夜彼らはあなたのためにここにいる。あなたが彼らのためにここにいるように。

私たちは、あなたが立ち上がり、ともに歌い、あなたが覚えている彼らの歌を感じるため、あなたを招待した。これがあなたが成長してきた人生のサウンドトラックかもしれないし、あるいは、より若いファンとしてドゥービー・ブラザーズを発見したまさに最初の時かもしれないが、何れにせよ、今夜はあなたが決して忘れらない夜の一つになるだろう。そして、音楽に耳を傾けるだけでいい。なぜなら、全てが終わった後、私たちは心配することは何もなく、急ぐことも何もないからだ。    クリス・イプティング」

1.Nobody
2.Take Me in Your Arms (Rock Me a Little While)
3.Here to Love You
4.Dependin' on You
5.Rockin' Down the Highway
6.Easy
7.South City Midnight Lady
8.Clear as the Driven Snow
9.It Keeps You Runnin'
10.Another Park, Another Sunday
11.Eyes of Silver
12.Better Days
13.Don't Ya Mess With Me
14.Real Love
15,World Gone Crazy
16.Minute by Minute
17.Without You
18.Jesus Is Just Alright
19.What a Fool Believes
20.Long Train Runnin'
21.China Grove
(Encore)
22.Black Water
23.Takin' It to the Streets
24Listen to the Music

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Joe Walsh / There Goes The Neighborhood

joewalshneighborhoodジョー・ウォルシュは言わずと知れたイーグルズの後期メンバーです。1968年ジェイムズ・ギャングのギタリストとして頭角を表し、1971年に脱退するとジョー・ヴァイターレやケニー・パサレリとバーンストームを結成。2枚のアルバムをリリースします。この2枚のミュージシャン・クレジットは「ジョー・ウォルシュ」となっており、ソロ作と捉えても良いのかも知れません。1974年には完全なソロとして『So What』をリリースしますが、翌1975年にはバーニー・レドンの後釜としてイーグルズに加入するも、引き続きソロでもアルバムをリリースしたり、ロッド・スチュアート、J・D・サウザー、デイヴ・メイスン、ランディ・ニューマン、ウォーレン・ジヴォンはじめ多くのミュージシャンのアルバムにギタリストとして参加しています。

このアルバムは、イーグルズ解散後の1981年にリリースされたウォルシュの4枚目のソロとなりますが、バーンストーム時代も入れると6枚目となります。自分が好きなのはバーンストームの1枚目です。もちろんCD化された後に聴いた後追い世代ですが、ボトルネック・ギターのサウンドも含め結構お気に入りです。

さて、このアルバムはデヴィッド・リンドレーが参加しているということで、学生時代に中古LPで入手したんだと思います。でも、当時はあんまりピンとこなかったなぁ。今聴くと、ニューウェイヴとか80年代サウンド全盛の時代にあって、結構面白いことをやってる一枚だなぁと結構楽しむことができました。

リンドレーが参加しているのは以下の2曲です。ボトルネックはウォルシュもお得意なので、スライドは弾かずフィドルとコーラスでの参加となっています。

まず、A面の3曲目「Down On The Farm」です。ミディアムながらウォルシュのエレキ・ギターのサウンドが結構ハードな感じを醸し出しているロック・ナンバーなんですけど、リンドレーのフィドルがタイトルに合わせて田舎びたサウンドを出しているのが素晴らしい。通常、こういう曲にフィドルのサウンドは合わないはずなんですが、きっちり”聴かせる”サウンドになっているところが、この二人の凄いところでしょう。また、曲の全編で聴ける口琴が印象的です。曲のタイトルが数年前に出たリトル・フィートのものとかぶってますが、もちろん同名異曲です。

B面2曲目「Bones」は、ちょっともたついてるリズムが素敵なマイナーのブルーズ・ロック。間奏部分のスキャットでジョーの声に呼応する裏声のコーラスを入れているのがリンドレーです。ジャクソン・ブラウンの「Stay」で聴けたあの裏声を少し聴くことができます。この曲にも”Violin”のクレジットがあるけど聞こえないです。もしかしたら、複数入っているエレキ・ギターの一つがリンドレーかも知れませんが、クレジットを間違えたのかも知れません。

他の曲にも簡単に触れてみましょう。冒頭の「Things」は、重いドラムで始まるけれど、ミディアム・テンポの爽やかないい曲です。エレピのサウンドがいかにも80年代の雰囲気を出し、ちょっとばかりAORっぽい香りもします。エンディングのごく短い自由なアカペラ・コーラスも面白いです。「Made Your Mind Up」は、少しばかりハネるリズムの明るいナンバー。ウォルシュのボトルネック・ギターがいい味を出しています。彼のスライドもロング・トーンで本人はデュエイン・オールマンの影響を公言しています。「Rivers(Of the Hidden Funk)」は、ゆったりしたイントロの途中からタイトル通りのファンキーなベースラインでインテンポになります。でも、やっぱりこれはロック・ナンバーですね。「A Life of Illusion」は、印象的なメロディを持つロック・ナンバー。ウォルシュの個性がいい形で発揮されています。間奏はやはり本人のボトルネック・ギターが活躍します。「Rockets」は、タイトルとは裏腹に美しいバラードです。やはりシンセやエレピの音色がいかにも80年代の香りを醸し出しますが、ウォルシュは上手く使って”いますね。ラスト・ナンバーの「You Never Know」は、ちょっと複雑な構成で組曲的展開を見せるマイナー・キーのファンキーなロック・ナンバーです。ウォルシュのギターはもちろん声もこういう曲にも結構ハマるような気がします。

今回、久々にアルバム全曲に耳を通しましたが、なかなかいい作品ですよね。このアルバムが出る頃にはイーグルズは一旦解散してましたが、彼はイーグルズでの活動を経て知名度も向上し、このアルバムもビルボードのチャートで20位を記録しました。アルバム・ジャケットは都市を見下ろす丘の上のゴミの山に停めた戦車に乗ってサングラスをかけ迷彩服を着たウォルシュがなんだか物想いにふけってる写真です。彼のジャケットは古い複葉機だったり、ミラーボールだったり、インパクトが強いものが多いですね。特に西海岸のロック・ミュージシャンはリベラルで平和を望むタイプの人が多い気がするのですが、このアルバムといい、『You Bought It-You Name It 』といい”戦争”を思い起こさせるものがいくつかあります。でも、彼はオハイオ州ケント州立大学の学生で、1970年ベトナム戦争反対デモを行っていた学生に州兵が発砲し4人が亡くなった事件の時、キャンパスにいて衝撃を受けたそうです。この事件はニール・ヤングがすぐさま「Ohio」という歌にして、CSN&Yで急遽シングルをリリースしましたから、ロック・ファンにはよく知られた事件ですよね。そんなウォルシュですから、思想が右寄りということはないと思うのですが、どういうわけか、こんな感じのジャケットが多いです。彼らしいとも言えますけどね。いち早くヴォイス・モジュレーターを導入したり、派手な衣装でステージを飛び回ったり、「I Like Big Tits」という曲を作ったりと結構ロッカーらしい破天荒な側面を持ち合わせているようですね

The Chieftains / Santiago

chieftanssantiago1996年にリリースされたこのアルバムは、主に伝統的なガリシア音楽を取り上げたものです。ガリシア地方というのは、スペインの北西部にある地域で、古くからケルト人が居住しているところです。少し前に取り上げたカルロス・ヌニェスはこの地域の出身で、このアルバムでも活躍しています。ガリシア人は、メキシコやキューバはじめ世界各地へと移民していますが、こうした地域の音楽も取り上げられています。アルバムにはパディ・モローニが執筆したライナーが掲載されています。日本盤にはちゃんとした翻訳が掲載されているのでしょうけど、輸入盤しか持っていないので、ここに拙訳を載せてみようと思います。曲ごとのライナーまでは全部訳しきれませんでした。

「20年以上前、親しい友ポリ・モンジャレは私にスペインの北西隅の緑にあふれた丘陵地帯、ガリシア地方の素晴らしい音楽を紹介してくれた。そこに住む人々は昔から漁業と農業を生業としていたが、ヨーロッパの中でも伝統的に最も貧しい地方の一つである。ガリシアの人々は自分たちの言語(その言葉はスペイン語よりポルトガル語に近い)を話す。彼らの文化、特に音楽はカスティーリャやアンダルシアより、ブルターニュやウェールズやスコットランドとの共通点が多い。ガリシアはかつて”もっとも知られていないケルティック・カントリー”と説明されていた。

1984年、ヴィゴの港で、私はガリシアのバンド、ミラドイロが主催する野外フェスティバルで演奏した。私はそこでその名をカルロス・ヌニェスという物静かで礼儀正しい若者を紹介された。数年後、ブルターニュのプロムールの音楽学校を訪れた時、若く才能のあるガリシア人のパイパーが私たちのために演奏してくれた。私は驚き喜びに包まれた。彼こそ数年前に紹介された、まさにその若者だったのだ。

少しあと、ポリとフェルナンド・コンデの助けで、セニョール・ヌニェスと同様に若く知恵のある仲間とともに、私はヴィゴから来た早熟なパイパーがチーフタンズのステージに参加するようアレンジした。その夕べは音楽スタイルと伝統の栄えある邂逅となった。その瞬間から私はこの経験を再生拡大し、そのエッセンスをとらえレコードにしようと決意した。その数年前、『ケルティック・ウェディング』というブルターニュ音楽のアルバムを出したように。

そのプロジェクトはゆっくりと進んでいった。ヴィゴでの最初の夜には決して想像もしなかった多くの新しいエキサイティングな方向へと我々を連れて行くことになった。カルロスは世界中で我々のステージに出演し、リコーダーとガイタの無類の技術で観客を魅了した。こうして彼は、チーフタンズの”ほぼ7人目のメンバー”と呼ばれるようになった。我々はともに旅し、レコーディングを行った。そして、私たちが訪れた様々な場所の伝統的な巡礼のルートから、サンティアーゴ・デ・コンポステラの魅惑的な大聖堂へと至る我々の音楽活動のためのインスピレーションを導き出した。キリスト教徒はその場所を神聖視し、セント・ジェームズ使徒(聖ヤコブ)の最後の休息所と信じている。古代ケルトの時代には、天の川の星を追って地の果て(フィニステレ岬=イベリア半島北西)まで巡礼したという古い伝説がある。その神秘的な起源を超越して、巡礼は世界中から何千人もの人々をこの遠い地に引き寄せ続けている。旅の間、私たちはブレトンからバスク、アストゥリアスからポルトガルなどの様々な文化の雰囲気や音楽スタイルをサンプリングした。そこには巡礼が最高潮に達した時の中世から続く音楽があり、それは、より遥か昔のもっと曖昧な起源までさかのぼる。

現代史をみると、彼らと同じケルト系の多くの部族同様、ガリシア人が新世界に大量に移民した時、彼らの音楽はより進化した。意図的であれ必然的であれ、彼らは米国南部に一次定住し、メキシコとカリブ海から中央アメリカと南アメリカにルーツを広げた。旅の中で私たちは、カルロスや良き友ライ・クーダーと、そしてのちには南カリフォルニアでロス・ロボスやリンダ・ロンシュタットと共にこの異国情緒あふれる料理の味だけをサンプリングすることができた。

ガリシアの豊かな伝統に裏打ちされた音楽を持つ他の国々が、私たちを巡礼の旅に誘う。残念なことに、今回はここで旅のスケジュールを終えなければならなかった。アルゼンチン、ブラジル、ヴェネズエラ、すべての国々がサンティアーゴに戻る新たな機会、新たなプロジェクト、新たな旅を待っている。

パディ・モローニ 1996年7月」

このアルバムの録音は、1996年7月までには終えられ、この年の後半にリリースされたものと思われます。アルバムにはキューバ録音の曲が2曲収められています。ジョン・グラッドによるチーフタンズの伝記本『アイリッシュ・ハートビート- ザ・チーフタンズの軌跡-』にも、このアルバムのことが出てきます。しかし、エピローグ近くであまり詳しく触れられていませんが、こんな記述があります。

「『Long Black Veil』発売前にすでに、パディ・モローニはチーフタンズの次の企画の仕事を始めていた。これはガリシア音楽のアルバムになるはずだった。『Celtic Wedding』の次のステップとして、モローニはケルト音楽の繋がりをスペイン北西部のガリシア経由でキューバと南アメリカまでたどる野心的な企画に乗り出し、地元のミュージシャンと共演して、とりあえず『チーフタンズのガリシア詣で』と題したアルバムを作りはじめた。」とあり、1994年の11〜12月頃サンティアーゴ・デ・コンポステーラのコンヴェント大聖堂でオーケストラと合唱隊とのセッションを録音したことが述べられています。それが、このアルバムに収録された「Dum Paterfamilias / Ad Honorem」です。また、続いてヴィゴで録音された「Dublin In Vigo」の録音の模様についても触れられています。その約2月後に行われたロス・ロボスとリンダ・ロンシュタットとの録音のことも触れられているのに、不思議なことなぜかキューバ録音のことは出てきません。おそらく、この本の対象が『Long Black Veil』がグラミーを受賞する1996年2月までで、キューバ録音は1996年の4月以降に行われたからでしょう。95年8月はじめ、パディは、ジェリー・ガルシアの父がガリシア地方に出自を持っていたため、ガルシアにこのアルバムへの参加要請を行います。彼は入院中で、次の土曜日なのでおそらく8月12日に彼から電話をもらうことになっていたそうですが、8月9日にジェリー・ガルシアは亡くなってしまいます。そのためガルシアが客演する予定だった曲を彼の追悼の意味を込めて録音したそうです。このアルバムに関する『アイリッシュ・ハートビート- ザ・チーフタンズの軌跡-』の言及はここまでです。

1996年3月、ライ・クーダーは息子のホアキムやスタッフと共にキューバに渡り、エグレム・スタジオで歴史的な『Buena Vista Social Club』の録音を行います。このアルバムのためのキューバ録音はそれ以後、パディがライナーを書いた7月までの間と考えられます。もちろん、ライは一旦ロスに戻り、パディらチーフタンズの面々と共に改めてキューバに渡航したのでしょう。ライが参加している12・13曲目は、エグレム・スタジオで、ゼクシア・トレスのアシストでエンジニア、マット・ケンプにより録音されています。この録音を仲介したのは、すでに『Buena Vista Social Club』でキューバに人脈ができていたライ・クーダーだったと考えるのが自然でしょう。『Buena Vista Social Club』がリリースされるのは1997年の9月ですから、このアルバムの方が先に世に出たことになります。

キューバ録音のゲスト・ミュージシャンは、ウッド・ベースが『Buena Vista Social Club』のリズム隊”カチャイート”・ロペス、トレスがパンチョ・アマット、パーカッションがロベルト・ガリシア。リチャード・エギュエスがフルート、この編成にライがマンドーラで参加します。彼らがチーフタンズとカルロス・ヌニェスと共に曲を作り上げるのですから、世界中どこにもない異種交配音楽になるのは必定。ケルト音楽とキューバ音楽との見事な融合を聞くことができます。

12曲目は「Santiago De Cuba」。印象的なメロディを持つこのインスト曲では、バウロンとコンガがリズムを刻みベースが底支え、主旋律はヴァイオリンが担当します。そこに絡みつくパディのティン・ホイッスルも心地よいです。前半のオブリガードはライのマンドラでとっても心地よいフレーズが次々と繰り出されます。デレクのアイリッシュ・ハープも絡み、後半に隠し味的にヌニェスのガイタも顔を出します。

13曲目「Galleguita / Tutankhamen」はトレスで始まります。マイナー・キーの曲で味わい深い演奏がひとしきり続いた後、女性コーラスが歌いはじめます。続くソリストの歌声もとっても素敵です。エンディングではメジャー・キーに転調。インストになり主旋律をヴァイオリンが奏で、明るい希望の兆しがみえるような展開で曲が終わります。パディのティン・ホイッスルによるオブリが全編で存在感を放ち、マンドラとトレスは終始リズムを刻んでいます。ライナーには以下のような文章が寄せられています。「ガリシア人のキューバへの移民には長い歴史がある。長年にわたってメロディーは、アフロ・キューバのエキゾチックなリズムやコーラススタイルと混ざり合い、不思議な調和を生み出してきた。私たちが最初にキューバに着いた時、6人のミュージシャンに依頼した。最終的に30人以上のシンガーやプレイヤーが現れた。彼らの自発性と友情を交わす際の楽しげなセンス、そして祝賀会は圧倒的だった。スタジオでのセッション終わるまで、ダンスと笑いが夜中まで続いた。」

8曲目の「Guadalupe」は、メキシコに渡ったガリシア人がテーマです。
デレクのアイリッシュ・ハープで幕を開ける軽快な三拍子のナンバー。まさにケルトとメキシコ音楽の融合を示す美しい曲です。メキシコの弦楽器とパーカッションをロス・ロボスが担当、1番をリンダが透き通るようないい声で歌うと、2番はロス・ロボスの面々が合唱します。このセッションはのちに米墨戦争をテーマとしたアルバム『San Patricio』を作る伏線となったことでしょう。ライナーには以下のように書かれています。「リンダと、ロス・ロボスのメンバーとは会うチャンスがなかったが(この曲を録音する時の我々の旅のスケジュールは3つの異なった都市で行うことになっていた)、彼らはこの楽しいデュエットを正しく実行してくれたと思う。まだ未完成だったが、私たちはこの曲を「メキシカン・コネクション」と呼んで親しんでいた。この曲は新世界に移民したガリシア人が故郷に帰ることを熱望してつくった典型的な曲である。」

このアルバムのテーマは、パディのライナーにあるようにガリシア音楽です。世界中に移民したガリシア人の音楽のうちキューバとメキシコの音楽を先にチェックしました。後の曲は、ガリシア地方の音楽ばかりで、中にはパディが作曲したものもあります。ライナーに書かれているように中世に遡る教会音楽もありますから、ロック・ファンにとっては馴染みにくい曲もあるでしょう。でも、多くの曲ではバウロンのビートが効いていて、ダンス・ミュージックとして普通に楽しめると思います。

さて、キリスト教徒には三つの巡礼の道があると言われます。一つ目がエルサレムへの道、二つ目がローマへの道、そして三つ目がこのアルバムのテーマである聖ヤコブを祀るサンティアーゴ・デ・コンポステーラへの道なんだそうです。冒頭の組曲もこの聖地巡礼をテーマとしたものです。1〜5曲目が組曲となっています。3曲目に素朴な男性の歌声が入っています。4曲目はカバキーニョが複雑なリズムを刻み、イベリア半島から南米への繋がりを感じさせます。5曲目のメドレーがアカペラの男性コーラスで始まり、デレクのアイリッシュ・ハープが控えめにオブリガードを奏でます。大聖堂で録音された聖歌で中世の香りが漂います。後半の曲にはチーフタンズの演奏が控えめに重なります。とても美しいナンバーです。大聖堂で合唱やオーケストラを録音するのは難題だったそうですが、ナチュラル・リヴァーヴが幻想的な雰囲気を醸し出し、この場所でしか聴けない荘厳なサウンドになっていると感じます。

6曲目の前半はパディとカルロスの二人だけの共演のようです。イーリアン・パイプとガイタだけで見事なサウンドですが、後半チーフタンズの面々が加わり賑やかに盛り上げます。7曲目はガリシア音楽を基調にパディが作曲した「Galician Overture」です。11分にも及ぶ大曲で、これも組曲構成となっています。ガリシア地方のオーケストラによる幻想的なストリングスで始まり、スパニッシュ・ギターが少し顔を出したかと思うと、パディのイーリアン・パイプが物悲しいソロをとります。それを引き取ってストリングスがひとしきりメロディを奏でた後、イーリアン・パイプと共演。後半バウロンのリズムとともにケヴィンの歌声も少し聞くことができますが、すぐにオーケストラが中心の演奏に移行。ひとしきり演奏が続いたあとは、チーフタンズ中心のプレイに戻り二人のフィドルをフィーチャーします。また、パディやカルロスのホイッスルやリコーダーがリードを取ったかと思うと、また曲想が変化しオーケストラの軽やかな演奏となります。このあたりはクラシックの世界に通じますよね。パディの才能たるや底なしだと思います。

9曲目はフルートで始まる美しいワルツです。アイリッシュ・ハープ、ティン・ホイッスルが重なり、バウロンがリズムを取り始めます。チーフタンズとカルロスだけの素朴だけれど技巧にあふれた演奏です。10曲目は打楽器に乗せてガイタとティン・ホイッスルの共演で始まります。中盤からガリシア地方のオーケストラが加わり壮大な演奏になります。11曲目は、エリオット・フィスクによるスパニッシュ・ギターで幕開けです。スペイン音楽とケルト音楽の素敵なミクスチャーを聞くことができます。

14曲目は「この美しいラブ・ソングは若い女性に男の約束を決して信用するなとアドバイスするものだ。いくつかの事柄は不変である。」との解説があります。物悲しいティン・ホイッスルのアイリッシュ・ハープだけで始まる実に美しいナンバーです。途中からフルートとガイタが加わりますが、打楽器の入らない静謐な演奏です。

ラストは、賑やかに盛り上がります。カルロスの故郷の町ヴィゴのダブリン・バーにミュージシャンを招いて録音されました。パディの弁では「20人のミュージシャンしか呼んでいなかったのに、その小さい狭いバーに150人やってきたんだよ。とにかくもう勝手にやらせたんだが本当に無茶苦茶になったね。本物のパーティの雰囲気を出すために。わめく声や手をたたく音もそのままにしておいたよ。」とのことですが、すごくいい音で録られています。アルバムの楽しいフィナーレとしてこれほどふさわしいものはなかなかないでしょう。

神聖な曲も交えつつも、世界中でふんばって生きているガリシア人のたくましさを感じさせる素朴な演奏も多い好盤。1997年のグラミー賞のベスト・ワールド・ミュージック・アルバムを受賞しました。

Bob Dylan Live At Osaka Festival Hall

IMG_9127IMG_9128昨日、御年81歳のボブ・ディランのコンサートに行ってきました。チケット代26000円は、今まで見たコンサートの中で最高額です。最初は、ディランは1回見てるし、もういいかな、とも思ったのですが、今年に入って70代ミュージシャンの訃報が相次ぐ中、”これが最後になるかも知れない”と急遽出かけることにしました。もう15年くらい前になるでしょうか、ブルーノート福岡がなくなり、少し時を置いてビルボード福岡となった時、こけら落としのスティーリー・ダンのライブが20000円で、”ちょっと高いよな”と諦めました。その後ウォルター・ベッカーが亡くなってしまい、もうスティーリー・ダンを見ることができないので少し後悔しています。その時に比べれば、来日公演の”相場”は全体的に上がっているけれども、それにしてもちょっとなぁ、と思わせる金額です。悩んだ末、ディランの4月8日の大阪公演は、土曜日で仕事は休みだし、17時開演なので終演後福岡に戻れるとあって、この機会に見ておこうと思ったのですが、さすが土曜なので1階席は売り切れていたようです。

会場の大阪フェスティバルホールに行くのは1998年のジャクソン・ブラウンの公演以来です。したがって建て替えられ2012年に完成した新ホールは今回が初めてとなります。大阪出身なので学生時代の1988年までは、何度か”フェス”でコンサートを見ました。1987年、最初にジャクソンを見たのもここだったし、翌年には2階席からレイ・チャールズを見ました。当時彼は57〜8歳だったので、今回のディランよりずっと若かったのですが、1時間少々の公演時間でアンコールもなく物足りなかった記憶があります。98年は社会人になっていましたが休日を利用して大好きなジャクソンを見にいきました。前の”フェス”は1階後方や2階席が急勾配でしたが、それだけにステージが近く見やすかったのですが、新ホールは勾配が緩やかになった分、ステージは遠くなりましたね。座席は赤色、以前もそうだったような気がします。また、多くの女性スタッフが着ているジャケットも赤が映えてまぶしかったです。美しいホールで音響もよく心地よくコンサートを楽しむことができました。

大阪でコンサートを見るのは、2018年以来です。この間コロナ禍のため様々なイベントが中止・延期を余儀なくされ、ディランの来日公演も2020年に決まっていましたが、中止になりました。その後リリースされた最新アルバム『Rough And Rowdy Ways』のツアーが2021年から始まり、昨年11月までのヨーロッパ・ツアーに続いて、今年のツアーが日本からスタートしました。初日は4月6日、この日は3日目で大阪公演の最終日です。携帯電話、オペラグラス禁止とあって、初めての経験でしたが、会場入口で携帯の電源を切り、専用のケースに入れられますが、そのケースは絶対に開かないように細工されます。終演後出口で専用の機器で解錠するという仕掛けです。他にも金属探知機を持った警備員もいて、こういう経費もチケット代に反映されているわけですね。円安もあるし、パフォーマー側からの要請ならば仕方ないかなと思いました。

定時を少し過ぎて、会場が暗転しクラシック音楽が流れミュージシャン達がステージに現れました。少し音出しをした後、いよいよコンサートの幕が上がります。下手からギターのボブ・ブリット。彼の上手側にスタンド・マイクが2本、中央にディランが弾くベイビー・グランド・ピアノ。その真後ろにドラムセット。ドラムはジェリー・ペンテコスト。その上手側に寄り添うようにベースのトニー・ガーニエ。ピアノのすぐ上手側にはギターのダグ・ランシオ、ランシオの真後ろにペダル・スティールのドニー・ヘロンがいます。メンバーは、ほぼ半円形にディランを囲み、彼を凝視しながら彼の歌やピアノのフレーズに反応して演奏しています。ミュージシャンのセッティングは、通常より後ろ目、照明もスポットなどは一切使わず、基本両サイドのフット・ライトのみでメンバーの姿が仄暗く浮かび上がるような”大人な”照明でした。ディランをバックアップするミュージシャン達は前回見た2014年の”ライブハウス・ツアー”の時のメンバーはベースとスティール・ギターの2人はそのままですが、ギター2人とドラムは交代しています。メンバーは全員黒のスーツ。まさに”影”として主役ディランを支えます。

1曲目は「Watching The River Flow」です。シャッフルのリズムが心地よいブルーズにアレンジされて3回しくらいイントロが続きます。ディランもピアノで演奏に参戦です。そして、あの声で歌が始まります。ギタリスト達のアンプも小型のツイード・タイプを使っています。音量は本当に適度、耳に馴染む感じです。ディランの声もよく聞こえます。曲が始まると大きな拍手が会場を包み、1番が終わるとまた拍手が巻き起こるといった具合でオーディエンスがコロナ禍を超えディランと会えた喜びを体現していました。

2曲目は「Most Likely You Go Your Way and I'll Go Mine」です。軽快なアレンジで”彼にしては”比較的原曲に近い方だと思います。この曲の入っている『Blonde On Blonde』はディランの中で1・2を争う好きなアルバムなので、この曲が聴けてとっても嬉しかったです。この曲にも盛んに拍手が送られていました。

3曲目、最新アルバムの冒頭のナンバー「I Contain Multitudes」が演奏されます。ディランが一人でピアノを弾きながらひと回し歌います。その間にベースのガーニエは、ウッド・ベースに持ち替え、ボウイングで演奏します。その音色がとっても素晴らしく、ギターとピアノが織りなすアンサンブル共々とても美しい演奏でした。

4曲目はやはり最新アルバムから、「False Prophet」の登場です。ブルーズですが出だしの重厚なリフのメロが大きく変わってちょっと軽めの印象になっています。

5曲目に「When I Paint Masterpiece」が演奏されます。個人的にはこの曲が最高でした。もともと大好きな曲でメロディもさほど崩さずに演奏されました。リヴォン・ヘルムもリチャード・マニュエルもリック・ダンコもみんな世を去ってしまった今、ディランの声でこの曲が聴けるというのは感無量です。やはりディランがピアノでひと回し歌っている間に、ベースはウッドに、ペダル・スティールはヴァイオリンに、そして上手のギターはアコギに持ち替え、インテンポからリズミックな演奏になります。リード・ギターはブリットが弾いていますがエンディング近くではアコギのランシオもオブリを弾き、実に心地よいアンサンブルでした。

6曲目、最新アルバムから「Black Rider」です。ヘロンはエレクトリック・マンドリンに持ち替えていますが、もしかしたらギターかも知れません。ドラムはリズムを刻まず全編ルバートのような演奏ですが、緊張感のあるプレイです。会場はしんとしてバンドの演奏に聴き入っています。エンディングでのドラムのタイミングは絶妙でした。

7曲目も最新アルバムから「My Version of You」。ガーニエは前曲、前々曲に引き続いてウッド・ベースを弾きます。この曲はワルツですがかなり不気味な内容の曲です。後半に行くに従って1拍目が強調され力強い演奏になっていきます。

8曲目に多くのアーティストにカバーされている「I’ll Be Your Baby Tonight」が登場します。この曲もディランがルバートのピアノの弾き語りでパラードのように歌い始めます。ひと回し終わったところで客席から大きな拍手が送られます。ルバート部分が終わると、ギターがリフを刻み始めちょっとラテン風味のロックンロールになります。そのリズムに乗せてディランもあまり上手くないというか、ドヘタといってもいいピアノで演奏に参加します。しばし心地よいインスト部分が続いたと思ったら、ディランが歌い始めたタイミングで、三連のロッカバラードに変身。ひと回しで曲が終わります。実に凝った編曲になっています。ロックンロール部分ではガーニエが舞台下手に移動し、ブリットともに体でリズムをとるなど、少し”動き”を見せていました。

9曲目は、最新作に戻り「Crossing The Rubicon」が登場です。この曲も粘っこいブルーズ・アレンジですが、アルバム・バージョンの印象的なリフは弾かれず、曲の印象が結構変わっています。この曲でガーニエは再びウッド・ベースを手にしています。「ルビコン川を渡る」というのはシーザーの故事にちなみ「後戻りができない」ことをいいますが、北中正和氏は近刊の新書『ボブ・ディラン』の中でこの曲のことを「一線を越えるという勇ましいタイトルとはうらはらに、むしろ穏やかな諦観さえあるブルースです。」と表現しています。まさにそのような「落ち着き」をはらんだ演奏です。

10曲目は、アルバム『Nashville Skyline』収録の「To Be Alone With You」です。この曲も『Nashville Skyline』の中では一番好きなので、やってくれて本当に嬉しかったです。例によってひと回しディランがピアノ弾き語りで歌い、インテンポになりますが、原曲と違って軽妙なシャッフル。ダグのアコギのリズムに乗せてヘロンのヴイオリンも活躍します。ガーニエはそのままウッドベースで伴奏しています。

11曲目は、最新作から「Key West(Philosopher Pirate)」です。原曲に近いながらも美しくディランのピアノが生かされた渋いアレンジとなっています。ここでも最初のひと回しをディランが弾き語っている間に楽器を持ち替えます。メンバーの楽器はガーニエがエレべに、ヘロンがスティールに、ランシオはエレキに戻っています。ヘロンのスティールがしばしソロをとる場面がありました。

12曲目は、『Slow Train Coming』に収録されておりシングル・ヒットも記録した「Gotta Serve Somebody」の登場です。ここでもひと回しディランが弾き語りで歌うと、バンドが一体となって走り出します。実にカッコいいアレンジです。ブレイクでは、ブリットとランシオの二台のギターがタイミングを合わせリフを決めます。見事です。ノリのいいこの曲が終わると大きな拍手と歓声があがっていました。ディランも拍手に「Thank you」と応えます。コンサートはMCもなく淡々と進んでいきましたが、ディランの「Thank you」は何度か聞くことができました。

13曲目は、最新作から「I’ve Made Up My Mind To Give Myself To You」の登場です。印象的なリフが何度も何度も繰り返されるバラードですが、自由なディランのピアノ以外はほぼ原曲に忠実に再現されていました。本当に心地よく美しい演奏で心が和みます。ガーニエはウッド・ベースに、ヘロンはおそらくエレキ・マンドリンに持ち替えて美しいアンサンブルに貢献しています。

14曲目は、『Fallen Angel』に収録されていたジョニー・ジョンストンの「That Old Magic」が演奏されます。ガーニエはウッド・ベースのまま、ヘロンはスティールに戻ります。スウィング感あふれる演奏に酔いしれました。この曲について北中正和氏は『ボブ・ディラン』の中で詳しく解説しています。少し引用してみることにします。

「1940年代から50年代にかけてのゴージャスなストリングスやビッグ・バンドの音に包まれた歌を、ボブは5人前後のバンドの演奏に変換して、いわば往年のポピュラー音楽の素顔を見せてくれます。たとえばもともと映画『スター・スパングルド・リズム』でジョニー・ジョンストンがオーケストラ伴奏で歌った「ザット・オールド・ブラック・マジック」を聞いてみましょう。ジュディ・ガーランド、グレン・ミラー、フランク・シナトラ、エラ・フィッツジェラルド、サミー・デイヴィス・ジュニア、ビリー・ダニエルズ、ルイ・プリマとキーリー・スミスなど無数の歌手が取り上げてきた曲です。(中略)ルイ・プリマとキーリー・スミスがデュエットするジャンプ/ジャイブ風の遊び心満載のバージョンは58年に発表されてグラミー賞を受賞しました。この曲のドラムはスウィング時代の名手ジーン・クルーパへのオマージュでしょう。ボブの演奏はそれを参考にしていますが、かなりロカビリー寄りで、洗練された都会的な演奏で知られるこの曲の思いがけないルーツを浮かび上がらせます。この曲を作詞した09年生まれのジョニー・マーサーはキャピトル・レコードの創設者の一人ですが、南部ジョージア州の裕福な家に生まれ、父親のスコットランド民謡や母親のパーラーソング、黒人教会の音楽などさまざまな音楽にふれて育った人です。作曲者は05年生まれのハロルド・アーレン。彼は「虹の彼方に」の作曲者として有名ですが、20代の頃はハーレムのコットン・クラブで黒人のジャズの洗礼を浴び、「ストーミー・ウェザー」などを作曲していました。その世代のニューヨークやロサンゼルスの職業的ソングライターの中では黒人音楽に造詣の深かった2人の共作が「ザット・オールド・ブラック・マジック」であり、ボブはそのエッセンスを軽やかに表現しています。」

15曲目は、最新作から「Mother of Muse」が演奏されました。もともととてもいい曲ですが、ディランのピアノを加えたこの日のアレンジも際立って美しかったです。ガーニエはこの曲までウッドベース、ヘロンはこの曲でもおそらくエレキ・マンドリンに持ち替えていました。

この曲が終わると、ディランはメンバーを紹介します。ジェリー・ペンテコスト、ダグ・ランシオ、ボブ・ブリット、ドニー・ヘロン、トニー・ガーニエの順だったように思います。そして、バンドで一斉に最新作収録の「Goodbye Jimmy Reed」に突入します。いよいよコンサートも佳境です。ガーニエはエレキ・ベースを弾いています。比較的原曲に近いアレンジで、キメのフレーズもCDのままありました。

そして、三連のロッカバラードにアレンジされたラスト・ナンバー「Every Grain of Sand」が始まります。イントロ、間奏、エンディングでディランはハーモニカを吹きます。81歳となり、ギターも弾かなくなったディランですが、少しよれてはいるけれど、このハーモニカの音色はまさしくディラン。静かなこの曲が美しい余韻を残して終わると、初めてディランがピアノを離れ、ドラムの前に出てきました。小さすぎてよく見えませんが衣装は刺繍のあしらわれた濃いグレーのカントリースーツのようです。メンバーが横一列に並び、そして、バラバラに袖へ消えていきます。そして、入場のときと同じクラシック音楽が流れ、ステージの終演を告げるのですが、拍手は鳴り止まず、アンコールを求める手拍子へと変わります。しかし、客電がつき、やはりディランがアンコールに応えることはありませんでした。

昨年11月までのヨーロッパ・ツアーなどでは、興に乗ったらピアノの前を離れてスタンド・マイクで歌うこともあったようですが、この日のディランは終始ピアノの前を離れませんでしたが、曲が終わった後の「Thank You」を4〜5回言っていたので、客席の反応が本人に伝わり、結構機嫌が良かったんじゃないかなと推察されます。約1時間50分という演奏時間、アンコール無しはちょっとばかりさみしいですが、81歳という年齢を考えると、”ここまでのパフォーマンスを見せてくれて、ありがとう”と伝えたい気持ちになります。大枚をはたき、福岡から出かけていっただけの甲斐のある十分満足できるコンサートでした。

今回のバンド・メンバーのうち、ベースのトニー・ガーニエと、スチール・ギターその他のドニー・ヘロンは長くディランのバック・バンドのメンバーとして活躍しているので、キャリアにはふれません。ガーニエはギタースタンドに何台かベースを立てていましたが、白のフェンダー系のエレキ・ベース(ジャズベかプレベかは遠くてわかりませんでした。)とウッド・ベースをよく使っていました。ドニー・ヘロンはスティール、ヴァイオリン、マンドリンと多彩な楽器を操ります。自分は二階席の右端の方だったので、ヘロンがディランの方に向かってギターのように抱えて弾く楽器はよく見えませんでした。2014年ディラン・バンドで来日した時はフェンダーのマンドキャスターを弾いていたので、おそらく今回も同じ楽器でしょう。

ギタリストのボブ・ブリットは『Rough And Rowdy Ways』のレコーディング・メンバーです。今回もギター・ソロの多くを担当しているようでした。彼はディランのアルバムでは、すでにダニエル・ラノワがプロデュースした『Time Out of Mind』に参加していたのですね。最近発売された、この時期のブートレッグ・シリーズVol.17でも当然彼のプレイが聞けたりします。ステュ・キンボールの後任として『Rough And Rowdy Ways』のレコーディングに呼ばれたのでしょうけど、ディランやガーニエとはすでに顔見知りだし、気心が知れているのでしょう。今回はダーク・グリーンレスポール・タイプを終始弾いていました。彼の傍らにはもう1本サンバーストのフルアコと思われるギターが置かれていましたが、結局手に取られることなく、最後の曲ではギターテックによって片付けられていました。彼は他にもレオン・ラッセルやジョン・フォガティらのアルバムに参加しています。

『Rough And Rowdy Ways』のレコーディングには参加していた長年のメンバー、チャーリー・セクストンがバンドから外れたので、新たにバンドに加入したのがダグ・ランシオです。彼の名前はジョン・ハイアットのバンド・メンバーとして知っていましたが生で聴くのは今回が初めてです。彼はナッシュビルのミュージシャンらしく、1980年代にクェスチョネイアーズ、91年にベドラムというバンドで活動しアルバムも残しています。セッション・マンとしてはハイアットのほか、ナンシー・グリフィスやパッティ・グリフィンのバックを手掛けており、プロデューサーとしても活躍。ルーツ系の渋いプレイを聴かせます。今回はリズム・ギターが中心でした。彼はディランのピアノのすぐ上手側に立ち、ディランの方を向いて演奏していたので、自分の位置からは持っているギターは確認できませんでした。持ち替えのとき一瞬見えた楽器はサンバーストで白いピックガードのついたストラトキャスターでした。アコギはドレッドノート・タイプを弾いていました。

ドラムのジェリー・ペンテコストは、2010年頃前後に活動を始めたとみられ、おそらくメンバーの中では最年少でしょう。モーリー・タトルやケブ・モの近作に参加しています。やはりナッシュビルあたりを根拠地としているようで、最近オールド・クロウ・メディシン・ショウのメンバーともなっているようです。その若さとは裏腹に、実に抑制の効いたツボを押さえたドラミングを聴かせます。自分の位置からではわからなかったのですが、彼はアフリカ系のようでメディシン・ショウではマンドリンを弾いて歌たっりもするようです。

ディランを盛り立てる5人の手練れのミュージシャン達。彼らの緩急自在の演奏が、この日のコンサートを素晴らしいものにしていました。ディランのパフォーマンスを見て、一番共通点を感じたのが、近年のライ・クーダーと細野晴臣です。ディラン、クーダー、ホソノの3人は皆1950年代以前のアメリカン・ミュージックに精通しています。また黒人音楽に対し、かなり深い理解と洞察を示しています。近年、贅肉を削ぎ落とした少人数編成のバンドで、ルーツ・ミュージックを突き詰めています。40年代頃のカントリー・ミュージックで用いられたスティール・ギター・ミュージックを愛好し、バンドにスティール・ギター奏者を入れるか、自らのボトルネック奏法で、その音楽に影響を受けたサウンドを表現しています。彼らの表現に共通点が多いのはけして偶然ではないはずです。

彼らのサウンドは古臭いスタイルで、ファッションやアルバム・デザインなどもずっと時代遅れの感覚を醸し出しながら、実はアメリカが最も豊かでお洒落だった時代の空気を敏感に感じ取って、自らの表現に取り入れているように感じられるのです。ノーベル文学賞まで受賞し、世界中に影響を与えたディランに比べれば、クーダーとホソノは、そこまでの知名度はありませんが、自らのルーツを突き詰めていった結果、同じような地平に立っているような気がしてなりません。81歳のディランが「いつか終わりが来る」ことを予感しつつも、その歩みを止めないのに対し、6歳若いクーダーは、2018年を最後に自らが中心となるツアーをやめてしまっているようです。昨年リリースしたタジ・マハールとのアルバムはグラミーを受賞しましたが、コンサートは一度きりだったみたいです。ゆっくりしたペースでライブを続けていたホソノは、アメリカやイギリスで公演を成功させましたが、2020年以降、コロナ禍でライブを中止せざるを得ない状況になっていました。今年YMOの盟友二人を相次いで失った今、75歳の細野さんがライブを復活するのか、どのような表現をするのか注目したいと思います。おそらく、細野さんは東京でディランのコンサートを見るんじゃないかな。失意の彼にかける言葉は思い浮かびませんが、81歳のディランのステージが細野さんにとって良い刺激になるといいな、と思っています。このコンサート・レポート、最後は本題から大きく外れてしまいました。81歳のディラン、見れて良かったです。

Warren Zevon / Bad Luck Streak in Dancing School

zevonbadluck1980年にリリースされたウォーレン・ジヴォンの4枚目のアルバムです。エレクトラ/アサイラムでは3枚目になります。

去年の今頃、1976年リリースの彼のアサイラムでの1枚目のアルバムをレビューしました。そして、彼のルーツがウクライナにあることを知りました。あれから1年以上を経過していますが、まだ戦争は続いています。こんなに長く続くとは思わなかった戦争。様々な分野に影響を見せています。資材の高騰などに端を発する物価高、そして懸念される「台湾有事」と日本の軍備拡張、ロシアによる核攻撃の可能性、北朝鮮問題、世界の枠組みが変わってしまい、冷戦時代へと逆戻りしてしまいそうです。バイデン大統領は、核戦争の可能性について「キューバ危機以来」と表現しています。世界はどこへ向かおうとしているのでしょうか。われわれにできることは一体何なのか、考えさせられる毎日です。

さて、このアルバムは1980年にリリースされました。冷戦時代末期です。前々年にはイラン革命、前年にはソ連によるアフガニスタン侵攻が起きています。このアルバムにはベトナム戦争の後遺症に言及する「Play It All Night Long」が収録されており、ジヴォンらしいどぎつい表現で、戦争の悲惨さを日常生活の描写の中に溶け込ませている点が目を引きます。

前作『Excitable Boy』とシングル「Werewolves of London」がヒットし、ジヴォンはシンガー・ソングライターとしての基盤とともに、独特の作風も確立しました。しかしアルコール中毒は一向に改善せず、ツアー中も酒浸りの生活を送っていたようです。ブルース・スプリングスティーンのライブに行って、彼とバックステージで会っておきながら、泥酔状態だったため、そのことを覚えていないというようなこともあったようです。さらには、深夜自宅スタジオで、自身の顔が大写しになった『Excitable Boy』のレコードに向かって発砲するというような事件も起こしています。この頃『Excitable Boy』を絶賛した「ローリング・ストーン」誌のライター、ポール・ネルソンとジヴォンは意気投合し友人関係になります。『Excitable Boy』妻、クリスタルは彼が飲酒問題を起こすとネルソンを頼るようになり、ネルソンや親しい友人のジャクソン・ブラウンらは、ジヴォンの私生活に「介入」して、彼をリハビリ施設に入れることもありました。

1曲目、「Bad Luck Streaks in Dancing School」はタイトルナンバー。ジャケットもこの曲のイメージで、ダンシング・スクールの窓辺にたたずむジヴォンの写真になっていますが、歌詞に深い意味はなさそうで、ただ語呂が良かっただけなのか、別にダンシング・スクールにまつわる物語が出てくるわけではありません。むしろ、歌詞は「バカなことをやってきた、約束を破った」と歌い、「ひざまずき、神に向かって俺は変わる」と何度も何度も繰り返すことから、自身の飲酒癖への決別を誓っているように思われます。とってもカッコいいロック・ナンバーで、シド・シャープ楽団によるストリングスの導入の後、スネア・ショットが一発、そしてウォーレン自身のエレキ・ギターがリフを刻み、リック・マロッタのドラム、リー・スクラーのベースが入って、リンドレーのラップ・スティールが天を駆けるリードをとります。この盤でドラムとベースが入っている曲は、全てマロッタ・スクラーの鉄壁コンビがバックアップしています。この曲の間奏のリンドレーのリードですが、多重録音で低音部を足していてツイン・スライドになっており、より音に厚みが増しています。

2曲目は「A Certain Girl」。”ナオミ・ネヴィル”との作者クレジットがありますが、これはアラン・トゥーサンの変名。上ったニューオーリンズのR&Bシンガー、アーニー・K・ドーのカバーです。リズム・ギターはドン・フェルダー、ホルヘ・カルデロン、リード・ギターはワディ・ワクテルです。ジャクソン・ブラウンとマロッタによるやる気のなさそうな”レスポンス・コーラス”が、ニューウェイヴの波がうねりはじめた1980年という時代を反映しているように思えます。シングル・カットされ57位まで登りました。

3曲目は「Jungle Work」。この曲に出てくるのはM16自動小銃、イングラムM10短機関銃、ステン短機関銃といったところ。裏ジャケにダンシング・シューズと一緒に写っているのはどちらかの短機関銃ですかね。主人公は職業軍人のようで「支払いはいいが、リスクは高い、成功か死か、ということは理解している。」「南西アフリカのオヴァンボランド(今のナミビア)からニカラグアヘ、銃が法律である場所へ俺たちは行く」「力、筋肉、ジャグル・ワーク」なんて歌っています。銃好きのジヴォンらしい曲ですが、3番の歌詞には現在につながるこんなフレーズも出てきます。「ロシア製のトラックに3人の若者が小さなMAC-10を持って乗っている こんな少ない奴らの中に地獄で戦う傭兵のように勇敢な奴はほとんどいやしない。」これは、おそらくニカラグアのことを歌っているんだろうと思います。ニカラグアでは、1979年7月に40年以上続いた独裁政権ソモサ王朝がサンディニスタ民族解放戦線によるニカラグア革命によって倒されます。このようにニカラグアの政情が不安定な時期に書かれた曲だけあって、主人公の言葉は真に迫っています。サンディニスタ民族解放戦線は社会主義革命を目指していたわけではなかったようですが、ニカラグアはキューバやソ連と関係を持ちはじめます。アメリカは共和党のレーガン時代になって、ニカラグアに積極的に介入を始め、旧ソモサ軍の兵士やサンディニスタの反主流派などを組織し、反政府勢力コントラを組織して支援を始めるのですが、それはもう少し先の話です。この曲でリード・ギターを弾いているのはジョー・ウォルシュ。ウエストコーストらしい爽やかさなど微塵もなく、どことなくニューウェイブの香りはするものの、メタリックな肌触りのあるロック・ナンバーです。

4曲目は「Empty Handed Heart」は、妻クリスタルとの別れを題材にしたと思われる美しい曲で、すれ違ってしまった男女関係を歌っています。1・2番は男性の独白。3番でリンダ・ロンシュタットが登場し、カウンター・ボーカルで女性側の気持ちを切々と歌います。男は「俺はダイアモンドを砂に投げてしまった。」と後悔し、女は過去の楽しかった思い出を歌った後「空っぽの心のまま、一人残された。」と嘆きます。ジヴォンのピアノ、そしてドラム、ベースがベーシックなサウンドを固め、ジヴォン 自身が書き、シド・シャープがタクトを振るストリングスが重なります。

5曲目は、短いストリングスのインタールード。そして、間を置かず6曲目、問題曲の「Play It All Night Long」に繋がります。「爺さんは、またズボンにおもらしだ。でも、爺さんはそんなことは気にしちゃいない。ブラザー・ビリーは両手に銃を構える。ヴェトナム以来、正気になったことがない。スイート・ホーム・アラバマ、死んだバンドの曲をかけてくれ。スピーカーをフルテンにしてさ。一晩中かけてくれよ」他にもどぎつい歌詞が続きます。歌に出てくるデュー・ドロップ・インとは、ニューオーリンズの伝説的なライブ・ハウスのことでしょうか。貧しさゆえに多くの若者がヴェトナム戦争に駆り出され、その後遺症に悩む南部が舞台のようです。この曲でも、リンドレーの天に駆け上るようなスライド・ギターが耳をひきます。フェイザーを薄くかけた伸びやかなクリーントーンで印象的なフレーズを連発します。一方、リズム・トラックでも何やら耳慣れない弦楽器が繰り返し聞こえてきます。リンドレーにはラップ・スティールのほかにも「ギター」のクレジットがありますが、おそらく、これはブズーキかサズが、そんな中東のアクースティック楽器で弾いているサウンドに聴こえます。リンドレー自身もこの曲を気に入っており、オフィシャル・ブートレッグの第1集でカバーしています。その後、彼はジヴォンの曲を頻繁に取り上げるようになります。

LP時代のB面1曲目が「Jeannie Needs a shooter」です。ブルース・スプリングスティーンとの共作で、アルバムの中では最も爽やかなイメージの曲です。けれども、タイトルから想像されるのは、やはり「銃」を操る主人公です。最近、ブルースはこの曲について「シューターという言葉は思いやりのある恋人を指す暗喩だ」と言っています。ジニーは奔放な女性で、大抵の男は彼女を不当に扱ったり、あるいは扱いきれなかったりするのですが、歌い手は自分こそがジニーにふさわしいということなのでしょう。この曲はブルースによってすでに1972年に書かれており、1978年ごろ一度録音されていますが、その時はお蔵入りになり、2020年にリリースされた「Letter To You」に収録されましたが、ブルースのバージョンは、全く別の曲と言っても過言ではないくらいメロディも歌詞も異なっています。

2曲目は短いインタールド、3曲目の「Bill Lee」はジヴォンのピアノ弾き語りナンバーで、ハーモニカを交えて演奏されます。サポート・ミュージシャンは的確なハーモニーを歌うグレン・フライのみ。ごく短い曲で、「時に言ってはいけないことを言ってしまう。」という主人公の独白で、なんだか演説の長い上司や顧客を相手にしている労働者の愚痴みたいにも聞こえます。「自分は一人でダイアモンドの真ん中に立っている。」とは、どういう意味なんでしょうか。楽器はピアノですが、ボブ・ディランあたりの影響を強く感じさせます。

4曲目がちょっととぼけたアレンジの「Gorilla, You’re A Desperado」です。この曲はジャクソン・ブラウンがリードのボトルネック・ギターと普通のギターをダビングしており、ジヴォンはストリングス・シンセのみ、リー・スクラーがベースで、リック・マロッタがドラムとパーカッション。ジャクソン、J・D・サウザー、ドン・ヘンリーがハーモニーという布陣で録音されています。ジャクソンのボトルネック、早弾きのテクはないけど、いい感じのフレーズですよね。そういえばジヴォンのファーストでもジャクソンは1曲ボトルネックを弾いていましたよね。ジヴォンの弾くシンセのリフが、この曲の雰囲気を決定づけています。歌詞はちょっとコミカルで、愛するクリスタルと別れ、リハビリ施設に入れられる自分を「檻の中のLA動物園のゴリラ」になぞらえているようにも思えます。離婚という悲劇を笑い飛ばそうとしながら、実は深い悲しみと後悔に苛まれているジヴォン自身の心中が垣間見られるようです。

5曲目は、カントリー調ワルツの「Bed of Coal」です。この曲のみペダル・スティールでゲストのベン・キースを迎え、ジヴォン自身はピアノとオルガンを弾いています。歌詞は主人公の孤独を表現しています。「石炭のベッド」や「釘のベッド」では眠れるわけがないのですが、これもクリスタルを失った苦しみや後悔を表現しているのでしょうか。そして、ここで彼は「若くして死ぬには歳をとりすぎている 今死ぬには若すぎる」と歌っています。ロバート・ジョンソンやジミヘン、ジャニス、ジム・モリソンのように27歳で死んでいった人々を意識しているのかもしれません。

アルバムのラスト・ナンバーが「Wild Age」です。前作『Excitable Boy』のタイトル・トラック同様、主人公は暴力的な人のようです。シンプルなピアノのイントロの後、ロックビートに乗せて歌がはじまります。そして、この曲ではデヴィッド・リンドレーのエレクトリック・ラップ・スティールが大活躍し、ジヴォンとデュエットしています。素晴らしい演奏です。この曲では具体的な暴力行為が描かれている訳ではありませんが、「法律は彼らを止めることができない」なんてフレーズも出てくるし、エンディングではジヴォンのシャウトも聞くことができます。

以上のように、このアルバムもジヴォンの強烈な個性がますます冴え渡っています。学生の頃、確かNHK-FMの洋楽番組の特集で、「ウェスト・コーストの異端児たち」みたいなタイトルものがありました。そこに取り上げられていたのは、ウォーレン・ジヴォン、ヴァン・ダイク・パークス、デヴィッド・リンドレー、あとランディ・ニューマンやニルソンもあったかも知れません。1970年代に人気を博した「爽やか系」の一般的ウェスト・コースト・サウンドの人たちとは、一線を画する「奇才」たちに違いありません。かつてミュージック・マガジンを主宰した中村とうよう氏は、ジヴォンを高く評価しており、「ウェスト・コーストの人脈から離れて、ニューヨークのルー・リードあたりと一緒にやればいいのに」といった意味の発言をしていたように思いますが、このアルバムに参加したウェスト・コーストの豪華ミュージシャンにすれば、ジヴォンは自分では言えなけれど、大事なことを発言してくれる大事な仲間、と思っていたのでしょう。このアルバムでもう一つ重要なのは、ストリングスによる短いインタールードが2曲含まれていることです。ジヴォンは少年期にクラシック・ピアノを学びストラビンスキーと親交を結びました。その才能は、曲作りやピアノなど至る所に顔を出しています。彼のアルバムには、上手くストリングスを使ったナンバーがたくさんありますが、ごく短いとはいえ、ストリングスだけのインスト曲はこの2曲だけです。彼の出自を語る貴重な録音と言えましょう。ジヴォンはこのあと、1982年にも力作『The Envoy』をリリースしますが、売り上げは芳しくなく、エレクトラ/アサイラムから契約を切られ、しばし雌伏期間に入ることになります。

Jackson Browne Live At Hiroshima JMS Aster Plaza Hall

IMG_90683月22日水曜は、初夏を思わせる陽気です。日本時間の午前中WBCの決勝戦があり、日本がアメリカをやぶり見事に世界一になりました。午前中は仕事だったので、もちろん中継は見ていませんが、午後は休暇をもらい一路広島へと向かいました。新幹線に乗るのはもちろん、電車に乗るのもパンデミック以前から3年以上ぶりです。広島到着は15時近く、路面電車で平和公園方面へと移動します。商店街近くのお好み焼き屋で腹ごしらえをし、平和資料館に移動、前回訪れた時とは展示が大きくリニューアルされており、原爆で命を落とした方々のごくごく一部ですが、亡くなった方を一括りにするのではなく、本当はもっとながらえたはずの命を散らした一人一人の顔と名前、そして魂の叫びが聞こえてくるようなリアルなコーナーに胸を打たれました。平日というのに外国人を含む多くの人々が列をなしており、世界中の人がこれほど関心を示しているのに、どうして戦争の災禍がなくならないのだろうと疑問に思いました。5月にはサミットがありますが、それまでにウクライナの戦争が停戦を迎えることを期待したいものです。

さて、開場時間も近づいたので、平和資料館を後にし今回の会場JMSアステール・プラザに向かいます。道すがらや会場前の広場で久々の同好の士と再会を喜び、入場者の列に並びます。コロナ禍で来日ミュージシャンによるホール・コンサートは長らく「おあずけ」となっておりました。マスクをしたままではありますが、本当に久々に生のジャクソンを見ることができます。前回は2017年の10月だったので5年半ぶりですね。そうそう前回のライブ・レポートは結局書かずじまいになってしまいました。グッズを購入し、席に座ってBGMを聞いているとランディ・ニューマンの「Losing You」、タジ・マハールの「Corinna」、ライ・クーダーの「Tattler」が続けてかかり、もしもジャクソンの選曲なら好みが一緒だなぁと嬉しくなりました。次はジャクソンぽいシンガー・ソングライターの曲がかかりましたが、その途中で開演時間となり、客電が落ちます。

下手からジャクソンが登場すると大勢の客が立ち上がって、彼を迎えます。ジャクソンは白い髭を蓄え、長い髪はバックにし、濃いネイビーブルーのシャツにジーンズといういでたちです。足が細いよなぁと思いながら眺めていました。かかえているのはギブソンのジャクソン・ブラウン・モデルのアクースティック・ギターでしょう。ジャクソンは会場の割れんばかりの拍手に「アリガトウ」と応えます。そしてギターを弾きながら歌い始めます。曲は『Late For The Sky』のラストに収められていた「Before The Deluge」です。この曲は通常ピアノを弾きながら歌うのですが、ジャクソンの一人のアコギの弾き語りで最初のコーラスを終えると、バンドが見事なサウンドでジャクソンを支え始めます。この曲ではキーボードのジェイソンがフィドルを弾き、リンドレーが弾いたあのフレーズを繰り出します。グレッグはペダル・スティール、今回初参加のメイソンはテレキャスターを弾いています。終末観を漂わせながらも希望に満ちたこの曲でコンサートの幕を開けるとはニクい演出ですね。

ステージ下手前列にはピアノが置かれています。ミニ・グランド風ですが、おそらくエレピでしょう。フロントは中央やや下手よりにジャクソン、上手よりにギターのグレッグ・リーズ、最も上手側に今回ヴァル・マッカラムに変わって初参加のギター、メイソン・ストゥープスが立っています。グレッグとメイソンの横には7〜8本のギターがずらりと並べられていますが、ジャクソンのギターは下手側のステージ袖に置かれており、持ち替えのタイミングでスタッフがジャクソンに手渡していました。後列は下手からキーボード、フィドルのジェイソン・クロズビー、ベースのボブ・グロウブ、ドラムのモウリシオ・ルウォック、そしてコーラスのシャボンヌとアレセアが並び、ジャクソンを含め8人編成です。キャップをかぶったボブの横にも3本くらいベースが置かれています。前回の来日の時からは、キーボードとギターの一人が交代していますが、20年にわたってジャクソンを支えてきたジェフ・ヤングがこの2月に亡くなってしまいました。昨年夏のツアーからジェフに変わりジェイソンがツアー・バンドのメンバーとなっており、もともとジェフはこのツアーに参加の予定ではなかったようです。

2曲目、ジャクソンはギターをマーティンD28に持ち替え歌い始めたのは「I’m Alive」です。グレッグはギターをラップ・スティールに替えています。メイソンはテレキャスのままです。この曲もよくライブで耳にするナンバーですが、より深みを増した生の歌声に接すると感慨もひとしおです。この曲も、かつてマーク・ゴールデンバーグが弾いていたリフや単音カッティングが後半登場するものの、以前より全体的にルーツより。6年ほど前にリリースされた『Live In Japan』に収録されているものとアレンジはほぼ一緒です。

ジャクソン、自己紹介し、ここに来れてよかった。来てくれてありがとうみたいな挨拶をした後、「The baseball game…」と日本時間で今朝の試合にも触れていました。このあたりで客席から「A Little Soon To Say」のリクエストがかかります。日本では古い曲のリクエストが大半ですが、最新作からのリクエストは珍しいですね。ジャクソンは「OK」と言いながらも「言うのが早すぎるよ」みたいなジョークで、とりあえずはセットリスト通りに進行します。

3曲目、ジャクソンは、エレキ・ギターに持ち替えます。日本に初めて持ってきたもので、ロサンゼルスにある「オールドスタイル・ギター・ショップ」の「ホロウ・チェスナット」と呼ばれるギターのようで、マーティンのエレキに採用されたデュアルモンドのピックアップを搭載し、ボディ・サイズはレスポールより少し大きいくらいでf穴があり、ネックはストラトのラージ・ヘッドを模しています。グレッグは青いエコーパークJでリードをとります。演奏されたのは「Never Stop」です。2002年の『The Naked Ride Home』に収録されているナンバーで日本で演奏するのは久々だと思うのですが、「コロナ禍を経ても立ち止まらない」という決意が込められているように思えました。

4曲目は「The Crow On The Cradle」の登場です。カーター・ファミリーの寓話的なフォーク・ソングでまさに今のウクライナのことを歌っているかのようです。この曲は1979年行われたNo Nukesコンサートでリンドレーのフィドルをバックにグレアム・ナッシュとのデュエットで歌われたもので、『No Nukes, No War』の主張が込められ、このところ3回続けて広島で演奏されています。ジェイソンはフィドル、グレッグはラップ・スティールで参加。1番はジャクソンの弾き語りで演奏され、2番からバンドが一斉に入ってきます。フィドル・ソロに続いて、赤いジャズマスターで奏でられたメイソンのソロは、エフェクトをかけ強烈な印象を残しました。この曲も『Live In Japan』に収録されていますが、2015年の広島公演で披露されたものです。

5曲目、ジャクソンは再びアコギのJBモデルに持ち替え、ドラムスのカウントでアコギを弾き始めます。曲は「The Barricades of Heaven 」。1996年の『Looking East』ツアー以来、ほとんどの来日公演で演奏しているジャクソンお気に入りのナンバーで、コンサートのオープニングに演奏されることも多い曲です。ジャクソンの自伝的な内容でメロディも美しく自分もかなり気に入っているナンバー。この曲も『Live In Japan』に収録されています。グレッグはラップ・スティールでソロを奏でていました。

この曲が終わったあと、客席から「Mr.Browne, Don’t forget Fukuoka」と声がかかります。1998年以来福岡公演が行われてないことを彼は言いたかったようですが、ジャクソンには通じなかったようで、ジャクソンは客席の声を誤解して「ジェフ・ヤング、デヴィッド・リンドレー、わずか数週間の間に二人の盟友を亡くしてしまい、非常に残念だ。」という意味のMCをしていました。リンドレーのことは、このblogに散々書いてきましたが、1993年以来ジャクソン・ブラウン・バンドに在籍し彼を支えてきたキーボーディストのジェフ・ヤングもこの2月に他界してしまいました。彼のスタイリッシュな演奏はジャクソン・ブラウンの来日公演で何度も目にしていただけに非常に残念です。

6曲目、ジャクソンはピアノに座り「Fountain of Sorrow」を歌い始めます。この曲と「The Barricades of Heaven 」は曲調が似ていると思うのですが、続けて演奏されることが多いですね。大好きな曲なので大変嬉しいです。この曲のエンディング間近、ジャクソンがピアノから立ち上がり、後ろに控えていたジェイソンがさっとピアノに座るという「早変わり」が演じられ、ジャクソンはアコギを手にし、「あのフレーズ」をつま弾きます。この曲でグレッグはギブソンのジャンボ・タイプのピッグガードのないアコギで終始心地よいコードストロークを聴かせ、メイソンはエレキで叙情的なリードを弾いていました。

7曲目、ジャクソンは薄いベージュのテレキャスターに持ち替え「Rock Me On The Water 」を歌い始めます。またも代表曲。素晴らしいです。ジェイソンがピアノを担当、グレッグはラップ・スティールで曲を盛り上げます。グレッグはビル・アッシャー、デューセンバーグなど数本のラップスティールを持ってきていましたが、遠目ではどの楽器を弾いているのかなかなかわかりません。ただ、この曲ではペダル・スティール風のフレーズも聞こえたので、デューセンバーグのパームベンダーがついたスティールで奏でていたのかも知れません。

8曲目は、2月に亡くなったジェフに捧げる最新作のタイトル・トラック「Down Here From Everywhere」が演奏されます。ジャクソンはテレキャスのまま、グレッグはラップ・スティール、メイソンはなんとテスコの青いスペクトラム5を弾いているではありませんか。オリジナルか復刻かはわかりませんけど、年若いメイソンが日本製の古いギターに興味を持つというのも面白いところですね。ところどころワウをかけて美しい音色でソロをとっていました。この曲はサビではジャクソンとジェフとのコール&レスポンスがあるのですが、ジェフの役はシャボンヌとアレセアが見事にこなしていました。

9曲目は、3月3日に亡くなったデヴィッド・リンドレーの追悼です。ジャクソンは「デヴィッドとは本当に長い間一緒に過ごした。いつも彼は自分にさまざまことを教えてくれた。彼と共作した曲はたった1曲だけだ。」という意味のMCをし、黒のストラトを弾きながら、その曲「Call It A Loan」をしみじみと歌いました。ジャクソンは赤いジャズマスターのメイソンとツイン・ギターでメインのフレーズをデュエット、グレッグはペダル・スティールで後半曲を盛り上げていきます。やはり思っていた通りこの曲でした。この曲も『Live In Japan』に収録されています。このアルバムが収録された2015年のツアーでは名古屋と東京でこの曲が演奏されていますが、客席からのリクエストに応えて演奏される様子が収録されています。

10曲目は、『The Pretender』に収録されていた「Linda Paloma」です。このところラテン風味の曲をアルバムに入れることが多くなったジャクソンですが、この曲が出た当時は、彼にしてはちょっと異色な風合いの曲でした。グレッグがマーティンと思われるオール・マホ・ボディの小型ギター(1-17か2-17あたりと思われます。)で、甘い音色の美しいフレーズを奏で、ジェイソンはフィドルを弾き、アレセアはマラカスでスティディなリズムを刻んでいました。ジャクソンはアコギのJBモデルでストローク、エンディングではコーラスの二人の美しい歌声が響き渡りました。

11曲目、ジャクソンは楽器を持たずにスタンド・マイクを前に歌います。曲は「Here Come Those Tears Again」、『The Pretender』収録曲が続けて演奏されました。この曲は日本で何度も演奏しているのだろうけれど、最近は正式なセットリストには入れていなかったようで、おそらく自分にとっては生で聴くのは初めてです。間奏ではグレッグとメイソンのツイン・ギターがとても心地よく、エンディングではシャポンヌとアレセアのハリのあるコーラスが見事。この曲がファースト・セットのラストを飾るナンバーとなりました。ジャクソンは「10分ほどで戻るよ」と言い残してステージ袖へ消えていきました。

休憩時間中に、グレッグとメイソンのギターを間近で見ようと、上手ステージ前に行くと、同じように前にきていたお二人がローディから前半のセットリストを受け取っていました。「いいなぁ」と思いながらギターを眺めていると、会場の係員から「黄色い線まで下がってください。」と言われました。足下を見ると、トラロープが無造作にガムテープで貼り付けてあります。「ここまでしなくてもなぁ」と思いながらそれでもロープの内側からギターを眺めていると、さっきのローディが明らかに自分の方にセットリストのコピーを持ってきてくれました。しかし、ロープの内側に下がっていたせいで、そのリストは最前列に座っていた方が一瞬早く手にされてしまいました。残念ですが、その方に写真を撮らせてもらいました。

さて、休憩の後、セカンド・セットの始まりです。バック・ボーカルのシャボンヌとアレセアをフロントに呼んで最新作『Down Here From Everywhere 』収録のアップテンポのナンバー「Until Justice Is Real」で幕を開けます。ジャクソンはお気に入りのアコギ、Gibson CF100Eを手にしています。間奏はグレッグのラップスティールが心地よいフレーズを奏でています。前サビの部分はジャクソンは低音で歌い、シャボンヌとアレセアの方が目立っているし、エンディングにも二人の見せ場があります。「正義が実現するまで」というタイトルのこの曲は、「TVやケータイに踊らされるのではなく、自分自身で大切なものを見つけるんだ。時間は過ぎ去っていく、まるで川のように、列車のように、導火線が日々短くなるように」と歌われる社会的なメッセージ色が強いナンバーです。この曲でメイソンが弾いていたのは、ナチュラル・カラーのグヤトーンLG60Hで、終始リズムを刻んでリードはありませんでしたが、おそらく1950年代末頃の日本製のギターを使うなんて、マニアックでお洒落だと思います。

同じ配置でもう1曲『Down Here From Everywhere 』から「The Dreamer」が登場。ジャクソンはメキシコの小型弦楽器、ビウエラを抱えています。もともとメキシコの領土だったカリフォルニア、その南部に位置するロサンゼルスにはメキシコ系のアメリカ人が多く住んでいます。「The Dreamer」とは、ここでは幼少期に親に連れられて不法入国し、アメリカで育った若者のことだそうです。ライ・クーダーと共演経験のあるメキシコ系の若者たちによるバンド、ロス・センソントレズとの共演で2017年末にシングルでリリースされたナンバーですが、大きくアレンジを変え『Down Here From Everywhere 』に収録されました。若年移民の国外強制退去延期措置を撤廃しようとするトランプ政権への批判を込めて、センソントレズのユージーン・ロドリゲスとの共作で書かれた曲です。国外退去命令が下された若者が自分の人生を築いた土地から無理やり引き剥がされること、そして国境に築かれる「壁」の理不尽さを歌っています。曲調はメキシカン・タイプ。ウォーレン・ジヴォンの「Carmelita」あたりを思い起こします。サビはスペイン語になり、コーラスの二人がオクターブ上の主旋律を歌い、2番ではジャクソンのフレーズに続いて、やはりスペイン語でカウンター・ボーカルをとります。グレッグは「Linda Paloma」でも弾いていた小型のギターで美しいフレーズを繰り出していきます。この曲が終わるとコーラスの二人は定位置に戻ります。

3曲目は「Long Way Around 」。2014年の『Standing In The Breach』に収録されていたナンバーで、お気に入りらしくステージでよく演奏されています。ジャクソンはここで「ホロウ・チェスナット」に持ち替え、ギターをつま弾きながら歌い始めますが、最近こういうタイプの曲によくホロウ・ボディのエレキ・ギターを使っているようです。この曲ではサビでシャボンヌが美声でハーモニーをつけ、グレッグはラップ・スティール、メイソンは赤いジャズマスターで曲を盛り上げていました。

4曲目、ジャクソンはピアノの前に座り、静かなフレーズを弾き始めます。『I’m Alive』収録の「Sky Blue And Black」です。『I’m Alive』ツアーを見に行けなかったので、この曲を生で聴くのは初めてだと思います。本当に素敵なバラードですよね。サポートするバンドの抑制の効いた演奏も本当に素晴らしい。ジャクソンは「傷心」の歌を歌わせたら天下一品です。多くの若いミュージシャンが活躍していますが、この境地を表現できる人はなかなかいないと思います。グレッグとメイソンはエレキ・ギターでサポートです。

5曲目はアコギJBモデルに持ち替え、静かに「Your Bright Baby Blues 」を歌い始めます。バラードが続きますが、曲がいいので飽きることはありません。『The Pretender』ではローウェル・ジョージのボトルネック・ギターをフィーチャーしていましたが、ここではグレッグのラップ・スティールが心地よいリードをとります。

6曲目は、前半客席から声のかかったリクエストに応えて「A Little Soon To Say」が演奏されました。これで最新作からのナンバーは4曲となりました。この曲も美しいバラードで、ジャクソンの孫の世代への希望を託したメッセージがすばらしいです。ジャクソンは薄いベージュのテレキャス、リードをとるメイソンもフロントに別のピックアップを移植したであろうテレキャスを弾いていました。

7曲目でジャクソンは再びピアノの前に座り、ノリのいいリフを弾き始めます。彼のデビュー・ヒット「Docrtor My Eyes」です。間奏はグレッグがエコー・パークのギターでジェシ・エド風のフレーズを繰り出し、アレセアはコンガを叩いて曲を盛り上げます。バンドの一体感がなんとも素晴らしいです。ここからコンサートのクライマックス。代表曲が連続で演奏されます。

続いてジャクソンはピアノに座ったまま、あのフレーズを弾き始めます。8曲目は「Late For The Sky」です。何もいうことはありません。メイソンはリンドレーが弾いたフレーズをなぞるように叙情的なリードで曲を盛り上げます。

曲が終わると、ジャクソンにビル・アッシャー製の薄いベージュのストラト・シェイプのギターが手渡されます。フロントにはゴールド・フォイル、リアにはP90が搭載された2ピックアップ仕様、ピックガードはゴールドで、パンフレットにもこのギターが写った写真があります。このギターをつま弾きながら始まったのは「The Pretender」です。この曲で客席の大半が立ち上がり大歓声をあげます。本当にコンサートは佳境です。ブレイク時のキメはメイソンがあえて原曲とは全く違うフレーズを弾いていたのが印象的でした。観客の多くが手拍子をしていますが、今までこの曲で手拍子があったかなぁ、と思います。コロナ禍でコンサートに飢えていた聴衆の思いが爆発したんだと思います。

ジャクソンがサンバーストのストラトに持ち替え、いよいよ本編エンディング「Running On Empty」です。もちろん客席は総立ちです。ジェイソンがグランド風ピアノに座っています。間奏はグレッグがリンドレーのフレーズをバッチリ決めます。ジャクソンはエンディング近くの「I’d love to stick around but I’m running behind」のフレーズを観客に歌わせようとしますが、自分も含め、周りでは声を張り上げている人はいなかったかな。アウトロは短いソロ回し。メイソン、グレッグ、ジェイソンそしてまたメイソンに回って終幕。エンディングではジャクソンがポーズを決め、メンバーが客席に手を振りながらステージを後にします。

もちろん拍手は鳴り止まず、アンコールを求める手拍子になります。

1分ほどして、下手からジャクソンが登場。ピアノに座ります。もちろん、曲は「The Load Out」です。イントロのフレーズで大きな拍手が巻き起こったあと、観客は静かに席に着き、うっとりとジャクソンの歌に聞き惚れています。もちろん「Tonight’s people are so fine」のところでも大拍手です。最初のソロはグレッグがラップ・スティールで見事に決め、メンバーが徐々に配置について、全体の演奏になります。続いてのソロはジェイソン。今までシンセで奏でられることが多かったのですが、今日はオルガンでエモーショナルなフレーズを繰り出しています。「But the band’s on the bus And they’re waiting to go 」に続いて「We’ve got to drive all night and do a show in Nagoya or Tokyo…」と歌っていました。また、「Now we got country and western on the bus」の連では、「We’ve got Akira Kurosawa on the video」と歌い、日本への親近感を示していました。曲はメドレーで「Stay」に続き観客は再び立ち上がり手拍子を打ち始めます。ジャクソンの歌に続いてアレセアが割れんばかりのシャウトでかつてのローズマリー・バトラーのパートを歌い、再びラフな感じのサビに戻ります。2回目のサビは観客に歌わせますが、この時は自分も声を合わせることができました。そしてメイソンとジェイソンがソロをとり曲が盛り上がっていきます。最後はグレッグのソロですが、ジャクソンが5回しくらいグレッグにソロを振っていました。最後の最後に「Stay! Come on, Come on, Come on」のリフになり10分以上のメドレーが終わりました。

ジャクソンはアコギJBモデルを手に取り、「もう一人の友達、グレン・フライにこの曲を捧げる。一緒に歌ってくれ。」という意味のMCの後、ドラムのカウントで「Take It Easy」が始まりました。もちろん客席は総立ちのまま。ジャクソンの歌に唱和します。ジェイソンはピアノに座り、グレッグはペダル・スティールでスニーキー・ピートが弾いた尺のソロをとります。続いてはメイソンがリンドレーが弾いた部分をファイヤーバードでソロを決めます。大きく盛り上がったこの曲が終わるとモウリシオのハイアットは細かくリズムを刻んだままです。ジャクソンがそれに合わせて「Our Lady of the Well」のイントロを弾き始めます。やはりこちらもメドレーでプレイしてくれました。落ち着いたこのナンバーが本当にラスト。間奏ではジャクソンとメイソンがツイン・ギターを決めます。エンディングはソロ回し。メイソン、グレッグ、ジェイソン、ボブと回り、最後の最後はシャボンヌとアレセア。二人がそれぞれソロをスキャットで歌ったあと、二人のデュオを決めます。二人の美しい歌声がいつまでも耳に残りました。ジャクソンとメンバーは客席に手を振ったあと、全員が定位置について、深々と「お辞儀」をし、舞台袖へと帰っていきました。ジャクソンが愛する日本の習慣を尊重したのでしょう。本当に心温まるコンサートでした。

バンドメンバーは2015年、2017年は全く同じでしたが、今回は2人交代。しかし演奏のクオリティは全くかわりません。年若いメイソン・ストゥープスも確かな技術とルーツよりの音楽性を持った好青年のよう。見事にバンドのサウンドに溶け込んでいました。また、フィドルやコーラスもこなすジェイソン・クロズビーは、電子楽器もアクースティックな音色に徹しており、ジェフ・ヤングとは違った一面を見せてくれました。3人のギター・アンサンブルは美しく、また、3人とも見事な”ギターマニア”で1曲ごとに3人の使用楽器を記録したかったのですが、そこまではできませんでした。

3年前、パンデミックが始まった時や、コロナ禍で多くの重症者が出た時は、もう来日公演なんてないのかも知れない、もし来日公演が復活しても、自分が好きなミュージシャンはもう来てくれないかも知れないと不安に思ったものです。自分にとっての「コロナからの復活」がジャクソンで本当に良かったと思います。74歳という年齢を全く感じさせない素晴らしい歌と演奏に胸が熱くなりました。また来年も来てくれるといいなぁ。

(1st)
1.Before The Deluge
2.I’m Alive
3.Never Stop JB-Fender
4.The Crow On The Cradle
5.The Barricades of Heaven
6.Fountain of Sorrow
7.Rock Me On The Water
8.Down Here From Everywhere J
9.Call It A Loan
10.Linda Paloma
11. Here Come Those Tears Again

(2nd)
1. Until Justice Is Real
2.The Dreamer
3.Long Way Around  
4.Sky Blue And Black
5.Your Bright Baby Blues
6.A Little to Soon to Say
7.Doctor My Eyes
8.Late For The Sky
9.The Pretender
10.Running On Empty

(Encore)
1. The Load Out
2.〜Stay
3.Take It Easy
4.〜Our Lady of the Well

Jackson Browne / Hold Out

holdoutいよいよ明日3月20日からジャクソン・ブラウンの来日公演が始まります。ローリング・ココナッツ・レビューやジャパン・エイドを含めると来日は16回目。本当に親日家ですね。3年前フジロック・フェスティバルへの来日が決まっていましたが、コロナ禍でイベントそのものがキャンセルになったのは記憶に新しいですね。ほとんどのツアーでは広島公演を加えており、たびたび平和資料館を訪れるなど彼の性格がよく表れています。今月3日に盟友のデヴィッド・リンドレーを失ったばかりのジャクソンですが、おそらく今回のコンサートでは、そのことに言及するのではないかと思います。昨日、ようやくジャクソンもリンドレーへの追悼文を公にしました。今回は、リンドレーとの共作曲を含む1980年の『Hold Out』をレビューしたいと思います。この作品は、彼の最初の全米No.1ヒット・アルバムです。にも関わらず、最近のコンサートではこの盤から選曲されることはほとんどないですね。近い時期の作品として、シングルヒットした「Somebody’s Baby」はよく取り上げられるのですけどね。

自分は高校生の時、友人宅でこの盤を聴かせてもらい、非常に衝撃を受けジャクソンのファンになりました。その後、初期の作品を聴いてその素晴らしさに惹かれ、どれか一枚、と言われると『Late for the Sky』を選んでしまいそうですが、このアルバムにも負けず劣らず思い入れがあります。アルバムのサウンドは、当時流行していたAORを多少意識しているのかもれませんが、きわめてソウルフルです。ジャクソンの歌い方もファルセットなどを交え、R&Bやソウルの香りが強く漂っています。バンド・メンバーにリトル・フィートのビル・ペインが加入し、シンセやオルガンをフィーチャーした音づくりとなっているところも統一感のあるサウンドに貢献しています。一方、リンドレーはそれまでのアルバムで必ず入れていたフィドルを封印し、アコギも用いず、エレクトリックサウンドとしています。すなわち、カントリーやフォーク的要素を意図的に排してソウル系の音づくりを目指していたことがわかります。もちろん、アルバムの制作過程では様々な試みがあったでしょうが、当時の市場の動向などにも配慮してこうしたサウンドが選ばれたのでしょう。そして、その意図が間違っていなかったことは、大ヒット・アルバムとなったことが証明していると思います。

アルバムの歌詞に注目すると、シンガー・ソングライター・ジャクソン・ブラウンは健在です。「Hold Out」「Call It A Loan」「Hold On Hold Out」は、『Running On Empty』ツアーで恋仲になり、この頃は一時関係を解消していた恋人、リン・スウィーニーに呼びかけるようなプライベートな内容の作品です。アルバム自体「THIS IS FOR LYNNE」とのクレジットがあります。また、亡き友人ローウェル・ジョージのことを歌った「Of Missing Persons」も個人的なメッセージであり、サウンドが多少変わってもジャクソンの曲作りのスタイルは何も変わっていないことを示しています。ジャクソンは1981年にリンと結婚するのですが、結婚生活は長続きせず1983年には二人は別れてしまいます。1983年の『Lawyers In Love』のツアーまでは、「Hold On Hold Out」はよく歌われていたようですが、その後のツアーでは時折「Call It A Loan」は取り上げられるものの、「Hold Out」「Hold On Hold Out」がコンサートで取り上げられることは滅多になくなってしまいました。もしかしたら、別れた妻に捧げた曲は、もう歌いたくないのかもれませんね。

アルバムのプロデュースは、ジャクソン・ブラウンとエンジニアのグレッグ・ラダニー。レコーディング・メンバーは、ドラム : ラス・カンケル、キーボード : クレイグ・ダーギの「セクション」のうち2人に、ベース : ボブ・グローヴ、ギター : デヴィッド・リンドレー、キーボード : ビル・ペイン、コーラス: ダグ・ヘイウッド、ローズマリー・バトラーに加えジャクソン自身もピアノとエレキ・ギターを弾いています。ゲスト・ミュージシャンとしては「Disco Apocalypse」にパーカッションでジョー・ララが、「Boulvard」にドラムで、「That Girl Could Singにハイハットとタムでリック・マロッタが、Boulvard」にマラカスでダニー・コーチマーが、「Hold Out」にムーグ・シンセでデヴィッド・ホーンが参加しています。ほとんどの曲を同じバンドで演奏するという手法もサウンドの一体感を生む大きな要因となっているのでしょう。基本メンバーの編成でワールド・ツアーを行い、アルバム発売年に来日もしています。その時、自分はまだ中学生でジャクソンの存在もほとんど知りませんでしたが、この時のツアーは本当に見たかったな、と思います。メンバーもすごいですが、『Hold Out』の全曲と代表曲を交えた選曲もあまりにも魅力的です。

アルバムの冒頭に入っている「Disco Apocalypse」は、物議を醸したナンバーですね。1979年にニューヨークで行われたノーニュークス・コンサートで歌われたのですが、その内容が”ジャクソンらしからぬ”とブーイングを受けたというエピソードがあります。ジャソクソンは『The Pretender』のレコーディングを終えた後のインタビューで「今はディスコで思いっきり踊ってみたい」なんて発言もしていたようです。イントロからして、これまでのジャクソンとは異なり、都会の喧騒やネオンサインを連想させます。踊れなくはないですが、ミディアムでそれほど軽快なテンポではありません。サウンドは洒落ていますが、単なるディスコ讃歌ではなく、お得意の死と再生のメッセージを曲の後半に忍び込ませています。そして、エンディングではローズマリー・バトラーのボーカルが炸裂。曲を一気に盛り上げます。この曲にはギターは入っていないようで、アコピ、エレピ、オルガンそしてストリングス・シンセを重ねてバックトラックをつくっています。自分はカッコいいサウンドだと思うのですが、好き嫌いが分かれるところではありますね。

2曲目の「Hold Out」はタイトル・トラックですが、ラストに収録されている「Hold On Hold Out」と対になった作品であることは言うまでもありません。曲調は完璧なソウル・バラードで、ソウル・シンガーのカバーも聴いてみたいものです。栄光を追うのに必死だった自分の元を去った恋人に、自身の満たされない思いを告げています。
 『Hold Out』ツアーの日本公演パンフを随分前に中古で入手したのですが、翻訳家の山本沙由理さんがジャクソンの歌詞についての素敵な文章を寄稿していて、その中で以下のような説明をしています。

「ジャクソン・ブラウン本人に会って説明してもらうまではhold outの意味は「持ちこたえる」と思っていた。ところが真実は、ジャクソン自身の言葉で言えば「いろいろな意味があって、安売りせず、もったいぶって、内面にとどめておく。殻に閉じこもって本心をあかさない。」という意味になるそうだ。従って「ホールド・アウト」では恋人リンに向かって、「愛を安売りしちゃいけない。大切にとっておくんだ。でも僕にはホールド・アウトしないでほしい」と歌っており…。」

 すなわち、この曲でジャクソンはリンに対し、「愛を安売りせず、大切な人のためにしっかりとっておきなさい。」と歌い、その”大切な人”とはジャクソン自身に他ならないことを示唆しています。間奏に響くリンドレーのラップ・スティールのソロもいつになく都会的ですが、美しいフレーズに耳を奪われます。前曲もそうですが、曲中のバッキングにリンドレーのギターは入っておらず、ドラム、ベース、キーボード2本で基本的なサウンドを構成しています。

3曲目「That Girl Could Sing」について、マーク・ビーゴはその著書『ジャクソン・ブラウン ヒズ・ライフ・アンド・ミュージック』で「明らかに10年近く前のジョニ・ミッチェルとの関係を歌ったものだ。」と断言しています。このころの『ローリング・ストーン』誌に掲載されたポール・ネルソンによるインタビューで、ジャクソンは名前は明かさないものの、「実在の人物について歌っている」と語っています。この曲もメロディは美しいですが、ロック・ビートを強調したアレンジでサビではリンドレーのスリリングなカッティングが効果を上げており、間奏では、それに続く空に舞い上がるようなラップ・スティール・ソロが魅力的です。第二弾シングルとして発売されヒットしました。

4曲目は、かっこいロック・ナンバーの「Boulvard」。スリリングなギターリフで始まります。繁華街ハリウッド・ブールヴァードのことを歌っています。ジャクソン自身がかつて一時期この街に住み、あちこちから集まってくる家出少年や少女を観察し彼らの心情にも思いを馳せながら書いた曲です。この曲が第一弾シングルでキャッシュボックスでは13位のヒットとなりました。冒頭からエンディングにかけてリフはジャクソンが弾いているようで、エンディングでリンドレー得意の単弦ミュートによるフレーズと絡み合います。サビではジャクソンとコーラス隊の歌の掛け合いもありソウルフルなアレンジとなっています。

LP時代のB面に行って、1曲目は「Of Missing Persons」です。上にも書いたように、ジャクソンの友人でリトル・フィートのリーダーだったローウェル・ジョージが、ツアー中の1979年6月29日、急死してしまったことを受け、まだ5歳だった彼の遺児イナラに向けてのメッセージの形で書いたトリビュート・ソングです。誰かが、「ジャクソンのアルバムで誰かが死ななかったものがあるだろうか」という意味のことを書いたことがあるようですが、確かにファーストにはインドで亡くなった友人に向けての「Song For Adam」、『Late for the Sky』にはスコット・ランヨンに捧げた「For A Dancer」、そして『The Pretender』は亡くした妻への悲しみを連想させる、といった形で身近な人の死に題材をとった作品が多いのがジャクソンの作品の特徴の一つと言えそうです。医療が発達し核家族化の進んだ現代社会にあっては”死”はかつてのように身近ではなくなりました。それだけに、若者にとっての同世代の”死”はより衝撃的なものです。ジェームズ・テイラーの代表曲「Fire And Rain」も友人の”死”に触発されたナンバーですし、レナード・コーエンの初期の作品「Seems So Long Ago, Nancy」も亡くなった女友達に捧げるもので、自らの心境を吐露する歌が共感を与えるシンガー・ソングライターたちにとって、”死”という重いテーマは避けて通れないもののようです。ジャクソンにとってメンターでもあった年上の友人ローウェルが彼に与えたう影響の大きさを物語るとともに、ジャクソンのローウェルの対する敬意と愛情が強く感じられる作品です。マイナー・キーで始まる曲ながら、サビは明るい旋律になり希望を感じさせる挽歌となっています。間奏はフェイザーの音色が美しいリンドレーのラップ・スティール・ソロ。ジャクソンの心情を代弁するように哀感をたたえたフレーズを紡いでいます。また、2番から入ってくるどこまでも伸びるロングトーンのオブリも耳を惹きます。この曲のタイトルはリトル・フィートの「Long Distance Love」の最初の方に出てくる一節からとられています。もちろん、ローウェルの書いた曲です。イナラ・ジョージは、一時期バード&ビーというユニットを組んでいましたが、今やソロ・シンガーとして大成しています。

B面2曲目は、バラードの「Call It A Loan」です。この曲はジャクソンとリンドレーの共作です。印象的なイントロはリンドレーがエレクトリックの12弦ギターで弾いているものでしょう。おそらく、このフレーズをリンドレーが編み出し、それに歌詞をつけるかたちで、曲の制作が始まったものと思われます。もしかしたら、最初はアクースティック・ギターでつくられたのかも知れませんが、アルバム全体のカラーから浮かないようエレクトリックな演奏としたのだと思うのですが、曲の持つリリカルな肌合いはより強まっていると思います。内容はリンに対する思いをつづったもので、「君の無償の愛をローンで返済させてくれないか。」という内容。おそらく仕事に熱中し、相手にかまうことができず、リンの愛を失ったと感じたジャクソンが、リンに戻ってきてほしいとの思いでつづった歌詞でしょう。それにしても、リンドレーとジャクソンの息の合い方は見事です。1987年のツアーでは、ジャクソンは確かダグ・ヘイウッドと二人だけで、アクースティック・ギター2本にアレンジして演奏していたように記憶しています。

そして、わずか7曲のこのアルバムを締めくくるのは、名曲「Hold On Hold Out」。ピアニストのクレイグ・ダーギとジャクソンの共作です。そのクレイグによるさざなみのようなピアノのリフで始まるこの曲に、次第にバンドの演奏が重なり、ジャクソンの歌で走り始めます。「粘り強く待つんだ。安売りするんじゃない。金がばらまかれ、賭けが始まった。君は我慢できない。」と恋愛を賭け事になぞらえていて、前曲とのつながりを感じさせます。そういう意味では、この盤もリンとの恋愛をテーマにしたコンセプト・アルバムですよね。1番が終わった後の間奏で奏でられるリンドレーのスライド・ギター。たまりません。同じく名演の「Running On Empty」と同じく下からAEAC#EAと、高音にチューニングされたリッケンバッカーのB-6ラップ・スティール・ギターで、伸びやかなフレーズを実に美しく奏でています。歌の後半は、伴奏が静かになり、クレイグのアコピが再びリフを奏でます。その伴奏に乗って、ジャクソンが語り出します。この語りが素敵なんです。時折ファルセットを交え、語りと歌のはざまを行き交うジャクソンの声には魅了されざるを得ないのですが、この語りは、リン・スウィーニーというたった一人だけの女性に向けられたものです。そして、彼はついに「I Love You」と口にするのです。その言葉の後、バンドはドラムの合図で一際演奏を盛り上げ二人のコーラス隊にスポットをあてて後奏へと向かっていきます。もし、この世に「ラブ・ソング列伝」なるものが存在するのであれば、必ずエントリーするであろう素晴らしいナンバーです。メインとなるリフやメロディを考案したのはクレイグでしょうが、そこから歌詞を書き、組曲風のスケールの大きい曲に構成したジャクソンの手法も見事なものです。曲が長いので3枚目のシングルとして12インチ・シングルが切られましたが、残念ながらチャート・アクシションはほとんど見られませんでしした。そうそう、ジャクソンが曲づくりをはじめた1960年代のポップ・ソングはビートルズやモータウンを含め「I Love You」と「Baby」というフレーズがあふれかえっていました。そこでジャクソンは自身に、”この二つのフレーズを使わない”というルールを課したのだそうですが、ついにこの曲で「I Love You」の封印を解き、続いて2年後にシングルでリリースする「Somebody’s Baby」で「Baby」の封印を解くことになります。このアルバムが、パーソナルな愛情をテーマとしたコンセプト・アルバムであるがゆえに、そのリアリティを演出するために封印を解いたのでしょう。

『Hold Out』は、ジャクソンのアルバムの中で転機となった一枚とされるのですが、サウンド的には『The Pretender』や『Running On Empty』の延長線上にあって、カントリー色を排しR&B色を強めた作品と考えてよいと思います。確かにロック /ポップスのマーケット上の”商品”であるがために、”時代の音”が反映されるのはいたしかたないことでしょう。しかし、この『Hold Out』は、その”戦略”が功を奏し、一体感のあるバンド・サウンドと、AOR時代を反映するR&B系の音が、絶妙なバランスで同居している傑作アルバムだと思うのです。寡作で、クオリティの高い作品を常に追求してきたジャクソンですが、『Hold Out』以降は、それに匹敵する完成度を示すアルバムはごく少数のような気がしてなりません。商業的な成功だけがバロメーターではないのですが、このアルバムの売り上げがジャクソンのアルバムの中では最高を記録したということも、その質の高さを物語っているように思うのです。それにしても、このアルバムがリリースされて43年もの年月が流れたのですね。当時リンドレーは36歳、ジャクソンは31歳でした。今の若い人たちに聴かせたらかえって新鮮に感じるかもしれませんね。
ギャラリー
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