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猫背日記

ミシンのある生活。サッカーを見る生活。

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先日、メイクレッスンに行ってきました!

どうも!! weeの兄です。
猫背日記は、6/10の「私の中の彼女」という、親友の死を扱った記事でなぜかストップしていたのですが、このブログをまとめるために彼女のPCをゴソゴソしていたら、最初に不調を訴えた10日前の、9/10に書かれた未発表の下書きを発見しました。「死」の記事でこのブログが終わるのもイヤだし、闘病中も葬儀後もこの「猫背日記」のファンの方から応援をたくさんいただきました。感謝を込めて、そのまま掲載させていただきます。もちろん本人の許可はありませんが、笑って許してくれるとおもいます。では、お楽しみください。


コスメやメイクなどの美容関係は、本来は関心がある方だと思うのですが、知識の仕入れは専ら雑誌やネットからで、人から対面できちんと教えてもらうという経験はあまりありませんでした。デパートのコスメカウンターとか、めっちゃ敷居高いよね…。

それでまあいわゆるメイクは、気が向いた時、自己流でやっていたのですが、それが正解なのかどうかはよくわからず(そして気が向かない時は、全く何もしない)。

そんな私ももう50代。特にここ3年ほどはマスク生活だったので、色無しの日焼け止めを塗るのみの日々で、気がつけばいよいよメイクがわからない。20〜30代の頃と同じお化粧法でいいのかしら?よくない気がする。でも、何をどうすればいいのか、さっぱり見当がつかないのです。

そんな時、洋裁仲間のたなともせんせいが、メイクレッスンに行って来て、とても良かったとおっしゃる。これだ! もうちゃんとお金を払って、プロに教えを乞うのがいちばんだ!私も行こう、メイクレッスン!

ネットで「メイクレッスン 名古屋」で検索して(最初は四日市でと思ったけど、なかなか見つけられなくてねー)、名古屋の覚王山のパーソナル・メイクレッスンに申し込みました。メイクの先生と一対一でじっくり教わる、5時間の1dayレッスンです。3時間×2回のレッスンとかもあったのですが、スケジュールとか交通費とか考えたら、やっぱり1回で済ませたいなと。

事前の打ち合わせで、私が伝えたメイクの悩みは主に3つ。
・自分に似合う色がわからない。青みピンクよりもオレンジ系の色の方が好みだけど、それが自分に合っているのかどうか、よくわからないので、色ものの化粧品をなかなか選べない。
・しっかりと濃いめの眉毛なので、たまに抜いたり、眉用のシェーバーですく事はあっても、眉を描いた事がほとんどない。でも左右の眉の形が揃ってないので、整えなければと思うのだけど、やり方がわからない。
・昔から頬と鼻の毛穴の開きが悩みで、あれこれ手入れをしてきたつもりだけど効果が出なくて、最近はそれに加えてシミやたるみも気になってきた。

詰んでますなー。あとは、きっちりメイクしています、というよりも、塗ってます感はあまりない方が好みです、とか、「きれい」よりも「かわいい」イメージを希望します、とか。こういう願望挙げるのって、なんとも恥ずかしいですよね。でも、「こうなりたい」とか「こういうのはちょっと」とかは、一応事前に考えておいた方がいいなとは思いました。

さて、当日。地下鉄を出たらいきなり土砂降りの雨で、駅からは歩いて5分程度だったのですが、それでもみるみるうちに足元がびしょびしょに(傘は差してたけど)。うん、出鼻をくじかれた!と思いつつ、教室のあるマンションに到着。出迎えてくれたのは、シンプルなノースリーブのワンピースを着た、優しそうな先生でした。私よりも10歳は若いかなあ。

教室は、6畳くらいのダイニングキッチンで、こじんまりとしているけどシンプルなインテリアで、(おしゃれな)友達の家に遊びに来たようなリラックス感があって良かったです。あんまりゴージャスだったりエレガンスだったりするとさ、ちょっと緊張しますよな。

さて、レッスンスタート。まずは、色についてのレクチャー。
両腕の内側に、いろんな色のコントロールカラー(下地になる)を塗ってもらって、肌馴染みの良い色を吟味した結果、私は「オータム(秋)カラー」の人である、と診断されました。おおー、これですよこれ。私が知りたかった事!

ちなみに、パーソナルカラーについてものすごく大雑把に説明すると、こんな具合でしょうか。
・スプリング(春)→明るいパステルカラー。イエローベース。
・サマー(夏)→明るいクリアな色。ブルーベース。
・オータム(秋)→濃いめのくすんだ色。イエローベース。
・ウィンター(冬)→濃いめのクリアな色。ブルーベース。

私は元々、ちょっとくすんだ色合いのオータムカラーが好きで、辛子色やカーキなどの色の服をよく着るんですが、果たしてこれはメイクでも、そんな色合いのものを選んでいいものなのか、よくわからずにいたのです。服の色は遠慮しないのに、顔につける色となると、なんか途端に自信がなくなっちゃって。

でも結局は、オータムで良かったんだ、好きな色を選んで良かったんだ、と思えて、凄く気が楽になりましたね。自分の感覚に従って良いんだなって。

さて、メイクの実践、まずはスキンケアからというわけで、コットンパックや化粧水でとにかくとにかく保湿。私の肌は水分不足で硬いので、もっと保湿してくださいと言われ、そうかあ〜と思ったり。

次、下地。頬と鼻の毛穴はパテを塗りこみ、ピンクのコントロールカラーを指で伸ばす。このコントロールカラーもがさあ〜、何色を塗れば選べばいいのかわからなくて、なかなか選べなかったんですよねえ。そうかあ、ピンクかあ。

続いてそしてファンデーション。先生は、肌がきれいに仕上がるという事で、ソフィーナのパウダーファンデをチョイス。リキッドじゃないんだ。ファンデを付けたスポンジを、目のまわりを中心に、軽くスルスルっとすべらせて終わり。先生いわく、顔の中でいちばん見られる部分は目の周辺で、そこをカバーすればいいのだそうです。顔全体に塗り込まなくてもいいんだ…。まあ私も、ばっちり塗りました感があるのは嫌って伝えたしな。そもそもファンデよりも、その前の下地やスキンケアのレクチャーの方がみっちりだったなあ。土台は大事という事ですな。

ここで30分お昼休憩。私は駅前のコンビニで買ったサンドイッチをもそもそ食べました。

レッスン再開。ベースメイクは完成したので、今度は色モノです。まずはアイシャドウ。先生オススメの色のアイシャドウを、また腕の内側にどんどん塗って、あまりの色数になんだかよくわからなくなったり、アイラインの引き方を教わったり、眉をカットして整えてもらったり。

5時間ぶっ通しレッスン(途中でお昼休憩はあったけど)なので、さすがにちょっと疲れる…というか、座りっぱなしなのでお尻が痛くなりましたが、教えてもらった事はどれも有益な情報でした。りつつ、結局次から次へと全部そしてーションをこの間、

パーソナルカラー以外にも、まつ毛長いですねーとか、唇の色は薄い方なので、一段濃いめの色の口紅を選びましょうとか、自分の顔だけど自分では気がつかなかった事を指摘してもらえるのも良かったです。。、 です。
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私の中の彼女

長年の友達が亡くなった。
朝の4時半に、彼女の旦那さんから連絡が入った。昨日の早朝に亡くなったそうだ。

私たちは、20代前半の頃に知り合って、すぐ仲良くなって、いろんなライブに一緒に行って、たまにはクラブにも行って、職場が近かったので、お昼ご飯もよく一緒に食べた。彼女の結婚式の時は、ウェディングドレスも縫わせてもらった。30代半ばになると、彼女の出産や引っ越しなどでつい疎遠になった期間が10年くらい続いたけど、40を過ぎてまた連絡を取り合うようになって、好きな劇団のお芝居を見に、年に一度は会っていた。

とにかく本当によく遊んでくれた。特に20代から30代の頃は、彼女がいてくれたおかげでとてもとても楽しかった。あの日々は、私の青春だったのだなと思う。

3年前に病気が見つかって、以来ずっと治療を続けていた。何度も入院したし、手術もしたし、輸血もした。お医者に紹介されて、大阪の病院まで診察を受けに行った事もあったらしい。きっと、やれる事は何でもやったのだと思う。

今日、お通夜に行って来た。棺に納められた彼女は、とても痩せていて、闘病生活が本当に過酷なものだったのだと思い知らされた。

高校生の娘さんが選んだという遺影は、それを見た皆が「いつもこんな感じだったよね」と口を揃えて言うくらいのお馴染みの笑顔で、しかもボーダーのTシャツを着ていて(多分セントジェームズとかそういうの)、棺の中の彼女は、白黒ギンガムチェックのブラウスを着ていて、足元には会う度にいつも彼女が持っていたカゴバッグ、中身は折り畳めるストローハットと黄色のバンダナ。

そして会場には、キリンジの「耳をうずめて」が流れていて、それに気づいた途端、もうダメだと思って泣いてしまった。残念ながらドライアイの身なので、涙は出なかったけど、それでもしゃくりあげて泣いた。何度も一緒にキリンジのライブに行ったよね。

どうして彼女がこんな目に遭わなければならないのか。明るくて、朗らかで、親切で、前向きで、友達も沢山いて、大切な旦那さんも、まだ未成年のお子さん達もいて、どうして、どうしてと思う。納得出来る答えなんてないとわかっているけれど、それでもやっぱり考えてしまう。

とにかく彼女は本当に、とてもよく頑張った。どんなに具合が悪くなっても、いつかはきっと良くなるという希望を、決して捨てなかったと思う。そんな彼女を、私は心から尊敬する。私の自慢は彼女だと、胸を張って言える。でも同時に、彼女の辛かった気持ち、不安や悔しさや、痛みや悲しみや、そういうのももっと受け止めていられたら良かったとも思う。

そんな風に私は彼女の事を、ずっと忘れないでいたいと思う。いろんな思い出とか、尊敬とか感謝とか、あと後悔とか、全部を。

のんちゃん、今まで本当に本当にどうもありがとう。ゆっくり休んでください。
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兄の入院まとめ

今回兄が入院して、いろんな方の励ましや親切が身に沁みて、本当にありがたいな...と思いながら過ごしていたわけですが、ネットで検索して辿り着いた、同じ病気で入院された方の体験談のブログもとても参考になったし、心の支えにもなりました。今回この入院日記をつけていたのは、兄や私を知る人に近況をお知らせする意味もありましたが(あと自分で読み返す用)、今後他の誰かの参考になれば、という思いもありました。というわけで、発症から退院までの経緯をざっとまとめておきます。


2月8日 腰が痛いと言い出す。

2月10日 近所の整形外科がメインの大きめの病院に行き、MRI。診断結果は1週間後。

2月14日 このあたりからいよいよ痛みが激しくなり、ベッドで寝てばかりになる。

2月17日 予約の1日前だけど我慢出来なくて病院へ。椎間板ヘルニアと診断されて、神経ブロック注射を打ってもらう。少し楽になる。

2月19日 また痛みが激しくなる。注射を打つ前よりも痛い。

2月20日 再び病院へ(予約なし)。痛み止めの座薬を入れてもらう。

2月21日 朝7時、あまりの痛みにこれはもうダメだという事で、救急車を呼んで病院へ。そのまま入院が決まる。再びMRIで、腰痛硬膜外膿瘍(ようつうこうまくがいのうよう)と診断される。炎症を鎮めるため、抗菌薬の点滴が始まる。安静を言い渡され、24時間寝たきり状態に。血液検査でCRP(炎症の数値)22.37。

2月24日 血液検査の結果、CRPが少し下がった(17.26)。

2月27日 CRP7.30。

3月3日 CRP3.06。

3月6日 MRI検査。炎症の部分はまだそれほど小さくなってはいないが、明日からベッドから降りたり歩いたりする練習をしましょうと言われる。CRP2.83。

3月7日 2週間ぶりに身体を起こして、車椅子に10分ほど乗る。すぐ気持ち悪くなる。

3月8日 尿道のカテーテルを抜いてもらう。

3月10日 CRP1.77。

3月11日 車椅子に座ってテーブルで食事するようになる。点滴の回数が1日2回に(初期は1日5回だった)。

3月14日 CRP1.43。歩行器で歩くリハビリ開始。

3月17日 CRP0.87。

3月20日 歩行器から杖に移行。

3月22日 CRP0.68。

3月28日 CRP0.29。

3月29日 差し入れに行ったら、杖なしで普通に歩いているところを発見。

3月31日 CRP0.26。

4月4日 MRI検査。全体としては膿の量は減っているけど、別の背骨に広がっているらしいので、点滴の薬の種類を増やす事に。CRP0.4。

4月5日 CT検査。

4月7日 CRP0.26。CT検査で、炎症により背骨の一部が少し溶けた事が判明。こうなると、骨と骨の間の椎間板が圧迫されるおそれがあるが、まだ重大な影響はなさそう、とのこと。(その後看護師さんから、溶けた背骨のまわりはそのままだけど、骨のまわりが支えているから大丈夫そう、とのフォロー)

4月11日 CRP0.27。

4月14日 CRP0.36。

4月15日 炎症の数値が上がっているが、今の薬が合っているかどうかは、もう少し様子をみないとわからない、と医師から説明。

4月18日 CRP0.28。

4月21日 CRP0.19。

4月25日 CRP0.19。点滴終了。この日の夜から、服薬に。内容は点滴の時の抗菌薬と同じもの。

4月28日 CRP0.19。

5月2日 CRP0.10。

5月6日 CRP0.07。

5月8日 CT検査。

5月9日 CRP0.06。退院の許可が出た。

5月10日 退院。

現在退院2日目、家で休んでいますが、日常の動作は普通に出来てます。
今のところ腰の痛みは特に無いそうですが、完全に元に戻った感じではないそうです。腰の炎症は目に見えないので、何がどこまで出来るのか、これからおそるおそる試していくことになると思います。

予想以上に長い入院になりましたが、手術をしなくて済んだ事と、足の痺れなどの後遺症が残らなかったのはラッキーだったなと思います。でも、再発して再入院する患者さんもいると看護師さんから聞いたので、そうならないように服薬と通院を続けていかなければならないですね。

硬膜外膿瘍は、初期症状ではなかなか判断が難しいそうです。実際兄の場合も、最初はヘルニアと診断されたわけだし(確かにヘルニアではあったけど、ヘルニアとしてはそれほどたいしたものではなかったらしい)。とはいえ治療を始める前の神経症状が軽いほど、後遺症が残る確率は低くなるそうなので、救急車を呼んで正解だったかなと思います(いや、もっと早くに呼べば良かったとも思っています)。

「大の大人が泣いちゃうくらい滅茶苦茶腰が痛い」が「数日間続いていっこうにおさまる様子がない」に加えて「熱がある」場合(ヘルニアだったら熱は出ない)は、大きな病院でMRIと血液検査をやってもらった方がいいと思います。何もなければそれでいいから。

というわけで、参考になれば幸いです。

兄のブログ「Simple Menの雁亭日乗」
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兄の入院79日目/退院しました

朝起きて、近所の小さな公園の花壇の水やり。婦人会の当番の日なので。

一度家に帰ってから、今度は近所のホームセンターに行って、三角ホーを買った。三角ホー。長めの柄に三角形の刃がついた鍬(英語でホーと言うそうな)である。成長著しい家の庭の雑草をなんとかしなければ、と思いつつぐずぐずしているのだけど、この間YouTubeを見ていたら、三角ホーを使うと立ったまま草刈りが出来て楽だよ!という動画を見て、腰を痛めた兄と膝を痛めている妹にもってこいの道具ではないか!と思って、早速買った次第。でもまだ使ってないけど(買っただけで安心して何もしないパターン)。

兄を迎えに行く14時まで、特にやることがないので、結局ネットの動画を見たりして時間を溶かす。思えば今回の兄の入院中は、YouTubeで動画をよく見た。主に料理と素人の古民家DIYものと、激狭物件動画を好んで見ていたなあ。

14時になり、兄を迎えに病院へ。1階の売店の前で待っていたら、Tシャツにジャージのズボン姿の兄が、看護師さんと一緒にエレベーターで降りて来た。少し痩せたかな。でも普通に元気そう。看護師さんにお礼を言って、会計で入院費の支払いを済ませて、車に乗ってふたりで家に帰った。

入院生活は結局2ヶ月半。長かったなあ。入院したのが2月21日。まだ寒かった。もう季節が変わってしまった。でも退院したのが、こんなによく晴れた暖かい日で良かったなと思った。

夕方、兄のバンド仲間のOさんが会社帰りに寄ってくれて、少し話をした。退院してこうして会いに来てくれるお友達、ありがたし。

夕飯を作ってふたりで食べて、夕刊を読んだりテレビを見たりして、ああ日常だなー、と思った。
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兄の入院74〜78日目/退院決定

5月5日(金・祝)
縫い物のアルバイトでお世話になっている、名古屋のオシャレさんたち3人とランチ。連休なのでちょっと遠出したいという事で、四日市の郊外にあるお洒落カフェへ。私も初めてのお店だったけど(でもお店の前は車で何度か通った事があるので知ってはいた)、ご飯も美味しかったしゆったり出来て良かった。

この日は石川県で大きめの地震があって、大変だなあと思っていたら、夜11時頃にこちらでもほんの少しだけ揺れた。兄に「今ちょこっとだけ揺れなかった?」とラインをしてみたら、「揺れた!」と返ってきた。ちょこっと揺れただけでもびっくりするのに、震度5とか怖過ぎる。


5月6日(土)
お昼前から友達のFちゃんがやって来て、頼まれて仕立てた服を試着してもらったり、だらだらしゃべったりして楽しく過ごしていたら、兄から「今朝の血液検査、CRPは0.07でした」との知らせが入る。前回は0.09だったのがまた少し下がった!良かった!と、Fちゃんと一緒に喜んだ。

そしてお昼頃、古い友人のTやんが「近くまで来たから」と突然やって来てくれた。25年ぶりくらいの再会ではなかろうか。Tやん、仕事の都合で大阪に行って、それっきりだったんだよな...当時はまだSNSとかなかったから、今となっては連絡のつかない人って結構いる。こうしてまた繋がる事が出来て嬉しいな。

3日ぶりに病院に差し入れ。今日は思い立って兄の車で出かけてみた。兄が入院して以来、全く運転してなかったので、一度動かしてみた方が良いだろうと思って。問題なく無事に動いたけど、車体や窓がさすがに結構汚れていたので、病院の帰りにガソリンスタンドに寄って洗車した。


5月7日(日)
仕立てた服を渡しに、亀山までひとりドライブ。連休中だから道が混んでるかなあと思ったけど、特にそうでもなく。ただ、途中で2度も交通事故現場に遭遇した。これは連休関係あるのかないのか?
帰りにジャスコに寄って、フードコートでラーメンを食べた。
連休が終わる。


5月8日(月)
午前中、銀行に行ったり帰りにジャスコで買い物したりして、それから帰って脱衣所の掃除をする。兄が入院してまもなくは、やる事がないので仕事場の掃除などをしていたが、最近は何もしていない。私は本来、掃除の苦手な人間なのだ。とはいえ、どうもそろそろ兄の退院も近そうだし、じゃあまあ久しぶりにちょっと掃除でもしておきましょうか、という気になった。ついでに兄の部屋に掃除機もかけた。

兄の方は、昼頃にCT検査を済ませて、お医者からの説明を待っていたのだけど、この日は結局医者は来なかったらしい。病院ってそういうところが困るわよね。


5月9日(火)
天気が良いので布団カバーを洗って干したり、布団も干したり。リビングの掃除もやる。

兄、点滴も終わってCRPも少しずつ下がってて(今朝の血液検査は0.06)、本人も普通に動けるみたいだし、いくらなんでももう退院できるのでは?ていうか病院でする事ってもう無いのでは?あーでも昨日のCTで何か変なものが写ってたとか?いやいやいや、とかなんとか考えていたら、兄から電話がかかってきて、明日の午後に退院だと言う。今後は普通に生活して大丈夫とお医者に言われたそうだ。良かった、ああ長かった、でも良かった。

それはそれとして差し入れに行き、帰ってからトイレ掃除。

身体が回復して、無事に帰って来る。それは仕事のこと、今後の体調のこと、棚上げしていた現実といよいよ向き合わなければならないという事でもある。不安ではあるけど、今はやっぱり退院の喜びの方がずっと大きい。焦らずにやっていこうと思う。

明日が楽しみだ。
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兄の入院68〜72日目

4月29日(土・祝)
午前中にツイッターを見ていたら、そういえば今日は祝日だから、病院はお休みではないか!と気付いた。普通に差し入れに行くつもりだったけど、今日は受け付けてもらえない。そうか、世間はゴールデンウィークなのか...。兄にラインで告げると、言われてみれば病院が静かだと言う。

4月30日(日)
昨日の夜から雨が降り出して、お昼あたりまでじめじめとしていた。もしも玉子焼きの仕事をしていたら、今日は朝市に出ていたはずで、きっと天気がどうなるか、前日からやきもきしていた事だろう。その点で今は、気楽ではあるな...と思いながらネットで激狭物件動画を見たりして時間を溶かした1日だった。家から一歩も外に出なかった。

5月1日(月)
差し入れのついでに、入院費の支払いを済ませて、明細を見たら「おやおや...?」と思うところがあり、兄に伝えて問い合わせてもらったところ、それは病院側の手違いでしたすみません、多くもらっていた分をお返ししますとなった。良かったあああ!もしかしてモメて、結局こちらの泣き寝入りになっちゃったらどうしよう、とドキドキしちゃったよ。明細を確認するって大事だなあ。

兄の方は回診で、来週の頭にCTを撮って判断する、と言われたらしい。おそらく退院出来るかどうかの最終チェックになるのだろう。やはり退院は早くても連休明けになるという事だ。でも恐怖のMRIじゃなくてCTなので良かったね。とにかくあと1週間、CRPの数値が上がりませんように。

5月2日(火)
良い天気。
恒例の血液検査、CRPは0.10。この間まで3回連続で0.19だったけど、下がって良かった!!
差し入れに行って、帰りに受付で例の返金をしてもらった。今まで病院で、お金を払った事はあっても、病院からお金を貰った事はないので(貰ったというのはちょっと違うけど)、不思議な感じがするが、とにかくこれで一安心。

家に帰ってまたミシン。今度は友達に頼まれて、手提げバッグを縫った。洋裁の本に載っていたものを、本の通りに作ったのだけど、ものすごく可愛い。大きな手提げバッグで、ぐるりとフリルが付いていて、でも無地の黒い布で作ったので、可愛いけどシックで凄く良い。布は友達が選んだもので、こういう時、手芸好きは得てしてカラフルな柄物の布を選んでしまうケースが多く(布の可愛さに引っ張られてしまう)、結果やたら派手派手なバッグになってしまいがちなのだけど(それはそれで良いものだけど)、ここであえての無地黒を選ぶセンスは見習いたいものだ、と思った。

5月3日(水)
今日も良い天気。
お昼前から母親のところに行き、お昼ご飯をごちそうになった。母の家は最近、お風呂場のリフォームをして、昭和の古いタイル風呂が、今風のユニットバスになった。母と母の旦那さんは、お風呂が狭くて少し残念そうだけど、ちょうど良いサイズ感だと思う。広いお風呂は冬、寒くて辛いぞ。

帰って夕方、仕事場の裏のビワの木の落ち葉の掃除をした。兄が入院してまもなくの頃にも一度掃除したけど、2ヶ月も経つとまた枯葉だらけになる。ワシャワシャ掃いて、Lサイズのゴミ袋が4ついっぱいになった。下からびわの木を見上げると、また実が生っているけどまだ青い。
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普段はほとんど足を踏み入れないゾーンなので忘れがち

兄の方は、今日は4階のお風呂に入ったと言う。いつもは週に2回、3階のシャワー室で身体を洗うのだけど、4階には湯船に浸かれるお風呂があって、3階の入院患者でも前もって許可をもらえば入れるらしい、という話を小耳に挟んだので、一応申請してみたそうだ。普通の家のお風呂くらいの広さで、残念ながら肝心の浴槽にはお湯が入ってなかったので、いつも通りシャワーを使っただけだけど、大きな窓があって眺めがとても良かったと言う。ここのお風呂は、他に誰も使っていなければ別に毎日入ってもいいらしいので(使える時間帯は決まってるけど)、日が暮れてから入ったら、夜景を楽しめそうだ。
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兄の入院67日目/流浪の患者

9時過ぎにのそのそと起きて、午前中からミシン。頼まれもののパンツを縫う。途中でファスナーを買いに、歩いて近所のジャスコへ。敷地内にあるホームセンターは、手芸コーナーがあるのでとても助かる。
そういえばここ、連休中のイベントでベルニナ(スイスのミシンメーカー)の体験教室をやるらしい。各回2名限定、参加費用は4400円というなかなかの本気設定。一体何を縫うのかしらん。

ついでなのでもうここのスーパーでお昼ご飯を買っちゃおうと思い、しかし何を食べようか迷って迷って、結局鮭のおにぎりと惣菜コーナーのたこ焼きというよくわからないチョイスをした。帰って家で食べたら、たこ焼きが予想以上に美味しかった。

昼過ぎになって兄からライン。また部屋替えになったと言う。これで4回目のお引っ越しである。2ヶ月以上入院していると、あちこち行かされるなあ。
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部屋の中身は前と同じだそう

そして血液検査のCRPは0.19、前回と変わらず。点滴から飲み薬になって初めての血液検査だったのでどうかなあと少し心配していたけど、とりあえず上がらなくて良かった。

差し入れに行く。今度の部屋は病院の玄関側に窓があるので、久しぶりに1階と3階で手を振り合った。
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おーい

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ズーム

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3階の兄が撮る私。これだけ遠いと痩せて見えて良いな。

ところで兄は、来月の13日にライブの予定があったのだけど、いろいろ考えて出演を断ったそう。この調子でいけば、多分その頃には退院出来ていると思うんだけど、退院直後なのでやっぱりしばらくはおとなしくしていた方が、というのと、万が一退院出来なかったら迷惑がかかる、という事。私もその方が良いとは思う。兄としては、このライブに出られる事を希望として入院生活を送っていたので、目標がなくなってしまって残念な事だろうけど、出られるか出られないかとやきもきする事もなくなったので、心穏やかに過ごして欲しい。またお座敷はかかるさ。

帰りは本屋さんに行きたかったので四日市へ寄り道。洋裁の本と、漫画を2冊。
四日市の駅前は、アピタと近鉄百貨店にそれぞれ本屋さんが入っていて、アピタの本屋さんは洋裁本がとても充実しているのだけど、最近はどうも近鉄の方が、新刊がちゃんと発売日に入るようだ。

夜はまたミシン。パンツを縫い終えた。ウエストぐるっと総ゴムの、縫うのも履くのも楽なパンツで良かったはずが、諸事情でファスナー付きになってしまった。気に入ってもらえるかどうか...。
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兄の入院64日目/点滴終了

10時前に兄からライン。今朝の血液検査、CRPは0.19。前回と変わらず。今まで、下がった下がったと喜んでいたら、3回目あたりでちょっと上がっちゃう、というのが続いていたので、兄はかなり気を揉んでいたようなのだけど、今回は下りはしなかったものの、上がらなかったので良かった。

午前中は、頼まれものの着物のリメイク作業。またワンピースを縫っている。楽しい。一気に完成まで進んだ。なかなか良い感じに出来たので、自分用にも作ってみたい。

午後になって、パラパラと雨が降って来た。なんとなく小寒い。差し入れに行って、帰りにドラッグストアに寄って、カップラーメンを買って家で食べた。

あれこれしているうちに夕方になり、夕刊を取ろうと玄関の郵便受けを開けたら、宅配便の不在通知票が入っていた。ずっと家の中にいたのに。そういえば少し前から、玄関のインターホンを押しても鳴らない疑惑があったのだった。あったのだったけど、今あんまりうちを訪ねてくる人いないしな、とかなんとか言い訳をしてズルズルとそのままで過ごしていた。しかし宅配便が届かないのはマズイ。ようやく受信側の機器を調べてみたら、単に電池が切れていただけだったので、早速乾電池を入れ替えた。これで安心。

少しして、着物リメイクを頼んだ人がうちに取りに来てくれた。ワンピースが5着と、ジャケットとブラウスが1着ずつ。1月に着物をどんと渡されて、いつになってもかまわないからと言われて結局4月になってしまったけど、喜んでいただけて良かった。

夜、兄からラインがきて、点滴が終了になったと言う。今までもちょくちょく陰性期間(CRP0.3以下)があったので、もういいでしょうと。今後は点滴ではなく飲み薬になる。カプセル2錠を1日3回。中身は今までの点滴と同じで、薬が直接血管に行くか、胃や腸から吸収されて血管に行くかの違いらしい。この服薬で問題がなければ、入院はあと1〜2週間だそう。

やっと点滴が終わる。服薬がうまくいくかどうかまだわからないけど、とりあえずこれで、針を何度も刺し直したり、点滴の輸液がなかなか入っていかなくて腕が痛くなったりという煩わしさがなくなる。まだ疑心暗鬼というか、手放しでは喜べないけど、良かった。

その後兄は、点滴用の針を抜いてもらったらしい。今刺さっていた針は、先日看護師のレッチリさんにうまく血管を見つけて刺してもらったところで、まだ点滴が続くのならもう少し使っていたはずだったので、それをもう抜くとなるともったいない気もするし、さみしい気持ちもある。何にでも情が移ってしまう人である。
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兄の入院62日目

朝、寝ていたら、着物のリメイクを頼まれている例のおばあさん(Tさんとしよう)から電話がかかってきた。私が思いっきり寝てました感満載の声で電話に出たので(だって寝てたから)、Tさんもさすがに察したらしく、またかけ直すと言って切れた。7時半。日曜なので、寝てても不思議はないけど、起きてる人は起きている。9時にまたかけ直してもらって、他に頼まれているリメイクものについてあれこれ話す。

兄の方は、最近はなるべく昼まで目を覚さないようにしている、と言う。朝ごはんは椅子に座って食べるけど、食べたらまたベッドに戻ってうつらうつらして、そうするとやがて点滴の時間になるので、半分寝ながら点滴をすると、あっという間に終わる気がするらしい。

一昨日の夜の点滴は、針を5回刺し直したけど、昨日の朝の点滴では、看護師のレッチリさん(夫婦でレッチリのコンサートを見に大阪まで行った事があるそうな)が良い血管に針を刺してくれたらしい。ありがたいありがたい。

昼前に、市議会選挙の投票に行き、帰って来たら向かいのおばさんが冷凍の鮭の切り身をくれた。

午後、兄から「道との遭遇」の再放送をやっているよとラインがきたので見る。所謂「酷道」や「廃道」などの変わった道路を紹介する、CBC(TBS系)の深夜番組で、以前から兄妹でよく見ている。我々兄妹は、旅行はあまり行かないけど、兄は「酷道」好きなので、たまにそういう変わった道路やルートを知ると、私もつきあって日帰りドライブに行ったりする。兄が退院したら、またそんなドライブに行きたいものだ。

夜は、大河ドラマを見て、引き続き「ラストマン」の初回を見た。福山雅治と大泉洋のバディもの。なかなか面白かったので続けて見ようと思う。
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兄の入院57〜60日目/

入院日数のカウントが正しいかどうか自信がなくなってきました。大体これくらいと思ってください。

4月18日(火)
肝臓のエコー検査のため、朝から近所のかかりつけの医院へ行く。私は肝臓の数値があまり良くなくて、でもまあ今すぐどうこうというレベルでもないので、年に一回エコー検査をして様子を見ている。お酒を一滴も飲まないのに肝臓が悪いなんて本当に納得がいかないけど、そういう人もいるのでしょう。ひんやりした何かをお腹に塗られ、プローブをぐりぐりと動かされて、そうだった、エコー検査って息を吸ったり止めたりするんだった、と思い出しながらくすぐったさに耐えた。

昼前に兄からラインがきて、今朝の血液検査の数値は0.28でしたと言う。前回は0.36だったので少し下がった。上がらなくて良かった〜。

午後、差し入れをしてから四日市に行き、無印良品で買い物。ネットで取り置きしたTシャツや、兄の靴下などを買う。途中で兄からまたラインがきて、乾電池とミニスピーカーを買って欲しいと言うので帰りに近所のジャスコに寄ったら、ジャスコ内のダイソーはリニューアルオープンのため、昨日から臨時休業になっていた。なんと。仕方がないので隣の地区のダイソーに行って無事買えた。


4月19日(水)
仕立てた作務衣やお直しのワンピースを持って、朝から母の家に行く。先週、母の知り合いのおばあさんから頼まれていたのだった。おばあさんのお宅に行って直接お渡しするつもりだったのだが、今日はデイサービスの日だったらしく、おばあさんには会えなかったので、おばあさんの娘さんがやっている喫茶店に行き、荷物を預けた。お気に召すと良いのだが。

喫茶店でモーニングを注文したのだけど、サラダとトーストの皿が来た途端、母が「私もう5時に朝ごはん食べたから」と言い出し、私が母の分も食べる羽目になった。それから三人で津へ行き、うどん屋さんで日替わりランチの生姜焼き定食を食べた。いくらなんでも食べ過ぎたので、もう夕飯はなしでいいや、と思っていたのに、夕方になったらきっちりお腹が空いてきて、夜も家でちゃんと食べた。ああ。

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兄の昼食。たけのこご飯。

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兄の本棚。暇つぶし用に、レコードコレクターという雑誌のバックナンバーを、いつもランダムで2〜3冊ずつ差し入れしていて、本棚から出す度に雑誌の並びがバラバラだったのが気になっていたので、勝手に整頓した。すっきり。

4月20日(木)
午前中、ジャスコで買い物をしていたら、昨日のおばあさんから電話がかかってきて、作務衣もお直しもどれも気に入っていただけたようで良かった。
続いてまた別件の頼まれものの着物のリメイクを進めていたら、中学の同級生からラインが来て、同じクラスだった女の子が亡くなったと言う。びっくり。
夜は、友達からまたタダ券をもらったので、スーパー銭湯に行った。

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兄の夕飯。珍しく肉。

4月21日(金)
10時頃、兄からライン。血液検査の数値が0.19だったとのこと。下がった〜、初の0.1台だ〜。これで心穏やかに週末を過ごすことが出来る、良かった良かった!

午後の差し入れの後、かかりつけ医院に寄って、この間のエコー検査の結果を聞く。肝臓に特に異常はなく、膵臓と腎臓も大丈夫らしい。一安心。
ただ、肝臓の血管に、かたまりになっている部分があったらしい。血管腫という良性の腫瘍で、これからもエコー検査でついでに様子は見るけど、特に心配しなくてもいいらしい。また出た〜、良性の腫瘍〜。

夕方、同級生のお通夜へ。ついこの間までは元気だったのが、熱が出て、急に亡くなったらしい。持病があったという話だけど、関係があるのかどうかはわからない。トマト農家に嫁いで、頑張っていたようなのに、残念でならない。

兄は、点滴の針がなかなか刺さらず、5回刺し直して22時からようやく夜の点滴が始まったらしい。5回はきついな...。
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兄の入院54〜56日目/お出かけの記録

4月15日(土)
お昼前に友達のFちゃんが家に来た。Fちゃんとは長年のつきあいで、兄とも親しいので、兄に電話をかけてFちゃんも交えてビデオ通話をやった。明るいFちゃんと話せて、兄も久しぶりに笑ったようだ。夜、婦人会の定例会に行く。家に帰ったら兄からラインが来ていて、治療のことについてお医者にいくつか質問をしてみたとのこと。メモを見せてくれた。「昨日の血液検査の結果で、点滴の期間はまた伸びたのか?→伸びた」「(薬を追加した)今の点滴で効いているのか?→まだ1週間なので、その判断はもう少し時間がかかる」「何回連続で良い数字が出れば点滴は終わるのか→4回」「安静にしておかなければならないのか→初期ならともかく、今はそういうわけではない」「退院後、普通に仕事が出来るだろうか→すぐは無理だが、時間が経てば大丈夫」この説明で、ある程度は納得したとのこと。

4月16日(日)
朝8時、地区のスポーツ委員のお仕事で、近所の公園へ。年に一度のグラウンドゴルフ大会のお手伝いと、一応プレーもするという(参加人数多くないから)。総勢20名ほど参加して、私は今年もぶっちぎりの最下位だった。決して委員だから参加者の皆さんに花を持たせているわけではなく、普通に頑張ってこの結果である。参加賞の箱ティッシュなどをもらって帰る。午後はミシン。頼まれものの作務衣が完成。兄の方は、日曜日恒例の朝食の薬膳がゆを初めて食べたそうだ。どこが薬膳なのかわからないけど美味しかった、とのこと。
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入院初期は寝たきりだったので食べられなかった薬膳がゆ

4月17日(月)
午前中、銀行に行って自治会の町費を入金。家に帰って出納帳に記録。兄からラインが来て、看護師さんから説明があり、やはり入院は長引きそう。この病気は皆、長くなるらしい。仕方ない、きっちり菌を叩いてしまわねば。またあんな激痛に襲われるのは避けたいしね。夜は、ちょう久しぶりのZepp名古屋でネバーヤングビーチのライブを観た。2階の指定席をとったので、ステージが観やすくて良かったけと、音は1階にいた方がより臨場感あっただろうな。終演後、1階で観ていた知り合いのスタイリストさんと合流、スタバでも行きますかと言っていたのだけど近くのスタバはもう閉店していて、駅まで歩きながら、彼女が好きなエレカシのライブについてのファン同士の論争の話などを聞く。
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今日はシャワーの日だったので洗髪した兄。モジャー。
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兄の入院53日目/

兄の入院も50日超えで、日数を入力するのがつらくなってきた今日この頃。
金曜の血液検査は、CRPが0.36でまた上がってしまった(前回0.27)。
入院が長引くのも、点滴の針を刺すところがいよいよなくなってきそうなのに、まだ点滴を続けなければならないのもつらいが、兄にはお医者や看護師さんの説明が少ないのが何より不満だそうだ。
病院ってそうだよな。6年前の脳出血の時も、今とは違う病院だったけど、思えば病院側からの説明ってあんまりなかった。
いずれにせよ、点滴を続けながらもう少しこのまま様子を見るのだろうけど、このままでは希望が見えないなあ。
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兄の入院52日目/上履き、裁ちばさみ入れ、飲む冷麺

朝、のそのそと起きて、久しぶりにゴミを出しに行った。仕事もせずに家でひとりだと、あまりゴミも出ないものだ。収集所の近くの角地、以前は家が建っていて、何年か前に取り壊されてずっと更地になっていたのが、最近また家を建てている。どんな家が出来るのだろう。

午前中、近所のジャスコに行く。兄から病院で履く靴が欲しいと頼まれた。皆さんご存知ですか、入院すると履物はサンダルとかスリッパとかはダメなんですよ。ちゃんとかかとまで入るスニーカーとかを用意してくださいと言われる。基本ずっと室内なんだし、ベッドで脱いだり履いたりすることが多いから、サンダルとかの方が便利じゃーん、と思うんだけど、転倒防止のためだそう。

それで兄も、ひものないスリッポンタイプのスニーカーを履いていたのだけど、何年も前から履いているやつで、ここにきていよいよボロくなってきたので、もういっそ上履きが欲しいと言う。17966698995404
こういうの

通販だと日数がかかるので、ジャスコで探してきて欲しいと。確かにジャスコならありそうだけど、大人のサイズってあるのかなあ、なかったらホームセンターとかワークマンとかの安いスリッポンでもいいかな、と思いながらジャスコ内の靴屋さんに行ったら、ばっちりあった。
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26.5cm、460円。ありがとうジャスコ。

見た時思わず「おお」と声が出てしまった。まさにこれ、なものが売られていて感動しつつ買った。

ついでにまた百均に寄って、裁ちばさみ入れを買った。買った!
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セリアにて購入

本来は冷蔵庫内の整理用のケースなんだけど。2個買って、1つは裁ちばさみ用(一応、底に手ぬぐいを敷いてみた)で、もう1つはボタンホールを開けるためのノミ(ボタンノミ)(正確にはこれは木工用のノミと彫刻刀ですけど)用に。重ねられるので便利。
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整頓したので、この状態をなるべくキープしたいものだ

裁ちばさみとボタンノミは、ずっと置き場所が定まらなかったけど、これはいい感じじゃないかなと思う。すっきりしたー。

(メッセージを送ってくださった方、ありがとうございました!革ケースも素敵ですよね)

夕方、兄から送られてきた写真。
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飲む冷麺...だと?

病院内の自販機とは思えない、攻めたセレクト。兄は私の5倍くらい好奇心旺盛な人なので、勿論買ったけど、「やっぱりやめとけばよかった。半分も飲んでません」とのこと。まあ、そのチャレンジ精神は評価したいと思います。
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兄の入院51日目/裁ちばさみ入れが欲しくて

雨が降るぞ、黄砂がすごいぞ、と散々聞かされたが、朝起きたらまだ薄曇りだった。

午前中、近所の百均を2軒はしごした。洋裁用の裁ちばさみを収納するケースが欲しくて、何かちょうど良い入れ物はないかと探しに行ったのだが、これぞといったものがなくて、お店を出たら雨が降ってきた。家に帰ってお昼ご飯にチャーハンを作って食べた。

2時過ぎ、病院の兄に差し入れに行く。持ってきて欲しいCDをラインで指示されて、兄のCD棚から探すのだけど、なにせ結構な枚数があるので、ばっちり見つけられた時はなかなか気持ちがいい。ピッキングのバイトでもしようかしら(なんてな)。

帰宅後、空き箱で裁ちばさみ用の薄型の引き出しを自作することにした。途中までは良い感じだ!と思っていたのだけど、結局うまくいかなくて挫折。洋裁ができても工作も得意とは限らない。今日はここまでずっと、裁ちばさみのケースのことを考え続けていた感じ。しかし何も収穫はなかったなあ...。

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本日の兄の昼食、ちらし寿司。

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兄の夕食、シチュー。給食のシチューっぽい感じだそう。

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夜、長年愛用していた置き時計がカタカタ音がするようになった。ナショナルのヤングスヤスヤ(なんてかわいい名前!)、50年近く前の代物。それなりに愛着があるので修理に出そうかな。
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兄の入院50日目/寄り道の味

MRI検査のため、朝から市立病院へ。間違えて先週も行っちゃったけど、今日は間違いないぞ。
早めに着いたので、病院内のコンビニで来週行くネバーヤングビーチのライブのチケットを受け取った。病院の中のファミマでもこういうことって出来るんだなあ、そりゃ出来るか。

受付を済ませてMRI室の前で待って、しばらくしたら呼ばれて中に入る。検査着に着替えるのかなと思っていたら、そのままの服で良いそう。技師の人に金属チェックをされる。体内は勿論、下着も服も、金属類は身につけてないはずだけど、こういう時はやはりちょっとドキドキするものだ。

検査は30分くらい。途中で造影剤を注射されるんだけど、一昨年の検査の時は、この注射がなかなかうまくいかなくて、何度も刺し直しされて難儀したが、今回は一発で成功した。私はMRI検査は特に苦手ではないけど、注射だけちょっと心配していたので無事に済んで良かった。

検査が済んだ後、またコンビニに行ってコッペパンのチキンサンドを買って、店内のイートインコーナーで食べた。
10時半に検査が終わって、診察は11時からとなっているのだけど、実際は1時間以上待たされる。真面目な私は毎回、ずっと座りっぱなしで尻が痛いと思いながら待合コーナーで律儀に待っていたのだが、今年は検査が終わったらすぐに待合には行かず、絶対コンビニで何か食べてやる、と心に決めていた。
検査のために朝から何も食べてなくて、お腹が空いている。寄り道のチキンサンドはうまい。

診察に呼ばれたのは結局12時過ぎ。結果は、内耳の奥の良性腫瘍に特に変化はなしとのことだった。この1年、めまいも耳鳴りも全くなかったので、まあ大丈夫だろうよと思ってはいたけど、検査結果を聞くとやはり安心する。1年後にまたMRIの予約を入れられて終了。

一方兄の方は、今日は血液検査があった。先週CRPが0.26から0.4に上がって、点滴の薬をもう1種類増やして、次の検査では0.26に下がり、今日は0.27。ほぼ横ばい。出来ればもう少し下がってほしかったが、焦っても仕方ないなー。

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兄の夕食、肉豆腐。「本日の晩ごはんは良かった」



livedoor プロフィール

wee

1971年6月生まれ。趣味は洋裁とサッカー観戦など。サッカーのユニフォームはピチピチよりもゆるゆる派です。機転の利く人に憧れます。

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