新しい事実が判明しましたので、付け加えます。
■供与数と交換期限
明治・大正と下士卒に供与された折メスですが、分類上「被服」ということを考えれば、当然そこには支給定数と交換期限があるはずです。それに関する公文書がなかなか見つからなかったのですが、なんとか記述されている部分を見つけることができました。以下の通りです。
■国産折メスの支給が始まった明治10年代
明治16年官報146号付録海軍省丙第115号達別冊の海軍下士以下被服給与概則には折メスの支給対象が「二等・三等兵曹、水兵、信号夫、船艙夫、帆縫夫、造綱夫」と詳細に記されています。そのなかで支給定数は「折メス」2丁、「紐」2本、交換期限については「折メス」「紐」ともに1年6カ月とあります。
■明治中期
明治23年勅令65号による海軍被服条例には被服・菱食という項目があり、その中の下士卒への被服交付表には折メスは「兵曹、水兵に限る」とあります。ここでは支給定数は「折メス」1丁、「紐」2本、交換期限については「折メス」「紐」ともに1年6カ月とあります。
■明治末
公文書ではありませんが、明治43年の「最近海軍宝典(佐々木新之承海軍兵曹)」という書籍では支給定数は「折メス」1丁、「紐」2本、交換期限については「折メス」は2年、「紐」は1年6カ月あります。
同じく公文書ではありませんが明治44年の「海軍下士卒必携届願便覧(岩石一郎編)」には支給定数は「折メス」1丁、「紐」3本、交換期限については「折メス」、「紐」ともに3年とあります。
■折メスの支給の廃止
大正11年勅令第226号では同服制中折「メス」(水兵ニ限ル)ノ項ヲ削ル・同図中折メスノ図ヲ削ルとあり、折メスの支給が終わります。
■考察
明治10年代に折メスの支給数は2丁で始まりましたが、明治中期以降は1丁になっています。過去の記事で紹介したとおり、初期の軍艦は鉄骨木皮船体です。甲板は木材やロープだらけで折メスが活躍する場面が多かったはずです。
破損を報告した公文書http://blog.livedoor.jp/gogomogutan/archives/10424359.htmlも残されています。やがて製造技術の向上http://blog.livedoor.jp/gogomogutan/archives/10428192.htmlで破損が減るとともに支給数は減ったと推察されます。
紐は逆に支給本数が2本から3本に増えています。こちらも過去の記事で紹介したとおり、作業中に紐が切れて折メスを海中に落下させ紛失する事故http://blog.livedoor.jp/gogomogutan/archives/10457262.htmlを含め紐の切断は結構あったようです。重量のある折メスを吊す紐は消耗が早かったと思われます。
交換期限については明治末になると折メスはそれまでの1年6カ月から2年、そして3年と急に延長されています。これは軍艦の近代化で鋼鉄艦となり折メスが必要とされる場面が減り、消耗の度合いが減ったことが原因と考えられます。
1年6カ月が交換期限だった紐もその時点で3年になっています。
■交換期限と数について
被服関係の物品(折メスも被服)はそれぞれ期限があって交換するようになっていましたが、それは一品ずつ交換するということです。つまり3着あるものは期限ごとに1着ずつ新品と交換するものであって支給された3着を同時に交換するということではありません。