頭の中で「こうしよう」と思っても体が動かない時がある。
とまあ、それは僕にとってよくあることなのだけど。

大体の場面で、僕の邪魔をするのは僕だ。
もっとはっきり言えば、僕しかいない。

4月と5月のGW中に片付けようと心に決めたことがあった。
それが何か詳しくは言わないけれど、別に言っても大したものでもないのだけれど、
結局のところおざなりになったままだ。

厄介なのは、それがおざなりのままでも誰にも咎められることではない、ということ。
だから僕は人に迷惑をかけちゃいない。
ただ、僕が僕に迷惑をかけただけに過ぎない。

僕のエンジン。

仕事をして、友達とたまに遊びにも出て、久々にパチンコを打ったりもして、やっぱり負けて、
GWは実家で田植えもやった。
こういうものは受動的にやってくるものがほとんどで、この場合は決まってごく自然と体は動く。
エンジンを必要としない。
問題なのは自分で決めたこと、だ。

別の言葉に置き換えると、夢とか目標とか、そういうものだと思う。
それがちっぽけな、例えば部屋の掃除だったりしても、
誰にも迷惑がかからないことならエンジンはなかなか動いてくれない。
早い話が、怠け者、かと思いきやその言葉はどうも違う。
いいGWだったと思うけれど、悪いGWだったとも思う。

だったら初めから何も決めたり、望んだりしなきゃいいじゃないか。
たまにそう考えたりもする。
夢見心地でいるのが一番楽だ。
でも、それを幸せと呼ぶのか、僕は分からない。


連休の半ば、幼馴染に強引に連れられて、パワースポットなんていう場所を目指して車を走らせた。
僕は助手席に座り、彼は左側でハンドルを握った。
こうやって二人きりでじっくりと話すのは久々だった。

片道2時間もかかる道中で、いつが楽しかったか、なんて話題になった。
僕も彼のことを、彼も僕のことをよく知っているし、過ごした時間も長いから、思い出話には事欠かない。

小学校は底抜けに楽しかった。不安なんてなくて、僕と僕達を中心に世界は回っていると感じた。
これは本当だ。
中学校は真面目だった。敷かれたレールを僕なりの早さで懸命に走った。
これも本当だ。
大学は将来のことや、人を好きになったりして悩んだりすることも多かったけれど、それでも面白かったと思う。
一番笑った時間かもしれない。

高校はつまらなかった。
退屈で、歯がゆくて、段々とレールから逸れても社会はそれを矯正しようとして、葛藤もした。
高校に友達がいなかったわけではない。
ただ、今でも残るような友達を作ろうとしなかっただけだ。
僕のエンジンはじっとしていられないほど動きたくて、
でもどうすればいいか分からず、上手くいかなくて、苦しい毎日だった。

そんな高校時代が好きに思う。
一番つまらなくて、感慨深いから、好きだ。

僕はエンジンの鼓動だけ響かせ続けて、そのまま僕は動きだすことなく、卒業した。
だから月並みだけど、ああすればよかった、なんて後悔していることもたくさんある。
それでも高校時代が好きだから、僕は少し変かもしれない。

車の中でこんな話をしたら、彼は聞いているのかいないのかよく分からない相槌をくれた。
「最近、高校のことを思い出す」と言っても、ふうん、という返事に終わった。
それから「ロマンチスト系やしなー」なんて彼は言ったが、僕は別段そう思ってはいない。
たまに後ろを振り返るだけだ。


僕の思う青春は、高校時代に過ごしたような時間だ。
いろんな場面をフォーカスすれば、それは爽快だったり、甘酸っぱかったりするのかもしれない。
だけど俯瞰的に見たら、ギアをニュートラルに入れたままアクセルを踏みっぱなしのような状態。
どこにも動けず、停まったままで、激しい音をあげて。

エンジンが哭いている。
それが僕の思う青春になる。

今は高校の頃に少しだけ似ている。
手探りだし、しみったれた時間もあるし、
エンジンは動いているのか哭いているのか、自覚すらないことも多い。
ただ、もうおぼろげな景色になってしまった高校時代の人や出来事を思い返そうとするのも、
今とあの頃がどこかで共鳴しているからに思う。

ふと、高校時代のあの子に逢いたくなった。
残念ながら何をするわけでもないし、再会したところで間を持つ話題も見当たらないはず。
だけど、あの子と逢ったりしたら、
あの子の近況を知ったりするだけでも、
僕のエンジンは聞いたことのないような大きい音を上げて、
僕自身も、よくわかんねーけど頑張ろう、なんて気持ちになる気がする。