塚田薫のぼんくらノート

ご意見やご感想、苦情、罵詈雑言等がございましたらコメント欄かメッセージにてお願いいたします。 「日本国憲法を口語訳してみた」コンテンツについて教育目的や無償の二次使用に関しては基本的にフリーですができればご連絡下さい。 書籍版も出てますのでそちらのほうもご参照を。 『日本国憲法を口語訳してみたら』 http://www.amazon.co.jp/dp/4344024338 ご連絡はhoshigaokaxpppアットマークやっほー.co.jp twitter@TsukadaKaoruまで あとは日々の雑感などを書いていきます。

『日本国憲法を口語訳してみたら』という本を出してから3年が経って、ちょうどあれも参院選のころだったなと思いつつ今思うことは、
あれが6万部くらい売れちゃったってこと自体が日本の公民教育の敗北だよね、ということ。3年経ったしそろそろ一区切りかなと思って、つらつらと書いてみよう。

誤解しないでほしいんだけど、これは「知らない人たち」や「これならおもしろい!」って思ってくれた人たちを責めたり貶めたりしたいのではなく、あくまで教える人たち、あるいは憲法を価値のあるものと思っている人達の問題としてね。

金出してくれたり、もちろん借りたりして合法的に、自分の時間を使って読んでくれた人達、その上「面白い!」とか「楽しかった!」とか「勉強になった!」と言ってくれた人達には感謝しかない。マジで。マジ感謝。
人並みか人並みに以上に世間様の世話になって生きてきた者として、世間様に対してなにか価値のあることができたならば俺はとてもしあわせだ。


少し前のこと。ある「護憲派」な人達の集まりに呼ばれて、なんか話せとネタを振られたので

「俺みたいなボンクラがふざけて書いたネタが本とかになってなんか持ち上げられちゃうのって、あなた達がやってきたことがぬるいからですよね」

みたいなことを言っちゃうようなボンクラなので色々な人に叱られるけど、思ってしまったことは仕方ない。こればっかりはかわらない。

ちなみに先日同じ団体が例のオークダーキくんを呼んでイベントやるって聞いて見に行ったけど、彼はやっぱ俺よりも「賢い」し、話も上手いね。うん。なによ り「かわいげ」がある。「頼れる若者」みたいなかんじ。多分、俺も彼ほどにではないにせよそういうのを求められていたという感じあったが、そいうことできるほどの器でもないし、「賢く」もないので、最近はせっせと家賃とか食費とかを稼ぐために働いている。日焼けもするし筋肉もつく。まあ悪くないし、27年間のうちで多分ここ最近が一番健康だ。あと最近は別のことを勉強しなおすために改めて学生をやっている。


閑話休題。
俺はあの本を俺が卒業した定時制高校の一年生、つまり色々な事情でスタンダードな学力を身に付ける機会から外れてしまった人達にも楽しんでもらえるような タッチにしようと考えていたんだけど、それが世間様の需要にある程度はまってしまったことは意外でもあり少し残念でもある。
それはもう教育の問題でしょう。それなりに多くの人達が知りたいと思っているのに、それに対応できてこなかった。これが問題。

3年経ったし、俺も27になったしそろそろ一区切りかなと思う今日この頃。もちろんなんか呼ばれれば出かけていくことに変わりはないけど。

最近の俺はというと、最近の俺はまったく別の悪ふざけを思いついたので、それをせっせと肉体労働やら学生やらやりつつの合間、ゆっくりにでも形にしていけたらいいなと思っている。
わくわくするんだよ。久しぶりに。




閑話休題

本の著者になるという体験は色々と嬉しいことがあり、それがどんな場所でどんな人達に読まれているのかを知ることが一つ。
ある筋の情報から、とある鑑別所の貸し出し本にあったとか。とても嬉しい。
俺が卒業した定時制高校の図書室にも入っているとか。まあ俺が寄贈したんだけど。自分の後輩が何人かでも読んでくれたならとても嬉しい。
以前、ある事情で生活していた児童福祉施設でも読まれているとか。

図書室や図書館にばかりいた陰気なガキなのでそこに自分の名前があるっていうのは本当に嬉しいし、幸せなことだ。
libraryという空間は本だけではなく、なんだか安心感と自由があるよね。人がたくさんいるのだけど、互いにそれぞれの楽しみや必要のためにそこにいる。俺はそこにある本で様々な言葉にふれることができる。
なんとも自由だ。
そういう空間っていうのはとてもいい。本屋も好きで何年もバイトしていたけど、また違う。ちなみにバイトしていたうちの一つの本屋は今年潰れてしまった。さびしい。
そんなわけで図書館はよい。もはや俺のフェティッシュだ。そういうAVないかな。あったら教えてください。
先日観たゴーンガールでは図書館でコトに及ぶシーンがあって俺のリビドーに微かな火が灯った。この話もしたいけどやめておこう。

何を話したのか。
7月19日に、日本青年会議所が主催し横浜市が後援についた「サマーコンファレンス2015」内の深夜企画「朝まで生コンファレンス」にゲストで呼ばれたので横浜まで行ってきた。
基本的にはこれまで後援で何を話したかというのはわざわざ書かないが、色々な議論があり面白かったのでまとめる。

事前の打ち合わせで、憲法に関わる問題では、安全保障論を東輝君に負ってもらい、私はそれ以外のところ、表現の自由や教育の価値についての話を中心に。という方針。

会場からの質疑や話の流れで安保法案についてコメントをしたが、概ね以下の通り。(言いそびれたこともたくさんある)

安保法案について
アメリカの軍事費削減といった「世界の警察」引退や、中国の海洋戦略の拡大といった近年の動きからも、日本の関わる安全保障環境は変化しているのは事実。
万が一の近隣有事の際にアメリカ(世論)に対して日米安保条約に定める防衛義務を果たさせるインセンティブとして、アメリカの軍事活動の支援の拡大という理屈は理解できるが、憲法改正ではなく法律によって進めるやり方は大いに反対。
(そもそもこの方針では安全保障政策のうちアメリカに依存する度合いは高まり、アメリカの軍事活動の支援のために地理的制約を外し、どこにでも付いていくようなことまでやるだけに見合うメリットがあるのか?
金もかかる、人も必要、そしてリスクもある。
それだけの負担をするのであれば、個別的自衛権の範囲でやれることを確認したほうが良い。
ア メリカと対等な立場を求めるというが、そもそも軍事力の母数の差は歴然としており、またイラク戦争のようにアメリカ本国でさえ正当性が否定される戦争にま で無批判に付き従い、それについて何も反省を見せない態度からも相当不信。主体的な判断をしないままアメリカに盲従するだけになるのではないか)
そもそも自民党の安全保障の基本方針が見えない。


教育について

自分が参加している生活保護世帯の生徒の学習支援の必要性について。
教育の習熟度は家庭の経済力(家計のうち教育費にかけられる割合)、教育の程度と職業選択や収入格差は統計的に関連している。
選択し得ない環境によって本人の将来の選択肢が狭められることは非常に問題であり、貧困の連鎖の解消のためにも教育への機会は均等でなければならない。
学校教育だけで完結する教育が望ましいが、行政による無料の塾などアタッチメント的なサポートの拡大が短期的には有効。
(安倍政権については割と批判的だが、フリースクールの支援や、法的位置付けの確認などを進める姿勢は評価している。法律レベルでフリースクールがどう位置付けられるかの議論はまだまだ必要だが)


18歳選挙権について

高校まで、あるいは中学までで公民教育がどれだけまともに機能しているのか疑問。
現在の学校教育では、「中立性を保つ」という題目によって外部からの介入であったり(ある高校の授業で安保法案について模擬投票をした結果に与党議員から横槍が入った)、個々の教職員の資質に頼る部分が大きく、制度として有効な公民教育ができているのか疑問。
18歳選挙権について、基本的には賛成だがもうちょっと制度や方針を整えてからでもいいのでは。


表現の自由について

1
「民主主義に乾杯」と題された各登壇者が考えるそれぞれ民主主義の最も重要な基本は何であるかを述べるコーナー。
零八憲章により中国政府に弾圧され投獄されているノーベル平和賞受賞者 劉暁波氏を例に挙げ、公権力による表現の自由への弾圧こそ民主主義の根底を破壊する暴挙であると指摘。
民主主義の根底は最大限尊重された表現の自由にある。
(劉暁波氏曰く
私は期待する。私が中国で綿々と続いてきた「文字の獄」の最後の被害者になることを。表現の自由は人権の基礎で、人間性の根源で、真理の母だ。言論の自由を封殺するのは、人権を踏みにじり、人間性を窒息させ、真理を抑圧することだ。」)

2
百田尚樹氏への批判が民間企業であるメディアから出るのは言論弾圧に当たらない。
むしろ公権力である沖縄の市議会へ、私人である百田尚樹氏個人に対して発言の撤回を求める決議が提出され、しかもそれが可決されたことこそ表現の自由に係る問題である。
(議会は決議の修正決議か撤回をすべき。ここがスルーされてるのっておかしくない?ただし決議のうち例の勉強会を企画運営した自民党若手議員への部分については問題なし)

3
[テーブルディスカッション]
テーマ「表現・報道の自由はどこまで許されるのか。」
30分ほど10人強のテーブルに分かれてディスカッションを行い、参加者からの出された提言、気付きをステージに持ち寄り議論をする。

ピックアップした参加者の声
「産経と赤旗を併読してバランスを取ろう」(これは複数の参加者から出たものであり、コーディネートの原田氏のつっこみは「新聞配達屋さんがビビりそう」)
この提言の前提として、そもそもメディアが公平中立であるべきという幻想からしておかしいわけで、様々な視点を取り入れる必要がある。という議論がテーブルであった。
現在の大手メディアは新規参入に厳しい現状によって保護されており、多様性に富んでいるとは言い難く、またそれぞれ私企業としての営利(スポンサー)の利益に弱い。
テーブルトークではメディアの画一性や同調圧力の危険やその実例、またはメディアスクラムによる報道被害、誤報を発したメディアへの制裁(訂正記事の掲載義務など)の法的位置付けの必要性の有無などの議論も。(これについて私は表現へのハードルが高まり抑制に繋がる可能性があり、法的な義務とするのには慎重)
大きくまとめると、第四の権力であるメディアと市民がどう向き合ってきて、またどう向き合うべきか、といったところ。

公民教育でも問題とした「公平中立」がここでも出てくる。
公平中立とは、多様な意見があり相互の批判と活発な議論によってのみ担保されるものである。
つまり公平中立とは結果ではなく過程。常に全ての人が自分バイアスに自覚的でなければならない。
(「公 平中立」を表面的にやろうとしたら、具体的な事柄には全く触れないという姿勢にもなる。選挙前になると、マスメディア上で普通のトーク番組であっても特定 政党の名前を挙げることすら許されない最近の風潮がそれ。また前回の総選挙前に、自民党から各社に「公平中立な取材」を求める要望書が出されたケースも)

以上、簡単なまとめ。
この他にもたくさんの論点が出て追っていくのにいっぱいいっぱいだった。

ちなみに当日私が浴衣だったのは、事前の打ち合わせで登壇者は浴衣で統一しようということで馬鹿正直に浴衣で名古屋から行ったら、本気にしているのが私だけだったというオチ。
抗議and開き直りで浴衣のまま名古屋まで帰ってやった。へっへへ。
睡眠不足と疲れで死にそうな顔をした人相の悪い長身痩躯の男が着崩した浴衣で街中を歩いている姿はさぞ不気味だったであろう。

今日の党首討論でポツダム宣言が話題にあがっていたので、夕ご飯食べながら書きました。原文とあわせつつお読みください。
実際の議論では、どういった文脈でポツダム宣言が持ち出されたかについての論評はTwitterのほうでチラリとやったので、お時間がある方はそちらもどうぞ。


原文(日本語翻訳)
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html


1
俺たち(アメリカ、中華民国、イギリス)は色々相談したんだけど、そろそろ日本に戦争を終わらせるチャンスをやろうってことになったから耳かっぽじってよく聞いてね。

2
そろそろ本気出して日本との戦に集中するために陸軍も海軍も空軍もバリバリ増強してるから、いつでもやれるってことはわかるね?


3
世界中の人間にめっちゃ喧嘩売ってきたナチスのアホだけど、あれこれ無駄な抵抗してたよね?
まあもうあれがどうなったかはわかってると思うけど、次は日本の番かなってわかる?
俺たちがナチスを倒すためにドイツは色々めちゃくちゃなことになってるよね?
あっちに回してた分も日本へ差し向けるからもっとヤバいことになるよ。

4
さて、ここで日本の皆さんに二択です。
無茶なことばった言って戦争を始めて、国をめちゃくちゃなとこまで引きずりこんだ軍国主義者達に従ってこのまま戦争を続けて死ぬ。
それとも、クレバーに生きる。

5
もしクレバーに生きることを選ぶなら次の条件を良く見て、早く答えてね。早くね。

6
無茶なことばっか吹かして日本の皆さんを騙くらかして、世界征服をやろうとした連中は、永遠にさようなら。もう帰ってくるなよ。

7
そういう連中が完全に消えてもやっていけるようにシステムを作り直して、日本軍がまた戦争をぶり返すなんてことがないように武装解除をしっかりする。
これがきっちりできるまで俺たちか面倒見をする。大人しくしてね。

8
もうこっちでカイロ宣言ってのを決めたのは知ってると思うけど、それに従って、日本がこれまでぶんどってきた土地を諦めて、本州、北海道、四国、九州、あとこっちで指定する島々だけを日本の縄張りとして認める。

9
日本軍が完全に武装解除をされたら、兵隊さんはみんな家族のところに帰って平和に暮らせるようにする。

10
俺たちが日本人を奴隷にするとか、皆殺しにするとかは考えないでね。俺たちだってそんなことはやりたくないんだから。
ただし、戦争をすすめてきたリーダー達や、戦争中に捕まえた俺たちの兵隊にひどいことをした奴らは、戦争犯罪者としてきっちりペナルティを受けてもらう。
その上で日本政府は新しい政治の制度を作り直してね。
こんな無茶な戦争を始める前までは、日本にはしっかりとした民主主義があったんだから、それを取り戻して、もっと強いものにする。そのために国民の言論、思想、宗教の自由、そして基本的人権をきっちり守れよ。

11
日本は、戦争で迷惑をかけた国にしっかりと賠償ができるように自分達の経済を立て直す。これを俺たちは邪魔しないし、そのための資源を輸入したりもしていい。ただし、日本がまた戦争をできるようにするような産業はダメだよ。
日本はまた世界の貿易に復活してね。

12
今まで俺たちが話してきた条件をクリアできるような、そして平和的できちんと責任のとれる政府を、日本の国民が自由に考えて、意見を出し合う中で作り上げるまでの間は、俺たちがしばらく面倒見るからよろしく。まあ占領されるとなると何かと不便かもしれないけど、用が済んだらすぐに引き上げるから早くやってね。

13
まあここまであれこれ話してきたわけだけど、日本は俺たちの出した条件に一切文句を付けたりはできない立場ってことをよく理解して答えを決めてね。誠意を見せろや。
最後に一応もう一回言っておくけど、早く答えてね。
あと、断ったら殺す。



原文(日本語翻訳)
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html


くだんの討論についての意見を少々。
安部総理の「つまびらかに読んだことがない」の「つまびらかに」という前置きから、「いや、そこはコメントできないの立場的に……わかってよしぃちゃん……」というのが含まれている気がする。
そういう明言しにくい二元論に敢えて持ち込み、しどろもどろになっているという印象をオーディエンスに与え、更にもし「間違った戦争だった」と引き出せば、「じゃあ正しい戦争があるのか?」と畳み掛けることができる。
議論の質よりも、ディベートの勝ちを狙いにいった質問の仕方だな、というところ。それが良いか悪いかは置いておくとして、現政権が進める安保政策に真っ向から反対し、そもそもその土俵に乗らないスタンスである共産党としては最適なやり方ではなかいか。
好きか嫌いかなら、ああいう議論の仕方は好きではないが。


私事ですが、最近あるところで講演をやって、その時にこのポツダム宣言の意味についても触れていたので、なんとなく自分の中でタイムリーなトピックでした。
70年前がタイムリーってどんなカレンダーで生活してるんだよ、ということになりますが、最近は法学ではなく史学の勉強をしているので、平気で1000年とか跳ぶと70年前も「案外最近じゃん」って気すらしてくるので不思議です。

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