インド映画通信

インド映画を中心に、映画全般、旅行、カレーなどについてつづっています。

『RRR』

以下ネタバレありますので、ご注意下さい。

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S.S.ラージャマウリ監督と主演のNTR.Jr、ラーム・チャランの来日舞台挨拶で1度目を観て、さらに10日後IMAXで再度観て、ようやく自分の中に落とし込んだ。

というのはどうしても『バーフバリ』と比べてしまい、この作品独自の良さを模索していたからだ。

今回もけれんみたっぷりで劇画チックに満ちあふれていた。
「村から連れ去られた少女を助け出す話」
うわべだけならこの1行で完結してしまう話を、マーベル作品かと思わせるようなヒーローものにして、さらにインドの歴史や男の友情をヵらめて大河ドラマ1年分になりそうな内容を3時間に凝縮させたものだから、中身が濃すぎる。それは『バーフバリ』にも言えたことだが。

しかも主演人気俳優2人の演技の熱さ、ルックスも濃いものだから、絵力が強すぎる。画面からほとばしる熱量が半端ない。

この監督は時間や空間、重力や一般常識を飛び越えて、人の感情を映像化するのがとても上手い。二次元的に言えば絵のデフォルメを三次元で表現したイメージ。ヒーローが飛んでいこうが銃弾が止まって見えようが、大げさというのはヤボってものである。体感的にはそう見えるんだから。

インパクトある映像は言うまでもないが、個人的にはサウンドの使い方がすばらしいと思っている。無音が効果的と思われるシーン以外はほとんどBGM的な音楽や効果音が入っている。そしてその音に誘導されるかのように観客の気持ちが怒りや悲しみ、興奮、爽快感へと導かれる。『バーフバリ』を観た人は今回もあのエクスタシーにおぼれ、初めて観た人は度肝を抜くのではないかと思った。

とにかく今、インドでこれだけのお金をかけてこういう映画を撮ってしまうラージャマウリ監督は凄い。ボリウッドファンとしてはテルグに負けたというのはちょっと悔しいので、この監督がずば抜けているのだと思いたい。

しかしまさかクライマックスで神話のラーマが出てくるとは度肝を抜かれた。
作品の中で祭られていたのでインドを知らない人でも彼の存在の尊さがわかるだろうが、みんなついてこれたのか、ちょっと心配だった。

そういえばビームの生い立ちとラブがなかった。あの少女の家族とは血はつながっていないと思うのだが。「羊飼い」という名のラーマ神に仕える一種の髭の生えた天使だったのだろうか。

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その他思いついたことをちょっと。

ボリウッドから参戦のアジャイとアーリヤーはなかなか良かった。
アジャイも主演2人に濃さでは負けてなかった。
アーリヤーは20歳そこそこくらいの設定だろうか。
若干厳しさはあったが(現在29歳)、赤い花の髪飾りをつけてなんとかセーフ。

サディストのマダムはどこからあんなトゲトゲ鞭を調達?
ラーマがラーマコスプレのまま帰還したのはちょっと面白かった。
振り付け最高の高速キレッキレダンスも良かった。
突然踊り出す論争はもう飽き飽きしてるので完全スルーを貫いているけれど、これはとても自然にダンスシーンに入っていて映画の流れが途切れない。
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ラーマ神かっこいい!の話で終わりかと思いきや、インド独立の自由の戦士の話だったというエンディングにこれまたびっくり。ラーマ神は実在していたんだなと。

最後に個人的な考察を。

『バーフバリ』もそうであったように、『RRR』も民衆と英雄の話だ。勧善懲悪ではあるが、どちらも権力あるものの崩壊であった。支配された民衆の、権力への抵抗の具現化が英雄、ラーマとビームだった。これがハリウッド映画だと偉大な国アメリカを脅かすエイリアンやテロリストなどを排除する話になる。大国をおとしめようとする者は許さん、という感じ。

日本は国としては支配されたことはないが、ごく一部の権力者と大多数の弱い立場の人々という構図は昔から、もしかしたら今もなお続いているかもしれないので感情移入しやすいのではないかと思う。(あくまでも個人の感想です。)

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極上エンタメとして観るもよし、CGやサウンドや言語を楽しむ、濃い俳優で楽しむ、
あるいはインドの歴史にふれるのも、神話の世界をのぞくのも、
ものすごくお金をかけた、いちインド/テルグ映画として観るのも
角度によっていろいろな表情を見せてくれる。

『女神たちよ』

脚本が秀逸。
シリアスなフェミものかと思ったら、「僕が監督した映画が公開されないよ〜」とアルコールに溺れ、嫁に呆れられてアルコール依存から立ち直る話‥というわけでもなかった。前半は軽めだが、中盤あたりから話がエグくなってきて、展開が読めなくなっていく。

インド映画(特に南)にありがちだが、とにかく人と人との距離が近すぎるというか、人の人生に関わり過ぎるがために、悲喜劇を生む。それが面白いんだけど。

雨がモチーフになっているが、日本には雨降って地固まるという諺がある。登場人物の男たちは地を固めようとして余計にぐしゃぐしゃにして元に戻せなくしまった。ならば雨に打たれ、ジタバタせずに成り行きに任せておいた方がいいのかもね、という悟ったような女性たちが印象的だった。

男性全否定的なメッセージは一種の自虐なのかエクスキューズなのか。女は強くならざるを得ない。

『SANJU/サンジュ』


この作品のモデルとなっているサンジャイ・ダットを知っていると、仕草や喋り方が本当にそっくり。主演のランビール・カプールは彼もまたサンジュ同様、大物芸能一家の育ちであり、境遇は似てる。その後は全然違うが。

映画なので同然多くの部分が脚本だろうが、それにしても一言で言ってしまえば親の七光に甘ったれたお坊ちゃんの破滅的人生を描いている。しかしこのどうしようもない男の半生をこれほど面白く描けるのは大スターサンジュ本人の魅力とランビール・カプールの演技力、そして監督の力によるものだと思う。この監督の手にかかると作風が軽快になり、とても見やすい。

ラージクマール・ヒラーニー監督は主題と共に友情を描くのがとても上手いと思う。「きっと、うまくいく」はもちろんのこと、MBBSシリーズでサンジュと子分役のサーキットとの関係など。この「サンジュ」も何があっても飛んできてくれる友人カムレーシュの存在が大きい。カムリ訛りと言われていたが、グジャラート州のカムリで合ってるかな。

悪友役のジム・サルブの胡散臭さがいい。この人は「パドマーワト」でも謎めいて怪しげな魅力を持つ奴隷役を演じていた。
出番は多くなかったが、マニーシャーは美人で儚げで意思の強さを感じさせるのは「Dil Se..」の頃と変わらない。
劇中出てきた映画のタイトルは「Chalti Ka Naam Gaadi」メモメモ。

ラストの曲がまさにこの作品の総決算とも言うべきシーン。マスコミへ強烈なパンチを効かせてる。

『俺だって極道さ』

「その方向性はおかしくないか?」と思うような行動を登場人物達が普通にとっていく。
まず警官の子がまったく警察を信用してない。かと言って極道になりたいって?彼女の父親に対するすぐバレる嘘、彼女の彼に対するお願いなどなど。意図して脚本を作ってるとしたらなかなかの策士。

ナヤンターラのスタイルがめちゃくちゃよかった。

『マスター 先⽣が来る!』

ヴィジャイ作品の楽しみはまずどうやって登場するか。
足だけ見せて、次は背中、スローモーションからじらしにじらてジャーン!おおー!みたいな。

欧米映画だとすぐ銃を出してズキュンで終わりってのが多い。インド映画はアクションシーンを見せたいってのもあるけど、銃は反則みたいなところがあって、タイマン上等、身体のぶつかり合いでガチ勝負っていうのが人間くさくてよい。

強い怒りからの正義感に燃える制裁はスカッとする。

しかしタミルはラジニ、ヴィジャイというキラーコンテンツがあって素晴らしい。

『イングリッシュ・ミディアム』

IMWキネカ大森にて鑑賞

イングリッシュ・ミディアムというよりはオヤジたちのロンドン行き珍道中、もしくはハチャメチャ滞在記といった感じ。脇のエピソードが多くてちょっととっ散らかってるが、娘のためになりふり構ってられない父の姿は悪くない。

ある意味、典型的な保守映画でもあった。インドが1番、ロンドンは憧れ。外国人は風紀が乱れてる、パキスタン嫌い。ウルドゥー語がわからないと右往左往してるシーンに興味をひかれた。

カリーナが現れた瞬間に雰囲気がガラッと変わるのがすごい。存在感はさすがです。なんならカリーナの母娘のエピソードで1本撮れそうな勢い。

コメディもシリアスも、主役も脇役もオールマイティにこなし、世界をまたにかけて活躍していたイルファーンの早すぎる死は本当に残念でならない。歳をとるごとに深みと味が出てきてますますカッコよくなっていた。ラスト近くの彼のアップは本当にいい顔だった。

『グレート・インディアン・キッチン』

IMWキネカ大森にて鑑賞

美味しそうなインド料理と食べ散らかした食後の光景。
エンドレスに続く日常と家事を余計なセリフは入れず、映像で語る。でもそれですべてを察することができる。

夫の家族は決して悪い人たちではない。嫁を虐待してるわけではないし、ただ伝統と慣習を重んじているだけだ。だから余計に根が深い。その人たちにとっての常識を変えることは人生そのものを変えることでもあるから。

この映画のテーマとも言うべきシーンがラストのバラタの踊りで表現されている。つまり伝統的なものの中に新しさを取り入れて一層輝かせる。インド映画のうまさはこういうところにある。

『めぐり逢わせのお弁当』を思い出した。色彩、音、スクリーン越しに漂ってきそうな香り。でも本当に美味しい料理はみんなで楽しく食べること。

『タゴール・ソングス』

タゴールがノーベル文学賞を取った人だということは知っていたし、ギーターンジャリを日本語訳された本も持ってはいるが、こんなにも皆に歌として愛されているとは思わなかった。

まずこの題材を選んだセンスがすごいなと思った。そして丁寧に作られているな、と。
作品はタゴール・ソングスについて、インタビューを中心としたドキュメンタリー。インタビューする人たちに対して、カメラがとても近い。それは物理的にもそうだし、気持ち的にも近づいてるようだった。

上映後のトークで監督が言っていたが、それぞれの人達に対して事前にいろいろ話をしていたとのこと。あまりにも自然な表情や語り口なので、偶然得られたコメントのように勘違いしてしまいそうだが、カメラが回っていないところで監督がこの映画の思いを伝えたり、人として心を通い合わせたからこそ、このような貴重な映像が得られたのだと思う。

インタビューした人たちも老若男女、街角で、家で、プロ、アマチュア、現代風アレンジ、伝統を守っていく姿などなど、よくぞこれほどバランスよく見つけてきたなと思う。しかも抜群に歌がうまい。素人さんの鼻歌っぽい歌も味わい深いし、プロの歌を聞けたのもよかった。カメラがまわるまでには相当な準備をしたと思うが、監督の熱い思いは感じるのに、押し付けがましくない感じがいい。

私が好きなインドの街、コルカタの映像では香辛料のスパイシーな香り、街角で売るフルーツの甘い香り、むせかえるような土埃、車のガスなど匂いが感じられた。人々の歌であると同時に、街に根付いた歌でもある。

正直言って、タゴールの詩はざっと目をとおした程度では漠然としていて何だかふわふわして掴みどころがない。だからこそどんな人にも自分なりの解釈ができる。「神」という言葉が何回か出てきたが、森羅万象の創造物たる神の言葉をタゴールに託されたのではないかと思ってしまう。
私などはどの曲も同じようなメロディーに聞こえてしまうのだが、歌う人たちは当然ながらきっちりわけて歌っている。インドの旋律や音階、発声法はなぜああいう風に独特なのだろう。神の言葉がメロディーによって人々の心に深く刻まれる。

国歌と共に、インド・バングラデシュ人の心の核になっている言葉なのかなと思う。何百時間かを費やしてうち100分の映像としてタゴール・ソングスとそれを愛する人たちの心に触れ、とても豊かでいい時間をが過ごすことが出来た。

『燃えよ スーリヤ!!』(Mard Ko Dard Nahin Hota)

私が映画の感想を書く時に使いたくない言葉が「ヤバい」と「今までになかったインド映画」なのだが、悔しいことに、この2つを合わせ持つような作品だった。

間違いなくインド映画ではある。けれどパンフレットにも書かれてたように、香港のカンフー映画の要素を取り入れつつ、アメコミ風でもある。小籠包の中にカレーを入れて日本のワサビをつけてバドワイザーで流し込んだら美味しかった的な、ミックスしたら思いもよらぬ味が発見できたような作品だった。

無痛症で空手マンに憧れる少年が師匠のために戦うというストーリー。はっきりいって大した意味はない。無痛症という設定は面白い切り口だと思った。常にゴーグルを付け、給水するためのリュックを背負っているという謎の設定もよい。映像映えと発想だけで引っ張った感はある。

タイガー・シュロフが美しく魅せるアクションだとしたら、主人公アビマニュは実際にファイティングするアクション。今のボリウッドにはアクション俳優が不足しているので、彼のような俳優が出てくると面白い。今後が楽しみ。チビスーリヤもかわいかった。
ヒロインのラーディカはアクションの経験がなかったそうだが、なかなかいいキレ味だった。

アクションに注目が集まるが、この作品は音楽の入れ方がとてもセンス良かった。アジアのどこかの国で起きた物語のような演出がなされている。細かな心の機微を表現したかのような音楽が随所に入って必要以上にドラマティックだ。

シリアスなのかコメディなのか意味不明、わかるやつだけついてこい、といういい意味で監督のわがままが全面に出ていて、でも私は結構好きだった。監督の強烈なオタク風味にこの作品に対する熱さを感じたのだ。この監督が本格的にボリウッドに入り込んだらちょっと面白いのではないかと思う。

『ムンナー・マイケル』(Munna Michael)

もうのっけの1990年代ダンスシーンで私のハートは釘付け。
まったく期待しないで観たら、思いの他良かった。好きだ、こういうテイスト。

今ボリウッドで一番ダンスが上手いタイガー・シュロフがギャングのボスでありホテルオーナーでもあるナワーズにダンスを教える。それはなぜならナワーズが若くてきれいなダンサーの女の子に夢中になって気に入られるためという謎のストーリー。

ストーリーは荒いところが目立ったりもするんだけど、もうナワーズがダンスを頑張ってレッスンしているところだけでガンバレ!と応援したくなってしまう。あとこの人が出てくると映像が締まるんだよね。体格は小柄だが、眼光鋭くてボス役は結構はまる。

ボリウッドはしばらくダンスシーンが少ない傾向が続いていたが、それは踊れる役者さんがあまりいなかったせいだとも思っている。あとアクション映画も。演技力という点ではまだ物足りない面もあるが、ダンスとアクションはそれを補って余りあるくらい。普通に走っているだけのシーンなのに無駄にスローモーション使ってポージングしちゃうからね。笑っちゃう。とにかくダンスもアクションも美しくて見映えがする。

作品そのものはともかく、ダンスシーンは・・・これはインド映画全般に言えることだけど、ダンスの衣装、振り付け、映像、ライティング、音楽、カット割、カメラワーク、すべてが駆使されている。これはインド映画が長年つちかってきたノウハウだろう。

劇場は圧倒的に女性が多かったように思えるが、まさか『フライング・ジャット』効果?彼のような役者さんが出てくると、ボリウッドの作品のジャンルが広がる。なお、リティックと共演した『War』は今年ボリウッドで一番のヒットを記録している。
Twitter プロフィール
インド映画を中心に映画やカレーや日常の思いつきをつぶやいています。ブログ   の他に映画の感想はフィルマークスで書いてます。Filmarks:SONIA(@indoeigatushin)
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