五重塔

日記。

ギリギリ本日、イシクンお誕生日おめでとうございます!

エレカシ音沙汰ないですねえ。宮本氏の「dawn song(ドーンソング)」はファンクラブ枠は落ちてしまいました。最近は一般でなかなか取れないので難しいかもしれませんね。個人的に5月はレッチリもあるのでたて続けになってしまうのもちとネック。家をどのくらい空けられるかまだわからないので。ショートステイを使えばいいのかもしれないけど頻繁に使うのは抵抗あるし。
宮本氏どんなことするのか興味あるし、千葉もゆっくり旅したいですけどね。ともかく新機軸なのでこれこそ円盤になるといいなあ。

母はまだ退院してなくてどの程度歩けるようになるかまだわからなくて、どの程度介助が必要か見通しが立ってないのです。今のところ歩けてはないようなんですよね 幸か不幸か私も仕事を辞めたタイミングなので、家で面倒が見れるよう部屋の配置を変えてます。昨日はベッド解体して移動したど 疲れた リサイクル引き取ってもらえなかったやつなので粗大ゴミ頼まないとな。一つ一つたいへんだ。そんで母の寝室父の分のベッドがやっと減ったので、そこに猫のケージを移動して猫用具を置くことにした。まだ猫はほぼ寝室にひきこもりだ たまーに積みあがった布団の上でリラックスしてるところを垣間見る。良い傾向。でも椅子とかベッドの下の冷たい床の上にいることもまだ多いです。ちゅーるも食べなくなってしまった。思うに、それで二回も捕まってるからじゃないかな。野良はそれくらいストイックじゃないと生き延びられないのかもね。感心しますわ。

離職票が金曜の午後以降に届いたのだが、出かけていた関係でハローワークに行けず、休日は手続きができないので今日行ってきました。場所が違ったり忘れ物したりで行ったり来たりしながらやっとできた。どうやら無事受けられそう、よかった これで落ち着いて家のことも準備できる。CADの仕事があまりにも受からないのでまた職業訓練も受けようと思ってる。手続きギリギリになりそうなので間に合えば。

と、うかうか日記を書いてたら過ぎてしまった

部屋の片づけは延々やらなくてはならないが、一応明日はやらなければという予定はないのでお彼岸らしいので晴れてたらお墓参りに行こうかな。電動自転車で。結構遠いのだが、最近もアルバイトで行ったところが片道一時間弱くらいかかるところで、しかも帰りは小雨だったり(でも仕事中は雷鳴っててどしゃぶりだったので助かったほう)したので、遠いのもちょっと慣れてきた。自転車は遠さより道の広さと安全さだと最近思ってる。盛岡は道が狭いとこと広いところの落差が結構ある。広いところは歩道が一車線分くらいあるところがあるから(しかも人もあまり通らない)、そういうところを選んで走ってる。
どうでもいい情報だ。本当にただの日記になってしまった。

あさって、というかもう明日か、は仙台スライダーズだ!
心置きなくでかけられるのも今のうちなので楽しんでこよう と言ってもその次の日はまたハロワと病院に行かなくてはならないので日帰りだけど。

気分的に色々追われてるというのもあるし、結構忙しい日々であります。

この流れでもう一つ面白いと思ってることがあります。
それは「稲荷山古墳出土鉄剣」についてです。この鉄剣は有名なので存在は知ってましたが、どういうものかはちゃんと考えたことがありませんでした 「のぼうの城」周辺に行った時も博物館に行かなかったですしねえ。不思議なほどスルーしてましたね。

エレカシが主題歌を歌う「のぼうの城」はそこいらの話で、三成が関わる話ですし、エレカシの「生命賛歌」という曲は埼玉古墳群にインスピレーションを得て書かれた曲だということはファンには有名なことなんです。

振り切れた大名曲でございます

なので私も行ったことあります。埼玉古墳群は古墳のアミューズメントパークって当時書いた覚えがあります
image
これは三成がお城を水攻めするために陣を張ったという丸墓山古墳ですが、鉄剣が出たという稲荷山古墳はこのすぐそばにあったりします。

で、今回やっと稲荷山古墳出土鉄剣について調べてみたんですけど、私は印象だけでこれは王様が持っていた鉄剣だと思ってたんですが、どうやら違うんですね。
この辺りの人で雄略天皇に仕えてたヲワケという人が亡くなった時にそのことを書いて納められた剣ってことみたいです。ちなみにこの人の祖先のオオヒコとかは大彦命とかの表記で、日本書紀や古事記、ホツマツタエにも名があるようです。

これの何がセンセーショナルだったかっていうと、この鉄剣が発見されたことで雄略天皇が考古学的に実在したとされる最古の天皇になったということみたいです(合ってる?)。
それまでの天皇は実在なのか物語かわからないけど、この人からは実在したとして考えていいってことですよね

これが埼玉から見つかったのが面白いですね。雄略天皇は奈良の初瀬とかが本拠地の人らしいんだけど。

・出雲には氷川神社という神社がないのに、スサノオが祭神の氷川神社が関東にあるのはなぜか。
・埼玉辺りに出雲の色が濃いのはなぜか。
・ヤマトタケルが関わる神社に国常立神やスサノオが祀られてると感じることが多いのはなぜか。

これらは必ずしもヤマトタケルに関連づけた訳でもなく、私自身がふと疑問に思ったことですが、大宮の氷川神社由緒とか足立の伝説、そしてホツマツタエに書いてあることを総合すると自然に納得できるのが面白いです。

ヤマトタケルは自身は天孫系の血筋の人ですが、スサノオの持っていた天叢雲剣(草薙剣)の持ち主でもあり、元々尊崇する気持ちはあったのかもしれません。それプラス、どうもそのスサノオを自分の前世だと信じていたようなんですね。それは証明しようのないことですが、足が立たなくなった時に助けてもらったこともあり、大宮にスサノオの諱である氷川という名前で宮を創建したという動機は単純に「分かる」話ではあるなあと思います。そしてそれらは別々の話で干渉してないのに、総合した時に納得がいくのも不思議です。


http://blog.livedoor.jp/iridescent22/archives/52373432.html
氷川神社の由緒を見ると、

前史
社伝によれば、孝昭天皇3年4月の創建という。「国造本紀」によると、初代无邪志国造の兄多毛比命は成務天皇(第13代天皇)の時代に出雲族をひきつれてこの地に移住し、祖神を祀って氏神として、当社を奉崇したという。この一帯は出雲族が開拓した地であり、武蔵国造(无邪志国造)は出雲国造と同族とされ、社名の「氷川」も出雲の簸川(ひかわ)に由来するという説がある。(Wikipedia)


とのことで、この辺りの出雲の匂いも納得がいきます。スサノオ、国常立神についても直近書いた通りです。

ヤマトタケルの父親の景行天皇は12代目で、雄略天皇は21代目ですね。
あと一息でヤマトタケルが実在したと言っても驚かないとこまで行ってる気がするのですがどうでしょう? まだちょっと間あるかねえ


※0310訂正
氷川神社は「社伝によれば、孝昭天皇3年4月の創建」とのことだから、ヤマトタケルが創建というのはおかしいか。社伝によれば、孝昭天皇3年4月の創建って西暦105年だって。
https://mb1527.thick.jp/N3-16-7koushou.html
↑このページを参考にすると出雲に古くから斐伊神社というのがあって、社伝ではここから氷川神社へ分霊したとされているそうだ。ヤマタノオロチとかの伝説の舞台と言われてるらしい(但しそんなに有名な感じではなさそう)。でも氷川神社の社伝としては杵築大社(今の出雲大社)から分霊されたということになっているそうな。この天皇の時代既に関東へ出雲の人々を派遣してっていう素地があったようですね。そしてそれが島根鷲神社の由緒にある「先着する神々」の意味かもしれないですね。そこで足を悪くしたヤマトタケルが通りかかりこの神様に願ったところ立てるようになったので「足立」という地名が出来、川合に大きな宮を造ったと。そしてその弟の成務天皇の時に出雲の人々が改めて派遣されたと。
というのが今現在の理解です。

ホツマツタエとヤマトタケルに集中してみる。

https://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya39.html
前回と同じ文章へのリンクだけど、ここにオトタチバナ姫の先祖について書いてある。
オトタチバナ姫がどういう一族の出だとか考えたことなかったな。でもかなり詳しく書いてある。

祟神天皇の時代に来朝した新羅の王子アメノヒボコの五代目の子孫、タジマモリ(田道間守)の遺書に書いてあるそうな。田道間守ってなんとなく聞いたことある。

『日本書紀』垂仁天皇紀によれば、垂仁天皇90年2月1日に田道間守は天皇の命により「非時香菓(ときじくのかくのみ)」すなわちタチバナ(橘)を求めに常世の国に派遣された。(Wikipedia)

という人だ。今でいうオレンジ系の果物だろうか。橘って非時香菓のことだったのですね。しかし持ち帰った時には天皇は崩御していて、悲しみのあまり自殺したという人なんだよね。
なんとなく徐福の伝説とも似た人生な気がする。
ホツマツタエによると、タジマモリは垂仁天皇の命で東国(常世)へ視察に行ったと。

東夷の国々を巡り見ての感想は残念ながら一朝一夕に天朝に服すのは難しいことを悟りました。せめて君との約束のカグの木(橘樹)を得たいと考えて、タチバナノモトヒコ(橘元彦)の家に荷を解き、じっくりと土地の風俗に馴染み親しみながら年を重ねるうちに早十年が経ってしまいました。その間やっとヒタカミノミチノク(日高見君陸奥)とシマズミチヒコ(島津道彦)と親睦を深めることができました。

天皇は東征のための情報を集めてたのでしょうかね。いわばスパイですかね。
それで「ヤマト国とヒタカミ国との間の立場の違いも良く理解できたので」やっと「カグ」(非時香菓?)を携えてヤマト国に帰ってきたが、天皇は既に亡くなっていたと。それで悲しみのあまり連座してしまうのだけど、この物語を読むとどうも常世へ行って長い時間を過ごすうち、そちらへも思い入れをしてしまってどちらにも与することができなくなってしまったんじゃないかという気もする。
なぜなら彼はカグを得るため「タチバナノモトヒコ(橘元彦)の家に荷を解き」過ごすうち、モトヒコの娘であるハナタチバナ姫と子を生したのだそうだ。端的にもうそっちの人じゃないですか。そしてそれがオトタチバナ姫であり、やがてヤマトタケのスケツマ(典侍)となったのだそうな。

話がややこしくなりそうなので分けますが、後に戦功の大きかったタチバナノモトヒコをムサシ(武蔵)とサガム(相模)の国神に取り立てたそうな。

どっひゃー。タジマモリの項もありました。
https://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya37.html
タジマモリの死後景行天皇は橘元彦親子を呼び寄せて都に呼び寄せて弔わせたようですね。天皇はオトタチバナ姫の名付け親でもあるそう。その上「生前のタジマモリに顔や姿が良く似ているオシヤマに母子共に嫁がせて」とあります。そしてそういう縁でやがて景行天皇の息子であるヤマトタケルの妻になったのですね。

個人的に
 九十年二月一日、タジマモリに君の詔がありました。
 「タジマモリ、橘樹(カグ)を求めに常世国(トコヨ)に行けよ。我れ思うに、カグの木は、クニトコタチがトコヨ宮前に植えて国を開いたという御世(みよ)の花である」


という部分が興味深い。ヤマトタケルの足跡によく国常立神が祀られているヒントとなる気がするし、タジマモリが(既に亡くなっているとはいえ)ヤマトタケルの義父であるということにもちょっとリアリティを感じるからだ。

これがオトタチバナ姫の祖先の話だが、その子孫も凄くてそれが県犬養氏なのだそうだ。美努王とか藤原不比等の妻となった橘美千代もその子孫ということだ。橘諸兄とか光明皇后のお母さんってことですね。ちなみに平将門の母方のお婆さんが県犬養春枝という方だそうなので、将門もその血を引いてるのかもしれない。

あくまでホツマツタエ史観ですけどね。面白いなーって思います

↓検索してみるとこういうサイトもありまして、
https://gejirin.com/index.html

↓オオヤマツミの系譜が書かれてます。オオヤマツミは「大山を統べる者。」の意で世襲のようですね。馴染み深い大山の神様は確かにオオヤマツミだったと思います。有名な天孫ニニギと結婚したコノハナサクヤ姫のお父さんだったりもしますね。世襲ということでオトタチバナ姫のおじいさんはまた別のオオヤマツミだと思いますが。コノハナサクヤ姫ゆかりの「酒解神」は確かもしかしたらサガムノオノ城?の比々多神社にも祀られてる神様ですね。これもしっくりきます。変ないきさつのあるもう一つの「比比多神社(子易明神)」の祭神もコノハナサクヤ姫だった覚えがあります。
https://gejirin.com/gsrc/o/ooyamasumi_ooyamatumi.html

オトタチバナ姫のおじいさん(モトヒコ?)は「マウラ」というオオヤマツミのようです。
https://gejirin.com/src/O/ooyamazumi.html

自分は大山が見えるところに長いこと住んでたので親しみがあるのですが、全国的にオオヤマツミを祭神とする神社というのはそこまで多くないみたいですね。なぜ彼らがタチバナなんでしょうね?神奈川は正直柑橘系って感じはあまりないのです。梅とかならまだわかりますが。伊予一宮がこの祭神だそうですが。伊予ならかなり柑橘系な感じありますね。ホツマツタエを素直に読むなら、もしかして関東のオオヤマツミ一行は伊予あたりからザガムやミサシを与えられたというヤマトタケルの時代あたりに移住してきたのかもしれないですね。

今年は雪が少ないと誰もが言ってたが、何日か前に急にドカ雪が降ったのでまだ雪が残ってる。だいぶ溶けてはいるが。今日は曇り。

その後猫は相変わらず定期的に発狂するが、頻度はかなり減ってきたように思う。この叫びは母は耐えられないだろうな。外に戻せと言うのが目に見えてるので今家にいなくて良かったと思う。
最近やっとちゅーるを手で持ちながらあげられるようになった。ちゅーるは偉大。まだ触れる気はしないが。まばたきはしてくれる。とにかくすぐ逃げるのでそれくらいしか意思の疎通できない。電気敷布とか置いてるのだが、野良だからか「人の施しは受けねえ」みたいな感覚があるのか、あえてベッドの下の床でいつも縮こまってる。とにかく用心深い(考えてみりゃ手術の時と今回と2回人間に捕まってるんだもな)。たまにドアのとこまで来て観察してる。もっと自由に気楽にやりゃいいのに。前の猫は外に出たことがなく外敵の概念がないのか、お客がこようが逃げもしなけりゃ気にもしない猫だったので、猫も育ちでこんなにちがうもんなんだなって思う。あと年齢も違うかな。猫だから大きさはもう大人だが多分一歳とちょっとくらいだと思うので、繰り返されるプライマルスクリームも思春期なんだなと思って自分を慰めている(めげそう)。

母はやっぱりリハビリはかなり痛いそうだ。まだ歩けたりはしないらしい。でもがんばっていくらかでも立って歩けるようになってほしいなあ。切に。

家の改造、片づけ、書類やらの整理、自分の将来、やることはいっぱいあるし、考えなきゃいけないこともいっぱいある。ちょっと憂鬱。昨日は確定申告済ませた。偉い。気分が落ちると士気に関わるので今日はあえて好きなことしよう。


猫は寝室に居てもらっているが、あまり暴れたりしないようなので自分がいる時はリビングのドアを開けとくことにした。
そしたらリビングにもカリカリを置いていたのでそれを食べにきた。
話しかけるとやっぱり逃げるのだが。
でも逃げ道を確保した場所でちょっと留まってこっちを見ていたタイミングがあったのでよく見てみると、なんと耳の一部が割れているように見える。ぱっと見わからないくらいさりげないのだが、もしかしたらこの子は「さくら猫」というやつなのかもしれない。さりげなくとも自然に耳の先が割れるということもあまりないだろうから。
さくら猫とは有志によって避妊手術が施され、手術済であることがわかるように耳の先をさくらの花びらのようにカットし、地域猫として生きるよう再び放たれた猫のことだ。
確かに岩手公園辺りで私が捕獲機を借りたもりねこさんらがTNR活動をしていることはニュースなどで知っていた。でもちょっと距離はあるのでうちへ通ってくる猫がそうであるとは考えたことがなかった。もちろん他の有志の方が行ったのかもしれないが。

もし知ってたら今回保護に踏み切ってなかったかもな
さくら猫を保護しちゃいけないということはないらしい。室内飼いの猫の寿命が10年〜15年あるのに対し、野外猫の寿命は5〜6年程度だそうだ。
飼うと決めて保護したのだし母ももう楽しみにしてると思うのでまた放したりはしないけれども、しばしまたこれで良かったのかなと考えてはしまうな

今朝はでかいうんちとおしっこも猫トイレでしてた。嬉しい!猫賢いなあ。本能なのかな。
今しばらくは母の寝室で暮らしてもらおうかな(怒られそうだが、いずれ畳の居間を寝室にする計画なので許してもらおう)。
外も見えずストーブやエアコンもないが、ケージよか多少ましだろう。
さっきドアを開けたところにカリカリと水を置いとくと、程なく食べに来てミャーと鳴いてしばらくこちらを見ていた。廊下分の距離を置いて。
多少は友好的な気配はあるだろうか。一日目から香箱座りとかはしてたんだよな。昔神社で野良猫に会った時、わざわざ目の前でこの座り方して見せたので、私はなんとなくこの仕草は「敵意はないよ」という意思表示じゃないかと思ってる。
悲しい鳴き声は慣れないな。そりゃ自由もない友達知り合いとも引き離されて寂しいだろうと思う。
ともあれ急がずゆっくりとお互い馴染んでいこう。

猫は夜高い声で泣くように鳴き、前の猫は声が低くそういう声はほとんど出さなかったのでそれが自分には耐えられなく(犬とかも飼ってたから感情移入しちゃうのね)、一晩ほとんど動かずカリカリもぽんちゅーるも警戒して食べなかったので心配になってしまった。それでケージから出してしまった。おとなしいからそんなに冒険はしないんじゃないかって。しかしそれは間違いだった。野良をなめちゃいけない。ちょっとした隙を縫ってあっというまに消えてしまった。もっとも外へ繋がる戸はどこも開いてないので外へ逃げる要素はないのだが。本当にどこ見てもいない。昨日はあんなに鳴いてたのに呼びかけてもうんともすんとも言わない。
どうしたらいいんだ ごはんも食べてないしさあ。ケージに一回おしっこはしてたな。砂にじゃないけど。
もういないもんはしょうがないので普通に過ごしてる。
可能性は低いが母の寝室にいる可能性もなくはないので(ドアは開けたことは一応あるから)寝室の前にもカリカリと水を置いておいた。

したらさっき見たら、水とカリカリなくなってたよ
君そこにいたのかー(母に怒られそう)。ひとまずおしっことかされたらダメージでかそうな布団だけ畳の部屋に移動させた(この居間ぐちゃぐちゃ)。ベッドの下にいるんだろうけど、ひっくり返すのは明日以降にしよう。なんか疲れたし。ずっと緊張してただろうから猫も落ち着きたいだろうし。適当なとこにおしっことかうんことかしてるんだろうな トイレも一応部屋の中に入れといた。電気敷布も置いてみたが、使うだろうか。素直にリビングにいりゃーあったかいのにねえ。

ドアのガラスの隙間から見えるのだが、さっきまたカリカリ食べに出てきたよ。久々に姿見た。今日はごはん食べただけで一歩かねえ。

そんな感じです。ベッド動かすのたいへんだなあ
遠くでまたなんか鳴いてる。
なんか悪いことしてしまった気がしてへこむ 結構太ってるし他でも餌もらってるのかもしれない。心配してるだろうなその人。鳴くってことは鳴くと誰かが助けてくれた経験があるのかもしれないなどと考えたり。夜に食べに来たりするから飼ってたりはしないと思うんだけど。それにどちらにしろ避妊は必要なはずだよなあ。ひとまず捕まえるの難しそうなのでちょっと先になりそうだけど。

まず母は週の始めにコロナが陰性になったので手術が決まり、火曜日に手術して腿のところにぶっとい金具を入れてもらったのでした。次の日くらいはとても痛かったようだけど、昨日あたりはそこまでではなくなってきたようでほっとしてる。
元々要介護で足に血栓があるようで元々よく歩けない人だし、手術までなんだかんだ2週間くらい空いてしまったので楽観はできないけど、入院してる病院はリハビリテーション科があって母も前向きに取り組んでくれそうなので、自分も部屋をバリアフリーに近づけたり家具を片づけたりして対応しようと思ってる。

あと仕事が今月いっぱいで終わる。次の仕事全然見つからない。
でも今にしてみれば母が退院したらどのくらいの介助が必要なのかわからないので、退院して様子を見てから仕事を決めたほうがいいと思うのでタイミング的には良かったと思う。事情をハローワークに相談してみよう。

確定申告やんなきゃ。源泉徴収集めて出すくらいだからそこまで難しい訳じゃないと思うけど。母の源泉徴収?が来るとか兄が言ってたけど全然来ない。ほんとに来るのかな。

掃除が苦手なのにいよいよ部屋の片づけしなきゃならん。昨日もせっかく、せっかく実家はリビングとキッチンが繋がっててバリアフリーなので絨毯をひっぺはがした。絨毯重い。粗大ごみに出すか、解体して小分けにしたら普通のゴミにも出せるらしい。ノコギリで切ったりするらしい。やんのか自分。

そして何よりのトピックは、今日猫が家に来たことだ。今ケージの中にいる。
実は去年の冬くらいに周りで子猫がミャーミャー鳴いてるのを聞いていて、探しても見つからなかったんだけど、程なくしたらベランダ(1Fなので外と繋がってる)に現れた。餌をあげてみたら食べてくようになった。でも去年は家の猫が病気でたいへんだったので、家で飼うとかそういう気にはなれなかった。その後猫が亡くなって、代わりの猫が来たんじゃないのというふうに周りも言ってたし自分も考えないでもなかったけど、前の猫が死んだからハイ代わりみたいに単純に考えることはできなくて今までどうするか判断を保留にしてきてしまっていた。でも寒いとはいえもう3月になるので春になったら子供を連れてきてしまうかもしれないのでもう決断を先延ばしにすることはできない。飼うにしろ地域猫としてつきあうにしろ、餌をあげてるからには避妊などの責任はあるだろう。母に言うと母はなんとなくなんにでも反対する性質なので、家にいたら反対しただろうけど今は入院してる。私次第だ。やらねばならんだろう。先々週もりねこという盛岡で保護猫活動をしている団体の猫カフェに行って相談してみた。捕獲機をレンタルしてやりかたなど聞いて、餌をやる場所に前から設置して慣れさせたりしながら機を待っていた。実は今朝避妊手術をする予約をしていたのだが、朝は捕獲を失敗してしまった それで手術はキャンセルして、もう一度ぽんちゅーるをセットして病院行って帰ってきたらなんと捕獲できてた
病院はキャンセルしてしまったのでともかく用意しておいたケージに入れて今に至る。
なんかご飯は食べなくて心配だが、今はうとうとしてる。おとなしい。高い声で寂しそうに鳴いたりするので心が痛むが、そこまで敵意は感じない。一応毎日餌をあげてる家の住人だと認識はしてるのかもしれない。そんなにたくさん面識がある訳でもないのだが。2F建てのケージで上にヒーターを置いてるしなんとなく覆っているのでそっちで寝れば安心できるだろうにと思うのだが、1Fからほとんど動かない。うーんどうなるのだろう。
手術はまた予約をし直しだが、ケージに入ってる限りは妊娠したりもしないだろうから急ぐこともなかろう。ひとまずご飯食ってうんちしてほしい。

しかし
・通ってくる猫がいる。
・ケージもトイレも餌もある。
・猫が亡くなってしばらく経って傷も癒えてきた。
・もうすぐ春になる。
・母が入院してる。
・捕獲機借りれる。
このくらいお膳立て揃ってなけりゃ実行できてなかったかもな
ともかく猫が家に来ました。
あと今日はたまたま母の誕生日なので、母にとっていいことであると信じたいです。
















なんか色々調べものとかしてる場合ではないのだが、スルーすると忘れそうなので書いておく。

ひょんなことから「ホツマツタエ」という言葉をググっていると、こんな文章に行き当たった。

「ホツマツタエ」は 古代最⼤の英雄ヤマトタケルの遺⾔に従い、⽗の景⾏天皇に献上された、縄⽂時代から3世紀初め当時までの、古代⽇本⼈の哲学・⽂化・歴史を詳細に、驚くべきことに全て格調⾼い五七調の表題古代⽂字で記された、8世紀初めに書かれた古事記・⽇本書紀の倍の記述容量を持つ壮⼤な叙事詩です。  ヤマトタケルの葬儀をおこなったオオタタネコ※が編纂しました。
chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/http://www.bunan.jp/bunanblog/wp-content/uploads/2017/09/%E3%83%9B%E3%83%84%E3%83%9E%E3%83%84%E3%82%BF%E3%82%A8.pdf
えええ、そうなの??????
もっともこれが主流の考え方かとか全然わからないのだけど。こういうサイトも見つけた。↓
https://gejirin.com/src/Ho/hotumatutawe.html
ホツマツタエという幾何学模様みたいな文字で日本の歴史や文化について書いてある文書があることは何となく知っていた。その頃はあまりよくわからなくて考えるのを保留にしていた。

ほんとかどうかはわからないけど、一先ヤマトタケル関連のところをググってみた。
https://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya39.html

これによるとホツマとは東国で、オトタチバナ姫はヤマトタケルより先にサガムノオノ城に派遣されていて、焼き討ちの危機にあったところを助けられた。だが良く知られた物語の通りその後オトタチバナ姫は命を落とし、ヤマトタケルは千葉や茨城を経て東北へ向かう。勿来より先がみちのくなのね。
驚くのが、この物語があまりにも私が関東で追いかけてきたヤマトタケルの足跡と一致することだ。
自慢じゃないが私はヤマトタケルの物語をちゃんと読んだりしていないし知らない(本当に自慢じゃないな)。ただ色んな神社やらの由来とか伝説を集めてるだけだ。サガムノオノ城がどこにあるかはわからないが、大磯と大山の北から敵を挟み撃ちにしようとしたということは、その間くらいと想定して地図を見てみると、そこいらにはヤマトタケルが祭神の一人である比々多神社がある。ストーンサークルが残るとされるところでもある。ちなみに大山の奥にはヤマトタケルの足跡というのもある。
 ヤマトタケはこの度の戦いで、自分の先祖霊が必ずやスサノオであることの確信を得て、河合(かわあい)の野に大宮を建ててお祭りをし、ヒカワ(氷川)神を祭らせました。
 戦勝記念に武器をチチブ(秩父)山に納めて、二月八日再び武蔵国を巡幸した時に人々が服(まつ)ろう印として、橘籠(カグカゴ)を家棟(やむね)に捧げて君を歓迎しました。

確かに秩父の武甲山にはヤマトタケルが兜を奉納したという伝説があるね。三峰神社にはヤマトタケルの像があったりするし。こういう記事もある↓ 「江戸期の初め頃に幕府の者により創作されたのではないかと推測されています」
http://www.eniguma49.sakura.ne.jp/zisya,teienn/saitama/bukouzann/bukouzannrekisi.html
ただ一個自分が知ってることは、武甲山というのは武士の元祖とも言える坂東平氏の原点の一つみたいなところで、それは江戸時代よりずっと前のことだし、彼らも天皇の血筋なので、秩父平氏は何をか知っていてこの地を大切にしたのかもなあみたいな感覚はある。ちなみに青梅市の武蔵御嶽神社には、ヤマトタケルが武具を奉納したこことやお犬様のエピソードを含む武甲山と秩父神社と三峰神社の由来を足したような伝説がある。そしてそれが「武蔵」という地名の由来だと。
以前出雲にはない出雲由来の氷川神社が関東にあるのはなぜだろうと疑問に思ったことがある。これによると氷川神社はヤマトタケルが創建したことになる。この神社があるのは埼玉の大宮だが、東京の足立区の足立の由来がこの神社の由緒にもなっているのだ。それはヤマトタケルがここいらで足の負傷で立てなくなったところを夢告により氷川神社に参詣したところ歩けるようになったため足立という地名なったというものだ。
そもそもヤマトタケルを実在の人物だと思ってる人間も少ないだろうし、氷川神社がなぜ関東に生まれたかを疑問に思う者も少ないだろう。そしてそんなレアな疑問に答えてくれる物語があるなんて不思議でしょうがない。これらの神社に国つ神であるスサノオが祀られている理由も。
足立区の大鷲神社(祭神はヤマトタケル)の酉の市に行った時、東京の北の方なのに下町と同じ雰囲気を感じた。広い平地で海の底でならされた土地という感じがするのだ。だからヤマトタケルが来たとしたら船ではないかと私は思ったのだ。
その後そこには行かなかったが、同じ足立区に同じく酉の市を行う島根鷲神社というのがあることを知り、その由来に膝を打った。
http://washijinja.jp/syoukai00.html
古代の海岸線に 神々が船にてお着きになった処とされ、
日本武尊 先着する神々を尊び此の地を祀らる。
此のご事跡により 浮島明神 また大鷲尊(おおわしのみこと) と号す。
神々の共栄を計られた尊を慕い 各氏の崇敬篤く よって 鎌倉時代以降
開運・子育て鷲大明神(わしだいみょうじん)となる。
文保2年(1318)御中興す

まあこの文章だとヤマトタケルの頃には海じゃなかったと取れるかね。

ホツマツタエの成立は三世紀までの記録と言ってるから三世紀くらいか、偽書なら江戸時代ということである。
しかしヤマトタケルの伝説がいきなり江戸時代に作られしかも長い間語り継がれ信仰されてきたかのように偽装され関東のあちこちの神社や名所として伝説として散らばっているというのは考えにくいのではなかろうか。

これを信じるならヤマトタケルって紀元前の人じゃないってことになるね???

今年は色々ありすぎて考えも浮かばなかったが
一応作ってみたど〜
テレビで簡単でおいしいと言ってたので
https://www.meiji.co.jp/sweets/chocolate/chocokoka/recipe/25/
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まずくはない…と思いますよ、チョコとドライフルーツとオートミールとナッツというか家にあったくるみなので しかしくるみはベストマッチではないかもなあ レシピは忠実に作らないとね。
正直おいしいのかどうかよくわからないっす そんな時もあるわな。
カロリー高そうなのでゆっくり食べます

宮本氏の模型の車、情報を色々見るに、あれは児玉監督からのプレゼントだったみたいですね。そういや冬の花のMV見た時もポルシェと間違ったような。 私の記憶力よ 
ドアのところのロゴと窓の横のマークみたいのに特徴があったので、それを頼りに古いかっこいい日本車にあたりをつけて探したらヒットしました。
しかしなんのこたーない、私何年か前に某イオンで展示されていた古いフェアレディZを撮ってました。
その時もかっこいいと思ったんでしょうね
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うおう、宮本氏久々インスタ更新!
こ、これは古そうなポルシェ?????(わからんけど窓枠の感じが古そう、というかポルシェですらないかも)(フェアレディZ?めっちゃ調べた)
かっこいー
あ、もしかしてミニチュアですかね?本物かと思ったー 
そうか!冬の花か!(鈍すぎる
ソロでももう五年になるのですね。
時間が過ぎるの早過ぎて怖い

今母から電話かかってきて、せん妄だいぶ良くなってた!まだちょっと変なことは言うけど、おとといよりだいぶ状況がわかってる。コロナも今のところ酷くなさそう。よかった〜
元々あまり歩けない人だから、骨折を手術してどのくらい歩けるようになるかわからないのは変わらないけど、リハビリがんばってくれるそうなので家に帰ってこれるよう自分も色々家の中整えねば。
私のコロナの検査も陰性でした

すみません、一人でネガティブになってて だって話も通じないし、すごい変なこと言ってた電話の後にコロナだって言われて怖かったんだよう
ひとまずほっとした〜〜〜 

嬉しいニュースも
昨日ものすごく久しぶりにイシクンがつぶやいてくれました
天ぷらすかね?

ううむ、親近感の沸く横顔 ううむ、撮影者は友?



そして宮本氏、今年初のイベントすかね?
コバタケ氏やってきた一連のアート系のイベントかね?アンドレ・ブルトン。シュールレアリスムの創始者というか親玉すな ジャン・コクトーを蛇蝎のごとく嫌ってた人だが、コクトー自身はシュールレアリスムの芸術家を嫌ってなかったみたい(私は随分ジャン・コクトーに興味を持ってきたのでコクトーを起点に見てしまう)。
「宮本浩次を中心とした」←ここヤバいすね。
行きたいなあ。でもこれからしばらく予定が立てられない

私はアホなので何でも忘れてしまうので、記録としてあの時ああいう気持ちだったなということを後から思い出すために残しておいたほうがいいかなと書いておきますが、あまりにも個人的なことなので本当に読まなくて大丈夫ですよ。楽しいことじゃないし。
共感を求めないならなぜ書くのかというと、普段から居間にいる時間が長く、母がいるとブログとか書かないけど今現在はいないし、今起こっていること以外に集中もできないのにその出来事に対して何もできないからでしょう。続きを読む

畳みます。読まなくていいですよ。続きを読む

母が入院した次の日くらいはちょっと悲観的になってしまったが、一日よく悲しんだらちょっとポジティブになれました。
手術の日程も決まり、母もリハビリがんばると言ってるので前向きに受け入れ体制を作って行こうと思います

なんとNHKの4Kで宮本氏の「ロマンスの夜」の放映が決まったそうです
28日は私が行かなかったほうの日かな。
確かめたけどうちでも見れそうです
今テレビも独占できるしね

楽しみです

母親が転んで骨を折って入院してしまった
脳梗塞の手術以来リハビリしてなんとか家の中とかは歩けてたんだけど、エントランスに新聞取りに行った時に転んでしまったそうだ。外の景色をちょっと見ようと思ったとかで。
私はお絵描き教室に行っていて、電話がかかってきて救急車が来てるのでって話で。歩ける距離なので帰ってそのまま付き添って病院へ。診察してもらってレントゲン撮ってそのまま入院。救急なので常勤の先生が改めて診察して手術ができるかどうかから判断していくそう。
見るとふとももの根元がぱっくりいってる。レントゲンで普通は見えないはずの血管が映ってて、これは動脈硬化だと言っていた。一先今はその診察じゃないけれどもと。これでは歩けないからボルトを入れて手術をしなきゃならない。でも母は血液サラサラの薬を飲んでるのでまずそれをやめなきゃならない。あなたみたいな人や、盛岡の人は医大が移転して病院も不足してるんだからケガしちゃいけないんだとお医者さんは冗談めかして言っていた。母も笑っていたが、ほんとはそんなに軽い話でもないんだろう。80過ぎて元々足の悪い母が、完治して歩けるようになる見込みはどのくらいあるのだろう。
真面目に考えると憂鬱になるが、本人は割と明るくて(そう振舞ってるのかもしれないが)、その場でも電話でも話したけど声は元気そうに聞こえるのが救い。脳梗塞の時は呂律がまわらなくて言ってることよくわからなくて、コロナもあって見舞いもほとんどできずとても不安だったから。その時に比べたら声も頭もしっかりしてるし短い時間だけど見舞いもできるので、その部分は恵まれてると思う。
でも家に帰って来るとやっぱり寂しい。今まではデイサービスなんかで母がいないとむしろのびのびできるくらいの気分だったのに。よくケンカするしいくら油もの嫌だと言っても揚げ物ばんばん出してくるし、冷凍庫満杯だからもう買うなと何度言っても買うし、嫌になることもあるけれども、やっぱりいつもいるはずの人がいないと寂しいものだ。
ともかく今は手術するかどうか検査結果を待つしかない。手術しなければ寝たきりになってしまうのだけど。

おとといはレッチリのライブが発表されて、友達がカード使えたのでチケットが確保できて喜んでたのに、急転直下だ。
最近ちょっと調子良さそうだったし、朝お絵描き教室に行くのに準備を「ぬかりなし」って言ってたそばから画用紙忘れそうになったのを笑いあってたのになあ。

Covers、とても素晴らしかったです
登場の仕方がかわいかったです 
二人の歌も、やりとりも、他の人たちの歌もすごく楽しめました
和やかな感じでしたが、Cocco氏はこういうことを考えてたのですねー

私は初見で言葉尻が聞こえなかったのですが、宮本氏は尾崎氏について、リアルタイムで「大人っぽくて」共感できなかったみたいなことを言ってたみたいなんですね。それは正直な所感だったんでしょうけど。リリーさんは逆に当時青臭さを感じたが今は逆に大人っぽく感じるみたいなことを言ってましたね。宮本氏は同じコンテストで一年違いでということを言っていて、大人っぽいというのは私らとは違ってよりリアルな印象なのかもしれないですね。
私個人は髪型こそパンクとかヤンキーとか言われるような感じでしたけど、中身が不良じゃなかったし、寮に入って親元離れていたし、美術のクラスで先生とも仲良かったので、あまり大人や社会の抑圧みたいのは感じてなくて(思春期で苦しいとは思ってたけど)、盗んだバイクで走りだしたりこの支配みたいのにはピンと来てなかったというのは正直あります。
でも客観的にカリスマなのはよくわかるし、今も色褪せない名曲だっていうのはわかります。
Coccoの声で聴くとまたオリジナルのラブソングですよね 
とても楽しい番組でした

今日はカバーズでなんとCocco氏と共演です



確かミュージックステーションとかで同じ日に出てて密かにときめいていたことはありますが、絡みみたいのを見るは初めてですかね 私実はCoccoの特に初期のディープな歌大好きなんです
凄い楽しみです

あとほぼ同年代でしょうが尾崎豊について何か言ってたのも聞いたことないですよね(知らんだけかもしれんが)。そういう自分も世代ど真ん中ですがちょっと文化圏違う感じだったので本当に知らないのですよね。歌うのはCoccoですがその辺も興味深いです

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