2024年04月17日
「同じものがある」
2024年04月16日
「ある日 ある時」
2024年04月10日
「へーそんなのあるの?」
葉山在住のfooさん6歳が、入学のお祝いに「ウナギのタレかけご飯」が食べたいと言っていると聞いて、へーそんなのあるの?なんだか落語に出てくる「かば焼きの匂いで白ご飯を食べる」みたいな話と思いました。
でも、藤沢のうなぎ屋さんで
実在しました。うなぎは苦手だけどタレは好きとfooさんのリクエストがあったのです。
食事をした帰り、藤沢の打戻の畑のジィジの所へ寄りました。
「今はこんなものしかないけど」
切ってくださった菜の花は蛸とアボガドのサラダに!春が器に広がります。
「5月なるといろんなものが収穫できるんだけど、ねぎを持っていきますか」
晩御飯は玉子サンゴとネギとジャガイモと玉ねぎのポタージュと畑から採れ採れの食卓です。
ご近所の十子さんへもお裾分け、その時「ウナギのタレかけご飯」の話もしました。
そしたらLINEがきて
「ご馳走様٩(^‿^)۶畑ジージの菜花とお葱でお夕飯!鰻の話に美味しそうと鰻味にしました。生菜の花は美味しいですね。焼き葱と焼ヤングコーンを鰻タレと山椒で頂きました。新鮮で美味しかったです。十子」
この山椒がいい!
でも、藤沢のうなぎ屋さんで
実在しました。うなぎは苦手だけどタレは好きとfooさんのリクエストがあったのです。
食事をした帰り、藤沢の打戻の畑のジィジの所へ寄りました。
「今はこんなものしかないけど」
切ってくださった菜の花は蛸とアボガドのサラダに!春が器に広がります。
「5月なるといろんなものが収穫できるんだけど、ねぎを持っていきますか」
晩御飯は玉子サンゴとネギとジャガイモと玉ねぎのポタージュと畑から採れ採れの食卓です。
ご近所の十子さんへもお裾分け、その時「ウナギのタレかけご飯」の話もしました。
そしたらLINEがきて
「ご馳走様٩(^‿^)۶畑ジージの菜花とお葱でお夕飯!鰻の話に美味しそうと鰻味にしました。生菜の花は美味しいですね。焼き葱と焼ヤングコーンを鰻タレと山椒で頂きました。新鮮で美味しかったです。十子」
この山椒がいい!
2024年04月05日
「ヒスイカズラを見たいと思い続けてました」
関西の友、ヤンの西の植物博士Reyさんからの花便り
「ヒスイカズラを何十年前から見たいと思っていましたら、大阪の「花館」で咲き始めましたと知り、見てきました。
「花館」は大阪であった花博の跡地
「鶴見緑地」
「ヒスイカズラ」
ほんと翡翠の色をしています。
ヤンも東の植物博士の195さんと2011の3月に
大船植物園の温室に見に行きました。
実はもう何十年前になるでしょうか?
おんな4人でハワイ島はホノカアのHolokenさんちにホームスティした時、
ワイピオ渓谷まで4輪駆動で降りて、ミュール(馬とロバの混血)が引く馬車ツアーに行きました。深い渓谷の川を渡り、垂直に落ちる滝やワイピオの自然を満喫。
馬車の上から「あ!ヒスイカズラが咲いている」と花大好きの葉山195さんが民家の庭先に咲いていたヒスイカズラを見つけて、教えてくれましたのを思い出しました。でも馬車の上から走り去りながら見たので一瞬でした。
「ブルーポピー」
が!これもなんときれいなのでしょうか?堀文子さんの
この絵を思い出します。
この青い芥子は「標高5000メートル級の高地に咲くホリデュラ、その原種だけを「幻の花」ブルーポピーと呼び、82歳の堀文子は、この幻の花を探しにネパールボカラ地区へこの花を描いた(アートコラムより)
これは「キソウテンガイ」
アフリカの南部のナミビアで花博の1990ねんから奇想天外に成長しているそうです。名前が面白い
高知の「牧野記念植物園」で
「バクチノキ」皮がはがれるからと言うか、はがされる?から
Reyさんの「花博」からいろんなことを思い出しました。
「ヒスイカズラを何十年前から見たいと思っていましたら、大阪の「花館」で咲き始めましたと知り、見てきました。
「花館」は大阪であった花博の跡地
「鶴見緑地」
「ヒスイカズラ」
ほんと翡翠の色をしています。
ヤンも東の植物博士の195さんと2011の3月に
大船植物園の温室に見に行きました。
実はもう何十年前になるでしょうか?
おんな4人でハワイ島はホノカアのHolokenさんちにホームスティした時、
ワイピオ渓谷まで4輪駆動で降りて、ミュール(馬とロバの混血)が引く馬車ツアーに行きました。深い渓谷の川を渡り、垂直に落ちる滝やワイピオの自然を満喫。
馬車の上から「あ!ヒスイカズラが咲いている」と花大好きの葉山195さんが民家の庭先に咲いていたヒスイカズラを見つけて、教えてくれましたのを思い出しました。でも馬車の上から走り去りながら見たので一瞬でした。
「ブルーポピー」
が!これもなんときれいなのでしょうか?堀文子さんの
この絵を思い出します。
この青い芥子は「標高5000メートル級の高地に咲くホリデュラ、その原種だけを「幻の花」ブルーポピーと呼び、82歳の堀文子は、この幻の花を探しにネパールボカラ地区へこの花を描いた(アートコラムより)
これは「キソウテンガイ」
アフリカの南部のナミビアで花博の1990ねんから奇想天外に成長しているそうです。名前が面白い
高知の「牧野記念植物園」で
「バクチノキ」皮がはがれるからと言うか、はがされる?から
Reyさんの「花博」からいろんなことを思い出しました。
2024年04月03日
「例年より遅い開花宣言」
湘南地方は今年は桜の開花が遅い気がします。
我が家の一本あるソメイヨシノが
やっと花開きました。
昨日新橋汐留にある「槇原歯科」でのクリーニングが夕方5時前に終わり、その後都営大江戸線で「新橋」から一駅の「大門」へ
念願の
大門「新亜飯店」へ
新潮社の冊子「波」の2月号に
阿川佐和子著「やっぱり残るは食欲#77走れ台湾」に小籠包の話が、
「初めて小籠包というものに出会ったのは、東京は芝大門にある新亜飯店・・」
これを読んで思い出しました。
父の転勤で東京に住んでいた青春時代に、父がここ新亜飯店の小籠包(生姜の細切りが入っていました)を時々お土産に持ち帰ってきました。
新亜飯店芝大門・・地下鉄大門駅から徒歩1分の老舗中華料理店「新亜飯店」。1969(昭和44)年、上海の名物点心“小籠包”を日本で初めて提供したそうです。
小籠包は
大きく下に白菜が敷いてあります。55年ぶりの小籠包です。
5時から開店のお店はまだそれほど客はいませんが、次から次へと予約の電話を聞いていて評判がわかります。
私たちは
「白片肉」と
「炒飯」を頼みましたが、晩御飯の時間も早かったこともあり、炒飯は半分テークアウトしました。
我が家の一本あるソメイヨシノが
やっと花開きました。
昨日新橋汐留にある「槇原歯科」でのクリーニングが夕方5時前に終わり、その後都営大江戸線で「新橋」から一駅の「大門」へ
念願の
大門「新亜飯店」へ
新潮社の冊子「波」の2月号に
阿川佐和子著「やっぱり残るは食欲#77走れ台湾」に小籠包の話が、
「初めて小籠包というものに出会ったのは、東京は芝大門にある新亜飯店・・」
これを読んで思い出しました。
父の転勤で東京に住んでいた青春時代に、父がここ新亜飯店の小籠包(生姜の細切りが入っていました)を時々お土産に持ち帰ってきました。
新亜飯店芝大門・・地下鉄大門駅から徒歩1分の老舗中華料理店「新亜飯店」。1969(昭和44)年、上海の名物点心“小籠包”を日本で初めて提供したそうです。
小籠包は
大きく下に白菜が敷いてあります。55年ぶりの小籠包です。
5時から開店のお店はまだそれほど客はいませんが、次から次へと予約の電話を聞いていて評判がわかります。
私たちは
「白片肉」と
「炒飯」を頼みましたが、晩御飯の時間も早かったこともあり、炒飯は半分テークアウトしました。
2024年03月31日
「水に浮かべて遊ぶ」
今日で3月が終わります。
暑いくらいのお天気に、日光浴もかねて終わりかけたクリスマスローズの花がら摘みをしたりしました。そして器に花を浮かべました。
今「台湾トキワアジサイ」が満開
3月27日
3月15日
3月10日 葉山在住の6歳のfooさんと庭で遊びました。
この水に浮かべたのはクリスマスローズが水揚げが悪いのと花が下を向いているので浮かべてみました。とんぼさんが椿が好きで侘助やらいろんな種類が咲いていますが、椿も花瓶に活けると花がポタリ落ちるので水に浮かべました。
東南アジアを旅していると「welcome water floating flowers」に出会いますが、
一番印象に残ったスリランカのホテルの
ラオスでもworkshop storeの入り口に
暑いくらいのお天気に、日光浴もかねて終わりかけたクリスマスローズの花がら摘みをしたりしました。そして器に花を浮かべました。
今「台湾トキワアジサイ」が満開
3月27日
3月15日
3月10日 葉山在住の6歳のfooさんと庭で遊びました。
この水に浮かべたのはクリスマスローズが水揚げが悪いのと花が下を向いているので浮かべてみました。とんぼさんが椿が好きで侘助やらいろんな種類が咲いていますが、椿も花瓶に活けると花がポタリ落ちるので水に浮かべました。
東南アジアを旅していると「welcome water floating flowers」に出会いますが、
一番印象に残ったスリランカのホテルの
ラオスでもworkshop storeの入り口に
2024年03月26日
「タンポポの便り」
2024年03月22日
「ありがとう さようなら」
藤沢駅北口から北へ、国道の一本手前を右折するると
江ノ島に参詣する人々が歩いた道沿いに、土蔵造りの家があります。ここは江戸時代に年貢米を納入する蔵がありました。この建物は、昭和6年くらいに建てられたお米屋さんの建物で、「蔵まえギャラリー」は2006年に旧榎本米店の母屋とその内蔵を使ってオープンしたアートスペースです。 地域の発信拠点として様々な活用をしております。(facebookより) 18年の活動に幕が下りました。
ヤンの家と反対方向にあり、藤沢の越してきて何年目かに出会い、この「蔵まえギャラリー」の存在は知りました。
それから年月が経ち、2021年の春
藍染と一枚の淡いベージュのような色の布がかかていました。
聞けば「旧モーガン邸の庭の蕗で染めたのです」この色と風合いに、とても気に入りました。
ここを主催しているオーナーのSさんが「土曜日に、蕗の葉っぱ染めのワークショップをしますが参加しませんか」とお誘いを受けました。
4月10日「蕗(ふき)の葉っぱ染め」草木染のワークショップに参加してから、藍染めや柿渋染めなどのワークショップに
ある夏には「縁日 昔の遊びを伝える会」で和紙の染をtoto&fooさんが体験したり
去年の3月にの「蔵まえお雛さま展」では
ヤンの母の99歳になった「花園雛」を飾って皆様に見ていただくことができました。
5月にはワークショップで
fooさんは鯉のぼりを作りました。
毎月発行されていた「藤沢宿蔵まえギャラリー通信」に「簡易洋裁教室」を見つけ、見学をさせてもらいました。その時着物の「呂」で素敵なベストなどを制作している作品に、ヤンも参加させてもらいました。それは2021年の10月です。蔵の入り口から奥へ
この急な階段を上った二階に教室があります。第一作は、大島紬で
ロングベストが作品一号
そして2013年11月には「Wakuwaku洋裁展」
で作品を
展示。
この「蔵まえ」での洋裁教室は
3月18日が最後でした。作品はブラースを作りました。
この「Wakuwaku洋裁教室」すぐ側にある場所に移転します。
ありがとう さようなら
江ノ島に参詣する人々が歩いた道沿いに、土蔵造りの家があります。ここは江戸時代に年貢米を納入する蔵がありました。この建物は、昭和6年くらいに建てられたお米屋さんの建物で、「蔵まえギャラリー」は2006年に旧榎本米店の母屋とその内蔵を使ってオープンしたアートスペースです。 地域の発信拠点として様々な活用をしております。(facebookより) 18年の活動に幕が下りました。
ヤンの家と反対方向にあり、藤沢の越してきて何年目かに出会い、この「蔵まえギャラリー」の存在は知りました。
それから年月が経ち、2021年の春
藍染と一枚の淡いベージュのような色の布がかかていました。
聞けば「旧モーガン邸の庭の蕗で染めたのです」この色と風合いに、とても気に入りました。
ここを主催しているオーナーのSさんが「土曜日に、蕗の葉っぱ染めのワークショップをしますが参加しませんか」とお誘いを受けました。
4月10日「蕗(ふき)の葉っぱ染め」草木染のワークショップに参加してから、藍染めや柿渋染めなどのワークショップに
ある夏には「縁日 昔の遊びを伝える会」で和紙の染をtoto&fooさんが体験したり
去年の3月にの「蔵まえお雛さま展」では
ヤンの母の99歳になった「花園雛」を飾って皆様に見ていただくことができました。
5月にはワークショップで
fooさんは鯉のぼりを作りました。
毎月発行されていた「藤沢宿蔵まえギャラリー通信」に「簡易洋裁教室」を見つけ、見学をさせてもらいました。その時着物の「呂」で素敵なベストなどを制作している作品に、ヤンも参加させてもらいました。それは2021年の10月です。蔵の入り口から奥へ
この急な階段を上った二階に教室があります。第一作は、大島紬で
ロングベストが作品一号
そして2013年11月には「Wakuwaku洋裁展」
で作品を
展示。
この「蔵まえ」での洋裁教室は
3月18日が最後でした。作品はブラースを作りました。
この「Wakuwaku洋裁教室」すぐ側にある場所に移転します。
ありがとう さようなら
2024年03月17日
「アクセサリーの仕立て屋さん」
ご近所の友の十子さん
彼女は長くビーズサークルでアクセサリーを制作しています。
ヤンはブレスレットの糸が切れたり、ネックレスのリフォームやブローチの修理といくつもの品のお世話になっています。
今年1月の初めに藤沢のパン屋さん「マダムルジュ」に予約した「ガレット・デ・ロワ」
このお菓子を食べるのが楽しみなのです。
一年の幸運をこのお菓子を食べて、木の実が当たればその年の王様です。本当は陶器なのですが、飲み込むと危険と最近は木の実です。別に用意された今年の陶器の「ウェーブ」は
こんな可愛いバッグです。
これをピアスにしたらどうかなと?十子さんに相談しました。
そしたら!
こんなピーズと組み合わせた、ピアスが届きました。素敵でしょ!
これまでの何年かの「ウエーブ」
フランスの切手や鶏などが残っています。
鳥のいるのは
本物の鳥の巣です。
十子さんは絵心があり、とても手が器用な人です。
ヤンがこんなブローチがあればとつぶやいたのが、今は公表できませんがもう!もう!お見事と!感激している作品ができました。
いつか見てもらいたいと思っています。
彼女は長くビーズサークルでアクセサリーを制作しています。
ヤンはブレスレットの糸が切れたり、ネックレスのリフォームやブローチの修理といくつもの品のお世話になっています。
今年1月の初めに藤沢のパン屋さん「マダムルジュ」に予約した「ガレット・デ・ロワ」
このお菓子を食べるのが楽しみなのです。
一年の幸運をこのお菓子を食べて、木の実が当たればその年の王様です。本当は陶器なのですが、飲み込むと危険と最近は木の実です。別に用意された今年の陶器の「ウェーブ」は
こんな可愛いバッグです。
これをピアスにしたらどうかなと?十子さんに相談しました。
そしたら!
こんなピーズと組み合わせた、ピアスが届きました。素敵でしょ!
これまでの何年かの「ウエーブ」
フランスの切手や鶏などが残っています。
鳥のいるのは
本物の鳥の巣です。
十子さんは絵心があり、とても手が器用な人です。
ヤンがこんなブローチがあればとつぶやいたのが、今は公表できませんがもう!もう!お見事と!感激している作品ができました。
いつか見てもらいたいと思っています。
2024年03月12日
「卒園のお祝いに」
洋裁教室のお仲間の、藤沢湘南台在住のTomiさんから「今横浜そごう美術館で開催の『水生しげるの妖怪百鬼夜行展」を見てきましたが、とても面白かったですよ!10日までです」とLINEをいただきました。これは知らなかったですが、葉山在住6歳になったfooさんが今妖怪に興味を持っています。
fooさんの卒園祝いにと8日二人で横浜そごう美術館へ
平日なので、子供は少ないですが若い人が多い気がしました。
fooさんはリュックからスケッチブックと鉛筆を取り出したら、係の方がバインダーを貸してくださり
妖怪のスケッチを
的確な輪郭をなんのも迷いもなく描いていきました。
写真可能なコーナー
ではバーコードを読んでアプリに?入れると写真の中に妖怪が現れるらしいのですが、残念ながらヤンはそこまで使いこなすことができません。
fooさんの保育園の先生が水木しげるの世界の大ファンだそうで、たまたま訪れた3月8日が水木しげるの(1922〜2015)お誕生日と教えてもらったそうです。
この展覧会は水木しげるの妖怪の歴史など昔の本などが展示されていますが、子供にはまだ理解できずfooさんの大変興味を持ったのが、砂かけ婆、百反木綿、土壁、あまびえ等をアニメで紹介しているコーナーです。三回も見ました。
出口にガチャガチャが
はじめは「一反木綿」が次には「鬼太郎」が出てきて大喜びです。
家に帰って、ヤンが最近あまり体の調子が芳しくなく、水木しげる展のアニメを見ていて、「アマビエ」は海上に現れた日本の厄病封じの妖怪と知る。foo画伯に「ヤンに『あまびえ』を描いてほしい」と「いいよ」
何も見ないでfooさんの『あまびえ』を描いてもらいました。季節の変わり目がいつも弱く、これを壁に貼り拝んでいます。
fooさんの卒園祝いにと8日二人で横浜そごう美術館へ
平日なので、子供は少ないですが若い人が多い気がしました。
fooさんはリュックからスケッチブックと鉛筆を取り出したら、係の方がバインダーを貸してくださり
妖怪のスケッチを
的確な輪郭をなんのも迷いもなく描いていきました。
写真可能なコーナー
ではバーコードを読んでアプリに?入れると写真の中に妖怪が現れるらしいのですが、残念ながらヤンはそこまで使いこなすことができません。
fooさんの保育園の先生が水木しげるの世界の大ファンだそうで、たまたま訪れた3月8日が水木しげるの(1922〜2015)お誕生日と教えてもらったそうです。
この展覧会は水木しげるの妖怪の歴史など昔の本などが展示されていますが、子供にはまだ理解できずfooさんの大変興味を持ったのが、砂かけ婆、百反木綿、土壁、あまびえ等をアニメで紹介しているコーナーです。三回も見ました。
出口にガチャガチャが
はじめは「一反木綿」が次には「鬼太郎」が出てきて大喜びです。
家に帰って、ヤンが最近あまり体の調子が芳しくなく、水木しげる展のアニメを見ていて、「アマビエ」は海上に現れた日本の厄病封じの妖怪と知る。foo画伯に「ヤンに『あまびえ』を描いてほしい」と「いいよ」
何も見ないでfooさんの『あまびえ』を描いてもらいました。季節の変わり目がいつも弱く、これを壁に貼り拝んでいます。
2024年03月10日
「チュールをふわりと」
2024年03月03日
「めぐりめぐる」
藤沢で「藤沢地区のお雛さま」
6つの建物に6つの団体がそれぞれのお雛様を飾ってます。
幼馴染の横浜在住ハルルヤさんと「お雛様巡り」をしました。
先ずは
藤沢本町の「旧稲元屋」は元呉服屋さんで、蔵が6棟あったそうですが、現存は2棟だけだそうです。
旧国道一号線の昔の東海道でこの辺りは、「藤沢宿」です。
この「旧稲元屋」
はお邪魔するのは初めてです。蔵に飾られた
お雛様は歴史を感じます。
この一号線を東に行った向かい側に「旧桔梗屋」ここは紙問屋だったそうです。
向かって右のお雛様は昭和3年、左は昭和52年
次は遊行寺の入り口にある「ふじさわ宿交流館」
ここには縮緬細工の吊るし雛や福にいわれのあるいろんな作品があります。
藤沢橋交差点を渡り、「遊二自治会館」では「ばあばのひなまつり」
なんど見てもお重の中のご馳走や、百徳着物と日本の誇れる細工ものだと思う。
この通りは旧江の島街道と聞いていますが、藤沢は元東海道の「藤沢宿」と宿場町で、蔵が何棟が現存していて、この「蔵前ギャラリー」も、元米穀屋でした。立派な雛段飾り
斜め前にある「旧飯山邸」
上がり框にお雛様を拝眼しました。
こうしてハルルヤさんと雛めぐりをしていて、横浜の旧家にお雛様を見に行ったことを思い出しました。それは2月だったのでしょうか雪がちらちら降ってきました。
ヤンも母のお雛様を出しました。
このお雛様は、1915年生まれ(大正4年)で100歳と長生きした母のお雛様です。1923年関東大震災で保土ヶ谷の家が消失した時の雛の代わりに、その翌年1924年に祖母が買い求めた「花園雛」です。戦争も経験し万丈波瀾人生にずっと寄り添ってきた雛です。今年で100年を迎えました。
6つの建物に6つの団体がそれぞれのお雛様を飾ってます。
幼馴染の横浜在住ハルルヤさんと「お雛様巡り」をしました。
先ずは
藤沢本町の「旧稲元屋」は元呉服屋さんで、蔵が6棟あったそうですが、現存は2棟だけだそうです。
旧国道一号線の昔の東海道でこの辺りは、「藤沢宿」です。
この「旧稲元屋」
はお邪魔するのは初めてです。蔵に飾られた
お雛様は歴史を感じます。
この一号線を東に行った向かい側に「旧桔梗屋」ここは紙問屋だったそうです。
向かって右のお雛様は昭和3年、左は昭和52年
次は遊行寺の入り口にある「ふじさわ宿交流館」
ここには縮緬細工の吊るし雛や福にいわれのあるいろんな作品があります。
藤沢橋交差点を渡り、「遊二自治会館」では「ばあばのひなまつり」
なんど見てもお重の中のご馳走や、百徳着物と日本の誇れる細工ものだと思う。
この通りは旧江の島街道と聞いていますが、藤沢は元東海道の「藤沢宿」と宿場町で、蔵が何棟が現存していて、この「蔵前ギャラリー」も、元米穀屋でした。立派な雛段飾り
斜め前にある「旧飯山邸」
上がり框にお雛様を拝眼しました。
こうしてハルルヤさんと雛めぐりをしていて、横浜の旧家にお雛様を見に行ったことを思い出しました。それは2月だったのでしょうか雪がちらちら降ってきました。
ヤンも母のお雛様を出しました。
このお雛様は、1915年生まれ(大正4年)で100歳と長生きした母のお雛様です。1923年関東大震災で保土ヶ谷の家が消失した時の雛の代わりに、その翌年1924年に祖母が買い求めた「花園雛」です。戦争も経験し万丈波瀾人生にずっと寄り添ってきた雛です。今年で100年を迎えました。
2024年03月02日
「もうこの世界はないかもしれない」
沢木耕太郎著「一号線を北上せよ」
を読んでいて、なんだかタイムスリップしたような気持になりました。
初めに出てくる「メコンの光」に
…どんな国のどんな空港でも、初めて降り立った空港の建物を出るときは緊張する。…しかし、その日の夕方、ヴェトナムはホーチミンのタンソンニュット空港の建物を出た時は、ほんの少し拍子抜けをしてしまった。まず、空港の建物が小さかったことであった。税関を出ると、そこはもう建物の出口だった。(メコンの光より)…
ヤンがヴェトナムのホーチミンを旅したのは、確かの記録がないのですが、20年以上前です。関東からは葉山在住の195さんと二人で成田?から、関西の芦屋在住のルンさんは関空?からと女三人旅。
このホーチミンのタンソンニュット空港に夜降り立ったのをよく覚えています。周りが林と空港の建物は小さく、外に出ると送迎に一族郎党で来ているのか?見物なのかベトナムの人たちがいっぱいいた風景です。
一足早く着いていたルンさんは、先にこの日の宿泊先「マジェステックホテル」の部屋で待っていました。ホテルには、たぶんタクシーで行きましたが、目に飛び込んできた街路樹の半分が白くペンキのようなもので塗られていたことと、サイゴン河が出てきた光景が忘れられません。
…コロニアル調の建物の前に横づけされた。マジェステックホテルが歴史あるホテルということは知っていたが、あまり期待していなかった。しかし中に入るとロビーはクラッシックな雰囲気…(メコンの光より)
本当に格調高い建物で、床のモザイク模様や落ち着いたとてもいいホテルでした。
でも残念なことに、このホテルは一泊しか取れず、すぐそばの確かホーチミン広場にあった「REX HOTEL」に連泊しました。このホテルはホテルでヴェトナム式結婚式やいろんな体験をしました。
皿を三枚とコーヒーカップを買いました。
ホーチミン広場の路上で
このオートバイに乗ったサンタさんをget。紐を引っ張れば、荷台のもみの木がクルクル回り走ります。市場に行ったり,街の食堂で食べたりといろいろ思い出されます。
世界の街歩きなどで見るホーチミンは様変わりしていて、沢木耕太郎氏や私たちが歩いた素朴なホーチミンの街はもうこの本の中です。
を読んでいて、なんだかタイムスリップしたような気持になりました。
初めに出てくる「メコンの光」に
…どんな国のどんな空港でも、初めて降り立った空港の建物を出るときは緊張する。…しかし、その日の夕方、ヴェトナムはホーチミンのタンソンニュット空港の建物を出た時は、ほんの少し拍子抜けをしてしまった。まず、空港の建物が小さかったことであった。税関を出ると、そこはもう建物の出口だった。(メコンの光より)…
ヤンがヴェトナムのホーチミンを旅したのは、確かの記録がないのですが、20年以上前です。関東からは葉山在住の195さんと二人で成田?から、関西の芦屋在住のルンさんは関空?からと女三人旅。
このホーチミンのタンソンニュット空港に夜降り立ったのをよく覚えています。周りが林と空港の建物は小さく、外に出ると送迎に一族郎党で来ているのか?見物なのかベトナムの人たちがいっぱいいた風景です。
一足早く着いていたルンさんは、先にこの日の宿泊先「マジェステックホテル」の部屋で待っていました。ホテルには、たぶんタクシーで行きましたが、目に飛び込んできた街路樹の半分が白くペンキのようなもので塗られていたことと、サイゴン河が出てきた光景が忘れられません。
…コロニアル調の建物の前に横づけされた。マジェステックホテルが歴史あるホテルということは知っていたが、あまり期待していなかった。しかし中に入るとロビーはクラッシックな雰囲気…(メコンの光より)
本当に格調高い建物で、床のモザイク模様や落ち着いたとてもいいホテルでした。
でも残念なことに、このホテルは一泊しか取れず、すぐそばの確かホーチミン広場にあった「REX HOTEL」に連泊しました。このホテルはホテルでヴェトナム式結婚式やいろんな体験をしました。
皿を三枚とコーヒーカップを買いました。
ホーチミン広場の路上で
このオートバイに乗ったサンタさんをget。紐を引っ張れば、荷台のもみの木がクルクル回り走ります。市場に行ったり,街の食堂で食べたりといろいろ思い出されます。
世界の街歩きなどで見るホーチミンは様変わりしていて、沢木耕太郎氏や私たちが歩いた素朴なホーチミンの街はもうこの本の中です。
2024年02月24日
「勝手口をトントン」
2月11日
夕方勝手口を「ドンドン」
知り合いの竹さんが「どんな具合か、来てみたらこんな蕗の薹が採れたよ」
裏の土手に蕗があり、今年はまだ見ていなかったら竹さんが収穫したのを見せて「好きなだけどうぞ」と言われ、
8ヶ頂きました。早速その夜は「蕗の天婦羅」と春のほろ苦さが口いっぱいに広がります。まさしく地産即地消!
2月21日
また蕗の薹を摘みました。
今回は「イカと蕗の薹のペペロンチーノ」ほろ苦くピリッと辛くBuono!!
2月23日
庭の入り口に
義姉が植えた蕗が少しあり、そこで福の薹を7ヶ採れました。その蕗を叩いて油で炒めて「蕗味噌」を作りました。
蕗味噌には炊き立てのご飯でお握りが食べたく、お昼は「お握り御膳」
今年も春の恵みを堪能しました。
夕方勝手口を「ドンドン」
知り合いの竹さんが「どんな具合か、来てみたらこんな蕗の薹が採れたよ」
裏の土手に蕗があり、今年はまだ見ていなかったら竹さんが収穫したのを見せて「好きなだけどうぞ」と言われ、
8ヶ頂きました。早速その夜は「蕗の天婦羅」と春のほろ苦さが口いっぱいに広がります。まさしく地産即地消!
2月21日
また蕗の薹を摘みました。
今回は「イカと蕗の薹のペペロンチーノ」ほろ苦くピリッと辛くBuono!!
2月23日
庭の入り口に
義姉が植えた蕗が少しあり、そこで福の薹を7ヶ採れました。その蕗を叩いて油で炒めて「蕗味噌」を作りました。
蕗味噌には炊き立てのご飯でお握りが食べたく、お昼は「お握り御膳」
今年も春の恵みを堪能しました。