卒業式も終わり一息ついた金曜日、サロンシネマに行き、今話題の、というかもう直ぐ終わってしまいそうな映画、『哀れなるものたち』原題Poor Thingsを鑑賞しました。
テムズがわに身を投げて死にかけた妊婦を自分の研究室に運び込み、胎児を取り出し、その脳を死んだ母親の脳と入れ替えて蘇生させるという実験を行う外科医で研究者のゴドウィン・バクスターと、蘇生させられ、幼児の脳で生き返るが体は大人というベラの成長の物語、そしてなぜ自殺したのかの謎解き、ということになっています。
筋書きからしてメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』とのつながりというか、その変形譚となっているのかなと思って、かなり期待したのだけれど、人間存在の核心をつくというようなストーリーではなく、映像と人間存在の滑稽さの方にかなり意識が向いた作品のような印象を受けました。
金獅子賞とかゴールデングローブ賞をとったということで評価が高いんでしょうけど、私としては、意識しているであろう『フランケンシュタイン』、それをケネス・ブラナー監督、ロバート・デニーロで撮ったあの映画のような衝撃とか深みを感じない映画と言わざるを得ない感じでしたね。
死体、血糊、エログロ、嘔吐、粘液、そして退廃、娼館の風景、F⚪︎CKシーンなどなど、ショッキングな場面を独特の映像美、白黒映像とカラー映像の併用、様々な広角レンズによる歪んだ画面、CGとか人工的な舞台装置なんかも使いつつ、自然光的なライティングとか加工した感じの色彩で表現したのは、確かに独特の映像美であり非常に斬新なところは多々あるんだけど…。
主演のエマ・ストーンの演技は、本当にここまでやったのかという意味で女優魂をとことん突き詰めたって感じで、あそこまで全部曝け出して、ほぼポルノ映画的な映像の連発で、体は大人だけど脳みそは子供というか大人になってない、という存在を演じたということに対しては、確かに大拍手なんだけど、それが観ていて感動とか深い思考を呼んだかというとちょっとなあという感じ。
ウィリアム・デフォーのつぎはぎだらけの顔は確かに印象的で、フランケンシュタインの怪物を彷彿とさせるんだけど、人間存在への深い問題意識とかより、死への恐怖とか愛情のもつれ的なちょっと薄い感じのところで問題が止まったいる感じがありましたね。
後で知ったのだけれど、あの『メトロポリス』へのオマージュ的な映像がたくさん織り込まれていたのですね。確かに言われてみればそうだ。それはまあ面白い点です。もう一度検証してみたい点でもあります。
時代的にはヴィクトリア朝後期って感じなのかなと思うので、その意味では色々突っ込んでみたい部分はありました。
Poor Thingsを「哀れなるものたち」という全く直訳の邦題にしちゃったのだけれど、もうちょっと工夫した邦題の方が良かったんじゃないかと思ったり。たとえば…、思いつかないな。
元の小説があるようなので、読めば浮かぶかも。
もう一度見れば、もう少しよく理解できるかもしれない。でもあまり見たいと思わない、そういう感じ。