「ニコマコス倫理學」(その二)
内海文三は本田昇を蛇蝎の如く嫌つてゐる。文三が失業したので、文三
の叔母お政(まさ)は、お勢の結婚相手を文三から「立身出世」を人生の
價値とする昇に變へようとする。それを感じ取つた文三は昇を憎惡する。
文三の失業がお政の信頼を失つた原因だから、職探しをするなり、何な
り、お政の好意を取り戻すべく努力をすれば良いのだが、文三はそれはや
らない。やらないのではなく、やれない。昇が文三に「復職」の話を持込
んだ箇所を『浮雲』から引かう。大事な處だから、長く引用する。
「お勢さんも非常に心配してお出でなさるシ、且つ君だツてもナニモ遊
(あす)んでゐて食へると云ふ身分でも有るまいシするから、若し復職が
出來れば此上も無いと云ツたやうなもんだらう。ソコデ若し果して然
(さ)うならば、宜しく人の定(きま)らぬ内に課長に呑込ませて置く可
しだ。がシカシ君の事(こつ)たから今更直附(ぢかづ)けに往(い)き
難いとでも思ふなら、我輩一臂(ぴ)の力を假しても宜しいが、如何(ど
う)だお思食(ぼしめし)は。」
「それは御親切、、、有難いが、、、」
ト言懸けて文三は黙して仕舞つた。迷惑は匿(かく)しても匿し切れな
い、自ら顔色に現はれてゐる。モヂ附く文三の光景(やうす)を視て、昇
は早くもそれと悟ツたか、
「厭かネ、ナニ厭なものを無理に頼んで周旋しようと云ふぢや無いから、
そりや如何とも君の随意サ、ダガシカシ、、、痩我慢なら大抵にして置く
方が宣(よ)からうぜ。」
文三は血相を變へた、、、(中略)
面と向ツて圖大柄(づおほへい)に、「痩我慢なら大抵にしろ。」と昇
は云ツた。
痩我慢々々、誰が痩我慢してゐると云ツた、また何を痩我慢してゐると
云ツた。
俗務をおツつくねて、課長の顔色を承(う)けて、強て笑ツたり諛言
(ゆげん)を呈したり、四(よつ)ン這(ばひ)に這廻はツたり、乞食
(こつじき)にも劣る眞似をして漸くの事で三十五圓の滋惠金(じゑき
ん)に有附いた、、、それが何處が榮譽になる。頼まれても文三には其樣
(そん)な眞似は出來ぬ。それを昇は、お政如き愚癡無知の夫人に持長
(もちちやう)じられると云ツて、我程(おれほど)働き者はないと自惚
(うぬぼれ)て仕舞ひ、加之(しか)も廉潔な心から文三が手を下げて頼
まぬと云へば、嫉(ねた)み妬(そね)みから負惜しみをすると憶測を逞
うしてして、人もあらうにお勢の前で、
「痩我慢なら大抵にしろ。」
口惜しい、腹が立つ。餘の事は兎も角も、お勢の目前で辱められたのが
口惜しい。(『浮雲』)
この箇所を讀んで讀者は首をひねるだらう。一體全體「痩我慢」と言は
れた事が、何故「血相を變へ」る程「辱められた」事になるのか。文三の
僻み根性は度外れである。福田恆存もかう述べてゐる。
(文三の)苦悶の姿といふのは、私は讀んでゐて嫌になつちやつて。こん
なにウジウジした男といふのがゐるものかなと思つて。それで、これは二
葉亭四迷がそれを冷たく、なんとウジウジした嫌な野郎だと思つて書いて
ゐるのか、それとも自分の、二葉亭四迷自身の當時の不滿がそのままそれ
に乘り移つてゐるのか、これはいまだに私ははつきり斷言できないんで
す。これはちよつと本當のことは分らないんです。(『福田恆存の言
葉』)
文三の「苦悶」を作者二葉亭が否定してゐるのか、それとも作者の「當
時の不滿がそのままそれに乗り移つてゐるのか」分らないと、福田恆存は
云ふが、二葉亭自身が、何故「痩我慢」や昇の「處世術」及び「立身出世
主義」が「惡いもの」なのか分らずに書いてゐるのだから、讀者も「文三
の苦悶」の正體が掴めない。「處世術」や「立身出世主義」が「惡いも
の」なら、「痩我慢」は「良いもの」になる筈だからである。明治二十四
年に、福澤諭吉は「痩我慢の説」を書き、明治新政府に於ける勝安芳(海
舟)と榎本武揚の「立身出世」を嚴しく咎めて、維新に倒れた舊幕臣を思
へと書いた。「夜雨秋寒うして眠(ねむり)就(な)らず殘燈明滅獨り思
ふの時には、或は死靈生靈無數の暗鬼を出現して眼中に分明なることもあ
る可し。」とは凄まじいの一語に盡きる。要するに福澤は勝や榎本の「痩
我慢」の缺如を難じたのだが、福澤の「痩我慢」が人生の價値として、二
葉亭にも信じられたのであれば、文三は福田恆存の云ふ「ウジウジした嫌
な野郎」にならなかつた筈である。少なくとも文三は昇に「痩我慢の何が
惡い」と言返せた筈である。文三には譲れぬもの、譲つてはならないもの
がなかつたとしか評しようがない。
『浮雲』を書いた「明治」の御代、ロシア文學者であつた二葉亭はゴー
ゴリの小説「肖像畫」を翻譯してゐる。「肖像畫」に登場する才能ある畫
家は、「立身出世」の爲に絵の修行ではなく專ら「處世術」を發揮して、
大金を稼ぎ、果ては繪畫界に於ける大立て者に成り上がるが、絵の才能を
摩耗して絶望のあまり破滅してしまふ。畫家は惡魔に魂を賣り渡したと知
つて仕舞ひには狂ひ死にするのだが、金と云ふ魔物に魅せられ、「處世
術」と云ふ「錬金術」により破滅した畫家を描いた作者ゴーゴリは、古い
ロシアの盲目的とも云へる強固な信仰を持つてゐた。木村彰一は書いてゐ
る。ゴーゴリは「無教養な信心家だつた母」から、「最後の審判や地獄や
惡魔に對する恐怖」を「幼年時代」に吹き込まれ、それを生涯持ち續け
た。E・M・シオランに據れば、ゴーゴリは修道僧のやうに生涯童貞であつ
た。「生殖」に取憑かれ「淫戒」を破つて憚らぬ人間に對して、ゴーゴリ
は不犯である事により、「奇妙な優越意識」を抱いてゐたと、シオランは
云ふ。人道主義的批評家ベリンスキーには「あなたは鞭の傳道者であり、
タタール的習俗の讃美者」であるとの彈劾文を、ゴーゴリは書いてゐる。
「處世術」や「立身出世主義」を否定する文三及び二葉亭に缺けてゐたの
は、この種のゴーゴリに於ける「信仰」のやうな、理性の吟味を捨てて猶
恃むに足る「和魂」だつたのである。二葉亭には、福澤諭吉が勝や榎本を
難詰したやうな「痩我慢」を信じる氣持はなかつたと、私は先に書いた
が、しかしながら、「令和」の日本に「處世術」や「立身出世主義」を否
定する「痩我慢」を、道徳上の徳目として盲目的に信奉する者など、どこ
にもゐない。一人もゐない。それなら、どうして、我々が二葉亭や内海文
三を笑ふ事が出來ようか。「富国強兵」に邁進する明治に生きて、「立身
出世」とは無縁の二葉亭四迷は榮達を求めず、文學を放り出し、東京外大
ロシア語教授の職を辞し、けれども國家有爲の人材となるべく奮闘した。
それが日本の爲になるのなら、スパイにまでならうとした。日本の敵國た
るロシアの内情を探るべく、朝日新聞記者としてペテルブルグに渡つたあ
げく、惡性の風邪をひき肺炎を起こし、歸國の途次、ベンガル灣上で歿
す。享年四十六歳は如何に壽命の短かかつた明治の昔でも早すぎる死であ
つた。文學の價値を信じ切れず、職業作家として挫折した二葉亭の書き殘
した『浮雲』や『平凡』は、たとひ失敗作であらうが、文學に絶望した文
學者の眞に貴重な文學作品なのである。本物の「作家根性」ある作家だけ
が書き得た作品であり、二葉亭四迷は「痩我慢」が出來なかつたなどと一
體誰が言へようか。