教授と學生『ニコマコス倫理學』(アリストテレス著)(第334回)

「ニコマコス倫理學」(その二)

 内海文三は本田昇を蛇蝎の如く嫌つてゐる。文三が失業したので、文三
の叔母お政(まさ)は、お勢の結婚相手を文三から「立身出世」を人生の
價値とする昇に變へようとする。それを感じ取つた文三は昇を憎惡する。
文三の失業がお政の信頼を失つた原因だから、職探しをするなり、何な
り、お政の好意を取り戻すべく努力をすれば良いのだが、文三はそれはや
らない。やらないのではなく、やれない。昇が文三に「復職」の話を持込
んだ箇所を『浮雲』から引かう。大事な處だから、長く引用する。

 「お勢さんも非常に心配してお出でなさるシ、且つ君だツてもナニモ遊
(あす)んでゐて食へると云ふ身分でも有るまいシするから、若し復職が
出來れば此上も無いと云ツたやうなもんだらう。ソコデ若し果して然
(さ)うならば、宜しく人の定(きま)らぬ内に課長に呑込ませて置く可
しだ。がシカシ君の事(こつ)たから今更直附(ぢかづ)けに往(い)き
難いとでも思ふなら、我輩一臂(ぴ)の力を假しても宜しいが、如何(ど
う)だお思食(ぼしめし)は。」
 「それは御親切、、、有難いが、、、」
ト言懸けて文三は黙して仕舞つた。迷惑は匿(かく)しても匿し切れな
い、自ら顔色に現はれてゐる。モヂ附く文三の光景(やうす)を視て、昇
は早くもそれと悟ツたか、
「厭かネ、ナニ厭なものを無理に頼んで周旋しようと云ふぢや無いから、
そりや如何とも君の随意サ、ダガシカシ、、、痩我慢なら大抵にして置く
方が宣(よ)からうぜ。」
 文三は血相を變へた、、、(中略)
 面と向ツて圖大柄(づおほへい)に、「痩我慢なら大抵にしろ。」と昇
は云ツた。
 痩我慢々々、誰が痩我慢してゐると云ツた、また何を痩我慢してゐると
云ツた。
 俗務をおツつくねて、課長の顔色を承(う)けて、強て笑ツたり諛言
(ゆげん)を呈したり、四(よつ)ン這(ばひ)に這廻はツたり、乞食
(こつじき)にも劣る眞似をして漸くの事で三十五圓の滋惠金(じゑき
ん)に有附いた、、、それが何處が榮譽になる。頼まれても文三には其樣
(そん)な眞似は出來ぬ。それを昇は、お政如き愚癡無知の夫人に持長
(もちちやう)じられると云ツて、我程(おれほど)働き者はないと自惚
(うぬぼれ)て仕舞ひ、加之(しか)も廉潔な心から文三が手を下げて頼
まぬと云へば、嫉(ねた)み妬(そね)みから負惜しみをすると憶測を逞
うしてして、人もあらうにお勢の前で、
「痩我慢なら大抵にしろ。」
 口惜しい、腹が立つ。餘の事は兎も角も、お勢の目前で辱められたのが
口惜しい。(『浮雲』)

 この箇所を讀んで讀者は首をひねるだらう。一體全體「痩我慢」と言は
れた事が、何故「血相を變へ」る程「辱められた」事になるのか。文三の
僻み根性は度外れである。福田恆存もかう述べてゐる。

(文三の)苦悶の姿といふのは、私は讀んでゐて嫌になつちやつて。こん
なにウジウジした男といふのがゐるものかなと思つて。それで、これは二
葉亭四迷がそれを冷たく、なんとウジウジした嫌な野郎だと思つて書いて
ゐるのか、それとも自分の、二葉亭四迷自身の當時の不滿がそのままそれ
に乘り移つてゐるのか、これはいまだに私ははつきり斷言できないんで
す。これはちよつと本當のことは分らないんです。(『福田恆存の言
葉』)

 文三の「苦悶」を作者二葉亭が否定してゐるのか、それとも作者の「當
時の不滿がそのままそれに乗り移つてゐるのか」分らないと、福田恆存は
云ふが、二葉亭自身が、何故「痩我慢」や昇の「處世術」及び「立身出世
主義」が「惡いもの」なのか分らずに書いてゐるのだから、讀者も「文三
の苦悶」の正體が掴めない。「處世術」や「立身出世主義」が「惡いも
の」なら、「痩我慢」は「良いもの」になる筈だからである。明治二十四
年に、福澤諭吉は「痩我慢の説」を書き、明治新政府に於ける勝安芳(海
舟)と榎本武揚の「立身出世」を嚴しく咎めて、維新に倒れた舊幕臣を思
へと書いた。「夜雨秋寒うして眠(ねむり)就(な)らず殘燈明滅獨り思
ふの時には、或は死靈生靈無數の暗鬼を出現して眼中に分明なることもあ
る可し。」とは凄まじいの一語に盡きる。要するに福澤は勝や榎本の「痩
我慢」の缺如を難じたのだが、福澤の「痩我慢」が人生の價値として、二
葉亭にも信じられたのであれば、文三は福田恆存の云ふ「ウジウジした嫌
な野郎」にならなかつた筈である。少なくとも文三は昇に「痩我慢の何が
惡い」と言返せた筈である。文三には譲れぬもの、譲つてはならないもの
がなかつたとしか評しようがない。
 『浮雲』を書いた「明治」の御代、ロシア文學者であつた二葉亭はゴー
ゴリの小説「肖像畫」を翻譯してゐる。「肖像畫」に登場する才能ある畫
家は、「立身出世」の爲に絵の修行ではなく專ら「處世術」を發揮して、
大金を稼ぎ、果ては繪畫界に於ける大立て者に成り上がるが、絵の才能を
摩耗して絶望のあまり破滅してしまふ。畫家は惡魔に魂を賣り渡したと知
つて仕舞ひには狂ひ死にするのだが、金と云ふ魔物に魅せられ、「處世
術」と云ふ「錬金術」により破滅した畫家を描いた作者ゴーゴリは、古い
ロシアの盲目的とも云へる強固な信仰を持つてゐた。木村彰一は書いてゐ
る。ゴーゴリは「無教養な信心家だつた母」から、「最後の審判や地獄や
惡魔に對する恐怖」を「幼年時代」に吹き込まれ、それを生涯持ち續け
た。E・M・シオランに據れば、ゴーゴリは修道僧のやうに生涯童貞であつ
た。「生殖」に取憑かれ「淫戒」を破つて憚らぬ人間に對して、ゴーゴリ
は不犯である事により、「奇妙な優越意識」を抱いてゐたと、シオランは
云ふ。人道主義的批評家ベリンスキーには「あなたは鞭の傳道者であり、
タタール的習俗の讃美者」であるとの彈劾文を、ゴーゴリは書いてゐる。
「處世術」や「立身出世主義」を否定する文三及び二葉亭に缺けてゐたの
は、この種のゴーゴリに於ける「信仰」のやうな、理性の吟味を捨てて猶
恃むに足る「和魂」だつたのである。二葉亭には、福澤諭吉が勝や榎本を
難詰したやうな「痩我慢」を信じる氣持はなかつたと、私は先に書いた
が、しかしながら、「令和」の日本に「處世術」や「立身出世主義」を否
定する「痩我慢」を、道徳上の徳目として盲目的に信奉する者など、どこ
にもゐない。一人もゐない。それなら、どうして、我々が二葉亭や内海文
三を笑ふ事が出來ようか。「富国強兵」に邁進する明治に生きて、「立身
出世」とは無縁の二葉亭四迷は榮達を求めず、文學を放り出し、東京外大
ロシア語教授の職を辞し、けれども國家有爲の人材となるべく奮闘した。
それが日本の爲になるのなら、スパイにまでならうとした。日本の敵國た
るロシアの内情を探るべく、朝日新聞記者としてペテルブルグに渡つたあ
げく、惡性の風邪をひき肺炎を起こし、歸國の途次、ベンガル灣上で歿
す。享年四十六歳は如何に壽命の短かかつた明治の昔でも早すぎる死であ
つた。文學の價値を信じ切れず、職業作家として挫折した二葉亭の書き殘
した『浮雲』や『平凡』は、たとひ失敗作であらうが、文學に絶望した文
學者の眞に貴重な文學作品なのである。本物の「作家根性」ある作家だけ
が書き得た作品であり、二葉亭四迷は「痩我慢」が出來なかつたなどと一
體誰が言へようか。

教授と學生『ニコマコス倫理學』(アリストテレス著)(第333回)

「ニコマコス倫理學」(その一)

(「ニコマコス倫理學」の讀書會が行はれたが、それについて記す前に、
最近文春新書として刊行された、『福田恆存の言葉』(福田恆存著)の感
想を書きたい。「ニコマコス倫理學」に關係してゐるからである。)

 『福田恆存の言葉』には「處世術から宗教まで」と云ふ副題が附いてを
り、同書はもともと「三百人劇場」での連續講演を文字に起こしたもので
ある。この本を編集した恆存次男福田逸氏によれば、恆存は逸氏に「タイ
トルをかうしておけば、何を喋つてもいいわけだらう、氣樂なものさ」と
語つて、講演を始めたさうである。さう云ふ譯で、本書は「處世術」の話
が冒頭に來る。二葉亭四迷の『浮雲』主人公、内海文三の「處世術缺如」
を論ひ、福田恆存はかう語る。

處世術といふと私たちは何か惡いもののやうに考へてゐるんです。(中
略)私は、できることなら處世術の達人になりたいと思ふのですが、どう
もまだうまくいかないで、失敗ばかりしてゐる。ゴマすりといひますけ
ど、ゴマはすつたはうがいい。すり方のへたなのがいけないので、うまく
すればよろしいわけなんです。(中略)
世の中からうまく扱はれてゐない、あるいは仲間からよく思はれてゐない
といふ人間をよく見てますと、ちやんとそれだけの理由があるので、不當
にさういふ目に遭つてゐる人といふのも、(私は)これまた全くといつて
いいぐらゐ出會つたことがないんです。(中略)
自分がゴマすりが嫌で出世なんかしたくないんだと、のんきに暮らしてゐ
たいんだというんだつたら、人のゴマすりに腹を立てたり文句を言つたり
することはないんです。ところが、實際は自分も出世したい。それなの
に、あいつはゴマすりがうまくて俺はへたで、といつて文句を言ふ。それ
だつたら、それほど出世したかつたらやつぱり一生懸命ゴマすつたらよさ
さうなものですが、それはやらない。やらないんぢやなくて、やれない。
自分の無能力から來ることに過ぎないんです。やれたら必ずやつたに決ま
つてゐるんです。(『福田恆存の言葉』)

 以上の言葉に、『浮雲』主人公内海文三に對する批判の全てが過不足な
く表現されてゐる。文三は早くに父を亡くし、東京の叔父の家に子供の時
から暮らしてをり、田舎には年老いた母がゐる。叔父の家にはお勢といふ
娘がゐて、文三と一緒に育つたが、叔母はいづれお勢を文三に娶せようと
考へてゐる。お勢は「根生(ねおひ)の輕躁者(おいそれもの)」であつ
たにも關はらず、文三はお勢が好きである。別嬪に見えたからである。
 さて、『浮雲』は、文三が勤めてゐた役所を免職になつた處から始ま
る。役所をしくじつた理由は、課長と折合ひが惡かつたからで、詰りは、
文三の「處世術」が拙劣であつた爲である。ここに文三の元同僚であり、
現在役所で出世の階段を上らうとしてゐる本田昇なる男が現はれる。昇は
文三とは對照的に「處世術」の達人なのだが、昇の世渡り上手を、『浮
雲』から引かう。

まづ課長の身態聲音(みぶりこわいろ)はおろか、咳拂ひの樣子から嚔
(くさめ)の仕方まで眞似たものだ。ヤ其また眞似の巧な事といふもの
は、宛(あたか)も其人が其處にゐて云爲(うんゐ)するが如くでそつく
り其儘、唯相違と言ツては、課長殿は誰の前でもアハヽヽとお笑ひ遊ばす
が、昇は人に依ツてエヘヽ笑ひをする而已(のみ)。また課長殿に物など
言懸けられた時は、まづ忙はしく席を離れ、仔細らしく小首を傾けて謹ん
で承り、承り終ツてさて莞爾(につこり)微笑して恭(うやうや)しく御
返答申上る。(中略)
日曜日には、御機嫌伺ひと號して課長殿の私邸へ伺候し、圍碁のお相手も
すれば御私用をも達(た)す。先頃もお手飼に狆(ちん)が欲しいと夫人
の御意、聞よりも早飲込み、日ならずして何處で貰ツて來た事か、狆の子
一疋を携へて御覽に供へる。件(くだん)の狆を御覽じて課長殿が「此奴
(こいつ)妙な貌(かほ)をしてゐるぢやアないか、ウー。」ト御意遊ば
すと、昇も「左様(さやう)で御座います、チト妙な貌をして居りま
す。」ト申上げ、夫人が傍らから「其れでも狆は此樣(こん)なに貌のし
やくんだ方が好いのだと申します。」ト仰しやると、昇も「成程夫人(お
くさま)の仰る通り狆は此樣(こん)なに貌のしゃくんだ方が好いのだと
申ます。」ト申上げて、御愛嬌にチヨイト狆の頭を撫でゝ見たとか。
(『浮雲』)

 ここで、作者は本田昇の「處世術」を烈しく批判してゐる。或は完全に
否定的に描いてゐる。これを讀めば、讀者も、殆ど例外なく、本田昇は何
て嫌な俗物なんだらうと思ふに違ひない。では、福田恆存から、「處世
術」が何故惡いのか、上手なゴマすりが何故惡いのか、それは自分がゴマ
がすれないだけの無能力の言譯に過ぎず、ゴマがすれたらするのではない
かと、嚴しく問詰められたら何と答へるか。「處世術」を否とする文三や
讀者が、果たしてその具體的な説得力ある根拠を持つてゐるのか。先づは
それを考へねばならない。話のついでにもう一つ追加しておくと、人間は
他人に嚴しい人ほど、自分に對しては極度に甘い。それは我々生來のもの
なのである。「ゴマすり」の全く通じない人物にも、「あなた程、他人に
對してだけではなく、自分にも嚴しい人は見た事がない。あなたにだけは
ゴマすりが全く通じない」と云ふ「ゴマすり」は通じるのである。(續
く)

教授と學生『ヒューマニズムの悲劇』(ワインシュトック著)(第332回)

「ヒューマニズムの悲劇」(その五)

ゼミ生 ポリスの秩序が「倫理的」である事を放棄して、「秩序維
持」への努力を、ポリス市民が怠れば、ポリスには忽ちデマゴーグが
跋扈するやうになるのですね。エリニュス(復讐の女神達)がエウメ
ニデス(惠み深い女神達)に變はつても、人間の本性にある獸的部分
が無くなる譯ではありません。ですから、市民が自らの中に潜むエリ
ニュスを忘れず、エリニュスに對する警戒を怠らない時にのみ、ポリ
スは安定します。ワインシュトックはかう述べてゐます。

ポリスが「權力に對して責任を負つてゐるものである事を忘れる」な
らば、自由は人間を滅ぼすに違ひない。人間の精神が「無制約」なも
のを求め、「自分の限界を超えよう」としても、人間は「死すべきも
ののなかに縛り」つけられてゐる。この「自分自身の悲劇的意識」の
中でのみ、人間は眞實の「自分を自覺」する。詰り、市民が「人間の
限界を共同に意識してゐる」時にのみ、「個人、あるいは集團の不
遜」が閉め出され「ポリスの融和」が作り上げられる。

松原 なるほど、立派な説だ。君が引用してくれたワインシュトック
の言分を認めるとして、では何故、ポリス時代のギリシア人達は神々
の存在を急速に忘れるやうになつたのか。ギリシアの神々よりも、キ
リスト教の神は遙かに長持ちしたが、それは一體何故なのか。(黙
る、ややあつて)かうは言へるだらう。ギリシアの神々は人間に關は
り過ぎる。詰り、detachment がさつぱり守られてゐない。人間に對し
て detachment とは云へず、その上神々相互の對立から正・不正の
「理不盡」が生じるが、この「理不盡」を「理不盡」の儘、まるごと
人間が受け入れるのは頗る附きの難事だ。しかし、これがやれないと
なると、市民が「人間の限界を共同に意識」する事なんぞ、あり得な
い。その點、キリスト教の神は detachment を、すなはち「沈黙」を
守る。とすれば神の「沈黙」が、キリスト教の長持ちの理由だな。
「マタイ傳」にイエスの死を描いた處があるだらう。「イエス大聲に
叫びて『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』と言ひ給ふ。わが神、わが
神、なんぞ我を見棄て給ひしとの意(こころ)なり。」イエスの問ひ
にも、神は沈黙を守つた。それでも、なほ、イエスの言葉を通して變
らず「わが神」を信ずる事が出來るか。「出來る」と言ひ切れなけれ
ば、信仰はない。
 ポリス時代のギリシアに話を戻さう。先に述べた通り、エウリピデ
スに至り、神々の合理化が行はれ、その結果、理不盡ではあるが人間
を超越した存在である神々への信仰が急激に薄れた。エリニュスの存
在も忘れられる。徹底的なヒューマニズム(人間中心主義)の世界と
なるが、そこに次元の異なる二つの人生觀、或は生き方が生れた。一
つは、「享楽」的「人生觀」に基づく生き方。すなはち、ワインシュ
トックの言葉を借りれば、「人間にとつて最も賢明なのは、束の間の
人生の樂しい時間を幾らかでも味はう爲に、不安を忘れ、その他の一
切を偶然に委ね、日々の義務を果し、最善をつくし、解けない謎に頭
を煩はす事など止めてしまふ」。無論かうした「人生享楽」を引つ繰
り返したストイックな生き方も同時に生れる。滅私、克己、禁慾を宗
(むね)として生きるのである。しかし享楽的に生きようが、その正
反對にストイックに生きようが、かうした生き方は個人に徹した生き
方であり、共同體の運命には全く無關心である。そこで「個人主義」
とは正反對の二つ目の生き方が出て來るが、それは、他者との關係性
を大事にし、共同體の維持、存續をはかり、「正義」を求める生き方
である。但しこの「正義」は「悲劇時代」には「ゼウスの正義」と結
び附いてゐたが、「悲劇時代」の終焉と共に、「神抜き」の「正義」
となる。「正義」とは何かと云ふ問ひこそが、ギリシア哲學の眞髓だ
が、ソクラテス、プラトン、アリストテレスの哲學の系譜を考へる
と、アリストテレスに至り、「正義」を考へるに當つて、神々は完全
に用濟みとなつてゐる。ソクラテスにはダイモンが、プラトンにはイ
デアがあつたが、アリストテレスには最早「理性」しかない。人間の
精神活動のうち、「理性」で捉へられる部分しかない。しかし、人間
には「理性」と同時に「心情」があり、「心情」には「理性」の及ば
ぬ領域がある。その廣大な領域を統御するのは「合理」ではなく、
「合理」を遙かに超越した存在の筈だ。では「心情」を除外して、或
は「神」を抜きにして、「倫理學」は可能か。アリストテレスは「ニ
コマコス倫理學」を書いてゐるが、今日、どれ程の説得力があるか。
(北村註、令和六年からおよそ半世紀前、早稲田大學文研研究室の一
室で、以上のやうな、本質的であるがゆゑに、現在些かも古びてゐな
い講義が行はれてゐたのである。その場に居合はせた私はつくづく幸
運であつたと思ふ。)
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