2007年09月09日

20代、女の子たちの会話

日本に来てしばらく、女の友達とあまり連絡をとることも、会うこともなかった。

しかし、最近はそれがどんどん増え、今は韓国、日本の友達を問わず、頻繁に連絡を取り合っているし、会ってお茶をしながら会話をすることも多い。

ちなみに、韓国の友達とは、チャットでおしゃべりしている。
先日は6人が同時にチャットをした。皆、恐ろしいスピードで書き込んでいて、ついていくのが大変だった。


こうして同年代の、しかし、それぞれまったく違う生活を送っている人たちと話していると、妙な気分になる。ちなみに、いまだに学生なのは私だけだ。


彼女たちとの会話の主な話題は、「男」そして「結婚」だ。

それぞれ違うグループの友達なのに、不思議なぐらい皆同じことをいう。

「今の彼氏と結婚したいけど、両親が反対する」
「今の彼で本当にいいのかな」
「来年には結婚したいけどね」
「子育てはやっぱり大変だろうね」(まだ早い悩みでは…)

好きな人がいて、いずれ結婚したいと思っていて、別に今結婚できない理由がない彼女たちが毎日結婚式から子育てまでのシミュレーションをすることは理解できなくもない。


しかし、そういった話を聞いているとちょっと寂しくなる。

大学生のときには、そして就職して1年目くらいのときには、これからどういった人生を作るか、そのためにはどういうスキルを身につけ、キャリアを高めなければならないか、といった話ばっかりだった。

同じ人が話しているとは思えないくらい会話の内容がかわっている。

もちろん、結婚も「自分」のかかわった問題であるが、
どこか彼女たちがいう結婚の話には「自分」はどうもどこかに飛んでしまったようにみえる。

何が彼女たちを変えたのだろう。

単なる「愛情」が原因ではないようなきがする。

何年か働いてみたら、金銭的感覚が目覚め、現実的にこれからの生活を考えるとどうも同伴者が必要となってきたのだろうか。

としたら、結婚によってその不安を解除する方法以外にも、「自分がもっと働く、あるいはもっと高い給料をもらうための方法を考える」といった選択もできるわけである。

しかし、今のところ、一人もそれを口にする人はいない。

としたら、他に彼女たちがかわった理由があるのだろうか。


考えてみたら、同じ年に生まれた人でも、韓国と日本は年の数え方が違う。したがって、私は日本では20代中盤だけど、韓国では20代後半ということになる。

そして日本の友達より、韓国の友達のほうがもっと真剣に、そして具体的に結婚のことを話てくるようなきがする。つまり、「年」が関係しているのでは。

ということは、「そろそろ何か行動しなくては危ない」という危機感が彼女たちを襲ってきたのだろうか。

40代まで独身でいて遊びたいけど、あのときになると男は皆誰かと結ばれていて、相手がいないだろうね、という話をよく聞く。

つまり、そろそろ「保証された相手」を確保しなければならないという危機感を感じ取っているのでは。


晩婚化が進んでいるといわれているのに、どうも私の周りではそうでもないようだ。

ちなみに、このブログで取り上げた話題は、「20人くらいの女の子」がサンプルとなっているので、一般化を主張するのは難しいが、感覚的に感じた周りの変化をそのまま書いてみる。

そして、私は彼女たちの選択が間違ってるとは思ってない。
ただ、今まで真剣に話し合ってきた「自分でコントロールする将来」をさっぱりあきらめたかのように話さなくなったのが寂しいだけだ。

多分これからも彼女たちと会話をすると、何か物足りなさを感じるだろう。

kimmiae at 17:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2007年08月19日

増える情報

日本にいつまでいるかわからなくなった最近、韓国の友達との間で距離が生じないようにする方法を考えはじめた。

そして、今現在としては、ブログを通じて連絡を取ることが多い。

お互い情報を交換し合って、距離が離れすぎないようにしたいのだ。

しかし、どうしても毎日の出来事を話し合うことは難しくて、自然とお互いの最近に関する情報がたまり始める。

今日も友達が私のブログに、ある友達が5年も付き合っていた彼とわかれて、新しい彼氏を作ったので今日皆で食事をしてきたと書き込んできた。


それを読んで思った。

よく、仲がいいかどうかの判断基準になるのがその人のことをどれだけ知っているか、である。

という観点からすると、私と10年以上付き合ってきた友人たちはどうだろう。

高校生のときには、友達自身、あるいはその人の家の事情ぐらい知っていれば、話も通じ、何か悩んでいるようにみえても、大体その理由が予測できた。

しかし、大学生くらいから今は、友達がどうも元気がなさそうにみえても、その原因が彼女自身の進路の問題か、彼氏なのか、家族なのかわかりにくい。

彼女たちが就職してからは、職場でのトラブルという原因が加わった。

そして、結婚したら、だんなさん、それから子供にまで。

友達を知るために必要となる情報がどんどん増えていく。

それでも、何十年も緊密な関係を維持できる人たちがいるとしたら、その秘訣は、ある程度の情報を得ることで満足することだろうか?

そしてある程度の距離は認めてしまうことだろうか。

今の私としては、いちいち報告しあわない限り、韓国にいる友達とは物理的距離が一番大きい原因となり、どうも情報の共有がうまくいかない。

それで、お互いの情報を少しでも共有できるように、色んな方法を考えている。

一番いいのは私が、あるいは友達がたまにはお互いの住むところを訪問することだが。

kimmiae at 03:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2007年05月01日

民族意識?

韓国系アメリカ人学生が大学内で銃を乱射、33人が死亡した事件があった。
事件にかかわりのある韓国、アメリカのみならず、日本を含む全世界がこの事件に注目した。自殺してしまった犯人の犯罪動機が分からぬまま、放送局に送られた犯人からのメッセージをもとに、様々な推測がなされている。

しかし、一人の人間がどういった理由(いわゆる犯罪動機)で事件を起したか、推測するのには限界がある。ひょっとすると、犯罪動機に関する推測は、フィクションを書くようになってしまう可能性もある。
私は、そういった犯罪の内容自体よりは、目にみえる「事件に対する人々の反応」が気になる。事件後、私は韓国、日本そしてアメリカの事件に関する様々なメディア情報を接した。特に、韓国のポータルサイトなどの掲示板に注目した。

事件に対して韓国人たちは、「彼は韓国人なのか、そうではないか」で議論していた。
アメリカで生まれて、アメリカ社会で育った彼を、果たして韓国人だといえるのか。
それは、犯人の親と同じ国籍を持っていることで、自分たちが損することを恐れているように見えた。

彼らは、33人が死亡する大事件が起きたというニュースを接したときに、まず自分との関連性を探った。今回の事件から韓国人たちは、「犯人が韓国系」ということに反応した。

今回の事件に対する反応をみて、2006年トリノ・オリンピックのスキーでメダリストを思い出した。オリンピックでメダルを獲得した東洋系アメリカ人が、生まれてすぐ韓国から養子で送られた人だというニュースが流れ、注目を浴びた。そして最近、彼の実の両親と韓国での出会いが行われた。

同じく、アメリカで20年以上育てられたが、一人は30人以上を殺した犯人として、韓国人ではないと否定され、一人はオリンピックメダリストという肩書きで韓国人として受け入れられた。

韓国人は、単一民族としての民族意識が強いと言われている。私自身も小・中・高校の歴史の時間に単一民族である韓国人として、民族を大切にするべきだと教育されてきた。もし、これからもその民族意識を主張するようであれば、一貫性のある態度が必要ではないかと考えさせられた。

kimmiae at 02:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2007年01月08日

本物

日本でも今公開中の「the devil wears prada-プラダを着た悪魔」を観た。

最初は、ただニューヨークのファッションがみれるのが楽しいので、観てみようと思った。気分転換として。

ストーリは思ったよりもシンプルだったが、一つだけ記憶に残ったのがあって書いてみることにした。


ファッションに興味のないあるジャーナリスト志望の女の子がファッション雑誌社の編集者のアシスタントになって、考え方が変わっていくということがたいていの内容だった。

まだファッションのことを分からなかったころの主人公は、自分がみるには同じのように見える(しかし、編集者や雑誌社のスタイリストたちには全然違うと思われる)二つのベルトを見て、「stuff」だと表現する。

編集者は、「このstuff」が発表されてから、「この色やスタイル」がトップブランドからデパートに出回るブランドにまでコピーされ、最後には、あなたが着ているようなカジュアルブランドに広がるのよと説明する。


正直に私もブランドやファッションのことはよく知らない。

自分の目にかわいく見えて、値段がリーズナブルならブランドにはこだわらない。

しかし、映画のこのせりふにはちょっと考えるようになった。


もちろん、社会的ステータスと楽しめるブランドは、ある程度一致したほうがいいという考えに変わりはない。

しかし、自分の収入でファッションを楽しめる人にとっては、「大人として、礼儀としてちゃんとした服を着る」という理由よりも、「ファッションを作り出す人によって作られた本物」を身に着けるのも悪くはないと思った。


「ブランド物」の本当の意味が、それをちゃんと理解できず利用する人たちによって誤解されることもあると思うが(ブランド物から得られる満足は様々であるが、そういう観点はさて置き)、ちゃんと理解して、着こなせるなら、それも自分のアイデンティティづくりの一つとして悪くない趣味ではないかと。

kimmiae at 23:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2007年01月03日

2007年

3873ad8f.jpg日本で迎える始めてのお正月でした。

皆さん、明けましておめでとうございます。

kimmiae at 00:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!