南大東島日記

2011年度、南大東島に勤務。 そこで有った出来事などを書きつづる日記帳。

(気象台75周年という節目に乗って)南大東島地方気象台50年誌を紐解いてみます

結構前の話だったのですが、今年(2017年)2月1日に、南大東島地方気象台は創立75周年を迎えました。
ちなみに、この2月1日と言う日付は、現在も放映されているプリキュアシリーズの第1作目、「ふたりはプリキュア」が始まった日でもあります。こちらは2004年に開始しましたので、南大東島地方気象台はプリキュアのちょうど62年歳上ということになります。こちらはいい加減いい年を食った気象台とは異なり、13歳とまだ若いところです。ティーン。ティーンエージャーです。
さて、プリキュアの世代的には祖母、もしくは祖父に当たる南大東島地方気象台ですが、その始まりについて調べると結構面白かったりしたので、引用も少し交えつつ、何回かに分けて記述して行こうかなと思ってます。
なお、斜字の部分は特に出典の記載のない場合は「南大東島地方気象台50年誌(1992年・南大東島地方気象台刊)」からの引用となります。(引用部は斜字とします。)

実は南大東島地方気象台「75周年」の起点である1942年2月1日は、「国営」として南大東島観測所が業務を開始した日で、その前に民間(製糖会社)により観測業務は行われていました。
戦前においては(も)、気象観測の業務は国や県などの行政に委ねられることが多かった(都道府県営の測候所はそう珍しくはありませんでした)中で、なぜ民間だったのかと言うと、この島の特殊事情が絡んでいます。
南大東島・北大東島・沖大東島(ラサ島とも、現在は無人島)は、行政の管理を及ばせることが難しかったという事情もあり、民間の企業が島のほぼ一切を管理する形で支配を行っていました。南大東島の場合は玉置製糖→東洋製糖→大日本製糖と島の開拓(1900)からの戦前の45年間で2回管理者を変えながらも、企業による支配体制は継続した形となっていました。
島の「ほぼ一切」を、ということで、企業は住民の衣食住のみならず、本来であれば国家が持つところの学校や郵便も管理していました。(さすがに警察は日本政府に依頼を行ったようですが。)果ては、島だけで通用する紙幣をも発行、管理をしています。そのなかで、気象観測も東洋製糖会社が島を統治していた、1917年8月11日に開始される事になります。

南大東島での気象観測は大正6年(1917)8月11日東洋製糖会社の私設気象観測所として農業気象観測の目的で中央気象台指導の下に業務開始したことに始まる。これは沖大東(ラサ)島の気象観測から二年遅れて開始したことになり南大東島開拓(1900年1月23日)から数えて17年目にあたる。
昭和2年10月6日 東洋製糖会社から大日本製糖会社に併合された時も気象観測業務は継続された。
また、海軍水路部の移動観測班によって、昭和10年9年から昭和13年4月まで気象観測が行われている。


さとうきびを中心とした農業生産は南大東島では開墾当初から積極的に行われており、それに資するために、というのが元々の目的だったようです。ただまぁ流石に気象観測は一から、ということはできず、中央気象台(気象庁の前身)の指導を受けていたようです。
沖大東(ラサ)島は、当時農業の肥料となる燐の多く採掘出来る島で、全盛期には2000人以上の人口を抱えていました(南大東島は3000人以上住んでいた時期があったようです。)が、太平洋戦争後に引き揚げが行われ、無人島となりました。(南北大東島と地理的に離れていたことが一つ原因として挙がりそうですが、それに加え燐の減産・価値の低下も絡んだのかなと思われます。)現在は米軍の射爆場となっています。

大正6(1917)年10月南大東島に無線電信が開通し、東洋製糖株式会社(私設大東島気象観測所)は南大東島で気象観測を行い、翌年3月から南大東島の気象状況が中央気象台に通報された。
設立当時の南大東島観測所は、会社の事務所裏側に設置され、地上35尺(10.5米)の鉄塔上に風力計が設置され、風向計は事務所の屋上に設置された。


気象観測所が設立された契機は、無線電信の開通だったようです。気象データはその場のものだけでは不十分であるということから、中央気象台とのデータ交換も行っていたのでしょう。風力と風向が異なる器械で観測されていた、というところに時代を感じますね。

さて、私設観測所として運営されていた南大東観測所ですが、1934年の室戸台風により内地が大きな被害を受けた事に伴い、国営への移行が検討されます。
1937年の秋頃に発行された、測候時報 第8巻12号内の「凌風丸の進水式挙行」記事に以下の記述があります。

中央氣象臺に於て海洋観測船の建造を希望要求せることは一昔來のことであったがなかなか容認を得なかった、偶々昭和9年9月21日の彼の室戸颱風に刺激されて愈々大東島やラサ島や硫黄島に測候所を設置して颱風観測網を張ることの絶對的必要とすると共に是等の島嶼は交通の便なき為め職員の交替や測器、飲料水、生活必需品の運搬の便なき為め事業遂行困難に依り是等の測候所に巡航すべき船舶の必要缺くべからずとし(旧字は可能な限り再現)

台風早期把握のため、台風の通過点に当たる観測地点の拡充が急務であったことが挙げられています。先行して必要となる補給機能も持った観測船の運用が開始されてから、次々と観測所が開設されていきます。

凌風丸は昭和12(1937)年5月に完成した。硫黄島は、昭和12年11月から凌風丸による調査が行われ、翌年予算が成立。昭和14年11月1日に中央気象台硫黄島観測所が開設された。
沖大東島(ラサ島)は、昭和15年1月に中央気象台の管轄官署として新たに観測所が開設された。


もちろん、南大東島についても同時に同様の検討がなされ、凌風丸の就航の翌年である1937年の12月に沖大東島とともに気象観測所の"新設"が決議されます。

このように、製糖会社によって気象観測業務が行われているなかで、絶海の孤島に位置し交通事情・生活物資・飲料水も天水に依存するという地理的環境的悪条件下にあるなかで中央気象台は気象最前線基地としての重要性を痛感し南大東島・ラサ島の気象観測について、官営観測所の設立を政府に申請していたところ、昭和13年12月両島に気象観測所の新設が認められた。

ここから、立地上困難も伴う中、国営の観測所新設のため、各作業が進められる事になります。

昭和14年11月 大日本製糖会社から無償で提供された敷地(2,000坪)現在の位置に中央気象台から派遣された鈴木新八郎監督の下に(庁舎90.87坪)(宿舎6棟)及び無線塔の新築工事が行われた。
昭和15年1月1日 南大東島観測所国営移管 中央気象台南大東島観測所と改祢(文部省令告示606号)


現在、南大東島地方気象台の「創立記念日」となっている日付より前に、国営移管そのものはなされています。このときはしかし、国営の官署としての運営は行われておらず、所長も、所長に次ぐ重要職である無線課長も着任してはいませんでした。

昭和15年12月庁舎・官舎6棟、無線塔が完成した。また、昭和16年5月、石垣島から大浜孫詳が無線通信担当者として赴任し、同年9月8日、無線機器の取付を終了した。神戸海洋気象台の気象技師飯田務は、初代所長として昭和16年7月1日着任した。昭和17年1月23日に観測施設の設置が完了し、27日から気象無線放送の受信を開始した。

国営移管から2年かけ、施設の建設・人員の配備を着々と進めて、業務開始へと突き進んで行きます。
無線通信担当者は沖縄県からの登用でしたが、所長は内地(沖縄県以外)からの登用で、この傾向は終戦まで続いて行く事になります。
(尤も、終戦までの時間がそれほど長い訳ではありませんが)

昭和17年(1942)2月1日 中央気象台南大東島観測所として業務開始を行う。業務内容は1日7回の気象観測と1日3回の気象電報の通報業務を行った。
 これが現在の南大東島地方気象台の創立記念日である。
 当時の職員は所長以下6名で、東京からの職員は6ヶ月の出張交替制の勤務であった。また所長官舎は、島では唯一の赤瓦葺き住宅であったため島の住民から名物の建物として慕われ人気の的であったという。


6名で観測所の運営は大丈夫なのかと思いますが、後に引用する箇所にもありますが、1日7回観測は、06時から22時までの間で行われるものでしたので、おそらく昼夜交代制を敷かなければならないということはなかったのかなと推察されます。
所長官舎だけ豪華っぽかったのもなんとなく時代を感じなくはないですが、こうした傾向はどこで、いつまで続いたのかは気になります。(今後紐解けるかもしれません)

観測種目は、風向、風速、気圧、気温、湿度、雨量、蒸発量、地面温度、地中温度、日照時間の9要素であった。観測に使用した観測器械は下記のとおりである。
  器械の種類         器械の高さ
   気圧計(自記晴雨計)  海面上の高さ  15.7m
   温度計(寒暖計)    地上からの高さ  1.3m
   風向計(風信器)       〃    12.7m
   風速計(ロビンソン風力計)  〃    12.7m
   雨量計            〃     0.2m
   自記雨量計          〃     2.9m
   ダインス自記風圧計      〃    12.9m
   蒸発計(小型)
   ロビッチ日射計     (設置年月日は定かでない)
   ジョルダン日照計
   露場(標石)      海面上の高さ  14.6m
 地上気象観測は1日7回観測(06、09、10、12、14、18、22時)と1日3回(06、12、18)の通報を行っていた。観測は、昭和18年9月に15回観測通報、更に同年12月に18回観測通報に増やされた。昭和19年4月には定時気象電報時の変更により観測時が1日17回に変更された。そして同年7月毎時観測が実施され定時気象電報の発信も増加された。


はじめ1日7回であった観測は、時を経る毎に増え、開設から2年あまりで毎時観測に移行しています。職員もそれに伴い数を増やして行く事になりました。
こうして、南大東島地方気象台の前身である、南大東観測所が「国営として」誕生しました。
ここから現在(2017年)に至るまで、75年の歴史を刻んで行く事になるのですが、

南大東島観測所の設立の頃は、太平洋戦争勃発問もない頃であり、南方海域における気象観測通報は戦略上絶対必要であり、特に航空関係における気象諸情報は大変重要なものであったと考えられる。

このように「大変重要な」役割を担う事になってしまった観測所は、その重要さゆえに、時代に翻弄されていくことになります。
それは次回に話を譲ります。(あんまり長くなるとだれますし…というにも長くなりすぎた嫌いはあります)

(03/01)南大東村ブランディング事業フォーラムを聞いてきました。

えーと。お久しぶりです。
なんかTwitterのほうで書いてたらそれで気が済むなぁ、と思いつつ放置しまくってて1年半。
この島を出ることまで決定してしまいましたよ、と。

「南大東島日記」に当たるようなことは、Twitterで書いてまして。

こちらから見ることできますので、よしなに。

あとコメントもらっててすいません。
いま気づきました。
道路は舗装されています。そこそこに。脇道それたらあかんねんでも。農道はかなり微妙やねん。

さて、前フリはそこそこに。
先日、離島総合センターで「平成24年度南大東村ブランディング事業フォーラム」が行われました。
それに参加して話を聞いてきたので、その話を。

プログラムとしては

1:商工会会長あいさつ
(南大東村商工会 会長 垣花 恵忠氏)

2:平成24年度 南大東村ブランディング事業報告
(南大東村ブランディング事業推進委員会委員長 島田 勝也氏
南大東村商工会 経営指導員 前川 義統氏)

3:基調講演「今後の沖縄観光動向について」
(財団法人 沖縄観光コンベンションビューロー 安里 重信氏)

4:パネルディスカッション「南大東島の観光動向及び未来の可能性について」
(コーディネーター:南大東村ブランディング事業推進委員会委員長 島田 勝也氏
パネリスト:南大東村産業課 課長 濱里 保之氏
       南大東村商工会 会長 垣花 恵忠氏
       財団法人 沖縄観光コンベンションビューロー 安里 重信氏
       社団法人 南大東村観光協会 吉里 英利子氏)

5:質疑応答

6:閉会

以上のとおりです。
ただ、あとの予定も詰まっていたので、自分は「3」の基調講演まで聴講しました。

とりあえずメモ書き程度に聴講したことを箇条書きに。
カッコ内にこばこのツッコミとかを入れておきます。

1:商工会会長あいさつ
・20年前、観光パンフは全くなし。もし観光客が地図を求めて来たら、土木課作成の地図を渡していた。
・平成23・24年度に多くの事業が興った。
(確かにそれもそうなのですが、その割に無くなったものもあるなぁと思いつつ…なんで?)

2:平成24年度 南大東村ブランディング事業報告
・「夏休み自由研究スペシャルプラン」なるものが企画され、商品化されたらしい。ただし、お客はゼロ。
(どういう広報したんだろうかそれ。)
・「船舶モニターツアー」も。これには十数人お客さんが来た。沖縄県の方が多かったとか。
・大東島マラソンの企画も考え中。
(どうするんそれ、とか思ったり。)
・目標はでっかく、1万人の観光客!
(今の飛行機数では無理だなぁ。)

3:基調講演「今後の沖縄観光動向について」
・「観光」とは?→ふるさと、まちづくり。いいまちを作って、それを見てもらうこと。
・子どもたちに可能性を見せることが大切。その可能性を見て、子どもたちがこの島に戻ってこれば。
・観光ビジネスは現在「国内→海外」が圧倒的に多い。この海外への需要を国内、南大東に向けられれば。
・また、海外からのお客も呼べれば。ただ、海外の航空会社をあまり受け入れていないという現状も。
・2000年代あたりからの「効率化・合理化」の流れで、地方から中央への人口流出の流れがある。現状はまだマシだが、マシなうちに考えないと、先細りになってしまう。
・これまでは航空会社や旅行会社主導の観光開拓を行ってきていたが、これからは自分自身(この場合だと村民自身)でのセールスが必要になってくる。海外に実際に行って、ニーズを知ることが大切。
・石垣はこれを行い、新石垣空港開港時に韓国から飛行機が直接来る話が出来ている。
・これからは農業だけでは立ちいかなくなっていく。「第二の開拓の時期」と考えるべき。
(これは面白い言い方だと思う。TPPの転び方次第では即死の可能性もあるので、早いうちに切迫感をもって考えてもらうには有効な形。)
・観光で消費されるお金の1/3がお土産を買うお金。通販をしたりすることで、ここの美味しいもの、海の幸をどう食べてもらうか?
(まぁこれは売り出していく力がどうにも貧弱。あと日持ちする美味しいお土産がないことには…。シージャーキーではなんとも訴求力不足だよねぇ。あとラム酒の話もしてくれよ。)

ぐらいでしょうか。ラストらへんで「巳年は異変が多い」とか変なこと言い出したのでそのへんはメモってません。なんで偉い人(の一部)ってこんなくだらん話をするんだろうか。これも話術の一環なんでしょうか。

感想:
 「島の既存の良さを生かしましょう」という話があまり出てこなかったのが残念だった。一応、シュガートレインの話が安里さんから出てきたのは良かったには良かったけど、「自然関連の話」が全く出てこなかったのが不安。おそらくその方向性では「金にならん」ということなのだろうけど、個人的に価値があると思うのは自然の方だと思うので、観光化の動きの中で無下に踏みにじられるのではないか?ということが不安。

ということで、別エントリーで「自然の話」でもしてみようかな、と。
「ジオパーク」に対する期待と不安があるので。いまのところ。

(8/16)テレビ事情

REGZAの32型と同じくREGZAのBD-HDDレコーダ買いましたよと。
これで我が家にもデジタルな生活が!
ということで今回はテレビの話です。

【11.テレビ事情】
まず現在の状況としましては、「普通と変わりません」という感じ。
良かったですね!というところ。
現状、NHK受信料以外にお金は払っていません。(確か)

ただ、ほんの1か月前、7月までは地デジ放送は通じてなくて。
東京都小笠原村向けに整備されている(もう小笠原も海底ケーブルからの地デジ化は行われているはずなので、いた、と表現すべきか。)衛星を介しての地デジ難視聴者向け回線を利用しての放送を視聴していました。
なので強い雲がかかると放送が途切れたりとかしていました。

あと、難視聴者向け放送は、あくまで「東京都」向けに設置されていたものなので、東京キー局放送しか放映されなかったりします。んだからここ「沖縄県」でもテレビ朝日(琉球朝日放送ではなく。)とかフジテレビ(琉球放送ではなく。)が見れたりします。
(ただ、局のラインナップは沖縄に合わせた「日テレ・テレ東抜き」の形態になっています。)
あんましメリットと感じることはないですが…。ノイタミナ枠が見れたりすることぐらい?あと(2011年08月現在だと)アイマスのアニメの最速分が見れます。ただ両方ともちょっと遅れてですがBSで見れるしなぁ…という。

また、上で「お金を払っていません。」と書きましたが、6月まではこの衛星放送を視聴するのにお金がかかっていまして(これは村が衛星回線を維持するために払っていたお金を、利用者にも負担させていたということです。)、月1900円を役場に支払いしていました。

今は先述のとおり、普通の放送を見ることが出来ます。沖縄でやってる放送が見れます。
ただ、この難視聴者向け放送は今年度中は続くらしいので今年度中は東京の放送も見れる、そうです。

(おまけ)
ちなみに、南大東島で「NHK総合・教育・民放3局」が見られるようになったのは1998年、
「NHK衛星放送」が見られるようになったのは1980年代のこと。
衛星放送の当初、NHKBS1はほぼNHK総合と同じ番組編成だったので不満はおこらなかったそうですが、違って行くにつれて「ニュースがわからない」と不満が噴出したという話があります。

(8/15)免許証の更新に行ったよ

久しぶりに。忘れてたわけではないんですけども、なんか特に書くことないなー、と思いつつ放置してたところ、いろいろ舞い込んできたので少しずつ。

【10.運転免許証の更新。】

今年の8月末に切れる運転免許証の更新に行ってきましたよの話です。

敢えてここで話題にするということは、もちろん普通の所とは違う処置をされるわけで。まぁこの離島の免許センターなんてものがあるわけもないですし、その分校も残念ながらなし。(宮古・石垣にはあるようです)

ということで本日、「駐在所」に行ってまいりました。

http://www.vill.minamidaito.okinawa.jp/public_03.html

行けばいい時間は午前9時〜午後5時(4時だっけ)と極めて緩く、自分は金曜日に前以て空いている時間を尋ねたうえで行きましたが、多分その必要もないでしょう。
(ただ飛行機の発着時間は駐在所が対応できないので、それを外して訪ねる必要があるそうです)

午後2時すぎにTシャツ短パン姿で来訪。
警察官さん(1名)がお出迎え。手続き書類に氏名と署名を行い、そのあと今持っている免許証に「平成23年9月○日まで延長」という記入・押印を戴く…と。
なんでも新しい免許証は期日(8月末)までには来ない(郵送。)ので暫定的にこうしておくのだそう。
このまま本島とか内地に行って「免許証見せてー」ってやられたら説明めんどくさそうだよなぁ、と思いつつ9月末までは帰る予定がないことにほっとしたりする。

そのあと視力検査(かなり簡素な機械で。)と免許証用の写真撮影(デジカメで)を済ませて、農協で購入した4250円分の沖縄県収入証紙をお渡しして終了。
大体30分ぐらいで手続き自体は終了。

そして、講習は後日行うとのこと。
1月に1回しか講習はなく、そのタイミングで聞きに行かないといけないのだとか。
(講習を受けていなくても、更新された免許証はもらえるそうです…。しばらくは講習受けてない状態で更新免許証を使うことになりそうです。)

ってな感じ。
免許センターまでわざわざ行かなくても(駐在所は家から徒歩7分ほど)、そして並んだりしなくても免許の更新が出来るというのは非常に良いなという感想。
まぁ離島であることによる応急的な処置に助けられている感はありますがね。

(05/23)お久しぶりに

仕事に慣れてきたということで、それに伴って仕事が増えたり、
読む本が増えたり、本のスキャンが忙しかったりと、
まぁそんなわけで放置気味だったのですが、釣りに行ったことをきっかけに話のネタが出来たので少し。

【9.漁業の事情】
周りを海に囲まれているので、釣りは結構趣味としては盛んで、島にある主な港であるところの北港・西港・亀池港(南にある港)あたりでは釣りに勤しんでいる方が多く見られます。
ちなみに自分も今月5日・そして22日に釣りに行きました、というかさせてもらいました。
5日は残念ながら1匹も釣れなかったのですが(一方で、7〜8匹釣れた方も…)、昨日22日は3匹釣ることが出来ました。釣れると楽しいもんですね釣りって言うのも。

ただ、「漁業」をやる人は比較的?少なめな印象はあります。
手元にある「南大東島の人と自然」によると、20日間ほどの「調査期間」のなかで、水揚げを行った人の数は13人。これは島の人口(1400人前後)の1%に過ぎません。(約400世帯の3%ということもできましょうか。)
尤も、この調査期間は製糖期(1月下旬〜2月上旬)ではあるので、農業との「兼業」の漁師さんはこの時期船を出していないかもしれない、ということは考えられますが、いずれにしても回りが海に囲まれているという立地の割には少ないと言わざるをえません。

漁船が停泊できる港が数年前に出来たため、以前に比べると漁業を行うのは容易だとは個人的には思うのですが…。ちなみに港が出来るまでは、漁船を海から引き揚げる、海に出すためにはクレーンを用いていたとのことです。

主に水揚げされている魚種はマグロ・サワラ・イカ。2006年の調べによると、この3種で8割の水揚げ量を占めているようです。


数年前までは、冷凍はすることはできても、販路を確保できていなかったことから、本島・内地に消費先を見出すことが行いにくいという事情から、消費先は「島内」に限られていたとのことです。
しかし、たかだか人口1400人の島。消費も知れていますので、漁師に対して買い取り業者が「買い取り制限」を行ったりする、そして結果漁業がしぼんでしまうということもあった(今もあるかもしれません)ようです。
現在は島内のスーパー「サンエー」が南大東産の魚を買い上げ、販路を確保しているとのことで、ある程度状況は改善しているとのことです。
(なんでも、本島では南大東産のマグロが人気だそうで、「南大東産」と明記すると集中して売れてしまうため、隠すようになった、という噂があるようです。真偽のほどはわかりません。)

水揚げされた魚を本島に運ぶ際には、「だいとう」という定期船が使われます。
もし、波が高い日が続き「だいとう」の欠航が続くような状況になると本島に魚を運ぶことが出来なくなるため、こちらのスーパーに「半額」の値段でマグロが売られることになることがたまにあります。
(先週の初めあたりにそういう話を聞きました…。)

【テーマ日記終わり】

若干とりとめがないですがこんな感じ。
抜けがあるかもしれないです。なんか気になったらコメントいただければとは思いますし、指摘もよろしくお願いします。

(05/04)ゴルフ。

前回の日記に続きまして。
久しぶりにゴルフに行ったので取りあえずその話をしとこうかなと。

【8. ゴルフ(その1)】
島内でゴルフが出来る場所は、「南大東ゴルフレンジ」のみです。
ショートが9ホール・ちょっと長いホールが4ホールの13ホール、だそうです。
(まだ長いほうのホールはやったことがありません。)
9ホールのほうはすべてパー3になっていまして、概ね50〜130Yの距離と、まぁ「ショート」というにふさわしい感じです。

料金は
ハーフ9ホール :2000円(会員1000円)
18ホール(9ホール×2):3500円(会員2000円)
午前・午後それぞれ打ち放題: (会員3000円)
全日打ち放題 : (会員4000円)

…で、あってたっけ。間違ってたら直したり補足したりします。
会員への入会金は30000円。
会員権は永久に失効しない、とのことです。

あと、打ちっぱなしゴルフ場として、「大東水上ゴルフレンジ」があったそうです。
これは湖に向かって少々軽めの(水に浮く)ゴルフボールを打っていく、という世にも珍しい打ちっぱなしだったらしいのですが、数年前の台風で破損してから、再開していないとのことです。
結構残念ですね…。ちなみにモノの本には80球500円だとか。なかなか安かったようで。

【テーマ日記終了】

ちなみにゴルフのほうは2回目やって、9ホール×4ラウンドやったんですが。なんとか今日やった9ホール分で43(+16)というある程度の結果が出ました。この調子で頑張りたいものですね。

そういえば、4月23日・24日に本屋さんがやってきたんだとか。
別のブログないかな?とか思いつつ検索してたらそんなことが。
http://ameblo.jp/ufuagari2006/entry-10870825746.html

…これは行きたかったかも。24日は午前暇だったですし。

(05/03)友達来てからそれから

4月30日から今日まで、大阪から来た友達と遊んだりしてました。
その中で何個かネタはできたので、その中の1つを。
その他については小出しにしていく方向で。

【7. 日本最南端の『鉄道跡』】
現在走っている鉄道の中で一番南に位置するのは、沖縄県那覇市を走る沖縄モノレール。
その前にも、戦前においては沖縄県に軽便鉄道が走っていました。

ただ、それより南に位置する南大東島にも鉄道が走っていた時期もありまして、それが「シュガートレイン」という主にサトウキビを運搬するために作られた鉄道です。
シュガートレインの始まりは1917年と非常に古く、また、廃止されたのが1982年(間違っていたら直します。)と、比較的最近まで(と言っても自分は生まれてもいなかったりするのですが。)運用していたという、歴史のある代物です。
最初期においては島の運搬のメインを担っていたのですが、徐々にトラックにとって代わられ廃止、ほとんどの軌道は建築資材として使用するためにはがされてしまったようです。
そういうわけで、今はもうほとんど跡すら残ってないようですが、現在も島の中にわずかながら(5か所?)鉄道跡が見られるとのことです。おそらく、これらの鉄道跡が「日本最南端の鉄道跡」といえるのではないでしょうか…。

【テーマ日記終わり】

まぁ、こういうことって調べりゃわかるかなぁ…とは思うんですがなんかやっぱりこう、撮っちゃったら紹介はしたくなるものでして。

PIC_0166






(04/28)たまには軽い話を

軽い話、というか普通に何もテーマを設けないで小話的なモノを。

まず、26日〜27日の雨ですが、結局150mmほど降りましたと。
4月の「月間」降水量(平年)が110mm程度なので、1日で月間の1.3倍降ったことになりますと。
こういう雨が当たり前なのかというとそうでもなく、ここ31年間の「4月のなかの24時間」では一番の降水だそうで。
めでたく極値更新と相成りました、予定になると思います。(確定値になるにはまだ時間を要しますので。)

あとはジョギング時にカエルをよく見かけるようになりました。
とにかく道を走ってるとカエルだらけ。今この文章を書いているときにもげこげこげこ。
あとヤモリとか良く見ますね。多分夏に向かっていくにつれていろいろ増えて行くんでしょうがね。
ちょっと今から不安ではあります。

まぁこんなところで。
30日には友人が来るので、またそれで1ネタか2ネタぐらい出来るのかなと思ったりはしてます。
しかし良く来る気になったなぁ友人も。
もっとたくさん来てほしい。

(04/26)雨降ってます

9日ぶりの「降水」。
今月は9.0mmしか降ってなかったのですが、それを丸々取り返さんとばかりに降っています。
今これを書いている時点での降り始めからの降水が80mm前後。
4月の月間平年が110mm前後なので、帳尻が上手いこと合うのかな?という感じです。

【6. 南大東島の気候(その2)】
気候と言うか、特徴というか、です。
南大東島は、その縁のほうが標高が高く、中心のほうが低いという形をしているため、無風・晴天時の夜間には冷気が島の底にたまりやすいという特徴があります。
そのため、特に春先にかけては島の中心については気温が下がりやすく、日によっては11度前後(平年値よりも7度ぐらい低い)まで下がることもあります。
そうした冷気がもたらすのが、地霧です。

DSC_0015


こんなの。(4/15 早朝撮影)
地面近くに垂れこめた霧ですね。こういう霧がこの時期には発生するとか。
(朝、日差しが出てくると消える霧なので、生活・交通にはほぼ影響はありません。)
なお、季節が変わると海からの空気が運ばれてくることによる霧、移流霧が発生したりも、ということだそうで。

【テーマ日記終わり】

ちなみに自分はここまでの夜勤4回中3回においてこの地霧に遭遇しています。
なんかあるんでしょうかね。

(04/24)大東だけ夏日の昨日

昨日は暑かったですね!ということで。

最高気温


昨日は南北大東島のアメダス3か所(南2か所・北1か所)で日本の最高気温ランキングを1〜3位独占ということになりました。
9月〜6月は大体石垣・宮古・本島の地点のほうが暖かく、7月〜8月は本土のほうが暑いことのほうが多いため、結構こういうことは珍しいのではないのかなと思います。
ちなみに昨日は石垣・宮古・本島が前線の影響で天気が崩れており、こういうことになりました。

【5. 南大東島の気候(その1)】
http://www.jma-net.go.jp/daitou/climet/kikou.html

にある程度詳しく書いてあるんですけどね!
と言ってしまってはお終いなので、もうちょっと補足。

ちなみに「平年・平均」データは1971年〜2000年データをもとにしております。

年間の平均気温は23.1度。那覇が22.7度・石垣が24.0度。
まぁ石垣のほうが普通は暑い?ぐらいでしょうか。ただ亜熱帯気候は亜熱帯気候。
5月から11月の平均気温は25度を超えるという状況で年間の真夏日・熱帯夜は100日を超える年も。

年間降水量は1600mm前後。
これは那覇・石垣の2000mm前後に比べると少ないと言えます。
全国平均が1000〜1200mmなのでそれに比べると多いですが。

降水のピークは6月・8月・10月に。梅雨・台風の影響を受けやすいのはまぁ本土と一緒です。

【テーマ日記終わり】

まぁこの時点ではこんなところで。
現在、4月下旬は比較的過ごしやすいという感じ。
最高気温が25度前後、最低気温は17度前後。日によっては11度台まで下がります。
流石に11度台の日は寒かった…ですね。


Recent Comments
  • ライブドアブログ