2011年04月28日

退院

ばさまの入院から1ヶ月、ようやく退院することとなった。

ばさま自身は少し前から帰りたいと言っていた。じさまが心配なのもあるが、どうも知らない人と一緒にいることがストレスになっているようだった。
でもそのことが私にはショックだった。

ばさまは人当たりが良く、友達も多かった。
もちろん内心思うところはいろいろあったはずだが、少なくともこういう他の人の目もある場所では不満なども出さない性格であったはずなのにそんなことを言うなんて…やはり退院しても介護は必要なのだと再認識する。

その衰えは精神だけでなく、肉体的にも顕著だった。入院していた病院の2回から降りるのもやっとだったのだ。
80歳を越えてはいたが、昔から自分の足で動き回っていたこともあり、入院直前まで足腰は丈夫であった。
なのにたった一月の入院でここまで衰えるとは…続きを読む

2010年06月30日

大量の肌着

寝床の確保を始めてから1週間、ようやく寝床が確保できた。
思いのほか荷物がある、それもずっと使われていない服の入った衣装箱がほとんどだ。
結局、店舗側の半分は荷物を重ねて埋まってしまった。
もう店(床屋)は開けない、開ける状態にはない。
それを見てじさまは「わの店をこんなにして、八戸にいられなくしてやる」と暴言を吐く。
だが実際には既に何年も店を開けてはいない。その前からじさまは店を休みがちになり、数年前からは一切店を開けなくなった。
じさまはそれを「たまには休んでもいいだろう」と言っていたが、今も「まだ1週間休んだだけだ」と言っている。そういうことなのだと知った。

じさまの暴言などにいい思いはしなかったが、1つだけ良かったことがある。
じさまの服や肌着が幾つも見つかったのだ。続きを読む

2010年04月23日

寝床の確保

ばさまの入院から1週間ほど経った頃、ばさまは徐々に回復してきており、時期は分からぬがいずれは退院するだろうという話になってきた。
そして退院した時にどこに寝せるかという話が出てきた。

元の家に寝せればいいという話に普通はなるのだが、いろんなモノが置かれたじさまの家のふとんを敷く部屋は、実質2畳ほどしかスペースが無い。その半分をじさまが使い、残りの半分でばさまとうちの子供が一緒に寝る、という状態であった。
何度も片づけるという私や妹の意見も聞きいれずにいたじさまとばさまだったが、結局しばらくはこの家で寝起きするしかないということで、退院後のばさまが楽に寝れるようにと部屋を片付けることとなった。
その片付けをする役に、やはり私が選ばれた。続きを読む

2010年04月03日

昼食を安価にうどんで済ます。

突然入院してしまったばさま、家に残るじさまとおらの子供だけでは食事など作れず、ばさまの入院初日から私は食事を作らねばならなくなった。
その3食のうちの昼食を紹介します。

あの当時、とにかくお金を掛けずに昼食を作らねばなりませんでした。
というのも、米と夕食のおかずは実家が作ることになっており(とは言っても夕食も食べやすく私が再調理や裁断などしないといけなかったのですが)、それ以外の朝食のおかずと昼食、さらにはオヤツまでを、1日当たり500円で賄わねばならなかったのです。一人500円ではなく、じさまと子供の二人分を500円、後にはばさまを含めて三人分を500円です。
とてもじゃないが、昼にお金を掛けてはいられません。

それでも美味しいモノを作らねばじさまは口にしませんし、口にしないとまた腹減ったと騒いで隠れて冷蔵庫のモノを漁ったりするので、しっかりと美味しいモノを食べさせねばなりません。
そんな時重宝するのが、3玉100円のうどんです。続きを読む

2010年03月22日

別の私、あるいは伯父、

3日目のことです。
ばさまの見舞いに病院に行った時、ばさまが妙なことを言いだした。
じさまが来たというのだ。

にわかには信じられない話だ。
まだばさまの話すことが昔の出来事と今の出来事が混ざっているということもあるが、それ以上にじさまの方が見舞いにくるなどありえなかった。
何故なら足腰が弱って歩くのが不自由になってきたこと以上に、痴呆が進んで病院までの道順が分からないからだ。同じ町内会にある病院に行くことさえ、その時には不可能となっており、通院時には私が付き添わねばならなかったからだ。

そんな本当とは思えない話だが、ばさまの気持ちを考えると否定も出来ない。良かったなと言ってばさまの話を聞く。
昨日よりはだいぶ表情も戻ってきている、話すことも幾分しっかりしてきた。相変わらず点滴に繋がれたままだし、まだまだ大丈夫とは言えないらしいが、まず問題がないだろうという話らしい。

一通りじさまが来たという話を聞いたところで、私はじさまの家へと向かった。昼食を作り食べさせるためだ。

しかしそこでもまた同じような話を聞くこととなった。
じさまが言うには病院に行ってばさまの見舞いをしてきたとのことだ。
しかも私がじさまを病院まで連れて行ったのだという。続きを読む

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