日常へのスライディング

by cross bones style

映画館に行ったのは何年ぶりだろう、と思い返してみたら、嫌な思い出にぶつかった。そんな事故はよくある。

perfumeの『Reframe THEATER EXPERIENCE with you』という映画を一週間ほど前に観た。ほぼ映像作品で有名なデザイナーが手掛けているらしかった。面白いかつまらないかではなく、単純に好きか嫌いかで観る映画なんだろうと思いながらスクリーンを眺めると、ふとperfumeの音楽を初めて聴いたのはもう10年以上前だったなと思い出し、歳月は早く過ぎるなどと年寄り臭いことを思う。

観てからもう何日も経ったのだから、映画の記憶は途切れ途切れだ。ただ、強く思ったのはperfumeは成功したということなのだ。もちろん、想像もできないような努力をしたのだろう。壁にぶつかったことは何度もあったのだろう。そして成功したのは彼女たち三人の力だけではなく、スタッフや家族に支えられたところは大きいだろうし、特に中田ヤスタカの存在は大きかったと思う。それでも思うのは、メンバーが流した涙は成功したからこその涙なのだ。

僕はまだ成功者の涙が美しいのかどうか分からないままでいる。壁にぶつかり、挫折し、それでも立ち上がるときに流れる涙を映画は映さない。その涙の方が美しい気がするのだが。

嫌な夢を見た。その時僕は高校生で、同学年の女の子に言い寄られる夢だった。それも、少し性的な。
癪に障る。

時として現実より夢の方が鮮明だ。あらゆるものの細部が迫ってくる。肌の温かさまではっきりと覚えているので始末が悪い。夢に何か救いを求めるくらいなら煙草でも吸っている方がマシなのだろう。たぶん、学ぶべきものがある。例えば、煙草は不味いとか。

今日は小説を読んだ。下手くそな文章だったし、映画の脚本みたいな書き方だった。実際、映画監督が書いた小説なのだから、そうなるのも仕方がないけれど。そんなちっぽけなことにブーブー言いながら読んだ僕もちっぽけなのか。寛大になれればいいとは思うが小説にブーブー言うのも読む楽しさのような気がする。

もう一日が終わろうとしているのに夢の記憶が消えない。あまりにも美化され、理想的な夢は、美しくもないし理想的でもない。夢に見たあの女の子は、というか、その女の子のことはこのブログを読んでいる人は知らないと思うが、とても可愛くて、僕と付き合う一歩手前まで行った子だった。しかしだから何だというのだろう。夢とは忘れるためにあるのに。

もう何年ぶりに書く日記なのか自分でも分かりません。分かっているのは夏は過ぎ、そろそろ新しい季節の匂いがする時期なのだろうということくらいです。ここ最近の僕はといえば、シナリオライターをやったり映画ライターをやったり、小説を書いたりと、結局行き着いた先は文章で、それ以外に道は見えず、ただ今を生きるという事くらいしかできないままでいます。

それにしてもここまで不思議な夏は経験したことがありませんでした。風のせせらぎさえ聞こえないような静かで、どこか哀しく、しかし僕の知らない場所ではきっと何かがざわめいているであろう夏。それでも空はあっけらかんとしているのですから随分と気前がいいものです。秋はきっとくるでしょう。冬も、春も、次の夏もくるのでしょう。ただ、新しい季節が来ても、そこに何か特別な美しいものがあるかどうかを考えると少し哀しくもなります。人はちょっとした風で揺らめくカーテンのように脆いものなのかもしれない、などと妙な感傷に浸ったりもします。そういうの、好きではないんですが。

自分にできることは何だろうと考える日々です。考えれば考えるほどよく分からなくなってきます。本当の意味で新しい季節の到来とは、人がつくるものかもしれないと、変なことも思います。ただ思うのは、新しい夏は人の笑顔をたくさん見たいということだけです。馬鹿みたいに暑苦しい笑顔がこぼれんばかりに溢れることを願っています。

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