2005年05月15日

探偵の登場

「コーヒーは苦い。基本的に苦いものが嫌いな人間が何故コーヒーが好きなのかこれは永遠の疑問とも思えるが、確かなことは一つだ、砂糖とミルクをコーヒーに入れるのは邪道だ」

 煙草をふかしコーヒーを一口すする。一連の動作を終えた探偵が佐伯圭一とは反対の方向、つまり高層ビルの窓から外を見ながら突然言い放った言葉がこれだった。なんと答えたらいいのか判らない圭一がおどおどしていると、ゆっくりとそれでいてスムーズな動作で椅子を回転させ探偵は圭一の方へ振り向いた。
「私が村上だ。話は菅原のほうから聞いている。どうやら探偵助手を希望だそうだね」
 圭一は神妙な面持ちで頷いた。
 菅原というのは村上探偵事務所の受付を担当していたもので、圭一がここの求人広告を見て尋ねてきた時に眼鏡の奥から酷い形相で睨みつけられたため、圭一にとってはあまり聞きたくはない名前だった。自己紹介も兼ねて履歴書を渡した時すら終始無言で、「私は菅原と申します」と言った以外には一言も漏らさず、随分と無愛想な受付もいるものだ、と圭一も頭を捻っていた。だいたい名前くらいは目の前のプレートに書いてあるので、紹介されなくても判る話だった。
「えーと、名前は佐伯圭一、年齢は十六歳、高校生です」
 圭一は、花粉症のためしているマスク越しにくぐもった声で自己紹介を始めた。
「それは判っているからいいんだ。それより君、今日は家からきたのかい?」
「えぇ、求人広告を見て家から直接ここに向かってきましたが…、それが何か?」
「いや、特にどうというわけではないが…。ここら辺に来るのは初めてかな?」
「えぇ、浅草あたりはよく行くんですが…。ここら辺は…」
「そうか…。だったらあの駅前の大きなレストランは目についただろうね」
「えぇ、まぁ。あれほど目立つと」
「ふむ。ところで君、一人暮らしがたたって最近まともなものを食べていないのでしょう、顔色が優れないよ」
 探偵は顎をさすりながら、別になんでもないことのように言った。
「い、いったいどうして?」
 ファイルに目を通しながら無表情を通す探偵に圭一は驚きを隠せなかった。事実、圭一は都内で一人暮らしをしており、ここ一週間というものカップラーメン以外のものを口にしていなかった。しかしそんなことをわざわざ履歴書に書くわけもなく、圭一が一人暮らしであるということは探偵は知らないはずだった。それに高校生で一人暮らしは珍しい分当てるのは容易ではない。
 しかし探偵は含み笑いを顔に浮かべながら言った。
「はは、それは簡単なことだよ。まずはそのぼさぼさで伸びっぱなしの髪。君の高校、東京では見覚えのある有名な私立男子校だ。そんなところに通っているということは、君の親御さんは余程教育熱心だと思われる。それは君が身分証代わりに見せた保険証が医師国保になっていることからも裏付けられる。その息子がそんな頭で学校行かせるのを許すわけがない。そしてそのシャツ、よくみると糊付けがされていない、つまりクリーニングをしていないということだ。そしてそのズボンも折り目の付き具合から同様のことが言える。これは先ほど述べた親の厳しさと相反する傾向だ。理由は一つ、君は親御さんと離れて暮らしており、さらにワイシャツをクリニーングに出すお金もないくらい金銭に困っている。そこから導き出しただけだよ」
「そんなことから…。さすが村上探偵…。稀代の探偵と言われるだけありますね」
 圭一はその推理方法に感心した。
「もう一つ言わせて貰うと、君、本当はここで働きたくなかったんだろう?」
「え?」
「ちょっと君の住所を見てみたんだが、現住所が御徒町になっているね、つまり君はここ、三ノ輪まで日比谷線で来たということだ。私の記憶が確かなら、さらに君は住所を見る限り中央口近く沿線に住んでいる、ということは君は地下鉄の後方車両に乗った筈だ。後尾に乗ったのなら三ノ輪駅交差点方面で降りたことになる、しかしそれにも関わらず君はあの、明治通り口の巨大レストランを見たと言っている。それが何を意味するか…君には判るだろう?」
「いえ、是非聞かせてください」
「ふむ、後学の為にもいいだろう。君は元々あのレストランのバイト募集のほうに行ったわけだ。近場の巨大レストラン、どこの求人雑誌を見ても募集はしているだろう。駅からも近いしバイト代も手頃、高校生にとっては願ったりのバイトだ。しかし君はその駅前でうちのバイトが配っている求人広告を受け取ってしまった。軽いつもりで受け取った広告には予想以上のバイト代の良さと、立地条件に恵まれており、しかもその事務所はかの有名な村上探偵事務所ときている。君はそちらに飛びついたという按配だ。」
「でもその広告を受け取ったとは限らないんじゃないですか?」
「それは君も判っているだろう。君がくるあの時間にうちのバイトが立っていたのは確か、君があの出口で降りたのも確か、そして君のそのマスクから花粉症だということが判るように、ティッシュを受け取らない花粉症患者はいないよ
 素晴らしい答えだった。圭一は降参するようにティッシュを取り出しその推理が当たっていることを示した。探偵も多少清々しい顔をした。
「それなら判るだろうが、そんな不順な理由でここの助手を志望した人間を雇うわけにはいかない」探偵は少し間を置く。「言いたいことは判るね?」
「えぇ、流石にそれくらいは判ります。でも帰る前に一つだけ聞いてもいいですか?」
「あぁ、別に構わないよ」
 そして、圭一も間を置く


「あなたも探偵じゃないですよね…菅原江里子さん


 煙草が床に落ち、その女性は明らかに狼狽を見せた。
 圭一はそれを無視して続けた。
「まず初めに言っておきますと、僕は元々新聞などの記事で村上玲子探偵の有能さを知っていましたし、レストランも知っていました。勿論顔出しはしないという村上探偵が女性だったとは露にも思いませんでしたが、名前と業績を知っていたのは事実です。つまり僕はレストランにわざと行ったということです、ご飯を食べる為にね。だからここに来た理由も勿論村上探偵に憧れたからであって、何も不順な理由ではありません」
 圭一は一呼吸置いて続ける。
「そして、あなたに非常に印象が悪いと思われているこの髪形やらシャツやらは、或る種仕方がないことでもあるのです。あなたは教育熱心な親がそんなのを許すはずがないと言いましたが、それには一つ依存している常識があります。それは、教育熱心なのが母親だという前提です。つまり、僕の場合、教育熱心なのは医師である父親であって、母親ではないのです。まぁ、と言っても母親はすでにこの世にはいませんが…」
 圭一は少し寂しげな表情をした。それに反応したのか元探偵、菅原女史もうめき声を漏らした。
「ご、ごめん」
「いえいえ、」圭一は手を大げさに振りかざし「そういう常識は慣れていますし。まぁ、でもこれで流石に判りましたよね、ティッシュの件は上手く推理したと思いましたが、それ以外の推理を聞いてあなたが村上探偵ではないことは察しがつきました。そしてこの小さな事務所の中にいるのは二人だけ、つまりあなたと受付の女性。あの眼鏡をかけた女性が本当の村上探偵なのでしょう?」


ドドドドドドドドド。ガバッ!!


「せーいっかーい!!」


 突然抱きついてきた眼鏡をかけたツインテールの女の子は、さっき圭一を睨んでいた受付の女性とは思えないほど華奢で小さな体つきをしていた。あの時はあまりの眼力に驚愕して顔を凝視できなかったが、大きな目と赤く萌えた頬、そして振りかざした亜麻色の髪などを観ているととても幼く見えた。
「やぁやぁ圭一君、略して圭ちゃんね、よろしくっ。えーと、紹介は遅れたけど、僕がが玲子だよ。玲子さんでも玲子様でもレイたんでも呼び名はなんでもいいけど、村上はやめてね。その名前で呼んだらそこの窓からつきとしちゃうからねー」
「いや、圭ちゃんって…。まぁ、なんでもいいですけど…。ということは、えーと…、玲子さん?僕は採用なんですか?」
「ん?当たり前ジャーン!あの面接で彼女が僕じゃないことを見破るのが試験だったんだから、ねー?エリたん」
「あ、はい…。見破られて申し訳ありません…」
「全然大丈夫だよ、何も悪いとこはなかったよー。でも、あれだね
、97人目の面接にてやっと見つかったよ、ホント良かったねー」
「そ、そんなに…」
 けらけらと笑う玲子と反対に、なんとなく圭一の態度はギクシャクしていた。まさかこんなハイテンションの幼い子供のような女の子がかの有名な村上玲子探偵だとは思いもしなかったからだ。
「ぁ、僕のこと村上って今心の中で思わなかった?」
「いや、滅相もありません。ずっと尊敬していたものでつい…」
 この探偵は心の中まで読めるのか…。榎木津か…?
「まぁいいや、よし、今日は祝杯あげるぞー。ほら新入り、そこから酒だして、ライムとジンとシェイカー。飲むぞ飲むぞっ!」
「いや、玲子さんは…お酒は二十歳から…」
「何言ってんの!僕はもう21だよっ!どうみても20以下には見えないでしょ?ほら、飲んで飲んで」
「(おいおい、どうみても中学生だぞ)…。僕高校生なんで…。」
 少しの間考えるようなポーズをとり、菅原女史と目を合わせ、二人でくすくすと笑いながら、あーそういえばそっかー、と可愛らしい声をだす。そして僕を指差し、にっこりと言い放った。


「ギムレットにはまだ早すぎるね」


これは記念すべき村上探偵事務所での一日目だ。  
Posted by mafumin at 12:55Comments(0)TrackBack(0)