若いとき特有の自分探しの中に、自分に何か特別なものが備わっているはず、だから、それを社会に出したい気持ちを自己顕示欲とか承認欲求とか、言葉にしたらそういうものなのだけども、その辺りのものは私のイメージ上、ここではない自分を想像することで、決して生活を工夫して努力の結果にもたらされるものではなかったんだなぁと今、大人になって思う。つまり実現させるつもりは毛頭なくって、現実から逃げて妄想の中のできるチャンな私をひたすら大事にすることが私の全てだったような気がする。
なんでそんなことを今更思うかといえば、夢を見たことはあるのかと思い返していたときにそういえばそんなこと思ってたなぁと。こんなふうに暮らしていきたいって考えてたら現実からものすごくかけ離れたレールはピカピカ光って想像できたから。とりあえず毎日楽しくてそれで今が一番満たされている、それ以上を望むなんて馬鹿げている気がしていた。夢見心地で生きていきたい。私の中の夢見る乙女(!)がふわふわ心地よく暮らせるような努力だったらできるな。人の目気にせず自分の得意な努力をしていこう。と思う。それなら出来そうな気がする。みんなと同じ様なことができなくても、私にはコレがありました、と言えたら良い。そんな素敵なことができるならわたしは最高に幸せです。心地よく心豊かに生きていく努力をする。楽しいことを大事にする。それを大好きだと自分であっためる。好きな人と楽しい話をしてお互いに丁寧に接して支え合っていく。そういうことを大切にしていく。例え心の底から望むものが手に入らなかったとしても、悔やむばかりでない毎日を愛でたい。それはそれで努力がいるから。そう言うことに気がついた。